『友よ静かに死ね』②~再生・復活、リアルな「良質の伝統」~

 ブルーレイ化された『友よ静かに死ね』が発売されたので、早速購入してしまいました。

 アラン・ドロンのDVD(ブルーレイ)を観るときは、わりと母親にも観せることが多く、今回も「珍しいアラン・ドロンの映画を買ったから、観ないか?」と一緒に観ました。
 以前に『暗黒街のふたり』を観せたときには、アラン・ドロンが演じた主人公のジーノ・ストラブリッジがあまりにも気の毒で、もう二度と観たくないと言っていたのですが、意外にも今回の母親の感想は何度でも観ることが出来そうな気に入った映画だった、とのことでした。髪をカールしたアラン・ドロンの姿が面白かったそうです。

 想えば、この『友よ静かに死ね』は、私が中学生の頃、父親と一緒に東宝東和系の上映映画館で観た作品でした。同時上映はシルヴィア・クリステルとナタリー・ドロンが共演した『華麗な関係』で、ロジェ・ヴァディム監督が『危険な関係』を自らリメイクした作品です。
 わたしと父親は、こちらの作品を観ずに帰宅した記憶があります。中学生が親子で観ることにはそぐわない内容の作品だと判断していたのでしょう。

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 ところで、現在のようにインターネットの情報が無かったことは、もちろんなのですが、当時の新作映画の情報は現在と同様に映画雑誌での制作情報や作品内容の掲載記事、映画評論家などが解説するテレビ番組に設けられた映画紹介コーナーなどが主なものでした。

 当時の映画雑誌で『ル・ギャング Le Gang』という原題でクランク・インの情報が紹介されていたこの『友よ静かに死ね』に、わたしは、過度の期待を掛けてしまっていたのです。
 古典冒険活劇『アラン・ドロンのゾロ』の正義の剣士、「フレンチ・フィルム・ノワール」ではあっても、『フリック・ストーリー』では刑事、『ル・ジタン』ではロマ族のアウトロー、『ブーメランのように』では悲劇の父親像などを演じていたアラン・ドロンが、久しぶりに原点に回帰し、『シシリアン』や『仁義』のような純粋な「ギャングスター」そのものを演ずるのだろうと・・・。

そうそう、そう来なくっちゃ・・・と、
そんな想像をしながら、ワクワクしながら日本公開を指折り数えて待っていたものでした。

 ところが・・・いよいよ封切りも間近の当時の映画雑誌の新作情報などで、そのグラビア写真のアラン・ドロンの姿を見たわたしは絶句してしまったのです。

>なっ、何なのだっ!このアラン・ドロンの、この髪型はっ?!

 正直に言いますが、私は本当に大きなショックを受けてしまいました。

 あのクールで哀愁に満ちたアラン・ドロンは・・・わたしの憧れていたあのダンディズムの極致としてのアラン・ドロンは・・・何処に・・・。

 更に、何より恐ろしい妄想が駆け巡りました。
 ・・・この後の作品でも彼はこの髪型で演じ続けていくつもりなのか???

【以下、トム(Tom5k)の当時の独白】
≪いや、待て、このイメージ・チェンジには、何か彼の凄い思惑があるはずだ。このような軽率な認識ではアラン・ドロンの真のファンとは言えない。だから、少なくても未だ観てもいないこの『ル・ギャング Le Gang』という作品を軽んじてはいけない。

だって、考えてもみろ!
原作は『フリック・ストーリー』のロジェ・ボルニッシュではないか!

やっぱり、主人公は実在した「ピエール・ルートレル=気狂いピエロ」というギャング団のボスを扱っているそうだ。犯罪実録のような作品なのだろうか。

もしかしたら、ライバルのジャン・ポール・ベルモンドの『気狂いピエロ』などとも何か関係があるのかもしれないぞ?

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(当時のわたしには、ジャン・リュック・ゴダールのそれではなく、ジャン・ポール・ベルモンドの『気狂いピエロ』との認識しかありませんでしたし、テレビ放映の記憶もなく未見の幻の作品でした・・・)

う~む、この作品には、凡人には想像もつかないような凄まじい意図や主題が散りばめられているのかもしれない。≫

 そして・・・一緒にこの作品を観に行った父親の感想・・・

>あ~あ、大した映画じゃなかったなあ、お前につき合ったけど・・・それに何だあ?あのアラン・ドロンの髪の毛・・・変なの?はっはっはっ!・・・。

 わたしが、荒んだ環境で育った不良少年であったなら、父親を金属バットで殴っていたでしょう。


 周知のとおり、幸いなことに、その後に公開された『チェイサー』や『プレステージ』、『エアポート’80』では、彼の髪はカールされていませんでした・・・ああ本当によかった。

 わたしは、伯母に買ってもらったサウンドトラック盤のLPレコードでの解説、ロジェ・ボルニッシュの原作本、映画館で購入したパンフレット、毎月購入していた「スクリーン」や「ロードショー」に加えて、滅多に購入しない「キネマ旬報」を購入し、この作品の紹介記事を隅から隅まで読みあさり続け、ジョゼ・ジョバンニがピエール・ルートレルを題材にして著している『気ちがいピエロ』(ジャン・リュック・ゴダール監督、ジャン・ポール・ベルモンド、アンナ・カリーナ主演の『気狂いピエロ』の原作とは異なる)まで購入してしまいました。

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 そして、いよいよ、その30年後に、アラン・ドロンがこの作品の製作に携わって主演した42歳と同年齢の2006年6月13日に至り、わたしは【『友よ静かに死ね』~反「ヌーヴェル・ヴァーグ」のアデル・プロダクション~」】の記事を自らのブログ記事としてアップできたのです。
 ああ、長年言いたかったことが、やっと言えたあ~。

 ほとんど私見だらけの根拠の無い小理屈ばかりではあるとは承知しながらも、わたしはこの記事のように、この作品を理解しています。
 今では本当に愛着のある作品として、現在ブルーレイ化された『友よ静かに死ね』を手元に置くことになっているところなのであります。

 また別の視点で、わたしのこの作品への想いを語れば、
 『フリック・ストーリー』に引き続いて、ロジェ・ボルニッシ刑事を登場させて欲しかったと、今でも強く思っています。ボルニッシュ刑事にアラン・ドロンを配置してシリーズ化して欲しかったのです。
 そうなると、ピエール(ロベール)・ルートレルには、ジャン・ポール・ベルモンドなどでもユニークな配役でしょう。彼を再びアデル・プロの作品に迎え入れ、実在の「気狂いピエロ」を演ずるなるなんて、実に素晴らしい企画だとは思いませんか。『ボルサリーノ』に続いて彼らの代表作品になったはずです。

 あるいは、アラン・ドロンが、このピエール(ロベール)・ルートレルを演ずることに、どうしてもこだわったのならば、ボルニッシュ刑事には、ジャン・ルイ・トランティニャンを迎えるなど、超ド級の意外性でのシリーズ作品にしても面白かったようにも思います。

 ところで、「フレンチ・フィルム・ノワール」の体系は、1940年代のアメリカ映画での「フィルム・ノワール」作品と異なり、いわゆる1930年代のアメリカ映画で確立された「ギャングスター映画」の系譜も含む総称であると思います。
 それは、ハリウッド製の「ギャングスター映画」や、ファム・ファタルが必ず登場し、主人公は硬質な私立探偵や警察官、検察官、判事、犯人や犯罪の依頼者には富裕層の市民などが登場する「フィルム・ノワール」と似て非なるものでもあります。

 『現金に手を出すな』を代表に『男の争い』、『仁義』、『シシリアン』、『ラ・スクムーン』など、暗黒街でのギャングや殺し屋、ならず者たちなどの生態を、アクションのみならず、彼らのロマネスクを機軸に構成していることが特徴になっているように思います。
 そこには、アメリカの作品のようなハード、硬質な特徴をも備えながら、情感豊かで詩情に溢れた主人公の寂寥と孤独などの悲劇性を表現した作品が多いようにも思うのです。

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 この『友よ静かに死ね』も、アラン・ドロンが出演した一連の「フレンチ・フィルム・ノワール」の体系に属する内容であることはもちろんなのですが、1930年代のルネ・クレール監督を先駆とした「詩(心理)的レアリスム」の体系における『霧の波止場』や『北ホテル』のマルセル・カルネ監督、『外人部隊』や『ミモザ館』のジャック・フェデール監督、『望郷』、『我等の仲間』のジュリアン・デュヴィヴィエ監督が描いていった作品群と同様の印象を持ち、アラン・ドロンが出演している作品としては、特にその作風が強く現れている作品であると印象付けられていることは、【『友よ静かに死ね』~反「ヌーヴェル・ヴァーグ」のアデル・プロダクション~」】の記事でもふれました。

 また、カルロ・ルスティケリのテーマ曲が、何ともうまくこの作風や主題、この時代背景を表現しています。
 それは、楽しくて明るくポエジックでチャーミングな曲調であるにも関わらず、どこか哀しい情感が混沌としていて、特に全編に渉ってボイス・オーバーで主観描写しているニコール・カルファンが演じる恋人マリネットの女性特有の哀歓、せつない彼女の心情にもピタリと整合しているのです。

 監督は、もちろんジャック・ドレーで良かった、いや、むしろ、素晴らしい時代考証のなかで創られた作品である『ボルサリーノ』や『フリック・ストーリー』を演出した彼だからこそ、この『友よ静かに死ね』を制作出来たのだとも思うのですが、生きていれば「詩(心理)的レアリスム」の代表作家でジャン・ギャバンと多くの傑作を創作していったジュリアン・デュヴィヴィエ、映画史的にもその継承者として位置づけられているジャン・ドラノワが演出したなら、より素晴らしい作品になったかもしれません。


>南俊子
【(-略)ギャングであれだけ金品強奪を繰り返しながら、それでも誰にも侵されない自分たちの世界、典型的なフランスの小市民の生活を楽しんでいるという、その味が何ともいえず、私は好きなのね。そこに一種の郷愁があるでしょう。】
(-略-)
>山口紘子
【(-略)「友よ静かに死ね」では、ドロンをとり囲む俳優たち、例えばローラン・ベルタン、アダルベルト・マリア・メルリ、モーリス・バリエ、ザビエル・ドゥプラ、彼らを取り囲むジャンプエロ・アルベルティーニ、レイモン・ビュッシエールがとてもいい味を出しているでしょう。ジャン・ギャバン風の、人生のほろ苦さを感じさせるような。】
【参考 キネマ旬報1977年4月下旬号No.706(「友よ静かに死ね」特集座談会 愛と信頼で結ばれた心優しきアウトローたちの挽歌」宇野亜喜良 南俊子 山口紘子 司会 植草信和)】

【(-略)戸外で宴会を開いたりする楽しい描写は、戦前のデュヴィヴィエ作品「我等の仲間」などのムードにも似ているが、やはりこちらも警官隊に包囲され悲劇へと傾斜していく。(略-)】
【参考 キネマ旬報1977年6月上旬号No.709(「外国映画批評 友よ静かに死ね」田山力哉】

我等の仲間

アイ・ヴィー・シー



 また、この作品の主人公のピエール・ルートレルは、戦後間もなくのフランスに実在したギャング集団のボスであり、原作も実録的な構成であり、そういった意味で映画作品にするにしても写実の題材、その時代考証から制作された作品なわけです。

 これらのことを踏まえれば、つまり、1930年代から40年以上を経た1970年代後半期、読んで字のごとく、紛れもなく「詩(心理)的レアリスム」を発展的に継承・体現した作品であると、わたしは考えているのです。
 アラン・ドロンが製作・主演した作品の実績として、本当に素晴らしいことだと思っています。

「実際に起こった出来事との類似は偶然ではない。一部の人物は実在の人物である。1945年、終戦直後のヨーロッパに平和が戻ってきた頃の物語である・・・・」
【映画「友よ静かに死ね」冒頭テロップ 分析採録 大久保賢一】

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by Tom5k | 2012-07-29 04:30 | 友よ静かに死ね(2)