『リスボン特急』②~芸術として難解な「フレンチ・フィルム・ノワール」~

 最近、フィルムアート社から発行されている古山敏幸氏の著作『映画伝説 ジャン=ピエール・メルヴィル』を読んで強い刺激を受け、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品を再見してばかりいます。

映画伝説 ジャン=ピエール・メルヴィル

古山敏幸 / フィルムアート社



 その著作の中で、最もわたしの関心を惹いた項目が、「第7章-アラン・ドロン三部作 『リスボン特急』」でした。
 『リスボン特急』には、以前から非常に大きな魅力を感じていました。
 これは、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の遺作でもあり、アラン・ドロンの主演作品としては、彼らの最後の作品です。この著作を読みながら、ファンにとって、こんな当たり前のことを、あらためて再認識することができて、ますます興味を惹かれるようになったのです。

 また、わたしにとっては、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』、ロベール・アンリコ監督の『冒険者たち』に続く、「女性一人と男性二人の主人公(アラン・ドロン・シリーズ)」第四作目としている作品なのです。しかも、シリーズ第一作がルネ・クレマン、第二作がルキノ・ヴィスコンティ、そして、この第四作目がジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品ですから、彼の映画俳優としての最大級の3人の師匠の作品ばかりであり、いわゆる彼の引退作品であるパトリス・ルコント監督の『ハーフ・ア・チャンス』で完結することになるものとして、アラン・ドロン主演作品史としての極めて重要な位置にある作品として解釈しています。
 また、「詩(心理)的レアリスム」の巨匠ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の遺作『悪魔のようなあなた』と、初めてジャック・ドレー監督と巡り会った『太陽が知っている』、そして最愛のミレーユ・ダルクを主演にして撮った『愛人関係』を、このシリーズに入れるか否かは非常に悩むところではあります。

 それはさておき、この作品は、ほとんどの批評等で失敗作と評価されています。また、主役のエドワード・コールマン警部を演じたアラン・ドロンでさえ、後年、次のように述懐しています。

【>『サムライ』でメルヴィルは刑事モノと言うジャンルを浄化させたと思います。この作品は今活躍している多くの監督たちに影響を与えていますね、タランティーノやジョン・ウーとか。
>アラン・ドロン
>もう少し早くこうなってくれなかったのが残念だ!ウーはメルヴィルに影響を受けているのは間違いない。人はよく誰かにインスピレーションを受けているが、メルヴィルはそうではないことを忘れてしまっているね。彼は自分の世界、彼の映画の考え方、視点を確立していた。誰にでもお手本がいるんじゃないか。私の場合はジョン・ガーフィールドだ。(注:米国俳優1913-1952:代表作に『紳士協定』や『郵便配達は二度ベルを鳴らす』がある)不運にもメルヴィルは若くして亡くなった、まだ一緒に映画を撮るはずだったのに。『リスボン特急』は中途半端な失敗作になってしまったからね。メルヴィルはとても落胆していた。果てしない議論もしたが、監督は本当に頑固一徹でね。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/1 「回想するアラン・ドロン:その5(インタヴュー和訳)」

 また、現在では、世界一といっても良いほどジャン・ピエール・メルヴィルの熱烈なファンであり、信奉者であるマサヤさんのホーム・ページ「LE CERCLE ROUGE」での『リスボン特急』のレビュー記事でも厳しい評価となっていますし、『映画伝説 ジャン=ピエール・メルヴィル』でも、「贔屓目にみても傑作とは言い難い」旨の記載があります。
 ですから、これは一般論と言えるでしょう。

 しかしながら、作品が優れたものか否かは別として、ジャン・ピエール・メルヴィル監督が、この作品を撮った直後に非常に興味深い発言をしています。

【少し前から・・・せいぜい数ヶ月位前からだったが、私は自分がついに芸術家になったことを感じている】

 彼は、何をもって芸術家の自覚に至ったのでしょうか?彼はこの発言の前段で、

【(-略)『リスボン特急』については、少し難解だというような批評もあった。だが、私は最近になって、映画というものは単なるスペクタクル芸術ではないということを発見したのだ。私は非常に長いこと映画はスペクタクルだと信じ込んでいたのだが、ここ数年の新しいアメリカ映画の諸作品を見て、自分が間違っていたことに気がついたのだ。(-中略-)映画は文学、音楽、絵画の三つを結合して、我々の文化に取って変わったのだ。映画は総合芸術だ。多数の芸術なのだ】
【引用 「キネマ旬報」1972年12月下旬号No.595】

とも発言しています。

 わたしは、これが文芸的題材で撮った初期の『海の沈黙』や『恐るべき子供たち』を完成させた時代の発言であれば、彼の映画作家としての自覚として、すんなりと納得はできるのですが、捜査プロットを全面に表出させた典型的な「フィルム・ノワール」作品として、スター俳優のアラン・ドロンとカトリーヌ・ドヌーブを主演させ、1940年代のハリウッドB級「フィルム・ノワール」に最も近づいたとも思える『リスボン特急』の完成時のものですので、たいへん不思議な印象を持ったのです。
 同じアラン・ドロンが主演している「フレンチ・フィルム・ノワール」ではあっても、『サムライ』や『仁義』の方が、その要素が内在している作品のように思います。

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 わたしは、『サムライ』で「サイレント映画」時代、『仁義』で1930年代の「ギャングスター映画」時代のアメリカ映画を再現したジャン・ピエール・メルヴィル監督は、この『リスボン特急』で1940年代の「フィルム・ノワール」を再現し、その実践を完成させたように感じています。
 更に、「『リスボン特急』については、少し難解だというような批評もあった。」という当時の批評も、この作品のテーマを解釈するうえで、やはり非常に不思議で興味深いものです。これは、映画芸術を脱皮してポリス・アクションの閾値に辿り着いた作品であるように感じる印象とは、あまりにも懸け離れている解釈のような気がするのです。
 どちらかと言えば、それは難解ではなく、分かり易い失敗作というのが現在での批評の一般論ではないでしょうか?

 しかし、それが、例え失敗した結果だったとしても、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の意図していた『リスボン特急』、そのエッセンスの理解に努めることは、あながち無駄なことではないと思っています。
 わたしは、彼が映画作家として『リスボン特急』を完成させた意味において、常に自分の過去の作品を超越しようと試みていた実践の帰結であったように思え、そのことを踏まえれば、そろそろ再評価の取組みが必要になってきている時期だとも考えます。

 そこで、わたしなりに、この作品のいくつかの印象深いショットを挙げてみると、

 まず、コールマン警部が殺害現場に向かう途中のパリの街のネオン・サイン、これは「フィルム・ノワール」の原点ともいえる夜の都会の描写であり、それは、クリスマスで賑わう表側の世界から見えない隠れた裏社会を想像させる魅惑的な犯罪都市の情景でした。

 そして、到着した事件の現場での殺害された売春婦の死体と、それを上から覗き込んで検死するコールマン警部のクロ-ズ・アップを交互にカット・バックするモンタージュ・ショット、ここは実に前衛的なフォトジェニーとして映像化されていました。

 また、法医学研究所の解剖室でのアンドレ・プッス演ずるシュミット(マルクの偽名)の検死体を視察するときのポール・クローシェ演ずるモランとコールマン警部の会話でのセリフ
「-人間が警官に対して感じざるを得ない感情が二つある。うさん臭さと嘲りだ。嘲り・・・」
の後、コールマン警部を演じたアラン・ドロンの精神不安定な外観の描写は、権力批判の客観描写にまで昇華させて、そのクローズ・アップを「シャドウ」で撮っています。
 ルネ・クレマン、ルキノ・ヴィスコンティ、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ジョセフ・ロージーの演出であったなら、いや、過去のジャン・ピエール・メルヴィルであっても、間違いなくここで「鏡」に映ったアラン・ドロンを撮ったはずです。
 これは、俳優アラン・ドロンのアイデンティティの喪失を描写するには持って来いのショット、18番のカメラ・ワークであり、彼に対する最も効果的な基本描写ともいえます。
 『太陽がいっぱい』、『若者のすべて』、『フランス式十戒』、『パリの灯は遠く』・・・。
 しかし、ここでのジャン・ピエール・メルヴィル監督は、権力の権化である官憲の姿、その表情を「無」として表現したのです。
 わたしは、過去にアラン・ドロンを撮った巨匠たち、そして過去からの自らのカメラワークをも超越させた瞬間だったと考えています。

 警察の公用車の走行シーンも、クレーン撮影により高所から見下ろすショットが多くなっています。これは、権力機構の上部に位置しようとする警察権力を、作品を観る立場に立って、更に上部より見下しているとういう、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の映像作家としてのレトリックであるようにも感じます。

 コールマン警部がリチャード・クレンナ演ずるシモンの経営するバーから出たときの様子を「セット撮影」とし、そこからのパリの遠景や、強盗団の待ち合わせでのルーブル美術館内の様子を、わざわざ「背景画」としていることなどは、映画美術の新しい創造的営みを模索している印象を受けます。この書き割りはジャン・ピエール・メルヴィル監督自らの筆によるものなのかもしれません。

 そして、映画の冒頭、海辺の光景に面した海岸通りでのアパートメントの描写は、『太陽はひとりぼっち』でのあの人影の少ない閑散とした住宅街の描写ともイメージが重なり、眼鏡を掛けたアラン・ドロン演ずるホワイト・カラー、エドワード・コールマン警部が、警察庁舎内で、事件に関する書類を読んでいるときの姿は、まさに『太陽はひとりぼっち』の主人公、その後のピエロの姿のように見えるのです。わたしは、ピエロとコールマン警部の持つ虚無感に実に似通ったキャラクターの特徴を感じます。

 なお、古山敏幸氏は、著作『映画伝説 ジャン=ピエール・メルヴィル』で、シモンとカトリーヌ・ドヌーブが演ずるカティの関係を『恐るべき子供たち』でのエリザベートとポールの焼き直しとしての近親相姦図として解説しており、それは非常に興味深い分析なのですが、わたしが関心を持ってしまったのは、ラスト・シークエンスのコールマン警部とカティの虚しい男女関係の崩壊の結論でした。わたしは彼女に、『太陽はひとりぼっち』でモニカ・ヴィッティが演じたヴィットリアを重ね、現代社会の「不毛の愛」を官憲とファム・ファタルの情愛として描写したのではないかと考えてしまうのです。

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 現代社会でのホワイト・カラーの憂鬱は、イタリアの「ネオ・リアリズモ」後期に活躍したミケランジェロ・アントニオーニ監督が表現し続けました。特にモニカ・ヴィッティという好逸材は、その「内的ネオ・リアリズモ」を鮮明にすることにおいて、素晴らしいモデルだったように思います。

 美しいブロンドの髪と妖しい魔性の美しさを持ち、妖婦としてのキャラクターを発露させた『昼顔』や『哀しみのトリスターナ』は、ルイス・ブニュエル監督に鍛え抜かれたカトリーヌ・ドヌーブの美貌の本質が表現されていました。この美貌の極致ともいえるカティによって実行される強盗団の仲間マルクの殺害は、その原型である『影の軍隊』でのシモーヌ・シニョレを完璧に超越しており、「フレンチ・フィルム・ノワール」においてのファム・ファタルとして、発展的に継承させたものだったようにも思われます。
 彼女は、性的な魅力で男を翻弄して破滅させる魔性の女としての存在感を最大限に発揮しているわけではなく、むしろ、それは、悲劇的プロットを担った役柄であるのですが、カトリーヌ・ドヌーブというスター女優そのものの存在感が妖婦のイメージを表出しているのです。

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 『太陽はひとりぼっち』でのヴィットリアは恋人に対して、常に「わからない」と、その憂鬱を会話にしていました。『カサブランカ』のイルザも、リックとヴィクター・ラズロの間で自己選択を放棄していました。しばしば、女性の主体性は、彼女たち本人にすら理解できていないのかもしれません。
 そういった意味では、『サムライ』でのヴァレリー、『望郷』でのギャビーにも共通の特徴が挙げられるような気がします。彼女たちは、存在していることのみで、結果的に男が破滅してしまう「死の女神」とも言えましょう。

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 これらの女性たちは、『マタ・ハリ』のグレタ・ガルボや『間諜X27』のマレーネ・ディートリッヒが演じた女性主人公が源流となっているようにも思いますが、この作品のカティも、女性特有の謎を持ち、すべての男を不幸にしてしまう結果を招きます。
 彼女は強盗団の首領シモンの情婦でありながら、権力機構の前線で活躍するその象徴的な位置に存在するコールマン警部からの情愛も一身に受けています。結果的に彼らの間で、あいまいな在り方のままに、人生における自己選択を放棄しており、最終的にはシモンを破滅させ、コールマン警部を孤独の奈落に転落させてしまうことから、ファム・ファタルとしての存在だと定義しても誤りではないでしょう。

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 また、コールマン警部にとっては、盗聴していたシモンからカティへの電話が、彼らからの疎外状況の現実を突きつけられた結果となり、それがシモンを抹殺する動機のひとつとなったようにも感じます。
 そして、アラン・ドロンにとってのその行為は、『太陽がいっぱい』でのフィリップとマルジュへのコンプレックスであり、『若者のすべて』での愛するナディアを巡る兄シモーネとの確執であり、『冒険者たち』でのローランを愛しているレティシアに対する報われない憧憬からの哀しみの再現でもあったのです。

 次に、シモンなのですが、彼は何故、自ら強盗団に身を落とし、自己抹殺を遂げなければならなかったのでしょうか?また、コールマン警部に対する彼の友情は、どのようなものだったのでしょう?

 この作品でのシモンは、その年齢を察すれば、戦中派のレジスタンス運動の若き闘志だったと推察できます。そして、現在の彼の生き方も、戦後のフランスのギャングの生態から考えて、稀有なケースでは無かったようにも思うのです。

【1923年パリで生まれる。
第二次世界大戦を契機に、レジスタンス運動の闘士になったが、戦後の平和に順応できずパリの暗黒街に身を投じ、35歳になるまでギャングとして生活を続けた。】
【引用「ル・ジタン~犯罪者たち~」《著者紹介》ジョゼ・ジョヴァンニ】

ル・ジタン―犯罪者たち (1976年)

ジョゼ・ジョヴァンニ / 勁文社



 セリ・ノワールの作家、後の「フレンチ・フィルム・ノワール」の映画作家であったジョゼ・ジョヴァンニは、日本でも人気があり充分に理解された映画監督・脚本家・原作者であり、彼を受け入れることができた日本人に『仁義』のジャンセンや『リスボン特急』のシモンを理解することは、それほど困難なことではないように思います。【注:死後、彼が実はゲシュタポ協力者であったことがわかり、私は少なからずショックを受けています。しかし、こういった逸話が一般にあったことは間違いありません。】

 また、シモンは恐らく、権力の論理に従ってしか生きることのできなくなったコールマン警部に対しては、強い同情心、哀れみのような感情を持っていたように思います。だから、彼が自分の情婦と恋愛関係にあることに気づいていても友人として兄のように温かく彼を受け入れていたのでしょう。

 この関係の設定は、『仁義』でのイブ・モンタン演じたジャンセンとブールヴィルの演じたマッティ警部との関係に更に焦点を絞っていったものだと思います。ジャン・ピエール・メルヴィル監督は映画作家として、彼らの関係を更に超越して描こうとしたのではないでしょうか?
 マッティ警部のような人情派の警察官を主役にした場合には、本質的な部分で警察権力機構の歪んだ矛盾を鮮明に表現するには不十分であり、ヒューマニスティックな情緒表現に終始したところで留まってしまうような気がします。

 また、治安や国益を守るためには、反社会的な行為は徹底的に悪として抹殺しなければならないのが、権力構造の論理なのですから、かつてのナチス・ドイツのゲシュタポのような冷徹な人材育成よって、戦後のフランス国家当局においてもコールマン警部のような警察官を育成してしまっていることを告発したスタイルに進化させているとも考えられます。

 そして、シモンのキャラクターは、強盗団の首領というキャラクターを通してアンチ・ヒーローのヒロイズムを描写したわけですから、彼がコールマン警部に逮捕されてしまうとすれば、その段階で彼が反権力としての存在を徹底することができなくなることを意味します。シモンが自己を抹殺せざるを得なかった必然は、ここにあるわけです。

 その結果、「フレンチ・フィルム・ノワール」の男の行動規範や行動論理は権力機構の歪曲によって、すべてを虚無に帰結させてしまうのです。これは、『サムライ』のジェフ・コステロの純粋なロマンティズムや『仁義』でのマッティ警部の孤独による哀愁を、イデオロギーのうえで、やはり超越させたものだったのでしょう。
 
 『仁義』でのマッティ警部とジャンセンの関係では、コールマン警部とシモンとの関係ほど、権力機構と反社会性のせめぎ合いが人間同士の信頼関係の崩壊と孤独を招いているところまでに昇華させて描写するには至っていなかったと思います。ここも、間違いなく『仁義』からの着実な進歩の実績と評価することが可能です。


 1930年代の「ギャングスター映画」から、1940年代のハリウッドのB級「フィルム・ノワール」への昇華、アラン・ドロンやカトリーヌ・ドヌーブを出演させた商業映画としての「スター・システム」の芸術的活用の実践など、ジャン・ピエール・メルヴィル監督は、多くの贅沢な自らの願望を達成しながら、人物設定や舞台設定において、過去の作品を自ら超えようと努めていたように感じるのです。

 だからこそ彼は、
「少し前から・・・せいぜい数ヶ月位前からだったが、私は自分がついに芸術家になったことを感じている」
という自覚に至っているのでしょうし、アラン・ドロンから言わせれば
「・・・果てしない議論もしたが、監督は本当に頑固一徹でね。・・・」
などと述懐されてしまうのでしょう。

 いずれにしても、わたしのこの作品の解釈が正しくできているか否かは別として、『リスボン特急』のテーマ、芸術作品としての評価を正確に解釈しようと努めていくことは、今後の映画史での最も大きな課題でもあり、「フィルム・ノワール」の未来を切り開く端緒になることだと思っているのです。


 クライマックスを終えたラスト・シークエンス、新たな事件発生の現場に向かうパトカー内部での業務電話の着信音を無視するコールマン警部、それは現代社会に適応するため、非人間的で冷徹な生き方にならざるを得なかった彼が、ようやく人間的な孤独の感情を取り戻し始めた瞬間だったのかもしれません。

【ドロンは電話の受話器をはずしてデートに邪魔が入らないようにしており、受話器を戻したあとも、電話が鳴っても出ずにじっとしている。それは、仕事に忙殺されてきた男の初めての人間性の芽生えのようであるが、同時にそれまでもっていた唯一のコミュニケーション手段ももはや信じられなくなった、孤独の確認、と言っていいのかもかもしれない。・・・(「太陽はひとりぼっち」のラスト・シークエンスについて)】
【引用~『アントニオーニの誘惑―事物と女たち』石原郁子著、筑摩書房、1992年】
アントニオーニの誘惑―事物と女たち
石原 郁子 / / 筑摩書房





 やはり、ジャン・ピエール・メルヴィル監督は、『リスボン特急』のラスト・シークエンスでのコールマン警部のクローズ・アップで、ミケランジョロ・アントニオーニ監督の『太陽はひとりぼっち』の主人公、証券取引所のピエロと同系列に位置する現代人の再生に向けて、同様の目的で同様の表現をしたように、わたしには思えてしまうのです。
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by Tom5k | 2010-08-29 23:36 | リスボン特急(2)

『サムライ』⑥~アラン・ドロン、スターとしての古典的個性とその究極のダンディズム~

 アラン・ドロンが主役級のスターになったのは、映画出演3作品目、ミッシェル・ボワロン監督の『お嬢さん、お手やわらかに!』(1958年)からです。
 それ以降、ジャン・ギャバンと互角に共演した1962年の『地下室のメロディー』が、彼の初めての「フレンチ・フィルム・ノワール」での主演作品でした。
 その後1964年に、MGMの『さすらいの狼』、同年、ハリウッドに渉って『泥棒を消せ』など、アメリカ資本の「ノワール」系の暗黒街映画などでの主演歴があります。

【>アラン・ドロン
(-略)アメリカ移住は私には問題外だったね。私を説得しようと連中はあれこれしてくれたが・・・『泥棒を消せ』では妊娠してた妻が出産するまで(撮影を)待っていてくれた、連中が言うように私が”クール”であるためにね。素晴らしい家も用意してくれていたんだ、でも3週間もすると、私はパリへ電話して、半べそかいて、鬱状態だった・・・その後すぐさまフランスへ戻って来てしまった。だからアメリカは私にとってキャリアの選択じゃなく人生の選択なんだ。行きつけのビストロや自分のパンが必要なんだ、世界一のスターにならないかと言われるよりも重要なことだよ。それでもスターとしてアメリカで6,7本の映画に出演した。成功したとは思わないよ。アメリカで成功を収めた欧州の人間は少ないよね。(略-)】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/27 「回想するアラン・ドロン:最終回(インタヴュー和訳)」

【>アメリカでキャリアを築こうとは思わなかったのですか?
>アラン・ドロン
それはキャリアの選択じゃなく、人生の選択だ。アメリカでは生活できない。死ぬほど退屈してしまったよ!パラマウントのお偉いさんのボブ・エヴァンスに住んでみろと言われたんだがね。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/26 「回想するアラン・ドロン:その9(インタヴュー和訳)」

 彼は1966年にハリウッドから帰仏して、青春賛歌の映画詩『冒険者たち』でフランス映画界に返り咲き、いよいよ、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の映画作家として有名だったルイ・マル監督の演出で、エドガー・アラン・ポーの古典文学のキャラクターであるウィリアム・ウィルソンを演じました。

 見事なフランス映画復帰の二作品でしたが、更に三作品目の1967年制作『サムライ』で、ジャン・ピエール・メルヴィル監督に巡り会うことになり、彼らはこの作品で「フレンチ・フィルム・ノワール」としての極限的な美学を生み出すことになります。
 この作品は、1960年代から、1970年代に架けて、アラン・ドロンがスターとしての全盛期を迎えるキャラクター、特に「フレンチ・フィルム・ノワール」でのギャング・スターの個性を確立した作品となりました。

 商業ベースにあっても、映画芸術の視点からであっても、「ヌーヴェル・ヴァーグ」以降の新しい作家主義の系統を内包しているジャン・ピエール・メルヴィル監督の演出した作品でありながら、1930年代のワーナー・ブラザーズ一連のプログラム・ピクチャーであった「ギャングスター映画」や、1940年代のハリウッドB級「フィルム・ノワール」、自国における1930年代以降「詩的レアリズム」のノワール的傾向の伝統、1950年代以降に確立されたセリ・ノワール叢書を原作とする「フレンチ・フィルム・ノワール」など、アラン・ドロンが得意とする伝統的で古典的な題材を包含した作品となりました。

 この前作に撮ったルイ・マル監督の『ウィリアム・ウィルソン』も同様でしたが、旧来からの古典的な映画要素・題材によって、新しい時代「ヌーヴェル・ヴァーグ」以降の演出手法や「ヌーヴェル・ヴァーグ」のキャスト・スタッフで作品を制作する傾向はアラン・ドロンの作品の特徴ともいえます。語弊があるかもしれませんが、新しい映画人を旧来の古き良き時代の映画に挽きづり込んでしまうことを、これほど上手にやり遂げてしまうアラン・ドロンの我の強さには驚かされます。

 ルイ・マルやジャン・ピエール・メルヴィル以外にも、『ボルサリーノ』でのジャン・ポール・ベルモンド、『個人生活』でのジャンヌ・モロー、『フリック・ストーリー』でのジャン・ルイ・トランティニャン、『チェイサー』でのステファーヌ・オードラン、『真夜中のミラージュ』でのナタリー・バイ・・・そして、『ブーメランのように』でのジョルジュ・ドルリュー、『私刑警察』でのラウール・クタールや『ヌーヴェルヴァーグ』でのジャン・リュック・ゴダールでさえも・・・。
 もちろん、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちからしても、その全盛期以後も映画創作の手法を常に模索し続け、旧世代の映画の特徴を採り入れることにも成功していますし、各人とも「ヌーヴェル・ヴァーグ」を脱皮した以降に、アラン・ドロンと巡り会っているのかもしれません。
 新・旧映画人たちは、どちらがどちらに影響を与えているのかという判断も極めて難しいところですので、一概に決めつけることは危険ですが、彼らがアラン・ドロンと組むと、一作品の中に、新しい映画の傾向と古い映画の傾向が同時に存在することになり、その結果として、生き生きとした躍動感を生み出す作品になっていることだけは間違いのないことのように思います。

 思えば、アキム兄弟がプロデュースした『太陽がいっぱい』で、旧世代のルネ・クレマンと「ヌーヴェル・ヴァーグ」のアンリ・ドカエ、ポール・ジェコブ、モーリス・ロネが組んだことなども、アラン・ドロンというスター俳優及びプロデューサーとして、後々の映画人としての生き方に大きな影響を与えていたのかもしれません。

 繰り返しになりますが、アラン・ドロンが製作・出演している作品は、一貫して作品の傾向もクラシカルですし、古いタイプの映画的題材を扱うことが多かったように思います。
 例えばそれらは、剣戟や西部劇などのエンターテインメントであり、ウィリアン・ウィルソンやゾロのような古典キャラクターであり、犯罪者、ギャング・殺し屋・逃亡者の死の美学であり、刑事事件のスリルとサスペンスであり、それらのアクションであり、メロドラマの悲劇性であり、レジスタンスの反骨精神であり、リアリズムの叙事詩、映画芸術であったのです。

【ベルモンドは人気スターで、ドロンはスターそのものである。2人は警官やならず者だったのだ。(-中略-)一方はほとんどフランス国内にとどまり、もう一方はかなりの国際派で、イタリア人の貴公子の役や、アメリカ西部の殺し屋の役や、コンコルドのパイロットの役も、ごく自然に似合う俳優だ。】
【引用 『フランス恋愛映画のカリスマ監督 パトリス・ルコント トゥルー・ストーリー』ジャック・ジメール著、計良道子訳、共同通信社、1999年】

パトリス・ルコント トゥルー・ストーリー フランス映画のカリスマ監督

ジャック・ジメール / 株式会社共同通信社



【>アラン・ドロン
(-略)・・・私はヌーベルバーグの監督たちとは撮らなかった唯一の役者だよ、私は所謂「パパの映画 cinéma de papa」の役者だからね。ヴィスコンティとクレマンなら断れないからねえ!ゴダールと撮るのには1990年まで待たなくてはならなかったんだ。
(-略-) 
>アラン・ドロン
(-略)人に仕返ししてやろうと思ったこともないし、自分のやり方で自由にやって来ただけなんだ。私が間違っていたと言ってもらいたいが、今になって変わる必要もないだろう?でシネマテークが何かを変えてくれるという発言だったが、私はそんな事はどうでもいいよ!もうだいたい遅過ぎるんだ。もっと前に言ってもらいたかったな。(略-)】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/21 「回想するアラン・ドロン:その7(インタヴュー和訳)」

 『真夜中のミラージュ』や『ヌーヴェルヴァーグ』でさえも、その制作時期においては、すでにセンセーショナルな新しい映画としてではなく、映画史での体系では、安定感のある確実な実績のうえに制作された作品でした。
 ジャン・リュック・ゴダールやベルトラン・ブリエの作品においてさえ、アラン・ドロンは、フランソワ・トリュフォーによって侮蔑されていた「パパの映画 cinéma de papa」の俳優だったのです。

 また、「私が間違っていたと言ってもらいたい」、シネマテークの影響力について、「もっと前に言ってもらいたかったな。」という彼の発言には、自分自身のスター俳優としてのスタイルを、「新しい映画」の俳優として改変する機会を持てなかったことに対しての過去の実績に対する複雑で微妙な心情が垣間見えるように思え、これは、彼にしては極めて貴重な発言であり、珍しい心情吐露ともいえましょう。

 確かに、アラン・ドロンというスター俳優が、最も活躍していた1960年代から1970年代に、「ヌーヴェル・ヴァーグ」が・・・シネマテークが・・・カイエ・デュ・シネマ誌が・・・彼に何かを働きかけたでしょうか?恐らくそんなことなど、ほとんどなかったように思います。
 「ヌーヴェル・ヴァーグ」からすれば、彼は、ただ単に、商業映画の二枚目ギャング・スターであっただけでしょうし、一般的にもフランスの暴力団組織に関与している黒い噂を持つ危険で超人気の、しかし二流・三流のスター俳優でしかなく、新しい映画芸術の体系においては、完全に無視され続けていた俳優であったように思うのです。

 「ヌーヴェル・ヴァーグ」専門の映画評論家である山田宏一氏によれば、アラン・ドロンが、ようやく巡り会った映画作家ジャン・ピエール・メルヴィルに関してさえ、
【自らは『サムライ』から『リスボン特急』に至る「アラン・ドロン映画」のお抱え監督になり、かつての「メルヴィル映画」-撮影所システムやスター・システムを根底から否定したロケーション主義、低予算映画というヌーヴェル・ヴァーグのさきがけとなった真の「作家」の映画としての「メルヴィル映画」-の神話を商業主義の場にあっさりと葬ってしまったような感じだ。】
【引用『わがフランス映画誌(「ヌーヴェル・ヴァーグ」の項)』山田宏一著、平凡社、1990年】

わがフランス映画誌(1990年)

山田 宏一 / 平凡社



などと揶揄していますし、ジャン・リュック・ゴダールに関してでさえ、
【ジャン・リュック・ゴダールは『ヌーヴェルヴァーグ』という題名の映画を撮って、みずから「失敗作」と断じた。】
【引用『友よ映画よわがヌーヴェル・ヴァーグ誌』山田宏一著、平凡社、1985年】
と出典あるいは詳細を示さず、中傷的な結果のみで記述しています。

増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌 (平凡社ライブラリー)

山田 宏一 / 平凡社



 それはともかく、アラン・ドロンが、この『サムライ』に出演したことは、彼にとってもフランス映画界にとっても、計り知れない価値を生み出したと、わたしは考えています。

 アラン・ドロンは、この作品で初めて、ソフト帽とトレンチ・コートを身につけ、職業的犯罪者に扮したわけですが、特にこの作品での彼のハード・ボイルド・スタイルについて検証してみると、
アラン・ドロンは、デビュー以来、『冒険者たち』までの作品で、どのようなペシミスティックで暗鬱なテーマの作品であっても、例え、それが『太陽がいっぱい』のトム・リプリーであっても、その一作品中には笑顔の似合う優しい好青年の要素を持ったアイドル的スターの側面を垣間見せていたようには思います。

 しかしながら、この『サムライ』では、その表情そのものが無と化し、それがアクションによって構成されているショットでさえ、主人公ジェフ・コステロの行動様式は静的で虚無そのものを表現するものとして昇華されています。
 思えば、前作の『ウィリアム・ウィルソン』も、爽やかな好感の持てる主人公の表情など、どのワン・ショットにおいても必要としない作品でした。彼のその犯罪性向者としてのキャラクターの魅力は、過去のルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』の主人公トム・リプリーやクリスチャン・ジャック監督の『黒いチューリップ』の主人公の兄ギヨームから継承され、ルイ・マル監督によって、この作品で純化されたのかもしれません。

 また、『黒いチューリップ』での粗野な強盗としての悪徳のキャラクター、『太陽がいっぱい』や『ウィリアム・ウィルソン』での犯罪性向者のキャラクターは、人格の破綻者か、兄弟に比喩した表裏の二重自我として設定されていましたが、それは欲得にまみれたサディスティックな主人公の個性と合わせて、極端に良性の人格も一作品内において同時に演じてもいたのです。

 ところが、『サムライ』で表現されている主人公ジェフ・コステロのダンディズムは、そのような典型的な犯罪者の性向とも異なり、同じくジャン・ピエール・メルヴィルが演出した「フレンチ・フィルム・ノワール」作品『いぬ』で、ライバルであるジャン・ポール・ベルモンドが演じた主人公シリアンの人間的、かつファッショナブルなキャラクターとも異なるものでした。
いぬ
/ アイ・ヴィー・シー





 それは、主人公ジェフ・コステロの行動様式そのものが、冷徹で折り目正しく、自らの規範に潔癖に従い、その清貧の思想を誇るものとして表現されているからなのです。わたしは、このアラン・ドロン独自のスタイルとも言えるダンディズムに、
「精神主義やストイシズムと境界線上にある自己の崇拝する方法で独創性を追求する態度、改革期が終わってすぐの反封建的な風習の残っている時代に現れる退廃期の英雄主義。」
と、定義付けた「悪の華」の詩集で有名なフランスの詩人シャルル・ボードレールの言葉を思い起こすのです。
悪の華
ボードレール 堀口 大学 / 新潮社





 「ヌーヴェル・ヴァーグ」に一新されたフランス映画界において、その先駆でありながらも、旧来の映画ジャンル「暗黒街映画」を残存させたジャン・ピエール・メルヴィル監督は、アラン・ドロンに旧世代からの伝統的キャラクターを継承させ、彼の映画スターとしての英雄的イデオロギー、そのオーラを、『サムライ』での暗黒街の主人公ジェフ・コステロを通して最大限に発光させました。

 アラン・ドロンは『サムライ』以降、「暗黒街での一匹狼」というある種の伝統的キャラクターを継承しながらも、現代的なアンチ・ヒーロー的ヒーローとしてのキャラクターをも確立していきました。

 恐らく、彼は「ヌーヴェル・ヴァーグ」が終わってすぐの時代に、僅かではあっても、旧世代の作風が残存できることの可能性を信じ、新時代以降に究極のダンディズムによって、したたかに、たくましく、時代に抗っていったのだと思うのです。
 その彼のダンディズムの根底に想いを馳せたとき、わたしは、その反骨の志に、いつものように手前勝手に感動してしまっているのでした。
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by Tom5k | 2010-08-24 02:25 | サムライ(6)

『仁義』②~劇場公開当時及びTV放映当時から、現在へ

 1960年代後期から1970年前期にかけての映画界は、「アメリカン・ニューシネマ」の時代を迎えながら、「ギャングスター(マフィア)映画」や「アクション映画」の全盛期を迎えていった時代であり、アラン・ドロンの人気も、そういった系統に属する「フレンチ・フィルム・ノワール」や「フランス製アクション映画」で映画スターとしての絶頂期を迎えていました。

 東宝東和配給の『仁義』は、正月映画として公開された昭和45年12月当時、日本ヘラルド配給の『狼の挽歌』とライバル配給会社の対決、そして、主演のチャールズ・ブロンソンとアラン・ドロンの「ギャング映画」対決として、興業価値の観点から注目されていたようです。

【さて、正月作品の中で本命と目される作品はというと、やはり「狼の挽歌」(ヘラルド配給、チャールズ・ブロンソン、ジル・アイランド、テリー・サバラス主演)だろう。
 これにからむのが「仁義」(東和配給、アラン・ドロン、イブ・モンタン、ブールビルの主演)だ。両者ともギャング映画であり、東和、ヘラルドというライバル会社の作品、ドロン、ブロンソンという現在の人気抜群のスターの作品と話題にはこと欠かない。
 (-中略-)「仁義」の方はジャン・ピエール・メルビル監督の作品で、話の内容は実に巧みで面白いが、ややシブイきらいはある。質的には前者より上だが、興業価値は落ちると見るのが正当な評価だ。(略-)】
【「キネマ旬報1970年12月下旬号」興業価値 外国映画「ドロンとブロンソン」】

 公開時の興行価値の側面からは、チャールズ・ブロンソンのアクション映画の集大成として、『狼の挽歌』に軍配が挙がっていたようです。

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 わたしが、『仁義』を初めて観たのは、確か小学校の5・6年生頃ですから、昭和50年代の初めころだったでしょうか。そのころのテレビ放映によるものでした。

 現在のわたしとしては、ブールヴィル演ずるマッティ警視の孤独、人としての良心をおろそかにしてまで、当局側の非人道的なセオリーに従って生きざるを得なくなってしまった男の孤独が強烈に印象に残ります。

 記憶として定かなものではないのですが、恐らく、当時のテレビ放映では、日本での人気スター、アラン・ドロン、シャンソン歌手としても有名だったイブ・モンタンの出演シーンを中心にした放送時間の枠内での編集のためなのか、マッティ警視や警視総監の関係からの捜査当局への否定的な描き方、作品のテーマに関わる最も重要な警視総監の
「人間は常に悪に染まっていく。すべての人間は罪を犯している。」
など、この作品本来のテーマであるセリフやシークエンスは、あまり重要視されずに編集(カット)されてしまっていたような気がしています。

 また、これも定かな記憶ではないのですが、イブ・モンタンが演じているジャンセンが、マッティ警視に撃たれて絶命する最期のシークエンスでのセリフが、
「サツなんて、クソくらえだ。」
という意味の言葉だったように記憶しているのですが(当時の三木宮彦氏の採録では「-サツは-いつもマヌケだな!」)、これは、現在のDVD(IVC盤)字幕での
「いつも おちこぼれさ」
とは、かなり印象の異なるものです(それにしても、過去に優良警察官であったというジャンセンの設定から、このセリフには違和感が伴います)。

 小学生当時のわたしにとってさえ、ジャンセンが警察官をやめて、このような強盗団に身を落としている理由や、彼が警察権力に反発した生き方にならざるを得ない「何か」があったのだと、想像力を喚起されてしまうセリフだったのです。
 ジャンセンの人生・・・彼の絶命時の気持ちなどを考え込まされてしまう言葉でした。
 ですから、現在のDVD鑑賞から、最も強く感じられるマッティ警視の深い孤独感や虚無感よりも、自宅の壁に飾り付けられている、「国際警察大会優勝」の刻印が記されている表彰盾から、射撃の名手であるジャンセンが、エリート・コースを歩む道を踏み外して人生を転落していったことを想起させられ、その生き様や死に様のほうが、子どもながらに強烈なインパクトとなっていたのです。
 誰にもわからない男の孤独、そして逆に男の規範のようなものを感じて取っていたと記憶しています。
 小学生にしては、随分とおやじくさい感想を持ったものだと、我ながら自嘲してしまいますが・・・。

 順調に着実にエリート・コースを歩んでいるマッティ警視は、ジャンセンの人生の転落をより鮮明に描くため、彼と対比するために、敢えて登場させた人物のようにしか印象に残りませんでした。
 

 また、アルコール中毒患者特有のジャンセンの幻覚として描かれている「は虫類」、それらが部屋中をはいずり回っているシーンなども、実に気味の悪い印象として記憶に焼き付きました。

 思い出せば、一緒にテレビを観ていた父親は、そのシーンで
「あっ、アル中だっ!」
と叫んでいたのを、今でもはっきり憶えています。

 わたしは、ジャンセンが、宝石強盗の仕事に就くときのナイト・クラブでアラン・ドロン演ずるコレイと落ち合うシークエンスで、アルコール中毒症状から回復し、宝石強奪時には、完全にそれを克服できた様子から、ハワード・ホークス監督の「リオ・ブラボー」を想い出しました。
 その作品での主演のひとりであるディーン・マーティンが、挿入曲「皆殺しの歌」が流れてきたとき、手の震えが止まるショットを連想したのです。

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 一度は、落ちぶれてしまった者が再起する瞬間、「再生」と「復活」・・・そんな魅力ある映画のテーマが想起させられたことも、懐かしく想い出すことができます。

 余談ではありますが、一緒にテレビを観ていた父親は、

「アラン・ドロンの映画で有名なのは、『太陽がいっぱい』くらいだ。せいぜい、この『仁義』が少し有名なくらいかあ?それにしたって、知っているのは、よっぽどフランス映画を好きな奴らくらいだろうけどな・・・。売れないんだよなあ、こいつの映画・・・。」

という、いつもながら、本当に頭に来る解説を聞きながらの鑑賞でした。
 父親にとっては、『地下室のメロディー』も『シシリアン』も、ジャン・ギャバンの映画だったようですし、『さらば友よ』は、チャールズ・ブロンソンの主演作品、『レッド・サン』もチャールズ・ブロンソンと三船敏郎が愛すべき主人公で、アラン・ドロンは憎むべき悪役。『冒険者たち』は、興味自体が無かったようですし、『ボルサリーノ』は、知らなかったようです。

 しかも、なんと、『サムライ』にかかっては、失敗作だと抜かしていました。

「殺し屋を侍に当てはめるなんて、わけわからん感覚だな・・・。まっ、失敗作だべ。」

 何せ、実に不愉快な気分で、テレビを観ていた記憶があります。


 2度目の鑑賞は中学3年の頃、昭和50年代の半ば頃だったでしょうか?
 テレビでの放送日、友人との話題で、
「今日、アラン・ドロンの映画、テレビでやるから観ようぜ。」
と話していた記憶があります。

 その友人は、当時テレビ放映された『さらば友よ』や『ボルサリーノ』などを観て、アラン・ドロンの映画は面白いと思い込んでいました。そんなことから、この『仁義』にも、相当に期待していたらしいのですが、地味で暗鬱な大人の「フィルム・ノワール」であることから、
その感想は、

「期待してたのに、面白くなかったなあ。」
でした。

 どうも、過去の『仁義』の鑑賞時のわたしの周囲の反応で芳しいものは、あまり無かったようです。


 アラン・ドロンのファンとしては、この『仁義』は、彼の主演している作品として、典型的な作品と言えると思います。
 宝石強盗団のアクションを基軸にしたストーリーであり、この作品以前、すでに『地下室のメロディー』、『泥棒を消せ』、『さらば友よ』、『ジェフ』、『シシリアン』などで、計画的な宝石や現金の強奪をプロットとして設定している作品が多かったこと、主人公たちの男同士の友情を基軸にした作品であることも、『冒険者たち』、『さらば友よ』、『ボルサリーノ』などで、お馴染みの設定であったこと、などが挙げられるからです。

 このころ、公開された「アラン・ドロン映画」としては、類型的でワン・パターンのステレオ・タイプの作品として印象づけられていたことも、無理の無いことのようにも思えます。

 しかしながら、映画作品としてのこの作品の評価は、現在においては、映画史的な意味で、考えられないほどの高評価となっており、わたしとしては、この極端な評価の変遷はとても信じられないことでもあります。
 ジャン・ピエール・メルヴィル監督が、アラン・ドロンを主演にした作品は、この外に『サムライ』、『リスボン特急』がありますが、現在では、『パルプ・フィクション』でカンヌ国際映画祭・パルムドール(最優秀作品賞)を受賞した『キル・ビル』シリーズで有名なクエンティン・タランティーノによる高評価や、実現はしていませんが、「香港ノワール」の旗手であるジョン・ウーやジョニー・トーなどによるリメイクの企画などからも、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品の中でも『仁義』の評価が、際だって高いものとなっているそうなのです。

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 例えば、わたしが、現在において『仁義』を鑑賞し、特に印象的なショットを挙げるとすれば、それは、ジャン・マリア・ヴォロンテが演ずる脱走犯ボージェルの逃走現場における、原野一杯に隊列を組む警官隊の陣形のショットです。
 この警官隊列の横一列の全景のズーミング撮影は、犯人が追いつめられる圧迫感を表現している映像としてはもちろんですが、アクション・シークエンスではないにも関わらず、その景観の迫力、映像の強さを感じます。その情景としての美しさにおいても、フランス映画特有のアヴァンギャルドの伝統、すなわち紛れもなく映画芸術としてのフォトジェニックの極みであることを感じることができるものなのです。

 また、ボージェルが、アラン・ドロン演ずるコレイの車のトランクから現れ、初めて彼らが邂逅するシークエンスも印象の強いところですが、特にコレイからもらった煙草をボージェルが吸う時、その瞬間の彼のミディアム・ショットでのカット・ズーミングも、実に前衛的な映像なのです。
 B級俳優であるジャン・マリア・ヴォロンテのクローズ・アップであるからこそ、映像の時流としてのさきがけを予感してしまうようなショットとも思えます。アンリ・ドカエのカメラ・ワークから、職業俳優である前に、彼の私人としての眼、表情、発散するオーラが写し撮られているように感じました。

 他のショットにも、数限りなく映し出される映像の極限美の数々は数え切れません。優れた映画作家の作品は、映像そのものが前衛アートの連続として構成されているように思います。

 公開当時、TV放映時には、誰しもが大きな関心を示さなかった『仁義』・・・単なる地味な「ギャング映画」として、ありふれたアラン・ドロン主演の「ギャング映画」としてしか解釈されなかった作品・・・それから40年あまりを経た現在、映画史の上で再評価の気運が高まった理由を、現代におけるさきがけの映像美の素晴らしさから納得することは、さほど難しいことではないように思うのです。
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by Tom5k | 2010-08-08 21:37 | 仁義(2)