わたしは、この作品の最大の見所が、旧西ドイツの怪優クラウス・キンスキーとアラン・ドロンとの共演に尽きると言っても言い過ぎではないと、以前から思っていました。
ドイツ映画は、戦前の芸術至上主義ともいえる「ドイツ表現主義」の体系で映画の隆盛を極めた時代があるのですが、戦後の西ドイツ映画は芸術的にも経済的にも停滞の一途を辿っていました。
1960年代初頭、若い映画作家グループが、フランスの「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動とほぼ同時代に、やはり志向においても同傾向の指標を示していきます。
彼らの「オーバーハウゼン・マニュフェスト」という西ドイツ映画に対する宣言
「古い映画は死んだ。われわれは新しい映画を信じる」
という新しい映画制作の指標から、既存の西ドイツ映画を拒絶し、「ニュー・ジャーマン・シネマ」という映画作家としての新世代の潮流を誕生させたのでした。
彼らは、フランスの「ヌーヴェル・ヴァーグ」の影響も受けた映画作家たちでした。
この『チェイサー』で主演しているアラン・ドロンとオルネラ・ムーティが共演した『スワンの恋』のフォルカー・シュレンドルフ。
「アメリカン・ニューシネマ」の俳優デニス・ホッパーに「トム・リプリー」を演じさせた『アメリカの友人』のヴィム・ヴェンダース。

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ジャン・リュック・ゴダールの影響を強く受け、メロドラマを基調とした「フィルム・ノワール」でデビューしたライナー・ヴェルナー・ファスビンダー。
そして、『チェイサー』に助演したクラウス・キンスキーを主演に映画を撮り続けたヴェルナー・ヘルツォーク。
1960年代後半から1980年代まで、現在でも現役の映画監督として活躍している作家も多く存在しています。彼らは、ハリウッドの映画スタジオによる支援も受け、国際市場でも通用する良質の映画を制作できるようになっていきました。
わたしにとっては、ヴェルナー・ヘルツォーク監督とクラウス・キンスキーが、この「ニュー・ジャーマン・シネマ」の体系でとりわけ着目すべき存在です。
特に、クラウス・キンスキーは舞台の出演中に観客を挑発したり、ロケ先でのエキストラの原住民とトラブルを発生させたり、プロデューサーも含めたスタッフや共演者を罵倒したり、ときには殴りかかることなど、異常行動は日常茶飯事だったらしく、5本もの映画で組んだヴェルナー・ヘルツォーク監督は殺意さえ抱いたこともあったそうで、そういった意味でも非常に興味深い存在なのです。
クラウス・キンスキーは1948年の映画デビューからヨーロッパを中心に活躍し、1965年の『夕陽のガンマン』以来、イタリア製西部劇の悪役、それも西部の強盗団の手下の一人などの脇役が多かった俳優でした。

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1972年に『アギーレ/神の怒り』でヴェルナー・ヘルツォーク監督と出会ってからの西ドイツでの「ニュー・ジャーマン・シネマ」の俳優としては、その強烈な個性で圧倒的な存在感を誇示していくことになります。

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1999年のドキュメンタリー作品『キンスキー、我が最愛の敵』では、彼らの関係が実に如実に表現されています。

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『アギーレ/神の怒り』では、16世紀のスペイン王政に招集された伝説の黄金郷エル・ドラド発見のためのアマゾンの奥地への派遣軍の副官ドン・ロペ・デ・アギーレを演じました。
周辺調査のための本隊から離れた分隊では、アギーレは狂気の沙汰ともいえる好き放題の行動をとることの連続でしたが、その横暴な行動にそぐわないのが、まだ、15歳の娘フロレス(セシリア・リヴェーラ)をそこに随行させたことでした。
事故や熱病、原住民の襲撃で、結局は最後に一人のみの生存者になってしまったラスト・シークエンスでのアギーレの独白は、
「何と大きな裏切りであることよ 新生スペイン全てを手中にするのだ・・・私は神の怒り わが娘と結婚してかつて人類が知るなかで最も純粋な-王朝を築き上げる 娘とともに支配するのだ この全大陸を・・・」
というものでした。
この作品でのヴェルナー・ヘルツォークとトラブルですが、
彼は公演や映画出演での契約違反の常習者であり、この撮影中にも出演中にセリフがうまくいかなかったと周囲に八つ当たりし、本気で降板するつもりで荷物をまとめ始めたそうですが、ヴェルナー・ヘルツォークは
「個人的な感情より映画が大事だ 勝手は許さない 銃がある 君の頭に8発撃ち込む 9発目は自分を撃つ(君を殺して自分も死ぬ)」
と、彼を脅して引き留めたそうです。
『チェイサー』と同年製作の1978年の『ノスフェラトゥ』は、1922年にフリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウが発表したブラム・ストーカー原作の怪奇小説の映画化のリメイク作品です。中世絶対主義の暗黒時代、ヨーロッパで流行したペストとともに大陸に上陸したドラキュラは、愛する女性へのこだわりから、最後には永遠の命を失ってしまいます。

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また、わたしは1979年の『ヴォイツェック』は未見なのですが、この作品も過去に、舞台監督ゲオルク・クラーゲンが、実話を元にした有名な未完成の戯曲を映画化し、「ドイツ表現主義」の作品としては評価が高かったものだそうです。
ここでは、愛人の姦通に嫉妬し、彼女を殺害してしまうドイツ人の将校を演じています。
ヴェルナー・ヘルツォークは、自身の作品が戦前の「ドイツ表現主義」と、現在の西ドイツでの「ニュー・ジャーマン・シネマ」との橋渡しをする作品を制作していると述懐していたそうですが、この『ノスフェラトゥ』や『ヴォイツェック』は確かにその題材から、その最も典型的な作品と言えるでしょう。「ドイツ表現主義」のペシミスティックで暗鬱なノワール的ムードが、「ニュー・ジャーマン・シネマ」の耽美的でロマンティズムを伴う作品となっていることは時代的な映画の変遷によるものなのでしょう。
『ヴォイツェック』で共演したエーファ・マッテスのカンヌ映画祭での女優賞の受賞には、クラウス・キンスキーもたいへん喜んでいたそうなのですが、自分が受賞できなかったことに対してはさすがに不機嫌で、ヴェルナー・ヘルツォークは
「君には賞など必要ない 賞は君をおとしめる 俗悪なマスコミと同レベルになってしまう」
と慰め、この言葉で彼は随分と上機嫌となったそうです。
1982年の『フィツカラルド』は、オペラを主題にした作品全編に渉る男性的なロマンティズムを描き、ヨーロッパの人気スター、クラウディア・カルディナーレの出演、航行中のアマゾン河急流でのスペクタクル・シークエンス、なども含めて古典的な劇的ドラマトゥルギーの要素を多く盛り込んでいます。商業的な成功も十分に意識して制作していった作品とも察せらます。
ここでは、19世紀末のペルーのイクイトスにオペラ・ハウスを建てる夢を実現しようと、その資金繰りにアマゾンの未開の奥地でのゴム栽培事業に乗り出す主人公フィツカラルドを演じました。

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この『フィツカラルド』でも多くのトラブルがあったそうです。撮影現場ではプロデューサーを何時間も罵り続けたフィルムが残っており、このときは、ヴェルナー・ヘルツォークは、自分は珍しく傍観者であったとコメントしています。
また、地元原住民のエキストラであるインディオたちは、クラウス・キンスキーの奇行が目に余り、ヴェルナー・ヘルツォークに、望むならクラウス・キンスキーを殺しても構わないと相談したそうですが、彼は撮影に必要だから残しておいてくれと断ったそうです。
ヴェルナー・ヘルツォークにおいては、自分ではノーマルであるとか、クラウス・キンスキーを制御していたのは自分だとか、自分は決して常軌を逸したことはなかった、との言い訳のような答弁も多いのですが、クラウス・キンスキーの自宅を襲撃する計画を立て、それは断念したが、その後も殺したいと思っていたと述懐していることや、『フィツカラルド』撮影時の地元原住民のエキストラであるインディオたちのキンスキーの殺害計画を断ったことを本気で後悔したなどという言葉を聞いていると、クラウス・キンスキーも言っているように彼が正常な人物だとは、わたしにも到底思えません。
そして1978年、クラウス・キンスキーとアラン・ドロンが邂逅するシークエンスが、映画『チェイサー』で実現していたのです。
アラン・ドロンは、このような不快極まりないオーラを発する醜悪な狂人クラウス・キンスキーから何を感じ取ったのでしょう?
>トムスキー(クラウス・キンスキー)
狩りが中止になって-建設的なお話に時間がたっぷり取れました
セラノ文書を返していただきたい もちろん私の名前は載っていませんが私が援助している人物が大勢います 現在の政治情勢を考えると-文書の公表は国益に反します
>グザヴィエ(アラン・ドロン)
余計なお世話だ
>トムスキー
私に利害関係はありません 労働者の革命が起こる前に金が世界を支配しました これは本当の話です 戦争や同盟という言葉にもはや意味はない もはや敵も味方もなく あるのは顧客とパートナーです 金に国境はありません
※ ここで、わたしはアラン・ドロンが演ずる『若者のすべて』で演じた労働者階級出身のロッコ、『太陽はひとりぼっち』のローマの証券市場でのピエロを想起してしまいました。
>グザヴィエ
汚職にもね
>トムスキー
汚職を告発しても何も変わりません 何人かが職を失い あなたは逮捕されるが 根本は何も変わらない
>グザヴィエ
世論の力を忘れている
>トムスキー
世論に何ができます
>グザヴィエ
ニクソンは?
>トムスキー
あれは道徳の問題です
>グザヴィエ
認めますね
※ スリラー作品とも体系付けて良いようなこのやり取りのシークエンスでは、クラウス・キンスキーの異常性が映画のフレームから滲み出ています。
アラン・ドロンは共演者に食われてしまう俳優だと酷評されることも多い俳優です。
例えば、『太陽はひとりぼっち』のモニカ・ヴィッティ、『地下室のメロディー』のジャン・ギャバン、『山猫』のバート・ランカスター、『さらば友よ』のチャールズ・ブロンソン、『仁義』のイブ・モンタン、『ボルサリーノ』のジャン・ポール・ベルモンド、『フリック・ストーリー』のジャン・ルイ・トランティニャン・・・等々。
もちろん、これらはアラン・ドロンを表層的にしか見ていない一般的な評価です。私は、それは彼が共演者を尊ぶわきまえた独自の存在感の表現であると解釈しており、共演者に食われてしまっているとは全く思っていないのですが、この対話のシークエンスにおいては、確かに彼はクラウス・キンスキーに完全に圧倒されてしまっているかもしれません。
アラン・ドロンは、1970年代の中盤から『ゾロ』や『フリック・ストーリー』以降、従来からのアウトロー的、いわゆるアンチ・ヒーロー的ヒーローから脱皮して、いよいよこの『チェイサー』で、勇敢で、頭も良く、友情に厚い、そして、何ものにも屈しない最も典型的なヒーローとしての理想像を体現することができました。
ところが、このシークエンスにおいては、現代の政財界の腐臭を放っているようなトムスキーを演ずるクラウス・キンスキーの負のオーラに、そのキャラクターの存在のほとんどが黙殺されているのです。
>トムスキー
話を戻しましょう あなたは非常に正直なお方だ だが やや時代遅れだ ドゴールは大衆を信じていませんでした 大衆は何も分かってない 政治家や高官が私腹を肥やしたとしても 経済の大勢には影響がありません だから-大衆には望みのものを与えておけばいいのです 食事 酒 セックス 週末の旅行などです それで彼らは満足します
これは、明らかにアラン・ドロンに対する挑発です。
邪推するとすれば、もしかしたら、この台詞はクラウス・キンスキーのアドリブではないかとまで考えてしまいます?
彼は師であるルネ・クレマンの影響もあったのでしょうが、フランス第三共和政の支持者であり、最近では第五共和政における共和党選出のサルコジ大統領の後援者でもありました。
【>私の尊敬する人
そうですね。一人だけあげるとすれば、ドゥゴールでしょう。過去の栄光については、今更言うまでもない。ドゥゴールこそ私が最も尊敬し続ける人物です。(略-)】
【「ジタンの香り/アラン・ドロン」(訳 園山千晶)ライナー・ノーツより】
また彼は、若い頃の自らを振り返り
【(-略)役者を始めた頃は、私は「ハンサムな間抜け」だった。その後は何かを見出さなくてはならなかったんだ・・・(略-)】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/21 「回想するアラン・ドロン:その7(インタヴュー和訳)」】
と内省もしています。
食事 酒 セックス・・・・
そこで、このショットから、わたしが最も強く想起するのは、アラン・ドロンの敬愛するジョセフ・ロージー監督の言葉だったのです。
【(-略)私とやった二本の映画での役柄にぴったりだった。その二人、トロツキー暗殺者とムッシュー・クラインは、どちらも非常に頭の切れる男で、自分の行動にはしっかりとした自覚を持っている。ところがある限界点を一歩踏み越えてしまうと、もう判断力を失い、放心したようになってしまう。(ジョセフ・ロージー)】
【引用 『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』ミシェル シマン著、中田秀夫・志水 賢訳、日本テレビ放送網、1996年】

追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー
ミシェル シマン Michel Ciment 中田 秀夫 志水 賢日本テレビ放送網
この限界点に達する直前で自分を制御しているアラン・ドロンの表情が、この後のショットに現れているのです。
これは注意深く観ないとわからない微妙な彼の表情の変化なのですが、それは間違いなく、ジョセフ・ロージーが監督した『暗殺者のメロディ』のフランク・ジャクソン、『パリの灯は遠く』のロベール・クラインを演じたときの「ある限界点を一歩踏み越えてしまう」異常者アラン・ドロンになる直前のぎりぎりの瞬間であったようにわたしは想起したのです。
また、『パリ・テキサス』でナスターシャ・キンスキーを起用したヴィム・ヴェンダースを始め、誰もが言うように、クラウス・キンスキーと最初の妻との間に生まれた娘がナスターシャ・キンスキーであることの意外性、つまりこの美しいスター女優の父親がこのクラウス・キンスキーであることの意外性は一般化してしまっています。
これほど深遠で高邁な精神性を表現できる美しい女優に、これほど醜悪で人格的に異常性を持った父親の遺伝子が、どのように存在しているのでしょうか?

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しかしながら、『キンスキー、我が最愛の敵』での、『ヴォイツェック』でヒロインを演じたエーファ・マッテスへのインタビューでは、クラウス・キンスキーは、たいへん自分を優しく大切に扱ってくれて非常に波長のあう共演者だったと回顧しています。
不思議なことに、『フィツカラルド』で共演したクラウディア・カルディナーレも同様にクラウス・キンスキーが俳優としてのプロ意識の高かったこと、上品で温かく優しかったことなどを述懐し、エーファ・マッテス同様に彼を絶賛しているのです。
また、作品で演じた主人公のキャラクターにもそれは感じられます。
19世紀初頭のブラジルで山賊コブラ・ヴェルデと異名され、奴隷商人となったフランシスコ・マヌエルを演じた『コブラ・ヴェルデ』」(1987年)での女性革命戦士たちを指導するコブラ・ヴェルデや『アギーレ/神の怒り』でのアギーレの娘フロレスへの接し方などから、彼の女性への激しくとも限りない優しさ、デリカシーが理解できるような気もするのです。

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ヴェルナー・ヘルツォークは、その脚本での映像化は不可能であると演出を拒否していますが、クラウス・キンスキーは、長年の念願であった『パガニーニ』(1989年)を、彼の演出での制作を切望していたようです。恐らく、悪魔に魂を売ってヴァイオリンの技術を手に入れたとまで噂され、外見的にも醜悪だったこの天才ヴァイオリニスト、パガニーニに自らを投影していたのでしょう。
そして、『アギーレ/神の怒り』のアギーレのように、自らがそれを監督、主演し、二人目の妻との間に生まれた娘のニコライ・キンスキーと共演したのです。そして、その3年後の1991年、彼はサンフランシスコの自宅で逝去したのです。

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「彼は自分を使い果たしたのだ 燃焼し尽くしたのだ」
ヴェルナー・ヘルツォークはエーファ・マッテスに『コブラ・ヴェルデ』のラスト・シークエンスでの海辺で波に打たれながら悶死するシーンが二人の最後の撮影であったことから、そう説明しています。
『キンスキー、我が最愛の敵』のラスト・シークエンスでは、クラウス・キンスキーの周りを舞う一羽の蝶と彼とのクローズ・アップが挿入されています。
彼のこの蝶への扱いは非常にデリケートで、表情も満面の笑みを讃えた優しいものでした。この美しい蝶は彼のそばから離れようとせず彼の周りを、いつまでも舞い続けるのです。
わたしは、この美しく感動的なシークエンスから、ヴェルナー・ヘルツォークのクラウス・キンスキーへの想いが、彼の人間的な魅力も含めて、すべて伝わってくるような気がしました。
そして、ようやく理解できたのです。彼の娘が、あの美しく哀しいヒロイン、ナスターシャ・キンスキーであることも・・・。
更には、このようなクラウス・キンスキーと共演したアラン・ドロンを考えたとき、わたしには、女性に対するデリカシーに欠ける硬質なキャラクターを生涯に渉って貫き続けた彼も、この『チェイサー』では、ステファーヌ・オードラン、ミレーユ・ダルク、オルネラ・ムーティを、彼なりにデリケートに扱っていたようにも見えてしまっていたのでした。
▲ by Tom5k | 2009-12-31 01:54 | チェイサー(3) | Trackback(8) | Comments(22)