『Notre histoire(真夜中のミラージュ)』②~愛の再生・復活その2 ベルトラン・ブリエ作品評価~

 ベルトラン・ブリエは、「ヌーヴェル・ヴァーグ左岸派」のエコール、新しいドキュメンタリーの方法を生み出した「シネマ・ヴェリテ(映画=真実)」としての代表作『ヒトラーなんか知らないよ』(1963年)を撮った10年後の1973年、多くの男女の奔放な自由で乱れたセックスを描いた『バルスーズ』を完成させます。
バルスーズ
/ レントラックジャパン





 そして、この作品以降の彼の作品のほとんどが、性風俗に関わっての禁忌的な表現やスタイルであるにも関わらず、公式の国際映画祭でのアカデミックな評価、及び映画賞の実績を残しており、その多くの功績には眼を見張ってしまいます。

 妻の不倫に手を貸す夫、その後の妻の恋愛の相手が13歳の少年であり、その子供を妊娠してしまう
『ハンカチのご用意を』(1978年)
1978年第51回アカデミー外国語映画賞。

 リュック・ベッソンが絶賛しているシュール・レアリズムの傑作
『料理はつめたくして』(1979年)
1979年第5回セザール賞脚本賞

 妻に娼婦を連想し、その嫉妬妄想に苦しむ中産階級の男性の無意識を「夢」の表現で描写した
『真夜中のミラージュ』(1984年)
1984年第10回セザール賞脚本賞、及び主演男優賞(アラン・ドロン)

 ホモ・セクシュアルの男性を含む三人の男女の三角関係を描いた
『タキシード』(1986年)
1986年第39回カンヌ国際映画祭主演男優賞(ミシェル・ブラン)
タキシード
/ アミューズ・ビデオ





 美しい妻がいるにも関わらず、他の女性との恋愛に陥ってしまい、最後にはふたりの女性に、相次ぎ去られてしまう男性を描いた
『美しすぎて』(1989年)
1989年第42回カンヌ国際映画祭審査委員賞
1989年第15回セザール賞作品賞、及び監督賞、脚本賞

 娼婦という職業に満足している女性を主人公にした
『私の男』(1996年)
1996年第46回ベルリン国際映画祭主演女優賞(アヌーク・グランベール)。
私の男
/ アップリンク





 愛した娼婦に虚言を信じ込ませて、愛情を得るコメディ作品
『ダニエラという女』(2005年)
2006年第27回セザール賞脚本賞
2006年第28回モスクワ国際映画祭監督賞
ダニエラという女
/ ハピネット・ピクチャーズ





 ベルトラン・ブリエは決して多作ではなく、デビュー作品以降の制作本数を考えると、作品を発表するたびに公式の映画賞を受賞しているといってもいいほどです。

 複数の男女間の奔放なセックス、ホモ・セクシャル、不倫、嫉妬妄想、人妻と少年の恋愛、売春行為の肯定・・・等々。
 それにしても、何故ベルトラン・ブリエは、それらの作品の多くで、このような赤裸々なセックスや決して常識的ではない男女関係、それらの恋愛における葛藤や主人公たちの苦悩などを描き続けるようになっていったのでしょうか?
 しかも、そのような内容であるにも関わらず、彼の作品の多くが権威ある映画祭、映画賞の受賞歴によって、ある種のアカデミズムに導かれているわけですから、たいへん不思議な評価にも思えます。

 1950年代当時、まだ社会主義制度を採っていたソ連邦内で一般化していたソビエト芸術は、「退屈でつまらない」という自国民からの強い批判を受けるようになっていました。
 その批判に対応するように、映画監督のセルゲイ・ゲラーシモフは、1954年12月第2回ソビエト作家大会においての「ソビエト映画のシネマトゥルギー」という報告で、自国の映画芸術の検討課題を問題提起しました。

 彼は、現在の映画のテーマでも中枢をしめている「男女の恋愛」に関わって、当時のソ連邦内での映画表現の欠陥について、強い批判を列挙したのです。
 そして、矛盾も対立もない無葛藤な生活からの人間の性格描写では、新しい芸術が成り立たないとしたうえで、次のような指摘を行いました。

『ゲラーシモフはその次に恋愛描写の貧しさを指摘する。
「スクリーンの上に若い二人があらわれれば、観客は当然恋愛を期待する。事実、映画に恋愛は出てくるが、すべてが何と寒々と千篇一律に解決されていることか。恋愛は、もしそれがほんとうに高いまじめなものであれば、恋人同士に、たがいに心や思想を信じさせ、胸の奥のもっと大切なことを語りあわさせる。恋人たちはたえまなくけんかをし、仲直りする。こうして彼らの性格はたがいに適合しあっていくのである。これらすべてのことは数百万人の愛し愛される人たちの間で行われているのに、いままでスクリーンに生き生きと描かれたことがない。」
もちろん、恋愛描写の技巧が問題なのではない。恋愛をさえ正しく描けないことが、そのまま若い人たちの生活と願望を映画が反映していないことをあらわしているのである。』
【『映画の理論』岩崎 昶著、岩波書店(岩波新書)、1956年】

 そして、これらの指摘事項の内容は、非常に注目に値するものに思えます。
 1980年代、ゴルバチョフ時代のペレストロイカ政策によって、ソ連邦内では「表現の自由」に関わる規制が緩和されて、従来からの公式芸術の体系であった「社会主義リアリズム」への批判も活発となっていきました。
 その後の1991年のソビエト連邦の崩壊から現在まで、東ヨーロッパでもロシアでも、それぞれ独自の芸術活動が模索され活性化していくことになります。

 しかしながら、国際映画製作者連盟が公認している長編映画の祭典であるモスクワ国際映画祭の第1回開催年は1959年で、旧ソ連邦時代から現在まで存続している映画祭です。
 これは、前述した映画監督のセルゲイ・ゲラーシモフが問題提起した第2回ソビエト作家大会が開催された1954年の5年後であり、13年後の第5回モスクワ国際映画祭では、ゲラシーモフ本人の作品『Zhurnalist(ジャーナリスト)』がグランプリを獲得しているのです。

 ペレストロイカ政策以降、ロシアでの社会制度も替わり、芸術運動の方針に関わる制約も無くなったとはいえ、文化史的な蓄積のうえに成り立ち、かつ現在まで存続しているこのモスクワ国際映画祭の権威までもが失墜したと結論してしまうことは、わたしは早尚であると考えます。
 まして、ゲラシーモフの問題提起は社会主義制度の矛盾を突いた指摘内容であったとも考えられ、その理念がソビエト連邦崩壊後の2006年の第28回モスクワ国際映画祭の開催段階に引き継がれていない、とはいえないように思います。

 わたしがこのような意味から関連づけようとすることは、『バルスーズ』以降、恋愛のイデオロギー的な側面、もしくはセックスと社会との同一的課題を豊かに生き生きとした描写で表現し続けたベルトラン・ブリエの映画貢献が、1954年の第2回ソビエト作家大会でのセルゲイ・ゲラーシモフの映画芸術についての検討課題を、結果的に十分に反映したものだったのではないか、ということです。
 彼が『ダニエラという女』での第28回モスクワ国際映画祭の監督賞を受賞できたことも、その遠因のひとつであったとまで考えてしまいました。


 そして彼は、1984年にアラン・ドロンを主演にした『真夜中のミラージュ』を発表しますが、これも最も身近なテーマとしての男女関係の葛藤を強く意識し、恋愛における現代的課題を解決するための一貫した原則を模索した内容の作品なわけです。


 また、アラン・ドロンの運営するアデル・プロダクションで製作された作品であることから考えれば、主演がアラン・ドロンであることは、あまりに当然ではあるのですが、
ベルトラン・ブリエとアラン・ドロンの邂逅に関わっては、その外にも納得できる多くの理由があるようにも思うのです。

 現在ではフランスの大スターであるジェラール・ドパルデューの出世作品となった『バルスーズ』以降、ベルトラン・ブリエは、ほとんどの作品(『ハンカチのご用意を』、『料理は冷たくして』、『タキシード』、『美しすぎて』、『メルシー・ラ・ヴィ』(1991年)、『ダニエラという女』)で彼を起用しており、そのことは国際的な大スターを育てた実績となっていること。
メルシー・ラ・ヴィ
/ ポニーキャニオン





 アラン・ドロンとミレーユ・ダルクが共演した『愛人関係』(1973年)、『チェイサー』(1978年)で監督を務めたミレーユ・ダルクの元の恋人であったフレンチ・アクションやサスペンス、フィルム・ノワール作品の大家ジョルジュ・ロートネル監督の『狼どもの報酬』(1973年)で、シナリオを担当した経験があったこと。
狼どもの報酬
/ 大映





 アラン・ドロンのデビュー作品である『Quand la femme s'en mêle』には、父親ベルナール・ブリエが出演しており、彼と共演していること。

などのことから、アラン・ドロンというスター俳優をこの作品で起用したことは、彼の映画歴から考えても決して不自然なことではなく、むしろ必然的な要因も多くあったような気がするのです。


 更に、アラン・ドロン及び彼の作品においてですが、

 彼のデビューから現在までの多くの作品は、どのような映画体系であっても男女の恋愛を描いたものは少なくはありませんが、残念なことに女性に対してのデリカシーを表現することが決してうまい俳優とはいえず、彼の過去の作品で、『真夜中のミラージュ』のようなデリケートな恋愛を描いた作品は、なかなか思い当たらないのが正直なところです。

 ただ、私見であることを前提にすれば、やはり自らのアデル・プロダクションで製作したジャック・ドレー監督の『もういちど愛して』(1970年)が、唯一この作品と類似したテーマで描かれているように考えられるように思います。

 自分にとってのかけがえのない女性が、自分の手の届かないところに存在せざるを得ない状況設定から、

他の男性との不倫や女性特有の挑発などの相手の女性の過ちに対して、極端な潔癖求めてしまい嫉妬妄想に苦悩しながらも、

その原因が実は自らにあることを理解し、

やがてキャパシティを拡げて恋愛を成就させていく様子

などが描かれている点など、『もういちど愛して』のテーマと根幹のところでは共通であるような気がするのです。

 そういった意味では、両作品とも、現代における男女関係やその環境の典型を比喩的に、しかし誤りなく設定し、かつ定型的で固定されたものではなく、現実を前向きにとらえて、現代に生きる男女を生き生きと描いている素晴らしい傑作だと評価できるのではないでしょうか。


「スクリーンの上に若い二人があらわれれば、観客は当然恋愛を期待する。(~中略~)恋愛は、もしそれがほんとうに高いまじめなものであれば、恋人同士に、たがいに心や思想を信じさせ、胸の奥のもっと大切なことを語りあわさせる。恋人たちはたえまなくけんかをし、仲直りする。こうして彼らの性格はたがいに適合しあっていくのである。」
【セルゲイ・ゲラーシモフ】
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by Tom5k | 2008-08-27 03:04 | Notre histoire(3)

『Notre histoire(真夜中のミラージュ)』①~シネマ=ヴェリテ(映画=真実)のベルトラン・ブリエ~

 1920年代、旧ソ連邦の映画作家ジガ・ヴェルトフは、プドフキンのモンタージュ論が発表された翌年、レンズの力を単なる事実の再現に留まらない表現技法としての「キノキ(映画=眼(カメラ・アイ))」論を主張し、「キノ=プラウダ(映画=真実)」を唱えました。その後、旧ソ連邦の記録映画作家たちは、革命後の社会主義国家内での実録編集を基本にした短編映画「キノ=プラウダ」シリーズの発表を続け、ドキュメンタリー手法の基礎を築いていきました。

 ハンガリーの映画理論家のベラ・バラージュは、普段は気にもかけないような人々の日常生活の瞬間瞬間を「映画=眼(カメラ・アイ)」によって映像に写し出すジガ・ヴェルトフのこの手法を、映画的写実の先駆的な実践だったと評しています。
 例えば、映し出される人々がカメラを意識せず、ありのままの姿で行動したり話したりしていることが魅力的であることを強く指摘したうえで、それらの日常的現実を映像化した編集には、ストーリー・プロットが存在しないにも関わらず、「主体となる主人公」に類似した存在が必ず描かれおり、しかもその構成には演出者の主観的なテーマがしっかりと反映している、と分析しているのです。
 いわゆる「映画=眼(カメラ・アイ)」によって主張されている作家としての主観的な映像形式、すなわち映画フレームに収めるための対象となる題材の取捨選択を経た編集作業などに作家の主体性が存在しているとして、映画的な意味での芸術形式の更なる可能性を示唆したのです。
マイケル・ナイマン カメラを持った男
/ アスミック






 また、ドキュメンタリー(記録主義)と、リアリズムの関わりについては、実に興味深い分析が存在します。
 前述した「キノ=プラウダ(映画=真実)」から1960年代のフランス映画における「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動を経て、ジャン・リュック・ゴダールが「ジガ・ヴェルトフ集団」を名乗って商業映画を否定していった時期がありました。この「シネ・トラクト」と呼ばれる政治映画の製作に携わっていったゴダールの経緯は、彼にとっては挫折、彼の信奉者たちにすら失敗であったと批判・総括されているのが一般的なわけですが、映画史的実践としては決して安易に無視できない側面も多くあったように思うのです。

 ゴダールが自国のアルジェリア問題やアメリカのベトナムの問題などのラジカルな政治的テーマにこだわっていったとき、彼のそれらの作品がドキュメンタリーとしての構成に限りなく接近していった事実などには映画的な必然を強く感じます。
小さな兵隊 デジタル・リマスター版
/ ハピネット・ピクチャーズ





ベトナムから遠く離れて
/ コロムビアミュージックエンタテインメント





東風
/ コロムビアミュージックエンタテインメント





 更に映画史を遡れば、1940年代から50年代、戦後イタリアの「ネオ・リアリズモ」運動こそ、それと同様の傾向が顕著であり、その典型的な事例だともいわれていますが、この映画体系がドキュメンタリーの作風に極めて近いセミ・ドキュメンタリーともいえる数多くの作品郡を生み出していったことは、あらためて強調するまでもないことでしょう。

 イタリアのシナリオ・ライター、チェーゼレ・ザヴァッティーニは、「ネオ・リアリズモ」論の基礎的理論を鮮明にして、当時のイタリア映画を体系的に理論武装していったリアリズム映画の実践家です。
 彼はジガ・ヴェルトフと同様に、映画でのストーリー・プロットを重視することよりも、むしろそれを排除すること、つまり豊富な材料が多く存在している実際の現実そのものを、新しい着想としての「映画=眼(カメラ・アイ)」で捉えることの方がより有効であるとしたのです。

 そのザヴァッティーニが最も大きな影響を受けた作家に、ロバート・J・フラハーティがいます。彼は知る人ぞ知る、世紀のドキュメンタリー作品の歴史的原型である『極北の怪異』(1922年)を生み出したアメリカの映画作家です。
 彼は、カナダ・イヌイットの「ナヌーク族」という北方民族が営む、極寒のツンドラ地帯での厳しい生活の一部始終をカメラに収めました。
 作品に登場させた「ナヌーク族」たちに、事前にカメラやフィルム、フィルムの現像、映写機など映画撮影に必要な機材や制作過程などを学習、理解させ、ラッシュ試写を見せながら撮影をすすめていくという独自の方法で、彼らが食糧を確保するためのセイウチの狩猟、簡易住居(イグルー)を雪のブロックや氷で作ったりする様子など、様々な生活実態を撮り続けたのです。

 この作品は、純粋な事実のみをカメラに収める厳密な意味でのドキュメンタリー作品とは異なり、登場人物たちに映画に出演していることを意識させる指導を行い、広い意味での演技指導をシステム化させて撮ったセミ・ドキュメンタリーだともいえるでしょう。
 この「フラハーティ・システム」と称されたドキュメンタリー制作は、極端にいえば全篇を通じて「やらせ」ともいえる手法なわけですが、「ナヌーク族」の事実を撮っていることに虚実はなく、むしろ映画としての説得力や真実を強く表現しえたドキュメンタリー手法の積極的な一形態であり、戦後のイタリアでの「ネオ・リアリズム」運動の母体になったと大きく評価されているのです。
 ドキュメンタリーといえども、それは単なる事実の再現ではなく、このような演出を伴った迫真の映像伝達でなければ説得力を持つ映像にはなりえないのです。
【参考 シュエットさんの『寄り道カフェ』の記事ドキュメンタリーの原点「極北のナヌーク」

極北の怪異 (極北のナヌーク)
/ アイ・ヴィ・シー





 フラハーティの影響を大きく受けていたザヴァッティーニの理論的貢献によって、「フラハーティ・システム」の進歩した形態が「ネオ・リアリズム」運動であるということには、確かに頷ける充分な理由があり、映画史的な意味でも見逃せない事象といえましょう。

 そして、これらの試みを踏まえ、その後のドキュメンタリーやリアリズムなどの映画体系への模索は更に続いていくのです。
 アメリカのアンダーグラウンド派のアンディ・ウォーホールは、6時間ものあいだ、眠っている男を撮り続けた『眠り』という作品を発表し、やはりザヴァッティーニが一般人の意見(アンケート)を映像にした『かくしカメラの眼』、『ローマ十一時』など、「アンケート映画」と称される体系として位置づけられる作品を撮り続けていきました。
 それらは、やがてフランスでの「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動の左岸派による新しい「映画=真実(シネマ=ヴェリテ)」の体系として、ひとつの到達点を迎えることになっていきます。
 1920年代の旧ソ連邦のジガ・ヴェルトフらが「映画=真実(キノ=プラウダ)」を唱えてから、40年以上を経た後のことでした。

 また、「シネマ=ヴェリテ(映画=真実)」以前の作家で、前述したジガ・ヴェルトフやチェーゼレ・ザヴァッティーニ、そしてアンディ・ウォーホールなどの実験的手法のエッセンスを最大限に引き継ぎ、独創的な手法によって完成させていった作家として忘れてはならないのが、『抵抗(レジスタンス)』(1956年)や『スリ』(1960年)のロベール・ブレッソンだともいわれています。
 彼は、映画としてのドラマトゥルギーに最も必要とされていた登場人物の行動や言動、音声などを、全く逆に、それ自体の描写を目的やテーマにして、「そこにある現実の行為」の極限描写ばかりを突き詰めて強調し、心身症ではないかと思うほど微細でストイックな写実的作品ばかりを創作していきました。
 彼の作品はあらゆる無駄をそぎ落として、極言すれば映画としてのドラマトゥルギーを一切無視しています。ところが、そうであるにも関わらず、それらの作品の一部始終には実に興味深い映像が描写されているのです。
【参考】
【オカピーさんの『「プロフェッサー・オカピーの部屋」別館』の記事映画評「少女ムシェット」
【用心棒さんの『良い映画を褒める会。』の記事『ジャンヌダルク裁判』(1962)余計な演出を削ぎ落とした、シネマトグラフとは何を指すのか。
【シュエットさんの『寄り道カフェ』のタグ記事一覧ロベール・ブレッソン
【ジューベさんの『キネマじゅんぽお』の記事『ジャンヌ・ダルク裁判』 ~ついに登場!ブレッソン~
【にじばぶさんの『にじばぶの映画』のタグ記事一覧ロベール・ブレッソン
【koukinobaabaさんの『Audio-Visual Trivia』の記事ロベール・ブレッソン スリ  Pickpocket

 そして、その禁欲的な作品スタイルは、後のジャック・ベッケルやジャン・ピエール・メルヴィルなどの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品や、ブレッソン作品で助監督をしていたルイ・マル、そしてエリック・ロメールなどの「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品へと影響を拡げ、
ジム・ジャームッシュとかアキ・カウリスマキなどの作品にまで引き継がれている、という意見まであるのです。
【参考】
【『にじばぶの映画』のタグ記事一覧ジャック・ベッケル
【『「プロフェッサー・オカピーの部屋」別館』映画評「死刑台のエレベーター」
【『寄り道カフェ』ロベール・ブレッソンを観る① 「スリ(掏摸)」の記事、及び同記事でのシュエットさんのコメント(2008-06-19 15:49))】

スリ
マルタン・ラサール / / アイ・ヴィー・シー





ジム・ジャームッシュ作品集 DVD-BOX 1989-1999
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トータル カウリスマキ DVD-BOX
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 映画史家のジョルジュ・サドゥールが呼称したものであるといわれている新しい「シネマ=ヴェリテ(映画=真実)」作品の具体的な特徴は、登場人物のフリートークによって、一定のテーマやその本質を突き詰めていくという形態が、そのセオリーであり、前述したザヴァッティーニの「アンケート映画」を徹底させていった体系であるともいえましょう。

 特定した任意の個人に対しての系統立てた広汎な視点による「質問(インタビュー)」、その「回答」などをモンタージュした映像を創作する活動、現在では珍しくもないTV番組などでの街頭インタビューなども、この手法をモデルとして定着していった背景を持っています。

 「シネマ=ヴェリテ(映画=真実)」派の代表的な作家としては、ジャン・ルーシュ(アフリカの黒人たちにフリートーキングさせて撮った記録映画『わたしは黒人』、『人間ピラミッド』)、アラン・レネとも親交の厚かったクリス・マルケル(『ラ・ジュテ』、『サン・ソレイユ』、『彫像もまた死す』、パリ市民を対象としたドキュメンタリー『美しき5月』)、
人間ピラミッド
ドキュメンタリー映画 / / 紀伊國屋書店





ラ・ジュテ / サン・ソレイユ
クリス・マルケル / / アップリンク





 そして、名優ベルナール・ブリエを父親に持つベルトラン・ブリエ(『ヒトラーなんか知らないよ』(1963年))らの作家群が挙げられます。

「(-略-)一旦すてられたように見えたこの糸(「キノ=プラウダ(映画=真実)シリーズ」のこと)をふたたび拾いあげて、フランスに「シネマ・ヴェリテ」として定着させたのは、ジャン・ルーシュをはじめとして、クリス・マルケル、ベルトラン・ブリエ、その他であり、彼らの作品と作風にもさまざまな色合いの差があるが、全体としてこの流派(?)はある隆盛の時期を持った。」
【『現代映画芸術』岩崎昶著、岩波新書、1971年】

 種々の意味から真実のリアリティを映画において深く追究していく作業には、映画作家としての主体性が必要であることは当然のことです。
 そして、ドラマトゥルギーへの対峙が可能なものとして生まれてきたものが、反ドラマトゥルギーとしてのドキュメンタリー作品やリアリズム作品なわけです。その発生原因を手繰れば、映画的テーマを表出するための従来からの古典的なドラマトゥルギーが既に限界に達してきた、との視点も存在します。

 そういった意味では、1960年代以降の新しい時代の多くの映画作家たち(アントニオーニ、フェリーニ、ブニュエル、レネ、ゴダール、ベイルマン、ヴァルダ、大島渚、今村昌平・・・等々)の作品からは、彼らが映画のテーマや思想を独自の映像表現によって実践するために、従来からの図式的・形式的で安易なドラマトゥルギーを壊すこと、すなわち反ドラマトゥルギーとしてのプロットを生み出していこうとする創作意図が感じられるような気がします。

「人間とはそれほど不条理な存在なのであろうか?フロイト流の深層心理学、近代生理学、またサイバネティックス理論などが、人間をミクロの段階まで降りて観察し、その心理や感情、そして判断や行動に、大ざっぱな合理性だけではかりきれない暗い秘密の隅々がポッカリと口をあけている事実をあきらかにしたことは大きな貢献であるが、それにもかかわらず、巨視的とまでいわず、われわれの日常の体験の次元で、人びとは依然としておおよそ合理的で、一貫した性格と原則を持ち、次の瞬間の行為を相当の確率をもって予想できることも疑いない。不条理芸術といえどもこの上にたっている。」
【『現代映画芸術』岩崎昶著、岩波新書、1971年】

 カフカ文学以降の現代社会、そこに存在している人間の不条理感覚は、解決が極めて困難な現代人としての課題になっているともいえます。

 しかしながら、芸術においては、特に映画芸術においての表現手法に至っては、周到な準備や意識的な論理と表現などによって制作される独特の視覚文化であることを視野に入れたとき、

作家としての主体性、理念や目指すべき理想などを、映画特有の前向きで合理的な視覚効果を念頭においた創作活動が可能であるとの考え方もあるわけですから、

今現在においては、心理的異常性向による好奇心の喚起、ニヒリスティックでシニカルな風刺的なユーモア、日常生活の抑圧傾向を解き放つためだけのカタルシスの提供など、集客のみを目的にした映画制作ではなく、

現代的課題を解決するための一貫した原則を踏まえたテーマの探求、すなわち新たなる「映画=真実」を最も必要とする時代の到来が既に始まっているような気がしてならないのです。

「(-略-)バラージュは、文学よりも、映画カメラが、その大写しによって、人間の内面の真実をうつしだす、と考えるのである。
従って、バラージュは、俳優の演技などというものは、映画カメラにとって無意味であるといっている。前に述べたことのあるフランスのシネマ・ベリテの運動も、この大写しを、真実が語られるものとして重要視する。ベルトラン・ブリエの「ヒトラーなんか知らないよ」という作品は、数人の若い男女に、その身の上や抱負を語らせて、その表情の大写しを見つめつづけるのである。」
【『映画芸術への招待』杉山平一著、講談社現代新書、1975年】

 そして、ベルトラン・ブリエは『ヒトラーなんか知らないよ』(1963年)を撮った後以降、現代においての最も身近なテーマである、男女関係における恋愛の葛藤を描き続けるようになりました。
 彼は、1984年にはアラン・ドロンを主演にした『真夜中のミラージュ』を発表し、最近作『ダニエラという女』(2005年)でも、現代的課題を解決するための一貫した原則を模索し続けるように、赤裸々なセックスや決して常識的ではない男女関係を単純に否定することなく、描き続けているのです。 

【参考文献】
『映画の理論』岩崎 昶著、岩波書店(岩波新書)、1956年
『映画の理論』ベラ・バラージュ著、佐々木基一訳、学芸書林、1970年
『現代映画芸術』岩崎 昶著、岩波書店(岩波新書)、1971年
『映画芸術への招待』杉山平一著、講談社(講談社現代新書)、1975年
『フランス映画史の誘惑』中条省平著、集英社(集英社新書)、2003年

※ 当記事の内容に関わっては、特に、『現代映画芸術』の「Ⅳ リアリズムと記録主義」の項を参照し、解説させていただいた内容になっております。
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by Tom5k | 2008-08-14 23:31 | Notre histoire(3)