『太陽がいっぱい』②~アキム・コレクションより、ルネ・クレマン批判への反批判~

 10時40分から始まった『望郷』の上映が終了し、休憩時間を経て12時25分から、いよいよ『太陽がいっぱい』です。
望郷
/ ジェネオン エンタテインメント





 映画館での初めての鑑賞だったこともあり、わたしの映画人生にとっては、特筆すべき大きな歓びでした。
 何せ、最も敬愛するアラン・ドロンの最も優れた作品であり、彼らしい個性と才能が最も明らかにされている作品だからです。

 アンリ・ドカエの撮影技術とカラー映像、ポール・ジェコブの斬新なシナリオ、ニーノ・ロータの音楽効果、素晴らしい演技者モーリス・ロネの助演、しかも、すでに多くの実績を積んで巨匠として活躍していたルネ・クレマン監督の演出です。
 なかでも、このような最高の環境で、この作品に主演することのできたアラン・ドロンは、最も幸福な俳優だったのではないでしょうか。

 そして、ルネ・クレマン監督にとってさえも、新しい時代へと脱皮、飛躍できた契機となった作品であるようにも思えるのです。
 ただ、非常に残念なことなのですが、彼の実績については、否定的な批評も多く存在しています。

【「クレマンが『太陽がいっぱい』で見せてくれたのは、地中海のすばらしい陽の光と、エレガントな色彩撮影と、見当ちがいのディテールと、ショッキングなラスト・シーンだった。」
 ロイ・アームズが、『海の壁』の後に作られた『太陽がいっぱい』(59)について、こんな批評をしている。
 『太陽がいっぱい』、その後の『生きる歓び』(61)とともに、押しよせる“ヌーヴェル・ヴァーグ”に対抗してクレマンが作ったスタイリッシュな作品であった。二本とも、“ヌーヴェル・ヴァーグ”の作品から出てきたアンリ・ドカエに撮影をまかせたのだが、ドカエのカメラは、若い世代の心理をうつしとり得ず、ドラマの構造だけを美しく捉え得たにとどまった。クレマンは、現代の若い世代の心理を活写できるような作家ではなかったのである。彼は、巧みなストーリー・テラーとして、その後の作家活動を続けるようになった。】
【映画評論 1974年3月号(「ルネ・クレマン研究 クレマンの作品系譜をたどる」高沢瑛一)】


 例えば、「ヌーヴェルヴァーグ」の作家としての代表格であるクロード・シャブロルの『いとこ同志』が、この2年前の1958年に制作されています。
 『太陽がいっぱい』と同時代の若者たちの生態を描き、『太陽がいっぱい』のアンリ・ドカエが撮影し、脚本と台詞は、やはり『太陽がいっぱい』のポール・ジェコブが協力していることにおいて、その作品から感じる時代的な感性に触れたとき、ルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』の作品評価が高いものにならなかったことは、理解できないわけではないのです。

 『いとこ同志』は、田舎からパリに出てきた主人公シャルル(ジェラール・ブラン)が愚鈍なまでの努力のすえ、恋愛にも学業成績においても芳しい成果を上げることができず、ブルジョアの従兄である放埓な遊び人であるポール(ジャン・クロード・ブリアリ)が、女性関係にしても、受験勉強にしても、難なく良い結果を出してしまう皮肉でやりきれない内容の物語でした。

 わたしは、この作品のシャルルとポールの関係に、『太陽がいっぱい』のトムとフィリップを重ね合わせてしまうのですが、ここでの主人公たちのキャラクターは、さすがに「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品らしく、確かに柔軟で、かつリアルに描かれています。
いとこ同志
/ アイ・ヴィー・シー





 すなわち、ロイ・アームズの批評を踏まえた高沢瑛一氏の
「クレマンは、現代の若い世代の心理を活写できるような作家ではなかったのである。」
との批判も、あながち誤ったものではないかもしれない、とは感じてしまうのです。
 つまり、『太陽がいっぱい』では、ルネ・クレマンの演技指導によるマリー・ラフォレ、モーリス・ロネ、アラン・ドロンたちの演技と個性の発出など、素晴らしい人物設定になっているとはいえ、彼らのキャラクター、そしてストーリー・プロットの必然性においても、それは確かに類型的で硬直化しているとの解釈は、成り立つのかもしれないのです。

 まず、マルジュ(マリー・ラフォレ)においては、
 彼女を15世紀のルネッサンス期フィレンツェの宗教画家、清らかで深い精神性に満ちた多くの「天使の絵」を書き続けたフラ・アンジェリコに傾倒しているイノセントな女性として描いています。
 しかし、それは実に前時代的なキャラクターです。戦後社会には、すでに存在しなかったとまでは言えないにしても、少なくても当時の若い女性を象徴するキャラクターではなかったのかもしれません。

 また、フィリップ(モーリス・ロネ)にしても、
 多くの「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちがそうであったように、プチ・ブルジョアの青年なわけですが、傲慢で放埓、弱い者いじめが生きがいであるような印象を伴う描写が多かったように思います。
 ですから、彼を現代の格差社会の批判材料とするために、あえて観る側の「嫌悪感の喚起」を促すことを目的とし、ブルジョア青年の一面的で硬直したキャラクターを意図的に設定したような印象も受けるのです。

 そして、トム・リプリー(アラン・ドロン)のキャラクターにおいては、
 貧困層の青年の内面心理は、演技者アラン・ドロンとは一体化しているものの、この作品の制作当時のフランスの映画ファンの多くであったブルジョア青年層の生活実感からは遠く、想像しにくいキャラクターであったかもしれません。
 もしかしたら、すさんだ現代アメリカ青年のボーダーライン人格障害者のような特異なものとして理解されてしまったのでしょうか?

 そもそも、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちにブルジョア出身の若者が多かったことからも、彼らに戦前・戦中の苦渋をなめた自国の映画監督(ここではルネ・クレマン)を理解するキャパシティが不足していたことは否めない事実だったはずです。
 このようなところに、戦前・戦中の世代と新しい戦後世代の断絶の要素も垣間見えるような気がするのです。

 しかしながら、本質的に多くの所得格差の存在する現代において、「女性として男性を愛していく純情」、「所有するものの傲慢」、「所有しないもののコンプレックスや人格崩壊」など、その人間としての特質に、時代性における違いはあっても、本質的な違いがそれほど多く存在するとは、わたしには思えません。

 現代における社会矛盾は意外とわかり易い構図であり、誤った価値観に対する批判やメッセージを突き詰めていけば、『太陽がいっぱい』の主人公たちのキャラクターは、時代そのものを象徴せずとも、人間社会の本質を充分に、それもリアルに表現していたのではないかとも思えるのです。
 でなければ、『太陽がいっぱい』が、現在においてまで、これほど支持され続け、再評価の機運が、これほど高まるわけがありません。

 また逆に、戦後世代の若者たちに「貧困層の劣等意識」への想像力があったなら、あえてルネ・クレマンは、このような作品を制作しなかったかもしれません。


「(~略)電子頭脳の巧妙な計算に支配された形式上の完璧さのために、クレマンは、ある種アカデミズムへ導かれる危険性があった。この完璧さが、合作映画『海の壁』を失敗させたのである。この作品では、熱烈な官能が、慎重な冷静さのもとであちこちに顔をのぞかせてはいた。『太陽がいっぱい』とそれに続く『生きる歓び』は或る種の衰えを段階づけていた」
【世界映画史 ジョルジュ・サドゥール著 丸尾定訳】
世界映画全史
ジョルジュ・サドゥール / / 国書刊行会





 フランスでは1950年代の中期から、「ヌーヴォ・ロマン」と体系付けられる観念的な文学が勃興していきました。
 その代表的な作家として、アラン・ロブ=グリエやミシェル・ビュトール、ジャン・ケーロールらがおり、マルグリット・デュラスもその体系に位置づけられる女流作家です。彼女の作品の映像化されたもので評価が高い作品を挙げれば、アラン・レネの『二十四時間の情事』とアンリ・コルピの『かくも長き不在』だといわれています。
二十四時間の情事
/ アイ・ヴィー・シー





 映画においても小説においても、戦後派の作家は、その商業性や物語のプロットを軽んじるようになりました。
 そして、「ヌーヴォ・ロマン」の作家は自らの主観を重んじ、その描写においてはリアリズム(客観性)を貫くように努めていたそうです。また、それはシナリオや原作においても視覚的な特徴を持つものが多く、つまり映像的なものに即した作品でもあったわけです。
 更に、人物の心理描写などは、あえて欠如させている点なども特徴のようでした。

 このような特徴から、「ヌーヴォ・ロマン」の作品傾向は、作家主義の映画体系である「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作品との共通点が非常に多く、そのことからも戦中派のルネ・クレマンにとっては、これらの戦後派の若い世代と接点を持つことは極めて困難な実践であったのだと考えられます。

 ですから、マルグリット・デュラス原作の『海の壁』の映画化が、失敗作であったことは必然の結果であったとまでいえるかもしれないのです。
マルグリット・デュラス
/ 国文社






 しかしながら、彼の失敗を誰が非難することができるでしょうか?

 そのような抽象的で文学的な映像のみを映画であるとする新時代の価値観を単純に絶賛することだけでは、広い意味での映画の振興を無意味なものにする恐れも発生します。

 むしろ、戦中派でアカデミックで優れた心理描写を得意とするリアリストであったルネ・クレマンが、果敢に戦後の新しい価値観に与しようと、非アカデミズムの抽象的な文学作品の映像化に挑んだその意気込みに、わたしは拍手を送りたくなってしまうのです。


「クレマンとは何者か?『居酒屋』はクレマンの他の映画との関係においてなにを意味するのか?映画の人物について、ゾラについて、生活について、アルコール中毒について、また子供たちについて、クレマンはなにを考えるのか?私たちはなにも知ることはないだろう。というのはクレマンは映画の〈作家〉ではなくて、用語のハリウッド的意味での〈監督者〉であり、自分に申込まれた物語をうまく利用するヴェテラン技術者だからである。」
【フランソワ・トリュフォー】
禁じられた遊び/居酒屋
/ アイ・ヴィー・シー





 確かに、ルネ・クレマンは「用語のハリウッド的意味での〈監督者〉=物語をうまく利用するヴェテラン技術者」ではあったかもしれません。
 しかしながら、この要件と作家性との間にそれほどの矛盾があるとも思えません。
 もし、そのようなものがあるとするならば、それはむしろ「ヌーヴェル・ヴァーグ」作家主義の理論が不十分なものだったのではないかとまで考えます。

 むしろ、それは批判されるものではなく、映画監督にとっては必須の要件を備えていたとして、評価されるべき特徴だったのではないかとも思えるのです。

 わたしは、フランソワ・トリュフォーが人間的にも、映画評論家としても、映画監督としても、優れた人物であったと思っています。彼の評論も映画も素晴らしいものばかりです。

 しかし、彼の映画に関わる批評がすべて正しかったとは思いません。
 
 わたしが、このフランソワ・トリュフォーのルネ・クレマンへの批判で思い当たることは、日本の巨匠である小津安二郎の作品に対しての彼の批評です。ここでも彼の若さゆえなのか、概ね同様の安易な批判をしています。

「(~略)私にはどこがいいのかわからない。いつもテーブルを囲んで無気力な人間たちがすわりこんでいるのを、これも無気力なカメラが、無気力にとらえている。映画的な生命の躍動感が全く感じられない。」
【フランソワ・トリュフォー】

 これは、カイエ派の最も悪質な、極論としての映画作家批判の典型だと考えられます。
 もちろん、トリュフォーは、後年、小津に対する評価を修正しているのですが、ルネ・クレマンへの批判も、彼のこのような短絡の批評のひとつではないか?との疑問が、わたしの頭をよぎってしまうのです。


 また、ルネ・クレマンの作品には、リアリズムを追求したうえで、映画のテーマとしての倫理感・道徳感が常に貫徹しています。
 優れた作家性を論じるならば、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の諸作品のように、むやみに「不倫理」や「善意の無意味」などを描くことでニヒリズムに陥りがちになる必要はなく、常に前向きに現代の矛盾点と向き合っていくべきだとわたしは思うのです。

 そういった意味では、『太陽がいっぱい』での主人公トム・リプリーの悲劇の結末など、当然であるといえば当然の帰結であり、観る側に多くの教訓を与える効果も絶大です。
 しかも、ここではトム・リプリーに対しての観る側からの感情移入が可能な作風であるので、社会のひづみや矛盾を、視覚において充分に体験でき、その結果から「映画の説得力」を強く感じることが可能なのです。


 映画が映画の役割をまっとうしていた時代の作品、その時代の映画を映画館で体感することができた満足感を感受しながら、わたしは列車での帰路についていたのでした。
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by Tom5k | 2009-02-12 00:36 | 太陽がいっぱい(3)