『Notre histoire(真夜中のミラージュ)』①~シネマ=ヴェリテ(映画=真実)のベルトラン・ブリエ~

 1920年代、旧ソ連邦の映画作家ジガ・ヴェルトフは、プドフキンのモンタージュ論が発表された翌年、レンズの力を単なる事実の再現に留まらない表現技法としての「キノキ(映画=眼(カメラ・アイ))」論を主張し、「キノ=プラウダ(映画=真実)」を唱えました。その後、旧ソ連邦の記録映画作家たちは、革命後の社会主義国家内での実録編集を基本にした短編映画「キノ=プラウダ」シリーズの発表を続け、ドキュメンタリー手法の基礎を築いていきました。

 ハンガリーの映画理論家のベラ・バラージュは、普段は気にもかけないような人々の日常生活の瞬間瞬間を「映画=眼(カメラ・アイ)」によって映像に写し出すジガ・ヴェルトフのこの手法を、映画的写実の先駆的な実践だったと評しています。
 例えば、映し出される人々がカメラを意識せず、ありのままの姿で行動したり話したりしていることが魅力的であることを強く指摘したうえで、それらの日常的現実を映像化した編集には、ストーリー・プロットが存在しないにも関わらず、「主体となる主人公」に類似した存在が必ず描かれおり、しかもその構成には演出者の主観的なテーマがしっかりと反映している、と分析しているのです。
 いわゆる「映画=眼(カメラ・アイ)」によって主張されている作家としての主観的な映像形式、すなわち映画フレームに収めるための対象となる題材の取捨選択を経た編集作業などに作家の主体性が存在しているとして、映画的な意味での芸術形式の更なる可能性を示唆したのです。
マイケル・ナイマン カメラを持った男
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 また、ドキュメンタリー(記録主義)と、リアリズムの関わりについては、実に興味深い分析が存在します。
 前述した「キノ=プラウダ(映画=真実)」から1960年代のフランス映画における「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動を経て、ジャン・リュック・ゴダールが「ジガ・ヴェルトフ集団」を名乗って商業映画を否定していった時期がありました。この「シネ・トラクト」と呼ばれる政治映画の製作に携わっていったゴダールの経緯は、彼にとっては挫折、彼の信奉者たちにすら失敗であったと批判・総括されているのが一般的なわけですが、映画史的実践としては決して安易に無視できない側面も多くあったように思うのです。

 ゴダールが自国のアルジェリア問題やアメリカのベトナムの問題などのラジカルな政治的テーマにこだわっていったとき、彼のそれらの作品がドキュメンタリーとしての構成に限りなく接近していった事実などには映画的な必然を強く感じます。
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 更に映画史を遡れば、1940年代から50年代、戦後イタリアの「ネオ・リアリズモ」運動こそ、それと同様の傾向が顕著であり、その典型的な事例だともいわれていますが、この映画体系がドキュメンタリーの作風に極めて近いセミ・ドキュメンタリーともいえる数多くの作品郡を生み出していったことは、あらためて強調するまでもないことでしょう。

 イタリアのシナリオ・ライター、チェーゼレ・ザヴァッティーニは、「ネオ・リアリズモ」論の基礎的理論を鮮明にして、当時のイタリア映画を体系的に理論武装していったリアリズム映画の実践家です。
 彼はジガ・ヴェルトフと同様に、映画でのストーリー・プロットを重視することよりも、むしろそれを排除すること、つまり豊富な材料が多く存在している実際の現実そのものを、新しい着想としての「映画=眼(カメラ・アイ)」で捉えることの方がより有効であるとしたのです。

 そのザヴァッティーニが最も大きな影響を受けた作家に、ロバート・J・フラハーティがいます。彼は知る人ぞ知る、世紀のドキュメンタリー作品の歴史的原型である『極北の怪異』(1922年)を生み出したアメリカの映画作家です。
 彼は、カナダ・イヌイットの「ナヌーク族」という北方民族が営む、極寒のツンドラ地帯での厳しい生活の一部始終をカメラに収めました。
 作品に登場させた「ナヌーク族」たちに、事前にカメラやフィルム、フィルムの現像、映写機など映画撮影に必要な機材や制作過程などを学習、理解させ、ラッシュ試写を見せながら撮影をすすめていくという独自の方法で、彼らが食糧を確保するためのセイウチの狩猟、簡易住居(イグルー)を雪のブロックや氷で作ったりする様子など、様々な生活実態を撮り続けたのです。

 この作品は、純粋な事実のみをカメラに収める厳密な意味でのドキュメンタリー作品とは異なり、登場人物たちに映画に出演していることを意識させる指導を行い、広い意味での演技指導をシステム化させて撮ったセミ・ドキュメンタリーだともいえるでしょう。
 この「フラハーティ・システム」と称されたドキュメンタリー制作は、極端にいえば全篇を通じて「やらせ」ともいえる手法なわけですが、「ナヌーク族」の事実を撮っていることに虚実はなく、むしろ映画としての説得力や真実を強く表現しえたドキュメンタリー手法の積極的な一形態であり、戦後のイタリアでの「ネオ・リアリズム」運動の母体になったと大きく評価されているのです。
 ドキュメンタリーといえども、それは単なる事実の再現ではなく、このような演出を伴った迫真の映像伝達でなければ説得力を持つ映像にはなりえないのです。
【参考 シュエットさんの『寄り道カフェ』の記事ドキュメンタリーの原点「極北のナヌーク」

極北の怪異 (極北のナヌーク)
/ アイ・ヴィ・シー





 フラハーティの影響を大きく受けていたザヴァッティーニの理論的貢献によって、「フラハーティ・システム」の進歩した形態が「ネオ・リアリズム」運動であるということには、確かに頷ける充分な理由があり、映画史的な意味でも見逃せない事象といえましょう。

 そして、これらの試みを踏まえ、その後のドキュメンタリーやリアリズムなどの映画体系への模索は更に続いていくのです。
 アメリカのアンダーグラウンド派のアンディ・ウォーホールは、6時間ものあいだ、眠っている男を撮り続けた『眠り』という作品を発表し、やはりザヴァッティーニが一般人の意見(アンケート)を映像にした『かくしカメラの眼』、『ローマ十一時』など、「アンケート映画」と称される体系として位置づけられる作品を撮り続けていきました。
 それらは、やがてフランスでの「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動の左岸派による新しい「映画=真実(シネマ=ヴェリテ)」の体系として、ひとつの到達点を迎えることになっていきます。
 1920年代の旧ソ連邦のジガ・ヴェルトフらが「映画=真実(キノ=プラウダ)」を唱えてから、40年以上を経た後のことでした。

 また、「シネマ=ヴェリテ(映画=真実)」以前の作家で、前述したジガ・ヴェルトフやチェーゼレ・ザヴァッティーニ、そしてアンディ・ウォーホールなどの実験的手法のエッセンスを最大限に引き継ぎ、独創的な手法によって完成させていった作家として忘れてはならないのが、『抵抗(レジスタンス)』(1956年)や『スリ』(1960年)のロベール・ブレッソンだともいわれています。
 彼は、映画としてのドラマトゥルギーに最も必要とされていた登場人物の行動や言動、音声などを、全く逆に、それ自体の描写を目的やテーマにして、「そこにある現実の行為」の極限描写ばかりを突き詰めて強調し、心身症ではないかと思うほど微細でストイックな写実的作品ばかりを創作していきました。
 彼の作品はあらゆる無駄をそぎ落として、極言すれば映画としてのドラマトゥルギーを一切無視しています。ところが、そうであるにも関わらず、それらの作品の一部始終には実に興味深い映像が描写されているのです。
【参考】
【オカピーさんの『「プロフェッサー・オカピーの部屋」別館』の記事映画評「少女ムシェット」
【用心棒さんの『良い映画を褒める会。』の記事『ジャンヌダルク裁判』(1962)余計な演出を削ぎ落とした、シネマトグラフとは何を指すのか。
【シュエットさんの『寄り道カフェ』のタグ記事一覧ロベール・ブレッソン
【ジューベさんの『キネマじゅんぽお』の記事『ジャンヌ・ダルク裁判』 ~ついに登場!ブレッソン~
【にじばぶさんの『にじばぶの映画』のタグ記事一覧ロベール・ブレッソン
【koukinobaabaさんの『Audio-Visual Trivia』の記事ロベール・ブレッソン スリ  Pickpocket

 そして、その禁欲的な作品スタイルは、後のジャック・ベッケルやジャン・ピエール・メルヴィルなどの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品や、ブレッソン作品で助監督をしていたルイ・マル、そしてエリック・ロメールなどの「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品へと影響を拡げ、
ジム・ジャームッシュとかアキ・カウリスマキなどの作品にまで引き継がれている、という意見まであるのです。
【参考】
【『にじばぶの映画』のタグ記事一覧ジャック・ベッケル
【『「プロフェッサー・オカピーの部屋」別館』映画評「死刑台のエレベーター」
【『寄り道カフェ』ロベール・ブレッソンを観る① 「スリ(掏摸)」の記事、及び同記事でのシュエットさんのコメント(2008-06-19 15:49))】

スリ
マルタン・ラサール / / アイ・ヴィー・シー





ジム・ジャームッシュ作品集 DVD-BOX 1989-1999
/ パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン





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 映画史家のジョルジュ・サドゥールが呼称したものであるといわれている新しい「シネマ=ヴェリテ(映画=真実)」作品の具体的な特徴は、登場人物のフリートークによって、一定のテーマやその本質を突き詰めていくという形態が、そのセオリーであり、前述したザヴァッティーニの「アンケート映画」を徹底させていった体系であるともいえましょう。

 特定した任意の個人に対しての系統立てた広汎な視点による「質問(インタビュー)」、その「回答」などをモンタージュした映像を創作する活動、現在では珍しくもないTV番組などでの街頭インタビューなども、この手法をモデルとして定着していった背景を持っています。

 「シネマ=ヴェリテ(映画=真実)」派の代表的な作家としては、ジャン・ルーシュ(アフリカの黒人たちにフリートーキングさせて撮った記録映画『わたしは黒人』、『人間ピラミッド』)、アラン・レネとも親交の厚かったクリス・マルケル(『ラ・ジュテ』、『サン・ソレイユ』、『彫像もまた死す』、パリ市民を対象としたドキュメンタリー『美しき5月』)、
人間ピラミッド
ドキュメンタリー映画 / / 紀伊國屋書店





ラ・ジュテ / サン・ソレイユ
クリス・マルケル / / アップリンク





 そして、名優ベルナール・ブリエを父親に持つベルトラン・ブリエ(『ヒトラーなんか知らないよ』(1963年))らの作家群が挙げられます。

「(-略-)一旦すてられたように見えたこの糸(「キノ=プラウダ(映画=真実)シリーズ」のこと)をふたたび拾いあげて、フランスに「シネマ・ヴェリテ」として定着させたのは、ジャン・ルーシュをはじめとして、クリス・マルケル、ベルトラン・ブリエ、その他であり、彼らの作品と作風にもさまざまな色合いの差があるが、全体としてこの流派(?)はある隆盛の時期を持った。」
【『現代映画芸術』岩崎昶著、岩波新書、1971年】

 種々の意味から真実のリアリティを映画において深く追究していく作業には、映画作家としての主体性が必要であることは当然のことです。
 そして、ドラマトゥルギーへの対峙が可能なものとして生まれてきたものが、反ドラマトゥルギーとしてのドキュメンタリー作品やリアリズム作品なわけです。その発生原因を手繰れば、映画的テーマを表出するための従来からの古典的なドラマトゥルギーが既に限界に達してきた、との視点も存在します。

 そういった意味では、1960年代以降の新しい時代の多くの映画作家たち(アントニオーニ、フェリーニ、ブニュエル、レネ、ゴダール、ベイルマン、ヴァルダ、大島渚、今村昌平・・・等々)の作品からは、彼らが映画のテーマや思想を独自の映像表現によって実践するために、従来からの図式的・形式的で安易なドラマトゥルギーを壊すこと、すなわち反ドラマトゥルギーとしてのプロットを生み出していこうとする創作意図が感じられるような気がします。

「人間とはそれほど不条理な存在なのであろうか?フロイト流の深層心理学、近代生理学、またサイバネティックス理論などが、人間をミクロの段階まで降りて観察し、その心理や感情、そして判断や行動に、大ざっぱな合理性だけではかりきれない暗い秘密の隅々がポッカリと口をあけている事実をあきらかにしたことは大きな貢献であるが、それにもかかわらず、巨視的とまでいわず、われわれの日常の体験の次元で、人びとは依然としておおよそ合理的で、一貫した性格と原則を持ち、次の瞬間の行為を相当の確率をもって予想できることも疑いない。不条理芸術といえどもこの上にたっている。」
【『現代映画芸術』岩崎昶著、岩波新書、1971年】

 カフカ文学以降の現代社会、そこに存在している人間の不条理感覚は、解決が極めて困難な現代人としての課題になっているともいえます。

 しかしながら、芸術においては、特に映画芸術においての表現手法に至っては、周到な準備や意識的な論理と表現などによって制作される独特の視覚文化であることを視野に入れたとき、

作家としての主体性、理念や目指すべき理想などを、映画特有の前向きで合理的な視覚効果を念頭においた創作活動が可能であるとの考え方もあるわけですから、

今現在においては、心理的異常性向による好奇心の喚起、ニヒリスティックでシニカルな風刺的なユーモア、日常生活の抑圧傾向を解き放つためだけのカタルシスの提供など、集客のみを目的にした映画制作ではなく、

現代的課題を解決するための一貫した原則を踏まえたテーマの探求、すなわち新たなる「映画=真実」を最も必要とする時代の到来が既に始まっているような気がしてならないのです。

「(-略-)バラージュは、文学よりも、映画カメラが、その大写しによって、人間の内面の真実をうつしだす、と考えるのである。
従って、バラージュは、俳優の演技などというものは、映画カメラにとって無意味であるといっている。前に述べたことのあるフランスのシネマ・ベリテの運動も、この大写しを、真実が語られるものとして重要視する。ベルトラン・ブリエの「ヒトラーなんか知らないよ」という作品は、数人の若い男女に、その身の上や抱負を語らせて、その表情の大写しを見つめつづけるのである。」
【『映画芸術への招待』杉山平一著、講談社現代新書、1975年】

 そして、ベルトラン・ブリエは『ヒトラーなんか知らないよ』(1963年)を撮った後以降、現代においての最も身近なテーマである、男女関係における恋愛の葛藤を描き続けるようになりました。
 彼は、1984年にはアラン・ドロンを主演にした『真夜中のミラージュ』を発表し、最近作『ダニエラという女』(2005年)でも、現代的課題を解決するための一貫した原則を模索し続けるように、赤裸々なセックスや決して常識的ではない男女関係を単純に否定することなく、描き続けているのです。 

【参考文献】
『映画の理論』岩崎 昶著、岩波書店(岩波新書)、1956年
『映画の理論』ベラ・バラージュ著、佐々木基一訳、学芸書林、1970年
『現代映画芸術』岩崎 昶著、岩波書店(岩波新書)、1971年
『映画芸術への招待』杉山平一著、講談社(講談社現代新書)、1975年
『フランス映画史の誘惑』中条省平著、集英社(集英社新書)、2003年

※ 当記事の内容に関わっては、特に、『現代映画芸術』の「Ⅳ リアリズムと記録主義」の項を参照し、解説させていただいた内容になっております。
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by Tom5k | 2008-08-14 23:31 | Notre histoire(3)