『サムライ』②~フランス人から見た武士道の精神~

武士道
新渡戸 稲造 矢内原 忠雄 / 岩波書店






「運命に任すという平静なる感覚、不可避に対する静かなる服従、危険災禍に直面してのストイック的なる沈着、生を卑しみ死を親しむ心・・・・・」
【第二章 武士道の淵源】より

「勇気が人のたましいに宿れる姿は、平静すなわち心の落ち着きとして現れる。平静は静止的状態における勇気である。敢為の行為が勇気の動態的表現たるに対し、平静はその静態的表現である。真に勇敢なる人は常に沈着である。彼は決して驚愕に襲われず、何ものも彼の精神の平静を紊さない。激しき戦闘の最中にも彼は冷静であり、大事変の真中にありても彼は心の平静を保つ。地震も彼を震わず、彼は嵐を見て笑う。危険もしくは死の驚異に面しても沈着を失わざる者、・・・・・」
【第四章 勇・敢為堅忍の精神(1)補注】より

「名誉の感覚は人格の尊厳ならびに価値の明白なる自覚を含む~(中略)~その観念は「名」、「面目」、「外聞」等の語によりて伝えられた。~(中略)~善き名-人の名声、「人自身の不死の部分、これなくんば人は禽獣である」-は、その潔白に対するいかなる侵害をも恥辱と感ずることを当然のこととなした。」
【第八章 名誉】より

「しかるに武士道においては、家族とその成員の利害は一体である、-一にして分かつべからざるものとなす。この利害を武士道は愛情と結びつけた-自然に、本能的に、不可抗的に。それ故に、もし我々が自然愛(動物でさえもつところの)によりて愛する者のために死ぬとも、それがなんであるか。」
【第九章 忠義】より

「武士の教育において守るべき第一の点は品性を建つるにあり、思慮、知識、弁論等知的才能は重んぜられなかった。
~(中略)~
武士道は非経済的である。それは貧困を誇る。」
【第十章 武士の教育および訓練】より

「武士が感情を面に現わすは男らしくないと考えられた。「喜怒色に現わさず」とは、偉大なる人物を評する場合に用いらるる句であった。最も自然なる愛情も抑制せられた。父が子を抱くは彼の威厳を傷つくることであり、夫は妻に接吻しなかった-私室においてはともかく、他人の面前にてはこれをなさなかったのである。」
【第十一章 克己】より

「切腹が単なる自殺の方法でなかったことを領解せられたであろう。それは法律上ならびに礼法上の制度であった。中世の発明として、それは武士が罪を償い、過ちを謝し、恥を免れ、友を贖い、もしくは自己の誠実を証明する方法であった。」
【第十二章 自殺および復仇の制度】より

『武士道』(新渡戸 稲造 著、矢内原 忠雄 訳 1938年 岩波文庫より)-各章より抜粋-


 映画『サムライ』の冒頭は、飾り気のない淋しいアパルトマンの一室のシーンから始まり、アラン・ドロン演じる殺し屋ジェフ・コステロ、一緒に住んでいる鳥籠の小鳥が映し出される。彼らが、唯一の信頼し合える友人同士なのだということが、すでにこの場面から察することができ、映画を観るものはジェフの孤独を強烈な印象で受け止めることになる。

 ストーリーは一貫して静的な表現で進められながら、各場面は常にスリリングに展開する。
 殺しの依頼の実行、目撃者のピアニスト、ヴァレリーの偽証、警察の執拗な捜査、依頼者の裏切り、飼っている小鳥の忠賢、愛人ジャンヌとの愛情と別れ。依頼者への復讐。

 そして、殺し屋ジェフ・コステロは、ラストのクライマックス、最後の舞台となるクラブで、ついに第二の殺しの依頼通りにヴァレリーに銃口を向ける。ジェフが彼女を撃とうとしたその瞬間、張り込んでいた警官の銃が一瞬早く火を吹き、彼は死を迎えることとなる。
 警察が事件を食い止めたのだろうか。いや、そうでは無い。ジェフのピストルには弾が込められていなかった。彼は自らが殺されることを知ったうえで、あえてヴァレリーに銃を向けたのだった。

 殺し屋ジェフの禁欲的な勇気、そして、自己の尊厳からくるのであろう、いかなる事象、いかなる局面においても動じない冷静沈着な行動、純白ともいえる潔癖さ、貧困をも誇りとしているような清貧の生活、盗聴器の仕掛けや依頼者の送り込んだ刺客が部屋に潜んでいることなどを教えてくれる主人に対する小鳥の忠実さ、そして、愛すべきジャンヌに対しては、何の感情表現もしないストイシズム。
 ジェフはヴァレリーに心を動かされたことで仕事への潔癖を否定せざるを得なかったのだろうか。彼は死を選ぶことになる。

 この作品によって、日本的武士道の思想の全てが描かれたわけではない。しかし、描かれていることのほとんどが武士道に遵守している。

 この作品は言うまでもなく、フランスの映画である。監督のジャン・ピエール・メルヴィル、主演のアラン・ドロンはじめ、他のスタッフ・キャストも、ほとんどがフランス人であり、舞台も現代のパリの夜の街である。


「この間、アラン・ドロン主演の「サムライ」という映画が来たが、日本人が“サムライ”ということばでどれだけ理想化されているかがわかって、ちょっとくすぐったい。日本文化が西洋文化に紹介されたなどと言っているけれども、西洋人の頭の中にある日本男性は、やはり、“サムライ”のイメージでとらえられていることが多いようである。
~(中略)~
 われわれにとって“サムライ”はわれわれの父祖の姿であるが、西洋人にとっては、いわゆるノーブル・サヴェッジ(高貴なる野蛮人)のイメージでもあろう。われわれはもっと野蛮人であることを誇りにすべきである。」

『若きサムライのために~勇者とは~』
(三島 由紀夫 著 昭和44年 日本教文社刊より)

若きサムライのために
三島 由紀夫 / 文芸春秋
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by Tom5k | 2005-07-19 23:48 | サムライ(6)