『サムライ』①~武士道における婦人の役割~

 映画『サムライ』がアラン・ドロンや犯罪映画のファンのみならず、フランス映画史にとっても非常に重要な作品であることは既に周知のことだ。フランス映画としての「フィルム・ノワール」の作風を極限まで結晶させたことも然り、そのテーマにおいても極めて個性的であり、他の同種の作品と比べても映像・俳優・音楽・脚本・ストーリーのプロット等全てにおいて、スタイリッシュの極致ともいえる素晴らしさを傑出させている。

 わたしはこの作品のテーマにこだわったとき、アラン・ドロン演じる孤独な殺し屋ジェフ・コステロの愛人ジャンヌ・ラグランジュを忘れることができない。当時のアラン・ドロン夫人であったナタリー・ドロンが素晴らしく、彼女の好演によって、この作品のテ-マであった日本人の精神をより鮮明に印象づける作品とすることができたとまで思ってしまう。


『女子がその夫、家庭ならび家族のために身を棄つるは、男子が主君と国のために身棄つると同様に、喜んでかつ立派になされた。自己否定-これなくしては何ら人生の謎は解決せられない-は男子の忠義におけると同様、女子の家庭性の基調であった。
 女子が男子の奴隷でなかったことは、彼女の夫が封建君主の奴隷でなかったと同様である。女子の果たしたる役割は、内助すなわち「内側の助け」であった。奉仕の上昇階段に立ちて女子は男子のために己れを棄て、これにより男子をして主君のために己れを棄つるをえしめ、主君はまたこれによって天に従わんがためであった。』

「武士道」-第十四章 婦人の地位-
(新渡戸 稲造 著、矢内原 忠雄 訳 1938年 岩波文庫より)


 この作品の大きなテーマは、作品名の『LE SAMOURAI』からもわかるように、ヨーロッパ人から見た日本思想の典型である武士道を理想化したものだった。そして、この思想を原則通りに最も極めていたといえるのは、殺し屋ジェフを愛していたジャンヌにおいてではなかっただろうか。
 愛する男のため、自らの未来を棄て、偽証の証人となったジャンヌ。官憲の脅迫ともいえる執拗・強引で作為的な取り調べに対しても、気丈にジェフへの誠実な愛情を一貫させていた。
 そして、自分の愛するジェフ・コステロに必要とされることを最も望み、それを生きる意味としていたジャンヌは、武士道に遵守した婦人の役割を全うした立派なサムライの妻であり、心から愛すべき女性であるといえよう。
 あえて、多くのフェミニズムの思想に抗することを覚悟できれば、「このような封建の女性に愛されることほど幸せな男はいない」という男性諸氏は現在の民主主義国家である日本においても、恐らく私だけではないだろうと不遜にも考えてしまう。
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by Tom5k | 2005-07-17 21:54 | サムライ(6)