『レッド・サン』①~日米関係史と武士階級~

 1854年3月7隻の軍艦によるアメリカ東インド鑑長官ペリーが再航して、アメリカ船の来航による食糧・燃料の補給、難破船の保護、領事の駐在(箱館・下田の開港)、アメリカ合衆国の日本における最恵国待遇、などの内容による日米和親条約が批准されました。
 江戸幕府による鎖国政策を200年以上続けてきた日本でしたが、この出来事により、鎖国体制を終焉させました。

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 下田駐在のハリスはこの条約批准後、合衆国側の領事裁判権を認め、日本側が関税の自主改正をできないこと、などの日本史史上でも最も不平等な内容であった日米修好通商条約の調印を迫ります。
 1858年6月、大老に就任間もない井伊直弼は、国内での激しい攘夷運動により、この条約の勅許を許可されませんでした。しかし、清国とイギリスのアヘン戦争の結果やアロー号事件など欧米列強のアジア侵略の外圧から、井伊大老は独断でこの条約に調印し、日米貿易は不平等な形態で始まっていったのです。

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 1860年2~3月、条約の批准書を交換するために新見正興ら一行は、合衆国政府より派遣されていた軍艦ポーハタンに乗り込み、勝海舟を船長とし、福沢諭吉、ジョン万次郎らが同乗した咸臨丸を警護船として浦賀を出向しました。一行はサンフランシスコへの渡航を成功させ、日本人として初めて正式にアメリカの土を踏んだのです。

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 非公式的には、1863年に、井上聞多(井上馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(伊藤博文)、野村弥吉(井上勝)が長州藩から派遣されてヨーロッパに秘密留学した史実もあります。

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 1867年、日米間に初めて郵便船が開通しました。このころはまだ、大陸横断鉄道の開通2年前であり、南下によりパナマ地峡を渡り、北上してニューヨーク・ワシントンまでの路程でした。
 同年10月、徳川幕府は260年あまり続いた政権を朝廷に返還する決断を下し、大政奉還を実施しました。これは幕府が倒幕勢力と戦争状態となった場合には欧米列強の侵略政策に対応できないことを懸念した徳川慶喜が、幕府の安泰よりも日本の安泰を思慮した結果でした。
 多くのアメリカ人にとって西部の開拓はまさにアメリカン・ドリームの実現ともいえることだったのでしょう。広大な土地と天然資源から、経済的な向上と豊かな生活を想い描いたアメリカ人は多かったはずです。1848年の金鉱発見に端を発して、カリフオルニアにおける「ゴールドラッシュ」により西部開拓が本格化していきました。

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 そのなか、アメリカの西部開拓や領土発展の目的を結実させた大陸横断鉄道の建設法案は1862年、南北戦争の最中に大統領エイブラハム・リンカーンよって認可され、西側のセントラルパシフィック鉄道、東側のユニオンパシフィック鉄道が1869年5月、ユタ州グレートソルトレイク北方の砂漠フロモントリーポイントで歴史的な接合を果たしました。

 しかし、これら開拓史には多くの矛盾、そして不運な不安要素も多く存在していました。先住の原住民であるネイティブ・アメリカンと白人とが対立し、武力で勝る白人がネイティブ・アメリカンを迫害していったのは西部開拓史の暗部のひとつでしたし、1860年以降の南北戦争後の荒廃や西部開拓、特に大陸横断鉄道の敷設工事による労働者への過酷な搾取などは、西部を荒らし回る強盗団などを生み出していった原因であったと思われます。

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 映画『レッド・サン』の舞台は1870年、前述した日本の武士と合衆国西部の強盗団の間でドラマが展開し、先住民族ネイティブ・アメリカンのコマンチ族がクライマックスの戦闘場面で重要な役割を果たします。

 わたしがこの作品に対して驚くことは、作品の設定条件に係る歴史検証が以外に正確であることです。

 1870年という設定は、大政奉還後であり、中村哲扮する坂口備前守が「我々は、日本の皇帝であるミカドの使節である」と言うセリフから、この一行が1867年の大政奉還後の使節団であり、将軍ではなく天皇(ミカド)の命で宝刀を献上するためにワシントンまで行こうとしていることがわかりますし、坂口備前守が、10年間サンフランシスコに滞在していたことも解説されています。
 また、使節団一行の紋付・袴、さらに帯刀という出で立ちも外交上の礼装であったのでしょう。
 そして、日本新政府の組織・権限に係る政体書の制定は1868年に施行されていますが、アメリカ合衆国の制度にならって作成されています。つまり、合衆国政府が日本新政府からみて、不平等条約における通商の相手国というのみでなく、行政組織における先進国として、今後の友好関係を派遣の目的としていたとしても不思議ではないわけです。

 それから2年後、1872年に派遣された岩倉使節団は、諸外国の見聞による調査・研究を目的とし、新時代を感じさせる前向きで明るい外遊でした。それは刀剣など帯刀せず、献上物も天皇の国書であり、本当の目的は友好よりも条約改正の予備交渉でした。つまり、『レッド・サン』の舞台設定の1870年から2年後の1872年の岩倉使節団には、三船敏郎が演じた黒田重兵衛のような武士道に遵守した侍は既に存在していなかったと思われます。

 更に前述したとおり、アメリカ合衆国においても大陸横断鉄道が開設した1869年の翌年であることや荒廃した西部で兵士・労働者たちが野合して、リンク(チャールズ・ブロンソン)やゴーシュ(アラン・ドロン)たちのような強盗団となっていた史実等々。

 もちろん、娯楽作品として徹底したこと、当時の西部劇の創作パターン等により、細部においてのリアリティの追求は目的には無かったのでしょうが、ストーリーと舞台設定において、1870年のアメリカ西部を舞台としたことが、この作品のストーリー成立の一要素であったと思われます。
 このことは、この作品の発想が奇抜ではあったとしても、スタッフ・キャストの生真面目な作品創作の意欲と熱意が強かったことの結果のひとつではないでしょうか。
 わたしは、そういった意味から、未来において日本とアメリカの関係やEUとの国際関係を考えたときに、こういった娯楽大作を民間の映画人達の製作・立案とはいえ、国際的な相互協力の関係を構築して創作実現できたことが奇跡的な国際文化交流であったと、後世に伝えられていくことを切に願ってしまいます。


 また、この作品には、日本の歴史の転換期が、恐らくですが日本人以外にとってもわかりやすく表現されている場面と台詞が多くあります。ロケ地に黒澤組の脚本家である橋本忍が同行していたからかもしれません。
 黒田重兵衛は1869年に版籍奉還により領地、人民を天皇に返還する施策を実施したことなどの日本国内の情勢を踏まえていたのでしょう。

>武士は百姓や漁師となって生きていくしかない。武士は滅んでいくから、この使節が武士の最後の仕事だ。」「日本もいつか、この国のようになるだろう。

と苦渋の表情で述懐するいくつかのセリフは、この作品の悲しく苦しいテーマのひとつとなっています。
 その後、黒田の言っていたとおり、1871年、日本新政府は武士に対しての廃刀許可を実施、1876年、廃刀令の公布により、正式に帯刀が禁止され、武士は物心両面からその誇りを奪われたのでした。
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by Tom5k | 2005-05-21 15:16 | レッド・サン(2)