『アラン・ドロンについて』⑦~フランス映画史体系 マサヤさんとの対話から~

2006年12月4日から12月13日にかけて、ジャン・ピエール・メルヴィルの熱烈なファンであるマサヤさんのサイト(マサヤさんのホーム・ページ「LE CERCLE ROUGE」の掲示板)にて、フランス映画史に関わるテーマで、たいへん充実したコメント交換ができましたので、ご紹介いたします。


トム(Tom5k)
マサヤさん
BOOKSのコーナーに追加された「キネマ旬報 1970年12月下旬号 No.538」は、わたくしも所有しております。貴重な情報満載でしたね。
表紙は『ラ・マンチャの男』なんですが、「キネマ旬報 1972年12月下旬号 No.595」に『リスボン特急』特集とシナリオが掲載されています。こちらも素晴らしい特集号でした。


マサヤさん
トムさん、こんにちは。
私も最近当時の『キネマ旬報』がいかにメルヴィルを扱っていたかを知り、驚いているところです。
『リスボン特急』の特集が掲載された、ご指摘の「キネマ旬報 1972年12月下旬号 No.595」もつい先日古本屋で手に入れたばかりです。
いずれ、このサイトでも紹介するつもりです。
ところで、安かったのでメルヴィル関連の記事が載っている「キネマ旬報」をまとめて買ってきたのですが、特に印象に残ったものは、メルヴィルが亡くなった後の「キネマ旬報 1973年11月上旬号 No.617」で、山田宏一氏が書かれた追悼記事です。
もっとも、山田氏は『サムライ』以降のメルヴィルは堕落したとまで言い切っている厳しいご意見の持ち主なのですが、それだけに、それ以前の『いぬ』『賭博師ボブ』あたりに寄せる愛情は並大抵のものではなく、それらの作品を語る文章には熱がこもっていて感動的なほどです。
いぬ
/ アイ・ヴィー・シー





賭博師ボブ
/ ビデオメーカー





いずれ、これらの記事を始めとする山田氏の文章は、このサイトでもまとめて紹介したいと思っていますが、それもいつになるやら分かりませんので(笑)、ここで少しだけ紹介させていただきます。

「・・・メルヴィルの暗黒映画の男たちにとって、帽子は女よりも命よりも大事なシンボルのように思えるからなのである。」
「帽子は、メルヴィルのクールで非情な暗黒映画の世界においては、唯一の男のやさしさの表現であると同時に、男のいのちであり、存在そのもののアイデンティティですらあるのだ。」
(引用~「キネマ旬報 1973年11月上旬号 No.617』掲載「シネ・ブラボー」ジャン=ピエール・メルヴィル追悼(2)山田宏一」 より)


トム(Tom5k)
マサヤさん、こんばんは。
当時の『キネマ旬報』の特集は、素晴らしいものが多く、わたしも古本屋に行くと、ついむかしのキネ旬を手に取って立ち読みしてしまいます。
ところで、山田宏一氏は、「わがフランス映画誌」では、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の項で、「アラン・ドロン映画」のお抱え監督になってしまった」などと評されていることから、アラン・ドロン作品のメルヴィルを評価していないように見受けられます。
わがフランス映画誌
山田 宏一 / 平凡社






わたしにとっては、そのことがむしろ素晴らしいことだったと思うのですが、映画史的な意味でいえば、確かに作品レベルの低下は免れなかったのかもしれませんね(わたしは、素直にそうは思いたくないのですが・・・)。それより前の時代が、凄すぎたんでしょうね。
追悼記事での小道具としての帽子の意味は初めて知りましたが、確かに言われてみれば、それを感じます。『サムライ』は、特にその意味を持つ作品のような気がします。
では、また。


マサヤさん
トムさん、こんにちは。
山田宏一氏著「わがフランス映画誌」(平凡社版ですネ)私も所有しております。
ちなみに、↑に引用した帽子に関する文章は「山田宏一のフランス映画誌」(こちらはワイズ出版)の「夜は帰ってこない―ジャン=ピエール・メルヴィル」という文章の中にも収録されています(全体的にキネマ旬報の文章とはところどころ異なる部分もあります)。
山田氏がアラン・ドロン主演のメルヴィル作品をあまり評価してらっしゃらないことは事実のようです。
山田宏一のフランス映画誌
山田 宏一 / / ワイズ出版





キネマ旬報の追悼記事を読む限り、アラン・ドロンその人をあまりお好きではないような印象を受けます(『暗黒街のふたり』を評し、ジョヴァンニの世界にまでアラン・ドロンが闖入したなんて憂慮にたえぬ・・・とまで書いています)。
作品レベルが低下したというよりは、メルヴィルがドロンと組むことによって、コマーシャリズムに身を売ったことに対する落胆が大きいようです。
しかし、メルヴィルは以前からすでにジャン=ポール・ベルモンドやリノ・ヴァンチュラを主演に迎えて映画を撮っている点からも、『サムライ』以後、急に商業主義に傾いたわけではないのでは?と私個人は思っているのですが。
事実、58年の『マンハッタンの二人の男』を撮った後、「これからは金になる映画を撮る」と言っていたようですし。(「キネマ旬報 1970年春の特別号 No.520 J・P・メルビル+その他の人びと その全作品を語る」より)
マンハッタンの二人の男
/ 紀伊國屋書店





ドロンなくしては『サムライ』や『仁義』といった傑作(しかも、なんという傑作!)は生み出されなかったでしょうから、私もトムさん同様、山田氏とは当然感じ方が異なります。
しかも、それらはコマーシャリズムとか通俗化と切り捨てるにはあまりに魅力的な作品ではないでしょうか。
ただ、『いぬ』以降ほぼリアルタイムでメルヴィルの作品を(日本未公開作品含め)観ていた山田氏の感じ方もまた分からなくはない気もします。
事実、氏の熱っぽい文章にはなんともいえぬ説得力があるんですよね(笑)。


トム(Tom5k)
マサヤさん、こんばんは。
帽子に関する文章は「ワイズ出版」版)だったんですね。残念ながらこちらは持っていなかったので、マサヤさんの情報のみでした。あの本、高いですよね。なかなか手が出なくて・・・。
山田氏は、基本的に前時代のデュヴィヴィエ、カルネ、フェデールなどの「詩(心理)的レアリスム」の作品を、あまり評価されていないような気がします。まして次世代のジャン・ドラノアやクリスチャン・ジャック、クロード・オータン・ララ、ルネ・クレマンなど、ほとんど話題にもしていませんし・・・
すなわち、山田氏の考え方は、極端に言えば新時代「ヌーヴェル・ヴァーグ」だけがフランス映画なのだとの主張とも受け取れます。
アラン・ドロンなどは、スターとして、プロデューサーとして、反(もしくは非)「ヌーヴェル・ヴァーグ」というか、前時代的というか、そういった映画人ですから、結果的に否定せざるを得なかったのではないでしょうか?ここまで来ると山田氏の考え方というよりも、フランス映画史の現在までの体系に言及しなければなりません。
わたしは常々、ここのところにフランス映画史の矛盾を感じております。つまりドロン主演のメルヴィル作品への批判が的を得ていないのであれば、「ヌーヴェル・ヴァーグ」と、その前時代の映画史体系を再整理する必要があると感じているのです。
デュヴィヴィエやカルネ、フェデ-ルたちを無視して、ルノワール、ベッケル、クルーゾーたちを評価するのみでは、あまりの短絡であると思っています。
ゴダールがアラン・ドロンと映画を撮ったこと、ヴァルダの映画史にドロンが登場したこと、をどう解釈したらよいのでしょうか、フランス映画史の再編は近いうちにどこかで整理されていくように信じています。
『サムライ』や『仁義』、『ヌーヴェルヴァーグ』や『百一夜』などから想起してしまうことは、結局はフランス映画は旧時代の素晴らしさを認めざるを得なかったということなのです。
そしてメルヴィルは、それを先見して前時代をシンボライズしていたドロンを使ったのだと思うのです。
では、また。


マサヤさん
トムさん、こんにちは。
トムさんの感じてらっしゃるようなフランス映画史の矛盾は私も常々感じていることで、特に現在の日本では、「ヌーヴェル・ヴァーグ」を評価するあまり、それ以前のフランス映画がほとんど無きものであるかのごとき評価が定着してしまっているのではと思われることがあります。
それは同時に、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の連中が評価したフランス映画のみが(それ以前の映画では)評価されるという実情にもつながってしまってもいるのではないでしょうか。
また、それは現在では日本独自の評価ではないのか、とも感じております。
それはゴダールやヴァルダの件に表れているのかもしれませんね。

山田氏の場合、著書「友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌」に見られるような「ヌーヴェル・ヴァーグ」の連中との個人的な親交と、その作品への熱狂が、トムさんご指摘の“反ヌーヴェル・ヴァーグ”的なアラン・ドロンという存在への反発につながったのは?と思うのです。
増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌 (平凡社ライブラリー)
山田 宏一 / / 平凡社





ことに日本ではドロンの人気が凄かったために、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の代表的俳優である(山田氏が大好きと公言する)ジャン=ポール・ベルモンドのライバル的存在であったアラン・ドロンへの感情的な反発という面もあったのではないでしょうか。
「山田宏一のフランス映画誌」(友人に貸したので今手元にありません)に掲載されているアンリ・ドカへのインタビューに、“上手くゆくはずがないと思っていたメルヴィルとドロンが『サムライ』で上手くいったのは何かがおかしかった”という文章(厳密にこの文章ではありません)がありますが、大変象徴的な記事であり、それがある意味、山田氏の意を強くしたのではないか、とも思うのです(※注)。

※注
マサヤさんのブログLE CERCLE ROUGE BLOGの「Category(アンリ・ドカ)」には、これらに関連した素晴らしい内容の記事がたくさん載せられています。

しかしながら、メルヴィル本「サムライ」を読む限り、根っからの映画ファンであるメルヴィルは“スター”という存在が単純に大好きな人で、それが当然のごとくドロンの起用につながった、そして、メルヴィルの頭の中には「ヌーヴェルヴァーグ」の連中が考えていたような映画史的な観点はほとんどなかったのではないか、というのが私個人の考えです。
サムライ―ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生
ルイ ノゲイラ Rui Nogueira 井上 真希 / 晶文社






先日、マルセル・マルタンという人が書いた「フランス映画1943-現代」というかなり面白そうな本を手に入れました。
現代、といっても1983年ぐらいまでの戦後フランス映画の総括的な本ですが、これを読んで更に勉強してみたいと思っています。
フランス映画 1943~現代
マルセル マルタン / / 合同出版






トム(Tom5k)
マサヤさん、わたしばっかりコメントしちゃって、他のこのサイトのファンのみなさんに怒られちゃいますよね。申し訳なく思いつつ、書かずにはいられません。
フランス映画史の矛盾に関わっては、マサヤさんもわたくしと同意見をお持ちとのこと、たいへんうれしく思います。
>「ヌーヴェル・ヴァーグ」を評価するあまり、それ以前のフランス映画がほとんど無きものであるかのごとき評価が定着してしまっているのではと思われることがあります・・・。
それは現在では日本独自の評価でもあるとも感じております。

山田氏のドロン嫌いは、客観的ではなかったのかもしれませんね。しかも、フランス映画評論の権威になってしかるべき実力派の評論家ですし・・・。
さらに南俊子氏や渡辺祥子氏のミーハー的なドロン論が当時は一般的でした。これでは、本質的なフランス映画の体系などを整理することなど、日本では極めて困難であり、実に残念なフランス映画評論史といえましょう。
マサヤさんのおっしゃるように、メルヴィルの作品は「スターの存在」が極めて重要な位置におり、「ヌーヴェル・ヴァーグ」と異なる存在となっていったのかもしれません。
結果的にかもしれませんが「俳優としての存在」をも両立させるものだったようにも思います。
アラン・ドロンは、その両側面を兼ね備えていたことから、双方にとって理想的なコンビであったように感じます。
マルセル・マルタンの「フランス映画1943-現代」。これは、何としても手に入れて読破せねばなりません。マサヤさんも読破されたら内容をご紹介ください。
本当に連続のコメントすみません。
では、また。


マサヤさん
トムさん、こんにちは。
ここはもともと書き込みの少ないサイトでして(笑)映画に関することならどんな書き込みでもサイトの活性化につながりますので大歓迎です。
まして、トムさんのご意見は鋭く、私も勉強になることばかりですのでご遠慮なくどうぞ(笑)。
ところで、ある種の暴論として聞いていただきたいのですが、私は評論家は必ずしも客観的である必要はないと思っています。
むしろ、好き嫌いがハッキリしている人の文章の方が読んでいて面白いと考えています。
山田氏の文章が読んでいて面白いのは、氏の嗜好に読む者を動かす“熱”があるからだと思います。
それを“映画愛”と言い換えてもよいかもしれません。
その文章は“評論”というよりも“愛情の吐露”に近いようにも思えます。
ご指摘の“ミーハー的ドロン論”などにも顕著かと思いますが、日本人とフランス映画との関わりから考えますに、トムさんが仰る通り、本質的なフランス映画の体系を日本で整理することは(今のところ、というか未だに)不可能ではないでしょうか。
もちろん、時代を経て、客観的に論ずる評論家が現れる可能性もありますが、どれだけ読者を獲得できるでしょうか・・・。

その意味で、紹介しましたマルセル・マルタンの「フランス映画1943-現代」は、フランス人の書いた戦後フランス映画史として貴重かと思います。
私が読破するのはいつのことになるやら分かりませんが、メルヴィルに関する文章も散見され、いずれこのサイトでも紹介するつもりでおります。


トム(Tom5k)
お言葉に甘え、またも連続コメントしちゃいます。
わたしのブログ記事でもコメントさせていただきましたが、「世界の映画作家18 犯罪・暗黒映画の名手たち/ジョン・ヒューストン ドン・シーゲル ジャン・ピエール・メルヴィル」(キネマ旬報社、1973年)及び、メルヴィル監督の『恐るべき子供たち』を購入してしまいましたよ。また、マルセル・マルタンの「フランス映画1943-現代」も注文してしまいました。更に、アニエス・ヴァルダの『百一夜』も再見してしまいました。
すべて、マサヤさんの影響でございます(笑)。
恐るべき子供たち
コクトー / / 光文社





恐るべき子供たち
/ ビデオメーカー





>時代を経て、客観的に論ずる評論家が現れる可能性もありますが、どれだけ読者を獲得できるでしょうか・・・。

う~む、確かに客観性は、情熱・映画愛などと反比例する側面もあるかもしれません。

さて、わたしのブログ記事でも何度か取り上げている内容のことで、マサヤさんにお聞きしたかったんですが、『サムライ』の監督にマルセル・カルネが名乗りをあげ、ドロンがそれを蹴った、という逸話ですが、ご存知でしょうか?
映画評論家の秦早穂子のエッセイ「パリの風のなかで」(講談社、1979年)で触れられているのですが、本当に信憑性のある逸話だったのかどうかを、以前から疑問に思っておりました。
彼女は、かつて「映画評論」や「映画の友」等などのレビュー記事などでご活躍され、フランス政府からフランス映画文化紹介によって、芸術文化賞まで受賞されている権威ある文化人です。ですからこの逸話の紹介も信頼できるものであったと思ってはいるのですが・・・。
あまり一般に知られていない内容なものですから、違う方面からの同内容の情報などあればお教えいただきたいと思っております。
パリの風のなかで (1979年)
秦 早穂子 / / 講談社





では、また。


マサヤさん
トムさん、こんにちは。
いろいろ買われましたね(笑)。
『恐るべき子供たち』をトムさんがどうお感じになるかも興味深いですが、メルヴィルが載っている「世界の映画作家18」はあまり見かけないので貴重ですよ。
しかも700円と安価だったとか。
ところで全くの偶然なのですが、一昨日私もこの本を買ったのです。
もちろん、すでに1冊持っていますが、それよりも状態が良く、しかも650円とあまりに安かったのでつい買ってしまいました(笑)。
こういう物欲はキリがありません。
『サムライ』の監督にマルセル・カルネが名乗りをあげたという件、私は全くの初耳です。
本「サムライ」を読んでもそれらしい記事はなかったように思います。
しかし、それほどの方が紹介されたお話ですから、本当なのでしょうね。
それにしても、マルセル・カルネ監督の『サムライ』はちょっと想像できませんね(笑)




マサヤさんは、ジャン・ピエール・メルヴィルのみならず、広く映画を愛好されている方です。わたしのわがままな話題にお付き合いしていただき、たいへんうれしかったので、ご本人のご承諾をいただいて今回の記事更新としました。
トム(Tom5k)
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by Tom5k | 2007-09-02 15:35 | アラン・ドロンについて(12)