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映画作品から喚起されたこと そして 想い起こされること

by Tom5k

『さらば友よ』~「詩(心理)的レアリスム」から新しい「フレンチ・フィルム・ノワール」へ~

 19世紀のルイ・フィリップの時代に創設された“外人部隊”は、フランス共和国の正規軍です。現在でもフランス陸軍に属しており、自国の兵士を使わず、他国からの傭兵を使って自国民の犠牲を最小限に抑える目的で継続されています。
 “外人部隊”では、従軍中の訓練により、死ぬまで戦うよう軍事教育されていたそうです。過去には、アルジェリア戦線、インドシナ戦線などに送り込まれ、膨大な数の外国人兵士が生命を亡くしています。最近でも部隊編成されて、アフガニスタンやコソボなどに派兵されていたそうです。
 “外人部隊”での生活とは、どんな生活なのでしょう。
 いつ死ぬともわからない敵軍との戦い、そして医療体制もままならないなかでの戦傷や伝染病など、生と死のはざまの絶望、そして空虚しかない生活なのだと思います。従軍が終わって、命からがら帰国したとしても、心に刻まれたトラウマは決して消える事がないのです。

【「フランス映画のある種の傾向」が、「心理的レアリスム」と定義された、1930年代から主流であった「詩的レアリスム」としての「良質の伝統」は、リアリズムの崩壊に寄与してしまっている。】

 映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」(1954年1月号)に批評家フランソワ・トリュフォーの掲載記事の批判内容です。
 「詩(心理)的レアリズム」作品の初期の代表的演出家には、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ジャック・フェデール、マルセル・カルネなどがいます。そして、彼らの名作のシナリオを担当していた脚本家のシャルル・スパークやジャック・プレベールの詩情豊かな名台詞の数々が、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のカイエ派の徹底的な批判にさらされていきました。
 しかし、それでも普遍の名作群は、現在でも根強く新しいファンを生み出し続けていると、わたしは思います。
 特に、そのノワール的傾向の作品には“外人部隊”の兵士、および脱走兵などを“悲劇のヒーロー”とした傑作が多いことも、そのひとつの傾向であるような気がしています。

◯『地の果てを行く』(1935年、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、シャルル・スパーク脚本、ピエール・マッコルラン原作)
 ジャン・ギャバン演ずるピエール・ジリエトは、殺人を犯した逃亡者です。最後の逃げ場所であるスペイン領モロッコの外人部隊に身を投じ、同国人であるルカスとミュロに出会いますが、実は、ルカスは懸賞金目当ての警察の密偵であり、彼らは追いつ追われつの死闘を演じます。ミュロとの友情やアナベラ演ずるモロッコ娘アイーシャとの恋。最後には、ピエールもミュロも死んでしまうという悲劇での幕切れでした。

◯『霧の波止場』(1938年、マルセル・カルネ監督、ジャック・プレヴェール脚本、ピエール・マッコルラン原作)
 ジャン・ギャバン演ずる脱走兵のジャンが、夜霧の港町ル・アーヴルでミシェル・モルガン演ずる薄幸の娘ネリーと巡り会います。愛し合ってしまった彼らは一緒に南米に逃げようとしますが、ジャンは、以前に叩きのめしたチンピラ、リュシアンのお礼まいりのピストルで撃たれ、ネリーの腕の中で死を迎えてしまいます。『望郷』と同様に、哀しい霧笛の響きが余韻を残すラスト・シークエンスでした。

◯『外人部隊』(1933年、ジャック・フェデール監督、シャルル・スパーク脚本)
 ピエール・リシャール・ウィルム演ずるピエール・マルテルは、マリー・ベル演ずる恋人フローランスとのトラブルから、外国へ亡命しなければならなくなり、モロッコの“外人部隊”に入隊します。ロシアからの亡命者の親友ニコラとともに、フランソワーズ・ロゼー演ずる女将ブランシュと、シャルル・ヴァネル演ずる彼女の夫クレマンが経営する安宿での生活が始まります。
 絶望的な生活の中で、ピエールは恋人だったフローランスと瓜二つのイルマ(マリー・ベル2役)と出会って、恋に落ち、フランスに帰国することを考えます。しかし、フローランスと偶然にも街角で再会したとき、心のどこかでイルマを裏切っている自分や、フローランスの心には、すでに自分が居なくなっていること、などに気付きます。ピエールはイルマ一人をフランスに帰らせ、間違いなく死ぬであろう“外人部隊”の、前線に向かう行進に参加していくのです。

 このように、これらの名作群の主人公たちの運命には、「追いつめられての死」を迎える絶望的な結末が用意されていたように思います。

外人部隊

アイ・ヴィー・シー



◯『大いなる幻影』(1937年、ジャン・ルノワール監督、シャルル・スパーク脚本)
 主人公ジャン・ギャバン演ずるマレシャルと、マルセル・ダリオ演ずるローゼンタールが、スイス・ドイツ国境を越えることに成功するラスト・シーンの映画史上に残る名台詞にも、ペシミスティックな絶望感が表されていました。
>マレシャル
もう戦争は終わりだろうな。そして、これが多分、最後の戦争だぜ。
>ローゼンタール
それは君のイリュージョン(幻影)に過ぎないよ。

 アラン・ドロンが主演した作品では、初めての彼のプロデュース作品であるアラン・カヴァリエ監督の『さすらいの狼』(1964年)や、渡米時代のハリウッド作品『名誉と栄光のためでなく』(1965年)などは、まさに“外人部隊”を舞台の設定としています。また、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の遺作であるサスペンス作品『悪魔のようなあなた』(1967年)では、ブルジョア間の醜い争いに巻き込まれる、アルジェリア戦線帰りの、酒と女とバクチにしか興味のない素性の知れないチンピラであるピエール・ラグランジェを熱演しました。
 そして、この『さらば友よ』の主演男優は、二人とも軍隊経験を持っています。
 チャールズ・ブロンソンは、第二次世界大戦中に空軍に入隊していますし、アラン・ドロンも映画デビュー前の1952年、17歳でインドシナ戦線に志願兵として従軍しています。後にアラン・ドロンは、“帰仏したばかりのころは金と女のためならどんなことでもやった”と苦渋の表情で語っていたそうです。

 チャールズ・ブロンソン演ずるフランツ・プロップとアラン・ドロン演ずるディノ・バラン。彼らが地獄のようなアルジェリア戦線での従軍を終え、フランスの港町マルセイユのジョリエット埠頭に帰還するところから、『さらば友よ』のストーリーは展開していきます。

 このような娯楽作品であるにも関わらず、プロップとバランの登場と出会いの強烈なファースト・シークエンスのタイトル・バックは古典的で、リアリズムの表現技術が透徹しているように思います。
ジャン・ジャック・タルベスのカメラの“トラック・ショット”
フランソワ・ド・ルーベのテーマ曲
チャールズ・ブロンソンとアラン・ドロンのリアリティ溢れた、しかもスターとしての存在、その両面のキャラクター
 などにより、リアルな効果が全面に表現されていながら、娯楽作品として観る者の好奇心を刺激する最大の効果も併せて上げています。

 カメラはマルセイユのジョリエット埠頭に帰港した軍用輸送船のタラップから降り立つ無数の帰還兵を全景で映し出し、その兵士の一人であるプロップを、ゆっくりパンニングで追っていくタイトル・バックで始まります。
 ここでは、テーマ曲であるフランソワ・ド・ルーペのテーマ曲を非常に効果的に使用しており、強烈な好奇心を喚起させられます。

 パーカッションの行進曲調のイントロダクションから、荒っぽい電子楽器のベースの音響とともに、プロップがウィスキーをあおりながら船のタラップから降り、その前方の埠頭をMPのジープが走り抜けるそのとき、いきなりヒステリックなピアノの独奏が鳴り出します。
 彼が、埠頭に降り立ってウィスキーを全て飲み干し、未練ありげに空ビンを確かめる上半身のミディアムのフレーミング・ショットから、テーマ曲は管楽器の主題部分に入り、同時にバランをスクリーン・フレームの左側より、プロップの後方から登場させ、周囲を伺いながら歩く彼をパンニングで追っていきます。
 プロップが、飲み干したグラスを船腹に投げつけた振り向きざま、彼はバランのズック袋にぶつかったときに舗道に落ちたリボルバーを興味深げに拾い上げ、弾丸穴を覗き込みます。
 テーマ曲は、ひとくせもふたくせもありそうなこの二人の、この交差までのショットを、電子楽器のベースと叩き付けるような激しいピアノの音色に木琴楽器を重ねた強烈な曲調によって場面を引き締めるのです。


 ここまでのカメラ技術は、無数の帰還兵の中から、プロップとバランという個人を選び出す作業を行うことによって、彼らが多くの兵士たちの中の任意の個人であることを表す効果を狙ったトラック・ショットと呼ばれるものです。
 アルジェリア紛争の時代、その光景は決して珍しくなく、どこにでもいた荒くれた帰還兵たち、プロップとバランにその大多数の兵士をシンボライズさせ、社会的な背景を強調したリアルな表現に成功した見事なファースト・シークエンスでした。

 また、ジャン・ジャック・タルベスのカメラと、フランソワ・ド・ルーペのテーマ曲との照応による一体感は、“視覚的リズム”と“音響的リズム”との照応、および一致における定義、すなわち音楽における運動と、映画の画面における造形的な運動との間に、極めて厳密な“一致照応”の関係があることを主張していた旧ソ連の大監督エイゼンシュテインの“トーキーの原理”を思い起こさせます。
 しかも、主役を演ずる俳優は、スターでありながら、実際の軍隊経験を双方持ち合わせたチャールズ・ブロンソンとアラン・ドロンなのです。【参考~『映画の理論』岩崎 昶著、岩波書店(岩波新書)、1956年】

映画の理論 (1956年)

岩崎 昶岩波書店



 これら冒頭のカメラ・音楽・カット割り・俳優は、娯楽性の創出のみならず、リアリズムを追求しながら、実にサスペンスフルであり、観る者の好奇心を強く喚起する効果を上げることに成功しています。
 このタイトルバックの映像テクニックは、半端な熟練ではありません。すべてのドラマ・トゥルギーは、たった数十秒におけるこのシークエンスに集約され、観る者を無意識にスクリーン・フレームに釘付けにしてしまうのです。

 “外人部隊”の傭兵であるプロップと軍医バラン、自尊心の強過ぎる二人の男が主人公です。初めはお互い相手を不愉快に思い、遇うたびにいがみ合い、そして殴り合いのけんかばかりをしていますが、最後には無二の親友となっていきます。

 男というのは、何故か「ちょっと気になる奴」というものを自分の周りに持つことがあります。そして、そいつが気に入らないのです。とにかく癇に障り、常に腹が立ちます。いつもお互いが気になってしまい、とうとう、けんかを始めてしまいます。どうしようもなく腹が立って仕方がないのです。
 しかし、実は二人は「誰にもわかってもらえない誇り、苦しみ、孤独」を持っている者同士であることも直感的にわかっており、けんかをしているうちに、そういうものがお互いには見えてきます。
 そして、いつの間にか
「いつも損ばかりしてやがる馬鹿な奴だ。」と少しずつ実感できてくるのです。
 思いっきり殴り合っていると不思議なことに
「誰にもわかってもらえない馬鹿な奴だが、おれにはわかる。」
と相手のことが理解できてくるのです。

 ここまで来ると、相手に特別の心情をもつに至り、決してそのお互いを裏切らなくなります。仮にもし死の危険に晒されたとしても、絶対にその友情を裏切らなくなるのです。
 チャールズ・ブロンソンのフランツ・プロップも、アラン・ドロンのディノ・バランもお互いが、お互いを「ちょっと気になった」というわけです。
 わたしの大好きな場面に、バランがプロップに、自分にトラウマを残した戦地での経験を話すシーンがあります。閉じこめられた地下の金庫室で、

「あのリボルバーはなぜ弾丸が一つなくなっているんだ?」
ファースト・シークエンスでプロップが示した好奇心から、バランの独白が始まっていくのです。
「やつはあの音楽家と同じモーツァルトという名前だった。やつもおれのように医者だった・・・やつとおれはいつも一緒だった。試験も一緒にパスした。女の子をからかうのも、酒を飲むのも、喧嘩するのも一緒だった・・・おまえにはわからないだろうが、なにをやらしても器用な男だったよ・・・とくに、ばかげたことにはな・・・初め、おれはやつのことを他の連中みたいにろくでなしだと思っていたが、本当はりっぱなやつだった・・・それで、最後には、おれにとって兄弟・・・いや・兄弟以上のものになったんだ・・・」

 モーツァルトの話をしているうちに、バランの声が変わった。何か心をかき乱される思い出、暗いけれども二つとない真心をこめて思い出している思い出の中にひたっているようだった。
 プロップは次々に株券の松明を点しながら、バランの話を聞いていた。そして、短くなって持てなくなった松明の火先を次々に床に棄てた。
 今や、二人の男の顔はゆらめく光に照らし出されていた。
 バランが話を続けた。
「・・・アルジェリアで、ある夜、救護班が敵の攻撃を受けた。セティフでな・・・そして、おれは敵とまちがえて、やつを撃ってしまったんだ・・・」
バランは人差し指で額の真中を押えて、いった。
「・・・ここをだ!」
 彼は突然、コンクリートの部屋の真中で身体を起こした。汗にまみれていた。
「一時間後、やつの死骸をヘリコプターで基地に運んだ・・・そして、おかしなことに、その夜のはたらきで、おれは勲章をもらったんだ!・・・」
【引用~『さらば友よ』セバスチャン・ジャプリソ 榊原晃三訳、早川書房(ハヤカワミステリ)、1972年】

さらば友よ (ハヤカワ・ミステリ 1074)

セバスチャン・ジャプリゾ / 早川書房



 戦前の「詩(心理)的レアリスム」の演出家たち、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ジャック・フェデールならシャルル・スパークの脚本で、マルセル・カルネの作品であれば、ジャック・プレヴェールとの演出・脚本の名コンビネーション(カルネ&プレヴェール)で、この独白そのものを題材にして作品を制作していたことでしょう。

 ファム・ファタルに見事にはめられた二人の男、この地下室の絶望的な状況でのバランの苦悩の独白にフランソワ・ド・ルーペのテーマ曲をBGMとして使用していることで、よりドラマティックな構成となっています。
 暴力と殺戮の“外人部隊”での生活を生き抜いてきたプロップに、バランが思わず話してしまう自らの苦悩は、プロップだからこそ理解できるものだったのでしょう。

 男同士の奇妙な友情、これもクラシカルです。『地の果てを行く』、『我等の仲間』(1936年、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、シャルル・スパーク脚本)、『大いなる幻影』、『外人部隊』などの主人公たちは、絶望的な逃亡生活や滅びゆく人間の運命のなかで、行きずりの恋とともに、男が、男らしく生きようとし、男同士の理解し難い友情を守るために、必死に何かと闘う姿が描かれていました。

 『さらば友よ』のあの有名なラスト・シークエンス。
 別件の軽犯罪で逮捕されることになったプロップと、本件の重要参考人としての嫌疑が晴れたバランは、固い友情で結ばれ約束通りに赤の他人を最後まで装います。
 連行する刑事から煙草をもぎ取り、火を探すプロップ、バランの横を通り過ぎようとしたそのとき、黙ってマッチを擦るバラン、がっちりと彼の手を覆って火を付けるプロップ、しかし二人は決して視線を合わさないのです。

 女は、バランが誤って殺してしまった親友モーツァルトの恋人。親友への義理立てのために、女の依頼に一肌脱ごうとするバラン。その内容は、彼女が勤務先の会社から盗み出していた株券を、誰にも見つからずに、職員の賞与2億フランが入っている金庫へ戻すことでした。しかし、苦労してやっと開くことができた金庫はもぬけの殻で、しかも同地階の一室には、警備員の死体まで遺棄されていたのです。
 オルガ・ジョルジュ・ピコとブリジット・フォッセーのファム・ファタルに、はめられてしまった事件の顛末は、過去の運命に敗北する絶望的なドラマであったクラシック、「詩(心理)的レアリスム」の諸作品とは異なり、男同士の友情によって運命に打ち勝つリアルでタフな物語に変貌しています。
 リアリズムの崩壊と批判されていた「フランス映画のある種の傾向」、詩情豊かな「心理的レアリスム」の「良質の伝統」は、新しい「フレンチ・フィルム・ノワール」として、このような形で現代に甦ったのでした。

 考えてみれば、『望郷』や『霧の波止場』での悲劇のラスト・シーンで使用されていた霧笛が、この作品では冒頭ファースト・シーンの帰港した軍用輸送船のワン・ショットで使用されてます。それは、まるでクラシックから現代への橋渡し、時代の連続性を象徴しているようにも感じ取れます。

 そして、フランスの反戦リアリズム作品の巨匠ルネ・クレマン監督、彼の中期の作品に出演し続けたアラン・ドロン、彼の歴史的傑作である『禁じられた遊び』に主演していたブリジット・フォッセー、このキャスティングに意図的なものを感じるのはわたしだけでしょうか?

【バランはリボルバーをケースの中に戻すと、再び歩き始めた。また、他の兵士たちの波が押し寄せてきて、彼は外人兵(プロップ)と離れてしまった。
 ある冬の朝だった。もう大分前から、アルジェリアでは多くの兵士たちが殺されていた。】
【引用~『さらば友よ』セバスチャン・ジャプリソ 榊原晃三訳、早川書房(ハヤカワミステリ)、1972年】

 この作品が、あらゆる角度から過去の「詩(心理)的レアリスム」や、フランソワ・トリュフォーの批判していた、その“リアリズムの崩壊傾向”を超越させようとしていると、わたしには思えるのです。

 この作品をプロデュースしたセルジュ・シルベルマンの作品には、『賭博師ボブ』(1955年)、『穴』(1960年)、『ドキュメント黒澤明 A・K』(1986年)、『雨の訪問者』(1970年)、『狼は天使の匂い』(1972年)、『ディーバ』(1981年)、『乱』(1985年)、『マックス、モン・アムール』(1986年)などの外に、ルイス・ブニュエル監督作品のプロデュースが最も多く、『欲望のあいまいな対象』(1977年)、『自由の幻想』(1974年)、『ブルジョワジーの密かな愉しみ』(1972年)、『銀河』(1968年)、『小間使の日記』(1963年)などがあります。
 これらの作品から見ても、良識的な作品を商業的なセンスに結びつけることの出来る優れた天才プロデューサーであることがわかります。
 アメリカの二流アクション・スターであったチャールズ・ブロンソンを超一流のハリウッド・スターに返り咲かせることができたことも、このセルジュ・シルベルマンの手腕だったともいえましょう。
【参考~『さらば友よ』DVDライナーノーツ】

賭博師ボブ [DVD]

ジェネオン・ユニバーサル



穴 LE TROU HDマスター [DVD]

IVC,Ltd.(VC)(D)



雨の訪問者 HDリマスター版 [Blu-ray]

Happinet(SB)(D)



狼は天使の匂い [DVD]

紀伊國屋書店 (IMAGICA TV)



ディーバ 製作30周年記念HDリマスター・エディション [DVD]

パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン



マックス、モン・アムール [DVD]

紀伊國屋書店



乱 デジタル・リマスター版 [DVD]

角川映画



ルイス・ブニュエル DVD-BOX 1

紀伊國屋書店



 また『さらば友よ』は娯楽作品として、種々のプロットの隅々にまで、丁寧なエスプリやユーモアが散りばめられています。
 チャールズ・ブロンソンが、グラスのウィスキーの表面張力の限界を賭博にしたコインの賭け、勝ったときの“どんなもんだ”というような「イェー」という得意げな口癖。バランとプロップの友情に嫉妬するメルーティ刑事、バランの親友の「モーツアルト」という名前、ドミニックの「ワーテルロー」というニックネーム、“ワーテルローの戦い”での敗戦年月日が、金庫のダイヤル・ナンバーであること・・・。

 名プロデューサー、セルジュ・シルベルマンの功績はもちろんですが、娯楽映画としての要素とプロットを最大限に取り入れて、クラシック作品からの系譜を踏まえ、アメリカに輸出して各国に逆輸出が可能な映画作品を創り出し、チャールズ・ブロンソンのスターとしてのキャラクターを掘り起こすことにも成功したジャン・エルマン監督の才能にも眼を見張るものがあります。
 彼の残した演出作品が、この作品と『ジェフ』(1969年)、『太陽の200万ドル』(1971年)だけであるということは、あまりにも勿体ない、惜しいと言わざるを得ないのです。

太陽の200万ドル [VHS]

ビデオメーカー


by Tom5k | 2006-10-28 00:17 | さらば友よ | Trackback(5) | Comments(26)
Tracked from 愛すべき映画たち at 2006-12-11 12:47
タイトル : 『さらば友よ』(1968/ジャン・エルマン)
Adieu l'ami(1968/フランス) 【監督】ジャン・エルマン 【音楽】フランソワ・ド・ルーベ 【出演】アラン・ドロン/チャールズ・ブロンソン/ブリジット・フォッセー 今回は、「男ならこれを観ろ!」(まだまだ募集中... more
Tracked from 明治大学映画研究会 at 2007-02-12 01:40
タイトル : 自由の幻想/ルイス・ブニュエル
自由の幻想 ¥3,420 ずーっと更新できなかったのですが、 映画だけは観ていたのでざっと更新してみます。 アンダルシアの犬に続くブニュエル二本目です。 これを観て、ブニュエル作品がツボにはまってしまった。不覚。w というか上の写真が下品で申し訳ない... more
Tracked from LE CERCLE RO.. at 2009-05-30 09:47
タイトル : 『さらば友よ』
ジャン・エルマン監督の『さらば友よ』を国内盤DVD(東北新社)にて鑑賞。 『ADIEU L''AMI』(68年) 監督:ジャン・エルマン 脚本:セバスチャン・ジャプリゾ、ジャン・エルマン 撮影:ジャン=ジャック・タルベ 音楽:フランソワ・ド・ルーベ 出演:アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン、ブリジット・フォッセー、オルガ・ジョルジュ=ピコ、ベルナール・フレッソン 再見。 通して観るのは今回で4回目くらいでしょうか。 久々に観ましたが、なんとなく、これまで以上に楽しめました気がし...... more
Tracked from ジュリアン サントラがい.. at 2009-06-01 18:34
タイトル : なりきりブロンソン… 『さらば友よ』
 C・ブロンソンの ”イエィ〜”って声と船の汽笛・車のクラクション音が、かぶさってタイトル 『さらば友よ』 ぎりぎりまで酒を注がれたグラスにコインを何枚入れられるか ブロンソンがこの映画でやってたゲーム 観る度に真似してテーブルをビチョビチョにしたな 毎年年末が近づくと金曜日の『ゴールデン洋画劇場』でこの映画放映されてたような気がする なんでやろ?クリスマス休暇中の話やからかな? そんなこんなで1年1回は観てた記憶が… 誰もいない病院、女に頼まれて金庫の鍵を破る、アラン・ドロンにつきまとう神出鬼...... more
Tracked from プロフェッサー・オカピー.. at 2010-09-12 01:04
タイトル : 映画評「さらば友よ」
☆☆☆☆(8点/10点満点中) 1968年フランス映画 監督ジャン・エルマン ネタバレあり... more
Commented by Astay at 2006-10-31 22:52 x
トムさん
『さらば友よ』をお書きになったんですね~
この作品も結構(いや、かなり)好きです!
主役の2人は言うこと無し、肉体美も眩しいくらい輝いて
"鍛えられた肉体は披露すべき"のお手本のような素晴らしさです
それに刑事役のフレッソンさんも良かった!
フレッソンさんって刑事の役がお似合いですよね

ブロンソンも妙に可愛いんですよね、憎めないって感じが致します
ブロンソン作品の中では『さらば友よ』が一番好きです

実は、最近偶然にも2日続けて鑑賞したんですよ(英語版と仏語版)
トムさんの記事がUPする前だったので自分なりの解釈で観たのですが
やはりこの様に詳しく書いていただくと印象も違ってきますね
で、私も大変遅ればせながら『ハヤカワミステリ・さらば友よ』を注文してみました
Amazonさんにあったので・・・到着楽しみです
Commented by Tom5k at 2006-11-03 02:25
>Astayさん
本当にメルーティ刑事のベルナール・フレッソンは良かったですね。
特に、バランとプロップが羨ましくてしようがない、という苛立ちが良かった。
>ブロンソン作品の中では『さらば友よ』が一番好きです
おっしゃるとおり、わたしも、この作品と『レッド・サン』が最も好きです。彼は、アラン・ドロンとのコンビネーションで最大限の魅力を引き出されたタイプの人だと思います。
『ハヤカワ・ミステリ』楽しみですね。読んだら感想を聞かせてください。
では、また。
Commented by Astay at 2006-11-06 23:46 x
トムさん、『ハヤカワ・ミステリ』読み終わりましたが
あの有名な台詞「イエ~ィ!」は「どんなもんでえ!」と訳されてましたね
ちょっと雰囲気違うような気も致しますが・・・
あとは、はしがきにも書かれてます様に映画と全く同じ内容かと思います
特にワーテルローの家でバランがワーテルローを抱きかかえ歩く場面で
縫いぐるみを蹴飛ばすのですが
あそこもちゃんと書かれてましたね(何故かあのシーンが好きです!)

でも、最後の4行(181ページ)
これはどの様に理解すれば良いのでしょうか?苦しみます(笑)
Commented by Tom5k at 2006-11-07 23:08
>Astayさん
「どんなもんでえ!」は、なんか可笑しかったですね。確かに、大分雰囲気が違いました。

>縫いぐるみを蹴飛ばす・・・
熊さんの縫いぐるみですね!必死のバランを相手に、大人になる場面の比喩なのでしょうか?

>最後の4行(181ページ)
この二人は、また懲りずに強盗に入ったのでしょうか。原作のジャプリゾは、やはり彼の原作や脚本の「狼は天使の匂い 」「シンデレラの罠」「O嬢の物語」「雨の訪問者」に出ていたジャン・ガヴァン(ジャン・ギャバンではないと思われます)のために書いたと冒頭にありますが、意味はよくわかりませんね。すみません。
では、また。
Commented by Astay at 2006-11-08 00:43 x
トムさん、どうもです
やはり最後の4行は余計な付け足しのような気も致しますね
もし、映画でもその場面を挿入していたら台無しになっていたような・・・・
『さらば友よ』はドロン氏の叫び声とド・ルーベさんの軽快なテーマソングが再び流れて締めくくる!これでOKかと思います
あ、またマニアと言われてしまいそうですが
サントラも買ってみました『さらば友よ』から3曲、『悪魔のようなあなた』から3曲入ってます

冒頭に「親友である若手俳優ジャン・ギャヴァンのためにかかれたものである」と確かに記されてますが
あの、Jean Gabin氏ではないのですね・・・了解しました!
Commented by Tom5k at 2006-11-08 22:52
>Astayさん
ラストシーンは、わたしも同意見でございます。
おお!サントラを・・・。素敵ですねえ。わたしも購入しようかなあ。かくいうわたくしも最近ミーナの「太陽はひとりぼっち」を購入しました。コレット・テンピアのは、持っていたんですが、こちらはやっと手に入れました。

ジャン・ガヴァンの件は、あくまで推測でございます。訳した榊原先生もご存知だったのでしょうか?少し疑問です。
では、また。
Commented by Astay at 2006-11-09 01:54 x
トムさん、サントラ盤を紹介しているサイトです
http://www.snake.ne.jp/~ost/DEROUBAIX.php
どこかで買えると良いですね
あ、またまた遅ればせながらトムさんに大刺激を受けて読書中です
『ロミー・シュナイダー事件』、読み終わったらまたお知らせ致します
Commented by Tom5k at 2006-11-09 23:18
>Astayさん、素敵なサイトのご紹介ありがとう。
欲しいCDばっかでした。ドロン作品の主題曲でAstayさんが最も好きなのは?(全部好きだと思うけれど)
わたしは「太陽がいっぱい」「若者のすべて」「太陽はひとりぼっち」「山猫」「冒険者たち」「危険がいっぱい(ジミー・スミス版)」「さらば友よ」「リスボン特急」「ル・ジタン」「チェイサー」小林亜星のダーバンの各種CMテーマ曲などです。

>読書中です 『ロミー・シュナイダー事件』・・・
とのことですが、ホントにAstayさんの向上心に脱帽。
是非、感想を聞かせてね。
わたしはといえば、今やっと、ルイ・ノゲイラ著の「サムライ」を購入しました。
どうも、わたしは、むかしからコレクションにこだわりが無く、大切なものを衝動的に古本屋に出したりして処分するクセがあり、後で後悔したりするんです。アンリ・ロード著「アラン・ドロン 華麗なる野望」なんか、何度かの引っ越しで無くしてしまっているんですよ。もったいないでしょ。
では、また。
Commented by Astay at 2006-11-10 01:30 x
そんなに音楽詳しくないのですよ
でも、ベスト3なら『ボルサリーノ』『さらば友よ』『ビッグ・ガン』です
あと、『生きる歓び』『帰らざる夜明け』もかなり好きですね

『ロミー・シュナイダー事件』は図書館にあったので借りてきたのです
マイケル・J・フォックスの『ラッキーマン』も並行して読んでます
今頃こんなに読書するなんて遅すぎますね、ホント
最近は推理小説しか読んでなかったのに・・・・
お買い求めになった『サムライ』まだ買ってません、欲しい!
メルヴィル監督も興味あるので必ず近い内に買います
紛失(?)された『華麗なる野望』って今スゴイ高値が付いてますよね、勿体無~い

あ、"さむらいトム"さんサイトにお邪魔させていただきました<(_ _)>
Commented by micchii at 2006-12-11 13:07 x
お許しくださいなどとんでもありません、今回もTB&コメントありがとうございました。
先日の『シシリアン』の際に、『さらば友よ』のエントリーも拝見させていただいていました。
確かに、アラン・ドロンは自分自身より周りを輝かせてしまうところがあるかもしれませんね。
特に『さらば友よ』は、自分のかっこよさを際立たせるためにブロンソンを選んだらブロンソンの方が目立ってしまったという、なんとも皮肉ですね・・・。
『サムライ』はまだ観てないんですよ・・・。“男ならコレを観ろ!”にも2票入ってますし(1票はにじばぶさん)、凄く楽しみにしてるんですが。
エントリーは鑑賞後にじっくり読ませていただきますね。
そういえば、アラン・ドロンといえば、自分が一番好きな香港のジョニー・トーという監督と組んで(ドロンのご指名のようです)、来年香港で映画を撮るんですよ。
もしジョニー・トーをご存じなければ、ノワールの大傑作『ザ・ミッション/非情の掟』、ぜひご覧になってみて下さい。
Commented by Tom5k at 2006-12-11 20:33
>micchiiさん
『サムライ』は、観る価値の高い作品です。さすが、にじぱぶさんです。ドロン&メルヴィル作品では、最近では『仁義』の評価が高いようですが、わたしは『サムライ』の方が好きです。
おお!ドロン作品の最新情報ありがとうございます。ジョニー・トーは存じておりませんでした。日本公開となれば良いんですが・・・。やはり、ドロンはノワールなんでしょうね。
では、また。
Commented by micchii at 2006-12-21 13:31 x
こんにちは。
最新のエントリーで、アラン・ドロン×ジョニー・トーの新作について少し書きましたので、お知らせに参りました。
ジョニー・トー監督は、先日書いた『ザ・ミッション/非情の掟』と、あと『ヒーロー・ネバー・ダイ』『暗戦 デッドエンド』が三大傑作と言われていますが、アラン・ドロンは『ヒーロー・ネバー・ダイ』がお気に入りのようです。
自分もジョニー・トー作品の中では『ヒーロー・ネバー・ダイ』が一番好きなので、自分の中のアラン・ドロン株が急上昇いたしました。
Commented by Tom5k at 2006-12-21 21:50
>micchiiさん、いらっしゃい。
またまた、貴重な情報ありがとうございます。
>アラン・ドロンは『ヒーロー・ネバー・ダイ』一番好きなので・・・
ほっ、ほんとうですか?!
わたしは、ジョニー・トーというひとは、どんなひとなのか、ぜんぜん知らないのでmicchiiさんのところで、勉強させていただかねば・・・。
このひとの作品はレンタル屋さんにあるのでしょうか?
また、情報お寄せくださいね。ほんとに、わたしは「ヌーヴェル・ヴァーグ」が新しいと感じているほど、古い作品しか知らないものですから・・・アハハハ
では、また。
Commented by micchii at 2006-12-25 12:49 x
“最高傑作”は『ザ・ミッション/非情の掟』で誰も異論はないでしょうが、“一番好きな作品”として『ヒーロー・ネバー・ダイ』を挙げる人は、自分を含めて結構いると思います。
大都会の大型店に行けばもっとあるでしょうが、自分がいつも行くTSUTAYAでも10本強は借りれますよ。
『ザ・ミッション/非情の掟』のあるシーンの銃撃戦は、映画史の一つの到達点ではないかと。ハリウッドの全アクション映画が束になってもかなわない大傑作だと思います。
何より、上映時間81分、この短さがいいです。無駄なシーンだらけに見えて、無駄なシーンは一つもないです。
でも、くどいですが、“好き度”では『ヒーロー・ネバー・ダイ』の方が上です。
Commented by micchii at 2006-12-25 13:15 x
すいません、追記です。
以前、皆様に「ジョニー・トーBEST」としてお気に入りのジョニー・トー映画を投稿していただく企画をやったんですよ。
その集計結果のリンクを貼っておきますので、映画を選ぶ時の参考にしていただければと思います。
このランキングの上位にハズレはありません。

http://micchii.blog4.fc2.com/blog-entry-373.html
Commented by Tom5k at 2006-12-25 23:07
>micchiiさん、こんばんは
『ザ・ミッション/非情の掟』の銃撃戦が
>映画史の一つの到達点
おお、それほどまでの作品とは・・・・。わかりました。早速、近所のツタヤに行きましょう。
>上映時間81分
たしかに、「何かある」感じを受けますね。
感想を楽しみにしていてください。
では、また。
Commented by micchii at 2008-09-17 13:56 x
お久しぶりです。
もうご存知かもしれませんが、12月に『さらば友よ』のDVDが再発売になりますね!
Tom5kさんはもうとっくにお持ちでしょうが、自分は買おうと思った時にはもう廃盤でプレミア化していたので、今回の1800円での再発売はほんとにありがたいです。
これであのラストシーンがいつでも観れると思うと、もう嬉しくてたまりません。
Commented by Tom5k at 2008-09-17 21:55
>おおっ!micchiiさん、こんばんは。
情報ありがとうございます。うれしいニュースですね。
ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン・・・ということは、もしかしたら『シシリアン』と同様に、ハリウッド版かなあ???
だとすると以前の東北新社のフランス版と微妙に異なるかもしれませんし、廃盤のプレミアは維持されるかもしれません。
でも、内容はほとんど変わりないですし、『シシリアン』より雰囲気も損なわれていないですよ。いずれにしても非常にうれしいニュースです。
では、また。
Commented by マサヤ at 2009-05-30 09:53 x
トムさん、ご無沙汰しております。
ようやくこの作品の関連記事を書きましたのでTBさせていただきます。
いつも通り私のは簡単な感想文ですが…
よろしくお願いします。

改めて見直してみて、冒頭シーンの素晴らしさを再認識しました。
このシーンを文章で表現できるトムさんは凄いです。
Commented by Tom5k at 2009-05-31 00:40
>おおっ!マサヤさん、ようこそ。こちらこそご無沙汰していて、すみませんでした。
>冒頭シーンの素晴らしさ
おっしゃるとおり、素晴らしいですよね。あんまり好きなので、ここだけ何度も繰り返し観ていた時期もありました。
それと、地下室でのバランの独白の場面も大好きなんですが、ハリウッド版にはテーマ音楽は使われていないようですね。わたしはフランス版の音楽があるほうが素晴らしいと感じています。
それにしても、このような素晴らしい作品を、リアル・タイムで映画館で観ていた当時のドロン・ファンやブロンソン・ファンは本当に羨ましいです。
では、また。
Commented by マサヤ at 2009-05-31 01:36 x
トムさん
拙記事にTBいただきましてありがとうございます。
私も地下室でのバランの独白の場面が好きです。

>ハリウッド版にはテーマ音楽は使われていないようですね

情報ありがとうございます。
正直言いまして、今回この作品を観ていて、突然鳴り出すあのテーマに違和感も感じました。
でも、もしなかったら…と思うと、やはりあった方が良かったのでは?という思いもあります。
微妙なところですが…。
Commented by Tom5k at 2009-05-31 12:47
>マサヤさん、こんにちは。
>突然鳴り出すあのテーマに違和感・・・
おおっ、そうですか!わたしは、あの音楽とバランの独白が照応していて、聞き手のプロップと観客が一体となり、バランに感情移入できる印象だったのですが・・・。
アメリカ版は、淡々としていて、新しくてリアルな雰囲気ではあったと思います。
どちらが本当のオリジナルなのでしょうね?
では、これからマサヤさんの記事にお邪魔します。
Commented by ジュリアン at 2009-06-01 18:34 x
トムさん お久です
ハリウッド版にはテーマ音楽は使われていないんですか!
サントラ大好き35年のワタシにとってはコレは許せないですね
この作品は確かゴールデン洋画劇場で毎年(年末近く)放映していたような記憶があるんですが 鑑賞するたびこのテーマのサントラが欲しくて欲しくてレコード屋巡りをしていましたが入手できず TVから冒頭のテーマを録音して聴きまくってましたね。
Commented by Tom5k at 2009-06-02 00:46
>ジュリアンさん、ようこそ!
>ハリウッド版にはテーマ音楽は使われていない
すみません、説明不足だったかもしません。
え~っと、地下室に閉じこめられたときのバランの独白のシーンでのところで、流れないということです。
このテーマ曲は、わたしはサントラではないものを聞いていましたが、音楽単独で聞いても、わたしの場合は、さほど印象的ではなかったんです(サントラじゃなかったからかな?)。しかし、映像と一体化したときに素晴らしい効果を上げているように感じますよ。
あの二人、特にプロップくんのイメージにぴったりだ。なんだかワクワクしてきますし、荒っぽいのに美しいんです。
本当にいいですねえ。
では、また。
Commented by オカピー at 2010-09-12 01:13 x
こんばんは。
簡単ですが、やっと書きました。まだまだ重要なドロン作品が残っていますなあ。

フランス映画の友情を扱った映画の系譜と言えば、デュヴィヴィエの「我等の仲間」という秀作がありますねえ。
友情が壊されてしまう悲劇に終るという違いはありますが、今思うと「冒険者たち」的な展開だったのかなあ。

おっと「さらば友よ」でしたね。
♪さらばさらばさらばと~もよ~
は森進一ですが、ドロン研究の第一人者トムさんに質問!
今回NHK-BSで観たのは英語版なんですが、口の動きが英語の台詞に完全に合っています。それはどうしてなんでしょうか?
以前「シシリアン」でも同じような印象を受けました。
Commented by Tom5k at 2010-09-12 10:35
>オカピーさん、おはようございます。
>フランス友情もの。
これってハリウッドものなんかでも、レッドフォードやシドニー・ポワチエなんか・・・やっぱ商業的な意味でも二大スター競演なんて当たりますしね。
わたしとしては、この作品、「危険がいっぱい」の姉妹と、このイザベルとドミニクがだぶるんですよね。今回はブロンソンとドロンのハードボイルド度が高すぎて、悪女たちの付入るスキがなかったですよね。
>口の動きが英語の台詞に完全に合っています・・・
わたしも詳しく知らないのですが、これって、アメリカ版とフランス版2本、撮っているようですよ。制作段階から、世界配給が前提だったんじゃないかな。
セルジュ・シルベルマンの手腕でしょうね。「シシリアン」は20世紀フォックスですから。だから、それぞれ見比べると微妙に演技や表情、カメラの位置、背景など異なるショットもあるようです。わたしの見間違いでなければ、この作品でもファースト・シーンのドロン登場のショットもハリウッド版はドロンの髪の毛がちょっと乱れています(台詞のシーンだけ二種撮れば、あとは使いまわせると思うんですがね。)。
では、そちらにお邪魔します。
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