『ボルサリーノ』②~「詩(心理)的レアリスム」の伝統をジャン・ポールとともに①~

 アラン・ドロンにとっては、盟友、そしてライバル、長期間にわたって敵対関係でもあったジャン・ポール・ベルモンド。彼らは、ほぼ同世代、同時期のデビューであるとともに、双方とも国際的な超人気スター俳優であったことなど、多くの共通点がありますが、個性においては全く異なる者同志でもあります。
 ジャン・ポール・ベルモンドは、デビュー当時から、この『ボルサリーノ』でのアラン・ドロンとの共演までの間に数多くの「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品に出演してきました。
 ジャン・リュック・ゴダール監督の『シャルロットと彼女のジュール』(1957年)、『勝手にしやがれ』(1959年)、『女は女である』(1961年)、『気狂いピエロ』(1965年)、クロード・シャブロル監督の『二重の鍵』(1959年)、ルイ・マル監督の『パリの大泥棒』(1967年)、フランソワ・トリュフォー監督の『暗くなるまでこの恋を』(1969年)、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の『いぬ』(1963年)等々。
勝手にしやがれ デジタル・ニューマスター版
/ ハピネット・ピクチャーズ





女は女である
/ ハピネット・ピクチャーズ





気狂いピエロ
/ アミューズソフトエンタテインメント





二重の鍵
/ ジェネオン エンタテインメント





パリの大泥棒
/ 紀伊國屋書店





暗くなるまでこの恋を
/ 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン





いぬ
/ アイ・ヴィー・シー





 アラン・ドロンがイタリアでの「ネオ・リアリズモ」や自国フランスの「詩(心理)的レアリスム」などの旧時代の体系の作品を中心に出演してきたこととは対照的に、彼は新時代の「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品でスター俳優としての位置を確立しました。

 ところが、驚くことに、1965年に出演したジャン・リュック・ゴダール監督との代表作品である『気狂いピエロ』の出演後、ジャン・ポール・ベルモンドは「二度とゴダールとは仕事をしない」と宣言してしまったのだそうです。更に、ジャン・リュック・ゴダール監督もまた、1970年に「商業主義の映画を嫌う」と表明し、最も使いたくない俳優のひとりとしてジャン・ポール・ベルモンドを挙げたと言います。残念なことに彼らの信頼関係はここで破綻することになってしまったようです。

 このような観点で考えると、わたしは、彼が1966年にルネ・クレマン監督のオールスターキャストのドキュメンタリー作品『パリは燃えているか』に出演したことが思い浮かんできました。
 ルネ・クレマン監督は、作品のシナリオにジャン・オーランシュとピエール・ボストのコンビを多用していた演出家であり、はっきりと「ヌーヴェル・ヴァーグ」傾向の演出家とは異なる映画作家と言えるのです。
 それどころか「ヌーヴェル・ヴァーグ」の演出家が、徹底的に批判した脚本家コンビを使用していたことが理由で、『居酒屋』や『禁じられた遊び』に対する評価がフランス国内では賛否両論の評価を持つ結果となってしまい、現在でもそれは払拭されていません。
禁じられた遊び/居酒屋
/ アイ・ヴィー・シー





 また、ジャン・ポール・ベルモンドはフランス人の大好きなコメディ・アクションの作品で多数の傑作に出演し、純粋な娯楽・商業映画としての主演も非常に多い俳優です。このことはジャン・リュック・ゴダール監督の“商業映画作品の否定”の考え方とも相容れなく拡がってしまったようです。
 ジャン・リュック・ゴダール監督は、彼のこれらの実績である“ジャン・ポール・ベルモンドの長所”とも言える多面性と器用さを、無節操であると解釈したのかもしれません。

 また、わたしは、アラン・ドロンが本当の意味で敵対意識を持っていたのは、スターとしてのライバルであったジャン・ポール・ベルモンドではなく、実は自分の師匠たちを、批判し攻撃していたジャン・リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーなどのカイエ派の評論家、映画作家たちだったのではないかと考えることがあります。そうでなければ、この『ボルサリーノ』での自分の共演者として、ジャン・ポール・ベルモンドに出演交渉をするはずがありません。
(※残念ながら映画撮影後日、プライドの高すぎた二人は決裂してしまい、何カ年もの間、友好を深めることが出来なくなってしまいましたが・・・。)

 この作品を誕生させた4年前の1966年、『パリは燃えているか』で、両者が顔を合わせたこともあり、彼が『いぬ』(1963年)でのシリアスな「フレンチ・フィルム・ノワール」作品や『タヒチの男』(1966年)、『大頭脳』(1968年)などのコメディ・アクション作品への出演経験を持ち、シリアスな内容と明るい喜劇的な要素が盛り込まれた『ボルサリーノ』の主人公フランソワに最も適した俳優でありました。この作品での彼らの共演の最大の成果は、アラン・ドロンが演じたもう一人の主人公でクールで冷静なロックと好対照をなす名コンビを誕生させることができたことでしょう。
 まして、彼が人気やギャラの点では自分よりも上位に位置していた当時において、自分と共演すれば、世界的なヒット作品になることは間違いないとの確信に至り、この企画・共演に賛同を得られるはずだと考えたような気もするのです。
大頭脳
/ ビクターエンタテインメント/CIC・ビクタービデオ





 名プロデューサーともいえるアラン・ドロンの才覚において、「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品への対抗戦略として、前述したジャン・ポール・ベルモンドとジャン・リュック・ゴダール監督との確執がこの時期にあったことを利用した、極端に言えば“ジャン・ポール・ベルモンドの「ヌーヴェル・ヴァーグ」からの引き抜き戦術”の側面もあったのかもしれません。
 この作品は「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品の要素が欠片ほどにも見当たらず、むしろ「詩(心理)的レアリスム」作品としての要素が特徴付けられていることが、それを証明しています。

 例えば、「詩(心理)的レアリスム」作品としての特徴に挙げられるシナリオ重視の要素、脚本家の選定において、それが非常に目立っています。
 まず、1930年代のトーキー映画の初期、ルネ・クレール監督の作品から始まっていった「詩(心理)的レアリスム」の時代よりも前の1920年代、クロード・オータン・ララ、ルネ・クレール、ジャン・グレミヨンたちとともに「アヴァンギャルド」の作品で映画の詩学を目指していたルイス・ブニュエル監督の『小間使の日記』、『昼顔』、『銀河』で、脚本を担当していたジャン・クロード・カリエールを起用していること。彼は「ドイツ・ニュージャーマン・シネマ」の旗手フォルカー・シュレンドルフ監督の『ブリキの太鼓』、『スワンの恋』、『魔王』など、文芸作品の多くを手がけています。しかも、「ヌーヴェル・ヴァーグ」系統のルイ・マル監督の『パリの大泥棒』、『ビバ!マリア』のシナリオまで担当しており、実に器用で多彩なライターです。
小間使の日記
/ ビデオメーカー





昼顔
/ バンダイビジュアル





銀河
/ ビデオメーカー





ビバ、マリア
/ 紀伊國屋書店





ブリキの太鼓
/ ハピネット・ピクチャーズ





魔王
/ 日活






 更に、フランスで最も権威ある文学賞のひとつであるゴンクール賞『神のあわれみ』の著者である文学者ジャン・コー、マルセル・オフュルス監督の『バナナの皮』やジョゼ・ジョヴァンニ監督の『皆殺しのシンフォニー』、『墓場なき野郎ども』やアラン・カヴァリエ監督などの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の多くを手がけた、演出家でもあるクロード・ソーテをシナリオの担当に加えました。
墓場なき野郎ども





 ジャック・フェデール監督(マルセル・カルネ助監督)の『外人部隊』(1933年)やジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『我等の仲間』(1936年)の脚本シャルル・スパーク(『女が事件にからむ時』)
 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『望郷』(1937年)の脚本アンリ・ジャンソン(『フランス式十戒』、『黒いチューリップ』)
 マルセル・カルネ監督の『霧の波止場』(1938年)の脚本ジャック・プレヴェール(『素晴らしき恋人たち』)
たちの描いた古き良き時代のシナリオを重視したクラシック作品として、「詩(心理)的レアリスム」を再生・復活させるねらいがあったことは明らかだと思います。
 これらは「詩(心理)的レアリスム」の戦後第2世代であるクロード・オータン・ララ監督やジャン・ドラノワ監督、そしてクリスチャン・ジャック監督、ルネ・クレマン監督等々、ジャン・オーランシュとピエール・ボストの脚本家コンビ(『学生たちの道』)に引き継がれていきますが、『ボルサリーノ』のシナリオ担当者の選定には、このような過去の「詩(心理)的レアリスム」の文学的特徴と、そのなかでも特にノワール的色調を持ったこれらの作品群をモデルにしたのではないかと思うのです。
※注~(  )内はアラン・ドロン出演作品

 ジャック・ドレー監督の演出と、ジャン・クロード・カリエール、ジャン・コー、クロード・ソーテの脚本には、古き良きフランス映画の良質の伝統が感じられます。そして、その伝統的な凝ったセリフやキザな言い回しは、アラン・ドロン演ずるロック・シフレディとジャン・ポール・ベルモンド演ずるフランソワ・カペラの別れのラストシーンに集約されています。

 フランソワは、マルセイユを出てニースに行くことをロックに告げます。しかし、ロックはそれを納得できません。
 二人の寂寞の感情がスクリーン全面から痛いほどよく伝わってきます。

>ロック
なぜ、行く
>フランソワ
俺たちのためだ
>ロック
わからん
>フランソワ
簡単さ 俺たちはボレロを殺し“ダンサー”とマレロも殺した とめどがない、いつかは俺たちも殺し合いになる だからだ、そうなれば、俺が先に手を出す 他に道はない 分かるだろ
>ロック
もし俺が出ると言ったら?
>フランソワ
君が
>ロック
今行く
>フランソワ
コインだ、負けた方が行く、いいな?
>ロック
よし
>フランソワ
どっちだ
>ロック


 コインを投げて出たのは表でした。

>フランソワ
俺の負けだ

 ロックはコインを奪い、両方とも表であることを見破ります。

>フランソワ
知ってたか
>ロック
インチキをな、だが今日は見逃せん
>フランソワ
元気でな、つきが消えたよ

 ロックを置いて外に歩いていくフランソワ、淋しそうなロックの表情をクローズアップで映しだします。
 そのときでした。ロックとの決別を決意し外に出ていたフランソワに銃撃が襲いかかったのです。
 驚いてフランソワに駆け寄り、彼を抱え上げるロック。

>フランソワ
ロック、つきが・・・消えちまった

フランソワはこう言い残して死んでいきます。

=その後、ロックがどうなったか誰もしらない=


 ロックがフランソワを抱きかかえ、途方に暮れるラストシーンのストップ・ショットに挿入されるこのテロップから、「詩(心理)的レアリスム」諸作品の“シナリオを優先した文学性”と同一の傾向を感じるのはわたしだけでしょうか?


 助演している女優もまた、旧世代の作品を想起させる大きな要素です。特にカトリーヌ・ルーヴェル演ずるローラが、この作品の素晴らしさを更に高めています。1930年代のマルセイユの夜の酒場で生きる女性らしい優しさと強さを、その時代的雰囲気をもって演じていました。
 その女性らしい優しさは、フランソワのジネットに対する浮気心を、すべて許すことのできる包容力に現れていました。

>忘れられない? ジネットと本気で所帯を?

と優しくフランソワを優しく慰める天使のようなローラ。

 そのキャラクターには、かつてカイエ派のフランソワ・トリュフォーが、フランス映画の良質の伝統として、最も忌むべき系譜であると糾弾していったジャック・フェデール監督&脚本家シャルル・スパークのコンビで撮った『外人部隊』や『ミモザ館』、マルセル・カルネ監督&脚本家ジャック・プレヴェールの『ジェニーの家』などでのフランソワーズ・ロゼーを思い出すことでしょう。
外人部隊






ミモザ館
/ ビクターエンタテインメント





 そして、ジネットを演じたナタリー・ドロンにそっくりなニコール・カルファンも「詩(心理)的レアリスム」の諸作品での悲劇の女性たちに極めて近いキャラクターです。マルセル・カルネ監督の『霧の波止場』のミッシェル・モルガンやジャン・ギャバンが最も可愛いがっていたマルチーヌ・キャロルや、マリー・ベル、ダニエル・ダリュー、ディタ・パーロ、ミレーユ・バラン等々。

 コリンヌ・マルシャン演ずるリナルディ夫人やフランソワーズ・クリストフ演ずるエスカルゲル夫人も同様に、古き良き時代の気っ風のいい女たちでした。

 彼女たちは決して、ジーン・セバーグ、ブリジット・バルドー、カトリーヌ・ドヌーブ、アンナ・カリーナ以降の女優ではないのです。それは戦前のフランス映画黄金期からタイム・スリップして来たクラシック・キャラクターそのものだったのではないでしょうか?

 カットごとに変わるロックとフランソワのコートやスーツ、仲間達との海水浴での水着姿、映画のタイトルにもなっている「ボルサリーノ」の帽子(これは19世紀からの歴史を持つイタリアのミラノ郊外の帽子メーカーであるボルサリーノ社の社名です。題名に相応しく、あらゆるシーンでこれが登場します)。“ダンサー”のミュージック・ホール、そこでのレビューでの踊り子達にも30年代の雰囲気が満開です。出演者達のレトロ・ファッションを担当したのは『バーバレラ』、『世にも怪奇な物語(第一話「黒馬の哭く館」)』のジャック・フォントレーでした。
バーバレラ
/ パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン






 作品の時代背景は、アラン・ドロンが最も尊敬するジャン・ギャバンの活躍していたフランス映画全盛時代の1930年代です。
 この作品は、二つの世界大戦に挟まれたつかの間の平和な時代、人々の生活が技術革新により、華やかに変化し庶民の娯楽や文化も現代風に変化していった、新時代の港町マルセイユを舞台にした「フレンチ・フィルム・ノワール」として描かれているのです。
 『霧の波止場』(1938年)、『曳き船』(1940年)、『夜霧の港』(1942年)、『港のマリー』(1949年)など、ジャン・ギャバン主演のフランス映画作品の舞台には、港町での人々の生活を、「陰の人生」としてのノワール的色調によって、美しく描いている作品が多数あります。
 この『ボルサリーノ』作品中でも、ロックとフランソワの顧問弁護士リナルディの選挙の後、二人が丘から見るマルセイユ港の美しさには目を見はるものがありました。
曳き船【字幕版】





港のマリー
/ パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン





 1968年、アラン・ドロンは、自ら世紀の大スキャンダルの渦中にいたマルコヴィッチ殺害事件に開き直り、主人公が完全犯罪を遂行するストーリーで『太陽が知っている』を制作し、強烈な印象を残しました。俳優生命を絶たれるかもしれなかったこの時代に、最も自分を理解してくれたジャック・ドレー監督と脚本家のジャン・クロード・カリエール。彼らの協力があってこそ、この作品を完成させることができたとまで言っても言い過ぎではないと思います。
 彼らが、この『ボルサリーノ』という野心作においても、アデル・プロダクションの意図する作風に同調し、スタッフとして作品制作に携わっていったことは、アラン・ドロンをどれだけ勇気づけ、この後の人気スターと名優、そして名プロデューサーとしての生き方に大きな影響を与えていったことでしょう。二人は、以後もアデル・プロダクションの作品の多くに携わっていくことになるのです。

 古き良き時代のダンディズムを貫きながらも、運命に抗うことが出来ずに挫折する二人の若いギャングたち、出口のないヤクザの世界を舞台としながらも良き仲間達に囲まれて生きることの出来た1930年代、クロ-ド・ボランのクラシック、美術・衣裳の時代的風俗。

 『ボルサリーノ』公開当時、フランス映画のオールド・ファンたちには、ルネ・クレール、ジャック・フェデール、ジュリアン・デュヴィヴィエ、マルセル・カルネたちの演出を、今、目の当たりにしているような美しくポエジックな、そして懐かしい現実感に陶酔することが出来たのではないでしょうか?
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by Tom5k | 2006-08-25 00:37 | ボルサリーノ(2)