『シシリアン』②~「フレンチ・フィルム・ノワール」の作家ジョゼ・ジョヴァンニ~

 「スクリーン」誌か、「ロードショー」誌か、さらにその発売年月号も忘れてしまっており、手元にあるのは当時の切り抜きのみですが、そこには、アラン・ドロンの熱烈なファンであった映画評論家の南俊子さんが書いた「ドロン映画のワースト・テン」としての記事が掲載されています。そこでは『ジェフ』と『悪魔のようなあなた』と、この『シシリアン』を「シナリオがまずかったと思うもの」とした短評がコメントされています。

 『シシリアン』のシナリオは、その監督でもあるアンリ・ヴェルヌイユと、『冒険者たち』の原作者およびシナリオの担当者でもあったジョゼ・ジョヴァンニが担当しています。ジョゼ・ジョヴァンニは1970年代後半にアラン・ドロンを主演にした「フレンチ・フィルム・ノワール」の監督として大活躍していきます。
 彼は、監督であったアンリ・ヴェルヌイユ監督が自分の書いたシナリオを大衆受けする目的で大幅に改編したことを後に批判しています。
「オーギュスト・ル・ブルトンの小説による『シシリアン』の脚本は自分でも最高のものだったと信じているのですが、監督のアンリ・ヴェルヌイユが身もふたもなく改変してしまった。わたしはこの映画を製作した20世紀フォックスのヨーロッパ支社の了解をえて抗議したのですが、受け入れられませんでした。ヴェルヌイユは撮影中にも、そうするほうが派手なアクションになるとか見栄えがするとかいって、いろいろとディティールを変えてしまった。」
【『映画とは何か 山田宏一映画インタビュー集 フランスの暗黒映画 ジョゼ・ジョヴァンニ<監督>と語る』山田宏一著、草思社、1988年】
映画とは何か―山田宏一映画インタビュー集
山田 宏一 / 草思社





 確かに、この内容には南俊子さんの短評と一致しており、完成した作品においてもジャック・ベッケル監督やジャン・ピエール・メルヴィル監督の演出作品のように人物描写に力点を置いたテーマではなく、旅客機のハイジャック強盗やジャン・ギャバン、アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラの3大スターのアクション・シークエンスなどを中心とした展開です。
 しかし、アンリ・ヴェルヌイユは、『ヘッドライト』や『地下室のメロディー』などで人間的心情を豊かに表現したフランス映画の伝統的な作風を引き継ぎ、かつリアルなドラマトゥルギーを演出してきた監督です。
ヘッドライト【字幕版】
/ ビデオメーカー





 何故、ジョゼ・ジョヴァンニのシナリオのディティールを大幅に改編したのでしょうか?

 1960年代後半から1970年代に向けてのハリウッド映画は、「アメリカン・ニュー・シネマ」といわれる『俺たちに明日はない』『卒業』『真夜中のカーボーイ』『イージー・ライダー』等の代表作を生みだしていきます。低予算で良質の作品を生み出していったフランス映画の「ヌーヴェル・ヴァーグ」が、ハリウッド作品にまで、その傾向を影響を与えた結果ともいわれています。
俺たちに明日はない
/ ワーナー・ホーム・ビデオ





卒業 デジタルニューマスター版
/ 東北新社





真夜中のカーボーイ
/ 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン





イージー★ライダー コレクターズ・エディション
/ ソニー・ピクチャーズエンタテインメント





 ところが、その逆に『シシリアン』は、練り上げたストーリーと派手なアクション、出演すれば観客動員に直接結びつくスター・システムなど、従来のハリウッドの大作主義をフランスの作品で、どこまで実践できるかを試すべく製作されており、20世紀フォックス社が、世界配給に向けてリリースした作品だったのです。
【参考 「シシリアン オリジナル・サウンドトラック盤」ライナーノーツ】

 アンリ・ヴェルヌイユ監督は、過去のフランス映画からの伝統的傾向とも言える、人物描写を中心にした「フレンチ・フィルム・ノワール」の作風だけでは、この目的を果たせないと判断したのではないでしょうか?わたしは、スタッフ・キャストがすべてフランス人の作品だとはいえ、彼のアメリカ資本の作品制作であることを踏まえたシナリオ改編を、安易に批判することは避けたいと思います。

 いや、それはむしろ、結果として賞賛すべき成果を生み出していることにさえ気付かされました。
【「下記、Commented by オカピー氏 at 2006-07-16 15:11」、及び「プロフェッサー・オカピー別館 映画評「シシリアン」 参照】


 20世紀フォックス社としてのアメリカナイズされた作風のなかで、新旧の「フレンチ・フィルム・ノワール」の3大スターの競演、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のアンリ・ドカエのカメラ、犯罪者としての実体験を持っているジョゼ・ジョヴァンニのシナリオ等々、種々の諸要素を混在させ、ハリウッド映画とフランス映画双方の特徴を総括的に演出したアンリ・ヴェルヌイユは、新しい独特の「フレンチ・フィルム・ノワール」を創り出したといえましょう。


 最愛の孫を残して家族を失ってしまったジャン・ギャバン演ずるヴィットリオが、リノ・ヴァンチュラ演ずるル・ゴフ警部に連行されるラスト・シークエンスでは、フランス映画特有の運命に敗北した主人公の寂寞の心情を表現していた「詩(心理)的レアリスム」の伝統が充分に生かされていた名場面と言えます。

 ハイジャックによる宝石強盗を成功させた後、サルテが身を隠しているニューヨークのホテルでの窓ガラスに映るビルの灯り、その暗い部屋でのアラン・ドロンを映し出す点滅するネオンサインのライティング効果や、ブラインドやタバコの煙などに、1940年代のハリウッドの「フィルム・ノワール」の雰囲気を漂わせています。

 このシークエンスに、『サムライ』でアラン・ドロンが演じた主人公、殺し屋ジェフ・コステロが魅了されてしまった美しい黒人ピアニストのヴァレリー役で共演したカティ・ロジェのポスターを挿入していることも意図的な演出による印象深いシーンとなっています。
 ジャン・ピエール・メルヴィル監督の意図として、『サムライ』での彼女は、主人公ジェフに取り憑いた死の女神の象徴として描かれていたとのことですが、この『シシリアン』でも、このシークエンス以降から主人公サルテに取り憑いて、彼とヴィットリオ一家に避けられない運命的な悲劇を与えているように映ります。

 「ヌーヴェル・ヴァーグ」のカメラマン、アンリ・ドカエの散光フィルターによるソフト・フォーカスでのイリナ・デミック演ずるジャンヌのクローズ・アップは、彼が過去に撮ったルネ・クレマン監督の『危険がいっぱい』でのジェーン・フォンダや、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『悪魔のようなあなた』でのセンタ・バーガーらと同様に、魅惑的で妖艶な美しさを表現しています。
 ハリウッドの「フィルム・ノワール」作品での中産階級の孤独な女性像は、主人公を破滅に導く謎の美しい悪女ファム・ファタルとして描かれますが、この作品では、シチリア出身ではない疎外感を持つジャンヌの孤独を、一匹狼サルテとのセクシュアルな恋愛関係を通じて、ハリウッド作品よりも分かり易く描いています。


 そして、改編されたとは言えジョゼ・ジョヴァンニのシナリオの傾向は、アンリ・ヴェルヌイユ監督の演出によってストーリーに(特にアラン・ドロン演じるサルテのキャラクターのなかに)巧く活かされ、かつジョゼ・ジョヴァンニ特有のヤクザ映画の生々しさも緩和され、洗練された第一級のエンターテインメントとして成立しています。

 アラン・ドロンといえば、ジャン・ピエール・メルヴィル監督での作品である『サムライ』(1967年)、『仁義』(1970年)、『リスボン特急』(1972年)などの印象が強烈なため、孤独でクールな一匹狼、家庭的な雰囲気とは無縁なアウトローのイメージの強い俳優ですが、意外にも彼の作品には、主人公が大切にしている家族の出てくる作品も多いのです。
 『泥棒を消せ』(1964年)、『ビッグ・ガン』(1973年)、『ル・ジタン』(1975)、『ブーメランのように』(1976年)などは、家族愛そのものが中心のテーマですし、『地下室のメロディー』(1962年)、『ボルサリーノ』(1969年)では母親、『スコルピオ』でも主人公ローリエには妹がいます。常に家族思いの優しい息子や兄、父親の役であり、彼が幼いころから家族愛に恵まれなかったことで、人一倍そういう愛情に敏感だったことを反映している傾向かもしれません。

 この『シシリアン』も、例外ではなく、非情な男の世界で生きる犯罪者ではありますが、ダニエル・ヴォル演ずる妹モニクの優しい兄という設定です。警察の監視をかいくぐるために自動車の後部座席に隠れて、生活費の送金の手配のことを伝え、妹に別れを告げる場面も本当に、悲しくせつない気持ちになります。
「外国へ行く。もう帰らん。お前には苦労させた。・・・泣く奴があるか。気苦労のタネが消えるんだ。・・・これで気がすんだ。幸せにな。」
 そして、パリ・オルリー空港での、マナレーゼ一家とル・ゴフ警部の待ち伏せをかいくぐったあとのヴィットリオに電話するシーンでは、
「妹が留置されたら、皆殺しにしてやる。」とヴィットリオに言い放つセリフがあります。妹思いの兄の役を観て、アラン・ドロンの妹になりたいと思った女性ファンも多かったのではないでしょうか?

 ヤクザな兄貴に悲しむ妹、これは「ハード・ボイルド」や「フィルム・ノワール」というより、松竹の山田洋二の『男はつらいよ』シリーズや、大映か東映の「ヤクザ映画」に通じる基本設定です。アラン・ドロンの日本での人気の要因は、こんなところにもあったのではないでしょうか?
男はつらいよ 49巻セット+特典ディスク2枚付
/ 松竹





やくざ絶唱
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 更に印象深いシーンとして、冒頭でのアラン・ドロン演ずる容疑者サルテへの事件調書の確認の場面です。
「工員の父に妹と育てられる。学校に通っていたのは11歳まで、小学校時代の教師によれば「笑みを絶やさぬ人好きのする子」君への唯一の好意的な評だ。逮捕歴は14歳から・・・」
 きっと小学生だった頃のサルテは、この担任の先生のいうように、本当は明るくて良い子だったのでしょう。何故そんな良い子が、凶悪な殺人者になってしまったのでしょうか?アラン・ドロンの演じてきた多くの犯罪者たちは、きっとみんな世間にいじめられてそうなってしまった悲しい人たちばかりなのでしょう。非常に心が痛むシーンです。

 ジョゼ・ジョヴァンニは、小説家としても、シナリオライターとしても、そして演出家としても、社会で虐げられ疎外され、アウトローとして生きざるを得なかった犯罪者たちの悲哀を描き続けた作家であり、シナリオの改編に本人の不満があったにせよ、この『シシリアン』でも、それは一貫した内容として反映されています。
 そして70年代のジョゼ・ジョヴァンニ監督の演出によるアラン・ドロンの個性は、この作品で最初に発現していたようにも感じました。



 ジャック・ベッケル監督の『穴』とクロード・ソーテ監督の『墓場なき野郎ども』の原作・シナリオライターとして、鮮烈なデビューを飾ったジョゼ・ジョヴァンニは、映画監督としても、1960年代になって多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の傑作を生み出していきます。『生き残った者の掟』(1966年)、『墓場なき野郎ども』(1960年)、『ギャング』(1966年)、『オー!』(1968年)、『ラ・スクムーン』(1972年)等々。
 アラン・ドロンとのコンビでは、彼の書いたシナリオ『冒険者たち』と『シシリアン』がヒットしたことから、ジョゼ・ジョヴァンニが『暗黒街のふたり』(1973年)のシナリオを書いて、アラン・ドロンに出演交渉をしたそうです。他にアラン・ドロンの主演作品の監督としては、『ル・ジタン』と『ブーメランのように』があります。
 このように1960年代から1970年代にかけての彼は、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の作家として、大活躍していきました。

 ところで、戦後間もなくのフランスでは、ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラー、W.R.バーネットなどのアメリカ製犯罪小説のブームが起こり、1945年、ガリマール社から「セリ・ノワール(黒のシリーズ)」叢書として発刊されていきました。
 その時期のフランス国内の代表的な作家としてジョルジュ・シムノンの原作が多く映画化されている外、アルベール・シモナン、オーギュスト・ル・ブルトンらが代表格として挙げられます。アルベール・シモナンは、ジャック・ベッケル監督、ジャン・ギャバン主演の『現金に手を出すな』の原作者です。
 オーギュスト・ル・ブルトンの原作・脚本では、ジャン・ギャバンやリノ・ヴァンチュラが出演している『筋金を入れろ』(1954年)、『赤い灯をつけるな』(1957年)、『皆殺しのバラード』(1966年)などや、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちに影響を与えたアンリ・ドカエのカメラによるジャン・ピエール・メルヴィル監督の『賭博師ボブ』(1955年)や、ジュールス・ダッシンがハリウッド・テンの事件で赤狩りを逃れて映画化した『男の争い』(1955年)なども有名な作品です。
 そして、この『シシリアン』もオーギュスト・ル・ブルトンの原作です。
現金に手を出すな
アルベール・シモナン 野口 雄司 / 早川書房





男の争い
オーギュスト・ル ブルトン Auguste le Breton 野口 雄司 / 早川書房






生き残った者の掟
ジョゼ・ジョバンニ 岡村 孝一 / 早川書房






 『生き残った者の掟』の原作のなかでジョゼ・ジョヴァンニは、マニュにエレーヌを紹介する場面に『シシリアン』の原作者である大先輩オーギュスト・ル・ブルトンを登場させ、彼へのオマージュを捧げているのです。

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シシリアン オリジナル・サウンドトラック盤(20世紀フォックス映画「シシリアン」より)音楽:エンニオ・モリコーネ
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by Tom5k | 2006-07-15 22:50 | シシリアン(3)