『友よ静かに死ね』~反「ヌーヴェル・ヴァーグ」のアデル・プロダクション~

 ジャン・リュック・ゴダール監督の『気狂いピエロ』の引用のひとつとして、戦後のフランスに実在した強盗団のボス、ピエール・ルートレルのニックネームの作品名への使用があげられます。

 フランスのセリ・ノワール小説の代表作家であるジョゼ・ジョヴァンニ原作の『気ちがいピエロ』(小説の原題は「Histoire De Fou(気ちがいの物語)」)には、主人公ピエール・ルートレルが、「気ちがいピエロ」のニックネームで登場します。

 この「気ちがいピエロ=ピエール・ルートレル」は、第二次世界大戦後のロスト・ゼネレーションの時代にパリで大暴れしたシトロエン・ギャングと呼ばれていた実在のギャング団のボスです。
 彼は、同じくジョゼ・ジョヴァンニ原作の『おとしまえをつけろ』でも登場人物として描かれています。
気狂いピエロ
/ アミューズソフトエンタテインメント





 また、ジャン・リュック・ゴダール監督の映画作品『気狂いピエロ』の原作については、一般的にはライオネル・ホワイト著の『十一時の悪魔』であると紹介されていますが、種々の引用の多いジャン・リュック・ゴダール監督作品であることから、このピエール・ルートレルのニックネームからの引用であることは間違いないでしょう。

 そして、アラン・ドロン製作・主演の『フリック・スト-リー』の主人公として描かれていたフランス国家警察のロジェ・ボルニッシュ刑事が、1940年代、実際に血道を上げて追っていたギャング団のボスが彼だったのです。
 その実録を綴ったノンフィクション・ノワール(犯罪記録)は、ジョゼ・ジョヴァンニ原作の『気ちがいピエロ』ではなく、この映画作品『友よ静かに死ね』の原作でした。

 話は込み入ってしまいましたが、要するに戦後間もない時代のフランスのギャング団のボス「気狂いピエロ=ピエール・ルートレル」は、ジャン・リュック・ゴダール監督の代表作の作品名に、またアラン・ドロンのアデル・プロダクションで映画化した作品の主人公になったわけです。

 また、そのそれぞれの作品で主演したのがフランスの二大人気スターのジャン・ポール・ベルモンドとアラン・ドロンだったのです。

 なお、『友よ静に死ね』の映画化にあたっては、主人公はピエール・ルートレルではなく、ロベール・ルートレル(気狂いロベール)としています。

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 作風においては、ジャン・リュック・ゴダール監督の『気狂いピエロ』が、1950年代後半から始まった「ヌーヴェル・ヴァーグ」の代表作であることに対して、ドロン&ドレーの『友よ静かに死ね』は、「ヌーヴェル・ヴァーグ」に批判されていったジュリアン・デュヴィヴィエ監督やマルセル・カルネ監督等のフランス映画の良質の伝統「詩(心理)的レアリスム」の傾向を守った作品です。

 水と油ほども作風の全く異なる作品でありながら、主人公の原型は同じだという不思議な因縁を感じるわけですが、これは単なる偶然とは思えず、
 1965年の『気狂いピエロ』制作から10年以上経た1977年、恐らくアラン・ドロンが、ジャン・リュック・ゴダール監督のこの代表作を意識して、『友よ静かに死ね』を製作したようにも思えるのです。


 だからこそ、アラン・ドロンは、前作『フリック・ストーリー』で演じた刑事ロジェ・ボルニッシュ役ではなく、犯人ピエール・ルートレル(ロベール・ルートレル)役を演じたのではないでしょうか?

 「気狂いピエロ」が、身内ともいえるジョゼ・ジョヴァンニ原作のセリ・ノワール小説にも登場する主人公ありながら、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のジャン・リュック・ゴダール監督の作品名となっていたことは、アラン・ドロンにとって割り切れるものではなかったように思うのです?

 いうまでもなく、ジョゼ・ジョヴァンニ監督は、アラン・ドロンとは全く相容れない「ヌーヴェル・ヴァーグ」諸作品の映画作家ではありません。
 彼は原作や脚本では『冒険者たち』や『シシリアン』、演出では『暗黒街のふたり』や『ル・ジタン』、『ブーメランのように』でアラン・ドロンと組んでおり、切っても切れない名コンビネーションでの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品での仲間、そして友人でした。

 しかも、「ピエール・ルートレル=気狂いピエロ」の実録は、すでに親交の厚かったロジェ・ボルニッシュが『友よ静かに死ね』で著わしていたわけです。
 ロジェ・ボルニッシュは、この著作の冒頭に「アラン・ドロンに捧げる」と記しています。
 作家としての前々作品『フリック・ストーリー』が、アラン・ドロンの経営するアデル・プロダクションによって映画化され、警察官の現役当時の自分を演じたアラン・ドロンへの友情を記した著作だったのです。

 第ニに、ジャン・リュック・ゴダール監督の『気狂いピエロ』の主演が、アラン・ドロンの最大のライバルであるジャン・ポール・ベルモンドだったこと。この作品は「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作品の中でも際立って優れた作品であり、映画史の中枢に位置づく作品となっていることは説明するまでもないことです。

 大の負けず嫌いのアラン・ドロンが、この流れに指を咥え、手をこまねいているはずはありません。勝ち気で頭の切れる彼のことですから、ゴダール&ベルモンドへの対抗意識に燃え、親友ロジェ・ボルニッシュの力を借りて、実在の「ピエール・ルートレル=気狂いピエロ」の作品を創ることに意気込んだのではないでしょうか?

 そして第三に、この作品には、実在の「ピエール・ルートレル=気狂いピエロ」のキャラクターの原型・要素がほとんど留められておらず、彼のニックネームのみの引用です。ジャン・リュック・ゴダール監督の作家主義が貫かれた一側面なのでしょうが、このことはフランス映画の伝統「詩(心理)的レアリズム」の継承者ともいえるアラン・ドロンにとって、納得できるものではなかったように思えます。

 恐らく彼は、古き良き過去の時代に対する思慕、郷愁を誘うノスタルジーを漂わせた作風で、かつ実話に基づきながら、実録に忠実に古い任侠のギャングたちの世界を描いてみたかったのではないでしょうか?


 また、アデル・プロダクションで製作し、ジャック・ドレー監督が演出した『ボルサリーノ』(1969年)、『ボルサリーノ2』(1974年)、そして『フリック・ストーリー』(1975年)などでも、この『友よ静かに死ね』と同様の傾向が顕著に表現されています。
 これらの作品は、クールで孤独な犯罪者を現代的・都会的に様式化していったジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品や、社会で虐げられ疎外され、犯罪者とならざるを得なかった者たちの悲哀を描き続けたジョゼ・ジョヴァンニ監督の作品などとは趣きが若干異なります。

 ジャック・ドレー監督の作品は、彼の敬愛するジャン・ギャバン主演、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『我等の仲間』や『望郷』、マルセル・カルネ監督の『霧の波止場』や『港のマリー』、ジャック・フェデールの『外人部隊』などのクラシカルなフランス映画を想い起こさせる作風なのです。

 情感と哀愁の漂うダンディズムの現代への復活・再生・・・。
 想えば、『フリック・ストーリー』では、主人公の刑事ボルニッシュと恋人カトリーヌとのデートに、クロード・オータン・ララ監督の『肉体の悪魔』の映画を観に行く約束をするシーンを挿入していました。
我等の仲間
/ アイ・ヴィー・シー





望郷
/ ジェネオン エンタテインメント





霧の波止場【字幕版】
/ ビデオメーカー





港のマリー
/ パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン





肉体の悪魔
/ ビデオメーカー





 アラン・ドロン&ジャック・ドレーの作品は「詩(心理)的レアリスム」第三世代といってもよく、特に、この『友よ静かに死ね』は、運命的に滅びざるを得ない人間の敗北、虚無的な世界でありながら、それをポエジックな演出でより美しく描いていた「詩(心理)的レアリスム」の特徴を最も強く兼ね備えた作品だと思います。

 だとすれば、「フランス映画の墓掘り人」とまでよばれたフランソワ・トリュフォーや全世界の映画史の体系を変えてしまったジャン・リュック・ゴダールたち「ヌーヴェル・ヴァーグ」のカイエ派によって徹底的に、そして完膚無きまでに抹殺されたはずのフランス映画の良質の伝統は、アラン・ドロン&ジャック・ドレーの反骨によりアデル・プロダクションに受け継がれ、世界的な興行成績を収め続けていったと、映画史的に総括できそうな気もしてきます。

 しかも、それらの作品の共演者は、ジェラール・ドパルデューが出現するまでのフランス戦後世代の3大スター、ジャン・ポール・ベルモンド(『ボルサリーノ』1969年)やジャン・ルイ・トライティニャン(『フリック・ストーリー』1975年)という考えられないような凄い出演者との顔合わせだったわけです。

 世界の映画史の体系を作り変えるほどの凄まじきエネルギーであった「ヌーヴェル・ヴァーグ」。それに屈せず、フランス映画の古典的伝統を全うしたアラン・ドロン&ジャック・ドレー。わたしはこれらのことに、言葉に出来ない凄みを感じるとともに、言い表せない深い感動も湧き上がってくるのです。

 更にアラン・ドロンのこの生き様は、「ヌーヴェル・ヴァーグ」によって叩き潰されていった彼の敬愛する師匠たち、フランス映画のリアリズム作品の急先鋒であったルネ・クレマン監督や、ジャン・ギャバンの相方であったジュリアン・デュヴィヴィエ監督、典型的なフランス古典主義者のクリスチャン・ジャック監督の弔い合戦であるかのようにも見えます。
 そして、冷静に考えれば勝てるはずのないその闘いに、必死で挑む彼の姿は、主君に忠義を誓った、まさに武士の道「サムライ」のようでもあるのです。

 しかし、これらのことは、いわゆる「武士道」の敗北の美学に彩られたものではなく、苦しい闘いのなかから、やがて、多くの素晴らしい成果を生み出していきました。

 1990年、ジャン・リュック・ゴダール監督が、遂にアラン・ドロンを主演に『ヌーヴェルヴァーグ』を創り、そのなかで彼の多くの作品を引用していたことも、
 フランソワ・トリュフォー監督に、後年「わたしの考えでは、ハリウッド的なセンスと力量を持っていたフランスの職人監督はジュリアン・デュヴィヴィエとクリスチャン・ジャックぐらいなものでしょう。」【『わがフランス映画誌(4 ヌーヴェル・ヴァーグ前夜 フランス映画のある種の傾向 P246)』 山田宏一著 1990年 平凡社刊】と言わしめさせたことなども、

 アラン・ドロンの反骨精神は、かの「ヌーヴェル・ヴァーグ」のカイエ派の思想までをも改変させていったとまで考えてしまいます。
 そんな想いを巡らせているとき、わたしは映画人としてのアラン・ドロンに限りなく共感し、彼を敬愛してやまなくなるのです。

 残念ながら、『ボルサリーノ』も、『ボルサリーノ2』、『フリック・ストーリー』も、そして、この『友よ静かに死ね』なども、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の傑出した映画芸術を超える作品までには及ばなかったかもしれません。

 しかしながら、アラン・ドロンは、この『友よ静かに死ね』を創り出した同年1977年、ジョセフ・ロージー監督のもとで、ついに『パリの灯は遠く』という、現在においてはヨーロッパ映画の古典とまで言われているリアリズム作品の世紀の大傑作を世に送り出しているのです。
 彼は、俳優及びプロデューサーとしての映画史的な位置づけにおいて、「ヌーヴェル・ヴァーグ」という巨大な大波と、その世界映画史の大きなうねりのなかで、孤独にそして果敢に闘い、それらに比しても同等もしくは、それ以上の作品を生み出すことに成功した唯一の優れた映画人だと評価されるべきであると考えています。

 これらのことは、わたしごとき一アラン・ドロンファンの単なる必要以上の思い入れによるもの・・・・だとはどうしても思えないのです。


 そして、わたしはジャック・ドレー監督の作品のみならず、

ジャン・エルマン監督の『ジェフ』や『さらば友よ』
ピエール・グラニエ・ドフェール監督の『帰らざる夜明け』や『個人生活』
そしてジョルジュ・ロートネル監督の『愛人関係』
などの

 アデル・プロダクションでアラン・ドロンがプロデュース、主演した多くの作品に戦前のフランス映画「詩(心理)的レアリスム」の傾向を感じているのです。



※ 余談ですが、ジョゼ・ジョヴァンニ著の『気ちがいピエロ』には、『ル・ジタン』(ジョゼ・ジョヴァンニ監督、アラン・ドロン主演)に登場する金庫破りの名人ヤン・キュック(映画『ル・ジタン』では、名優ポール・ムーリスが演じました)も登場します。
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by Tom5k | 2006-06-13 03:06 | 友よ静かに死ね(2)