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『暗殺者のメロディ』①~コミュニズムに対する賛否は別として~

 1950年2月20日付けで、ウィスコンシンン州選出のアメリカ合衆国共和党上院議院ジョセフ・R・マッカーシーは「国務省内に57人の共産主義者がいる」との内容で議会演説をしました。
 すでに1945年1月3日付けアメリカ合衆国第75国会で「非米活動委員会」を非常設設置から常設設置とするための法案が可決され、施行されていました。下院議会に設置されたこの「非米活動委員会」は、「赤(コミュニスト)の追放」を主に目的とした1940~50年代のハリウッド映画関係者をブラックリスティングし、「映画産業への共産主義の浸透」と題する聴聞会を実施していきます。
 映画は大衆を惹き付け、人々の心に大きな影響を及ぼし、最悪の場合には反政府運動まで高まる可能性を持つ文化・芸術であるメディアであることなどから、当時の米ソ冷戦における共産圏に対する警戒感を優先した結果だったのでしょう。

 これら一連の案件に係っては、特に聴聞会での証言拒否者の10人を「ハリウッド・テン」という名称としたことが有名です。そして、それは「ハリウッド・テン」の10人のみならず、何百人もの良心的で、コミュニズムと関係のない多くの映画監督・俳優・脚本家等の映画人たちを投獄し、破滅させることになりました。
 これらのことはアーウィン・ウィンクラー監督、ロバート・デ・ニーロ主演『真実の瞬間』に克明に描かれています。
真実の瞬間(とき)
/ 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン





 そして、この恥ずべく国家施策の審問官の一人として、アメリカ合衆国第37代大統領リチャード・M・ニクソンも、その名を連ねていました。

 また、この審問により、友人や仕事の仲間を売った映画関係者の中には、後年、ジェームズ・ディーンやマーロン・ブランド、ウォーレン・ビューティなど「ハリウッドの反逆児」たちといわれる新しい時代の素晴らしい俳優たちを育てた有名監督エリア・カザンもいました。彼は1998年にアカデミー名誉賞を受賞していますが、半数以上の人たちが席を立たず、拍手もしなかったそうです。多くのハリウッド映画の関係者たちは、未だに彼を許してはいないようです。

 逆に、この「赤狩り」に抵抗していった勇気ある映画人たちも多くいました。彼らは、映画関係者の「思想・信条の自由」の侵害に抗議し、「第1修正条項委員会」という抗議行動のための組織を立ち上げます。
 ウィリアム・ワイラー、ジョン・ヒューストンらが呼びかけ、500人あまりの映画関係者が呼応しました。そのなかには、ハンフリー・ボガード、ローレン・バコール、バート・ランカスター、グレゴリー・ペック、キャサリーン・ヘップバーン、マーナ・ロイ、ポーレット・ゴダード、バージェス・メレディス、ダニー・ケイ、リタ・ヘイワース、カーク・ダグラス、ヘンリー・フォンダ、ヴァン・ヘフリン、ジーン・ケリー、ジュディ・ガーランド、ベニー・グッドマン、ヴィンセント・プライス、トーマス・マン等、その他にも多くの有名人がいたそうです。
 そして、多くのハリウッド映画関係者たちは、ホワイトハウス議会事務局に対して文書署名による抗議行動を起こし、「第1修正条項委員会」の抗議集会は7000人規模の大集会となりました。

 ジョセフ・ロージー監督は、1947年チャールズ・ロートン主演で、ベルトルト・ブレヒトの『ガリレイの生涯』の舞台演出をしており、デビュー作『緑色の髪の少年』で反戦テーマを描き、左派的な印象を持たれていたのでしょう。早くから「非米活動委員会」にチェックされていたようです。
緑色の髪の少年
/ アイ・ヴィー・シー





 確かに彼は、コミュニストであり、当然、このマッカーシズムの犠牲になったわけですが、ハリウッドに見切りをつけたのも早く、ヨーロッパに渡って、苦心しながらもイギリスで活躍の場を得ることに成功します。しかも、このハリウッドの経験が、後の多くの名作を生み出す要因であったことも間違いなく、ロージー監督のこの生き方は、彼のしたたかさの現れだったと思います。
 後年、彼はアラン・ドロンと『パリの灯は遠く』という大傑作を生み出しますが、この『暗殺者のメロディ』が、一貫して良心に従って生きてきたロージー監督と、アラン・ドロンの素晴らしい最初の接点だったわけです。

 アラン・ドロンは、かつて見せたことのない怪演により好演していますが、それは、まるで心神喪失の様子に近い演技です。
【「暗殺者のメロディ」でロージーは、アラン・ドロンのトロツキー暗殺犯人を、全くベイカー、ボガードの系列の男性像に作り変えてしまった。
 彼らに共通するのは卑しさ、生命力、むき出しの性的アピール、見るものに官能的な嫌悪や反発を感じさせながら有無をいわせず迫ってくる圧倒的な存在感である。二枚目スター、ドロンの魅力は、そうした卑しさが美しい容貌の裏打ちとなっている点にあると私は以前から感じていたが、「暗殺者のメロディ」でロージーは、ドロンの表と裏を返したように、卑しさを前面に押し出し、もはや美のほうはほとんど骨と化した死体にわずかにまつわりついている肉の襤褸ほどのものでしかなくなっている。しかし、彼を使ったほかのどの監督もしなかったこの外科手術のような暴力的な操作のおかげで、「暗殺者のメロディ」でドロンは、かつてなかった存在感をもつに至っているのだ。(~中略~)
 密室の小宇宙の環境を、ロージーは徹底したリアリズムで描き出す。貴族の邸宅。前線の兵舎。亡命革命の隠れ家。登場人物の性格描写に時間をさく代わりに、彼は人々を包む環境の性格を、ていねいに紹介する。(ロージーの作品で私たちは人物の性格描写を、あるいは心理分析を、意識することは少ない。(~中略~)しかし「暗殺者のメロディ」は、ここでも例外で、特にドロンの暗殺者ジャクソンの描写では、ドロンの演技のせいもあるだろうが私たちは彼の性格や心理を意識せざるをえず、さらにそこにはフロイド的な心理分析の陰影さえつけられているのである)。】(引用~『世界の映画作家17 カザン/ロージーと赤狩り時代の作家たち』「ジョセフ・ロージーの世界~矢島翠」キネマ旬報社、1972年』)

 アラン・ドロン演ずるフランク・ジャクソン(ラモン・メルカデル)が、普通の健康的な人間ではないことがよくわかる場面がいくつもあります。

 まずは、最初の登場場面です。洗面台で髭を剃りながら、ロミー・シュナイダー演ずる恋人ギタに話しかけられている様子は、微妙に正常ではないように見えますし、仲間にトロツキー(リチャード・バートン)を暗殺した後は「英雄になれる。」と言われれ、得意げな笑みを浮かべる表情は、既にラストシーンの不気味さを暗示させているような気がします。
 トロツキーの威厳にすくんでしまいビクビクして急に能弁になり、彼にたしなめられるシーンの緊迫感、そして結局、暗殺を決行できずに茫然自失し、放心状態になってしまったフランクと恋人ギタを演ずるロミー・シュナイダーのイライラした状態とのコントラストなども非常に印象的です。
 気を取り直して、暗殺の様子を練習したり、急に鐘に飛びつくカットも不気味で、暗殺決行直前でのギタとの会話で、彼女が初めて名前を呼ばれて喜びに涙するときのフランクの目の動きも明らかに正常ではありません。
 そして、いよいよ暗殺決行のとき、トロツキーにピッケルを振り下ろした彼の表情は完全に狂ってしまった人間の表情でした。正に、背筋が凍りつくとはこのことです。
 その後のフランクの絶叫はすさまじいの一言に尽きます。
 警察に連行され、逆上したギタの訪問に怯えきり、事情聴取で「お前は何者だ?」と問われ、「トロツキーを殺した男。」と得意げに答えるときの表情は、もの凄いの一言に尽きる演技でした。
 この当時に(現在でも)この作品を観て、多くのアラン・ドロンファンはどんなことを感じたでしょう?少なくても、これほど強烈で不快な演技は後にも先にも、この作品くらいのものだと思います。
 彼は、ロージー監督の演出した多くのイギリス俳優、例えばスタンリー・ベーカーやアラン・ベイツ、ダーク・ボガード、トム・コートネイなどのようなしたたかな俳優ではなく、むしろ一般受けするアクション映画やセックスアピールを売り物にした娯楽作品でスターとなった俳優です。このような前衛映画に出演する俳優としての資質があるなどと誰が想像したでしょう。恐らくロージー監督も、もしかしたらアラン・ドロン自身もこの作品の結果に驚いていたのではないでしょうか?そして、一番驚いたのは、共演していたリチャード・バートンに違いありません。彼はアラン・ドロンが、まともな演技のできる俳優だとは思っておらず、はなからドロンを相手にしていなかったと言います。

 その後、アラン・ドロンはハリウッド作品『スコルピオ』に出演します。これは、アクション映画としての目的のほうが強かったかもしれませんが、共演者であるバート・ランカスターは、ジャン・ギャバンとともにドロンの最も尊敬する俳優であり、「ハリウッド・テン」の事件では「非米活動委員会」と闘った勇士です。そして、扱っているテーマは、ソ連の矛盾を描いた『暗殺者のメロディ』とは逆に、アメリカ合衆国の巨大な機密情報機関CIAの暗部を描いたもので、ドロンはそのCIAに雇われた殺し屋を演じました。KGBから送られた暗殺者の役柄とともにいつまでも語り継ぐべき作品であると思います。

 ロミー・シュナイダーの終始いらいらしたヒステリックな演技も素晴らしく、ノーメイクで眼鏡をかけたインテリ女性としての力演でした。
 わたしは、このロミー・シュナイダー演じるギタを観ると『太陽がいっぱい』でマリー・ラフォレが演じたマルジュを思い出します。
 15世紀、ルネッサンス期フィレンツェの宗教画家であり、清らかで深い精神性に満ちた多くの「天使の絵」を書き続けたフラ・アンジェリコ(天使的修道士)を限りなく愛し、フィリップへの愛を誠実に求める封建の女性マルジュは、現代の両極に位置するブルジョワ青年フィリップと貧困層の青年トムの矛盾をそのまま背負い込み、最後に事件の全貌を知ってしまい絶叫するのです。
 同様に理想主義者トロツキーを敬愛し、フランクへの愛を求め続けたギタも、セクト主義に陥ったスターリン主義に引き裂かれ、最後に狂ったようにフランクにつかみかかろうとします。
 いつの時代や状況でも、無垢で純真で真面目な女性ほど、社会矛盾による裏切行為により、気の毒な犠牲者になってしまうことを、この両作品は訴えているような気がします。
(参考)~『永遠なる名作映画 vol.3「太陽がいっぱい 荻昌弘」近代映画社、2006年』

 そして、名優リチャード・バートンの演技も素晴らしいものばかりでした。
 伝統のシェークスピア劇などで鍛えられた英国風の正統派の演技ができるスター俳優である彼は、このような前衛映画にまで元来の演劇的表現で挑んでおり、彼もまたひとかどの俳優であるのだと感じることができます。

【ドロンとバートンはこれらの人物に完全に合っているように私には思われた。アラン・ドロンはトロツキーの暗殺を演ずるのにとりわけ熱心だった。二人とも役の心理的ニュアンスを完全に理解していた。ロミー・シュナイダーも凄くいいと思う。】(引用~『世界の映画作家17 カザン/ロージーと赤狩り時代の作家たち』「わが映画のすべて 暗殺者のメロディ~ジョセフ・ロージー」キネマ旬報社、1972年)


 映画では、当時まだ18才の写真家ロバート・キャパが撮った、デンマークの学生集会で「ロシア革命の歴史」について講演するレオン・トロツキーの写真(1932年11月2日コペンハーゲン)が冒頭に映し出されます。
フォトグラフス―ロバート・キャパ写真集
ロバート キャパ 沢木 耕太郎 / 文芸春秋
トロツキーの写真は、P14・15



 「革命の勃発は状況しだいである。革命以外に方法がないときにだけ起こる。」のテロップとともに、1940年メキシコのメーデーからのファーストシーンです。
 この作品は、ロシア10月革命でレーニン、スターリンとともに革命時代を闘った革命家レオン・トロツキーの最期を描いたものです。彼は、かつての同志スターリンの独裁政治の犠牲となり、亡命先のメキシコで暗殺されました。
 トロツキーが部下を暗殺され、その焼死体が場面に映し出される場面はショッキングです。闘牛の場面とトロツキーのの苦悩のうめき声がモンタージュ(オーバーラップ)され、トロツキーの不安と憂鬱が、牛のうめき声に重なってリアリティを持って迫ってきます。
 闘牛場の場面での「コカ・コーラ」の表示板も非常に印象的でした。アメリカ資本主義のトレードマークは、まるで生き霊のように、ここにも浸透しているということなのでしょう。ジョセフ・ロージー監督は、問題の本質をコミュニズムのセクト主義に置くだけでなく、そのもっと奥に捉えていることを、ここで感じることができたように思います。

 トロツキーは、亡命先のメキシコで「第4インターナショナル」を創設し、反スターリニズムを貫いて生活し、多くの名言を残しています。
「3分の1世紀にわたる私の意識的な生活は、全部が全部、革命闘争についやされてしまい、系統的な勉強などできなかった。しかしもう一度やりなおすとしたら、私は躊躇なく同じ道にとびこむだろう。」
「人生は美しい。未来の世代をして、人生からすべての悪と抑圧と暴力を一掃させ、心ゆくまで人生を享受せしめよ」(レオン・トロツキー「わが生涯」西島栄訳)
トロツキーわが生涯
トロツキー 森田 成也 / 岩波書店





 こんな素晴らしい言葉を残したレオン・トロツキーは、何故、革命闘争で、そして人生においての勝利者となれず、これほどの悲惨な死に方をしなければならなかったのでしょうか?
 また、ジョセフ・ロージー監督がこの作品で描きたかったものは、一体何だったのでしょうか?
【(略)~トロツキストたちに政治的暗殺とは何かということを示し、コミュニストたちに今日では誰もあえて疑おうとしない社会主義への批判的接近を見せるには十分だと思う。(~中略~)
 私はトロツキストではなく、コミュニストだ。だがそれが現在何だというのだ?スターリン主義者たちもコミュニストだと自称している。そして、トロツキストはトロツキーなしでトロツキズムを実践している。確かなことは、すべての道はマルクスから発しているということで、不確かなことは、誰がそれを貫いているかということだ。】(引用~『世界の映画作家17 カザン/ロージーと赤狩り時代の作家たち』「わが映画のすべて 暗殺者のメロディ~ジョセフ・ロージー」キネマ旬報社、1972年)

 カール・マルクスでさえ、「わたしは、マルクス主義者ではない。」と語り、イエス・キリストも処刑されるときに「神はわれを見捨てた。」と絶望したという逸話があります。
 イデオロギーが、一人歩きしてしまって民衆や良心的な人々を抑圧することの恐怖や、公権力のレッテル貼りが、多くの民衆の支持を得てしまうことが、多くの真実を覆い隠してしまい、ヒステリックな人権侵害に結びついていくことは、ロージー監督が身を持って体験した「ハリウッド・テン」の事件でもあきらかです。わたしは、ファシズムという誤ったイデオロギーによる恐怖と悲惨を描いたロベルト・ロッセリーニ監督の『ドイツ零年』を思い出しました。
ドイツ零年
/ アイ・ヴィー・シー





 コミュニズムに対する賛否は別として、ロシア革命の革命家ウラジミール・イリイッチ・レーニンは、スターリンやトロツキーと同じ社会革命家として、ロシアに新秩序を創ることを成功させています(69年後にそれも崩壊してしまいますが)。もちろん、このときは、スターリンやトロツキーも同じ仲間であり、強い信頼関係で結びついていた時代だったわけですが、レーニンの死後にその求心力はスターリンにも、トロツキーにも不足していったことは否めません。
 では、レーニンには備わっていて、トロツキーやスターリンに不足していたもの、それは一体何だったのでしょうか?

 レーニンも、多くの反権力者と同様に、ツァーリの弾圧を逃れての国外への亡命経験が何度もありました。
【1904年の春頃、レーニンと妻のクループスカヤは、スイスのジュネーブに亡命生活を送っていた。彼のもとを訪ねて、ロシアからさまざまな人々がやってきた。あるとき、ペテルブルクの労働者組織を代表して、バロン(殿様)とあだ名されていた、一人の青年がやってきた。レーニンは彼の話に聞き入った。こうして、彼のもとに直接届けられるロシアからの情報こそ、彼の思考にとって、第一級の重要性をもつものであったからだ。
 バロン青年が語る。「われわれはいま、集団をもとにして組織をつくっています。われわれはそれぞれに集団をつくりました。プロパガンディスト(宣伝者)の集団に、アジテーター(煽動者)の集団、それにオルガナイザー(組織者)の集団です。」
 レーニンは「フムフム」とつぶやきながら、彼の話を聞いたあとで、こうたずねた。
 「プロパガンディストの集団というのは、何人でできているんだい?」
 「いまのところは、僕一人です。」青年はちょっとうろたえながら、答えた。
 「少し少ないようだね。ではアジテーターの集団は?」
バロンは耳のねもとまで真っ赤にして、答えた。

 「いまのところはやっぱり僕一人だけなんです。」

 ここでレーニンの笑いが爆発した。それはどはずれた笑いだった。からだをはげしく波打たせ、目には涙を浮かべながら、彼の笑いはとどまるところを知らなかった。その笑いは、人にも伝わった。顔を真っ赤にして、はずかしそうにうつむいていた、ペテルブルグの青年も、彼の笑いにつりこまれて、大笑いをはじめた。そして、青年が笑い疲れて、顔をあげたとき、レーニンはまだ、テーブルの下に顔を隠して、笑い続けていたのだった。】
(引用~『はじまりのレーニン』中沢新一著、岩波書店、1998年)
はじまりのレーニン
中沢 新一 / 岩波書店






 当局に危険人物として、生命の危機を日常に感じている亡命生活での疲労の日々。あてにしている最後の細い細いせっかくの希望の情報であるロシア国内組織の状況が、これほど不甲斐ないものであることを知ったとき、誰がこれほど大きく笑うことができるでしょうか?
 トロツキーなら部下を殺されてときのように呻いて寝込むでしょうし、スターリンなら、バロン青年を殺してしまうかもしれません。
 二人の後継者に不足していたのは、いかなるときにも、この愉快で楽しい「笑い」を起こせる確信に満ちた自信、そして人間の可能性を信じ切る信頼感だったのではないでしょうか?

 あくまでもコミュニズムに対する賛否は別として。

by Tom5k | 2006-03-18 02:16 | 暗殺者のメロディ(2) | Trackback(13) | Comments(46)

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Commented by トールバズ at 2006-03-18 12:18 x
いつも読ませてもらってます。毎回読み応え在る情報と映画の紹介は大変参考になってます。今回は情報量も多く再読させていただきます。マッカーシーの赤狩りと映画と映画界、書籍の紹介を絡めた良い記事でした。
Commented by Tom5k at 2006-03-18 18:42
>トールバズさん
おひさしぶりです。コメントありがとう。思い入れの強い映画は、どうしても書きたいことが多くなってしまい、読みにくいものになるという悪循環になりがちですが、読んでいただいていると聞きたいへん、うれしいです。
わたしも最近のトールバズさんの、とてもカッコ良い『タクシー・ドライバー』の記事を読ませていただき、刺激を受けています。
リンクさせていただきました。また、よろしくお願いします。
Commented by パッド at 2006-03-20 21:24 x
ここはまさに別世界ですね。感激しながら拝読させていただいております。
トムさまの独自の見解は非常に新しく、勉強になります。ここは掲示板と
違って大学のゼミに入ったような気持ちをさせてくれます。
Commented by 用心棒 at 2006-11-06 04:14 x
トムさん、こんばんは。コメントとTBを有り難うございました。
 エイゼンシュテイン監督作品は力を入れて観てきた作品群なので、ついつい熱くなります。名前を知られている割りに若い層にはほとんど観られていない作家の一人かもしれません。
 むかしオカピーさんがベルイマン監督の記事を書いても誰も読まないから書かないと仰っていましたが、エイゼンシュテイン監督作品もそうした存在かもしれません。ですが誰も読まなくても、残りのエイゼンシュテイン監督作品である『ストライキ』までは意地でも書くつもりでおります。ではまた。
Commented by Tom5k at 2006-11-06 23:25
>うわお!用心棒さん!
種々のTBありがとうございます!
エイゼンシュテイン、ロッセリーニ、ドミトレク等々、わたしにとっては、よだれの出そうな作家ばかりです。
シネマテークフランセーズのアンリ・ラングロワが勧めていたカラー映像を頑なに拒み続けていたほどの黒澤明監督が、カラー映画(「どですかでん」)を撮る決心をしたのは、「イワン雷帝」第二部のカラー・パートを観たことがきっかけだったと回想しています。
エイゼンシュテインを評価せずして、現代映画は語れない、とまで言えると思いますよ!モンタージュ理論、トーキー理論、俳優論、描写と音楽の照応、クローズ・アップとロングショットの交替・・・。彼の残した映画に関する遺産は、人類の至宝だと言われています。
>むかしオカピーさんがベルイマン監督の記事を書いても誰も読まないから書かない・・・
Commented by Tom5k at 2006-11-06 23:25
>続き
このご意見も最もです。しかしオカピーさんもアントニオーニを書き、以外なカウント数の多さに、首をひねっていた記憶もございます。関心を持っている人は案外多いかもしれません。
是非、書き続けてください!
わたしも、アラン・ドロンを書くとき、ネオ・リアリズモ、詩的レアリスム、ヌーヴェル・ヴァーグなど、避けて通れない映画体系は非常に多く、根源をたどれば、エイゼンシュテイン、タルコフスキーらからロッセリーニ、ルイジ・ザンパ・・・・
また、フィルム・ノワールを語るときには、ドイツ表現主義のフリッツ・ラング、マイケル・カーティスまで意識しなければならないと思っています。
いやあ、わたしまで熱くなってきましたよ。
では、また。
Commented by 用心棒 at 2006-11-08 02:28 x
 トムさん、こんばんは。
 映画の凄みを一番感じるのは「単独で成立する映画はただの一本もない」ということです。もちろん『シネマトグラフ』『月世界旅行』などは単独で成立しているといえない事もありませんが、21世紀を迎えた現在の映画の中で、それ一本で成立しているものはありません。
 新しいテクニックや構図を発明したと思っても、100年を超える映画全体では、必ず既にどこかで「オリジナル」は存在しています。ただそれを知らなかっただけなのです。
 どんな名作にも、どんな駄作にも映画のDNAは受け継がれています。極端に言うとクロース・アップ、ロー(ハイ)アングル、固定、パン、ティルト、カット割りなどは子供向け映画からポルノ映画に至るまで、どんなものにも必ずどこかに出てきます。
 技法のみで語るのは強引ですが、脚本、演技、照明、音楽、色使いなども合わせればさらに多くの映画の遺伝子を見つけるのは容易でしょう。
 全ての映画は繋がっているのではないかというのが僕自身が今思っている映画の仮定定義?(大袈裟すぎますね)です。ではまた。
Commented by Tom5k at 2006-11-09 00:14
>用心棒さん、どうも。
う~む。確かにすべてはどこかで繋がっていて、新しいといわれるものにも古いものの流れが脈々と受け継がれていますね。
ヌーヴェル・ヴァーグ左岸派のアニエス・ヴァルダは、デビュー当時、全く映画に無知だったそうです。当時、自分の作品がロッセリーニやヴィスコンティに共通していると専門家に評論され、その二人に全く無知だった彼女は、かなり困惑していたという逸話もあります。まさにおっしゃっている仮定定義ですね。
映画は具象的表現を基本とするものですから、どんなことをメッセージとしていても、観る側がイリュージョンをはたらかせることが困難です。これは、映画において最も評価の高いリアリズム作品が、そのリアルな現実感を持てば持つほど大きくなる矛盾かもしれません。ゴダールなどは、この矛盾に今も挑戦し続けているようにも思います。
そういう意味で、映画という近代文明が生みだしたカルチャーには、発想・道具・方法・メッセージ等のあらゆる要素に発展の余地がまだまだあり、今度はもっと「意識的」に過去の先人たちの遺伝子を活用してしかるべきなのかもしれません。
Commented by 用心棒 at 2006-11-09 03:04 x
 トムさん、こんばんは。
 映画に限らず、行き着くところまで行ってしまったと皆が思うとき、始まるのは原点回帰運動でしょう。映画はまだ100年しか経っていない若い芸術及び娯楽形態なので必ず進歩を遂げるのは間違いありません(と信じたい)。
 その上映形態が劇場を使用するマス的なもののか、ミニマム(個人向け)になるのかも解りません。
 ホログラム的な立体映像を部屋で観るという形態に変わるのか、あるいは視聴者も参加する形態になるのかもまったく解りませんが、その前には必ずルネッサンス的な原点回帰が起きてくるはずです。
 新しい形態よりも、その過程の運動期の作品を愛していきそうな自分がいます。ふるいんでしょうね。「Get back」ですなあ。ではまた。
Commented by Tom5k at 2006-11-10 00:15
用心棒さん
>始まるのは原点回帰運動
絶対、そうでなくてはならない!わたしとしては、あらゆる物事は初期・発展期・安定期・衰退期・末期に関わらず、基礎・基本の原点に立ち戻ることを常に心がけなければならないと思っています。
ですから、映画においてもトーキーやカラー映像などの大きな発展期には、理論体系が必要だったのだと思います。
現在においては、やはりCGの使用に関する理論が必要だと思いますし、近年のハリウッドでさえ「キング・コング」「ゾロ」「オペラ座の怪人」、少し前になりますが「ジュラシック・パーク」や「ロスト・ワールド」など、クラシックへの回帰は顕著かもしれません(失敗・成功は別として)。
フランスにおける80年代以降のリュック・ベッソン、ジャン・ジャック・ベネックスの反ヌーヴェル・ヴァーグやパトリス・ル・コントのデュヴィヴィエ信奉者の出現にも、それは表れているのではないでしょうか?
Commented by Tom5k at 2006-11-10 00:30
>続き
逆に新カイエのレオス・カラックスは、ヌーヴェル・ヴァーグへの回帰を、ゴダールも一時期、旧ソ連のドキュメンタリズムの開祖ジガ・ヴェルトフに傾倒したり、自らをアベル・ガンス、ルイ・デリュック、ジャン・エプスタンたちの印象派の末裔と言ってみたり、常に模索を続けているように思います。
>新しい形態よりも、その過程の運動期の作品を愛していきそうな自分がいます。
モンタージュの躍動感こそ映画の基本!ウェルズのパン・フォーカスにおけるワン・ショット・ワン・シーンなどの技法も、単純にモンタージュを放棄するものではありません。一時期のモンタージュの否定ともとれる理論をとなえたアンドレ・バザンも、画面内部において被写体を順次に変化させていくことを忘れてはならないと、ワン・ショット・ワン・シーンへのモンタージュ留意の事項を忘れてはいませんでした。
オカピーさんにおいても、古典映画に回帰していったフランソワ・トリュフォーを絶賛しています。
全ての映画を突き詰めるひとたちは、用心棒さんと同様、(回帰の「仕方」はそれぞれ異なっても)みんな「Get back」信奉者なのではないでしょうか?
では、また。
Commented by 用心棒 at 2006-11-10 02:37 x
 トムさん、こんばんは。
 フランス映画やロシア映画には何かを作り出して行こうという信念を感じる作品が今でも多いように思います。
 つまりコマーシャリズムに毒され切ってはいない純粋な芸術活動形態のひとつとしての映画の片鱗というか矜持を見受けるのです。伝統的な価値観が良い方向に出ている例かもしれません。
 個人的には抑圧されてきた東欧諸国の作家に良い人材が出てくるのではないかと期待しております。また南米などの作家も機会があれば積極的に見たいですね。
 残念ながらハリウッド及び日本の現状とこの先10年ほどには絶望的な見方をしています。映画の知名度では後発の国から世界中を驚かせる作家や理論家が登場してきたときを境に変化が起き、映画界を覆っている毒が抜け切るまでには10年程度はかかるのではないかと予想しております。映画の将来に関する、いろいろなことを欲得から離れた立場にいる者が予想するのは冷静に事態を見れますし、楽しいですね。
 ではまた。
Commented by Tom5k at 2006-11-10 20:10
用心棒さん、こんばんは
>映画はまだ100年しか経っていない若い芸術及び娯楽形態
とのことから
芸術と見せ物を両立させうる文化、もしくはこのふたつを矛盾として、さらに新しく飛躍可能な文化、映画の進歩は恐らくまだまだ期待できそうな気はしています。
>コマーシャリズムに毒され切ってはいない純粋な芸術活動形態・・・映画界を覆っている毒・・・
おっしゃるように、見せ物に偏りすぎたための退廃の払拭には時間がかかるかもしれません。
しかし、短いとはいえ映画100年の遺産は、普遍の輝きを失っておらず、多くのブログでも質の高いレビューも多く見受けられます。DVDやビデオが手軽に入手できる恵まれた時代ですし、欧米・日本においても観る側の質は、かなり高くなっているようにも思います。期待いたしましょう。
では、また。
Commented by オカピー at 2006-11-11 03:17 x
私の名前が三回も出てきましたね。恐縮していまいます。
最近気付いたのですが、余り記事の書かれることのない注目すべきオールド・ムービーには、1年程度前の新作よりカウント数が伸びるのですよ。「二十四時間の情事」もかなりの勢い。とは言っても私のところはたいしたことはないのですが。ベルイマンも新作公開で少しは興味が持たれているかも。

映画は単独で成立しないというのは持論でもありまして、この点では用心棒さんとは意見が合います。「マタンゴ」は全くバッティングですが(笑)。

私の考える理想的な映画とは、純粋な映画です。例えば「激突!」のように贅肉を取った娯楽映画は芸術の域に至る。大衆的であるが、通俗には陥らない。その境目が娯楽映画の芸術的な価値を決めるだろうと思います。
また芸術的な映画も純粋になれば単純化しますので娯楽性を生じていくのではないでしょうか。芸術的な娯楽映画と娯楽的な芸術(寄り)映画。私が自選ベスト100に上げているのはこうした作品ばかりで、気持ちの中で両者は全く差がありません。
Commented by Tom5k at 2006-11-11 22:58
>オカピーさん、いらっしゃいませ。
やはり、そうですか!やはり、クラシックに目覚めているファンが増加している傾向にはあるのでしょうね。歓ぶべきことのような気がします。

>映画は単独で成立しないというのは持論・・・
映画とは、なんとも深淵なるものですね。

娯楽性と芸術性の両側面は、映画発祥時からの「映画の矛盾」であるとも思います。
オカピーさんのおっしゃていることは、“この両側面が両立しうる”ということだと思います。わたしも、基本的に賛成です。
ただ、「スピルバーグ(現在の)」と、「アラン・レネやゴダール」の間にある矛盾も、また現実にある実態のような気がします。
過去『ヌーヴェルヴァーグ』で、ドロンとゴダールが組み、その引用の洪水にふれたとき、同様の矛盾が一気に止揚した記憶がありますが、現在の「ハリウッド作品」と「第七芸術としての映画」には、その矛盾統一の体系は、まだ整理されていないように思うのです・・・・?

>オカピーさんの選定されてる作品?
これは、もう選び抜かれたベスト作品ですから・・・。
では、また。
Commented by 用心棒 at 2006-11-11 23:11 x
 トムさん、オカピーさん、こんばんは。
>『マタンゴ』!面白いくらい合いませんでしたね(笑い)。かえって楽しかったですよ。

>『激突!』ですか?素晴らしい作品ですね。顔を出さないトラックの運転手が素晴らしく効果的で、見えないものへの恐怖映画(ジェイソンみたいに出てこない。出ると恐くない!)の原則を忠実に守り、トラックという道具が擬人化?擬怪物化?させて最大の効果を上げたのが『激突!』だったんでしょうかね。
 そして同じくスピルバーグ監督の『ジョーズ』を見たとき、何故か僕はフリッツ・ラング監督の『M』を思い出しました。
 どちらも視点と音楽の使い方、そして優れたホラー映画感覚にゾクゾクしたからでしょうか。あまり関係ないかもしれませんが、ついコメントをしてしまいました。ではまた。
Commented by 用心棒 at 2006-11-11 23:18 x
 トムさん、またまたこんばんは。立て続けのコメントをお許しください。
『妖星ゴラス』『世界大戦争』『マタンゴ』など東宝作品にはSF映画の範疇を超えたカルト的人気を持つ作品が多いわけですが、トムさんは『マタンゴ』をどう思われますか?
 まったく元記事に関係ないので恐縮ですが、いかがでしょう?
Commented by Astay at 2007-01-19 16:49 x
トムさん
『暗殺者のメロディ』読ませていただきました....トロツキー自身についてもちゃんと研究されてますね、素晴らしい!
mixiのサイトでジョセフ・ロージー監督の話題が出たので『暗殺者のメロディ』をブログに取り上げてみました
何回観ても理解し難い部分があるのでまたしても【狭く浅くさり気なく】をモットーに
ポイントをトロツキー・バートンの流血顔にしてみました
TBさせていただきます~毎回スミマセン
Commented by Tom5k at 2007-01-20 01:28
>おお、Astayさんなら絶対来ないと思っていたページだったのに、ご来訪していただきました。うれしいなあ。
記事までTBしていただきまして、ありがとう。
しかしAstayさんに懸かると、このような前衛作品まで
【狭く浅くさり気なく】なのですね。凄い一貫性、平常心でございます。
わたしは、中学生のときのTV放映で初めて観たときは、あれがあのアラン・ドロンだとは信じたくありませんでしたよ。ホントにショックを受け、ファンをやめようかとまで思いました。
しかし今では、ヴィスコンティ、クレマン、メルヴィル、デュヴィヴィエのドロンも大好きですが、ロージーのドロンが一番好きです。ロージーのドロンも②③とシリーズしていきたいんですよね。
>mixiのサイトでジョセフ・ロージー監督の話題が・・・
どのような内容でした?興味が湧きます。
Commented by Astay at 2007-01-21 00:22 x
ロージー監督は社会派ですが、mixiで話題になったのは意外にも『唇からナイフ』でございます
私にピッタリでしょ
弾けたモニカ・ヴィッティも楽しいですよね!
(実はmixiの管理人がモニカのファンなのです)
ヴィスコンティ、クレマン、メルヴィル監督も登場済みです

『私刑警察』書かれたのですね、明日ゆっくり読まさせていただきます
あの作品にも疑問点が多いので・・・
Commented by Tom5k at 2007-01-23 20:52
>Astayさん、こんばんは。
これ、ロージー監督でモニカ・ヴィッティの他にダーク・ボガードとテレンス・スタンプ共演と聞くと、どれだけ凄い前衛作品かと思いますよね。モニカ・ヴィッティがコメディが出来る女優さんであったことと007が全盛期だったこと、ロージー監督の亡命先がイギリスだったことなどから作ることができた作品だったのでしょうね。
『私刑警察』は①に引き続き、ペール・ラシェーズ墓地シリーズになってしまいました。作品そのものについては③をお待ち下さいませ。
では、また。
Commented by 武田 at 2007-03-06 23:23 x
トムさま、こんばんは。
去年の10月に「パリの灯は遠く」で初めてお伺いした武田です。
ドロンファンである母の元からようやくDVDが返ってきて、やっとこの作品を鑑賞できました。
拝読させていただき、またまたものすごく勉強になりました。(私、恥ずかしいことにトロツキーも知らなかったのです)
作品もすごかったですが、ドロンの見たことないような演技に圧倒されました。演技派!!と嬉しくなってしまったりして。途切れることのない緊張感に胃がよじれました。
コカコーラの掲示板は気になったのですが、そういうふうに考えたらいいのですね。子供の頃から、団塊世代の母に身振り手振り付きでドロンの色々な映画について聞かされてきたせいですっかり見た気になっている作品も多いのですが、実際には12本も見たかしら?という感じです。ずっと見たかった「恋ひとすじに」はいつになったらDVDになるのかしら・・とロミーを見ながら思ってしまいました。
Commented by Tom5k at 2007-03-07 23:23
>おおっ!武田さんではありませんか!良くおいでくださいました。
もしかして、ドロンというより、ロージーにはまっているのではありませんか?もしそうであれば、わたしのお気に入りの「豆酢さんの「Director's Chair」というブログ」にいくつかの素晴らしい記事があります。上記の*エキサイトブログから入れます。御覧になってくださいまし。
武田さんは、いわゆる団塊ジュニアの世代なのですね。親御さんがドロン全盛期の世代ですね。
しかし『暗殺者のメロディ』は、そういう観点からは理解できないかも。わたしの母もこのDVDを観て、ひっくり返っていましたよ(母の青春時代は『太陽がいっぱい』のころです)。
Commented by Tom5k at 2007-03-07 23:27
>続き
ドロンを俳優として理解している人は、ほとんどいないですよ。お母様も恐らく娯楽映画の大スター、クールでニヒルな殺し屋という一般的なファンでいらっしゃると思います。
>ドロンの見たことないような演技
ドロンでなくても、観たこと無いですよ。本当に絶句でしたね。元来アラン・ドロンは、俳優としての勉強などは体系付けてしていないようで、独学あるいは現場の演技指導と経験で演技していたようです。
ドロンの世代の俳優は舞台でも映画でもソ連のスタニフラフスキー・システムというリアリズム作品での演技が主流だったようです。ライバルのベルモンドやハリウッドのアクターズ・スタジオがこのメソッドで有名です。
ドロンは、旧ソ連のエイゼンシュテインの俳優論であった型(タイプ)、ロシア語でティパージュの体系にあたる俳優であるように、わたしは思っています(現在勉強中)。かたい話しになってすみませんでした。
また、いつでも、いらしてくださいね。
あっそれから、わたしも「恋ひとすじに」の日本でのDVD化を強く望んでいます。ロミーも素晴らしい女優さんですよね。
では、また。
Commented by 武田 at 2007-03-08 21:11 x
トムさま、ご丁寧に色々と教えてくださりありがとうございます。
豆酢さまのブログにもまたお邪魔させていただきます。
母(まさに一般的なファンで、「サムライ」「地下室のメロディ」がベストなんだそうです)も、私(「フリック・ストーリー」「山猫」「危険がいっぱい」が特に好きです)も単なるミーハーファンでして・・。でも、今回の暗殺者は素晴らしくて、どうしましょ・・と吃驚するばかりでした。娘が大きくなったら、どういう順番で見せようかしら、と呑気な楽しみが増えました。
Commented by Tom5k at 2007-03-09 23:01
武田さん、こんばんは。
>娘が大きくなったら
間違いなく、怪傑「ゾロ」から観せましょう。それから、少ないですけどコメディも何本か撮っています。その後は、『山猫』でエレガンスに。
ファンになったら、フィルム・ノワールでジャン・ギャバンやメルヴィル、ジョヴァンニなど、おばあちゃんと話が合うでしょう。
慣れてきたら大人向けの恋愛もの、そのあとは「彼氏」次第というのはどうでしょう?
ロージーは観せなくて良いのでは・・・(笑)?
では、また。
Commented by 豆酢 at 2008-06-26 12:44 x
トムさん、TBとコメントをありがとうございました。ようやくTBをお返しすることが出来ます。

ロージーいわく、「あまりに長い時間が闘いに費やされてしまい、もうたくさんだという気がしている…」
トロツキーもレーニンもスターリンも、激動の人生の最中にはこんな風に感じたこともあったかもしれませんね。彼らが正しい、あるいは間違っているということではなく、思想の相違によって間違った行動に走ってしまう大衆心理の恐ろしさを、彼らの人生や赤狩りの歴史から学ぶことが出来ます。
しかしながら、真に優れた芸術とは…映画も音楽も文学もそうですが…、現実世界の中に生じる様々な軋轢にこそ生まれるものであります。幸か不幸か、現実に苦労の絶えなかったロージーは、いくつかの素晴らしい作品を残しました。思想家であるとはいえ、前記3名も歴史に確かに足跡を残しましたしね。その良し悪しは別にして。

それから、すいません、上のトムさんのコメント、ちょっと笑わせていただきました(笑)。

>ロージーは観せなくて良いのでは・・・(笑)?

私も同感です(笑)。
Commented by Tom5k at 2008-06-26 23:40
>豆酢さん、こんばんは。
人間がイデオロギーに縛り付けられて、狂信的になる悲劇は、まさにロッセリーニの『ドイツ零年』の主人公の少年、ほんとうに最悪の悲劇として描かれていました。怖いことです。
それにしても、この作品のアラン・ドロンはソ連側の暗殺者ですが、翌年の『スコルピオ』は、CIAの殺し屋、どちらも巨大な組織に利用される悲劇的な男を演じていますが、冷戦中の時代、フィルム・ノワールで確立したキャラクターを、こういう社会派アクションで活用できたことは、もっと評価されてしかるべきと思っています。
彼の殺し屋を演じた頂点が、この2作品であると未来における俳優史に刻まれるはずです。だって凄いことですよ。ほんとに。
しかも、自分の生き方は、『パリは燃えているか』で演じたデルマスと同様、ドゴール主義を信奉しているそうですからね。ほんとにいい意味でしたたかです。
だから、ドロン好きなんですよね。
では、また。
Commented by mchouette at 2008-10-02 11:08
トムさん おはようございます。
昨日TSUTAYAで「暗殺者のメロディ」がレンタルから戻ってきていたので即レンタルして観ました。
多分、当時の私は尖っていたから、こうしたテーマを描いた映画は公開時には観なかったでしょう。トロツキーを語れるのか?ロシア革命を語れるのか? 映画という娯楽産業(と当時はそう思ってました)で描いた作品は、微妙に避けて通っていたから。この時の私の尖りというのは、またゴダールに通じるものを感じるわけですが…。
「パリの灯は遠く」を初めて観たときは、それまではステレオタイプの俳優という印象を持っていたので、ドロンにこれだけの内面演技ができるのかと、役者としてのドロンをあらためて評価した私です。
ヴィスコンティ作品のドロンよりもルネ・クレマン作品のドロンの方が魅力的に見えることとつながるかもしれません。
続きます。
Commented by mchouette at 2008-10-02 11:09
あくまでも私見ですが、
ヴィスコンティは己の美学を体現する素材として役者を捉え、美学の枠にはめて素材を料理した。そこでは最高の演技と最高の味を求められ、そういう意味では鍛えられただろうけれど、役者にとっては達成感よりもむしろ疲労感しか残らなかったのではないでしょうか。とりわけドロンといった世間からはみ出して生きてきた人間には、役者としてのキャリアにとっては名誉だけれど、それはとてつもなく窮屈な世界であったのではなかろうか。
「若者のすべて」のドロンよりも、同じ時期の「太陽がいっぱい」のドロンが長く語られ続けるのは、ドロン本来が生き生きと存在していたからではないだろうか。
ドロンとはその美形が災いして、一つのステレオ・タイプとして観られるという、これは役者としての致命傷ともいえる悲劇ではないだろうか。役を突き破ってドロンがどうしても表に出てくる。それを映像から殺したのがヴィスコンティで、滲み出るまま描いたのがルネ・クレマンのトム…そんな気がする。
Commented by mchouette at 2008-10-02 11:09
町のチンピラしかすぎなかった彼はここまでの演技ができる役者に
成長していたけれど、どっかでドロンという固まったイメージが一人歩きし、見るものはそのイメージをドロンに求め、ドロンもそれに応えてきた、というかそこを巧みに世渡りをしてきた。自分をコントロールする能力に長けていたのか、世間を人よりも少し多く知っていたのか、サバイバルに長けていたのか…そういう意味でも凄い役者だとも思えてくる。続きます。
Commented by mchouette at 2008-10-02 11:51
さて、本作…
ソクーロフ監督の「牡牛座~レーニンの肖像」とアンジェイ・ワイダの「灰とダイヤモンド」を関連でTBしますね。
書かれているようにドロンもシュナイダーも、それからバートン それぞれの演技、見応えありました。
トロツキー暗殺者フランク・ジャクソン(ラモン・メルカデル)以降は実名のラモンで話しますね。
ラモンは熱烈なるコミュニスト、というよりも彼の世界はそれしかなかった。それしか知らなかった。レーニンの時代の人間ではなくってスターリン時代の人間だったのでしょうね。スターリニズムが彼にとっては生きるうえでの思想であり、真実であった。それしか知らなかった。
Commented by mchouette at 2008-10-02 11:51
長くなってます。
一人の野望を持った人間の手に権力の全てが握られたとき、トムさんが書かれているようにレーニニやトロツキーさかのぼればマルクス、キリストの教えもゆがめられ、主義と言う名で人々を抑圧する権力行使の武器という暴力となって一人歩きしだす。もっと恐いのは悪が善として罷り通り、人々が真理として盲信すること。その極みが戦争でしょう。
ラモンが「英雄になるぞ」というその言葉に敏感に反応し、そのことがコミュニストしての己の使命と信じ、最後に「私はトロツキーを殺した」という。トロツキーが誰であるのか、彼がどのような思想を持つ人間か、トロツキーの人間性はすでにそこにはなく、暗殺対象者という一つの記号でしかなく、一つの思想が力をもつとここまでの暴力をもつということ。これが本作で彼が描こうとしたことでしょうか。
Commented by mchouette at 2008-10-02 11:51
そうしたモランという人間を生み出した背景…レーニンからスターリン、そしてトロツキー…スターリンという時代。ラモンという狂信者。
そうした政治的あるいは思想的な背景に対する言及が弱いような気がしたわ。それがみていて少し不満に思えた。
1972年といえば冷戦のさなかとはいえスターリンに対する総括はできえた思う。普遍性よりももっと時代を描いて欲しかったわって、一度きりの鑑賞だけど、みていてそう思った。
またいつもの私のないものねだりjかも知れないけれど…。
関連で一人の暗殺者を描いた「灰とダイヤモンド」TBしますね。
Commented by Tom5k at 2008-10-02 23:33
>シュエットさん、熱いメッセージありがとう。
>「暗殺者のメロディ」
これは、多くのアラン・ドロン・ファンにとって、クビを傾げる作品だったんじゃないでしょうか?
わたしが初めて観たのは中学生のときのTV放映です。観終わったあとは全身汗びっしょり、だけど意味が全くわかりませんでした。
>ステレオタイプの俳優
まあね。そこはファンとして、それも良いんです。ご理解を。
でも、アラン・ドロン・キャラクターというのも、微妙にいろいろあって、同じ殺し屋やギャングでも作品傾向は、監督などによってさまざまあります。
>ドロンにこれだけの内面演技
演出によって引き出されているんでしょうね。だから監督によるものだと思ってます。日本の三船敏郎なんかも、黒澤監督の作品と黒澤以外の作品では、天と地の差があるんではないかな?
Commented by Tom5k at 2008-10-02 23:38
>続き
>ヴィスコンティ作品のドロンよりもルネ・クレマン作品のドロンの方が魅力的に見える・・・
おおっ!これは・・・何か説得力のあるコメントですね。
アラン・ドロンがヴィスコンティの演出に危険性を感じて去った、との見解は案外多くの同批評がありますが、ドロンのスター俳優の魅力まで言及されているのは、シュエットさんがはじめてかも。
>「若者のすべて」のドロンよりも、同じ時期の「太陽がいっぱい」のドロンが長く語られ続ける・・・
ただね、これは日本でのアラン・ドロンなんですよね。ヨーロッパではヴィスコンティやロージーのほうが評価が高いようです。
>ドロンとはその美形が災いして、一つのステレオ・タイプ・・・役者としての致命傷ともいえる悲劇・・・
おっしゃるとおりでしょうね。これは、蓮實重彦さんと淀川長治との対談で淀川さんがそれを見抜いて言及されています。淀川さんは、さすがで、ドロンの芸域の広さにも言及されていて、
>町のチンピラしかすぎなかった彼・・・
だから(若い頃からの苦労が多かった)こそ、役者としての才能を開かせることができたと・・。
Commented by Tom5k at 2008-10-03 00:36
>続き
ただ、わたしが不満なのは、彼は所詮アイドルの粋をでていない、と総括されていることなのです。
ここのところは、徹底的に反発したい!無駄な抵抗でもね。でも説得力あるんだよなあ。
>「牡牛座~レーニンの肖像」「灰とダイヤモンド」
ワイダは、何本か見ています。後でお邪魔しにいきますね。
>「暗殺者のメロディ」
>政治的あるいは思想的な背景に対する言及が弱い・・・
おっしゃるとおりでしょうね。ただ、この作品自体のテーマが、イデオロギーの直接的なメッセージではなく、暗殺者を生み出すことへの想像力を喚起するものだったとわたしは捉えています。すなわち、それはスターリニズムへの批判、そして、それを生み出したのは何故なのか、何なのか?と・・・
スターリン批判は、フルシチョフ以降の西側の利用、キャンペーンもあり、独裁者としてヒトラーなどと同列にされていることが多かったですけれど、ロシアにはスターリン時代を懐かしむご老人たちもまだいるようで・・・ほんとのところは歴史の裁定となるのでしょうがね。もちろん、功績より独裁の弊害のほうが、はるかに多かったと思いますが。
では、また。
Commented by mchouette at 2008-10-03 10:19
トムさん、思うまま書き連ねた文章をきちんと受け止めてくださって
ありがとう。
>ロシアにはスターリン時代を懐かしむご老人たちもまだいるようで・・・
私も映画観た範囲の推測なのですが、プーチン政権下でイギリス亡命中のリトビネンコ暗殺を描いたドキュメンタリー「暗殺:リトビネンコ・ケース」で、言葉はさすれたけれど、あるロシア人が、ロシア人とは支配されることにならされている民族だと。日本人に似ているなって印象を持ったのですが、そういうところで、スターリンは自ら象徴として父性を積極的にアピールした。そして今スターリンが作り上げた父性像をプーチンが引き継ぎ積極的に進めている。
この間、ロシア映画における父と息子を描いた映画を記事にしていてそれをあらためて強く感じました。「父、帰る」「パパって何?」TBしますね。併せて「リトビネンコ・ケース」もTBしますね。
Commented by mchouette at 2008-10-03 10:29
トムさん 続き
>だから(若い頃からの苦労が多かった)こそ、役者としての才能を開かせることができたと・・。
私もそう思う。目の光の屈折が違うんだよね。それはまた最近の若い俳優と数十年前の俳優たちと比べても分かる。存在感の重みが違うんだよね。やはり数十年前はいまよりも苦労している。今はイージーに売れればスター、セレブの時代。ショーン・コネリーのあの重厚感も、労働者階級の彼が話し方から身のこなしまで何度も訓練して身に着けていった。ドロンもそうだったと思う。
「暗殺者のメロディ」や「パリの灯」などみていても、演技者として評価があってもと、私も思う。
とはいえ、日本人には「太陽がいっぱい」のドロンが強烈ですものね。息子もこの作品のドロンは「すごく魅力あるなぁ」って感嘆ものでした。
Commented by Tom5k at 2008-10-04 00:52
>シュエットさん、コメント・TBありがとう。
>ロシア人とは支配されることにならされている民族・・・
どうなのでしょうね?そういった国民が近代以降に2度も革命を起こすことが信じられません。
日本人には、極めて、限りなく、不可能に近いような気がします。
>スターリンが作り上げた父性像をプーチンが引き継ぎ
確かに、確かに。
ただ、わたしが街頭インタビューで見た、むかしを懐かしむ老人が言っていたことは、失業がなかった時代の話でした。気質ではなく、生活の懐古だったように記憶しています。
アラン・ドロンに関わっては、映画俳優史にどのように位置づけられるべきかは、フランス映画史の今後の総括によるものと考えています。フランス映画史が、現在と異なってくることは間違いありません。
「ヌーヴェル・ヴァーグ」とそれ以前の「詩的レアリスム」との関係を明らかにして、今日のルコントやカラックス、ベネックス、ベッソン、ガレル等々の功績が次世代に渡されていかねばならないのです。
そして、「太陽がいっぱい」の本当の評価が、そのときになって明らかになってくると思っています。
では、また。
Commented by mchouette at 2009-01-30 11:32
トムさん ゲバラ関連でこちらにもお邪魔します。
>彼(トロツキー)は、かつての同志スターリンの独裁政治の犠牲となり、亡命先のメキシコで暗殺されました。
CSで「フィデル・カストロ~キューバ革命を語る」という番組があり、ゲバラが信奉していたのはマルクスやレーニンだ。彼は断じてトロツキストではない、とムキになって主張してましたね。なにやらこの歴史的事実と重なる……。
スターリニズム官僚主義とともに、「トロツキスト」は過激な暴力主義の代名詞としてトロツキーに与えられているのは負のイメージ。
>「すべての道はマルクスから発しているということで、不確かなことは、誰がそれを貫いているかということだ」
ジョセフ・ロージーの言葉。


Commented by mchouette at 2009-01-30 11:33
続きます。
今回ゲバラを描いたソダーバーグや、これを提案した俳優のベネチオ・デル・トロ…彼らには、なぜゲバラを描くのかといった主題が
どこまであるのやら。現代人が失いつつあるものを濃厚にもつ魅力ある人物としてゲバラを描いていたのなら、お粗末の一言でしかありませんよね。先にコメントをいれたアントニオーニにしろ、ジョセフ・ロージーにしろ、この時代の監督たちが確かに持っていた、むしろそれなくしては映像として語りえない、時代にきりつけるテーマ。
時代がますます希薄になっているんでしょうかねぇ。
Commented by Tom5k at 2009-01-31 21:33
>シュエットさん、こちらにもありがとう。
>「すべての道はマルクスから発しているということで、不確かなことは、誰がそれを貫いているかということだ」
思想性においては、トロツキストの定義は非常にあいまいで、その意味で、この『暗殺者のメロディ』は意義深い作品であると思っています。
>ソダーバーグのゲバラ
この作品は未見なのですが、今の時代にこの題材を選んだだけでも、頑張っているともいえるのでは?
でも、ソダーバーグは、たぶん期待されるべき現代および今後の演出家であることはまちがいないのでしょうから、もっと突き詰めていってほしいですよね。
シュエットさんのご不満、何だかよくわかりますよ。
>アントニオーニにしろ、ジョセフ・ロージーにしろ、この時代の監督たちが確かに持っていた・・・
映画界においても前時代からの継承や新時代に生きる者としての批判力が必要なわけですから、もっと先人の映画人たちの思想性から学んで深めてほしいです。
Commented by Tom5k at 2009-01-31 21:35
>続き
わたしは、次の記事、ポーランド派のアンジェイ・ワイダでアップする予定なんですけれど、そのときに浮かび上がってくるのが、ヴィスコンティやアントニオーニ、クレマンやロージーなんですよね。
映画におけるリアリティに、わたしは最も魅力を感じます。
それにしても、何度も言いますが、アキム・コレクションうらやましいなあ(笑)
では、また。
Commented by 用心棒 at 2010-02-09 22:44 x
こんばんは!

 やっとエイゼンシュテイン監督作品を書き終えました。いま見ることの出来るものはたった7本しかありませんでしたが、いざ記事にしようとするとなかなか捗りませんでした。

 黒澤作品でまだ書いていないのも10本以上ありますし、あと5年は掛かりそうです。

>アンジェイ・ワイダ
楽しみにしております。今月からBSで初期三部作品を放送してくれるので、『世代』を待っている状態です。『カティンの森』も観ましたが、まだまだワイダは衰えておりませんでした。

 ではまた!
Commented by Tom5k at 2010-02-11 23:56
>用心棒さん、こんばんは。
>エイゼンシュテイン監督
おおっ、映画の基礎・・・まさに。
わたしは映像が視覚を通して人間にどう影響を与えてきて、今後どう与えうるのかまでをも考えたとき、エイゼンシュテインの映像に遡らなければならず、そのプロセスでゴダールは、必須であると思っているのです。
現代の文化である「映画」は、人類をどの方向に向けることが可能なのでしょう?
まだ観に行っていないのですが、「アバター」なんかも熟考を要する新映画なのでしょうかね?
そう考えると混乱してきますよ。

>黒澤作品
これは、わたしとしては、オカピーさんや用心棒さんの記事で、まだまだ刺激を受けていきたい。
そして、ドロンで実現しなかった黒澤作品に、こだわっているわたしとしては、アラン・ドロンを深く知るためにも黒澤作品の理解は必至と思っています。

>アンジェイ・ワイダ
現在、ポーランド派などの作家は社会主義崩壊後の今の状態をどのようにとらえているんでしょう?
カヴァレロヴィッチなどは未見で勉強不足ですが・・・ワイダは、未だ自身の苦悩を総括している過程にあるように思います。
では、また。
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