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映画作品から喚起されたこと そして 想い起こされること

by Tom5k

『エアポート’80』②~驚くべきアラン・ドロンのエアポート・シリーズへの出演~

 アラン・ドロンの出演した作品の中で、その傾向があまりに意外で驚いてしまう作品が少なくても三作品あることについては以前から記事内容として掲載してきました。『レッド・サン』(1971年)、『アラン・ドロンのゾロ』(1974年)、『エアポート’80』(1979年)です。
 そして、それらの作品は恐らく、彼がジャン・ギャバンとともに尊敬するバート・ランカスターに大きな影響を受けて出演した作品だったとの私の考えは、【『レッド・サン』③~ 尊敬するバート・ランカスター、そして、アメリカ映画へのこだわり ~】に掲載したとおりです。

 そして、最近の私にとっては、たくさんの想い出がこの三作品にもあったことを思い返すようになりました。

 アラン・ドロンのことを知ったばかりの小学生の頃、彼が三船敏郎とチャールズ・ブロンソンを敵役にした西部の悪漢として『レッド・サン』に出演していたことは、テレビの映画特集などを見たことで知っていましたが、アラン・ドロンのファンになってからは、西部劇のジャンルに日本人の三船敏郎が出演していること、その共演が不思議なことでした。
 なお、アラン・ドロンは日本でたいへん人気のあったスター俳優だったので、三船敏郎との共演は、映画ファンに留まらず日本人全体にとっても非常にセンセーショナルな出来事だったと思います。

 現在の私としては、三船敏郎の出演については彼が国際的な俳優であったこと、西部劇の舞台設定については、大政奉還後の廃刀令前の時代設定において、日米友好の使節団として派遣された武士・サムライであることなどから、まだ納得出来なくはありません。
 しかし、アラン・ドロンは、フランス人として出演しているわけではありませんし、ヨーロッパのダンディズムを体現していたスター俳優だったわけですから、このような典型的な西部劇の悪漢として出演していたことは現在においても非常に不思議なわけです。
 もちろん、それ以前の『テキサス』(1966年)も西部劇ですが、彼の若い頃の渡米時代の作品ですから、アメリカ映画であれば西部劇であろうと戦争映画であろうと、それはあり得るわけです。むしろ出演作品のジャンルよりもアメリカ映画に出演していた時代があったことに驚くべきであると考えています。

 そして、『アラン・ドロンのゾロ』です。
 私が小学4~6年生の頃には、『暗黒街のふたり』(1973年)を従姉家族が観に行ったことや、『個人生活』も伯母・伯父夫婦が結婚記念日に観に行ったこと、『アラン・ドロンのゾロ』の撮影中にこの作品の完成をもって映画俳優を引退すると宣言したことなど、我が家庭でもアラン・ドロンやその公開作品の話題が多くなっていました。
 また、その頃は、『ボルサリーノ2』(1974年)や『愛人関係』(1974年)公開の宣伝広告が新聞紙面によく掲載されていたので、子供ながらに彼のスター俳優としてのイメージが、ダーバンのCMやテレビ放送されていた出演作品とともに私の中に定着していきました。

 しかし、私は、まだ、ジョンストンマッカレーが創作した「怪傑ゾロ」自体のキャラクターを知りませんでしたので、映画雑誌などのアラン・ドロンの仮面姿の写真を初めて見たときには、

> あれ?この映画、新作かあ???
 でも、前にテレビでやってたよなあ?確か・・・。※ 『世にも怪奇な物語 第二話 影を殺した男』じゃないのかな???
(※ 私のクラスにも『黒いチューリップ』と勘違いしていた女子がいました。)

 そんなことから、アラン・ドロンが演じた主人公に二重人格のキャラクターが多いことを知ったのもこの頃でした。

 なお、彼が「ゾロ」を演じることについては、私よりも、むしろ父親が驚いていました。
>父親
 何いぃ???アラン・ドロンが「ゾロ」~???・・・そりゃないべぇ~!
 「ゾロ」はなあ、おまえ!タイロン・パワーとかよ。

>トム(Tom5k)
 へぇ~「ゾロ」って有名なんだ?
 他の俳優で誰がいた?

>父親
 ん?んん?・・・そうだな?・・・おう!エロール・フリンよ!

 「嘘」です!
 エロール・フリンは「ゾロ」を演じていません。その他、ノー・コメント・・・ということで。


 『フリック・ストーリー』(1975年)公開以後、アラン・ドロンの作品は必ず映画館に足を運んでいた私は、既に高校2年生になっていました。
 ある時、映画雑誌「スクリーン」や「ロードショー」を立ち読みしていると、アラン・ドロンのパイロット姿とシルヴィア・クリステルのスチュワーデス(キャビンアテンダントあるいは客室乗務員)姿の写真による『エアポート’80』のPR記事が掲載されていたのです。

 このときは、本当に驚きました。アラン・ドロンの次の出演作品が、あの人気パニック映画シリーズなんて・・・しかも、主役の機長を演じるなんて、あり得ない!

 既に当時の私は、

> アラン・ドロンのことなら何でも来い!おれは、「アラン・ドロン」博士だぞ!

と自他ともに認めるわきまえの無い時期であったにも関わらず、彼がこのシリーズに出演するなどとは考えたこともありませんでした。

 『アラン・ドロンのゾロ』も、そのキャラクターを演じることは、当時の常識から意外だったわけですが、イタリア資本と提携したヨーロッパの作品でしたし、当時は愛息アントニーにせがまれて出演したと、本人の上手な言い逃れ(現在の私は、これがアラン・ドロンのてらいないファンへの言い訳だったと考えていますが、どうなんでしょうか?)によって出演理由が発信されていましたから、まだ納得出来ないわけではありませんでした。

 しかし、エアポート・シリーズについては、純粋なアメリカ映画、ユニバーサル社の人気パニック映画のシリーズです。
 本当に「ぶったまげる」とは、このことです。

 当然、「この作品のこの登場人物はアラン・ドロンで行こう!」と考える・・・企画・立案する製作者サイド、つまり業界の仕掛け人は存在するのでしょうが、少なくてもそのオファーを受けて出演する意思を固める俳優本人にとっても、そのストーリー・プロットや演じるキャラクターなどを勘案した演じるための強い意欲が、映画出演を承諾するための必須要件となると思います。
 ですから、そのときの出演動機、特に演ずるための経験やモデルが、どこかに存在しているはずなのです。

 恐らく、アラン・ドロンは『レッド・サン』において、『ヴェラクルス』(1954年)の素晴らしい悪役ジョー・エリンを演じたバート・ランカスターをモデルとし、『アラン・ドロンのゾロ』においても『怪傑ダルド』(1950年)や『真紅の盗賊』(1952年)などの冒険活劇で大活躍しているバート・ランカスターからの影響や刺激を受けて出演したに違いありません。『真紅の盗賊』での聾唖の部下が活躍する人物設定も『アラン・ドロンのゾロ』と似ています。

 今回は言わずもがな、この『エアポート’80』も、『大空港』に出演したバート・ランカスターの影響だったと、現在の私は察しているわけなのです。

 そんなことから、最近、『大空港』のDVDを久しぶりにレンタルし鑑賞しました。
 むかしは、よくテレビ放映されていましたし、レンタルビデオ(DVD・BD)の時代になってからも何度も繰り返しレンタルして鑑賞してきた愛着のある作品ですが、今回の鑑賞でその素晴らしさを再発見し驚いています。

 この作品は、高い知的水準を要して鑑賞する芸術作品ではありませんが、現代劇として娯楽性を追求した視覚的に強い印象を与える大掛かりなスペクタクルとしてはもちろん、様々な社会生活を営んでいる当時の典型的な人物を配置することによってアメリカ社会を反映させた群像劇として、しっかりとしたストーリー・プロットで構成されている映画作品だったのです。
 しかも、グランド・ホテル方式によるスターシステムを活用した贅沢なオールスター・キャストで構成されています。

 これらのことについては、私のブログの盟友オカピーさんも絶賛しています。

【(-略)積雪で飛行機が立ち往生する事態が終盤のパニック場面におけるサスペンスを大いに盛り立てることになるし、この部分で「グランド・ホテル」形式に則って航空関係者の相関図が頗る簡潔にして鮮やかに説明される。このスムーズな流れがあるが故に中盤以降にわかに高まるサスペンスが大いに機能することになるのである。
(-中略-)
カットの切り替えの代わりに当時流行っていた分割画面を有効に使い切れ味に貢献しているのも印象に残る。空港警備関係者を集合させるところで四隅が徐々に埋まっていくところなど特にゴキゲン。】
プロフェッサー・オカピーの部屋「大空港」のブログ記事

 こうした素晴らしいディザスター・パニック映画の作品で、その中枢の人物像を堂々と演じたバート・ランカスターは、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『山猫』(1962年)において、イタリア統一時代のシチリアにおける改革期の統治者として苦悩したサリーナ公爵の演技を彷彿させます。このサリーナ公爵が、もし現代に生きたなら『大空港』のメル・ベイカースフェルド空港長のような人物として活躍するのではないでしょうか?

 この主人公のキャラクターにも、『山猫』でバート・ランカスターと共演したアラン・ドロンは、大きな刺激を受けたよう思います。

 ところで、1970年初頭のアメリカは、1960年代の「公民権運動」を経て、1960年代後期以降の「ベトナム戦争」反戦運動の真只中であり、映画ファンの若返りとともに映画界全体が革新的な作風による「アメリカン・ニューシネマ」の時代を迎えていました。この『大空港』は、それとは異なるアメリカ映画元来の大作主義として製作されたと聞きますが、やはりその時代の影響を少なからず受けていたようにも感じられるのです。

 特に、現在のアメリカ映画のスペクタクル作品とは異なり、登場人物の生活実態が何気なくリアルに表現されているのです。
 航空機爆破の犯行を実行してしまうヴァン・へフリン演ずる失業中の建設技術者ゲレーロとモーリン・ステイプルトンが演ずる妻イネーズの居所であるアパート、イネーズが細々と経営するカフェの描写などに対して、メル・ベイカースフェルド空港長の家族の優雅な暮らしぶりの様子は、家族との電話の応答シーンでのマルチ画面により映し出されており、この当時のアメリカの格差社会が正確に描写されていたように思いました。

 航空機の空港発着による騒音公害に対する市民運動の表現も斬新だったと思います。テレビ局の撮影が終わればデモ隊が引き上げることを想定した空港側の対応など、市民運動や空港管理当局の悪い意味でのしたたかな現実が描かれていました。なお、危機発生時の緊急対応においては市民側の要求を否定しなければならないメル・ベイカースフェルド空港長の空港経営者側の役員との口論には強いリアリティがありました。

 もちろん『大空港』は、グランド・ホテル方式の群像劇、アンサンブル・プレイとしても秀逸な作品です。特に第一線で活躍する登場人物たちのそれぞれの夫婦間の問題を職業的視点で象徴的に対比させていたことには驚きました。

 まずは、メル・ベイカースフェルド空港長、ディーン・マーチン演ずるヴァーノン・デマレスト機長などのエリート層職員のそれぞれの夫婦間の様子が、緊急時の航空事故の緊迫感の中でのアンサンブル・プレイとして描写されています。

 ダナ・ウィンター演ずるメル・ベイカースフェルドの妻シンディの権威主義や仕事への無理解と家庭を顧みない夫の仕事一徹主義による夫婦関係の崩壊、その影響によるメルとジーン・セバーグが演ずる空港職員ターニャ・リヴィングストンとの恋愛関係、そして、ジャクリーン・ビセット演ずる客室乗務員グエン・メイフェンとの無責任な不倫関係が、彼女の妊娠をきっかけとして本物の愛情へと変遷するヴァ―ノンの心理描写の変遷、更に、取り残されてしまうバーバラ・ヘイル演ずるその妻サラの様子など、二組の夫婦関係と不倫関係が実に多様な視点によって分かり易く丁寧に描写されていました。

 逆に、それらと対象的なのがジョージ・ケネディが演ずる空港整備のベテラン技術者のジョー・パトローニの家庭環境です。ホワイト・カラー・エリートの空港長やパイロットの崩壊に向かっている夫婦関係と対立させて、新婚時代のように仲の良い夫婦として描かれているのです。

 私は、ジョー・パトローニ夫妻のこの設定から、テネシー・ウィリアムスの戯曲『欲望という名の電車』の主人公、肉体労働者のスタンリー・コワルスキーとステラの夫婦関係を想起してしまいました。プティ・ブルジョワの家庭の在り方に、現場労働者のような幸福を構築することの難しさを風刺していたように感じてしまったのです。

 更に、この作品では最も悲惨な夫婦として設定されているのですが、航空機の一部を爆破してしまった失業中の建設技術者ゲレーロと妻イネーズの深い信頼関係にも訴えかけてくるものがありました。

 これら四組のそれぞれの夫婦の人生模様を同時間的に交差させるストーリー・プロットの背景は、登場人物たちの階級的差異による社会矛盾を映画的手法で表していたように私には思えました。

 また、ゲレーロの航空機爆破の犯行動機には、戦場体験によるPTSDによる労働者の失業実態が遠因となっていることにも説得力がありました。実際の戦場での体験により発症してしまったPTSDが、航空機事故の起因となってしまった不幸の連鎖を、この作品では間接的に表現しています。

 そして、孫の顔が見たくて航空機への無銭搭乗を繰り返している名女優へレン・ヘイズが演じる老婦人エイダ・クォンセットのユーモアある人物設定も着目に値します。彼女の言動や行動は、この作品では寛容なユーモアにより描写されており、実に微笑ましいのですが、夫を亡くした年金生活者が遠隔地に居住している子供夫婦に会いに行くための高額な航空料金のことを含め、彼女を通じて多忙な現代社会から孤立しがちな高齢者の在り方を社会的課題として描いていたようにも感じました。

 これらの登場人物に設定されている生活の背景は、この時代ならではのアメリカ映画の特徴かもしれません。

 オカピーさんのコラムのとおり、このようなアソロジーとしての群像劇を丁寧に描写することによって、『大空港』は、観る側の登場人物への感情移入と後半部の緊張感を醸成することに成功しているわけです。

 また、登場人物のそれぞれの業務へのプロ意識とそれらの確執や協力の描き方にも関心するものがあります。
 パイロット・客室乗務員の対応、除雪作業を含めた航空整備士の知識と技術はもとより、ベテラン税関職員の不正搭乗者への洞察なども素晴らしかったですし、ベイカースフェルド空港長の危機管理の判断が的確だとはいえ、市民運動に対する航空会社役員の考え方も日常の航空機の運航のみを考えれば有効な空港管理の手法として選択肢のひとつではあります。

 それにしても、主人公メル・ベイカースフェルドの空港責任者としての業務は、たいへん大きな職責を伴うもので、私は観ていて辛くなってしまいました。

 航空機発着の空港の安全管理、パイロットや空港整備士など専門職員との調整、乗客へのサービスの提供や入国管理に関わる不正摘発、一般市民からの苦情処理、現場を理解しない空港管理会社の役員との折衝・・・なお、映画では描写されていませんでしたが、空港の施設設備の保守・点検、各種業務での職員の労務管理、委託している民間企業との契約上の業務処理の管理や指導、各航空会社間の調整など・・・このような内部管理事務の責任を一手に引き受け、そんな中での突発的な危機対応は大なり小なり日常的に発生しうるわけですから、メル・ベイカースフェルドの管理職員としての日々の疲労は生半可なものではないでしょう。

 また、空港管理業務に関わらず、一般社会においての一般職・総合職としての管理職員は、その主担当業務のみならず、専門職員の強いプライドには日頃から手を焼いてしまうと思うのですが、日常業務にも危機発生時の対応にも、必ず彼らの豊富な経験と知識による業務管理が必要になります。

 この作品でも、パイロットや空港整備士が専門職としての視野の狭さ、プライドの高さ(これらは、その職業の高度な専門性によるものだと思いますが)から、ときに暴走した業務遂行に走ってしまいがちであることも描写されています。

 もちろん、『大空港』では、彼らの経験値による判断や高度な職業的スキルによる業務遂行によって、結果として乗客の命を守る崇高な使命を全うし、航空機事故の危機対応に貢献していく過程により構成されています。
 しかし、ここで忘れてならないことは、その彼らの素晴らしい航空機の運航管理、空港施設の整備などへの業績は、空港責任者としての管理職員の大胆かつ繊細で的確な調整能力や労務管理能力により引き出されていることなのです。

 この視点で考えれば、いわゆる「シビリアン・コントロール(文民統制)」は、軍隊(日本においては自衛隊)においてのみに適用されるシステムではなく、あらゆる社会的組織の総合職と専門職の関わりにおいても適用されるべきシステムであるのかもしれません。
 そんな意味からも、この作品は現実的な社会制度の在り方を映画的に提示していると思いますし、危機対応の基礎・基本をリアルに描写した優れたディザスター・パニック映画だと言えましょう。

 映画の製作や出演以外のビジネスにも精通していたアラン・ドロンにとっても、『大空港』は強く興味が喚起される作品だったのではないでしょうか?

 そもそも、彼の過去の作品から考えても、オールスター・キャストのオムニバス形式の作品や群像劇としての大作への出演は、最も得意とするところだったと思います。
 オムニバス形式の作品は、『素晴らしき恋人たち』(1961年)、『フランス式十戒』(1962年)、『黄色いロールスロイス』(1964年)、『世にも怪奇な物語』(1967年)、アンサンブル・キャストの作品としては、『名誉と栄光のためでなく』(1965年)、『パリは燃えているか』(1965年)、『仁義』(1970年)などの豊富な経験があるからです。

 そして何より、敬愛するバート・ランカスターの素晴らしさが、斬新なディザスター・パニック映画としてのスペクタクルにより、アメリカ映画において全面開花しているわけですから、彼にとっての映画的興味・関心は尽きなかったと察します。

 そんなことを考えると、アラン・ドロンが『エアポート’80』への出演オファーを最大の歓びをもって引き受けたことは、まずは間違いないでしょう。

 ただ、残念なことに『エアポート’80』は、興行的に成功には至らず、このシリーズでは最も低い評価しか受けていない作品でもあります。
 それでも私は、敢えてこの作品の魅力を【『エアポート’80』~「グランドホテル方式」、その「モニュメンタリティ」としての映画様式~】の記事として掲載しました。

 私は、『エアポート’80』製作当時に、フランス国家の記念碑的オブジェとも考えられていた超音速航空機コンコルドの美しい雄姿を、フランスの国際スターであったアラン・ドロン、シルヴィア・クリステルとの対比で捉えたフィリップ・ラスロップのカメラはエアポート・シリーズ随一を誇るべきだと考えています。

 ハリウッドが、近代的で美しいコンコルド機にシンボライズするため、この二人のフランスのスター俳優を招聘したことに加え、まだ冷戦の最中であったとはいえ、アメリカを始め西側主要国が、翌年にボイコットしてしまうにも関わらず、モスクワ・オリンピック参加選手を登場人物に据えたモスクワへの親善運航のプロットを改変せずに完成させたことは、アメリカにおける極端な政治的判断を超えた映画制作の心意気であったのではないでしょうか?!

 ですから私は、この作品を世界供給して公開できた意義は非常に大きかったと思うのです。
 冒頭、パリ、エッフェル塔を中心に映し出し、そのスクリーン下部、セーヌ川のグルネル橋のたもとに位置する「自由の女神」像と併せたフレーミングから始まるファースト・ショットは、ハリウッド映画界からのフランス国家への友好・称賛を意図して、アラン・ドロン演ずるポール・メルトラン機長とジョージ・ケネディ演ずるパトローニ機長との協働・連携関係の設定を象徴させていたと考えられます。

 これらの表現は映画としては断片的であり、その完成度としては不十分だったかもしれませんが、アラン・ドロンとしては、シリーズ第一作『大空港』で描かれていた群像劇を国際友好の規模にまで拡張したスケールで製作されたこの作品への出演には充足感を得られたのではないでしょうか!?

 もちろん、それにもまして、敬愛するバート・ランカスターの主演で始まったこのシリーズに出演できたことのみをとっても、彼の満足感を充たさせるのには十分な作品だったはずだと私は考えてしまうのです。



by Tom5k | 2020-05-10 16:02 | エアポート’80(2) | Trackback | Comments(0)
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