『ヌーヴェルヴァーグ』②~映画とは? ゴダールの主張、そして巨匠たちの共通項「アラン・ドロン」~

 映画の初期は今の映画の概念とは異なり、単に風景や事件の「動く写真」でした。それがメリエス、エイゼンシュタイン、チャップリン、シュトロハイム、グリフィスなどの優れた映画の先駆者たちによって、モンタージュ、クローズ・アップ、カット・バック、フェ-ド、オーバーラップなどの技術的な試みがなされ、その後のトーキーやカラー映像の時代を経て、CGを中心とした特殊撮影など現在の映画の在り方まで、創り手も観客もようやく辿り着いてきたわけです。

 19世紀後半から20世紀初頭のフランスにおいては、映画の発案者リュミエール兄弟からトリック撮影の開発を試みたジョルジュ・メリエス、そしてパテ社やゴーモン社により映画が産業化された時代を経て、いよいよ1908年には「フィルム・ダール社」によって『ギーズ公の暗殺』と言う舞台演劇の延長のような作品が制作されます。「フィルム・ダール社」は、その後も多くの芸術作品を量産し、映画芸術を完成させていきます。
 このような歴史的経緯を振り返れば、やはり、映画の初期の勃興はフランスからであり、映画を芸術として「フィルム・ダール(映画芸術)」とした表現も、ここから始まっていったわけです。

 ジャン・リュック・ゴダール監督も村上龍氏との対談で、これらのことを踏まえ、映画の初期を解説しています。
「映画はシネマテークフランセーズで生まれ、ラングロワから学んだ。最初の映画は無声で30年間観客は困らなかった。むしろ、良く理解した。」

 しかし観る側にとっては、映画が特有の表現方法で次々に多くのことを表現できるようになる度に、逆に映画がわかりにくいものになることが多くなってしまったことも事実です。
 つまり観客にも映画を観るに当たっての学習が必要となっていったわけです。
 クローズ・アップなど、あの大画面のスクリーン上に人の顔や手を大写しにされても何のことだか分からず、カット・バックでそれぞれの状況を交互に展開させても、その意味が何なのか、画面転換のフラッシュ・バックに観客の苦情が殺到したり、観せる(創る)側、観る側の映画への創意工夫と解釈には常に困難なギャップが伴っていたようです。
 すべての映画の技巧は、ある約束に基づいて、観る側にようやく理解できるようになっていったものだと思います。むしろ、これらの矛盾こそ、映画の進歩とその原動力であったとも言えるかもしれません。

 ゴダール監督は自らのこの『ヌーヴェルヴァーグ』という作品について
「印象は思い出す。この映画はフランス印象派の最後の末裔です。」
と語っています。
 彼の言っている印象派とは絵画におけるルノワールやモネ、ドガ、後期印象派のゴッホやゴーギャン、センザンヌなどの画家のことを直接指していたようですが、わたしは、ゴダール監督の主張として過去の印象派と呼ばれる映画人たちのことを間接的に指したかったのではないかと思っています。

 映画史の研究家ジョルジュ・サドゥールは、映画芸術理論の映画評論家ルイ・デリュックをはじめ、アベル・ガンス、マルセル・レルビエ、ジェルメーヌ・デュラック、ジャン・エプスタンらの演出家たちのことを「フランス印象派」と呼びました。

 セシル・B・デミルの『チート』(1915年)から影響を受けたフランスの映画人(特にルイ・デリュックのリード)により、フランス国内では映画においての芸術運動が高まりました。
 ストーリーとは直接に関係のない表現技法が最も重要であるとし、映画技術の飛躍的発展に繋がっていきます。カットバック、ロング・ショット、クローズアップ、インサートカット、二重焼つけ、オーバーラップ、画面分割等々の斬新な手法を取り入れて「フラッシュ・バック」を完成させたアベル・ガンスの『鉄路の白薔薇』は、この印象派のテクニカル撮影の到達点だったと言えましょう。

 フランス映画界で新しい時代を創っていったのが、アベル・ガンス監督を筆頭とした印象派の映画人たちでした。後に彼は、『ナポレオン』という超大作で、三面スクリーンをシンクロさせ「トリプルエクラン」という巨大画面での映画上映を成功させ、後のシネマスコープやシネラマなどへの技術的先端を先駆けたのでした。
【参考 『フランス映画史の誘惑』中条省平著、集英社(集英社新書)、2003年】
チート
/ アイ・ヴィー・シー





鉄路の白薔薇
/ アイ・ヴィー・シー





ナポレオン
/ ジェネオン エンタテインメント





フランス映画史の誘惑
中条 省平 / 集英社





 ゴダール作品が難解なのは一般論です。わたしも他の多くの彼の作品を観る度に、いつも考え込んでしまいます。
 わたしには、彼が現在の映画とは異なる概念の映画創作を目指しているとしか思えません。

「この映画はフランス印象派の最後の末裔です。」

という発言から、彼は、まるでこのフランス印象派の時代までタイムスリップし、以降の映画史を創り直そうとしているのではないかとまで思えてしまうのです。

 仮に彼の作品(この『ヌーヴェルヴァーグ』も)が、そういった考えのなかで創作され続けてているのであるならば、彼は何故そのような試みに常に挑戦し続けているのでしょうか?

 彼は、前述してきたように今日の映画のすばらしい技術レベルの向上にも関わらず、
「映画は20世紀以降の芸術であるにも関わらず、19世紀型の芸術から抜け出せないでいた。だからヌーヴェル・ヴァーグが必要だった。」
と語っています。
 更に、現在の彼は、
「映画という手段は、その本来の使い道を見つけられないままであり、50年代後半の我々も、もうすでに遅かった。」
と自分たちカイエ派の作家主義についても総括しているのです。

 これらの言葉は、2度の悲惨な世界大戦という非道を映画芸術により食い止めることができなかったことを悔いているような多くの彼の発言、そして「ヌーヴェル・ヴァーグ」の諸作品のテーマ自体や、彼らがモデルとしてきた「ネオ・リアリズモ」の作風などからも理解することができます。

 そして、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちからの過去のフランス映画、良質の伝統「詩(心理)的レアリスム」への極端な批判に結びついた理由のひとつであり、またカイエ派のみならず、セーヌ左岸派の「シネマ=ヴェリテ(映画=真実)」の主張、特にアラン・レネ監督などの『薔薇のスタビスキー』や『二十四時間の情事(ヒロシマモナムール)』、『夜と霧』、アラン・レネ、クロード・ルルーシュ、ヨリス・イヴェンス、ジャン・リュック・ゴダール、ウィリアム・クレインが参加し、クリス・マルケルが総編集したベトナム戦争を批判した政治ドキュメンタリー作品『ベトナムから遠く離れて』などの作品における成果などにも活かされていった理由であったのかもしれません。
薔薇のスタビスキー【字幕ワイド版】
/ ビデオメーカー





二十四時間の情事
/ アイ・ヴィー・シー





夜と霧
/ アイ・ヴィー・シー





ベトナムから遠く離れて
/ コロムビアミュージックエンタテインメント





 しかし、この『ヌーヴェルヴァーグ』での彼は、年齢と経験から備えていった含蓄からなのか、従来とは異なったキャパシティから「詩(心理)的レアリスム」の諸作品も含めたフランスの映画史を発展的に辿るということを試みたようにも感じられるのです?
 しかも、決裂したかつての同士フランソワ・トリュフォーの葬列にさえ参加しなかった彼が、アラン・ドロンでこの作品を撮ったのですから、これは「奇跡」としか考えられません。

 彼からすれば、映画史の総括は現在から未来に向けた発展的な価値を見出すための試みと挑戦であったのかもしれません。そして、それは更なる「新しい波」を確信した作品の制作であったのだとも思います。
 これらのことが、アラン・ドロンを主演に迎えたことと、作品に『ヌーヴェルヴァーグ』と命名した意味とも重なって来るわけです。

 それでは、彼はこの作品で、具体的にどんなことを主張しようとしているのでしょう?

 『ヌーヴェルヴァーグ』についての村上龍氏との対談において、彼は
「問いであり、答えである。映画が問いに答え、問いかけるのは世界。この映画では理解すべき事は必ず数回反復されます。」
と語っています。
 わたしが、このことから印象に残ったこの作品のセリフは、フランスの文学者であるジャック・シャルドンヌの言葉の数々でした。

「わたしたちは貧乏人よ。」
「むかし、貧富の差があったと未来で言われる。」
「我々は貧乏だ。」
「この時代は終わりだ。良い時代だったと言われるときが来る。」
「良い時代だった」
「やがて生活習慣や感情の幾つかは消える。この社会は終わりだ。良い時代だったと言われる時が来る。いずれは言われるだろう。かつて貧富の差があった。出世の目標や禁断の欲望の対象があった。偶然もだ。」
「言われるだろう。かつて、貧富の差があった。出世も目標や禁断の欲望の対象があった。」


 そして、レストランの場面ではロジェ・レノックスがエレナに語ります。

「考えたことがありますか?僕の過去を。エレナ聞いて。僕の沈黙には訳がある。あなたは鈍感だ。他人も。考え悩み生きる存在です。認めて欲しい。なんと言おうと変わるものは変わる。」
 アラン・ドロンのこのセリフの後にセシル・レゲール演じるウェイトレスが、自らの仕事への苦痛を訴えます。ウェイトレスは自分がブルジョアジーに仕えなければならないことが苦痛であり、彼らに対して憎しみを抱いていることをはっきりと明言するのです。

 1968年1月、映画界では、当時の文化相アンドレ・マルローの文化行政下において、シネマテーク・フランセーズの事務局長であったアンリ・ラングロワを職務解任した新体制に、フランス映画人のほとんどがボイコット運動に関わった「ラングロワ事件」が起こりました。そのなか、ゴダール監督は、フランス全土におけるゼネラルストライキ「5月革命」の発端となったパリ大学ナンテール校を舞台とした『中国女』の創作によって急進的にマオイズムへの傾倒を果たしていきます。
 そして、ルイ・マルやフランソワ・トリュフォーらとともに、カンヌ映画祭での上映ボイコット運動や、旧ソ連邦の「社会主義リアリズム」のドキュメンタリスト、ジガ・ヴェルトフを命名した「ジガ・ヴェルトフ集団」の結成による極左政治ドキュメント作品の創作活動による商業映画否定の実践、等々。
 このように彼は、ラジカルな左翼映画人としての実践経験を多く積み重ねていくのです。
中国女
/ コロムビアミュージックエンタテインメント





 しかしながら、ゴダール監督自身はブルジョア階級の出身であり、自分の育った環境も『ヌーヴェルヴァーグ』の舞台であるトルラート・ファブリーニ家のような裕福な家庭だったと述懐しています。
 作品中の言葉でも
「階級を嫌いつつ、特権を主張する。」
「戦争も平和も同じ。事業と盗みも紙一重です。尻軽女が自由な女となる時を見極めるのも難しい。」
「隷属、貧富、自由、戦争等は生じて消えても本質に関わりない。」
「この時代は終わりだ。良い時代だったと言われるときが来る。」
「良い時代だった」

 これらの表現は、ゴダール監督自身のブルジョア階級の立場からのコミュニズムに関するもののようでもあり、しかもそこに敢えてこだわっているようにも感じられます。

「良い時代」
とは、現在のこのような階級差で上層に存在していること。
「階級を嫌うことと特権の主張」
は労働運動への嫌悪。
「戦争も平和も同じ」
とか
「本質に関わりない」
という言葉は、本来なら公平で希望のある未来に対して、自身はペシミスティックな展望しかもてないということを表現しているような気がします。

 こういったことから、ゴダール監督は未来の公平で平等な社会を予言、かつ標榜しながらも自らがブルジョアジーであることも同時に明確にしているようにも見えてしまうのです。

 そしてわたしは、これらのこととアラン・ドロンをこの作品の主役に抜擢したことの理由を語ったゴダール監督の言葉を合わせて考えたとき、ミラノの大貴族の末裔でありながら、「赤い公爵」と言われ、コミュニズムの立場で社会批判をしていったルキノ・ヴィスコンティ監督や、ブルジョア出身でありながらも、種々の観点から現代社会への批判を一貫させていったミケランジェロ・アントニオーニ監督やジョセフ・ロージー監督を思い浮かべてしまいました。

 アラン・ドロンが俳優として彼らの映画に出演し続けてきた事実、そしてジャン・リュック・ゴダールという現代に生きる数少ない知性と良識の芸術家の演出した作品への出演を望んだこと、それは彼が映画史の一貫した流れに、俳優としての生き様を貫いてきた証明であるとまで思うのです。
 彼を起用していった巨匠たちの共通項となっている「アラン・ドロン」を理解できたとき、わたしはファンとしてのアラン・ドロンに対する賞賛と祝福の気持ちから、感動で胸がいっぱいになってしまったのでした。
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by Tom5k | 2006-02-12 17:03 | ヌーヴェルヴァーグ(6)