アラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンドが共演し、パトリス・ルコントが監督した『ハーフ・ア・チャンス』の映画製作のことを私が知ったのは、1998(平成10年)7月13日(月)付け北海道新聞(夕刊)の記事による情報でした。早いもので、もう20年も前のことになります。
いやあ!本当に驚きました。
日本で人気が低迷してからのアラン・ドロンにも、少ない情報ながら私はいつも注意深く関心を傾けていたのですが、
『私刑警察』(1988年)で、アラン・ドロンが出演・製作してきた作品の作風とは全く異なる「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品で活躍していたラウール・クタールを撮影監督に迎えたときも、
『ヌーヴェルヴァーグ』(1990年)でジャン・リュック・ゴダール監督の作品で主演したときも、
【
『ヌーヴェルヴァーグ』①~ゴダールが撮ったアラン・ドロン~
『カサノヴァ最後の恋』(1992年)で、かつて若かりし頃の「ロミーとアラン」の現実に向き合い、
『百一夜』(1992年)でアニエス・ヴァルダのフランス映画史の批判的総括をゴダールとともに受けたことも・・・。
そして、いよいよ、往年のライバルでもあった盟友、ジャン・ポールとの共演作品『ハーフ・ア・チャンス』への出演、しかも、この作品で引退するなどと宣言したのですから・・・私としては、1988年以降のアラン・ドロンの動静には驚いてしまうことばかり・・・でした。
最近では、2018年に向けて、パトリス・ルコント監督、ジュリエット・ビノッシュとの共演作品を最後に、とうとう「キャリアの引退」を宣言・公表したのです。「もう年を重ねた。人生の終わりではないが、キャリアの終わりだ」とのことだそうです。
それにしても、アラン・ドロンの引退宣言は、私の知る限りこれで3度目です。初めは『アラン・ドロンのゾロ』(1974年)の撮影中?撮影後?・・・1975年頃でしょうか?・・・2度目が『ハーフ・ア・チャンス』の頃・・・1998年頃です。
恐らく、その都度ご本人は本当に引退するつもりで、このような宣言をしていたのだとは思いますが、本気でそのキャリアに終止符を打つなら、別に「引退」というものをわざわざ宣言することもない・・・のではないでしょうか?今回も、わざわざ~人生の終わりではないが~などと、逃げ道を残しているように私には感じられるのです。
何故って?
だって、引退するなら、宣言するまでもなく、映画出演のオファーを単に断り続ければいいだけですから(笑)。
もちろん、もうかなりのご高齢ですから、結果的に「キャリアの終わり」になるかもしれませんけれど・・・。正直、健康状態が維持できて、気に入ったオファーが来れば、また映画出演を引き受けるのではないかとも察してしまい、私はあまり淋しい気持ちにならないのです。
とにかく、話題作りの天賦の才能とその一本の作品に本気で取り組む気概などから、このような引退宣言(引退の決意)になってしまうものなのだと、ファンとしては理解するべきでしょう。
さて、この『ハーフ・ア・チャンス』でのジャン・ポールとの共演。
デビュー間もない二人が『黙って抱いて』(1957年)で共演した後、全く異なる映画体系で活躍することになっていったにも関わらず、その後はともに「フレンチ・フィルム・ノワール」の作品へと接点が近づいていったこと。これは本当に不思議なことです。
そもそも、ジャン・ポールの出世作となった『勝手にしやがれ』(1959年)は、ジャン・リュック・ゴダールが1940年代の「フィルム・ノワール」で中心的活躍をしたハンフリー・ボガードにオマージュを捧げた作品でしたし、アラン・ドロンのデビュー作である『Quand la Femme s'en Mele』(1957年)は、いわゆる「パパの映画」の体系の映画作家であったイヴ・アレグレ監督での、しかも典型的な「フレンチ・フィルム・ノワール」でした。
彼らには、既にデビュー当時の出発点から共通項が存在していたのです。
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ジャン=ポール・ベルモンド,ジーン・セバーグ,ダニエル・ブーランジュ/KADOKAWA / 角川書店
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アランの側から見たとき、彼がジャン・ポールと共演する動機は、私なりの視点で【
『ボルサリーノ』②~「詩(心理)的レアリスム」の伝統をジャン・ポールとともに①~】の記事に掲載したところではあるのですが、キャラクターは全く異なるものの、二人とも「フレンチ・フィルム・ノワール」作品に出演してきたことから共通点があったことも事実であるわけですし、やはり『ボルサリーノ』での共演は結果的には必然だったとも思うのです。
ジャン・ポールとアランは、ともに『ボルサリーノ』(1969年)まで、
「フレンチ・フィルム・ノワール」の代表的スター俳優、ジャン・ギャバンとの共演作品(『冬の猿』(1962年)、『地下室のメロディー』(1962年)、『シシリアン』(1969年))があり、
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ジャン・ギャバン,ジャン・ポール・ベルモンド,シュザンヌ・フロン/東北新社
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その「フレンチ・フィルム・ノワール」を徹底的に洗練させたジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品(『モラン神父』(1961年)、『L'aîné des ferchaux』(1962年)、『いぬ』(1963年)、『サムライ』(1967年))に出演し、
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ジャン=ポール・ベルモンド,エマニュエル・リヴァ,イレーヌ・トゥンク/KADOKAWA / 角川書店
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An Honorable Young Man (L'aine Des Ferchaux)
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フランスのセリ・ノワール叢書の原作や映画作品のシナリオ、後に自ら「フレンチ・フィルム・ノワール」作品を監督していったジョゼ・ジョヴァンニの作品(『墓場なき野郎ども』(1960年)、『勝負をつけろ』(1961年)、『冒険者たち』(1967年))に巡り会い、
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更に、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品(『オー!』(1968年)、『さらば友よ』(1968年)、『ジェフ』(1969年))に出演し続けていきました。
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そして、いよいよ、彼らは『黙って抱いて』から10年あまりを経て、「フレンチ・フィルム・ノワール」記念碑的作品である『ボルサリーノ』に到達するのです。
この久しぶりの共演まで、彼らや彼らとともに映画を製作していった周辺の映画人はもとより、世界中の彼らのファンすら気づかないうちに、とうのむかしからアクターとしての一致点が発生していたとも考えられるでしょうし、その一致点は徐々に熟成していったとも言えましょう。
もちろん、人気全盛期の彼らは、映画の一般的な諸作品評においては演ずるキャラクターが全く異なるものとして評されていました。それは、彼らの共通項としての「フレンチ・フィルム・ノワール」作品への出演においてさえ同様でした。
ジャン・ポールは、
【型破りの性格を、独特の個性で演じていた。(-中略-)暗黒街にあって、つねに八方破れ、組織からはみだしてしまうギャングに、おもしろい味をだしている。】」
一方、アランは、
【(-略)例のマルコヴィッチ事件がおこったのち、ドロンは、ひとまわりスケールを大きくしたようだ。むろん、私生活でも暗黒街人種であることの風格だ。(略-)】
【参考 『世界の映画作家18 犯罪・暗黒映画の名手たち/ジョン・ヒューストン ドン・シーゲル ジャン・ピェール・メルヴィル 「ギャング映画のスター史 筈見有弘」』キネマ旬報社、1973年】などと評されていたのです。
このことについては、『ボルサリーノ』での二人の主人公フランソワ・カペラとロック・シフレディの役作りに対するスター・キャラクターのコメントとしても納得できるものですし、今更、言わずもがなでしょう。