『高校教師』①~アラン・ドロン本人が選んだベスト5作品の一本②~
2016年 11月 12日
【<『高校教師』①~アラン・ドロン本人が選んだベスト5作品の一本①~>から続く】
さて、2007年の段階でアラン・ドロンが選んだベスト5作品ですが、その理由を挙げることが最も難しい作品がこの『高校教師』かもしれません。しかし、1996年の「カイエ・デュ・シネマ」のインタビューで、彼はこの作品について、次のように語っていました。
【>ズルリーニの『高校教師』を再見しました。驚くような作品ですね。
>私もこの映画が大好きなんだ!この作品は偶然の賜物だよ。マストロヤンニが演じるはずだったんだが、スケジュールの調整が出来なかったんだ。私はローマでロージ監督の『暗殺者のメロディ』の撮影中だった。ズルリーニがやって来て、私は彼とは面識があった、彼はヴィスコンティの友人だったからね。それで、シナリオを読んで欲しいと言う訳だ、とても正直に『高校教師』のシナリオはもうマストロヤンニに読んでもらったと話してくれた。監督が自分の作品のシナリオを別の役者に読んでもらったと言うのは珍しいよ。そのシナリオを読んで、私はすぐに彼に電話したよ:「やるよ!」ってね。
>この作品であなたは製作もやられていますね。
>共同制作だったと思う、100%フランス資本じゃなかったと思うが・・・
>この映画は1972年製作で、あなたは5月革命の人物のようです、崩れた教師という感じで・・・
>これは私のお気に入りの一本だね、感動させられたよ。映画を愛する者はこの作品が好きなんだ。ズルリーニのことも好きだったんだ、若死にしたがね、アル中で苦しみ、ボロボロだった・・・理不尽だよ。『タタール人の砂漠』『家族日誌』『鞄を持った女』などの監督作品もあったけど・・・素晴らしい映画作家だった、ヴィスコンティに強く影響を受けていたね。イタリア語題名は"La prima notte di quiete" 安楽の最初の夜、つまり死後のことだね・・・『高校教師』は大好きな作品だったがフランス版は薄められてしまったんだ。リミニ(注:フェリーニ監督の出身地として有名)の隣のイタリア社会を描いたものだがフランスでは受け入れがたい代物だった。それでタイトルを変えざるを得なかった。安楽の最初の夜では何のことだか分らないからね-映画もカットされたんだ。もっと長いオリジナル版を見てほしいね、今回シネマテークで上映しようとしている版だよ。『山猫』のように3時間の上映時間だ。当時は商業的な理由で、国によって映画をカットしていたからね。
>『高校教師』では、いつも同じコート、丸首のセーターを着ていて、無精ひげ姿です。スターのあなたがこうした壊れたような人物を演じるのは賭けではないのでしょうか?
>毎回、私がこうした賭けをやると、大抵理解されないんだ。別の役者なら違うのだろうが、私はダメなんだね。批評家たちは年がら年中こうだ:ドロンはいつも同じ事をやってる、軽機関銃を持った映画だけだ・・・あらゆる観客たちのために私くらい多種多様な映画をやってきた者はいないと思うんだがね。私がギャング映画をやったのは、正に『高校教師』や『パリの灯は遠く』を製作するためなんだ。映画はマッチを擦るように出来るもんじゃない!『真夜中のミラージュ』をやった時も、酷評だったよ:ドロンが酔っ払い役でメソメソ泣く男を演じるなんてとね・・・】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/26
「回想するアラン・ドロン:その9」(インタヴュー和訳)」】
このように、実に興味深い内容がアラン・ドロン本人によって語られています。まず、ヴァレリオ・ズルニーニ監督が映画作家として、アラン・ドロンの師の一人であったルキノ・ヴィスコンティ監督の友人であり、その影響を受けていた演出家であったことが特に印象的です。
昭和60年代(1980年代半ば)頃になりレンタル・ビデオ店が専門店化した頃、私が中学生のときのテレビ放映以来、久しぶりにこの作品をレンタルして観た時に想起した監督は、ルキノ・ヴィスコンティではなく、『道』(1954年)や『カビリアの夜』(1957年)などの初期のフェデリコ・フェリーニ監督の作品群でした。
後で知ったことなのですが、案の定、この作品の舞台はフェデリコ・フェリーニ監督の出身地リミニでした。
また、後年、古本屋で手に入れた1973年9月上旬号のキネマ旬報誌上においても、映画評論家の渡辺祥子は『高校教師』をフェデリコ・フェリーニ監督の『青春群像』(1953年)を踏まえて作られた作品であると解説していました。
【参考 キネマ旬報1973年9月上旬号No.612(「アラン・ドロンと「高校教師」渡辺祥子】
30歳代後半からのアラン・ドロンは、「フィルム・ノワール」の硬質で男性的な、ある意味においての硬直したイメージを脱皮しようとしていたのでしょうか?少なくても、彼がそれを強く感じざるを得ない年齢となっていたようには思います。それは彼の俳優としてのプライドだったのかもしれませんし、映画スター・俳優としての彼の苦悩だったのかもしれません。
映画評論家の淀川長治やジャン・リュック・ゴダール監督も、アラン・ドロンについて、これに類似した指摘内容でコメントしていたことがあったように記憶していますし、人気の低迷していった40歳前後に演じていた彼の作品群からも、このことは良く理解できます。
更に、彼の今までの共演者達を思い浮かべてみると、それが間違いないことだとわかります。
例えば、ジャン・ギャバン、バート・ランカスター、アンソニー・クイン、リノ・ヴァンチュラ、チャールズ・ブロンソン、ジャン・ポール・ベルモンド、女優においてさえ、シモーヌ・シニョレ・・・自分が映画スターとして、如何に持て余す容姿であったか・・・このことに最も苦しんでいたことは、アラン・ドロンのファンとして、察して余りあるものがあります。
そして、アラン・ドロン本人は、『パリの灯は遠く』(1977年)を撮った頃の役づくりについて、次のように述懐しています。
【(-略)『パリの灯は遠く』は、私の顔では、大胆な演技が要求されたのにね。役作りに腐心した人物だったんだ!】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18
「回想するアラン・ドロン:その6」(インタヴュー和訳)」】
そして、この『高校教師』は、見事に自らのハンデキャップを乗り越え、しかも、自らの女性ファンに受け入れられ、更に新たな女性ファンを多く生み出した作品だったと言われています。
そう考えると、最近の私は、『高校教師』を好きにならない女性は、この世に誰もいないのではないか、とまで思うようになりました。
さて、今回、私が今一度、この作品を鑑賞して最も強く感じ取れたことのひとつが、彼の演じたダニエル・ドミニチのイノセンスなキャラクターでした。『高校教師』でのアラン・ドロンの魅力の一つとして、女性ファンからよく耳にする母性をくすぐるキャラクターであるという一般論です。
私は、このことが若い頃には良く理解できなかったのですが、後年、このダニエレ・ドミニチのキャラクターは、『若者のすべて』で彼が演じたロッコ・パロンディの純粋で無垢なキャラクターが進化したものであることに気が付いたのです。それも、ロッコの兄であるシモーネの退廃を加えたより現実的で現代的な人物だと、わたしには感じられるようになりました。
また、主人公のダニエレ・ドミニチが、実は家柄の高い名門の出身でありながら、退廃的な境遇に身をおとし、貧困な高校教師となっている設定なども、ルキノ・ヴィスコンティの後半期の作品を想い起こさせるものでした。
そして、非常識な不良教師でありながら、彼の教養の深さは非常に印象的に描写されています。文学の講師として、まず、自己紹介を兼ねた自分の講義の方針を説明する際に、14世紀のイタリアの詩人ペトラルカの詩を例示します。
そして、ダニエレ・ドミニチは、受け持ちのクラスでただ一人、彼が生徒達に与えた課題のテーマである18世紀のイタリアの詩人アレッサンドロ・マンゾーニを選び、授業中には、D・H・ローレンスの著作を読んでいるソニア・ペトローヴァが演ずるヴァニーナ・アヴァティに強く興味を示します。そして、彼女と同名のスタンダールの作品「ヴァニナ・ヴァニニ」(1960年に、ロベルト・ロッセリーニが映画化)を彼女を誘う口実に使うのです。
彼女とのデートでは、15世紀のイタリア・ルネッサンス期に活躍した画家ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品「出産の聖母」を観せるために、トスカーナのモンテルキまで出かけます。
こういったダニエレの趣味は、庶民にとっては縁遠い嗜好かもしれませんが、ヴァレリオ・ズルニーニとアラン・ドロンが、ルキノ・ヴィスコンティ門下生としての影響を色濃く受けた監督・俳優であったからこそ、作品の設定において、高い品格を伴う描写が可能だったのでしょう。ちなみに、マンゾーニは、イタリア統一の時代にヴィスコンティ一家の領地であったミラノから出た上院議員だったそうです。
また、忘れてはならないのが、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『夏の嵐』(1954年)で主演した往年の名女優アリダ・ヴァリの出演です。この作品で演じた惨めな中年女性の醜さによって、彼女はこれ以降の作品でも醜女としてしかカメラに写ることが出来なくなってしまったとまで思いました。
『高校教師』では数分のシークエンスしか出番はありませんが、やはり彼女が演じたヴァニーナ・アヴァティの母親役は悲惨なほどの醜さです。美しい自分の娘の肢体を売りものにして生活している腐臭の漂うような精神環境を持つ彼女の形相がカメラに収められてしまっています。このことからも、ルキノ・ヴィスコンティ監督の俳優の使い方には、非常に危険な要素が存在していることがわかります。そう考えると、アラン・ドロンがヴィスコンティ一家から離反していったことを少なからず理解できるような気もしてきます。
更には、この『高校教師』に、過去にアラン・ドロンとともに『若者のすべて』(1960年)に出演していたレナート・サルヴァトーリ、この後、1975年にルキノ・ヴィスコンティ監督の遺作『イノセント』に出演したジャンカルロ・ジャンニーニ、1972年に『ルードウィヒ』に出演したソニア・ペトローヴァが主要な登場人物として出演していることにも、ルキノ・ヴィスコンティ監督とこの作品との不思議な因縁が感じらます。
いずれにしても、アラン・ドロンにとっては、
◯作品の設定や主題において、深い教養があるが故に退廃に身を委ねざるを得なかった破滅型の不良教師と、絶望的な過去から解放されることのない少女との純粋でありながら、未来の見えない性愛を、このように見事な「キャラクターの新境地」として、成功させることができたこと。
さて、2007年の段階でアラン・ドロンが選んだベスト5作品ですが、その理由を挙げることが最も難しい作品がこの『高校教師』かもしれません。しかし、1996年の「カイエ・デュ・シネマ」のインタビューで、彼はこの作品について、次のように語っていました。
【>ズルリーニの『高校教師』を再見しました。驚くような作品ですね。
>私もこの映画が大好きなんだ!この作品は偶然の賜物だよ。マストロヤンニが演じるはずだったんだが、スケジュールの調整が出来なかったんだ。私はローマでロージ監督の『暗殺者のメロディ』の撮影中だった。ズルリーニがやって来て、私は彼とは面識があった、彼はヴィスコンティの友人だったからね。それで、シナリオを読んで欲しいと言う訳だ、とても正直に『高校教師』のシナリオはもうマストロヤンニに読んでもらったと話してくれた。監督が自分の作品のシナリオを別の役者に読んでもらったと言うのは珍しいよ。そのシナリオを読んで、私はすぐに彼に電話したよ:「やるよ!」ってね。
>この作品であなたは製作もやられていますね。
>共同制作だったと思う、100%フランス資本じゃなかったと思うが・・・
>この映画は1972年製作で、あなたは5月革命の人物のようです、崩れた教師という感じで・・・
>これは私のお気に入りの一本だね、感動させられたよ。映画を愛する者はこの作品が好きなんだ。ズルリーニのことも好きだったんだ、若死にしたがね、アル中で苦しみ、ボロボロだった・・・理不尽だよ。『タタール人の砂漠』『家族日誌』『鞄を持った女』などの監督作品もあったけど・・・素晴らしい映画作家だった、ヴィスコンティに強く影響を受けていたね。イタリア語題名は"La prima notte di quiete" 安楽の最初の夜、つまり死後のことだね・・・『高校教師』は大好きな作品だったがフランス版は薄められてしまったんだ。リミニ(注:フェリーニ監督の出身地として有名)の隣のイタリア社会を描いたものだがフランスでは受け入れがたい代物だった。それでタイトルを変えざるを得なかった。安楽の最初の夜では何のことだか分らないからね-映画もカットされたんだ。もっと長いオリジナル版を見てほしいね、今回シネマテークで上映しようとしている版だよ。『山猫』のように3時間の上映時間だ。当時は商業的な理由で、国によって映画をカットしていたからね。
>『高校教師』では、いつも同じコート、丸首のセーターを着ていて、無精ひげ姿です。スターのあなたがこうした壊れたような人物を演じるのは賭けではないのでしょうか?
>毎回、私がこうした賭けをやると、大抵理解されないんだ。別の役者なら違うのだろうが、私はダメなんだね。批評家たちは年がら年中こうだ:ドロンはいつも同じ事をやってる、軽機関銃を持った映画だけだ・・・あらゆる観客たちのために私くらい多種多様な映画をやってきた者はいないと思うんだがね。私がギャング映画をやったのは、正に『高校教師』や『パリの灯は遠く』を製作するためなんだ。映画はマッチを擦るように出来るもんじゃない!『真夜中のミラージュ』をやった時も、酷評だったよ:ドロンが酔っ払い役でメソメソ泣く男を演じるなんてとね・・・】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/26
「回想するアラン・ドロン:その9」(インタヴュー和訳)」】
このように、実に興味深い内容がアラン・ドロン本人によって語られています。まず、ヴァレリオ・ズルニーニ監督が映画作家として、アラン・ドロンの師の一人であったルキノ・ヴィスコンティ監督の友人であり、その影響を受けていた演出家であったことが特に印象的です。
昭和60年代(1980年代半ば)頃になりレンタル・ビデオ店が専門店化した頃、私が中学生のときのテレビ放映以来、久しぶりにこの作品をレンタルして観た時に想起した監督は、ルキノ・ヴィスコンティではなく、『道』(1954年)や『カビリアの夜』(1957年)などの初期のフェデリコ・フェリーニ監督の作品群でした。
後で知ったことなのですが、案の定、この作品の舞台はフェデリコ・フェリーニ監督の出身地リミニでした。
また、後年、古本屋で手に入れた1973年9月上旬号のキネマ旬報誌上においても、映画評論家の渡辺祥子は『高校教師』をフェデリコ・フェリーニ監督の『青春群像』(1953年)を踏まえて作られた作品であると解説していました。
【参考 キネマ旬報1973年9月上旬号No.612(「アラン・ドロンと「高校教師」渡辺祥子】
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紀伊國屋書店
カビリアの夜 完全版 [DVD]
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青春群像 デジタルリマスター版 [DVD]
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30歳代後半からのアラン・ドロンは、「フィルム・ノワール」の硬質で男性的な、ある意味においての硬直したイメージを脱皮しようとしていたのでしょうか?少なくても、彼がそれを強く感じざるを得ない年齢となっていたようには思います。それは彼の俳優としてのプライドだったのかもしれませんし、映画スター・俳優としての彼の苦悩だったのかもしれません。
映画評論家の淀川長治やジャン・リュック・ゴダール監督も、アラン・ドロンについて、これに類似した指摘内容でコメントしていたことがあったように記憶していますし、人気の低迷していった40歳前後に演じていた彼の作品群からも、このことは良く理解できます。
更に、彼の今までの共演者達を思い浮かべてみると、それが間違いないことだとわかります。
例えば、ジャン・ギャバン、バート・ランカスター、アンソニー・クイン、リノ・ヴァンチュラ、チャールズ・ブロンソン、ジャン・ポール・ベルモンド、女優においてさえ、シモーヌ・シニョレ・・・自分が映画スターとして、如何に持て余す容姿であったか・・・このことに最も苦しんでいたことは、アラン・ドロンのファンとして、察して余りあるものがあります。
そして、アラン・ドロン本人は、『パリの灯は遠く』(1977年)を撮った頃の役づくりについて、次のように述懐しています。
【(-略)『パリの灯は遠く』は、私の顔では、大胆な演技が要求されたのにね。役作りに腐心した人物だったんだ!】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18
「回想するアラン・ドロン:その6」(インタヴュー和訳)」】
そして、この『高校教師』は、見事に自らのハンデキャップを乗り越え、しかも、自らの女性ファンに受け入れられ、更に新たな女性ファンを多く生み出した作品だったと言われています。
そう考えると、最近の私は、『高校教師』を好きにならない女性は、この世に誰もいないのではないか、とまで思うようになりました。
さて、今回、私が今一度、この作品を鑑賞して最も強く感じ取れたことのひとつが、彼の演じたダニエル・ドミニチのイノセンスなキャラクターでした。『高校教師』でのアラン・ドロンの魅力の一つとして、女性ファンからよく耳にする母性をくすぐるキャラクターであるという一般論です。
私は、このことが若い頃には良く理解できなかったのですが、後年、このダニエレ・ドミニチのキャラクターは、『若者のすべて』で彼が演じたロッコ・パロンディの純粋で無垢なキャラクターが進化したものであることに気が付いたのです。それも、ロッコの兄であるシモーネの退廃を加えたより現実的で現代的な人物だと、わたしには感じられるようになりました。
また、主人公のダニエレ・ドミニチが、実は家柄の高い名門の出身でありながら、退廃的な境遇に身をおとし、貧困な高校教師となっている設定なども、ルキノ・ヴィスコンティの後半期の作品を想い起こさせるものでした。
そして、非常識な不良教師でありながら、彼の教養の深さは非常に印象的に描写されています。文学の講師として、まず、自己紹介を兼ねた自分の講義の方針を説明する際に、14世紀のイタリアの詩人ペトラルカの詩を例示します。
ペトラルカ ルネサンス書簡集 (岩波文庫)
岩波書店
そして、ダニエレ・ドミニチは、受け持ちのクラスでただ一人、彼が生徒達に与えた課題のテーマである18世紀のイタリアの詩人アレッサンドロ・マンゾーニを選び、授業中には、D・H・ローレンスの著作を読んでいるソニア・ペトローヴァが演ずるヴァニーナ・アヴァティに強く興味を示します。そして、彼女と同名のスタンダールの作品「ヴァニナ・ヴァニニ」(1960年に、ロベルト・ロッセリーニが映画化)を彼女を誘う口実に使うのです。
マンゾーニ家の人々 (白水Uブックス178)
ナタリア ギンズブルグ / 白水社
ヴァニナ・ヴァニニ―他四篇 (岩波文庫 赤 526-8)
スタンダール / 岩波書店
彼女とのデートでは、15世紀のイタリア・ルネッサンス期に活躍した画家ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品「出産の聖母」を観せるために、トスカーナのモンテルキまで出かけます。
ピエロ・デッラ・フランチェスカ (名画の秘密)
マルコ カルミナーティ / 西村書店
こういったダニエレの趣味は、庶民にとっては縁遠い嗜好かもしれませんが、ヴァレリオ・ズルニーニとアラン・ドロンが、ルキノ・ヴィスコンティ門下生としての影響を色濃く受けた監督・俳優であったからこそ、作品の設定において、高い品格を伴う描写が可能だったのでしょう。ちなみに、マンゾーニは、イタリア統一の時代にヴィスコンティ一家の領地であったミラノから出た上院議員だったそうです。
また、忘れてはならないのが、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『夏の嵐』(1954年)で主演した往年の名女優アリダ・ヴァリの出演です。この作品で演じた惨めな中年女性の醜さによって、彼女はこれ以降の作品でも醜女としてしかカメラに写ることが出来なくなってしまったとまで思いました。
夏の嵐 [DVD]
紀伊國屋書店
『高校教師』では数分のシークエンスしか出番はありませんが、やはり彼女が演じたヴァニーナ・アヴァティの母親役は悲惨なほどの醜さです。美しい自分の娘の肢体を売りものにして生活している腐臭の漂うような精神環境を持つ彼女の形相がカメラに収められてしまっています。このことからも、ルキノ・ヴィスコンティ監督の俳優の使い方には、非常に危険な要素が存在していることがわかります。そう考えると、アラン・ドロンがヴィスコンティ一家から離反していったことを少なからず理解できるような気もしてきます。
更には、この『高校教師』に、過去にアラン・ドロンとともに『若者のすべて』(1960年)に出演していたレナート・サルヴァトーリ、この後、1975年にルキノ・ヴィスコンティ監督の遺作『イノセント』に出演したジャンカルロ・ジャンニーニ、1972年に『ルードウィヒ』に出演したソニア・ペトローヴァが主要な登場人物として出演していることにも、ルキノ・ヴィスコンティ監督とこの作品との不思議な因縁が感じらます。
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紀伊國屋書店
いずれにしても、アラン・ドロンにとっては、
◯作品の設定や主題において、深い教養があるが故に退廃に身を委ねざるを得なかった破滅型の不良教師と、絶望的な過去から解放されることのない少女との純粋でありながら、未来の見えない性愛を、このように見事な「キャラクターの新境地」として、成功させることができたこと。
◯主人公が家柄の高い名門の家柄出身であり、その家族の崩壊後の退廃的な末裔として、主人公の展望の無い人生を描いていることが、師であったルキノ・ヴィスコンティの映画主題を引き継いでいること。
◯ルキノ・ヴィスコンティを最も敬愛していながら、彼と袂を分かつ生き方しか出来なかったアラン・ドロンが、過去にヴィスコンティ一家として活躍したイタリア映画界で、同じ門下のヴァリレオ・ズルニーニ監督とともに(アリダ・ヴァリ、レナート・サルヴァトーリの出演も含めて)『高校教師』の制作に携われたこと。
◯この作品で共演したジャンカルロ・ジャンニーニやソニア・ペトローヴァが、その後、ルキノ・ヴィスコンティ監督の作品に出演できる逸材であったこと。
などから、自分の出演した作品のベスト5として挙げたことは当然であったと考えられます。
そして、私は、いつものことながら、そんなアラン・ドロンの作品に大きな拍手を惜しみなく贈りたくなってしまうのでした。
などから、自分の出演した作品のベスト5として挙げたことは当然であったと考えられます。
そして、私は、いつものことながら、そんなアラン・ドロンの作品に大きな拍手を惜しみなく贈りたくなってしまうのでした。
by Tom5k
| 2016-11-12 00:06
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