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『愛人関係』①~愛し合う男女の超悲劇、ミレーユ・ダルクの素晴らしい代表作品~

 アラン・ドロンの得意としていたジャンルである「フレンチ・フィルム・ノワール」の特徴によるものかもしれませんが、彼は、往々にして女性に対しては、デリカシーのない役柄が多く、それは恋愛を主題とする「メロドラマ」の代表作品である『高校教師』(1972年)や『個人生活』(1974年)においてさえ同様だったと思います。
 その出発点を思い返したとき、もしかしたら、「内的ネオ・リアリズモ」の巨匠であったミケランジェロ・アントニオー二が監督した『太陽はひとりぼっち』(1961年)で、彼が演じた主人公ピエロのキャラクターにまで、遡らなければならないかもしれません。

 ところが、この1974年に製作された『愛人関係』は、アラン・ドロンの演ずる主人公の弁護士マルク・リルソンが、珍しく、ミレーユ・ダルク演ずるペギー・リスターを本気で愛し、そして、そのデリケートな関係を描写し続ける作品となっています。
 そういう意味では、彼の主演作品としては非常に希有な傾向のものだと思います。

 しかし、このことを広い意味で捉えてしまうと、いよいよ自らのファンにまで、女性への無神経さが及んでしまったともいえるのかもしれませんが・・・?

【「愛人関係」ではミレーユ・ダルクを本気で愛しちゃう役をやっているんですけど、そういう意味でつまらなかったですね。(南俊子)】
【(『デラックスカラーシネアルバム5 アラン・ドロン 凄艶のかげり、男の魅力 斎藤耕一+南俊子《ドロンを語る》現代的な感性を表現できる不思議な人』南俊子責任編集 芳賀書店)】

 
 ところで、映画の主人公のキャラクターに、その俳優がはまり過ぎると、そのスター俳優はそれ以降、どの映画作品に出演しても、その当時の役名で呼ばれることが多くなることがあります。

 わたしが学生時代、映画好きの伯父の家に遊びに行ったとき、
「今日は、テレビで「ダーティハリー」が出ている映画をやるぞ。一緒に観ないか?」
と誘われたのですが、実際にテレビで放映されていたのは、『荒野のストレンジャー』というクリント・イーストウッド主演の西部劇でした。

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 また、わたしの父親も、増村保造監督、勝新太郎、大谷直子出演の『やくざ絶唱』がテレビ放映されたとき、
「今日は、「座頭市」のやくざものかあ?」
とか、

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 オードリー・ヘップバーンが、ショーン・コネリーとの共演で映画に復帰した『ロビンとマリアン』が上映されていた頃、
「ほう、ヘップバーンが「ゼロ・ゼロ・ナナ(ジェームズ・ボンドのコード・ネーム「007」のこと)」と共演するんだ?」
などと、ぼけた一人ごとを良く言っていたものです。

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『男はつらいよ』シリーズの渥美清なども、その典型かもしれません。

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 また、その逆の在り方として、スターの条件のひとつなのかもしれませんが、主演俳優が映画のプロットに合わせて演ずるのではなく、出演している彼らのイメージで作品が創作されたり、アレンジ・脚色されていることも多々挙げられます。
 つまり、その俳優がどのような映画に出演していても、主人公の名前は印象に残らず、スター俳優のみで映画の主人公が成立してしまうわけです。
 美空ひばり、石原裕次郎、吉永小百合、高倉健、チャ-ルズ・ブロンソン、オードリー・ヘップバーン、ブリジッド・バルドー、マリリン・モンロー・・・などの出演作品は、その主人公の名前を覚えているファンのほうが少ないのではないでしょうか?あくまで、その作品の主人公は、出演しているスター俳優自身となってしまっているケースです。

 もちろん、アラン・ドロンも、その例外ではありませんでした。つまり「アラン・ドロン」という映画スターのキャラクターが確立されている以上、彼の出演作品は、まず彼のイメージや個性によって規定されたうえで制作され、彼の演技そのものも、その私生活からのキャラクターや過去の経験値によって表現された作品が多くなっていたと思います。
 主演俳優の人気を利用した、つまりスターの人気に依存して商業的な成功を目的にした映画の「スターシステム」に依る彼の出演作品が多いことは現実です。

 彼が出演した映画作品の主人公は、マニュ(『冒険者たち』)、ジェフ・コステロ(『サムライ』)、ディノ・バラン(『さらば友よ』)、ロジャー・サルテ(『シシリアン』)、ロッコ・シフレディ(『ボルサリーノ』)ではなく、「アラン・ドロン」という映画スターであるわけなのです。
 ゾロを演じたときでさえ、邦題は『アラン・ドロンのゾロ』でした。

 しかしながら、わたしとしては、単純に商業的な意味での「アラン・ドロン映画」という体系で、彼の映画作品が時代に埋没していくことへの焦燥があることもまた正直な気持ちです。

 何故ならば、彼のスターとしての位置づけに関わっても、そういった商業的なものを超えて、多くの人々の範例となるヒーロー像としての価値、そして男性でありながらも、その時代的な美しさの特質など、大げさに解釈すれば、アラン・ドロンは映画文化史において、その時代のシンボリックな型として存在できるスター俳優であり、その彼の存在と平行して、出演作品の多くがヨーロッパ映画史における普遍的価値を伴って現代に存在し続けていることを無視できないからなのです。

 だからこそ、彼のファンとして、彼の作品や彼自身のスターとしての位置付けを模索し続けることに意味があるように思えてならないのです。


 さて、今回取り上げたこの『愛人関係』は、アラン・ドロンの記事を31本もアップしている映画批評ブロガーのオカピーさんでさえ、現在(2011-12-19 01:47)まで取り上げていないほど、埋もれた地味な作品です。【プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]テーマ「アラン・ドロン」のブログ記事

 さりとて映画ファンの関心にもならず、話題性も無く、ファンの大半が女性層であった当時、彼のファン代表でもあった映画批評家の南俊子氏にさえ、「つまらない」と酷評され、女性ファンに見限られ、『さらば友よ』や『ボルサリーノ』でつかんだ若い男性ファンにも関心を持たれないこの『愛人関係』という作品は、昨今の映画ファンには、どのように捉えられる作品なのか?それは、わたしの大きな関心事のひとつでありました。

 そこで、わたしは映画の達人、わたしのブログの盟友のひとりである「良い映画を褒める会。」の用心棒さんに、この『愛人関係』の記事をアップしてもらうことにしたのです。
 用心棒さんは、嫌な顔ひとつせず、わたしの無理なわがままなお願いを引き受けてくれました。
以下、【   】内は【用心棒さんのブログ「良い映画を褒める会。」ブログ記事『『愛人関係』(1973)フランス産、悲恋のサイコ・スリラー。脚本に難があるものの光る部分あり。』からの引用】

 わたしは、アラン・ドロンのファンではあっても、男性ですから、彼と彼の私生活上の愛人であったミレーユ・ダルクの関係が、この作品に表れていたとしても、さほど驚くには当たりませんでした。いやむしろ、アラン・ドロンのアクターとしての魅力は、彼の経験や彼の内面の暗部が露わになったときにこそ最大限に発揮されている側面があると考えています。
 ですから、この作品の魅力も、当時、愛人関係にあった彼とミレーユ・ダルクの共演に、その魅力が隠されていると考え、そこに着目できていることが彼の作品を理解している自負でもあったのです。

 しかし、そのわたしの、所詮、脆弱な自負心は、用心棒さんの優れた記事内容によって、粉々に打ち砕かれました。さすが用心棒さんは、当時の世評と、現在における映画作品としての純粋な価値とに、まずは明確な線引きを設けているのです。

【 ただし、当時のアラン・ドロンとミレーユ・ダルクの関係をワイド・ショー的に利用した、下世話な邦題『愛人関係』が作品理解への妨げになっている。余計な先入観を見る前から与えてしまっているので、この映画に限らず、邦題に良くありがちではありますが、配給元のタイトル決定者は映画は後々まで残っていくのを理解し、将来の映画ファンにバカにされないように猛省すべきでしょう。

 ただしこの映画にはドロンも製作に携わっているようですので、ごり押しでミレーユ・ダルクを使い、彼女を売り出しているのも事実(-略-)
 40年近く前の映画ですので、かえって今になってこの作品にまっさらな頭で向き合う方がより深く作品の本質に迫れるのかもしれません。じっさい、映画の外の醜聞など何十年も経ってしまえば誰も覚えていないし、関係もない。】

 アラン・ドロンのファンとしての狭義の認識を捨て、このような視点で『愛人関係』を鑑賞し直してみると、わたしでも、この作品の本質的な魅力を理解できるように思えてきました。

【ストーリー展開と独特の時間をなぜていくようなリズムに気をとられてしまい、冷静に見ていられない作品でもあります。最近のハリウッド映画にどっぷりと浸かっている人がこれを見れば、かなり退屈でしょうし、30分くらいで見切ってしまい席を立ってしまった方もいたかもしれません。
 また最後までついて行った方もハッピーエンドとは程遠い結末には違和感を覚えるかもしれません。そもそも、ほとんどの大人がこの世の中は嫌なことばかりであると理解しています。大人にしか分からない映画、つまり見る人を選ぶ作品でした。
(-中略-)
ドロンは悲劇の人と理解されるのでしょうが、一緒に死を選び、あの世でともにあろうという行動を見ると、一概に不幸であるとは言えないのではないか。
 弾丸が愛情表現だというのは悲劇的ではありますが、映画として受け入れられないような結末ではない。バカげた思い違いかもしれませんが、悲しく衝撃的な幕切れではあります。

 これも物語の終わらせ方のひとつでしょう。なんだか後ろ髪を引かれるような気まずい余韻を残す作品で、見た日よりも次の日にじわじわきました。】

 すなわち、用心棒さんの記事にあるように「大人の映画」、「観る者を選ぶ作品」であること、ラスト・シークエンスにおける悲劇的なふたりの深い愛情描写を、男女の不幸な関係や、その悲劇性そのものをも超越した「超悲劇」として捉えることで、この作品の魅力が浮かび上がってくるように思えてきたのです。

 主人公ペギーを演ずるミレーユ・ダルクのイノセントでありながらセクシュアルな魅力、これは女性の持つ処女性を犯したい男性特有の傲慢で横暴な特性から感じ取れる魅力でもあるかもしれません。そして、それが故にその凶暴な異常性を内面に沈潜させてしまっている病巣こそ、現代女性における内面的な闇や魔性を象徴していると言えるのではないでしょうか?

 「ファム・ファタル」の定義として、それは「運命の女」のことを指すわけですが、これは男を破滅させる魔性の女性、妖婦という意味合いで使われることが一般的です。
 1940年代ハリウッドのB級「フィルム・ノワール」での彼女たちの定義の特徴には、そのヒロインの性格描写がしばしばあいまいであることや表現主義的な映像による女性のセクシュアリティの強調などが挙げられています。この『愛人関係』でミレーユ・ダルクが演じた、美しくも隠された異常な凶暴性を持つ未亡人ペギーにも、その定義が当てはまるようにも思うわけです。


 彼女が、脚光を浴びた作品は『恋するガリア』でした。監督は『愛人関係』の元夫のジョルジュ・ロートネルです。彼はミレーユ・ダルクの魅力を最大限に引き出せる演出家であると思います。

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 余談ではありますが、わたしはこの作品で、ミレーユ・ダルクが演じたガリアとフランソワーズ・プレヴォーが演じたニコールの関係に、久我美子、高峰三枝子、森雅之が主演し、五所平之助が監督、また、秋吉久美子、草笛光子、仲代達也が主演し、河崎義祐が監督した北海道が誇る原田康子の原作『挽歌』(1957年、1976年)での主人公の怜子と兵藤あき子の関係を想起してしまいました。
 親友の夫を善悪の判断無しに寝取ってしまうイノセントで残酷な女性を演じたミレーユ・ダルクと、この文学作品『挽歌』の主人公の玲子には現代女性の闇が同様に投影され、その現代的な主題が明確にされていたと思います。

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 『愛人関係』は、そのような奔放な女性の病んでしまったとも解釈できる心理描写を、更に一歩危険な状況に推し進め、秀逸な「サイコ・スリラー」へと進化させています。女性の奔放な行動や欲望は影を潜め、それは逆に異常な凶暴性に昇華され、極端な女性の潔癖性の奥深くに潜伏させてしまったわけです。
 当然のことながら、その結末の悲劇性は必然となってしまいます。

【感情をあまり表さなかったミレーユの最後の笑顔は意味深長でしたので、リボルバーの弾丸による唐突な結末がより印象を強くする。】

 もしかしたら、この作品は、彼女を最も良く理解しているアラン・ドロンがプロデュース・共演し、若い頃からの彼女の成長を目の当たりにしてきたジョルジュ・ロートネルが演出したその結果によって、現代女性の闇を象徴的に表現したミレーユ・ダルク一世一代の代表作品であったのではないのかと、わたしは思ってしまうのです?

【フィリップ・サルドによるサントラが秀逸で、作品を盛り上げ、ワン・ランク上に導いています。】

 フィリップ・サルドのテーマ曲は、主人公ペギーの悲しみを歌ったエレジーとも解釈できます。そして、わたしは、またもやこの作品にフランス映画旧世代の「詩(心理)的レアリスム」の復活を想起してしまうのでした。

by Tom5k | 2011-12-19 01:47 | 愛人関係(2) | Trackback(1) | Comments(7)

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Tracked from 良い映画を褒める会。 at 2011-12-23 01:50
タイトル : 『愛人関係』(1973)フランス産、悲恋のサイコ・スリラ..
 アラン・ドロン出演のラヴ・ストーリー&サイコ・スリラーで、この作品での彼のクレジットは一番目ではありますが、主役として物語を牽引しているわけではなく、どちらかというとミレーユ・ダルクを支える助演でした。... more
Commented by mChouette at 2011-12-22 10:11
トムさん おはようございます。
メッセージとTBを受けまして ドロンやダルクを語るほどのファンでもないので、コメントもおこがましいのですが、お邪魔します~!
ドロンとダルク共演の作品で、タイトルなどは忘れたけど、ノワール作品だったと思うけど、役でもダルクはドロンの愛人(だったかな?)覚えているシーンは、熱くなった電球をダルクの裸の背中に押し付けて拷問して吐かせようとするシーン。その後でドロンが駆けつけて抱きしめるってそんな場面を覚えている作品。タイトルなんだったっけ?
なんだかんだ言っても映画好きではなくても(ある年代以下は分からないけれど)アラン・ドロン知らない人はいないでしょうね。ミレーユ・ダルクもナタリー・ドロンもアラン・ドロンを通して知られている存在(じゃないかな?)
Commented by mChouette at 2011-12-22 10:12
~たまにお邪魔するとお喋りが長くなってごめんなさいね~
あくまでも私の印象なんだけど、アラン・ドロンってスクリーンの彼からは男の色気オーラと味といったものがあまり感じられない。別の見方をすれば彼のもつ独自の美しさが男としての彼の味を打ち消しているのかもしれない。最後の一点で、本当のところ、こいつは何考えているか分からないという危うさ、緊張感を感じさせるところがドロンのもつ魅力でもあるんでしょうね。アメリカ俳優で好きなキース・キャラダインを誰かが青い血を持つ男と評していたけど、ドロンにも通じる表現じゃないのかなって思う。そんな彼が恋人のダルクと作中でも恋人関係を演じたらファントしては白けるでしょうね。私も当時タイトルの忘れた上記の映画見ながら「好きにやって」って感じで見てましたっけ(笑) でも女性の映画を観るお楽しみの一つはファッション。ダルクのスレンダーな身体とシンプルなファッションセンスはなかなかに私好みで、当時のダルクはそういう点では気になる存在だったなぁ。でもそれ以上の存在でもなかったし、女優として彼女をみてなかったような…。
Commented by mChouette at 2011-12-22 10:12
これが最後~
私なんだかんだ言っても、つまるところやっぱりルネ・クレマンの「太陽がいっぱい」のトム・リプリーのあのドロンに、彼の魅力が凝縮されているような…ルネ・クレマンは見事にアラン・ドロンのもつ魅力を映像に描きつくしているなって今でも思う。あれ以上に彼を語りつくした映画ってないんじゃないかなって今も思う。だから他の作品をみてもどこか、なにかが不足してるって覆うの。あれこれお喋りして、それならばと「愛人関係」私も観なくっちゃって気になってきたので、年末年始の休みにでもマッさらな頭で観るとしましょう。
ではではお体に気をつけて良き年末年始を!

Commented by 用心棒 at 2011-12-23 01:47 x
トムさん、こんばんは!

いやあ(汗)

ドロン映画門外漢のぼくの感想なんで、的外れが多いと思います(汗)

ここ数年になりますが、ドロン出演作がスカパーの映画系チャンネルでかなり放送されていますよ。

思い出すだけでも『暗殺者のメロディ』『狼は天使の匂い』『太陽はひとりぼっち』『リスボン特急』『仁義』『パリの灯は遠く』『チェイサー』『ビッグガン』など多数にのぼり、興味深いのはチャンネルが同じではなく、多数に渡っている点です。

需要が高まってきている証拠ですし、見たい人がまた増えてきているのではないでしょうか。

甘いマスクに加え、妖しさや厳しさなど混ざり合った独特の彼の雰囲気は単純なハリウッド俳優にはない奥の深さがありますので、若いファンにはより多くの作品、それもタイプの違った作品を見て欲しいですね。

ちなみになぜかぼくは『エアポート80』も何故か好きです(笑)

ではまた!
Commented by Tom5k at 2011-12-23 23:12
シュエットさん、こんばんは。
>ドロンとダルク共演の作品・・・覚えているシーンは、熱くなった電球をダルクの裸の背中に押し付けて拷問して吐かせようとするシーン。

う~ん、「ジェフ」でしょうか?これは、何十年も前のTV放映以来観てないので、全然記憶があいまいですが、ドロンが駆けつけて抱きしめるのは、ダルクではなく、アンヌ・パリローと共演した「危険なささやき」がありましたね。

>アラン・ドロン知らない人はいないでしょうね。
今の30代には知られていないようですよ。残念なことに、わたしの勤務先の部下たちも知っているものの方が少ないです。驚きますよ。
>ミレーユ・ダルクもナタリー・ドロンもアラン・ドロンを通して
確かに単独のファンは、活躍時から少数でしょうね。ミレーユ・ダルクは、独特の魅力を持つ女優ですから、ドロンと知り合わなければ、もっと女優として開花できた人じゃないかな?
そういえば、ゴダールの「ウィークエンド」にも出ていましたね。わたしとしては、ナタリー・ドロンは、私的にはロミーやミレーユ・ダルクより、好きです。
Commented by Tom5k at 2011-12-23 23:41
>続き
暗黒街の情婦役なんかもっとやって欲しかったですよ。ロジェ・バデムの「華麗なる関係」での悪女役はジャンヌ・モローとはまた異なる魅力で迫真だったように記憶しております。

>アラン・ドロン・・・彼のもつ独自の美しさが男としての彼の味を打ち消している・・・
これって、意外に一般論かも。同じ考え方を聞いたことがありますよ。
彼は、男の規範で生きてるようなところがあって、それが、
>こいつは何考えているか分からないという危うさ、緊張感
に直結しているのかな?
>ルネ・クレマン
彼はその後、トム・リプリーを超えることができたか否か?
「サムライ」のジェフか、「パリの灯は遠く」のクラインか?
私見なのですが、「黒いチューリップ」のジュリアン、「もういちど愛して」のシモン、「スワンの恋」のシャルリュスなどは素晴らしかったと思うのです。
一本気な役に、もっと挑戦してほしかった。
悪漢として素晴らしいのは、「レッド・サン」のゴーシェ、超一流スター俳優の証明だった役だと思っています。
いつもドロン談義に付き合わせてしまって、すみません。
良いお年を・・・良いクリスマスを・・・。
では、また。
Commented by Tom5k at 2011-12-23 23:41
>用心棒さん、こんばんは。
>ドロン出演作がスカパーの映画系チャンネルでかなり放送
確かに、再評価されてきているのかもしれませんね。
然るべきだと、わたしは思ってしまいますし・・・。70年代の社会現象としてのドロン人気も踏まえて復活してほしいです。

ところで、『狼は天使の匂い』は、クレマン監督ですが、ドロンは出演しておらず、ライバルのトランティイニャンの主演作品でございます(笑)。
>単純なハリウッド俳優にはない奥の深さ・・・
彼の場合、映画が無国籍的なような気がします。国際的というブランドの意味とは異なる国際派・・・どんな国の人にでも受け入れられる大衆のスターというような・・・。

>『エアポート80』
用心棒さんに気に入っていただいているとは・・・うれしい限りです。
わたしも大好きな作品で、コンコルドの美しさとドロン&クリステルの美しさとのコントラストで表現されていることだけでも映像的な価値は随一・・・ミサイルに狙われる出たらめっぷりも映画的な面白さを素直に感じとれば楽しくて・・・。
なんだか、次の記事への意欲が湧いてきましたよ。
では、また。
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