『危険がいっぱい』①~上質のサスペンス~

 ドキュメンタリー作品の演出家であった履歴を持つルネ・クレマン監督は、イタリアの「ネオ・リアリズモ」や自国フランスの「詩(心理)的レアリスム」とも異なる独特の作風で「リアリズム」作品を創作し続けた演出家といわれています。
 実際にレジスタンス運動に携わっていた鉄道労働者たちを出演させた『鉄路の闘い』。ナチス・ドイツ潜水艦の中に閉じこめられた様子を人間ドラマとして描いた『海の牙』。そして、自然主義作家のエミール・ゾラ原作の『居酒屋』、歴史的名作である『禁じられた遊び』等々。
鉄路の闘い
/ ビデオメーカー





禁じられた遊び/海の牙
/ アイ・ヴィー・シー





 特筆すべきは、『居酒屋』での主演に人気スターのマリア・シェルを使ったことです。超一流のリアリズム作家が、芸術作品で一般受けするスター女優を使ったことも、独特の発想からのキャスティングであったようです。その影響を受けたのでしょうか?同様にイタリアの「ネオ・リアリズモ」のルキノ・ヴィスコンティ監督も翌年には、ドストエフスキー原作の『白夜』で彼女を使っています。そして、『太陽がいっぱい』で主演したアラン・ドロンの起用にしても、『若者のすべて』よりも先、その前年なのです。
 このように、映画としての芸術作品で「リアリズム」を追求したことも、「スター・システム」の要素をそのリアリズムに取り入れたことも、「ネオ・リアリズモ」の巨匠であったあのルキノ・ヴィスコンティよりも早く、それだけ先見の明に猛けていたといえましょう。

居酒屋
/ アイ・ヴィー・シー





ルキーノ・ヴィスコンティ DVD-BOX 3 3枚組 ( 郵便配達は二度ベルを鳴らす 完全版 / ベリッシマ / 白夜 )
/ 紀伊國屋書店




 更に、『太陽がいっぱい』のカメラに、当時は全く毛色の異なる「ヌーヴェル・ヴァーグ」のカメラマンであったアンリ・ドカエを起用するなど、ルネ・クレマンは、キャストやスタッフの選び方が自由奔放でありながら天才的です。
 また、『Z』『戒厳令』『背信の日々』の監督コスタ・ガブラスもこの作品や他のクレマンの作品の多くで助監督を努めており、わたしなどは、彼こそがルネ・クレマンの後継者であると思っています。このように、彼は演出家でありながら、周囲の人間を育てる教育力も素晴らしく、後の映画界の多方面で活躍する後身の多くを輩出しています。あのフランシス・コッポラも『パリは燃えているか』のスタッフの一人として、名を連ねていました。
背信の日々(字幕版) 特典用
/ ワーナー・ホーム・ビデオ





 ルネ・クレマンは、この作品でも素晴らしいスタッフを作り上げています。
 まず、音楽のラロ・シフリンです。シフリンはルネ・クレマン監督の大ファンだったことからプロデューサーのジャック・バールの口利きでこの作品を担当することになったといいます。有名な作品には『スパイ大作戦(ミッション・インポッシブル)』や『燃えよドラゴン』など、作品イメージを音楽表現することに長けている素晴らしい音楽家です。
 この作品でも、都会的でクールな印象のモダン・ジャズが全編に流されていて、モダンでセクシーな雰囲気により、一層上質なサスペンス作品にすることに成功しています。
ミッション:インポッシブル
TVサントラ ラロ・シフリン / ユニバーサルインターナショナル





燃えよドラゴン
サントラ / ワーナーミュージック・ジャパン





 マイルス・デイビスやバド・パウエルに師事していたジャズ・オルガニストのジミー・スミスのアルバム『ザ・キャット』は、映画のサウンド・トラックとは異なりますが、挿入曲である『危険がいっぱいのテーマ』と『ザ・キャット』が、ラロ・シフリンによる再アレンジで編集されています。映画と同様にバックアンサンブルの規模は大きいのですが、スミスのハモンドオルガンのキーボードとペダルのアドリブは正に独壇場で、スミスの他の作品と比べても、傑出した素晴らしいアルバムです。
 なお、その後、ドロンとスミスは親交を深め、仕事を超えた友人となっていったそうです。このアルバムの7曲目は、アラン・ドロンに捧げたオリジナル曲『ドロンのブルース』。
ザ・キャット
ジミー・スミス / ユニバーサルクラシック





 そして、衣装デザインはピエール・バルマン。彼は、パリのオートクチュールコレクションの全盛期の1950年代、クリスチャン・ディオールやバレンシアガにも引けををとらないトップクラスのデザイナーでした。日本でも皇后陛下の海外訪問の際の衣裳を担当した実績を持ちます。
 この作品でも、アラン・ドロンが肩パットを嫌って選び直した公用車運転用の制服、帽子、サングラスや偽電報を打つ場面でのジェーン・フォンダのスカーフ、そして、ウェストが引き締まっているフルスカートやなだらかな肩ごしなどの特徴からローラ・アルブライトやジェーン・フォンダが身につけている衣装や装飾品、ジェーン・フォンダがアラン・ドロンを誘惑しようとするときのドレスアップなど、すばらしい衣装等のデザインは全てバルマンだと思われます。

 カメラは、『太陽がいっぱい』以降、お気に入りのアンリ・ドカエです。わたしは、アラン・ドロンの代表作『太陽がいっぱい』や『サムライ』等の作品が高い評価を得られている要素の一つとして、彼の素晴らしい撮影テクニックに依っていることを忘れてはならないと思っています。
 この作品でも、

 ・バーバラのイヤリング
 ・マークの拭いているグラス
 ・メリンダの涙
 ・メリンダのドレスが冷蔵庫の光で透ける身体の線のシルエット
 ・メリンダやバーバラのアップのソフトフォーカス
 ・秘密の部屋の扉を開けたときの鏡の反射光
 ・バーバラを問いつめるときのマークの帽子の反射光
 ・マークが屋敷を探るときの懐中電灯
 ・ラストシーンのマークの苦悶の表情のアップと光のフラッシュバック

 など、光の反射等の光芒を実に効果的に映し出しています。当時のカメラ技術を考えると、採光の輝きを強調する露出効果は、クロス・フィルターを使用してのものでしょうか?いずれにしても、各場面のその瞬間瞬間の効果をストーリーの展開の中で捉えるセンス・技術は余程の才能が無ければ不可能であり、素晴らしいカメラ・テクニックとともに、クレマン監督作品としての完成度の一要素としては、彼の手腕に依ったところが大きかったと思います。

 デイ・キーンの原作(原題:「Joy House」)については、こちらに素敵な記事があります。
 武田さんのブログ『終日暖気』の記事「Joy House 1954」

 そして、キャスティングは、クレマン作品=アラン・ドロンです。
 それから、ハリウッドから父親ヘンリー・フォンダに反発して家出同然でヨーロッパに渡ってきたジェーン・フォンダ。クレマン監督は彼女を気に入っていて、この作品への出演を強く希望していたそうです。
 また、ローラ・オルブライトも大人の魅力満開です。

 それにしても素晴らしいスタッフとキャストです。そして、当然のことながら作品も第一級のサスペンス映画となっています。『太陽がいっぱい』とは、また異なり、シャープで切れ味の鋭い洗練された作風であり、アラン・ドロン、ジェーン・フォンダも、ローラ・アルブライトも最大限生かされていて、たいへん魅力的です。
 わたしは、ルネ・クレマンがサスペンス映画の演出家として、アメリカのヒッチコック、ヨーロッパのアンリ・ジョルジュ・クルーゾーと並ぶ高いレベルでの評価に値する力量は、十分に備えていたと思います。ただ、残念なのは作品が生み出された背景です。当時のフランス映画界は「ヌーヴェル・ヴァーグ」の勢いが強く、その中でクレマン&ドロンの作品をフランスの映画ファン達に注目させることは、難しかったようです。
定本 映画術―ヒッチコック・トリュフォー
フランソワ トリュフォー 山田 宏一 蓮實 重彦 / 晶文社





 わたしは、時代による不運が原因で、クレマン&ドロンの作品が、ゴダール&ベルモンド作品に劣る評価しか得られなかったことを思うと悔しくてなりません。しかし、彼らの作品の質の高さから推測すれば、今後、クレマンの演出、ドロンの演技が、更に再評価されてくることは間違いないと思われます。

 アラン・ドロンはいつもの彼らしく、エネルギッシュで頭の回転の早い青年役ですが、いかさまカード師の役柄でジゴロのような生活をしているドンファン役です。ジェーン・フォンダは一見、世間知らずの小娘の役柄ですが、最後には自分のことしか考えない小悪魔的な娘として、手段を選ばずに惚れた男を手に入れる女性の最も恐ろしい側面を上手く演じていました。
 このストーリーの最大の見せ場は、ジェーン・フォンダ演じるメリンダが、ドロン演じるマークの自由を奪って自分の手元に囲い込んでしまうラスト・シークエンスですが、冴え渡るクレマンの演出とジェーン・フォンダやアラン・ドロンの名演により、それまでの軽快で明るく、テンポのいい展開から、打って変わって、恐ろしい女の執念が果たされるエンディングとなっています。

 ルネ・クレマン監督にとって、アラン・ドロンは『太陽がいっぱい』や『生きる歓び』で使ってきた最愛の愛弟子であったし、ジェーン・フォンダは、父親ヘンリー・フォンダに反抗して、ひとりヨーロッパに渡ってきた淋しい気持ちも手伝っていたのでしょう。この作品の撮影中、ドロンにロミー・シュナイダーという婚約者が存在していたにも関わらず、彼に恋してしまっていた噂もあったそうです。
 当時のこの二人にとって、アラン・ドロンは特別の存在だったはずです。ルネ・クレマン監督もジェーン・フォンダも、当時、ハリウッドに渡って新天地を求めようと準備していたドロンに対して、作品中のメリンダという小悪魔的な主人公と同じような気持ちや想いを持っていたとしても不思議ではなかったような気がします。
 わたしにはどうしても、彼らがドロンを自分たちの手元に閉じこめておきたかったように見えてしまいます。そう考えると、この作品の素晴らしい出来映えが妙にリアルで、恐ろしい説得力を持ってくるのです。
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by Tom5k | 2005-10-08 23:30 | 危険がいっぱい(2)