『ジェフ』~典型的な「フレンチ・フィルム・ノワール」、アデル・プロダクション設立の記念碑的作品~
2026年 01月 12日『ジェフ』(1968年)は、2025年9月に、初めてのDVD・ブルーレイ化により発売されました。
この作品はテレビ放映も地上波では1974年4月の日曜洋画劇場での放送のみであり、それ以降は少なくても地上波での再放送は無かったと記憶しています。これまでDVD・ブルーレイとしてはもとより、ビデオとしても発売されてこなかったため、アラン・ドロンのファンの間では幻の作品として位置付いていた作品だったと思います。
当然のことながら、私も早速、このブルーレイを購入して鑑賞しましたが、とても印象深い素晴らしい作品でした。
そして、私はこの作品には様々なキー・ワードが存在しているように思っているのですが、思いつくままにそれらを挙げてみたいと思います。
・ジャン・ポール・サルトルの後継者とも言われていた反・OAS(Organisationde l'Armée Secrèteの略、※フランスの極右テロ組織)の騎手であったゴングール賞作家のジャン・コーをシナリオに起用したこと。
・アメリカ映画のメジャー映画スタジオ・ビッグ5の「ワーナー・ブラザース」から資金提供を受けて世界配給のマーケットを前提に制作された作品であったこと。
・長年に渉って恋愛パートナーとなるミレーユ・ダルクと出会った作品であること。
・アラン・ドロン自らが設立したアデル・プロダクション第1作目の作品であること。
このように、実に話題が満載であり、アラン・ドロンの製作・主演作品として、ファンにとってモニュメンタル・記念碑的とも言える作品なわけです。
スタッフに関しても、監督はジャン・エルマン、音楽はフランソワ・ド・ルーペ、撮影はジャン・ジャック・タルベス・・・このメンバーは、大ヒット作品『さらば友よ』(1968年)同じスタッフなのです。
更に、助演ではありましたが、映画女優としてセザール賞、舞台女優としてモリエール賞を各二回受賞している大女優シュザンヌ・フロンも出演しています。
しかしながら、これだけの話題と充実したキャスト・スタッフであったにも関わらず、日本では地味な作品として位置付いており、公開当時も、それほどに大きな話題にはならなかったようです。
何故なのでしょう?
アラン・ドロンは、暗黒街で生きるアンチ・ヒーロー的ヒーローとして、その男性的規範において、決して仲間を裏切らない、友情を重んじ身を挺して仲間を守り抜くキャラクターが似合う俳優です。この作品の主人公ローランのような、その規範に反して欲得のために仲間を裏切ってしまうキャラクターは、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品では似合わないと日本のファンは判断してしまったのかもしれません。
そのような意味では、日本のファンにとって、この作品の主人公ローランのキャラクターは、アラン・ドロンの単独主演での同ジャンルの作品である『サムライ』(1967年)のジェフ・コステロや、『ビッグ・ガン』(1973年)のトニー・アルゼンタのキャラクターの魅力にまでには至っていなかったのかもしれません。
さて、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品は、ハリウッドでのいわゆる1930年代の「ギャングスター映画」、1960年代以降の「アクション映画」などを、フランス映画特有のノワール的傾向に加工していることなどもあって、1940年代から50年代にハリウッドで量産された「フィルム・ノワール」作品よりも広い範囲でのジャンルに定義できるように思います。
フランスでは1950年代に、ジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』(1954年)およびジュールズ・ダッシン監督の『男の争い』(1955年)などの「ギャングスター映画」の体系から、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品が本格的に量産されていくことになります(暗黒街出身のジョゼ・ジョヴァンニの体験の原作に基づく、ジャック・ベッケル監督の遺作である刑務所からの脱獄事件を描いた『穴』(1960年)も「フレンチ・フィルム・ノワール」の代表作品とされています)。
その後、1960・70年代にジャン・ピエール・メルヴィル監督によって、『ギャング』(1966年)、『サムライ』、『仁義』(1970年)などで更にそのスタイルが純化され、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の原作の多かったジョゼ・ジョヴァンニが、『生き残った者の掟』(1960年)で監督デビューして、『ラ・スクムーン』(1972年)、『ル・ジタン』(1975年)などによってリアルに暗黒街を映像化していくようになります。
この『ジェフ』も、アラン・ドロンのキャラクターは別として、「フレンチ・フィルム・ノワール」の映画史的伝統、その美学を守った典型的な作品だと解することができます。
冒頭から極端にセリフが少なく、特に強盗団の行動そのものが寡黙で、同系列のハリウッドやイタリア映画の作品群の派手なアクションからは縁遠く、フランス映画らしい「沈黙」と「行動」を照応させた構成によって、登場人物の表情や行動を写し撮っていきます。
そして、裏切ったジェフを追い続けるフレデリック・ド・パスカル扮するディアマンの疑心暗鬼の追跡劇と、アラン・ドロン扮するローランとミレーユ・ダルク扮するエヴァとのジェフへの信頼からの逃避行とのコントラストは実にサスペンスフルなのです。ジェフに裏切られたことからの追跡と、ジェフを信じて行動していく二組の追跡劇が立体的に構成されながら、次々と新しい局面への展開に昇華していきます。
そして、いよいよ衝撃のラスト・シークエンス・・・そこで、本当の裏切り者がローランであったことへと導かれていく驚くべき展開・・・ローランの死の結末は、その典型的な「フレンチ・フィルム・ノワール」作品でのアラン・ドロンの十八番となっている「死の美学」として、ここでもその結実に成功しています。
セリフも最小限に切り詰められ、このテーゼとアンチテーゼが交互に白熱していく展開からのアウフヘーベンされる弁証法的結末は、観る側に決定的な衝撃を与えるのです。このような鑑賞者をストーリーの葛藤の中に導く作品の構成は、実存主義の文学者であるジャン・ポール・サルトルの系譜を後継していたジャン・コーのシナリオの力量に負うところが大きかったのではないでしょうか。
私にとって、この『ジェフ』におけるジャン・エルマン監督の演出には、前作『さらば友よ』のようなエンターテインメント作品からの脱皮が図られているように感じましたし、映画史的に評価の高いジャック・ベッケル監督やジャン・ピエール・メルヴィル監督の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品と比べてすら、ノワール要素の純化など、更なる発展の予感を感じさせてくれる作品になっているように思いました。
そして、この作品が「詩的(心理的)レアリスム」を正当な後継者としてのアラン・ドロンによって、その体系を「フレンチ・フィルム・ノワール」に融合させていく前段階で、「フレンチ・フィルム・ノワール」を文学的構成で徹底させたクリエイティブな野心作として、フランス映画史上に位置付けられていくべき作品であるとまで思うのです。
アラン・ドロンはこの後、『シシリアン』(1969年)、『ボルサリーノ』(1969年)、『仁義』(1970年)と、立て続けに「フレンチ・フィルム・ノワール」作品に主演しその担い手としてフランス映画界を疾走していきます。
又、私生活においても、共演者ミレーユ・ダルクとの愛の生活もここから10数年に渉って続いていきました。
これらのことを想うとき、『ジェフ』は公私ともにアラン・ドロンが最も充実していく超人気大スターへのスタート・アップのためのモニュメンタル作品であったことを決して忘れてはならないと、私はファンの一人として誓いを立てることにしたのです。

