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映画鑑賞から想い起こされる映画の本質、そして映画俳優・映画スターとしてのアラン・ドロン Alain Delon の本質

by Tom5k

 『ジェフ』(1968年)は、2025年9月に、初めてのDVD・ブルーレイ化により発売されました。

 この作品はテレビ放映も地上波では1974年4月の日曜洋画劇場での放送のみであり、それ以降は少なくても地上波での再放送は無かったと記憶しています。これまでDVD・ブルーレイとしてはもとより、ビデオとしても発売されてこなかったため、アラン・ドロンのファンの間では幻の作品として位置付いていた作品だったと思います。


 当然のことながら、私も早速、このブルーレイを購入して鑑賞しましたが、とても印象深い素晴らしい作品でした。

 そして、私はこの作品には様々なキー・ワードが存在しているように思っているのですが、思いつくままにそれらを挙げてみたいと思います。


・ジャン・ポール・サルトルの後継者とも言われていた反・OASOrganisationde l'Armée Secrèteの略、フランスの極右テロ組織)の騎手であったゴングール賞作家のジャン・コーをシナリオに起用したこと。

・アメリカ映画のメジャー映画スタジオ・ビッグ5の「ワーナー・ブラザース」から資金提供を受けて世界配給のマーケットを前提に制作された作品であったこと。

・長年に渉って恋愛パートナーとなるミレーユ・ダルクと出会った作品であること。

・アラン・ドロン自らが設立したアデル・プロダクション第1作目の作品であること。


 このように、実に話題が満載であり、アラン・ドロンの製作・主演作品として、ファンにとってモニュメンタル・記念碑的とも言える作品なわけです。

スタッフに関しても、監督はジャン・エルマン、音楽はフランソワ・ド・ルーペ、撮影はジャン・ジャック・タルベス・・・このメンバーは、大ヒット作品『さらば友よ』(1968年)同じスタッフなのです。

更に、助演ではありましたが、映画女優としてセザール賞、舞台女優としてモリエール賞を各二回受賞している大女優シュザンヌ・フロンも出演しています。


しかしながら、これだけの話題と充実したキャスト・スタッフであったにも関わらず、日本では地味な作品として位置付いており、公開当時も、それほどに大きな話題にはならなかったようです。


何故なのでしょう?


アラン・ドロンは、暗黒街で生きるアンチ・ヒーロー的ヒーローとして、その男性的規範において、決して仲間を裏切らない、友情を重んじ身を挺して仲間を守り抜くキャラクターが似合う俳優です。この作品の主人公ローランのような、その規範に反して欲得のために仲間を裏切ってしまうキャラクターは、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品では似合わないと日本のファンは判断してしまったのかもしれません。

そのような意味では、日本のファンにとって、この作品の主人公ローランのキャラクターは、アラン・ドロンの単独主演での同ジャンルの作品である『サムライ』(1967年)のジェフ・コステロや、『ビッグ・ガン』(1973年)のトニー・アルゼンタのキャラクターの魅力にまでには至っていなかったのかもしれません。


さて、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品は、ハリウッドでのいわゆる1930年代の「ギャングスター映画」、1960年代以降の「アクション映画」などを、フランス映画特有のノワール的傾向に加工していることなどもあって、1940年代から50年代にハリウッドで量産された「フィルム・ノワール」作品よりも広い範囲でのジャンルに定義できるように思います。


 フランスでは1950年代に、ジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』(1954年)およびジュールズ・ダッシン監督の『男の争い』(1955年)などの「ギャングスター映画」の体系から、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品が本格的に量産されていくことになります(暗黒街出身のジョゼ・ジョヴァンニの体験の原作に基づく、ジャック・ベッケル監督の遺作である刑務所からの脱獄事件を描いた『穴』(1960年)も「フレンチ・フィルム・ノワール」の代表作品とされています)。

その後、1960・70年代にジャン・ピエール・メルヴィル監督によって、『ギャング』(1966年)、『サムライ』、『仁義』(1970年)などで更にそのスタイルが純化され、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の原作の多かったジョゼ・ジョヴァンニが、『生き残った者の掟』(1960年)で監督デビューして、『ラ・スクムーン』(1972年)、『ル・ジタン』(1975年)などによってリアルに暗黒街を映像化していくようになります。


 この『ジェフ』も、アラン・ドロンのキャラクターは別として、「フレンチ・フィルム・ノワール」の映画史的伝統、その美学を守った典型的な作品だと解することができます。

冒頭から極端にセリフが少なく、特に強盗団の行動そのものが寡黙で、同系列のハリウッドやイタリア映画の作品群の派手なアクションからは縁遠く、フランス映画らしい「沈黙」と「行動」を照応させた構成によって、登場人物の表情や行動を写し撮っていきます。


そして、裏切ったジェフを追い続けるフレデリック・ド・パスカル扮するディアマンの疑心暗鬼の追跡劇と、アラン・ドロン扮するローランとミレーユ・ダルク扮するエヴァとのジェフへの信頼からの逃避行とのコントラストは実にサスペンスフルなのです。ジェフに裏切られたことからの追跡と、ジェフを信じて行動していく二組の追跡劇が立体的に構成されながら、次々と新しい局面への展開に昇華していきます。


そして、いよいよ衝撃のラスト・シークエンス・・・そこで、本当の裏切り者がローランであったことへと導かれていく驚くべき展開・・・ローランの死の結末は、その典型的な「フレンチ・フィルム・ノワール」作品でのアラン・ドロンの十八番となっている「死の美学」として、ここでもその結実に成功しています。


セリフも最小限に切り詰められ、このテーゼとアンチテーゼが交互に白熱していく展開からのアウフヘーベンされる弁証法的結末は、観る側に決定的な衝撃を与えるのです。このような鑑賞者をストーリーの葛藤の中に導く作品の構成は、実存主義の文学者であるジャン・ポール・サルトルの系譜を後継していたジャン・コーのシナリオの力量に負うところが大きかったのではないでしょうか。


私にとって、この『ジェフ』におけるジャン・エルマン監督の演出には、前作『さらば友よ』のようなエンターテインメント作品からの脱皮が図られているように感じましたし、映画史的に評価の高いジャック・ベッケル監督やジャン・ピエール・メルヴィル監督の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品と比べてすら、ノワール要素の純化など、更なる発展の予感を感じさせてくれる作品になっているように思いました。


そして、この作品が「詩的(心理的)レアリスム」を正当な後継者としてのアラン・ドロンによって、その体系を「フレンチ・フィルム・ノワール」に融合させていく前段階で、「フレンチ・フィルム・ノワール」を文学的構成で徹底させたクリエイティブな野心作として、フランス映画史上に位置付けられていくべき作品であるとまで思うのです。


 アラン・ドロンはこの後、『シシリアン』(1969年)、『ボルサリーノ』(1969年)、『仁義』(1970年)と、立て続けに「フレンチ・フィルム・ノワール」作品に主演しその担い手としてフランス映画界を疾走していきます。


 又、私生活においても、共演者ミレーユ・ダルクとの愛の生活もここから10数年に渉って続いていきました。


 これらのことを想うとき、『ジェフ』は公私ともにアラン・ドロンが最も充実していく超人気大スターへのスタート・アップのためのモニュメンタル作品であったことを決して忘れてはならないと、私はファンの一人として誓いを立てることにしたのです。



# by Tom5k | 2026-01-12 21:51 | ジェフ | Trackback | Comments(0)
 1948年、『鉄格子の彼方』が制作されました。
 この作品は、1949年にフランスの映画祭と第3回カンヌ国際映画祭で監督賞、主演女優のイザ・ミランダも女優賞を受賞しました。しかも、1951年にハリウッドでの第23回アカデミー賞外国語映画賞・特別優秀作品賞まで受賞するなど、アカデミックな場所で評価された作品です。

 でも、主演したジャン。ギャバンにとっては、それほど嬉しくもなかったようです。
彼は、
>おれの本当の映画は、こんなもんじゃない
と思っていたそうなのです。
【「ジャン・ギャバンと呼ばれた男』(鈴木明著、小学館、1991年)】

 しかしながら、この作品の監督は、アラン・ドロンを主演させて大成功を収めた『太陽がいっぱい』(1959年)のルネ・クレマンであり、そして、ジャン・ギャバンは、アラン・ドロンが後々まで俳優・スターとしてのモデルとして敬愛していた人物です。
 この二人が、天国で、アラン・ドロンを温かく出迎えて欲しいと思うとき、ジャン・ギャバンがいかに思っていたとしても、私としては、この作品を無視するわけにはいかないのです。

 想えば、ルネ・クレマンが息を引き取ったのは。1996年3月のことでした。
 アラン・ドロンにとっては、1973年のジャン・ピエール・メルヴィル、1976年には、ルキノ・ヴィスコンティとジャン・ギャバン、1984年のジョセフ・ロージー、1994年のバート・ランカスター、そして、とうとう、ルネ・クレマンまでが逝ってしまったのでした。

 その2年後の1998年、親友のジャン・ポール・ベルモンドと共演した『ハーフ・ア・チャンス』をもって、アラン・ドロンは引退宣言をしてしまいます。
 もしかしたら、あの引退宣言は、もう誰も自分を導いてくれる師匠はいないと、彼が思ってしまった結果だったのかもしれません。

 ところで、フランスの「詩(心理)的レアリスム」作品での数々の名作のシナリオを担当したシャルル・スパークは、ジャン・ギャバンについて、次のように述懐しています。

>異様なまでにかたくなな考えを持った男、喧騒の中に奇妙な安らぎをもった男、まるでチャンスを持てない男の中に生きるチャンピオン、そして、たくさんの敵にかこまれながら、ほんの単純な理由-ちょっとした自由、行きずりの愛、理解しがたい友情-などのために必死に闘う男・・・ギャバンが演じるこれらの男たちは、多くの人々を感動させた。(略-)
【引用 「ジャン・ギャバンと呼ばれた男』(鈴木明著、小学館、1991年)】

 『地の果てを行く』(1935年)から始まって、『望郷』(1937年)、『霧の波止場』(1938年)、『Le Jour se lève(陽は昇る)』(1939年)と、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督や、マルセル・カルネ監督と組んだ初期の作品は、ジャン・ギャバンといえば「逃亡者」、「逃亡者」といえばジャン・ギャバンでした。戦時中に渡米していたときでさえ、往年の名コンビ、盟友のジュリアン・デュヴィヴィエ監督と組んで『逃亡者』(1943年)を撮っていたほどです。
 そして、ジャン・ギャバンがこの作品『鉄格子の彼方』で演じた主人公は、やはり彼の十八番である「逃亡者」でした。

 特に、レーモン・ラミ監督の『面の皮をはげ』(1947年)とジョルジュ・ラコンブ監督の『Leur dernière nuit(彼らの最後の夜)』(1953年)を取り上げました。この二作品は戦前からのジャン・ギャバンの「逃亡者」キャラクターからの脱出が試みられ、しかも大ヒット作品、後期の全盛期を創り出した『現金に手を出すな』(1954年)に繋がる作品ではないかと考えたわけです。
 ただし、彼は『現金に手を出すな』にそう簡単に辿り着いたわけではありません。

>気がついてみたら、ギャバンはもう四十歳を大分過ぎている。いまさら、「脱走して、悲劇的な死を迎え、ファンを感動させる」年でもあるまい。それに、フランスもまた、たしかに新しいものを求めていた。その新しいものが何なのか、ギャバンだけでなく、映画人の誰もがわかってはいなかった。
【引用 「ジャン・ギャバンと呼ばれた男』(鈴木明著、小学館、1991年)】

 このような戦後の模索期は長期間続きます。
 第二次世界大戦中に渡米し、終戦後に帰仏したジャン・ギャバンは、ハリウッド時代からの伝説のロマンスの相手マレーネ・ディートリッヒと『狂恋』(1946年)で共演しました。その後、旧友マルセル・カルネ監督の『港のマリー』(1949年)、「ネオ・リアリズモ」の演出家のルイジ・ザンパ監督の『Pour l'amour du ciel(おねがいだから・・・)』(1950年)、ヴェネチア映画祭男優賞を受賞した『La nuit est mon royaume(夜は我がもの)』(1951年)、往年の名コンビ二人・・・ダニエル・ダリューと共演した『快楽』(1951年)と『ペペドンジュについての真実』(1951年)や、ミッシェル・モルガンと共演した『愛情の瞬間』(1952年)・・・しかも、『快楽』は、巨匠マックス・オフェルス監督です。

 帰仏後1946年から1953年までの7年あまり、こんなにも野心に溢れ、共演した仲間達と素晴らしい試みを果敢に挑戦していったにも関わらず、ジャン・ギャバンには「その新しいものが何なのか」をつかめてはいなかったのです。

 しかし、わたしとしては、それぞれの作品において、「その新しいもの」の一端を垣間見せている部分が必ずあったように想うのです。

 私は、この『鉄格子の彼方』でのその着目すべき「新しいもの」は、まずは新星ルネ・クレマンの演出だったと想っています。
 ジャン・ギャバンは、『面の皮をはげ』でギャング団のボスを演じた後、揺り戻しのように、単に「逃亡者」に戻ったわけではないのです。

 若い頃のヒーロー像との大きな違いは、警察当局に逮捕されてしまうラスト・シーンです。そこには若い頃のような「死の美学」によったヒーローの悲劇による陶酔は表現されていません。『鉄格子の彼方』でのジャン・ギャバンは、「逃亡者」ではあっても、「死の美学」を脱出し「新しい」何かを表現しようとしているのです。

 この傾向は、後期全盛期を迎えるジャン・ギャバンの代表作となった『現金に手を出すな』(1954年)を撮る直前の『La vierge du Rhin(ラインの処女号)』(1953年)でも顕著です・・・この作品では、何と!追い詰められたヒーロー(ジャン・ギャバンが演じた「逃亡者=ヒーロー」は、妻とその不貞の関係にある相手に陥れられ、命を狙われて身を隠している元運輸会社経営者)は、ハッピーエンドへと昇華されていきます。

 想えば、ジャン・ギャバンの後を追って「逃亡者」を演じていたアラン・ドロンも、『さすらいの狼』(1964年)や、『帰らざる夜明け』(1972年)では「死の美学」を貫いていましたが、『ル・ジタン』(1975年)では、原作や当初のシナリオを変更してまで、その後の逃亡生活を余韻として残すラスト・シーンに改編していました。

 そして、何と言っても『鉄格子の彼方』が製作されたこの時代はイタリア映画でのリアリズム作品の隆盛期であり、監督のルネ・クレマンは、フランスでのその映画潮流の前線に位置する映画作家だったのです。この作品は、ルネ・クレマンにとっては、長編デビュー作品『鉄路の闘い』(1945年)と、『海の牙』(1946年)から、三作目の作品になります。
 前二作品、『鉄路の闘い』が戦時中のレジスタンスの鉄道労働者の製作と出演によるリアリズム作品でしたし、『海の牙』は、本物のドイツ製Uボートを使用して、第三帝国復興の任務などを負うナチス残党の生き残りなどの登場人物たちの群像劇、それも緊迫した艦船内の状況をサスペンスフルに描写していった作品でした。

 このセンセーショナルな二作品により、ルネ・クレマンはフランス映画界での「ネオ・リアリズモ」の新星として脚光を浴びていました。そんな作品を完成させた後に、大スター、ジャン・ギャバンを主演にした作品を撮ることはフランス映画界の「スター・システム」に入り込んだ新たな試みだったと思います。恐らく、かなり意気込んで制作した作品だったと察してしまいます。

 ファースト・シーンでは、ジャン・ギャバンが演ずる主人公のピエールの乗船している貨物船が、イタリアの貿易港ジェノバに到着するカットから始まります。ピエールは、船が港湾に停泊するときに使用する錨(アンカー)と、それを繋ぐチェーンが保管されている船内の保管庫に隠れて乗船しています。
 船が港湾に着港し錨が水底に落とされるときのアンカーチェ-ンが巻き下げられる様子が保管室側から撮影されており、凄まじいショットになっており、その迫力には驚いてしまいます。正直言って、ジュリアン・デュヴィヴィエやマルセル・カルネ、ジャン・ルノワールでも撮ることのできないリアリティだと感じました。

 下船する理由が歯痛であることもあり得る設定でしたし、当時の貿易港ジェノバの様子もイザ・ミランダ演ずるマルタとその娘チェッキーナの生活感、働いているカフェや居所として構えている古くて貧困なアパートメントも、映画全体に渉ってドキュメンタリー風の映像であり実に斬新です。

 この作品は脚本の担当も凄くて驚きます。まずは、スーゾ・チェッキ・ダミーコですが、彼女は名匠ルキノ・ヴィスコンティのほとんどの作品を手がけている脚本家でした。アラン・ドロンの出演作『若者のすべて』(1960年)、『山猫』(1963年)も彼女が担当しました。
 チェーザレ・ザヴァッティーニもヴィットリオ・シーカの一連の作品で有名な脚本家です。
 この二人は、当時の映画潮流「ネオ・リアリズモ」の代表的な脚本家なのです。

 ところで、「フランス映画の墓掘り人」フランソワ・トリュフォーが、カイエ・デュ・シネマ誌において、「フランス映画のある種の傾向」として、作家主義の作品と反する「良質の伝統」の推進者(「詩(心理)的レアリスム」の作家)たちを徹底的に批判したことは当ブログでも何度も取り上げてきました。
 そして、ここで着目すべきは、そのような「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家主義の作品と相反するジャン・オーランシュとピエール・ボストの脚本コンビが、この作品の脚色を担当していることなのです。

 ルネ・クレマンと彼らの邂逅がこの作品だったのです。彼らはその後『禁じられた遊び』(1952年)や、『居酒屋』(1956年)などの映画史的名作を生み出します。アラン・ドロンの出演作品では、『生きる歓び』(1961年)、『パリは燃えているか』(1965年)があります。ルネ・クレマンの作品ではありませんが、『黙って抱いて』(1957年)、『学生たちの道』(1959年)も彼らが担当しています。

 「ヌーヴェル・ヴァーグ」の映画作家たちに高評価であった「ネオ・リアリズモ」の脚本家と、「ヌーヴェル・ヴァーグ」と相反する「詩(心理)的レアリスム」の脚本家とのコラボレーションは、果たして何を生み出したでしょうか?

 この作品では、逃亡者であるピエールと労働者階級のシングルマザーであるマルタとのラブロマンスが、リアリズム映画のなかで展開していきます。メロドラマであるドキュメンタリー作品は、かなり大きいリスクを背負った創作だったと思うのですが、完成した『鉄格子の彼方』には、さほど大きな矛盾は無かったと感じました。むしろ、生き生きとした活力ある作品になっていたように思います。
 貧困な生活での庶民の幸福の追求がこれほど困難であることが社会矛盾を伴った結果であること、単なる悲劇の陶酔のみの表現を超えて、このことを表現しようとしたからこそ、この作品がアカデミックな方向からの高評価になったのではないかと思うのです。

 考えてみると、イタリアやフランスでの活躍が始まったアラン・ドロンは、この作品『鉄格子の彼方』でのフランス・イタリアの映画界の潮流が共に連携・協力した結果の必然的な申し子であったような気がしてきます。
 『太陽がいっぱい』は、アンリ・ドカエの撮影、ポール・ジェゴフの脚本、モーリス・ロネの出演・・・彼らは「ヌーヴェル・ヴァーグ」の映画人でした。そして、この作品は、旧世代のルネ・クレマンが演出した作品なのです。

 このことの影響は、後にアラン・ドロンが『さすらいの狼』(1964年)、『ブーメランのように』(1976年)の音楽にジョルジュ・ドルリュー、『私刑警察』(1988年)の撮影にラウール・クタールをプロデュースしたことに顕著に現れています。

 また、ルネ・クレマンにとっても、この作品でジャン・ギャバン、ボスト&オーランシュと組んだ以降、セミ・ドキュメンタリーの作風から、「スター・システム」の娯楽作品に転換していったようにも感じます。
 ジャン・ギャバン(1904年生まれ)を起用した後は、フランス映画界の各世代の代表的スターを好むようになっていきました。『ガラスの城』(1950年)でジャン・マレー(1913年生まれ)、『しのび逢い』(1954年)でジェラール・フィリップ(1922年生まれ)、そして、いよいよ、『太陽がいっぱい』でアラン・ドロン(1935年生まれ)を起用します。

 それにしても、なんと言う美男好き・・・ルキノ・ヴィスコンティ顔負けではありませんか。

 フランス映画の大きな歴史的潮流にジャン・ギャバンとルネ・クレマンの邂逅があったこと、その交差後のそれぞれの彼らの存在が、「アラン・ドロン」という、ヨーロッパ映画の俳優史に刻まれる映画スターを生み出す必然だったと、この小作品によって理解することができたように私は想うのです。

 ああ、何と素晴らしいことなのでしょう!!

 今でもわたしは、アラン・ドロンの死を悼み続け、アラン・ドロンの映画史的な位置付けを少しでも高めたいと願っています・・・それがアラン・ドロンのファンとしての精一杯の弔意のように想っています。

 とりとめも無くそんなことを考えたとき、わたしにとっての『鉄格子の彼方』は、決して忘れてはならない作品になってしまうのです。



# by Tom5k | 2024-12-22 01:47 | アラン・ドロンの死 | Trackback | Comments(2)

 天国にいるルキノ・ヴィスコンティとバート・ランカスター、どうかアラン・ドロンを温かく出迎えて下さい。

 アラン・ドロンが師匠と仰ぐルキノ・ヴィスコンティは、1976年3月、69歳の時に亡くなりました。『家族の肖像』(1974年)は、その2年前の作品です。既に体調は芳しくなかった中での撮影だったそうで、この作品の2年後に監督した『イノセント』(1976年)の編集作業中に亡くなられたそうです。


 そういえば、『イノセント』の主演は、ジャンカルロ・ジャンニー二とラウラ・アントネッリで、この二人は、確かに素晴らしかったのですけれど、ルキノ・ヴィスコンティ監督は、アラン・ドロンとロミー・シュナイダーを主演させることを最も望んでいたそうです。もし、それが実現していたとしたら更に素晴らしい作品になったと思います。


 そして、バート・ランカスターも、1994年10月に亡くなってしまいました。アラン・ドロンにとっては、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『山猫』(1963年)で共演できたことは素晴らしいことでした。

 アメリカ映画の社会派エンターテインメント作品『スコルピオ』(1973年)では、全盛期の「アラン・ドロン」キャラクターで共演することができました。


>ナレーション

“山猫”

映画はカンヌで

パルム・ドールを受賞

アランは国際的人気を得る

イタリア遠征成功だ

バート・ランカスターをボスと慕い

新たな見習い期間も成功

『アラン・ドロンのすべて』(2015年)(監督フィリップ・コーリー、株式会社アネック)より


>アラン・ドロン

「山猫」に出演できたのはヴィスコンティのおかげです

そして私にはもう一つの大きな収穫があったんです

バート・ランカスターと出会えたことは

大きな喜びでした

ずっと尊敬してきた俳優と共演できて

本当に財産になりました

スターとはどうあるべきかを教えられました

彼はどの国に行っても通用する俳優でしたからね

大好きだったバート・ランカスターも

もう死んでしまいましたね

『アラン・ドロン ラストメッセージ 映画、人生・・・そして孤独』(平成30年9月22日(土)10:30 NHK BSプレミアム)より


 ルキノ・ヴィスコンティ監督の作品では、『若者のすべて』(1960年)と『山猫』がアラン・ドロンの出演している作品ですので、私にとっては別格にならざるを得ないのですが、この二作品以外の彼の作品では『家族の肖像』が最も好きな作品なのです。


 この作品で、ルキノ・ヴィスコンティ監督は『山猫』以来11年の歳月を経て、再びバート・ランカスターを起用しました。

 映画では、彼は教授(professore)と呼ばれていますが、役名は最後まではっきりさせていません。年齢は、恐らく60代後半から70代でしょうか?教授(professore)は、結婚の失敗や、社会の技術進歩への疑問などから、世間の喧噪から逃れ、一人孤独に静かな生活を送っている初老のインテリゲンチャで、いわゆる老後の人生がクローズアップされている構成です。


 まるで、娘を嫁に送り出して孤独になった父親の姿で幕を閉じる小津安二郎の作品のラスト・シーンから始まっているかのようです。


 この作品の舞台となっているバロック式の古い建物や、窓の外に見える景観は壮麗かつ豪華で、まさにヨーロッパの絢爛たる芸術の様式美が表現されています。内装のインテリアや書棚にある書籍群に囲まれた静逸な環境での読書や音楽鑑賞、そして、誠実で信頼出来る老家政婦・・・。

 バート・ランカスターが演じた教授(professore)は、私が最も憧れてしまう理想の人物であり、その生活もある種の理想の一つです。


 各種の文献や情報から、この作品でルキノ・ヴィスコンティが描こうとした人物は、徹底したエゴイスト・・・19世紀、アメリカから渡欧したイタリアの学者・芸術家に共通したタイプ・・・・なのだそうです?

 私の教養における視野の狭さでは、そのイメージをよく理解できないのですが、彼が友情・愛情による優しさによって、人を信じてしまう純粋さを持ち、元来はエリート・エンジニアであった履歴を持っているにも関わらず社会の矛盾・技術進歩への疑問、そして、愛する妻との破局などから、この隠遁生活に逃げ込んでしまっているデリケートな人物であることは理解できました。


 いずれにしても、この主人公の教授(professore)は、私にとって非常に魅力的な人物です。

 登場してくるシルヴァーナ・マンガーノが演じる有閑婦人ビアンカ・ブルモンディや、その娘リエッタ(クラウディア・マルサーニ)も、彼が男性としても魅力的であることを指摘します。


 物語は、常識の欠落、過去のいかがわしい前歴、偏向思想・・・などを持ち、騒ぎばかりを起こすとんでもない一家が、教授宅の上階の部屋を強引に借上げるところから始まり、物騒な事件を次々と頻発させていく展開となっています。

 そして、そんな生活となってしまった教授(professore)の驚きと嫌悪、憤り、とまどい・・・そして、それを受容してしまう彼の愛情の深い優しさが描かれていきます。


 ビアンカは、上階の契約が賃貸借の範囲である契約内容だったにも関らず、ヘルムート・バーガーが演じる愛人コンラッドにその経緯を伝えず、購入した部屋だと偽って住まわせます。

 そこで部屋を改造することにしたコンラッド、その工事が始まった段階で間違いなく教授側(professore)からの損害賠償請求は可能です。


 それにも関わらず、そのいがみ合いの最中に、コンラッドが、眼にとまった18世紀の画家アーサー・デイヴィスの絵画「家族団欒図(Conversation Piece)」のことを話題にしたり、部屋にあったモーツァルトのアリアに関心を示したことなどから、教授(professore)は、彼の美術や音楽への審美眼が本物であることに驚かされるのです。

 コンラッドとの会話は、教授(professore)にとって、生活の根幹に関わる話題であったのでしょうか?

 彼らはそこから深い友情を育んでいきます。コンラッドも、教授(professore)に取り入ろうとしているわけではなく、純粋に興味を引かれたことを話題にしただけでしたから、彼らの友情に打算や取引はありません。


 これは、極めて自然な人間関係でのコミュニケーションの在り方かもしれません。いがみ合いやトラブルが生じていても、お互いの共通点が見つかり、そのことに共感し、相手に対して寛容な心を持てたことは誰でも経験したことがあるのではないでしょうか?


 更に、リエッタとの会話があまりにも無垢で幼稚であったため、教授(professore)は怒っていた気持ちが失せてしまい、部屋の改造の契約のやり直しの交渉中に思わず笑い出してしまいます。そして、リエッタの愛らしさから、彼女も教授(professore)のことが大好きであることがイノセンスに表現されています。


 それにしても、この教授(professore)のおおらかなキャパシティが、どのようにどこから育ったのかに興味を覚えます。

 コンラッドが本棚の偽装扉を偶然に開けてしまったことから、彼の母親が、戦時中にレジスタンスやユダヤ人を匿っていた部屋だとの説明があります。その人格形成は、このような母親からの影響があったのかもしれません。


 フラッシュバックのショットではありますが、この母親が若かった頃を演じたドミニク・サンダ、そして、彼と別れた妻を演じたクラウディア・カルディナーレは、本当に美しくカメラに写し取られていて強い印象を残します。


 そして、彼らの関係は、いよいよ、「家族団欒図(Conversation Piece)」の絵画からの空想が現実化していくようです。


 ○ 武装集団の暴行を受けたコンラッドを介抱する教授professore

 ○ 空腹を訴えるリエッタ、ステファノ、コンラッドにソーセージ・チーズをごちそうする教授(professore

 ○ 教授(professore)を旅行に誘うリエッタやステファノ

 ○ この非常識な家族を食事に案内し、その約束を平気で破る彼らに憤りを感じる教授professore

 ○ 晩餐への約束を破ったことを悪びれず、教授(professore)におみあげの九官鳥を差し出すリエッタ

 ○ 全員そろって出席した晩餐会・・・(結果的にはいがみ合いのトラブルになってしまいましたが・・・)


などを観ていると、既に彼らの関係は隣人以上の優しくて親しい関係にあるように想えてくるのです。

 このように、教授(professore)を介してではあっても、彼らが複雑な背景を背負っていることを乗り越えて、家族らしい愛情を摑みかけていたように想うのですが、ルキノ・ヴィスコンティ監督は、彼らのそれぞれの愛情が、やはりイリュージョンでしかなかったことを、ドラッグによる酩酊状態での踊りのシークエンスにより表現します。


 そのとき、リエッタは教授(professore)に対してイギリス出身のアメリカの詩人、W・H・オーデンの詩を持ち出します。


 美しきものは追い求めよ。少女であれ少年であれ抱擁せよ。性の生命は墓には求め得ぬゆえ


 W・H・オーデンの詩は、マイク・ニューウェル監督『フォー・ウェディング』(1994年)でも同性愛の友人の死に弔辞として使用されていましたし、私の敬愛する大江健三郎の『見る前に跳べ』は、この短編小説の表題がW・H・オーデンの詩の表題そのものです。

 彼の詩のキーワードは、「コスモポリタニズムと非宗教性、反権威主義と政治的闘争心、同性愛的な感性」と言われています。


 このリエッタから出たW・H・オーデンの詩には、このようなキーワードが隠されているように思います。ルキノ・ヴィスコンティ監督は、この家族(左翼である母の愛人、その娘、資本家の御曹司である娘の婚約者)の団欒が幻影であったのだとしても、W・H・オーデンの詩を使うことによって、彼らの愛情と欲望を肯定的に表現したかったのではないでしょうか?私はそう想いたいのです。

 何故ならば、わざわざこのシークエンスで、真面目な生き方ゆえの結婚の失敗や、社会との隔絶して生きてきたことを、教授(professore)自らが独白しているからです。


 しかし、残念なことに、ラスト・シークエンスでは、この家族の矛盾が一気に吹き出してしまいます。

 コンラッドは左翼の過激派であることから、ビアンカの夫やステファノのシンパの保守派グループを警察に密告しており、資本家一家の保守・右傾化した考え方や、その密告への憤りなどから、積もり積もった不満がトラブルとしてはっきりと浮かび上がってしまうのです。


 コンラッドの最期を看取る教授(professore)は、ジャン・ギャバンが得意としていた自分より若い者の死を哀惜の想いで葬送する主人公たち(『現金に手を出すな』(1954年)、『ヘッドライト』(1955年)、『暗黒街のふたり』(1973年))のようでもありました。


 そして、私には、コンラッド、リエッタ、ステファノ、ビアンカが、

アンソニー、アヌーシュカ、アラン・ファビアン、そして、ヒロミや、アラン・ドロン本人にもダブって見えてしまうのです。

 若干、ぼんやりしているけれど、少し生意気で家族から少しばかり距離のある目線で、いつも満たされていないようなステファノは、アラン・ファビアンに似ているように想います。

 追い出されてしまうコンラッド・・・ヒロミもそうでした。

 愛らしい、リエッタは、アヌーシュカと同じように感じます。

 では、アンソニーは?

 長男故に最も疎外感を感じてしまうアンソニーは、愛情を剥奪されてしまった年長のコンラッド・・・案外、いろんな周囲の身勝手に自分の平安な生活を乱されていた教授(professore)にも似ているかもしれません?


 では、アラン・ドロンは?

 家族のトラブルにショックを受けて死期を早めてしまった教授(professore)、生意気ですが、どこか憎めないステファノ、イノセンスで愛嬌のあるリエッタ、何処にも居場所が無く、常にトラブルを抱え、孤独で疎外されてしまうコンラッド、有り余る資産を所有しながら決して満足感を得ることが出来ないビアンカ・ブルモンディ・・・この家族はみんなアラン・ドロンにどことなく似たところを持っているように想います。


 そんな風に考えると、アラン・ドロン自身の生き方も、幸福とは言えないその家族間のトラブルも、この『家族の肖像』のような悲劇と共通している部分が多いのかもしれません。

 そして、もしかしたら、それは、この作品のような儚い家族の肖像画であり、美しい悲劇であったのではないかとも想像しているのです。


 私にとっての『家族の肖像』は、「家族団欒図(Conversation Piece)」の美しい愛情とその崩壊が、アラン・ドロンへのレクイエムとして、あまりにもリアルに喚起されてしまう作品なのです。



# by Tom5k | 2024-10-20 21:21 | アラン・ドロンの死 | Trackback | Comments(10)