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『私刑警察』④~燃えるように輝くアラン・ドロンの青い瞳、ラウール・クタールのカメラその2~

 以前、購入した『映画芸術』No.441(2012Autumn)を久しぶりに読み返してみました。
 当時、久しぶりにこの月刊誌を購入する気になった理由は、本屋に立ち寄って雑誌の立ち読みをしていたときに、偶然、映画雑誌コーナーに置いてあった『映画芸術』の表紙の「ロングインタビュー ラウール・クタール」の文字が眼に入ったからです。
 しかも、それがアラン・ドロンのことに触れている内容ではないですか?わたしは迷わずその『映画芸術』を購入し、久しぶりに、わくわくした気分で帰宅し早速その記事を読んでみました。

 ラウール・レヴィが製作し、クリスチャン・ジャックが監督、アラン・ドロンが主演する予定で制作が進められていたにも関わらず、完成まで至ることができなかった超大作「マルコ・ポーロ」の撮影中に現在の妻と知り合った逸話や『私刑警察』で、アラン・ドロンが自ら共演者に選んだセルジュ・レジアニに対しての友情についての記載があり、それも実に彼らしい逸話であることはもちろんでしたし、非常に興味深い内容でしたが、とりわけ、わたしが興味深く感じたのは、やはり『私刑警察』でのアラン・ドロンを撮るに当っての製作サイドからのラウール・クタールに対する撮影への注文についての内容でした。

【>-自伝では、アラン・ドロンの思い出も回想していらっしゃいます。
>クタール
アランとはジョセ・ピネイロの『アラン・ドロン 私刑警察』(1988)で出会った。いつも周囲はアランの機嫌にビクビクしていたが、撮影中は真のプロになります。この作品では、ドロンの青い瞳を、燃えるように輝かせる注文がありました。プロジェクターに裂け目を置き、光が通るようにしたのです。】

映画芸術 2012年 11月号 [雑誌]

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 ジャン・リュック・ゴダール監督などの「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品の撮影を担い、映画史に名前を刻んだラウール・クタールのカメラで、「ドロンの青い瞳を、燃えるように輝かせる」なんて・・・。
 わたしは、この記事で『私刑警察』の素晴らしいコンティニュイティ―(撮影台本)のテーマのひとつを初めて知って、久しぶりに『私刑警察』を観たくなりました。

 そもそも人間精神を表現してきた各種の芸術に、機械工学やサイエンス技術などが入り込む余地などあるはずがない、それが一般的な見解ではないでしょうか。
 それにも関わらず、フィルムに焼き付けるカメラ・ワークのみならず、投影するためのディスプレイ装置によって俳優の瞳を輝やかせるために光源を調整するなんて・・・人間の感性そのものを近代技術のセオリーによって創作する撮影監督とはなんと現代的で斬新な芸術家なのでしょうか!

 ラウール・クタールは、一貫して「ヌーヴェル・ヴァーグ」系のドキュメンタリズムのカメラの特徴を売りものにしていた割には随分と多くのスター俳優を撮っています。
 長年ジャン・リュック・ゴダール監督の作品に出演し続けたジャン・ポール・ベルモンドや、恋人であったアンナ・カリーナ、そして、フランソワ・トリュフォー監督の作品のジャン=ピエール・レオやジャンヌ・モロー、やはり、「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品の多かったブリジット・バルドーやミッシェル・ピコリ、ジーン・セバーグなど・・・。
 しかし、それだけでなく、ハリウッドでのモンゴメリー・クリフトから始まり、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のスターとは異なる旧世代のミシュリーヌ・プレール、ジャン・リュック・ゴダール監督の作品ではありましたが、アラン・ドロンの愛人であったミレーユ・ダルク、そして、アヌーク・エーメ、ミア・ファーロー、ダニエル・オトゥイユ・・・等々。
 そんなことから冷静に考えれば、彼はアンリ・ドカエのように商業映画に転向したわけではないにしても、大スターであるアラン・ドロンを撮る基盤や資質を持っていたカメラマンではあったわけです。

 映画において、その収められている映像価値は、その演出や音楽、美術、脚本、そして俳優などに劣らず絶対に不可欠なものです。思いつくままにそれを挙げてみれば・・・・
 
 まず、『夏の嵐』(1954年)でのアリダ・ヴァリの中年女の醜い写実です。これをG・R・アルドとロバート・クラスカーのカメラにくっきりと収めさせてしまったルキノ・ヴィスコンティ監督は本当に残酷です。彼女は、これ以降の作品でも醜女としてしか写ることしか出来なくなってしまったのではないでしょうか?
 アラン・ドロンと共演した作品に『高校教師』(1972年)がありますが、ソニア・ペトローバが演ずる女子高生バニーナ・アバーティの母親役は悲惨なほどの醜さでした。ここには、美しい自分の娘の肢体を売りものにして生活している物凄く醜悪な精神環境を持つ母親の形相がカメラに収められています。

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 それとは対照的に、アンリ・ドカエは非常に優しいカメラマンだと思います。彼はアラン・ドロンの出演作品を多く手がけていますが、『危険がいっぱい』(1964年)でのローラ・オルブライトや『シシリアン』(1969年)でのイリナ・デミックのような女優たちへの彼のソフトフォーカスの常用は、全盛期の美しさを過ぎてしまった女優への限りない彼の優しさだったのではないでしょうか?
 また、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作品でも、元来、それほどの美人女優でも無かったジャンヌ・モローをあれほど美しく撮ったカメラマンは彼以外にはいないでしょう?
 彼の女優への優しさは、デビュー当初から常に一貫しているように思います。

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 また、エリック・ロメールの秘蔵っ子カメラマンでもあり、フランソワ・トリュフォーやジャン・ユスターシュとコンビが多く、黒澤明や溝口健二の影響を大きく受けていたネストール・アルメンドロスのような芸術的で格調の高いカメラ技術も、わたしは素晴らしいと感じています。
 彼のカメラは、人物と自然のコントラストで描写することにかけては秀逸だと思います。考えられないような美しい景観がフレーム一杯に拡がります。フランソワ・トリュフォー監督の『野生の少年』(1970年)やハリウッド作品の『青い珊瑚礁』(1980年)は本当に素晴らしい映像の連続です。特にわたしにとっては、『青い珊瑚礁』の海原を漂流する救命艇の夜の情景が一生涯忘れられないものとなっています。

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 偏った見方かもしれませんが、彼は成長期の少年や少女を大自然を背景に描写することにかけて、その天才から神業のようなカメラワークを実践できる撮影監督だとわたしは思っています。

 さて、『私刑警察』なのですが、わたしが眼を見張ってしまったのは、捜査班室の窓を破って自殺した正義警察の若手刑事サヴィエ・ドリュック演ずるルッツへの警察庁舎内に飾られた献花のシーンです。
 正義警察が警察庁舎にてルッツを英雄視し、そこを霊柩の葬場化とする目的によって、当然のことながら使用承認されていない庁舎の中庭を薔薇の花で飾り立てることなど、明らかに当局への挑発行為でしょう。
 このシーンをネオ・ヴィジュアル系とも言える美しさに昇華させて映像化することは、ラウール・クタールでなければ出来なかったように思います。
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 そして、もう一人の正義警察のメンバーが、フランス国旗をまとって国歌マルセエーズを口ずさみながらナイフを首に刺して自殺するシーンですが、そのカラー映像の美しさも秀逸でした。
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 これらのシーンは、ひとつ間違えれば、例えばルキノ・ヴィスコンティ監督の『地獄に堕ちた勇者ども』(1969年)やジョセフ・ロージー監督が『パリの灯は遠く』(1976年)で描いたフランツ・サリエリ楽団のグスタフ・マーラーのオペラ劇のように妖艶でエキゾティックな魅力を携えてはいるものの、あまりに毒々しく表現されてしまい、観る者が嫌悪感に襲われるような描写に陥ってしまうところですが、ラウール・クラールのカメラは映像美そのものに徹することに見事に成功しています。
 ラウール・クタールの映像からは、ファシズムの自己抹殺を「葬送」としての美として描写していること、すなわちファシズム内部からの「死」の欲求こそが、そのイデオロギーが「生」と無縁であること、埋葬されることのみにしか美しさを実践できない死すべき思想の証しであること、などが訴えられているように感じます。

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 『私刑警察』の映像クオリティの高さは、ラウール・クタールが、かつて高感度フィルムイルフォードHPSの使用により、屋外ロケーションを敢行して映像技術の最先端を誇っていった「ヌーヴェル・ヴァーグ」時代の瑞々しい写実を更に高度に発展させていった賜物ではないかとまで思います。

 彼のこれらファシズム表現の美しさから、わたしは『意志の勝利』(1934年)や『オリンピア~民族の祭典』(1938年)など、ナチス・ドイツのプロパガンダ映画を撮り続けた天才女流監督レニ・リーフェンシュタール監督を想起しました。そして彼は、彼女の「ファシズムへの賛美」を「ファシズムの埋葬」にまで昇華させたようにまで思うのです。
 このことは、美の追求の歴史的進化ではないでしょうか!?

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 言わずとも知られているように、アラン・ドロンはフランス国内では右翼(極端な共和主義者)と称されています。それにも関わらず、彼がプロデュースしたこの『私刑警察』では、決してコミュニズムを否定していません。むしろ、フランス国家主義者を悪の権化として完全に否定して描いていますが、このことに違和感を感じる者は少なくないかもしれません。

 しかし、彼の過去の作品を辿っていけば、それを理解することは容易です。
 敗戦を認めざるを得ずに握手を求めるナチス・ドイツのコルティッツ将軍に向けて、
「レジスタンスは寄り合い所帯で確執も多い、しかし、今のフランスの敵は唯一ナチスのみだ。」
と言い放ち、その握手を拒否したフランス人のナチス抵抗運動の統一戦線レジスタンスのパリ解放を描いた『パリは燃えているか』(1966年)を想い起こせばいいのです。

 フランス人にとっての唯一の敵、ファシズムの象徴ナチス・ドイツに勝利したリアリズム作品で、フランス国家にとって最も重要な役割を担うレジスタンス運動の指導者、第三共和政の幕僚ジャック・シャバン・デルマスを演じた経験がアラン・ドロンにはあるのです。

 このことから、『私刑警察』の主題を鑑みれば、それは=ジャン・ギャバンに捧げる=作品としてのみではなく、ルネ・クレマン監督の統一戦線レジスタンスの精神と同じものだとわたしは感じてしまうのです。

【コミュニストだろうと、ド・ゴール派だろうと。私にはすべてレジスタンスの同志であった。私の会ったこの時代の責任者の人たちはすべて、彼ら同士お互いによく理解しあっていた。どちらが主導権を握るかで若干のアツレキがあったにせよ・・・・
(ルネ・クレマン 談)】
【『海外の映画作家たち 創作の秘密(フランス編 ルネ・クレマン)』田山力哉著、ダヴィッド社、1971年」】

海外の映画作家たち・創作の秘密 (1971年)

田山 力哉 / ダヴィッド社



 だから、私は、『私刑警察』のすぐ後にジャン・リュック・ゴダール監督と撮った『ヌーヴェルヴァーグ』の制作が、そういった意味で必然であったことを、あらためて再確認したように思っているのです。

【『ヌーヴェルヴァーグ』ですごいと思うのは、ゴダールのような左翼とドロンのような右翼とが、互いに衝突しあうこともなく、一緒に仕事をすることができたということです。
(フィリップ・ガレル 談)】
【『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン1 30年前から、ゴダール!』 フィルム・アート社、1991年】

カイエ・デュ・シネマ・ジャポン (1)

カイエデュシネマジャポン編集委員会フィルムアート社



 そして、そう確かにこの作品でのアラン・ドロンの青い瞳は、第二次世界大戦ナチス・ドイツ占領下において、命を賭けてファシズムと闘ったレジスタンス運動の闘士と同じように燃えるように輝いています。
 そう考えると、わたしはこの『私刑警察』のラウール・クタールのカメラワークに身震いしてしまうのです。なんて素晴らしいのでしょうか!

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by Tom5k | 2014-04-29 16:02 | 私刑警察(4) | Comments(0)

『生きる歓び』②~ルネ・クレマン、ルキノ・ヴィスコンティへのライバル意識~

 イタリアの「ネオ・リアリズモ」作品で活躍していた当時のルキノ・ヴィスコンティは、『揺れる大地』』(1948年)と『若者のすべて』(1960年)を撮り終えたときに将来的に描きたい映画作品のテーマについて、恐らく彼の当時のライフワークの指標・目標としてだと思いますが、次のように述懐しています。
揺れる大地 海の挿話
/ 紀伊國屋書店




【「揺れる大地」と「若者のすべて」に続いて第三部をなす「人民のたたかい」を描いた映画を作りたい。しかも、最初の作品が敗北の物語であり、二番目が半ば敗北の物語であったのに反し、こんどは人民の力を確認させるような、勝利の物語を描きたい。】
【引用 「世界の映画作家4 フェデリコ・フェリーニ ルキノ・ヴィスコンティ編」キネマ旬報社】

 この壮大なライフワークは残念ながら果たされることはなく、その後の彼は「人民のたたかい」ではなく、自ら帰属していた貴族社会の崩壊を耽美的に描いていくことになります。

 また、自国フランスで独自のリアリズム作品で脚光を浴びていたルネ・クレマンは自作『太陽がいっぱい』で、ルキノ・ヴィスコンティの『若者のすべて』より早く、アラン・ドロンを起用しました。これらのことなども契機となっていたのか、彼はこのイタリアの「ネオ・リアリズモ」の名匠をかなり意識して『生きる歓び』(1961年)を撮ったようにわたしには思えます。

 例えば、アラン・ドロンの出演はもちろんですが、他のキャスティングにおいても、いわゆるヴィスコンティ一家で著名な俳優を二人出演させています。
 フォサッティ一家のお母さんを演じたリナ・モレリは、舞台では『恐るべき親たち』、『アンチゴーヌ』、『出口なし』、映画では『夏の嵐』、フォサッティ印刷工場の隣接の散髪屋の主人を演じているパオロ・ストッパは、舞台では『慈善の虚栄』、『甘いアロエ』、『アンチゴーヌ』、映画では『若者のすべて』で、彼らはいずれもルキノ・ヴィスコンティの演出した作品に多数出演していた名優なのです。

 また、『生きる歓び』は、『若者のすべて』と同様にイタリアの大都市を舞台としたものであり、登場人物の設定においても『若者のすべて』は、主人公の青年ロッコとその4人の兄弟の物語でしたが、この『生きる歓び』も3男1女の兄弟妹を含めた大家族の生活を背景とした物語なのです。

 そして、冒頭での列車・駅舎のシークエンスから、兵役義務を終えたアラン・ドロンが演じるユリスとジャン・ピエロ・リテラが演ずる友人ツリドが職に有り就けず、これから路上生活者となるかもしれないという状況へのプロットも『若者のすべて』で、大都会ミラノに着いたばかりのパロンディ一家の設定と似ているように感じました。
 そのときに青年達が被っていたカンカン帽は『若者のすべて』でレナート・サバートーリ演じた次男シモーネが身につけていましたし、ハンチングはどちらの作品でもアラン・ドロンが被っていました。

 ジーノ・チェルヴィが演ずる印刷工場の主人フォサッティがユリスに家族を紹介するときの
「ユリスという名もいい 聖人の名ではないから」
の台詞にも、明らかにルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』でアラン・ドロンが演じた聖人ロッコ・パロンディのキャラクターが意識されたうえでのものだったと察することができます。

 当時のルキノ・ヴィスコンティは「赤い公爵」と呼ばれ、貴族でありながら左翼思想をもって映画創作のテーマを追求する作家でした。
 ルネ・クレマンがそのことを意識していたのか否か?この作品は19世紀に活躍したロシアのアナーキストであった思想家ミハイル・バクーニンをフォッサッティ一家とその仲間達の思想基盤として設定しています。バクーニンがイタリアに滞在していた時代には『山猫』での重要な人物背景、ジュリアーノ・ジェンマが扮した共和主義者ガリヴァルディとの親交もあったそうです。
 なお、彼はコミュニストでしたが、同時代のカール・マルクスの思想・信条とは相容れず、革命派としてはテロル行為自体にも否定的であったようです。
 ですから、この作品が最終的には左翼のテロ行為を否定的に描いていること、そして、舞台はファシスト党が台頭する前の1921年のローマですから、まだ合法的に組織されていたイタリア共産党の存在があったことなどから、地下運動組織の思想基盤をマルキシズム(マルクス主義)とせずにアナーキズム(無政府主義)としたことは、作品の設定としては整合しているように思います。


 ところで、この作品の序盤、「自由」という言葉が随所で使用されていることが、わたしにはたいへん気になるところでした。

 まず、ローマでの兵役義務に就かせるために、身寄りのない子供たちを育てるための育児施設で成長した青年達を引率してきた神父は、
「君達は自由だ」
と言って彼らをローマの兵舎へと送り出しました。

 そして、主人公ユリスとその友人ツリドが兵役を終えて除隊するとき、彼らのローマで働きたいという願い出に対して、
「君達は一人前だ 自分で探せ 君達は自由だ」
とその部隊長は言い放ちます。

 彼らがレストランで昼食を注文するときの会話でも、
「お前は自由人だ 自分で選べ」
ユリスは、ハムを選んだツリドを批判して、ハム・チーズ・ピーマンを選び、
「これが自由人の選択だ」
と誇ります。

 ユリスのフォサッティ家での初めての夕食時に、この家の屋根裏部屋に居住しているカルロ・ピサカーネ演ずる祖父が孫に馬鹿にされて怒号するときの
「私はアホウではないぞ 下の君達を見守る“自由”なのだ」
の台詞でも使われています。

 元来、英語での「自由」の意味には、制限や抑圧がないことを意味するフリーダム(freedom)、抑圧からの解放によって選択肢を持つことができることを意味するリバティ(liberty)とがあります。
 また、社会主義思想における社会批判に立脚した「自由」の定義は、労働者階級にとって労働力を売ることの「自由」と拘束されていた故郷(土地)から移動する「自由」があること、逆にそれ以外には社会的に何の保証も無いとしています。
 フォサッティ一家が信奉しているミハイル・バクーニンの思想での「自由」の定義では、教育や科学的訓練、物質的繁栄によって全人類がその才能や能力を十全に発達させることによって成り立つものとしているそうです。

 この作品でその都度言葉として放たれている「自由」は、それぞれにどの「自由」が当てはまるのでしょうか?


 フォサッティ一家の信頼、特に大好きなフランカからの愛情を得るため、ユリスは左翼の英雄になろうとして屋根裏のお爺ちゃんに協力を求め、その特訓により英雄カンポサントに偽装変身することになりました。

 その彼が、それらしく聖堂の鐘楼塔にアナーキストの旗を設置する様子を真上から捉えた俯瞰のクローズ・アップから、石材の切片が演ずるアラン・ドロンの頭を打って下方地上に落下していくショットには愕然としました。このような危険な演技に特殊撮影を使用せず、しかも彼が鐘楼塔側に鉄棒を伝わって旗を結ぶまではノースタントの撮影なのです。
 ですから、このアクションは凄く迫力を生み出しているショットとなっています。
 もしかしたら、この翌年の『地下室のメロディー』(1962年)でのカジノからの現金強盗でのシークエンスは、ここからの模写だったのかもしれません。

 ユリスとお爺ちゃんの屋根裏部屋での学習会はたいへん微笑ましいものでした。
 ここで、わたしが特に着目したところは、お爺ちゃんのユニークな無神論の説諭です。
 聖職によった育児施設で育ったユリスは、もちろん神様を信じていますが、お爺ちゃんは老社会主義者であるので、神が存在しないことを力説します。
 その微笑ましいシークエンスでは、「平和の象徴」である鳩が彼らの学習している屋根裏部屋を舞うのでした。

 ルネ・クレマン監督は、『若者のすべて』で宗教から解放されずに悲劇の招聘者となっていた聖人ロッコ・パロンディの悲劇的要素、その封建性を、その対局に位置付くコメディックでハッピーな主題として『生きる歓び』のユリスの現代性に脱皮させて、この作品を創作したようにわたしには感じるのです。

 そのような意味からアラン・ドロンについては、確かに『太陽がいっぱい』とは異なる明朗なアイドル路線で登場させていますが、前作のトム・リプリー=フィリップ・グリーンリーフと同様に、ユリス=カンポサントの分裂した二重構造の人格として描かれています。ルネ・クレマンからすれば、封建時代とは異なる現代青年の人格は、どのような形態であれ分裂させざるを得ないのでしょう。

 また、これはルネ・クレマン監督がアラン・ドロンに向けて、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』で演じた封建的青年ロッコから、無産階級として現代社会で生きざるを得ないときの現代青年ユリスへと改造しながら、彼の将来的な人格成長の目標、その指標を示したと考えることもできます。
 なぜなら、1965年『パリは燃えているか』でのレジスタンスの闘士ジャック・ジャバン・デルマスを演じることができる俳優として見事に成長していったこと、現在ではフランス国内で右翼として位置づけられている彼個人の思想・信条が、ドゴール主義への信奉から共和党支持へと変遷していったものとして一般的に解釈されていることなど、から理解できることなのです。

 印刷工場の主人フォサッティが「聖人」という概念を否定していることや「自由」という言葉が頻発されることからも、斜陽の貴族の末裔であったルキノ・ヴィスコンティと第二次世界大戦でファシズムに勝利した統一戦線レジスタンスを信奉していたルネ・クレマンのアラン・ドロンの使い方の違いが鮮明にわかります。

 『若者のすべて』のロッコは、自分の労働力を売ることも自由であり、生産手段である土地、自らが縛り付けられていた土地からも自由だったかもしれませんが、更に、家族や故郷のしがらみからも解放するとユリスのような明るい青年になるのかもしれません。まさに失うものなど何も無く、得るものが全世界であるというコミュニズムの原点が、ここに描かれているようにも思えます。

 いずれにしても、アラン・ドロンは、『生きる歓び』によって「政治的」レベルの信条を見出して社会的に活躍する術を得る契機にできたとも考えられるでしょう。

【(-略)役者を始めた頃は、私は「ハンサムな間抜け」だった。その後は何かを見出さなくてはならなかったんだ・・・(略-)】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/21 「回想するアラン・ドロン:その7(インタヴュー和訳)」


 更に、1990年にジャン・リュック・ゴダール監督が『ヌーヴェルヴァーグ』でアラン・ドロンに演じさせたロジェ・レノックスからリシャール・レノックスへの変身プロセスの解釈に、このお爺ちゃんとユリスが触れ合った学習会を位置づけてみると、実にすんなりと納得できるものになります。

 お爺ちゃんの特訓を受けて、虚偽ではあったものの見事に革命の社会主義者の英雄カンポサントに変身したそのユリスの姿に、

圧政から民衆を救う黒いチューリップや怪傑ゾロ
アウシュビッツ収容所へ自らを葬ることで、憧憬してしまった謎のユダヤ人と同一化する異常な願望を果たすことが叶ったロベール・クライン
そして、いよいよ
愛を再生させるため、実業家に変身して、最愛のエレナの前に姿を現したリシャール・レノックス

などをを想起してしまうのです。

すべては、このお爺ちゃんからの教示によって、アラン・ドロンは二つ目の人格を持てるようになったとは考えられないでしょうか?

 この作品にはアートとしても印象的なショットが多数ありましたが、特にユリスが地下の印刷現場の天井と路上にある天井窓の格子蓋から、自転車を駐輪するときのバルバラ・ラスが演じたフランカの脚が覗くショットは実に美しく、セクシュアルな想像も併せて掻き立てられてしまうところです。
 格子窓から覗く女性の脚を格子の影とのストライプのコントラストで表現する技法は映像表現上の前衛すら感じさせます。

 それにしても、『居酒屋』のジェルヴェーズ、『太陽がいっぱい』のマルジュ、『禁じられた遊び』のポーレットでさえ、女性としての悲惨を描くことの多かったルネ・クレマン監督は、この作品のフランカには例外的に幸福な結末を付与しました。
 フォサッティ一家の一人娘フランカの名前はフランスで最も早く独立を勝ち取ったフランカ・コステロから命名したと、父フォサッティはユリスに説明します(ただしフランカ・コステロという自治国家が実在したのか否か疑問ですが?)。
 わたしはルネ・クレマン監督が、しっかりとした考え方に裏付けられた自立心の強い女性は必ず幸福になれるということをこの作品で主張したのだと考えているのです。
禁じられた遊び/居酒屋
/ アイ・ヴィー・シー


 初めにユリスを拒否していたことも地下の作業所からの覗き行為があったからかもしれませんし、ユリスを認めた初めの動機は彼が左翼の英雄カンポサントだったからでしょう。
 このように彼女は、確かに表層的な部分のみで男性を判断する軽率はあるものの、決して女性特有のセクシュアルな魅力で男性を惹きつけようとする小悪魔的な行為などは採りませんし、若いけれど男性に依存せずに自分のアイデンティティをしっかり持っている現代的な女性なのです。

 そして、最終的には英雄カンポサントであることの虚偽が露わになることも厭わず、勇気をもってローマ市民をテロルから救うために行動したユリスを心から愛してしまいます。フランカとユリスは、美しく愛し合う男女の未来における理想の姿のように思います。
 もしかしたら、ルネ・クレマン監督は退廃した現代の多くの若者たちに対して、この複雑な現代においてでも、活き活きと愛し合う恋人たちの美しい在り方を指標・目標として持てることを示したかったのかもしれません。

 そのような意味から、わたしは、この作品はライト・コメディという様式・スタイルで制作されていながらも、ルキノ・ヴィスコンティが目標としていた

「人民の力を確認させるような、勝利の物語」

と規定できる範疇の作品なのかもしれないと確信してしまったのです。

 つまり、ルネ・クレマンの描きたかった人民の理想の姿が、映画作家としてルキノ・ヴィスコンティをライバル視したことから生み出されたものだったのかもしれないという考えにまで、わたしは至ってしまったのです。

【『禁じられた遊び』(51)は、その物悲しいナルシソ・イェープスの主題メロディと共に、クレマンの名を世界に高からしめた名作だが、あの作品には戦災孤児の幼い娘の悲劇を通してクレマンの反戦の主張が痛切にこめられていた。ヌーヴェル・ヴァーグの若手連中に対抗してつくられたサスペンス劇『太陽がいっぱい』(59)は、やはりあの甘悲しいニーノ・ロータのメロディによって印象に強いが、あそこにも貧困者の金持ちに対する反感を通して、資本主義社会への矛盾への問いかけがあった。だから彼がコミュニストではなくとも、進歩的な思想の持ち主であることは間違いなかったわけだが、彼は思想をナマで表現するような監督ではなく、それは常に斬新な映画表現を通して語られた。】
【引用 『海外の映画作家たち 創作の秘密(フランス編 ルネ・クレマン)』田山力哉著、ダヴィッド社、1971年】

海外の映画作家たち・創作の秘密 (1971年)

田山 力哉 / ダヴィッド社


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by Tom5k | 2010-11-07 01:56 | 生きる歓び(2) | Comments(7)

『危険がいっぱい』②~『続・禁じられた遊び』ポーレットのその後~

 ルネ・クレマン監督については、これまでも多くのブログ仲間たちと意見交換をしてきて、たいへん充実した記事を多くアップすることができたと思っています。特に、『寄り道カフェ』のシュエットさん、それから『新・豆酢館』の豆酢さんなど、インテリ女性映画ファンとの対話は、わたしにとって実に安心感を得ることができるものでした。

 戦前・戦中派世代としての彼の作品には、第二次世界大戦ヨーロッパ戦線において、ナチス・ドイツによるパリ占領、レジスタンス運動と連合軍によるその解放による歓喜までの経緯が映像としての優れたリアリズム表現として極められています。
 これは『鉄路の闘い』(1945年)、『海の牙』(1946年)、『パリは燃えているか』(1965年)など、フランスの「ネオ・リアリズモ」と呼称された典型的なレジスタンス映画の傑作群において特に顕著に表現されています。

鉄路の闘い

ビデオメーカー



海の牙

マルセル・ダリオ / アイ・ヴィー・シー



 しかしながら、そこに映画作家ルネ・クレマンの楽天主義が見て取れてしまうことも、わたしの正直な感想なのです。
 第二次世界大戦後のインドシナ戦線やアルジェリア問題を抱えたフランス国家としての国民の意識、特に良識派の左翼映画人にとって、ルネ・クレマン監督のメッセージは理解し難かったことでしょう。1966年から始まったストラスブール大学の学生運動から、パリのナンテール大学へと波及していった学生の大学民主化要求からベトナム戦争反対を唱えていったパリ5月革命への影響力からの視点で見れば、『パリは燃えているか』は、戦後の矛盾を抱えたフランス共和党やアメリカ合衆国への単なる迎合であると誤解されて受け取られても仕方がなかったかもしれません。

【私はいかなる党にも属していないし、いかなる政治家にもくみしない。だからといって私が政治的に無関心な人間だというわけではない。なぜなら、もし私が政治を無視していようと、どっちみち、政治のほうで我々を無視してはくれないのだから。(略-)
(ルネ・クレマン 談)】
【引用 『海外の映画作家たち 創作の秘密(フランス編 ルネ・クレマン)』田山力哉著、ダヴィッド社、1971年】
海外の映画作家たち・創作の秘密 (1971年)
田山 力哉 / / ダヴィッド社





 彼は、『太陽がいっぱい』(1959年)よりも以前の作品で、初期のレジスタンス映画や反戦映画が、フランス国家・国民の誇りによって、フランス共和国を解放し、戦争の悲劇を払拭したこと、それがフランス国民の歓喜となっていったこと、すなわちフランス革命以降の第三共和政のファシズムに対する勝利であったとの見解を、フランス共産党までをも含めた統一戦線の魅力に反映させて映画を創作していたと、わたしは解釈しています。

 しかし、彼は第二次世界戦後の間もなくの頃、自国の共和の精神が現代におけるある種の矛盾、それまで歓喜していた戦後の平和が幻想であることにも気づいていったのではないかと、豆酢さんとのコメント交換によって仮説を立てたことがあります。
 そのことは、『太陽がいっぱい』で、アラン・ドロンという現代の社会矛盾そのものを体現しているような青年俳優に巡り会ったことからも、更に大きく膨れ上がっていったのではないかと推察してしまうのです。

 戦後の凶悪な犯罪事件、現実にこれだけ奇異な犯罪が増加してきたことの、どこにどんな原因があるのか?そんなことに作家主義「ヌーヴェル・ヴァーグ」と異なる視点、また彼らの出現以降の新時代を踏まえて、現代劇、特に「サスペンス」という系統に入りこんでいったのではなかろうかと、豆酢さんと考えたのです。
 これらの体系は、社会から疎外された人物たちに主役を務めさせる題材として、社会問題を最も比喩し易かったものではないでしょうか?そんなところも、ルネ・クレマンが映画作家として、「サスペンス」の分野に傾倒した一因のように思うのです。
 日本でも、社会派推理作家の松本清張の推理小説などには、当時の社会問題を背景にしている作品が多く、その映画化された霧プロダクション製作の『点と線』、『霧の旗』、『砂の器』、『疑惑』、『鬼畜』、『わるいやつら』などは、その典型的な特徴を持つものです。

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 ルネ・クレマン監督においては、それが『太陽がいっぱい』から始まり、『危険がいっぱい』(1964年)、『雨の訪問者』(1969年)、『パリは霧にぬれて』(1971年)、『狼は天使の匂い』(1972年)、『危険なめぐり逢い』(1975年)などと継続していったとも考えられるのです。

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 彼の創作活動にとって、自身の精神分析医としての前歴、そして戦後の挫折感、「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動の台頭、これらが彼の後年撮り続けていった「サスペンス」作品郡の大きな動機付けになっていたことは豆酢さんと一致した意見でした。かつ、アラン・ドロンとの出会い・・・アラン・ドロンにとってのルネ・クレマンとの出会いの世評における注目度、そのような一般論以上に、ルネ・クレマン自身にとって大きな出来事だったアラン・ドロンとの出会い・・・これも大きな要素だったとも考えられます。

 また、1960年代以降、彼の映画的な意味での変化として、登場人物への感情移入の描写、主観描写を多用していったのは、アラン・ドロンを出演させた作品からのようにも思います。観客の主観に任せ切る突き放した客観描写は元来から多用していなかったとはいえ、アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン、フェイ・ダナウェイ、ジャン・ルイ・トランティニャンなどを使う作品では、いよいよ影を潜め、世評では商業主義に堕落したと言われる所以となっていったようにも感じます。
 これを透徹したリアリズム描写への衰え、芸術家の堕落として批判するのか、あるいは新しい時代への挑戦と捉えるのかは、意見の分かれるところであるかもしれません。

 彼がそのような矛盾と邂逅していくよりも以前の1951年の作品『禁じられた遊び』は、戦争で家族を亡くしてしまった幼い少女の悲劇を反戦思想に立脚した視点で描写し、その美しい映像表現やプロットから「映画詩」と評せられた傑出した歴史的反戦映画となりました。
 また、その素晴らしいメッセージは、映像、ストーリー、脚本、俳優の演技、音楽、カメラ・ワーク、美術、編集、すべての映画的要素において優れて表現されており、国際的にアカデミックな高評価を得ることになります。

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 しかしながら、映画評論家の淀川長治、わたしのブログ仲間のシュエットさんも評しているのですが、この作品は、反戦思想のみならず男女の恋愛をも描いたものであるという視点からの意見もあります。
 名子役のふたり、ブリジット・フォッセーが演じた主人公の少女ポーレットと、彼女が迷い込んだ農家の末息子、ジョルジュ・プージュリー演ずるミシェルとの間に芽生えた淡く幼い恋愛を描いていることに着目した批評なのです。
 シュエットさんにおいては、反戦映画であることは確かであると捉えながら、ふたりの子どもを通して戦争・反戦というものが浮かび上がるよりも、戦争の悲劇があったから、ふたりの幼い恋が浮かび上がってくるそうなのです。年齢的に性的な意識は無いにしても、ふたりにとっては、これが初恋、幼い恋の物語であると解釈されていて、彼らにとって戦争の悲劇はこの映画の後から始まることを余韻として感じ取られたとのことです。

 わたしとしては、この作品でのポ-レットの描かれ方なのですが、あどけない少女であると同時に、どうしても、いわゆる「女」が見え隠れしてしまうのも確かです。これは言葉・文章として「セクシュアル・ハラスメント」にならないように表現することが難しいのですが、わたしが感じ入るところは、あれだけミシェルを夢中にさせてしまうエネルギーをポーレットが持っていることの凄さなのです。
 女性でも男性でも人間は、マイナスの要因でメンタル的に縮小傾向にあるとき、異性を惹きつけるパワーを持つことは良くあることのように思います。ポーレットが両親を亡くし、ひとりきりになってしまったそのときに、ミシェルという優しい男の子に巡り合ってしまったこと、これは現実的な男女の恋愛でも珍しいことではありません。
 また、わたしは、主人公のミシェルが、ポーレットが望むがまま、神聖な教会の十字架を盗んでしまう行為に、いわゆる「男」としての弱さを感じます。幼いふたりの真に美しい友情を表現することのみで映画のプロットを組み立てるのであれば、彼が兄としての立場でポーレットを戒めるシーンや倫理的に彼が悩むシーンを撮ったとしても、反戦テーマから外れることはなかったように思います。

 このような美しい反戦詩としての映画作品において、わたしとしては大人の男女のセクシュアルな側面を当てはめることに自己嫌悪するところではあるのですが、こんな不謹慎な視点もわたしの正直な感想のひとつなのです。

 さて、そんなところから、わたしは『危険がいっぱい』で、ジェ-ン・フォンダが演じた主人公メリンダが浮かび上がってきます。何度この作品を見ても、わたしにはこのメリンダが『禁じられた遊び』のポーレットの成長した姿に見えてしまうのです。

 彼女は、教会が設置している救済院を訪問する偽の慈善活動家であるローラ・オルブライトが演ずるバーバラとともに生活し、行動を共にしています。
 そして、メリンダ(=ポーレット)が、アラン・ドロン演ずるマルクに、午後からのスケジュールで児童養護施設に訪問する予定を説明するシークエンスに、
「児童養護施設か おれたち二人にふさわしい」
とのマルクのセリフがあります。

 メリンダを演じたジェーン・フォンダは1937年生まれ、『禁じられた遊び』の背景となる時代は1940年です。彼らが育ったとする当時の児童養護施設の子どもたちのほとんどは戦災による孤児だったと推察できます。

 『禁じられた遊び』でのポーレットは、神様への信仰や祈り方を初恋の男の子であったミシェルから教えられ、死んでしまった愛犬ジョッグの埋葬から、両親の死を理解していきます。
 ポーレットにとって、迷い込んだ農家ドレ家は、父や母の死を実感しながらも大好きなミシェルの献身で、その空白感を癒していくことができそうな場所でした。
 しかし、ようやくその生活にも慣れ満足感を覚え始めたころに、戦災孤児を収容する児童養護施設に引きとられてしまうことになり、ママとミシェルのイリュージョンを追って赤十字の戦災難民収容施設の雑踏を駆け抜けていく幕切れで物語は終わるのです。

 幼稚園に入園するかしないかの幼い少女に最も必要な生活環境、その最低限の両親の愛情を喪失せざるを得ない状況の下で健全な成長を経ることなど、どのみち不可能なことです。このような心の空隙を背負った少女は、どのような成長過程を辿るでしょうか。

 両親の死というトラウマと満たされない心の空白とを背負って生きていかざるを得なかった彼女は、ようやく母の代わりとなる従姉の偽慈善活動家のバーバラと巡り合い、大好きだったミシェルに教えてもらった信仰の仕事に携わっていったのでしょうか。
 それは敬虔な宗教家のそれとは異なるものだったかもしれませんが、信仰も祈りもメリンダ(=ポーレット)の生活には、絶対的に不可欠なものとなっていたのでしょう。
 何故ならば、後に彼女に不足していたもの、どうしても充足できていなかったもの、それは幼いころに失った父や母と同等に大切に想ってきた大好きなミシェルであり、その彼との想い出が、神様への信仰や祈りであり、十字架というアイテムであったからなのです。

 そこに現れたのが、マルクです。
 彼は、純朴な農家の息子とは縁遠く、自分に対してはミシェルのようには優しくはありませんし、しかも暴力団に追われている「いかさまカード師」でしたが、利発な若者であり腕白でどこか愛嬌のある魅力的な青年です。
 メリンダとマルクが登場するシークエンスのみに注視すれば、わたしには『禁じられた遊び』のポーレットとミシェルの関係の逆の設定の焼き直しのようにも感じるのです。迷い込んだポーレットはマルクとなり、迷い子を受け入れて愛してしまうミシェルがメリンダとなっているわけです。『危険がいっぱい』が『禁じられた遊び』と異なるのは、時代の変遷に伴う人間の成長後の結末、それが映画作家ルネ・クレマン監督のメッセージの変化であると思うわけです。

 可哀想なポーレットは、愛犬ジョッグの死体の埋葬をミシェルから教えてもらい、モグラやねずみなどの動物の死体でたくさんのお墓を建てます。彼女は美しい十字架に魅せられて、それらの墓を十字架で飾り立てたいと願い、ミシェルは霊柩車や村の共同墓地の十字架を盗んでしまうのですが、その彼の行為のすべては彼女が父母の死の空白感を埋めようとする潜在意識を代弁したものであったのかもしれません。

 メリンダ(=ポーレット)のトラウマは、その喪失感とその空隙を埋めることが出来なかった挫折感にあったのでしょう。
 大好きだったミシェルとの別れ・・・。
 マルクがバーバラと愛し合ってしまったことを知ったときのメリンダ(=ポーレット)の涙は、幼いころにミシェルから引き離されて、ママを想い出し、泣きながら戦災難民の収容施設を駆け抜けたときの涙と同じものだったとわたしは解釈しています。
 
 そのように考えると、この「サスペンス」劇『危険がいっぱい』での小悪魔メリンダ(=ポーレット)の画策、最後には監禁・拘束までしてマルクに執着してしまったことも、少しは理解できるような気もしてきます。
 実のところ本当に恐ろしいことは、女性の執念や魔性の性質そのものではなく、女性を疎外してしまう社会状況にあると、わたしには思えてくるのです。

 現在のわたしにとって『危険がいっぱい』は、必ず『禁じられた遊び』と同時に観るように心がけており、主人公のポーレットとメリンダを同時に理解することが、これらの作品のテーマを理解するうえで最も有意義なことになってしまいました。戦争の悲惨と戦後復興における社会矛盾の闇は、決して断続しているものではありません。原因と結果でピタリと当てはまる継続された様式の変遷でしかないのです。


【(-略)人間は政治的な旗印によってではなく、その行為によってこそ政治的な判断が下されるのだ。そして私の行為とは私の映画だ。私の政治的立場は私の映画を見て判断して頂こう。それに今や映画をつくること自体が政治的行為ではないのかね。たとえば『禁じられた遊び』で私は子供たちの不幸の責任者である大人たちに告発している。こういうことが政治に参加することになるかどうか知らないが、少なくとも私が考えていることを表現することにはなるだろう。
(ルネ・クレマン 談)】
【引用 『海外の映画作家たち 創作の秘密(フランス編 ルネ・クレマン)』田山力哉著、ダヴィッド社、1971年」】

海外の映画作家たち・創作の秘密 (1971年)

田山 力哉 / ダヴィッド社





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by Tom5k | 2010-10-10 23:32 | 危険がいっぱい(2) | Comments(14)

『太陽がいっぱい』③~アキム・コレクションより、映画館での鑑賞で特に印象の強かったもの~

 『太陽がいっぱい』は、TV放映、DVD、ビデオによって、何度も鑑賞してきましたが、今まであまり気にとめていなかったショットやシーンだったにもかかわらず、今回の映画館での鑑賞(2月7日(土))によって、印象が強烈になったものが思ったよりも多くあり、驚いているところです。
 なかには、何故、そのような強いショックを受けたのか、自分でも理由のわからないものもあり、「映画」の奥の深さをあらためて感じています。


 まず、ローマのカフェテリアでアラン・ドロン扮するトム・リプリーとモーリス・ロネ扮するフィリップ・グリーンリーフが談笑している映画の冒頭でのシークエンスでは、彼らのクローズ・アップを中心にして、後方に続くオープン・テラスの歩行者をデプス・ドリーで映し出していた瞬間のあることや、その雑踏をフォーカスの調整で合わせていたことなどに、今更ながら驚きました。
 もちろん、DVD、ビデオでの観賞でも、同様のフレーム内で観賞していたのでしょうが、このような奥行きのあるシーンとして、それを自然に感じたことは初めてでした。
 この冒頭での二人のやり取りから、彼らの関係を察することができるわけですが、次のビル・カールンス扮するフレディとロミー・シュナイダーが登場するまでの連続ショットにおいて、今、自分がそのテラスでコーヒーなどを飲みながら彼らの様子を見ているようなリアルな映像を体感することができたのです。

 トムとフィリップが悪酔いして、ローマからモンジベロに帰宅するときのボートから降りる遠景のショットでは、トムがフィリップの足の裏を、悪ふざけしてくすぐっていたことも、初めて気がついたところです。
 彼らのホモ・セクシュアルな雰囲気が最も強く漂っているワン・ショットであるとの所感を聞いたことがあるような記憶があります(淀川長治氏のものだったでしょうか?)。トムのこの動作のことを指摘していたか否かは記憶に定かではありませんが、彼らの仲の良さが表現されているこのショットから、確かに、それは説得力のある意見だったように思います。

 トムが、フィリップの靴を履き、縞のジャケットを身につけて、鏡の前で彼の仕草を真似るあの有名なシークエンスでは、そのときに、すでに鏡の上方にフィリップの足が映っていたことに、情けないことに、今回、初めて気がつき、これでも自分は、今まで数十年に渉って『太陽がいっぱい』を愛好してきたのだろうかと、自己嫌悪に陥るほど驚いてしまったところです。
 それにしても、あのトムの様子を後ろでじっとフィリップが覗っていたことがわかると、今更ながら冷や汗が出る思いです。

 タオルミナに向かうヨットの船室での食事のシークエンスで、トムがフィリップにナイフとフォークの使い方を侮蔑するように指摘されて船室から追い出され、憮然とした表情で舵取り台に座ったときの一瞬のショットに、海上を跳ねる魚の群れのモンタージュが挿入されています。
 これも恥ずかしながら、今までさほど意識したことのないインサートだったのですが、今回、このショットによって、わたしはトムの屈辱や憤慨、劣等感、嫉妬などの感情に強く移入してしまったのです。この説得力の増幅を体感したことで、あらためて、ルネ・クレマン監督のインサート・ショットが、いかに映画館におけるスクリーン投影の視覚効果として強力であるのかを理解することができました。
 これは驚くべき体験でした。
 日本では、このようなルネ・クレマン監督の技巧を「間のうまさ」として解釈していたそうですが、彼の映画作家としての主観が垣間見える独自の名人芸だとの見方もあるようです。

 トムがマリー・ラフォレ扮するマルジュを訪れ、ナポリを案内してもらう前に、彼女が銀行で小切手を換金している間の彼の様子を映し出すのですが、落ち着きなく旅行代理店のショーウィンドーを覗き込み、その前を行ったり来たりする様子から、観ているこちらのほうまで情緒的に不安定になってくるのです。
 ここも今までは、ほとんど意識することのなかったシーンだったのですが、強く印象に残りました。

 ローマに引越したトムに、部屋のカーテンの取り付けなどをしてくれる面倒見の良いアパートの管理人の小母さんが登場するシーンでは、彼女に備付けの燭台の位置を変えることを許可してもらい、それが針金で固定されていたために移動させることができず、トムが照れ笑いをして、彼女が微笑む様子を正面からミディアム・ショットでとらえてカットしています。
 二人は、まるで仲の良い母子のように、愉快そうで微笑ましく、トム・リプリーの不幸な生い立ちからの犯罪歴の間に垣間見える彼の人間らしくてあどけない側面が、珍しく挿入されていたように思いました。
 このシーンに、ルネ・クレマンとアラン・ドロンが再度コンビを組んだ次の作品、『生きる歓び』への端緒が開かれているようにも感じます。

 トムがフレディを殺したあと、彼の車を移動するときに、駐車禁止場所であるとの注意を道路巡視員から受けるズームのショットも、何故か強烈で緊張感のあるインパクトを受けました。ここも初めて受けた印象です。

 マルジュがモンジベロのフィリップの自宅に戻るときのショットにも驚かされました。
 スクリーン・フレームの構図として、その上部に映っている物陰から、彼女を尾行して後方で動き回っている刑事がシルエットで映されており、そのズームの高所撮影によるロング・ショットによって、緊迫感が増幅されてくるのです。
 今までは、この前段での酔ったオブライエンと、フィリップに成りすましたトムとのやり取りが、わたしにとって、このシークエンスの差し迫った情勢としての中心場面でした。ですから今までの鑑賞で、このショットにこれほど緊張したことはなかったのです。

 トムがモンジベロのマルジュを訪れる港でのカトリックのリトル・イタリア祭での青空いっぱいに打ち上げられている花火のショットには、私自身が今、空を見上げているような錯覚を受けました。
 そして、彼はフィリップの自宅にいるマルジュに会うために、その群衆のなかを早歩きで歩行するのですが、ここもルネ・クレマンらしいドキュメンタリー・タッチのリアルなショットで、今回ばかりは、ナポリの魚市場で、トムが海鮮の陳列を歩きながら眺める、あの有名なシークエンスよりも強く印象に残ってしまいました。

 フィリップの死体が引き揚げられた直後と、トムが警察に呼びつけられる直前との狭間のショットに、遠景でのヨットのズーミング映像がインサートされています。
 その船上で仲良く(わたしにはそう見えました)マストの帆をあげる3人の若者が映っており、わたしは、『冒険者たち』へのオマージュではないかと錯覚してしまうほどでした。もちろん、『冒険者たち』は、これより7年も後に制作された作品ですから、それはありえません。
 ここで、わたしはフィリップ、マルジュ、トムの3人の若者たちが、このような陰惨な関係にならずに済む方法は他になかったのだろうか、と深く考えて込んでしまいました。

 やはり、ルネ・クレマン監督特有のインサート・ショットのひとつであろうかと思いますが、TV画面、パソコンのディスプレイでは、この3人のシルエットはあまりに小さくて、ほとんど見えませんので、これも映画館鑑賞ならではの初体験となったわけです。
 

 上記に列挙したものは、今までも気がついていなかったとは言えずとも、今回の映画館での観賞で初めて、驚くような大きな刺激を受けたものばかりです。
 なかには、何故、今頃気づいたのか、『太陽がいっぱい』の愛好者として失格ではなかろうかと、自分が情けなくなったりもするのですが、わたしなりに正直に列挙してみました。

 もちろん、これら以外の有名なショットやシークエンスで、今回もいつも同様にショッキングで印象深いものも数え切れないほど多くありましたし、逆に、あまりにも何度も鑑賞してきたため、大画面とはいえ衝撃度が低くなってしまったものも、残念ながら少なくは無かったようにも思います。

 それにしても、何十回も観賞しているにもかかわらず、こんなにも興味深いショットを、これほど多く発見できたことに驚いてしまいす。
 何故、どうして、このような体験をすることが、映画館では可能なのでしょう?本当に貴重な映画鑑賞でした。


 ようやく、アラン・ドロンの代表作『太陽がいっぱい』を映画館で観ることができた至福を噛み締め、充実感に包まれながら、わたしは列車での帰路に着いたのでした。

 そして、独りごちたのです。

 『太陽がいっぱい』だ 今までで最高の気分だよ 最高だ
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by Tom5k | 2009-02-21 01:29 | 太陽がいっぱい(3) | Comments(3)

『太陽がいっぱい』②~アキム・コレクションより、ルネ・クレマン批判への反批判~

 10時40分から始まった『望郷』の上映が終了し、休憩時間を経て12時25分から、いよいよ『太陽がいっぱい』です。
望郷
/ ジェネオン エンタテインメント





 映画館での初めての鑑賞だったこともあり、わたしの映画人生にとっては、特筆すべき大きな歓びでした。
 何せ、最も敬愛するアラン・ドロンの最も優れた作品であり、彼らしい個性と才能が最も明らかにされている作品だからです。

 アンリ・ドカエの撮影技術とカラー映像、ポール・ジェコブの斬新なシナリオ、ニーノ・ロータの音楽効果、素晴らしい演技者モーリス・ロネの助演、しかも、すでに多くの実績を積んで巨匠として活躍していたルネ・クレマン監督の演出です。
 なかでも、このような最高の環境で、この作品に主演することのできたアラン・ドロンは、最も幸福な俳優だったのではないでしょうか。

 そして、ルネ・クレマン監督にとってさえも、新しい時代へと脱皮、飛躍できた契機となった作品であるようにも思えるのです。
 ただ、非常に残念なことなのですが、彼の実績については、否定的な批評も多く存在しています。

【「クレマンが『太陽がいっぱい』で見せてくれたのは、地中海のすばらしい陽の光と、エレガントな色彩撮影と、見当ちがいのディテールと、ショッキングなラスト・シーンだった。」
 ロイ・アームズが、『海の壁』の後に作られた『太陽がいっぱい』(59)について、こんな批評をしている。
 『太陽がいっぱい』、その後の『生きる歓び』(61)とともに、押しよせる“ヌーヴェル・ヴァーグ”に対抗してクレマンが作ったスタイリッシュな作品であった。二本とも、“ヌーヴェル・ヴァーグ”の作品から出てきたアンリ・ドカエに撮影をまかせたのだが、ドカエのカメラは、若い世代の心理をうつしとり得ず、ドラマの構造だけを美しく捉え得たにとどまった。クレマンは、現代の若い世代の心理を活写できるような作家ではなかったのである。彼は、巧みなストーリー・テラーとして、その後の作家活動を続けるようになった。】
【映画評論 1974年3月号(「ルネ・クレマン研究 クレマンの作品系譜をたどる」高沢瑛一)】


 例えば、「ヌーヴェルヴァーグ」の作家としての代表格であるクロード・シャブロルの『いとこ同志』が、この2年前の1958年に制作されています。
 『太陽がいっぱい』と同時代の若者たちの生態を描き、『太陽がいっぱい』のアンリ・ドカエが撮影し、脚本と台詞は、やはり『太陽がいっぱい』のポール・ジェコブが協力していることにおいて、その作品から感じる時代的な感性に触れたとき、ルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』の作品評価が高いものにならなかったことは、理解できないわけではないのです。

 『いとこ同志』は、田舎からパリに出てきた主人公シャルル(ジェラール・ブラン)が愚鈍なまでの努力のすえ、恋愛にも学業成績においても芳しい成果を上げることができず、ブルジョアの従兄である放埓な遊び人であるポール(ジャン・クロード・ブリアリ)が、女性関係にしても、受験勉強にしても、難なく良い結果を出してしまう皮肉でやりきれない内容の物語でした。

 わたしは、この作品のシャルルとポールの関係に、『太陽がいっぱい』のトムとフィリップを重ね合わせてしまうのですが、ここでの主人公たちのキャラクターは、さすがに「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品らしく、確かに柔軟で、かつリアルに描かれています。
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 すなわち、ロイ・アームズの批評を踏まえた高沢瑛一氏の
「クレマンは、現代の若い世代の心理を活写できるような作家ではなかったのである。」
との批判も、あながち誤ったものではないかもしれない、とは感じてしまうのです。
 つまり、『太陽がいっぱい』では、ルネ・クレマンの演技指導によるマリー・ラフォレ、モーリス・ロネ、アラン・ドロンたちの演技と個性の発出など、素晴らしい人物設定になっているとはいえ、彼らのキャラクター、そしてストーリー・プロットの必然性においても、それは確かに類型的で硬直化しているとの解釈は、成り立つのかもしれないのです。

 まず、マルジュ(マリー・ラフォレ)においては、
 彼女を15世紀のルネッサンス期フィレンツェの宗教画家、清らかで深い精神性に満ちた多くの「天使の絵」を書き続けたフラ・アンジェリコに傾倒しているイノセントな女性として描いています。
 しかし、それは実に前時代的なキャラクターです。戦後社会には、すでに存在しなかったとまでは言えないにしても、少なくても当時の若い女性を象徴するキャラクターではなかったのかもしれません。

 また、フィリップ(モーリス・ロネ)にしても、
 多くの「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちがそうであったように、プチ・ブルジョアの青年なわけですが、傲慢で放埓、弱い者いじめが生きがいであるような印象を伴う描写が多かったように思います。
 ですから、彼を現代の格差社会の批判材料とするために、あえて観る側の「嫌悪感の喚起」を促すことを目的とし、ブルジョア青年の一面的で硬直したキャラクターを意図的に設定したような印象も受けるのです。

 そして、トム・リプリー(アラン・ドロン)のキャラクターにおいては、
 貧困層の青年の内面心理は、演技者アラン・ドロンとは一体化しているものの、この作品の制作当時のフランスの映画ファンの多くであったブルジョア青年層の生活実感からは遠く、想像しにくいキャラクターであったかもしれません。
 もしかしたら、すさんだ現代アメリカ青年のボーダーライン人格障害者のような特異なものとして理解されてしまったのでしょうか?

 そもそも、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちにブルジョア出身の若者が多かったことからも、彼らに戦前・戦中の苦渋をなめた自国の映画監督(ここではルネ・クレマン)を理解するキャパシティが不足していたことは否めない事実だったはずです。
 このようなところに、戦前・戦中の世代と新しい戦後世代の断絶の要素も垣間見えるような気がするのです。

 しかしながら、本質的に多くの所得格差の存在する現代において、「女性として男性を愛していく純情」、「所有するものの傲慢」、「所有しないもののコンプレックスや人格崩壊」など、その人間としての特質に、時代性における違いはあっても、本質的な違いがそれほど多く存在するとは、わたしには思えません。

 現代における社会矛盾は意外とわかり易い構図であり、誤った価値観に対する批判やメッセージを突き詰めていけば、『太陽がいっぱい』の主人公たちのキャラクターは、時代そのものを象徴せずとも、人間社会の本質を充分に、それもリアルに表現していたのではないかとも思えるのです。
 でなければ、『太陽がいっぱい』が、現在においてまで、これほど支持され続け、再評価の機運が、これほど高まるわけがありません。

 また逆に、戦後世代の若者たちに「貧困層の劣等意識」への想像力があったなら、あえてルネ・クレマンは、このような作品を制作しなかったかもしれません。


「(~略)電子頭脳の巧妙な計算に支配された形式上の完璧さのために、クレマンは、ある種アカデミズムへ導かれる危険性があった。この完璧さが、合作映画『海の壁』を失敗させたのである。この作品では、熱烈な官能が、慎重な冷静さのもとであちこちに顔をのぞかせてはいた。『太陽がいっぱい』とそれに続く『生きる歓び』は或る種の衰えを段階づけていた」
【世界映画史 ジョルジュ・サドゥール著 丸尾定訳】
世界映画全史
ジョルジュ・サドゥール / / 国書刊行会





 フランスでは1950年代の中期から、「ヌーヴォ・ロマン」と体系付けられる観念的な文学が勃興していきました。
 その代表的な作家として、アラン・ロブ=グリエやミシェル・ビュトール、ジャン・ケーロールらがおり、マルグリット・デュラスもその体系に位置づけられる女流作家です。彼女の作品の映像化されたもので評価が高い作品を挙げれば、アラン・レネの『二十四時間の情事』とアンリ・コルピの『かくも長き不在』だといわれています。
二十四時間の情事
/ アイ・ヴィー・シー





 映画においても小説においても、戦後派の作家は、その商業性や物語のプロットを軽んじるようになりました。
 そして、「ヌーヴォ・ロマン」の作家は自らの主観を重んじ、その描写においてはリアリズム(客観性)を貫くように努めていたそうです。また、それはシナリオや原作においても視覚的な特徴を持つものが多く、つまり映像的なものに即した作品でもあったわけです。
 更に、人物の心理描写などは、あえて欠如させている点なども特徴のようでした。

 このような特徴から、「ヌーヴォ・ロマン」の作品傾向は、作家主義の映画体系である「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作品との共通点が非常に多く、そのことからも戦中派のルネ・クレマンにとっては、これらの戦後派の若い世代と接点を持つことは極めて困難な実践であったのだと考えられます。

 ですから、マルグリット・デュラス原作の『海の壁』の映画化が、失敗作であったことは必然の結果であったとまでいえるかもしれないのです。
マルグリット・デュラス
/ 国文社






 しかしながら、彼の失敗を誰が非難することができるでしょうか?

 そのような抽象的で文学的な映像のみを映画であるとする新時代の価値観を単純に絶賛することだけでは、広い意味での映画の振興を無意味なものにする恐れも発生します。

 むしろ、戦中派でアカデミックで優れた心理描写を得意とするリアリストであったルネ・クレマンが、果敢に戦後の新しい価値観に与しようと、非アカデミズムの抽象的な文学作品の映像化に挑んだその意気込みに、わたしは拍手を送りたくなってしまうのです。


「クレマンとは何者か?『居酒屋』はクレマンの他の映画との関係においてなにを意味するのか?映画の人物について、ゾラについて、生活について、アルコール中毒について、また子供たちについて、クレマンはなにを考えるのか?私たちはなにも知ることはないだろう。というのはクレマンは映画の〈作家〉ではなくて、用語のハリウッド的意味での〈監督者〉であり、自分に申込まれた物語をうまく利用するヴェテラン技術者だからである。」
【フランソワ・トリュフォー】
禁じられた遊び/居酒屋
/ アイ・ヴィー・シー





 確かに、ルネ・クレマンは「用語のハリウッド的意味での〈監督者〉=物語をうまく利用するヴェテラン技術者」ではあったかもしれません。
 しかしながら、この要件と作家性との間にそれほどの矛盾があるとも思えません。
 もし、そのようなものがあるとするならば、それはむしろ「ヌーヴェル・ヴァーグ」作家主義の理論が不十分なものだったのではないかとまで考えます。

 むしろ、それは批判されるものではなく、映画監督にとっては必須の要件を備えていたとして、評価されるべき特徴だったのではないかとも思えるのです。

 わたしは、フランソワ・トリュフォーが人間的にも、映画評論家としても、映画監督としても、優れた人物であったと思っています。彼の評論も映画も素晴らしいものばかりです。

 しかし、彼の映画に関わる批評がすべて正しかったとは思いません。
 
 わたしが、このフランソワ・トリュフォーのルネ・クレマンへの批判で思い当たることは、日本の巨匠である小津安二郎の作品に対しての彼の批評です。ここでも彼の若さゆえなのか、概ね同様の安易な批判をしています。

「(~略)私にはどこがいいのかわからない。いつもテーブルを囲んで無気力な人間たちがすわりこんでいるのを、これも無気力なカメラが、無気力にとらえている。映画的な生命の躍動感が全く感じられない。」
【フランソワ・トリュフォー】

 これは、カイエ派の最も悪質な、極論としての映画作家批判の典型だと考えられます。
 もちろん、トリュフォーは、後年、小津に対する評価を修正しているのですが、ルネ・クレマンへの批判も、彼のこのような短絡の批評のひとつではないか?との疑問が、わたしの頭をよぎってしまうのです。


 また、ルネ・クレマンの作品には、リアリズムを追求したうえで、映画のテーマとしての倫理感・道徳感が常に貫徹しています。
 優れた作家性を論じるならば、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の諸作品のように、むやみに「不倫理」や「善意の無意味」などを描くことでニヒリズムに陥りがちになる必要はなく、常に前向きに現代の矛盾点と向き合っていくべきだとわたしは思うのです。

 そういった意味では、『太陽がいっぱい』での主人公トム・リプリーの悲劇の結末など、当然であるといえば当然の帰結であり、観る側に多くの教訓を与える効果も絶大です。
 しかも、ここではトム・リプリーに対しての観る側からの感情移入が可能な作風であるので、社会のひづみや矛盾を、視覚において充分に体験でき、その結果から「映画の説得力」を強く感じることが可能なのです。


 映画が映画の役割をまっとうしていた時代の作品、その時代の映画を映画館で体感することができた満足感を感受しながら、わたしは列車での帰路についていたのでした。
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by Tom5k | 2009-02-12 00:36 | 太陽がいっぱい(3) | Comments(7)

『アラン・ドロンについて』⑧~『ルネ・クレマン』評価の不足 豆酢さんとの対話から その2~

『ルネ・クレマン』~評価の不足とドロンとの出会い 豆酢さんとの対話から①から、わたしと豆酢さんの「ルネ・クレマン」分析も、双方いよいよ活況を呈して、どんどんとエスカレートしていきます。全く自制の欠片もございませんっ!

2008年6月16・17日
豆酢さん
難しいです。
クレマン監督の記事(前半ですが)を試しに書いてみました。
本当に、ある種とらえどころのない、評価が難しい映画作家の1人ですよね。私自身はヌーヴェル・ヴァーグに固執しているわけではないので、おそらくみなさんよりもっと主観的で気ままな意見になっていると思います。
FROSTさんの「居酒屋」のレビューも拝読しましたよ。で、昨日アップした記事に自分なりの深読み感想も添えてみましたわけで。あの時点でクレマン自身に葛藤が生まれていたのかもなあ…と、しみじみ思った次第です。一見、冷淡に突き放しているようにも見えるジェルヴェーズの描写は、裏を返せばクレマンの複雑な心境を吐露したものであったのかなあ、と。
この作品も、観る人によってそれぞれ捉え方が異なってくるでしょうね。観客の心のうちを映し出す万華鏡みたいです。

>「ドイツ零年」の記事・コメントに直リン

あんなんで良かったんですか?!恐縮です(^^ゞ。ありがとうございます。
で、あのコメントを書いた後ちょっと思ったのですよ。クレマン監督って、ものすごく、ものすごく器用な演出家だったんじゃなかろうかと。で、器用すぎたために、却って作家性の所在を疑われ、商業主義だと揶揄されちゃったのかもしれないと…。器用貧乏と申しますでしょ?だとしたら、再評価が進まない現状は、クレマンにとってとても気の毒なことであるでしょうね。

>なおさら彼らはデュヴィヴィエやオータン・ララ、クレマン・・・の再評価を自己批判に絡めて実施していく責務があるように思います。

今のフランス人にとっては、なかなか簡単なことではないのでしょうね。デュヴィヴィエの繊細なドラマ性なども、ヌーヴェル・ヴァーグのしがらみなどない日本人の方が、むしろ素直に評価できる側面もあります。

フィルム・ノワールの中には、社会から疎外された人たちがたくさん登場しますよね。むしろ、彼らが主役だと言っていいでしょう。そんなところも、クレマンがサスペンスの分野に傾倒した一因のように思います。松本清張も、当時の社会問題を背景に持つ作品が多いですものね。

>『太陽がいっぱい』は、当初の予定通りモーリス・ロネを主演にしたほうが、新時代との確執を埋めることができたように思い

歴史に“たら・れば”は付き物です。逆に考えると、ドロンが「太陽がいっぱい」に出演しなければ、その後のドロンのキャリアはなかったわけですから、私はこれはこれで良かったのだと思いますよ。

(クレマン理解に政治的解釈の必要性を感じたことを記した、わたしのコメントに対して)
クレマンの再評価って、映画作家としての才能云々以上に政治的な問題を抜きにしてはできないものなのでしょうか。純粋に作品のみで評価するというわけにはいかないのかなあ…。なんだか、それも悲しいものがあるなあ…。

そんなわけで、“クレマン監督よもう一度”記事をひとつTBさせていただきます。今の時点での考えなので、また時間をおけば変わる部分もあるかもしれません。


トム(Tom5k)
豆酢さん、クレマンの記事(「ストーリーテラーの哀しみ―ルネ・クレマン」)をお書きになられたのですね。
何だか楽しみです。
>政治的な問題
ふ~む、飛躍し過ぎたたでしょうかねえ?フランスのドキュメンタリー作家、アラン・レネやゴダールが急進的になって、五月危機とフランスの映画界が密接な関係になっていたことなどの影響など、また、フランスって政治家も文化人が多いので、ついそんなことまで・・・。特に、『希望』のアンドレ・マルローが文化相をしていた時代にシネマテーク・フランセーズのアンリ・ラングロワが解任されたこと、など時代的なものに眼を奪われてしまったかしれません。
純粋な映画ファンにとっては、裏舞台というか、映画のフレームの外の社会背景なのですが・・・。
いずれにしても映画を観て、その素晴らしさを堪能する基本から離れる必要もないのでしょうね。
では、早速お邪魔します。
希望 テルエルの山々
アンドレ・マルロー / / アイ・ヴィー・シー





革命の夜、いつもの朝
/ ブロードウェイ




豆酢さん、こんばんは。
素晴らしいクレマン評、読ませていただきました。

>疲弊した祖国が戦後の混乱の中・・・自身を象徴していたのではないだろうか。
ここのクレマンの評価ですが、豆酢さんが『居酒屋』の鑑賞からのみによって、読み取られたものなのですか?
だとすると、凄いっ!
確かにこの時代は、これからの旧世代の冬の時代を予感させるものがあったようにも思います。それは、彼があのあまりの完璧な映像ゆえ、アカデミックな評価があまりにも多大にもたらされ過ぎた演出家になってしまったこと。彼の各種国際映画賞の受賞は半端な数ではありませんが、時代はジョージ・C・スコットがアカデミー賞を無視、サルトルがノーベル賞を受賞拒否するような意識的な権威失墜の時代、すなわち非アカデミックがむしろ必要とされてきた時代、おっしゃるとおり混乱の時代の到来だった。
パットン大戦車軍団
ジョージ・C・スコット / / 20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント





そして、アラン・ドロンとの出会い、これは世評(ドロンにとってのクレマンとの出会いというのが一般的)以上に、彼にとって大きな出来事だったのだと思います。特に登場人物への感情移入の描写を多用していったのはドロンと組んだ作品からで、観客の主観に任せきる突き放した描写は、ドロン、ブロンソン、トランティニャンなどを使うようになってからは影を潜め、おっしゃるとおり世評では商業主義に堕落したと言われる所以なのでしょうね。
これを透徹したリアリズムの描写への衰え、芸術家の堕落と見て、批判するのか、もしくは我々が感じているように新たな時代への挑戦と捉え、それを賛美するのか・・・・。
もちろん、わたしは後者で総括したいと思いますし、またその価値は十分にあると思うのです。
特に、ドロンがフランス国内において、その時代の若者を象徴していたのか否かという問題もあります。(本質的にはシンボライズされていても)むしろ戦後においては、ブルジョア青年の苦悩がシンボライズされていったようにも思います(「ヌーヴェル・ヴァーグ」において)。ですからドロンのような本当の貧困層の青年をシンボライズするための素地が映画界には無かったような気がするのです。コダールもマルも資産家のお坊ちゃんですからね・・・(だから、ドロンはフランスよりも日本やイタリアでの方が受けたんでしょう)。
いとこ同志
/ アイ・ヴィー・シー





獅子座
ジェス・アーン / / 紀伊國屋書店





逆にクレマン(むしろデュヴィヴィエやカルネ)のジレンマは、こういうところにもあったと見ています。
彼らはきっと
【ヌーヴェル・ヴァーグは本物なのか?】
と思っていた(懐疑していた)のではないでしょうか!

では、また。


豆酢さん
トムさん、ここまで書くのに何ヶ月かかったことでしょう(遅すぎ)。

トムさんやFROSTさんの記事に啓発されて「居酒屋」を再見しますとね、なんとなく上述したような感慨が生まれました。ジェルヴェーズの姿に、古い時代と共に忘れられようとしている自身を投影したのかなあ…と。そう思うと、また異なる意味で胸が痛いですね。

>時代はジョージ・C・スコットがアカデミー賞を無視、サルトルがノーベル賞を受賞拒否するような意識的な権威失墜の時代

これです。アメリカにおいてはニュー・シネマといった潮流ですよね。既成概念が揺らぎ、来るべき時代に向けて新たな規範をこしらえようと、世界中が悶絶していた時代でした。産みの苦しみにもんどりうっているような不安定な時代に、クレマンは立ち会ってしまったわけです。これはもう不運としか言いようがありませんね。

アラン・ドロンとの交流についてはトムさんの分析にお任せしますが、私自身は、むしろクレマンの方にカルチャーショックが大きかったのではないかと思います。1人の人間に、相反する資質が自ら備わっているドロン。そのアンビバレントなオーラに引き寄せられるように、クレマンは、複雑な人間の内面に入り込んでゆく方法論を選択したと思います。これは彼にとってしごく自然な成り行きであり、決して批判されるような眼力の低下によるものではないでしょう。

きっとね、ヌーヴェル・ヴァーグへの彼なりの回答とは、今までの人生で蓄積されてきた人間性への洞察、経験といったものを、映像に詩的に描き出すことだったのですよ。後半生のサスペンス映画群はとても人間臭く、生々しい感情に突き動かされるような描写が多いですよね。私には、それは新しい時代を見据えた作風にも見えます。

>彼らはきっと【ヌーヴェル・ヴァーグは本物なのか?】と思っていたのではないでしょうか!

夫に言わせますとね、基本的に大半のフランス人の自己認識は、ごくごく普通の労働者階級のそれなんだそうです。フランス社会において、インテリ階層というのは対外的にとても目立つ存在ですが、決して主流というわけでもないとか。ドロンは、一部の知識人のものだったエンターテイメント界を、大衆の手の内に戻したようにも見えます。まさしく下克上(笑)。そりゃあ、インテリ層にしてみれば、嫌な存在でしょうよねえ。ですから、なんだか無理矢理彼への評価を低く見積もっているようなフシもあるのでは。

デュヴィヴィエが晩年受けたインタビューで、「わしゃモダン・ジャズなんぞ大嫌いじゃ。いっこも聴かんわ」と吐き捨てていたのが印象に残っております。


まだまだ話は尽きないのですが、今回はこのへんで。
豆酢さん、みなさん、今後ともよろしくお願いいたします。
(それにしても、最後のデュヴィヴィエ先生の言葉、凄いですね。コカ・コーラを飲んだことの無いフランス人の話は、よく聞きますが、それと同様の自国への誇りの高さを感じます。)
トム(Tom5k)

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by Tom5k | 2008-07-19 21:56 | アラン・ドロンについて(10) | Comments(2)

『アラン・ドロンについて』⑦~『ルネ・クレマン』評価の不足 豆酢さんとの対話から その1~

映画ブログ「豆酢館」映画ブログ「新・豆酢館」を運営している豆酢さんの当ブログへの2007年7月10日付けのコメントが、ルネ・クレマンに関わる最初のコメントであったように記憶していますが、その約11ヶ月後の2008年6月以降、突如、ルネ・クレマン監督に関わる多くの記事やコメントが、わたしの周辺で飛び交う不思議な現象が湧き上がりました。

用心棒さん(「良い映画を褒める会」)のブログ記事『パリは燃えているか』(1966)敵味方にかかわりなく、ヨーロッパ人は深いところで繋がっている。』
シュエットさん(「寄り道カフェ」)の『ルネ・クレマン』
FROSTさん(「川越名画座」)の『ルネ・クレマン』
他にもまだまだ多くの方から、関連内容でのトラック・バックやコメントなどをいただきました(ジャン・ピエール・メルヴィルのご専門のマサヤさん(「LE CERCLE ROUGE BLOG」)の『パリは燃えているか』からまでもトラック・バックをいただきました。)。

一体どうしたと言うんですか?!みんなさん!

それにしても、小規模とは言え、熱い「ルネ・クレマン」ブームでありました。
みなさんの記事とコメントは、本当に素晴らしいものばかり・・・。長年にわたって、ルネ・クレマン(&アラン・ドロン)にこだわってきたわたしとしては、このうえない幸福でございました。

そして・・・当然のことながら、
豆酢さん(「豆酢館」)の『ルネ・クレマン研究室』からも・・・。
豆酢さんとも、たいへん充実したコメント交換ができましたので、是非ご紹介させていただきたいのです。



2007年7月10日
豆酢さん
そうです!!その通りです!!
(わたしのルネ・クレマンの記事「『ヌーヴェルヴァーグ』⑥~アラン・ドロンの二重自我 その1 想起するルネ・クレマンとの師弟関係~」に同調、歓喜していただいているところです。)

トムさんありがとうございます。実は今クレマン熱病に罹患しているところです(笑)。
「鉄路の闘い」「海の牙」…すごい作品ばかり。クレマン監督って、ものすごい才人だったんじゃないか!しかも一転して「居酒屋」や「禁じられた遊び」などの作風も撮れますし。
私が個人的に大好きなのは、「太陽がいっぱい」を頂点とするサスペンス映画群でして、特に「雨の訪問者」や「狼は天使の匂い」は、ぜひ再見したいと願っています。
そして、ドロンと組んだ一連の作品もぜひ観なければ…と思っていた矢先に!実にタイミングよく(笑)、トムさんがドロンとクレマン監督の関係性について触れてくれたわけですよ。

ただいまクレマン監督の熱烈支持記事を書いている途中なんですが(笑)、とっても勇気がわいてきました!ドロンとクレマン監督の師弟関係といった切り口で、彼らのコラボレーション作品を捉えた方っていないかもしれません。とても参考になりました。ありがとうございます。


トム(Tom5k)
ヤッホー、豆酢さん!
やっぱ、そうでしょ。クレマン監督ってすごいんです。おっしゃるとおり
>ものすごい才人・・だったんですよ。
しかし、このことは、正確に評価されていないっ!(怒!)。
何故なら、彼はピエール・ボストとジャン・オーランシュのコンビを脚本に使っていたから、というのが一般論です。
(~中略~)
ドキュメンタリー及びリアリズム作品という観点での評価はまるでない。
それでいいのか、といつも思っているんですよ。
フランスの誇り、それはルネ・クレマンではなかったか?!
とわたしはフランス国民に問いたいですよ。

>ドロンとクレマン監督の師弟関係・・・
わたしは彼が教育的、指導的な意味での力量も優れていたと思っています。
(~中略~)
『ヌーヴェルヴァーグ』という映画、ゴダール監督の反省映画として、わたしは捉えています。

豆酢さんのクレマンのレビュー、楽しみにしています。
では、また。


2008年6月10日~15日
豆酢さん
若輩者が出てきていいのだろうかと思いつつ、いまだルネ・クレマン監督の記事を中断したままになっている豆酢です(^^ゞ。途中までは書き上げているのですが、「太陽がいっぱい」以降の彼の作品をどのように観ようかと考え中です。
仰るように、彼に関する史料はないに等しいです。あっても作品リストを箇条書きに留めた程度のものだけ。ですから、ルネ・クレマン監督への再評価を願うならば、己の審美眼だけが頼りになるわけです。「居酒屋」など、もう一度きちんと見直してみたい作品があるので、クレマン応援団(笑)はもうちょっと地下に潜ります(^^ゞ。

過去に書いた「ドイツ零年」もTBさせていただきました。


トム(Tom5k)
豆酢さん、こんばんは。
>『太陽がいっぱい』以降の彼の作品をどのように観ようかと・・・
ふふふ、これは、わたしなりに総括しておりますよ。
クレマンの心情が手にとるようにわかるのです(ほんとかよ)。
実は彼のサスペンスが何なのか、これにはものすごく彼独自のものがあるような気がしているのです。今、そこを再整理してみたいと思っているんですよね。あとでコツをお教えいたしましょう(ほんとにコツなんてあるのかよ)。後ほど、そちらにコメントいたしますね。
>ルネ・クレマン監督への再評価を願うならば、己の審美眼だけが頼りになるわけです。
全くです。とにかく、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のクレマン批判は、うんざり・・・(何度も言っていますが、その実践は素晴らしく、その作品も素晴らしい、そして彼らも素晴らしいのですがね)。

おおっ、豆酢さんのクレマン応援団のレジスタンス、最後は歓喜ですね。
それから、『ドイツ零年』のTBありがとう。
では、また。

「『パリは燃えているか』②~ルネ・クレマンの再評価を望む~」を更新し終えて)
以前、豆酢さん、オカピーさんとコメント交換したときの内容でブログ記事としてみたのですが、何だかまだ書き足りていないような・・・。ルネ・クレマンは資料を探すのも一苦労で、あったかと思うと「ヌーヴェル・ヴァーグ」の評論家がこきおろしたものだったり・・・。
かなり、わたしの独自見解なのですが、同じドキュメンタルの左岸派と相容れなかった原因は、パリは解放されたという戦前派の楽天主義が大きな原因だったのではないかな、などと思っています。
同様に日本の今井正にも、戦争体験派の「戦後民主主義の健康で明るい、ようやく平和が訪れた日本」という現在を見る眼の楽天主義を感じてしまい、クレマンとの類似点が、とても気になっているところです。もう少し熟考してまた記事にしていきたいと思っているところです。
では、また。
青い山脈
/ Cosmo Contents





戦争と青春
工藤夕貴 / / 日活





豆酢さん
お返事が遅れました
トムさん、コメントとTBをありがとうございます。
鼻炎の薬のせいでちょいと体調を崩しておりました。

クレマン監督の記事を拝読しました。

私自身は、ヌーヴェル・ヴァーグを崇拝する人間ではないので、彼らが躍起になって戦前派を否定する姿勢も、かなりシニカルに見ています。
というのもね、用心棒さんも仰っていたけれど、“戦前派”、あるいは“戦後派”といった区別は、あくまでもその映画人の思想に属する領域でしょう?リーフェンシュタールの記事を書いていたときにも感じたのですが、映画人の力量と個人の思想とは、はっきり切り離して判断されるべきです。クレマンが本質的に楽観主義者であっても、だからといって彼の作る作品がすべて非現実的だと決め付けてはいけない。トリュフォーは素晴らしい理論家であり映画作家ですが、彼の意識の中にも、作品の中に息づく“普遍性”を否定しようとするエゴがあったのではないでしょうか。
レニ・リーフェンシュタール ART&LIFE 1902~2003 DVD-BOX
レニ・リーフェンシュタール / / エスピーオー





私のような人間がこんなことを書くのは暴言かもしれませんが、お叱りを受けるのを覚悟であえて書きますね。

ヌーヴェル・ヴァーグであれなんであれ、過去から連綿と続く映画の歴史から逃れることは不可能です。歴史が途中で消えることなく積み重ねられていった理由は、そこに普遍性が宿っているからこそだということを、私達は謙虚に受け止めねばならないのではないでしょうか。
ノスタルジアに浸れというのではなく、過去をありがたがれというのでもなく、今現在の映画が、良きにつけ悪しきにつけ、過去の遺産の上に成り立っていることを忘れないようにしなければ。

過去を否定するのではなく、良い部分を継承し、悪い部分は修正してさらに発展させていけばいいのになあといつも思います(笑)。
ピントがずれちゃいましたが、またトムさんちにお邪魔させていただきますね。


トム(Tom5k)
豆酢さんっ!
>『太陽がいっぱい』以降の彼の作品・・・
なのですが、
私は初期のレジスタンスもの、反戦ものは、戦争の悲劇→フランスの誇り→フランスの解放→そして歓喜であったというところの、すなわちフランス革命以降の第三共和政の勝利、との見解をフランス共産党までをも含めた統一戦線の魅力に反映させて、映画を創っていたように感じます。
ところが・・・・
彼が、戦後間もなく共和の精神がある種の現代における矛盾、今までの歓喜がもしかすると幻想であったのではないかということに気がついていったのではないか?と感じているところです。
特にアラン・ドロンという現代の社会矛盾そのものといった現代青年にめぐり合ったことで・・・です。

すなわち、戦後の凶悪な犯罪の原因が何にあるのか?そういったことに作家主義「ヌーヴェル・ヴァーグ」と異なる視点、また彼らの出現以降の新時代を踏まえて、現代劇、特に「サスペンス」という分野に入りこんでいったのではなかろうか、と考えます。
例えば『危険がいっぱい』『雨の訪問者』『狼は天使の匂い』『危険なめぐり逢い』などなど・・・。
豆酢さんはどう思われますか?
では、また。
危険なめぐり逢い
洋画 / / コロムビアミュージックエンタテインメント





豆酢さん
トムさん、ありがとうございます。
なるほどなあ。
クレマンのキャリア後半、自身の職人気質の演出力を「サスペンス」に傾けていったのはなぜなんだろうと、いつも不思議に思っていました。というのもですね、私が好きになる映画監督って、キャリア後半にサスペンス映画を好んで撮る傾向があるんですわ(笑)。シュレシンジャーも「マラソンマン」以降そうでしたしね。現在進行形のクローネンバーグも、今まさに彼なりのノワール映画を模索しているところですし。
マラソン マン スペシャル・コレクターズ・エディション
ダスティン・ホフマン / / パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン





ディレクターズ デヴィッド・クローネンバーグ
/ 東北新社





サスペンス映画の一体何が、才能ある映画監督たちを惹き付けるのでしょうね。興味ある事象です。

クレマンの場合、「サスペンス」という分野に、映画界における現代心理分析学の役割を見出した可能性もありますよね。やはりトムさんが指摘されたように、戦前、戦後の世界の変貌を目の当たりにして、一種の挫折感のようなものを彼なりに感じたのだと思います。
レジスタンスは、人々に主義主張の枠を超えさせ、大いなる大義の下に結集せしめたものでした。その結果得られた戦後社会は、より良いものになるはずだったのに…というね。フランスは戦勝国側でしたけれども、ヨーロッパの中でも大きなダメージを受けた国でした。国民にしてみれば、荒れ果てた国家の復興は、敗戦国並に厳しいものであったと推測されます。
そんな陰鬱な雰囲気の中で、複雑に屈折した若者がたくさん出現したのでしょう。彼ら戦後の若者像の象徴であるドロンとの出会いが、クレマンをして、戦争がフランスに残した傷跡を探る作業に向かわせたと思います。ヌーヴェル・ヴァーグの作家達が、それをしなかったとは思いません。ただ方法論が違うのでしょう。ヌーヴェル・ヴァーグがごくごく主観的に、あるいは無意識的に“戦争の記憶”を作品の中に抽出したのに対し、クレマンは多分意識的に、また戦後フランス社会全体を見渡す気持ちで、作品に投影していったようにも感じます。
戦争がフランスに与えた根深い禍根を、戦後を不安定な状態で生きる人々の心理面に見出そうとしたのでしょうか。不安定な心理を探るのに、確かにサスペンスというのは得がたいツールであるように思いますね。

それと、私自身は、クレマンの後半のキャリアの中で重要な作品は、実は「パリは燃えているか」ではなかろうかとも思っています。個人的に大好きなのは、「雨の訪問者」(ブロンソン最高!!)と「狼は天使の匂い」なんですけどね(^^ゞ。
対外的な評判はあまり良くない作品ですが、「パリは燃えているか」における戦争の捉え方に、単純には割り切れない苦々しいものを感じさせるのです。クレマンの複雑な胸中が伝わってくるような気がします…。
雨の訪問者
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狼は天使の匂い
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トム(Tom5k)
豆酢さん、どうも。
>彼らが躍起になって戦前派を否定する姿勢・・・
確かに、当時のフランス映画界には相当の矛盾もあったんでしょうね。
でも、せっかくの素晴らしい過去のフランス映画を観るときの先入観を払拭しなければならない作業は現在、未来の映画鑑賞者に必要以上の負担を強いたように思うのです。

>トリュフォー
ルイ・マル、シャブロル、ロメ-ルも映画の普遍性には気がついて、過去の自分たちの功罪を自覚はしているように思いますし、ゴダールがドロンを使ったことでも特にカイエ派のそれは理解できます。
であれば、なおさら彼らはデュヴィヴィエやオータン・ララ、クレマン・・・の再評価を自己批判に絡めて実施していく責務があるように思います。

>サスペンス映画
これにはいわゆる「フィルム・ノワール」も含めての体系となるように思うのですが、最も社会問題を比喩しやすい、というか現実にこれだけ奇異な犯罪が増加していますからね。
姐さんのお好きな松本清張(viva jijiさんの「映画と暮らす、日々に暮らす。」のブログ記事『霧の旗』『点と線』『砂の器』)なんかもそうだったのじゃないですかね。霧プロの映画なんか、その典型ではないでしょうか?

クレマンの場合は戦後の挫折、そして自身の精神分析医としての前歴は大きな要素でしょうね。そして、ドロンとの出会いと「ヌーヴェル・ヴァーグ」の台頭、それを考えると『太陽がいっぱい』は、当初の予定通りモーリス・ロネを主演にしたほうが、新時代との確執を埋めることができたように思い複雑な心境になります。

>クレマンの後半のキャリアの中で重要な作品は、実は『パリは燃えているか』・・・
ええっ、そう思われているんですかっ!
わたしの記事に触発いただいて、用心棒さんの更新記事が『パリは燃えているか』です。わたしの主観レビューと異なり、なかなか鋭いご意見ばかりです。
わたしも負けずに後半部分、追記加筆してみました。

>『雨の訪問者』『狼は天使の匂い』
どちらもクオリティの高い作品ですよね。

あっそれから、「川越名画座」のFROSTさんが、『居酒屋』再見レビューをアップされていましたね。ご覧になりました?見事にわたしの意見とバッティングしています(笑)。
こう考えるとクレマン評は、ひとそれぞれ(ヌーヴェル・ヴァーグから観た場合も含め)で、評価が最も難しい作家のような気がします。観る側の主観によるところに任されてしまうんでしょうね。作品にそういう多面性が隠されているように思います。
あっそれから、わたしの追加筆に豆酢さんの『ドイツ零年』の記事・コメントに直リンさせていただきました。事後報告ですみません。
では、また。

まだまだ話は尽きないので、『ルネ・クレマン』~評価の不足とドロンとの出会い 豆酢さんとの対話から②へ。
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by Tom5k | 2008-07-19 20:44 | アラン・ドロンについて(10) | Comments(2)

『パリは燃えているか』②~ルネ・クレマンの再評価を望む~

 何故なのでしょうか?ルネ・クレマンは、正確に評価されていません。

 特に「ヌーヴェル・ヴァーグ」のカイエ派のルネ・クレマンのこきおろしには、憤りさえ感じます。一般的にいわれている大きな原因のひとつを挙げれば、彼がピエール・ボストとジャン・オーランシュを自作の脚本に多く使っていたことがあるでしょう。
 「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派の評論家、後の映画監督であるフランソワ・トリュフォーは、1930年代に完成した「詩(心理)的レアリスム」という体系がフランス映画の「良質の伝統」であると皮肉り、当時、その代表的な脚本家であったボストとオーランシュ、および彼らと組んだ映画監督たちを徹底的に批判していきました。
 要するに、彼らの文芸的作風のシナリオ主義が似非の芸術性であるとし、そこから脱却するには、新たな視点での映画制作が必要であることを訴えていったわけなのです。そして、ルネ・クレマンもその批判の対象から漏れる演出家ではありませんでした。

 フランソワ・トリュフォーは実に理知的、そして論理的にルネ・クレマンを批判しています。しかも、プラスの評価まで正確にしている(本質的に正確か否かは今後の映画史論をまだ待たなければならないと、わたしは思っていますが・・・。)こともあり、その批判の内容にはたいへん説得力があり、映画史を変えるほどの映画批評の力量で旧フランス映画の伝統を否定していったのです。

「『居酒屋』(一九五六)はルネ・クレマンのもっとも油の乗った時代の作品で、ゾラの原作に忠実なそのレアリスムは、まさにゾラ流の自然主義を映画に移植したものといってもよかった。(-中略-)
この文芸映画にかぎり、脚色者オーランシュ=ボストに対して、トリュフォーは文句をつけなかった。「正直で利口で」ゾラを台無しにもしなかったといい、クレマンに対しても、「感動的なエネルギー」で仕事をしたといったが、そこに「努力」が見えるという指摘はわすれなかった。つまりヒッチコックのような「すべてが可能である名人芸」ではないという意味であった。
 「クレマンとは何者か?『居酒屋』はクレマンの他の映画との関係においてなにを意味するのか?映画の人物について、ゾラについて、生活について、アルコール中毒について、また子供たちについて、クレマンはなにを考えるのか?私たちはなにも知ることはないだろう。というのはクレマンは映画の〈作家〉ではなくて、用語のハリウッド的意味での〈監督者〉であり、自分に申込まれた物語をうまく利用するヴェテラン技術者だからである。」
 ぼくはトリュフォーのことばはいささか酷だとおもうし、『居酒屋』はむしろクレマンの本質的な作品の一つだとさえみるのだが、トリュフォーの〈監督者〉説にも一理はあると考える。クレマンはただ仕事だとわりきって、彼らしくもない映画を達者につくる傾向が多分にあって、ミイラとりがミイラになった観がないではないからだ。その結果、現在、戦争直後にぼくたちが考えたクレマンらしい作品をつくる機会がたとえあっても、彼が以前のような独自性をもつことができなくなったとすれば、トリュフォーに「作家」としてみとめたくないといわれても、抗弁はできないのである。」
【キネマ旬報 1976年4月下旬号(「ヌーヴェル・ヴァーグの映画体系 フランソア・トリュフォーの映画論20」飯島 正)】
禁じられた遊び/居酒屋
/ アイ・ヴィー・シー





居酒屋 (新潮文庫 (ソ-1-3))
古賀 照一 / / 新潮社






 また、カイエ派の批判に加えて左岸派に至っては、ルネ・クレマンを相手にもせず、完全に黙殺してしまっているようにまで、わたしの眼には映ります。
 『二十四時間の情事』のシナリオを書いていた左岸派の前衛作家(ヌーヴォー・ロマン)であるマルグリット・デュラスが、自らの脚本で制作されたルネ・クレマンの『海の壁』に、失望したことなども原因のひとつに挙げられるかもしれません。
二十四時間の情事
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マルグリット・デュラス
/ 国文社






「電子頭脳の巧妙な計算に支配された形式上の完璧さのために、クレマンは、ある種アカデミズムへ導かれる危険性があった。この完璧さが、合作映画『海の壁』を失敗させたのである。」
【世界映画史 ジョルジュ・サドゥール著 丸尾定訳】
世界映画全史
ジョルジュ・サドゥール / / 国書刊行会





 また、同じ左岸派の映画作家であるアニエス・ヴァルダ監督のフランス映画生誕100周年の記念映画である『百一夜』では、その作品のどのショットにも・・・しかも、それはアラン・ドロン登場のシークエンスにおいてすら、ルネ・クレマンは見当たらないのです。
 ドキュメンタリスト及びリアリズム作品の作家ルネ・クレマン、という観点での左岸派の評価などは、決して眼にすることはないといっていいでしょう。



 しかしながら、一方では、ルネ・クレマンの演出が「ネオ・リアリズモ」の創始者の一人であるロベルト・ロッセリーニに匹敵するものである、とまでの高い評価もあることはあるのです。

「『鉄路の闘い』は、ナチ占領下におけるフランス鉄道員たちのレジスタンスを描いたセミ・ドキュメンタリーで、フランス映画総同盟と、フランス国鉄抵抗委員会の企画、製作による作品であった。いわば、鉄道労働者たちが金を出し合い、製作費を作り、それで出来上がった作品だった。
「パリ占領の間、ドイツ兵たちは実に下劣だった。このことは歴史の一コマであり、私は真実を曲げることは絶対にしない。たとえば私がドイツの捕虜収容所の映画を撮るとしても、どうして現在の仏独接近なんか考慮してなんか作れよう!」
 クレマンは、こうした創作のビジョンをはっきりうち出した。そして、技術的には、彼のドキュメンタリー作家としての前歴を生かして、セミ・ドキュメンタリー・タッチで『鉄路の闘い』を仕上げたのであった。
 “Frennch Cinema since 1946”の著者ロイ・アームズは、この作品をロッセリーニの『戦火のかなた』(46)と同項においている。その後フランス鉄道労働者のレジスタンスを描いたものに、フランケンハイマーの『大列車作戦』(64)などという秀作がある。しかし、イタリアでロッセリーニ、デ・シーカが輩出し、セミ・ドキュメンタリー・タッチのレジスタンス映画が続出した40年代においてすら、クレマンの『鉄路の闘い』をしのぐ作品は出なかったと言っていい。それほど、クレマンのドキュメンタリズムが徹底していたということなのだ。」
【映画評論 1974年3月号(「ルネ・クレマン研究 クレマンの作品系譜をたどる」高沢瑛一)】
鉄路の闘い
/ ビデオメーカー





海の牙

マルセル・ダリオ / アイ・ヴィー・シー



大列車作戦 [スタジオ・クラシック・シリーズ]
バート・ランカスター / / 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン





 ところで、旧ソ連時代に、エイゼンシュテインがモンタージュ理論を実践した文化史的名作『戦艦ポチョムキン』には、観る側に対しての非常に多くの楽天的な印象が与えられてしまう側面があるように感じています。
 当時のソ連において、既に多くの社会矛盾が解消され、過去の矛盾を一掃して革命が成し遂げられたという人民の歓喜の表現が大きく強調された作品になっている側面もあると感じるわけなのです(ロシア革命の正誤については、あえて言及しませんが・・・)。
 これは恐らく、我々の生活している現在において、まだ多くの社会矛盾が解消されておらず、映画を受益する観客として、描かれるべきテーマに深刻な要素を無意識に求めてしまっているためなのかもしれません。

 いずれにしても、1925年にモスクワのボリショイ劇場で実施された「1905年革命20周年記念式典」の最初のプログラムとして、『戦艦ポチョムキン』の試写が上映され、ボリショイ劇場管弦楽団の伴奏がヴェートーヴェン作曲『交響曲第9番 歓喜の歌』であったことも、そういった要素からすれば当然のことであるように思います。
戦艦ポチョムキン
/ アイ・ヴィー・シー





ベートーヴェン:交響曲第9番
フルトヴェングラー(ウィルヘルム) / / EMIミュージック・ジャパン





 そして、ルネ・クレマンがファシズムからのパリ解放を描いた『鉄路の闘い』や『パリは燃えているか』で扱っているフランスのレジスタンス運動への賛美に関わっても、フランス国民にとっては「歓喜」以外の何ものでもないと、わたしには感じられます。
 これらのことを踏まえれば、ルネ・クレマンの描いたレジスタンス作品は、ロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』、『戦火のかなた』、『ドイツ零年』や、同じフランス・レジスタンスを描いたジャン・ピエール・メルヴィルの『影の軍隊』などとは異なり、エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』と似たメッセージやテーマで帰結しているように思えるわけです。
無防備都市
アルド・ファブリーツィ / / アイ・ヴィ・シー





戦火のかなた
カルメラ・サツィオ / / アイ・ヴィ・シー





ドイツ零年
/ アイ・ヴィー・シー





影の軍隊
/ ビデオメーカー





 そこで、わたしが特筆したいことは、ルネ・クレマンのその才能が、そのキャスティングにおいて天才的であるということです(『太陽がいっぱい』で、当初トム・リプリーを演じる予定であったモーリス・ロネから、急遽アラン・ドロンにキャスティングを変更したことなども、その現れの一例であるかもしれません)。

 ジャン・ピエール・メルヴィルが「スター」好きであることは有名ですが、わたしはルネ・クレマンも同様に、かなりの面で「スター」好きであるような印象を持っており、このオールスター・キャストの『パリは燃えているか』を引き受けたことからも、それを感じとることができます。
 しかし、他の演出家と異なり、それは非常に独特な特徴を持っているように見受けられるのです。わたしは、彼の作品に出演している「スター」が、「スター」のまま配役にリアルな形態で活かされていることに着目しました。
 逆に、「スター」の「スターの在りよう」を剥ぎ取って、彼らの従来と異なる個性の素晴らしさを撮ることが上手な名監督は多く存在しますが、「スター」が「スター」のままで、しかも、その作品が「リアリズム」を透徹していることは通常ありえません。
 ここに、この『パリは燃えているか』の際立った特徴が存在しているとはいえないでしょうか?

 一般的に映画が、豊かに完成された楽しい娯楽であることに限定した場合、観る側へのドリーミングの提供が欠かせない要件となることが必須なわけですから、そこには「スター」の存在が欠かせなくなります。逆に、社会の諸矛盾を追及するための「リアリズム」を強調したり、徹底していく作品においては、観客に夢を提供するための「スター・システム」の存在は、むしろその虚構性を高めてしまう危険を伴うような気がします。
 このように、映画における「スター・システム」と「リアリズム」とは、一般的には相容れないものであることは否定できない現実でしょう。

 ルネ・クレマンの若い頃のリアリズム作品は、職業俳優などを使わず、一般の素人が、そのモデル・型として出演しています。これはエイゼンシュテインの作品以降、多くの映画作家がその影響を受けて数多くの傑作を生み出してきた俳優論の実践の応用のひとつだったと察せられます。

 しかしながら、ルネ・クレマンの作品に限っては、そのエキストラのような普通の素人の出演者が「スター」と同等の存在になっているように、わたしには見えるのです。
 「ヌーヴェル・ヴァーグ」や「ネオ・リアリズモ」の作家たちもそうですが、彼らは「リアリズム」を追求するために無名の素人たちを、あくまでリアルな生活者としてドキュメンタルな表現や作風を取り入れるために使っていました。
 しかしわたしには、ルネ・クレマンの演出では、それがリアリズム作品でありながら、彼ら素人をあえて「スター」という位置づけから撮っているように感じてしまうのです。
 ルネ・クレマンに使われた彼らは、ロベルト・ロッセリーニやルイジ・ザンパ、ヴィットリオ・デ・シーカ、ルキノ・ヴィスコンティが、初期の「ネオ・リアリズム」作品で貧困と社会矛盾に苦しむ民衆を描くために使った素人の俳優たちとは明らかに異なっています。

 何故なのでしょうか?その原因は?

 ルネ・クレマンの作品では、フランス国民が、自由と平和への希求において、誇り高い愛国の精神から夜空に燦然と輝く星として、すなわち「スター」のように「リアリズム」の表現に活かされているからに外ならないからだと思うのです。
 無名のひとびとに光をあてることのできる映画作家ルネ・クレマン、一般の民衆が「スター」に、「スター」が「リアリズム」に・・・。

 わたしには、そんな俳優の使い方ができる監督は、ルネ・クレマンの存在くらいしか思い浮かびません。

 そのような登場人物における成功の確たる証拠が・・・『鉄路の闘い』でのフランス国有鉄道の労働者たちであり、『太陽がいっぱい』以降のアラン・ドロンの個性であり、『パリは燃えているか』のオールスター・キャスティングであったのではないでしょうか?

 逆に、その失敗例がロベルト・ロッセリーニの『ストロンボリ』以降のイングリッド・バーグマンであるとも考えられるような気もします。
【参考】
【盟友 オカピーさん、用心棒さんの意見 『良い映画を褒める会。』「『ドイツ零年』(1948) 悲しすぎる少年の運命とネオレアリズモの代表作 ネタバレあり」でのコメント】
【オカピーさんの意見 『プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]』映画評「萌の朱雀」】
【豆酢さん、用心棒さんの意見 『豆酢観』「ドイツ零年」でのコメント】

ストロンボリ (トールケース)
イングリッド・バーグマン / / アイ・ヴィー・シー





 パリ解放のために装甲車で入国した連合軍、凱旋したド・ゴール将軍を迎え、歓喜して「ラ・マルセエーズ」を大合唱するパリ市民が映し出されるパリ解放のラスト・シークエンスには、当時の実写フィルムが次から次とモンタージュされているために、ドキュメンタリーなのか、映画のドラマトゥルギーとしてのパリ解放なのか、全く区別がつかないほどであり、出演俳優とフランス国民との間の壁が全く無くなっていることも特筆すべきことであるように思います。

 リアリズム作品の究極の成果は、観る側の生活体験と映画作品との一体化を可能にしたことなのかもしれません。彼はその成果を更にもう一歩進めたような気がします。

 すなわち、彼がリアリズム作品における「スター」の起用に成功した功績として、映画を受益する一般の観客と、映画「スター」とが一体となれる可能性までをも模索し、最大限にその可能性を開花させたということなのです。

 ルネ・クレマンにとっては
☆ レジスタンスとしてナチスと勇敢に闘った一般民衆こそが「スター」であり、
☆ 「スター・システム」は、レジスタンスを共に闘える一般民衆としての同志だったのでしょう。

 わたしは、そういう意味で、彼がエイゼンシュテイン以降のリアリズム作品において、特に出演させた俳優に向き合う姿勢に、エイゼンシュテインをも超えうる資質を持った映画作家であったと、誰もが指摘していない貴重な映画作家としての再評価を声高に訴えたくなってしまうのです。


「起てや祖国の 健児らよ、 栄えある日こそ 来たるなれ、 われに刃向かう 暴虐の、 血染めの旗ぞ ひるがえる、 君よ聞かずや 野に山に、 敵兵どもの 吠えるのを、 わが同胞を 殺さんと、 奴らはわれに 迫り来る、 いざ武器をとれ 市民たち! 隊伍を組めや いざ行かん! 敵の汚れし 血潮もて、 わが田の畝を 潤さん。」
(フランス共和国国歌「ラ・マルセエーズ」より)


「コミュニストだろうと、ド・ゴール派だろうと。私にはすべてレジスタンスの同志であった。私の会ったこの時代の責任者の人たちはすべて、彼ら同士お互いによく理解しあっていた。どちらが主導権を握るかで若干のアツレキがあったにせよ・・・・」
(ルネ・クレマン 談)
【引用 『海外の映画作家たち 創作の秘密(フランス編 ルネ・クレマン)』田山力哉著、ダヴィッド社、1971年】
海外の映画作家たち・創作の秘密 (1971年)
田山 力哉 / / ダヴィッド社
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by Tom5k | 2008-06-09 02:22 | パリは燃えているか(2) | Comments(42)

『ヌーヴェルヴァーグ』⑥~アラン・ドロンの二重自我 その1 想起するルネ・クレマンとの師弟関係~

 いまさら言うまでもないことかもしれませんが、この『ヌーヴェルヴァーグ』ではアラン・ドロンの人格の二重構造を描いています。

 そして、彼の出演している多くの傑作の中でも、その引き裂かれた人格を演じている作品が、特に魅力的であるようにも思います。
 また、ジャン・リュック・ゴダール監督にしても、それがこの作品を手がけていった動機のひとつでもあったようにも思います。

【長い間私はドロンと一緒に映画を作ることを望んでいた。そしてこの『ヌーヴェルヴァーグ』で、彼の役 -私には彼以外の俳優はあり得なかった- を見付けたのだった。例えば、彼には彼自身に対して、また他人との関係に於いて、《アラン・ドロン》であると同時にかつての《アラン・ドロン》でありえるのだ。それ故、彼はこの二重の役柄を演じることが出来たのである。(ジャン・リュック・ゴダール)】
【引用 『newFLIX vol.4 SEP.1990(小特集『ヌーヴェルヴァーグ』)】

 このことは、『ヌーヴェルヴァーグ』という作品を、さらにはアラン・ドロンを主演させた作品を突きつめていくうえで、特に重要な懸案の事項であるといえましょう。

 映画作品でのアラン・ドロンの分裂、すなわち二重性は、どの作品から、誰の演出作品から始まっていったのでしょうか?


 最後の「詩(心理)的レアリスム」の巨匠と呼ばれているルネ・クレマン監督は、アラン・ドロンのその二重性を最初に見抜き、その人格の分裂を統一させ成長させました。わたしとしては、彼らの師弟関係には、そんな側面もあったように思うわけです。

 では、アラン・ドロンはルネ・クレマンの下(もと)で、一体どのように成長を遂げていったのでしょうか?

 ルネ・クレマン監督はアラン・ドロンを、まず彼の出世作ともなった『太陽がいっぱい』で、モーリス・ロネが演じた大金持ちの友人フィリップ・グリンリーフに対して、短絡的な同一視から殺人犯人となってしまう主人公トム・リプリー役で起用します。
 貧困で惨めな主人公トムが、この現代ブルジョア青年フィリップに憧憬してしまったことを犯罪動機としたのです。「女」や「自由」、「品位」や「知性」さえも、金があれば全部手に入る、真面目に働かなくたって、あらゆる欲望がすべて手に入る。
 主人公トム・リプリーは、彼のその所有をすべて自分の手に入れたかった、いや彼はフィリップ自身になりたかったのでしょう。
 実に屈折して、歪んだ在り方であっても、映画評論家の淀川長治氏が言っていたとおり、トムはフィリップを愛してしまっていたのではないでしょうか?!

「ああ、おれはフィリップになりたい。金も女も自由も全てが欲しい!」

 しかし、あの衝撃的なラスト・シークエンスでもわかるように、クレマン監督はドロンに、

「どんなに苦しい思いをしていたとしても、ひとの命を奪って野心を果たすこと、すなわち犯罪に手をそめて自分を確立しても、それは偽物にすぎない、いつかは見破られてしまい、結局は最も悲惨な眼に会うだろう。」

と厳しく戒めているように、わたしには見えるのです。


 次にルネ・クレマン監督は、『生きる歓び』で、やはり貧困ではあるけれど、今度は、素直に淋しさを認め、お金よりも家族の愛情や純粋な恋を求める好青年ユリスを彼に演じさせます。しかし明るくて健康的なキャラクターであるとはいえ彼をまだ、自分に確信を持てずに何か他の物差しで自分を測り、他人への変身願望を主軸にしてしまう主人公として演じさせています。
 やはりまだ、彼は分裂せざるを得ないのです。

 つい背伸びをしてアナーキストの英雄カンポサントになろうとしてしまった主人公ユリス、このことがテロリズムという現代的なテーマを先取りして、大騒動を呼び起こしてしまうコメディ作品でした。

 ことが重大事になるに従って、カンポサントという人格を保とうとしながら、必死にテロリズムをくい止めようと奔走するユリスでしたが、最後には背伸びをしていた彼よりも素性の知れてしまった本当のユリスのほうが、暖かくバルバラ・ラス演ずるフランカに恋の対象として受け入れられる結果となります。

 このような結末でもわかるように、クレマン監督はドロンに、

「本当の自分を素直に表現することが、本当の愛情を手に入れることの必要条件なのだ。」

と彼を諭しているように、わたしには見えるのでした。


 次の『危険がいっぱい』では、ようやくアラン・ドロンの人格を統一させました。
 しかし彼に演じさせたマルクという主人公は、いかさまカード師で若い詐欺師の役です。マルクはいつも、いい加減に好きなことばかりやっている奔放な青年です。
 いくら正直な自分で生きていていたとしても、そして好青年のキャラクターではあっても、これでは正常な日常を地道に営めるわけがありません。
 そして、最後にはジェーン・フォンダ演ずる小悪魔メリンダに自由を奪われ、彼女の手元に囲い込まれてしまいます。素直にそして自分を偽ることなく正直に生きた結果、確かにメリンダに愛されたマークではありましたが、このような恐ろしい結末が用意されていたのです。

 この恐ろしいラスト・シークエンスを用意した師匠のクレマン監督の真意は?

 わたしは、何の裏付けもないチンピラのままでいながら、調子に乗って必要以上の野心、ハリウッド作品での成功願望を持ってしまった愛弟子アラン・ドロンに、すでにそこでの失敗を、はっきりとした裏付けをもって厳しく批判していたように思っています。

 実際にはどうだったのでしょうか?


 そして、いよいよ二人にとっての最後の作品になったハリウッド作品『パリは燃えているか』です。ここでは遂に、アラン・ドロンの人格の統一を完成させ、自国フランス共和国の祖国を守るレジスタンスの闘士、社会的に非常に重要な人物としての役割(柄)を与えています。
 また、ルネ・クレマン監督自身にとっても久しぶりの彼の原点、リアリズム作品の集大成であるレジスタンス映画です。『鉄路の闘い』や『海の牙』以来の熱い想いで撮った作品だったのではないでしょうか?
鉄路の闘い
/ ビデオメーカー





海の牙
マルセル・ダリオ / / アイ・ヴィー・シー





 彼にとっては、この作品はフランス国内のみでナチス・ドイツとの闘いを描いていた過去の実績から、同盟国、連合軍アメリカ合衆国との友情により、ハリウッド作品として飛躍させようとした大胆な野心作であったようにも思います。
 ナチス・ドイツの占領下、自由フランス軍を扇動した共和党のドゴール、彼の信奉者である現実のアラン・ドロンを投影しているようなレジスタンス運動の幕僚デルマス。このデルマスは、後の実生活のリアルなアラン・ドロンそのもののような錯覚すら想起させます。

 もし、この作品を撮っていたときにヨーロッパで大戦が起こったとしたら、アラン・ドロンはデルマスと同じ行動や言動を執ったのではのではないでしょうか!?

 とうとうアラン・ドロンは人格の統一、それも確たる思想・信条までを持つまでの立派なアイデンティティを確立するに至ることができました。


 『パリは燃えているか』では、フランス人のナチス抵抗運動の統一戦線は、握手を求めるナチス・ドイツのコルティッツ将軍に向け、それを拒否し
「レジスタンスは寄り合い所帯で確執も多い、しかし、今のフランスの敵は唯一ナチスのみだ。」
と言い放ちます。
 そして内部に矛盾を抱えながらも自由フランス軍・統一労働戦線レジスタンスは、フランス人にとってのただひとつの敵、ファシズムの象徴ナチス・ドイツに勝利するのです。


 ここでのルネ・クレマン監督は、アラン・ドロンに

「いくら自分の内部に多くの矛盾を抱えていても、決して自分を分裂させてはいけない。しっかりとした自分を持って勇敢に生きて行きなさい。もう、わたしが君に伝えることは何もない。さあ、自分で自分の道を歩んで行きなさい。」

と優しく語りかけているように思うのです。


 ハリウッド作品で大成することができなかったアラン・ドロンですが、帰仏後に『冒険者たち』や『サムライ』から会心作を生み出し続け、マルコヴィッチ殺害事件を乗り切って全盛期を迎えていった契機は、師匠ルネ・クレマンのこれらの素晴らしい教えの数々があったからではないかと、わたしは勝手な想像をしてしまい、感動で涙さえ流してしまうことを厭いません。


「『ヌーヴェルヴァーグ』ですごいと思うのは、ゴダールのような左翼とドロンのような右翼とが、互いに衝突しあうこともなく、一緒に仕事をすることができたということです。」
フィリップ・ガレルの言葉が思い出されます。


 わたしには、ゴダールとドロンが『ヌーヴェルヴァーグ』での共作に至った本質的な根拠が、クレマンとドロンの師弟関係の最後の作品であるこの『パリは燃えているか』に隠されているような気がしてならないのです。
 この素晴らしい師弟関係にゴダール監督は、密かに感動していたのではないでしょうか?

 クレマン&ドロンの作品は、映画史に燦然と輝くべきなのです。
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by Tom5k | 2007-07-08 20:28 | ヌーヴェルヴァーグ(8) | Comments(8)

『生きる歓び』①~アクシデントの効用~

 ジャン・コクトーは、詩人であるとともに、映画人、小説家、舞台演出家、評論活動家等々、芸術全般に渡って活躍した才人でした。彼は19世紀終わりからのフランスで、文化・芸術の最も繁栄していた「ベル・エポック」の時代以降を疾走し、センセーショナルなコクトー芸術を確立していきました。
世紀末とベル・エポックの文化
福井 憲彦 / 山川出版社






評伝ジャン・コクトー
ジャン=ジャック キム アンリ・C. ベアール エリザベス スプリッジ 秋山 和夫 / 筑摩書房





 映画人としての活躍も素晴らしいものばかりです。
 ルネ・クレマンを技術担当として迎え、ディズニーのリメイクで有名な映画史に残る名作『美女と野獣』を創作していますし、ロベルト・ロッセリーニ監督の『アモーレ』やジャン・ピエール・メルヴィル監督の『恐るべき子供たち』の原作も彼が書いたものです。また、ギリシャ神話のオルフェウス伝説をモチーフにして、自ら演出した『オルフェ』も素晴らしい作品であり、映画人としての彼の残した実績は賞賛に値するものばかりです。
アモーレ (トールケース)
/ アイ・ヴィー・シー





オルフェ【字幕版】
/ アミューズソフトエンタテインメント





ジャン・コクトー DVD-BOX (トールケース仕様)
/ アイ・ヴィー・シー





 そして、ジャン・コクトーはジャン・ピエール・メルビル監督らとともに「ヌーヴェル・ヴァーグ」の父、「新しい波」の第一波ともいわれています。
 その大きな業績として特筆すべきは、1949年、アレクサンドル・アストリュックとともにシネマクラブ「オブジェクティフ49」を結集したことです。そして、それは「カイエ・デュ・シネマ誌」のアンドレ・バザンのもと、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派の主要メンバーたちとともに第1回「呪われた映画祭」のビアリッツでの開催に結びついていきました。
 これは、オーソン・ウェルズの演出した『マクベス』がヴェネチア映画祭で不評だったこと、ハリウッドでも、またヨーロッパにおいてさえ受け入れられることが不可能になってしまったことを比喩し、「呪われた映画作家」と命名して、彼と彼の作品を擁護することを主な目的として開催したものです。
 この映画祭が画期的だったことは、ジャン・コクトーの呼びかけに応じて、「ヌーヴェル・ヴァーグ」諸派とは毛色の異なるロベール・ブレッソン、後に彼らに批判されていったルネ・クレマン、ジャン・グレミヨン、文学者のクロード・モーリヤックなどがこれを支持したことです。

 ルネ・クレマン監督の『危険がいっぱい』などには、『恐るべき子供たち』で撮影を担当したアンリ・ドカエのカメラを通して、ジャン・コクトーの作品『美女と野獣』での「光と影」の光芒を効果とした映像技術の影響を強く受けていると感じます。
 衣装デザインをピエール・バルマンというトップデザイナーとしたことも、『恐るべき子供たち』で「パリ・オートクチュール・メゾン」のデザイナーであったクリスチャン・ディオールを使ったジャン・コクトーの影響だったようにも思います。
クリスチャン・ディオール
マリー=フランス ポシュナ 講談社インターナショナル 高橋 洋一 / 講談社





 彼は、『太陽がいっぱい』でアラン・ドロンの強い要望から、主役のフィリップとトムの配役を変更して大成功を収めました。その演出でのヨット上でのトム・リプリーがフィリップを刺殺するシークエンスでのサハラから地中海に吹く熱風による突風のアクシデントも有名な逸話です。それは作品のリアルな成果に結びつけることができたという「予定外の撮影」の逸話としての映画史的な評価を受けるべき撮影でした。
 また、映画史的傑作『禁じられた遊び』も、当初は短編オムニバスの予定であったものを資金オーナーの破産から長編に変えて成功した事例でした。

 ルネ・クレマン監督は、このような逸話には事欠いていないようです。そして、それが何故なのかを手繰っていったとき、彼の映画創作における知恵と工夫は、若い頃に出会ったジャン・コクトーから享受されたもののようなのです。

 ジャン・コクトーは『美女と野獣』で一緒に仕事をしたときから、ルネ・クレマンに対して「Sois toujours pret pour I′accident.(アクシデントには常に身構えておけ。)」
(参考~『巨匠たちの映画術』西村雄一郎著、キネマ旬報社、1999年)
と教えていたそうです。

 『生きる歓び』は、ストーリーそのものがアクシデントの連続であり、アクシデントそのものが主題となっていると言ってもいいような作品です。また、テロリズムを扱ったブラック・ユーモアと絡めているとはいえ、素晴らしくチャーミングな出来映えで完成されています。カンヌ映画祭ではパルム・ドールにノミネートされ、ベスト・セレクション作品として選定されました。

 育児施設で育ったアラン・ドロン演じるユリスはファシスト集団に雇われ、ローマの反ファシスト集団のアナーキスト一家にスパイのようなかたちで潜り込んでしまいます。ところが、そこの家族みんなが魅力的で、善良で親切な人の良い人たちばかりだったので、彼らに気に入られるために自らアナーキズムを支持して、そのテロリストを演じてしまうのです。
 特に、バーバラ・ラス演じる娘フランカがとても愛らしくて、本当に素敵なヒロインを演じています。そして、ルキノ・ヴィスコンティ一家のリナ・モレリ演じる優しいお母さんも、たいへん素敵で優しい役柄で、彼女としては『山猫』のサリーナ公爵夫人とは全く異なった演技でした。名女優とはこれほど変幻自在な演技の表現が出来るものなのかと驚いてしまいます。

 ユリスは屋根裏に引きこもっているカルロ・ピザカーネ演ずるお爺ちゃんを味方につけて、アドバイスを受けます。自分がアナーキストでテロの使命を持っている者だと一家に誤解させ、家族達の尊敬を集める計画です。計画はうまく進み、フランカも態度を変えてユリスを敬愛するようになりました。
 ところが、そんな状況に本物のテロリストが出現してしまいアクシデントの連続となるのです。
 ユリスは、いくらフランカに好かれて家族のみんなに尊敬されても、罪のない人達をテロリズムによる犠牲とすることはできず、そのテロ行為をくい止めるために奔走します。自分がテロリストであることを演じながら、関係のない多くの人々を救うために本物のテロリストの計画を無し崩しにしていくのです。
 最後にはユリスが偽りのテロリストであったこともフランカにわかってしまいますが、ユリスが多くの人々の危険を救ったことで、彼女は彼を愛するようになり二人の恋は成就したのでした。

 ところで、テロリズムの語源は、フランス革命期のロベスピエールの恐怖政治からだそうで、権力者が対立する者を抹殺した場合をテルールと定義したそうです。現在は、権力側が武装抵抗をテロと呼んぶようになっています。正確にはアナーキスト側によるテロを「赤色テロ」、権力側によるテロを「白色テロ」と区別されているようです。この作品で扱われているのは「赤色テロ」といえましょうか。

 この作品で特に印象的なのは、アラン・ドロンが最も得意とする二重人格(性格)というキャラクターが、ここでは元来の彼が持っている明るくて健康的なキャラクターとして演じられていることです。一見矛盾する「二重人格」と「健康的な性格」が、ここでは自然に統一されていきます。
 フランス人の大好きなドタバタ喜劇役者としてのアラン・ドロンもたいへん魅力的です。フランスではジェラール・ウーリー監督のルイ・ドゥ・フュネスやブールヴィルや後のジャン・マリー・ポワレ監督、パトリス・ルコント監督などによって魅力を引きだされたクリスチャン・クラヴィエなどが好まれているようですが、そのようなイメージに近かったのかなと思います。
おかしなおかしな訪問者(字幕)
/ ポニーキャニオン





レ・ブロンゼ~日焼けした連中~【字幕ワイド版】
/ バンダイビジュアル





 ルネ・クレマン監督は、師であったジャン・コクトーの教えである「アクシデントのプラス面への転化」、そして、前作『太陽がいっぱい』と同じくアラン・ドロンを主演とすることで、マイナスの結末を、いかなる行為でプラスの結末に転嫁できるのかという回答を、この作品で主張したのでしょう。
 また、「テロリズム」という行為を題材にしたことで、この作品は、われわれ現代に生きる者たちへの「平和への願い」へのメッセージであるとも解釈できるのではないでしょうか?ここには現代に山積している多くの諸問題を解決するための問いと答えが盛り込まれているような気がします。

 わたしは、特に今を生きる多くの人たちが、この映画を観賞すること望んでしまいます。
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by Tom5k | 2005-12-18 03:04 | 生きる歓び(2) | Comments(20)