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『高校教師』①~アラン・ドロン本人が選んだベスト5作品の一本②~

【<『高校教師』①~アラン・ドロン本人が選んだベスト5作品の一本①~>から続く】

 さて、2007年の段階でアラン・ドロンが選んだベスト5作品ですが、その理由を挙げることが最も難しい作品がこの『高校教師』かもしれません。しかし、1996年の「カイエ・デュ・シネマ」のインタビューで、彼はこの作品について、次のように語っていました。

【>ズルリーニの『高校教師』を再見しました。驚くような作品ですね。
>私もこの映画が大好きなんだ!この作品は偶然の賜物だよ。マストロヤンニが演じるはずだったんだが、スケジュールの調整が出来なかったんだ。私はローマでロージ監督の『暗殺者のメロディ』の撮影中だった。ズルリーニがやって来て、私は彼とは面識があった、彼はヴィスコンティの友人だったからね。それで、シナリオを読んで欲しいと言う訳だ、とても正直に『高校教師』のシナリオはもうマストロヤンニに読んでもらったと話してくれた。監督が自分の作品のシナリオを別の役者に読んでもらったと言うのは珍しいよ。そのシナリオを読んで、私はすぐに彼に電話したよ:「やるよ!」ってね。

>この作品であなたは製作もやられていますね。
>共同制作だったと思う、100%フランス資本じゃなかったと思うが・・・

>この映画は1972年製作で、あなたは5月革命の人物のようです、崩れた教師という感じで・・・
>これは私のお気に入りの一本だね、感動させられたよ。映画を愛する者はこの作品が好きなんだ。ズルリーニのことも好きだったんだ、若死にしたがね、アル中で苦しみ、ボロボロだった・・・理不尽だよ。『タタール人の砂漠』『家族日誌』『鞄を持った女』などの監督作品もあったけど・・・素晴らしい映画作家だった、ヴィスコンティに強く影響を受けていたね。イタリア語題名は"La prima notte di quiete" 安楽の最初の夜、つまり死後のことだね・・・『高校教師』は大好きな作品だったがフランス版は薄められてしまったんだ。リミニ(注:フェリーニ監督の出身地として有名)の隣のイタリア社会を描いたものだがフランスでは受け入れがたい代物だった。それでタイトルを変えざるを得なかった。安楽の最初の夜では何のことだか分らないからね-映画もカットされたんだ。もっと長いオリジナル版を見てほしいね、今回シネマテークで上映しようとしている版だよ。『山猫』のように3時間の上映時間だ。当時は商業的な理由で、国によって映画をカットしていたからね。

>『高校教師』では、いつも同じコート、丸首のセーターを着ていて、無精ひげ姿です。スターのあなたがこうした壊れたような人物を演じるのは賭けではないのでしょうか?
>毎回、私がこうした賭けをやると、大抵理解されないんだ。別の役者なら違うのだろうが、私はダメなんだね。批評家たちは年がら年中こうだ:ドロンはいつも同じ事をやってる、軽機関銃を持った映画だけだ・・・あらゆる観客たちのために私くらい多種多様な映画をやってきた者はいないと思うんだがね。私がギャング映画をやったのは、正に『高校教師』や『パリの灯は遠く』を製作するためなんだ。映画はマッチを擦るように出来るもんじゃない!『真夜中のミラージュ』をやった時も、酷評だったよ:ドロンが酔っ払い役でメソメソ泣く男を演じるなんてとね・・・】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/26
「回想するアラン・ドロン:その9」(インタヴュー和訳)」


 このように、実に興味深い内容がアラン・ドロン本人によって語られています。まず、ヴァレリオ・ズルニーニ監督が映画作家として、アラン・ドロンの師の一人であったルキノ・ヴィスコンティ監督の友人であり、その影響を受けていた演出家であったことが特に印象的です。

 昭和60年代(1980年代半ば)頃になりレンタル・ビデオ店が専門店化した頃、私が中学生のときのテレビ放映以来、久しぶりにこの作品をレンタルして観た時に想起した監督は、ルキノ・ヴィスコンティではなく、『道』(1954年)や『カビリアの夜』(1957年)などの初期のフェデリコ・フェリーニ監督の作品群でした。
 後で知ったことなのですが、案の定、この作品の舞台はフェデリコ・フェリーニ監督の出身地リミニでした。
 また、後年、古本屋で手に入れた1973年9月上旬号のキネマ旬報誌上においても、映画評論家の渡辺祥子は『高校教師』をフェデリコ・フェリーニ監督の『青春群像』(1953年)を踏まえて作られた作品であると解説していました。
【参考 キネマ旬報1973年9月上旬号No.612(「アラン・ドロンと「高校教師」渡辺祥子】

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 30歳代後半からのアラン・ドロンは、「フィルム・ノワール」の硬質で男性的な、ある意味においての硬直したイメージを脱皮しようとしていたのでしょうか?少なくても、彼がそれを強く感じざるを得ない年齢となっていたようには思います。それは彼の俳優としてのプライドだったのかもしれませんし、映画スター・俳優としての彼の苦悩だったのかもしれません。
 映画評論家の淀川長治やジャン・リュック・ゴダール監督も、アラン・ドロンについて、これに類似した指摘内容でコメントしていたことがあったように記憶していますし、人気の低迷していった40歳前後に演じていた彼の作品群からも、このことは良く理解できます。
 更に、彼の今までの共演者達を思い浮かべてみると、それが間違いないことだとわかります。
 例えば、ジャン・ギャバン、バート・ランカスター、アンソニー・クイン、リノ・ヴァンチュラ、チャールズ・ブロンソン、ジャン・ポール・ベルモンド、女優においてさえ、シモーヌ・シニョレ・・・自分が映画スターとして、如何に持て余す容姿であったか・・・このことに最も苦しんでいたことは、アラン・ドロンのファンとして、察して余りあるものがあります。

 そして、アラン・ドロン本人は、『パリの灯は遠く』(1977年)を撮った頃の役づくりについて、次のように述懐しています。

【(-略)『パリの灯は遠く』は、私の顔では、大胆な演技が要求されたのにね。役作りに腐心した人物だったんだ!】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18
「回想するアラン・ドロン:その6」(インタヴュー和訳)」


 そして、この『高校教師』は、見事に自らのハンデキャップを乗り越え、しかも、自らの女性ファンに受け入れられ、更に新たな女性ファンを多く生み出した作品だったと言われています。
 そう考えると、最近の私は、『高校教師』を好きにならない女性は、この世に誰もいないのではないか、とまで思うようになりました。

 さて、今回、私が今一度、この作品を鑑賞して最も強く感じ取れたことのひとつが、彼の演じたダニエル・ドミニチのイノセンスなキャラクターでした。『高校教師』でのアラン・ドロンの魅力の一つとして、女性ファンからよく耳にする母性をくすぐるキャラクターであるという一般論です。
 私は、このことが若い頃には良く理解できなかったのですが、後年、このダニエレ・ドミニチのキャラクターは、『若者のすべて』で彼が演じたロッコ・パロンディの純粋で無垢なキャラクターが進化したものであることに気が付いたのです。それも、ロッコの兄であるシモーネの退廃を加えたより現実的で現代的な人物だと、わたしには感じられるようになりました。

 また、主人公のダニエレ・ドミニチが、実は家柄の高い名門の出身でありながら、退廃的な境遇に身をおとし、貧困な高校教師となっている設定なども、ルキノ・ヴィスコンティの後半期の作品を想い起こさせるものでした。
 そして、非常識な不良教師でありながら、彼の教養の深さは非常に印象的に描写されています。文学の講師として、まず、自己紹介を兼ねた自分の講義の方針を説明する際に、14世紀のイタリアの詩人ペトラルカの詩を例示します。

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 そして、ダニエレ・ドミニチは、受け持ちのクラスでただ一人、彼が生徒達に与えた課題のテーマである18世紀のイタリアの詩人アレッサンドロ・マンゾーニを選び、授業中には、D・H・ローレンスの著作を読んでいるソニア・ペトローヴァが演ずるヴァニーナ・アヴァティに強く興味を示します。そして、彼女と同名のスタンダールの作品「ヴァニナ・ヴァニニ」(1960年に、ロベルト・ロッセリーニが映画化)を彼女を誘う口実に使うのです。

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 彼女とのデートでは、15世紀のイタリア・ルネッサンス期に活躍した画家ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品「出産の聖母」を観せるために、トスカーナのモンテルキまで出かけます。

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 こういったダニエレの趣味は、庶民にとっては縁遠い嗜好かもしれませんが、ヴァレリオ・ズルニーニとアラン・ドロンが、ルキノ・ヴィスコンティ門下生としての影響を色濃く受けた監督・俳優であったからこそ、作品の設定において、高い品格を伴う描写が可能だったのでしょう。ちなみに、マンゾーニは、イタリア統一の時代にヴィスコンティ一家の領地であったミラノから出た上院議員だったそうです。

 また、忘れてはならないのが、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『夏の嵐』(1954年)で主演した往年の名女優アリダ・ヴァリの出演です。この作品で演じた惨めな中年女性の醜さによって、彼女はこれ以降の作品でも醜女としてしかカメラに写ることが出来なくなってしまったとまで思いました。

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 『高校教師』では数分のシークエンスしか出番はありませんが、やはり彼女が演じたヴァニーナ・アヴァティの母親役は悲惨なほどの醜さです。美しい自分の娘の肢体を売りものにして生活している腐臭の漂うよう精神環境を持つ彼女の形相がカメラに収められてしまっています。このことからも、ルキノ・ヴィスコンティ監督の俳優の使い方には、非常に危険な要素が存在していることがわかります。そう考えると、アラン・ドロンがヴィスコンティ一家から離反していったことを少なからず理解できるような気もしてきます。

 更には、この『高校教師』に、過去にアラン・ドロンとともに『若者のすべて』(1960年)に出演していたレナート・サルヴァトーリ、この後、1975年にルキノ・ヴィスコンティ監督の遺作『イノセント』に出演したジャンカルロ・ジャンニーニ、1972年に『ルードウィヒ』に出演したソニア・ペトローヴァが主要な登場人物として出演していることにも、ルキノ・ヴィスコンティ監督とこの作品との不思議な因縁が感じらます。

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 いずれにしても、アラン・ドロンにとっては、

◯作品の設定や主題において、深い教養があるが故に退廃に身を委ねざるを得なかった破滅型の不良教師と、絶望的な過去から解放されることのない少女との純粋でありながら、未来の見えない性愛を、このように見事な「キャラクターの新境地」として、成功させることができたこと。
◯主人公が家柄の高い名門の家柄出身であり、その家族の崩壊後の退廃的な末裔として、主人公の展望の無い人生を描いていることが、師であったルキノ・ヴィスコンティの映画主題を引き継いでいること。
◯ルキノ・ヴィスコンティを最も敬愛していながら、彼と袂を分かつ生き方しか出来なかったアラン・ドロンが、過去にヴィスコンティ一家として活躍したイタリア映画界で、同じ門下のヴァリレオ・ズルニーニ監督とともに(アリダ・ヴァリ、レナート・サルヴァトーリの出演も含めて)『高校教師』の制作に携われたこと。
◯この作品で共演したジャンカルロ・ジャンニーニやソニア・ペトローヴァが、その後、ルキノ・ヴィスコンティ監督の作品に出演できる逸材であったこと。

などから、自分の出演した作品のベスト5として挙げたことは当然であったと考えられます。
 そして、私は、いつものことながら、そんなアラン・ドロンの作品に大きな拍手を惜しみなく贈りたくなってしまうのでした。
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by Tom5k | 2016-11-12 00:06 | 高校教師(2) | Comments(0)

『山猫』②~敗北のプロットしか描けなかったヴィスコンティの一貫性、アラン・ドロンの師への想い~

【サイードの本は、死後ロンドンの新聞に出て、『新潮』に訳載されもした論文を柱としています。(-中略-)
 シチリアの貴族の最後の思いを、生涯一編だけの長編小説に残したラペンドゥーサ。その『山猫』を、貴族趣味のかぎりをつくして映画化した(死ぬまで共産主義者でもあった)ヴィスコンティ監督。両者の間に、「後期のスタイル」の発想を生んだアドルノと、シチリアをふくむイタリア南部に近代化がもたらす貧困を、獄中で予想したグラムシを置く。それも興味深い細部を繰り返しながら語るサイード。】
【引用 『「伝える言葉」プラス』大江健三郎著、朝日新聞社、2006年】

「伝える言葉」プラス

大江 健三郎 / 朝日新聞社



 ノーベル賞作家の大江健三郎氏が、エドワード・W・サイードの著作『晩年のスタイル(On Late Style(Pantheon Books))』を読んだときの読後感です。

 パレスチナ系アメリカ人の文学者、音楽家、思想家であったエドワード・W・サイードは大江健三郎とも交友関係にあり、音楽家ではリヒャルト・シュトラウス、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、アルノルト・シェーンベルグ、文学者ではトーマス・マン、ジャン・ジュネ、トマージ・ディ・ランペドゥーサ、政治家ではアントニオ・グラムシ、思想家・音楽家であったテオドール・ルートヴィヒ・ヴィーゼングルント=アドルノ、そして舞台演出家・映画監督ではルキノ・ヴィスコンティなどにこだわり著作活動を続けてもいたようです。

 特に、イタリア共産党のリーダーであったアントニオ・グラムシからのトマージ・ディ・ランペドゥーサとルキノ・ヴィスコンティへの影響力については強く言及しており、イタリア共産党としては当然の事だったとはいえ、アントニオ・グラムシがイタリアの国家統一と各地域の分析から、北部の労働運動や南北イタリアの経済格差などに着眼していたことなどに関心を寄せていたそうなのです。
 しかしながら、そこで論及されていた南部問題が、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画、トマージ・ディ・ランペドゥーサの小説である『山猫』においては、有効なものとしての実現にまでには至っていないと批判を加えているそうです。

晩年のスタイル

エドワード W.サイード / 岩波書店



 いずれにしても、わたしが最も驚いたことは、大江健三郎氏がルキノ・ヴィスコンティ監督を
>(死ぬまで共産主義者でもあった)
と規定していることなのです。

 それというのも、わたしは、彼が『山猫』以降に自身の帰属していた貴族社会を描くようになっていったことが、コミュニズムから転向してしまったからであると思い込んでいたからなのです。
 もちろん、彼が首尾一貫して広くヒューマニズムを透徹していったことは、間違いのないことだったと確信しています。

 そして、例えば、ジャン・ピエール・メルヴィルは、
【>N あなたは右派なのですか】
とのインタビュアー、ルイ・ノゲイラの問いに
【>M (-略)哲学的に言えば、私の世間における立場はひどく無政府主義的(アナーキスト)だ。極めて個人主義者なんだよ。実を言うと私は右派でも左派でもありたくないのさ。だが、確かに右派のように生きている。私は右派のアナーキストなんだ(-中略-)
 当然ながら、左派は美徳と同義だという観念を私の心から消し去ったのは、ソヴィエト・ロシアだ。三十年前、私の政治的な理想とは、もちろん社会主義だったのさ。あの当時、私は確かに共産主義者だった。その後、一九三九年八月二十三日以来、一気に共産主義にうんざりしたんだ。(-中略-)スターリンが、一九三九年八月二十三日に、戦争が起こりつつあることを宣言したのさ・・・・ポーランド分割についてドイツと意見の一致をみた日だ。あの日、私の共産主義-社会主義-は大打撃を食らったんだ。それから、私はシベリアの収容所のことを考え始めた。その存在は戦前に知られていたんだが-ナチの大量虐殺の強制収容所の存在はまだ知られていなかったがね-あの収容所はレーニンの社会主義の一部だったんだ・・・。その時、私は転向したのさ。(略-)】
【引用~『サムライ ジャン・ピエール・メルヴィルの映画人生』ルイ・ノゲイラ著、井上真希訳、晶文社、2003年】

と自身の転向の経緯を語っています。

 そして、ルネ・クレマンにおいては、
【私はいかなる党にも属していないし、いかなる政治家にもくみしない。だからといって私が政治的に無関心な人間だというわけではない。なぜなら、もし私が政治を無視していようと、どっちみち、政治のほうで我々を無視してはくれないのだから。(略-)
(ルネ・クレマン 談)】

【前作の『パリは燃えているか』(66)ではクレマンはド・ゴール派に転向したかなどといわれたが、実は彼の初期の作品『鉄路の闘い』(45)、『海の牙』(46)が公開されたころ、日本では彼がコミュニストであるというのが定説になっていた。(-中略-)そのリアリズムのきびしさから、当時史上最大の労働争議を行っていた東宝の組合員たちにもクレマンの存在はかなり神格化されていたようだし、そういうところから、いつの間にか共産党員だというレッテルを貼られていたのかもしれない。】
【引用 『海外の映画作家たち 創作の秘密(フランス編 ルネ・クレマン)』田山力哉著、ダヴィッド社、1971年】


 元来、彼はコミュニストではなかったと言われていますし、しかし、進歩的な思想の持ち主であることは間違いなかったといわれてもいました。
 ですから、『パリは燃えているか』を撮ったときには、戦後の矛盾を抱えたフランス共和党やアメリカ合衆国への単なる迎合であると、誤解され批判的に受け取られても仕方がなかったかもしれません。
 また、1960年代以降に制作していったサスペンス作品群は、世評では商業主義に堕落したと言われ、透徹したリアリズム描写の衰え、芸術家の堕落として批判されていきました。


 更にジョセフ・ロージーに至っては、
【>JL そもそも私が『暗殺者のメロディ』を撮るなど全く思いも寄らないことだった。私が共産主義者だったのはスターリンが崇拝されていた頃であって、まだその偶像が堕ちる前のことだ。(-中略-)しかもその頃の私はまだ若く“洗脳”とも呼べる方法でいったん吹き込まれてしまった思想を後になって拭い去るのは非常に難しい時期にあった。(-中略-)
 不意に気づかされたのは、私がスターリン主義者だった間、いかに自分が他の大切な知識や経験から隔絶してしまっていたかということだった。あの頃の私はスターリン主義に凝り固まってしまっていて、僅かでもトロツキー主義の傾向にあるものはすべからく間違いだと決めてかかっていた。そういう考えこそ、明らかに、スターリン主義にしろ他のいかなる教義や主義にしろ最も悪い側面だったのに。しかし私はもうすでに人間として成長しており、自分なりの視点を確立していた。すなわち、物事は何でもそのものの本来の価値によって評価されなければならず、よしんば集団で行動を起こすにしろ、やはり一人ひとりが個人としての判断、評価を下さなければならない、という考えに至っていたのだ。(略-)】
【引用 『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』ミシェル シマン著、中田秀夫・志水 賢訳、日本テレビ放送網、1996年】

と『暗殺者のメロディ』でトロツキーを主人公とした作品を撮るに当たって、自己批判した経緯を語っています。


 また、1968年の五月革命以降、中国革命の毛沢東に傾倒し、商業映画を否定して「ジガ・ヴェルトフ集団」という政治的なアジテーション映画の製作集団を結成し、コミュニズムを徹底していったジャン・リュック・ゴダールでさえ、1980年には『勝手に逃げろ/人生』で、商業映画に復帰します。
 そして、後年、「ジガ・ヴェルトフ集団」の時代は、自分でも、泳ぎ方を覚えずに海に飛び込んだようなものだったと述懐しているほどです。
【「中国女」に取りかかるとき、彼はまったく政治的な映画をとりという新しい体験に緊張していた。というのは、彼自身の政治的な武装が、不充分なままに、敵にむかっていくのだと、みずから知っていたからでである。】
【引用 『現代映画芸術』岩崎昶著、岩波新書、1971年】

 自らの思想・信条、特にコミュニズムのような誤解の多いイデオロギーを、映画作家として生涯に渉って貫いていくことが、如何に困難なことなのか、そのことはアラン・ドロンにゆかりのあった巨匠たちにさえ簡単なことではなかったのです。


であれば、ルキノ・ヴィスコンティが、本当に
>(死ぬまで共産主義者でもあった)
こと、これは、アラン・ドロンが、師と仰ぐ巨匠たちのなかでも、最も徹底した生き様であり、驚くべきことであり、余程の強い信念を以て生き抜いた人物だったと評価してしかるべきでしょう。

 想えば、ルキノ・ヴィスコンティが語った

【「揺れる大地」と「若者のすべて」に続いて第三部をなす「人民のたたかい」を描いた映画を作りたい。しかも、最初の作品が敗北の物語であり、二番目が半ば敗北の物語であったのに反し、こんどは人民の力を確認させるような、勝利の物語を描きたい。】
【引用 「世界の映画作家4 フェデリコ・フェリーニ ルキノ・ヴィスコンティ編」キネマ旬報社】

には、将来にむけての映画創作における不退転の決意が表明されていたのかもしれません。わたしが理解していたように、後年の彼の作品の特徴がその挫折から変遷したという解釈は、再考を要するところに至ってしまいました。

 しかしながら、『山猫』以降に、実際に彼が人民の勝利を直接的に映画で描けたことはありませんでしたし、現代映画において、典型的な無産階級を演ずる資質と才能を備え、最も可愛がっていた青年俳優アラン・ドロンは、その役割を放棄してハリウッドに渡ってしまうことになります。

 それに加えて、彼の映画創作のセオリーは、自ら染み込んだ遺伝子ともいえる貴族階級としてのものでしたから、未来の社会での人民の勝利に対するイメージが貧困で、貴族階級の敗北の歴史的必然と同様に、常に敗北と挫折のテーマでしか映画表現が出来なかったと、わたしは考えます。

 彼の芸術性の高い映像表現は別としても、その主題においては、映画『山猫』で描いたように共和主義者たちと妥協しながら、生き永らえざるを得ない、極論するならば、絶滅に向かっていくまでの貴族階級のロマンティズムやヒューマニズム、その美学などに限られてしまう描写に留まらざるを得なかったとまで考えられます。

 ルキノ・ヴィスコンティは、良く言えば聡明な生き方を上手に選んでいた反面、自らの階級に対して実直で、愚鈍なほど誠実であったともいえましょうし、悪く言えばその階級としての潜在意識から、新しい時代に来るべき人民の勝利する時代へと脱皮するためのイメージを持ち得なかったとも考えられます。

 繰り返すことになりますが、わたしは今の今まで、『山猫』以降の作品は、あくまでも思想的に転向したルキノ・ヴィスコンティの創作活動であると解釈していました。もちろん、それは単純に労働者階級を裏切るような意味のものではなく、前述したジャン・ピエール・メルヴィルやジョセフ・ロージーと同様に、時代的な必然における転向、すなわちコミュニズムから出発し、やがてヒューマニズムを拡大していく手法を採るようになったと考えていたのです。

 この考えは、わたしのブログの盟友であるオカピーさんとも同じ意見でした。
 【オカピーさんのブログ記事『プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]』 映画評「若者のすべて」

 何故、大江健三郎氏は、ルキノ・ヴィスコンティを
>(死ぬまで共産主義者でもあった)
と解釈しているのでしょうか?

 考えてみれば、彼は「ネオ・リアリズモ」の体系で映画を創作していた頃、彼の愛する労働者階級の物語を、

『揺れる大地』において、
>最初の作品が敗北の物語であり・・・

『若者のすべて』において、
>二番目が半ば敗北の物語であった・・・

と自ら主張した映画表現を総括しました。

だからこそ
>こんどは人民の力を確認させるような、勝利の物語を描きたい。
と願っていたのだと思います。

 前述したように、彼が貴族階級の絶滅の遺伝子を刷り込まれていることを踏まえれば、敗北という硬直したテーマからしか、リアリズムやドラマトゥルギーを創り出せなかったことは、無理なからぬことだったと察します。
 それは、この『山猫』や『家族の肖像』においても顕著です。
【参考 オカピーさんのブログ記事『プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]』 映画評「山猫」


 であれば・・・生涯を賭けて自分自身に誠実にありながら、念願の労働者階級の勝利を描く実践は、その手法として単純で直接的な表現ではなかったことは否めません。
 恐らく、彼のロジックとして、現行の支配階級の敗残を表現することが、逆に労働者階級の勝利を描くこととイコールであるという脈絡に行き着いていったのかもしれないと、わたしには思えてきたのです。

 ドイツ三部作の第一作目『地獄に堕ちた勇者ども』での資本家階級の敗残の様子が、残虐と悲惨を極めていることを思い出せばそれは明らかです。

 その敗北の表現は、人民の辿るプロセスを『揺れる大地』や『若者のすべて』で、労働者階級の「無念」そして「郷愁」としてはかなく美しく、また、『山猫』以降、自らの貴族階級の敗北を「絢爛」や「美学」としてエレガンスに描写していったこととは、全く異なるものであったように思うのです。

 資本家階級の破滅が、侮蔑すべき堕落した階級として必然であることを、彼の激しい憎悪と激昂の限り渾身の力をこめて、その末路を描写した作品であったように感じます。
 それが、すなわち人民の勝利であることと同じことだとするレトリックであるなら、この『地獄に堕ちた勇者ども』こそ、『揺れる大地』と『若者のすべて』に続く、第三部「人民のたたかい」として人民の力を確認させるような、人民の勝利の物語として完成させた作品であったのかもしれません。
 わたしは、そう考えたとき、何だか背筋が凍り付きそうな気持ちになりました。

地獄に堕ちた勇者ども

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 このように考えると、ルキノ・ヴィスコンティとアラン・ドロンとが決別に至った理由のひとつとしても、彼のアラン・ドロンに対する憤りが、自らの私情におけるものとは異なっていたようにも思えてきます。

 もしかしたら彼は、アラン・ドロンの実業家(資本家階級)への転身が人民への裏切りだったと解釈し、そのことに対して憤慨していたのかもしれません。
 そう、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』で、フィリップ・グリーンリーフになりすましたトム・リプリーに対しての、あるいはジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『悪魔のようなあなた』で、ジョルジュ・カンポになりすましたピエール・ラグランジェに対しての憤りであると例えれば、分かり易いでしょうか。

 このことは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の祖母アニエス・ヴァルダ監督が、映画『百一夜』において、アラン・ドロン登場のシークエンスで、師であったルキノ・ヴィスコンティに抱く複雑な心情を、『山猫』のポスターやルキノ・ヴィスコンティの写真の前で立ち留まるショットにおいて演じさせています。
 ここでは、「ネオ・リアリズモ」の歴史的傑作であるヴィットリオ・デ・シーカ監督の『自転車泥棒』の比喩としてのワン・ショットのインサートによる先鋭的なカメラ・アイもショッキングでした。

 このアラン・ドロン批判とも受け取れるアニエス・ヴァルダの演出は、実はルキノ・ヴィスコンティの代弁だったのではないだろうかと、わたしは今になって想い返してしまうのです。

【「揺れる大地」と「若者のすべて」に続いて第三部をなす「人民のたたかい」を描いた映画を作りたい。しかも、最初の作品が敗北の物語であり、二番目が半ば敗北の物語であったのに反し、こんどは人民の力を確認させるような、勝利の物語を描きたい。】

 ルキノ・ヴィスコンティは、アラン・ドロンに、それを演じさせたかったのかもしれません。
 しかしながら、アラン・ドロンの立場に立ったとき、それでは、あまりにも一方的であるとわたしは感じます。ですから、彼の言い分も理解しようと思っているのです。

 後年、共産主義国家である中華人民共和国でのマーケットにおいて、アラン・ドロンがプロデューサーとして発言した内容に、わたしはそれを感じ取ることができました。
【>アラン・ドロン
(-略)中国には8年前に行った:7億人が『ゾロ』を見てくれたんだ!『復讐のビッグガン』を持って行ってね、『若者のすべて』じゃなかった。(略-)】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/27 「回想するアラン・ドロン:最終回(インタヴュー和訳)」

 このように、共産主義国家の中華人民共和国であっても、映画のニーズとしては、『若者のすべて』が本質的に理解されることが困難だったのです。・・・しかも前述したように、師であったジャン・ピエール・メルヴィル、ジョセフ・ロージー・・・そして、ジャン・リュック・ゴダールのような巨匠たちでさえ、
>(死ぬまで共産主義者でもあった)
ことが極めて困難、あるいは不可能であったわけですから、アラン・ドロンにそれを求めることは、いささか酷なことであり、彼がルキノ・ヴィスコンティの教示に答えることが出来なくても、それは無理のないことのようにも思っているわけです。


【(-略)役者を始めた頃は、私は「ハンサムな間抜け」だった。その後は何かを見出さなくてはならなかったんだ・・・(略-)】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/21 「回想するアラン・ドロン:その7(インタヴュー和訳)」

 ところが、「ハンサムな間抜け」と自らを卑下しながらも、ルキノ・ヴィスコンティ一家を去って、それでもなお、彼は後年において、人民の勝利像を演じている作品があるのです。

 それは、もう一人の師であったルネ・クレマン監督が演出している作品でした。
 そう『パリは燃えているか』です。

 ルネ・クレマン監督は、アラン・ドロンのキャラクターを含めて、『若者のすべて』の設定を前向きに編成し直して『生きる歓び』を制作したように思います。これをスタート・アップとし、やがてフランス人が誇るレジスタンス運動の勝利を人民の歓喜としてまで到達させたていった作品が『パリは燃えているか』だったと、わたしは考えるのです。


 もちろん、その二作品はコミュニズムの勝利に最も接近して人民の勝利を描いているとはいえ、ルキノ・ヴィスコンティの目指していた階級としてのコミュニズムの勝利からは逸れていると一般的には解釈されてしまうでしょう。
 結果的には、悪の枢軸国ナチス・ドイツに対する共和主義の範囲における人民の勝利として、すなわち大きな社会矛盾を抱えたド・ゴール主義の勝利でしかない作品として、「ヌーヴェル・ヴァーグ」諸派や左派系の映画人たちの一般的な批判にくみせざるをえない作品であったように思います。

 【ルキノ・ヴィスコンティ】                    【ルネ・クレマン】
 『若者のすべて』(半ば敗北) → → (勝利への端緒) 『生きる歓び』
  ↓                                 ↓
 『地獄に堕ちた勇者ども』                  『パリは燃えているか』
 (資本家の敗北                         (ナチズム・ファシズムの敗北
  =人民(コミュニズム)の勝利)                =人民(レジスタンス)の勝利)
(※歴史実としてはナチスの台頭・・・戦後は、巨大な
  工業コングロマリット「ティッセンクルップ」の誕生と
  なってしまっていますが・・・)

 だからといって、この作品は本当にイデオロギーとしての妥協の産物だったのでしょうか?

 実はわたしは、それは違うと思っています。
 何故なら、

【コミュニストだろうと、ド・ゴール派だろうと。私にはすべてレジスタンスの同志であった。私の会ったこの時代の責任者の人たちはすべて、彼ら同士お互いによく理解しあっていた。どちらが主導権を握るかで若干のアツレキがあったにせよ・・・・
(ルネ・クレマン 談)】
【引用 『海外の映画作家たち 創作の秘密(フランス編 ルネ・クレマン)』田山力哉著、ダヴィッド社、1971年】

 このルネ・クレマンの発言に、すれ違い決裂してしまったルキノ・ヴィスコンティとアラン・ドロンの師弟関係を再生して繋いでみることが、わたしにはイメージできるからなのです。

【>今年は大統領選挙の年ですが、きっと応援を頼まれるのではないですか?どの候補を応援する予定ですか?
>アラン・ドロン
応援するつもりはないね。私が右翼派だと皆知ってるだろう。共和党の女性リーダーの考えは信念の枠を飛び抜けているという気もするがね。右翼派の女性たちはセゴレーヌ・ロワイヤルを支持するね・・・まあどうなるかは分らないが。私は自分の信念を保持するよ、それに躊躇いはないから・・・】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/5/30 「ドロンが語る「マディソン郡の橋」その2」(インタヴュー和訳)」

 いわんをや、『山猫』で、アラン・ドロンが演じた主人公タンクレディは、同じ貴族階級の娘ではなく、クラウディア・カルディナーレが扮した新興のブルジョアジーの娘であるアンジェリカと結婚して家庭を築いていく新しい時代に生まれた王党派の共和主義者でした。


 これらのことを踏まえれば、アニエス・ヴァルダ監督の作品『百一夜』で、ルキノ・ヴィスコンティの写真や作品ポスターを見つめるアラン・ドロンの複雑な眼差しを理解することは、それほど困難なことではないでしょう。

 そして、わたしは、「ハンサムな間抜け」と自覚しながらも、師であったルキノ・ヴィスコンティの教示に答えようとして、レジスタンス運動の指導者、第三共和政の幕僚ジャック・シャバン・デルマスをルネ・クレマン監督の下で一生懸命に必死に演じているアラン・ドロンの心情を察すると涙が止まらなくなってしまいます。

 そして、アラン・ドロンに心からの万感の拍手を贈りたくなってしまうのです。
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by Tom5k | 2011-02-05 18:24 | 山猫(2) | Comments(7)

『若者のすべて』③~『揺れる大地-海の挿話-』その「ネオ・リアリズモ」としての第二部~

 1940年代当時のイタリア共産党は、イタリア南部の経済的困窮の実態を描くことを目的としたドキュメンタリーの制作を、自らの政治キャンペーンとして、映画監督ルキノ・ヴィスコンティに委嘱しました。彼は第二次世界大戦中のイタリア・レジスタンス運動に参加した経験を持っていたことなどからも、コミュニズム(共産主義)の信奉者であったため、その作品を、『揺れる大地-海の挿話-』として演出することになったのです。

 ルキノ・ヴィスコンティは後年、1940年代後半期の「ネオ・リアリズモ」運動の衰退に対する苛立ちから、この当時の映画情勢の安易な妥協を批判して、この運動の本来の姿を再興させたいという情熱的な取組みを意図していたと述懐しています。

 それに加えて、19世紀後半のイタリアの南部と北部の経済格差の問題、統一イタリアの矛盾を描いていった「ヴェリズモ(真実主義)」という文学運動を師事していたこともあり、イタリア南部の貧困を描くドキュメンタリー作品として委嘱されていたこの題材を、その運動の代表作家であったジョヴァンニ・ヴェルガが著した『マラヴォリア家の人々』をモチーフとして制作し、上映時間160分の大巨編として完成させたのでした。

マラヴォリヤ家の人びと

ジョヴァンニ ヴェルガ / みすず書房


 このように、リアリズム作品『揺れる大地-海の挿話-』の背景には、劇的なドラマトゥルギーの要素を根底に据えた彼の文学的資質の基盤もあったわけなのです。
 1948年制作のこの作品と比較しながら、1960年制作の同系作品の『若者のすべて』を鑑賞してみると、更に劇的なドラマトゥルギーが強調されており、この2作品が制作された12年の間にも彼の「ネオ・リアリズモ」作品の制作手法に大きな変遷があったことがわかります。

 その間に制作された『夏の嵐』(1954年)や『白夜』(1957年)は、そのメロドラマ性から「ネオ・リアリズモ」ではないとの批判にさらされていたわけですが、『若者のすべて』にも主人公の兄弟が一人の女性を巡って三角関係となるというメロドラマ的要素の特徴が顕著に表現されています。

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 また、ルキノ・ヴィスコンティは、ここでは「ネオ・リアリズモ」の作家としての立場で、南部移民の居住している低所得者アパートメント、ボクシング・ジムなど環境描写の特徴を、ありのままの現実的な景観で表現していますが、『揺れる大地-海の挿話-』と比較すると、映画の感傷や解釈を観客に委ねてはおらず、リアリティとは無縁な劇的ドラマトゥルギーの要素を意図的に強調したシークエンスが多い作品となっています。

 1960年代初めにおいては、まだ一般的ではなかったレイプ事件や殺人事件などの犯罪行為を扱っていることなども、下層階級の貧困な生活における象徴的プロットであるのか否か、賛否の両論は発生し得るようにも思えます。登場人物たちの生活の困窮が遠因となって、それらが起きたにしろ、当時の犯罪件数のデータからいえば、これほどの極端な暴力行為を強調しなくても、作品の内容が平坦になる恐れはなかったはずです。

 更に、主人公ナディア(アニー・ジラルド)とロッコ(アラン・ドロン)の悲劇的運命を世界最大級のゴシック建築であるミラノの大聖堂を舞台にした高所撮影によって表現したあの有名なシークエンスも、環境描写としては寸分の歪曲もなく表現されていますが、、荘厳悲壮な恋愛劇の展開としてドラマティックに成立させていて、イタリア南部から移住してきた者たちの困窮した生活でのリアリティのみを強調しているわけではないのです。

 また、主人公ロッコ・パロンディのキャラクターがあまりにも朴訥で前近代的であることは、以前に別記事『若者のすべて』②~オリーブの樹が繁る月が明るい虹の故郷(くに)~でアップした内容のとおりですし、『揺れる大地-海の挿話-』と異なり、主人公がプロボクシングという特殊な世界で生きていくというプロットも、労働者階級の生活感覚には欠ける設定であったようにも感じます。

 このように『若者のすべて』は、リアリズム作品でありながら、ドラマトゥルギーとしての劇的要素が、その構成として採り入れられています。つまり、観る側に主体的な選択肢を委ねられておらず、むしろ感情移入が促される結果となってしまうのです。
 もちろん、わたしは、このことに違和感を持つことはありませんし、映画におけるメロドラマ性の否定も全く不要なものだと思っています。

 当然のことながら、イタリア北部の大都会ミラノ市での失業率、悲惨な労働環境の状況などをプロットとし、現代イタリアの典型的な社会矛盾を問題の基本に据えた作品であることも紛れもない事実です。同時に、低所得層の住民が失業者住宅に入居できるという当該市当局の福祉事業が完備されていたことまでもが正確に描写されており、その背景の描き方に限れば、ドキュメンタリーに近い描写とまで言えましょう。

 この作品は間違いなく、『揺れる大地-海の挿話-』の系譜に位置する「ネオ・リアリズモ」の傑作大巨編として評価されるべき作品なのです。

 登場人物の設定においても、パロンディ家の母親ロザリア(カティナ・パクシノウ)、長男ヴィンチェンツォ(スピロス・フォーカス)、四男チーロ(マックス・カルティエール)、五男ルーカ(ロッコ・ヴィドラッツ)が、典型的で平均的な南部からの移住者として描かれていることからも観る側の現実感が喚起されますし、次男のシモーネ(レナート・サルヴァトーリ)にしても、孤立して自閉的になり、転落した人生を生きる人物として、この現代社会には必ず発生してしまう存在です。
 シモーネの起こした痴情のもつれによるレイプ行為や殺害事件なども、現在の日本では日常の新聞紙面上では珍しいことではなくなっており、ルキノ・ヴィスコンティの先見性には、確かに感じ入ってしまうところです。

 何より、土地という生産手段を奪われた農業従事者が、大都市において未熟練労働者にならざるを得ない様子が描かれています。その主題の表現に着眼すれば、『揺れる大地-海の挿話-』よりも更に時代の進行を汲み取っている先鋭的な作品であるとまで評価できるかもしれません。

 更に、わたしは、大聖堂ドオゥーモでのロッコとナディア(アニー・ジラルド)の悲劇的シークエンスでも、そこでの多くの観光客を偽らずに描写しており、ルキノ・ヴィスコンティのリアリズム作家としてのこだわりも強く感じました。

 これらのような意味から考えれば、実在したプロボクサーをモデルにして主人公ロッコ・パロンディを描けば、更にこの作品のリアリティが増幅し、より説得力のある作品になったようにも思います。

 ところで、映画における俳優の在り方において、1920年代の旧ソ連時代における「社会主義リアリズム」の映画作家たちは、登場人物の細かい性格描写を省き、素人のみのモンタージュだけで、それを模索していったのですが、例えば、セルゲイ・エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』は、当時採用された配役登用の理論として、「スター・システム」や「俳優の演技」を重視せず、映画の題材に最もふさわしいキャラクターを、その「タイプ・型」で配置する手法として確立させた作品でした。
戦艦ポチョムキン
/ アイ・ヴィー・シー





【ヴィスコンティはシチリア東海岸の小さな港で六ヶ月間仕事をした。彼はその地で大役も端役も、あらゆる俳優を募集した。彼らは本ものの労働者たちである。彼らが実生活におけるように、緩慢に、重々しく演ずるのを見て、人は彼らが彼ら自身の運命を演じていることを知るのだ。そしてまた彼らはヴィスコンティが貧しい人間たちの言葉だと言ったシチリアの方言のままで話すのである。】
【引用 「海外の映画作家たち 創作の秘密」田山力哉著】
海外の映画作家たち・創作の秘密 (1971年)
田山 力哉 / / ダヴィッド社





 『揺れる大地-海の挿話-』は、モンタージュ等の編集における技術のみの作品とは言えず、地元漁師を起用したとはいえ、彼らを演技者として大きく重視したものでしたが、素人俳優の起用などの点はエイゼンシュテインの手法に酷似しています。

 ルキノ・ヴィスコンティは、登場人物たちに、ロケ先のシチリア島アーチ・トレッツァの地元民である漁師や近郊の女たちや煉瓦職人や卸し商人を使い、
【どんないい役者を使っても、シチリア漁民のもつ真実味(リアリティ)や素朴さを表現することは出来なかったろう】
と『揺れる大地-海の挿話-』のリアリズムの成功を確信していますが、同時に
【けれどもこれは一般論であって、すぐに例外が脳裏に浮かんでくる。たとえばアンナ・マニャーニが演じている<無防備都市>のような・・・・・だからこうときめつけるのは大へん危険だということは承知しているが・・・・・】
とも述懐しています。
【引用 「ルキノ・ヴィスコンティ ある貴族の生涯」モニカ・スターリング著、上村達夫訳】
ルキーノ・ヴィスコンティ―ある貴族の生涯 (1982年)
/ 平凡社





 これらの言葉から思い浮かんでしまうのは、モスクワ芸術座の舞台監督および俳優でもあったコンスタンチン・スタニスラフスキーが発案した俳優養成の体系「スタニスラフスキー・システム」です。これは配役に俳優の内面を同一化させて、紋切り型の大げさな演技からの脱皮を図り、舞台作品におけるリアリティ表現を目指した演技の訓練体系をシステム化させたものです。
 これは、元来、舞台俳優の養成を目的にして開発された技術ですが、後年、アメリカの映画俳優の養成メソッドの研修機関として設置された「ニューヨーク・アクターズ・スタジオ」の芸術監督、運営責任者であったリー・ストラスバーグによって、多くのハリウッド・スターに適用されました。
 そこからは、マーロン・ブランド、ジェームス・ディーン、ジェーン・フォンダ、マリリン・モンロー、アル・パチーノ、ポール・ニューマン、ロバート・デ・ニーロ、ジャック・ニコルソン、スティーブ・マックイーンなど、個性的な演技を身に着けた多くのスターが輩出されています。

 ルキノ・ヴィスコンティが、『若者のすべて』をアラン・ドロン、レナート・サルヴァトーリ、アニー・ジラルド、クラウディア・カルディナーレ等の出演、すなわち「スター・システム」に則って制作したのは、直近前二作品『夏の嵐』や『白夜』が、「ネオ・リアリズモ」からは逸脱した作品であったにしろ、既にアリダ・バッリやマリア・シェル、マルチェロ・マストロヤンニなどのスター俳優を起用した経験があったからでしょう。
 特に、アラン・ドロンの起用においては、彼独特の個性を強く反映させたために、この系統の作品としては希有な特徴を持つことになったように思います。

 更に、ルキノ・ヴィスコンティは、自らの興味を惹く映画作品、自分の映画について、「シネマ・アンスロポモーフィック(擬人映画)」と言い表しており、次のように語っています。
【(-略)監督としての私の課題のうちでもっとも情熱を抱いているのは、俳優相手の仕事だ。新しい現実と芸術の現実を生み出す人間像は、俳優という生身の素材を使ってつくり出される。私は俳優の素質を、映画の構成のなかにふりわけていき、俳優としての人間と登場人物としての人間が、ある瞬間、ひとりの人物に溶け合うようなところまでもっていく。ほんとうに問題になるのは、俳優たちが、具体的に根源的にその本質にたくわえているものを利用することなのだ。最終的に俳優たちに自分の本音の言葉をしゃべらせるようやってみることだ。(-中略-)むき出しの背景の前におかれた俳優たちの真の人間性のデータを発見できれば、壁の前でさえ映画をつくることができよう(「チネマ」43年9月25日、10月25日号)】
【引用 「ヴィスコンティ集成」フィルム・アート社編】
ヴィスコンティ集成―退廃の美しさに彩られた孤独の肖像
/ フィルムアート社





 この俳優理論は、「スタニスラフスキー・システム」と同様に出演者に演技をさせるために実に有効で、かつ柔軟な考え方であると思います。何故なら、それはメロドラマであってもリアリズム作品であっても、出演者が、素人、演劇出身の俳優、スター俳優・・・であっても、同様の効果を生み出すものであるように思うからです。

 これらのことを踏まえると、既に『太陽がいっぱい』で、当時のフランス映画界のリアリズム演出の第一人者であったルネ・クレマンに、厳しい演技指導を受けていたスター俳優アラン・ドロンの『若者のすべて』での主役としての起用は、「ネオ・リアリズモ」作品の体系に反するものではなく、むしろその表現に有効であり、更にそれ以外の多くの付加価値を生み出す効果も絶大であったようにまで思うわけです。


 『揺れる大地』の「-海の挿話-」というサブタイトルは、その後に2作品「農夫編」と「炭坑夫編」を連作として加える予定だったために、その「漁夫編」であることを表しているそうです。

 この作品におけるルキノ・ヴィスコンティの情熱的な取組みも、イタリア共産党の資金援助額があまりに僅かだったことと、グァリーニ・イタリア・フィルム社からの契約破棄など・・・それは、ようやく完成させた一作目で頓挫するより外になかった製作環境にあったわけですが、「農夫編」「炭坑夫編」を何とか完成させたうえで『若者のすべて』の制作に着手してほしかったことも、わたしの正直な感想のひとつです。
 恐らく、イタリア南部の経済的困窮のドキュメンタリー・シリーズから、「ヴェリズモ(真実主義)」の文学運動を発展させた「ネオ・リアリズモ」シリーズへと、ルキノ・ヴィスコンティ自身の内部で改変していったのでしょうが、現実のイタリア社会の矛盾を三側面から描写し切ったうえで、その第二部『若者のすべて』に橋渡しをすれば、より完成度が高いライフワークになったような気がするのです。

 更に、この次の第三部目の作品を完成することも、ルキノ・ヴィスコンティの強い想いのひとつであったようですが、これには、極めて困難な道程が多かったのでしょう。映画史に残る多くの傑作を輩出しながらもその完結作品は彼の生涯において、結局は生み出すことは出来ませんでした。

 このように、ルキノ・ヴィスコンティのコミュニズム(共産主義)の最終的な指標は、結果的には果たされはしませんでしたが、わたしは、『山猫』以降においての自ら出身の貴族階級を舞台にしたヒューマニスト(人道主義者)としての自己改変も一人の映画作家の重要で価値ある映画史実として位置付けられるべきものだと強く確信しています。


【「揺れる大地」と「若者のすべて」に続いて第三部をなす「人民のたたかい」を描いた映画を作りたい。しかも、最初の作品が敗北の物語であり、二番目が半ば敗北の物語であったのに反し、こんどは人民の力を確認させるような、勝利の物語を描きたい。
(ルキノ・ヴィスコンティ)】
【引用 「世界の映画作家4 フェデリコ・フェリーニ ルキノ・ヴィスコンティ編」キネマ旬報社】
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by Tom5k | 2009-12-13 18:44 | 若者のすべて(3) | Comments(11)

『若者のすべて』②~オリーブの樹が繁る月が明るい虹の故郷(くに)~

 映画評論家のベラ・バラージュによれば、「対象が観者と無関係に、それ自身にもっている客観的な観相である。(-中略-)その輪郭が観者の視覚によって、つまり画面の遠近法によって規程される観相である。両者はまったくひとつに統一されて画面にあらわれるので、よく訓練された目だけが、これらの構成要素を識別できる。」
として、観る側の作品主人公への精神的同一化が起こるとしています。
【引用~ 『映画の理論』ベラ・バラージュ著、佐々木基一訳、学芸書林、1970年】
映画の理論
ベラ バラージュ Bela Balazs 佐々木 基一 / 學藝書林






 つまり、ある対象の本来備わっている姿と、映像技術などによっての表現力とが、観客を映画そのもに同化させるわけなのです。

 ルキノ・ヴィスコンティ監督がアラン・ドロンを初めて観たときに、当時の彼が原案を練っていた『若者のすべて』の主人公ロッコに会えたと驚愕したそうです。それほどまでに、アラン・ドロンとロッコ・パロンディには共通のキャラクターが存在していたということなのでしょう。

 しかし、アラン・ドロンが、『若者のすべて』のロッコ・パロンディのようなイノセントなキャラクターを演じたことは数少なく、彼の後年のファンにおいては、この作品で演じたロッコ・パロンディに違和感を憶えるという意見も少なくありません。

 更に興味深いのは、イタリアのトリノの労働組合でテキストとして使用されたこの作品に対する最も多かった感想が、主人公ロッコ・パロンディに対する批判の集中であったことです。
「トリノでは『若者のすべて』をテキストに、労働者たちの討論会が行われた。そこで一様にロッコへの非難が集中したという。ロッコはシモーネに暴力をふるわれっぱなしで我慢がならない、あるいは、ナディアに対してロッコは曖昧なことを言い、ごまかしている・・・」
【引用~『退廃の美しさに彩られた孤独の肖像 ヴィスコンティ集成』フィルム・アート社、1981年】

「この映画以後ドロンは一躍、国際的なスターとなって、劇場側が歓迎するぺてん師やギャング役を演じる映画に次々と出演した。したがってロッコを演ずる彼を見ていない人には、ヴィスコンティの厳しい指導に耐えて彼がこの役で演じ切った、ほとんど輝くばかりの愚直さと、悲哀と、しんの強さを想像するのはむずかしいかもしれない。」
【引用~『ルキーノ・ヴィスコンティある貴族の生涯』モニカ・スターリング著、上村達雄訳、平凡社、1982年】

ルキーノ・ヴィスコンティ―ある貴族の生涯 (1982年)

平凡社



 これらのことから、アラン・ドロンが演じたロッコ・パロンディのキャラクターには、「主人公への精神的同一化」が起こりえない一側面があることは、否定しきれないように思います。

 何故なのでしょうか?

 マックス・カルティエール演ずる四男のチーロが、ラスト・シークエンスで言っています。
「ロッコは聖者だ。でもわれわれの住んでいる世界には、ロッコのような聖者のいる場所はないんだ。」

 ルキノ・ヴィスコンティ監督はトリノの労働者たちのロッコへの批判に対して、
「ロッコは兄シモーネに対して罪悪感を持っている。このことは忘れたくない。彼は自分が悪いことをしていると確信しているのだ。」
と答えたそうです。
【引用~『退廃の美しさに彩られた孤独の肖像 ヴィスコンティ集成』フィルム・アート社、1981年】
ヴィスコンティ集成―退廃の美しさに彩られた孤独の肖像
/ フィルムアート社




 ロッコは、宗教(イタリアの場合はカトリック)からも解放されていません。レナート・サルヴァトーリが演じている兄シモーネに対する彼の罪悪感は、そんなところからも生まれているのではないでしょうか?

「神様を悪く言うのは、おやめよ。」
 カティナ・パクシノウ演ずる母親ロザリアに対してのロッコの絶叫です。

 逆に、人間というのは罪悪感にさいなまれると、多かれ少なかれロッコのように聖人化することもあるのかもしれません・・・。

「(-略-)ジョヴァンニ・テストーリの『ギルファ橋』の三つの短編から材料を採り入れることにした。(-中略-)当時は新人作家で-恩寵と個人の救済の問題にとり憑かれたカソリック教徒として、その強固な宗教的分別を社会的問題に当てはめて文章を書いていた。」
【引用~『ルキーノ・ヴィスコンティある貴族の生涯』モニカ・スターリング著、上村達雄訳、平凡社、1982年】


 また、この作品はドストエフスキーの「白痴」をモチーフにした作品であることから、その主人公ムイシュキン公爵がモデルのひとつであったとも言われています。
白痴 (上・下巻)
ドストエフスキー 木村 浩 / 新潮社





「(-略-)ドストエフスキーの『白痴』のなかで「白痴的」なムイシュキン公爵の性格のりりしさに関する部分や、ムイシュキン、ロゴージン、ナスターシャの入り組んだ人間関係、ロゴージンのナスターシャ殺害に至る経緯などの部分にも影響を受けた。」
【引用~『ルキーノ・ヴィスコンティある貴族の生涯』モニカ・スターリング著、上村達雄訳、平凡社、1982年】

 労働者たちの批判、現代の標準的な映画ファンの印象、チーロのセリフ、キャラクターのモデルなどからも理解できるように、ロッコのキャラクターは、資本主義的生産様式を採っている現代の社会には、存在し得ないものだと言えましょう。恐らくそれは、現代では生きながらえることの出来なかった過去の封建社会にのみ存在したものなのかもしれません。
 わたしは20世紀初頭の実存主義哲学者ニーチェの、あの有名な「神は死んだ」という言葉を思い出してしまいました。
ツァラトゥストラはこう言った 上・下 岩波文庫 青 639
ニーチェ / / 岩波書店





 もっと突き詰めれば、アラン・ドロンが18、19世紀に存在していたと仮定するならば、彼はロッコ・パロンディと同一の個性であったような気もするのです。
 いずれにしても、この現代社会に生きる我々が、『若者のすべて』を何度観ても、映画スターであるアラン・ドロンに感情移入することは可能であっても、主人公ロッコ・パロンディに対してのそれは不可能なことなのかもしれません。


 ただ唯一、彼に感情移入できるシークエンスが、ボクシングの祝勝会での展開においてのみ、表現されていたようには思います。恐らく、ロッコが現代の矛盾を背負うことにようやく慣れてきたことからなのだろうと思いました。同時に、この段階での聖人ロッコの精神環境は、既にボロ雑巾のようにズタズタに引き裂かれていたはずです(このシークエンスの後には更なる悲劇が待ちかまえているわけですが・・・)。
 だからこそ、我々現代人がようやく理解できるキャラクターへと変貌しつつあるようにも感じるわけです。

 故郷への想いがロッコの口から出ます。
「いつかは、今すぐにでないにしても、俺は故郷(くに)へ帰りたいんだ・・・でも帰れるかどうかはわからないが・・・。とても無理だろう。俺には・・・でも俺たちのうちのひとりは、故郷(くに)へ帰らなくちゃいけない・・・ルーカ、おまえかもしれない。
忘れるなよルーカ、あれが俺たちの故郷(くに)だ・・・オリーブの樹が繁り、月が明るすぎて気が変になるくらいの土地だ・・・虹の故郷(くに)だ。」
 ロッコは、ロッコ・ヴィドラッツ演ずる末っ子のルーカに故郷への想いを託しているのです。
【引用~『ルキーノ・ヴィスコンティある貴族の生涯』モニカ・スターリング著、上村達雄訳、平凡社、1982年】

《オリーブの樹が繁る月が明るい虹の故郷(くに)》
 なんてノスタルジーを想い起こさせるセリフなのでしょう。

 故郷に心を残して、いつかは帰れることを一番望んでいるロッコ。わたしはとても心が痛いのです。彼の願いは、現代の多くの人々の共感を得ることのできる言葉ではないでしょうか?誰もが、ロッコの故郷に帰りたい気持ちを良く理解できるように思います。生産手段を持たない者たちはどんな形態であれ、故郷を奪われていきます。
 そして、その故郷と言われる場所にずっと居住していた者ですら、時代というものに故郷が奪われていかざるを得ないように思うのです。
 現代社会においては、故郷など思い出のなかにしか残らないものなのかもしれません。そして、ロッコの想いも虚構でしかないのです。


 それにしても、貴族出身であるにも関わらず、ルキノ・ヴィスコンティ監督は、どうして無産階級の様子をこんなに上手に演出することが出来るのでしょうか?

 彼は戦時中には、ファシスト政権の監視下におかれながらも、「反ファシスト被害者救済委員会」というレジスタンス運動に身を投じていた闘士であったそうです。1944年にはファシスト警察に逮捕されます。しかし彼は拷問と獄中の酷い生活で飢餓状態におかれていたにも関わらず、仲間を売るようなことはせず、むしろ非常に傲岸な貴族の威厳をちらつかせて、警官たちを見下した態度を取っていたそうです。
 それが原因となってファシストたちの怒りを買い、銃殺刑を宣告されてしまいます。連合軍によるローマ解放の前日に脱出に成功しなければ、ヴィスコンティは銃殺され、その後の功績は生まれなかったことになります。
【参考~『海外の映画作家たち 創作の秘密』田山力哉著、ダヴィッド社、1971年】

 戦後、イタリアの映画人によって、戦争の悲惨を徹底的に暴き出していった「ネオ・リアリズモ」の映画潮流は、ルキノ・ヴィスコンティだけではなく、ロベルト・ロッセリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカ、ピトロ・ジェルミ、ルイジ・ザンパ、ジュゼッペ・デ・サンティス、アルベルト・ラットゥアーダ等々、多くの映画人も一般民衆とともにファシズムと闘った体験を持ったことで、形づくられていった体系であったのでしょう。

 これらの経験が彼の才能の一部になっているとはいうものの、映画を観る側の生活実感までを掘り起こせる演出力は、確たる思想・信条の裏付けを土台として、映画制作への想像力と情熱に全力を傾けていたからこそ実現できたのだと思います。このことは、敢えて言うまでもないことなのかもしれませんが、凄いことだと思います。

 彼の「ネオ・リアリズモ」の特徴が最も典型的で、卓越した集大成として描かれているのが、『揺れる大地-海の挿話-』と、この『若者のすべて』であることは一般的な見解です。
 現在でも根本的に解決されていないイタリアの南北問題に、いち早くメスを入れていた19世紀後半のヴェリズモ(真実主義)という文学運動の代表的作家ジョヴァンニ・ヴェルガは、イタリア南部における慣習や生活、人々の感性までをもルポルタージュしていきました。
 この『若者のすべて』や『揺れる大地』も、彼がジョヴァンニ・ヴェルガの『マラヴォーリア家の人びと』から着想を得たものだそうです。
マラヴォリヤ家の人びと
ジョヴァンニ ヴェルガ / / みすず書房




 そして、彼は『揺れる大地-海の挿話-』の制作に関わって、
「私のテーマは『シチリアのプロレタリアよ、団結せよ』ということにあった」
と語っており、
揺れる大地 海の挿話
/ 紀伊國屋書店





 『若者のすべて』が公序良俗に反する部分があるとして、イタリア検察当局が裁判に訴えたときにも、彼は法廷において、自身の思想がイタリア共産党の創始者であるグラムシの思想と一致すると明言したそうです。
【参考~(『海外の映画作家たち 創作の秘密』田山力哉著、ダヴィッド社、1971年)(『ルキーノ・ヴィスコンティある貴族の生涯』モニカ・スターリング著、上村達雄訳、平凡社、1982年)】
海外の映画作家たち・創作の秘密 (1971年)
田山 力哉 / / ダヴィッド社




ルキーノ・ヴィスコンティ―ある貴族の生涯 (1982年)
/ 平凡社





 ルキノ・ヴィスコンティは、「赤い公爵」と呼ばれていたように、貴族階級であったにも関わらず、自身が共産主義者であることを明言していたのでした。

 思えば自分の祖先である貴族を滅びさせた者たちは、新興のブルジョアジーでした。
 新興のブルジョアジーに対する憎しみは、彼の潜在意識にすり込まれたものであったのかもしれません。
 彼らへの侮蔑と復讐願望は、『山猫』でのドン・カルジェロや『地獄に堕ちた勇者ども』への新興ブルジョアジーの没落・崩壊などの描き方によく表されています。
地獄に堕ちた勇者ども
ダーク・ボガード / / ワーナー・ホーム・ビデオ





 そういう意味では、ルキノ・ヴィスコンティにとっての敵(ブルジョアジー)の敵(ブルジョアジーを敵としている無産階級、すなわち未熟練労働者)は味方であったのかもしれません。未熟練労働者に対する親近感や愛情、限りない優しい感情が発生していった理由は、そこにあったのではないでしょうか?
 そして、そのように考えていくと、まさにそういった無産階級をシンボライズしているようなキャラクターであるアラン・ドロンという俳優を寵愛した彼の感情を、非常によく理解することができるような気がするのです。



 ロッコは、スピロス・フォーカス演ずる兄ヴィンチェンツォに語りかけます。
「憶えているかい、ヴィンチェ兄さん・・・憶えているかい、棟梁が家を建て始める時のことを・・・いちばんはじめに来かかった通行人の影に向かって石を投げたっけね」

 ルーカが不思議そうに聞き返します。
「どうして?」

 母親のロザリアは涙を流しています。

「家をがっちりと建てるためには、犠牲がなければならないからさ」
とロッコ。

 悲しい比喩です。
 チーロのクローズアップの視線を追うカメラで、シモーネのボクサー時代の写真にパンするショットに、彼が現代社会の「犠牲」のシンボルであることが表現されています。

 わたしの世代は、親の世代が日本の高度成長を担った世代です。身近な親戚や親の知り合いを探せば、シモーネほどではないにしても、ばくちが好きだったり、女性にはまったりして、家庭がうまくいかなくなったり、身を持ち崩したりした者が必ず存在するはずです。
 そういう意味では、わたくしはシモーネに対して同情的にならざるを得ません。現代では多かれ少なかれ、シモーネのような人間が創り出されてしまうものであるような気もするからです。

 シモーネが、チーロに罵倒されるシークエンスでは、彼が末っ子のルーカを、思わず抱きしめてしまうシーンがあります。そのときのシモーネの悲しそうな表情を、わたしは忘れてはならないと思うのです。
 彼のキャラクターは、本人の責任と社会の責任の両面から考えていくと、実に微妙な人間であるような気がしてしまうのでした。


 また日本の映画作家においても、明治期の日本の女工哀史、山本薩夫監督の『あゝ野麦峠』、山田洋二監督の『息子』『学校』、今村昌平監督の『にっぽん昆虫記』、浦山桐郎監督の『キューポラのある街』なども、わたくしの好きな作品ですが、これらはまるで『若者のすべて』と共通のモチーフによって制作されているようにも思います。
息子
三國連太郎 / / 松竹





学校
西田敏行 / / 松竹





にっぽん昆虫記
左幸子 / / ジェネオン エンタテインメント





キューポラのある街
吉永小百合 / / 日活





 そして、今井正、黒澤明、大島渚、熊井啓、新藤兼人・・・・らの作品群。
 エイゼンシュタインが「現代の芸術である映画芸術においては、必ず資本主義を描いていなければならない」と主張していたことを思い出します。

 『若者のすべて』は誰もが、あらゆる多くの映画作品のうちでも極めて優れたドラマ性を見出すことが容易な作品です。ベラ・バラージュが論述しているように、「ドラマトゥルギーとしての古典、すなわち人間観が劇的な境遇のなかで変化し没落破滅していく過程を描きながらも、実はそれらが成長し、高揚していく様子に転換されていく要素」が表現されているからなのかもしれません。

 わたしたちが今、自国に《美しい国》を望むことと同様に、いつの日にかパロンディ一家が《オリーブの樹が繁る月が明るい虹の故郷(くに)》を、取り戻せることを願わずにはいられないのです。
美しい国へ
安倍 晋三 / / 文藝春秋






美しい日本の私―その序説
川端 康成 / / 講談社






【映画においては、すべての人間の言いぶんが正しい。 (ジャン・ルノワール)】
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by Tom5k | 2007-03-13 01:13 | 若者のすべて(3) | Comments(21)

『若者のすべて』①~赤い公爵 ヴィスコンティ~

 資本主義的生産様式は、最終的に労働力を商品とする社会です。そして、プロレタリアートが労働力の売り手を見つけることを可能とするこの生産様式の歴史的段階では、強力な「貨幣と商品の循環」の状態が制度化されていなければなりません。
 貨幣が生まれるためには、それほどの多くの「貨幣と商品の循環」は必要ではありません。しかし、資本が生まれるためには、この「貨幣と商品の循環」がすでに整備されていなければならず、そこでは、労働力を売り買いするための市場が強く必要とされます。
 資本を集め、積み重ねていく商品経済の支配者であるブルジョアジーは商品を生産するために、必要な全ての生産手段を所有しています。工場、機械、土地、原材料等、そして、労働力を有するプロレタリアート。

 そして、プロレタリアートも元来は農民、農業生産者でした。土地や家畜を持っていました。肥料や道具を持っていました。しかし、土地は収奪され、生産者としての生産手段を奪われます。多くの農民は、この『若者のすべて』という作品で描かれているように、戦後のイタリアの南北経済格差の問題の渦中においてのパロンディ一家のように、農民という直接生産者から、労働力を売って賃金を得なければならないプロレタリアートにならざるをえませんでした。
 こうなれば、ブルジョアジーはより有利にプロレタリアートを雇用することができます。無数の人々が、パロンディ一家のように生産手段から力づくで引き離され、労働力の売り手として労働市場に放り出されます。その収奪はもう取り返しが不可能なほど徹底せざるをえません。

「いつかは、今すぐにでないにしても、俺は故郷(くに)へ帰りたいんだ・・・でも帰れるかどうかはわからないが・・・。とても無理だろう。俺には・・・でも俺たちのうちのひとりは、故郷(くに)へ帰らなくちゃいけない・・・ルーカ、おまえかもしれない。
忘れるなよルーカ、あれが俺たちの故郷(くに)だ・・・オリーブの樹が繁り、月が明るすぎて気が変になるくらいの土地だ・・・虹の故郷(くに)だ。」

 このように、アラン・ドロン演ずるロッコがいくら故郷を懐かしみ、いつか兄弟の誰かが帰らなければならないと願っても、生産手段を奪われた農民にはもう故郷など無いのです。
資本論 1 (1)
マルクス エンゲルス 向坂 逸郎 / 岩波書店





 しかるに、プロレタリアートは自由です。農民と異なって、自分の労働力を売ることも自由であり、生産手段である土地、自らが縛り付けられていた土地からも自由です。

 カティナ・パクシノウが演じたパロンディ家の母ロザーリアは、南部での農業をやめて、ミラノに来て「マダム」と言われることが、とてもうれしかったと語っています。
「街の人がわたしのことを“奥さん”て呼んでくれた“奥さん”てね こんな大きな街でだよ 息子たちが立派だから・・・」

 プロレタリアートの自由は、この二つの自由です。

 ですが、すべての生産物はそれを直接に生産したプロレタリアートのものではなく、すべての生産手段を所有しているブルジョアジーのものです。
 ドイツの経済学者カール・マルクスは、大著『資本論』のなかで、「資本の本源的蓄積」について、労働力を譲り渡して生活しなければならないプロレタリアートが、常に搾取されていくシステムを、理論として証明しました。ブルジョアジーは「G-V-G′」つまり、「貨幣-商品-より多くの貨幣」の循環から利潤、すなわち「剰余価値」を生み出します。そのため、この拡大する貨幣をストックし、資本へと蓄積していくために、ブルジョアジーはプロレタリアートを搾取し続けていかなければなりません。

 そして、プロレタリアートは、人間としての自由をわずかに持ってはいますが、己の生活を完全には保障されてはいません。いつなんどき、路頭に迷い、人間的な尊厳まで、捨てて生きていかなければならなくなってもおかしくないのです。

 特に、カール・マルクスは、『資本論』第7篇「資本の蓄積過程」第23章「資本主義的蓄積の一般的法則」で、「相対的過剰人口の最下層の沈滓(おり)」について、論述しています。
 その第3節では、生産力の発達が消費財の生産を増加させ、それが労働力の人口を増大を招くとしました。機械の改良による労働の単純化が成人プロレタリアートの失業と女子・児童労働の雇用増大となって現われ、人口が増加傾向となり「相対的過剰人口」、すなわち「産業予備軍」が形成されると分析しました。パロンディ家も、5人の息子を持つ大家族です。

 そして、第4節で「相対的過剰人口」のさまざまな実存形態を分析し、「受救貧民」の言葉で零落者やルンペン、労働無能力者のことを指摘しました。分業による転業の能力がないために没落したり、プロレタリアートの標準年齢を超えている人々が発生し、資本の蓄積による貧困の蓄積を条件づける結果となることやブルジョアジーによる富の蓄積についての対極において、プロレタリア階級には「貧困、労働苦、奴隷状態、無知、野蛮化、および道徳的堕落の蓄積」が発生してしまうことを指摘しました。

 この作品では、これにレナート・サルヴァトーリが演じた二男のシモーネが該当します。シモーネは単なる弱い駄目な悪い人間ではなく、資本主義的生産様式によって必ず生み出される「産業予備軍」、そして、そこから創出されざるをえない「相対的過剰人口の最下層の沈滓(おり)」だといえます。シモーネという人物の発生は資本主義的生産様式による必然なのでしょう。

 そして、ルキノ・ヴィスコンティ監督の描いたロッコ・パロンディの罪悪感は、カール・マルクスの名著『ドイツ・イデオロギー』で論述されている「フォイエルバッハに関するテーゼ」によって方向付けられた「史的唯物史観」によるものなのでしょうか?

 人間の罪悪感が生み出す人間の聖人化は、悲劇しか生み出しません。すなわち、ヴィスコンティの意図的な演出のなかでのロッコの生き方は、コミュニズムにおける宗教批判にも繋がっていると思われるのです。ロッコの生き方そのものが聖人化しており、それは全ての悲劇を招き入れました。それが何に起因するのかはラストシーンのクライマックス、シモーネが殺人を犯して帰ってきたとき、母ロザーリアが絶望して神を否定するシーンに表現されれいます。ロッコが、そのとき母に言い放った言葉は

「神様を悪く言うのはおやめよ!」

でした。
 プロレタリアートの拠り所は宗教にさえもないのです。いいえ、むしろ、それは「宗教からの解放」の必要性さえ訴えかけているようです。

ドイツ・イデオロギー 新編輯版 岩波文庫
廣松 渉 マルクス エンゲルス / 岩波書店





 かつての支配階級の「貴族」の末裔である【赤い公爵「ヴィスコンティ」】が、先鋭的なコミュニストとして、映画芸術において、社会改革者の先兵たることを選択していた決意は誰もが読み取ることだと思います。
 しかしながら、資本主義的生産様式によるシステムの次に来たるべき経済システムが、カール・マルクスが唱え、多くのコミュニストたちが唱えていたように「計画経済」なる生産様式だったのでしょうか!?

 残念というべきなのでしょうか?多くの悲惨を抱えたプロレタリアートを救済するはずだったコミュニズムは、あまりにも多くの失敗を、歴史において露呈してしまったといわざるをえません。


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若者のすべて オリジナル・サウンドトラック盤、音楽・指揮:ニーノ・ロータ、歌:エリオ・マウロ
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by Tom5k | 2005-08-20 17:22 | 若者のすべて(3) | Comments(13)

『山猫』①~映画においては、すべての人間の言いぶんが正しい mimiさんとの対談から ~

 わたしはルキノ・ヴィスコンティ監督の映画における知性は、彼が若いころにジャン・ルノワール監督の助監督をしていた時代の影響が大きかったのではないかと推測しています。ルノワール作品『ゲームの規則』には
「映画においては、すべての人間の言いぶんが正しい。」
とのセリフがあり、これはヴィスコンティ作品の悲劇の土台となっている思想ではないかと思われるのです。「が正しい」という言葉を「を認める」と読み替えるとよくわかります。

ゲームの規則
/ 紀伊國屋書店





 彼の作品は、新興ブルジョアジーの台頭による貴族階級の崩壊、無産階級の悲惨、ホモ・セクシュアル、近親相姦、自由恋愛など、あらゆる矛盾や俗悪にあえて寛容であったように思え、そのためにすべての作品が悲劇的なストーリーになっているように思えるのです。

 しかし、その寛容さは同時に、彼の映画人としてのしたたかさにも通じていると思われます。『若者のすべて』は、政治的な圧力からベネチア映画祭グランプリを受賞することができなかったと聞きました。当時、イタリアの戦後復興の時代には、「ネオ・リアリズモ」の潮流が自国イタリアのイメージ・ダウンにつながる恐れがありました。イタリア当局の政治的圧力によって、その映画潮流は急速に衰えざるをえなかったのでしょう。
 『山猫』の前作である『若者のすべて』が製作された頃は、正にそういった時代でした。このことは、彼に大きな衝撃を与え、その後の進むべき道は別な選択に成らざるをえなかったのではないでしょうか?

 そして、彼が選択した道、それは自己自身、つまり貴族階級を描くことだったのです。

 それがこの『山猫』です。更に、ここで特記すべきはこの作品のキャスティングです。サーカスの出身者で、ハリウッドになじめず独立プロダクションを起こしていたアメリカ俳優の異端児バート・ランカスター、『若者のすべて』のロッコや『太陽がいっぱい』のトム・リプリーなどで社会の貧困層を演じたアラン・ドロン、『刑事』や『鞄を持った女』『ブーベの恋人』で社会の底辺を生きる女性を演じることが似合っていたクラウディア・カルディナーレを、貴族や新興ブルジョアジーの有産階級の主役に抜擢したことです。これは常識的に考えれば、すべてミスキャストです。
バート・ランカスター―不屈のタフガイ・スター
梶原 和男 根岸邦明 / 芳賀書店





刑事

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 ルキノ・ヴィスコンティ監督がリアリズム作家といわれている理由はどんなに細かいセット・衣装・装飾品等でもすみずみにまで本物を使用するからです。

 何故、このような配役でこのような作品を完成させたのでしょうか?

 彼は当時「赤い公爵」と呼ばれ、貴族の末裔でありながら、コミュニストでした。基本的に無産階級の人間と有産階級の人間に違いなどないという思想が彼の信条であったわけです。

 彼は貴族階級を描くことで、イタリア当局と「ネオ・リアリズモ」の確執の時代に敢えて逆らわず、しかし、その貴族の配役に最下層を生きる役柄の似合う俳優たちを起用したことで、もしかしたら、コミュニストとしての思想・信条を転向しなかったのか・・・???
 作品の内容も貴族と平民の婚姻を物語の中心に据えています。彼はこの作品で当時の自分の周囲の矛盾を一気に解決しようと試みたのか・・・???

 その真実を突き止めるには熟考を要するでしょうが、少なくても、これらのことには彼が若い頃に影響を受けたジャン・ルノワール監督の
「映画においては、すべての人間の言いぶんが正しい。」
という思想が全うされているとは思うのです。

 そして、この作品でのバート・ランカスター、アラン・ドロンは貴族階級に、クラウディア・カルディナーレは振興ブルジョアジーに、わたしには彼らが本当の有産階級の人物にしか見えませんでした。
【参考~ 『ヨーロッパ映画(イタリア映画 ヴィスコンティ作品の貴族と民衆)』 佐藤忠男著、株式会社第三文明社、1992年】

 『山猫』はニーノ・ロータの悲愴、壮麗な旋律の音楽から始まります。
 1860年8月、イタリアシチリア島の雄大な山脈の麓に毅然と構えるサリーナ公爵家の豪邸。白いカーテンが激しい山風に舞い揚がり、時代の変革期に翻弄される公爵一家の避けられない運命を暗示しているようです。
 イタリア動乱の中、公爵は相変わらず、平穏な姿勢で家族を慰めます。

 公爵の甥タンクレディが共和軍に義勇兵として参戦することにより、しばらく間の別れを告げるために公爵家を訪れます。その時の公爵との会話は仲の良い父と子のようで、タンクレディの愛嬌のある笑顔が本当に素晴らしい。サリーナ公爵の彼への眼差しが愛情と期待を表現していて、ほほえましいかぎりです。
 そして、タンクレディの出発を一家で送り出す場面、公爵令嬢コンチェッタが愛するタンクレディに抱える不安と淡い期待、すべてニーノ・ロータの音楽に織り込まれています。タンクレディの出発の場面はそれだけでひとつの作品のようです。ルキノ・ヴィスコンティ監督の舞台演出としての第1幕だと思います。

 タンクレディとアンジェリカの出会うシーンは、歴代の文豪たちが描いてきたのと同様に、貴族の日常の社交場に設定されています。紳士と淑女たちは社交の辞を交わし、談笑しています。

「今、娘が参ります。」
 新興ブルジョアジーのドン・カルジェロが不馴れな様子で貴族たちに軽蔑、嘲笑されながら誇らしげに言い、輝かしくばかりの美しいアンジェリカが登場します。賑わいの社交場の突然の静寂。衆目がアンジェリカに集中し、タンクレディの視線もまた、その美しさに吸い込まれるように釘付けになります。

 しかし、ルキノ・ヴィスコンティ監督のアンジェリカの描き方には実に厳しいものがあります。タンクレディの品のないジョークにいつまでも笑い続けて周囲を白けさせたり、指をなめて上目づかいで公爵を見たり、舌なめづりをしたり、監督のブルジョアジーに対する軽蔑は、愛すべきアンジェリカの描き方にさえシビアに表れ、彼女の品位の欠落が貴族と平民の間の距離感と価値観の差を感じさせます。

 もっとも、アンジェリカの無垢な美しさを上手に表現していることでもわかるように、階級による偏見を持たずに本物の美しさを見抜く眼力もやはり、彼の美への意識が本質的なものであることは言うまでもありません。真に美しいものに対する人間の感受性は同じで、映画でもアンジェリカのその美しさは地位、富、名声などすべてを得ることになります。

 それにしてもコンチェッタは気の毒です。
 わたしには、貴族社会の崩壊を、コンチェッタの失恋によって象徴的に描いたことが印象的です。このような時代の変換期でなければ、タンクレディとコンチェッタはとてもお似合いの素敵なカップルで、生涯円満で平和な家庭を築いていったはずだからです。

 しかし、貴族の地位や名誉がブルジョアジーに譲り渡される方法が、革命によるものではなく、タンクレディとアンジェリカのロマンスに昇華させていることに、ルキノ・ヴィスコンティ監督の寛容な知性を感じます。そして、ニーノ・ロータやヴェルディの素晴らしい音楽がタンクレディとアンジェリカの若さ溢れる、美しいふたりにぴったりのイメージを創り上げています。
ロータ:映画音楽集「道」「山猫
ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団 ニーノ・ロータ ムーティ(リカルド) / ソニーミュージックエンタテインメント



 サリーナ家に訪れた準男爵シュヴァレーは、公爵に上院議員の話を持ちかけます。このとき公爵は「シチリア人は豊かさよりも、誇りを選んで貧困に耐える。」と言い放ちます。これも心に響く言葉です。「変わるものなど何もない。変わっても良くはなるまい」と公爵は答えます。どんな革命や改革、選挙等によっても人間社会には限界があるということなのでしょう。

 「山猫と獅子は退き、ハイエナと羊の時代が来る。そのだれもが己れを「地の塩」だと信じている。」という公爵の呟きは、誰もが「地の塩」にはなりえないという意味でしょう。つまり、そう思っているのは自分たちだけであって、本当に「地の塩」と呼べる階級は存在しないという虚無感からのセリフです。

 舞踏会も終わり、愛し合うタンクレディとアンジェリカが公爵の馬車での帰宅途中、暁の静寂を破った共和軍処刑の銃声の響きと同時に、ドン・カルジェロが安心した表情で「これから安泰だ。」と呟きます。アンジェリカはタンクレディに額に口づけされ、彼に寄り添っています。タンクレディに愛され、守られ、満足そうな表情のアンジェリカ。彼らが運命を共にする新時代の主人公になったことが伝えられる場面です。

 思えば、サリーナ公爵一行が馬車でドンナフガータの夏の別荘へと出かけるシーンで、共和軍が一家を検問し、差し止める場面があり、タンクレディは強引にそこを通らせますが、恐らく彼は共和派と貴族の相違を敏感に感じたのではないでしょうか?後にイタリア正規軍に入隊しなおした大きな理由のひとつとなったエピソードだと思います。

ヴェルディ:椿姫 全曲
コトルバス(イレアナ) バイエルン国立歌劇場合唱団 ユングビルト(ヘレーナ) マラグー(ステファニア) ミルンズ(シェリル) ドミンゴ(プラシド) バイエルン国立管弦楽団 ヴェルディ クライバー(カル) / ユニバーサルクラシック





 ドンナフガータの公爵一行の歓迎場面では「われらジプシー女」を市の楽団が演奏します。教会への行列入場には「アーマミ・アルフレードーわたしを愛してー」が奏でられます。

 公爵にとっては、タンクレディから議員になることを告げられたことは、溺愛の甥が貴族の誇りを棄てたようにも思えたはずです。貴族の新しいスタイルでの存続を共和主義の精神に、屈辱ではあっても納得し、寛容に受け入れ、いや、むしろ時代の理想を生きようとしていたタンクレディを真から愛し、新しい時代を尊ぼうとしていたサリーナ公爵とコンチェッタにとっては新時代への挫折・絶望・哀しみだけが残った結末だったかもしれません。

 このようにルキノ・ヴィスコンティ監督の自己矛盾の解消は根本的な解決方法にはなり得なかったのかもしれません。でも、「赤い公爵ヴィスコンティ」の下層市民への愛情と期待はこの作品の随所に感じられます。
 ピローネ神父が下層の貧しい人たちに対して「領主たちと我々は価値観が全く違う。」という説明をする場面は、彼が貴族に対する理解を下層市民に求めていたようにも感じられました。そして、ブルジョアジーとはいえアンジェリカの母親が小作農出身の娘であることとしたことからも下層市民に対する愛情を感じ取ることができるように思います。

 ラスト・シーンの公爵の呟きは、映画の正確なシナリオでは

「星よ、我が忠実な星よ。お前はいつになったら約束してくれるのか。こんなひと夜かぎりではない約束を。お前の永遠に不変の胸にいつ私を迎えてくれるのか。この愚かさと流血から遠く逃れて」

です。
 死の床に苦しむ人に祈祷を捧げ、その魂を解放するために神父が公爵の横を通り過ぎることで、彼の死の世界への憧れと流血と暴力の現実への嫌悪を表現したものなのかもしれません。


= 注 =
このレビューは、わたくしトム(Tom5k)の友人であるmimiさんとの対談をまとめたものです。

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山猫 オリジナル・サウンドトラック盤、音楽:ニーノ・ロータ
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by Tom5k | 2005-02-26 23:46 | 山猫(2) | Comments(24)