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『地下室のメロディー』⑤~「アラン・ドロン」の原型、ギャバンとの邂逅とアメリカ映画への野心② ~

【<『地下室のメロディー』⑤~「アラン・ドロン」の原型、ギャバンとの邂逅とアメリカ映画への野心① ~>から続く】

 『面の皮をはげ』でのジャン・ギャバンには、過去にジュリアン・デュヴィヴィエやマルセル・カルネが演出した逃亡する脱走兵や前科者など、逃亡者の典型的なキャラクターからの脱皮が試みられています。
 犯罪者である過去があり、それをひた隠しにしている主人公の設定までは同様なのですが、彼は現在でもギャング組織のボスとして君臨し、キャバレー、カジノ、映画館の経営者など、実業家としての地位を築くことにも成功しています。更に、資産家の妻を持ち、過去に決別した仲間の息子を引き取り弁護士として立派に育てあげています。
 彼がこのような分裂した人格の主人公を演じていることは珍しいのではないでしょうか?

 しかし、敵方のギャングとの抗争がメディアの恰好の的となって、隠していた自分の過去が世間に明るみになり、これが原因となって、現在の地位・名誉に加え、大切な家族すら失い、そして、最期には警察の銃弾を受け非業の死を迎えてしまうのです。

 ここでのジャン・ギャバンは、世間から身を隠している犯罪者ではあるものの、過去の作品の逃亡者とは異なり、第二全盛期を迎える『現金に手を出すな』以降の「フレンチ・フィルム・ノワール」で演じ続けたギャング組織のボスの貫禄を十分に備えることに成功しています。

 彼は、自分自身の戦前・戦後の各全盛期の橋渡しをするとともに、犯罪者と実業家の二面性を持った主人公のキャラクターを演じたことをもって、戦後世代のアラン・ドロンへの映画史的バトン・タッチのきっかけとなる非常に重要な作品を生み出したように思います。
 この主人公の設定及びそのプロットは、ジョゼ・ジョヴァンニ監督の『ブーメランのように』(1976年)に、あまりにも似通っているような気がします。ジョゼ・ジョヴァンニは、この作品からかなり大きな影響を受けているのではないでしょうか?

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 そして、1953年の『現金に手を出すな』から、1962年の『地下室のメロディー』までの10年間にジャン・ギャバンは、多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品、例えば、『その顔をかせ』(1954年)、『筋金を入れろ』(同年)、『赤い灯をつけるな』(1957年)、『Le cave se rebiffe(親分は反抗する)』(1961年)などでギャング組織のボスを演じ続け、そのキャラクターは大スターの風格とともに定着していきました。

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【>当時の作品を何本か再見したんですね、そこで『地下室のメロディー』の話をしたいのですが、ギャバンと共演しています。彼はあなたの共演者であり、同時に師匠でもあった:役者と演じる人物の間である種伝わるものを感じます。
>『地下室のメロディー』の頃は、ギャバンは元気一杯だったよ。彼は常にボスで素晴らしい役者だった。彼とは共通点があった。彼同様、私も昔軍人で、船員だったんだ。私同様、ギャバンは最初は役者じゃなかった。ミュージック・ホールやカフェ・コンセール以外は、同じ道を歩んで来てた。ギャバンはフォリー・ベルジェールの階段を(キャバレー)でミスタンゲットの後ろで降りていた、するとある日役者をやってみないかと勧められた。ちょっと修理工をしてたアラン・ラッドやサーカス出身のランカスターみたいなものだね。これが正に役者ってものだ。】
【引用 takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事  2007/6/4 「回想するアラン・ドロン:その2」(インタヴュー和訳)」カイエ・ドュ・シネマ501号掲載

 このような「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スター、ジャン・ギャバンと共演したことによって、「アラン・ドロン」キャラクターの基礎工事が実践され、『地下室のメロディー』が、彼の将来への飛躍のための作品になったのだと考えることができます。


 そして、アラン・ドロンは、この後、戦前のフランス映画の黄金時代を体系づけていた「詩(心理)的レアリスム」、その第二世代の代表であったクリスチャン・ジャック監督の「剣戟映画」の体系にある『黒いチューリップ』(1963年)に主演します。

 フランスにおける「剣戟映画」の全盛期は1950年代から1960年代初頭でしたが、ジェラール・フィリップ主演、クリスチャン・ジャック監督『花咲ける騎士道』(1952年)、ジョルジュ・マルシャル主演、アンドレ・ユヌベル監督『三銃士』(1953年)などから、

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ジャン・マレーの時代にその全盛期を担っていきます。ジョルジュ・ランパン監督『城が落ちない』(1957年)、アンドレ・ユヌベル監督『城塞の決闘』(1959年)、『快傑キャピタン』(1960年)、ピエール・ガスパール=ユイ監督『キャプテン・フラカスの華麗な冒険』(1961年)、アンリ・ドコワン監督『鉄仮面』(1962年)などがありました。

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 しかし、その後の「剣戟映画」が、映画史的な意味での位置づけにさして重要なポジションを占めることができなかった結果を鑑みれば、当時からこの映画体系に映画ファンの安定した需要があったものとも思えません。目先の効くアラン・ドロンには、そんなことを敏感に感じ取ることができていたのかもしれません。

 また、1962年に製作を開始したクリスチャン・ジャック監督、アンソニー・クイン共演の「冒険活劇」の超大作『マルコ・ポーロ』の企画も、ドニス・ド・ラ・パテリエール監督、ホルスト・ブッフホルツ主演に交代してしまいました。
 この作品の製作者は、ブリジット・バルドー主演『素直な悪女』(1956年)を初め、ロジェ・ヴァデム監督の作品やマルグリット・デュラス原作、ピーター・ブルック監督の『雨のしのび逢い』などをプロデュースしたラウール・レヴィでしたが、彼はアメリカ・ナイズされた「ヌーヴェル・ヴァーグ」のプローデューサーとして活躍していた人物でした。

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 当時のアラン・ドロンは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派に批判されていた映画作家だったクリスチャン・ジャックとともに、『太陽がいっぱい』で、ルネ・クレマン監督がポール・ジェコブの脚本やアンリ・ドカエのカメラ、共演のモーリス・ロネを取り込んだように、ラウール・レヴィの作品に出演することによって新時代を席巻していた「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品に対する勝算にも野心を持っていたのかもしれません。

 アラン・ドロンは、このような実績を持つラウール・レヴィとの企画を果たすことができず、大きなショックを受けたのではないでしょうか?

 彼が、「剣戟」や「冒険活劇」の映画スターとして活路を見出せなかったことは、やむを得ないことだったかもしれません?

 また、『危険がいっぱい』(1963年)で、三本目となるルネ・クレマン監督も同じく旧世代の映画作家でしたし、ルイ・マルの助監督として育成された若手のアラン・カヴァリエ監督による『さすらいの狼』(1964年)も戦前の「詩(心理)的リアリスム」の作風による作品でした。この公開に関わっても、アルジェリア問題による検閲等が厳しく財政的な大きな痛手もこうむってしまいます。

 ここでもう一度この時期の作品の中で、ハリウッドでも通用する要素を持ち、「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品に勝算を持つ企画を再考したとき、やはり、ジャン・ギャバンと共演した『地下室のメロディー』が浮かび上がってくるのです。
 この作品は、カラーバージョンがアメリカ公開用として制作され評価も高く世界中で大ヒットしまた。
 それもそのはず、1950年代以降のアメリカ映画では、現金や宝石の強奪をストーリー・プロットとして扱った作品が盛んに量産されていました。
 ジョン・ヒューストン監督、マリリン・モンロー出演『アスファルト・ジャングル』(1950年)から始まり、スタンリー・キューブリック監督『現金に体を張れ』(1956年)、ハリー・べラフォンテ主演『拳銃の報酬』(1959年)、ルイス・マイルストン監督、フランク・シナトラ一家総出演『オーシャンと十一人の仲間』(1960年)などが有名です。

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 アラン・ドロンが当時の現状を打破するために、『地下室のメロディー』を跳躍台にして、アメリカ映画への野心を現実的なものにしようと考えたことも無理はありません。まして、『地下室のメロディー』は、初めて彼が世界市場(ロシア、ブラジル、日本)への配給権を取得した作品でした。

【>当時、神話は全てアメリカからやって来ていた。
>その通り。僕らにはバルドーしかいなかった。あちらさんにはエヴァ・ガードナー、リタ・ヘイワース、それからマリリン・モンローが少し遅れてやって来た・・・そう、スターたちは大西洋の向こう側だった。】
【引用 takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事  2007/6/4 「回想するアラン・ドロン:その2」(インタヴュー和訳)」カイエ・ドュ・シネマ501号掲載

 残念ながら、アラン・ドロンのアメリカでの人気は、結果的に芳しいものにはならず、キャリアのうえで充分な成功を収めることは出来ませんでしたが、後年のジョゼ・ジョヴァンニ監督との三部作の原点とも考えられる作風の『泥棒を消せ』(1964年)に主演することができました。

 いずれにしても、アラン・ドロンが代表作『サムライ』以降の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品での人気全盛期を迎える序章として大きな影響力を持った作品が、次の四作品だったと思います。
 ・ 彼の銀幕デビュー作品、『Quand la Femme s'en Mele』
 ・ ジャン・ギャバンとの共演作品、『地下室のメロディー』
 ・ 念願だった自社プロダクションによる製作作品、『さすらいの狼』
 ・ アメリカでの野心作、『泥棒を消せ』

 そして、この中でも、最も成功し未来への展望を持てた作品が『地下室のメロディー』だったわけです。

 『地下室のメロディー』では、ジャン・ギャバン演ずるシャルルの妻ジネット(ヴィヴィアンヌ・ロマンス)やアラン・ドロンが演ずるフランシスの恋人ブリジット(カルラ・マルリエ)などの女性は重要な登場人物としておらず、また、カジノの現金強奪は、シャルルとフランシス、その兄モーリス・ビローが扮するルイが協力し合って計画し実行しますが、ルイが現金強盗に嫌気が差し現金強奪後は彼らの元から離れていきます。
 これらの人物構成のプロットは、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の伝統的特徴である「男同士の友情と裏切り」が緩和され、「男同士の協力と離反」となっていますが、この体系を充分に準用した設定だったと思います。
 加えて、シャルルとフランシスが落ち合うビリヤード場、カジノの夜の情景、ナイトクラブ、ダンスホールの舞台裏、エレベーター昇降路・送風ダクト内・車のヘッドライト、煙草・酒・鏡・サングラスなど、オリジナル・バージョンではモノクロームを基調として光と影のコントラストで描写した舞台や小道具も、この作品のノワール的特徴でした。

 ここでのジャン・ギャバンとの邂逅からは、『シシリアン』(1969年)、『暗黒街のふたり』(1973年)が生み出され大きなヒットを記録していくことになりますし、1967年の『サムライ』以降の多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品、例えばジャン・ピエール・メルヴィル、ジョゼ・ジョヴァンニやジャック・ドレーが演出した作品など、いわゆる多くの「アラン・ドロン」キャラクターへの確立には、上記四作品への主演の経験が大きかったでしょうし、取り分け、この『地下室のメロディー』でのジャン・ギャバンとの共演が不可欠であったと私は考えています。

【(-略)全く異質な人間が、ある一作の中で、すれちがった。栄光のバトンを手渡し、ひとりはそのバトンをもって、夢中でかけ出す。明日という日へ向って-。】
【スクリーン1963年11月号「ギャバン対ドロン」秦早穂子】
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by Tom5k | 2017-01-14 17:39 | 地下室のメロディー(5) | Comments(0)

『地下室のメロディー』⑤~「アラン・ドロン」の原型、ギャバンとの邂逅とアメリカ映画への野心① ~

 アラン・ドロンの初期の主演作品『お嬢さん、お手やわらかに!』(1958年)、『学生たちの道』(1959年)は、明らかにアイドル映画のジャンルにある作品でしたから、この段階では、まだ、いわゆる「アラン・ドロン」キャラクターは、ほとんど確立されていません。そして、監督を務めたのは両作品ともミッシェル・ボワロンでした。
 彼は、その後、ルネ・クレマンやルキノ・ヴィスコンティなど、巨匠たちの作品に主演した後、ミッシェル・ボワロン監督の三作品目、『素晴らしき恋人たち 第4話「アニュス」』(1961年)に主演します。ロジェ・ヴァデム監督に見出され脚光を浴びていたブリジット・バルドーと共演した若い恋人同士の悲恋のコスチューム・プレイでしたが、やはり同監督の得意な前二作のジャンルの作品でした。

 ロミー・シュナイダーと婚約まで果たすことになった『恋ひとすじに』(1958年)は、西ドイツの作品であり、アラン・ドロンが国際的スターになるきっかけとなった作品でしたが、戦前のドイツで映画芸術の先端であった「ドイツ表現主義」の体系にあったマックス・オフュルス監督、マグダ・シュナイデル主演のオリジナル作品『恋愛三昧』のリメイクです。この作品は、アラン・ドロンが主演というよりも、、どちらかと言えば、『プリンセス・シシー』シリーズで人気絶頂期にあったマグダ・シュナイデルの愛娘、ロミー・シュナイダーが主演のアイドル映画でした。

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 彼がその持ち前の陰影の濃い犯罪者としての人物像を初めて演じた作品は、『太陽がいっぱい』(1959年)でしたが、この作品を監督したルネ・クレマンへの当時の批評は、新たに台頭していた「ヌーヴェル・ヴァーグ」諸派の旧世代の伝統的作風への批判はもちろんあったでしょうし、それに加えて、『生きる歓び』(1961年)を含めた彼自身の力の限界を指摘されたものも存在していました。

【「クレマンが『太陽がいっぱい』で見せてくれたのは、地中海のすばらしい陽の光と、エレガントな色彩撮影と、見当ちがいのディテールと、ショッキングなラスト・シーンだった。」
 ロイ・アームズが、『海の壁』の後に作られた『太陽がいっぱい』(59)について、こんな批評をしている。
 『太陽がいっぱい』、その後の『生きる歓び』(61)とともに、押しよせる“ヌーヴェル・ヴァーグ”に対抗してクレマンが作ったスタイリッシュな作品であった。二本とも、“ヌーヴェル・ヴァーグ”の作品から出てきたアンリ・ドカエに撮影をまかせたのだが、ドカエのカメラは、若い世代の心理をうつしとり得ず、ドラマの構造だけを美しく捉え得たにとどまった。クレマンは、現代の若い世代の心理を活写できるような作家ではなかったのである。彼は、巧みなストーリー・テラーとして、その後の作家活動を続けるようになった。】
【映画評論 1974年3月号(「ルネ・クレマン研究 クレマンの作品系譜をたどる」高沢瑛一)】

 更に、当時のイタリア社会に現れた社会問題をリアリズム描写で創出し続けた「ネオ・レアリズモ」の作品群も第二次世界大戦後から1950年代の隆盛から変遷をたどりながら、その全盛期を終焉させていきます。そこから様々な試行錯誤が行われていくのですが、その傾向はアラン・ドロンの国際的スターとしての出発点であったイタリア映画の『若者のすべて』(1960年)、『太陽はひとりぼっち』(1961年)、『山猫』(1962年)に顕著に現われています。

 そして、ミケランジェロ・アントニオーニについて、アラン・ドロンは次のように後述しています。
【>ブリエの現場は本当に素晴らしかったね。ロージー以来、私はブリエのような人を待っていたんだ。他の監督たちに侮蔑的に聞こえて欲しくはないけどね。でも私にはヴィスコンティ、クレマンがいて、アントニオーニは偶然だがね・・・】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18「回想するアラン・ドロン:その6」(インタヴュー和訳)」

 ミケランジェロ・アントニオーニは、それまでの映画制作での決まりごとを全て否定し、反ドラマ(反ストーリー)の構成により映画のテーマを提示する斬新な手法を取っていた映画作家でした。彼は自らの作品を「内的ネオ・レアリズモ」と定義づけ、映画史的にも「ネオ・リアリズモ」以降の流れを組む映画作家として体系づけられています。
 しかし残念なことに、彼との出会いを「偶然」としているアラン・ドロンのこのような発言には、当時の自身のキャリアを「内的ネオ・レアリズモ」に投入していこうとしていた意欲は感じられません。

 また、ルキノ・ヴィスコンティにおいては、彼自身の「ネオ・レアリズモ」作品の集大成として、アラン・ドロンを主演にした『若者のすべて』(1960年)を演出しました。この作品は1960年度ヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞を受賞しましたが、イタリア国内の南北地域格差へのあまりにリアルな描写に、撮影中から公開後まで当局とのトラブルが絶えなかったそうです。特に、主人公ナディアへの暴行や刺殺のシークエンスは、公序良俗に反するといった理由から音声のみのシークエンスとして公開するようイタリア政府からの検閲を受けました。ちなみに、日本で公開されたときの上映時間も大幅に短縮された1時間58分でした。
 そして、第16回カンヌ国際映画祭グランプリ(パルム・ドール)を受賞した『山猫』は、彼のそのキャリアの新時代として、貴族社会の崩壊をリアリズムによって描いた新しい試みであったにも関わらず、その世界配給は20世紀フォックスによる40分に及ぶ短縮版を基軸としてしまいました。
 このようなことから、ルキノ・ヴィスコンティ監督による二本のアラン・ドロン主演作品は、公開当時には、その真価を世評に正確に反映させることが難しかったと考えられます。

 これらの事情を鑑みれば、アラン・ドロンが、その後のイタリア映画界で活躍していくためのモチベーションを高めることは難しかったと察することができます。

 次に、自国フランス映画での「アラン・ドロン」はどうだったでしょうか?
 彼は、ルネ・クレマン監督の演出作品の外に、1962年に戦前のフランス映画の黄金時代を体系付けていた「詩(心理)的レアリスム」の代表格だったジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『フランス式十戒第6話「汝、父母をいやまうべし、汝、偽証するなかれ」』への出演を果たします。
 しかし、ジュリアン・デュヴィヴィエは、1950年代中盤から、フランソワ・トリュフォーを初めとした映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」によって、徹底的に批判されていった映画作家でもありました。

 1950年代終盤からの自国フランス映画界は、ロジェ・ヴァデム、ルイ・マル、ジャック・リヴェット、クロード・シャブロル、フランソワ・トリュフォー、ジャン・リュック・ゴダール、エリック・ロメール、アラン・レネ、アニエス・ヴァルダ、ジャック・ドゥミなどの「ヌーヴェル・ヴァーグ」の映画作家たちが席巻する時代を迎えていたのです。

【>アラン・ドロン
(-略)・・・私はヌーベルバーグの監督たちとは撮らなかった唯一の役者だよ、私は所謂「パパの映画 cinéma de papa※」の役者だからね。ヴィスコンティとクレマンなら断れないからねえ!ゴダールと撮るのには1990年まで待たなくてはならなかったんだ。(略-)】 
※cinéma de papaとは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派のフランソワ・トリュフォーが付けた古いフランス映画への侮蔑的な呼称のこと。
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/21 「回想するアラン・ドロン:その7(インタヴュー和訳)」

 1960年代の初め、若手の映画人気俳優として大反響を惹起していった新世代の国際スター「アラン・ドロン」には、このような状況もあったわけです。自国フランスのみならず、西ドイツやイタリアでの作品に主演し、国際的に人気の絶頂を迎えていたとは言え、アラン・ドロンに焦燥があったことは否めません。
 そして、そんな先行きの不安を想定し得る状況にあって、彼がようやく巡り会うことができた作品が、アンリ・ヴェルヌイユ監督の『地下室のメロディー』(1962年)だったのです。共演者は言わずもがな、「フレンチ・フィルム・ノワール」の大御所、ジャン・ギャバンです。

【 戦前から戦後を通して、フランス映画界でのナンバー・ワンはいつもジャン・ギャバンであった。今もである。水草稼業にもにて、人気のうつりかわりの激しい俳優世界で、これは稀有のことだといわなくちゃなるまい。もっともフランス人の性へきの中には、大変保守的なもの-伝統を愛するというか、古いものをなつかしむといった傾向があるからかもしれないが、大げさにいえばシネマがトーキーになってからはまずはジャン・ギャバンというのが、彼らの固定観念になってしまった。フランス映画の危機が叫ばれる昨今においても、ナンバー・ワンはギャバンである。ナンバー・ワンというより、別格なのである。(略-)】

【(-略)人間だれしも、お世辞にはよわいとみえて、いつも無愛想なギャバンが、いたれりつくせりのドロンの奉仕ぶりに、うん、仲々いいところのある青年だといったとか。ドロンのほしかったのは、正に、ギャバンのこのお墨附きだったのである。(略-)】
【スクリーン1963年11月号「ギャバン対ドロン」秦早穂子】

 『地下室のメロディー』が公開された1963年当時の日本の映画雑誌には、このようなジャン・ギャバンに対するアラン・ドロン評が掲載されていました。ファンとしては、あまり愉快な内容とは思いませんが、残念ながら的を得た評価であったかもしれません。

 ところで、ジャン・ギャバンが、どんなに別格の存在だったとしても、彼が映画俳優として若い頃から一貫して、それを維持し続けることができていたわけではありません。『現金に手を出すな』(1953年)により、戦後に第二全盛期を迎えるジャン・ギャバンに至るまでには、かなり長期間に渉ってのスランプの期間もあったのです。

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 これは、1941年にナチス・ドイツのフランス占領時によって彼が渡米した頃から始まったものだったと考えられますが、それを克服するまでには10年もの長い年数を要しました。これには、様々な要因があったと思いますが、私は主に次のことが大きかったと考えています。

◯ 40代という彼の年齢とそれまでの「ジャン・ギャバン」キャラクターとの間のギャップが大きくなってしまったこと。
 脱走兵や前科者が官憲に追い詰められ、最期に非業の死を迎える悲劇のヒーローとしてのスタイルによった行きずりの美しいロマンスは、40代の彼には既にそぐわないものになっていました。
 この傾向は、戦前からの名コンビ、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督との『逃亡者』(1943年)、当時の新進気鋭のルネ・クレマン監督との『鉄格子の彼方』(1948年)などの作品において顕著になっていました。

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◯ アメリカへの亡命時代、ハリウッドでの映画制作の手法が彼のキャリアとは合わなかったこと。
 『夜霧の港』(1942年)への出演ではアーチ・メイヨ監督とのトラブルが絶えず、当時、同様にアメリカに亡命していたドイツの名匠フリッツ・ラングが最後に演出に関わり、ようやく完成させた作品だったそうです。

◯ まだ、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派の批判にさらされる前時代ではあったものの、戦前から彼の作品を最も多く演出していた「詩(心理)的リアリスム」世代のジュリアン・デュヴィヴィエやマルセル・カルネには、全盛期と比較して既にその演出力に衰えが現れていたこと。
 『地の果てを行く』(1935年)、『望郷』(1936年)や『霧の波止場』(1938年)に愛着のあるファンにとって、亡命時代の『逃亡者』や帰仏後の『港のマリー』(1949年)は、時代の節目を感じてしまう作品だったと思います。

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◯ ジャン・ギャバンの盟友のひとりであり、フランス映画界においては、別格の映画作家であったジャン・ルノワールはアメリカで市民権を得たことによりハリウッドから帰仏しなかったこと、その後も、インドやイタリアで映画を制作していたこと。
 ようやくジャン・ギャバンと久しぶりに組んだ『フレンチ・カンカン』でのフランス映画界への復帰は1954年、戦後9年も経ていました。

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 ジャン・ギャバンが、ジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』(1953年)にたどり着くまでには、このような困難な時代が存在していました。

 それにしても、彼が後期の第二全盛期に至ることができたこの代表作品に、突然、唐突に巡り会ったとは、私には信じられません。スランプの時代を単なる不調期と考えることは短絡だと思いますし、むしろそういった時期だからこそ、次のステップへと飛躍するため、映画スターとして熟成していく過程で、その素晴らしい端緒が現れているはずだと考えます。つまり、「ダイヤモンドの原石」のような作品がどこかに埋もれているはずなのです。

 そのような意味で、私の関心を強く喚起する作品は、その4年前に製作されたレーモン・ラミ監督の『面の皮をはげ』(1949年)でした。私には、この作品が『現金に手を出すな』以降の仮想作品のように思え、ジャン・ギャバン第二全盛期の諸要素の多くが凝縮されているように感じられるのです。

【<『地下室のメロディー』⑤~「アラン・ドロン」の原型、ギャバンとの邂逅とアメリカ映画への野心② ~>に続く】
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by Tom5k | 2017-01-14 17:27 | 地下室のメロディー(5) | Comments(0)

『さすらいの狼』~「フレンチ・フィルム・ノワール」の「アラン・ドロン」の原型~

 「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スターとして名を馳せたアラン・ドロンは、ジャン・ピエール・メルヴィル監督で撮った『サムライ』が、その原点であり代表作品ですが、この作品に至るまでの間に、何本のいわゆる「フィルム・ノワール」の系統に属する作品に出演していたでしょうか?

 実はデビュー作品である『QUAND LA FEMME S'EN MELE』が、「フレンチ・フィルム・ノワール」の系譜における第一人者のイブ・アレグレ監督の作品でした。これは、日本未公開の作品ですが、アラン・ドロンは、主人公に殺害を命じられる若い犯罪組織のボディガードを演じています。主演とはいえない登場人物だったようですが、既にデビュー作品で未来の「アラン・ドロン」の原型に巡り会っていたことは因縁めいていて不思議ですし、強く好奇心が喚起されます。

 そして、デビューしてから、5年後、既に彼はこの時期、ルネ・クレマン、ルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジュリアン・デュヴィヴィエの作品に連続して出演し、スター街道を疾走していたわけですが、いよいよアンリ・ヴェルヌイユ監督の『地下室のメロディー』で、ジャン・ギャバンと共演することになります。
 彼が、いわゆる「フレンチ・フィルム・ノワール」作品に「主演」したのは、この作品が初めてでした。
 そして、その2年後の1964年、アメリカ資本のメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)による『さすらいの狼』と『泥棒を消せ』の2本のノワール系の作品に出演します。『泥棒を消せ』は、ラルフ・ネルソン監督が演出した純粋なアメリカ映画でしたが、『さすらいの狼』は、ジャック・パールがプロデュースしたアメリカ資本と、アラン・ドロンが自ら設立したデルボー・プロダクションの提携作品であり、スタッフ、キャスト、脚本、舞台設定など、基本的にフランス映画として認識できる作品です。

 アラン・ドロンのファンとしては常識ですが、この『さすらいの狼』以降、『テキサス』(1966年)までのアメリカ映画に出演し続けた期間に、彼はスター俳優として大きなスランプの期間を迎えます。
 この『さすらいの狼』も、決して成功した作品ではありませんが、その失敗にもそれ相応の理由があったようです。
【結婚の年、六四年に、ドロンは自分のマネージャー、ジュルジュ・ボームと組んでデルボー・プロダクションを設立する。俳優業だけに飽き足らず、映画製作に乗り出したわけだ。これは二年前の『地下室のメロディー』の頃から考えていた夢だった。ところが若い監督アラン・カバリエを起用しての第一作『さすらいの狼』が、アルジェリア戦争を扱っていることから検閲で禁止処分となってしまう。プロダクションとしては出鼻をくじかれるだけでなく、作品ができ上がっても封切ることができないで財政的にも大きな痛手をこうむるのだった。当時のフランスはアルジェリア戦争についてはまだ神経をとがらせていたのでこういう処分になったのだ。この作品は後に検閲解除となって公開されるけれども、結局さんたんたる成績に終わってしまう。】
【引用 『孤独がぼくの友だち アラン・ドロン』 ユミ・ゴヴァース著 新書館(1975年)】

 そして、アメリカでの失敗の後に、彼はフランス映画に復帰し、立ち直っていくのですが、帰仏後の3作品目に、「フレンチ・フィルム・ノワール」独自のキャラクターを美学にまで高めて創出した代表作品『サムライ』に巡り合います。
 銀幕デビュー以降、この『サムライ』まで、彼が出演した作品は24本ありますが、意外なことに、いわゆる「フィルム・ノワール」の系統に属する作品は、前述したように、たったの4本しかありません。逆に考えれば、この4本の作品に人気全盛期を迎えるための基本的な「アラン・ドロン」の原型が型取られていったとも考えられますし、そのエッセンスの全てが詰まっていると捉えることも可能なようにも思います。

 それにしても、アラン・ドロンが製作・主演した作品を丁寧に観賞していくと、そもそも、現在、一般化している「フレンチ・フィルム・ノワール」の映画史的定義が、本当に正確な史観なのかと懐疑する必要があると私は考えざるを得なくなります。

 「フィルム・ノワール」の一般的な定義は、1945年にパリのガリマール社から発刊された犯罪推理小説叢書「セリ・ノワール」に基づいたハリウッドのハードボイルド小説を原作としたアメリカ映画に対して、フランスの映画評論家ニーノ・フランクが映画雑誌『レクラン・フランセ』(1946年8月号)で用いた用語でした。
 そして、現在では、フランス製の「フィルム・ノワール」の創始者は、ジャン・ギャバンが主演した『現金に手を出すな』(1954年)を演出したジャック・ベッケルであるというのが定説になっていますし、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督のアンドレ・ステーマン原作の作品がその先駆けだったと考えられているようです。【「2006-07-09 16:56付け『シシリアン』①~「フレンチ・フィルム・ノワール」の変遷~」の記事】
【参考 『フランス映画史の誘惑』(中条省平著、集英社(集英社新書)、2003年)】

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 しかしながら、戦前の映画批評を紐解いていくと、既に「暗黒映画」という名称を使って評論を行っていた事実も少なからずあるようなのです。
 フランスの作家・脚本家・劇作家のジャン・マリ・リュシアン・ピエール・アヌイは、自分の戯曲をテーマによって、「バラ色戯曲(Pièces roses)」と「黒色戯曲(Pièces noires)」に分類していましたし、パリで週刊行されていた『ル・カナール・アンシェネ』の映画コラムに、脚本家ミシェル・デュランが、ジャン・ギャバンが主演した2作品、ジャン・ルノワール監督の『獣人』(1938年)と、マルセル・カルネ監督の『Le Jour se lève』(1939年)をジャンルとしての「Film noir(暗黒映画)」とした批評を行っていたそうなのです。
【参考 『世界の映画作家18 犯罪・暗黒映画の名手たち/ジョン・ヒューストン ドン・シーゲル ジャン・ピェール・メルヴィル 「フランス暗黒映画の系譜 飯島正」』キネマ旬報社、1973年】

 このようなことから、「フレンチ・フィルム・ノワール」の系譜が、突然、1954年に『現金に手を出すな』によって出現したわけでもないですし、その前史として位置づけられているアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督のアンドレ・ステーマン原作の作品のみが先駆けだったとだけ考えることが、私には、どうしても納得に至らないのです。
 つまり、1945年にパリのガリマール社から発刊された犯罪推理小説叢書「セリ・ノワール」の在り方のみを基軸にした定説に、私は異を唱えたいわけです。

 さて、ミシェル・デュランの言説にもあるように、「フレンチ・フィルム・ノワール」の立役者であったジャン・ギャバンは、戦前のフランス映画でヒーロー像を演じ続け、世界的なスターであったことは言わずもがなですし、1930年代から1940年代にかけての彼はそのキャラクターで、追い詰められて死に至る脱走兵や脱獄犯などの逃亡者を最も得意として人気を博していたヒーローでした。

 そのような意味では、戦前から永きに渉って多くの彼の作品の演出を手掛けたジュリアン・デュヴィヴィエ監督が、ジャン・ギャバンを決定的な「ノワール」系のキャラクターとして位置づけていった演出家だったわけですが、特に、スペイン外人部隊の脱走兵を演じた『地の果てを行く』(1935年)、官憲の捜査からアルジェリアのカスバに身を隠し潜伏している犯罪集団のボス、ぺぺ・ル・モコを演じた『望郷』(1936年)などが、その典型となった作品です。このコンビは、第二次世界大戦中に亡命先のハリウッドにおいてさえ、ナチスの刑務所から脱走する兵士を主役とする『逃亡者』(1943年)を撮ったほど、追われる男の死の美学をテーマにした作品を定番としていました。

 マルセル・カルネ監督の『霧の波止場』(1938年)でも、ジャン・ギャバンは脱走兵として追い詰められた男を演じましたし、第二次世界大戦後も、デビュー作品『鉄路の闘い』(1946年)で、いきなりカンヌ映画祭でパルムドールを授賞した新進気鋭のルネ・クレマン監督の第3作目の『鉄格子の彼方』(1948年)に出演したときも、情婦を殺害して警察から逃げ回っている犯罪者を演じました。この作品は、1949年にカンヌ国際映画祭でルネ・クレマンが監督賞、イザ・ミランダが女優賞を受賞、1951年にはアメリカでもアカデミー外国語映画賞名誉賞にエントリーされるほどのアカデミックな名作品です。

 わたしは、前述した『獣人』や『Le Jour se lève』と同様に、これらの作品も「Film noir」と位置付けることに全く抵抗がないのです。『さらば友よ』~「詩(心理)的レアリスム」から新しい「フレンチ・フィルム・ノワール」へ~

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 『さすらいの狼』の舞台は、フランス占領下で戦争中のアルジェリアです。アラン・ドロンは、この戦線で外人部隊の兵士として登場します(フランス外人部隊の3割は自国民の志願兵だそうです。なお、アラン・ドロンはこの作品でルクセンブルグ公国の農村出身者として登場しています。)。
 そして、ジャン・ギャバンの代表作品『望郷』で、主人公ペペ・ル・モコが潜伏していたカスバは、アルジェリアの首都アルジェの旧市街の一画でしたし、『地の果てを行く』では、彼はスペイン外人部隊の脱走兵を演じていました。

 『さすらいの狼』で、レア・マッサリが演じる女性の弁護士ドミニクはアルジェリア独立運動の指導者の顧問弁護士であったため、誘拐、監禁されることになるのですが、アラン・ドロン演ずるトーマは、フランス共和国側の治安のための政治結社に高額で雇われ、所属していた外人部隊を脱走し、彼女の誘拐、監禁に一役買うことになります。
 監禁されたドミニクに魅かれたトーマは彼女を脱走させます。結局、トーマは、フランス軍から脱走して逃亡兵となったばかりでなく、裏切り者として政治結社からも追われていくことになってしまいます。また、彼はドミニクを監禁場所から脱走させるときに撃たれた傷が逃走中に悪化し死を迎えることになるのです。

 ジャン・ギャバンが戦前から演じてきた脱走兵は、追い詰められた悲劇のヒーローとして、行きずりの美しいロマンスをテーマとし最期に悲劇的な死を迎えていきました。『さすらいの狼』で設定された舞台も、そのテーマも、戦前にジャン・ギャバンが演じ続けた主人公が登場する作品そのものだと感じるのは私だけではないと思います。

 「詩(心理)的レアリスム」の体系に位置づけられるジャック・フェデール監督の『外人部隊』(1933年)のシナリオを担当したシャルル・スパークは、ジャン・ギャバンについて、次のように述懐しています。

【異様なまでにかたくなな考えを持った男、喧騒の中に奇妙な安らぎをもった男、まるでチャンスを持てない男の中に生きるチャンピオン、そして、たくさんの敵にかこまれながら、ほんの単純な理由-ちょっとした自由、行きずりの愛、理解しがたい友情-などのために必死に闘う男・・・ギャバンが演じるこれらの男たちは、多くの人々を感動させた。(略-)】
【引用 「ジャン・ギャバンと呼ばれた男』(鈴木明著、小学館、1991年)】

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ジャン・ギャバンと呼ばれた男

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 私には、この書評が、まるで『さすらいの狼』の主人公トーマを演じたアラン・ドロンに対するもののように感じました。

 さて、この『さすらいの狼』を演出したアラン・カヴァリエ監督は、カイエ派ではなかったものの「ヌーヴェル・ヴァーグ」のルイ・マルの助監督として育成された演出家でした。新しい映画の体系でありながら、助監督という古いシステムで育った彼の経緯は注目に値します。脚本を担当したジャン・コーは、フランスの実存主義哲学者ジャン・ポール・サルトルの秘書をしていた文学者ですし、撮影を担当したクロード・ルノワールは、フランスの印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの孫であり、戦前のフランス映画の名匠ジャン・ルノワールの甥でした。
 それにしても、斬新なスタッフで映画を制作したものです。

 更に、この作品で私が大きく関心を喚起されてしまうところは、音楽を担当したのがアラン・レネやフランソワ・トリュフォー、ジャン・リュック・ゴダール、ルイ・マルの監督作品で音楽を担当し、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の音楽家と言われていたジュルジュ・ドルリューだったことなのです。
【注 : 公開当時のポスターやパンフレット、一般に出回っていた書籍などでは、『素晴らしい風船旅行』(1961年)や『わんぱく戦争』(1962年)のジャン・プロドロミデスが音楽を担当していたと記載されていることも多いのですが、実際には、ジュルジュ・ドルリューが音楽を担当していたようです。もしかしたら、英語版やフランス語版などが存在し、それぞれの版で音楽の差し替えなどが行われていたのかもしれません。日本で公開された「さすらいの狼」は、ジャン・プロドロミデスが音楽を担当していた版だったのでしょうか?真偽の程は現在のところ不明です。】

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【>ドロンの作品で、他にドゥルリューさんがなされたものはありますか?
>ドゥルリュー
「さすらいの狼」がありますね。アラン・カヴァリエの。これはこれで、いい作品だったんですが、アルジェリア戦争をあつかって検閲にあい、それだけに評価されなかった作品でしたね。(略-)】
【キネマ旬報1976年12月下旬号No.697(「「ジョルジュ・ドゥルリュー「ブーメランのように」と映画の秘密を語る」<インタビュアー>ユミ・ゴヴァース、西村雄一郎】

 恐らく、ルネ・クレマンが演出し、やはり、アンリ・ドカエのカメラやポール・ジェコブの脚本、モーリス・ロネの出演など、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のスタッフ・キャストで、『太陽がいっぱい』を制作したように、プロデューサーとなったアラン・ドロンも、この作品の音楽で、ジュルジュ・ドルリューを使ったのかもしれません。
 また、このことが、後年、『私刑警察』(1988年)で、ラウール・クタールを撮影監督として迎え入れたことにも繋がっていくのでしょう。

 ドミニクと逃亡するシークエンスでの自動車のヘッドライトに照射する激しい雨、彼女が夫に助け求めるためにカフェで電話をするときの街路を濡らす雨と闇の陰影の中でのBGMのジャジーな挿入曲が、私には特に印象的でした。

 暗闇でのライティング効果を利用した色彩のないモノクロームの画面・・・やはり、この作品は「フィルム・ノワール」です。

 後年、アラン・ドロンは、「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スターとなり、ジャン・ギャバンの後継者として映画ファンから認知され、人気スターの全盛期を迎えることになっていくわけですが、ジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』以降の「ギャングスター」としてのジャン・ギャバンをモデルにできたことは、『地下室のメロディー』での彼との共演によるものであったでしょうし、「フレンチ・フィルム・ノワール」を徹底的に純化させた『サムライ』で、ジャン・ピエール・メルヴィルの演出を受けたことの影響が大きかったことは、誰しも納得済みのことでしょう。

 しかし、私は、「外人部隊」あがりの帰還兵をモデルにした『地の果を行く』などで、ジャン・ギャバンのキャラクターを育てたジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品に出演したことによって与えられた影響も、想像以上に大きかったような気がしてならないのです。忘れてならないことは、『さすらいの狼』を製作する2年前、『地下室のメロディー』で、ジャン・ギャバンと共演した1962年に、既にアラン・ドロンは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『フランス式十戒』に出演していたことなのです。

 そして、ジュリアン・デュヴィヴィエやマルセル・カルネなどが演出したジャン・ギャバンの主演作品、その戦前のフランス映画からの歴史的変遷の経緯から考えて、『さすらいの狼』をアラン・ドロンが製作・出演したことは非常に重要なことだったと考えています。

 また、後に「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スターとなったアラン・ドロンのキーワードとして、この作品の影響を考えれば、『サムライ』や『スコルピオ』(1973年)、『ビッグ・ガン』(1973年)で、組織に雇われる犯罪者、殺し屋、一匹狼として・・・『帰らざる夜明け』(1971年)、『ル・ジタン』(1975年)、『ブーメランのように』(1976年)では、追われる者、逃亡者として・・・これらの作品で悲劇のヒーローを演じ、死の美学を貫いていったことに帰結するのです。
 このように考えると、アラン・ドロンは、「ギャングスター」作品の大スター、ジャン・ギャバンの後継者のみならず、追われる者としてのヒロイズムを体現していた戦前のジャン・ギャバンの後継者でもあるわけです。
【注 : 『ル・ジタン』は、当初、死ぬ予定だったラスト・シークエンスを改変し、逃亡を続けていく内容によって完成させました。】

 また、フランス映画伝統の「詩(心理)的レアリスム」のキャラクターであった「外人部隊」や「脱走兵」から・・・時代の情景は遷り変り・・・インドシナ戦争やアルジェリア戦争も終結していった1960年代後半期から70年にかけてのアラン・ドロンは、戦時のトラウマを抱えたアンチ・ヒーロー的ヒーローが活躍するドラマトゥルギーを現代劇として新しく生み出していったようにも思います。

 それが、インドシナ戦争やアルジェリア戦争を舞台にした『名誉と栄光のためでなく』(1965年)であり、戦地から帰還した主人公を演じた『悪魔のようなあなた』(1967年)や『さらば友よ』(1968年)であり、ともに戦地に赴いた時代の戦友のために巨悪組織と闘う主人公を演じた『チェイサー』(1978年)だったのではないでしょうか?
 特に、『悪魔のようなあなた』は、ジュリアン・デュヴィヴィエの監督作品であり、私が前述した系譜による最も象徴的な印象を残します。戦前からジャン・ギャバンを主演にして脱走兵、逃亡者を描き続け、戦後に彼の後継者となったアラン・ドロンによって、帰還兵のサスペンスとして表現したのです。アラン・ドロンのキャリアにおいても実に不思議な邂逅であり、私としては彼のファンとしての自負にまで結びついている作品です。

 これらの作品でのアラン・ドロンは、兵士、帰還兵としてトーマが生きていれば、そのまま主人公になったように感じます。
親父が言っていたアラン・ドロン主演の『外人部隊』・・・
2006-10-28 00:17付け「『名誉と栄光のためでなく』~幻想映画館『外人部隊』~」の記事

やっぱ、なんか説得力あるわ・・・!
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by Tom5k | 2016-12-11 03:19 | さすらいの狼 | Comments(2)

『高校教師』②~『ヘッドライト』のジャン・ギャバンを想い浮かべて~

 この作品がルキノ・ヴィスコンティの影響を色濃く受けた作品であることは間違いのないことでしょう。
 しかし、私はもうひとりアラン・ドロンの作品を観賞するたびに思い浮かべてしまうスター俳優がいます。ほとんど、私個人の思い込みのような気がするものの、アラン・ドロンの映画を観賞する度に、どうしてもこだわってしまう人物です。今回、この『高校教師』を久しぶりに観賞し、そのことを特に強く感じてしまいました。そのスター俳優は、アラン・ドロンがバート・ランカスターととも尊敬する俳優として挙げているジャン・ギャバンなのです。

 この作品で主人公ダニエレ・ドミニチを演じたアラン・ドロンは、当時37歳でしたが、作品でそのロマンスの対象になった相手ソニア・ペトローヴァは、まだ19歳だったそうです。イタリアの高等学校は、普通高校では14~19歳までの5年制、専門高校は3年制の後に2年制を加えた課程があるそうですから、彼女が演じたヴァニーナ・アバティが休学2ケ年を経て、高等学校に在籍している生徒であることの年齢の設定は、実際の彼女とは全く矛盾しません。

 そして、この『高校教師』と同様に男性と女性の年齢差が大きく開いたロマンスを正面から描いた作品で、私が真っ先に思い浮かべてしまう作品が、ジャン・ギャバン主演の『ヘッドライト』(1954年)なのです。

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 『高校教師』が完成する前年に製作された『帰らざる夜明け』(1971年)が、ジャン・ギャバンの過去の主演作品を強く意識した作品であるように感じたことは、既に触れたところです。【『帰らざる夜明け』~ジャン・ギャバンを超えようとしたアラン・ドロン~

 また、既に過去の記事で何度も採り上げているように、私がアラン・ドロンの作品を観るとき、そこにジャン・ギャバンの影響を感じる作品は、『帰らざる夜明け』だけではありません。

『サムライ』(1967年)では、『望郷』(1937年)
『サムライ』⑤~アキム・コレクション、『望郷』の鑑賞から想起したもの~

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『さらば友よ』(1968年)では、『地の果てを行く』(1935年)や『霧の波止場』(1938年)など
『さらば友よ』~「詩(心理)的レアリスム」から新しい「フレンチ・フィルム・ノワール」へ~

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『ボルサリーノ』(1969年)では、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督やマルセル・カルネ監督の作品
『ボルサリーノ』①~ジュリアン・デュヴィヴィエ&ジャン・ギャバンからの影響~

『燃えつきた納屋』(1973年)や『フリック・ストーリー』(1971年)には、『メグレ警部』シリーズ(1957~1963年)
『燃えつきた納屋』~アラン・ドロン、尊敬する大先輩たちから学んだ基盤~
『フリック・ストーリー』~“古き良き時代” クラシックとアラン・ドロンの新境地~

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ジャン・ギャバン主演 メグレ赤い灯を見る【VHSビデオ】







『友よ静かに死ね』(1977年)には、『我等の仲間』(1936年)や『望郷』など
『友よ静かに死ね』②~再生・復活、リアルな「良質の伝統」~

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『チェイサー』(1978年)には、『現金に手を出すな』(1955年)
『チェイサー』①~戦後フランス映画へのオマージュ~

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 このように、私は、ある時期以降のアラン・ドロンの出演作品には、常にジャン・ギャバンの影響が色濃く反映しているように感じるのです。これらの外にも、『さすらいの狼』(1964年)や『ル・ジタン』(1974年)の設定は、往年のジャン・ギャバンが脱走兵などに扮し、「追われる男」を演じ続けた頃の作品と良く似た印象を受けます。
 また、アラン・ドロンは、ジャン・ギャバンを主演に配置して、多くの名作品を輩出したジュリアン・デュヴィヴィエ監督の演出した『フランス式十戒』(1962年)や『悪魔のようなあなた』(1967年)にも出演していますし、何よりジャン・ギャバンとの共演作品が、『地下室のメロディー』(1962年)、『シシリアン』(1969年)、『暗黒街のふたり』(1973年)と、三作品もあります。

 ジャン・ギャバンは、後進のアラン・ドロンと同様に、主に「フレンチ・フィルム・ノワール」によって、男性的な世界観ばかりを表現してきたスター俳優でしたが、意外にも、45歳のときに『港のマリー』(1949年)で、18歳のニコール・クールセルに、54歳のときに『可愛い悪魔』(1958年)で、24歳の若いブリジット・バルドーに夢中になる中年期から初老期の男性を演じたこともあるのです。
 そして、私が『高校教師』を観て、思い浮かべてしまう『ヘッドライト』は、日本でも有名で評価が高く、ジャン・ギャバンが51歳、相手役のフランソワーズ・アルヌールが24歳のときの作品です。

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 アンリ・ヴェルヌイユ監督の演出は、哀愁を携えた実にロマンチックなストーリーですが、私は、小・中学生のときに、これらの作品を観て、ヨーロッパの男性は中年期、そして初老期においてさえ、何故、このように青年のような恋愛ができるのだろうか?と不思議に思っていました。ところが、最近、これらの作品を観て確信しているのですが、彼らの演じている登場人物は、やはり年齢相応であり、そのロマンスが実に自然に扱かわれ、表現されていると解釈できるようになりました。

 中年期以降から初老期に入る時期の男性は、豊富な人生経験によって、若い恋人達に有りがちな不器用で廻り道をしてしまうような野暮ったい経過を辿ることは無く、女性の気持ちに対する敏感でデリケートな感性によって自然に恋を成就させていくことができるのです。私は男性が、このような恋愛ができるためには、少なくても30歳代の後半期以降まで待たねばならないような気がしています。

 年齢差のあるロマンスという設定の外に、フランソワーズ・アルヌールが演じたクロチルドやソニア・ペトローヴァが演じたヴァニーナにも共通項があります。彼女たちが、実際の年齢よりも必要以上に多くの不幸な悲しい経験を積んでしまった早熟な女性であるということです。父親が不在の家庭に育ち、親としての役割を放棄してしまった自己中心的な母親が存在しています。

 クロチルドの母親は、自分の二度目の年下の亭主に夢中で、失業中に住む場所と仕事を探し途方にくれている娘に、「母親にも自分の人生を生きる権利はあるさ」などと言って、自分の生活を優先して彼女を突き放してしまいますし、ヴァニーナの母親は自分の娘を金持ちのパトロンに付け、それを利用して生活の糧としている老娼婦です。
 それにしてもヴァニーナの母親を演じた往年の名女優アリダ・バッリは、これ以上無いほど醜悪な老女を演じていました。

 そして、『ヘッドライト』で、ジャン・ギャバンが演じたジャン・ビヤールはベテランの長距離トラックの運転手ですが、上司とトラブルを起こし失業してしまいますし、『高校教師』で、アラン・ドロンが演じたダニエレ・ドミニチは、没落したブルジョア家庭の出身であり、過去に激しい恋愛の絶望を経験て以降、失業や軽犯罪を繰り返しニヒリズムに陥ってしまった高等学校の任期付きの臨時教師です。

 いずれにせよ、このような負の要件が揃ってしまった男女に激しい恋愛感情が生まれてしまうることは珍しいことではありません。それはまた、幸福などとは縁遠い実にメランコリーで悲劇的なプロセスを辿り、最終的には最も悲惨で破滅的な終焉を迎えます。しかも、恋人同士が新たな生活を始めようとしたそのときに、予想以上の大きな悲劇に見舞われてしまうのです。

 『ヘッドライト』では、クロチルドはジャン・ビヤールに妊娠していることを伝えますが、連絡の行き違いもあって、その後、堕胎の手術を受けそれが誤診だったことにします。それ以降は彼にそのことを隠し、身を引こうとしますが、結局はジャンの強引な説得に身を委ね、展望の無い逃避行ともいえる旅に向かいます。二人は新しい暮らしを始めるために大型トラックに乗り込むのですが、彼女は術後の体調不良により長距離運転の同乗中に容態が悪化し死を迎えてしまうのです。
 『高校教師』での二人は、絶望的な環境から抜け出すことだけを考えます。ヴァニーナはダニエレの強いアプローチに自分の運命を任せますが、ダニエレにしても決して二人の未来を信じているようには思えません。彼らも新たな生活の場を求めて旅立つのですが、彼は捨ててきた妻のことを割り切れず、自動車を運転中の散漫な気持ちにより交通事故に遭い命を落としてしまいます。

 どちらの作品の登場人物も貧困で惨めな境遇であり、虚無的な人物キャラクターなのですが、その対位として、美しく物悲しい旋律のテーマ曲を使用しています。儚いロマンスや悲恋の美しさを上手に音楽表現することで、映画における「メロドラマ」として最も理想に適った作品となっています。
 観る側においては、視覚効果により、主人公たちの暗鬱な日常から展望の無い悲劇への展開へと掘り下げながら、音楽の聴覚効果への連動によって、そのラブ・ロマンスのエモーショナルな渦中にある人物や舞台を哀感、情感に溢れた詩情豊かな世界に昇華させることができるわけです。

 『ヘッドライト』の音楽の担当は、映画の脚本家でもあった詩人、ジャック・プレヴェールの詩をジュリエット・グレコやイブ・モンタンが歌った『枯葉』を作曲したジョセフ・コスマです。
 『高校教師』の音楽では、高音域のトランペットが非常に強い印象を残します。演奏はメイナード・ファーガソンというジャズ・トランペッターです。1976年のモントリオール・オリンピック閉会式でソリストを務めたトランペッターだそうです。

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 両作品とも、映画音楽の活用としては、最も効果的なモンタージュ技法からの最適な照応を完成させていると思います。本当に素晴らしい主題曲を創作したものです。

 更なる共通点として、どちらの作品も恋愛映画でありながら、男性的な世界観で全体が覆われている特徴があります。つまり、両作品とも、クロチルドやヴァニーナの女性としての視点では描かれておらず、あくまでもジャン・ビヤールやダニエル・ドミニチを基軸にして展開させている物語となっています。
 これらが封切られた当時は、男性の視点で描かれている「メロドラマ」でありながらも、多くの女性ファンが、それを受け入れることが出来た時代だったのかもしれません。

 同じヨーロッパの「メロドラマ」作品として、クロード・ルルーシュが監督した『男と女』(1966年)も有名ですが、こちらは全ての展開が女性の視点で描かれています。アラン・ドロンより少し年上ですが、概ね同世代のジャン・ルイ・トランティニャンが演じた主人公のジャン・ルイは、ジャン・ギャバンのように円熟した男性の魅力を持っているわけではありませんし、アラン・ドロンのようにハンサムで、孤独や背徳を魅力にするしたたかさは持ち合わせていないかもしれませんが、女性が最も望むタイミングでの恋愛アプローチを完璧に心得た男性です。決して女性を惨めな気持ちにせず、女性が嬉しいと常に想わせるアプローチのできる男性、つまり女性にとっての理想の男性像がこのジャン・ルイなのでしょう。

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 現在では、ジャン・ビヤールやダニエル・ドミニチよりも、このジャン・ルイのような男性が望まれる時代となっているかもしれません。

 時代の情景は、次々と移り変わっていくものです。

 アラン・ドロンにしても、
 『高校教師』の製作、出演の直近前作は、同年の『リスボン特急』でしたが、「フレンチ・フィルム・ノワール」で彼の新境地を拓いたジャン・ピエール・メルヴィルが演出しており、また、彼がその人生の終焉を迎えたのは、その翌年の1973年8月2日でした。

 更に、その2年後、アラン・ドロンが若い頃、にロミー・シュナイダーも含めて、その映画・舞台の大一座の座長ともいえた大監督ルキノ・ヴィスコンティも1976年3月17日に逝去しています。

 そして、同年、アラン・ドロンが41歳の誕生日を迎えた1週間後の11月15日、とうとうジャン・ギャバンも72歳で永眠します。

 いつまでも続くと思われていた日本でのアラン・ドロンの人気が翳りを見せ始める時期と、彼が立て続けに映画人生における師匠たちを失っていったこととが、私には、どうしても重なって見えてしまい、同時に深い悲しみが湧き上がってきてしまうのです。
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by Tom5k | 2016-11-23 21:35 | 高校教師(2) | Comments(2)

『地下室のメロディー』④~北海道新聞(朝刊)の「卓上四季」(2013・12・1)にて~

 2013年(平成25年)12月1日付け北海道新聞(朝刊)の「卓上四季」に、アラン・ドロンのことが掲載されていました。

【「卓上四季」抜粋①】
「往年の映画スターの名前を紙面で目にすると、思わず訃報か、と目を凝らしてしまう。失礼、この方はお元気な様子だ アラン・ドロン氏。久びさにマスコミに登場したかと思えば、極右政党への支持を公言し、美女コンテストの名誉会長職を剥奪されたという。未練たっぷりの解任劇だったそう」

 美女コンテストの名誉会長職に就いていたんですね。知りませんでした。
 「ミス・フランス2013年の決勝大会」の様子はこちらにありました。

 アラン・ドロンは、相変わらず、ご高齢にも関わらず話題には事欠いていません。
 それにしても、彼が以前から右翼と言われていたのは存じていましたが、「極右政党への支持を公言」とは驚きます。よほど現在の社会党政権(フランソワ・オランド大統領)への不満が大きいのでしょうか?確かに過去にアラン・ドロンが映画界で人気が振るわなくなった時期、そして、フランスの映画産業が振るわなくなった時期は、やはりフランス社会党のミッテラン政権の時期と重なるような気がします。
 オランド政権下では税制改革も進み、100万ユーロを超える所得の富裕層には所得の75%が課税されるようになったそうですから、アラン・ドロンの納税額も相当なものなのでしょう。共和党時代のジャン・ギャバンでさえ、自伝の執筆依頼を断った理由に「もうけの大半は税金でとられてしまう。私は税金を納め過ぎているんだ。もう奉仕はごめんだね」と不満の声を挙げていたようです。そのことが原因か否かはわかりませんが、当時のジスカールデスタン共和党大統領からの昼食会への招待も断っていたそうです。
 共和党政権の時代でさえ、富裕層であった人気スターの不満はこのようなものであったのですから、オランド社会党・・・言わずもがななのでしょう。
 実際この政権の税制改革は、富裕層にとって切実なようで、実業家やスター俳優がフランスから実際に他国に移住する事例が増加しているほどなのだそうです。アラン・ドロンが極端な「極右政党への支持」を公言する理由のひとつとしてわからなくもありません。

 「極右支持公言「ミス・フランス」名誉会長辞任」の記事はこちらにありました。

 それにしても「未練たっぷりの解任劇」とは、ユニークですね。でも、『冒険者たち』のレティシア、『サムライ』のヴァレリー・・・特に『黄色いロールスロイス』のメイなんかを想い出すと、意外に、女性とうまくいかなくなる役も似合っていた作品が多かったような気もします。ファンとしては、少し情けないけれど、そう考えると何とも微笑ましくて、彼らしいとも思えてきます。

【「卓上四季」抜粋②】
「「太陽がいっぱい」で“世界デビュー”を果たしたドロン氏は、とりわけ日本の若い女性に絶大な人気を博した。その魅力は端正な顔立ちにときおり浮かぶ深い憂い・・・だろうか。青春真っ盛りだった俳優もいまや78歳。老境の域に達してはいるが、脂っ気はまだ抜けていない。」

 最近、『学生たちの道』(1959年)がDVD化され、早速購入しましたし、『太陽がいっぱい』(1959年)なども気が向いたときに良く観ますけれど、彼が続けて出演したこの2本を観ても「絶大な人気を博した」理由が、よく分かります。
 『学生たちの道』などで、アイドル俳優としてあの美しい顔だけでも人気が出たのは当然でしょうけれど、『太陽がいっぱい』で犯罪者となって破滅する青年の役を引き受けたときは、単なる人気アイドルとしてでなく、役者・俳優して生きていく覚悟を決めた端境期だったんでしょう。彼の人気が絶大だったのはそんなところにも理由があったんじゃないでしょうか?

【「卓上四季」抜粋③】
「ドロン氏が名優ジャン・ギャバンと共演し、映画史を彩った作品のひとつに「地下室のメロディー」がある。日本での公開は、ちょうど50年前。季節もいまごろだった 刑務所で出会った2人が出所後、南仏カンヌのカジノから巨額の現金を強奪する筋立て-。奇想天外な結末は映画に譲るとして、華やかなカジノを裏で操る者たちが、随所に描かれている。一般の人には想像できない<深い闇>が 」

 「カジノを裏で操る者たちが、随所に描かれて」はいなかったように思うのですが、現在、北海道新聞のコラム「卓上四季」にアラン・ドロンの作品が紹介されたことは本当にうれしいことでした。それにしても私の母がまだ20代の頃、アラン・ドロン27歳の時の作品ですから、50年も前になるんですね。本当に感慨深いものがあります。
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【「卓上四季」抜粋④】「カジノ解禁に向け、高橋知事が道内の自治体の先頭に立って旗を振る姿に、違和感を覚える。よもやリゾート施設を誘致するつもりでもあるまい。カジノは賭博。暴力や犯罪が必ずはびこる。ドロン氏の迫真の演技は、その恐怖を教えてくれる。」

 カジノは、日本では刑法上は賭博とみなされているそうです。海外では120以上の国や地域で合法化されていて、G8の国家のうち全面的に禁じられているのは日本だけで、カジノを実現するにはわざわざ特別法などを制定する必要があるそうです。
 しかし、2020年東京オリンピック・パラリンピックに向け、超党派(自民、公明、民主、日本維新の会など)として、各政党の議員が名を連ねている「国際観光産業振興議員連盟」が、秋の臨時国会にカジノ解禁に向けた議員立法の提出を検討しているそうです。特区を設けて、その中で解禁するではないかとのこと。
 カジノだけでなくホテルや国際会議場、スポーツ施設、ショッピングモールなどが集積する「統合型リゾート」(IR)と呼ばれる複合施設の建設を促進することも視野に入れて、東京都、大阪市はもちろん、沖縄県や宮崎県などでも誘致を検討しているそうです。
 北海道内でも釧路市、小樽市、苫小牧市の3市が既に手を挙げていて、高橋はるみ知事も道内への誘致に積極的だそうです。苫小牧商工会議所などを始め、周辺の千歳市と恵庭市、白老町、厚真町、安平町、鵡川町の商工会議所では「道中圏統合型リゾート構想誘致期成会」を設置しています。まだカジノ設置の市町村は具体化していないものの新千歳空港からのアクセスを長所として誘致を進めていくことが基本構想の戦略となることは間違いないでしょう。

 北海道新聞のコラム「卓上四季」では、カジノがギャンブル依存の温床となって、犯罪増加に結びついていくことを懸念し、特に暴力組織が関与することへの不安や青少年への悪影響などを想定した道政批判を結びとしています。
 確かにこのテーマで、アラン・ドロンとジャン・ギャバンが共演した『地下室のメロディー』を引合いに出すのは、ファンとしては、素晴らしいセンスだと思うのですが、この映画作品の結末では、警察の取り締りが強固であることによって、現金強奪が失敗に終わってしまうことが描かれていました。ですので、「ドロン氏の迫真の演技は、その恐怖を教えてくれる。」のではなく、むしろ警察の警備体制が万全であることのキャンペーンになってしまう内容であったのではないかとも思います。ですから、『地下室のメロディー』は、この「卓上四季」の主題の的から外れる題材だったようにも思うのでした。

 特に、私などは、この作品があまりにも魅力的であることも手伝ってしまい、逆にカジノ誘致の推進に一役買ってしまうのではないかと・・・。そういった意味では、この日の「卓上四季」は少し残念だったような気もしました。

 しかし、やっぱりアラン・ドロンのファンである私としては、このような記事が、毎日読む新聞のコラム欄に何気なく掲載されていたことは、本当にとても嬉しいことであったのです。



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by Tom5k | 2013-12-31 22:28 | 地下室のメロディー(5) | Comments(2)

『地下室のメロディー』③~我々の世代交代~

 札幌より140㎞ある自宅に帰宅していた平成24年10月13日(土)、久しぶりに中学生時代のクラスメート6名が集まってミニクラス会を開きました。男子4名、女子2名・・・。
 年齢の割に精神年齢の若い(幼い)彼らは、想い出話にしんみりするような殊勝な気持ちは持ち合わせておらず、お互いをコケにし合ったり、社会問題で真顔で憤っていたすぐ後にカラオケを歌いまくったり、スナックで隣席した他の客と意気投合して騒いだり、相変わらずチャランポランな風情でした。
「だから、世の中が良くならないんだ」
と思っているわたしでしたが・・・同じようなものかもしれません・・・。

 一次会の居酒屋では、高校時代に何度か会って以来の友人Bに30数年ぶりにゆっくり話すことができました。彼は現在小さな会社を経営しているそうです。
 わたしのような呑気なサラリーマンに、小規模とはいえ会社を経営している彼の苦労など想像することすらできるわけがないのですが、彼とは中学2年のときに親しくしていた間柄であったので、昔話には会話がはずみました。

トム(Tom5k)
>そういえば、おまえさ、歴史のテストのとき、日本が開国したときの日米修好通商条約の不平等条約の内容を問われた問題で、「関税自主権」と「治外法権」と単語だけ書いて、正解を貰えなくてくやしがってたよな。
友人B
>それ、おれか?

とか。

トム(Tom5k)
>沢田研二の「サムライ」が好きで良くレコードかけてたよな。
友人B
>おまえもピンク・レディーが好きでコンサートに行ってただろ。

※注~私は中学生の頃、ピンク・レディーのミーが大好きでした。特に好きな歌は『カルメン』、『ウォンテッド』、『サウスポー』・・・。

とか、他愛の無い想い出話ばかりだったのですが、友人Bとは当時リバイバル公開されていた『地下室のメロディー』を一緒に観に行ったことがありました。

友人B
>そういえば、おまえと映画行ったよな。
元女子Y
>あんたらふたりで何を観に行ったのさ。(小馬鹿にした笑い顔)

途中で横から、当時の友人の元女子Yから横やりが入ったのですが、

友人B
>おまえ、アラン・ドロン好きだったから、『地下室のメロディー』だったよな?銀行強盗した札束が最後に海に浮いてくるやつよ。
元女子Y
>二人で行ったの?キモ~イ。きゃははは。(爆笑)

わたしは元女子Yを気にかけずに・・・

>うわぁ、よく憶えてたな!
だけど、銀行じゃなくで盗みに入ったのはカジノで、札束が浮いてくのは海じゃなくてプールだけどな。
友人B
>そっか、プールだったか、白黒だったよな。三本立てでよ。
トム(Tom5k)
>おまえ、ほんとによく憶えてるな。

※注~併映の2本については記憶が定かではなく、確か『アウトローブルース』か『トラック・ダウン』か『ファール・プレイ』か『相続人』のうちのどれかだったとは思います。

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元女子Z(もう一人の出席者の元女子)
>ねぇどっちから、誘ったの?
友人B
>アラン・ドロンの映画だからな、トム(Tom5k)に決まってるだろ。
全員
>そりゃあ、そうだ。
※注~トム(Tom5k)はブログネームですから、この会では私の本当の名字で話しています。

 わたしが当時からアラン・ドロンに夢中であったことは、友人たちの間でも有名で、例年のクラス会でも必ずそのときの話題になってしまうのです。
 そして、わたしは胸を張って言うのです。

>今でも大ファンだ。

 当時、中学生であったわれわれも、現在では40歳代も最後の年齢になってしまいました。ひょっとすると、『地下室のメロディー』のアラン・ドロンが演じたフランシスは、我々の部下たちの中でも若い方の世代になっているかもしれません。


【旧い世代は、つかれてきたとはいえ、なお依然として勢力はあるし、若い世代は、ぐんぐんのびてくる。二人はそこで、どうしてもぶつかりあわなければならない。だから「地下室のメロディー」のストリーは、その意味からも、大変面白い。老ギャングは、寄る年波にはあらそえなくて、若者の力に助力をあおぐのだ。若者の方は、これが金になるんなら、うまい生活への糸口なら、願ってもないこと。お互いが必要なのである。だから、若いフランシスが、ドジをふんで、すべては見果てぬ夢におわったとき、おそらく老ギャングの胸のうちは、若いものに対する怒りではない。自分も年とったもんだ、もうどうやっても芽はでっこあるまいという自嘲だったろう。フランシスのほうは、人生ではじめてあう挫折感である。挫折を感じる以前の茫然自失といったらよいかもしれない。そしてこの役柄は、実は、ジャン・ギャバンと、アラン・ドロンの存在を、象徴的に示しているようにも思う。(-中略-)全く異質な人間が、ある一作の中で、すれちがった。ひとりはそこに止まって、栄光のバトンを手渡し、ひとりはそのバトンをもって、夢中でかけ出す。明日という日へ向かって-。】
【スクリーン1963年11月号「ギャバン対ドロン」秦早穂子】


やはり会社を経営しているもう一人の友人Oは、

>使うより使われている方が、よっぽど楽だよな・・・。
友人B
>まったくだよ。

と・・・。

友人O
>若い奴は知らないだけなんだよ。必要なことは言い続けて行かなきゃだめなんだ。でないと良くなるものも良くならないんだ。

 『地下室のメロディー』でも、ジャン・ギャバンが演じたシャルルの立場からは、女にも時間にもだらしのないフランシス、その兄ルイも怖じ気づいて仕事が終わったら二人に見切りを付けて離れていきます。

 我々も、そろそろジャン・ギャバンの演じた老ギャングの感覚に近くなってきているのでしょうか?あと5年も経ったら、この『地下室のメロディー』を鑑賞しても、ジャン・ギャバンへの感情に共感することの方が多くなるのかもしれません。


 それにしても、一緒に飲んだ元女子二人は、揃いも揃って・・・

>あんたら二人で映画って・・・よっぽどもてなかったんだねえ。あっはは。
>何でわたしたち誘わないのさ!わたしたちなら付き合ってやったのに。ばっかだねえ。


 とても、『地下室のメロディー』でシャルルの妻を演じたヴィヴィアンヌ・ロマンスの域に辿り着いているとは思えないんですが・・・。


 しかしながら、わたしは今年正月に開催されるクラス会も、今から楽しみになってきていることも正直な気持ちなのでした。
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by Tom5k | 2012-10-21 18:13 | 地下室のメロディー(5) | Comments(4)

『シシリアン』③~娯楽大作となった「フレンチ・フィルム・ノワール」での典型的なアラン・ドロン~

 久しぶりに『シシリアン』が観たくなりました。
 『シシリアン』は、アラン・ドロンがジャン・ギャバンと共演した作品としては、決して高く評価されている作品ではありませんが、最近のわたしには、他の二本の共演作品(『地下室のメロディー』『暗黒街のふたり』)よりも好きな作品となっています(余談ですが、アラン・ドロンがジャン・ピエール・メルヴィル監督と組んだ最も好きな作品が、これも最近では、『サムライ』や『仁義』と比べ、やはり評価の低い『リスボン特急』でもあります。)。

 1962年製作の『地下室のメロディー』は、フランス、ニースのカジノからの現金強奪を描いた「フレンチ・フィルム・ノワール」作品で、素晴らしい出来映えの作品だと思いますが、駆け出しのアラン・ドロンが初めて、ジャン・ギャバンと共演した作品であり、彼は若いチンピラとしてのキャラクターでしかなく、それはそれで、たいへん魅力的ではあるのですが、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の演出で1967年に撮った『サムライ』以降の非情で冷徹、かつ悲哀を帯びたキャラクターのイメージは、まだ確立されていませんでした。

 『暗黒街のふたり』は、社会派ドラマトゥルギーを主軸とした作品であり、原作・演出・シナリオのジョゼ・ジョヴァンニ、製作・主演のアラン・ドロンが、各々の実体験からシリアスで悲劇的な独特のリアリズムによって、素晴らしい作風を確立した作品だと思いますが、この1973年当時のアラン・ドロンは、類型化し硬直してしまった自らのアンチ・ヒーロー的なヒーローのキャラクターから脱皮しようとしていたのか、従来の「フレンチ・フィルム・ノワール」からエンターテインメント的要素が失われてしまった印象を私は持っています。

 それらの作品に比べて、1969年製作の『シシリアン』は、「フレンチ・フィルム・ノワール」の大先輩であるジャン・ギャバンやリノ・ヴァンチュラ、ハリウッド作品『素晴らしきヒコーキ野郎』や『史上最大の作戦』でも活躍していたイリナ・デミックなどの豪華な共演者たちで「スターシステム」を徹底し、高価な宝石を運送する航空機をそれごとハイジャックして強奪する大掛かりなアクションに、旧時代の典型的なフランス映画の特徴である運命に敗北する主人公たちのペシミスティックな情緒的表現も加味した贅沢な娯楽大作となっています。
 しかも、この作品でのアラン・ドロンの格好良さは類い希なのです。

 ファースト・シークエンスでは、護送車から刑務所に収容するために移送されてきた受刑者たちが、手錠を掛けられたままふてぶてしい無表情で続々と降車し続けるさまを描写し、バック・グラウンドに、イタリアン・マフィア風の曲調をうまく強調したエンリオ・モリコーネの主題曲を照応させています。
 このショットでのエキストラの雰囲気は凄まじく、本物の受刑者を実写しているのではないかと錯覚するほどの迫力がスクリーン全面から滲み出ています。

 そして、その護送車から最後に姿を現わすのが、主人公サルテを演じるアラン・ドロンです。彼のクローズ・アップがフリーズし、同時にマルチフレームのレフト・サイドに、彼が刑務庁舎内に連行される様子が描写されます。
 多くの連行されてきた犯罪者の中から、任意のサルテという主人公を選び出すこの作業は「トラック・ショット」と呼ばれる手法ですが、ここでは、ひときわスタイリッシュに輝いているスターとしてのアラン・ドロンを犯罪者サルテと同化させて特に強調しています。

 次に、施設に収容される受刑者たちを整列させるショットに繋ぎ、ボリューム・コントロールによりBGMのマスター音量を下げ、刑務官が事務的に指示事項を説明するショットをモンタージュさせる手法が採られています。
 これらの描写には、反社会的でピカレスクな世界が非日常的な魅力として満載されており、彼ら犯罪者たちの魅力が冒頭から鮮烈に印象付けられ、作品への期待感が否応無しに喚起させられてしまいます。
 当時の映画館で、このファースト・シークエンスを観た観客は、これから始まっていく映画の展開への期待感が最高潮に達したとことでしょう。

 また、今回の鑑賞で印象的だったのは、長男アルド・マナレーゼの妻ジャンヌを演ずるイリナ・デミックでした。「殺し屋」という魅力的な存在への好奇心からエクスタシーを得ようとする女性特有のマゾヒスティックなエロティシズムがうまく表現されていたと思います。
 自分だけがシチリア人ではないことで、ファミリーのなかで常に疎外感を感じていたジャンヌは、強盗殺人で投獄されたこのハンサムな「殺し屋」に魅せられることで、その欲求不満を解消できると確信したのでしょう。必要以上に、何度もサルテの部屋に食料を運ぶ彼女は、実に被虐的でセクシュアルな雰囲気を漂わせていました。
 この作品でのアラン・ドロンとイリナ・デミックのポルノ・グラフィックなシチュエーションは、結果的にサルテの死やマナレーゼ・ファミリーを破滅に導く映画のプロットとしても、素晴らしい効果を上げています。

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 他に印象的だったのは、警官隊に囲まれた娼館からサルテが逃亡するときのシークエンス、特に彼が夜の闇に向かって路地を走り抜けていく後ろ姿のショットなどには、アニメーション的な躍動感があります。良い意味でリアリズムとは若干かけ離れた、映画ならではの非現実的なシチュエーションであったような気がするのです。
 「フィルム・ノワール」として、都会の闇に隠れて生きる犯罪者の生態をうまく象徴させた描写だと感じました。

 また、アクション描写を編集したシークエンスであるにも関わらず、静的で地味な「フレンチ・フィルム・ノワール」の体系に準拠している印象であり、わたしとしては、「アクション」それ自体の描写が、ノワールのイメージを醸成するための演出や編集の手法のひとつとして重要なのではないかと、考えさせられました。
 この視点は、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品を理解するうえでも、重要なポイントになるように思い、今回の鑑賞の最大の収穫だったと考えています。



 さて、この作品は何度もTV放映され、観る機会の多かった作品です。
 想い起こせば、中学生のときのTV放映で観ていたときだったでしょうか?
 ニューヨークのモーテルに潜伏しているサルテの元にニューヨークのボス、トニーが訪れ、訪問ブザーが鳴った途端に彼が飛び起きるシーンで、

当時、一緒に観ていた父親が、

「こういう商売やってると、神経休まる暇無いなっ! 絶対、熟睡できないぞっ!」

と、興奮して感想をもらしていた記憶があります。
わたしは、
おやじは何を力んでるんだろう?
あほでないのか?
と、不思議に思いながら、テレビでの映画放映を観ていた記憶が残っています。
多分、ギャングやマフィアが登場する映画が全盛期の時代でしたから、父親はそんな一連の作品群のなかの一本として観ていたのだと想います。


「ギャング役は好き?
 = ぼくが一ばん好きなのがギャング役ではない 観客が一ばん好きなのがギャング役なのだと思う ギャングでも神父でもぼくは演りがいのある役が好きだ」
【アラン・ドロン孤独と背徳のバラード 芳賀書店(1972年)】

【>ルイ・ノゲイラ
ドロンはあなたにとってスターの典型的な例なのですか?
>ジャン=ピエール・メルヴィル
彼は私が知っている最後のスターだ。フランスでは言うまでもなく、全世界を見てもそうだ。彼は30年代のハリウッド的な「スター」なんだよ。(略-)】
【引用『サムライ ジャン・ピエール・メルヴィルの映画人生』ルイ・ノゲイラ著、井上真希訳、晶文社、2003年】
サムライ―ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生
ルイ ノゲイラ Rui Nogueira 井上 真希 / 晶文社






 この作品は、当時のアラン・ドロンのファンが最も好み、それに答えるために、超人気スター俳優としてギャングを演じた最も安定感のある、彼にとっての典型的なスタイルの「フレンチ・フィルム・ノワール」だったように思うのです。
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by Tom5k | 2011-06-19 02:06 | シシリアン(3) | Comments(4)

『暗黒街のふたり』~イントレランス=不寛容、そして、レ・ミゼラブル=悲惨(哀れ)な人々~

【被虐的な役なんて、わがドロン様には似合わない。ただそれだけの理由です。映画そのものの出来が悪いとは、決して思いませんけれど。
 同じような理由で『ブーメランのように』、『ル・ジタン』というところでしょうか。
人間の弱き愚かしさの追求、いわれなき差別に対する怒りをテーマに取り上げているという意味においては、立派な映画だと思うけど、そこには弱者が弱さを売り物にして居直った傲慢さが感じられてあまり気持ちのいいものではない。(略-)】
【南俊子氏】

 正直に記せば、わたしは、映画評論家の南俊子氏がアラン・ドロンを、どの程度理解して批評していたのか?と、大きく疑問視しているところなのですが、当時のアラン・ドロンのファンの代弁、人気の要因を最も象徴したところで批評していたことは間違いのないことであるように思っています。
 また、『パリの灯は遠く』を大きく評価していたことを鑑みれば、もしかしたら、氏はアラン・ドロンの本質に気づきながらも、あえて一側面のみの批評に徹していたのかもしれません。

 そして、アラン・ドロンの人気の全盛期、1960年代後半から1970年代にかけて、アラン・ドロン批評のほとんどを担われていた氏は、ジョゼ・ジョヴァンニ監督の演出したアラン・ドロン主演作品の3本をすべてワースト10に選定しています。

 現在は、それらの作品の批評について、あくまでも《私的見解として限定的》にですが、珍しくわたしも氏と同様の気持ちです。
 しかしながら、過去、わたしがアラン・ドロンのファンになったばかりの頃には、逆にこれらの作品が最も気に入っていました。ですから現在でも強くこだわりのある3作品でもあるのです。

 いずれにしても、わたしにとって、当時の各種映画誌での氏の批評には全く興味が喚起されず、むしろ、そのアラン・ドロン評が、彼の本質を一般に拡大できずに硬直させてしまったとまで、批判的に考えています。
 そんなことからも、また、フランス映画史的にジョゼ・ジョヴァンニ監督が、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の「フレンチ・フィルム・ノワール」の後継者として、すでに高く評価されている映画監督であるにも関わらず、彼の映画作品のテーマや背景などの意味合いからも、

わたしは、生意気にも本来はどのようなところに位置づけられるべき映画人なのかと、以前から考え続けてしまっているのでした。


【>池波
正直いってもう話は何べんも、日本でも外国でもやったようなものなんだけれども。ジョゼ・ジョバンニの脚本と演出は堂に入っていますね。彼は非常にうまくなった。(略-)】
【キネマ旬報1974年4月下旬号No.629 「暗黒街のふたり」の魅力を形作る三人<巻頭ディスカッション>ギャバン/ドロン/ジョバンニ 池波正太郎/早乙女貢/田山力哉/南俊子 白井佳夫】

 映画公開当時の池波正太郎氏の『暗黒街のふたり』に対する何気ない一言は、わたしには大きく印象的であり、また全くの同意見なのです。

 例えば、まずわたしが最初に思い出すのが、映画の父とも呼ばれるD・W・グリフィスが監督・脚本を担当した文化芸術史的大作『イントレランス』(1916年)の現代篇です。
 この作品は、10人の人間が観れば、その10人のほとんどが、古代篇の空中庭園や戦乱のスペクタクル、ラスト・シークエンスでの時代と場所を狂ったように往来する映像史上における類い希な凄まじいクロス・カッティング、などに驚嘆するだろうと思うのですが、わたしに限っては、それ以外にも、この現代篇のストーリー・プロットが後年の「ギャングスター映画」「フィルム・ノワール」「マフィア映画」などの原点となっていると考え、そのことに驚いてしまいました。

 そして特に、アラン・ドロンが主演した「フレンチ(ハリウッド・イタリア資本作品も含めて)・フィルム・ノワール」作品の多くに、その特徴が見られているように感じたのです。

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 この現代篇のストーリーのプロットなのですが、
 まず、慈善事業家(社会改良家)の偽善行為の傲慢さを描写し、彼らが依頼した資金のスポンサーとなる企業からの資金繰りが、工場労働者の賃金カットによるものであったことから、必然的に大規模ストライキ(暴動)が発生し、その鎮圧による警官隊の発砲から命を失う者まで発生させてしまうことなどが前半で描かれています。
 失職と父親の死から、主人公の労働者は都市部に移住し、とうとう犯罪組織の一員となってしまうのですが、このように犯罪が創り出される経緯にまで辿っていることは、実に本質的な構成・プロットです。

 その後の主人公の青年は、同じ工場で働いていた労働者の娘と所帯を持ち、子供まで授かり幸福な時代を迎えていくのですが、それもつかの間、彼は暴力団組織から脱退することが許されず、組織の策略によって逮捕され、更に慈善事業家(社会改良家)たちの偽善行為によって、子供まで育児施設に強制保護されてしまいます。
 青年が刑期を終えて出獄したときには、組織のボスの殺害容疑により裁判に図られ、殺人罪で絞首刑を宣告されます。映画の最後では、主人公は無罪放免にはなるのですが、この現代篇後半での社会の「イントレランス=不寛容」のプロットを要約すると次のように整理できると思います。

○ 愛する夫(主人公)の刑務所への入出獄
○ 家族のために堅気になりたくてもマフィア組織の脱退を許してもらえない主人公
○ 主人公が堅気になっても、それを理解してくれない冷たい社会
○ 弱みに付け込んで妻にせまる暴力組織のボス、その行為に激昂する主人公
○ 不条理な裁判制度
○ 人命を奪う死刑制度

 『泥棒を消せ』(1964年)や『ビッグ・ガン』(1973年)では、家族のために堅気になりたくても、仲間の強盗団やマフィア組織のしがらみから、それが許されない悲劇的な主人公が描かれていました。特に『泥棒を消せ』では、真面目に働いて更正しようとしている前科者に執拗に嫌疑をかけ、悪しき環境のなかで犯罪者に仕立てられていく様子、堅気になってもそれを理解してくれない冷たい社会の描写まで掘り下げられており、『シシリアン』(1969年)では、犯罪者に成らざるを得なかった青年の生育歴にも触れられていました。

 そして、この『暗黒街のふたり』では、アラン・ドロン演ずる主人公のジーノが刑期を終えて出獄し、堅気になろうと更正に努めるのですが、やはり、それを理解してくれない冷たい社会、仲間の強盗団のしがらみなどが描かれ、最後には弱みに付け込んで妻にせまるゴワトロ警部の横暴から、その行為に激昂し、とうとう殺害事件を起こしてしまう悲惨な状況が描写され、ある意味においては不条理な裁判制度、そして残酷な死刑制度により、その努力を認められずに生命を奪われてしまうのです。

 『暗黒街のふたり』の原作【ジョゼ・ジョバンニ著、山崎龍訳、二見書房、1974年】では、一貫してジーノの更正に尽力するジャン・ギャバン演ずる保護司ジョエルマン・カズヌーヴが、

「悪しき環境こそ犯罪者をつくる」

と、この作品のテーマを主張しています。

暗黒街のふたり (1974年)

ジョゼ・ジョバンニ / 二見書房



 『暗黒街のふたり』で描かれているプロットやテーマは、主人公の最後の描き方の違いを除けば、まるで映画『イントレランス』現代篇後半部分のリメイクであるかのような印象を持つことができます。

 この作品で強く印象的なのは、主人公ジーノに執拗につきまとうミッシェル・ブーケが扮したゴワトロ警部です。彼は犯罪者の更正を全く信じていない冷血漢であり、その任意調査の方法は、「イントレランス=不寛容」を徹底しており、その潔癖性による猜疑はとても正常な感覚とは思えません。

 なお、この作品が非常にリアリティを伴っている理由のひとつに、主人公ジーノを演じたアラン・ドロンが、実際に起こったマルコヴィッチ殺害事件で嫌疑の対象とされ、警察当局の任意の調査による囮捜査などで、不合理で執拗な嫌がらせを多く受けた経験からの演技によるものがあったと考えられます。
 彼もまた社会の「イントレランス=不寛容」に深く傷つけられた「レ・ミゼラブル=悲惨(哀れ)な人々」であったのかもしれません。

 そこから思い出されるのが、フランスが生んだ大文豪家ヴィクトル・ユーゴー原作の大作『レ・ミゼラブル』です。

レ・ミゼラブル 全4冊 (岩波文庫)

ヴィクトル ユーゴー / 岩波書店



 たった一切れのパンを盗んだだけで19年間も投獄され、官憲の典型であるジャヴェール警視に執拗につきまとわれるジャン・ヴァルジャンの物語です。

 この名作は何度も映画化されており、自国フランスでは、『暗黒街のふたり』に出演しているジャン・ギャバン(ジャン=ポール・ル・シャノワ監督、1957年)、ジェラール・トパルデュー(TVシリーズ、ジョゼ・ダヤン監督、2000年)、また、アラン・ドロンのライバルであるジャン・ポール・ベルモンド(クロード・ルルーシュ監督、1996年)、良き先輩スターのリノ・ヴァンチュラ(TVシリーズ、ロベール・オッセン監督、1983年)が、主人公のジャン・ヴァルジャンを演じています。

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 アラン・ドロンにゆかりのあるスターたちは、ほとんどがジャン・ヴァルジャンに扮しているとまでいえるでしょう。

 この作品でも、映画『イントラレンス』と同様に、真面目に働いて更正しようとしている前科者の主人公に執拗に嫌疑をかけ、主人公が悪しき環境のなかで犯罪者に仕立てられようとする様子、堅気になってもそれを理解しようとしない冷たい社会環境などが描写されています。
 また、最も強烈なキャラクターとして、人としての良心を喪失してしまったようなジャベール警視という王党派の冷徹な警察官が登場します。
 このキャラクターは、まさに『暗黒街のふたり』のゴワトロ警部そのものでした。

 そして、驚くことに、リノ・ヴァンチュラがジャン・ヴァルジャンを演じた1983年版のロベール・オッセン監督のTVシリーズでジャベール警視を演じたのは、なんと!『暗黒街のふたり』でゴワトロ警部を演じたミッシェル・ブーケなのです。

 この配役とジャン・ヴァルジャンを演じたことのあるジャン・ギャバンの出演によって、『暗黒街のふたり』が、現代の『レ・ミゼラブル』であると、わたしは解釈せざるを得なくなっています。



 ところで、ノーベル賞作家の大江健三郎氏は、エッセイ集である『「伝える言葉」プラス』(朝日新聞社、2006年)で、「不寛容」すなわち「イントレランス」について、次のように語っています。

【人間は、思い込みと自分らの作り出したものの機械となって突進する。その勢いを、人間は誤りやすいと自覚して、ゆるめようと努めるのが寛容。渡辺さんはいつの世にもある不寛容に嘆息しながら、歴史を見れば寛容こそ有効だ、と言い続けました。】
 渡辺さんとは、大江氏が東京大学フランス文学部在籍中のフランス文学史専攻の歴史学者であった渡辺一夫氏のことです。彼は生涯に渉ってヒューマニズム(ユマニズム)について主張し続けていった素晴らしい知識人でした。

 また、大江氏は21世紀の社会の想定を、
【渡辺一夫の鎮められない魂が現れることがあるなら、あなたの暗い予見よりさらに暗く、二十一世紀は不寛容の全面対決に向かいつつあり、この日本も戦列に加わっている、と訴えたい思いです。】
と絶望的に総括しています。

 しかし、最後に氏は、
【しかし、その国に、先生は知らないメールを盛んに使って、寛容を世界に発信する、新しい市民たちが出て来ている、とも付け加えねばなりません。】
と前向きな展望も示しています。

「伝える言葉」プラス

大江 健三郎 / 朝日新聞社



 現在の日本では、非常に困難な賛否の両論があり、安易な判断を下すことは避けるべき懸案ではあると思いますが、死刑制度の廃止論も避けては通れない問題かもしれません。
 フランス共和国では、この『暗黒街のふたり』が制作された1973年の3年後の1976年に最後の死刑執行が施行されて以降、1981年のフランス社会党のミッテラン政権の誕生により、死刑制度が廃止されました。
 現在では、死刑廃止国であることが欧州連合(EU)への加盟条件にまで拡大されているそうなのです。


 わたしは、今後の社会の展望において、ジョゼ・ジョヴァンニ監督のアラン・ドロン製作・主演作品が、何らかの社会貢献に役立つ作品となるような気がしてならないのですが、現在及び未来の日本での極めて困難なヒューマニズムの実行を熟考していくうえで、この『暗黒街のふたり』が、その「トレランス=寛容」の実現において、今後どのような役割を果たしていくのかを深く考え込んでしまうところでもあるのです。
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by Tom5k | 2011-01-23 00:30 | 暗黒街のふたり | Comments(6)

『地下室のメロディー』②~映画館での鑑賞で特に印象の強かったもの~

 今日(平成22年6月6日(日))は、久しぶりに仕事が休みでしたので、札幌市に所在するミニシアター映画館「蠍座」(北区北9条3丁目タカノビルB1)で上映されている『地下室のメロディー』を観に行ってきました。

 今回は、家族全員で札幌での他の所用が主目的だったので、自家用自動車での路程となりました。幸いなことに、それは午後からの用事だったので、午前8時に自宅を出発して高速道路を利用し、何とか10時30分からの上映開始時刻には間に合わせることができました。12時30分までの2時間、ゆっくりと『地下室のメロディー』を堪能することができ、久しぶりに映画における有意義なひとときを過ごせたわけです。

 一緒に札幌に行くことになった本年73歳を迎えた母親に
「丁度、札幌の映画館で、アラン・ドロンとジャン・ギャバンの古い映画をやっているから、それを観終わって12時30分過ぎ頃に待ち合わせよう。」

「なにっ?!ドロンとギャバン・・・それって、『地下室のメロディー』かい??・・・
・・・いいねえ、一人で観て・・・・・・どうやって時間潰そうかなあ?」

と、どうも恨めしそうな表情だったので・・・・・仕方がありません。一緒に連れてくかあ。

 それにしても、おふくろのヤツ、よく『地下室のメロディー』なんて映画名が出てきたもんだ。アラン・ドロン人気全盛期の世代であるにも拘わらず、『サムライ』と『レッド・サン』の区別が付いていない人ですから、正直、驚きました。
 映画に連れて行ってもらうことに気を良くしたのか、わずかな年金から今回は映画代を出してくれました。おふくろに「小遣い」貰うの何十年ぶりかな・・・。


 さて、振り返ってみれば、平成17年2月に『山猫』を「シアターキノ」(中央区南3条西6丁目南3条グランドビル2F)で、平成21年2月7日(土)に『望郷』と『太陽がいっぱい』、平成21年2月28日(土)に『肉体の冠』と『太陽はひとりぼっち』を「蠍座」で鑑賞することができました。ここ5・6年の間に、4本ものアラン・ドロンの主演作品を映画館で鑑賞したことは、わたしにとっての一生の想い出となりそうです。
望郷
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肉体の冠
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 逆に、残念なのは、平成20年11月に「札幌シネマフロンティア」(中央区北5条西2丁目5番地 JRタワー・ステラプレイス7階)で上映された『若者のすべて』を、仕事の都合で観に行くことができなくなってしまったこと。わたしにとって、これは本当に悔しい想い出となりました。

 それにしても、「スクリーンに投影された」アラン・ドロンとジャン・ギャバンを想い浮かべて・・・正に映画とはこういうものなのだ、映画スターとは彼らのような者たちのことを言うのだ・・・と、わたしは映画を観に行く前から大きな感慨に耽ってしまっていたのです。
 やはり、寝転がって、見落とした場面を送り戻しながら・・・また、お菓子を頬張りながら・・・あるいは、一時停止をしてトイレに行ったり・・・このような緊張感のない鑑賞は、いくらディスプレイが大きくなった新型TVで鑑賞したとしても、本物の映画鑑賞とは言えますまい。

 想い起こせば、この『地下室のメロディー』は、中学校2年生の時分、1978年頃だったでしょうか?同じクラスの友人を付き合わせて映画館に足を運んだ記憶があります。
 それ以前のTV放映でも既に鑑賞していたのですが、ジャン・ギャバン演ずる出所帰りのシャルルとヴィヴィアンヌ・ロマンス演ずる妻ジャネットとの自宅でのやり取りや、アラン・ドロン演ずるフランシスとカルラ・マルリエ演ずるスウェーデンのダンサー、ブリジットとの恋愛関係などのシークエンスが大幅に編集・カットされており、
「本当の『地下室のメロディー』は、随分と長い作品だったんだなあ」
との印象を持ったものでした。

 今回の映画館鑑賞で、わたしがあらためて印象に強く残ったのは、フランシスとブリジットとの淡い恋物語、そして、やはりカンヌのパルム・ビーチでのカジノの地下金庫室からの現金強奪のスリリングでリアルなプロットとその映像表現でした。

 フランシスは初め、シャルルの指示通りに舞台ホールの楽屋裏の出入りを自由にできるようにするために、スウェーデン出身のダンサーであるブリジットに近付いただけでした。ところが、彼はどうやら、本気で彼女に恋をしてしまったようです。

 彼女とのデートで午前4時まで、仕事を気にかけずに浮き足立ってしまったフランシスに、ボスのシャルルから、
「・・・1分のズレは1分では戻せん それで何年も食らうからな」
と、1分刻みでの行動を取れ、と大目玉を食らうシーンがあります。

 結局は、最後に彼女が選ぶのは、別のブルジョア男性となってしまうのですが、その彼と一緒になることをフランシスにわざわざ告げてお互いの関係を清算してしまう行動は、とても不自然なものでした。
 もしかしたら、他の男の元に行ってしまう自分を本気で引き留めて欲しかったのではないか、むしろそのために、わざわざ彼の元を訪れて別れを切り出したのではないか、と勘ぐりたくなってしまいます。
 これは女心の常套の表現方法だったのかもしれません。

 それにしても、冒頭でのシャルルとジャネットの会話や、フランシスと彼の母親との親子喧嘩、ショット・バーでフランシスが自分に惚れている女給に放つ「お前なんかにこの曲がわかるもんか」の無神経な言葉、公衆浴場の経営をするシャルルの友人マルクの妻の極端なキャラクター、義兄ルイの「妻と行く舞台鑑賞よりストリップ・ショーの方に興味がある」との卑猥な冗談、ブリジットの別れ話に逆上するフランシスの乱暴な態度などなど、この作品は女性の立場を全く否定してしまっています。

 「ヌーヴェル・ヴァーグ」の祖母といわれていたフェミニスト、アニエス・ヴァルダ監督が、映画生誕100年の記念作品『百一夜』で、フランス映画界の大スターであったジャン・ギャバンを全く取り挙げていないこと、その意味をわたしはあらためて理解することができてしまったのです。


 さて、映画のプロットに戻りますが、フランシスは、ホテルでの最後のダンス・ショーの最中に、ブリジットが客席に居るブルジョアの婚約者に、ステージ上から花を投げる行為を眼にします。
 そのとき、カメラは一瞬フランシスの複雑な表情を写し撮っているのですが、彼は、これからの仕事のことで頭が一杯になっていたのか?彼女の行為から仕事に集中せざるを得なかったのか?彼の目線(主観描写)でカメラが追ったのは建物上部の天井部分でした。

 フランシスはシャルルとの打合せ通り、ステージにある梯子段からホテルの屋上に出るため、ダンス・ショーが終了した頃合いを見計らって、ステージ上の舞台道具の陰に隠れることにしました。

 そこでは、最後のダンス・ショーの打ち上げパーティーが行われ、参加していたブリジットに対して同僚の友人が

「フランシスには未練がないの?」

と問いかけます。
 それに対する彼女の本音は・・・

「彼の言葉遣いにも態度にも未練はないわ」

だったのです。

 わたし自身の数少ない恋愛経験から察するところ・・・男として、これほどの悔しい言葉はありません。惚れた女が自分に全く未練を残していないなんて・・・

 しかし、だから・・・だからこそ、彼はこの仕事に打ち込めたのかもしれません。

「・・・1分のズレは1分では戻せん それで何年も食らうからな」
 そして、ここで、ようやく彼は、女にうつつを抜かして時間にルーズだった自分を省みることができたのだと思います。

 カジノの金庫が開く時間が間近に迫ってきました。彼は早く建物の屋上に辿り着き、シャルルとルイにライトで合図を送らなければなりません。
 予定では11時半にホテルのバーのダンス・ショーが終了し、すぐに屋上に出られるはずだったのに、最後となったこのショーの打ち上げパーティーのために、ホテルの屋上階には、なかなか行くことが出来ないのです。

 このシークエンスあたりから、作品としてのクライマックスに向けて、緊迫感が醸成してきます。

 それは、アラン・ドロン、ジャン・ギャバン、モーリス・ヴィローの台詞や表情に敢えて大仰な動きを付けずに、むしろ、それをほとんど無くしてしまうことによって、フランシスが屋上階に辿り着けないことへのシャルルやルイの内面を表すことに成功しています。
 ロールスロイスからホテル屋上に向けてのライティングにフランシスから何の反応も無いことへの彼らの苛立ちや焦燥感などの心情が、観る側においても見事に実感できる素晴らしい視覚効果を生み出しているのです。

 このあたりの静かで緊張感の漂う主人公たちを俳優たちに演じさせるときのアンリ・ヴェルヌイユ監督の演技指導に、プールに札束・紙幣が浮かぶ有名なラスト・シークエンスで、ジャン・ギャバンの「無表情の演技」が主人公シャルルの無念の想いを表現したことに繋がっているのだとも思います。

 ようやくパーティが終了して、フランシスが天井までの梯子を上り詰め、屋上階への開閉口を解錠できたその瞬間に、その鍵を落としてしまうショットを天井上部から下方へ、ティルトもパンもズームも無く、ただ貼り合わせた静止画像のように映し出し、ステージ床に落ちたときの誰もいないホールに響き渡る音響効果で、彼のこの仕事への緊張感を最高潮に表現しています。
 この象徴的な主観ショットを観ていて、わたしなどは本当に全身から汗が噴き出してきたほどです。
 フランシスが屋上の円柱をつたうショットにも、自宅でのDVD鑑賞からは解釈しきれない緊迫感が映画館でのスクリーンから伝わってきます。
 ちなみに、屋上の円柱を伝ってライトでの合図までこぎ着けるこのシークエンスでのアラン・ドロンは、ノー・スタントの撮影だったそうです。若いですねえ、本当に。

 また、空調設備の通風ダクトに入り込み、その中を這ってエレヴェーターの昇降空間に辿り着くというプロットは、原作者ジョン・トリニアンか、シナリオを担当した「セリ・ノワール(黒のシリーズ)」叢書の大家アルベール・シナモン、あるいは演出と脚本を担当したアンリ・ベルヌイユ監督の着想だったのか、いずれにしても、この映像表現はアクション・シーンとしての素晴らしい効果を生み出しています。

 通風ダクトを進んでいくフランシスに、突然、温度調節のための装置が作動して正面から冷風が吹き付けられるときの彼の苦しそうな表情のクローズ・アップ。
 ダクトの底部が網目状になっている部分を通り抜けるときの上方からのカジノ全景のショット。
 通風口からエレヴェーターの昇降空間へ出るときの窓の編み目の針金をプライヤーで一本一本切り取っていく彼の作業描写と地下金庫でのカジノの経営者クリンプと会計係の出納確認をしているのショットとのクロス・カッティング。
 ようやく辿り着いたエレベーターが突然降車し、掴まっていた昇降ワイヤーから落ちそうになってしまうフランシスを映し出すショットでは、エレベーターから彼を映し出す上方へのショット、フランシスから観たエレベーター上部のショット、彼が昇降ワイヤーを伝って降りるミディアムのショットなどを次々とモンタージュしていきます。

 映像から受ける心理的な圧迫感や緊迫感は、このようなモノクロームの静かな写実において表現されることが、古典技法となって普遍化する所以なのだとも思います・・・コンピュータ・グラフィックスや3D映像から表現されるアクション・シーンは、あまりにも説明過多となって、むしろ実体への想像力からかけ離れてしまい、似非の現実を、さも本当らしく表現しているとまで思うのです。
 そして、わたしは、禁欲的でサスペンスフルなこれらのシークエンスに、ロベール・ブレッソンが演出した『抵抗(レジスタンス)』を想起してしました。真のリアリズムとはこのようなショットなのだと感じたのです。

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 また、あの有名なラスト・シークエンス、札束・紙幣がプール水面下から表層部に浮かびあがり、その一面一杯に拡がって行く様相は、娯楽作品のエンターテインメント性を超えて、映画芸術を極めたフォトジェニックな映像だとも感じました。
 わたしは、かつて、クロード・オータン・ララやルイス・ブニュエル、ルネ・クレール、ジャン・グレミヨン、マン・レイなどが、「アヴァンギャルド(前衛)映画」として試行し続けた「純粋映画」、あるいは「絶対映画」を映画的に進化させた映像表現だとも感じてしまいました。
 「アヴァンギャルド(前衛)映画」の体系はあまりに観念的で芸術至上主義であったため、一般に受け入れられることにはならなかったようですが、この『地下室のメロディー』で、新しい活用方法を見い出したような気がしたのです。これらの映画体系については、その分析だけでブログ記事が何ページにも及んでしまいそうですし、今回はその詳細な分析はしませんが、わたしの好奇心が実に強く刺激されるところであります。

 なお、わたしのブログの盟友である用心棒さんは、この映画体系の記事を過去にアップされていますので、ご紹介いたします。
【用心棒さんのブログ『良い映画を褒める会。』 の記事
『ひとで』(1928)単なる劇映画とは違う、かつて、あった自由な映画。
『リズム21』(1921)かつてあった映画、その二。絶対映画とはどのようなものだったのか。

 何十回も観賞しているこの『地下室のメロディー』なのですが、『太陽がいっぱい』、『山猫』、『太陽はひとりぼっち』の映画館での鑑賞時と同様に、実に貴重で刺激的な映像体験でした。
 わたしは、深い満足感とともに、午後からの所用を済ませての家路に着いたのでした(映画鑑賞とは無関係ですので、記事内容として掲載する予定はございませんが、午後からの所用もたいへん有意義なものでした。)。

 当時の映画ファン(=母親)と、この作品を観ると、アラン・ドロンは、映画の専門用語「フィルム・ノワール」が当てはまるような大スターではなくて、あくまでも一般大衆が分かり易い「ギャング映画」という名称での大スターだったんだ・・・ということに気がつくことができました。

 こんなことも実にリアルな体験のひとつだったわけです。

「ギャング役は好き?
 = ぼくが一ばん好きなのがギャング役ではない 観客が一ばん好きなのがギャング役なのだと思う(略-)」
【アラン・ドロン孤独と背徳のバラード 芳賀書店(1972年)】

 それにしても、映画を見終わった後のおふくろは、ジャン・ギャバンとアラン・ドロンの名コンビを観て、完全に青春時代を取り戻してしまっていました。
「あのふたりは、本当に格好良い!最高に格好良かった!」
と一日中、連呼し続けていたのです。

 ちなみに、わたしの母は、1937(昭和12)年生まれ、アラン・ドロンの2歳年下です。
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by Tom5k | 2010-06-06 23:54 | 地下室のメロディー(5) | Comments(17)

『フランス式十戒 第6話 汝、父母をうやまうべし 偽証するなかれ』~フランス映画のアラン・ドロン~

 戦前の日本で、フランス映画が絶大な人気全盛期・黄金期があったことは、映画雑誌「キネマ旬報」の批評家投票で選定された作品の大半がフランス映画であったことや、小津安二郎がルネ・クレールに影響をうけていたこと、山中貞雄がジャック・フェデールの『ミモザ館』から『人情紙風船』(1937年)を制作したことなどからも理解できます。

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 なかでも、アラン・ドロンがデビューして、5年目の11作品目『フランス式十戒』(1962年)を撮ったジュリアン・デュヴィヴィエ監督は、フランス映画の古典「詩(心理)的レアリスム」の巨匠として最も有名な映画監督です。そして、フランス映画が全盛期を迎えていた1930年代の日本では、本国フランス以上に絶大な人気のあった映画監督でもあります。

 今までも、当ブログで何度も記事にしていますが、旧世代「詩(心理)的レアリスム」の巨匠たちは、後にフランソワ・トリュフォー達「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派の痛烈な批判に晒されていったわけですが、一般に言われているように、『太陽がいっぱい』(1959年)の脚本でポール・ジェコブ、撮影でアンリ・ドカエ、出演でモーリス・ロネを起用したルネ・クレマンや、『危険な曲り角』(1958年)の音楽でアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズを使用したマルセル・カルネは、彼らと対抗しようとしていたのではなく、共通項を探そうとしていたように、わたしには感じられます。でなければ、敢えて「ヌーヴェル・ヴァーグ」のスタッフを起用したり、シネ・ジャズを採り入れる手法などで作品を制作しないと思うのです。

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 もちろん、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督も、その例に漏れず、『並木道』(1960年)でジャン・ピエール・レオー、『火刑の部屋』(1962年)でジャン・クロード・ブリアリなどの「ヌーヴェル・ヴァーグ」のスター俳優を起用しました。
 しかし、少なくても、この『フランス式十戒』(1962年)では、彼らとの確執を埋めずに徹底的に抗戦しようとしていたように思います。

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 それは、第6話「汝、父母をうやまうべし 汝、偽証するなかれ」から第7話「汝 盗むなかれ」(フランス公開(オリジナル)版では第5話から第6話)にかけてのシニカルなテーマやシナリオからも察することができることです。
 第7話「汝 盗むなかれ」では、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の代表的スターであるジャン・クロード・ブリアリ演ずる銀行員ディディエ・マランの社会規範の破綻ぶりをコメディックに創出しています。
 彼は、出勤時の朝寝坊から遅刻してしまうことにも全く無頓着で、銀行強盗に対してさえ職務としての防犯規範の欠片も無く、むしろ強盗された金品を逆に犯人から盗もうと画策するほどの出鱈目な人間です。ラスト・シークエンスでは、この事件と全く無関係なホームレスの男性のトランクと現金の入ったトランクが、誤って入れ替わり、ホームレスの男性が強盗と間違われて警察に連行されるショットで結末を迎えるのですが、この善良な失業者が、わたしには映画制作の場を奪われていく旧世代の「詩(心理)的レアリスム」の映画人たちの象徴として描かれているように見えて仕方がありません。そして、倫理的、道徳的に破綻した価値観しか持っていない現代青年ディディエ・マランが、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督にとっての「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちを象徴させたように思えてしまうのです。

 映画における一般的な規範や倫理をすべて破壊してしまう横暴で図々しい無責任な現代青年たち・・・。
「若い世代は将来有望だね ヌーヴェルヴァーグ万歳」

 アンリ・ジャンソンのこのショッキングな台詞を、この第7話「汝 盗むなかれ」の冒頭に悪魔の狂言として挿入しているシニカルな演出に、ジュリアン・デュヴィヴィエの映画作家としての反骨を見て取ってしかるべきだと思うのです。

 アラン・ドロンは、自身にとって大きく関わった各巨匠たち、例えば、ルネ・クレマン、ルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジャン・ピエール・メルヴィル、ジョセフ・ロージー等々から、自ら受けた影響力についての経験的な発言をしています。
 元来、アラン・ドロン自らが、私的な発言をしている資料自体が日本では多くないこともあり、もしかしたら、そのような埋もれた資料も存在しているのかもしれないのですが、現在のところ、わたしは、クリスチャン・ジャックやジュリアン・デュヴィヴィエなど、旧フランス映画の屋台骨となっていた「詩(心理)的レアリスム」の演出家たちについて触れた彼の言説は眼にしたことがないのです。

 何故なのでしょうか?
 いや、何故なのかということは問題ではなく、アラン・ドロンがジュリアン・デュヴィヴィエ監督から、俳優、スターとして、どのような影響を受け、どのような想いを持っていったのか?ということに好奇心が喚起されるのです。

 アラン・ドロンは、デビュー当時から、純粋なフランス本国を舞台にしたフランス資本の作品、『お嬢さん、お手やわらかに!』(1958年)、『学生たちの道』(1959年)、『素晴らしき恋人たち「第4話 アニュス」』(1961年)などよりも、各種映画祭で高い評価を受け、観客動員数も多く、他国にも高価格で輸出できた作品が、他国と資本提携した合作品『恋ひとすじに』(1959年)、イタリア資本の作品『若者のすべて』(1960年)、『太陽はひとりぼっち』(1961年)、フランス資本の作品であっても本国フランスが舞台設定になっていない『太陽がいっぱい』(1959年)や『生きる歓び』(1961年)でした。

【彼が国際的だということは、ギャバンほどに底があってのことではない。一言でいえば彼には、国境を容易にのりこえられる、若さと美しさがあったからだ。(-中略-)ことにアラン・ドロンの場合、彼がどうしてもフランスの俳優でなくちゃならないものをもっているわけではない。むしろ世界一般の現代青年たるべき条件をもっているから、成功したともいえる。(-中略-)彼はいきなり、国際スターにはなったが、フランスのスターとしては、弱体であったわけだ。】
【引用 「男優界の2大対決 ギャバン対ドロン】秦早穂子(月刊スクリーン 1963年 11月号より)】

【>アラン・ドロン
(-中略)イライラしたジャーナリストがこんな事を言ったこともある:「フランス映画界にドロンは存在しない」私はフランス映画界に自分の居場所があると思っていたのにね。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/1 「回想するアラン・ドロン:その1(インタヴュー和訳)」

 そういう意味でも、彼はデビューして、すぐに国際スターとなっていたのですが、逆に考えれば、「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品が席捲していた当時のフランス本国での映画作品の制作では完全に出遅れた俳優となっていたのです。

【フランスでは、映画とは違った理由で、あなたの粗野な性格のためによく攻撃され、理解されないことがありますね。たぶん、シネマテークの今回の回顧上映はあなたのキャリア、作品にメッセージを送ることになるではないですか?
>アラン・ドロン
それは分るし、受け入れるが完全には同意できないね。去年、コニャクの映画祭で記者会見した時、150人のジャーナリストたちに言ってやったよ:私を産んだのは君たちだ。でも私は君たちが作った私のイメージとは違うとね。役者を始めた頃は、私は「ハンサムな間抜け」だった。その後は何かを見出さなくてはならなかったんだ・・・私はヌーベルバーグの監督たちとは撮らなかった唯一の役者だよ、私は所謂「パパの映画 cinéma de papa」の役者だからね。ヴィスコンティとクレマンなら断れないからねえ!ゴダールと撮るのには1990年まで待たなくてはならなかったんだ。自分からは近づいて行けない、私はマージナルな人間だったからね。私には誤解が付き纏い、驚かされるんだ。】
※「パパの映画 cinéma de papa」とは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派のフランソワ・トリュフォーが付けた古いフランス映画への侮蔑的な呼称のこと。
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/21 「回想するアラン・ドロン:その7(インタヴュー和訳)」

 また、フランス映画の評論家でもあった秦早穂子氏は、アラン・ドロンがフランス俳優として開花できたのは、ジャン・ギャバンとの共演の影響が大きかったと分析しています。

【すこし誇張していえば、「地下室のメロディー」で、彼はフランスの男にしてもらったといった方がいいかもしれない。今でこそいえるが、日本であれだけ当った「太陽がいっぱい」だって、フランスじゃさんざんだった。(-中略-)名実ともに彼の映画があたりをとったのは「地下室のメロディー」である。(-中略-)彼にとってジャン・ギャバン競演ということは、願ったり、かなったりの、跳躍台だったのである。ギャバンは、虫のいどころもよくて、このコンビ、受けて立った。商業ベースからみれば、当たるからこのコンビが出来上がったのだという解釈に終わってしまいそうだが、(略-)】
【引用 「男優界の2大対決 ギャバン対ドロン】秦早穂子(月刊スクリーン 1963年 11月号より)】

 彼女の分析は、アラン・ドロンのファンとしては不本意な部分もありますが、なるほど確かに客観的かつ的を得ています。
 ただ、わたしがここで思い浮かんでしまうのが、この『フランス式十戒「第6話 汝、父母をうやまうべし 汝、偽証するなかれ」』なのです。

 秦早穂子氏は、ジャン・ギャバンと共演した13作品目『地下室のメロディー』(1962年)を、アラン・ドロンのフランス映画界でのスター俳優としての定着を定義とする前に、この旧世代の巨匠ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「オムニバス」形式に挿入されていた短編作品にアラン・ドロンが主演していたことを忘れてはいなかったでしょうか?

 また、更に興味深いことは、アラン・ドロンは後年、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品において、ジャン・ギャバンの後継者とまで言われていたわけですが、彼と若い頃からの名コンビを組んできたのがジュリアン・デュヴィヴィエ監督だったことなのです。

 ジュリアン・デュヴィヴィエとジャン・ギャバンの映画生涯においては、『白き処女地』(1934年)、『ゴルゴタの丘』(1935年)、『地の果てを行く』(1935年)、『我等の仲間』(1936年)、『望郷』(1936年)、『逃亡者』(1943年)、『殺意の瞬間』(1955年)の計7本もの代表的名作品が存在しています。
 ジャン・ギャバンを超一流の大スターに育てたのは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督とまで言って良いかもしれません。

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殺意の瞬間

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 アラン・ドロンが、秦早穂子氏の言っていたとおり、フランス映画界での着実な定着を望んで、『地下室のメロディー』でジャン・ギャバンと共演した前段の作品に、このジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『フランス式十戒 第6話 汝、父母をうやまうべし 汝、偽証するなかれ』があるのです。
 また、共演者も、活躍していた時代から当然ではあるものの、ジェラール・フィリップやジャン・ギャバンとの共演、クロード・オータン・ララ監督やジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品に出演し続けていたダニエル・ダリュー、そして、ルイ・ジューヴェに師事し、フェルナンデルやジュラール・フィリップと共演していたマドレーヌ・ロバンソン(1994年のアラン・ドロンとの共演作品『テディベアL'Ours en peluche』が引退作品)という完璧な旧世代の女優たちなのです。
 また、脚本に携わっていたのはアンリ・ジャンソンです。彼は長年にわたってジュリアン・デュヴィヴィエの作品に起用されてきた脚本家でした。映画作家として彼は、逆にフランソワ・トリュフォーを生涯にわたって批判し続けた旧世代の映画人でした。

 要するに、この作品は「ヌーヴェル・ヴァーグ」とは全く無縁の作品でありながら、アラン・ドロンが生粋のフランス俳優であり、スターであることを見せしめることが出来た最初の作品なのです。

 現代青年の典型でもあったアラン・ドロンは、この巨匠や共演者たちやスタッフから何を学んだのでしょう?

 ジュリアン・デュヴィヴィエは、有名な作品はトーキー時代以降のものですが、サイレント時代から活躍していた演出家です。映画における音に対しては、トーキー時代以後の映画作家とは異なる感覚を持っていたと思います。
 アラン・ドロンにとっては、後年、特にジャン・ピエール・メルヴィルが監督した作品でも、それを生かすことができたのではないでしょうか?暗黒街での殺し屋やギャング、刑事を演じたときに、台詞に頼らず映像で語りかける術は、サイレント時代を経験している映画作家と若い頃に巡り会ったことの影響力が大きかったからこそ成功した作品だったようにも思います。

 また、ジュリアン・デュヴィヴィエは、道徳観、倫理観においても戦前から戦中を生き抜いた古い世代の人間であり、宗教家(カトリック教徒)でもありました。正しいものと誤ったものをはっきりと区別する良識的で善良な人間であったことは、彼の作品を鑑賞すれば、そのメッセージから理解できます。
 『ゾロ』や『フリック・ストーリー』など、アラン・ドロンがアンチ・ヒーロー的ヒーローから脱皮した作品などは、ジュリアン・デュヴィヴィエからのフランス映画の伝統的な倫理・道徳観の影響があったようにも思います。

 そして、『望郷』でのジャン・ギャバンにもそれは表されていますが、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督は男優の美的表情をカメラに撮ることも非常に上手だったと思います。
 私見ではありますが、アラン・ドロンには元来備わっている美しさがあるのはもちろんなのですが、ミッシェル・ボワロンやルネ・クレマン、ミケランジェロ・アントニオーニなどによる作品よりも更に彼の美しさを引き出すことに成功したのはルキノ・ヴィスコンティ監督だったと思っています。そして、彼と同等にアラン・ドロンを美しく撮ったのがジュリアン・デュヴィヴィエだったような気がするのです。
 アラン・ドロンの内面の本質的な美しさを引き出すことに成功しているからなのでしょうか?音声の無い映像表現しかなかったサイレント時代の高度なメイク・アップ技術によるものなのでしょうか?戦時下での予算もない時代に工夫してきた経験によるモノクローム時代の照明によるライティング効果のためなのでしょうか?・・・・
 超一流の巨匠たる所以は、ここでも見て取れるように思えるのです。


 いずれにしても、アラン・ドロンが『地下室のメロディー』でジャン・ギャバンと共演してからは、単に新旧フランス二大スターとしての関係ばかりに注目が集まっていたようですが、その前段には、ジャン・ギャバンの師ともいえるジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品に出演できた実績があったからこそ、彼らの師弟関係もより良く構築され、共演作品でも成功を収めることができたとも言えましょう。

 ここまで考えてみると、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の遺作となったアラン・ドロン25作品目『悪魔のようなあなた』(1967年)の出演後の30作品目『シシリアン』(1969年)でのジャン・ギャバンとの共演も偶然ではないような気がしてきます。
 アラン・ドロンは、ジャン・ギャバンと共演したくなると、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品に出演していたとまで邪推してしまうほどです。

【彼は父なるものを探し求めているのだが、同時にまた自分が強くなって他者を支配したい欲求もある。(ジョセフ・ロージー)】
【引用 『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』ミシェル シマン著、中田秀夫・志水 賢訳、日本テレビ放送網、1996年】

追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー

ミシェル シマン Michel Ciment 中田 秀夫 志水 賢日本テレビ放送網



【ヤツをぶち殺す役ならドロンと共演してもいい(『シシリアン』でアラン・ドロンと共演の話が出たときのジャン・ギャバン)】
【引用 『ジャン・ギャバンと呼ばれた男』鈴木 明著、小学館ライブラリー、1991年】

ジャン・ギャバンと呼ばれた男

鈴木 明小学館



【(-中略-)というのも今では私は、アラン・ドロンのことをジャン・ギャバンにとってかわることのできるもっとも優れた、もっとも美しいフランス男優の一人だと思っているからである。(ブリジット・バルドー)】
【引用 『ブリジット・バルドー自伝 イニシャルはBB』ブリジット・バルドー著、渡辺隆司訳、早川書房、1997年】

ブリジット・バルドー自伝 イニシャルはBB

ブリジット バルドー / 早川書房



 話のわかる頑固親父、子分のために人肌脱げる大親分ジャン・ギャバン、そして、愛すべきどら息子アラン・ドロンとの微笑ましい師弟関係のみならず、本国フランスにおける彼らの映画史的な結びつきまでもが浮かび上がってくるのです。

【当時の作品を何本か再見したんですね、そこで『地下室のメロディー』の話をしたいのですが、ギャバンと共演しています。彼はあなたの共演者であり、同時に師匠でもあった:役者と演じる人物の間である種伝わるものを感じます。
>アラン・ドロン
『地下室のメロディー』の頃は、ギャバンは元気一杯だったよ。彼は常にボスで素晴らしい役者だった。彼とは共通点があった。彼同様、私も昔軍人で、船員だったんだ。私同様、ギャバンは最初は役者じゃなかった。ミュージック・ホールやカフェ・コンセール以外は、同じ道を歩んで来てた。ギャバンはフォリー・ベルジェールの階段を(キャバレー)でミスタンゲットの後ろで降りていた、するとある日役者をやってみないかと勧められた。ちょっと修理工をしてたアラン・ラッドやサーカス出身のランカスターみたいなものだね。これが正に役者ってものだ。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/4 「回想するアラン・ドロン:その2(インタヴュー和訳)」


P.S.
 こちらは、わたしのお気に入りブログ【koukinobaabaさんが運営する『Audio-Visual Trivia for Movie & Music』での『フランス式十戒』関連記事】です。
 日本公開版のみに挿入されているダニー・サヴァル主演の第2話「汝 姦淫するなかれ 汝 結婚のほか肉の行ないを求めるなかれ」(フランソワーズ・アルヌール、ミシュリーヌ・プレール、メル・ファーラー主演の第2話は、第4話「汝 人の持物を欲するなかれ」として公開されました。)の記事もあります。
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by Tom5k | 2009-12-23 18:29 | フランス式十戒 | Comments(16)