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『恋ひとすじに』③~「アラン・ドロン」の原型 ロミーとアラン、ヴィスコンティ一家として~

【あなたが演じる役にはしばしば鬱的なメランコリーな何かがありますね。
>アラン・ドロン
傷はなかなか癒えないんだね。笑わそうとしてみたり無駄なこともした、それがトレードマークになってるな。

『もういちど愛して』は以外、あなたはコメディに出演したことはありませんね。
>アラン・ドロン
『もういちど愛して』以外はやったことがない、あの作品は悪くなかったんじゃないか?(コメディは)私には似合わない、感じないんだ。状況がおかしいという以外はね・・・うまく出来たためしがない、自分には無理なんだろう。笑わすと言うのは難しいよ、一番難しいことだ。】

【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18 「回想するアラン・ドロン:その6(インタヴュー和訳)」


 アラン・ドロンは、悲しい役が似合います。
 ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』や、ハリウッド時代の「フィルム・ノワール」作品『泥棒を消せ』、そして、帰仏後の青春映画『冒険者たち』、人気全盛期の「フィルム・ノワール」作品『スコルピオ』や『ビッグ・ガン』、ジョゼ・ジョヴァンニ監督の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品群等々・・・。
 このように、スターとして生涯に渉って発露されていったアラン・ドロンの悲劇的アクターとしての素養は、どの作品に端を発しているでしょうか?
 『恋ひとすじに』は、アラン・ドロンが大恋愛のすえ、婚約までしたロミー・シュナイダーと初めて出会った作品ですが、彼の主演第二作目の西ドイツ=フランスの合作映画であるこの悲恋物語で、すでにそれは証されています。
 その直近前作である初めての主演作品『お嬢さん、お手やわらかに!』(1958年)が、たいへん明るい青春コメディであることとは対照的であり、すでにアラン・ドロンの明暗両極端のキャラクターが、デビュー間もないこの段階の両作品に、はっきりと現れていることは非常に興味深いところです。


「自由とは何かわかっていない」
 アラン・ドロンが扮する青年少尉フランツ・ロープハイマーは、ロミー・シュナイダーが演ずる貧乏な音楽家の娘クリスティーヌ・ヴァイリングに恋愛感情を抱いており、そのことに対するジャン・クロード・ブリアリが演ずる友人テオの忠告です。

 しかし、フランツはそれを強く遮って言い切ります。
「彼女が大事なんだ 日曜日のデートだけでは物足りない 君の考えは分かっている 家族から反対され 友達には笑われる でも僕にはクリスティーヌしかいない」

 アラン・ドロンらしい一途な面が、珍しく強くストレートに表現されているシーンでした。

 しかし、フランツには以前から不倫の相手であったミシュリーヌ・プレール演ずるレナ夫人がいました。あるとき、そのことが露見して彼女の夫であるエッガースドルフ男爵がフランツの自宅に訪れ、夫人との関係の責任を問いつめることになってしまいます。
 このときのアラン・ドロンの演技は、全盛期の悲劇のヒーロー像の土台となるメソッドとも思えるものでした。男爵に決闘を申し込まれて、死を決したフランツの精悍で悲壮な表情は、それ以前の彼の表情とは全く異なります。

 それは、彼の代表作の一本となる2年後のルキノ・ヴィスコンティ監督『若者のすべて』で、兄シモーネの残した多額の借金の支払いを許諾し、最も忌み嫌っていたボクサーとなる決心をしたときのロッコ・パロンディの表情なのです。死と絶望を美学とするアラン・ドロンの悲劇性は、ここに端を発しているように思います。

 親友テオにすべてを打ち明け、証人になってくれるよう依頼し、心配をかけないようクリスティーヌには実情を話さずに・・・。
最愛の彼女と踊るワルツ。
「君を愛してる 愛し続けるって 誓って言える」

 それにしても、このショットから、エッガースドルフ男爵の射撃練習にカット・バックさせるとは・・・何て残酷なモンタージュなのでしょうか。

 エッガースドルフ男爵との決して勝つことの出来ない決闘を受けることになったフランツが、初めてクリスティーヌの家を訪れたときの彼の悲しみに満ちた演技ほど、観ている側が悲しくなるものはありません。
 アラン・ドロンは、どうしてこんなに悲しい表現ができるのでしょうか?
 きっと、彼は若くして既に、淋しくて悲しいことを普通の若者よりもたくさん知っていたに違いありません。

 クリスティーヌの留守宅を訪れ、義父となるはずの楽団員のチェリストである彼女の父に迎えられ、彼のチェロが奏でる『アヴェ・マリア(Ave Maria)』にじっと聴き入るフランツの様子から、この貧困層の家庭に対する敬愛の気持ちが伝わってきます。

 そして、そのチェロの演奏に、クリスティーヌのミディアムのクローズ・アップ、彼女が歌うシークエンスにクロス・カットするのです。
 まだフランツの悲壮な決意を全く知らないはずの彼女が、歌手になるための選考検査で選んだ曲はフランツ・シューベルトの『アヴェ・マリア(Ave Maria)』でした。歌う哀しみと愁いに満ちた表情の美しさ・・・。

 原曲は、イギリス詩人のウォルター・スコットの叙事詩『湖上の美人』で処女エレンが父の罪が許されるよう聖母マリアに祈る詩にシューベルトが曲を作ったものです。わたしには、クリスティーヌの歌う様子が、このエレンと同様に、フランツの罪の許しを切実に願っているように見えました。それほどまでに、二人の結びつきは強く、掛け替えのないものになっていたのです。
きよしこの夜
バトル(キャスリーン) ハーレム少年合唱団 ニューヨーク・コーラス・アーティスツ 聖ルカ・オーケストラ スラトキン(レナード) プレトリウス シューベルト / 東芝EMI



※ 母マグダ・シュナイデルのクリスティーヌが選んだ歌曲は、ヨハネス・ブラームスのドイツ民謡『Schwesterlein』でした。
【旧作『恋愛三昧』(1933年)でのフランツの訪問とクリスティーヌのオペラ歌手選考のシークエンス】 ※


 後方でチェロを奏でる父親と前方のフランツの横顔のクローズ・アップ、両者を鮮明にするスプリット・フォーカスにクロス・カットします。

「音楽はお好きで?」
「ええ 今日は特に 音楽は不可能な事を 思い起こさせる」

「君の若さで何を言う?」
 心配で不安そうなクリスティーヌの父・・・もうこの段階でフランツは死を選択するしかなかったわけですから・・・。

 帰宅したクリスティーヌはオペラ歌手としてデビューできることになったこと、帰ってきたときに恋人が待っていたことで大喜びです。彼女のはしゃぐ様子が、逆に悲しさを強いものにしてしまいます。
 ここからの二人の会話のやり取りは、あまりにも悲しい・・・彼女の3週間後の舞台デビューの日程をメモに書けないフランツ・・・。

「有名になった私を自慢して 嬉しいって正直に言って」

「嬉しいよ 君の家にこうして居れる事が」
 家の中を見回すフランツの悲しそうな表情・・・。
「ここに来たのは初めてだが そんな気がしない」

 クリスティーヌの部屋では
「こんな部屋を想像していた ここで君と暮らしたい」
 ピンクの壁紙の可愛い部屋、シラー、シェークスピアの著作に、フランツ・シューベルトの肖像画・・・。
 そして、二人の思い出の写真が写真立てに飾られ、デートのときに積んだ花を活けた花瓶・・・。

「次の日曜にまた摘みましょう。」
 悲しいことに、フランツには次の日曜日はないのです。
 彼の様子から、何か不安を察したのでしょう。クリスティーヌは何とか彼との愛情を確認しようとするのです。

「あなたほど愛した人はいない これからもずっと 会えないなんて嫌よ フランツ答えてったら」


 フランツとエッガースドルフ男爵との決闘の日、テオとミッツィが駆けつけたときの1度目の銃声は男爵のものでした。彼らミドル・ショットからクローズ・アップ、不安そうに見つめ合うテオとミッツィ・・・2発目の銃声は響かない。
 思わず走り出すテオの後ろ姿のショットに、ルードウィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンの『シンフォニー第5番「運命」』第1楽章が流れるのです。

 このドラマティックな演奏効果は、小劇場でのクリスティーヌの父親の楽団の演奏場面にカット・バックしてからも続きます。彼は二人の親友からフランツの訃報を受け、クリスティーヌのいる自宅に向かうのですが、これらのシークエンスは、父親の「クリスティーヌ」の一言のセリフだけなのです。フランツの死からクリスティーヌへの訃報の知らせまでのこのサイレント映像の表現技法は素晴らしく、わたしなどは、これぞ映画芸術である!と思ってしまうのです。
※ 【旧作『恋愛三昧』(1933年)のラスト・シークエンス】 ※

※ ロミーの母親は旧西ドイツの女優マグダ・シュナイデルで、マックス・オフェルス監督の『恋愛三昧』でロミーと同じクリスティーヌ・ヴァイリングを演じた女優です。この旧作は「ヌーヴェル・ヴァーグ」のカイエ派が絶賛し、特にフランソワ・トリュフォーはマックス・オフェルス監督を最も敬愛している演出家のひとりとして挙げています。 ※

ベートーヴェン:交響曲第1番&第5番
フルトヴェングラー(ウィルヘルム) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ベートーヴェン / 東芝EMI





ベートーヴェン : 交響曲第5番 「運命」・第6番 「田園」・第7番・第8番
NBC交響楽団 ベートーヴェン トスカニーニ(アルトゥーロ) / BMGファンハウス





 そして、わたしはこの作品から、後に主演のロミー・シュナイダーとアラン・ドロンの師となったルキノ・ヴィスコンティ監督の作品である『夏の嵐』(1954年)を想起してしまいました。

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 ルキノ・ヴィスコンティ監督本人も言っているように、『夏の嵐』は、
「ロマンティックなリアリズムに新しい道を開こうとした作品」
であり、それは若き青年将校と夫のある年上の伯爵夫人との残酷な悲恋のメロドラマともなっています。

「わたしがメロドラマを好きなのは、それが人生と演劇との境界線上に位置するからだ。(-中略-)演劇やオペラ、それにバロックの世界。こういったものが、私をメロドラマに結びつける原因である。」
【『ヴィスコンティ集成 退廃の美しさに彩られた孤独の肖像「イメージ・ヴィスコンティ オペラ(海野 弘)」 P88)』 1981年 フィルム・アート社刊】

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 「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派のフランソワ・トリュフォーは、メロドラマそれ自体を否定はしていませんが、旧時代のフランス映画「詩(心理)的レアリスム」に限ってのメロドラマ性を「知的で意味ありげな衣をまとって大衆をだました」と批判しています。
 ところが、イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の『夏の嵐』は、「詩(心理)的レアリスム」作品と同様のメロドラマであるにも関わらず、そのような意味での矛盾を一切感じさせることのない作品となっています。彼の作風は、フランソワ・トリュフォーが批判していったステレオ・タイプのメロドラマ性を超越し、背景の社会情勢から主人公達の恋愛を描く究極のリアリズム、そして、演劇やオペラなど音楽劇の要素を映画様式として確立させていったものでした。

 このような矛盾を超越しているルキノ・ヴィスコンティ監督の作品には、彼が若い頃に助監督を務め、師でもあったジャン・ルノワール監督の言葉が生きているのではないでしょうか?
【映画においては、すべての人間の言いぶんが正しい。(ジャン・ルノワール)】

 『夏の嵐』は、冒頭でのベネツィア最大のラ・フェニーチェ劇場でのジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『イル・トロヴァトーレ』で始められ、劇中でもアントン・ブルックナーの『シンフォニー第7番』がバック・グラウンドで効果的に使用されており、メロドラマが音楽劇として様式化される試みが大胆に成されています。

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 もちろん、『夏の嵐(官能)』の原作はイタリアの作家カミッロ・ボイトで、『恋ひとすじに(恋愛三昧)』のウィーン出身のアルトゥール・シュニッツラーとは無縁ですし、ロミー・シュナイダーが演じたような可憐で美しい娘との恋愛は描かれてはいません。
 しかしながら、19世紀のオーストリアとイタリアの戦乱の時代に、クラシック音楽や劇場での上演シーン、舞踏会での優美なダンスなどを存分に物語に取り入れて、軍服を着たオーストリアの青年将校(偶然にもファーリー・グレンジャーが演ずる主人公もフランツです)と優美な公爵夫人(アリダ・バッリ扮するのはレナではなくリヴィアでした)を主人公にし、年齢差や階級の違う決して成就しない不倫の恋愛などを描いた音楽劇という点でも、この『恋ひとすじに』と『夏の嵐』の類似点は多くあります。

 無論、『恋ひとすじに』が、世紀の巨匠ルキノ・ヴィスコンティが演出する細部に渉るリアリティや本質的な美的エレガンスに至ることは到底無理であったにせよ、「イメージ・ヴィスコンティ」ともいえる古典芸術の音楽劇の方向性には体系付けることのできる作品ではあったと思うのです。

 そういった意味でも、ロミーとアランが後にルキノ・ヴィスコンティに寵愛されていくことの必然が、この『恋ひとすじに』への出演を契機としたものだったようにも思われ、わたしは深い感慨に浸ってしまうのです。
 若く無限の可能性を秘めた二人の未来が、映画史の片隅にも忘れ去られてしまっている1958年のこのロマンティックな小作品に、多くのエッセンスを内包していると感じるのは、決してわたしだけではないはずです。

【ミシェル・ボワロン監督の『お嬢さん、お手やわらかに!』を若い頃、見た記憶があります。
>アラン・ドロン
商業的には大ヒットした作品だ。この映画で顔を覚えてもらったんだね。ミレーヌ・ドモンジョと共演した。ブリジット・バルドー、ジャクリーヌ・ササールやパスカル・プティと共にもう一人のフランス映画のスターだった。それからピエール・ガスパール・ユイの『恋ひとすじに』に出た。『若者のすべて』に起用してもらう前、撮影現場にヴィスコンティが私を見に来たんだ。『お嬢さん、お手やわらかに!』を見たルネ・クレマンも私を覚えてくれた。全くもって凄い年月だった・・・】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/4 「回想するアラン・ドロン:その2(インタヴュー和訳)」


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オリジナル・サウンドトラック盤(「恋ひとすじに」より<フランス映画の想い出>恋ひとすじに 序曲a)貧しい恋人たちb)恋人 森の小さなホテル)音楽:ジョルジュ・オーリック
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by Tom5k | 2009-12-23 16:39 | 恋ひとすじに(3) | Trackback(4) | Comments(13)

『泥棒を消せ』①~「アラン・ドロン」の原型 家族愛と犯罪者の悲哀~

 ラルフ・ネルソン監督は如何なる演出家であったのでしょうか?
 わたしは、彼が社会の矛盾に正面から向き合って、実直にヒューマニズムを貫いていった立派な演出家であるように思っています。

 当時の共産圏である東ヨーロッパから移住してきた尼僧たちと、アメリカ合衆国においては、現在においても未だ払拭されていない差別待遇を受け続けるアフリカ系アメリカ人の青年が、前向きに未来を信じ、アリゾナ州の砂漠の荒野に教会を建設する苦労を描いた『野のユリ』(1963年)の演出を担当したのがラルフ・ネルソン監督です。
 主演したシドニー・ポワチエは、この『野のユリ』でアフリカ系アメリカ人として史上初めてのアカデミー賞を受賞しています。
野のユリ
シドニー・ポワチエ / / 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン





 このような前向きで強い生き方や、純真無垢な主人公たちの善行ばかりを描くことは、リアリズムの作風からはかけ離れていくのかもしれませんが、ラルフ・ネルソン監督の健康的で人間の可能性を信じきっている人柄が理解できます。
 また、アフリカ系アメリカ人や共産圏から亡命者としての移民を、あえてこのように描くことで、人道的なメッセージを特に強調して発していたのかもしれません。そして、この作品公開の数年後、すでに赤狩りを経験したハリウッドによる「アメリカン・ニューシネマ」の時代の到来を予兆させ、ラルフ・ネルソン監督自身においても、映画人としての先見的で勇敢な試みであったようにも感じられるのです。

 彼はこの作品から2年後の1965年、やはりヨーロッパから移住してきた移民の青年とその家族に焦点を当て、多くの移民たちがアメリカ合衆国で、いかに苦渋を強いられたかという生活の実態を描き、それが犯罪要因のひとつであるところまで突き詰めた「フィルム・ノワール」作品『泥棒を消せ』を制作します。
 1940年代の全盛期となっていた「フィルム・ノワール」作品とは作風が全く異なり、むしろ、それ以前の1930年代に全盛期を迎えていた「ギャングスター映画」の体系や、あるいは1970年代の『ゴッド・ファーザー』などの一連の「マフィア映画」などの前段に位置する作風と解釈できないこともありません。
ゴッドファーザー
マーロン・ブランド / / パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン





 そして、この作品はアラン・ドロンがフランス映画界から渡米した第1作目の作品なのです。
 そういった広い意味では、彼も移民としての心情を十分に理解することができ、リアルな演技に結びつけることが可能であったような気もします。

 早くから独立や革命によって、君主制度を廃止して共和制度を確立したアメリカ合衆国とフランス共和国は、特別な友好関係で結ばれています。エリス島の「自由の女神」像は、その友好の証しとして、フランス政府がアメリカ合衆国の建国100周年を記念して贈呈したものです。
 その「自由の女神」像は世界各国の多くの移民たちが、アメリカ合衆国に入国するときの玄関口、ニューヨーク港に入るたびに必ず目にします。自国の圧政や貧困などから逃れ、新興産業国である自由の国アメリカ合衆国を目指して来た多くの移民にとっての「アメリカン・ドリーム」の出発点にシンボライズされてしまうものだったのでしょう。

 しかし、その「アメリカン・ドリーム」も厳しい競争社会、差別社会であるアメリカ合衆国では、そう簡単に到達できるものではなく、貧困な移民たちにとっては多くの乗り越えなければならない、そして計り知れない苦難がそこから始まっていったことは想像に難くないところです。

 移民たちのほとんどは、多くの孤独や不安、若干の期待、そしてもう後戻りできずにその土地で生きていかなくてはならない悲壮な覚悟、そんなナーバスな心境をもって、この「自由の女神」像を仰ぎ見ていたのではないでしょうか?
 過去の映画でもこういった移民たちを扱った作品は多くありました。わたしが印象的だった作品は、チャーリー・チャップリンの『チャップリンの移民』(1916年)、フランシス・コッポラの『ゴッド・ファーザーPART II』(1974年)などですが、そこでの主人公たちが移民船でニューヨークに着くときのショットが強く記憶に刻まれています。
チャップリン作品集 (5)
チャールズ・チャップリン / / アイ・ヴィー・シー





ゴッドファーザー PART II
アル・パチーノ / / パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン






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『チャップリンの移民』での「自由の女神」像と移民船内から像を仰ぎ見るアイルランド系移民

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『ゴッド・ファーザーPART II』での「自由の女神」像と移民船内から像を仰ぎ見るイタリア系移民

 チャップリンの作品から68年後に制作された『ゴッド・ファーザーPART II』ですが、恐らく、フランシス・コッポラは、『チャップリンの移民』のこのワン・ショットに強烈な印象を受けていたのではないでしょうか?

 1968年、ラルフ・ネルソン監督は、ダニエル・キース原作の『アルジャーノンに花束を』を映画化します(日本公開時の表題は『まごころを君に』)。知的に未発達な主人公チャーリーが、人間強化の生化学実験の被験者となり、IQが異常発達させられるにつれ、正常な社会のすさんだ事実の多くに気づいていくことになり、知的に未発達だった頃には持たなかった疎外感に急激に襲われていくのです。
 結局最後には、チャーリーは元の自分に戻る結論を自らに下します。
 何故、チャーリーは、いわゆる「正常化」した自分を捨てなければならなかったのでしょうか?彼がとった悲しい決断の意味を、現代社会に生きているわれわれは真摯に受け止めるべきなのだと思います。
アルジャーノンに花束を リバースエディション
クリフ・ロバートソン / / 角川映画





 ラルフ・ネルソン監督の作品で最も有名な作品は、『ソルジャー・ブルー』(1970年)でしょう。
 アメリカ開拓時代、先住の原住民であるネイティブ・アメリカンと白人とが対立し、武力で勝る白人がネイティブ・アメリカンを迫害していったのは西部開拓史の暗部のひとつだったわけですが、そのアメリカ騎兵隊のネイティブ・アメリカンへの最も有名な残虐行為が「サンドクリーク事件」です。1864年、アメリカ合衆国コロラド州サンドクリークで、約600人のシャイアン族が騎兵隊「ソルジャー・ブルー」によって虐殺されたのです。

 わたしはこの作品のラスト・シークエンスの大虐殺を正視してしまいました。もう二度とこの作品を鑑賞したいとは思いませんし、ここで、その殺戮シークエンスの詳細を記したいとも思いません。
 モンタージュ、カット・バック、ドリー、パンニング、ティルト、クレーン・・・すべての映画技法もこの作品に限っては(あくまでもこの作品に限ってはですが)「くそ食らえっ!」です。吐き気を催し、すべての思考が停止するシークエンスとしか表記する術がない凄惨を描き出しています。

 そして、西部劇において、野蛮で凶暴なネイティブ・アメリカンが善良な白人を襲撃し、それらの暴力に立ち向かう勇敢で正義感溢れる騎兵隊という類型的で硬直化していたステレオ・タイプの構図をぶち壊したのが、この作品によって描かれたネイティブ・アメリカンと騎兵隊の姿であるのです。
ソルジャー・ブルー
キャンディス・バーゲン / / キングレコード






 ところで、アラン・ドロン主演の「フィルム・ノワール」作品としては、この『泥棒を消せ』(1965年)が妻や子供のために生きる夫、父親としてのアイデンティティを全面に表出させた初めての作品であったように思います。

 彼がこの作品よりも前に主演した「フィルム・ノワール」作品に体系付けられる作品としては、ジャン・ギャバンとの共演作品『地下室のメロディー』(1962年)、過去のジャン・ギャバンが主演していた作品に非常に類似している『さすらいの狼』(1964年)があり、どちらも旧来のフランス映画の伝統を引き継ぐものでした。
 アラン・ドロンは、ハリウッド作品では大きく成功することができず、数年後にヨーロッパに帰還し、主に「フィルム・ノワール」作品によって、国際的な人気俳優としての全盛期を迎えていくわけですが、彼のその後の多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の原型を、この『泥棒を消せ』から感じ取ることができるのです。


 アラン・ドロンが演じる主人公エディはドラッグ・ストアで発生した殺人事件の複数犯人の一人として警察当局に連行されますが、不十分な証拠のために釈放されます。彼には強盗の前歴があり、その事案を担当していたヴァン・ヘフリン扮するヴィドー警部が公務上の傷害を受けており、その発生原因がエディの発砲に起因するものだと、警部本人は思い込んでいるという設定です。
 そして、根深い恨みをヴィドー警部に持たれているエディは、彼の執拗な監視に邪魔されて次々と職場を解雇されてしまいます。
 アン・マーグレットが扮する彼の妻クリスティーンと幼い娘カシー。エディには命にも代え難い大切な家族が存在し、過去の犯罪を自省し更正に向かっていたのですが、ジャック・パランスの演ずる兄ウォルター率いる強盗団に犯罪計画を持ちかけられてしまいます。

 最後にはヴィドー警部の誤解が解けたことが、まだ救いにはなっていますが、せっかく更正しようとしていた主人公が再び犯罪の道に駆り立てられた理由が、本人の資質のみに起因しているなどとは到底思えず、わたしはやり場のない憤りのようなものを多く感じました。

 『チャップリンの移民』でのチャーリーは、移民船内で知り合ったエドナと幸せな結婚を果たしますが、その後の彼らの人生が順風満帆だったと誰が予測できるでしょうか?そして、『ゴッド・ファーザー』のビトー・コルネオーネは、幾多の困難を乗り越え生き抜いていきますが、とうとう犯罪集団の大ボスとして君臨してしまうことになります。

 『泥棒を消せ』のラスト・シークエンスは悲惨です。裏切り者の仲間たちは兄ウォルターを殺害し、娘のカシーを誘拐します。更に娘を助け出そうとしたエディも殺害されてしまうのです。


 アラン・ドロンは、西ドイツのブルジョア令嬢の女優、ロミー・シュナイダーとの世紀の大恋愛を経た後、ナタリー・バルテルミー(後のナタリー・ドロン)という無名の女性と婚姻し、最愛の息子アンソニーが生まれる幸せの絶頂期に渡米しています。

 フランスではジュリアン・デュヴィヴィエやルネ・クレマン、クリスチャン・ジャック、イタリアではルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニという大演出家の作品で磨かれ、鍛え抜かれた俳優とはいえ、彼の人気はアイドルとしてのカリスマ性を基本に据えたものでした。
 いくら若くて二枚目であったとしても、妊娠した配偶者を連れての渡米で、人気の中心となるべき若い女性ファンの心をつかめるわけがありません。アラン・ドロンほど目先の効く人間が、人生を賭ける大冒険ともいえるハリウッド進出で何故それほど脇を甘くしてしまったのか?

 わたしは恐らく、彼の家族への異常ともいえる愛情の執着心が大きな理由のひとつであったような気がしています。
 幼少の頃に両親の離婚、そして貧困な生活を経験し、母親の家庭、父親の家庭のどちらからも、厄介者扱いされて育ったアラン・ドロン。彼の家族愛への憧憬は、健全に標準的な家庭で育った者には到底、理解することなど不可能なほど飢餓的であったに相違ありません。
 そしてそれが、愛する妻と息子を持った夫、父親としての自尊心となり、ハリウッド・デビューという映画ビジネスの戦略よりも勝ってしまった結果のように思うのです。

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家族に囲まれて満足そうなアラン・ドロン
【週間20世紀シネマ館1960年①昭和35年「銀幕の主人公たちアラン・ドロン」 (講談社)より】


 帰仏後の映画スターとしての魅力や映画ビジネスの効用においては、プラスの作用をしていた彼のキャラクターも、ダーティでスキャンダラス、現代的過ぎるビジネス(金銭)感覚など、一般的、日常的にはマイナスのイメージが強かったようです。
 しかしながら、映画においては、『泥棒を消せ』の主人公エディのように常に家族を愛する姿が垣間見えるようにもなり、とうとうそれも魅力のひとつとなっていったようにも思います。
 残念ながら、実生活での彼の家庭は数年後には維持できなくなってしまいますが、ハリウッドでの失敗を年齢とともに自らの魅力に取り込んでいった彼のしたたかさには感心してしまうところです。
 特に、後年強い信頼関係を構築して、共に映画を製作していったジョゼ・ジョヴァンニの関わっている作品に、その傾向が強いような気がします。

『シシリアン』(1969年)では、妹想いの優しい、しかしやくざな兄。
『スコルピオ』(1973年)や『フリック・ストーリー』(1975年)では、愛する女性の優しい婚約者。
『ビッグ・ガン』(1973年)では、家庭のためにマフィアの組織から足を洗う決断をする夫、父親。
『暗黒街のふたり』(1973年)では、父親代わりの保護司の指導や妻の愛情によって、出所後に更正していたにも関わらず、執拗な警察当局に猜疑され、再び犯罪者に回帰せざるを得ない前科者の夫。
ジャン・ギャバンが演じた保護司ジェルマンは彼の父親代わりのようでした。
『ル・ジタン』(1975年)では、少数民族ロマ族の移民であることから社会的差別を受け、犯罪者となってしまった息子、愛する妻の夫、最愛の息子の父親。
『ブーメランのように』(1976年)では、完全に更正し、りっぱな実業家として活躍していたにも関わらず、最愛の息子が犯罪を犯してしまったことから、むかしの仲間に逃亡(スイスへの亡命)の手立てを依頼してしまう元強盗団の父親。
・・・等々。

 彼の「フィルム・ノワール」作品の特徴には、社会から受ける差別や貧困によって虐げられ、不本意にも犯罪者になってしまった者たちの悲哀に満ちたドラマトゥルギーが根幹に据えられています。
 本人がいくら頑張って更正しようとしても、それが容易ではないことなど、多岐に渉る多くの社会矛盾の摘発や現代社会への憤りを描いていったがために、アラン・ドロンが演じたそれらの主人公たちは、アンチ・ヒーロー的なヒーローの観を呈していくことになったのかもしれません。
 このような帰仏後の彼の犯罪者の哀愁における漂着イメージには、「フィルム・ノワール」であるにも関わらず、家族想いで家庭を大切している主人公がよく登場するようになり、更にその実態をクローズ・アップさせることになったのだとも思います。 

「同時代の俳優、たとえばジャン・ルイ・トランティニアンや、ジャン・ポール・ベルモンドらがスターでありながら演技派として確かな評価を受けても、アラン・ドロンという人はやはりもって生まれた華やかさとどこかあざといまでの美男子ぶりが邪魔をしてしまうようだ。本作(映画『私刑警察』のこと)もテーマとしては「黒い警察」や「Z」に通じる硬派社会派ドラマなのだが、皮肉なことにドロンの相変わらずのスター性が、内に込められた現代性を隠してしまっている感がある。」
【引用 『私刑警察』DVD(パイオニアLDC株式会社)ライナー・ノーツ】

 これは、映画『私刑警察』(1988年)の解説からの抜粋によるものですが、アラン・ドロンの出演してきた「フィルム・ノワール」作品の多くに該当し、非常に的を得た彼の評価のように思います。
>・・・内に込められた現代性を隠してしまっている・・・
 しかしながら、作品の魅力とアラン・ドロンの魅力が拮抗して、彼も彼の作品も、すべてが魅力的になっていることも間違いの無い事実であるとは思います。
 アラン・ドロンは単なる映画スターではなく、いや、もちろんスターであるが故の彼独特の個性が根幹に存在していたからこそ、現代的ヒーローと定義付けられる時代のシンボリックな存在であると評される所以があったようにも感じるのです。


 D・W・グリフィスの歴史的傑作である『イントレランス』(1916)の第4話現代編は、近代国家においてのブルジョアジーの偽善行為や傲慢さが、善良な一般大衆の生活苦の原因となり、そのために失業したプロレタリアートが犯罪の道に足を踏み入れ、家族のための更正を主人公の犯罪前歴が阻むというテーマで描かれています。
 そのように考えると、この第4話現代編には、その後のあらゆる「フィルム・ノワール」や、マフィアやギャングを中心に据えた映画作品のエッセンスがすべて映像化されているように思うわけです。
イントレランス
リリアン・ギッシュ / / アイ・ヴィ・シー





 ラルフ・ネルソン監督の演出から社会に対して発せられる鮮烈なメッセージは、社会的弱者に対しての不寛容(イントレランス)な社会への憤りであったに相違ありません。
 そういった意味でも、この『泥棒を消せ』は、D・W・グリフィスの影響を引継いでおり、特にそれは、『ゴッド・ファーザー』シリーズや『俺たちに明日はない』、『イージー・ライダー』などのアメリカン・ニューシネマの鮮烈な前段に位置付けられて然るべき作品であり、アラン・ドロンが後に出演していった「フレンチ・フィルム・ノワール」新体系のテーマ「家族愛と犯罪者の悲哀」にまで、大きな影響を与えたほど優れた新しい「フィルム・ノワール」作品だったのです。
俺たちに明日はない
/ ワーナー・ホーム・ビデオ





イージー★ライダー コレクターズ・エディション
/ ソニー・ピクチャーズエンタテインメント





 この『泥棒を消せ』は、映画史上において、もっと脚光を浴びて然るべき優れた作品であるのかもしれません。

 そして、先住民族を虐げて開拓した自国の歴史実、近代化後に入国してきた移民たちが強いられる生活苦、科学万能の急激で不自然な発達からの人間の疎外状況、それでも夢や希望を捨てない前向きでひた向きな生き方・・・。
 一貫したヒューマニズムを持ったラルフ・ネルソン監督の作品のテーマやメッセージは、アメリカ合衆国史の暗部を直視して描き続けられました。このような人道的な作家主義を貫いた彼の功績は映画史上において、もっと評価されるべきなのです。
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by Tom5k | 2008-07-11 14:21 | 泥棒を消せ(2) | Trackback(5) | Comments(13)

『太陽はひとりぼっち』③~「アラン・ドロン」の原型 ホワイト・カラー層として~

 アラン・ドロンを世に送り出した巨匠たちは、作品のうえで彼のキャラクターを次のように表現していきました。

ジュリアン・デュヴィヴィエ監督は、血縁の両親でないにも関わらず、暖かい家庭に恵まれた幸せな青年や、外人部隊上がりの俗物のチンピラとして、
ルネ・クレマン監督は、コンプレックスと暗い欲望から犯罪者になってしまう青年や、不幸な育ち故、幸せな家庭に入り込んで背伸びをしてしまった明るい好青年、悪女たちにしてやられてしまうチンピラカード師、ファシズムを共通の敵にしているレジスタンスの闘志、第三共和政の中心的政治家として、
クリチャン・ジャック監督は、アラン・ドロン特有の二面性を明るい活劇に活かし、
アンリ・ヴェルヌイユ監督は、新旧ギャング・スターの対比で描き、
ルキノ・ヴィスコンティ監督は、封建時代のイノセントな青年が現代社会の毒にまみれる悲劇の労働者階級、そして時代を担う若手貴族として、
ジャン・ピエール・メルヴィル監督、ジョゼ・ジョヴァンニ監督は、映画のスター・システムの中での現代人のアウトサイダーへの共感を「フィルム・ノワール」で表現し、
ジョゼフ・ロージー監督は、完成されていたスター・キャラクターの奥にある彼の暗い異常性を引き出し、
自ら経営する映画会社アデル・プロダクションでは、古き良き時代のフランス映画の古典への懐古を徹底していきました。

 どの巨匠たちもアラン・ドロンの本質を種々の視点から見抜いて、彼の新境地の開拓に一役買っていったわけです。
 しかも、それら各々の主人公は、アラン・ドロンのキャラクターの本質と同一であり、巨匠として描きたかったテーマに沿った主人公そのものでもあったわけです。

 しかし、これらの素晴らしい巨匠たちのなかでも、特にミケランジェロ・アントニオーニ監督ほど、アラン・ドロンの未来を正確に予見した映画作家はいなかったと思います。
 彼はアラン・ドロンのビジネスマンや実業家、すなわちホワイト・カラー層としての素養をいち早く見抜き、それを現代青年の退廃に象徴しているかのような空虚で虚無的なキャラクターとして描き出していきました。

「証券取引所の喧噪のなかで泡のように実態のない儲けを求めて走り回る、株式仲買人たちや彼らを見守る株主たち。彼らもまた、広大な証券取引所の建物いっぱいに群がり押しあう凄まじい力のかたまりでありつつ、そのゆきつく果ての空虚さが、私たちを慄然とさせるだろう。」
【引用~『アントニオーニの誘惑―事物と女たち』石原郁子著、筑摩書房、1992年】


 1920年代ソ連の「社会主義リアリズム」の映画作家セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の『戦艦ポチョムキン』を代表とした作品群では、ほとんど素人の一般市民たちを「生きたモデル」すなわち「型・典型」として、俳優に使用していきました。
 これは「ティパージュ」という手法として体系づけられており、職業俳優の演技力やスター・システムによるネーム・バリューに依存するのではなく、その主題に最もふさわしいキャラクターを重視して、あえて素人を登場人物に配置し、モンタージュ技術を駆使することなどによって、俳優を素材の一部として取り扱い、テーマに合致させるという映画特有の理論に基づいたものでした。
戦艦ポチョムキン
/ アイ・ヴィー・シー





 1940年代から50年代のイタリアでの「ネオ・リアリズモ」運動も、この俳優論から多くの影響を受けていたようです。
 当時のヨーロッパの多くの優れた映画作家たちに気に入られ、演技指導を受けていったアラン・ドロンも、職業俳優及び映画スターであったわけですが、種々の視点によって、映画の主題に合致した要素、あるいは素材としての素人俳優であったとも解釈できるように思います。


 ミケランジェロ・アントニオーニ監督と同様に、近代社会の疎外をテーマにして音楽活動をしていたピンク・フロイドは、彼のアメリカでの作品『砂丘』で音楽を担当しました。
 ピンク・フロイドのアルバム『A NICE PAIA』での立川直樹氏の解説によれば、彼らは相性が余り良くなく、ピンク・フロイドはアントニオーニ監督に対して、かなりの過激な発言をしていたようです。

 “アントニオーニの音楽の使い方はイモだった。何もわかっていない。”
                                 (ピンク・フロイド)
 “アントニオーニはクレージーな奴だ。僕達は映画で何にも完結しなかった。
  何故か彼は経験豊かな俳優と仕事をしなかった。
  『砂丘』の俳優は全てを注文通りにした。彼等には自由がなかった・・・。
                                 (ニック・メイスン)
【引用~『A NICE PAIA』ライナー・ノーツ(立川直樹・解説)】
砂丘
サントラ ピンク・フロイド カレイドスコープ グレイトフル・デッド パティ・ペイジ ヤング・ブラッズ / 東芝EMI





 そして、監督自身は映画俳優の使い方を次のように語っています。
「映画俳優は理解しないで、生きなければなりません。俳優が知的である場合には、よい俳優であろうとする彼の努力は三倍にもなります。(-中略-)自分で障害を作り出してしまうのです。(-中略-)
 映画俳優は心理的水準ではなく、想像の水準で働かなくてはなりません。そして想像は自ら発光するのであって、指で押すようなスウッィチはありません。(-中略-)俳優と監督は否応なく敵同士のようなものになります。監督が妥協せず、適切な意図を明らかにすることがよいことです。俳優は監督という城塞に入り込んだトロイの木馬なのです。
 私の好む方法とは、隠れた仕事を通して、確実な結果をもたらすものです。俳優を彼自身も気付かない心の琴線で刺激することです。彼の頭脳ではなく、彼の本能を促すこと。正当化ではなく、啓示を与えること。(-中略-)監督は何を求めるか、自らわきまえていなければなりません。俳優が出してくるものの中で、悪いものと良いものを、無意味なものと役に立つものを選び分けられることです。(-中略-)
 即興的な俳優、いわゆる〈市井の(素人の)〉俳優から好ましい結果を引き出すことを監督に許す唯一の方法なのです。ネオレアリズモは私たちをこうしたことへと導きました。
 この話しは職業俳優についても言えることです。(-略-)」

 そして、『太陽はひとりぼっち』でのアラン・ドロンへの演技指導では、
「・・・アラン・ドロン本人には、後で誘拐に巻き込まれたパオロ・ヴァッサロという手本を与えました。彼は自分の父親の助手として証券取引所で働いていました。ドロンは証券取引所で、このパオロ・ヴァッサロを観察しました。彼が何をして、どのように動くのかを。」
【引用~『アントニオーニ存在の証明―映画作家が自身を語る』カルロ ディ・カルロ、ジョルジョ ティナッツィ編、西村安弘訳、フィルム・アート社、1999年】


 ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』の主人公ロッコ・パロンディ役も、アラン・ドロンは無産階級の典型的なモデルとして、選定・配置されたとも解釈できます。
 しかし、このキャラクター、ロッコ・パロンディは現代には存在し得ない前時代(封建時代)のものとして文学的なドラマトゥルギーをプロットとしていた側面も持っていました。
 現代(金融資本主義社会)に適応させた「生きたモデル」としては、『太陽はひとりぼっち』の主人公ピエロが典型的な登場人物だったとも言えるかもしれません。
 しかも、アントニオーニ監督の表現においては、「その当時のアラン・ドロン」ではなく、彼の未来への資質を見抜いており、その先見は恐ろしいまでに正確なものであったといえましょう。



 リアリズム作品の巨匠二人が、アラン・ドロンの過去と未来を同時期に描いていたこと。そして、その対比ほど、不思議な魅力を放つ視点はないように思います。

 後年、『百一夜』でアラン・ドロンの挿話を入れたアニエス・ヴァルダ監督もルキノ・ヴィスコンティ監督の過去の「ネオ・リアリズモ」作品に出演していた時代と現在の実業家時代のアラン・ドロンとを対比させたドキュメントを撮っていますし、『ヌーヴェルヴァーグ』に、アラン・ドロンを起用したジャン・リュック・ゴダール監督はロッコとピエロのキャラクターにより、二重性行の同一人物として描き出ました。

 愛する恋人を最愛の兄に強姦され、愛憎絡み合う兄の借金のために最も忌み嫌っていた職業を選ばざるを得ず、決して壊してはならない家族の絆さえ守りきれずに、現代社会の華やかな欲望溢れる都会に放り出されたロッコ・パロンディ。彼が、もしその社会に適応してしまった場合には、現代青年ピエロのこの退廃と空虚のキャラクターと同一のものになってしまうのかもしれません。


 アニエス・ヴァルダ監督の『百一夜』でのアラン・ドロン挿話として、極貧の生活からはい上がり、今や実業家・映画スターの座を勝ち取ってブルジョアジーとなった彼が、自家用ヘリコプターでジュリー・ガイエ演ずる若くて美しい女性主人公カミーユをパリ15区までエスコートするシークエンスがあります。その直後のショットに、「ネオ・リアリズモ」の巨匠の一人ヴィットリオ・デ・シーカの『自転車泥棒』のパロディがインサートされていました。

 彼女のモンタージュには、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「ネオ・リアリズモ」作品から出発したにも関わらず、実業家、そして大スターになってしまったアラン・ドロンへの厳しい問いかけが表現されていたように思います。
自転車泥棒
/ アイ・ヴィー・シー






 彼女が象徴させたルキノ・ヴィスコンティ監督とアラン・ドロンの確執には、彼の「貧困への裏切りと決別」が暗喩されていたというわけです。

 そういう意味での解釈をもってすれば、『太陽はひとりぼっち』での主人公ピエロの退廃ぶりはひどく、わたしが以前の記事で書いたピエロの記載は訂正を余儀なくされてしまいます。
【この作品でのアラン・ドロンの演ずるピエロは、有能な証券マンで、育ちの良いホワイトカラーのエリートであり、ごく普通の明るい好青年です。彼にしては珍しく個性の弱い役柄】(2005-08-27 16:52『太陽はひとりぼっち』①~「愛の不毛」と「ネオ・リアリズモ」~)
 ピエロをこのように見ること自体、今日(こんにち)の時代の退廃と空虚に鈍感になっており、そういう自分に愕然としています。この青年の没落は、考えれば尋常ではなく、人間の孤独や苦悩を全く自覚することすらできなくなってしまった欠陥キャラクターなわけですから・・・。


 株式の大暴落のときの同僚の女性へのパワー・ハラスメントとも言える言動や、常連客の個人投資家達への答弁には眼を覆いたくなるものがあります。
「話す気はないですよ。何だと言うんです?今日の損失は僕のせいだ。でも今までさんざん儲けさせてあげた。あとは自分で何とかなさい」
「そんな・・・」

>顧客
「財産を処分しろなんて。」
>ピエロ
「だって当然でしょう。株が上がれば金を取り、下がれば払う。」
>顧客
「そうだが、でもどうすりゃいい。」
>ピエロ
「最初あなたの資金は50万リラだけだった。」
>顧客
「君のいう通りだが。」
>ピエロ
「2年で800万リラ儲けさせ やめろといのに聞かなかった あの金はいったいどこへ消えてしまった。あなたのせいだ。払うものは払ってもらう。」

 やけになって知り合いの女性とデートするときの言動もひどいものです。
 じろじろと無神経に彼女の髪を観て
>ピエロ
「染めたのか?前はブロンドだった。」
>女性
「これが本当よ。」
>ピエロ
「行けよ。僕は残る。」

 モニカ・ヴィッティ演ずるヴィットリアが、心配して会いに来てくれたときの、盗難に遭った自家用車の交通事故に関わる会話でも
>ピエロ
「ゆっくり落ちたんだ。車体は傷が少ない。」
>ヴィットリア
「心配なのは車体のこと。」
>ピエロ
「エンジンも心配だよ。修理に金がかかる。」
 このシークエンスのピエロの鈍感さには、思わず苦笑してしまいました。

「盗まれた車は泥棒ごと川に落ちていたのだが、その引き上げに立ちあいにいくドロンは、車から腕をなまなましく突き出している死人のことはいっこう気に留めず、車の損害のこと仕事時間のロスばかり気にしている。それらはいずれも、いかにもマネー・ゲームによる人間性の喪失を描いた深刻なシーンなのだが、しかしその傍らにヴィッティの茫漠とあまり表情を動かさない顔が並ぶと、どこかに一瞬はずれた、そしてそのはずれた一瞬のなかに真白な空虚が広がっているのがかいま見えるような、不思議なおかしさを漂わせる。」
【引用~『アントニオーニの誘惑―事物と女たち』石原郁子著、筑摩書房、1992年】

 このように考えれば、アニエス・ヴァルダ監督のアラン・ドロン観は、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の描いたアラン・ドロン観を継承したものであるとも言えましょう。

 しかし不思議なことに、アラン・ドロンのスターとしての人気の絶頂は、実業家として活躍していた、このようなホワイト・カラー層としてのイメージにも比例していたような気がするのです。

 何故なのでしょうか?

 アラン・ドロンの人気の絶頂は、『あの胸にもういちど』(1967年)あたりから始まって、『個人生活』(1974年)、三船プロダクションでの『レナウンの紳士服ダーバンのCM』の時期だったのではないかと思います。

 特に、ホワイト・カラー層を演じた彼の作品の経緯をたどれば、

『あの胸にもういちど』はアラン・ドロン主演というより、当時の若者の矛盾を体現していたマリアンヌ・フェイスフルに主演を譲り、インテリゲンチャを演じたものの、それは実に品位の欠落したエロティックな大学教授の役でした。
『栗色のマッドレー』(1970年)では、恋愛に肌の色を持ち込む必要のないことを、プライベートでの最愛の恋人ミレーユ・ダルクとの対比にまで高めて表現し、
『燃えつきた納屋』(1973年)でも、逞しい農民の女性に謙譲してしまう検察官、
ブランド商品で固めたような『個人生活』でさえ、左翼中道の労働者政党の政治家であり、
『愛人関係』(1974年)ではミレーユ・ダルクを誠実に心底、愛してしまっている弁護士を演じて、女性ファンを失望させています。
(その後は『アラン・ドロンのゾロ』(1974年)や『フリック・ストーリー』(1975年)などから、正義を貫く反骨のキャラクターへと変貌を遂げ、映画スターとしては、自己の内部矛盾を社会への矛盾に解消してしまい、暗いアウトローとしてのスターとしての魅力を半減させ、人気の凋落傾向を辿っていくわけですが・・・)

 いずれにしても、人気の絶頂期に彼が演じたキャラクターは、ブルジョアジーやホワイトカラー層の役柄を演じてはいても、まっとうで純粋な意味でのそれは少なく、常にアウトサイダーとしての誠実さや、時に下層階級の品の無さを垣間見せるものであったと言えましょう。
 むしろ、それが現代のダンディズムやヒーロー観に象徴されていたことが、スターとしての人気を沸騰させていった要因のようにまで思うわけです。

 要するに彼は、どんなに上品ぶったホワイト・カラー層のキャラクターを演じていても、常に下層の人々や被差別者、社会のアウトローに対する親近を忘れたことは無かったのです。

「ドロンはギャバンとはちがいさまざまな異質なヒーローを演じながら、ドロン=ヒーローとして一貫性をもっている。彼は舞台経験がほとんどないだけに、かえってそういう芸当もできるのである。またそういう自信には一時代まえのギャバンの自信とはちがった近代性がある。TVコマーシャルにでても一向平気なのもそのためだ。」
【引用~「ユリイカ詩と批評1976年6月号~特集映画ヒーローの条件」(映画におけるヒーローと俳優 主としてフランス映画の場合 飯島正)】


 『太陽はひとりぼっち』は、アラン・ドロン主演の作品というよりもモニカ・ヴィッティの主演作品という印象が一般的ですが、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派のジャン・リュック・ゴダール監督は、アラン・ドロンを主演に据えて『ヌーヴェルヴァーグ』を撮ったときのインタビューで、彼の過去の出演作品について、次のように評しています。

「アラン・ドロンの出た『ヌーヴェルヴァーグ』を撮った時、本当にドロンと一緒に仕事をしたいと思ったのですか?」
「そうだ。それはまた、彼の年齢と物腰を思えば、彼が『パリの灯は遠く』や『若者のすべて』や『太陽はひとりぼっち』で見せた何かを再び見たいという欲望でもあったんだ。彼は3本の優れた映画を生みだした。それほど多い数ではないが、それだけあれば充分だ・・・・。」
【『現代思想 総特集 ゴダールの神話』(「映画はその役割を果たす術を知らなかった/リュミエール100年にあたってのインタビュー」ジャン・ピエール・ラヴォワニャ、細川晋 訳)青土社、1995年10月臨時増刊】
ゴダールの神話
/ 青土社




 その言説のとおりに、ゴダール監督は、アントニオーニ監督が未来のアラン・ドロンに見て取った退廃した空虚なホワイト・カラー・ビジネスマンの「愛の不毛」を、「愛の再生」にまで高めました。

「ドロンは電話の受話器をはずしてデートに邪魔が入らないようにしており、受話器を戻したあとも、電話が鳴っても出ずにじっとしている。それは、仕事に忙殺されてきた男の初めての人間性の芽生えのようであるが、同時にそれまでもっていた唯一のコミュニケーション手段ももはや信じられなくなった、孤独の確認、と言っていいのかもかもしれない。」
【引用~『アントニオーニの誘惑―事物と女たち』石原郁子著、筑摩書房、1992年】



 アラン・ドロンは『ヌーヴェルヴァーグ』で、愛憎絡み合う恋人の女性の手をしっかりと握りしめ、ラスト・シーンで楽しそうにジャンプするリシャール・レノックスを演じています。
 彼はヴィットリアのニヒリズムに巻き込まれた「孤独の確認」、すなわち虚無的な無気力に到達してしまったキャラクターを、未来に展望を持った「超・ピエロ」へと進化させているのです。

 もしかしたら、それは、アントニオーニ監督に予言された虚無的な未来を、自らの力で超越したアラン・ドロンに対する、ゴダール監督の絶大なる賛辞であったのかもしれません。
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by Tom5k | 2007-04-08 21:33 | 太陽はひとりぼっち(5) | Trackback(2) | Comments(11)

『恋ひとすじに』①~「アラン・ドロン」の原型 古き良き時代の古都ウィーンを舞台にして~

 この作品の原作者のアルトゥール・シュニッツラーは、オーストリアの首都ウィーン出身の文学者であり、彼の作品は時代や国境を越えて、多くの魅力を放っているようです。

 ハリウッドのスタンリー・キューブリック監督の遺作で、トム・クルーズとニコール・キッドマンが主演した『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)は、舞台をニューヨークに移して創られた彼の作品です(『夢奇譚』池田香代子訳、文藝春秋(文春文庫)、1999年)(『夢がたり シュニッツラー作品集』尾崎宏次訳、早川書房(ハヤカワ文庫)1999年)(『夢小説』池内紀訳、岩波書店(岩波文庫)、1990年)。
アイズ・ワイド・シャット 特別版
/ ワーナー・ホーム・ビデオ





夢奇譚
アルトゥル・シュニッツラー 池田 香代子 / 文芸春秋






夢がたり―シュニッツラー作品集
アルトゥール シュニッツラー Arthur Schnitzler 尾崎 宏次 / 早川書房





夢小説・闇への逃走 他一篇
シュニッツラー 池内 紀 武村 知子 / 岩波書店





 そして、映画化される度にオールスターキャストになるオムニバス映画『輪舞』も、たいへん有名な作品です(『輪舞』中村政雄訳、岩波書店(岩波文庫)1998年)(『輪舞』岩淵達治訳、現代思潮新社、1997年)。
 1度目は、1950年にマックス・オフェルス監督により、ダニエラ・ジェラン、シモーヌ・シニョレ、ダニエル・ダリュー、ジャン・ルイ・バロー、イザ・ミランダ、ジェラール・フィリップらが出演しています。そして撮影は、この『恋ひとすじに』のクリスチャン・マトラによるものでした。彼は『恋ひとすじに』よりも前に、すでに古都ウィーンの景観の素晴らしさをカメラに収めていたのです。
 なお、この旧作は「ヌーヴェル・ヴァーグ」のカイエ派も絶賛している作品です。
輪舞
/ ジェネオン エンタテインメント





 2度目はパリを舞台として、1964年、ロジェ・ヴァディム監督で、マリー・デュボワ、ジェーン・フォンダ、ジャン・クロード・ブリアリ、アンナ・カリーナ、モーリス・ロネ、カトリーヌ・スパークらが出演し、撮影はアンリ・ドカエが担当しています。
輪舞(ロンド)
/ ビデオメーカー





輪舞
シュニッツラー 中村 政雄 / 岩波書店





輪舞
シュニツラー 岩淵 達治 / 現代思潮社





 オーストリアの芸術・文化は、バロック時代からの影響を引き継いでいます。ウィーンの宮廷舞台は、ヨーロツパ演劇が中心であったことから、オペラやバレエを主にした華やかな芸術の都のイメージでも文化史上に位置づけられていましたが、19世紀後半からは、ウィーンにも新しい革新芸術が勃興してきました。
 フーゴー・フォン・ホフマンスタールやヘルマン・バール、アルトゥール・シュニッツラーらは世紀末のペシミスティックな世界を、当時のウィーンの姿に投影させ独特の作風を作り出し「若きウィーン派」と呼ばれました。彼ら「若きウィーン派」の作家群は印象主義者ともいわれ、カフェ・グリーンシュタイドルに集い、社会の不安感、ペシミスティックな情動とロマンティズムなどを、フロイト的な意味での「死への無意識」として表現していったのです。

 アルトゥール・シュニッツラーを初めて日本に紹介したのは、明治時代に『雁』『ヰタ・セクスアリス』『青年』『阿部一族』など、反自然主義の高踏派で浪漫主義の先駆者であった森鴎外です。しかも、この『恋ひとすじに』の原作である戯曲『恋愛三昧』を翻訳し、日本に紹介したのが彼なのです(『恋愛三昧』森鴎外訳、岩波書店(岩波文庫))。
 彼はウィーン大学で医学に志し、同時代のジクムント・フロイトの精神分析学に傾倒し、生きていた時代を敏感に己の作風を当時、主流であった自然主義文学に反映させました。このような作風が浪漫主義の先駆者であったの森鴎外の関心を惹いたのかもしれません。
 これらの事は、特筆すべきであり、現在、再版未定であるこの書籍と日本で未だ販売されていない『恋ひとすじに』のDVDは、早急にセットで商品化すべきであるとまで、わたしは思ってしまいます。
昭和初期世界名作翻訳全集 (9)
シュニッツラー 森 鴎外 / ゆまに書房





 物語の舞台は、1906年オーストリアのウィーンです。冒頭からウィーンの美しい街並みが映し出され、その美しさは、まるで絵画のようですが、ここからアラン・ドロン演ずる少尉フランツ・ロープハイマーとロミー・シュナイダー演ずるクリスティーヌの悲恋の物語がはじまるのです。
 クリスティーヌの部屋のバルコニーには花がたくさん飾り付けられ、ウィーン市民の日常が多くの花に囲まれた素敵な生活であったことが印象に残ります。
 美しい古城を背にしたフリッツとクリスティーヌ、友人テオとミッツィのカップルとのピクニックの場面も素晴らしいシークエンスです。
 更に、初めてのデートのシーンで、ふたりは牧歌的な田園の風景を馬車に乗って走ります。広大な田園のなかで、恋人たちの声がこだまし、美しく素敵なラブシーンとして表現されているのです。


 古き良き時代のウィーンを舞台とした古典戯曲の典型的な作品は、あまりにも美しくて悲しい物語ですが、この作品の美術を造り上げた担当者は、ジャン・ドーボンヌでした。彼は『詩人の血』(1930年)や『オルフェ』(1950年)でジャン・コクトー監督の作品で美術を担当し、ジャック・ベッケルの『肉体の冠』(1951年)『現金に手を出すな』(1954年)『モンパルナスの灯』(1958年)、クリスチャン・ジャックの『パルムの僧院』(1947年)やマックス・オフェルスの『輪舞』(1950年)などを手がけたフランス映画のトップクラスの名コーディネーターです。
詩人の血【字幕版】
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肉体の冠
/ ジェネオン エンタテインメント





モンパルナスの灯
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パルムの僧院〈完全版〉
/ アイ・ヴィー・シー





 撮影はクリスチャン・マトラ。ドーボンヌのセットや美術を背景としたウィーンの景観や登場人物の素晴らしさや美しさは、彼のカメラによるところが大きいと思います。
 『大いなる幻影』(1937年)『旅路の果て』(1939年)『賭はなされた』(1947年)『双頭の鷲』(1947年)『花咲ける騎士道』(1952年)『女優ナナ』(1955年)『モンパルナスの灯』(1958年)『輪舞』(1950年)『歴史は女で作られる』(1956年)などの代表作で、ジャン・ルノワール、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ジャン・コクトー、ジャック・ベッケル、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー、クリスチャン・ジャック、ミッシェル・ボワロン、アンドレ・カイヤット、マルク・アレグレ、アンリ・ヴェルヌイユ、ジャン・ドラノワ、ルイス・ブニュエルなどフランスの戦前・戦後の主なほとんどすべての監督と組み、ジェラール・フィリップやジャン・マレー、ジャン・ギャバン、ルイ・ジューヴェ、ダニエル・ダリュー、ミッシェル・モルガン、ミシュリーヌ・プレール、エドウィジュ・フィエール、マルティーヌ・キャロルなど戦前・戦中からのスター俳優、ミレーヌ・ドモンジョ、アヌーク・エーメ、フランソワーズ・アルヌール、クラウディア・カルディナーレ、ジーナ・ロロブリジナ、アンナ・カリーナ、アラン・ドロン、ジャン・ポール・ベルモンドなど戦後のスター俳優まで、各世代の美男・美女を撮り続けました。
 旧作『恋愛三昧』のマックス・オフェルス監督や、この新作のピエール・ガスパール・ユイとも何本かコンビでの作品を撮りました。

 この顔ぶれはフランス映画史そのものといえるそうそうたる顔ぶれです。50年代後半から活躍していくアンリ・ドカエやラウール・クタールが出現するまで、フランスの映画界を背負って立っていた名カメラマンだったといえましょう。
大いなる幻影
/ ジェネオン エンタテインメント





旅路の果て
/ アイ・ヴィー・シー





双頭の鷲
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 音楽は、ジョルジュ・オーリックです。彼はパブロ・ピカソやエリック・サティらの芸術家とも親交が厚く、映画音楽への関心はジャン・コクトーの影響によるものだったそうです。クリスチャン・マトラとのコンビも数多くあり、息のあったコンビネーションによった作品となっており、マトラの素晴らしい映像に加えた彼の音楽の素晴らしさが良くマッチングしています。
 シネ・ジャズの時代が到来するまで、クラシック音楽が映画音楽の主流であった時代にオペラや交響曲を大衆に分かり易く、映画を通じて提供してくれていたメディア文化最先端の音楽家です。この作品でもヴェートーヴェンの『シンフォニー第5番「運命」』やシューベルトの『アヴェ・マリア』の使い方、歌劇場の様子やクリスティーヌの父親が音楽家である設定、ロミーの歌う場面(多分、吹き替えだと思いますが)などオーリックの力量が十分発揮された作品といえましょう。

 監督を務めたのは、制作した本数は少ないながらも1963年度カンヌ映画祭で『シエラザード』により、フランス映画高等技術委員会大賞を受賞しているピエール・ガスパール・ユイです。ドイツ映画界の不信で母国での作品製作が振るわなかった時代的な不運がなければ、もっと多くの名作品を輩出できた演出家であったと思います。

 また、特筆すべきはフランツの愛人役で大女優ミシュリーヌ・プレールが出演していることです。
 クロード・オータン・ララ監督、ボストとオーランシュの脚本コンビによるレイモン・ラディゲ原作の『肉体の悪魔』(1947年)では、ジェラール・フィリップの恋の相手として年上の人妻役を演じました。まさにフランスの古き良き時代の「詩(心理)的レアリスム」の典型的な作品が代表作です。また、実存主義哲学者のジャン・ポール・サルトルがシナリオを担当し、撮影と音楽をマトラとオーリックのコンビとしたジャン・ドラノワ 監督の『賭はなされた』(1947年)、ジャック・ベッケル監督の『偽れる装い』(1945年)などで主演を務めています。
 そしてイギリスで撮った『アメリカン・ゲリラ・イン・フィリピン』(1950年)は、『怪傑ゾロ』でディエゴ=ゾロで主演したタイロン・パワーとともに、何とフリッツ・ラングの演出も受けているのです。まさに彼女は大女優です。
肉体の悪魔
/ ビデオメーカー





 この作品が製作された当時のフランス映画界には、まだ、「ヌーヴェル・ヴァーグ」が出現していませんでした。しかし、ジェラール・フィリップを失い、ジャン・マレエも全盛期を過ぎ、ジャン・ギャバンただ一人がスターとして頑張っていた世代交代期だったことから、映画界は新たなスターを求めていた時代だったといえましょう。 
 そこに、この『恋ひとすじに』のような古典手法の名人たちに囲まれて、期待の大型新人アラン・ドロンは、古き良き時代の古都ウィーンを舞台にした作品で登場したのです。彼はフランス映画のクラシックをそのまま受け継ぎ、ウィーン情緒あふれる舞台設定で主演2作目を飾り、自らの俳優人生の方向付けも固めることができたのだと思われます。しかも、共演した元恋人ロミー・シュナイダーもドイツ宮廷の舞台俳優の祖父母の血縁を受け継いだ女優でした。

 時代物のコスチューム・プレイを主とした作風のクラシカルは、アラン・ドロン作品の原点のひとつだと思われます。『素晴らしき恋人たち』、『山猫』、『黒いチューリップ』、『世にも怪奇な物語』、『アラン・ドロンのゾロ』、『スワンの恋』、『カサノヴァ最後の恋』等々、時代物ではありませんが、『フランス式十戒』、『帰らざる夜明け』、『燃えつきた納屋』なども古典手法の作品です。

 彼は「フレンチ・フィルム・ノワール」作品のジャン・ギャバンの後継者であることはもちろん、同時にジェラール・フィリップやジャン・マレエらの後継者としての役割も立派に果たし続けていったのだとわたしには見えてしまうのです。
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by Tom5k | 2006-04-11 00:18 | 恋ひとすじに(3) | Trackback | Comments(0)

『地下室のメロディー』①~「アラン・ドロン」の原型 古き良き時代の「セリ・ノワール」~

 「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スターであるアラン・ドロンの原点は、全てこの作品に詰まっています。全盛期の『サムライ』、『さらば友よ』、『ボルサリーノ』、『スコルピオ』、『ビッグ・ガン』、『ル・ジタン』、『友よ静かに死ね』、『危険なささやき』等々。後半期の『私刑警察』や『ハーフ・ア・チャンス』でさえも原点はここにあると、わたしは思います。

 何故か?
 「フレンチ・フィルム・ノワール」の大御所といえば、言わずと知れたジャン・ギャバンその人でしょう。ジュリアン・デュヴィヴィエの『望郷』、マルセル・カルネの『霧の波止場』、ルネ・クレマンの『鉄格子の彼方』、そして、ジャック・ベッケルの『現金に手を出すな』、ジャン・ドラノワ、ジル・グランジェのメグレ警視シリーズ。
(現在の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の定義では、『現金に手を出すな』より以前のノワール的な作品が含まれていませんが、私はこれらもその体系にあると考えています。)

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 既に戦前から、ドロンと初共演するまで、この他にも数え切れないほどの「フレンチ・フィルム・ノワール」の大傑作を創り出しています。
 『地下室のメロディー』は、アラン・ドロンが初めて主演した「フレンチ・フィルム・ノワール」の作品です。幸運なことに、ジャン・ギャバンとの共演でスタートを切ることができ、アラン・ドロンは、フランスにおける「フィルム・ノワール」の原点の多くを学び、その後の彼の作品にも大きな影響を反映させていくことができたのだと思います。

 また、ジャン・ギャバンとアラン・ドロンとは共通点が多くあります。
 妻に先立たれ、息子をもてあました父親はジャンを高等学校寄宿舎に入れてしまいます。我慢できなかったジャンは寄宿舎を飛び出して周囲を困らせました。仕事の転職も数知れません。自動車のセールス、道路工事の人夫、鉄工所の労働者、鉄道員、バーテン、クラブ歌手、そして、海軍に志願し、海上勤務までしています。

 ドロンのデビュー前と似ていると思うのはわたしだけでは無いでしょう。
 だからなのでしょう。いつも、ギャバンとドロンのコンビは、本当にピッタリ息が合っています。

 そして、ジャン・ギャバンの作品の多くは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の若手映画評論家たちに批判されていった古き良き時代のフランス映画、それをを支えていた「詩(心理)的レアリスム」黄金時代の巨匠ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、マルセル・カルネ監督やジャン・ドラノワ監督たちとの作品でした。そのなかには、ルネ・クレマン監督の作品もあります。
 しかも、当時のアラン・ドロンの作品も、フランス作品に限っては、ルネ・クレマン監督やジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品が中心でした。
 恐らく、彼にとって、これほど心強い親分はいなかったでしょう。

 『地下室のメロディー』は、そんな二人のコンビネーションが本当に良くかみ合って作られています。
 ジャン・ギャバンもアラン・ドロンもその気になればどんな仕事だって難なくこなせます。普通に地道に働けば、人並み以上の実績や業績を残せるはずです。だけど、そんな風に器用で優秀だから、まじめに働くのがばからしく、一発当ててやろうと思い、また、懲りもせず、夢に生きてしまうのです。
 それでも、ジャン・ギャバン演じるシャルルは決して、貧しい庶民から、搾り取ろうという生き方は大嫌いです。
「安月給のサラリーマンから金をとるほど悪趣味じゃない。」
 シャルルは妻のホテル経営の話しを嫌います。

 そして、20歳代も半ばを過ぎ、まだ、親や姉夫婦のスネをかじっているアラン・ドロン演じるフランシス。そんな彼にムショ仲間のシャルルから思いもかけない大仕事が舞い込んできました。コートダジュールにあるリゾート・ホテルのカジノにある「10億フラン」をそっくりいただこうという話です。

 フランシスからすれば、
「どうせ、口うるさいおふくろには、毎日ガミガミお説教だし、一年間のムショ仲間でしかないシャルルが自分をここまで見込んでくれたんだ。」

 シャルルとフランシスの間にはこうして
「女房にはわからない。」
「おふくろに何がわかる。」

 妻や母親、女たちには理解できない男同士の連帯感が芽生えたのです。この二人は、本当に父親と息子のような関係です。

 そして、強盗の計画は・・・ホテルの屋上の空調設備の排出口から、排気ダクトを通じて地下金庫に通じるエレベーターの外側に出て、金庫のある地下室に降りたときに、その天井から金庫内に潜り込み、機関銃で脅して現金10億フランを頂くというもの・・・。
 計画は完璧だったし、その仕事も計画通り、あとは悠々自適の生活が待っているはずでした。

 ところが、翌朝の新聞に掲載された写真はフランシスの超ド・アップです。少々、目立ち過ぎてしまったようでした。直接、犯人に疑われる確率は少ないかもしれないけれど、この地域の周辺では検問・張り込みが厳しくなるのは当たり前で、当然、この新聞も警察の調査資料になっているはずです。何度もこの商売でパクられているシャルルは、警察がどこで犯人を嗅ぎ分けるかを身をもって経験してきています。とにかく、一刻も早くここから安全なところまで逃げなければなりません。すぐに盗んだ札束の入った鞄を持ってくるようフランシスに命じて、ホテルのプールサイドで待ち合わせします。

 ところが、プールサイドへ来ると、もうそこには何人もの刑事たちが現場の捜査に当たっていて、事件の現場であるカジノの金庫にいた男とも話しています。シャルルもフランシスも冷や汗をかきながら、身動きすることができません。

 空調ダクトの排出口から潜りこんだことも、捜査でわかってしまい、刑事たちの立ち話から聞こえてきたのは、二人の年齢や身体的特徴や所持している鞄の特徴でした。そんなことまで、はっきり記録されてしまっているのです。これでは、いくら急いで逃げても、すぐに足がついてしまいます。くやしいけれど証拠隠滅という方法しか残されていません。でも、プールサイドに置きっぱなしにすることは危険すぎます。
「もういいや。プールに捨てちゃえ。」
 フランシスは、こう考えるしかなかったんじゃないでしょうか?

 プールは朝一番の給水作業のために、水がプール全体を循環しており、鞄の蓋も水圧で開いてしまいました。どんどん浮かびあがってくる札束、札束、札束・・・・。
 プールに浮かんでくる10億フランは、まさにあぶく銭です。
 このあとは、二人とも、待っていてくれる優しい奥さん、息子を想うあまり、つい口うるさくなってしまうお母さんの気持ちもわかって、空想みたいな夢を捨て、まじめに、地道に生活したでしょうか。
 いやいや、この二人のことです。性懲りも無く、次のでかい山の相談を始めたに違いありません。

 監督のアンリ・ヴェルヌイユは娯楽・商業映画を最も得意としていた映画監督でしたが、さすがフランス映画の第一人者です。空調のダクトからエレベーターに抜け出ての現金強盗やプール全面に浮かび上がる紙幣などの着想もさることながら、庶民の生活に密着した背景を実に丁寧にうまく描いています。

 戦争で荒廃したパリが戦後の経済成長を遂げていく様子は、服役を終えたシャルルの帰宅途中に映し出されるパリの駅や高層ビル、新築中のアパルトマンから。庶民の暮らしや不満は、シャルルが耳にする列車内での乗客達、ローンで無理してバカンスを楽しんでいるという会話の内容から。決して裕福ではない庶民の暮らしは、しけもくを探して火を付けるフランシスや、子どもを保育所に預けることもできずに、子守りを失業中の弟に頼まなければならない姉一家、下町の義理の兄貴の自動車工場の様子などでよく描かれています。

 また、それとは逆に、コートダジュールにある金持ち専用のリゾートホテルで、カジノやプールで遊びながら優雅に生活をしている人々。
 こういった細部にわたる作品の背景を丁寧に描いているからこそ、犯罪の動機や人間関係、説得力のあるプロットをより鮮明に浮き上がらせることができているのではないでしょうか。

 それにしても、庶民が当たり前のように上等のスーツを身につけて、ロールス・ロイスやアルファ・ロメオ・スパイダーに乗り、優雅にリゾートホテルで何ヶ月もの長期のバカンスの生活をするなんて、バブルのはじけた今の日本では、夢のまた夢になってしまったような気がします。
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by Tom5k | 2005-10-08 02:45 | 地下室のメロディー(5) | Trackback(9) | Comments(16)