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『地下室のメロディー』⑤~「アラン・ドロン」の原型、ギャバンとの邂逅とアメリカ映画への野心② ~

【<『地下室のメロディー』⑤~「アラン・ドロン」の原型、ギャバンとの邂逅とアメリカ映画への野心① ~>から続く】

 『面の皮をはげ』でのジャン・ギャバンには、過去にジュリアン・デュヴィヴィエやマルセル・カルネが演出した逃亡する脱走兵や前科者など、逃亡者の典型的なキャラクターからの脱皮が試みられています。
 犯罪者である過去があり、それをひた隠しにしている主人公の設定までは同様なのですが、彼は現在でもギャング組織のボスとして君臨し、キャバレー、カジノ、映画館の経営者など、実業家としての地位を築くことにも成功しています。更に、資産家の妻を持ち、過去に決別した仲間の息子を引き取り弁護士として立派に育てあげています。
 彼がこのような分裂した人格の主人公を演じていることは珍しいのではないでしょうか?

 しかし、敵方のギャングとの抗争がメディアの恰好の的となって、隠していた自分の過去が世間に明るみになり、これが原因となって、現在の地位・名誉に加え、大切な家族すら失い、そして、最期には警察の銃弾を受け非業の死を迎えてしまうのです。

 ここでのジャン・ギャバンは、世間から身を隠している犯罪者ではあるものの、過去の作品の逃亡者とは異なり、第二全盛期を迎える『現金に手を出すな』以降の「フレンチ・フィルム・ノワール」で演じ続けたギャング組織のボスの貫禄を十分に備えることに成功しています。

 彼は、自分自身の戦前・戦後の各全盛期の橋渡しをするとともに、犯罪者と実業家の二面性を持った主人公のキャラクターを演じたことをもって、戦後世代のアラン・ドロンへの映画史的バトン・タッチのきっかけとなる非常に重要な作品を生み出したように思います。
 この主人公の設定及びそのプロットは、ジョゼ・ジョヴァンニ監督の『ブーメランのように』(1976年)に、あまりにも似通っているような気がします。ジョゼ・ジョヴァンニは、この作品からかなり大きな影響を受けているのではないでしょうか?

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 そして、1953年の『現金に手を出すな』から、1962年の『地下室のメロディー』までの10年間にジャン・ギャバンは、多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品、例えば、『その顔をかせ』(1954年)、『筋金を入れろ』(同年)、『赤い灯をつけるな』(1957年)、『Le cave se rebiffe(親分は反抗する)』(1961年)などでギャング組織のボスを演じ続け、そのキャラクターは大スターの風格とともに定着していきました。

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【>当時の作品を何本か再見したんですね、そこで『地下室のメロディー』の話をしたいのですが、ギャバンと共演しています。彼はあなたの共演者であり、同時に師匠でもあった:役者と演じる人物の間である種伝わるものを感じます。
>『地下室のメロディー』の頃は、ギャバンは元気一杯だったよ。彼は常にボスで素晴らしい役者だった。彼とは共通点があった。彼同様、私も昔軍人で、船員だったんだ。私同様、ギャバンは最初は役者じゃなかった。ミュージック・ホールやカフェ・コンセール以外は、同じ道を歩んで来てた。ギャバンはフォリー・ベルジェールの階段を(キャバレー)でミスタンゲットの後ろで降りていた、するとある日役者をやってみないかと勧められた。ちょっと修理工をしてたアラン・ラッドやサーカス出身のランカスターみたいなものだね。これが正に役者ってものだ。】
【引用 takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事  2007/6/4 「回想するアラン・ドロン:その2」(インタヴュー和訳)」カイエ・ドュ・シネマ501号掲載

 このような「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スター、ジャン・ギャバンと共演したことによって、「アラン・ドロン」キャラクターの基礎工事が実践され、『地下室のメロディー』が、彼の将来への飛躍のための作品になったのだと考えることができます。


 そして、アラン・ドロンは、この後、戦前のフランス映画の黄金時代を体系づけていた「詩(心理)的レアリスム」、その第二世代の代表であったクリスチャン・ジャック監督の「剣戟映画」の体系にある『黒いチューリップ』(1963年)に主演します。

 フランスにおける「剣戟映画」の全盛期は1950年代から1960年代初頭でしたが、ジェラール・フィリップ主演、クリスチャン・ジャック監督『花咲ける騎士道』(1952年)、ジョルジュ・マルシャル主演、アンドレ・ユヌベル監督『三銃士』(1953年)などから、

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ジャン・マレーの時代にその全盛期を担っていきます。ジョルジュ・ランパン監督『城が落ちない』(1957年)、アンドレ・ユヌベル監督『城塞の決闘』(1959年)、『快傑キャピタン』(1960年)、ピエール・ガスパール=ユイ監督『キャプテン・フラカスの華麗な冒険』(1961年)、アンリ・ドコワン監督『鉄仮面』(1962年)などがありました。

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 しかし、その後の「剣戟映画」が、映画史的な意味での位置づけにさして重要なポジションを占めることができなかった結果を鑑みれば、当時からこの映画体系に映画ファンの安定した需要があったものとも思えません。目先の効くアラン・ドロンには、そんなことを敏感に感じ取ることができていたのかもしれません。

 また、1962年に製作を開始したクリスチャン・ジャック監督、アンソニー・クイン共演の「冒険活劇」の超大作『マルコ・ポーロ』の企画も、ドニス・ド・ラ・パテリエール監督、ホルスト・ブッフホルツ主演に交代してしまいました。
 この作品の製作者は、ブリジット・バルドー主演『素直な悪女』(1956年)を初め、ロジェ・ヴァデム監督の作品やマルグリット・デュラス原作、ピーター・ブルック監督の『雨のしのび逢い』などをプロデュースしたラウール・レヴィでしたが、彼はアメリカ・ナイズされた「ヌーヴェル・ヴァーグ」のプローデューサーとして活躍していた人物でした。

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 当時のアラン・ドロンは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派に批判されていた映画作家だったクリスチャン・ジャックとともに、『太陽がいっぱい』で、ルネ・クレマン監督がポール・ジェコブの脚本やアンリ・ドカエのカメラ、共演のモーリス・ロネを取り込んだように、ラウール・レヴィの作品に出演することによって新時代を席巻していた「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品に対する勝算にも野心を持っていたのかもしれません。

 アラン・ドロンは、このような実績を持つラウール・レヴィとの企画を果たすことができず、大きなショックを受けたのではないでしょうか?

 彼が、「剣戟」や「冒険活劇」の映画スターとして活路を見出せなかったことは、やむを得ないことだったかもしれません?

 また、『危険がいっぱい』(1963年)で、三本目となるルネ・クレマン監督も同じく旧世代の映画作家でしたし、ルイ・マルの助監督として育成された若手のアラン・カヴァリエ監督による『さすらいの狼』(1964年)も戦前の「詩(心理)的リアリスム」の作風による作品でした。この公開に関わっても、アルジェリア問題による検閲等が厳しく財政的な大きな痛手もこうむってしまいます。

 ここでもう一度この時期の作品の中で、ハリウッドでも通用する要素を持ち、「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品に勝算を持つ企画を再考したとき、やはり、ジャン・ギャバンと共演した『地下室のメロディー』が浮かび上がってくるのです。
 この作品は、カラーバージョンがアメリカ公開用として制作され評価も高く世界中で大ヒットしまた。
 それもそのはず、1950年代以降のアメリカ映画では、現金や宝石の強奪をストーリー・プロットとして扱った作品が盛んに量産されていました。
 ジョン・ヒューストン監督、マリリン・モンロー出演『アスファルト・ジャングル』(1950年)から始まり、スタンリー・キューブリック監督『現金に体を張れ』(1956年)、ハリー・べラフォンテ主演『拳銃の報酬』(1959年)、ルイス・マイルストン監督、フランク・シナトラ一家総出演『オーシャンと十一人の仲間』(1960年)などが有名です。

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 アラン・ドロンが当時の現状を打破するために、『地下室のメロディー』を跳躍台にして、アメリカ映画への野心を現実的なものにしようと考えたことも無理はありません。まして、『地下室のメロディー』は、初めて彼が世界市場(ロシア、ブラジル、日本)への配給権を取得した作品でした。

【>当時、神話は全てアメリカからやって来ていた。
>その通り。僕らにはバルドーしかいなかった。あちらさんにはエヴァ・ガードナー、リタ・ヘイワース、それからマリリン・モンローが少し遅れてやって来た・・・そう、スターたちは大西洋の向こう側だった。】
【引用 takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事  2007/6/4 「回想するアラン・ドロン:その2」(インタヴュー和訳)」カイエ・ドュ・シネマ501号掲載

 残念ながら、アラン・ドロンのアメリカでの人気は、結果的に芳しいものにはならず、キャリアのうえで充分な成功を収めることは出来ませんでしたが、後年のジョゼ・ジョヴァンニ監督との三部作の原点とも考えられる作風の『泥棒を消せ』(1964年)に主演することができました。

 いずれにしても、アラン・ドロンが代表作『サムライ』以降の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品での人気全盛期を迎える序章として大きな影響力を持った作品が、次の四作品だったと思います。
 ・ 彼の銀幕デビュー作品、『Quand la Femme s'en Mele』
 ・ ジャン・ギャバンとの共演作品、『地下室のメロディー』
 ・ 念願だった自社プロダクションによる製作作品、『さすらいの狼』
 ・ アメリカでの野心作、『泥棒を消せ』

 そして、この中でも、最も成功し未来への展望を持てた作品が『地下室のメロディー』だったわけです。

 『地下室のメロディー』では、ジャン・ギャバン演ずるシャルルの妻ジネット(ヴィヴィアンヌ・ロマンス)やアラン・ドロンが演ずるフランシスの恋人ブリジット(カルラ・マルリエ)などの女性は重要な登場人物としておらず、また、カジノの現金強奪は、シャルルとフランシス、その兄モーリス・ビローが扮するルイが協力し合って計画し実行しますが、ルイが現金強盗に嫌気が差し現金強奪後は彼らの元から離れていきます。
 これらの人物構成のプロットは、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の伝統的特徴である「男同士の友情と裏切り」が緩和され、「男同士の協力と離反」となっていますが、この体系を充分に準用した設定だったと思います。
 加えて、シャルルとフランシスが落ち合うビリヤード場、カジノの夜の情景、ナイトクラブ、ダンスホールの舞台裏、エレベーター昇降路・送風ダクト内・車のヘッドライト、煙草・酒・鏡・サングラスなど、オリジナル・バージョンではモノクロームを基調として光と影のコントラストで描写した舞台や小道具も、この作品のノワール的特徴でした。

 ここでのジャン・ギャバンとの邂逅からは、『シシリアン』(1969年)、『暗黒街のふたり』(1973年)が生み出され大きなヒットを記録していくことになりますし、1967年の『サムライ』以降の多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品、例えばジャン・ピエール・メルヴィル、ジョゼ・ジョヴァンニやジャック・ドレーが演出した作品など、いわゆる多くの「アラン・ドロン」キャラクターへの確立には、上記四作品への主演の経験が大きかったでしょうし、取り分け、この『地下室のメロディー』でのジャン・ギャバンとの共演が不可欠であったと私は考えています。

【(-略)全く異質な人間が、ある一作の中で、すれちがった。栄光のバトンを手渡し、ひとりはそのバトンをもって、夢中でかけ出す。明日という日へ向って-。】
【スクリーン1963年11月号「ギャバン対ドロン」秦早穂子】
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by Tom5k | 2017-01-14 17:39 | 地下室のメロディー(5) | Trackback | Comments(0)

『地下室のメロディー』⑤~「アラン・ドロン」の原型、ギャバンとの邂逅とアメリカ映画への野心① ~

 アラン・ドロンの初期の主演作品『お嬢さん、お手やわらかに!』(1958年)、『学生たちの道』(1959年)は、明らかにアイドル映画のジャンルにある作品でしたから、この段階では、まだ、いわゆる「アラン・ドロン」キャラクターは、ほとんど確立されていません。そして、監督を務めたのは両作品ともミッシェル・ボワロンでした。
 彼は、その後、ルネ・クレマンやルキノ・ヴィスコンティなど、巨匠たちの作品に主演した後、ミッシェル・ボワロン監督の三作品目、『素晴らしき恋人たち 第4話「アニュス」』(1961年)に主演します。ロジェ・ヴァデム監督に見出され脚光を浴びていたブリジット・バルドーと共演した若い恋人同士の悲恋のコスチューム・プレイでしたが、やはり同監督の得意な前二作のジャンルの作品でした。

 ロミー・シュナイダーと婚約まで果たすことになった『恋ひとすじに』(1958年)は、西ドイツの作品であり、アラン・ドロンが国際的スターになるきっかけとなった作品でしたが、戦前のドイツで映画芸術の先端であった「ドイツ表現主義」の体系にあったマックス・オフュルス監督、マグダ・シュナイデル主演のオリジナル作品『恋愛三昧』のリメイクです。この作品は、アラン・ドロンが主演というよりも、、どちらかと言えば、『プリンセス・シシー』シリーズで人気絶頂期にあったマグダ・シュナイデルの愛娘、ロミー・シュナイダーが主演のアイドル映画でした。

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 彼がその持ち前の陰影の濃い犯罪者としての人物像を初めて演じた作品は、『太陽がいっぱい』(1959年)でしたが、この作品を監督したルネ・クレマンへの当時の批評は、新たに台頭していた「ヌーヴェル・ヴァーグ」諸派の旧世代の伝統的作風への批判はもちろんあったでしょうし、それに加えて、『生きる歓び』(1961年)を含めた彼自身の力の限界を指摘されたものも存在していました。

【「クレマンが『太陽がいっぱい』で見せてくれたのは、地中海のすばらしい陽の光と、エレガントな色彩撮影と、見当ちがいのディテールと、ショッキングなラスト・シーンだった。」
 ロイ・アームズが、『海の壁』の後に作られた『太陽がいっぱい』(59)について、こんな批評をしている。
 『太陽がいっぱい』、その後の『生きる歓び』(61)とともに、押しよせる“ヌーヴェル・ヴァーグ”に対抗してクレマンが作ったスタイリッシュな作品であった。二本とも、“ヌーヴェル・ヴァーグ”の作品から出てきたアンリ・ドカエに撮影をまかせたのだが、ドカエのカメラは、若い世代の心理をうつしとり得ず、ドラマの構造だけを美しく捉え得たにとどまった。クレマンは、現代の若い世代の心理を活写できるような作家ではなかったのである。彼は、巧みなストーリー・テラーとして、その後の作家活動を続けるようになった。】
【映画評論 1974年3月号(「ルネ・クレマン研究 クレマンの作品系譜をたどる」高沢瑛一)】

 更に、当時のイタリア社会に現れた社会問題をリアリズム描写で創出し続けた「ネオ・レアリズモ」の作品群も第二次世界大戦後から1950年代の隆盛から変遷をたどりながら、その全盛期を終焉させていきます。そこから様々な試行錯誤が行われていくのですが、その傾向はアラン・ドロンの国際的スターとしての出発点であったイタリア映画の『若者のすべて』(1960年)、『太陽はひとりぼっち』(1961年)、『山猫』(1962年)に顕著に現われています。

 そして、ミケランジェロ・アントニオーニについて、アラン・ドロンは次のように後述しています。
【>ブリエの現場は本当に素晴らしかったね。ロージー以来、私はブリエのような人を待っていたんだ。他の監督たちに侮蔑的に聞こえて欲しくはないけどね。でも私にはヴィスコンティ、クレマンがいて、アントニオーニは偶然だがね・・・】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18「回想するアラン・ドロン:その6」(インタヴュー和訳)」

 ミケランジェロ・アントニオーニは、それまでの映画制作での決まりごとを全て否定し、反ドラマ(反ストーリー)の構成により映画のテーマを提示する斬新な手法を取っていた映画作家でした。彼は自らの作品を「内的ネオ・レアリズモ」と定義づけ、映画史的にも「ネオ・リアリズモ」以降の流れを組む映画作家として体系づけられています。
 しかし残念なことに、彼との出会いを「偶然」としているアラン・ドロンのこのような発言には、当時の自身のキャリアを「内的ネオ・レアリズモ」に投入していこうとしていた意欲は感じられません。

 また、ルキノ・ヴィスコンティにおいては、彼自身の「ネオ・レアリズモ」作品の集大成として、アラン・ドロンを主演にした『若者のすべて』(1960年)を演出しました。この作品は1960年度ヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞を受賞しましたが、イタリア国内の南北地域格差へのあまりにリアルな描写に、撮影中から公開後まで当局とのトラブルが絶えなかったそうです。特に、主人公ナディアへの暴行や刺殺のシークエンスは、公序良俗に反するといった理由から音声のみのシークエンスとして公開するようイタリア政府からの検閲を受けました。ちなみに、日本で公開されたときの上映時間も大幅に短縮された1時間58分でした。
 そして、第16回カンヌ国際映画祭グランプリ(パルム・ドール)を受賞した『山猫』は、彼のそのキャリアの新時代として、貴族社会の崩壊をリアリズムによって描いた新しい試みであったにも関わらず、その世界配給は20世紀フォックスによる40分に及ぶ短縮版を基軸としてしまいました。
 このようなことから、ルキノ・ヴィスコンティ監督による二本のアラン・ドロン主演作品は、公開当時には、その真価を世評に正確に反映させることが難しかったと考えられます。

 これらの事情を鑑みれば、アラン・ドロンが、その後のイタリア映画界で活躍していくためのモチベーションを高めることは難しかったと察することができます。

 次に、自国フランス映画での「アラン・ドロン」はどうだったでしょうか?
 彼は、ルネ・クレマン監督の演出作品の外に、1962年に戦前のフランス映画の黄金時代を体系付けていた「詩(心理)的レアリスム」の代表格だったジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『フランス式十戒第6話「汝、父母をいやまうべし、汝、偽証するなかれ」』への出演を果たします。
 しかし、ジュリアン・デュヴィヴィエは、1950年代中盤から、フランソワ・トリュフォーを初めとした映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」によって、徹底的に批判されていった映画作家でもありました。

 1950年代終盤からの自国フランス映画界は、ロジェ・ヴァデム、ルイ・マル、ジャック・リヴェット、クロード・シャブロル、フランソワ・トリュフォー、ジャン・リュック・ゴダール、エリック・ロメール、アラン・レネ、アニエス・ヴァルダ、ジャック・ドゥミなどの「ヌーヴェル・ヴァーグ」の映画作家たちが席巻する時代を迎えていたのです。

【>アラン・ドロン
(-略)・・・私はヌーベルバーグの監督たちとは撮らなかった唯一の役者だよ、私は所謂「パパの映画 cinéma de papa※」の役者だからね。ヴィスコンティとクレマンなら断れないからねえ!ゴダールと撮るのには1990年まで待たなくてはならなかったんだ。(略-)】 
※cinéma de papaとは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派のフランソワ・トリュフォーが付けた古いフランス映画への侮蔑的な呼称のこと。
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/21 「回想するアラン・ドロン:その7(インタヴュー和訳)」

 1960年代の初め、若手の映画人気俳優として大反響を惹起していった新世代の国際スター「アラン・ドロン」には、このような状況もあったわけです。自国フランスのみならず、西ドイツやイタリアでの作品に主演し、国際的に人気の絶頂を迎えていたとは言え、アラン・ドロンに焦燥があったことは否めません。
 そして、そんな先行きの不安を想定し得る状況にあって、彼がようやく巡り会うことができた作品が、アンリ・ヴェルヌイユ監督の『地下室のメロディー』(1962年)だったのです。共演者は言わずもがな、「フレンチ・フィルム・ノワール」の大御所、ジャン・ギャバンです。

【 戦前から戦後を通して、フランス映画界でのナンバー・ワンはいつもジャン・ギャバンであった。今もである。水草稼業にもにて、人気のうつりかわりの激しい俳優世界で、これは稀有のことだといわなくちゃなるまい。もっともフランス人の性へきの中には、大変保守的なもの-伝統を愛するというか、古いものをなつかしむといった傾向があるからかもしれないが、大げさにいえばシネマがトーキーになってからはまずはジャン・ギャバンというのが、彼らの固定観念になってしまった。フランス映画の危機が叫ばれる昨今においても、ナンバー・ワンはギャバンである。ナンバー・ワンというより、別格なのである。(略-)】

【(-略)人間だれしも、お世辞にはよわいとみえて、いつも無愛想なギャバンが、いたれりつくせりのドロンの奉仕ぶりに、うん、仲々いいところのある青年だといったとか。ドロンのほしかったのは、正に、ギャバンのこのお墨附きだったのである。(略-)】
【スクリーン1963年11月号「ギャバン対ドロン」秦早穂子】

 『地下室のメロディー』が公開された1963年当時の日本の映画雑誌には、このようなジャン・ギャバンに対するアラン・ドロン評が掲載されていました。ファンとしては、あまり愉快な内容とは思いませんが、残念ながら的を得た評価であったかもしれません。

 ところで、ジャン・ギャバンが、どんなに別格の存在だったとしても、彼が映画俳優として若い頃から一貫して、それを維持し続けることができていたわけではありません。『現金に手を出すな』(1953年)により、戦後に第二全盛期を迎えるジャン・ギャバンに至るまでには、かなり長期間に渉ってのスランプの期間もあったのです。

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 これは、1941年にナチス・ドイツのフランス占領時によって彼が渡米した頃から始まったものだったと考えられますが、それを克服するまでには10年もの長い年数を要しました。これには、様々な要因があったと思いますが、私は主に次のことが大きかったと考えています。

◯ 40代という彼の年齢とそれまでの「ジャン・ギャバン」キャラクターとの間のギャップが大きくなってしまったこと。
 脱走兵や前科者が官憲に追い詰められ、最期に非業の死を迎える悲劇のヒーローとしてのスタイルによった行きずりの美しいロマンスは、40代の彼には既にそぐわないものになっていました。
 この傾向は、戦前からの名コンビ、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督との『逃亡者』(1943年)、当時の新進気鋭のルネ・クレマン監督との『鉄格子の彼方』(1948年)などの作品において顕著になっていました。

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◯ アメリカへの亡命時代、ハリウッドでの映画制作の手法が彼のキャリアとは合わなかったこと。
 『夜霧の港』(1942年)への出演ではアーチ・メイヨ監督とのトラブルが絶えず、当時、同様にアメリカに亡命していたドイツの名匠フリッツ・ラングが最後に演出に関わり、ようやく完成させた作品だったそうです。

◯ まだ、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派の批判にさらされる前時代ではあったものの、戦前から彼の作品を最も多く演出していた「詩(心理)的リアリスム」世代のジュリアン・デュヴィヴィエやマルセル・カルネには、全盛期と比較して既にその演出力に衰えが現れていたこと。
 『地の果てを行く』(1935年)、『望郷』(1936年)や『霧の波止場』(1938年)に愛着のあるファンにとって、亡命時代の『逃亡者』や帰仏後の『港のマリー』(1949年)は、時代の節目を感じてしまう作品だったと思います。

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◯ ジャン・ギャバンの盟友のひとりであり、フランス映画界においては、別格の映画作家であったジャン・ルノワールはアメリカで市民権を得たことによりハリウッドから帰仏しなかったこと、その後も、インドやイタリアで映画を制作していたこと。
 ようやくジャン・ギャバンと久しぶりに組んだ『フレンチ・カンカン』でのフランス映画界への復帰は1954年、戦後9年も経ていました。

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 ジャン・ギャバンが、ジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』(1953年)にたどり着くまでには、このような困難な時代が存在していました。

 それにしても、彼が後期の第二全盛期に至ることができたこの代表作品に、突然、唐突に巡り会ったとは、私には信じられません。スランプの時代を単なる不調期と考えることは短絡だと思いますし、むしろそういった時期だからこそ、次のステップへと飛躍するため、映画スターとして熟成していく過程で、その素晴らしい端緒が現れているはずだと考えます。つまり、「ダイヤモンドの原石」のような作品がどこかに埋もれているはずなのです。

 そのような意味で、私の関心を強く喚起する作品は、その4年前に製作されたレーモン・ラミ監督の『面の皮をはげ』(1949年)でした。私には、この作品が『現金に手を出すな』以降の仮想作品のように思え、ジャン・ギャバン第二全盛期の諸要素の多くが凝縮されているように感じられるのです。

【<『地下室のメロディー』⑤~「アラン・ドロン」の原型、ギャバンとの邂逅とアメリカ映画への野心② ~>に続く】
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by Tom5k | 2017-01-14 17:27 | 地下室のメロディー(5) | Trackback | Comments(0)

『泥棒を消せ』②~アメリカ映画での「ギャング映画」を優先した「アラン・ドロン」②~

【<『泥棒を消せ』②~アメリカ映画での「ギャング映画」を優先した「アラン・ドロン」①~>から続く】

 アラン・ドロンは、この作品の大きなテーマである移民の生活苦、家族の崩壊などと同様のテーマで、後期「ネオ・レアリズモ」のイタリア映画界の巨匠ルキノ・ヴィスコンティの演出による『若者のすべて』(1960年)に主演した経験がありました。
 彼は、この作品で、故郷を奪われたイタリア南部の農民一家が、都市生活に疲弊しきってしまう無産階級の若い労働者、移民一家の三男ロッコ・パロンディを一世一代の名演技で演じ、映画史的な高い評価を残しています。

「この映画以後ドロンは一躍、国際的なスターとなって、劇場側が歓迎するぺてん師やギャング役を演じる映画に次々と出演した。したがってロッコを演ずる彼を見ていない人には、ヴィスコンティの厳しい指導に耐えて彼がこの役で演じ切った、ほとんど輝くばかりの愚直さと、悲哀と、しんの強さを想像するのはむずかしいかもしれない。」
【引用~『ルキーノ・ヴィスコンティある貴族の生涯』モニカ・スターリング著、上村達雄訳、平凡社、1982年】

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 『泥棒を消せ』のエディやその兄ウォルターの設定は、「劇場側が歓迎するぺてん師やギャング」だったかもしれませんが、生活苦から犯罪に手を染めざるを得なくなり、その結果、家族関係が崩壊していく過程を描いた社会派の作品でもあったのです。

 また、彼は「フレンチ・フィルム・ノワール」作品である『Quand la Femme s'en Mele』(1957年)で銀幕デビューを果たし、既に敵の凶弾に倒れる若いボディガードを演じており、初めてのプロデュース作品『さすらいの狼』(1964年)は、旧時代の「詩(心理)的レアリスム」のノワール傾向の作品系譜を継ぎ、フランス映画史的テーマである「死の美学」を彼が初めて完成させた作品であったと私は考えています。【<『さすらいの狼』~「フレンチ・フィルム・ノワール」の「アラン・ドロン」の原型~>】
 『泥棒を消せ』のアラン・ドロンも、このクライマックスで、誤解した警察官が発砲した銃弾に倒れる、家族から離反した孤独な主人公の死を演じました。

 そして、なにより、「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スター、ジャン・ギャバンと共演した『地下室のメロディー』(1962年)のカラーバージョンは、アメリカで公開された際のものだそうで、この作品はアメリカ映画界からは一定の評価を受けることに成功しました。なお、その作品テーマは、『泥棒を消せ』のプロットと同様の、カジノの現金強奪を扱った「押し込み強盗」のエンターテインメントだったのです。

 アラン・ドロンは、『Quand la Femme s'en Mele』や『さすらいの狼』での「死の美学」、『若者のすべて』での移民の生活苦や家族の崩壊のテーマ、アメリカでも評価された『地下室のメロディー』での現金強盗の設定など、その経験値から、『泥棒を消せ』のオファーには自信を持って出演を受けたことは間違いないでしょうし、ある意味では、現在までヨーロッパで出演した同傾向の作品の集大成になり得るとの判断からの出演だったかもしれません。

 そして、恐らく、アラン・ドロンのキャリアにとっても、それまでのルネ・クレマン、ルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジュリアン・デュヴィヴィエ、クリスチャン・ジャックなど、ヨーロッパ映画作品での巨匠たちの演技指導、同世代のアイドル・スター女優たち(ロミー・シュナイダー、ミレーヌ・ドモンジョ、パスカル・プティ、ジャクリーヌ・ササール、フランソワーズ・アルヌール、ブリジット・バルドー、モニカ・ヴィッティ、クラウディア・カルディナーレ、ジェーン・フォンダ)や往年の大スター(ダニエル・ダリュー、ジャン・ギャバン)との共演・・・その次のステップアップに果たすべく非常に重要な企画だったと思います。

 何故なら、『泥棒を消せ』を演出する監督は、アメリカ社会の映画への反映が顕著であったことも手伝っていたとはいえ、黒人俳優のシドニー・ポワチエがアカデミー主演男優賞を受賞した『野のユリ』(1963年)、そして、『泥棒を消せ』より後の作品ですが、アメリカの西部劇の転換点を作った『ソルジャー・ブルー』(1970年)を生み出していく、当時、気鋭のラルフ・ネルソンだったからです。

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 また、共演者のアン・マーグレットは、『バイ・バイ・バーディー』(1963年)や当時の恋人だったエルヴィス・プレスリーと共演したミュージカル『ラスベガス万才』(1964年)などで、当時のティーンエイジャーから支持され、歌手としても人気を博していました。
 1962年にマリリン・モンローが謎の死を遂げたばかりのハリウッドにおいて、次の世代のセックス・シンボルとして期待することができる女優としてラクウェル・ウェルチが注目されることになるのは、1966年の『ミクロの決死圏』からです。この当時はアン・マーグレットくらいしかその大役を期待できる女優はいなかったでしょうから、彼女は、今までヨーロッパでアラン・ドロンと共演したどの女優にも引けを取ることはなかったと思います。

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 そして、ジャン・ピエール・メルヴィル監督が、『サムライ』のモデルのひとつとしたグレアム・グリーン原作の『This gun for hire』(1941年)で非情な殺し屋を演じた「B級フィルム・ノワール」のスター、アラン・ラッドと『シェーン』(1953年)で共演したヴァン・へフリン、ジャック・パランスも『泥棒を消せ』の共演者でした。

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 アラン・ドロンが、自らの次の本舞台とするための「・・・アメリカ合衆国で一連のもっと重要な企画・・・」、つまり、今後のスタートアップとするための作品であった『泥棒を消せ』への出演は、当時の自分の状況や国際市場としてのアメリカ映画の現状などから考えて十分過ぎるほど魅力的なものだったのでしょう。

 更に、この企画は、大女優の大器を備えたロミー・シュナイダーとの婚約解消、ヴィスコンティ一家としてのスター俳優としての業績からの遁走までも代償し、自国で席巻している「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品を凌駕することをも可能であると、彼は考えたのではないでしょうか!?

 アラン・ドロンがナタリーとの電撃的な結婚を果たし、妊娠中の彼女ーを同行させ、映画の国際市場アメリカ合衆国という大海原に出帆していった状況やその背景をこのように考えれば、ジャン・ピエール・メルヴィル監督からのオファーのあったピエール・ルスー原作の『フルハウス(ラッキー・ジョー)』に興味を示すことができなかったことは無理の無いことだったかもしれません。

 そして、アメリカ映画界でのアラン・ドロンのこの行動については、成功、失敗の結果よりも、この生き方そのものこそが重要だったのだと私は考えます。

 また、彼は世界中の映画ファンから、どのようなスターになることを期待されていたのか?・・・敗戦国家から朝鮮特需景気を経た神武景気、岩戸景気による所得倍増計画から、東京オリンピック景気を経験し、戦後復興を成功させていた極東の国、日本での爆発的なアラン・ドロンの人気・・・その高度成長の後半期、1970年代初頭のいざなぎ景気を経て、ニクソン・ショックから、第四次中東戦争をきっかけにした第一次オイルショックを経験し、高度経済成長時代の終焉を迎え、日本列島改造論の景気拡張も、現役首相の金脈問題による辞任で大揺れとなっていた頃、北海道に在る人口30万人あまりの地方都市での一家庭で、次のような会話があったことを忘れてはなりません。

 実はこれ、今回初めて公開するものを含むのですが、アラン・ドロンの国際スターとしての枯渇に関わる在り方についての貴重な会話ですから、恥を偲んで公開することにしましょう!

>トム(Tom5k)
「アラン・ドロンが出ている『外人部隊』なんて映画ないぞ!」
>父親
「ん~?まあ・・・だけど、そんな感じの映画、アラン・ドロンらしいべ。あっはっはっはっ!」
【<『名誉と栄光のためでなく』~幻想映画館『外人部隊』~>】より

 そして、この会話は、その後も引き続き、次のとおり、粘り強く行われていたのです。
>トム(Tom5k)
何だよ、それっ、何か観た映画無いのかあ?
>父親
いや!ある。ホントだ。

 この記事を読まれている方に言っておきますけれど、もうこの時点で、この後のブログ記事、あんまり真剣に読まないほうがいいと思います。手の平を返すのが早くて申し訳ありません。

 当時、愚かな私はこのような質問を、このような父親に何故、何度もしてしまったのでしょうか?
 当然のことながら、昭和50年(1970年代半ば)頃には、インターネットなどはありませんし、雑誌やレコードの解説、各種の映画に関連した著作本、テレビでの映画紹介などが情報源でした。
 アラン・ドロンと同世代の父親が何か彼の作品をリアル・タイムで観ているのではないかと思っていましたし、雑誌や本などの情報とは異なるその映画公開のときのリアルな感覚を少しでも父親から引き出したかったのだと思います。

>父親
確か・・・ジャン・ギャバンとのコンビものだ。『ギャ・ァ・ング!』・・・。
>トム(Tom5k)
はっ、なに?「ギャング」???
>父親
なんか、そんなやつだ。あいつの映画、似たようなヤクザものばっかりだから。確か母さんと一緒に行ったな。
母さん、途中で寝ちゃってよ。あれ?『スリ』だっけなあ?
いやっ!あれは観に行った!『やまねこ』・・・フランソワーズ・アルヌールがきれいだったなあ。

 『ギャング』(1966年)は、ジャン・ピエール・メルヴィル監督、『スリ』(1959年)は、ロベール・ブレッソン監督の作品で、どちらにもアラン・ドロンは出演していません。『友よ静かに死ね』の原題も『Le Gang』ですが、この時点では、ロジェ・ボルニッシュの原作本はフランスでもまだ出版されていません。
 そして、フランソワーズ・アルヌールが出演しているのは、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『山猫』(1960年)ではなく、アンリ・ドコアン監督の『女猫』(1958年)です。もちろん、アラン・ドロンは出演していません。

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 自分で記事を掲載して無責任かもしれませんが、既に説明することがもう面倒くさくなってきています。

 私は1964年3月生まれです。この時代は、母親が子供をどこかに預けてまで旦那と映画を観に行くような呑気な時代でもなかったと思いますから、1967年日本公開の『ギャング』は行ってはいないと思いますし、この地方都市では公開されていたかどうかも疑わしい・・・たぶん、ジャン・ギャバンの名前が出ているので、1963年8月日本公開の『地下室のメロディー』を観に行ったのだと思います。それも本当かどうかはわかりませんが・・・。

 後日、母親に聞いたところ、『道』(1957年日本公開)、『刑事』(1960年日本公開)は、父親と行ったそうですが、『地下室のメロディー』は観ているが、テレビで観たのか、映画館で観たのかは、憶えていないとのことでした。

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>母親
『刑事』だけどね。いつの間にかね。後ろ側からカバン盗ってね、あんた!それから新聞紙、脇にはさめてさ、その人ね、全然、盗まれたことに気がつかないの。いやあ、すごかったわあ・・・だけど、アラン・ドロン出てたかい?
(おふくろ、それね『スリ』だよ。ドロン?出てねぇし・・・。)
(※『スリ』は1960年日本公開)
>母親
歌も流行ったんだよ。「アモーレ、アモーレ、アモ~レミ~オ~」
(いやあ、歌わなくていいから・・・まあ、その歌、確かに『スリ』でなくて、『刑事』の『死ぬほど愛して』だわ・・・。)

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 なんか、だんだん、どうでもよくなってきたんですが・・・
 ようするに、父親の言っていた『ギャング』というアラン・ドロンの作品は、

ジャン・ギャバンと共演した 『地下室のメロディー』 や 『シシリアン』
失敗作であったかもしれませんが、彼のその後のキャリアにおいて重要な作品となったアメリカ映画 『泥棒を消せ』
フランス映画の復帰後の人気を「フレンチ・フィルム・ノワール」作品によって確実にできた 『さらば友よ』
アデル・プロダクション設立初めての作品 『ジェフ』
ライバル、ジャン・ポール・ベルモンドとの互角の共演作品 『ボルサリーノ』
ジャン・ピエール・メルヴィル監督の「フレンチ・フィルム・ノワール」代表作品 『仁義』

 これらの作品を一本にまとめた「アラン・ドロン」主演作品だったのだと思います。あながち間違ってもいないアラン・ドロンの幻の作品 『ギャング』・・・

 このギャングのイメージで、アラン・ドロンが映画大国アメリカに渡って果敢にチャレンジして撮った『泥棒を消せ』が、ジャン・ギャバンと共演した『地下室のメロディー』とともに、彼のその後の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の原型のひとつとなったことは間違いの無いことだと思います。


>ギャング役は好き?
>アラン・ドロン
ぼくが一ばん好きなのがギャング役ではない 観客が一ばん好きなのがギャング役なのだと思う(略-)」
【アラン・ドロン 孤独と背徳のバラード 芳賀書店(1972年)】
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by Tom5k | 2016-12-31 00:05 | 泥棒を消せ(2) | Trackback | Comments(0)

『泥棒を消せ』②~アメリカ映画での「ギャング映画」を優先した「アラン・ドロン」①~

>『ギャング』の成功のあと、なぜ『サムライ』という新規の、しかもリスクのある企画に乗りだされたのですか?
>メルヴィル
 ドロンに連絡をとって、ルスー原作の『フルハウス』にでてくれないかと提案したんだ。ドヴィルがそれを撮る前にね。するとドロンは「IBMプレジデント」タイプライターで打ったまったく愚劣な手紙をよこしたのさ。それには、近々、アメリカ合衆国で一連のもっと重要な企画が控えているので、私の提案には興味が持てないと書かれていた。
 ところが、『ギャング』が当たると、今度は彼のほうから、私と一緒に映画が撮れたらうれしいと言ってきたので、私はルスーのその本を彼に送ったんだ。『ラッキー・ジョー』のタイトルで既に映画化されたことを知らせずに、「三年前、君が断ったものを撮ろう」と彼に言ってね。
 原作を読んだあと、彼は承諾したよ。だが、映画化権を取り直すことができなかったので、私はドロンに『影の軍隊』のジェルビエ役を提案した。しかし彼はその役を断り、他のシナリオで私の関心を引くものはないかどうか尋ねたんだ。
 一九六三年に、国際舞台での活動に打ち込むつもりだと知らされる前、私は彼に当ててオリジナル脚本を一本書いていたので、そのことを彼に告げた。すると直ちに、彼は私にそれを読んで聞かせるよう要望したよ。(略-)
【引用:『サムライ ジャン・ピエール・メルヴィルの映画人生』ルイ・ノゲイラ著、井上真希訳、晶文社、2003年】

 なお、ルイ・ノゲイラ著『サムライ-ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生』での注釈では、「IBMプレジデント」ではなく、「エグゼクティヴ」のタイプライターだそうです。
 それから、『ラッキー・ジョー』(1964年)は、『いぬ』の原作者ピエール・ルスーによる著作であり、ミシェル・ドヴィル監督、ピーター・チェイニー原作のノワール小説のシリーズや『アルファヴィル』で、私立探偵レミー・コーションを演じたエディ・コンスタンティーヌ、『愛人関係』に出演していたピエール・ブラッスール主演で映画化されました。

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 「一九六三年に、国際舞台での活動に打ち込むつもりだと知らされる前、私は彼に当ててオリジナル脚本」とは、もちろん、アラン・ドロンの代表作となる「フレンチ・フィルム・ノワール」の映画史的傑作である『サムライ』(1967年)のことです。

 『影の軍隊』(1969年)は、ジャン・ピエール・メルヴィル監督にとっては、自らのライフ・ワークとしていたほど想い入れの強い作品でした。
 驚かされたことは、アラン・ドロンが、その『影の軍隊』の主人公ジェルビエを演じる可能性があったこと、それをアラン・ドロンに断られたために、1967年に『サムライ』をそれより優先して制作している、つまり『サムライ』の制作は1969年に『影の軍隊』を制作する2年前ですから、ジャン・ピエール・メルヴィル監督が自分の大切なライフ・ワークに取り組むことよりも、アラン・ドロンを自分の作品に出演させることを優先していたことです。

>メルヴィル
 一九四三年にロンドンで『影の軍隊』を見つけたんだ。そしてそれ以来、ずっと映画化したいと思っていた。一九六八年、その昔からの夢をついに実現させるつもりだとケッセルに言った時、彼は二十五年間もそれほど粘り強くひとつのアイディアを追求するなどということがあり得るとは思っていなかったね。
【引用:『サムライ ジャン・ピエール・メルヴィルの映画人生』ルイ・ノゲイラ著、井上真希訳、晶文社、2003年】

サムライ―ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生

ルイ ノゲイラ Rui Nogueira 井上 真希晶文社



 いずれにしても、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の『フルハウス』の企画を1963年に断っているアラン・ドロンにとっての「・・・アメリカ合衆国で一連のもっと重要な企画・・・」とはどのような企画だったのかを考えるには、アメリカ映画において、1940年代に隆盛を極めた「フィルム・ノワール」の体系が、その後どのような変遷を辿っていったかをある程度知っておくことが必要です。

 まず、1950年代の「フィルム・ノワール」のひとつの傾向に、「悪徳警官」を扱う作品が増えたことが挙げられます。ロイ・ローランド監督、ロバート・テイラー、ジョージ・ラフト、ジャネット・リー、ヴィンセント・エドワーズ出演『悪徳警官』、リチャード・クワイン監督、フレッド・マクマレイ、キム・ノヴァク出演『殺人者はバッヂをつけていた』(いずれも1954年)、オーソン・ウェルズ監督、オーソン・ウェルズ、チャールトン・ヘストン出演『黒い罠』(1958年)などがその代表作品です。

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 1950年代のアメリカ社会は、テレビの普及・定着によって、テレビ・ドラマが番組として量産されていく時代を迎えます。逆に、ハリウッドでの映画製作はテレビが提供できないアダルト・テーマを主軸にする作品を増やしていきます。
 それは、映画の都ハリウッドの内幕を露わにしながら、サイレント映画時代のスター女優の狂気を描写したビリー・ワイルダー監督、グロリア・スワンソン、ウィリアム・ホールデン主演『サンセット大通り』(1950年)、労働組合と暴力組織の癒着をテーマにしたエリア・カザン監督、マーロン・ブランド主演『波止場』(1954年)などの作品でテーマとなっていました。

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 なお、1960年代になって、イギリス映画『007は殺しの番号(007/ドクター・ノオ)』(1962年)の影響からテレビ映画作品での『0011ナポレオン・ソロ』、『スパイ大作戦』やアクション・スパイ・コメディの『電撃フリント』なども含めて、スパイ映画のブームが到来します。
 後年、ここからスティーブ・マックイーンやクリント・イーストウッドの活躍する「アクション映画」、特に、ポリス・アクションを主体にする傾向がアメリカ映画での主要なポジションに位置づいていくようになっていきます。

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 これらと平行して、現金や宝石の強奪をストーリー・プロットとして扱った作品も盛んに量産されていました。
 ジャン・ピエール・メルヴィル監督も絶賛していたジョン・ヒューストン監督、マリリン・モンロー出演『アスファルト・ジャングル』(1950年)、スタンリー・キューブリック監督のハリウッド映画第一作目の『現金に体を張れ』(1956年)、1970年代に全盛期を迎える「ブラックス・エクスプロイテーション・フィルム」の原点とも言える作品、ハリー・べラフォンテ主演の『拳銃の報酬』(1959年)、ルイス・マイルストン監督、フランク・シナトラ、ディーン・マーティン、ピーター・ローフォード、サミー・デイヴィス・Jr、ジョーイ・ビショップ、シャーリー・マクレーンなど、シナトラ一家総出演の『オーシャンと十一人の仲間』(1960年)などがあります。やはり、シナトラ一家はイタリア系移民が多いようですが、黒人歌手のサミー・デイヴィス・Jrもその一員でした。
 また、ジャン・ピエール・メルヴィル監督も、1955年、現金強奪のテーマでの作品『賭博師ボブ』を既に制作していました。

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 これらの映画の作風から考えたとき、1950年代から1960年代初期のアメリカ映画は、公民権運動、ベトナム戦争への批判などからヒッピーなど若者の既成価値観への抵抗などの影響を受けていくようになり、『俺たちに明日はない』(1967年)から始まっていった「アメリカン・ニューシネマ」の到来が予感できる時代として振り返ることができると私は思っています。

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 この時代には、『手錠のままの脱獄』(1958年)で、手錠に繋がれたトニ・カーチス演ずる白人とともに脱走する逃亡犯を演じたシドニー・ポワチエは、前述したハリー・ベラフォンテ、サミー・デイヴィス・Jrとともに主役級の立場で正当な評価を受けるようになっていきました。
 このことは、映画の制作自体が社会的課題を改善していった結果として注目すべきことですし、それが「アメリカン・ニューシネマ」の時代になって、『夜の大捜査線』シリーズ(1967年~)を皮切りに、『黒いジャガー』(1971年)、『スーパーフライ』(1972年)などを代表にした黒人パワーが全開する「ブラックス・エクスプロイテーション・フィルム」が隆盛を極めていくことになるわけです。

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【参考 アメリカ映画100年帝国 なぜアメリカ映画が世界を席巻したのか? 北島明弘著 近代映画社(SCREEN新書) 2008年】

アメリカ映画100年帝国―なぜアメリカ映画が世界を席巻したのか? (SCREEN新書)

北島 明弘 / 近代映画社



 1950年代以降、1960年代後期のこのようなアメリカ映画の変遷を振り返ると、1940年代の「フィルム・ノワール」は、1960年代後期から1970年代にかけて低予算の社会派の作品にアクションを取り入れていく「ニューシネマ」の傾向に総括されていったように感じられるのです。

 『泥棒を消せ』は1964年の作品です。まさにテーマもこれらの例から漏れることなく、他国からの移民の問題、犯罪者の更生などの社会問題に、宝石強奪などのアクションをプロットに取り入れた構成になっています。

 ここで、アラン・ドロンが演じる主人公エディ・ペダック、ジャック・パランスが演じたエディの兄ウォルターは、イタリア共和国北東部にあるトリエステ出身のアメリカ合衆国への移民です。
 主人公エディは、過去の犯罪経歴から執拗に警察に付きまとわれ失業を繰り返します。
 あてにしていた失業保険の給付金でさえ、受給要件を満たしていないからと給付されませんでした。愛する妻クリスティーヌはエディに隠してナイトクラブでホステスをすることを決心します。そのことを知ったエディは、とうとうその生活環境に耐えきれなくなり、兄ウォルターの計画した宝飾プラチナ強盗に着手することになってしまうのです。
 妻クリスティーヌには、犯罪に手を染めた夫を、到底、理解することはできませんし、強盗仲間の裏切りで一人娘のカティが誘拐されてしまったことから動揺し、その結果、夫への気持ちも離れてしまう展開になってしまいます。


【<『泥棒を消せ』②~アメリカ映画での「ギャング映画」を優先した「アラン・ドロン」②~>に続く】
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by Tom5k | 2016-12-30 23:57 | 泥棒を消せ(2) | Trackback | Comments(0)

『Quand la Femme s'en Mele』~デビュー作品は「フレンチ・フィルム・ノワール」②~

【<『Quand la Femme s'en Mele』~デビュー作品は「フレンチ・フィルム・ノワール」①~>から続く】

 その後、メーヌとジョーがフェリックスとコレットを駅に出迎えに行くシークエンスになりますが、コレットを演じたソフィー・ドーミエは、たいへん愛らしく、一般的には「フィルム・ノワール」の作品には登場しないキャラクターだと思います。この時代の「フレンチ・フィルム・ノワール」の作風への試行錯誤の結果が、アラン・ドロンと彼女の起用だったのではないでしょうか?

 ゴドーとメーヌは二人の間を邪魔するメーヌの以前の愛人ボビーを手下のジョーに殺させます。
 ジョーはコレットをパーラーに同伴し、店の裏手を廻ってボビーたち二人に拳銃を発砲し暗殺します。銃声が鳴り響いた後、彼はコレットが待つパーラーのテーブルに戻るのですが、コレットは彼の背広の袖が破れていることに気づきます。彼女はそのショックからホテルで寝込んでしまいました。

 このシークエンスでは、撃たれて殺害される人物を直接描写せずに「暗殺」を表現しているのですが、結果的に鑑賞者が実際のマフィアの抗争の殺害現場にいるような効果を与えることに成功しています。
 つまり、銃声と背広の袖のショットのみで、ジョーが二人を殺害したことが表現されており、基本的にパーラーに残っているコレットの視点を基軸に描写しているわけですから、映画を観る側は、田舎からパリに上京してきた純朴な彼女の心象への大きなショックに感情移入することになるのです。しかも、二枚目の若くて礼儀正しい好青年が実行したこの行動は、コレットにも観客にも信じられないことなのです。

 警察が到着する前に、パーラーを出たジョーは、ゴドーの運転するオープン・カーに乗り込みますが、彼は車後部のトランクパネルに飛び乗って助手席に滑り込み、彼らの逃走車は前方から現場に向かうパトカーとすれ違いながら遁走します。ここでのアクション・ショットも非常に印象深いシーンでした。

 フェリックスは再婚相手だったデパート「タイユリー」の売り子ジャニーヌを、3年前に火災が原因で亡くしていました。「タイユリー」の所有者であるクデールが多額の保険金を手にしていたことから、この事故は計画的な保険金殺人ではないかと疑っており、このことをメーヌに相談します。フェリックスは、メーヌにゴドーとの間に入ってもらい妻を殺した男クデールへの報復を依頼します。
 一方、ボビーの殺害事件の後、ピエール・モンディ演ずるヴェルディエ刑事が、メーヌやゴドーのナイトクラブを訪れますが、ゴドー一家が犯した犯行だと特定できるはずもありません。
 
 ゴドーのライバルの組織から身内の死体が運ばれます。死体を運んでくるのは冒頭でカードをしているときに口論になったうちの二人です。恐らく、ファースト・シークエンスの口論の相手はボビーの所属していた組織のメンバーだったのでしょう。この時点でマフィア組織間での抗争の火蓋が切って落とされたわけです。

 このあと、ジョーとコレットがオープン・カーで出かけるシークエンスがありますが、ここで彼は、自分が堅気の生活をしたいことを彼女に打ち明けているようです。このシークエンスは「フレンチ・フィルム・ノワール」というより、アイドルの純愛映画のような雰囲気が醸成されており、アラン・ドロンとソフィー・ドーミエの出演により、硬直した古い映画の類型化を払拭して、映画作品としての躍動感を生み出すことに成功しているように感じました。

【>初期の作品を再見すると、あなたには品があったという印象を受けますね・・・
>アラン・ドロン
品は説明できるものじゃない。気付いてもらうものだ。私はある日偶然選ばれて、カメラの前に立たされたんだ。今でも覚えている。ヴィクトル・ユゴー通りで、お菓子屋から出て来てエドヴィージュ・フィエールにまた会うためにソフィー・ドミエと一緒に車に乗るんだ。お菓子の包みを持って外に出る時、こう説明してもらった:「カメラを見ないで、誰もいないようなつもりでね-私はすぐに理解した、毎日自分がやってることじゃないか!」最初から緊張はしなかったね。】
【引用 takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事  2007/6/4 「回想するアラン・ドロン:その2」(インタヴュー和訳)」カイエ・ドュ・シネマ501号掲載

 ゴドーとフェリックスは保険金を支払ったエージェントのキュンストを訪れ、事件の真相について彼に詰め寄ります。
 用件が済んだのか、二人が邸を出るときに突然銃声が響きわたり、驚いたゴドーが邸に戻るとキュンストがピストル自殺をしていたのでした。ゴドーはその現場で彼の遺書を見つけ、それを持ち出すことに成功します。ゴドーとフェリックスは、映画館でメーヌ、コレットと落ち合い、そこで、ゴドーはメーヌに一部始終を告げまました。

 次に、ゴドーはクデールを訪れ、キュンストの遺書をネタにして5千万フランの出資を求めます。ここでクデールの秘書としてブリューノ・クレメールが演ずるベルナールが登場します。ベルナールはジョーと知り合いだったので、ゴドーが帰った後にすぐに彼に連絡を取り呼び寄せます。クデール邸を訪れたジョーは大金と引き換えにゴドーの部屋から遺書を盗むよう二人に依頼されます。

 アラン・ドロンより少し年上のブリューノ・クレメールも、同じくこの作品がデビュー作品ですが、彼が演じたベルナールのキャラクターは、「フィルム・ノワール」におけるピカレスクな魅力を最大限に体現していたと思います。素晴らしい!

 コレットはゴドーのクラブでジョーと落ち合い、そこで彼から堅気になるためにクデールに寝返る決心をしたことを告げられ、ゴドーの部屋に入って遺書を盗み出すことを頼まれます。ジョーと愛を確かめあったコレットは彼に協力しますが、それをメーヌに見抜かれて計画は失敗してしまいます。そして、メーヌは娘の切ない気持ちも察してしまうのでした。
 ゴドーもメーヌも、それぞれジョーを問いただし、結局ジョーは二人に真相を話すことになります。

 若いアラン・ドロンが、ボスのジャン・セルヴェに何度も殴られるのですが、ここもやはり印象深いシークエンスです。殴られて鼻血を拭きながら、自分の言い分を必死に話しているアラン・ドロンを見ていると、情けない失敗をした我が子を見ている親のような気持ちになり、切なくなってきます。

 クデールの手先二人が、ゴドーのキャバレーに張り込みをしていますが、ゴドーは自分の手下のジャン・ルフェーブル演ずるフレッドとともに彼らを脅しクデール邸に向かいます。張り込んでいた二人は、冒頭のカードのシークエンスやゴドーの部下の死体を送りつけたシーンに登場していた抗争相手の組織の一味です。クデール一家とこのマフィアの一味は同じ組織なのでしょうか?字幕スーパーのない映像から、ここの人物設定の関係性はわかりにくいです。

 このシーンでは、都会の夜、パリの街のネオン・サインを実に美しく映し出しています。「フィルム・ノワール」の原点ともいえる典型的な夜の都会の情景描写であり、それは魅惑的な犯罪都市を喚起するショットでした。

 ジョー、メーヌ、フェリックスも彼らを後から追います。
 ゴドーは手先の一人を銃で脅し公衆電話ボックスからクデールに電話を掛けさせます。ここで、その電話に対応するのは秘書のベルナールです。

 ゴドーは二人をフレッドに任せてクデール邸に向かい、先に到着したジョー、メーヌ、フェリックスは、クデールと対面します。メーヌは遺書を彼の目の前で破り捨て、フェリックスはクデールに銃を向け言い争いになりますが、彼は躊躇ってしまい銃を撃てず、しびれを切らしたメーヌがクデールを撃ち殺します。

 何故、メーヌが、怒って遺書を破り捨てたのでしょうか?遺書の内容に憤りをぶつけているのかもしれません。このような激情的な行動を取りながらも、冷静さを失わず緊張の局面にも決して動じないメーヌを演じるエドウィジュ・フィエールは、まさにそのとき「極道の妻」と化しています。そして、大女優の証がこのラスト・シークエンスに凝縮しているのです。母として、ギャングの愛人として、そして元夫への愛情・・・こんな複雑な設定の中、彼女は「超ファム・ファタル」に変貌し、ガリマール社のセリ・ノワール叢書のジャン・アミラのセリ・ノワール小説の原題通リ、ゴドーを待つことなしに(Sans attendre Godot)、クデールを銃で何発も撃ちフェリックスの怨恨を晴らすのです。
 自ら銃でカタを付けた彼女の行動は凄いです。本当に、このシークエンスは恐ろしいほどの迫力でした。

 三人が邸を出ようとしたそのとき、ジョーはベルナールの凶弾に倒れますが、ようやく後から駆けつけたゴドーによって、ベルナールも殺されます。残ったゴドー、メーヌ、フェリックスは、クデール邸を放火しジョーの死体を運び出します。

 ジョーは、先に邸の外に出ようとするメーヌを制し、ベランダに出て外の様子を伺いメーヌとフェリックスを案内しようとしますが、そのとき、後ろから敵の銃弾に撃たれ、邸の石段の手すりに寄り掛かりながら転げ落ちて地ベタに倒れ込んでしまいます。

 アラン・ドロンのファンとしては、いささかショッキングなシーンでした。
 彼は人気の全盛期に、「死の美学」をキーワードとして、多くの作品の結末で主人公の死を演じましたが、既にこのデビュー作品で敵の凶弾に倒れる犯罪組織の若者を演じていたのです。この設定が驚くべきことであることはもちろんなのですが、ここでのアラン・ドロンは、人気全盛期のキーワードであった「死の美学」を提示したというよりも、無念な若者の死としての同情の感情を観る側に抱かせてしまうように思います。
 キャラクターが完成する前の初々しいアラン・ドロンだったのです。せっかくコレットとの未来に希望を見出していた若いジョーだったのに・・・哀しい最期でした。

 事件が終わり、フェリックスは娘コレットと共にグルノーブル行きの列車に乗り込み、ゴドーとメーヌは彼らを見送ります。呆然としているコレット、その娘の様子を悲しげに、そして心配そうに見送るメーヌ。

 そして、二人を見送った後、ゴドーとメーヌをピエール・モンディ演ずる刑事が駅構内で待ち構えているシーンで映画は終了します。

 現在、残念ながら更新されていないようですが、Astayさんのホームページ用ブログ【Cinema of Monsieur Delon】を参考にさせていただきました。おかげで字幕がなくてもストーリーの概略を理解することができました。本当にありがとうございます。


 ストーリーも映像も出演者も決して悪くない作品で、ジャン・セルヴェ、ジャン・ルフェーブル、ピエール・モンディ、ブリューノ・クレメールなど、役柄からも非常にハードな演技表現に徹していますから、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品への登場人物としては、申し分のない俳優の配置、演技で成功している作品だと思います。決して駄作だとは思いません。

 特に、ゴドーを演じたジャン・セルヴェには、ハリウッド作品でレイモンド・チャンドラー原作のフィリップ・マーロウやダシール・ハメット原作のサム・スペードなど、ハードボイルド小説の主人公を演じさせたら素晴らしい作品になるように思いました。

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 また、エドウィジュ・フィエールやベルナール・ブリエのような往年の名優たちを配置したことも特筆すべきことだと思いますし、その対極において、アラン・ドロン、ブリューノ・クレメールやソフィー・ドーミエなど、個性的な若手スターが発掘されているのです。
 イブ・アレグレが不振に陥っていったと飯島正の評価があったとしても、この作品を観ていると、「フレンチ・フィルム・ノワール」は、旧時代に見守られながら、新しい時代に向かうための助走を初めたような気がしてきます。

 特に、アラン・ドロンにおいては、後年、家族のためにマフィア組織を脱退して堅気になろうとしたために愛する妻と息子を殺され、自らも敵の凶弾に倒れる悲劇的なプロットで『ビッグ・ガン』(1973年)を製作、主演しましたが、このデビュー作品『Quand la Femme s'en Mele』の出演から16年後においても同様のプロットによって、より徹底した「死の美学」を貫徹していたのです。

 そして、『ビッグ・ガン』の主人公トニー・アルゼンタは、この『Quand la Femme s'en Mele』のジョーが殺されずに、恋人コレットと結ばれ家族を持ったその未来の姿だったように私は見えてしまっていたのです。
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by Tom5k | 2016-12-23 12:09 | Quand la Femme s'en | Trackback | Comments(0)

『Quand la Femme s'en Mele』~デビュー作品は「フレンチ・フィルム・ノワール」①~

 イヴ・アレグレ監督は、『世界の映画作家18 犯罪・暗黒映画の名手たち/ジョン・ヒューストン ドン・シーゲル ジャン・ピェール・メルヴィル』に、映画評論家の飯島正によって暗黒映画の映画作家として紹介されていました。
 飯島正氏は、シモーヌ・シニョレとベルナール・ブリエが出演した『デデという娼婦』(1947年)を初期の暗黒映画の代表作品として評価し、同じく、シモーヌ・シニョレとベルナール・ブリエ出演の『Maneges』(1950年)は、「ペシミズム・ノワル」と自分のノートに記していたそうです。イブ・アレグレは、その後、ノワール系の作風と異なる作品を撮った後、ジェラール・フィリップとミシェル・モルガンが出演し、実存主義哲学者ジャン・ポール・サルトル原作の『狂熱の孤独』(1953年)を制作し、再び「暗黒レアリスム」作品の制作に立ち返ったと総括し、この作品を頂点として、その後は不振におちいったと評しています。
【参考 『世界の映画作家18 犯罪・暗黒映画の名手たち/ジョン・ヒューストン ドン・シーゲル ジャン・ピェール・メルヴィル 「フランス暗黒映画の系譜 飯島正」』キネマ旬報社、1973年】

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 残念なことに、この批評によれば、まさにイブ・アレグレが不振に陥っていった4年後の作品であることになります。

 それはさておき、この『Quand la Femme s'en Mele』の原作は、ガリマール社のセリ・ノワール叢書で活躍していたジャン・アミラ著のセリ・ノワール小説『Sans attendre Godot』(1956年刊行)です。この作品の「フレンチ・フィルム・ノワール」としての要件は、まずここにあります。

 ところで、ヨーロッパの映画作品において、1950年代から1960年代にかけてのイタリアの「ネオ・レアリズモ」は、後年、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「内的ネオ・レアリズモ」への変遷やフェデリコ・フェリーニなどの台頭、フランスにおいては、「ヌーヴェル・ヴァーグ・」が席巻していく状況を迎えます。
 これらの映画作家、すなわち、この時代のヨーロッパでの映画作品が、物語・プロットを解体したアンチ・ドラマとしての構成を大きな特徴とするようになっていったことは映画史的な総括として現在に至っています。

 特に、フランス映画において、それは様々な試行錯誤がなされていた時代であったようにも思います。
 また、それは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」より以前の旧時代の映画作家たちの作風にも大きく影響を与えていたように私は思っています。ルネ・クレマン監督においては、「ヌーヴォ・ロマン」の代表的作家マルグリット・デュラス原作の『海の壁』(1958年)の映画化、『太陽がいっぱい』(1959年)のスタッフ・キャストの選び方などにそれは表れていますし、更に戦前の「詩(心理)的レアリスム」の代表的演出家のマルセル・カルネ監督でさえ、『危険な曲り角』(1958年)の主題曲に、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのモダン・ジャズを使用しました。

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 そして、この作品のイブ・アレグレ監督は、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品を手掛けていたとは言え、「詩(心理)的レアリスム」の系譜を引き継つぐ演出家でした。
 代表作品である『狂熱の孤独』もジャン・ポール・サルトルが原作者であり、当然、アンチ・ドラマの特徴から、この時代の新しい映画においての作風に合致するものであったわけです。しかしながら、この作品では、従前から「ヌーヴェル・ヴァーグ」の諸作家たちに徹底的に批判されていたピエール・ボストとジャン・オーランシュがシナリオを担当しました。

 そもそも、「フレンチ・フィルム・ノワール」の映画体系において、『現金に手を出すな』(1954年)や『穴』(1960年)が代表作品であるジャック・ベッケルは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の映画作家たちに敬愛されていましたし、その作風を引き継いでいった経緯を持つジャン・ピエール・メルヴィルも、同様に「ヌーヴェル・ヴァーグ」の先行者として作家主義を全うしていった映画監督でした。これらのことは、既に、現在、フランス映画史における一般的な総括として定着しています。

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 しかしながら、この「フレンチ・フィルム・ノワール」作品である『Quand la Femme s'en Mele』の脚本を担当したのが、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の映画作家たちから批判の矢面に立たされていた「詩(心理)的レアリスム」の巨匠ジャック・フェデール監督の脚本を書き続けたシャルル・スパークだったのです。

 このように考えたとき、1950年代後半の混沌としたフランス映画界に私は大きな矛盾を感じてしまうのです。

 さて、この作品のキャストですが、当時のフランス映画においては、そうそうたるメンバーをキャスティングしています。

 主人公フェリックスの前妻メーヌは、大女優エドウィジュ・フィエールが演じています。彼女は、フランスでの目覚ましい活躍ぶりに比して、日本での知名度は大きくはありませんでしたが、その経歴から半端な女優でなかったことがわかります。
 彼女は、コンセルバトワールの文教部門、フランス国立高等演劇学校の出身で、卒業後1931年コメディ・フランセーズに入座し、エドウィジュ・フィエールと名乗るようになりました。アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)原作の『椿姫』は彼女の十八番であったそうですが、主人公のマルグリットは、19世紀「ベル・エポック」の時代には、サラ・ベルナールのような歴史的大女優が演じた役柄でした。その大役を、戦中・戦後にかけて、エドウィジュ・フィエール以外に手を出す女優はいなかったそうなのです。

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 映画では、ジュリアン・デュヴィヴィ監督『ゴルゴダの丘』(1935年)、ジョルジュ・ランバン監督、ジェラール・フィリップ出演『白痴』(1945年)、ジャン・ドラノワ監督、ジャン・ルイ・バロー出演『しのび泣き』(1945年)、ジャン・コクトー監督、ジャン・マレエ出演『双頭の鷲』(1947年)、クロード・オータン・ララ監督『青い麦』(1953年)、同監督、ジャン・ギャバン、ブリジット・バルドー出演『可愛い悪魔』(1958年)などの作品に出演し活躍しましたが、この時代の映画界において大女優だったことは監督、共演者から容易に理解できます。

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 マフィアのボス、ゴドーを演じているジャン・セルヴェは、ルネ・クレマン監督『ガラスの城』(1950年)でミシェル・モルガン、ジャン・マレーと共演、同年、アラン・レネ監督の短編ドキュメンタリー『ゴーギャン』(1950年)では、ナレーションを務めました。ジャック・ベッケル監督『エストラパード街』(1952年)、そして、「フレンチ・フィルム・ノワール」史においても重要な位置を占めているオーギュスト・ル・ブルトン原作、ジュールス・ダッシン監督『男の争い』(1955年)で主演したギャングのボス役が最も有名です。
 また、フィリップ・ド・ブロカ監督『リオの男』(1964年)で、ジャン・ポール・ベルモンドと共演し、『名誉と栄光のためでなく』(1965年)で、再びアラン・ドロンと共演します。

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 郵便局員フェリックスを演じているベルナール・ブリエは、マルセル・カルネ監督の戦前の代表作品『北ホテル』(1938年)やクリスチャン・ジャック監督の『幻想交響曲』(1942年)など、典型的な「詩(心理)的レアリスム」の作品に出演していた俳優です。
 イブ・アレグレ監督の作品では、前述した『デデという娼婦』(1947年)、『Maneges』(1950年) があります。
 ジャン・ギャバンとの共演も多く、ジョルジュ・ランパン監督『罪と罰』(1956年)、ジャン・ポール・ル・シャノワ監督『レ・ミゼラブル』(1957年)、ジル・グランジェ監督『Archimede,le clochard』(1958年)や、セリ・ノワール叢書でも有名なアルベール・シモナン原作、ジル・グランジェ監督『Le cave se rebiffe』(1961年) など、「文芸作品」から「フレンチ・フィルム・ノワール」までジャンルを問わず共演しました。

 前述のイブ・アレグレ監督作品やジャン・ギャバンとの共演作品以外での「フレンチ・フィルム・ノワール」への出演作品には、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督『犯罪河岸』(1947年)、アンリ・ドコアン監督、フランソワーズ・アルヌール主演『女猫』(1958年)、アンリ・ヴェルヌイユ監督、ジャン=ポール・ベルモンド、リノ・ヴァンチュラ出演『太陽の下の10万ドル』(1964年)、ジョルジュ・ロートネル監督、ミレーユ・ダルク、ミシェル・コンスタンタン出演『狼どもの報酬』(1972年)などがあります。

 永きに渉って「フレンチ・フィルム・ノワール」の俳優として、フランス映画に貢献した俳優でした。また、彼の長男のベルトラン・ブリエは、シネマ=ヴェリテ(映画=真実)の映画作家として鮮烈にデビューし、フランス映画界を牽引している映画作家です。なお、ベルトラン・ブリエ監督の『Notre histoire』(1984年)に出演したアラン・ドロンは、この作品でセザール賞男優賞を授賞しています。

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 フェリックスとメーヌの娘コレットを演じたソフィー・ドーミエは、ジャン・ポール・ベルモンド、ジェラルディン・チャップリンと共演したジャック・ドレー監督『ある晴れた朝突然に』(1964年)、ジュリアーノ・ジェンマと共演した『さいはての用心棒』(1967年)などが有名です。ジャン・クロード・ブリアリが出演している『Carambolages』(1969年)にも出演していますが、この作品にはアラン・ドロンも出演していたそうです。

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 また、彼女は歌手としても活躍していたそうです。
 【60年代フレンチ・ポップスのサイト「April Dancer」ソフィー・ドーミエ PROFILE】

 全編を通じて登場する刑事には、ピエール・モンディが扮しています。
 彼は、『ヘッドライト』(1956年)で、ジャン・ギャバンと共演した若いトラックの運転手が印象深い役柄でした。アラン・ドロンとは、『お嬢さんお手やわらかに!』(1958年)や『学生たちの道』(1959年)で共演しています。私が強く印象に残っている作品は、アラン・ドロン製作・監督・主演の『Le Battant』(1983年)での刑事役です。彼はこの作品で、主演のアラン・ドロンに付きまとって、口汚く嘲罵を浴びせるサディスティックな刑事を演じています。ここでのピエール・モンディは、まるで、『太陽がいっぱい』(1959年)でのフィリップや『太陽が知っている』(1968年)でハリーを演じたモーリス・ロネのようでした。

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 そして、アラン・ドロンと同世代のブリューノ・クレメールも、この作品がデビューとなりました。
 日本では、ジョゼ・ジョヴァンニ監督の『父よ』(2001年)や1991年~2005年にテレビシリーズとなった『メグレ警視』が有名です。アラン・ドロンも出演しているルネ・クレマン監督の『パリは燃えているか』(1966年)には、ド・ゴール派ではなく、フランス共産党が主導するFFI(フランス国内軍)のレンジスタンスの闘士アンリ・ロル=タンギー大佐として出演していました。

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 アラン・ドロンが、後に「フレンチ・フィルム・ノワール」で自己のキャラクターを確立することになるのは、10年後の『サムライ』(1967年)でしたが、旧時代のイブ・アレグレ監督の作品で、多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品で活躍していたジャン・セルヴェ、ベルナール・ブリエと共演したこの典型的な作品がデビュー作品であることは、彼の将来を既に暗示していたと言えましょう。

 それにしても、この『Quand la Femme s'en Mele』が、日本で劇場公開されなかったことはとても残念です。旧時代的な作風であったことや日本で人気の高いスター俳優が出演していなかったとは思いますが、ストーリーも面白く、映像もノワールのムードが満載ですし、出演者は地味ではあっても若手・ベテランともに素敵な俳優ばかりですから、製作年より遅れてでも日本公開してほしかった作品です。

 アラン・ドロンは、この作品で、主人公のゴドーのボディガードのジョーを演じました。主演ではないものの随分と出番も多く、ストーリー・プロットの上でも重要な役柄を演じています。

 映画は、4人でカードをしているシーンでのタイトルバックと軽快でジャジーなテーマ曲から始まり、ジャン・セルヴェが演ずるゴドーがカード仲間と口論になるシークエンスから展開していきます。
 ゴドーはナイトクラブのオーナーですが、夜の世界では顔役のようで、エドウィジュ・フィエール演ずるメーヌと愛人関係にあります。そんなおり、メーヌの元に、フランス南東部グルノーブルに居るベルナール・ブリエが演ずる前夫の郵便局員フェリックスから電話が入ります。彼は、ソフィー・ドーミエが演ずる娘コレットとともに、パリを訪れる予定であるとのことでした。

 アラン・ドロンの初登場は、ゴドーとジャン・ルフェーブル演ずるフレッドの3人が打ち合わせをしているシーンでした。
 彼は、このとき22歳です。映画ではマフィアのボディガードを演じているわりには、育ちの良さそうな無垢で純情な青年に見えます。それにしても、この時点では、彼がその後フランスやイタリアの巨匠たちに寵愛され、時代の寵児として、あれほど大きく飛躍することになるとは誰にも想像できなかったことだと思います。

 駅に出迎えに言ったメーヌは、冒頭のカードのシークエンスでゴドーと揉めていた2人にからまれますが、ゴドーとジョーが駆けつけ助けに入ります。

 この乱闘シーンは、私にはたいへん印象的でした。ゴドーとジョーが相手を一撃で殴り倒すのですが、こういった静かなアクション・シーンは、現在の映画では、もっと派手なパフォーマンスとして表現されることが多いでしょうから、今ではもう見られなくなってしまった古典的で貴重なショットだと思います。

【<『Quand la Femme s'en Mele』~デビュー作品は「フレンチ・フィルム・ノワール」②~>に続く】
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by Tom5k | 2016-12-23 01:58 | Quand la Femme s'en | Trackback | Comments(0)

『さすらいの狼』~「フレンチ・フィルム・ノワール」の「アラン・ドロン」の原型~

 「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スターとして名を馳せたアラン・ドロンは、ジャン・ピエール・メルヴィル監督で撮った『サムライ』が、その原点であり代表作品ですが、この作品に至るまでの間に、何本のいわゆる「フィルム・ノワール」の系統に属する作品に出演していたでしょうか?

 実はデビュー作品である『QUAND LA FEMME S'EN MELE』が、「フレンチ・フィルム・ノワール」の系譜における第一人者のイブ・アレグレ監督の作品でした。これは、日本未公開の作品ですが、アラン・ドロンは、主人公に殺害を命じられる若い犯罪組織のボディガードを演じています。主演とはいえない登場人物だったようですが、既にデビュー作品で未来の「アラン・ドロン」の原型に巡り会っていたことは因縁めいていて不思議ですし、強く好奇心が喚起されます。

 そして、デビューしてから、5年後、既に彼はこの時期、ルネ・クレマン、ルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジュリアン・デュヴィヴィエの作品に連続して出演し、スター街道を疾走していたわけですが、いよいよアンリ・ヴェルヌイユ監督の『地下室のメロディー』で、ジャン・ギャバンと共演することになります。
 彼が、いわゆる「フレンチ・フィルム・ノワール」作品に「主演」したのは、この作品が初めてでした。
 そして、その2年後の1964年、アメリカ資本のメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)による『さすらいの狼』と『泥棒を消せ』の2本のノワール系の作品に出演します。『泥棒を消せ』は、ラルフ・ネルソン監督が演出した純粋なアメリカ映画でしたが、『さすらいの狼』は、ジャック・パールがプロデュースしたアメリカ資本と、アラン・ドロンが自ら設立したデルボー・プロダクションの提携作品であり、スタッフ、キャスト、脚本、舞台設定など、基本的にフランス映画として認識できる作品です。

 アラン・ドロンのファンとしては常識ですが、この『さすらいの狼』以降、『テキサス』(1966年)までのアメリカ映画に出演し続けた期間に、彼はスター俳優として大きなスランプの期間を迎えます。
 この『さすらいの狼』も、決して成功した作品ではありませんが、その失敗にもそれ相応の理由があったようです。
【結婚の年、六四年に、ドロンは自分のマネージャー、ジュルジュ・ボームと組んでデルボー・プロダクションを設立する。俳優業だけに飽き足らず、映画製作に乗り出したわけだ。これは二年前の『地下室のメロディー』の頃から考えていた夢だった。ところが若い監督アラン・カバリエを起用しての第一作『さすらいの狼』が、アルジェリア戦争を扱っていることから検閲で禁止処分となってしまう。プロダクションとしては出鼻をくじかれるだけでなく、作品ができ上がっても封切ることができないで財政的にも大きな痛手をこうむるのだった。当時のフランスはアルジェリア戦争についてはまだ神経をとがらせていたのでこういう処分になったのだ。この作品は後に検閲解除となって公開されるけれども、結局さんたんたる成績に終わってしまう。】
【引用 『孤独がぼくの友だち アラン・ドロン』 ユミ・ゴヴァース著 新書館(1975年)】

 そして、アメリカでの失敗の後に、彼はフランス映画に復帰し、立ち直っていくのですが、帰仏後の3作品目に、「フレンチ・フィルム・ノワール」独自のキャラクターを美学にまで高めて創出した代表作品『サムライ』に巡り合います。
 銀幕デビュー以降、この『サムライ』まで、彼が出演した作品は24本ありますが、意外なことに、いわゆる「フィルム・ノワール」の系統に属する作品は、前述したように、たったの4本しかありません。逆に考えれば、この4本の作品に人気全盛期を迎えるための基本的な「アラン・ドロン」の原型が型取られていったとも考えられますし、そのエッセンスの全てが詰まっていると捉えることも可能なようにも思います。

 それにしても、アラン・ドロンが製作・主演した作品を丁寧に観賞していくと、そもそも、現在、一般化している「フレンチ・フィルム・ノワール」の映画史的定義が、本当に正確な史観なのかと懐疑する必要があると私は考えざるを得なくなります。

 「フィルム・ノワール」の一般的な定義は、1945年にパリのガリマール社から発刊された犯罪推理小説叢書「セリ・ノワール」に基づいたハリウッドのハードボイルド小説を原作としたアメリカ映画に対して、フランスの映画評論家ニーノ・フランクが映画雑誌『レクラン・フランセ』(1946年8月号)で用いた用語でした。
 そして、現在では、フランス製の「フィルム・ノワール」の創始者は、ジャン・ギャバンが主演した『現金に手を出すな』(1954年)を演出したジャック・ベッケルであるというのが定説になっていますし、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督のアンドレ・ステーマン原作の作品がその先駆けだったと考えられているようです。【「2006-07-09 16:56付け『シシリアン』①~「フレンチ・フィルム・ノワール」の変遷~」の記事】
【参考 『フランス映画史の誘惑』(中条省平著、集英社(集英社新書)、2003年)】

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 しかしながら、戦前の映画批評を紐解いていくと、既に「暗黒映画」という名称を使って評論を行っていた事実も少なからずあるようなのです。
 フランスの作家・脚本家・劇作家のジャン・マリ・リュシアン・ピエール・アヌイは、自分の戯曲をテーマによって、「バラ色戯曲(Pièces roses)」と「黒色戯曲(Pièces noires)」に分類していましたし、パリで週刊行されていた『ル・カナール・アンシェネ』の映画コラムに、脚本家ミシェル・デュランが、ジャン・ギャバンが主演した2作品、ジャン・ルノワール監督の『獣人』(1938年)と、マルセル・カルネ監督の『Le Jour se lève』(1939年)をジャンルとしての「Film noir(暗黒映画)」とした批評を行っていたそうなのです。
【参考 『世界の映画作家18 犯罪・暗黒映画の名手たち/ジョン・ヒューストン ドン・シーゲル ジャン・ピェール・メルヴィル 「フランス暗黒映画の系譜 飯島正」』キネマ旬報社、1973年】

 このようなことから、「フレンチ・フィルム・ノワール」の系譜が、突然、1954年に『現金に手を出すな』によって出現したわけでもないですし、その前史として位置づけられているアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督のアンドレ・ステーマン原作の作品のみが先駆けだったとだけ考えることが、私には、どうしても納得に至らないのです。
 つまり、1945年にパリのガリマール社から発刊された犯罪推理小説叢書「セリ・ノワール」の在り方のみを基軸にした定説に、私は異を唱えたいわけです。

 さて、ミシェル・デュランの言説にもあるように、「フレンチ・フィルム・ノワール」の立役者であったジャン・ギャバンは、戦前のフランス映画でヒーロー像を演じ続け、世界的なスターであったことは言わずもがなですし、1930年代から1940年代にかけての彼はそのキャラクターで、追い詰められて死に至る脱走兵や脱獄犯などの逃亡者を最も得意として人気を博していたヒーローでした。

 そのような意味では、戦前から永きに渉って多くの彼の作品の演出を手掛けたジュリアン・デュヴィヴィエ監督が、ジャン・ギャバンを決定的な「ノワール」系のキャラクターとして位置づけていった演出家だったわけですが、特に、スペイン外人部隊の脱走兵を演じた『地の果てを行く』(1935年)、官憲の捜査からアルジェリアのカスバに身を隠し潜伏している犯罪集団のボス、ぺぺ・ル・モコを演じた『望郷』(1936年)などが、その典型となった作品です。このコンビは、第二次世界大戦中に亡命先のハリウッドにおいてさえ、ナチスの刑務所から脱走する兵士を主役とする『逃亡者』(1943年)を撮ったほど、追われる男の死の美学をテーマにした作品を定番としていました。

 マルセル・カルネ監督の『霧の波止場』(1938年)でも、ジャン・ギャバンは脱走兵として追い詰められた男を演じましたし、第二次世界大戦後も、デビュー作品『鉄路の闘い』(1946年)で、いきなりカンヌ映画祭でパルムドールを授賞した新進気鋭のルネ・クレマン監督の第3作目の『鉄格子の彼方』(1948年)に出演したときも、情婦を殺害して警察から逃げ回っている犯罪者を演じました。この作品は、1949年にカンヌ国際映画祭でルネ・クレマンが監督賞、イザ・ミランダが女優賞を受賞、1951年にはアメリカでもアカデミー外国語映画賞名誉賞にエントリーされるほどのアカデミックな名作品です。

 わたしは、前述した『獣人』や『Le Jour se lève』と同様に、これらの作品も「Film noir」と位置付けることに全く抵抗がないのです。『さらば友よ』~「詩(心理)的レアリスム」から新しい「フレンチ・フィルム・ノワール」へ~

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 『さすらいの狼』の舞台は、フランス占領下で戦争中のアルジェリアです。アラン・ドロンは、この戦線で外人部隊の兵士として登場します(フランス外人部隊の3割は自国民の志願兵だそうです。なお、アラン・ドロンはこの作品でルクセンブルグ公国の農村出身者として登場しています。)。
 そして、ジャン・ギャバンの代表作品『望郷』で、主人公ペペ・ル・モコが潜伏していたカスバは、アルジェリアの首都アルジェの旧市街の一画でしたし、『地の果てを行く』では、彼はスペイン外人部隊の脱走兵を演じていました。

 『さすらいの狼』で、レア・マッサリが演じる女性の弁護士ドミニクはアルジェリア独立運動の指導者の顧問弁護士であったため、誘拐、監禁されることになるのですが、アラン・ドロン演ずるトーマは、フランス共和国側の治安のための政治結社に高額で雇われ、所属していた外人部隊を脱走し、彼女の誘拐、監禁に一役買うことになります。
 監禁されたドミニクに魅かれたトーマは彼女を脱走させます。結局、トーマは、フランス軍から脱走して逃亡兵となったばかりでなく、裏切り者として政治結社からも追われていくことになってしまいます。また、彼はドミニクを監禁場所から脱走させるときに撃たれた傷が逃走中に悪化し死を迎えることになるのです。

 ジャン・ギャバンが戦前から演じてきた脱走兵は、追い詰められた悲劇のヒーローとして、行きずりの美しいロマンスをテーマとし最期に悲劇的な死を迎えていきました。『さすらいの狼』で設定された舞台も、そのテーマも、戦前にジャン・ギャバンが演じ続けた主人公が登場する作品そのものだと感じるのは私だけではないと思います。

 「詩(心理)的レアリスム」の体系に位置づけられるジャック・フェデール監督の『外人部隊』(1933年)のシナリオを担当したシャルル・スパークは、ジャン・ギャバンについて、次のように述懐しています。

【異様なまでにかたくなな考えを持った男、喧騒の中に奇妙な安らぎをもった男、まるでチャンスを持てない男の中に生きるチャンピオン、そして、たくさんの敵にかこまれながら、ほんの単純な理由-ちょっとした自由、行きずりの愛、理解しがたい友情-などのために必死に闘う男・・・ギャバンが演じるこれらの男たちは、多くの人々を感動させた。(略-)】
【引用 「ジャン・ギャバンと呼ばれた男』(鈴木明著、小学館、1991年)】

外人部隊

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ジャン・ギャバンと呼ばれた男

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 私には、この書評が、まるで『さすらいの狼』の主人公トーマを演じたアラン・ドロンに対するもののように感じました。

 さて、この『さすらいの狼』を演出したアラン・カヴァリエ監督は、カイエ派ではなかったものの「ヌーヴェル・ヴァーグ」のルイ・マルの助監督として育成された演出家でした。新しい映画の体系でありながら、助監督という古いシステムで育った彼の経緯は注目に値します。脚本を担当したジャン・コーは、フランスの実存主義哲学者ジャン・ポール・サルトルの秘書をしていた文学者ですし、撮影を担当したクロード・ルノワールは、フランスの印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの孫であり、戦前のフランス映画の名匠ジャン・ルノワールの甥でした。
 それにしても、斬新なスタッフで映画を制作したものです。

 更に、この作品で私が大きく関心を喚起されてしまうところは、音楽を担当したのがアラン・レネやフランソワ・トリュフォー、ジャン・リュック・ゴダール、ルイ・マルの監督作品で音楽を担当し、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の音楽家と言われていたジュルジュ・ドルリューだったことなのです。
【注 : 公開当時のポスターやパンフレット、一般に出回っていた書籍などでは、『素晴らしい風船旅行』(1961年)や『わんぱく戦争』(1962年)のジャン・プロドロミデスが音楽を担当していたと記載されていることも多いのですが、実際には、ジュルジュ・ドルリューが音楽を担当していたようです。もしかしたら、英語版やフランス語版などが存在し、それぞれの版で音楽の差し替えなどが行われていたのかもしれません。日本で公開された「さすらいの狼」は、ジャン・プロドロミデスが音楽を担当していた版だったのでしょうか?真偽の程は現在のところ不明です。】

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【>ドロンの作品で、他にドゥルリューさんがなされたものはありますか?
>ドゥルリュー
「さすらいの狼」がありますね。アラン・カヴァリエの。これはこれで、いい作品だったんですが、アルジェリア戦争をあつかって検閲にあい、それだけに評価されなかった作品でしたね。(略-)】
【キネマ旬報1976年12月下旬号No.697(「「ジョルジュ・ドゥルリュー「ブーメランのように」と映画の秘密を語る」<インタビュアー>ユミ・ゴヴァース、西村雄一郎】

 恐らく、ルネ・クレマンが演出し、やはり、アンリ・ドカエのカメラやポール・ジェコブの脚本、モーリス・ロネの出演など、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のスタッフ・キャストで、『太陽がいっぱい』を制作したように、プロデューサーとなったアラン・ドロンも、この作品の音楽で、ジュルジュ・ドルリューを使ったのかもしれません。
 また、このことが、後年、『私刑警察』(1988年)で、ラウール・クタールを撮影監督として迎え入れたことにも繋がっていくのでしょう。

 ドミニクと逃亡するシークエンスでの自動車のヘッドライトに照射する激しい雨、彼女が夫に助け求めるためにカフェで電話をするときの街路を濡らす雨と闇の陰影の中でのBGMのジャジーな挿入曲が、私には特に印象的でした。

 暗闇でのライティング効果を利用した色彩のないモノクロームの画面・・・やはり、この作品は「フィルム・ノワール」です。

 後年、アラン・ドロンは、「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スターとなり、ジャン・ギャバンの後継者として映画ファンから認知され、人気スターの全盛期を迎えることになっていくわけですが、ジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』以降の「ギャングスター」としてのジャン・ギャバンをモデルにできたことは、『地下室のメロディー』での彼との共演によるものであったでしょうし、「フレンチ・フィルム・ノワール」を徹底的に純化させた『サムライ』で、ジャン・ピエール・メルヴィルの演出を受けたことの影響が大きかったことは、誰しも納得済みのことでしょう。

 しかし、私は、「外人部隊」あがりの帰還兵をモデルにした『地の果を行く』などで、ジャン・ギャバンのキャラクターを育てたジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品に出演したことによって与えられた影響も、想像以上に大きかったような気がしてならないのです。忘れてならないことは、『さすらいの狼』を製作する2年前、『地下室のメロディー』で、ジャン・ギャバンと共演した1962年に、既にアラン・ドロンは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『フランス式十戒』に出演していたことなのです。

 そして、ジュリアン・デュヴィヴィエやマルセル・カルネなどが演出したジャン・ギャバンの主演作品、その戦前のフランス映画からの歴史的変遷の経緯から考えて、『さすらいの狼』をアラン・ドロンが製作・出演したことは非常に重要なことだったと考えています。

 また、後に「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スターとなったアラン・ドロンのキーワードとして、この作品の影響を考えれば、『サムライ』や『スコルピオ』(1973年)、『ビッグ・ガン』(1973年)で、組織に雇われる犯罪者、殺し屋、一匹狼として・・・『帰らざる夜明け』(1971年)、『ル・ジタン』(1975年)、『ブーメランのように』(1976年)では、追われる者、逃亡者として・・・これらの作品で悲劇のヒーローを演じ、死の美学を貫いていったことに帰結するのです。
 このように考えると、アラン・ドロンは、「ギャングスター」作品の大スター、ジャン・ギャバンの後継者のみならず、追われる者としてのヒロイズムを体現していた戦前のジャン・ギャバンの後継者でもあるわけです。
【注 : 『ル・ジタン』は、当初、死ぬ予定だったラスト・シークエンスを改変し、逃亡を続けていく内容によって完成させました。】

 また、フランス映画伝統の「詩(心理)的レアリスム」のキャラクターであった「外人部隊」や「脱走兵」から・・・時代の情景は遷り変り・・・インドシナ戦争やアルジェリア戦争も終結していった1960年代後半期から70年にかけてのアラン・ドロンは、戦時のトラウマを抱えたアンチ・ヒーロー的ヒーローが活躍するドラマトゥルギーを現代劇として新しく生み出していったようにも思います。

 それが、インドシナ戦争やアルジェリア戦争を舞台にした『名誉と栄光のためでなく』(1965年)であり、戦地から帰還した主人公を演じた『悪魔のようなあなた』(1967年)や『さらば友よ』(1968年)であり、ともに戦地に赴いた時代の戦友のために巨悪組織と闘う主人公を演じた『チェイサー』(1978年)だったのではないでしょうか?
 特に、『悪魔のようなあなた』は、ジュリアン・デュヴィヴィエの監督作品であり、私が前述した系譜による最も象徴的な印象を残します。戦前からジャン・ギャバンを主演にして脱走兵、逃亡者を描き続け、戦後に彼の後継者となったアラン・ドロンによって、帰還兵のサスペンスとして表現したのです。アラン・ドロンのキャリアにおいても実に不思議な邂逅であり、私としては彼のファンとしての自負にまで結びついている作品です。

 これらの作品でのアラン・ドロンは、兵士、帰還兵としてトーマが生きていれば、そのまま主人公になったように感じます。
親父が言っていたアラン・ドロン主演の『外人部隊』・・・
2006-10-28 00:17付け「『名誉と栄光のためでなく』~幻想映画館『外人部隊』~」の記事

やっぱ、なんか説得力あるわ・・・!
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by Tom5k | 2016-12-11 03:19 | さすらいの狼 | Trackback(3) | Comments(2)

『ブーメランのように』④~過去に演じた主人公たち、そして、限界点を一歩踏み越えてしまった男たち~

 最近は、『ブーメランのように』の魅力に取り憑かれてしまっています。
 この作品には、アラン・ドロンが過去の代表作品で演じた主人公が数多く再登場しているからです。
 『ブーメランのように』の主人公である実業家ジャック・バトキンは、『太陽がいっぱい』のトム・リプリーがフィリップ・グリーンリーフに、『悪魔のようなあなた』のピエール・ラグランジュがジョルジュ・カンポに成りすますことに成功した姿であることは、既に記事にしました。
【参考~『ブーメランのように』①~貧困・犯罪・差別からの逃亡と挫折~及び『ブーメランのように』②~「フレンチ・フィルム・ノワール」作品で描かれる父性~

 また、この『ブーメランのように』が、翌年に撮った『プレステージ』と同様、『太陽はひとりぼっち』(1961年)での現代ビジネスに生きている者の矛盾を強く表出した作品であることにも触れました。
【参考~『ブーメランのように』③~「アラン・ドロン」のトレード・マーク「悲劇のヒロイズム」最後の作品~
 私は、ピエロの矛盾が、ジャック・バトキンの矛盾に行き着いていったようにも思うのです。恋人とのディスコミュニケーションは、思春期の息子とのディスコミュニケーションへと繋がったのだと・・・。愛息が犯罪に手を染めた原因を手繰っていけば、現代ビジネスの矛盾に行き着くのではないかと・・・?

 そして、また、『ブーメランのように』には、他にも彼が過去に演じた主人公たちが数多く再登場しているのです。
 まず、真っ先に私が想い起こされるのは、過去のギャング時代の仲間たちとの関係です。その典型的な作品として『仁義』が挙げられます。アラン・ドロンが演じた主人公のコレイやイブ・モンタンが演じたジャンセン、ジャン・マリア・ヴォロンテ演じたボージェルが、私には浮かんでくるのです。
 彼らは、ブールヴィルが扮したマッテイ警部が事件担当でなければ、強奪した宝石をせしめて、のうのうと日常を過ごしていたかもしれません。そうなれば、ほとぼりの覚めた頃にコレイがジャック・バトキンのような事業家になることも不可能ではなかったように思います。
 そして、息子の脱獄に協力してくれる仲間は、『泥棒を消せ』や『シシリアン』で組んだ強盗団ではなく、『仁義』でのジャンセンやボージェルだと思うのです。

 ジャック・バトキンが、過去に犯罪を犯して投獄されていたとき、狂人のふりをして免責された逸話からは、『暗殺者のメロディ』のフランク・ジャクソン(ラモン・メルカデル)が想い出されます。ロシアの革命家トロツキーを暗殺したときに上げた彼の絶叫は、まさに狂人そのものだったと言っても言い過ぎではないと思います。
 そもそもアラン・ドロンは人格の破綻した人間を演じることが十八番の俳優です。『ブーメランのように』で、ルイ・ジュリアンが演じた投獄中の息子エディの憧れる父親ジャック・バトキンの過去の犯罪者の逸話は、過去のアラン・ドロンの演じたキャラクターのことを話しているとしか思えませんでした。

 ところで、ジャック・バトキンが最も守りたかったものは・・・?
 言うまでもなく、それは自分が最も愛する息子エディでしょう。
 アラン・ドロンは自分の大切にしている者、愛する者を守ろうとするとき、また、それを守りきれなかったとき、そのときには明らかに常軌を逸してしまいますし、それは決して成功することなく絶望的な結果になります。

『ビッグ・ガン』の主人公トニー・アルゼンタは、愛する家族をマフィア組織に殺害され、復讐の鬼になってしまいますが、友人に裏切られて死に至ります。
『暗黒街のふたり』の主人公ジーノ・ストラブリッジは、弱みに付け込んで愛する妻にまで脅迫まがいの行為に至るミッシェル・ブーケ演ずるゴワトロ警部の横暴に激昂し、とうとう殺害事件を起こしてしまいます。
そして、『愛人関係』では、ミレーユ・ダルク演ずる愛人ペギー・リスターの精神疾患に絶望し、山中で心中を図る弁護士マルク・リルソンを演じました。

【(-略)彼は(アランは)はまた極めて頭のいい男で、その点が私とやった二本の映画での役柄にぴったりだった。その二人、トロツキー暗殺者とムッシュー・クラインは、どちらも非常に頭の切れる男で、自分の行動にはしっかりとした自覚を持っている。ところがある限界点を一歩踏み越えてしまうと、もう判断力を失い、放心したようになってしまう。(ジョセフ・ロージー)】
【引用 『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』ミシェル シマン著、中田秀夫・志水 賢訳、日本テレビ放送網、1996年】

追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー

ミシェル シマン Michel Ciment 中田 秀夫 志水 賢日本テレビ放送網

 

 ジョセフ・ロージー監督が述懐しているようなアラン・ドロンの「ある限界点」の典型的な状況に、「自分の大切な者を喪失したとき、喪失せざるを得ない状況にあるとき」が、当てはまるのではないでしょうか?その「一歩を踏み越えた」ときのアラン・ドロンは正常な「判断力」を失ってしまうのです。
 この『ブーメランのように』でも、過去のギャング組織に戻り、護送中の息子を脱獄させ国外逃亡を図る父親として考えられないような最悪の判断をしてしまいます。

 同様に、アラン・ドロンが演じた『ビッグ・ガン』の主人公トニー・アルゼンタも、『暗黒街のふたり』の主人公ジーノ・ストラブリッジも、『愛人関係』のマルク・リルソンも、その判断が誤っているがために決して幸福で納得できる結果にならず、むしろ最悪の結果になってしまう絶望的な主人公ばかりなのです。

 そして、私は、この『ブーメランのように』の原点のひとつに、デビュー間もない頃、ルキノ・ヴィスコンティ監督の代表作品『若者のすべて』で演じた主人公ロッコ・パロンディの存在が頭から離れなくなってしまいました。そこでアラン・ドロンが扮したロッコ・パロンディは、愛する兄シモーネのために、彼にレイプされてしまった自分の恋人を譲り、遊行による彼の借金までも肩代わりし、とうとう殺害事件まで起こしてしまった彼を最後までかばおうとするのです。
 このことから、ロッコ・パロンディが、『ブーメランのように』で、ドラッグ・パーティの現場で誤って警察官を射殺してしまった息子エディを救おうとするジャック・バトキンの原点だと考えるようになりました。

 社会で許されることのない生き方をしてしまったシモーネとエディ、犯罪を犯してしまった若者の更生が不可能だとは思いませんが、アラン・ドロンが演じたロッコ・パロンディやジャック・バトキンの行為が、本当の意味で彼らを救うことはないでしょう。それどころか、彼が施した行為によって、シモーネやエディは、益々、自分の罪を自覚することが不可能になってしまうように思います。
 そう考えると、いくら絶望的な状況に置かれてしまった肉親であっても、兄シモーネに対するロッコ、息子エディに対するジャックの行為には哀しい悲劇しか準備されることはなかったのです。

【>宮崎総子
『太陽がいっぱい』も本当にきれいだったと思うんです。それから『若者のすべて』もすごく良かったと思うんです。そのたびにね。アラン・ドロンさんというのは、ああいう人だと思っちゃうんですね。
>アラン・ドロン
役には必ず自分自身が投射されるものです。どんな役でも演じる俳優の個性がはっきり出てきますよ。
(-中略-)
>宮崎総子
今までいろんな監督と出会っていると思いますけどね。ヴィスコンティさんとか。本当に世界で一流の。どなたからたくさん影響を受けていらっしゃいますか。
>アラン・ドロン
私の人生では5人の大切な大監督が挙げられます。最も影響を与えてくれた人々はビスコンティ、ルネクレマン、アントニーオーニー、ローゼ、メルヴィル。私の人生のいろいろな時期にこうした人たちから影響を受けました。】
【「モーニングジャンボ奥さま8時半です』「総子がせまる!いい男コーナー たまらなく男ざかり!アラン・ドロン」インタビュー:宮崎総子、1983年11月8日:毎日放送】

 ルネ・クレマン監督のトム・リプリー、ルキノ・ヴィスコンティ監督のロッコ・パロンディ、ミケランジェロ・アントニオーニ監督のピエロ、ジャン・ピエール・メルヴィル監督のコレイ、ジョセフ・ロージー監督のフランク・ジャクソン・・・。
 私は、『ブーメランのように』で彼が演じたジャック・バトキンが、当時のアラン・ドロンの自己矛盾を最も端的に表現した主人公であると同時に、過去に演じたキャラクター、それも「アラン・ドロン」の原型となる人物を演じた作品での主人公の集大成であるとまで考えてしまうのです。

 残念ながら、『ブーメランのように』は、盟友ジョゼ・ジョヴァンニ監督と組んで制作した最後の作品になってしまいましたが、彼が出演してきた映画の沿革の中でも、取り分け重要な位置に存在する作品のひとつであると確信するに至っているのです。

【この映画もまた、他の二作と同様、アランが存在しなければ生まれなかった映画だということを先ず言っておかなければならない。もちろん、このシナリオは私の実体験に基づいて書いたものだが、アランにとっても切り離せないほどその生き方に深く関わっている物語だ。(-中略-)
 アランはまた、この映画には様々なアイデアを持っていて、初めて脚本・脚色という形でも参加した。そのため、私のシナリオはアランによって書き変えられたが、それはむしろ当然なのである。】
【キネマ旬報1976年12月下旬号No.697(「我が友アラン・ドロンと映画「ブーメランのように」を語る」ジョゼ。ジョヴァンニ<訳・構成>細川直子】
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by Tom5k | 2015-03-22 02:23 | ブーメランのように(4) | Trackback | Comments(0)

『プレステージ』~愛の再生・復活その5 『太陽はひとりぼっち』のピエロ再登場!~

 『プレステージ』の公開は1979年5月19日(土)ですから、今から36年前の私が高校1年生のときでした。
 私の住んでいた街でこの作品が公開された頃、当時にしては珍しくロードショーではなく、1週間程度の短期間での公開でした。初日は土曜日か日曜日で、その週末の金曜日までの公開期日となっており、しかも他の作品との併映だったため夜間の上映はありませんでした。
 「これでは、午後早い上映の鑑賞に間に合わなければ、一生、映画館で鑑賞する機会が無くなってしまうっ!」
 学校での授業中にそんなことが頭を駆け巡り、私はあせりました。
 当然、私は全く躊躇せず学校をサボることを決心し、帰宅して私服に着替える時間を惜しんで学生服姿のまま映画館に向かいました。
 しかし、平日の街中といえば生徒指導の巡回指導をしている教師たちも多い時代だったので、いつ補導されてもおかしくありません。補導されて『プレレステージ』を観ることができなくなることを考えると、映画館までの道中や映画館内、私は周囲を伺いながら常にビクビクしていました。
 今想い返せば、若い頃のとても想い出深い映画鑑賞のひとつとなっています。
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 併映の作品はアメリカのラジオDJであったウルフマン・ジャックが出演していた『ハンギング・オン・スター』で、内容はほとんど忘れてしまったのですが、とにかくウルフマン・ジャックが格好良かった記憶があります。彼の映画作品では『アメリカン・グラフィティ』(1973年)の日本公開が1976年で、こちらも小学校6年生のときに映画館で観ています。





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 さて、『プレステージ』ですが、アラン・ドロンの演じた主人公がとても忙しい古美術商で、ラスト・シーンで古美術のオークションで狙っていた壺を競り落としたとたんに心臓発作のため死んでしまうことや非常に無神経で相手の気持ちが理解できない人物を演じていたことなどが記憶にあり、特にミレーユ・ダルクが演じていた妊娠中の妻に出産日を早めるよう酷いアドバイスをしていたシーンが強烈に印象に残っていました。

 この作品は今から7年ほど前、2008年にようやくユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパンからDVD化されたので、発売と同時に早速購入し、29年ぶりに『プレステージ』のアラン・ドロン、ミレーユ・ダルクと邂逅することができました。その後は、何度も自宅で鑑賞し続けています。

 私はその再鑑賞の中で、アラン・ドロンが演じた主人公ピエール・ニオックスのキャラクターが、彼の過去のどの作品にその原型があるのかを考えてきました。
 その辿り着いた作品の主人公は、彼がデビュー間もない1961年に制作された『太陽はひとりぼっち』の証券マン、ピエロです。26歳の若いアラン・ドロンが出演していたこの作品が常に頭に浮かび、現在では双方の主人公の共通項が頭から離れなくなってしまいました。彼はどちらの作品でも有能な実業家やビジネス・マンを演じており、かつ実生活においても多くのビジネスに精通している実業家であることと重ね併せてしまうからかもしれません。
【参考 『太陽はひとりぼっち』③~「アラン・ドロン」の原型 ホワイト・カラー層として~

 『プレステージ』の制作が1977年ですから、『太陽はひとりぼっち』のPiero(ピエロ)は、16年の歳月を経て再登場したと私は考えています。主人公の役名がPierre(ピエール)であることも偶然とは思えません。 
 Piero(ピエロ)は、『太陽はひとりぼっち』で証券取引所でエネルギッシュに活躍していた頃と同様に、相変わらず無神経な言動を繰り返しながら、家屋・土地など不動産や古美術を転売するPierre(ピエール)へと年齢を重ねていったように見えるのです。
 
 ところで、少し話が逸れてしまうのですが、わたしは今まで、アラン・ドロンのファンではない人達からの何気ない感想に、彼の本質を見抜くような鋭い内容が含まれていて、物凄く驚かされたことが何度もありました。

 そのなかに、

「アラン・ドロンが出演している作品を観ていると疲れる。」

と言っていた女性がいました。

 彼女が今まで鑑賞したアラン・ドロンの出演作品では、彼の落ち着きの無い仕草、行動が神経に触り気持ちがたいへん疲れたそうなのです。もちろん、そんな感想を持つくらいですから、彼女はアラン・ドロンのファンではありません。

 そして彼女は、『太陽はひとりぼっち』や『プレステージ』はもちろんなのですが、何とっ!アラン・ドロンが極限的に「静」の美学を表現したともいえるジャン・ピエール・メルヴィル監督の『サムライ』においてさえ、その行動への嫌悪感が例外ではなかったと言うのです。

「こせこせ、走り廻ったり、急に電車から飛び出たり、ああ、ホント観ていて疲れるわ。」

と、彼女は『サムライ』を観た後、うんざりしたと言うのです。もちろん、地下鉄構内で警察の尾行から逃げまわるあの映画史的にも有名なシークエンスのことです。
 ファンであるならば、このようにアラン・ドロンの批判を直接聞けば不愉快になると思うのですが、私はその意見の不思議な説得力によって、あらためて「アラン・ドロン」の特徴を確認できたことに大きな歓びを感じてしまいました。
 そう、これはその作品の主人公のそれではなく、紛れも無い「アラン・ドロン」という映画俳優の特徴のひとつなのです。そして、『太陽はひとりぼっち』の主人公Piero(ピエロ)と『プレステージ』の主人公Pierre(ピエール)には、そのせわしない仕草、落ち着きのない行動が最も顕著に表れているのです。

 確かに『太陽はひとりぼっち』については、アラン・ドロン自身も次のように語っています。

【>『太陽はひとりぼっち』では全く違いますね:証券取引所のシーンでは動くのを止めません。カメラがあなたをフレームに収めきれず、あなたはどんどん横へ行ってしまうのです。
>アラン・ドロン
私はよくカメラマンとは問題を起こしていたんだ、頻繁にフレームの外へ行ってしまうんだね。私の動き方を知らないカメラマンは追い切れない(笑)あの作品はとても注意深いカメラマン(訳注:ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ)で私をフレーム内に収めている。でなければ私は先へ行ってしまうんだ:追っても、もう他へ行ってしまっている・・・動くのが私の性格なんだろう。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18 「回想するアラン・ドロン:その3(インタヴュー和訳)」

 また、『プレステージ』でも、彼のその典型的な動作が十分に写しとられています。
 特に、Pierre(ピエール)がミレーユ・ダルクの演ずる恋人のエドヴィージュが購入したアパルトマンの改装に立ち会うシークエンスでは、驚くことに、フレーム内で被写体(アラン・ドロン)の動き自体が振れてしまっており、そのショットをそのまま使用しているのです。一瞬でしたが意図的なカメラ操作ではなく、動きまわるアラン・ドロンにカメラ・ポジションを確定できず手振れを起こしたものではないかと思います。
 ドキュメンタリー映像に良くありがちな何ともリアルなシーンとなっており、私は強く印象に残りました。

 これらのことからも、この2作品の主人公には多くの共通点があることがわかります。

 さて、本題に戻りましょう。
 各作品での主人公には人間性の重大な欠陥が露わに表現されています。特にそれは主人公の典型的なハラスメント的言動において顕著であり、これもまた、2作品の更なる共通点でもあります。

 『太陽はひとりぼっち』では、主人公Piero(ピエロ)が、同僚の女性職員が退勤するシーンで、

>残業が嫌になったのか、135センチのデブとデートか。
とか、

 女性とデートするときも、じろじろと無神経に彼女の髪を観ながら、

>ピエロ
「染めたのか?前はブロンドだった。」
>女性
「これが本当よ。」
>ピエロ
「行けよ。僕は残る。」

など、酷い言動をしています。

 また、『プレステージ』でのPierre(ピエール)の無神経な言動も尋常ではありません。彼は妻となったエドヴィージュの妊娠に対して、何と出産の予定月日を早めることを促すのです。

 これらのハラスメント的な言動は、その落ち着きのない行動とともに両作品のアラン・ドロンが演じた主人公の強烈な個性であり共通点ですから、やはり、ここでもPiero(ピエロ)とPierre(ピエール)が、私には同一人物だとしか思えないのです。

 そんな主人公の辿っていった顛末はどのようなものだったでしょうか?
 まず、『太陽はひとりぼっち』では、ラスト・シークエンスでの主人公Piero(ピエロ)の様子に、それが集約されています。

【ドロンは電話の受話器をはずしてデートに邪魔が入らないようにしており、受話器を戻したあとも、電話が鳴っても出ずにじっとしている。それは、仕事に忙殺されてきた男の初めての人間性の芽生えのようであるが、同時にそれまでもっていた唯一のコミュニケーション手段ももはや信じられなくなった、孤独の確認、と言っていいのかもかもしれない。】
【引用~『アントニオーニの誘惑―事物と女たち』石原郁子著、筑摩書房、1992年】

アントニオーニの誘惑―事物と女たち

石原 郁子 / 筑摩書房



 更に、『プレステージ』では、主人公Pierre(ピエール)の人間性の欠如の顛末として、結局はその末路を死によって表現せざるを得なかったのではないか、と私は考えました。この作品での死の表現は、彼が出演してきた多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」での「死の美学」とは全く異なるものとなっています。つまり、アラン・ドロンは、死を美学としてきた過去の作品のテーマを否定的に総括し、彼の実生活とも重ねることができるそのビジネス・ライクが、虚無(ニヒリズム)であることを表現せざるを得なかったと私は考えてしまったのです。
 これは、この時期のアラン・ドロンのプライヴェート生活の中で、彼自身が実業家であることの矛盾にまで斬りこまれる深刻なテーマだったかもしれません。

 そして、この作品の7年後、アラン・ドロンは、『太陽はひとりぼっち』から23年後の1984年に、『Notre histoire(真夜中のミラージュ)』で、妻の不貞に苦悩する夫、夫としての許容を超えた実業家を演じます(【『Notre histoire(真夜中のミラージュ)』③~愛の再生・復活その3 セザール賞主演男優賞受賞~】の記事参照)
 ここでは、デビュー当時は「シネマ・ヴェリテ(映画=真実)」作品の騎手としてセンセーショナルな活躍をしてきた巨匠、ベルトラン・ブリエ監督のもと、実業家・ビジネスマンの立場で、夫としての限界状況を超越し夫婦愛を再生させる主人公のロベール・アヴロンシュを演じて新たな境地を拓くのです。

【>ベルトラン・ブリエの『真夜中のミラージュ』では笑わそうとする意志が感じられましたね、それが一番の狙いではないにしろ。
>アラン・ドロン
ブリエの現場は本当に素晴らしかったね。ロージー以来、私はブリエのような人を待っていたんだ。他の監督たちに侮蔑的に聞こえて欲しくはないけどね。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18 「回想するアラン・ドロン:その6(インタヴュー和訳)」

 更に6年後、『プレステージ』から13年後、『太陽はひとりぼっち』から29年後の1990年に、彼は、とうとう「ヌーヴェル・ヴァーグ」の巨匠、ジャン・リュック・ゴダール監督のもと、『ヌーヴェルヴァーグ』に辿り着くことになります。この作品でのアラン・ドロンは、愛憎絡み合う恋人の手をしっかりと握りしめ、やはり愛を再生させる実業家リシャール・レノックスを演じました(【『ヌーヴェルヴァーグ』④~愛の再生・復活その1 現代思想の実践~】の記事参照)
 しかも、この作品でのジャン・リュック・ゴダール監督は、明らかにアラン・ドロンの過去の作品『太陽はひとりぼっち』を意識してアラン・ドロンに主人公を演じさせているのです。これは凄いことです。

【>アラン・ドロンの出た『ヌーヴェルヴァーグ』を撮った時、本当にドロンと一緒に仕事をしたいと思ったのですか?
>ジャン・リュック・ゴダール
そうだ。それはまた、彼の年齢と物腰を思えば、彼が『パリの灯は遠く』や『若者のすべて』や『太陽はひとりぼっち』で見せた何かを再び見たいという欲望でもあったんだ。彼は3本の優れた映画を生みだした。それほど多い数ではないが、それだけあれば充分だ・・・・。】
【『現代思想 総特集 ゴダールの神話』(「映画はその役割を果たす術を知らなかった/リュミエール100年にあたってのインタビュー」ジャン・ピエール・ラヴォワニャ、細川晋 訳)青土社、1995年10月臨時増刊】

ゴダールの神話

青土社



 アラン・ドロンが、この2作品で演じた主人公は、『太陽はひとりぼっち』や『プレステージ』と同様にビジネスマンや実業家なのですが、描かれているテーマや結末は全く異なったものとなりました。
 1961年に『太陽はひとりぼっち』のラスト・シークエンスで、孤独である自分に気がつくことができたPiero(ピエロ)は、1977年に『プレステージ』でのPierre(ピエール)の死による結末を経たからこそ、『Notre histoire(真夜中のミラージュ)』(1984年)でのロベール・アヴロンシュと『ヌーヴェルヴァーグ』(1990年)のリシャール・レノックスによる「愛の再生・復活」のテーマに結実することができたのでしょう。

 彼は、「フレンチ・フィルム・ノワール」の傑作『殺られる』(1959年)やハリウッドでも評価が高かった『Mr.レディMr.マダム』(1978年)などの傑作を撮った名匠エドゥアール・モリナロの演出のもとで、現代人の人間性の欠陥、特に女性への蔑視を死滅させ、人間性の価値を再生・復活させるための人間表現の新たな一歩を踏み出すことができるようになったとも考えられます。
 『プレステージ』での死の結末は、『太陽はひとりぼっち』から出発した現代ビジネスの虚無(ニヒリズム)との闘いの結末として、それを死滅に至らしめるための人間表現であり、アラン・ドロンにとっては絶対に必要なものだったのではないでしょうか?

※ エドゥアール・モリナロ監督については、こちらに素晴らしい記事があります。koukinobaabaさんの「Audio-Visual Trivia」の記事「エドゥアール・モリナロ Edouard Molinaro」です。

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 彼は、このような死を表現することができたことによって、ようやく新たな生、すなわち、ホワイトカラー層としての充実や展望、現代のビジネス・マンや実業家の辿り着くべく理想像の確立に立ち向うことができるようになったのだとすると、この『プレステージ』は、その出演作品の中でも、たいへん重要な位置に存在する決して忘れてはならない貴重な作品であると私には思えてくるのです。
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by Tom5k | 2015-02-01 17:38 | プレステージ | Trackback | Comments(0)

『学生たちの道』~「アラン・ドロン」の原型 家族と職業を失う「フレンチ・フィルム・ノワール」前時代~

 ミッシェル・ボワロン監督は、アラン・ドロンの主演第1作品『お嬢さんお手やわらかに』(1958年)に引き続き、1959年、再度、この『学生たちの道』で彼を起用しました。
 『お嬢さんお手やわらかに』は、アラン・ドロンをミレーヌ・ドモンジョ、パスカル・プティ、ジャクリーヌ・ササールなどのアイドル女優と共演させ、監督自らのシナリオによる華やかな演出により世界中でヒットし話題となった作品でした。
 さすが、ミッシェル・ボワロン監督は、この2作品によって、その共演者と共にアラン・ドロンをしっかりとアイドル路線で売り出すことに成功しました。

 そして、アラン・ドロンとしては、主演第3作品目。
 ロミー・シュナイダーと共演したピエール・ガスパール・ユイ監督の『恋ひとすじに』(1958年)で共演していたジャン・クロード・ブリアリと再びコンビを組み、当時のフランス映画界で、絶大な人気を誇っていたフランソワ・アルヌールと共演したのが、この『学生たちの道』なのです。
 この作品は、アラン・ドロンにとっても非常に重要な位置を占める作品だと、わたしは思っています。

 実際のところ、彼が1960年代後半から70年代の人気絶頂期を迎えていった作品の土台となっているのは、渡米して撮った『黄色いロールスロイス』(1964年)から『テキサス』(1966年)などの前に、フランスやイタリアなどのヨーロッパで撮った作品です。
 それらは、『太陽がいっぱい』(1959年)をはじめ、『太陽はひとりぼっち』(1961年)、『山猫』(1962年)、『地下室のメロディー』(1962年)、『黒いチューリップ』(1963年)などであり、そこには大スターとしての「アラン・ドロン」の必須要素が確かに存在していると思うのですが、『恋ひとすじに』やこの『学生たちの道』など、『太陽がいっぱい』を撮るより前の駆け出しの時代のアラン・ドロンが出演した作品に、それらの土台における原型とも言えるものが隠れていると、わたしは思っているのです。


 ところで、ハリウッド作品、フランス作品に限らず、「フィルム・ノワール」の登場人物たちにおいては、常に屈折した父性の在り方などを主軸に展開していく手法を採った作品が多く、その典型的な作品として、ビリー・ワイルダーが監督し、彼とレイモンド・チャンドラーが脚色した『深夜の告白』(1944年)があります。
 次の引用は『深夜の告白』に関する書評の一部です。

【この映画の構図を決めている象徴領域と想像領域の間の亀裂は、キイズという人物において体現され、したがって、キイズは権威的な父親と、寛容な理想化された父親との、両方の役割を演じなければならない。映画の物語を解決と終結へと導いていくのは、キイズのような人間なのだ。権威的な父親として、キイズは法を代表しなければならず、ネフを警察に引き渡さねばならない。だが、理想化された父親としては、ナルシステイックにネフと互いに同化するという、抑圧されたホモセクシャリティの側面も残される。】
【引用~『フィルム・ノワールの女たち~性的支配をめぐる争闘』E・アン・カプラン著、水田宗子訳、田畑書店】

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 このような父性をテーマとして描いた作品は、「アラン・ドロン」の人気全盛期を形成した「フレンチ・フィルム・ノワール」作品へも影響を与えていると考えられますが、
ジャン・クロード・ブリアリが演ずるアントワーヌの友人ポールと闇取引の元締めを商売にしているリノ・ヴァンチュラが演ずる父チェルスラン、
アラン・ドロンが演ずる主人公の高校生アントワーヌとブールヴィルが演ずる善良で真面目な小市民の父ミショー
のそれぞれ2組の父と息子の関係が、既にこの『学生たちの道』で大きなテーマとされています。
 ここは非常に重要です。後年の「アラン・ドロン」のアクターとしてのオリジナルが、既にここで確実に存在しているからです。

 すなわち、『地下室のメロディー』や『暗黒街のふたり』(1973年)で共演したジャン・ギャバン、『山猫』や『スコルピオ』(1973年)で共演したバート・ランカスターに父性を求め、そして更に、『ビッグ・ガン』(1972年)、『アラン・ドロンのゾロ』(1974年)、『ル・ジタン』(1975年)、『ブーメランのように』(1976年)など、自らがその父性を表現していくことになった生々しい原型製法が、この『学生たちの道』で、ミッシェル・ボワロン監督の演出によって行われたように思うからです。

 つまり、主人公アントワーヌとポールとの友情、ポールと父チェルスランとの確執、ポールの影響を受け、シャンパンの闇取引に手を出し、父ミショーの期待を裏切ってしまうアントワーヌの父子関係などは、「フレンチ・フィルム・ノワール」での「男同士の友情と裏切り」などのテーマとなる潜在的要素の源流となっていると、わたしは考えているのです。

 アラン・ドロンにとって、ピエール・モンディが演ずる偽のゲシュタボを使ったプロットなども含めたそれらの要素は、『地下室のメロディー』や『泥棒を消せ』(1964年)でその端緒が発現し、『さらば友よ』(1968年)から開花していくのですが、その後、『ジェフ』(1968年)、『シシリアン』(1969年)、『ボルサリーノ』(1969年)、『仁義』(1970年)、『リスボン特急』(1972年)、『ル・ジタン』、『友よ静かに死ね』(1977年)などで中心的役割を担っていくギャング集団の生態、その彼らの大仕事と男同士の友情を作品の主軸、テーマとしていくことへと拡がっていったと考えています。

 思えば、この『学生たちの道』には、「フレンチ・フィルム・ノワール」に潜在されている父性と男同士の友情が健康的に描写されている古き良き時代を描いた作品であり、無垢で純情な好青年を演じるアラン・ドロンが、その可能性を開花するための多くの要素を学んだ作品だったのかもしれません。


 また、彼が得意としていった悲恋の「メロドラマ」の原型も現れており、ここでのフランソワーズ・アルヌールとの恋愛関係においては、後年『帰らざる夜明け』(1971年)や『燃えつきた納屋』(1973年)のシモーヌ・シニョレ、そして、『個人生活』(1974年)のジャンヌ・モローとの共演の下地になるものだったとも考えられます。

 『恋ひとすじに』での男爵夫人レナを演じたミシェル・プレールとの関係は、「メロドラマ」のクラシック作品として不倫関係を描いており、その映画的表現は標準的な形式・スタイルを超えるものではなかったように思っています。
 しかし、この『学生たちの道』でのポールの恋人フランソワーズ・アルヌールが演じた恋人のイベットには既に子どもが存在しています。高校生が付き合う相手の設定としては、かなり矛盾をはらんだ恋愛関係をプロットとし、その現代女性を演じさせているのは当時人気全盛期のフランソワーズ・アルヌールでした。
 年上の美しいイヴェットとティーン・エージのアントワーヌとの純粋な恋愛関係は、現代社会の複雑な感性へと更に一歩進めた形態で描写されているものとなっています。

 これは、ミシェル・ボワロン監督にとっても、思春期を終えたばかりのティーンエイジャーと年上の美しい女性の恋愛を描き、ナタリー・ドロンとルノ・ヴェルレーが共演して大ヒットした『個人教授』(1968年)に繋がる原型だったとも考えられます。

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 この『学生たちの道』は、アラン・ドロンのアイドル時代の総括的作品であり、彼はその後、ルネ・クレマン監督のリアリズム描写に邂逅し、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督やクリスチャン・ジャック監督のフランス映画の伝統的「詩(心理)的レアリスム」に巡り会い、単なるアイドルではなく、ヨーロッパを代表するトップ・スターへと成長していくのです。

 この辺りで、アラン・ドロンは、ルキノ・ヴィスコンティ監督やミケランジェロ・アントニオーニ監督の「ネオ・リアリズモ」の後期作品を経て、『生きる歓び』(1961年)や『危険がいっぱい』(1962年)、『地下室のメロディー』など、ルネ・クレマン監督の演出やジャン・ギャバンとの共演などによって、リアルな「アラン・ドロン」キャラクターを本質まで掘り下げられ、アイドル路線を脱皮していくのですが、それに甘んじることなく、失敗作が多かったとはいえ、渡米したハリウッドでの「スターシステム」を貪欲に吸収して、後年の「フレンチ・フィルム・ノワール」での「アラン・ドロン」に接近しくわけです。

 それにしても、後年、リノ・ヴァンチュラは『シシリアン』、ブールヴィルは『仁義』で、アラン・ドロンを追う刑事になり、典型的な「フレンチ・フィルム・ノワール」作品で共演することになろうとは、この作品を撮った頃には誰も想像していなかったでしょう。不思議な因縁を感じてしまいます。

【キイズは権威的な父親と、寛容な理想化された父親との、両方の役割を演じなければならない。映画の物語を解決と終結へと導いていくのは、キイズのような人間なのだ。権威的な父親として、キイズは法を代表しなければならず、ネフを警察に引き渡さねばならない。だが、理想化された父親としては、ナルシステイックにネフと互いに同化するという、抑圧されたホモセクシャリティの側面も残される。】
【引用~『フィルム・ノワールの女たち~性的支配をめぐる争闘』E・アン・カプラン著、水田宗子訳、田畑書店】

 わたしには、この作品の二人の父親が、アラン・ドロンにとって、先に引用したE・アン・カプランの言う「理想化された父親」と「権威的な父親」を、ともに演じていくことになったと思えてならないのです。

 アラン・ドロンは、『学生たちの道』で演じた主人公アントワーヌから、暖かい小市民的な家庭が少しずつ奪われていった結果、悲恋の主人公となることも含めて、ギャングや殺し屋、社会から逸脱した犯罪者、アウトローとしてのヒーローとなり、二人の父親に追われる悲劇を背負ってしまったように見えてしまいます。


 多くの大衆に受け入れられる「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スター「アラン・ドロン」のキャラクターは、この朴訥なアントワーヌから、全てを奪い去ったときに形成されていったと考えることができるのではないでしょうか?
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by Tom5k | 2011-12-30 03:00 | 学生たちの道 | Trackback(3) | Comments(6)