『高校教師』①~アラン・ドロン本人が選んだベスト5作品の一本①~

 小学生の頃にアラン・ドロンのファンとなった私には、この作品をどう理解すればいいのかわかりませんでした。
 想えば、未成年のラブロマンスや性の問題を伴う恋愛を描いた作品は、ヨーロッパには特に多かったように思います。
 映画史的な意味での名作品群においては、戦地から帰還したPTSD を抱えた中年男性と美しい少女との純愛を描いた『シベールの日曜日』(1962年)、思春期の少年・少女を描いた『トリュフォーの思春期』(1976年)、そして、青春映画の体系に位置する作品群においても、高校生が年上の女性に恋の手ほどきを受ける『個人教授』(1968年)や『青い体験』(1973年)などが印象的でした。

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 西欧のハイティーンは、日本人が理解できないような早熟な感性を持つ、いわゆる「大人」だったのでしょうか?
 私は、そうとも言えないと思っています。例えば、日本のテレビ・ドラマでさえ、岡崎友紀、石立鉄男主演の『おくさまは18才』(1970~1971年)、映画では、関根恵子主演の『おさな妻』(1970年)や藤田敏八監督、秋吉久美子主演の『バージンブルース』(1974年)などで直接的・間接的に、それは描かれていましたから、大人か否かは国柄の問題ではなく、個々人の問題だと私は考えます。

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 いずれにしても、これらの作品の本質的な意味での理解は、小学生の私には無理でした。それでも、高学年にもなれば、そういった好奇心は人並みには持つようになっていました。
 中・高校生になったときには、中学生の妊娠・出産をテーマにした『3年B 組金八先生』第1シリーズ(1979~1980年)、私は既に社会人になっていましたが、教師と生徒の恋愛、同性愛、強姦、近親相姦、自殺などを実に暗鬱な表現で扱っていた『高校教師』(1993年)などが、若い人たちの間では高視聴率のテレビドラマでした。

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 そして、中学生の時代になっても、周囲に早熟なクラスメートに囲まれながら、テレビ放映で観たアラン・ドロンの出演していた『栗色のマッドレー』(1970年)や『個人生活』(1974年)、この『高校教師』(1972年)のような恋愛そのものをテーマにしたいわゆる「メロドラマ」を、私は本質的には理解できてはいなかったと思います。それを理解できるようになるのは高校生、大学生になってからだったでしょうか?

 このような私にとってセンセーションな体験であったのは、18才のときに読んだ森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』でした。恋愛をテーマにしているわけでもなく、いわゆるポルノグラフィのように性的興奮を起こさせることを目的にしているものではなく、つまり、文学的課題そのものにセックスのテーマを用いていることが不思議でならなかったですし、性愛ではなく、自らの性欲の遍歴そのものを小説として発表していることに驚かされてしまったのです。

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 そして、50歳を超えてしまった現在、この『高校教師』を観て、私がひとつ思ってしまうことがあります。アラン・ドロンが演じている主人公、ダニエレ・ドミニチという教師の不良性向です・・・現在の日本では青少年保護育成条例に抵触する可能性も高く、少なくても公立高等学校であれば文部科学省や各都道府県教育委員会などにおいて、即時、職員のワイセツ行為として免職発令されてしまうような行為を扱っている内容に否定的な感想を持ってしまうのです。
 ここに至って、私は何とつまらない良識に因われているのだろうかと、ひどい自己嫌悪に襲われます。映画や文学の本質を全く理解できない、あまりにも良識的なつまらない自分に突然うんざりしてしまうのです。

 そもそも、映画や文学が健康的で健全なテーマを扱う作品ばかりであれば、映画館に足を向ける気持ちなど、ほとんど起こせませんし、DVDを観ることも読書をする気持ちも無くしてしまうのではないでしょうか。

 逆に、憎悪、怒り、裏切り、背徳、渇望、コンプレックス、エゴイズム、嫉妬、虚無感、反抗、反逆、犯罪、ドラックや殺人、孤独・・・人間の負の行為や感情、法律や良識・良俗に反する不快で不調和な人間社会などを描いた作品であれあるほど、それが観る側のモチベーション、動機として、最も惹きつけられる魅力的な要素になると考えることもできるわけです。

 私は何故、アラン・ドロンのファンであるのか?彼のファンであることの心理はどこにあるのか?
 彼がデビューしてから、『高校教師』に出演するまでの作品を挙げても、酷く歪んだ人格破綻者のキャラクターが非常に多く、むしろ、それらがアラン・ドロンの本質的な魅力のひとつになっているようにまで思うのです。

『太陽がいっぱい』(1959年)では、友人への劣等感や嫉妬心から殺害事件を犯し、彼の恋人と遺産を奪い取る犯罪者。

『太陽はひとりぼっち』(1961年)では、他人の孤独や苦悩を想像できず、自らの道義的な倫理観を全く自覚することができなくなってしまったな欠陥人間。

『世にも怪奇な物語』(1967年)では、自分より弱い人間をいたぶることにしか興味のないサディスト。

『あの胸にもういちど』(1967年)では、人妻をたぶらかす背徳の大学教授。

『太陽は知っている』(1968年)では、旧友との確執から殺人まで犯し、警察には最後までしらを切り完全犯罪を履行します。しかも、この作品でアラン・ドロン本人が選んだ共演者が、過去に結婚の約束までしていたにも関わらず、一方的に婚約破棄をしてしまったロミー・シュナイダーだったのです。

『レッド・サン』(1971年)では、仲間を平然と裏切る自分の欲得しか考えない西部の悪漢。

『リスボン特急』(1972年)では、大切な友人の妻と愛人関係を持ち、部下や協力者に平気で暴力を振るう権力の権化である冷徹な警察官。

・・・等々。

 これらの不道徳や不倫理こそ、アラン・ドロンの最大の魅力ではなかったのか、とあらためて省みるわけです。
 ともかく、この『高校教師』は、彼にとっては、かなりの野心作であり、公開当時の日本のファン、特に女性ファンの間で評判が高かった作品と言われています。

 ところで、2007年10月8日に関西テレビ・フジテレビ系列で放映された、当時のジャニーズ事務所所属の人気タレント・グループ 「SMAP(スマップ)」がレギュラー出演していたバラエティ番組『SMAP×SMAP 秋の超豪華 アラン・ドロンも来ちゃいましたスペシャル!!!』の『BISTRO SMAP』に出演した際に、自分の主演した作品のベスト5として、『太陽がいっぱい』、『太陽が知っている』、『山猫』(1962年)、『暗黒街のふたり』(1973年)とともに『高校教師』を挙げていました。
 これらは、それぞれ自分の人生で大切だった人達と共演し、または演出した作品への出演作です。

 『太陽がいっぱい』は、師匠ともいえるルネ・クレマン監督の演出や友人モーリス・ロネとの共演、アンリ・ドカエが撮影した彼の出世作です。番組の出演中に「素晴らしい映画だ」、「「太陽がいっぱい」は世界中でヒットした」と強調していたアラン・ドロンでしたが、この作品が映画史的な意味での評価にまで至っていないことを十分にわかっている上で、敢えて強い想いを伝えようとしていたコメントのように私には感じられました。

 『太陽が知っている』は、マルコビッチ殺害事件で任意調査の対象とまでされていた時期の作品でした。盟友ジャック・ドレー監督との初コンビ、若い頃の婚約者ロミー・シュナイダー、親友モーリス・ロネとの共演作品です。

 『山猫』は、敬愛するバート・ランカスターとの初共演、そして、最も大きな影響を受けた師匠ルキノ・ヴィスコンティ監督と撮った最後の作品です。

 『暗黒街のふたり』は、バート・ランカスターとともに彼が最も敬愛していたジャン・ギャバンと最後に共演した作品でもあり、盟友ジョゼ・ジョヴァンニ監督での初出演の作品です。『地下室のメロディー』(1962年)や『シシリアン』(1969年)は、アンリ・ヴェルヌイユ監督のもとでジャン・ギャバン一家としての出演作品でしたが、『暗黒街のふたり』はアデル・プロダクションの作品です。つまり、ようやく自分の土俵でジャン・ギャバンと対等に共演できたと、アラン・ドロンが考えたとしてもおかしくはなかったでしょう。
 しかしながら、ジャン・ギャバンは、『現金に手を出すな』(1954年)で大切な子弟、『ヘッドライト』(1956年)で年下の若い恋人、人生における最も大切な者の死を哀愁にまで高める名演が十八番のスター俳優でした。『暗黒街のふたり』でも過去の代表作品と同様、誤って犯罪を犯してしまう悲劇的な主人公の死に立ち会う保護司のキャラクターを好演したことを鑑みれば、結局はジャン・ギャバンの独壇場・・・残念ながら役者としては一枚も二枚も彼の方が上手であったように私は感じています。

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 それにしても、アラン・ドロンは、1977年の来日のときには、2007年の来日のときは異なり、自分の気に入った作品として、『太陽がいっぱい』、『若者のすべて』(1960年)だけを挙げていました。
【>いちばん好きなドロン主演作は
>しいていえば「太陽がいっぱい」と「若者のすべて」】
【「スターランドデラックスVOL4 アラン・ドロン(P48~49独占インタビュー)」徳間書店、1977年】

 また、1983年の来日のときは、人生での5人の大切な監督との出会いとして、ルキノ・ヴィスコンティ、ルネ・クレマン、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジョセフ・ロージー、ジャン・ピエール・メルヴィルを挙げていたにも関わらず、

【>宮崎総子
今までいろんな監督と出会っていると思いますけどね。ヴィスコンティさんとか。本当に世界で一流の。どなたからたくさん影響を受けていらっしゃいますか。
>アラン・ドロン
私の人生では5人の大切な大監督が挙げられます。最も影響を与えてくれた人々はビスコンティ、ルネクレマン、アントニーオーニー、ローゼ、メルヴィル。私の人生のいろいろな時期にこうした人たちから影響を受けました。】
【「モーニングジャンボ奥さま8時半です』「総子がせまる!いい男コーナー たまらなく男ざかり!アラン・ドロン」インタビュー:宮崎総子、1983年11月8日:毎日放送】


 1996年の「カイエ・デュ・シネマ」のインタビューでは、ミケランジェロ・アントニオーニとは偶然の出会いだったとして、自身の俳優としての基礎、キャリアの構築に重要だった監督には敢えて入れていません。

【>ベルトラン・ブリエの『真夜中のミラージュ』では笑わそうとする意志が感じられましたね、それが一番の狙いではないにしろ。
>ブリエの現場は本当に素晴らしかったね。ロージー以来、私はブリエのような人を待っていたんだ。他の監督たちに侮蔑的に聞こえて欲しくはないけどね。でも私にはヴィスコンティ、クレマンがいて、アントニオーニは偶然だがね・・・

>アントニオーニはモニカ・ヴィッティにより関心が向いていたと思いますが。
>ヴィッティは彼の奥さんだったからね。私は奥さんの相手役だった訳だ。私の代わりにマストロヤンニでも良かっただろう。ヴィスコンティ、クレマン、メルヴィルにロージー:私のキャリアは正にそれだよ。その後にもいくつかの出逢いはあった:1964年のアラン・カヴァリエ(さすらいの狼)、ブリエにレネ・マンゾールの「デーモン・ワールド」のような監督第一回作品もあったね。ベルニュイユやドレー監督と撮った10本も映画も否定するつもりは全くないよ。どの作品も収めるべき場所があるんだ。ヴィスコンティがこう言ってた:「キャリアを築くのは、建築のようなものだ、基礎工事が肝心だとね。」私の基礎は、ヴィスコンティ、クレマン、メルヴィルにロージーだね。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18
「回想するアラン・ドロン:その6」(インタヴュー和訳)」


 このようにアラン・ドロンは、自分の気に入った作品や俳優のキャリアで重要であった監督に限っては、自身の年齢・経験値、インタビューの場に応じたりしながら、それぞれ異なる発言をしてきたように思います。

【<『高校教師』①~アラン・ドロン本人が選んだベスト5作品の一本②~>に続く】
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# by Tom5k | 2016-11-11 20:19 | 高校教師(2) | Trackback(1) | Comments(0)

『チェイサー』③~実業家「アラン・ドロン」、そのヒーロー像~

 『プレステージ』(1977年)を観た後、実業家・ビジネスマンである主人公を演じた当時のアラン・ドロンをもっと深く掘り下げたくなって、『ブーメランのように』(1976年)にこだわってしまったのですが、私には、以前から、『ブーメランのように』を鑑賞するたびに、この作品と必ず比較してしまう作品があります。
 それは、1978年11月、私が高校生の頃に公開された『チェイサー』です。

 その習慣は現在でも続いており、先般、『ブーメランのように』を観た後にも、やはり『チェイサー』を観てしまいました。私は、どうしてもこの2作品を無意識に、いや意識的に?比較してしまうのです。

 この2作品の「アラン・ドロン」の演ずる主人公の設定は言うまでもなく異なったものなのですが、実は非常によく似ており、その外観、特にその表情が似ているように思うのです。
 私は、『ブーメランのように』のジャック・バトキンと『チェイサー』のグザヴィエ・マーシャルを同一主人公にした実業家「アラン・ドロン」シリーズにしたら面白かっただろうと考えてしまいます。

 想えば、『ブーメランのように』が公開されるまでの彼の出演作品での「アラン・ドロン」キャラクターは、あまりにも強烈な個性によって表現されていた作品ばかりだったような気がします。
 だからこそ、『ブーメランのように』と『チェイサー』のような普段通リの素顔で演技している様相の2作品が、私にとっては際立ってしまう印象になったのかもしれません。

 残念ながら、日本でのアラン・ドロンの人気が低迷してしまったのもこの頃でした。作品としては素晴らしいものばかりですから、本当に悔しく思います。

 1975年2月に公開された『ボルサリーノ2』ですが、これは確かに「アラン・ドロン」らしく、クールで友情に篤い主人公でしたが、人気全盛期の最も彼らしい孤独なアウトサイダーの役柄からは、遠ざかっていた作品だったように感じます。信頼できる部下に囲まれ、素晴らしい恋人を背景に設定した物語ですが、マフィアのボスとして彼らを同行させてアメリカに渡航するラスト・シークエンスは、従来から彼が得意としていた孤独なアンチ・ヒーロー的な在り方ではありませんでした。

 1975年4月に公開された『愛人関係』は、恋人ミレーユ・ダルクを主演にして、自らは助演に徹した作品でしたし、ナルシストのアラン・ドロンが本気で恋人を愛してしまいます。少なくても、「アラン・ドロン」に夢中だった女性ファンを失望させてしまう設定でした。私は好きな作品ですが・・・。

 1975年7月に公開された『アラン・ドロンのゾロ』は、彼が原点に回帰し時代劇のコスチュームで仮面の騎士を演じました。たいへん素晴らしく、若い頃の「アラン・ドロン」であるならば、これこそ新たな剣戟のヒーロー誕生とまで言いたくなるような作品だったと思いますが、1970年代当時の映画のトレンドからも、40歳に差し掛かったダンディーなヨーロピアン・スタイルのいわゆる「アラン・ドロン」キャラクターからも、かなりかけ離れた作品になってしまいました。

 1975年11月に公開された『フリック・ストーリー』は、彼がそれまでほとんど演じたことのなかった刑事役でした。非常に魅力的な役柄ではあったのですが、やはり従来の「アラン・ドロン」らしからぬ主人公でした。
 この作品の実在の主人公ロジェ・ボル二ッシュ刑事は、アラン・ドロンが過去に演じた『リスボン特急』でのアウトサイダーの刑事とは異なり、スーパー・デカの異名を持ちながらも警察組織の仕事に埋没し日常的な業務遂行の状況を上司に点検され、その叱責や指導を受けている国家公務員としての警察官だったのです。

 1976年4月に公開された『ル・ジタン』ですが、何と彼が演じた主人公は、ロマ族出身の犯罪者です。甘いマスクで多くの女性を魅了したダンディズムの極致としての「アラン・ドロン」の面影は存在しませんでした。
 しかし、ここでの「アラン・ドロン」は髭を生やし痩せこけ、髪の毛は乱れたままの姿で出演し、新しく素晴らしいアンチ・ヒーローのキャラクターを創造できたように思います。
 ですから、人気の持続する安定した「アラン・ドロン」像の確立まで至れなかったことが、悔しくてならないのです。

 もしかしたら、1970年台半ばから、このように器用貧乏とまで言えるような多種多様な役柄を演じていた彼は、新しい「アラン・ドロン」像を創出することにかなり焦っていたのかもしれません?
 どの作品も、まぎれもなく「アラン・ドロン」でありながら、「アラン・ドロン」ではないように感じる作品ばかりです。それぞれ、素晴らしく新境地を拓くような野心作ばかりでしたが、どれも「アラン・ドロン」新時代を築く決定打には、もう一歩足りていなかったように思います。

 また、1976年12月に『ブーメランのように』が公開された後の1978年11月に『チェイサー』が公開されるまでの間の2作品も、「アラン・ドロン」が演じた主人公としては、あまりにも強烈な個性で、かつ「アラン・ドロン」らしからぬ役柄でした。

 1977年4月公開の『友よ静かに死ね』は、私にとっては本当に面白い作品でしたし、映画作品としても素敵な逸品だと思っていますが、実在したギャング団のボスであった主人公のロベール・ルートレルは、これはもう、いわゆる「アラン・ドロン」ではありません。キャラクターも髪型も言わずもがなでしょう。

 1977年9月公開の『パリの灯は遠く』は、当時の観客動員数、商業性は別として、映画としての歴史的傑作であり、『太陽がいっぱい』、『若者のすべて』、『サムライ』などと同様に、「アラン・ドロン」の代表的作品であることは今更言うまでもないことです。
 しかし、ジョセフ・ロージー監督の演出での陰鬱な設定に加えて、「アラン・ドロン」もいわゆるスター性のあるヒーローからは程遠く、「もう、アラン・ドロンは、二枚目をやめた」とまで評された作品でした。

 このように、この時期の彼の作品は、残念ながら、『太陽がいっぱい』や『サムライ』を創作したときのように映画スター「アラン・ドロン」として、多くのファンに受け入れられる新時代のスター・キャラクターを創出することはできませんでした。
 ジョセフ・ロージー監督との大傑作『パリの灯は遠く』でさえも、その後の彼のスター性には大きく影響を与えるまでには至らなかったのです。

 そのように考えたとき、彼が『サムライ』でのジェフ・コステロの役づくりについて、カイエ・デュ・シネマ誌のインタビューを受け非常に興味深い回答をしています。
【>詳細一つ一つ、監督とあなたが話し合われたのでしょうか?
>アラン・ドロン
話もしたが、私はすぐに理解していた。才能と言うのは、カメレオン役者でもあることだ、自分が依頼されたことなら、(役柄の)色合い、調子を変えられることだと思う。それは当然のことじゃないかな。努力する訳じゃない、それは感じるものだからね。そうした事を理解して、自分に取り込めるのは職業的知性なんだ。でも賞賛して欲しいわけじゃない、独りでに湧いてくるものだからだ。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/11
「回想するアラン・ドロン:その5」(インタヴュー和訳)」


 また、彼の「アラン・ドロン」としての代表作品のひとつである『高校教師』については、次のように語っています。
【>『高校教師』では、いつも同じコート、丸首のセーターを着ていて、無精ひげ姿です。スターのあなたがこうした壊れたような人物を演じるのは賭けではないのでしょうか?
>アラン・ドロン
毎回、私がこうした賭けをやると、大抵理解されないんだ。別の役者なら違うのだろうが、私はダメなんだね。批評家たちは年がら年中こうだ:ドロンはいつも同じ事をやってる、軽機関銃を持った映画だけだ・・・あらゆる観客たちのために私くらい多種多様な映画をやってきた者はいないと思うんだがね。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/26
「回想するアラン・ドロン:その9」(インタヴュー和訳)」


「才能と言うのは、カメレオン役者でもあることだ、自分が依頼されたことなら、(役柄の)色合い、調子を変えられることだと思う。・・・そうした事を理解して、自分に取り込めるのは職業的知性なんだ。」
「あらゆる観客たちのために私くらい多種多様な映画をやってきた者はいない・・・」

 この言動は、この時期の彼の作品にも非常に良く当てはまるような気がします。『サムライ』と『高校教師』の成功が、1970年代半ば、このような極端な役づくりに彼を走らせてしまった遠因のひとつだったのでしょうか?
 もちろん、それが間違いだったとは全く思いませんし、私はむしろ、それこそ素晴らしい職業的気質だと思ってしまうのですが、あまりにも器用な役づくりは、劇中人物の個性をうまく表現できる性格俳優としての資質に必要な要件ではあるものの、華やかな銀幕のスターとして必要とされる資質ではありません。

 オールバックの戦前のマフィアのボス、愛する女性へ献身を捧げる弁護士、仮面を付けた正義の剣士、国家公務員の刑事、髭を生やしたロマ族の放浪の犯罪者、カーリーヘアの戦前のギャング団のボス、ユダヤ人の魅力に取り憑かれた美術商人の異常性・・・。 

 もしかしたら、これらの一貫性の無い「アラン・ドロン」キャラクターの混乱が、日本での人気を低迷させていく原因のひとつになったのかもしれません。

 さて、このように考えると、1970年台半ばに演じていた強烈な個性の主人公のなかでも、取り分け『ブーメランのように』と『チェイサー』、そして1979年5月公開の『プレステージ』の3作品で演じた主人公は、自らの私生活を背景にして素顔の「アラン・ドロン」に最も接近したものだったように思えます。
 特に、『ブーメランのように』と『チェイサー』は、いわゆる「フレンチ・フィルム・ノワール」という同じ体系に在るのですから、、安定した「アラン・ドロン」らしいヒーロー像を復活させるに足りますし、そうなり得る作品だったはずだと考えてしまいます。どうしても、私は、この2作品が彼のスターとしての起死回生の作品になって欲しかったと今だに強く思っており、こだわり続けているのです。

 当時の「アラン・ドロン」は、もう既にその生き方自体が、十分にドラマティックだったわけですから、俳優としての職業的知性によってあらゆる観客たちのために多種多様な映画を撮り続けるよりも、等身大で自然な生活感覚からヒーロー像を創出することを選択する方が、銀幕スターとしての魅力を最大限に発揮することが可能だったような気がします。

 そして、この2作品には、共通の「アラン・ドロン」らしい素晴らしさも数多く盛り込まれています。
 「アラン・ドロン」の私生活と同様に、主人公が事業の成功者、実業家であって、最も得意とする「フレンチ・フィルム・ノワール」体系の作品でもあります。主人公が愛する者、大切にしている者のために戦う孤独で格好良い「ヒーロー」であり、作品のテーマも社会の矛盾が鮮明に主張されていることから、男性的規範や価値観を基軸に構成されています。
 『ブーメランのように』のカルラ・グラヴィーナ扮する再婚相手とミレーユ・ダルクが扮する恋人のキャラクターが、日本的な表現をすれば「内助の功」の役割のみで担われていることなども男性的価値観の共通点でしょう。

 さて、話は少し逸れてしまうのですが、このように比較すると、この「アラン・ドロン」の実生活を反映させた2作品の根幹にあるテーマは、家族愛や友情です。
 自分の大切にしている者を守ろうと必死に戦う愚直なまでに芯の強い主人公グザヴィエ・マーシャルの姿は、直接的には、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』のトム・リプリーよりも、1960年に製作されたルキノ・ヴィスコンティ監督の「アラン・ドロン」、そう『若者のすべて』での封建の青年、聖者ロッコ・パロンディが現代社会のヒーローとして再生・復活した姿であるような気がしてくるのです。
 そう考えると、『チェイサー』の配役については、私としては友人のモーリス・ロネ演じるフィリップではなく、実の兄シモーネの設定にして、レナート・サルバートリに演じて欲しかったと思っています。

 このように、若い頃の代表作品のキャラクターを活かした更に深みのある「フレンチ・フィルム・ノワール」作品が、この2作品だと私は考えるのです。

 両作品は、どちらの主人公も現代的で勇敢なヒーロー像を造詣しており、それぞれに魅力が満載ですが、当然のことながら異なる部分がたくさんあり、特に「アラン・ドロン」の過去と未来がそれぞれ交錯している2作品でもあります。
 『ブーメランのように』は、運命に抗いながらも敗北してしまう悲劇の物語です。主人公は(元)犯罪者ですが、更生して実業家になり、今では父親として立派に生活しています。ところが、大切にしている息子が犯罪を犯し、愛しているがゆえにその息子を守ろうとして、過去の犯罪歴を暴露されて社会的立場を失い、何より最期には息子と自分の命まで喪失してしまうのです。ここでの「アラン・ドロン」は、父性愛を表現した悲劇のヒーローでした。そして、わたしがこの作品を、現在までの「アラン・ドロン」を総括した作品であるように思っていることには既に触れたところです。【『ブーメランのように』④~過去に演じた主人公たち、そして、限界点を一歩踏み越えてしまった男たち~
 『チェイサー』の主人公は兵役義務を果たした国家への貢献者であり、現在は事業の成功者であり、旧友との友情から巨悪の政治腐敗に戦いを挑み決して権力に屈しないヒーローでした。
 ここでの「アラン・ドロン」は、古くからの友人を大切にする友情に篤い一匹狼です。今だからわかることなのかもしれませんが、このキャラクターは、これからの「アラン・ドロン」を予見して創り上げていった作品でもあるのです。

 いずれにしても、この両作品は、最も彼の実生活に接近した「フレンチ・フィルム・ノワール」であり、どちらもアラン・ドロンが役づくりに腐心せずに、経験的に自然な素顔のままで個性を発揮できる主人公の在り方だったと思います。

 これほど「アラン・ドロン」の魅力が満載であるにも関わらず、そして、彼らしい会心の作品であったにも関わらず、残念なことに当時の日本の彼のファンは、両作品に感情移入し切れませんでした。観客動員数と、その後の彼の作品の未公開がそれを物語ってしまったのです。

 何故なのでしょうか?

 彼の精神と肉体が全盛期の1960年代から1970年代初頭のように、ファンにとって憧憬とする美しさや理想のモデル足り得ず、私生活が透けて見えてしまうことは、逆に映画を観るその時代の人々の求める象徴的な理想像ではなく、スターの側から提供された「アラン・ドロン」像でしかなかったから?なのでしょうか?
 そして、彼の私生活の断片は、もはや日本人の好奇心や欲求を満たすものではなかったから?なのでしょうか?

 特に『チェイサー』は、彼が新しい「フレンチ・フィルム・ノワール」として表現した作品であり、力強く格好良い不屈の英雄譚でしたから、ようやく「アラン・ドロン」としての新しいヒーロー像を生み出すことができた作品だっただけに、日本のファンが受け入れ切れなかったことは本当に残念でなりません。

 そして、前述したとおり、『チェイサー』の「アラン・ドロン」に、映画史上に燦然と位置付いているルキノ・ヴィスコンティ監督との『若者のすべて』で演じた聖者ロッコ・パロンディ(=グザヴィエ)が、幾多の困難を乗り越え今だに兄シモーネ(=友人フリップ)を寛容に許し、そして守り続けていることを見て取ってしまうのです。

 聖者ロッコが英雄グザヴィエに成長した姿、それは、自分たちを苦しめていた根本原因に気づくことから、すなわち政治腐敗や極端な右翼ファッショへの積極的な闘いに転換していったこととして・・・。
 更に、ロッコ(=グザヴィエ)が学んだその最大の教訓は、シモーネ(=友人フリップ)が大切にしている恋人ナディア(=ヴァレリー)と初めから恋をしないことだったのでしょう。

 一貫した「アラン・ドロン」の信条は、更なる進歩を経たのでしょう。その理知と勇気に深く刻まれた彼の美しき姿から、身近な友人のみならず多くの民衆の敵を凝視し始めたことがわかるのです。
 ラスト・シークエンスで遠景のパリを俯瞰する「アラン・ドロン」は、まるで、トスカーナの州都、自由都市フィレンツェの中央広場に、民衆の敵、怪物ゴリアテを倒し立っている旧約聖書のユダヤの英雄ダヴィデの像のように勇敢で、力強く美しいと感じてしまうのです。

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# by Tom5k | 2015-05-25 23:06 | チェイサー(3) | Trackback | Comments(2)

『ブーメランのように』④~過去に演じた主人公たち、そして、限界点を一歩踏み越えてしまった男たち~

 最近は、『ブーメランのように』の魅力に取り憑かれてしまっています。
 この作品には、アラン・ドロンが過去の代表作品で演じた主人公が数多く再登場しているからです。
 『ブーメランのように』の主人公である実業家ジャック・バトキンは、『太陽がいっぱい』のトム・リプリーがフィリップ・グリーンリーフに、『悪魔のようなあなた』のピエール・ラグランジュがジョルジュ・カンポに成りすますことに成功した姿であることは、既に記事にしました。
【参考~『ブーメランのように』①~貧困・犯罪・差別からの逃亡と挫折~及び『ブーメランのように』②~「フレンチ・フィルム・ノワール」作品で描かれる父性~

 また、この『ブーメランのように』が、翌年に撮った『プレステージ』と同様、『太陽はひとりぼっち』(1961年)での現代ビジネスに生きている者の矛盾を強く表出した作品であることにも触れました。
【参考~『ブーメランのように』③~「アラン・ドロン」のトレード・マーク「悲劇のヒロイズム」最後の作品~
 私は、ピエロの矛盾が、ジャック・バトキンの矛盾に行き着いていったようにも思うのです。恋人とのディスコミュニケーションは、思春期の息子とのディスコミュニケーションへと繋がったのだと・・・。愛息が犯罪に手を染めた原因を手繰っていけば、現代ビジネスの矛盾に行き着くのではないかと・・・?

 そして、また、『ブーメランのように』には、他にも彼が過去に演じた主人公たちが数多く再登場しているのです。
 まず、真っ先に私が想い起こされるのは、過去のギャング時代の仲間たちとの関係です。その典型的な作品として『仁義』が挙げられます。アラン・ドロンが演じた主人公のコレイやイブ・モンタンが演じたジャンセン、ジャン・マリア・ヴォロンテ演じたボージェルが、私には浮かんでくるのです。
 彼らは、ブールヴィルが扮したマッテイ警部が事件担当でなければ、強奪した宝石をせしめて、のうのうと日常を過ごしていたかもしれません。そうなれば、ほとぼりの覚めた頃にコレイがジャック・バトキンのような事業家になることも不可能ではなかったように思います。
 そして、息子の脱獄に協力してくれる仲間は、『泥棒を消せ』や『シシリアン』で組んだ強盗団ではなく、『仁義』でのジャンセンやボージェルだと思うのです。

 ジャック・バトキンが、過去に犯罪を犯して投獄されていたとき、狂人のふりをして免責された逸話からは、『暗殺者のメロディ』のフランク・ジャクソン(ラモン・メルカデル)が想い出されます。ロシアの革命家トロツキーを暗殺したときに上げた彼の絶叫は、まさに狂人そのものだったと言っても言い過ぎではないと思います。
 そもそもアラン・ドロンは人格の破綻した人間を演じることが十八番の俳優です。『ブーメランのように』で、ルイ・ジュリアンが演じた投獄中の息子エディの憧れる父親ジャック・バトキンの過去の犯罪者の逸話は、過去のアラン・ドロンの演じたキャラクターのことを話しているとしか思えませんでした。

 ところで、ジャック・バトキンが最も守りたかったものは・・・?
 言うまでもなく、それは自分が最も愛する息子エディでしょう。
 アラン・ドロンは自分の大切にしている者、愛する者を守ろうとするとき、また、それを守りきれなかったとき、そのときには明らかに常軌を逸してしまいますし、それは決して成功することなく絶望的な結果になります。

『ビッグ・ガン』の主人公トニー・アルゼンタは、愛する家族をマフィア組織に殺害され、復讐の鬼になってしまいますが、友人に裏切られて死に至ります。
『暗黒街のふたり』の主人公ジーノ・ストラブリッジは、弱みに付け込んで愛する妻にまで脅迫まがいの行為に至るミッシェル・ブーケ演ずるゴワトロ警部の横暴に激昂し、とうとう殺害事件を起こしてしまいます。
そして、『愛人関係』では、ミレーユ・ダルク演ずる愛人ペギー・リスターの精神疾患に絶望し、山中で心中を図る弁護士マルク・リルソンを演じました。

【(-略)彼は(アランは)はまた極めて頭のいい男で、その点が私とやった二本の映画での役柄にぴったりだった。その二人、トロツキー暗殺者とムッシュー・クラインは、どちらも非常に頭の切れる男で、自分の行動にはしっかりとした自覚を持っている。ところがある限界点を一歩踏み越えてしまうと、もう判断力を失い、放心したようになってしまう。(ジョセフ・ロージー)】
【引用 『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』ミシェル シマン著、中田秀夫・志水 賢訳、日本テレビ放送網、1996年】

追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー

ミシェル シマン Michel Ciment 中田 秀夫 志水 賢日本テレビ放送網

 

 ジョセフ・ロージー監督が述懐しているようなアラン・ドロンの「ある限界点」の典型的な状況に、「自分の大切な者を喪失したとき、喪失せざるを得ない状況にあるとき」が、当てはまるのではないでしょうか?その「一歩を踏み越えた」ときのアラン・ドロンは正常な「判断力」を失ってしまうのです。
 この『ブーメランのように』でも、過去のギャング組織に戻り、護送中の息子を脱獄させ国外逃亡を図る父親として考えられないような最悪の判断をしてしまいます。

 同様に、アラン・ドロンが演じた『ビッグ・ガン』の主人公トニー・アルゼンタも、『暗黒街のふたり』の主人公ジーノ・ストラブリッジも、『愛人関係』のマルク・リルソンも、その判断が誤っているがために決して幸福で納得できる結果にならず、むしろ最悪の結果になってしまう絶望的な主人公ばかりなのです。

 そして、私は、この『ブーメランのように』の原点のひとつに、デビュー間もない頃、ルキノ・ヴィスコンティ監督の代表作品『若者のすべて』で演じた主人公ロッコ・パロンディの存在が頭から離れなくなってしまいました。そこでアラン・ドロンが扮したロッコ・パロンディは、愛する兄シモーネのために、彼にレイプされてしまった自分の恋人を譲り、遊行による彼の借金までも肩代わりし、とうとう殺害事件まで起こしてしまった彼を最後までかばおうとするのです。
 このことから、ロッコ・パロンディが、『ブーメランのように』で、ドラッグ・パーティの現場で誤って警察官を射殺してしまった息子エディを救おうとするジャック・バトキンの原点だと考えるようになりました。

 社会で許されることのない生き方をしてしまったシモーネとエディ、犯罪を犯してしまった若者の更生が不可能だとは思いませんが、アラン・ドロンが演じたロッコ・パロンディやジャック・バトキンの行為が、本当の意味で彼らを救うことはないでしょう。それどころか、彼が施した行為によって、シモーネやエディは、益々、自分の罪を自覚することが不可能になってしまうように思います。
 そう考えると、いくら絶望的な状況に置かれてしまった肉親であっても、兄シモーネに対するロッコ、息子エディに対するジャックの行為には哀しい悲劇しか準備されることはなかったのです。

【>宮崎総子
『太陽がいっぱい』も本当にきれいだったと思うんです。それから『若者のすべて』もすごく良かったと思うんです。そのたびにね。アラン・ドロンさんというのは、ああいう人だと思っちゃうんですね。
>アラン・ドロン
役には必ず自分自身が投射されるものです。どんな役でも演じる俳優の個性がはっきり出てきますよ。
(-中略-)
>宮崎総子
今までいろんな監督と出会っていると思いますけどね。ヴィスコンティさんとか。本当に世界で一流の。どなたからたくさん影響を受けていらっしゃいますか。
>アラン・ドロン
私の人生では5人の大切な大監督が挙げられます。最も影響を与えてくれた人々はビスコンティ、ルネクレマン、アントニーオーニー、ローゼ、メルヴィル。私の人生のいろいろな時期にこうした人たちから影響を受けました。】
【「モーニングジャンボ奥さま8時半です』「総子がせまる!いい男コーナー たまらなく男ざかり!アラン・ドロン」インタビュー:宮崎総子、1983年11月8日:毎日放送】

 ルネ・クレマン監督のトム・リプリー、ルキノ・ヴィスコンティ監督のロッコ・パロンディ、ミケランジェロ・アントニオーニ監督のピエロ、ジャン・ピエール・メルヴィル監督のコレイ、ジョセフ・ロージー監督のフランク・ジャクソン・・・。
 私は、『ブーメランのように』で彼が演じたジャック・バトキンが、当時のアラン・ドロンの自己矛盾を最も端的に表現した主人公であると同時に、過去に演じたキャラクター、それも「アラン・ドロン」の原型となる人物を演じた作品での主人公の集大成であるとまで考えてしまうのです。

 残念ながら、『ブーメランのように』は、盟友ジョゼ・ジョヴァンニ監督と組んで制作した最後の作品になってしまいましたが、彼が出演してきた映画の沿革の中でも、取り分け重要な位置に存在する作品のひとつであると確信するに至っているのです。

【この映画もまた、他の二作と同様、アランが存在しなければ生まれなかった映画だということを先ず言っておかなければならない。もちろん、このシナリオは私の実体験に基づいて書いたものだが、アランにとっても切り離せないほどその生き方に深く関わっている物語だ。(-中略-)
 アランはまた、この映画には様々なアイデアを持っていて、初めて脚本・脚色という形でも参加した。そのため、私のシナリオはアランによって書き変えられたが、それはむしろ当然なのである。】
【キネマ旬報1976年12月下旬号No.697(「我が友アラン・ドロンと映画「ブーメランのように」を語る」ジョゼ。ジョヴァンニ<訳・構成>細川直子】
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# by Tom5k | 2015-03-22 02:23 | ブーメランのように(4) | Trackback | Comments(0)