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『ブーメランのように』④~過去に演じた主人公たち、そして、限界点を一歩踏み越えてしまった男たち~

 最近は、『ブーメランのように』の魅力に取り憑かれてしまっています。
 この作品には、アラン・ドロンが過去の代表作品で演じた主人公が数多く再登場しているからです。
 『ブーメランのように』の主人公である実業家ジャック・バトキンは、『太陽がいっぱい』のトム・リプリーがフィリップ・グリーンリーフに、『悪魔のようなあなた』のピエール・ラグランジュがジョルジュ・カンポに成りすますことに成功した姿であることは、既に記事にしました。
【参考~『ブーメランのように』①~貧困・犯罪・差別からの逃亡と挫折~及び『ブーメランのように』②~「フレンチ・フィルム・ノワール」作品で描かれる父性~

 また、この『ブーメランのように』が、翌年に撮った『プレステージ』と同様、『太陽はひとりぼっち』(1961年)での現代ビジネスに生きている者の矛盾を強く表出した作品であることにも触れました。
【参考~『ブーメランのように』③~「アラン・ドロン」のトレード・マーク「悲劇のヒロイズム」最後の作品~
 私は、ピエロの矛盾が、ジャック・バトキンの矛盾に行き着いていったようにも思うのです。恋人とのディスコミュニケーションは、思春期の息子とのディスコミュニケーションへと繋がったのだと・・・。愛息が犯罪に手を染めた原因を手繰っていけば、現代ビジネスの矛盾に行き着くのではないかと・・・?

 そして、また、『ブーメランのように』には、他にも彼が過去に演じた主人公たちが数多く再登場しているのです。
 まず、真っ先に私が想い起こされるのは、過去のギャング時代の仲間たちとの関係です。その典型的な作品として『仁義』が挙げられます。アラン・ドロンが演じた主人公のコレイやイブ・モンタンが演じたジャンセン、ジャン・マリア・ヴォロンテ演じたボージェルが、私には浮かんでくるのです。
 彼らは、ブールヴィルが扮したマッテイ警部が事件担当でなければ、強奪した宝石をせしめて、のうのうと日常を過ごしていたかもしれません。そうなれば、ほとぼりの覚めた頃にコレイがジャック・バトキンのような事業家になることも不可能ではなかったように思います。
 そして、息子の脱獄に協力してくれる仲間は、『泥棒を消せ』や『シシリアン』で組んだ強盗団ではなく、『仁義』でのジャンセンやボージェルだと思うのです。

 ジャック・バトキンが、過去に犯罪を犯して投獄されていたとき、狂人のふりをして免責された逸話からは、『暗殺者のメロディ』のフランク・ジャクソン(ラモン・メルカデル)が想い出されます。ロシアの革命家トロツキーを暗殺したときに上げた彼の絶叫は、まさに狂人そのものだったと言っても言い過ぎではないと思います。
 そもそもアラン・ドロンは人格の破綻した人間を演じることが十八番の俳優です。『ブーメランのように』で、ルイ・ジュリアンが演じた投獄中の息子エディの憧れる父親ジャック・バトキンの過去の犯罪者の逸話は、過去のアラン・ドロンの演じたキャラクターのことを話しているとしか思えませんでした。

 ところで、ジャック・バトキンが最も守りたかったものは・・・?
 言うまでもなく、それは自分が最も愛する息子エディでしょう。
 アラン・ドロンは自分の大切にしている者、愛する者を守ろうとするとき、また、それを守りきれなかったとき、そのときには明らかに常軌を逸してしまいますし、それは決して成功することなく絶望的な結果になります。

『ビッグ・ガン』の主人公トニー・アルゼンタは、愛する家族をマフィア組織に殺害され、復讐の鬼になってしまいますが、友人に裏切られて死に至ります。
『暗黒街のふたり』の主人公ジーノ・ストラブリッジは、弱みに付け込んで愛する妻にまで脅迫まがいの行為に至るミッシェル・ブーケ演ずるゴワトロ警部の横暴に激昂し、とうとう殺害事件を起こしてしまいます。
そして、『愛人関係』では、ミレーユ・ダルク演ずる愛人ペギー・リスターの精神疾患に絶望し、山中で心中を図る弁護士マルク・リルソンを演じました。

【(-略)彼は(アランは)はまた極めて頭のいい男で、その点が私とやった二本の映画での役柄にぴったりだった。その二人、トロツキー暗殺者とムッシュー・クラインは、どちらも非常に頭の切れる男で、自分の行動にはしっかりとした自覚を持っている。ところがある限界点を一歩踏み越えてしまうと、もう判断力を失い、放心したようになってしまう。(ジョセフ・ロージー)】
【引用 『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』ミシェル シマン著、中田秀夫・志水 賢訳、日本テレビ放送網、1996年】

追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー

ミシェル シマン Michel Ciment 中田 秀夫 志水 賢日本テレビ放送網

 

 ジョセフ・ロージー監督が述懐しているようなアラン・ドロンの「ある限界点」の典型的な状況に、「自分の大切な者を喪失したとき、喪失せざるを得ない状況にあるとき」が、当てはまるのではないでしょうか?その「一歩を踏み越えた」ときのアラン・ドロンは正常な「判断力」を失ってしまうのです。
 この『ブーメランのように』でも、過去のギャング組織に戻り、護送中の息子を脱獄させ国外逃亡を図る父親として考えられないような最悪の判断をしてしまいます。

 同様に、アラン・ドロンが演じた『ビッグ・ガン』の主人公トニー・アルゼンタも、『暗黒街のふたり』の主人公ジーノ・ストラブリッジも、『愛人関係』のマルク・リルソンも、その判断が誤っているがために決して幸福で納得できる結果にならず、むしろ最悪の結果になってしまう絶望的な主人公ばかりなのです。

 そして、私は、この『ブーメランのように』の原点のひとつに、デビュー間もない頃、ルキノ・ヴィスコンティ監督の代表作品『若者のすべて』で演じた主人公ロッコ・パロンディの存在が頭から離れなくなってしまいました。そこでアラン・ドロンが扮したロッコ・パロンディは、愛する兄シモーネのために、彼にレイプされてしまった自分の恋人を譲り、遊行による彼の借金までも肩代わりし、とうとう殺害事件まで起こしてしまった彼を最後までかばおうとするのです。
 このことから、ロッコ・パロンディが、『ブーメランのように』で、ドラッグ・パーティの現場で誤って警察官を射殺してしまった息子エディを救おうとするジャック・バトキンの原点だと考えるようになりました。

 社会で許されることのない生き方をしてしまったシモーネとエディ、犯罪を犯してしまった若者の更生が不可能だとは思いませんが、アラン・ドロンが演じたロッコ・パロンディやジャック・バトキンの行為が、本当の意味で彼らを救うことはないでしょう。それどころか、彼が施した行為によって、シモーネやエディは、益々、自分の罪を自覚することが不可能になってしまうように思います。
 そう考えると、いくら絶望的な状況に置かれてしまった肉親であっても、兄シモーネに対するロッコ、息子エディに対するジャックの行為には哀しい悲劇しか準備されることはなかったのです。

【>宮崎総子
『太陽がいっぱい』も本当にきれいだったと思うんです。それから『若者のすべて』もすごく良かったと思うんです。そのたびにね。アラン・ドロンさんというのは、ああいう人だと思っちゃうんですね。
>アラン・ドロン
役には必ず自分自身が投射されるものです。どんな役でも演じる俳優の個性がはっきり出てきますよ。
(-中略-)
>宮崎総子
今までいろんな監督と出会っていると思いますけどね。ヴィスコンティさんとか。本当に世界で一流の。どなたからたくさん影響を受けていらっしゃいますか。
>アラン・ドロン
私の人生では5人の大切な大監督が挙げられます。最も影響を与えてくれた人々はビスコンティ、ルネクレマン、アントニーオーニー、ローゼ、メルヴィル。私の人生のいろいろな時期にこうした人たちから影響を受けました。】
【「モーニングジャンボ奥さま8時半です』「総子がせまる!いい男コーナー たまらなく男ざかり!アラン・ドロン」インタビュー:宮崎総子、1983年11月8日:毎日放送】

 ルネ・クレマン監督のトム・リプリー、ルキノ・ヴィスコンティ監督のロッコ・パロンディ、ミケランジェロ・アントニオーニ監督のピエロ、ジャン・ピエール・メルヴィル監督のコレイ、ジョセフ・ロージー監督のフランク・ジャクソン・・・。
 私は、『ブーメランのように』で彼が演じたジャック・バトキンが、当時のアラン・ドロンの自己矛盾を最も端的に表現した主人公であると同時に、過去に演じたキャラクター、それも「アラン・ドロン」の原型となる人物を演じた作品での主人公の集大成であるとまで考えてしまうのです。

 残念ながら、『ブーメランのように』は、盟友ジョゼ・ジョヴァンニ監督と組んで制作した最後の作品になってしまいましたが、彼が出演してきた映画の沿革の中でも、取り分け重要な位置に存在する作品のひとつであると確信するに至っているのです。

【この映画もまた、他の二作と同様、アランが存在しなければ生まれなかった映画だということを先ず言っておかなければならない。もちろん、このシナリオは私の実体験に基づいて書いたものだが、アランにとっても切り離せないほどその生き方に深く関わっている物語だ。(-中略-)
 アランはまた、この映画には様々なアイデアを持っていて、初めて脚本・脚色という形でも参加した。そのため、私のシナリオはアランによって書き変えられたが、それはむしろ当然なのである。】
【キネマ旬報1976年12月下旬号No.697(「我が友アラン・ドロンと映画「ブーメランのように」を語る」ジョゼ。ジョヴァンニ<訳・構成>細川直子】
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# by Tom5k | 2015-03-22 02:23 | ブーメランのように(4) | Comments(0)

『ブーメランのように』③~ジョルジュ・ドルリューの音楽による「悲劇のヒロイズム」最後の作品

 『プレステージ』(1977年)を観た後、急に頭をよぎって、どうしても頭から離れなくなってしまった作品がありました。『ブーメランのように』(1976年)です。
 『プレステージ』が製作された前年に、実業家・ビジネスマンである主人公を演じたアラン・ドロンという共通項から、当時の彼をもう少し深く理解したくなったのです。どちらの作品もその結末は悲惨なのですが、彼が従来から得意としていた悲劇的なヒロイズムが貫徹しているのは、『ブーメランのように』でしょう。

【>あなたが演じる役にはしばしば鬱的なメランコリーな何かがありますね。
>アラン・ドロン
傷はなかなか癒えないんだね。笑わそうとしてみたり無駄なこともした、それがトレードマークになってるな。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18 「回想するアラン・ドロン:その6(インタヴュー和訳)」

 ロミー・シュナイダーと出会ったデビュー間もない頃の『恋ひとすじに』(1958年)やルキノ・ヴィスコンティと巡りあった『若者のすべて』(1960年)で、彼が表現した「悲劇のヒロイズム」は、『さすらいの狼』(1964年)や渡米して撮った『泥棒を消せ』(1964年)により、ノワールを基調としたものとして模索されていったように思います。
 その後のアラン・ドロンは、フランス映画界においても重要な代表的作品を撮っていったジャン・ピエール・メルヴィル監督の演出により、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品での中心的な存在に到達し、ノワールを基調とした悲劇性のイメージを完成させていくことになります。

 しかし彼は、70年代後半から、特に『ブーメランのように』の翌年に撮った『プレステージ』以降、そこからの脱出を企てたように私には見えるのです。『プレステージ』の主人公からは、悲劇的なヒロイズムは読み取れませんし、少なくても、この作品は、「フレンチ・フィルム・ノワール」の体系には該当しないでしょう。

 『ブーメランのように』は、そのどちらも要素としているのですが、『プレステージ』と同様に、『太陽はひとりぼっち』(1961年)以来の現代ビジネスに生きている者の矛盾も強く表出した作品にもなっており、最愛の息子との愛情面での在り方に焦点が絞られ、実業家・ビジネスマンとしてのハレーションが、父親としての苦悩に結びつくテーマとなっています。
 また、この作品は、『冒険者たち』(1966年)のシナリオで出会って以降、ジョゼ・ジョヴァンニと一緒に仕事をした最後の作品でもあり、それまでのアラン・ドロンの出演作品から新境地を拓いた作品ではなく、『ビック・ガン』(1973年)や『ル・ジタン』(1974年)と同様に父性愛のテーマを徹底したものであったし、過去の犯罪歴から現在の更生に失敗して悲劇的結末を迎える主人公の設定も、アメリカ映画『泥棒を消せ』、イタリアで撮った『ビック・ガン』(1973年)、ジョゼ・ジョヴァンニ監督との『暗黒街のふたり』(1973年)など、それまでのフィルム・ノワール体系の作品でのキャラクターと類似したものになっています。

 このように考えると、『ブーメランのように』までのアラン・ドロンの作品は、本人が後述しているように、
>トレードマークである「鬱的なメランコリーな何か」(これを、いわゆる「悲劇のヒロイズム」のトレードマークと定義しても誤りではないでしょう。)を表現した作品が非常に多かったわけです。

 しかし、アラン・ドロンのスターとしてのトレード・マークは、『ブーメランのように』を最後に、とうとう影を潜めてしまいました。

 世紀の大傑作『パリの灯は遠く』(1977年)は、戦時中の美術商としての役柄でしたが、「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」などというものを超え、主人公の「異常性」を一世一代の演技で表現した超越的で特異なキャラクターでした。

 そして、『友よ静かに死ね』(1977年)は、作品そのものは哀愁を帯びた旧時代的な悲劇であり、ここではまだ、「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」の要素は残ってはいたかもしれませんが、彼が演じた主人公のキャラクターは陽気なギャング集団のボスでしたし、外見も髪の毛をカールしたスタイルに変貌していました。

 なお、アラン・ジェシュア監督の『Armageddon』(1977年)は、未見なのですが、各種の映画雑誌や現在ではネット上の情報などから「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」の主人公とは、縁遠い作品となっているようです。

 その後、彼の作品は、『プレステージ』へと続くのですが、実業家・ビジネスマンを主人公にした作品に限ったとき、最もアラン・ドロンらしい役柄は、『太陽はひとりぼっち』(1961年)から出発し、後年、『Notre histoire(真夜中のミラージュ)』(1984年)、『ヌーヴェルヴァーグ』(1990年)と人気全盛期を終えた後に演じていくことになります。
 しかし、男女の愛をテーマにしたこれらの作品は、トレード・マークであった「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」を主題・テーマにしていた『ブーメランのように』とは異なる体系の作品だと考えられましょう。

 『プレステージ』の翌年に製作された『チェイサー』(1978年)は、作品としては、アラン・ドロンの得意とする「フレンチ・フィルム・ノワール」の体系に在る作品と云っていいでしょう。
 また、ここで彼の演じた主人公も『ブーメランのように』や『プレステージ』と同様に、実業家・ビジネスマンでした。
 しかし、もうアラン・ドロンは、既に悲劇的なアンチ・ヒーロー的なヒーローではなく、友情に厚い硬質な正義のヒーローに脱皮しており、「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」からの脱出は完全に成功した作品となっています。

 これらのことから、盟友ジョゼ・ジョヴァンニ監督との三作品目『ブーメランのように』は、1960年代後半からのアラン・ドロン全盛期における「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」が最後に総決算された作品なのではないかとも思いますし、『プレステージ』や『パリの灯は遠く』なども併せて考えると、この頃のアラン・ドロンは映画俳優以外のビジネスの仕事で自分自身の生き方に矛盾を感じていたのではないか?とすら感じます。

 ところで、『恋ひとすじ』や『若者のすべて』で出発した「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」が、はっきりとノワール的基調において、主人公に表れていた作品は『さすらいの狼』でしたが、何とっ!ここで音楽を担当したのは、アラン・レネやフランソワ・トリュフォー、ジャン・リュック・ゴダール、ルイ・マルの作品で音楽を担当し「ヌーヴェル・ヴァーグ」の音楽家と言われていたジュルジュ・ドルリューでした。各書籍ではジャン・プロドロミデスが音楽を担当していたと記載されていることも多いのですが、実は、彼が音楽を担当していたのです。
【>ドロンの作品で、他にドゥルリューさんがなされたものはありますか?
>ドゥルリュー
「さすらいの狼」がありますね。アラン・カヴァリエの。これはこれで、いい作品だったんですが、アルジェリア戦争をあつかって検閲にあい、それだけに評価されなかった作品でしたね。(略-)」】
【キネマ旬報1976年12月下旬号No.697(「「ジョルジュ・ドゥルリュー「ブーメランのように」と映画の秘密を語る」<インタビュアー>ユミ・ゴヴァース、西村雄一郎】

Alain Resnais Portrait Musical

Emarcy Import


Le Cinema de Francois Truffaut, musique de Georges Delerue

Emarcy


Jean Luc Godard Histoire(s) de Musique

Martial Solal / Emarcy Import



 そして、彼を13年ぶりに、アラン・ドロンの「フレンチ・フィルム・ノワール」有終の美を飾る『ブーメランのように』で、再び起用したのですから驚きます。
 私としては、アラン・ドロンの「フレンチ・フィルム・ノワール」における悲劇的ヒーロー像の音楽的照応は、ジュルジュ・ドルリューで始まり、その総括的な『ブーメランのように』で締め括ったと解釈せざるを得ないのです。

 特筆しておきたいことは、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の『ジェフ』(1968年)で、当初予定されていた彼の起用が、作品のテーマ・主題の考え方の相違によって、残念なことに実現せず、フランソワ・ド・ルーペの起用に変更されてしまったことです。
【(-略)「ジェフ」(69 ジャン・エルマン監督)もやりことになっていたんですが、作品を見て、どうしても好きになれなかったので、おりました。一度、ひきうけたものをおりるのは、悪いと思ったんですが、時にはこうした毅然とした態度をとることも、必要だと思ったのです。あれはギャングというものを、悲劇的にあつかっていなかったのが、気にいらなかったのですよ。】
【キネマ旬報1976年12月下旬号No.697(「「ジョルジュ・ドゥルリュー「ブーメランのように」と映画の秘密を語る」<インタビュアー>ユミ・ゴヴァース、西村雄一郎】
 アラン・ドロンとしては、ジャック・パールとともに初めて自らプロデュースに携わった『さすらいの狼』で、彼の協力が得られたときと同様に、初めて単独でプロデュースした『ジェフ』でも彼の音楽を使用したかったのでしょう。
 これらのことは、アラン・ドロンのプロデュース作品史における象徴的な事件とも云えることなのではないでしょうか。

 そして、プロデューサーとしてのアラン・ドロンは、『ブーメランのように』に限っては、今まで組んできたクロード・ボラン、フランソワ・ド・ルーペ、フィリップ・サルドではなく、よほどジョルジュ・ドルリューが必要だと考えたのでしょう。

【>ドゥルリュー
(-略)今回の仕事は、むしろアラン・ドロンが直接私の方に電話してきて、ひきうけたようなわけで、それも非常にていねいな電話でした。それで出来上がった作品を見て、どういう風にいれようかと、ドロンに尋ねたら、「この作品の、ヴァイオレンスな部分と、やさしい愛情に満ちた部分を強調してくれ」と言われて、作曲したわけです。まあ、この映画の後、非常にまれなことなんですが、ドロンからの自筆の礼状がきましてね、嬉しかったですよ。
>ジョヴァンニとは音楽のうち合わせはなさらなかったのですか?
>ドゥルリュー
最初、ジョヴァンニは、音楽に関してそれほど、はっきりした考えはもっていなかったと思います。(略-)
>ドゥルリュー
(-略)撮影が終わって、ドロン自身が、積極的に考えを述べて、その考えが大きく反映したということはありますがね。そういう意味では、創作の所まで、深くドロンが入り込んできた、初めての作品であるといえます。】
【キネマ旬報1976年12月下旬号No.697(「「ジョルジュ・ドゥルリュー「ブーメランのように」と映画の秘密を語る」<インタビュアー>ユミ・ゴヴァース、西村雄一郎】

 このインタビューでジョルジュ・ドルリューは、アラン・ドロンが父と子の絶望的な愛情への描写に執着していたことやヴィスコンティ時代における俳優としての才能を理解していたこと、そして、人気全盛期よりもこの作品のアラン・ドロンの方が際立っていると言及し、監督のジョゼ・ジョヴァンニより、彼とディスカッションすることが多かったことなど、当時の逸話も伝えています。
 彼は、この『ブーメランのように』のプロデューサーであり、出演者でもあるアラン・ドロンを最も良く理解したうえでスタッフとして協力したのです。

 『ブーメランのように』でのアラン・ドロンが演じた主人公ジャック・バトキンは、過去の『太陽がいっぱい』(1959年)の主人公トム・リプリー、『悪魔のようなあなた』(1967年)の主人公ジュルジュ・カンポなどが犯した犯罪や偽証を成功させた人物設定でありながら、その貧困・犯罪・差別からの呪縛から逃れることができず、その過去と必死に闘っているように感じていたことは、既に記事にしました。
【参考~『ブーメランのように』①~貧困・犯罪・差別からの逃亡と挫折~

 今回の鑑賞では、加えて、盟友ジョゼ・ジョヴァンニ監督のもとで、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の音楽家、ジョルジュ・ドルリューの協力を得て、過去からの「鬱的なメランコリーな何か=悲劇のヒロイズム」、特に過去のフィルム・ノワール作品におけるそれを総決算した作品、そして、女性との恋愛では、愛を再生・復活させていく主人公や、友情に厚い正義のヒーローとして腐敗した政財界に挑んでいく主人公などの新しい境地に向かっていくために必要な作品だったと考えるようになったのです。

【>ドロン親子は死んだのでしょうか?
>ドゥルリュー
それは永遠にわからぬクエスティョン・マークですね。
それは観客の判断にゆだねているのです。しかし、ドロンは、父も子も死ぬことにしたかったのだと思いますよ。なにしろ、ドロンは、多くの作品のラスト・シーンで、死ぬことになっていますから。(笑)】
【キネマ旬報1976年12月下旬号No.697(「「ジョルジュ・ドゥルリュー「ブーメランのように」と映画の秘密を語る」<インタビュアー>ユミ・コヴァース、西村雄一郎】

 やはり、ジュルジュ・ドルリューは、十分にアラン・ドロンのこれまでの作品を熟知したうえで、『ブーメランのように』で自分の音楽での役割りを果たしていたのです。

 私は、『ブーメランのように』が、ジュルジュ・ドルリューの音楽も含めて、ジョゼ・ジョヴァンニ監督との三作品の中でも、アラン・ドロンの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品としても、彼の未来の作品への真の熟成に向けて、傑出して重要な位置を占める貴重な作品だと思うようになってしまったのです。

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オリジナル・サウンドトラック盤(東映提供フランス映画「ブーメランのように」よりブーメランのように、愛のバラード)
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# by Tom5k | 2015-03-08 01:44 | ブーメランのように(4) | Comments(4)

『プレステージ』~愛の再生・復活その5 『太陽はひとりぼっち』のピエロ再登場!~

 『プレステージ』の公開は1979年5月19日(土)ですから、今から36年前の私が高校1年生のときでした。
 私の住んでいた街でこの作品が公開された頃、当時にしては珍しくロードショーではなく、1週間程度の短期間での公開でした。初日は土曜日か日曜日で、その週末の金曜日までの公開期日となっており、しかも他の作品との併映だったため夜間の上映はありませんでした。
 「これでは、午後早い上映の鑑賞に間に合わなければ、一生、映画館で鑑賞する機会が無くなってしまうっ!」
 学校での授業中にそんなことが頭を駆け巡り、私はあせりました。
 当然、私は全く躊躇せず学校をサボることを決心し、帰宅して私服に着替える時間を惜しんで学生服姿のまま映画館に向かいました。
 しかし、平日の街中といえば生徒指導の巡回指導をしている教師たちも多い時代だったので、いつ補導されてもおかしくありません。補導されて『プレレステージ』を観ることができなくなることを考えると、映画館までの道中や映画館内、私は周囲を伺いながら常にビクビクしていました。
 今想い返せば、若い頃のとても想い出深い映画鑑賞のひとつとなっています。
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 併映の作品はアメリカのラジオDJであったウルフマン・ジャックが出演していた『ハンギング・オン・スター』で、内容はほとんど忘れてしまったのですが、とにかくウルフマン・ジャックが格好良かった記憶があります。彼の映画作品では『アメリカン・グラフィティ』(1973年)の日本公開が1976年で、こちらも小学校6年生のときに映画館で観ています。





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 さて、『プレステージ』ですが、アラン・ドロンの演じた主人公がとても忙しい古美術商で、ラスト・シーンで古美術のオークションで狙っていた壺を競り落としたとたんに心臓発作のため死んでしまうことや非常に無神経で相手の気持ちが理解できない人物を演じていたことなどが記憶にあり、特にミレーユ・ダルクが演じていた妊娠中の妻に出産日を早めるよう酷いアドバイスをしていたシーンが強烈に印象に残っていました。

 この作品は今から7年ほど前、2008年にようやくユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパンからDVD化されたので、発売と同時に早速購入し、29年ぶりに『プレステージ』のアラン・ドロン、ミレーユ・ダルクと邂逅することができました。その後は、何度も自宅で鑑賞し続けています。

 私はその再鑑賞の中で、アラン・ドロンが演じた主人公ピエール・ニオックスのキャラクターが、彼の過去のどの作品にその原型があるのかを考えてきました。
 その辿り着いた作品の主人公は、彼がデビュー間もない1961年に制作された『太陽はひとりぼっち』の証券マン、ピエロです。26歳の若いアラン・ドロンが出演していたこの作品が常に頭に浮かび、現在では双方の主人公の共通項が頭から離れなくなってしまいました。彼はどちらの作品でも有能な実業家やビジネス・マンを演じており、かつ実生活においても多くのビジネスに精通している実業家であることと重ね併せてしまうからかもしれません。
【参考 『太陽はひとりぼっち』③~「アラン・ドロン」の原型 ホワイト・カラー層として~

 『プレステージ』の制作が1977年ですから、『太陽はひとりぼっち』のPiero(ピエロ)は、16年の歳月を経て再登場したと私は考えています。主人公の役名がPierre(ピエール)であることも偶然とは思えません。 
 Piero(ピエロ)は、『太陽はひとりぼっち』で証券取引所でエネルギッシュに活躍していた頃と同様に、相変わらず無神経な言動を繰り返しながら、家屋・土地など不動産や古美術を転売するPierre(ピエール)へと年齢を重ねていったように見えるのです。
 
 ところで、少し話が逸れてしまうのですが、わたしは今まで、アラン・ドロンのファンではない人達からの何気ない感想に、彼の本質を見抜くような鋭い内容が含まれていて、物凄く驚かされたことが何度もありました。

 そのなかに、

「アラン・ドロンが出演している作品を観ていると疲れる。」

と言っていた女性がいました。

 彼女が今まで鑑賞したアラン・ドロンの出演作品では、彼の落ち着きの無い仕草、行動が神経に触り気持ちがたいへん疲れたそうなのです。もちろん、そんな感想を持つくらいですから、彼女はアラン・ドロンのファンではありません。

 そして彼女は、『太陽はひとりぼっち』や『プレステージ』はもちろんなのですが、何とっ!アラン・ドロンが極限的に「静」の美学を表現したともいえるジャン・ピエール・メルヴィル監督の『サムライ』においてさえ、その行動への嫌悪感が例外ではなかったと言うのです。

「こせこせ、走り廻ったり、急に電車から飛び出たり、ああ、ホント観ていて疲れるわ。」

と、彼女は『サムライ』を観た後、うんざりしたと言うのです。もちろん、地下鉄構内で警察の尾行から逃げまわるあの映画史的にも有名なシークエンスのことです。
 ファンであるならば、このようにアラン・ドロンの批判を直接聞けば不愉快になると思うのですが、私はその意見の不思議な説得力によって、あらためて「アラン・ドロン」の特徴を確認できたことに大きな歓びを感じてしまいました。
 そう、これはその作品の主人公のそれではなく、紛れも無い「アラン・ドロン」という映画俳優の特徴のひとつなのです。そして、『太陽はひとりぼっち』の主人公Piero(ピエロ)と『プレステージ』の主人公Pierre(ピエール)には、そのせわしない仕草、落ち着きのない行動が最も顕著に表れているのです。

 確かに『太陽はひとりぼっち』については、アラン・ドロン自身も次のように語っています。

【>『太陽はひとりぼっち』では全く違いますね:証券取引所のシーンでは動くのを止めません。カメラがあなたをフレームに収めきれず、あなたはどんどん横へ行ってしまうのです。
>アラン・ドロン
私はよくカメラマンとは問題を起こしていたんだ、頻繁にフレームの外へ行ってしまうんだね。私の動き方を知らないカメラマンは追い切れない(笑)あの作品はとても注意深いカメラマン(訳注:ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ)で私をフレーム内に収めている。でなければ私は先へ行ってしまうんだ:追っても、もう他へ行ってしまっている・・・動くのが私の性格なんだろう。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18 「回想するアラン・ドロン:その3(インタヴュー和訳)」

 また、『プレステージ』でも、彼のその典型的な動作が十分に写しとられています。
 特に、Pierre(ピエール)がミレーユ・ダルクの演ずる恋人のエドヴィージュが購入したアパルトマンの改装に立ち会うシークエンスでは、驚くことに、フレーム内で被写体(アラン・ドロン)の動き自体が振れてしまっており、そのショットをそのまま使用しているのです。一瞬でしたが意図的なカメラ操作ではなく、動きまわるアラン・ドロンにカメラ・ポジションを確定できず手振れを起こしたものではないかと思います。
 ドキュメンタリー映像に良くありがちな何ともリアルなシーンとなっており、私は強く印象に残りました。

 これらのことからも、この2作品の主人公には多くの共通点があることがわかります。

 さて、本題に戻りましょう。
 各作品での主人公には人間性の重大な欠陥が露わに表現されています。特にそれは主人公の典型的なハラスメント的言動において顕著であり、これもまた、2作品の更なる共通点でもあります。

 『太陽はひとりぼっち』では、主人公Piero(ピエロ)が、同僚の女性職員が退勤するシーンで、

>残業が嫌になったのか、135センチのデブとデートか。
とか、

 女性とデートするときも、じろじろと無神経に彼女の髪を観ながら、

>ピエロ
「染めたのか?前はブロンドだった。」
>女性
「これが本当よ。」
>ピエロ
「行けよ。僕は残る。」

など、酷い言動をしています。

 また、『プレステージ』でのPierre(ピエール)の無神経な言動も尋常ではありません。彼は妻となったエドヴィージュの妊娠に対して、何と出産の予定月日を早めることを促すのです。

 これらのハラスメント的な言動は、その落ち着きのない行動とともに両作品のアラン・ドロンが演じた主人公の強烈な個性であり共通点ですから、やはり、ここでもPiero(ピエロ)とPierre(ピエール)が、私には同一人物だとしか思えないのです。

 そんな主人公の辿っていった顛末はどのようなものだったでしょうか?
 まず、『太陽はひとりぼっち』では、ラスト・シークエンスでの主人公Piero(ピエロ)の様子に、それが集約されています。

【ドロンは電話の受話器をはずしてデートに邪魔が入らないようにしており、受話器を戻したあとも、電話が鳴っても出ずにじっとしている。それは、仕事に忙殺されてきた男の初めての人間性の芽生えのようであるが、同時にそれまでもっていた唯一のコミュニケーション手段ももはや信じられなくなった、孤独の確認、と言っていいのかもかもしれない。】
【引用~『アントニオーニの誘惑―事物と女たち』石原郁子著、筑摩書房、1992年】

アントニオーニの誘惑―事物と女たち

石原 郁子 / 筑摩書房



 更に、『プレステージ』では、主人公Pierre(ピエール)の人間性の欠如の顛末として、結局はその末路を死によって表現せざるを得なかったのではないか、と私は考えました。この作品での死の表現は、彼が出演してきた多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」での「死の美学」とは全く異なるものとなっています。つまり、アラン・ドロンは、死を美学としてきた過去の作品のテーマを否定的に総括し、彼の実生活とも重ねることができるそのビジネス・ライクが、虚無(ニヒリズム)であることを表現せざるを得なかったと私は考えてしまったのです。
 これは、この時期のアラン・ドロンのプライヴェート生活の中で、彼自身が実業家であることの矛盾にまで斬りこまれる深刻なテーマだったかもしれません。

 そして、この作品の7年後、アラン・ドロンは、『太陽はひとりぼっち』から23年後の1984年に、『Notre histoire(真夜中のミラージュ)』で、妻の不貞に苦悩する夫、夫としての許容を超えた実業家を演じます(【『Notre histoire(真夜中のミラージュ)』③~愛の再生・復活その3 セザール賞主演男優賞受賞~】の記事参照)
 ここでは、デビュー当時は「シネマ・ヴェリテ(映画=真実)」作品の騎手としてセンセーショナルな活躍をしてきた巨匠、ベルトラン・ブリエ監督のもと、実業家・ビジネスマンの立場で、夫としての限界状況を超越し夫婦愛を再生させる主人公のロベール・アヴロンシュを演じて新たな境地を拓くのです。

【>ベルトラン・ブリエの『真夜中のミラージュ』では笑わそうとする意志が感じられましたね、それが一番の狙いではないにしろ。
>アラン・ドロン
ブリエの現場は本当に素晴らしかったね。ロージー以来、私はブリエのような人を待っていたんだ。他の監督たちに侮蔑的に聞こえて欲しくはないけどね。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18 「回想するアラン・ドロン:その6(インタヴュー和訳)」

 更に6年後、『プレステージ』から13年後、『太陽はひとりぼっち』から29年後の1990年に、彼は、とうとう「ヌーヴェル・ヴァーグ」の巨匠、ジャン・リュック・ゴダール監督のもと、『ヌーヴェルヴァーグ』に辿り着くことになります。この作品でのアラン・ドロンは、愛憎絡み合う恋人の手をしっかりと握りしめ、やはり愛を再生させる実業家リシャール・レノックスを演じました(【『ヌーヴェルヴァーグ』④~愛の再生・復活その1 現代思想の実践~】の記事参照)
 しかも、この作品でのジャン・リュック・ゴダール監督は、明らかにアラン・ドロンの過去の作品『太陽はひとりぼっち』を意識してアラン・ドロンに主人公を演じさせているのです。これは凄いことです。

【>アラン・ドロンの出た『ヌーヴェルヴァーグ』を撮った時、本当にドロンと一緒に仕事をしたいと思ったのですか?
>ジャン・リュック・ゴダール
そうだ。それはまた、彼の年齢と物腰を思えば、彼が『パリの灯は遠く』や『若者のすべて』や『太陽はひとりぼっち』で見せた何かを再び見たいという欲望でもあったんだ。彼は3本の優れた映画を生みだした。それほど多い数ではないが、それだけあれば充分だ・・・・。】
【『現代思想 総特集 ゴダールの神話』(「映画はその役割を果たす術を知らなかった/リュミエール100年にあたってのインタビュー」ジャン・ピエール・ラヴォワニャ、細川晋 訳)青土社、1995年10月臨時増刊】

ゴダールの神話

青土社



 アラン・ドロンが、この2作品で演じた主人公は、『太陽はひとりぼっち』や『プレステージ』と同様にビジネスマンや実業家なのですが、描かれているテーマや結末は全く異なったものとなりました。
 1961年に『太陽はひとりぼっち』のラスト・シークエンスで、孤独である自分に気がつくことができたPiero(ピエロ)は、1977年に『プレステージ』でのPierre(ピエール)の死による結末を経たからこそ、『Notre histoire(真夜中のミラージュ)』(1984年)でのロベール・アヴロンシュと『ヌーヴェルヴァーグ』(1990年)のリシャール・レノックスによる「愛の再生・復活」のテーマに結実することができたのでしょう。

 彼は、「フレンチ・フィルム・ノワール」の傑作『殺られる』(1959年)やハリウッドでも評価が高かった『Mr.レディMr.マダム』(1978年)などの傑作を撮った名匠エドゥアール・モリナロの演出のもとで、現代人の人間性の欠陥、特に女性への蔑視を死滅させ、人間性の価値を再生・復活させるための人間表現の新たな一歩を踏み出すことができるようになったとも考えられます。
 『プレステージ』での死の結末は、『太陽はひとりぼっち』から出発した現代ビジネスの虚無(ニヒリズム)との闘いの結末として、それを死滅に至らしめるための人間表現であり、アラン・ドロンにとっては絶対に必要なものだったのではないでしょうか?

※ エドゥアール・モリナロ監督については、こちらに素晴らしい記事があります。koukinobaabaさんの「Audio-Visual Trivia」の記事「エドゥアール・モリナロ Edouard Molinaro」です。

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 彼は、このような死を表現することができたことによって、ようやく新たな生、すなわち、ホワイトカラー層としての充実や展望、現代のビジネス・マンや実業家の辿り着くべく理想像の確立に立ち向うことができるようになったのだとすると、この『プレステージ』は、その出演作品の中でも、たいへん重要な位置に存在する決して忘れてはならない貴重な作品であると私には思えてくるのです。
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# by Tom5k | 2015-02-01 17:38 | プレステージ | Comments(0)