『高校教師』①~アラン・ドロン本人が選んだベスト5作品の一本②~

【<『高校教師』①~アラン・ドロン本人が選んだベスト5作品の一本①~>から続く】

 さて、2007年の段階でアラン・ドロンが選んだベスト5作品ですが、その理由を挙げることが最も難しい作品がこの『高校教師』かもしれません。しかし、1996年の「カイエ・デュ・シネマ」のインタビューで、彼はこの作品について、次のように語っていました。

【>ズルリーニの『高校教師』を再見しました。驚くような作品ですね。
>私もこの映画が大好きなんだ!この作品は偶然の賜物だよ。マストロヤンニが演じるはずだったんだが、スケジュールの調整が出来なかったんだ。私はローマでロージ監督の『暗殺者のメロディ』の撮影中だった。ズルリーニがやって来て、私は彼とは面識があった、彼はヴィスコンティの友人だったからね。それで、シナリオを読んで欲しいと言う訳だ、とても正直に『高校教師』のシナリオはもうマストロヤンニに読んでもらったと話してくれた。監督が自分の作品のシナリオを別の役者に読んでもらったと言うのは珍しいよ。そのシナリオを読んで、私はすぐに彼に電話したよ:「やるよ!」ってね。

>この作品であなたは製作もやられていますね。
>共同制作だったと思う、100%フランス資本じゃなかったと思うが・・・

>この映画は1972年製作で、あなたは5月革命の人物のようです、崩れた教師という感じで・・・
>これは私のお気に入りの一本だね、感動させられたよ。映画を愛する者はこの作品が好きなんだ。ズルリーニのことも好きだったんだ、若死にしたがね、アル中で苦しみ、ボロボロだった・・・理不尽だよ。『タタール人の砂漠』『家族日誌』『鞄を持った女』などの監督作品もあったけど・・・素晴らしい映画作家だった、ヴィスコンティに強く影響を受けていたね。イタリア語題名は"La prima notte di quiete" 安楽の最初の夜、つまり死後のことだね・・・『高校教師』は大好きな作品だったがフランス版は薄められてしまったんだ。リミニ(注:フェリーニ監督の出身地として有名)の隣のイタリア社会を描いたものだがフランスでは受け入れがたい代物だった。それでタイトルを変えざるを得なかった。安楽の最初の夜では何のことだか分らないからね-映画もカットされたんだ。もっと長いオリジナル版を見てほしいね、今回シネマテークで上映しようとしている版だよ。『山猫』のように3時間の上映時間だ。当時は商業的な理由で、国によって映画をカットしていたからね。

>『高校教師』では、いつも同じコート、丸首のセーターを着ていて、無精ひげ姿です。スターのあなたがこうした壊れたような人物を演じるのは賭けではないのでしょうか?
>毎回、私がこうした賭けをやると、大抵理解されないんだ。別の役者なら違うのだろうが、私はダメなんだね。批評家たちは年がら年中こうだ:ドロンはいつも同じ事をやってる、軽機関銃を持った映画だけだ・・・あらゆる観客たちのために私くらい多種多様な映画をやってきた者はいないと思うんだがね。私がギャング映画をやったのは、正に『高校教師』や『パリの灯は遠く』を製作するためなんだ。映画はマッチを擦るように出来るもんじゃない!『真夜中のミラージュ』をやった時も、酷評だったよ:ドロンが酔っ払い役でメソメソ泣く男を演じるなんてとね・・・】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/26
「回想するアラン・ドロン:その9」(インタヴュー和訳)」


 このように、実に興味深い内容がアラン・ドロン本人によって語られています。まず、ヴァレリオ・ズルニーニ監督が映画作家として、アラン・ドロンの師の一人であったルキノ・ヴィスコンティ監督の友人であり、その影響を受けていた演出家であったことが特に印象的です。

 昭和60年代(1980年代半ば)頃になりレンタル・ビデオ店が専門店化した頃、私が中学生のときのテレビ放映以来、久しぶりにこの作品をレンタルして観た時に想起した監督は、ルキノ・ヴィスコンティではなく、『道』(1954年)や『カビリアの夜』(1957年)などの初期のフェデリコ・フェリーニ監督の作品群でした。
 後で知ったことなのですが、案の定、この作品の舞台はフェデリコ・フェリーニ監督の出身地リミニでした。
 また、後年、古本屋で手に入れた1973年9月上旬号のキネマ旬報誌上においても、映画評論家の渡辺祥子は『高校教師』をフェデリコ・フェリーニ監督の『青春群像』(1953年)を踏まえて作られた作品であると解説していました。
【参考 キネマ旬報1973年9月上旬号No.612(「アラン・ドロンと「高校教師」渡辺祥子】

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 30歳代後半からのアラン・ドロンは、「フィルム・ノワール」の硬質で男性的な、ある意味においての硬直したイメージを脱皮しようとしていたのでしょうか?少なくても、彼がそれを強く感じざるを得ない年齢となっていたようには思います。それは彼の俳優としてのプライドだったのかもしれませんし、映画スター・俳優としての彼の苦悩だったのかもしれません。
 映画評論家の淀川長治やジャン・リュック・ゴダール監督も、アラン・ドロンについて、これに類似した指摘内容でコメントしていたことがあったように記憶していますし、人気の低迷していった40歳前後に演じていた彼の作品群からも、このことは良く理解できます。
 更に、彼の今までの共演者達を思い浮かべてみると、それが間違いないことだとわかります。
 例えば、ジャン・ギャバン、バート・ランカスター、アンソニー・クイン、リノ・ヴァンチュラ、チャールズ・ブロンソン、ジャン・ポール・ベルモンド、女優においてさえ、シモーヌ・シニョレ・・・自分が映画スターとして、如何に持て余す容姿であったか・・・このことに最も苦しんでいたことは、アラン・ドロンのファンとして、察して余りあるものがあります。

 そして、アラン・ドロン本人は、『パリの灯は遠く』(1977年)を撮った頃の役づくりについて、次のように述懐しています。

【(-略)『パリの灯は遠く』は、私の顔では、大胆な演技が要求されたのにね。役作りに腐心した人物だったんだ!】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18
「回想するアラン・ドロン:その6」(インタヴュー和訳)」


 そして、この『高校教師』は、見事に自らのハンデキャップを乗り越え、しかも、自らの女性ファンに受け入れられ、更に新たな女性ファンを多く生み出した作品だったと言われています。
 そう考えると、最近の私は、『高校教師』を好きにならない女性は、この世に誰もいないのではないか、とまで思うようになりました。

 さて、今回、私が今一度、この作品を鑑賞して最も強く感じ取れたことのひとつが、彼の演じたダニエル・ドミニチのイノセンスなキャラクターでした。『高校教師』でのアラン・ドロンの魅力の一つとして、女性ファンからよく耳にする母性をくすぐるキャラクターであるという一般論です。
 私は、このことが若い頃には良く理解できなかったのですが、後年、このダニエレ・ドミニチのキャラクターは、『若者のすべて』で彼が演じたロッコ・パロンディの純粋で無垢なキャラクターが進化したものであることに気が付いたのです。それも、ロッコの兄であるシモーネの退廃を加えたより現実的で現代的な人物だと、わたしには感じられるようになりました。

 また、主人公のダニエレ・ドミニチが、実は家柄の高い名門の出身でありながら、退廃的な境遇に身をおとし、貧困な高校教師となっている設定なども、ルキノ・ヴィスコンティの後半期の作品を想い起こさせるものでした。
 そして、非常識な不良教師でありながら、彼の教養の深さは非常に印象的に描写されています。文学の講師として、まず、自己紹介を兼ねた自分の講義の方針を説明する際に、14世紀のイタリアの詩人ペトラルカの詩を例示します。

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 そして、ダニエレ・ドミニチは、受け持ちのクラスでただ一人、彼が生徒達に与えた課題のテーマである18世紀のイタリアの詩人アレッサンドロ・マンゾーニを選び、授業中には、D・H・ローレンスの著作を読んでいるソニア・ペトローヴァが演ずるヴァニーナ・アヴァティに強く興味を示します。そして、彼女と同名のスタンダールの作品「ヴァニナ・ヴァニニ」(1960年に、ロベルト・ロッセリーニが映画化)を彼女を誘う口実に使うのです。

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 彼女とのデートでは、15世紀のイタリア・ルネッサンス期に活躍した画家ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品「出産の聖母」を観せるために、トスカーナのモンテルキまで出かけます。

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 こういったダニエレの趣味は、庶民にとっては縁遠い嗜好かもしれませんが、ヴァレリオ・ズルニーニとアラン・ドロンが、ルキノ・ヴィスコンティ門下生としての影響を色濃く受けた監督・俳優であったからこそ、作品の設定において、高い品格を伴う描写が可能だったのでしょう。ちなみに、マンゾーニは、イタリア統一の時代にヴィスコンティ一家の領地であったミラノから出た上院議員だったそうです。

 また、忘れてはならないのが、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『夏の嵐』(1954年)で主演した往年の名女優アリダ・ヴァリの出演です。この作品で演じた惨めな中年女性の醜さによって、彼女はこれ以降の作品でも醜女としてしかカメラに写ることが出来なくなってしまったとまで思いました。

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 『高校教師』では数分のシークエンスしか出番はありませんが、やはり彼女が演じたヴァニーナ・アヴァティの母親役は悲惨なほどの醜さです。美しい自分の娘の肢体を売りものにして生活している腐臭の漂うよう精神環境を持つ彼女の形相がカメラに収められてしまっています。このことからも、ルキノ・ヴィスコンティ監督の俳優の使い方には、非常に危険な要素が存在していることがわかります。そう考えると、アラン・ドロンがヴィスコンティ一家から離反していったことを少なからず理解できるような気もしてきます。

 更には、この『高校教師』に、過去にアラン・ドロンとともに『若者のすべて』(1960年)に出演していたレナート・サルヴァトーリ、この後、1975年にルキノ・ヴィスコンティ監督の遺作『イノセント』に出演したジャンカルロ・ジャンニーニ、1972年に『ルードウィヒ』に出演したソニア・ペトローヴァが主要な登場人物として出演していることにも、ルキノ・ヴィスコンティ監督とこの作品との不思議な因縁が感じらます。

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 いずれにしても、アラン・ドロンにとっては、

◯作品の設定や主題において、深い教養があるが故に退廃に身を委ねざるを得なかった破滅型の不良教師と、絶望的な過去から解放されることのない少女との純粋でありながら、未来の見えない性愛を、このように見事な「キャラクターの新境地」として、成功させることができたこと。

◯主人公が家柄の高い名門の家柄出身であり、その家族の崩壊後の退廃的な末裔として、主人公の展望の無い人生を描いていることが、師であったルキノ・ヴィスコンティの映画主題を引き継いでいること。

◯ルキノ・ヴィスコンティを最も敬愛していながら、彼と袂を分かつ生き方しか出来なかったアラン・ドロンが、過去にヴィスコンティ一家として活躍したイタリア映画界で、同じ門下のヴァリレオ・ズルニーニ監督とともに(アリダ・ヴァリ、レナート・サルヴァトーリの出演も含めて)『高校教師』の制作に携われたこと。

◯この作品で共演したジャンカルロ・ジャンニーニやソニア・ペトローヴァが、その後、ルキノ・ヴィスコンティ監督の作品に出演できる逸材であったこと。

などから、自分の出演した作品のベスト5として挙げたことは当然であったと考えられます。
 そして、私は、いつものことながら、そんなアラン・ドロンの作品に大きな拍手を惜しみなく贈りたくなってしまうのでした。

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# by Tom5k | 2016-11-12 00:06 | 高校教師(2) | Trackback(1) | Comments(0)

『高校教師』①~アラン・ドロン本人が選んだベスト5作品の一本①~

 小学生の頃にアラン・ドロンのファンとなった私には、この作品をどう理解すればいいのかわかりませんでした。
 想えば、未成年のラブロマンスや性の問題を伴う恋愛を描いた作品は、ヨーロッパには特に多かったように思います。
 映画史的な意味での名作品群においては、戦地から帰還したPTSD を抱えた中年男性と美しい少女との純愛を描いた『シベールの日曜日』(1962年)、思春期の少年・少女を描いた『トリュフォーの思春期』(1976年)、そして、青春映画の体系に位置する作品群においても、高校生が年上の女性に恋の手ほどきを受ける『個人教授』(1968年)や『青い体験』(1973年)などが印象的でした。

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 西欧のハイティーンは、日本人が理解できないような早熟な感性を持つ、いわゆる「大人」だったのでしょうか?
 私は、そうとも言えないと思っています。例えば、日本のテレビ・ドラマでさえ、岡崎友紀、石立鉄男主演の『おくさまは18才』(1970~1971年)、映画では、関根恵子主演の『おさな妻』(1970年)や藤田敏八監督、秋吉久美子主演の『バージンブルース』(1974年)などで直接的・間接的に、それは描かれていましたから、大人か否かは国柄の問題ではなく、個々人の問題だと私は考えます。

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 いずれにしても、これらの作品の本質的な意味での理解は、小学生の私には無理でした。それでも、高学年にもなれば、そういった好奇心は人並みには持つようになっていました。
 中・高校生になったときには、中学生の妊娠・出産をテーマにした『3年B 組金八先生』第1シリーズ(1979~1980年)、私は既に社会人になっていましたが、教師と生徒の恋愛、同性愛、強姦、近親相姦、自殺などを実に暗鬱な表現で扱っていた『高校教師』(1993年)などが、若い人たちの間では高視聴率のテレビドラマでした。

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 そして、中学生の時代になっても、周囲に早熟なクラスメートに囲まれながら、テレビ放映で観たアラン・ドロンの出演していた『栗色のマッドレー』(1970年)や『個人生活』(1974年)、この『高校教師』(1972年)のような恋愛そのものをテーマにしたいわゆる「メロドラマ」を、私は本質的には理解できてはいなかったと思います。それを理解できるようになるのは高校生、大学生になってからだったでしょうか?

 このような私にとってセンセーションな体験であったのは、18才のときに読んだ森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』でした。恋愛をテーマにしているわけでもなく、いわゆるポルノグラフィのように性的興奮を起こさせることを目的にしているものではなく、つまり、文学的課題そのものにセックスのテーマを用いていることが不思議でならなかったですし、性愛ではなく、自らの性欲の遍歴そのものを小説として発表していることに驚かされてしまったのです。

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 そして、50歳を超えてしまった現在、この『高校教師』を観て、私がひとつ思ってしまうことがあります。アラン・ドロンが演じている主人公、ダニエレ・ドミニチという教師の不良性向です・・・現在の日本では青少年保護育成条例に抵触する可能性も高く、少なくても公立高等学校であれば文部科学省や各都道府県教育委員会などにおいて、即時、職員のワイセツ行為として免職発令されてしまうような行為を扱っている内容に否定的な感想を持ってしまうのです。
 ここに至って、私は何とつまらない良識に因われているのだろうかと、ひどい自己嫌悪に襲われます。映画や文学の本質を全く理解できない、あまりにも良識的なつまらない自分に突然うんざりしてしまうのです。

 そもそも、映画や文学が健康的で健全なテーマを扱う作品ばかりであれば、映画館に足を向ける気持ちなど、ほとんど起こせませんし、DVDを観ることも読書をする気持ちも無くしてしまうのではないでしょうか。

 逆に、憎悪、怒り、裏切り、背徳、渇望、コンプレックス、エゴイズム、嫉妬、虚無感、反抗、反逆、犯罪、ドラックや殺人、孤独・・・人間の負の行為や感情、法律や良識・良俗に反する不快で不調和な人間社会などを描いた作品であれあるほど、それが観る側のモチベーション、動機として、最も惹きつけられる魅力的な要素になると考えることもできるわけです。

 私は何故、アラン・ドロンのファンであるのか?彼のファンであることの心理はどこにあるのか?
 彼がデビューしてから、『高校教師』に出演するまでの作品を挙げても、酷く歪んだ人格破綻者のキャラクターが非常に多く、むしろ、それらがアラン・ドロンの本質的な魅力のひとつになっているようにまで思うのです。

『太陽がいっぱい』(1959年)では、友人への劣等感や嫉妬心から殺害事件を犯し、彼の恋人と遺産を奪い取る犯罪者。

『太陽はひとりぼっち』(1961年)では、他人の孤独や苦悩を想像できず、自らの道義的な倫理観を全く自覚することができなくなってしまったな欠陥人間。

『世にも怪奇な物語』(1967年)では、自分より弱い人間をいたぶることにしか興味のないサディスト。

『あの胸にもういちど』(1967年)では、人妻をたぶらかす背徳の大学教授。

『太陽は知っている』(1968年)では、旧友との確執から殺人まで犯し、警察には最後までしらを切り完全犯罪を履行します。しかも、この作品でアラン・ドロン本人が選んだ共演者が、過去に結婚の約束までしていたにも関わらず、一方的に婚約破棄をしてしまったロミー・シュナイダーだったのです。

『レッド・サン』(1971年)では、仲間を平然と裏切る自分の欲得しか考えない西部の悪漢。

『リスボン特急』(1972年)では、大切な友人の妻と愛人関係を持ち、部下や協力者に平気で暴力を振るう権力の権化である冷徹な警察官。

・・・等々。

 これらの不道徳や不倫理こそ、アラン・ドロンの最大の魅力ではなかったのか、とあらためて省みるわけです。
 ともかく、この『高校教師』は、彼にとっては、かなりの野心作であり、公開当時の日本のファン、特に女性ファンの間で評判が高かった作品と言われています。

 ところで、2007年10月8日に関西テレビ・フジテレビ系列で放映された、当時のジャニーズ事務所所属の人気タレント・グループ 「SMAP(スマップ)」がレギュラー出演していたバラエティ番組『SMAP×SMAP 秋の超豪華 アラン・ドロンも来ちゃいましたスペシャル!!!』の『BISTRO SMAP』に出演した際に、自分の主演した作品のベスト5として、『太陽がいっぱい』、『太陽が知っている』、『山猫』(1962年)、『暗黒街のふたり』(1973年)とともに『高校教師』を挙げていました。
 これらは、それぞれ自分の人生で大切だった人達と共演し、または演出した作品への出演作です。

 『太陽がいっぱい』は、師匠ともいえるルネ・クレマン監督の演出や友人モーリス・ロネとの共演、アンリ・ドカエが撮影した彼の出世作です。番組の出演中に「素晴らしい映画だ」、「「太陽がいっぱい」は世界中でヒットした」と強調していたアラン・ドロンでしたが、この作品が映画史的な意味での評価にまで至っていないことを十分にわかっている上で、敢えて強い想いを伝えようとしていたコメントのように私には感じられました。

 『太陽が知っている』は、マルコビッチ殺害事件で任意調査の対象とまでされていた時期の作品でした。盟友ジャック・ドレー監督との初コンビ、若い頃の婚約者ロミー・シュナイダー、親友モーリス・ロネとの共演作品です。

 『山猫』は、敬愛するバート・ランカスターとの初共演、そして、最も大きな影響を受けた師匠ルキノ・ヴィスコンティ監督と撮った最後の作品です。

 『暗黒街のふたり』は、バート・ランカスターとともに彼が最も敬愛していたジャン・ギャバンと最後に共演した作品でもあり、盟友ジョゼ・ジョヴァンニ監督での初出演の作品です。『地下室のメロディー』(1962年)や『シシリアン』(1969年)は、アンリ・ヴェルヌイユ監督のもとでジャン・ギャバン一家としての出演作品でしたが、『暗黒街のふたり』はアデル・プロダクションの作品です。つまり、ようやく自分の土俵でジャン・ギャバンと対等に共演できたと、アラン・ドロンが考えたとしてもおかしくはなかったでしょう。
 しかしながら、ジャン・ギャバンは、『現金に手を出すな』(1954年)で大切な子弟、『ヘッドライト』(1956年)で年下の若い恋人、人生における最も大切な者の死を哀愁にまで高める名演が十八番のスター俳優でした。『暗黒街のふたり』でも過去の代表作品と同様、誤って犯罪を犯してしまう悲劇的な主人公の死に立ち会う保護司のキャラクターを好演したことを鑑みれば、結局はジャン・ギャバンの独壇場・・・残念ながら役者としては一枚も二枚も彼の方が上手であったように私は感じています。

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 それにしても、アラン・ドロンは、1977年の来日のときには、2007年の来日のときは異なり、自分の気に入った作品として、『太陽がいっぱい』、『若者のすべて』(1960年)だけを挙げていました。
【>いちばん好きなドロン主演作は
>しいていえば「太陽がいっぱい」と「若者のすべて」】
【「スターランドデラックスVOL4 アラン・ドロン(P48~49独占インタビュー)」徳間書店、1977年】

 また、1983年の来日のときは、人生での5人の大切な監督との出会いとして、ルキノ・ヴィスコンティ、ルネ・クレマン、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジョセフ・ロージー、ジャン・ピエール・メルヴィルを挙げていたにも関わらず、

【>宮崎総子
今までいろんな監督と出会っていると思いますけどね。ヴィスコンティさんとか。本当に世界で一流の。どなたからたくさん影響を受けていらっしゃいますか。
>アラン・ドロン
私の人生では5人の大切な大監督が挙げられます。最も影響を与えてくれた人々はビスコンティ、ルネクレマン、アントニーオーニー、ローゼ、メルヴィル。私の人生のいろいろな時期にこうした人たちから影響を受けました。】
【「モーニングジャンボ奥さま8時半です』「総子がせまる!いい男コーナー たまらなく男ざかり!アラン・ドロン」インタビュー:宮崎総子、1983年11月8日:毎日放送】


 1996年の「カイエ・デュ・シネマ」のインタビューでは、ミケランジェロ・アントニオーニとは偶然の出会いだったとして、自身の俳優としての基礎、キャリアの構築に重要だった監督には敢えて入れていません。

【>ベルトラン・ブリエの『真夜中のミラージュ』では笑わそうとする意志が感じられましたね、それが一番の狙いではないにしろ。
>ブリエの現場は本当に素晴らしかったね。ロージー以来、私はブリエのような人を待っていたんだ。他の監督たちに侮蔑的に聞こえて欲しくはないけどね。でも私にはヴィスコンティ、クレマンがいて、アントニオーニは偶然だがね・・・

>アントニオーニはモニカ・ヴィッティにより関心が向いていたと思いますが。
>ヴィッティは彼の奥さんだったからね。私は奥さんの相手役だった訳だ。私の代わりにマストロヤンニでも良かっただろう。ヴィスコンティ、クレマン、メルヴィルにロージー:私のキャリアは正にそれだよ。その後にもいくつかの出逢いはあった:1964年のアラン・カヴァリエ(さすらいの狼)、ブリエにレネ・マンゾールの「デーモン・ワールド」のような監督第一回作品もあったね。ベルニュイユやドレー監督と撮った10本も映画も否定するつもりは全くないよ。どの作品も収めるべき場所があるんだ。ヴィスコンティがこう言ってた:「キャリアを築くのは、建築のようなものだ、基礎工事が肝心だとね。」私の基礎は、ヴィスコンティ、クレマン、メルヴィルにロージーだね。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18
「回想するアラン・ドロン:その6」(インタヴュー和訳)」


 このようにアラン・ドロンは、自分の気に入った作品や俳優のキャリアで重要であった監督に限っては、自身の年齢・経験値、インタビューの場に応じたりしながら、それぞれ異なる発言をしてきたように思います。

【<『高校教師』①~アラン・ドロン本人が選んだベスト5作品の一本②~>に続く】
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# by Tom5k | 2016-11-11 20:19 | 高校教師(2) | Trackback(1) | Comments(0)

『チェイサー』③~実業家「アラン・ドロン」、そのヒーロー像~

 『プレステージ』(1977年)を観た後、実業家・ビジネスマンである主人公を演じた当時のアラン・ドロンをもっと深く掘り下げたくなって、『ブーメランのように』(1976年)にこだわってしまったのですが、私には、以前から、『ブーメランのように』を鑑賞するたびに、この作品と必ず比較してしまう作品があります。
 それは、1978年11月、私が高校生の頃に公開された『チェイサー』です。

 その習慣は現在でも続いており、先般、『ブーメランのように』を観た後にも、やはり『チェイサー』を観てしまいました。私は、どうしてもこの2作品を無意識に、いや意識的に?比較してしまうのです。

 この2作品の「アラン・ドロン」の演ずる主人公の設定は言うまでもなく異なったものなのですが、実は非常によく似ており、その外観、特にその表情が似ているように思うのです。
 私は、『ブーメランのように』のジャック・バトキンと『チェイサー』のグザヴィエ・マーシャルを同一主人公にした実業家「アラン・ドロン」シリーズにしたら面白かっただろうと考えてしまいます。

 想えば、『ブーメランのように』が公開されるまでの彼の出演作品での「アラン・ドロン」キャラクターは、あまりにも強烈な個性によって表現されていた作品ばかりだったような気がします。
 だからこそ、『ブーメランのように』と『チェイサー』のような普段通リの素顔で演技している様相の2作品が、私にとっては際立ってしまう印象になったのかもしれません。

 残念ながら、日本でのアラン・ドロンの人気が低迷してしまったのもこの頃でした。作品としては素晴らしいものばかりですから、本当に悔しく思います。

 1975年2月に公開された『ボルサリーノ2』ですが、これは確かに「アラン・ドロン」らしく、クールで友情に篤い主人公でしたが、人気全盛期の最も彼らしい孤独なアウトサイダーの役柄からは、遠ざかっていた作品だったように感じます。信頼できる部下に囲まれ、素晴らしい恋人を背景に設定した物語ですが、マフィアのボスとして彼らを同行させてアメリカに渡航するラスト・シークエンスは、従来から彼が得意としていた孤独なアンチ・ヒーロー的な在り方ではありませんでした。

 1975年4月に公開された『愛人関係』は、恋人ミレーユ・ダルクを主演にして、自らは助演に徹した作品でしたし、ナルシストのアラン・ドロンが本気で恋人を愛してしまいます。少なくても、「アラン・ドロン」に夢中だった女性ファンを失望させてしまう設定でした。私は好きな作品ですが・・・。

 1975年7月に公開された『アラン・ドロンのゾロ』は、彼が原点に回帰し時代劇のコスチュームで仮面の騎士を演じました。たいへん素晴らしく、若い頃の「アラン・ドロン」であるならば、これこそ新たな剣戟のヒーロー誕生とまで言いたくなるような作品だったと思いますが、1970年代当時の映画のトレンドからも、40歳に差し掛かったダンディーなヨーロピアン・スタイルのいわゆる「アラン・ドロン」キャラクターからも、かなりかけ離れた作品になってしまいました。

 1975年11月に公開された『フリック・ストーリー』は、彼がそれまでほとんど演じたことのなかった刑事役でした。非常に魅力的な役柄ではあったのですが、やはり従来の「アラン・ドロン」らしからぬ主人公でした。
 この作品の実在の主人公ロジェ・ボル二ッシュ刑事は、アラン・ドロンが過去に演じた『リスボン特急』でのアウトサイダーの刑事とは異なり、スーパー・デカの異名を持ちながらも警察組織の仕事に埋没し日常的な業務遂行の状況を上司に点検され、その叱責や指導を受けている国家公務員としての警察官だったのです。

 1976年4月に公開された『ル・ジタン』ですが、何と彼が演じた主人公は、ロマ族出身の犯罪者です。甘いマスクで多くの女性を魅了したダンディズムの極致としての「アラン・ドロン」の面影は存在しませんでした。
 しかし、ここでの「アラン・ドロン」は髭を生やし痩せこけ、髪の毛は乱れたままの姿で出演し、新しく素晴らしいアンチ・ヒーローのキャラクターを創造できたように思います。
 ですから、人気の持続する安定した「アラン・ドロン」像の確立まで至れなかったことが、悔しくてならないのです。

 もしかしたら、1970年台半ばから、このように器用貧乏とまで言えるような多種多様な役柄を演じていた彼は、新しい「アラン・ドロン」像を創出することにかなり焦っていたのかもしれません?
 どの作品も、まぎれもなく「アラン・ドロン」でありながら、「アラン・ドロン」ではないように感じる作品ばかりです。それぞれ、素晴らしく新境地を拓くような野心作ばかりでしたが、どれも「アラン・ドロン」新時代を築く決定打には、もう一歩足りていなかったように思います。

 また、1976年12月に『ブーメランのように』が公開された後の1978年11月に『チェイサー』が公開されるまでの間の2作品も、「アラン・ドロン」が演じた主人公としては、あまりにも強烈な個性で、かつ「アラン・ドロン」らしからぬ役柄でした。

 1977年4月公開の『友よ静かに死ね』は、私にとっては本当に面白い作品でしたし、映画作品としても素敵な逸品だと思っていますが、実在したギャング団のボスであった主人公のロベール・ルートレルは、これはもう、いわゆる「アラン・ドロン」ではありません。キャラクターも髪型も言わずもがなでしょう。

 1977年9月公開の『パリの灯は遠く』は、当時の観客動員数、商業性は別として、映画としての歴史的傑作であり、『太陽がいっぱい』、『若者のすべて』、『サムライ』などと同様に、「アラン・ドロン」の代表的作品であることは今更言うまでもないことです。
 しかし、ジョセフ・ロージー監督の演出での陰鬱な設定に加えて、「アラン・ドロン」もいわゆるスター性のあるヒーローからは程遠く、「もう、アラン・ドロンは、二枚目をやめた」とまで評された作品でした。

 このように、この時期の彼の作品は、残念ながら、『太陽がいっぱい』や『サムライ』を創作したときのように映画スター「アラン・ドロン」として、多くのファンに受け入れられる新時代のスター・キャラクターを創出することはできませんでした。
 ジョセフ・ロージー監督との大傑作『パリの灯は遠く』でさえも、その後の彼のスター性には大きく影響を与えるまでには至らなかったのです。

 そのように考えたとき、彼が『サムライ』でのジェフ・コステロの役づくりについて、カイエ・デュ・シネマ誌のインタビューを受け非常に興味深い回答をしています。
【>詳細一つ一つ、監督とあなたが話し合われたのでしょうか?
>アラン・ドロン
話もしたが、私はすぐに理解していた。才能と言うのは、カメレオン役者でもあることだ、自分が依頼されたことなら、(役柄の)色合い、調子を変えられることだと思う。それは当然のことじゃないかな。努力する訳じゃない、それは感じるものだからね。そうした事を理解して、自分に取り込めるのは職業的知性なんだ。でも賞賛して欲しいわけじゃない、独りでに湧いてくるものだからだ。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/11
「回想するアラン・ドロン:その5」(インタヴュー和訳)」


 また、彼の「アラン・ドロン」としての代表作品のひとつである『高校教師』については、次のように語っています。
【>『高校教師』では、いつも同じコート、丸首のセーターを着ていて、無精ひげ姿です。スターのあなたがこうした壊れたような人物を演じるのは賭けではないのでしょうか?
>アラン・ドロン
毎回、私がこうした賭けをやると、大抵理解されないんだ。別の役者なら違うのだろうが、私はダメなんだね。批評家たちは年がら年中こうだ:ドロンはいつも同じ事をやってる、軽機関銃を持った映画だけだ・・・あらゆる観客たちのために私くらい多種多様な映画をやってきた者はいないと思うんだがね。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/26
「回想するアラン・ドロン:その9」(インタヴュー和訳)」


「才能と言うのは、カメレオン役者でもあることだ、自分が依頼されたことなら、(役柄の)色合い、調子を変えられることだと思う。・・・そうした事を理解して、自分に取り込めるのは職業的知性なんだ。」
「あらゆる観客たちのために私くらい多種多様な映画をやってきた者はいない・・・」

 この言動は、この時期の彼の作品にも非常に良く当てはまるような気がします。『サムライ』と『高校教師』の成功が、1970年代半ば、このような極端な役づくりに彼を走らせてしまった遠因のひとつだったのでしょうか?
 もちろん、それが間違いだったとは全く思いませんし、私はむしろ、それこそ素晴らしい職業的気質だと思ってしまうのですが、あまりにも器用な役づくりは、劇中人物の個性をうまく表現できる性格俳優としての資質に必要な要件ではあるものの、華やかな銀幕のスターとして必要とされる資質ではありません。

 オールバックの戦前のマフィアのボス、愛する女性へ献身を捧げる弁護士、仮面を付けた正義の剣士、国家公務員の刑事、髭を生やしたロマ族の放浪の犯罪者、カーリーヘアの戦前のギャング団のボス、ユダヤ人の魅力に取り憑かれた美術商人の異常性・・・。 

 もしかしたら、これらの一貫性の無い「アラン・ドロン」キャラクターの混乱が、日本での人気を低迷させていく原因のひとつになったのかもしれません。

 さて、このように考えると、1970年台半ばに演じていた強烈な個性の主人公のなかでも、取り分け『ブーメランのように』と『チェイサー』、そして1979年5月公開の『プレステージ』の3作品で演じた主人公は、自らの私生活を背景にして素顔の「アラン・ドロン」に最も接近したものだったように思えます。
 特に、『ブーメランのように』と『チェイサー』は、いわゆる「フレンチ・フィルム・ノワール」という同じ体系に在るのですから、、安定した「アラン・ドロン」らしいヒーロー像を復活させるに足りますし、そうなり得る作品だったはずだと考えてしまいます。どうしても、私は、この2作品が彼のスターとしての起死回生の作品になって欲しかったと今だに強く思っており、こだわり続けているのです。

 当時の「アラン・ドロン」は、もう既にその生き方自体が、十分にドラマティックだったわけですから、俳優としての職業的知性によってあらゆる観客たちのために多種多様な映画を撮り続けるよりも、等身大で自然な生活感覚からヒーロー像を創出することを選択する方が、銀幕スターとしての魅力を最大限に発揮することが可能だったような気がします。

 そして、この2作品には、共通の「アラン・ドロン」らしい素晴らしさも数多く盛り込まれています。
 「アラン・ドロン」の私生活と同様に、主人公が事業の成功者、実業家であって、最も得意とする「フレンチ・フィルム・ノワール」体系の作品でもあります。主人公が愛する者、大切にしている者のために戦う孤独で格好良い「ヒーロー」であり、作品のテーマも社会の矛盾が鮮明に主張されていることから、男性的規範や価値観を基軸に構成されています。
 『ブーメランのように』のカルラ・グラヴィーナ扮する再婚相手とミレーユ・ダルクが扮する恋人のキャラクターが、日本的な表現をすれば「内助の功」の役割のみで担われていることなども男性的価値観の共通点でしょう。

 さて、話は少し逸れてしまうのですが、このように比較すると、この「アラン・ドロン」の実生活を反映させた2作品の根幹にあるテーマは、家族愛や友情です。
 自分の大切にしている者を守ろうと必死に戦う愚直なまでに芯の強い主人公グザヴィエ・マーシャルの姿は、直接的には、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』のトム・リプリーよりも、1960年に製作されたルキノ・ヴィスコンティ監督の「アラン・ドロン」、そう『若者のすべて』での封建の青年、聖者ロッコ・パロンディが現代社会のヒーローとして再生・復活した姿であるような気がしてくるのです。
 そう考えると、『チェイサー』の配役については、私としては友人のモーリス・ロネ演じるフィリップではなく、実の兄シモーネの設定にして、レナート・サルバートリに演じて欲しかったと思っています。

 このように、若い頃の代表作品のキャラクターを活かした更に深みのある「フレンチ・フィルム・ノワール」作品が、この2作品だと私は考えるのです。

 両作品は、どちらの主人公も現代的で勇敢なヒーロー像を造詣しており、それぞれに魅力が満載ですが、当然のことながら異なる部分がたくさんあり、特に「アラン・ドロン」の過去と未来がそれぞれ交錯している2作品でもあります。
 『ブーメランのように』は、運命に抗いながらも敗北してしまう悲劇の物語です。主人公は(元)犯罪者ですが、更生して実業家になり、今では父親として立派に生活しています。ところが、大切にしている息子が犯罪を犯し、愛しているがゆえにその息子を守ろうとして、過去の犯罪歴を暴露されて社会的立場を失い、何より最期には息子と自分の命まで喪失してしまうのです。ここでの「アラン・ドロン」は、父性愛を表現した悲劇のヒーローでした。そして、わたしがこの作品を、現在までの「アラン・ドロン」を総括した作品であるように思っていることには既に触れたところです。【『ブーメランのように』④~過去に演じた主人公たち、そして、限界点を一歩踏み越えてしまった男たち~
 『チェイサー』の主人公は兵役義務を果たした国家への貢献者であり、現在は事業の成功者であり、旧友との友情から巨悪の政治腐敗に戦いを挑み決して権力に屈しないヒーローでした。
 ここでの「アラン・ドロン」は、古くからの友人を大切にする友情に篤い一匹狼です。今だからわかることなのかもしれませんが、このキャラクターは、これからの「アラン・ドロン」を予見して創り上げていった作品でもあるのです。

 いずれにしても、この両作品は、最も彼の実生活に接近した「フレンチ・フィルム・ノワール」であり、どちらもアラン・ドロンが役づくりに腐心せずに、経験的に自然な素顔のままで個性を発揮できる主人公の在り方だったと思います。

 これほど「アラン・ドロン」の魅力が満載であるにも関わらず、そして、彼らしい会心の作品であったにも関わらず、残念なことに当時の日本の彼のファンは、両作品に感情移入し切れませんでした。観客動員数と、その後の彼の作品の未公開がそれを物語ってしまったのです。

 何故なのでしょうか?

 彼の精神と肉体が全盛期の1960年代から1970年代初頭のように、ファンにとって憧憬とする美しさや理想のモデル足り得ず、私生活が透けて見えてしまうことは、逆に映画を観るその時代の人々の求める象徴的な理想像ではなく、スターの側から提供された「アラン・ドロン」像でしかなかったから?なのでしょうか?
 そして、彼の私生活の断片は、もはや日本人の好奇心や欲求を満たすものではなかったから?なのでしょうか?

 特に『チェイサー』は、彼が新しい「フレンチ・フィルム・ノワール」として表現した作品であり、力強く格好良い不屈の英雄譚でしたから、ようやく「アラン・ドロン」としての新しいヒーロー像を生み出すことができた作品だっただけに、日本のファンが受け入れ切れなかったことは本当に残念でなりません。

 そして、前述したとおり、『チェイサー』の「アラン・ドロン」に、映画史上に燦然と位置付いているルキノ・ヴィスコンティ監督との『若者のすべて』で演じた聖者ロッコ・パロンディ(=グザヴィエ)が、幾多の困難を乗り越え今だに兄シモーネ(=友人フリップ)を寛容に許し、そして守り続けていることを見て取ってしまうのです。

 聖者ロッコが英雄グザヴィエに成長した姿、それは、自分たちを苦しめていた根本原因に気づくことから、すなわち政治腐敗や極端な右翼ファッショへの積極的な闘いに転換していったこととして・・・。
 更に、ロッコ(=グザヴィエ)が学んだその最大の教訓は、シモーネ(=友人フリップ)が大切にしている恋人ナディア(=ヴァレリー)と初めから恋をしないことだったのでしょう。

 一貫した「アラン・ドロン」の信条は、更なる進歩を経たのでしょう。その理知と勇気に深く刻まれた彼の美しき姿から、身近な友人のみならず多くの民衆の敵を凝視し始めたことがわかるのです。
 ラスト・シークエンスで遠景のパリを俯瞰する「アラン・ドロン」は、まるで、トスカーナの州都、自由都市フィレンツェの中央広場に、民衆の敵、怪物ゴリアテを倒し立っている旧約聖書のユダヤの英雄ダヴィデの像のように勇敢で、力強く美しいと感じてしまうのです。

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# by Tom5k | 2015-05-25 23:06 | チェイサー(3) | Trackback | Comments(2)