『名誉と栄光のためでなく』~幻想映画館『外人部隊~』

 私の父親や母親は、1930年代中盤以降(昭和二桁)になってからの生まれで、1950年代後半から60年代初めに掛けて青春時代を過ごした世代です。アラン・ドロンともほぼ同世代で、世代的には映画や音楽が好きで映画を観てから、その足でダンスホールに通い、ツイストやジルバなどを踊ってナンパをする・されるという、本当にいい加減で尊敬できない世代です。
 なお、父親は母親ともダンスホールで知り合っています。

 また、父親は映画ファンであったものの、少なくてもアラン・ドロンには、ほとんど興味が無く、その話題になると、人を小馬鹿にしたような適当でデタラメな言動が多かったことは、これまでも当ブログ記事で、時折、取り上げてきました。不愉快極まりない腹の立つ言動が多いのですが、記憶に強く残っているものを列挙してみます。

◯『黄色いロールスロイス』
 私がテレビ放映で観たことを話題にしたときのこと。
>う~ん、『黄色いロールスロイス』なあ。有名だな。でも、アラン・ドロンは出ていない。おまえ、何か別の映画と勘違いしてるわ。
(たぶん、父親はこの作品を実際に観ていたと思われるのですが、アラン・ドロンに全く無関心だったことが、この言葉からも伺えます。そして、確かに、この作品のアラン・ドロンの存在感は薄かったかもしれません。)

◯『サムライ』
 テレビ放映のときの話題として。
>殺し屋の生き方を武士道に当てはめたんだとよ。ん~、まっ、失敗作だべ。
(映画芸術を全くわかっていない映画ファンです。映画における文化的価値などに全く関心を寄せない、全く理解しようともしない、ほとんど知性の感じられない、あまりにハッピーな映画ファンです・・・ただ、確かにこの作品でジャン・ピエール・メルヴィルが創作したテーマは、あまりに独創的であったとは思います。)

◯『仁義』
 テレビ放映のときの話題として。
>アラン・ドロンの映画で有名なのは、『太陽がいっぱい』くらいだな。まっ、この『仁義』は少し有名かあ?それにしたって、知っているのは、よっぽどフランス映画を好きな奴くらいだろうけどな・・・。こいつ人気あるくせに、映画は売れないんだよなあ・・・。
(えっ?・・ぅうれなっ?!・・・しかし、確かに、1970年代以降のアラン・ドロンの全盛期でさえ、彼自身の人気と彼の出演作品の人気との間には大きなギャップがあったかもしれません。それにしても、現在ならいざ知らず、公開当時の『仁義』は地味なギャング映画として話題性に欠けていていたと聞きますが、何故、父親の記憶に
「『仁義』は少し有名」
という印象があったのでしょう?
恐らく、父親の同世代の友人たちのシャンソン・ファンと
「よっぽどフランス映画を好きな奴」
を勘違いしていたものと思われます。
父親の世代に人気の高かった歌手としてのイブ・モンタンが、この作品でギャングを演じていたことが、シャンソン・ファンの間で話題になっていたのでしょう。)

◯『アラン・ドロンのゾロ』
 公開された当時の話題として。
>なんだあ、それえ?アラン・ドロンがゾロだってえ??それは似合わんわ、ゾロは、タイロン・パワーだろ。
(『黒いチューリップ』を撮っていた若い頃のアラン・ドロンならば、もっと自然な印象になっていたのだと思いますが、ヨーロピアン的ダンディズムによって女性を虜にし、ギャング組織の策謀・暴力によって死を遂げる暗黒街のアウトサイダーを売り物としていた「アラン・ドロン」キャラクターと、恋や名誉に惑わされず、強気をくじき、弱きを助ける正義漢のイメージが、あまりにもかけ離れていたため、思わず口に出た言葉だったと思います。これも確かに、世評通りだったかもしれません。それにしても、タイロン・パワーはないだろ。)

◯『フリック・ストーリー』
 父親と映画館に行った帰り、アラン・ドロンが刑事役だったことについて。
>なんで、アラン・ドロンが刑事なんだよ?普通、犯人だろ。
(これも確かに、当時のアラン・ドロンが刑事を演じたことの一般的な印象だったと思います。)

◯『友よ静かに死ね』
 父親と映画館に行った帰り、その感想として。
>あ~あ、たいした映画じゃなかったなあ、お前につき合ったけど・・・それに何だあ?あのアラン・ドロンの髪の毛・・・変なの?わっはっはっはっ!・・・。
(確かに、一般的な感想だったかもしれません、が、しかし・・・私には殺意にも似た感情が湧き上がってきます。)

◯『チェイサー』
 公開された当時の話題として。
>アラン・ドロンの今度の映画、トヨタがスポンサーかあ?
(アラン・ドロンが俳優業の外に、映画のプロデュースや事業のプロモートを兼ねていたことは当時の彼のイメージだったかもしれません。そして、その後1980年代の中盤にはく㈱博報堂と提携して事業に取り組もうとしていたことや、マツダ・カペラのCMに彼が出演していたことも周知の事実です。)

(    )内の私の記載は、時代からのアラン・ドロン考証を目的にして、敢えて列記したものですが、この記事を書いている今現在、いまだにフツフツと湧き上がってくる憤りのような感情を私は抑えるきることができません。そして、このような腹立たしい会話は、まだ、まだ、数え切れないほど多くあるのですが、今となって、ようやく何とか冷静に父親とのやり取りを振り返ることができています。

 もっとも、これらの父親の彼への言動は、当時の日本でのアラン・ドロンの存在を知る上で、確かに乱暴ではありますが、世評として特別な感想・意見だったわけでもなく、案外、一般的なアラン・ドロン評だったようにも思うわけです。

 そして、上記に列記してきたように、私を小馬鹿にしたような、アラン・ドロンなんかどうでもいいと思っているような、実に腹立たしいけれども、しかし「アラン・ドロン」のイメージを正確に把握していたと思われる会話が、私の記憶には、もうひとつ存在しています。
 それは、アラン・ドロンの狂信的なファンであった中学生の従姉の影響によって、私がようやく彼に少し興味を持ち始めた小学4、5年生の頃のことでした。

>トム(Tom5k)
「アラン・ドロンの映画で実際に見に行った映画あるかい?」
>父親
「おお、もちろん、あるさ。」
このときの父親は、新聞を読みながらか、テレビを観ながらか、とにかく私の聞いていることに上の空で答えていたことを、今でもはっきりと記憶しています。
とは言え、実際にアラン・ドロンの映画をリアル・タイムで観に行った父親に、私は少し感心して質問を続けました。

>トム(Tom5k)
「何て映画?」
>父親
「あ~ん?うん・・・おう! 『外人部隊』 よ!」

 不幸にも、この記事を読まれている方々には、もうおわかりだと思いますが・・・。

 アラン・ドロンの出演している作品で、そんな作品はありません!

 『外人部隊』という標題の映画作品は、1933年にジャック・フェデールが監督し、シャルル・スパークと協力して創作したストーリーによって、マリー・ベル、ピエール・リシャール・ウィルム、フランソワーズ・ロゼー、シャルル・ヴァネルなどが出演した「詩(心理)的レアリスム」の体系に位置づけられる戦前の代表的なフランス映画作品です。

外人部隊

アイ・ヴィー・シー



 1955年には、ロバート・シオドマク監督により、ジーナ・ロロブリジダ、ジャン・クロード・パスカル、アルレッティなどが出演したリメイク作品があります。

 1957年に銀幕デビューしたアラン・ドロンが出演しているはずがないのです。

 そして、当時、母親にねだって購入してもらったばかりの芳賀書店発刊「シネアルバム6 アラン・ドロン 孤独と背徳のバラード」、「シネアルバム14 血とバラの美学/アラン・ドロン」、「デラックスカラーシネアルバム5 アラン・ドロン 凄艶のかげり、男の魅惑」などで、アラン・ドロンの出演作品を調べ、再度、父親に聞いてみました。

>トム(Tom5k)
「アラン・ドロンが出ている『外人部隊』なんて映画ないぞ!」
と疑問をぶつけたのです。

そして・・・、

>父親
「ん~?まあ・・・だけど、そんな感じの映画、アラン・ドロンらしいべ。あっはっはっはっ!」

>トム(Tom5k)
(こっ、殺す!・・・)

 やはり私は一瞬、殺意にも似た感情が湧き上がってきたものです。しかしながら、今となって冷静になって考えてみると、
 アラン・ドロンの出演作品にさほどの関心の無かった父親が、アラン・ドロンという人気スターを意識する、意識しないに関わらず、彼に対してのイメージを、このように持っていたことは、もしかしたら注目に値することではないでしょうか。
 「外人部隊」を作品の舞台として設定し、アラン・ドロンが出演している作品・・・確かに、それは私の父親だけでなく、当時の多くのアラン・ドロンに無関心な人たちの間での彼らしいキャラクターでもあり、誰もが納得できる映画スターとしての彼のイメージのひとつとして、案外、広く世間に浸透していたものだったかもしれません。
 確かに、アラン・ドロンは、第二次世界戦後のスターでありながら、自身が戦争体験を持っており、それが彼のスター俳優としての大きな特徴のひとつとなっていました。

 アラン・ドロンが出演しているにしては地味な作品ですが、『さすらいの狼』(1964年)、『悪魔のようなあなた』(1967年)、それに大ヒット作品の『さらば友よ』(1968年)などは、まさに、私の父親の「アラン・ドロン」像を体現した彼のはまり役だったと思います。(『さらば友よ』については若干ですが、既に以前の記事で、その内容に触れています。【2006-10-28 00:17付け「『さらば友よ』~「詩(心理)的レアリスム」から新しい「フレンチ・フィルム・ノワール」へ~」の記事】)

 もちろん、彼の作品の何本を父親が観ていたのかは、甚だ疑問ではあるのですが、逆にだからこそ、一般的なアラン・ドロンの潜在的イメージに根を張ったものだったような気がするのです。

 なお、後年、『チェイサー』(1977年)のアラン・ドロン演ずる主人公のグザヴィエ・マーシャルが、共演していたモーリス・ロネが演じたフィリップとの想い出をフラッシュ・バックするシークエンスでも、グザヴィエが過去の従軍時代の二人の写真に見入るショットが挿入されていました。

 ところで、「第一次インドシナ戦線」は、1945年当時にフランス領から独立宣言したホー・チ・ミンが率いる現在のベトナム、ラオス、カンボジア、すなわち「インドシナ」とフランス共和国との間で行われた戦争でした。アラン・ドロンが従軍したのは、1946年から1954年にかけてのこの戦争の後半期です。

 なお、「外人部隊」は、現在でもフランス陸軍に属しており、自国の兵士を使わず、他国からの傭兵を使って自国民の犠牲を最小限に抑える目的で継続されているフランス国籍の者以外の者を基本に傭兵を実施したフランス従軍制度です。
 「第一次インドシナ戦線」は、その後のアメリカ合衆国及び南ベトナム政府軍と、北ベトナム及び南ベトナム反政府勢力、との間で起こった「ベトナム戦争」と同様に、フランス国内に厭戦ムードが拡大していったために「外人部隊」を登用していった戦線だったそうなのです。
 また、その後、1954年から始まった「アルジェリア戦争」でも、その戦地に「外人部隊」の本部があったことから、それは重要な役割を果たしていたそうです。

 そして、「インドシナ戦線」での「ディエン・ビエン・フーの陥落」から休戦協定までを冒頭で取り上げ、その後の「アルジェリア戦争」の激戦地で独立のための地元パルチザンとのゲリラ戦線を主軸に展開させたコロンビア映画、マーク・ロブソン監督の『名誉と栄光のためでなく』(1965年)に、渡米中のアラン・ドロンは出演しています。

 しかも、この『名誉と栄光のためでなく』では、アンソニー・クインが演ずるラスペギー中佐の率いていたパラシュート部隊の隊員として、アラン・ドロンが演じたエクスラヴィエ大尉が、これらの戦地に赴く設定の物語です。彼が実際に「インドシナ戦線」に従軍していた時代、(初めに志願兵として従軍できたのは海軍だったようですが)戦地で配属されていたのがパラシュート部隊だったと聞きます。
 また、アラン・ドロンはフランス人ですから、自国の「外人部隊」に所属していたわけではないのでしょうが、ともに戦線に赴いていた「外人部隊」との共同戦線はあったと思います(フランス外人部隊の3割程度は、自国の志願兵が従軍しているそうです。)。

 これらの体験からも、この作品は自らの経験を体現できた適役であったと思いますし、まさに私の父親の「アラン・ドロン」像が、ここに描写されていると言っても言い過ぎではないでしょう。

【>インドシナ戦争を経験したことは、あなたに何か残しましたか?
>アラン・ドロン
全てさ、全てを学んだと言ってもいい・・・

>トラウマはないのでしょうか?
>アラン・ドロン
>自分の選んだことだったからね:家族的な雰囲気、肉屋、郊外の生活・・・そうしたことから逃げたかったんだろう。戦争へ行った友人たちの後を追ってインドシナへ行ったんだ。彼らと離れ離れにならないように、進んでに兵役を延ばした。正式には5年の兵役だが、私は自発的に3年志願だった。すぐにでも発ちたかった、特に17歳半の時には、兵役はいつも面白いことではなかったけどね。でも自分に多くのことをもたらしてくれた、義務感、厳しさ、規律。私は本質的に軍隊気質なんだろうね、今では眉をひそめられることだろうが。1953年には、パリ中にポスターが貼ってあったよ:君も一年半で戦闘機の操縦士になれる。兵役では奨励金も貰えたんだ。私は空軍に志願した。空軍省へ行くと、最後の召集兵が出発したばかりで、次まで三ヶ月待ちだと言われた。急いで今度は海軍へ志願した。今度はすぐさま出発させてくれた。当時の奨励金が1,200フランだった。行ってみたら、友人らには会えたが、規律もあり、怖かったよ・・・でも自分のためにはなったと思う。こんな風にしか語れないが、本当だ:私には軍人の気質があったんだろうね、いい軍人になれたかも知れないな。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18 「回想するアラン・ドロン:その6」  インタヴュー和訳)」カイエ・ドュ・シネマ501号掲載


 『名誉と栄光のためでなく』は、もちろんアラン・ドロンが若い時代に渡米中に撮った失敗作として位置づけられており、現在でも世評の芳しくない目立たない作品であるかもしれませんが、このような彼の言葉からも、私のような熱狂的なアラン・ドロンのファンとしては、どうしても思い入れの強い作品にならざるを得ないのです。作品それ自体も決して駄作だと思いませんし、非常に丁寧に制作された素敵な作品だと思います。

 そして、そこから湧き上がる私のアラン・ドロンが出演している作品へのイリュージョン・・・私の父親がいいかげんに即興的に創り上げたでたらめな幻の作品・・・

『外人部隊』・・・?

 アラン・ドロンに無関心な映画ファンの間で、彼が出演している錯覚を自然に与えることのできるフランス映画・・・

『外人部隊』・・・?

 彼の主演している幻想映画として、この珠玉の名作品を観たいと願うのは、恐らく私だけでないでしょう。特に私のブログの盟友であるオカピーさんも同様ではないかと思う今日このごろ・・・。

 何だか、ほんとに観てみたくなってきました!

 アラン・ドロン主演 『外人部隊』・・・!
[PR]

by Tom5k | 2016-11-27 22:07 | 名誉と栄光のためでなく | Trackback(3) | Comments(4)

『高校教師』②~『ヘッドライト』のジャン・ギャバンを想い浮かべて~

 この作品がルキノ・ヴィスコンティの影響を色濃く受けた作品であることは間違いのないことでしょう。
 しかし、私はもうひとりアラン・ドロンの作品を観賞するたびに思い浮かべてしまうスター俳優がいます。ほとんど、私個人の思い込みのような気がするものの、アラン・ドロンの映画を観賞する度に、どうしてもこだわってしまう人物です。今回、この『高校教師』を久しぶりに観賞し、そのことを特に強く感じてしまいました。そのスター俳優は、アラン・ドロンがバート・ランカスターととも尊敬する俳優として挙げているジャン・ギャバンなのです。

 この作品で主人公ダニエレ・ドミニチを演じたアラン・ドロンは、当時37歳でしたが、作品でそのロマンスの対象になった相手ソニア・ペトローヴァは、まだ19歳だったそうです。イタリアの高等学校は、普通高校では14~19歳までの5年制、専門高校は3年制の後に2年制を加えた課程があるそうですから、彼女が演じたヴァニーナ・アバティが休学2ケ年を経て、高等学校に在籍している生徒であることの年齢の設定は、実際の彼女とは全く矛盾しません。

 そして、この『高校教師』と同様に男性と女性の年齢差が大きく開いたロマンスを正面から描いた作品で、私が真っ先に思い浮かべてしまう作品が、ジャン・ギャバン主演の『ヘッドライト』(1954年)なのです。

ヘッドライト HDリマスター版 ジャン・ギャバン/フランソワーズ・アルヌール [DVD]

株式会社アネック



 『高校教師』が完成する前年に製作された『帰らざる夜明け』(1971年)が、ジャン・ギャバンの過去の主演作品を強く意識した作品であるように感じたことは、既に触れたところです。【『帰らざる夜明け』~ジャン・ギャバンを超えようとしたアラン・ドロン~

 また、既に過去の記事で何度も採り上げているように、私がアラン・ドロンの作品を観るとき、そこにジャン・ギャバンの影響を感じる作品は、『帰らざる夜明け』だけではありません。

『サムライ』(1967年)では、『望郷』(1937年)
『サムライ』⑤~アキム・コレクション、『望郷』の鑑賞から想起したもの~

望郷

ジェネオン エンタテインメント



『さらば友よ』(1968年)では、『地の果てを行く』(1935年)や『霧の波止場』(1938年)など
『さらば友よ』~「詩(心理)的レアリスム」から新しい「フレンチ・フィルム・ノワール」へ~

地の果てを行く [DVD]

ジャン・ウィエネル / ビデオメーカー



霧の波止場 Blu-ray

IVC,Ltd.(VC)(D)



『ボルサリーノ』(1969年)では、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督やマルセル・カルネ監督の作品
『ボルサリーノ』①~ジュリアン・デュヴィヴィエ&ジャン・ギャバンからの影響~

『燃えつきた納屋』(1973年)や『フリック・ストーリー』(1971年)には、『メグレ警部』シリーズ(1957~1963年)
『燃えつきた納屋』~アラン・ドロン、尊敬する大先輩たちから学んだ基盤~
『フリック・ストーリー』~“古き良き時代” クラシックとアラン・ドロンの新境地~

殺人鬼に罠をかけろ

ビデオメーカー



ジャン・ギャバン主演 メグレ警視シリーズ サン・フィアクル殺人事件 [DVD]

竹書房



e0059691_2182699.jpg
ジャン・ギャバン主演 メグレ赤い灯を見る【VHSビデオ】







『友よ静かに死ね』(1977年)には、『我等の仲間』(1936年)や『望郷』など
『友よ静かに死ね』②~再生・復活、リアルな「良質の伝統」~

我等の仲間 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督 DVD HDマスター

IVC,Ltd.(VC)(D)



『チェイサー』(1978年)には、『現金に手を出すな』(1955年)
『チェイサー』①~戦後フランス映画へのオマージュ~

現金に手を出すな Blu-ray

IVC,Ltd.(VC)(D)



 このように、私は、ある時期以降のアラン・ドロンの出演作品には、常にジャン・ギャバンの影響が色濃く反映しているように感じるのです。これらの外にも、『さすらいの狼』(1964年)や『ル・ジタン』(1974年)の設定は、往年のジャン・ギャバンが脱走兵などに扮し、「追われる男」を演じ続けた頃の作品と良く似た印象を受けます。
 また、アラン・ドロンは、ジャン・ギャバンを主演に配置して、多くの名作品を輩出したジュリアン・デュヴィヴィエ監督の演出した『フランス式十戒』(1962年)や『悪魔のようなあなた』(1967年)にも出演していますし、何よりジャン・ギャバンとの共演作品が、『地下室のメロディー』(1962年)、『シシリアン』(1969年)、『暗黒街のふたり』(1973年)と、三作品もあります。

 ジャン・ギャバンは、後進のアラン・ドロンと同様に、主に「フレンチ・フィルム・ノワール」によって、男性的な世界観ばかりを表現してきたスター俳優でしたが、意外にも、45歳のときに『港のマリー』(1949年)で、18歳のニコール・クールセルに、54歳のときに『可愛い悪魔』(1958年)で、24歳の若いブリジット・バルドーに夢中になる中年期から初老期の男性を演じたこともあるのです。
 そして、私が『高校教師』を観て、思い浮かべてしまう『ヘッドライト』は、日本でも有名で評価が高く、ジャン・ギャバンが51歳、相手役のフランソワーズ・アルヌールが24歳のときの作品です。

港のマリー [DVD]

ジュネス企画



 アンリ・ヴェルヌイユ監督の演出は、哀愁を携えた実にロマンチックなストーリーですが、私は、小・中学生のときに、これらの作品を観て、ヨーロッパの男性は中年期、そして初老期においてさえ、何故、このように青年のような恋愛ができるのだろうか?と不思議に思っていました。ところが、最近、これらの作品を観て確信しているのですが、彼らの演じている登場人物は、やはり年齢相応であり、そのロマンスが実に自然に扱かわれ、表現されていると解釈できるようになりました。

 中年期以降から初老期に入る時期の男性は、豊富な人生経験によって、若い恋人達に有りがちな不器用で廻り道をしてしまうような野暮ったい経過を辿ることは無く、女性の気持ちに対する敏感でデリケートな感性によって自然に恋を成就させていくことができるのです。私は男性が、このような恋愛ができるためには、少なくても30歳代の後半期以降まで待たねばならないような気がしています。

 年齢差のあるロマンスという設定の外に、フランソワーズ・アルヌールが演じたクロチルドやソニア・ペトローヴァが演じたヴァニーナにも共通項があります。彼女たちが、実際の年齢よりも必要以上に多くの不幸な悲しい経験を積んでしまった早熟な女性であるということです。父親が不在の家庭に育ち、親としての役割を放棄してしまった自己中心的な母親が存在しています。

 クロチルドの母親は、自分の二度目の年下の亭主に夢中で、失業中に住む場所と仕事を探し途方にくれている娘に、「母親にも自分の人生を生きる権利はあるさ」などと言って、自分の生活を優先して彼女を突き放してしまいますし、ヴァニーナの母親は自分の娘を金持ちのパトロンに付け、それを利用して生活の糧としている老娼婦です。
 それにしてもヴァニーナの母親を演じた往年の名女優アリダ・バッリは、これ以上無いほど醜悪な老女を演じていました。

 そして、『ヘッドライト』で、ジャン・ギャバンが演じたジャン・ビヤールはベテランの長距離トラックの運転手ですが、上司とトラブルを起こし失業してしまいますし、『高校教師』で、アラン・ドロンが演じたダニエレ・ドミニチは、没落したブルジョア家庭の出身であり、過去に激しい恋愛の絶望を経験て以降、失業や軽犯罪を繰り返しニヒリズムに陥ってしまった高等学校の任期付きの臨時教師です。

 いずれにせよ、このような負の要件が揃ってしまった男女に激しい恋愛感情が生まれてしまうることは珍しいことではありません。それはまた、幸福などとは縁遠い実にメランコリーで悲劇的なプロセスを辿り、最終的には最も悲惨で破滅的な終焉を迎えます。しかも、恋人同士が新たな生活を始めようとしたそのときに、予想以上の大きな悲劇に見舞われてしまうのです。

 『ヘッドライト』では、クロチルドはジャン・ビヤールに妊娠していることを伝えますが、連絡の行き違いもあって、その後、堕胎の手術を受けそれが誤診だったことにします。それ以降は彼にそのことを隠し、身を引こうとしますが、結局はジャンの強引な説得に身を委ね、展望の無い逃避行ともいえる旅に向かいます。二人は新しい暮らしを始めるために大型トラックに乗り込むのですが、彼女は術後の体調不良により長距離運転の同乗中に容態が悪化し死を迎えてしまうのです。
 『高校教師』での二人は、絶望的な環境から抜け出すことだけを考えます。ヴァニーナはダニエレの強いアプローチに自分の運命を任せますが、ダニエレにしても決して二人の未来を信じているようには思えません。彼らも新たな生活の場を求めて旅立つのですが、彼は捨ててきた妻のことを割り切れず、自動車を運転中の散漫な気持ちにより交通事故に遭い命を落としてしまいます。

 どちらの作品の登場人物も貧困で惨めな境遇であり、虚無的な人物キャラクターなのですが、その対位として、美しく物悲しい旋律のテーマ曲を使用しています。儚いロマンスや悲恋の美しさを上手に音楽表現することで、映画における「メロドラマ」として最も理想に適った作品となっています。
 観る側においては、視覚効果により、主人公たちの暗鬱な日常から展望の無い悲劇への展開へと掘り下げながら、音楽の聴覚効果への連動によって、そのラブ・ロマンスのエモーショナルな渦中にある人物や舞台を哀感、情感に溢れた詩情豊かな世界に昇華させることができるわけです。

 『ヘッドライト』の音楽の担当は、映画の脚本家でもあった詩人、ジャック・プレヴェールの詩をジュリエット・グレコやイブ・モンタンが歌った『枯葉』を作曲したジョセフ・コスマです。
 『高校教師』の音楽では、高音域のトランペットが非常に強い印象を残します。演奏はメイナード・ファーガソンというジャズ・トランペッターです。1976年のモントリオール・オリンピック閉会式でソリストを務めたトランペッターだそうです。

ベスト・オブ・シャンソン(シャンソン) 【限定セット】(CD13枚組み) [Box set]

エディット・ピアフ / エ-・ア-ル・シ-株式会社 (C-STATION)



枯葉

イヴ・モンタン / エフ・アイ・シー



 両作品とも、映画音楽の活用としては、最も効果的なモンタージュ技法からの最適な照応を完成させていると思います。本当に素晴らしい主題曲を創作したものです。

 更なる共通点として、どちらの作品も恋愛映画でありながら、男性的な世界観で全体が覆われている特徴があります。つまり、両作品とも、クロチルドやヴァニーナの女性としての視点では描かれておらず、あくまでもジャン・ビヤールやダニエル・ドミニチを基軸にして展開させている物語となっています。
 これらが封切られた当時は、男性の視点で描かれている「メロドラマ」でありながらも、多くの女性ファンが、それを受け入れることが出来た時代だったのかもしれません。

 同じヨーロッパの「メロドラマ」作品として、クロード・ルルーシュが監督した『男と女』(1966年)も有名ですが、こちらは全ての展開が女性の視点で描かれています。アラン・ドロンより少し年上ですが、概ね同世代のジャン・ルイ・トランティニャンが演じた主人公のジャン・ルイは、ジャン・ギャバンのように円熟した男性の魅力を持っているわけではありませんし、アラン・ドロンのようにハンサムで、孤独や背徳を魅力にするしたたかさは持ち合わせていないかもしれませんが、女性が最も望むタイミングでの恋愛アプローチを完璧に心得た男性です。決して女性を惨めな気持ちにせず、女性が嬉しいと常に想わせるアプローチのできる男性、つまり女性にとっての理想の男性像がこのジャン・ルイなのでしょう。

男と女 特別版 [DVD]

ワーナー・ホーム・ビデオ



 現在では、ジャン・ビヤールやダニエル・ドミニチよりも、このジャン・ルイのような男性が望まれる時代となっているかもしれません。

 時代の情景は、次々と移り変わっていくものです。

 アラン・ドロンにしても、
 『高校教師』の製作、出演の直近前作は、同年の『リスボン特急』でしたが、「フレンチ・フィルム・ノワール」で彼の新境地を拓いたジャン・ピエール・メルヴィルが演出しており、また、彼がその人生の終焉を迎えたのは、その翌年の1973年8月2日でした。

 更に、その2年後、アラン・ドロンが若い頃、にロミー・シュナイダーも含めて、その映画・舞台の大一座の座長ともいえた大監督ルキノ・ヴィスコンティも1976年3月17日に逝去しています。

 そして、同年、アラン・ドロンが41歳の誕生日を迎えた1週間後の11月15日、とうとうジャン・ギャバンも72歳で永眠します。

 いつまでも続くと思われていた日本でのアラン・ドロンの人気が翳りを見せ始める時期と、彼が立て続けに映画人生における師匠たちを失っていったこととが、私には、どうしても重なって見えてしまい、同時に深い悲しみが湧き上がってきてしまうのです。
[PR]

by Tom5k | 2016-11-23 21:35 | 高校教師(2) | Trackback(1) | Comments(2)

『高校教師』①~アラン・ドロン本人が選んだベスト5作品の一本②~

【<『高校教師』①~アラン・ドロン本人が選んだベスト5作品の一本①~>から続く】

 さて、2007年の段階でアラン・ドロンが選んだベスト5作品ですが、その理由を挙げることが最も難しい作品がこの『高校教師』かもしれません。しかし、1996年の「カイエ・デュ・シネマ」のインタビューで、彼はこの作品について、次のように語っていました。

【>ズルリーニの『高校教師』を再見しました。驚くような作品ですね。
>私もこの映画が大好きなんだ!この作品は偶然の賜物だよ。マストロヤンニが演じるはずだったんだが、スケジュールの調整が出来なかったんだ。私はローマでロージ監督の『暗殺者のメロディ』の撮影中だった。ズルリーニがやって来て、私は彼とは面識があった、彼はヴィスコンティの友人だったからね。それで、シナリオを読んで欲しいと言う訳だ、とても正直に『高校教師』のシナリオはもうマストロヤンニに読んでもらったと話してくれた。監督が自分の作品のシナリオを別の役者に読んでもらったと言うのは珍しいよ。そのシナリオを読んで、私はすぐに彼に電話したよ:「やるよ!」ってね。

>この作品であなたは製作もやられていますね。
>共同制作だったと思う、100%フランス資本じゃなかったと思うが・・・

>この映画は1972年製作で、あなたは5月革命の人物のようです、崩れた教師という感じで・・・
>これは私のお気に入りの一本だね、感動させられたよ。映画を愛する者はこの作品が好きなんだ。ズルリーニのことも好きだったんだ、若死にしたがね、アル中で苦しみ、ボロボロだった・・・理不尽だよ。『タタール人の砂漠』『家族日誌』『鞄を持った女』などの監督作品もあったけど・・・素晴らしい映画作家だった、ヴィスコンティに強く影響を受けていたね。イタリア語題名は"La prima notte di quiete" 安楽の最初の夜、つまり死後のことだね・・・『高校教師』は大好きな作品だったがフランス版は薄められてしまったんだ。リミニ(注:フェリーニ監督の出身地として有名)の隣のイタリア社会を描いたものだがフランスでは受け入れがたい代物だった。それでタイトルを変えざるを得なかった。安楽の最初の夜では何のことだか分らないからね-映画もカットされたんだ。もっと長いオリジナル版を見てほしいね、今回シネマテークで上映しようとしている版だよ。『山猫』のように3時間の上映時間だ。当時は商業的な理由で、国によって映画をカットしていたからね。

>『高校教師』では、いつも同じコート、丸首のセーターを着ていて、無精ひげ姿です。スターのあなたがこうした壊れたような人物を演じるのは賭けではないのでしょうか?
>毎回、私がこうした賭けをやると、大抵理解されないんだ。別の役者なら違うのだろうが、私はダメなんだね。批評家たちは年がら年中こうだ:ドロンはいつも同じ事をやってる、軽機関銃を持った映画だけだ・・・あらゆる観客たちのために私くらい多種多様な映画をやってきた者はいないと思うんだがね。私がギャング映画をやったのは、正に『高校教師』や『パリの灯は遠く』を製作するためなんだ。映画はマッチを擦るように出来るもんじゃない!『真夜中のミラージュ』をやった時も、酷評だったよ:ドロンが酔っ払い役でメソメソ泣く男を演じるなんてとね・・・】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/26
「回想するアラン・ドロン:その9」(インタヴュー和訳)」


 このように、実に興味深い内容がアラン・ドロン本人によって語られています。まず、ヴァレリオ・ズルニーニ監督が映画作家として、アラン・ドロンの師の一人であったルキノ・ヴィスコンティ監督の友人であり、その影響を受けていた演出家であったことが特に印象的です。

 昭和60年代(1980年代半ば)頃になりレンタル・ビデオ店が専門店化した頃、私が中学生のときのテレビ放映以来、久しぶりにこの作品をレンタルして観た時に想起した監督は、ルキノ・ヴィスコンティではなく、『道』(1954年)や『カビリアの夜』(1957年)などの初期のフェデリコ・フェリーニ監督の作品群でした。
 後で知ったことなのですが、案の定、この作品の舞台はフェデリコ・フェリーニ監督の出身地リミニでした。
 また、後年、古本屋で手に入れた1973年9月上旬号のキネマ旬報誌上においても、映画評論家の渡辺祥子は『高校教師』をフェデリコ・フェリーニ監督の『青春群像』(1953年)を踏まえて作られた作品であると解説していました。
【参考 キネマ旬報1973年9月上旬号No.612(「アラン・ドロンと「高校教師」渡辺祥子】

道 Blu-ray

紀伊國屋書店



カビリアの夜 完全版 [DVD]

東北新社



青春群像 デジタルリマスター版 [DVD]

アイ・ヴィ・シー



 30歳代後半からのアラン・ドロンは、「フィルム・ノワール」の硬質で男性的な、ある意味においての硬直したイメージを脱皮しようとしていたのでしょうか?少なくても、彼がそれを強く感じざるを得ない年齢となっていたようには思います。それは彼の俳優としてのプライドだったのかもしれませんし、映画スター・俳優としての彼の苦悩だったのかもしれません。
 映画評論家の淀川長治やジャン・リュック・ゴダール監督も、アラン・ドロンについて、これに類似した指摘内容でコメントしていたことがあったように記憶していますし、人気の低迷していった40歳前後に演じていた彼の作品群からも、このことは良く理解できます。
 更に、彼の今までの共演者達を思い浮かべてみると、それが間違いないことだとわかります。
 例えば、ジャン・ギャバン、バート・ランカスター、アンソニー・クイン、リノ・ヴァンチュラ、チャールズ・ブロンソン、ジャン・ポール・ベルモンド、女優においてさえ、シモーヌ・シニョレ・・・自分が映画スターとして、如何に持て余す容姿であったか・・・このことに最も苦しんでいたことは、アラン・ドロンのファンとして、察して余りあるものがあります。

 そして、アラン・ドロン本人は、『パリの灯は遠く』(1977年)を撮った頃の役づくりについて、次のように述懐しています。

【(-略)『パリの灯は遠く』は、私の顔では、大胆な演技が要求されたのにね。役作りに腐心した人物だったんだ!】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18
「回想するアラン・ドロン:その6」(インタヴュー和訳)」


 そして、この『高校教師』は、見事に自らのハンデキャップを乗り越え、しかも、自らの女性ファンに受け入れられ、更に新たな女性ファンを多く生み出した作品だったと言われています。
 そう考えると、最近の私は、『高校教師』を好きにならない女性は、この世に誰もいないのではないか、とまで思うようになりました。

 さて、今回、私が今一度、この作品を鑑賞して最も強く感じ取れたことのひとつが、彼の演じたダニエル・ドミニチのイノセンスなキャラクターでした。『高校教師』でのアラン・ドロンの魅力の一つとして、女性ファンからよく耳にする母性をくすぐるキャラクターであるという一般論です。
 私は、このことが若い頃には良く理解できなかったのですが、後年、このダニエレ・ドミニチのキャラクターは、『若者のすべて』で彼が演じたロッコ・パロンディの純粋で無垢なキャラクターが進化したものであることに気が付いたのです。それも、ロッコの兄であるシモーネの退廃を加えたより現実的で現代的な人物だと、わたしには感じられるようになりました。

 また、主人公のダニエレ・ドミニチが、実は家柄の高い名門の出身でありながら、退廃的な境遇に身をおとし、貧困な高校教師となっている設定なども、ルキノ・ヴィスコンティの後半期の作品を想い起こさせるものでした。
 そして、非常識な不良教師でありながら、彼の教養の深さは非常に印象的に描写されています。文学の講師として、まず、自己紹介を兼ねた自分の講義の方針を説明する際に、14世紀のイタリアの詩人ペトラルカの詩を例示します。

ペトラルカ ルネサンス書簡集 (岩波文庫)

岩波書店



 そして、ダニエレ・ドミニチは、受け持ちのクラスでただ一人、彼が生徒達に与えた課題のテーマである18世紀のイタリアの詩人アレッサンドロ・マンゾーニを選び、授業中には、D・H・ローレンスの著作を読んでいるソニア・ペトローヴァが演ずるヴァニーナ・アヴァティに強く興味を示します。そして、彼女と同名のスタンダールの作品「ヴァニナ・ヴァニニ」(1960年に、ロベルト・ロッセリーニが映画化)を彼女を誘う口実に使うのです。

マンゾーニ家の人々 (白水Uブックス178)

ナタリア ギンズブルグ / 白水社



ヴァニナ・ヴァニニ―他四篇 (岩波文庫 赤 526-8)

スタンダール / 岩波書店



 彼女とのデートでは、15世紀のイタリア・ルネッサンス期に活躍した画家ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品「出産の聖母」を観せるために、トスカーナのモンテルキまで出かけます。

ピエロ・デッラ・フランチェスカ (名画の秘密)

マルコ カルミナーティ / 西村書店



 こういったダニエレの趣味は、庶民にとっては縁遠い嗜好かもしれませんが、ヴァレリオ・ズルニーニとアラン・ドロンが、ルキノ・ヴィスコンティ門下生としての影響を色濃く受けた監督・俳優であったからこそ、作品の設定において、高い品格を伴う描写が可能だったのでしょう。ちなみに、マンゾーニは、イタリア統一の時代にヴィスコンティ一家の領地であったミラノから出た上院議員だったそうです。

 また、忘れてはならないのが、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『夏の嵐』(1954年)で主演した往年の名女優アリダ・ヴァリの出演です。この作品で演じた惨めな中年女性の醜さによって、彼女はこれ以降の作品でも醜女としてしかカメラに写ることが出来なくなってしまったとまで思いました。

夏の嵐 [DVD]

紀伊國屋書店



 『高校教師』では数分のシークエンスしか出番はありませんが、やはり彼女が演じたヴァニーナ・アヴァティの母親役は悲惨なほどの醜さです。美しい自分の娘の肢体を売りものにして生活している腐臭の漂うような精神環境を持つ彼女の形相がカメラに収められてしまっています。このことからも、ルキノ・ヴィスコンティ監督の俳優の使い方には、非常に危険な要素が存在していることがわかります。そう考えると、アラン・ドロンがヴィスコンティ一家から離反していったことを少なからず理解できるような気もしてきます。

 更には、この『高校教師』に、過去にアラン・ドロンとともに『若者のすべて』(1960年)に出演していたレナート・サルヴァトーリ、この後、1975年にルキノ・ヴィスコンティ監督の遺作『イノセント』に出演したジャンカルロ・ジャンニーニ、1972年に『ルードウィヒ』に出演したソニア・ペトローヴァが主要な登場人物として出演していることにも、ルキノ・ヴィスコンティ監督とこの作品との不思議な因縁が感じらます。

イノセント Blu-ray

IVC,Ltd.(VC)(D)



ルードウィヒ 復元完全版 デジタル・ニューマスター

紀伊國屋書店



 いずれにしても、アラン・ドロンにとっては、

◯作品の設定や主題において、深い教養があるが故に退廃に身を委ねざるを得なかった破滅型の不良教師と、絶望的な過去から解放されることのない少女との純粋でありながら、未来の見えない性愛を、このように見事な「キャラクターの新境地」として、成功させることができたこと。

◯主人公が家柄の高い名門の家柄出身であり、その家族の崩壊後の退廃的な末裔として、主人公の展望の無い人生を描いていることが、師であったルキノ・ヴィスコンティの映画主題を引き継いでいること。

◯ルキノ・ヴィスコンティを最も敬愛していながら、彼と袂を分かつ生き方しか出来なかったアラン・ドロンが、過去にヴィスコンティ一家として活躍したイタリア映画界で、同じ門下のヴァリレオ・ズルニーニ監督とともに(アリダ・ヴァリ、レナート・サルヴァトーリの出演も含めて)『高校教師』の制作に携われたこと。

◯この作品で共演したジャンカルロ・ジャンニーニやソニア・ペトローヴァが、その後、ルキノ・ヴィスコンティ監督の作品に出演できる逸材であったこと。

などから、自分の出演した作品のベスト5として挙げたことは当然であったと考えられます。
 そして、私は、いつものことながら、そんなアラン・ドロンの作品に大きな拍手を惜しみなく贈りたくなってしまうのでした。

[PR]

by Tom5k | 2016-11-12 00:06 | 高校教師(2) | Trackback(1) | Comments(0)

『高校教師』①~アラン・ドロン本人が選んだベスト5作品の一本①~

 小学生の頃にアラン・ドロンのファンとなった私には、この作品をどう理解すればいいのかわかりませんでした。
 想えば、未成年のラブロマンスや性の問題を伴う恋愛を描いた作品は、ヨーロッパには特に多かったように思います。
 映画史的な意味での名作品群においては、戦地から帰還したPTSD を抱えた中年男性と美しい少女との純愛を描いた『シベールの日曜日』(1962年)、思春期の少年・少女を描いた『トリュフォーの思春期』(1976年)、そして、青春映画の体系に位置する作品群においても、高校生が年上の女性に恋の手ほどきを受ける『個人教授』(1968年)や『青い体験』(1973年)などが印象的でした。

シベールの日曜日 ブルーレイ [Blu-ray]

角川書店



トリュフォーの思春期 [DVD]

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン



個人教授 [DVD]

ポニーキャニオン



青い体験 <無修正版> [DVD]

KADOKAWA / 角川書店


 西欧のハイティーンは、日本人が理解できないような早熟な感性を持つ、いわゆる「大人」だったのでしょうか?
 私は、そうとも言えないと思っています。例えば、日本のテレビ・ドラマでさえ、岡崎友紀、石立鉄男主演の『おくさまは18才』(1970~1971年)、映画では、関根恵子主演の『おさな妻』(1970年)や藤田敏八監督、秋吉久美子主演の『バージンブルース』(1974年)などで直接的・間接的に、それは描かれていましたから、大人か否かは国柄の問題ではなく、個々人の問題だと私は考えます。

おくさまは18歳 コンプリートDVD-BOX

角川映画



おさな妻 [DVD]

角川書店



バージンブルース [DVD]

Happinet(SB)(D)



 いずれにしても、これらの作品の本質的な意味での理解は、小学生の私には無理でした。それでも、高学年にもなれば、そういった好奇心は人並みには持つようになっていました。
 中・高校生になったときには、中学生の妊娠・出産をテーマにした『3年B 組金八先生』第1シリーズ(1979~1980年)、私は既に社会人になっていましたが、教師と生徒の恋愛、同性愛、強姦、近親相姦、自殺などを実に暗鬱な表現で扱っていた『高校教師』(1993年)などが、若い人たちの間では高視聴率のテレビドラマでした。

3年B組金八先生 第1シリーズ 初回限定BOXセット [DVD]

TBS



高校教師 DVD BOX

TBS



 そして、中学生の時代になっても、周囲に早熟なクラスメートに囲まれながら、テレビ放映で観たアラン・ドロンの出演していた『栗色のマッドレー』(1970年)や『個人生活』(1974年)、この『高校教師』(1972年)のような恋愛そのものをテーマにしたいわゆる「メロドラマ」を、私は本質的には理解できてはいなかったと思います。それを理解できるようになるのは高校生、大学生になってからだったでしょうか?

 このような私にとってセンセーションな体験であったのは、18才のときに読んだ森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』でした。恋愛をテーマにしているわけでもなく、いわゆるポルノグラフィのように性的興奮を起こさせることを目的にしているものではなく、つまり、文学的課題そのものにセックスのテーマを用いていることが不思議でならなかったですし、性愛ではなく、自らの性欲の遍歴そのものを小説として発表していることに驚かされてしまったのです。

ヰタ・セクスアリス (新潮文庫)

森 鴎外 / 新潮社



 そして、50歳を超えてしまった現在、この『高校教師』を観て、私がひとつ思ってしまうことがあります。アラン・ドロンが演じている主人公、ダニエレ・ドミニチという教師の不良性向です・・・現在の日本では青少年保護育成条例に抵触する可能性も高く、少なくても公立高等学校であれば文部科学省や各都道府県教育委員会などにおいて、即時、職員のワイセツ行為として免職発令されてしまうような行為を扱っている内容に否定的な感想を持ってしまうのです。
 ここに至って、私は何とつまらない良識に因われているのだろうかと、ひどい自己嫌悪に襲われます。映画や文学の本質を全く理解できない、あまりにも良識的なつまらない自分に突然うんざりしてしまうのです。

 そもそも、映画や文学が健康的で健全なテーマを扱う作品ばかりであれば、映画館に足を向ける気持ちなど、ほとんど起こせませんし、DVDを観ることも読書をする気持ちも無くしてしまうのではないでしょうか。

 逆に、憎悪、怒り、裏切り、背徳、渇望、コンプレックス、エゴイズム、嫉妬、虚無感、反抗、反逆、犯罪、ドラックや殺人、孤独・・・人間の負の行為や感情、法律や良識・良俗に反する不快で不調和な人間社会などを描いた作品であれあるほど、それが観る側のモチベーション、動機として、最も惹きつけられる魅力的な要素になると考えることもできるわけです。

 私は何故、アラン・ドロンのファンであるのか?彼のファンであることの心理はどこにあるのか?
 彼がデビューしてから、『高校教師』に出演するまでの作品を挙げても、酷く歪んだ人格破綻者のキャラクターが非常に多く、むしろ、それらがアラン・ドロンの本質的な魅力のひとつになっているようにまで思うのです。

『太陽がいっぱい』(1959年)では、友人への劣等感や嫉妬心から殺害事件を犯し、彼の恋人と遺産を奪い取る犯罪者。

『太陽はひとりぼっち』(1961年)では、他人の孤独や苦悩を想像できず、自らの道義的な倫理観を全く自覚することができなくなってしまったな欠陥人間。

『世にも怪奇な物語』(1967年)では、自分より弱い人間をいたぶることにしか興味のないサディスト。

『あの胸にもういちど』(1967年)では、人妻をたぶらかす背徳の大学教授。

『太陽は知っている』(1968年)では、旧友との確執から殺人まで犯し、警察には最後までしらを切り完全犯罪を履行します。しかも、この作品でアラン・ドロン本人が選んだ共演者が、過去に結婚の約束までしていたにも関わらず、一方的に婚約破棄をしてしまったロミー・シュナイダーだったのです。

『レッド・サン』(1971年)では、仲間を平然と裏切る自分の欲得しか考えない西部の悪漢。

『リスボン特急』(1972年)では、大切な友人の妻と愛人関係を持ち、部下や協力者に平気で暴力を振るう権力の権化である冷徹な警察官。

・・・等々。

 これらの不道徳や不倫理こそ、アラン・ドロンの最大の魅力ではなかったのか、とあらためて省みるわけです。
 ともかく、この『高校教師』は、彼にとっては、かなりの野心作であり、公開当時の日本のファン、特に女性ファンの間で評判が高かった作品と言われています。

 ところで、2007年10月8日に関西テレビ・フジテレビ系列で放映された、当時のジャニーズ事務所所属の人気タレント・グループ 「SMAP(スマップ)」がレギュラー出演していたバラエティ番組『SMAP×SMAP 秋の超豪華 アラン・ドロンも来ちゃいましたスペシャル!!!』の『BISTRO SMAP』に出演した際に、自分の主演した作品のベスト5として、『太陽がいっぱい』、『太陽が知っている』、『山猫』(1962年)、『暗黒街のふたり』(1973年)とともに『高校教師』を挙げていました。
 これらは、それぞれ自分の人生で大切だった人達と共演し、または演出した作品への出演作です。

 『太陽がいっぱい』は、師匠ともいえるルネ・クレマン監督の演出や友人モーリス・ロネとの共演、アンリ・ドカエが撮影した彼の出世作です。番組の出演中に「素晴らしい映画だ」、「「太陽がいっぱい」は世界中でヒットした」と強調していたアラン・ドロンでしたが、この作品が映画史的な意味での評価にまで至っていないことを十分にわかっている上で、敢えて強い想いを伝えようとしていたコメントのように私には感じられました。

 『太陽が知っている』は、マルコビッチ殺害事件で任意調査の対象とまでされていた時期の作品でした。盟友ジャック・ドレー監督との初コンビ、若い頃の婚約者ロミー・シュナイダー、親友モーリス・ロネとの共演作品です。

 『山猫』は、敬愛するバート・ランカスターとの初共演、そして、最も大きな影響を受けた師匠ルキノ・ヴィスコンティ監督と撮った最後の作品です。

 『暗黒街のふたり』は、バート・ランカスターとともに彼が最も敬愛していたジャン・ギャバンと最後に共演した作品でもあり、盟友ジョゼ・ジョヴァンニ監督での初出演の作品です。『地下室のメロディー』(1962年)や『シシリアン』(1969年)は、アンリ・ヴェルヌイユ監督のもとでジャン・ギャバン一家としての出演作品でしたが、『暗黒街のふたり』はアデル・プロダクションの作品です。つまり、ようやく自分の土俵でジャン・ギャバンと対等に共演できたと、アラン・ドロンが考えたとしてもおかしくはなかったでしょう。
 しかしながら、ジャン・ギャバンは、『現金に手を出すな』(1954年)で大切な子弟、『ヘッドライト』(1956年)で年下の若い恋人、人生における最も大切な者の死を哀愁にまで高める名演が十八番のスター俳優でした。『暗黒街のふたり』でも過去の代表作品と同様、誤って犯罪を犯してしまう悲劇的な主人公の死に立ち会う保護司のキャラクターを好演したことを鑑みれば、結局はジャン・ギャバンの独壇場・・・残念ながら役者としては一枚も二枚も彼の方が上手であったように私は感じています。

現金に手を出すな Blu-ray

IVC,Ltd.(VC)(D)



ヘッドライト HDリマスター版 ジャン・ギャバン/フランソワーズ・アルヌール [DVD]

株式会社アネック



 それにしても、アラン・ドロンは、1977年の来日のときには、2007年の来日のときは異なり、自分の気に入った作品として、『太陽がいっぱい』、『若者のすべて』(1960年)だけを挙げていました。
【>いちばん好きなドロン主演作は
>しいていえば「太陽がいっぱい」と「若者のすべて」】
【「スターランドデラックスVOL4 アラン・ドロン(P48~49独占インタビュー)」徳間書店、1977年】

 また、1983年の来日のときは、人生での5人の大切な監督との出会いとして、ルキノ・ヴィスコンティ、ルネ・クレマン、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジョセフ・ロージー、ジャン・ピエール・メルヴィルを挙げていたにも関わらず、

【>宮崎総子
今までいろんな監督と出会っていると思いますけどね。ヴィスコンティさんとか。本当に世界で一流の。どなたからたくさん影響を受けていらっしゃいますか。
>アラン・ドロン
私の人生では5人の大切な大監督が挙げられます。最も影響を与えてくれた人々はビスコンティ、ルネクレマン、アントニーオーニー、ローゼ、メルヴィル。私の人生のいろいろな時期にこうした人たちから影響を受けました。】
【「モーニングジャンボ奥さま8時半です』「総子がせまる!いい男コーナー たまらなく男ざかり!アラン・ドロン」インタビュー:宮崎総子、1983年11月8日:毎日放送】


 1996年の「カイエ・デュ・シネマ」のインタビューでは、ミケランジェロ・アントニオーニとは偶然の出会いだったとして、自身の俳優としての基礎、キャリアの構築に重要だった監督には敢えて入れていません。

【>ベルトラン・ブリエの『真夜中のミラージュ』では笑わそうとする意志が感じられましたね、それが一番の狙いではないにしろ。
>ブリエの現場は本当に素晴らしかったね。ロージー以来、私はブリエのような人を待っていたんだ。他の監督たちに侮蔑的に聞こえて欲しくはないけどね。でも私にはヴィスコンティ、クレマンがいて、アントニオーニは偶然だがね・・・

>アントニオーニはモニカ・ヴィッティにより関心が向いていたと思いますが。
>ヴィッティは彼の奥さんだったからね。私は奥さんの相手役だった訳だ。私の代わりにマストロヤンニでも良かっただろう。ヴィスコンティ、クレマン、メルヴィルにロージー:私のキャリアは正にそれだよ。その後にもいくつかの出逢いはあった:1964年のアラン・カヴァリエ(さすらいの狼)、ブリエにレネ・マンゾールの「デーモン・ワールド」のような監督第一回作品もあったね。ベルニュイユやドレー監督と撮った10本も映画も否定するつもりは全くないよ。どの作品も収めるべき場所があるんだ。ヴィスコンティがこう言ってた:「キャリアを築くのは、建築のようなものだ、基礎工事が肝心だとね。」私の基礎は、ヴィスコンティ、クレマン、メルヴィルにロージーだね。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18
「回想するアラン・ドロン:その6」(インタヴュー和訳)」


 このようにアラン・ドロンは、自分の気に入った作品や俳優のキャリアで重要であった監督に限っては、自身の年齢・経験値、インタビューの場に応じたりしながら、それぞれ異なる発言をしてきたように思います。

【<『高校教師』①~アラン・ドロン本人が選んだベスト5作品の一本②~>に続く】
[PR]

by Tom5k | 2016-11-11 20:19 | 高校教師(2) | Trackback(1) | Comments(0)