『チェイサー』②~「ニュー・ジャーマン・シネマ」の怪優クラウス・キンスキーとの共演~

 わたしは、この作品の最大の見所が、旧西ドイツの怪優クラウス・キンスキーとアラン・ドロンとの共演に尽きると言っても言い過ぎではないと、以前から思っていました。

 ドイツ映画は、戦前の芸術至上主義ともいえる「ドイツ表現主義」の体系で映画の隆盛を極めた時代があるのですが、戦後の西ドイツ映画は芸術的にも経済的にも停滞の一途を辿っていました。
 1960年代初頭、若い映画作家グループが、フランスの「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動とほぼ同時代に、やはり志向においても同傾向の指標を示していきます。
 彼らの「オーバーハウゼン・マニュフェスト」という西ドイツ映画に対する宣言
「古い映画は死んだ。われわれは新しい映画を信じる」
という新しい映画制作の指標から、既存の西ドイツ映画を拒絶し、「ニュー・ジャーマン・シネマ」という映画作家としての新世代の潮流を誕生させたのでした。
 彼らは、フランスの「ヌーヴェル・ヴァーグ」の影響も受けた映画作家たちでした。

 この『チェイサー』で主演しているアラン・ドロンとオルネラ・ムーティが共演した『スワンの恋』のフォルカー・シュレンドルフ。
 「アメリカン・ニューシネマ」の俳優デニス・ホッパーに「トム・リプリー」を演じさせた『アメリカの友人』のヴィム・ヴェンダース。

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 ジャン・リュック・ゴダールの影響を強く受け、メロドラマを基調とした「フィルム・ノワール」でデビューしたライナー・ヴェルナー・ファスビンダー。
 そして、『チェイサー』に助演したクラウス・キンスキーを主演に映画を撮り続けたヴェルナー・ヘルツォーク。

 1960年代後半から1980年代まで、現在でも現役の映画監督として活躍している作家も多く存在しています。彼らは、ハリウッドの映画スタジオによる支援も受け、国際市場でも通用する良質の映画を制作できるようになっていきました。

 わたしにとっては、ヴェルナー・ヘルツォーク監督とクラウス・キンスキーが、この「ニュー・ジャーマン・シネマ」の体系でとりわけ着目すべき存在です。
 特に、クラウス・キンスキーは舞台の出演中に観客を挑発したり、ロケ先でのエキストラの原住民とトラブルを発生させたり、プロデューサーも含めたスタッフや共演者を罵倒したり、ときには殴りかかることなど、異常行動は日常茶飯事だったらしく、5本もの映画で組んだヴェルナー・ヘルツォーク監督は殺意さえ抱いたこともあったそうで、そういった意味でも非常に興味深い存在なのです。

 クラウス・キンスキーは1948年の映画デビューからヨーロッパを中心に活躍し、1965年の『夕陽のガンマン』以来、イタリア製西部劇の悪役、それも西部の強盗団の手下の一人などの脇役が多かった俳優でした。

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 1972年に『アギーレ/神の怒り』でヴェルナー・ヘルツォーク監督と出会ってからの西ドイツでの「ニュー・ジャーマン・シネマ」の俳優としては、その強烈な個性で圧倒的な存在感を誇示していくことになります。

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 1999年のドキュメンタリー作品『キンスキー、我が最愛の敵』では、彼らの関係が実に如実に表現されています。

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 『アギーレ/神の怒り』では、16世紀のスペイン王政に招集された伝説の黄金郷エル・ドラド発見のためのアマゾンの奥地への派遣軍の副官ドン・ロペ・デ・アギーレを演じました。
 周辺調査のための本隊から離れた分隊では、アギーレは狂気の沙汰ともいえる好き放題の行動をとることの連続でしたが、その横暴な行動にそぐわないのが、まだ、15歳の娘フロレス(セシリア・リヴェーラ)をそこに随行させたことでした。
 事故や熱病、原住民の襲撃で、結局は最後に一人のみの生存者になってしまったラスト・シークエンスでのアギーレの独白は、
「何と大きな裏切りであることよ 新生スペイン全てを手中にするのだ・・・私は神の怒り わが娘と結婚してかつて人類が知るなかで最も純粋な-王朝を築き上げる 娘とともに支配するのだ この全大陸を・・・」
というものでした。

 この作品でのヴェルナー・ヘルツォークとトラブルですが、
彼は公演や映画出演での契約違反の常習者であり、この撮影中にも出演中にセリフがうまくいかなかったと周囲に八つ当たりし、本気で降板するつもりで荷物をまとめ始めたそうですが、ヴェルナー・ヘルツォークは
「個人的な感情より映画が大事だ 勝手は許さない 銃がある 君の頭に8発撃ち込む 9発目は自分を撃つ(君を殺して自分も死ぬ)」
と、彼を脅して引き留めたそうです。

 『チェイサー』と同年製作の1978年の『ノスフェラトゥ』は、1922年にフリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウが発表したブラム・ストーカー原作の怪奇小説の映画化のリメイク作品です。中世絶対主義の暗黒時代、ヨーロッパで流行したペストとともに大陸に上陸したドラキュラは、愛する女性へのこだわりから、最後には永遠の命を失ってしまいます。

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 また、わたしは1979年の『ヴォイツェック』は未見なのですが、この作品も過去に、舞台監督ゲオルク・クラーゲンが、実話を元にした有名な未完成の戯曲を映画化し、「ドイツ表現主義」の作品としては評価が高かったものだそうです。
 ここでは、愛人の姦通に嫉妬し、彼女を殺害してしまうドイツ人の将校を演じています。

 ヴェルナー・ヘルツォークは、自身の作品が戦前の「ドイツ表現主義」と、現在の西ドイツでの「ニュー・ジャーマン・シネマ」との橋渡しをする作品を制作していると述懐していたそうですが、この『ノスフェラトゥ』や『ヴォイツェック』は確かにその題材から、その最も典型的な作品と言えるでしょう。「ドイツ表現主義」のペシミスティックで暗鬱なノワール的ムードが、「ニュー・ジャーマン・シネマ」の耽美的でロマンティズムを伴う作品となっていることは時代的な映画の変遷によるものなのでしょう。

 『ヴォイツェック』で共演したエーファ・マッテスのカンヌ映画祭での女優賞の受賞には、クラウス・キンスキーもたいへん喜んでいたそうなのですが、自分が受賞できなかったことに対してはさすがに不機嫌で、ヴェルナー・ヘルツォークは
「君には賞など必要ない 賞は君をおとしめる 俗悪なマスコミと同レベルになってしまう」
と慰め、この言葉で彼は随分と上機嫌となったそうです。

 1982年の『フィツカラルド』は、オペラを主題にした作品全編に渉る男性的なロマンティズムを描き、ヨーロッパの人気スター、クラウディア・カルディナーレの出演、航行中のアマゾン河急流でのスペクタクル・シークエンス、なども含めて古典的な劇的ドラマトゥルギーの要素を多く盛り込んでいます。商業的な成功も十分に意識して制作していった作品とも察せらます。
 ここでは、19世紀末のペルーのイクイトスにオペラ・ハウスを建てる夢を実現しようと、その資金繰りにアマゾンの未開の奥地でのゴム栽培事業に乗り出す主人公フィツカラルドを演じました。

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 この『フィツカラルド』でも多くのトラブルがあったそうです。撮影現場ではプロデューサーを何時間も罵り続けたフィルムが残っており、このときは、ヴェルナー・ヘルツォークは、自分は珍しく傍観者であったとコメントしています。
 また、地元原住民のエキストラであるインディオたちは、クラウス・キンスキーの奇行が目に余り、ヴェルナー・ヘルツォークに、望むならクラウス・キンスキーを殺しても構わないと相談したそうですが、彼は撮影に必要だから残しておいてくれと断ったそうです。

 ヴェルナー・ヘルツォークにおいては、自分ではノーマルであるとか、クラウス・キンスキーを制御していたのは自分だとか、自分は決して常軌を逸したことはなかった、との言い訳のような答弁も多いのですが、クラウス・キンスキーの自宅を襲撃する計画を立て、それは断念したが、その後も殺したいと思っていたと述懐していることや、『フィツカラルド』撮影時の地元原住民のエキストラであるインディオたちのキンスキーの殺害計画を断ったことを本気で後悔したなどという言葉を聞いていると、クラウス・キンスキーも言っているように彼が正常な人物だとは、わたしにも到底思えません。

 そして1978年、クラウス・キンスキーとアラン・ドロンが邂逅するシークエンスが、映画『チェイサー』で実現していたのです。
 アラン・ドロンは、このような不快極まりないオーラを発する醜悪な狂人クラウス・キンスキーから何を感じ取ったのでしょう?

>トムスキー(クラウス・キンスキー)
狩りが中止になって-建設的なお話に時間がたっぷり取れました
セラノ文書を返していただきたい もちろん私の名前は載っていませんが私が援助している人物が大勢います 現在の政治情勢を考えると-文書の公表は国益に反します

>グザヴィエ(アラン・ドロン)
余計なお世話だ

>トムスキー
私に利害関係はありません 労働者の革命が起こる前に金が世界を支配しました これは本当の話です 戦争や同盟という言葉にもはや意味はない もはや敵も味方もなく あるのは顧客とパートナーです 金に国境はありません

※ ここで、わたしはアラン・ドロンが演ずる『若者のすべて』で演じた労働者階級出身のロッコ、『太陽はひとりぼっち』のローマの証券市場でのピエロを想起してしまいました。

>グザヴィエ
汚職にもね

>トムスキー
汚職を告発しても何も変わりません 何人かが職を失い あなたは逮捕されるが 根本は何も変わらない

>グザヴィエ
世論の力を忘れている

>トムスキー
世論に何ができます

>グザヴィエ
ニクソンは?

>トムスキー
あれは道徳の問題です

>グザヴィエ
認めますね

※ スリラー作品とも体系付けて良いようなこのやり取りのシークエンスでは、クラウス・キンスキーの異常性が映画のフレームから滲み出ています。
 アラン・ドロンは共演者に食われてしまう俳優だと酷評されることも多い俳優です。
 例えば、『太陽はひとりぼっち』のモニカ・ヴィッティ、『地下室のメロディー』のジャン・ギャバン、『山猫』のバート・ランカスター、『さらば友よ』のチャールズ・ブロンソン、『仁義』のイブ・モンタン、『ボルサリーノ』のジャン・ポール・ベルモンド、『フリック・ストーリー』のジャン・ルイ・トランティニャン・・・等々。
 もちろん、これらはアラン・ドロンを表層的にしか見ていない一般的な評価です。私は、それは彼が共演者を尊ぶわきまえた独自の存在感の表現であると解釈しており、共演者に食われてしまっているとは全く思っていないのですが、この対話のシークエンスにおいては、確かに彼はクラウス・キンスキーに完全に圧倒されてしまっているかもしれません。

 アラン・ドロンは、1970年代の中盤から『ゾロ』や『フリック・ストーリー』以降、従来からのアウトロー的、いわゆるアンチ・ヒーロー的ヒーローから脱皮して、いよいよこの『チェイサー』で、勇敢で、頭も良く、友情に厚い、そして、何ものにも屈しない最も典型的なヒーローとしての理想像を体現することができました。
 ところが、このシークエンスにおいては、現代の政財界の腐臭を放っているようなトムスキーを演ずるクラウス・キンスキーの負のオーラに、そのキャラクターの存在のほとんどが黙殺されているのです。


>トムスキー
話を戻しましょう あなたは非常に正直なお方だ だが やや時代遅れだ ドゴールは大衆を信じていませんでした 大衆は何も分かってない 政治家や高官が私腹を肥やしたとしても 経済の大勢には影響がありません だから-大衆には望みのものを与えておけばいいのです 食事 酒 セックス 週末の旅行などです それで彼らは満足します

 これは、明らかにアラン・ドロンに対する挑発です。
 邪推するとすれば、もしかしたら、この台詞はクラウス・キンスキーのアドリブではないかとまで考えてしまいます?
 彼は師であるルネ・クレマンの影響もあったのでしょうが、フランス第三共和政の支持者であり、最近では第五共和政における共和党選出のサルコジ大統領の後援者でもありました。
【>私の尊敬する人
そうですね。一人だけあげるとすれば、ドゥゴールでしょう。過去の栄光については、今更言うまでもない。ドゥゴールこそ私が最も尊敬し続ける人物です。(略-)】
【「ジタンの香り/アラン・ドロン」(訳 園山千晶)ライナー・ノーツより】

 また彼は、若い頃の自らを振り返り
【(-略)役者を始めた頃は、私は「ハンサムな間抜け」だった。その後は何かを見出さなくてはならなかったんだ・・・(略-)】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/21 「回想するアラン・ドロン:その7(インタヴュー和訳)」
と内省もしています。
 食事 酒 セックス・・・・

 そこで、このショットから、わたしが最も強く想起するのは、アラン・ドロンの敬愛するジョセフ・ロージー監督の言葉だったのです。

【(-略)私とやった二本の映画での役柄にぴったりだった。その二人、トロツキー暗殺者とムッシュー・クラインは、どちらも非常に頭の切れる男で、自分の行動にはしっかりとした自覚を持っている。ところがある限界点を一歩踏み越えてしまうと、もう判断力を失い、放心したようになってしまう。(ジョセフ・ロージー)】
【引用 『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』ミシェル シマン著、中田秀夫・志水 賢訳、日本テレビ放送網、1996年】

追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー

ミシェル シマン Michel Ciment 中田 秀夫 志水 賢日本テレビ放送網



 この限界点に達する直前で自分を制御しているアラン・ドロンの表情が、この後のショットに現れているのです。
 これは注意深く観ないとわからない微妙な彼の表情の変化なのですが、それは間違いなく、ジョセフ・ロージーが監督した『暗殺者のメロディ』のフランク・ジャクソン、『パリの灯は遠く』のロベール・クラインを演じたときの「ある限界点を一歩踏み越えてしまう」異常者アラン・ドロンになる直前のぎりぎりの瞬間であったようにわたしは想起したのです。


 また、『パリ・テキサス』でナスターシャ・キンスキーを起用したヴィム・ヴェンダースを始め、誰もが言うように、クラウス・キンスキーと最初の妻との間に生まれた娘がナスターシャ・キンスキーであることの意外性、つまりこの美しいスター女優の父親がこのクラウス・キンスキーであることの意外性は一般化してしまっています。
 これほど深遠で高邁な精神性を表現できる美しい女優に、これほど醜悪で人格的に異常性を持った父親の遺伝子が、どのように存在しているのでしょうか?

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 しかしながら、『キンスキー、我が最愛の敵』での、『ヴォイツェック』でヒロインを演じたエーファ・マッテスへのインタビューでは、クラウス・キンスキーは、たいへん自分を優しく大切に扱ってくれて非常に波長のあう共演者だったと回顧しています。
 不思議なことに、『フィツカラルド』で共演したクラウディア・カルディナーレも同様にクラウス・キンスキーが俳優としてのプロ意識の高かったこと、上品で温かく優しかったことなどを述懐し、エーファ・マッテス同様に彼を絶賛しているのです。

 また、作品で演じた主人公のキャラクターにもそれは感じられます。
 19世紀初頭のブラジルで山賊コブラ・ヴェルデと異名され、奴隷商人となったフランシスコ・マヌエルを演じた『コブラ・ヴェルデ』」(1987年)での女性革命戦士たちを指導するコブラ・ヴェルデや『アギーレ/神の怒り』でのアギーレの娘フロレスへの接し方などから、彼の女性への激しくとも限りない優しさ、デリカシーが理解できるような気もするのです。

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 ヴェルナー・ヘルツォークは、その脚本での映像化は不可能であると演出を拒否していますが、クラウス・キンスキーは、長年の念願であった『パガニーニ』(1989年)を、彼の演出での制作を切望していたようです。恐らく、悪魔に魂を売ってヴァイオリンの技術を手に入れたとまで噂され、外見的にも醜悪だったこの天才ヴァイオリニスト、パガニーニに自らを投影していたのでしょう。
 そして、『アギーレ/神の怒り』のアギーレのように、自らがそれを監督、主演し、二人目の妻との間に生まれた娘のニコライ・キンスキーと共演したのです。そして、その3年後の1991年、彼はサンフランシスコの自宅で逝去したのです。

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「彼は自分を使い果たしたのだ 燃焼し尽くしたのだ」

 ヴェルナー・ヘルツォークはエーファ・マッテスに『コブラ・ヴェルデ』のラスト・シークエンスでの海辺で波に打たれながら悶死するシーンが二人の最後の撮影であったことから、そう説明しています。

 『キンスキー、我が最愛の敵』のラスト・シークエンスでは、クラウス・キンスキーの周りを舞う一羽の蝶と彼とのクローズ・アップが挿入されています。
 彼のこの蝶への扱いは非常にデリケートで、表情も満面の笑みを讃えた優しいものでした。この美しい蝶は彼のそばから離れようとせず彼の周りを、いつまでも舞い続けるのです。
 わたしは、この美しく感動的なシークエンスから、ヴェルナー・ヘルツォークのクラウス・キンスキーへの想いが、彼の人間的な魅力も含めて、すべて伝わってくるような気がしました。

 そして、ようやく理解できたのです。彼の娘が、あの美しく哀しいヒロイン、ナスターシャ・キンスキーであることも・・・。


 更には、このようなクラウス・キンスキーと共演したアラン・ドロンを考えたとき、わたしには、女性に対するデリカシーに欠ける硬質なキャラクターを生涯に渉って貫き続けた彼も、この『チェイサー』では、ステファーヌ・オードラン、ミレーユ・ダルク、オルネラ・ムーティを、彼なりにデリケートに扱っていたようにも見えてしまっていたのでした。
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by Tom5k | 2009-12-31 01:54 | チェイサー(3) | Trackback(8) | Comments(22)

『チェイサー』①~戦後フランス映画へのオマージュ~

 『チェイサー』では、アラン・ドロンの多くの作品で音楽を担当したフィリップ・サルドを起用しています。この作品の音楽はジャンルとしてのシネ・ジャズを特徴としており、テナー・サックスのジャズ奏者として有名なスタン・ゲッツの演奏が全編を通して演奏されます。
 元来、スタン・ゲッツは「ヌーヴェル・ヴァーグ」の時代のシネ・ジャズ、つまりモダン・ジャズ体系のジャズ・マンではなく、ボサノヴァ調の軽快なテンポのリズムの演奏が特徴のサックス奏者でしたが、フィリップ・サルドの映画音楽らしいムードのこの企画に熟練のテクニックを披露して、成功を収めることができているように思います。

ジャズ・サンバ

スタン・ゲッツ&チャーリー・バード / ユニバーサル ミュージック クラシック



 わたしが、彼のそれらの演奏から、特に印象に残ったいくつかのシークエンスがあります。

・ アラン・ドロン演ずるグザヴィエと友人フィリップ(モーリス・ロネ)の愛人ヴァレリー(オルネラ・ムーティ)とが、モンパルナス駅で待ち合わせたときの追手の尾行をかわしていくシークエンス。
・ クラウス・キンスキー演ずる政財界の黒幕トムスキー邸に向かう途中の田園風景を背景にグザヴィエの自動車が走り、大型の貨物トラック2台と直列して走行するシークエンス。
・ 映画のクライマックスでのグザヴィエとモロ警部(ミッシェル・オーモン)がデファンス駅に向かうシークエンス。

 映画のプロットとしては、最も緊迫化するいくつかのシークエンスで使用されているのです。
 従来から、わたしには、このジャジーなサキソフォンの音色が、これらの映像と照応する曲調・リズムだとは思えずにいました。何度鑑賞しても、映像の印象と音楽とのバランスに違和感が伴ってしまうものだったのです。

 使用された箇所によっては、例えば、

・ 事件の起こる夜明けの高層マンション上階、高所からとらえたのパリの街並み。
・ 古い写真から友人との過去を懐古するときの主人公グザヴィエのクローズ・アップ。
・ 都会の夜のビルをローアングルからとらえた景観。
・ 車が行き交う夜の高速道路。
・ 友人の死を目の辺りにしても、その悲嘆を覆い隠すハードでノワールな主人公グザヴィエの心情表現。
・ 事件が解決しても根本的な問題は何ら変わらず、逝去した友人たちの弔いにも虚しさを感じている主人公グザヴィエの佇まい。
などのノワール的映像とは、素晴らしく一致、照応する曲調のような気がするのですが、前述したスピード感と緊迫感の溢れる映像へのこの情緒的な曲調は、違和感を引き起こしてしまうような気がしていたのです。

 しかし、ここでわたしは、旧ソ連邦の「社会主義リアリズム」作品を制作していったセルゲイ・エイゼンシュテイン監督が、音楽と映像におけるコントラクンプト(対位法)として体系付けて発展してきた映像と音楽における技術的な手法を想起してしまうのです。
 このようないくつかの違和感は、映像と音響との非同時性を意図したシネ・ジャズの工夫・応用を試みた結果だったのかもしれません。

 極端に言えば、フィリップ・サルドが担当したスタン・ゲッツが演奏するテナー・サックスの音色を眼で聴き、緊迫感溢れるこれらの映像を、耳で観ること、あるいは音楽を観ながら、映像を聴くことが可能となっているようにまで思ったのです。


 そして、思い起こしてみれば、この作品より以前に、アラン・ドロンが出演していた「フレンチ・フィルム・ノワール」作品では、このような典型的なシネ・ジャズを使用したことは無かったようにも記憶しています。

 久しぶりに映画の制作スタッフとして出会った助演のモーリス・ロネと、撮影したアンリ・ドカエのコンビネーションで、わたしが思い浮かべてしまう作品は、ルイ・マルが演出した『死刑台のエレベーター』でした。そして、『チェイサー』でのシネ・ジャズを使用した意味が、『死刑台のエレベーター』でのマイルス・デイヴィスのトランペットの即興演奏からの応用だったのではないかというところにまで至ってしまうのです。
 あるいは、都会のビジネス街での高層オフィス・ビル内で起こった深夜から早朝にかけての殺人事件のシークエンスなどから、同設定の『死刑台のエレベーター』へのオマージュであったのかもしれない、などとも想像してしまいました。

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 更にわたしは、グザヴィエが、ヴァレリーの証言によってトムスキー邸から救い出された後、走行中の自動車が銃撃を受けるシークエンスには、ジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』のラスト・シークエンスを想起します。
 『現金に手を出すな』でのヴィレンヌ街のギャング同士の銃撃戦で、転倒し炎上する自動車を背景に、最愛の手下であったリトンを亡くしたボスのマックスを演じたジャン・ギャバンへのオマージュだったようにも感じたのです。
 BGMで流れていた「グリスビーのブルース」のブルース・ハープの音色は、スタン・ゲッツのサキソフォンに変遷して現在に甦ったような気がしています。

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 当時は、私生活でも愛し合っていたアラン・ドロンとミレーユ・ダルクですが、この作品のファースト・シークエンスでも、スタン・ゲッツのテナー・サックスを背景に深夜早朝のパリの街並みから、主人公グザヴィエのアパルトマンでの二人のベッド・シーンにカットされます。
 事件の起きる前の数十万のパリ市民の中から、どこにでも存在するこの二人の愛人関係を選び出すトラック・ショットでした。

フランソワーズ(ミレーユ・ダルク)から、グザヴィエに
「答えて」
「なぜ 愛してると言ってくれないの?
 一緒に住んで
 私が嫌い?」
「私を愛してる?
 それとも嫌い?」
と、何度もしつこく、愛を確認するのです。

 フレーム内には室内の照度と露出によって、輝度の薄い採光にアラン・ドロンとミレーユ・ダルクが、被写体として浮かび上がっていますが、ここは、ジャン・リュック・ゴダール監督の『軽蔑』でのミッシェル・ピコリとブリジット・バルドーの冒頭のベッド・シーンのアングルと照度、二人の会話を想起させるものでした。

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 この『チェイサー』のジョルジュ・ロートネル監督は、『恋するガリア』でミレーユ・ダルクをスターに育て上げた監督です。
 『チェイサー』と同様に、彼が監督しアラン・ドロンも出演している『愛人関係』でのサイコでミステリアスなファム・ファタルを演じた彼女を絶賛してしまうわたしとしては、アラン・ドロンの私生活上での最愛の女性としてのみのキャラクターでしか描写されていないことや

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ジャン・ルイ・トランティニャンの妻でもあり、エリック・ロメールやクロード・シャブロルなどの多くの傑作で活躍していた「ヌーヴェル・ヴァーグ」の名女優ステファーヌ・オードランの助演としての出演も無視できないこととはいえ、彼女には、あまりに俗物的なブルジョアジーとしての一側面でのキャラクターしか与えられていないことなどが、たいへん残念なことだったと思っています。

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 アンリ・ドカエの散光フィルターによるソフト・フォーカスでのクローズ・アップを多用して撮った美しいオルネラ・ムーティを見ていると、もしかしたら、アラン・ドロンは過去に活躍したの女優たちではなく、若い彼女にこれからのフランス映画の未来を見定めていたのかもしれないなどと、わたしは、また勝手な想いにとらわれてしまうのでした。

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チェイサー フォノグラム・オリジナル・サウンドトラック(映画「チェイサー」より)音楽:フィリップ・サルド、演奏:スタン・ゲッツ、カルロ・サビーナ指揮ロンドン交響楽団
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by Tom5k | 2009-12-31 00:12 | チェイサー(3) | Trackback(3) | Comments(10)

『フランス式十戒 第6話 汝、父母をうやまうべし 偽証するなかれ』~フランス映画のアラン・ドロン~

 戦前の日本で、フランス映画が絶大な人気全盛期・黄金期があったことは、映画雑誌「キネマ旬報」の批評家投票で選定された作品の大半がフランス映画であったことや、小津安二郎がルネ・クレールに影響をうけていたこと、山中貞雄がジャック・フェデールの『ミモザ館』から『人情紙風船』(1937年)を制作したことなどからも理解できます。

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 なかでも、アラン・ドロンがデビューして、5年目の11作品目『フランス式十戒』(1962年)を撮ったジュリアン・デュヴィヴィエ監督は、フランス映画の古典「詩(心理)的レアリスム」の巨匠として最も有名な映画監督です。そして、フランス映画が全盛期を迎えていた1930年代の日本では、本国フランス以上に絶大な人気のあった映画監督でもあります。

 今までも、当ブログで何度も記事にしていますが、旧世代「詩(心理)的レアリスム」の巨匠たちは、後にフランソワ・トリュフォー達「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派の痛烈な批判に晒されていったわけですが、一般に言われているように、『太陽がいっぱい』(1959年)の脚本でポール・ジェコブ、撮影でアンリ・ドカエ、出演でモーリス・ロネを起用したルネ・クレマンや、『危険な曲り角』(1958年)の音楽でアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズを使用したマルセル・カルネは、彼らと対抗しようとしていたのではなく、共通項を探そうとしていたように、わたしには感じられます。でなければ、敢えて「ヌーヴェル・ヴァーグ」のスタッフを起用したり、シネ・ジャズを採り入れる手法などで作品を制作しないと思うのです。

殺られる/危険な曲り角 ― オリジナル・サウンドトラック

サントラ / マーキュリー・ミュージックエンタテインメント



 もちろん、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督も、その例に漏れず、『並木道』(1960年)でジャン・ピエール・レオー、『火刑の部屋』(1962年)でジャン・クロード・ブリアリなどの「ヌーヴェル・ヴァーグ」のスター俳優を起用しました。
 しかし、少なくても、この『フランス式十戒』(1962年)では、彼らとの確執を埋めずに徹底的に抗戦しようとしていたように思います。

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 それは、第6話「汝、父母をうやまうべし 汝、偽証するなかれ」から第7話「汝 盗むなかれ」(フランス公開(オリジナル)版では第5話から第6話)にかけてのシニカルなテーマやシナリオからも察することができることです。
 第7話「汝 盗むなかれ」では、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の代表的スターであるジャン・クロード・ブリアリ演ずる銀行員ディディエ・マランの社会規範の破綻ぶりをコメディックに創出しています。
 彼は、出勤時の朝寝坊から遅刻してしまうことにも全く無頓着で、銀行強盗に対してさえ職務としての防犯規範の欠片も無く、むしろ強盗された金品を逆に犯人から盗もうと画策するほどの出鱈目な人間です。ラスト・シークエンスでは、この事件と全く無関係なホームレスの男性のトランクと現金の入ったトランクが、誤って入れ替わり、ホームレスの男性が強盗と間違われて警察に連行されるショットで結末を迎えるのですが、この善良な失業者が、わたしには映画制作の場を奪われていく旧世代の「詩(心理)的レアリスム」の映画人たちの象徴として描かれているように見えて仕方がありません。そして、倫理的、道徳的に破綻した価値観しか持っていない現代青年ディディエ・マランが、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督にとっての「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちを象徴させたように思えてしまうのです。

 映画における一般的な規範や倫理をすべて破壊してしまう横暴で図々しい無責任な現代青年たち・・・。
「若い世代は将来有望だね ヌーヴェルヴァーグ万歳」

 アンリ・ジャンソンのこのショッキングな台詞を、この第7話「汝 盗むなかれ」の冒頭に悪魔の狂言として挿入しているシニカルな演出に、ジュリアン・デュヴィヴィエの映画作家としての反骨を見て取ってしかるべきだと思うのです。

 アラン・ドロンは、自身にとって大きく関わった各巨匠たち、例えば、ルネ・クレマン、ルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジャン・ピエール・メルヴィル、ジョセフ・ロージー等々から、自ら受けた影響力についての経験的な発言をしています。
 元来、アラン・ドロン自らが、私的な発言をしている資料自体が日本では多くないこともあり、もしかしたら、そのような埋もれた資料も存在しているのかもしれないのですが、現在のところ、わたしは、クリスチャン・ジャックやジュリアン・デュヴィヴィエなど、旧フランス映画の屋台骨となっていた「詩(心理)的レアリスム」の演出家たちについて触れた彼の言説は眼にしたことがないのです。

 何故なのでしょうか?
 いや、何故なのかということは問題ではなく、アラン・ドロンがジュリアン・デュヴィヴィエ監督から、俳優、スターとして、どのような影響を受け、どのような想いを持っていったのか?ということに好奇心が喚起されるのです。

 アラン・ドロンは、デビュー当時から、純粋なフランス本国を舞台にしたフランス資本の作品、『お嬢さん、お手やわらかに!』(1958年)、『学生たちの道』(1959年)、『素晴らしき恋人たち「第4話 アニュス」』(1961年)などよりも、各種映画祭で高い評価を受け、観客動員数も多く、他国にも高価格で輸出できた作品が、他国と資本提携した合作品『恋ひとすじに』(1959年)、イタリア資本の作品『若者のすべて』(1960年)、『太陽はひとりぼっち』(1961年)、フランス資本の作品であっても本国フランスが舞台設定になっていない『太陽がいっぱい』(1959年)や『生きる歓び』(1961年)でした。

【彼が国際的だということは、ギャバンほどに底があってのことではない。一言でいえば彼には、国境を容易にのりこえられる、若さと美しさがあったからだ。(-中略-)ことにアラン・ドロンの場合、彼がどうしてもフランスの俳優でなくちゃならないものをもっているわけではない。むしろ世界一般の現代青年たるべき条件をもっているから、成功したともいえる。(-中略-)彼はいきなり、国際スターにはなったが、フランスのスターとしては、弱体であったわけだ。】
【引用 「男優界の2大対決 ギャバン対ドロン】秦早穂子(月刊スクリーン 1963年 11月号より)】

【>アラン・ドロン
(-中略)イライラしたジャーナリストがこんな事を言ったこともある:「フランス映画界にドロンは存在しない」私はフランス映画界に自分の居場所があると思っていたのにね。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/1 「回想するアラン・ドロン:その1(インタヴュー和訳)」

 そういう意味でも、彼はデビューして、すぐに国際スターとなっていたのですが、逆に考えれば、「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品が席捲していた当時のフランス本国での映画作品の制作では完全に出遅れた俳優となっていたのです。

【フランスでは、映画とは違った理由で、あなたの粗野な性格のためによく攻撃され、理解されないことがありますね。たぶん、シネマテークの今回の回顧上映はあなたのキャリア、作品にメッセージを送ることになるではないですか?
>アラン・ドロン
それは分るし、受け入れるが完全には同意できないね。去年、コニャクの映画祭で記者会見した時、150人のジャーナリストたちに言ってやったよ:私を産んだのは君たちだ。でも私は君たちが作った私のイメージとは違うとね。役者を始めた頃は、私は「ハンサムな間抜け」だった。その後は何かを見出さなくてはならなかったんだ・・・私はヌーベルバーグの監督たちとは撮らなかった唯一の役者だよ、私は所謂「パパの映画 cinéma de papa」の役者だからね。ヴィスコンティとクレマンなら断れないからねえ!ゴダールと撮るのには1990年まで待たなくてはならなかったんだ。自分からは近づいて行けない、私はマージナルな人間だったからね。私には誤解が付き纏い、驚かされるんだ。】
※「パパの映画 cinéma de papa」とは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派のフランソワ・トリュフォーが付けた古いフランス映画への侮蔑的な呼称のこと。
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/21 「回想するアラン・ドロン:その7(インタヴュー和訳)」

 また、フランス映画の評論家でもあった秦早穂子氏は、アラン・ドロンがフランス俳優として開花できたのは、ジャン・ギャバンとの共演の影響が大きかったと分析しています。

【すこし誇張していえば、「地下室のメロディー」で、彼はフランスの男にしてもらったといった方がいいかもしれない。今でこそいえるが、日本であれだけ当った「太陽がいっぱい」だって、フランスじゃさんざんだった。(-中略-)名実ともに彼の映画があたりをとったのは「地下室のメロディー」である。(-中略-)彼にとってジャン・ギャバン競演ということは、願ったり、かなったりの、跳躍台だったのである。ギャバンは、虫のいどころもよくて、このコンビ、受けて立った。商業ベースからみれば、当たるからこのコンビが出来上がったのだという解釈に終わってしまいそうだが、(略-)】
【引用 「男優界の2大対決 ギャバン対ドロン】秦早穂子(月刊スクリーン 1963年 11月号より)】

 彼女の分析は、アラン・ドロンのファンとしては不本意な部分もありますが、なるほど確かに客観的かつ的を得ています。
 ただ、わたしがここで思い浮かんでしまうのが、この『フランス式十戒「第6話 汝、父母をうやまうべし 汝、偽証するなかれ」』なのです。

 秦早穂子氏は、ジャン・ギャバンと共演した13作品目『地下室のメロディー』(1962年)を、アラン・ドロンのフランス映画界でのスター俳優としての定着を定義とする前に、この旧世代の巨匠ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「オムニバス」形式に挿入されていた短編作品にアラン・ドロンが主演していたことを忘れてはいなかったでしょうか?

 また、更に興味深いことは、アラン・ドロンは後年、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品において、ジャン・ギャバンの後継者とまで言われていたわけですが、彼と若い頃からの名コンビを組んできたのがジュリアン・デュヴィヴィエ監督だったことなのです。

 ジュリアン・デュヴィヴィエとジャン・ギャバンの映画生涯においては、『白き処女地』(1934年)、『ゴルゴタの丘』(1935年)、『地の果てを行く』(1935年)、『我等の仲間』(1936年)、『望郷』(1936年)、『逃亡者』(1943年)、『殺意の瞬間』(1955年)の計7本もの代表的名作品が存在しています。
 ジャン・ギャバンを超一流の大スターに育てたのは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督とまで言って良いかもしれません。

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 アラン・ドロンが、秦早穂子氏の言っていたとおり、フランス映画界での着実な定着を望んで、『地下室のメロディー』でジャン・ギャバンと共演した前段の作品に、このジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『フランス式十戒 第6話 汝、父母をうやまうべし 汝、偽証するなかれ』があるのです。
 また、共演者も、活躍していた時代から当然ではあるものの、ジェラール・フィリップやジャン・ギャバンとの共演、クロード・オータン・ララ監督やジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品に出演し続けていたダニエル・ダリュー、そして、ルイ・ジューヴェに師事し、フェルナンデルやジュラール・フィリップと共演していたマドレーヌ・ロバンソン(1994年のアラン・ドロンとの共演作品『テディベアL'Ours en peluche』が引退作品)という完璧な旧世代の女優たちなのです。
 また、脚本に携わっていたのはアンリ・ジャンソンです。彼は長年にわたってジュリアン・デュヴィヴィエの作品に起用されてきた脚本家でした。映画作家として彼は、逆にフランソワ・トリュフォーを生涯にわたって批判し続けた旧世代の映画人でした。

 要するに、この作品は「ヌーヴェル・ヴァーグ」とは全く無縁の作品でありながら、アラン・ドロンが生粋のフランス俳優であり、スターであることを見せしめることが出来た最初の作品なのです。

 現代青年の典型でもあったアラン・ドロンは、この巨匠や共演者たちやスタッフから何を学んだのでしょう?

 ジュリアン・デュヴィヴィエは、有名な作品はトーキー時代以降のものですが、サイレント時代から活躍していた演出家です。映画における音に対しては、トーキー時代以後の映画作家とは異なる感覚を持っていたと思います。
 アラン・ドロンにとっては、後年、特にジャン・ピエール・メルヴィルが監督した作品でも、それを生かすことができたのではないでしょうか?暗黒街での殺し屋やギャング、刑事を演じたときに、台詞に頼らず映像で語りかける術は、サイレント時代を経験している映画作家と若い頃に巡り会ったことの影響力が大きかったからこそ成功した作品だったようにも思います。

 また、ジュリアン・デュヴィヴィエは、道徳観、倫理観においても戦前から戦中を生き抜いた古い世代の人間であり、宗教家(カトリック教徒)でもありました。正しいものと誤ったものをはっきりと区別する良識的で善良な人間であったことは、彼の作品を鑑賞すれば、そのメッセージから理解できます。
 『ゾロ』や『フリック・ストーリー』など、アラン・ドロンがアンチ・ヒーロー的ヒーローから脱皮した作品などは、ジュリアン・デュヴィヴィエからのフランス映画の伝統的な倫理・道徳観の影響があったようにも思います。

 そして、『望郷』でのジャン・ギャバンにもそれは表されていますが、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督は男優の美的表情をカメラに撮ることも非常に上手だったと思います。
 私見ではありますが、アラン・ドロンには元来備わっている美しさがあるのはもちろんなのですが、ミッシェル・ボワロンやルネ・クレマン、ミケランジェロ・アントニオーニなどによる作品よりも更に彼の美しさを引き出すことに成功したのはルキノ・ヴィスコンティ監督だったと思っています。そして、彼と同等にアラン・ドロンを美しく撮ったのがジュリアン・デュヴィヴィエだったような気がするのです。
 アラン・ドロンの内面の本質的な美しさを引き出すことに成功しているからなのでしょうか?音声の無い映像表現しかなかったサイレント時代の高度なメイク・アップ技術によるものなのでしょうか?戦時下での予算もない時代に工夫してきた経験によるモノクローム時代の照明によるライティング効果のためなのでしょうか?・・・・
 超一流の巨匠たる所以は、ここでも見て取れるように思えるのです。


 いずれにしても、アラン・ドロンが『地下室のメロディー』でジャン・ギャバンと共演してからは、単に新旧フランス二大スターとしての関係ばかりに注目が集まっていたようですが、その前段には、ジャン・ギャバンの師ともいえるジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品に出演できた実績があったからこそ、彼らの師弟関係もより良く構築され、共演作品でも成功を収めることができたとも言えましょう。

 ここまで考えてみると、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の遺作となったアラン・ドロン25作品目『悪魔のようなあなた』(1967年)の出演後の30作品目『シシリアン』(1969年)でのジャン・ギャバンとの共演も偶然ではないような気がしてきます。
 アラン・ドロンは、ジャン・ギャバンと共演したくなると、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品に出演していたとまで邪推してしまうほどです。

【彼は父なるものを探し求めているのだが、同時にまた自分が強くなって他者を支配したい欲求もある。(ジョセフ・ロージー)】
【引用 『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』ミシェル シマン著、中田秀夫・志水 賢訳、日本テレビ放送網、1996年】

追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー

ミシェル シマン Michel Ciment 中田 秀夫 志水 賢日本テレビ放送網



【ヤツをぶち殺す役ならドロンと共演してもいい(『シシリアン』でアラン・ドロンと共演の話が出たときのジャン・ギャバン)】
【引用 『ジャン・ギャバンと呼ばれた男』鈴木 明著、小学館ライブラリー、1991年】

ジャン・ギャバンと呼ばれた男

鈴木 明小学館



【(-中略-)というのも今では私は、アラン・ドロンのことをジャン・ギャバンにとってかわることのできるもっとも優れた、もっとも美しいフランス男優の一人だと思っているからである。(ブリジット・バルドー)】
【引用 『ブリジット・バルドー自伝 イニシャルはBB』ブリジット・バルドー著、渡辺隆司訳、早川書房、1997年】

ブリジット・バルドー自伝 イニシャルはBB

ブリジット バルドー / 早川書房



 話のわかる頑固親父、子分のために人肌脱げる大親分ジャン・ギャバン、そして、愛すべきどら息子アラン・ドロンとの微笑ましい師弟関係のみならず、本国フランスにおける彼らの映画史的な結びつきまでもが浮かび上がってくるのです。

【当時の作品を何本か再見したんですね、そこで『地下室のメロディー』の話をしたいのですが、ギャバンと共演しています。彼はあなたの共演者であり、同時に師匠でもあった:役者と演じる人物の間である種伝わるものを感じます。
>アラン・ドロン
『地下室のメロディー』の頃は、ギャバンは元気一杯だったよ。彼は常にボスで素晴らしい役者だった。彼とは共通点があった。彼同様、私も昔軍人で、船員だったんだ。私同様、ギャバンは最初は役者じゃなかった。ミュージック・ホールやカフェ・コンセール以外は、同じ道を歩んで来てた。ギャバンはフォリー・ベルジェールの階段を(キャバレー)でミスタンゲットの後ろで降りていた、するとある日役者をやってみないかと勧められた。ちょっと修理工をしてたアラン・ラッドやサーカス出身のランカスターみたいなものだね。これが正に役者ってものだ。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/4 「回想するアラン・ドロン:その2(インタヴュー和訳)」


P.S.
 こちらは、わたしのお気に入りブログ【koukinobaabaさんが運営する『Audio-Visual Trivia for Movie & Music』での『フランス式十戒』関連記事】です。
 日本公開版のみに挿入されているダニー・サヴァル主演の第2話「汝 姦淫するなかれ 汝 結婚のほか肉の行ないを求めるなかれ」(フランソワーズ・アルヌール、ミシュリーヌ・プレール、メル・ファーラー主演の第2話は、第4話「汝 人の持物を欲するなかれ」として公開されました。)の記事もあります。
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by Tom5k | 2009-12-23 18:29 | フランス式十戒 | Trackback(6) | Comments(16)

『恋ひとすじに』③~「アラン・ドロン」の原型 ロミーとアラン、ヴィスコンティ一家として~

【あなたが演じる役にはしばしば鬱的なメランコリーな何かがありますね。
>アラン・ドロン
傷はなかなか癒えないんだね。笑わそうとしてみたり無駄なこともした、それがトレードマークになってるな。

『もういちど愛して』は以外、あなたはコメディに出演したことはありませんね。
>アラン・ドロン
『もういちど愛して』以外はやったことがない、あの作品は悪くなかったんじゃないか?(コメディは)私には似合わない、感じないんだ。状況がおかしいという以外はね・・・うまく出来たためしがない、自分には無理なんだろう。笑わすと言うのは難しいよ、一番難しいことだ。】

【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18 「回想するアラン・ドロン:その6(インタヴュー和訳)」


 アラン・ドロンは、悲しい役が似合います。
 ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』や、ハリウッド時代の「フィルム・ノワール」作品『泥棒を消せ』、そして、帰仏後の青春映画『冒険者たち』、人気全盛期の「フィルム・ノワール」作品『スコルピオ』や『ビッグ・ガン』、ジョゼ・ジョヴァンニ監督の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品群等々・・・。
 このように、スターとして生涯に渉って発露されていったアラン・ドロンの悲劇的アクターとしての素養は、どの作品に端を発しているでしょうか?
 『恋ひとすじに』は、アラン・ドロンが大恋愛のすえ、婚約までしたロミー・シュナイダーと初めて出会った作品ですが、彼の主演第二作目の西ドイツ=フランスの合作映画であるこの悲恋物語で、すでにそれは証されています。
 その直近前作である初めての主演作品『お嬢さん、お手やわらかに!』(1958年)が、たいへん明るい青春コメディであることとは対照的であり、すでにアラン・ドロンの明暗両極端のキャラクターが、デビュー間もないこの段階の両作品に、はっきりと現れていることは非常に興味深いところです。


「自由とは何かわかっていない」
 アラン・ドロンが扮する青年少尉フランツ・ロープハイマーは、ロミー・シュナイダーが演ずる貧乏な音楽家の娘クリスティーヌ・ヴァイリングに恋愛感情を抱いており、そのことに対するジャン・クロード・ブリアリが演ずる友人テオの忠告です。

 しかし、フランツはそれを強く遮って言い切ります。
「彼女が大事なんだ 日曜日のデートだけでは物足りない 君の考えは分かっている 家族から反対され 友達には笑われる でも僕にはクリスティーヌしかいない」

 アラン・ドロンらしい一途な面が、珍しく強くストレートに表現されているシーンでした。

 しかし、フランツには以前から不倫の相手であったミシュリーヌ・プレール演ずるレナ夫人がいました。あるとき、そのことが露見して彼女の夫であるエッガースドルフ男爵がフランツの自宅に訪れ、夫人との関係の責任を問いつめることになってしまいます。
 このときのアラン・ドロンの演技は、全盛期の悲劇のヒーロー像の土台となるメソッドとも思えるものでした。男爵に決闘を申し込まれて、死を決したフランツの精悍で悲壮な表情は、それ以前の彼の表情とは全く異なります。

 それは、彼の代表作の一本となる2年後のルキノ・ヴィスコンティ監督『若者のすべて』で、兄シモーネの残した多額の借金の支払いを許諾し、最も忌み嫌っていたボクサーとなる決心をしたときのロッコ・パロンディの表情なのです。死と絶望を美学とするアラン・ドロンの悲劇性は、ここに端を発しているように思います。

 親友テオにすべてを打ち明け、証人になってくれるよう依頼し、心配をかけないようクリスティーヌには実情を話さずに・・・。
最愛の彼女と踊るワルツ。
「君を愛してる 愛し続けるって 誓って言える」

 それにしても、このショットから、エッガースドルフ男爵の射撃練習にカット・バックさせるとは・・・何て残酷なモンタージュなのでしょうか。

 エッガースドルフ男爵との決して勝つことの出来ない決闘を受けることになったフランツが、初めてクリスティーヌの家を訪れたときの彼の悲しみに満ちた演技ほど、観ている側が悲しくなるものはありません。
 アラン・ドロンは、どうしてこんなに悲しい表現ができるのでしょうか?
 きっと、彼は若くして既に、淋しくて悲しいことを普通の若者よりもたくさん知っていたに違いありません。

 クリスティーヌの留守宅を訪れ、義父となるはずの楽団員のチェリストである彼女の父に迎えられ、彼のチェロが奏でる『アヴェ・マリア(Ave Maria)』にじっと聴き入るフランツの様子から、この貧困層の家庭に対する敬愛の気持ちが伝わってきます。

 そして、そのチェロの演奏に、クリスティーヌのミディアムのクローズ・アップ、彼女が歌うシークエンスにクロス・カットするのです。
 まだフランツの悲壮な決意を全く知らないはずの彼女が、歌手になるための選考検査で選んだ曲はフランツ・シューベルトの『アヴェ・マリア(Ave Maria)』でした。歌う哀しみと愁いに満ちた表情の美しさ・・・。

 原曲は、イギリス詩人のウォルター・スコットの叙事詩『湖上の美人』で処女エレンが父の罪が許されるよう聖母マリアに祈る詩にシューベルトが曲を作ったものです。わたしには、クリスティーヌの歌う様子が、このエレンと同様に、フランツの罪の許しを切実に願っているように見えました。それほどまでに、二人の結びつきは強く、掛け替えのないものになっていたのです。
きよしこの夜
バトル(キャスリーン) ハーレム少年合唱団 ニューヨーク・コーラス・アーティスツ 聖ルカ・オーケストラ スラトキン(レナード) プレトリウス シューベルト / 東芝EMI



※ 母マグダ・シュナイデルのクリスティーヌが選んだ歌曲は、ヨハネス・ブラームスのドイツ民謡『Schwesterlein』でした。
【旧作『恋愛三昧』(1933年)でのフランツの訪問とクリスティーヌのオペラ歌手選考のシークエンス】 ※


 後方でチェロを奏でる父親と前方のフランツの横顔のクローズ・アップ、両者を鮮明にするスプリット・フォーカスにクロス・カットします。

「音楽はお好きで?」
「ええ 今日は特に 音楽は不可能な事を 思い起こさせる」

「君の若さで何を言う?」
 心配で不安そうなクリスティーヌの父・・・もうこの段階でフランツは死を選択するしかなかったわけですから・・・。

 帰宅したクリスティーヌはオペラ歌手としてデビューできることになったこと、帰ってきたときに恋人が待っていたことで大喜びです。彼女のはしゃぐ様子が、逆に悲しさを強いものにしてしまいます。
 ここからの二人の会話のやり取りは、あまりにも悲しい・・・彼女の3週間後の舞台デビューの日程をメモに書けないフランツ・・・。

「有名になった私を自慢して 嬉しいって正直に言って」

「嬉しいよ 君の家にこうして居れる事が」
 家の中を見回すフランツの悲しそうな表情・・・。
「ここに来たのは初めてだが そんな気がしない」

 クリスティーヌの部屋では
「こんな部屋を想像していた ここで君と暮らしたい」
 ピンクの壁紙の可愛い部屋、シラー、シェークスピアの著作に、フランツ・シューベルトの肖像画・・・。
 そして、二人の思い出の写真が写真立てに飾られ、デートのときに積んだ花を活けた花瓶・・・。

「次の日曜にまた摘みましょう。」
 悲しいことに、フランツには次の日曜日はないのです。
 彼の様子から、何か不安を察したのでしょう。クリスティーヌは何とか彼との愛情を確認しようとするのです。

「あなたほど愛した人はいない これからもずっと 会えないなんて嫌よ フランツ答えてったら」


 フランツとエッガースドルフ男爵との決闘の日、テオとミッツィが駆けつけたときの1度目の銃声は男爵のものでした。彼らミドル・ショットからクローズ・アップ、不安そうに見つめ合うテオとミッツィ・・・2発目の銃声は響かない。
 思わず走り出すテオの後ろ姿のショットに、ルードウィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンの『シンフォニー第5番「運命」』第1楽章が流れるのです。

 このドラマティックな演奏効果は、小劇場でのクリスティーヌの父親の楽団の演奏場面にカット・バックしてからも続きます。彼は二人の親友からフランツの訃報を受け、クリスティーヌのいる自宅に向かうのですが、これらのシークエンスは、父親の「クリスティーヌ」の一言のセリフだけなのです。フランツの死からクリスティーヌへの訃報の知らせまでのこのサイレント映像の表現技法は素晴らしく、わたしなどは、これぞ映画芸術である!と思ってしまうのです。
※ 【旧作『恋愛三昧』(1933年)のラスト・シークエンス】 ※

※ ロミーの母親は旧西ドイツの女優マグダ・シュナイデルで、マックス・オフェルス監督の『恋愛三昧』でロミーと同じクリスティーヌ・ヴァイリングを演じた女優です。この旧作は「ヌーヴェル・ヴァーグ」のカイエ派が絶賛し、特にフランソワ・トリュフォーはマックス・オフェルス監督を最も敬愛している演出家のひとりとして挙げています。 ※

ベートーヴェン:交響曲第1番&第5番
フルトヴェングラー(ウィルヘルム) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ベートーヴェン / 東芝EMI





ベートーヴェン : 交響曲第5番 「運命」・第6番 「田園」・第7番・第8番
NBC交響楽団 ベートーヴェン トスカニーニ(アルトゥーロ) / BMGファンハウス





 そして、わたしはこの作品から、後に主演のロミー・シュナイダーとアラン・ドロンの師となったルキノ・ヴィスコンティ監督の作品である『夏の嵐』(1954年)を想起してしまいました。

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 ルキノ・ヴィスコンティ監督本人も言っているように、『夏の嵐』は、
「ロマンティックなリアリズムに新しい道を開こうとした作品」
であり、それは若き青年将校と夫のある年上の伯爵夫人との残酷な悲恋のメロドラマともなっています。

「わたしがメロドラマを好きなのは、それが人生と演劇との境界線上に位置するからだ。(-中略-)演劇やオペラ、それにバロックの世界。こういったものが、私をメロドラマに結びつける原因である。」
【『ヴィスコンティ集成 退廃の美しさに彩られた孤独の肖像「イメージ・ヴィスコンティ オペラ(海野 弘)」 P88)』 1981年 フィルム・アート社刊】

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 「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派のフランソワ・トリュフォーは、メロドラマそれ自体を否定はしていませんが、旧時代のフランス映画「詩(心理)的レアリスム」に限ってのメロドラマ性を「知的で意味ありげな衣をまとって大衆をだました」と批判しています。
 ところが、イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の『夏の嵐』は、「詩(心理)的レアリスム」作品と同様のメロドラマであるにも関わらず、そのような意味での矛盾を一切感じさせることのない作品となっています。彼の作風は、フランソワ・トリュフォーが批判していったステレオ・タイプのメロドラマ性を超越し、背景の社会情勢から主人公達の恋愛を描く究極のリアリズム、そして、演劇やオペラなど音楽劇の要素を映画様式として確立させていったものでした。

 このような矛盾を超越しているルキノ・ヴィスコンティ監督の作品には、彼が若い頃に助監督を務め、師でもあったジャン・ルノワール監督の言葉が生きているのではないでしょうか?
【映画においては、すべての人間の言いぶんが正しい。(ジャン・ルノワール)】

 『夏の嵐』は、冒頭でのベネツィア最大のラ・フェニーチェ劇場でのジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『イル・トロヴァトーレ』で始められ、劇中でもアントン・ブルックナーの『シンフォニー第7番』がバック・グラウンドで効果的に使用されており、メロドラマが音楽劇として様式化される試みが大胆に成されています。

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 もちろん、『夏の嵐(官能)』の原作はイタリアの作家カミッロ・ボイトで、『恋ひとすじに(恋愛三昧)』のウィーン出身のアルトゥール・シュニッツラーとは無縁ですし、ロミー・シュナイダーが演じたような可憐で美しい娘との恋愛は描かれてはいません。
 しかしながら、19世紀のオーストリアとイタリアの戦乱の時代に、クラシック音楽や劇場での上演シーン、舞踏会での優美なダンスなどを存分に物語に取り入れて、軍服を着たオーストリアの青年将校(偶然にもファーリー・グレンジャーが演ずる主人公もフランツです)と優美な公爵夫人(アリダ・バッリ扮するのはレナではなくリヴィアでした)を主人公にし、年齢差や階級の違う決して成就しない不倫の恋愛などを描いた音楽劇という点でも、この『恋ひとすじに』と『夏の嵐』の類似点は多くあります。

 無論、『恋ひとすじに』が、世紀の巨匠ルキノ・ヴィスコンティが演出する細部に渉るリアリティや本質的な美的エレガンスに至ることは到底無理であったにせよ、「イメージ・ヴィスコンティ」ともいえる古典芸術の音楽劇の方向性には体系付けることのできる作品ではあったと思うのです。

 そういった意味でも、ロミーとアランが後にルキノ・ヴィスコンティに寵愛されていくことの必然が、この『恋ひとすじに』への出演を契機としたものだったようにも思われ、わたしは深い感慨に浸ってしまうのです。
 若く無限の可能性を秘めた二人の未来が、映画史の片隅にも忘れ去られてしまっている1958年のこのロマンティックな小作品に、多くのエッセンスを内包していると感じるのは、決してわたしだけではないはずです。

【ミシェル・ボワロン監督の『お嬢さん、お手やわらかに!』を若い頃、見た記憶があります。
>アラン・ドロン
商業的には大ヒットした作品だ。この映画で顔を覚えてもらったんだね。ミレーヌ・ドモンジョと共演した。ブリジット・バルドー、ジャクリーヌ・ササールやパスカル・プティと共にもう一人のフランス映画のスターだった。それからピエール・ガスパール・ユイの『恋ひとすじに』に出た。『若者のすべて』に起用してもらう前、撮影現場にヴィスコンティが私を見に来たんだ。『お嬢さん、お手やわらかに!』を見たルネ・クレマンも私を覚えてくれた。全くもって凄い年月だった・・・】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/4 「回想するアラン・ドロン:その2(インタヴュー和訳)」


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by Tom5k | 2009-12-23 16:39 | 恋ひとすじに(3) | Trackback(4) | Comments(13)

『若者のすべて』③~『揺れる大地-海の挿話-』その「ネオ・リアリズモ」としての第二部~

 1940年代当時のイタリア共産党は、イタリア南部の経済的困窮の実態を描くことを目的としたドキュメンタリーの制作を、自らの政治キャンペーンとして、映画監督ルキノ・ヴィスコンティに委嘱しました。彼は第二次世界大戦中のイタリア・レジスタンス運動に参加した経験を持っていたことなどからも、コミュニズム(共産主義)の信奉者であったため、その作品を、『揺れる大地-海の挿話-』として演出することになったのです。

 ルキノ・ヴィスコンティは後年、1940年代後半期の「ネオ・リアリズモ」運動の衰退に対する苛立ちから、この当時の映画情勢の安易な妥協を批判して、この運動の本来の姿を再興させたいという情熱的な取組みを意図していたと述懐しています。

 それに加えて、19世紀後半のイタリアの南部と北部の経済格差の問題、統一イタリアの矛盾を描いていった「ヴェリズモ(真実主義)」という文学運動を師事していたこともあり、イタリア南部の貧困を描くドキュメンタリー作品として委嘱されていたこの題材を、その運動の代表作家であったジョヴァンニ・ヴェルガが著した『マラヴォリア家の人々』をモチーフとして制作し、上映時間160分の大巨編として完成させたのでした。

マラヴォリヤ家の人びと

ジョヴァンニ ヴェルガ / みすず書房


 このように、リアリズム作品『揺れる大地-海の挿話-』の背景には、劇的なドラマトゥルギーの要素を根底に据えた彼の文学的資質の基盤もあったわけなのです。
 1948年制作のこの作品と比較しながら、1960年制作の同系作品の『若者のすべて』を鑑賞してみると、更に劇的なドラマトゥルギーが強調されており、この2作品が制作された12年の間にも彼の「ネオ・リアリズモ」作品の制作手法に大きな変遷があったことがわかります。

 その間に制作された『夏の嵐』(1954年)や『白夜』(1957年)は、そのメロドラマ性から「ネオ・リアリズモ」ではないとの批判にさらされていたわけですが、『若者のすべて』にも主人公の兄弟が一人の女性を巡って三角関係となるというメロドラマ的要素の特徴が顕著に表現されています。

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ルキーノ・ヴィスコンティ DVD-BOX 3 3枚組 ( 郵便配達は二度ベルを鳴らす 完全版 / ベリッシマ / 白夜 )
/ 紀伊國屋書店





 また、ルキノ・ヴィスコンティは、ここでは「ネオ・リアリズモ」の作家としての立場で、南部移民の居住している低所得者アパートメント、ボクシング・ジムなど環境描写の特徴を、ありのままの現実的な景観で表現していますが、『揺れる大地-海の挿話-』と比較すると、映画の感傷や解釈を観客に委ねてはおらず、リアリティとは無縁な劇的ドラマトゥルギーの要素を意図的に強調したシークエンスが多い作品となっています。

 1960年代初めにおいては、まだ一般的ではなかったレイプ事件や殺人事件などの犯罪行為を扱っていることなども、下層階級の貧困な生活における象徴的プロットであるのか否か、賛否の両論は発生し得るようにも思えます。登場人物たちの生活の困窮が遠因となって、それらが起きたにしろ、当時の犯罪件数のデータからいえば、これほどの極端な暴力行為を強調しなくても、作品の内容が平坦になる恐れはなかったはずです。

 更に、主人公ナディア(アニー・ジラルド)とロッコ(アラン・ドロン)の悲劇的運命を世界最大級のゴシック建築であるミラノの大聖堂を舞台にした高所撮影によって表現したあの有名なシークエンスも、環境描写としては寸分の歪曲もなく表現されていますが、、荘厳悲壮な恋愛劇の展開としてドラマティックに成立させていて、イタリア南部から移住してきた者たちの困窮した生活でのリアリティのみを強調しているわけではないのです。

 また、主人公ロッコ・パロンディのキャラクターがあまりにも朴訥で前近代的であることは、以前に別記事『若者のすべて』②~オリーブの樹が繁る月が明るい虹の故郷(くに)~でアップした内容のとおりですし、『揺れる大地-海の挿話-』と異なり、主人公がプロボクシングという特殊な世界で生きていくというプロットも、労働者階級の生活感覚には欠ける設定であったようにも感じます。

 このように『若者のすべて』は、リアリズム作品でありながら、ドラマトゥルギーとしての劇的要素が、その構成として採り入れられています。つまり、観る側に主体的な選択肢を委ねられておらず、むしろ感情移入が促される結果となってしまうのです。
 もちろん、わたしは、このことに違和感を持つことはありませんし、映画におけるメロドラマ性の否定も全く不要なものだと思っています。

 当然のことながら、イタリア北部の大都会ミラノ市での失業率、悲惨な労働環境の状況などをプロットとし、現代イタリアの典型的な社会矛盾を問題の基本に据えた作品であることも紛れもない事実です。同時に、低所得層の住民が失業者住宅に入居できるという当該市当局の福祉事業が完備されていたことまでもが正確に描写されており、その背景の描き方に限れば、ドキュメンタリーに近い描写とまで言えましょう。

 この作品は間違いなく、『揺れる大地-海の挿話-』の系譜に位置する「ネオ・リアリズモ」の傑作大巨編として評価されるべき作品なのです。

 登場人物の設定においても、パロンディ家の母親ロザリア(カティナ・パクシノウ)、長男ヴィンチェンツォ(スピロス・フォーカス)、四男チーロ(マックス・カルティエール)、五男ルーカ(ロッコ・ヴィドラッツ)が、典型的で平均的な南部からの移住者として描かれていることからも観る側の現実感が喚起されますし、次男のシモーネ(レナート・サルヴァトーリ)にしても、孤立して自閉的になり、転落した人生を生きる人物として、この現代社会には必ず発生してしまう存在です。
 シモーネの起こした痴情のもつれによるレイプ行為や殺害事件なども、現在の日本では日常の新聞紙面上では珍しいことではなくなっており、ルキノ・ヴィスコンティの先見性には、確かに感じ入ってしまうところです。

 何より、土地という生産手段を奪われた農業従事者が、大都市において未熟練労働者にならざるを得ない様子が描かれています。その主題の表現に着眼すれば、『揺れる大地-海の挿話-』よりも更に時代の進行を汲み取っている先鋭的な作品であるとまで評価できるかもしれません。

 更に、わたしは、大聖堂ドオゥーモでのロッコとナディア(アニー・ジラルド)の悲劇的シークエンスでも、そこでの多くの観光客を偽らずに描写しており、ルキノ・ヴィスコンティのリアリズム作家としてのこだわりも強く感じました。

 これらのような意味から考えれば、実在したプロボクサーをモデルにして主人公ロッコ・パロンディを描けば、更にこの作品のリアリティが増幅し、より説得力のある作品になったようにも思います。

 ところで、映画における俳優の在り方において、1920年代の旧ソ連時代における「社会主義リアリズム」の映画作家たちは、登場人物の細かい性格描写を省き、素人のみのモンタージュだけで、それを模索していったのですが、例えば、セルゲイ・エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』は、当時採用された配役登用の理論として、「スター・システム」や「俳優の演技」を重視せず、映画の題材に最もふさわしいキャラクターを、その「タイプ・型」で配置する手法として確立させた作品でした。
戦艦ポチョムキン
/ アイ・ヴィー・シー





【ヴィスコンティはシチリア東海岸の小さな港で六ヶ月間仕事をした。彼はその地で大役も端役も、あらゆる俳優を募集した。彼らは本ものの労働者たちである。彼らが実生活におけるように、緩慢に、重々しく演ずるのを見て、人は彼らが彼ら自身の運命を演じていることを知るのだ。そしてまた彼らはヴィスコンティが貧しい人間たちの言葉だと言ったシチリアの方言のままで話すのである。】
【引用 「海外の映画作家たち 創作の秘密」田山力哉著】
海外の映画作家たち・創作の秘密 (1971年)
田山 力哉 / / ダヴィッド社





 『揺れる大地-海の挿話-』は、モンタージュ等の編集における技術のみの作品とは言えず、地元漁師を起用したとはいえ、彼らを演技者として大きく重視したものでしたが、素人俳優の起用などの点はエイゼンシュテインの手法に酷似しています。

 ルキノ・ヴィスコンティは、登場人物たちに、ロケ先のシチリア島アーチ・トレッツァの地元民である漁師や近郊の女たちや煉瓦職人や卸し商人を使い、
【どんないい役者を使っても、シチリア漁民のもつ真実味(リアリティ)や素朴さを表現することは出来なかったろう】
と『揺れる大地-海の挿話-』のリアリズムの成功を確信していますが、同時に
【けれどもこれは一般論であって、すぐに例外が脳裏に浮かんでくる。たとえばアンナ・マニャーニが演じている<無防備都市>のような・・・・・だからこうときめつけるのは大へん危険だということは承知しているが・・・・・】
とも述懐しています。
【引用 「ルキノ・ヴィスコンティ ある貴族の生涯」モニカ・スターリング著、上村達夫訳】
ルキーノ・ヴィスコンティ―ある貴族の生涯 (1982年)
/ 平凡社





 これらの言葉から思い浮かんでしまうのは、モスクワ芸術座の舞台監督および俳優でもあったコンスタンチン・スタニスラフスキーが発案した俳優養成の体系「スタニスラフスキー・システム」です。これは配役に俳優の内面を同一化させて、紋切り型の大げさな演技からの脱皮を図り、舞台作品におけるリアリティ表現を目指した演技の訓練体系をシステム化させたものです。
 これは、元来、舞台俳優の養成を目的にして開発された技術ですが、後年、アメリカの映画俳優の養成メソッドの研修機関として設置された「ニューヨーク・アクターズ・スタジオ」の芸術監督、運営責任者であったリー・ストラスバーグによって、多くのハリウッド・スターに適用されました。
 そこからは、マーロン・ブランド、ジェームス・ディーン、ジェーン・フォンダ、マリリン・モンロー、アル・パチーノ、ポール・ニューマン、ロバート・デ・ニーロ、ジャック・ニコルソン、スティーブ・マックイーンなど、個性的な演技を身に着けた多くのスターが輩出されています。

 ルキノ・ヴィスコンティが、『若者のすべて』をアラン・ドロン、レナート・サルヴァトーリ、アニー・ジラルド、クラウディア・カルディナーレ等の出演、すなわち「スター・システム」に則って制作したのは、直近前二作品『夏の嵐』や『白夜』が、「ネオ・リアリズモ」からは逸脱した作品であったにしろ、既にアリダ・バッリやマリア・シェル、マルチェロ・マストロヤンニなどのスター俳優を起用した経験があったからでしょう。
 特に、アラン・ドロンの起用においては、彼独特の個性を強く反映させたために、この系統の作品としては希有な特徴を持つことになったように思います。

 更に、ルキノ・ヴィスコンティは、自らの興味を惹く映画作品、自分の映画について、「シネマ・アンスロポモーフィック(擬人映画)」と言い表しており、次のように語っています。
【(-略)監督としての私の課題のうちでもっとも情熱を抱いているのは、俳優相手の仕事だ。新しい現実と芸術の現実を生み出す人間像は、俳優という生身の素材を使ってつくり出される。私は俳優の素質を、映画の構成のなかにふりわけていき、俳優としての人間と登場人物としての人間が、ある瞬間、ひとりの人物に溶け合うようなところまでもっていく。ほんとうに問題になるのは、俳優たちが、具体的に根源的にその本質にたくわえているものを利用することなのだ。最終的に俳優たちに自分の本音の言葉をしゃべらせるようやってみることだ。(-中略-)むき出しの背景の前におかれた俳優たちの真の人間性のデータを発見できれば、壁の前でさえ映画をつくることができよう(「チネマ」43年9月25日、10月25日号)】
【引用 「ヴィスコンティ集成」フィルム・アート社編】
ヴィスコンティ集成―退廃の美しさに彩られた孤独の肖像
/ フィルムアート社





 この俳優理論は、「スタニスラフスキー・システム」と同様に出演者に演技をさせるために実に有効で、かつ柔軟な考え方であると思います。何故なら、それはメロドラマであってもリアリズム作品であっても、出演者が、素人、演劇出身の俳優、スター俳優・・・であっても、同様の効果を生み出すものであるように思うからです。

 これらのことを踏まえると、既に『太陽がいっぱい』で、当時のフランス映画界のリアリズム演出の第一人者であったルネ・クレマンに、厳しい演技指導を受けていたスター俳優アラン・ドロンの『若者のすべて』での主役としての起用は、「ネオ・リアリズモ」作品の体系に反するものではなく、むしろその表現に有効であり、更にそれ以外の多くの付加価値を生み出す効果も絶大であったようにまで思うわけです。


 『揺れる大地』の「-海の挿話-」というサブタイトルは、その後に2作品「農夫編」と「炭坑夫編」を連作として加える予定だったために、その「漁夫編」であることを表しているそうです。

 この作品におけるルキノ・ヴィスコンティの情熱的な取組みも、イタリア共産党の資金援助額があまりに僅かだったことと、グァリーニ・イタリア・フィルム社からの契約破棄など・・・それは、ようやく完成させた一作目で頓挫するより外になかった製作環境にあったわけですが、「農夫編」「炭坑夫編」を何とか完成させたうえで『若者のすべて』の制作に着手してほしかったことも、わたしの正直な感想のひとつです。
 恐らく、イタリア南部の経済的困窮のドキュメンタリー・シリーズから、「ヴェリズモ(真実主義)」の文学運動を発展させた「ネオ・リアリズモ」シリーズへと、ルキノ・ヴィスコンティ自身の内部で改変していったのでしょうが、現実のイタリア社会の矛盾を三側面から描写し切ったうえで、その第二部『若者のすべて』に橋渡しをすれば、より完成度が高いライフワークになったような気がするのです。

 更に、この次の第三部目の作品を完成することも、ルキノ・ヴィスコンティの強い想いのひとつであったようですが、これには、極めて困難な道程が多かったのでしょう。映画史に残る多くの傑作を輩出しながらもその完結作品は彼の生涯において、結局は生み出すことは出来ませんでした。

 このように、ルキノ・ヴィスコンティのコミュニズム(共産主義)の最終的な指標は、結果的には果たされはしませんでしたが、わたしは、『山猫』以降においての自ら出身の貴族階級を舞台にしたヒューマニスト(人道主義者)としての自己改変も一人の映画作家の重要で価値ある映画史実として位置付けられるべきものだと強く確信しています。


【「揺れる大地」と「若者のすべて」に続いて第三部をなす「人民のたたかい」を描いた映画を作りたい。しかも、最初の作品が敗北の物語であり、二番目が半ば敗北の物語であったのに反し、こんどは人民の力を確認させるような、勝利の物語を描きたい。
(ルキノ・ヴィスコンティ)】
【引用 「世界の映画作家4 フェデリコ・フェリーニ ルキノ・ヴィスコンティ編」キネマ旬報社】
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by Tom5k | 2009-12-13 18:44 | 若者のすべて(3) | Trackback(4) | Comments(11)