『アラン・ドロンについて』⑧~『ルネ・クレマン』評価の不足 豆酢さんとの対話から その2~

『ルネ・クレマン』~評価の不足とドロンとの出会い 豆酢さんとの対話から①から、わたしと豆酢さんの「ルネ・クレマン」分析も、双方いよいよ活況を呈して、どんどんとエスカレートしていきます。全く自制の欠片もございませんっ!

2008年6月16・17日
豆酢さん
難しいです。
クレマン監督の記事(前半ですが)を試しに書いてみました。
本当に、ある種とらえどころのない、評価が難しい映画作家の1人ですよね。私自身はヌーヴェル・ヴァーグに固執しているわけではないので、おそらくみなさんよりもっと主観的で気ままな意見になっていると思います。
FROSTさんの「居酒屋」のレビューも拝読しましたよ。で、昨日アップした記事に自分なりの深読み感想も添えてみましたわけで。あの時点でクレマン自身に葛藤が生まれていたのかもなあ…と、しみじみ思った次第です。一見、冷淡に突き放しているようにも見えるジェルヴェーズの描写は、裏を返せばクレマンの複雑な心境を吐露したものであったのかなあ、と。
この作品も、観る人によってそれぞれ捉え方が異なってくるでしょうね。観客の心のうちを映し出す万華鏡みたいです。

>「ドイツ零年」の記事・コメントに直リン

あんなんで良かったんですか?!恐縮です(^^ゞ。ありがとうございます。
で、あのコメントを書いた後ちょっと思ったのですよ。クレマン監督って、ものすごく、ものすごく器用な演出家だったんじゃなかろうかと。で、器用すぎたために、却って作家性の所在を疑われ、商業主義だと揶揄されちゃったのかもしれないと…。器用貧乏と申しますでしょ?だとしたら、再評価が進まない現状は、クレマンにとってとても気の毒なことであるでしょうね。

>なおさら彼らはデュヴィヴィエやオータン・ララ、クレマン・・・の再評価を自己批判に絡めて実施していく責務があるように思います。

今のフランス人にとっては、なかなか簡単なことではないのでしょうね。デュヴィヴィエの繊細なドラマ性なども、ヌーヴェル・ヴァーグのしがらみなどない日本人の方が、むしろ素直に評価できる側面もあります。

フィルム・ノワールの中には、社会から疎外された人たちがたくさん登場しますよね。むしろ、彼らが主役だと言っていいでしょう。そんなところも、クレマンがサスペンスの分野に傾倒した一因のように思います。松本清張も、当時の社会問題を背景に持つ作品が多いですものね。

>『太陽がいっぱい』は、当初の予定通りモーリス・ロネを主演にしたほうが、新時代との確執を埋めることができたように思い

歴史に“たら・れば”は付き物です。逆に考えると、ドロンが「太陽がいっぱい」に出演しなければ、その後のドロンのキャリアはなかったわけですから、私はこれはこれで良かったのだと思いますよ。

(クレマン理解に政治的解釈の必要性を感じたことを記した、わたしのコメントに対して)
クレマンの再評価って、映画作家としての才能云々以上に政治的な問題を抜きにしてはできないものなのでしょうか。純粋に作品のみで評価するというわけにはいかないのかなあ…。なんだか、それも悲しいものがあるなあ…。

そんなわけで、“クレマン監督よもう一度”記事をひとつTBさせていただきます。今の時点での考えなので、また時間をおけば変わる部分もあるかもしれません。


トム(Tom5k)
豆酢さん、クレマンの記事(「ストーリーテラーの哀しみ―ルネ・クレマン」)をお書きになられたのですね。
何だか楽しみです。
>政治的な問題
ふ~む、飛躍し過ぎたたでしょうかねえ?フランスのドキュメンタリー作家、アラン・レネやゴダールが急進的になって、五月危機とフランスの映画界が密接な関係になっていたことなどの影響など、また、フランスって政治家も文化人が多いので、ついそんなことまで・・・。特に、『希望』のアンドレ・マルローが文化相をしていた時代にシネマテーク・フランセーズのアンリ・ラングロワが解任されたこと、など時代的なものに眼を奪われてしまったかしれません。
純粋な映画ファンにとっては、裏舞台というか、映画のフレームの外の社会背景なのですが・・・。
いずれにしても映画を観て、その素晴らしさを堪能する基本から離れる必要もないのでしょうね。
では、早速お邪魔します。
希望 テルエルの山々
アンドレ・マルロー / / アイ・ヴィー・シー





革命の夜、いつもの朝
/ ブロードウェイ




豆酢さん、こんばんは。
素晴らしいクレマン評、読ませていただきました。

>疲弊した祖国が戦後の混乱の中・・・自身を象徴していたのではないだろうか。
ここのクレマンの評価ですが、豆酢さんが『居酒屋』の鑑賞からのみによって、読み取られたものなのですか?
だとすると、凄いっ!
確かにこの時代は、これからの旧世代の冬の時代を予感させるものがあったようにも思います。それは、彼があのあまりの完璧な映像ゆえ、アカデミックな評価があまりにも多大にもたらされ過ぎた演出家になってしまったこと。彼の各種国際映画賞の受賞は半端な数ではありませんが、時代はジョージ・C・スコットがアカデミー賞を無視、サルトルがノーベル賞を受賞拒否するような意識的な権威失墜の時代、すなわち非アカデミックがむしろ必要とされてきた時代、おっしゃるとおり混乱の時代の到来だった。
パットン大戦車軍団
ジョージ・C・スコット / / 20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント





そして、アラン・ドロンとの出会い、これは世評(ドロンにとってのクレマンとの出会いというのが一般的)以上に、彼にとって大きな出来事だったのだと思います。特に登場人物への感情移入の描写を多用していったのはドロンと組んだ作品からで、観客の主観に任せきる突き放した描写は、ドロン、ブロンソン、トランティニャンなどを使うようになってからは影を潜め、おっしゃるとおり世評では商業主義に堕落したと言われる所以なのでしょうね。
これを透徹したリアリズムの描写への衰え、芸術家の堕落と見て、批判するのか、もしくは我々が感じているように新たな時代への挑戦と捉え、それを賛美するのか・・・・。
もちろん、わたしは後者で総括したいと思いますし、またその価値は十分にあると思うのです。
特に、ドロンがフランス国内において、その時代の若者を象徴していたのか否かという問題もあります。(本質的にはシンボライズされていても)むしろ戦後においては、ブルジョア青年の苦悩がシンボライズされていったようにも思います(「ヌーヴェル・ヴァーグ」において)。ですからドロンのような本当の貧困層の青年をシンボライズするための素地が映画界には無かったような気がするのです。コダールもマルも資産家のお坊ちゃんですからね・・・(だから、ドロンはフランスよりも日本やイタリアでの方が受けたんでしょう)。
いとこ同志
/ アイ・ヴィー・シー





獅子座
ジェス・アーン / / 紀伊國屋書店





逆にクレマン(むしろデュヴィヴィエやカルネ)のジレンマは、こういうところにもあったと見ています。
彼らはきっと
【ヌーヴェル・ヴァーグは本物なのか?】
と思っていた(懐疑していた)のではないでしょうか!

では、また。


豆酢さん
トムさん、ここまで書くのに何ヶ月かかったことでしょう(遅すぎ)。

トムさんやFROSTさんの記事に啓発されて「居酒屋」を再見しますとね、なんとなく上述したような感慨が生まれました。ジェルヴェーズの姿に、古い時代と共に忘れられようとしている自身を投影したのかなあ…と。そう思うと、また異なる意味で胸が痛いですね。

>時代はジョージ・C・スコットがアカデミー賞を無視、サルトルがノーベル賞を受賞拒否するような意識的な権威失墜の時代

これです。アメリカにおいてはニュー・シネマといった潮流ですよね。既成概念が揺らぎ、来るべき時代に向けて新たな規範をこしらえようと、世界中が悶絶していた時代でした。産みの苦しみにもんどりうっているような不安定な時代に、クレマンは立ち会ってしまったわけです。これはもう不運としか言いようがありませんね。

アラン・ドロンとの交流についてはトムさんの分析にお任せしますが、私自身は、むしろクレマンの方にカルチャーショックが大きかったのではないかと思います。1人の人間に、相反する資質が自ら備わっているドロン。そのアンビバレントなオーラに引き寄せられるように、クレマンは、複雑な人間の内面に入り込んでゆく方法論を選択したと思います。これは彼にとってしごく自然な成り行きであり、決して批判されるような眼力の低下によるものではないでしょう。

きっとね、ヌーヴェル・ヴァーグへの彼なりの回答とは、今までの人生で蓄積されてきた人間性への洞察、経験といったものを、映像に詩的に描き出すことだったのですよ。後半生のサスペンス映画群はとても人間臭く、生々しい感情に突き動かされるような描写が多いですよね。私には、それは新しい時代を見据えた作風にも見えます。

>彼らはきっと【ヌーヴェル・ヴァーグは本物なのか?】と思っていたのではないでしょうか!

夫に言わせますとね、基本的に大半のフランス人の自己認識は、ごくごく普通の労働者階級のそれなんだそうです。フランス社会において、インテリ階層というのは対外的にとても目立つ存在ですが、決して主流というわけでもないとか。ドロンは、一部の知識人のものだったエンターテイメント界を、大衆の手の内に戻したようにも見えます。まさしく下克上(笑)。そりゃあ、インテリ層にしてみれば、嫌な存在でしょうよねえ。ですから、なんだか無理矢理彼への評価を低く見積もっているようなフシもあるのでは。

デュヴィヴィエが晩年受けたインタビューで、「わしゃモダン・ジャズなんぞ大嫌いじゃ。いっこも聴かんわ」と吐き捨てていたのが印象に残っております。


まだまだ話は尽きないのですが、今回はこのへんで。
豆酢さん、みなさん、今後ともよろしくお願いいたします。
(それにしても、最後のデュヴィヴィエ先生の言葉、凄いですね。コカ・コーラを飲んだことの無いフランス人の話は、よく聞きますが、それと同様の自国への誇りの高さを感じます。)
トム(Tom5k)

[PR]

by Tom5k | 2008-07-19 21:56 | アラン・ドロンについて(10) | Trackback(1) | Comments(2)

『アラン・ドロンについて』⑦~『ルネ・クレマン』評価の不足 豆酢さんとの対話から その1~

映画ブログ「豆酢館」映画ブログ「新・豆酢館」を運営している豆酢さんの当ブログへの2007年7月10日付けのコメントが、ルネ・クレマンに関わる最初のコメントであったように記憶していますが、その約11ヶ月後の2008年6月以降、突如、ルネ・クレマン監督に関わる多くの記事やコメントが、わたしの周辺で飛び交う不思議な現象が湧き上がりました。

用心棒さん(「良い映画を褒める会」)のブログ記事『パリは燃えているか』(1966)敵味方にかかわりなく、ヨーロッパ人は深いところで繋がっている。』
シュエットさん(「寄り道カフェ」)の『ルネ・クレマン』
FROSTさん(「川越名画座」)の『ルネ・クレマン』
他にもまだまだ多くの方から、関連内容でのトラック・バックやコメントなどをいただきました(ジャン・ピエール・メルヴィルのご専門のマサヤさん(「LE CERCLE ROUGE BLOG」)の『パリは燃えているか』からまでもトラック・バックをいただきました。)。

一体どうしたと言うんですか?!みんなさん!

それにしても、小規模とは言え、熱い「ルネ・クレマン」ブームでありました。
みなさんの記事とコメントは、本当に素晴らしいものばかり・・・。長年にわたって、ルネ・クレマン(&アラン・ドロン)にこだわってきたわたしとしては、このうえない幸福でございました。

そして・・・当然のことながら、
豆酢さん(「豆酢館」)の『ルネ・クレマン研究室』からも・・・。
豆酢さんとも、たいへん充実したコメント交換ができましたので、是非ご紹介させていただきたいのです。



2007年7月10日
豆酢さん
そうです!!その通りです!!
(わたしのルネ・クレマンの記事「『ヌーヴェルヴァーグ』⑥~アラン・ドロンの二重自我 その1 想起するルネ・クレマンとの師弟関係~」に同調、歓喜していただいているところです。)

トムさんありがとうございます。実は今クレマン熱病に罹患しているところです(笑)。
「鉄路の闘い」「海の牙」…すごい作品ばかり。クレマン監督って、ものすごい才人だったんじゃないか!しかも一転して「居酒屋」や「禁じられた遊び」などの作風も撮れますし。
私が個人的に大好きなのは、「太陽がいっぱい」を頂点とするサスペンス映画群でして、特に「雨の訪問者」や「狼は天使の匂い」は、ぜひ再見したいと願っています。
そして、ドロンと組んだ一連の作品もぜひ観なければ…と思っていた矢先に!実にタイミングよく(笑)、トムさんがドロンとクレマン監督の関係性について触れてくれたわけですよ。

ただいまクレマン監督の熱烈支持記事を書いている途中なんですが(笑)、とっても勇気がわいてきました!ドロンとクレマン監督の師弟関係といった切り口で、彼らのコラボレーション作品を捉えた方っていないかもしれません。とても参考になりました。ありがとうございます。


トム(Tom5k)
ヤッホー、豆酢さん!
やっぱ、そうでしょ。クレマン監督ってすごいんです。おっしゃるとおり
>ものすごい才人・・だったんですよ。
しかし、このことは、正確に評価されていないっ!(怒!)。
何故なら、彼はピエール・ボストとジャン・オーランシュのコンビを脚本に使っていたから、というのが一般論です。
(~中略~)
ドキュメンタリー及びリアリズム作品という観点での評価はまるでない。
それでいいのか、といつも思っているんですよ。
フランスの誇り、それはルネ・クレマンではなかったか?!
とわたしはフランス国民に問いたいですよ。

>ドロンとクレマン監督の師弟関係・・・
わたしは彼が教育的、指導的な意味での力量も優れていたと思っています。
(~中略~)
『ヌーヴェルヴァーグ』という映画、ゴダール監督の反省映画として、わたしは捉えています。

豆酢さんのクレマンのレビュー、楽しみにしています。
では、また。


2008年6月10日~15日
豆酢さん
若輩者が出てきていいのだろうかと思いつつ、いまだルネ・クレマン監督の記事を中断したままになっている豆酢です(^^ゞ。途中までは書き上げているのですが、「太陽がいっぱい」以降の彼の作品をどのように観ようかと考え中です。
仰るように、彼に関する史料はないに等しいです。あっても作品リストを箇条書きに留めた程度のものだけ。ですから、ルネ・クレマン監督への再評価を願うならば、己の審美眼だけが頼りになるわけです。「居酒屋」など、もう一度きちんと見直してみたい作品があるので、クレマン応援団(笑)はもうちょっと地下に潜ります(^^ゞ。

過去に書いた「ドイツ零年」もTBさせていただきました。


トム(Tom5k)
豆酢さん、こんばんは。
>『太陽がいっぱい』以降の彼の作品をどのように観ようかと・・・
ふふふ、これは、わたしなりに総括しておりますよ。
クレマンの心情が手にとるようにわかるのです(ほんとかよ)。
実は彼のサスペンスが何なのか、これにはものすごく彼独自のものがあるような気がしているのです。今、そこを再整理してみたいと思っているんですよね。あとでコツをお教えいたしましょう(ほんとにコツなんてあるのかよ)。後ほど、そちらにコメントいたしますね。
>ルネ・クレマン監督への再評価を願うならば、己の審美眼だけが頼りになるわけです。
全くです。とにかく、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のクレマン批判は、うんざり・・・(何度も言っていますが、その実践は素晴らしく、その作品も素晴らしい、そして彼らも素晴らしいのですがね)。

おおっ、豆酢さんのクレマン応援団のレジスタンス、最後は歓喜ですね。
それから、『ドイツ零年』のTBありがとう。
では、また。

「『パリは燃えているか』②~ルネ・クレマンの再評価を望む~」を更新し終えて)
以前、豆酢さん、オカピーさんとコメント交換したときの内容でブログ記事としてみたのですが、何だかまだ書き足りていないような・・・。ルネ・クレマンは資料を探すのも一苦労で、あったかと思うと「ヌーヴェル・ヴァーグ」の評論家がこきおろしたものだったり・・・。
かなり、わたしの独自見解なのですが、同じドキュメンタルの左岸派と相容れなかった原因は、パリは解放されたという戦前派の楽天主義が大きな原因だったのではないかな、などと思っています。
同様に日本の今井正にも、戦争体験派の「戦後民主主義の健康で明るい、ようやく平和が訪れた日本」という現在を見る眼の楽天主義を感じてしまい、クレマンとの類似点が、とても気になっているところです。もう少し熟考してまた記事にしていきたいと思っているところです。
では、また。
青い山脈
/ Cosmo Contents





戦争と青春
工藤夕貴 / / 日活





豆酢さん
お返事が遅れました
トムさん、コメントとTBをありがとうございます。
鼻炎の薬のせいでちょいと体調を崩しておりました。

クレマン監督の記事を拝読しました。

私自身は、ヌーヴェル・ヴァーグを崇拝する人間ではないので、彼らが躍起になって戦前派を否定する姿勢も、かなりシニカルに見ています。
というのもね、用心棒さんも仰っていたけれど、“戦前派”、あるいは“戦後派”といった区別は、あくまでもその映画人の思想に属する領域でしょう?リーフェンシュタールの記事を書いていたときにも感じたのですが、映画人の力量と個人の思想とは、はっきり切り離して判断されるべきです。クレマンが本質的に楽観主義者であっても、だからといって彼の作る作品がすべて非現実的だと決め付けてはいけない。トリュフォーは素晴らしい理論家であり映画作家ですが、彼の意識の中にも、作品の中に息づく“普遍性”を否定しようとするエゴがあったのではないでしょうか。
レニ・リーフェンシュタール ART&LIFE 1902~2003 DVD-BOX
レニ・リーフェンシュタール / / エスピーオー





私のような人間がこんなことを書くのは暴言かもしれませんが、お叱りを受けるのを覚悟であえて書きますね。

ヌーヴェル・ヴァーグであれなんであれ、過去から連綿と続く映画の歴史から逃れることは不可能です。歴史が途中で消えることなく積み重ねられていった理由は、そこに普遍性が宿っているからこそだということを、私達は謙虚に受け止めねばならないのではないでしょうか。
ノスタルジアに浸れというのではなく、過去をありがたがれというのでもなく、今現在の映画が、良きにつけ悪しきにつけ、過去の遺産の上に成り立っていることを忘れないようにしなければ。

過去を否定するのではなく、良い部分を継承し、悪い部分は修正してさらに発展させていけばいいのになあといつも思います(笑)。
ピントがずれちゃいましたが、またトムさんちにお邪魔させていただきますね。


トム(Tom5k)
豆酢さんっ!
>『太陽がいっぱい』以降の彼の作品・・・
なのですが、
私は初期のレジスタンスもの、反戦ものは、戦争の悲劇→フランスの誇り→フランスの解放→そして歓喜であったというところの、すなわちフランス革命以降の第三共和政の勝利、との見解をフランス共産党までをも含めた統一戦線の魅力に反映させて、映画を創っていたように感じます。
ところが・・・・
彼が、戦後間もなく共和の精神がある種の現代における矛盾、今までの歓喜がもしかすると幻想であったのではないかということに気がついていったのではないか?と感じているところです。
特にアラン・ドロンという現代の社会矛盾そのものといった現代青年にめぐり合ったことで・・・です。

すなわち、戦後の凶悪な犯罪の原因が何にあるのか?そういったことに作家主義「ヌーヴェル・ヴァーグ」と異なる視点、また彼らの出現以降の新時代を踏まえて、現代劇、特に「サスペンス」という分野に入りこんでいったのではなかろうか、と考えます。
例えば『危険がいっぱい』『雨の訪問者』『狼は天使の匂い』『危険なめぐり逢い』などなど・・・。
豆酢さんはどう思われますか?
では、また。
危険なめぐり逢い
洋画 / / コロムビアミュージックエンタテインメント





豆酢さん
トムさん、ありがとうございます。
なるほどなあ。
クレマンのキャリア後半、自身の職人気質の演出力を「サスペンス」に傾けていったのはなぜなんだろうと、いつも不思議に思っていました。というのもですね、私が好きになる映画監督って、キャリア後半にサスペンス映画を好んで撮る傾向があるんですわ(笑)。シュレシンジャーも「マラソンマン」以降そうでしたしね。現在進行形のクローネンバーグも、今まさに彼なりのノワール映画を模索しているところですし。
マラソン マン スペシャル・コレクターズ・エディション
ダスティン・ホフマン / / パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン





ディレクターズ デヴィッド・クローネンバーグ
/ 東北新社





サスペンス映画の一体何が、才能ある映画監督たちを惹き付けるのでしょうね。興味ある事象です。

クレマンの場合、「サスペンス」という分野に、映画界における現代心理分析学の役割を見出した可能性もありますよね。やはりトムさんが指摘されたように、戦前、戦後の世界の変貌を目の当たりにして、一種の挫折感のようなものを彼なりに感じたのだと思います。
レジスタンスは、人々に主義主張の枠を超えさせ、大いなる大義の下に結集せしめたものでした。その結果得られた戦後社会は、より良いものになるはずだったのに…というね。フランスは戦勝国側でしたけれども、ヨーロッパの中でも大きなダメージを受けた国でした。国民にしてみれば、荒れ果てた国家の復興は、敗戦国並に厳しいものであったと推測されます。
そんな陰鬱な雰囲気の中で、複雑に屈折した若者がたくさん出現したのでしょう。彼ら戦後の若者像の象徴であるドロンとの出会いが、クレマンをして、戦争がフランスに残した傷跡を探る作業に向かわせたと思います。ヌーヴェル・ヴァーグの作家達が、それをしなかったとは思いません。ただ方法論が違うのでしょう。ヌーヴェル・ヴァーグがごくごく主観的に、あるいは無意識的に“戦争の記憶”を作品の中に抽出したのに対し、クレマンは多分意識的に、また戦後フランス社会全体を見渡す気持ちで、作品に投影していったようにも感じます。
戦争がフランスに与えた根深い禍根を、戦後を不安定な状態で生きる人々の心理面に見出そうとしたのでしょうか。不安定な心理を探るのに、確かにサスペンスというのは得がたいツールであるように思いますね。

それと、私自身は、クレマンの後半のキャリアの中で重要な作品は、実は「パリは燃えているか」ではなかろうかとも思っています。個人的に大好きなのは、「雨の訪問者」(ブロンソン最高!!)と「狼は天使の匂い」なんですけどね(^^ゞ。
対外的な評判はあまり良くない作品ですが、「パリは燃えているか」における戦争の捉え方に、単純には割り切れない苦々しいものを感じさせるのです。クレマンの複雑な胸中が伝わってくるような気がします…。
雨の訪問者
/ ビデオメーカー





狼は天使の匂い
/ ジェネオン エンタテインメント






トム(Tom5k)
豆酢さん、どうも。
>彼らが躍起になって戦前派を否定する姿勢・・・
確かに、当時のフランス映画界には相当の矛盾もあったんでしょうね。
でも、せっかくの素晴らしい過去のフランス映画を観るときの先入観を払拭しなければならない作業は現在、未来の映画鑑賞者に必要以上の負担を強いたように思うのです。

>トリュフォー
ルイ・マル、シャブロル、ロメ-ルも映画の普遍性には気がついて、過去の自分たちの功罪を自覚はしているように思いますし、ゴダールがドロンを使ったことでも特にカイエ派のそれは理解できます。
であれば、なおさら彼らはデュヴィヴィエやオータン・ララ、クレマン・・・の再評価を自己批判に絡めて実施していく責務があるように思います。

>サスペンス映画
これにはいわゆる「フィルム・ノワール」も含めての体系となるように思うのですが、最も社会問題を比喩しやすい、というか現実にこれだけ奇異な犯罪が増加していますからね。
姐さんのお好きな松本清張(viva jijiさんの「映画と暮らす、日々に暮らす。」のブログ記事『霧の旗』『点と線』『砂の器』)なんかもそうだったのじゃないですかね。霧プロの映画なんか、その典型ではないでしょうか?

クレマンの場合は戦後の挫折、そして自身の精神分析医としての前歴は大きな要素でしょうね。そして、ドロンとの出会いと「ヌーヴェル・ヴァーグ」の台頭、それを考えると『太陽がいっぱい』は、当初の予定通りモーリス・ロネを主演にしたほうが、新時代との確執を埋めることができたように思い複雑な心境になります。

>クレマンの後半のキャリアの中で重要な作品は、実は『パリは燃えているか』・・・
ええっ、そう思われているんですかっ!
わたしの記事に触発いただいて、用心棒さんの更新記事が『パリは燃えているか』です。わたしの主観レビューと異なり、なかなか鋭いご意見ばかりです。
わたしも負けずに後半部分、追記加筆してみました。

>『雨の訪問者』『狼は天使の匂い』
どちらもクオリティの高い作品ですよね。

あっそれから、「川越名画座」のFROSTさんが、『居酒屋』再見レビューをアップされていましたね。ご覧になりました?見事にわたしの意見とバッティングしています(笑)。
こう考えるとクレマン評は、ひとそれぞれ(ヌーヴェル・ヴァーグから観た場合も含め)で、評価が最も難しい作家のような気がします。観る側の主観によるところに任されてしまうんでしょうね。作品にそういう多面性が隠されているように思います。
あっそれから、わたしの追加筆に豆酢さんの『ドイツ零年』の記事・コメントに直リンさせていただきました。事後報告ですみません。
では、また。

まだまだ話は尽きないので、『ルネ・クレマン』~評価の不足とドロンとの出会い 豆酢さんとの対話から②へ。
[PR]

by Tom5k | 2008-07-19 20:44 | アラン・ドロンについて(10) | Trackback(1) | Comments(2)

『泥棒を消せ』①~「アラン・ドロン」の原型 家族愛と犯罪者の悲哀~

 ラルフ・ネルソン監督は如何なる演出家であったのでしょうか?
 わたしは、彼が社会の矛盾に正面から向き合って、実直にヒューマニズムを貫いていった立派な演出家であるように思っています。

 当時の共産圏である東ヨーロッパから移住してきた尼僧たちと、アメリカ合衆国においては、現在においても未だ払拭されていない差別待遇を受け続けるアフリカ系アメリカ人の青年が、前向きに未来を信じ、アリゾナ州の砂漠の荒野に教会を建設する苦労を描いた『野のユリ』(1963年)の演出を担当したのがラルフ・ネルソン監督です。
 主演したシドニー・ポワチエは、この『野のユリ』でアフリカ系アメリカ人として史上初めてのアカデミー賞を受賞しています。
野のユリ
シドニー・ポワチエ / / 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン





 このような前向きで強い生き方や、純真無垢な主人公たちの善行ばかりを描くことは、リアリズムの作風からはかけ離れていくのかもしれませんが、ラルフ・ネルソン監督の健康的で人間の可能性を信じきっている人柄が理解できます。
 また、アフリカ系アメリカ人や共産圏から亡命者としての移民を、あえてこのように描くことで、人道的なメッセージを特に強調して発していたのかもしれません。そして、この作品公開の数年後、すでに赤狩りを経験したハリウッドによる「アメリカン・ニューシネマ」の時代の到来を予兆させ、ラルフ・ネルソン監督自身においても、映画人としての先見的で勇敢な試みであったようにも感じられるのです。

 彼はこの作品から2年後の1965年、やはりヨーロッパから移住してきた移民の青年とその家族に焦点を当て、多くの移民たちがアメリカ合衆国で、いかに苦渋を強いられたかという生活の実態を描き、それが犯罪要因のひとつであるところまで突き詰めた「フィルム・ノワール」作品『泥棒を消せ』を制作します。
 1940年代の全盛期となっていた「フィルム・ノワール」作品とは作風が全く異なり、むしろ、それ以前の1930年代に全盛期を迎えていた「ギャングスター映画」の体系や、あるいは1970年代の『ゴッド・ファーザー』などの一連の「マフィア映画」などの前段に位置する作風と解釈できないこともありません。
ゴッドファーザー
マーロン・ブランド / / パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン





 そして、この作品はアラン・ドロンがフランス映画界から渡米した第1作目の作品なのです。
 そういった広い意味では、彼も移民としての心情を十分に理解することができ、リアルな演技に結びつけることが可能であったような気もします。

 早くから独立や革命によって、君主制度を廃止して共和制度を確立したアメリカ合衆国とフランス共和国は、特別な友好関係で結ばれています。エリス島の「自由の女神」像は、その友好の証しとして、フランス政府がアメリカ合衆国の建国100周年を記念して贈呈したものです。
 その「自由の女神」像は世界各国の多くの移民たちが、アメリカ合衆国に入国するときの玄関口、ニューヨーク港に入るたびに必ず目にします。自国の圧政や貧困などから逃れ、新興産業国である自由の国アメリカ合衆国を目指して来た多くの移民にとっての「アメリカン・ドリーム」の出発点にシンボライズされてしまうものだったのでしょう。

 しかし、その「アメリカン・ドリーム」も厳しい競争社会、差別社会であるアメリカ合衆国では、そう簡単に到達できるものではなく、貧困な移民たちにとっては多くの乗り越えなければならない、そして計り知れない苦難がそこから始まっていったことは想像に難くないところです。

 移民たちのほとんどは、多くの孤独や不安、若干の期待、そしてもう後戻りできずにその土地で生きていかなくてはならない悲壮な覚悟、そんなナーバスな心境をもって、この「自由の女神」像を仰ぎ見ていたのではないでしょうか?
 過去の映画でもこういった移民たちを扱った作品は多くありました。わたしが印象的だった作品は、チャーリー・チャップリンの『チャップリンの移民』(1916年)、フランシス・コッポラの『ゴッド・ファーザーPART II』(1974年)などですが、そこでの主人公たちが移民船でニューヨークに着くときのショットが強く記憶に刻まれています。
チャップリン作品集 (5)
チャールズ・チャップリン / / アイ・ヴィー・シー





ゴッドファーザー PART II
アル・パチーノ / / パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン






e0059691_0112194.gif
e0059691_0113535.gif

『チャップリンの移民』での「自由の女神」像と移民船内から像を仰ぎ見るアイルランド系移民

e0059691_014423.gif
e0059691_0151188.gif

『ゴッド・ファーザーPART II』での「自由の女神」像と移民船内から像を仰ぎ見るイタリア系移民

 チャップリンの作品から68年後に制作された『ゴッド・ファーザーPART II』ですが、恐らく、フランシス・コッポラは、『チャップリンの移民』のこのワン・ショットに強烈な印象を受けていたのではないでしょうか?

 1968年、ラルフ・ネルソン監督は、ダニエル・キース原作の『アルジャーノンに花束を』を映画化します(日本公開時の表題は『まごころを君に』)。知的に未発達な主人公チャーリーが、人間強化の生化学実験の被験者となり、IQが異常発達させられるにつれ、正常な社会のすさんだ事実の多くに気づいていくことになり、知的に未発達だった頃には持たなかった疎外感に急激に襲われていくのです。
 結局最後には、チャーリーは元の自分に戻る結論を自らに下します。
 何故、チャーリーは、いわゆる「正常化」した自分を捨てなければならなかったのでしょうか?彼がとった悲しい決断の意味を、現代社会に生きているわれわれは真摯に受け止めるべきなのだと思います。
アルジャーノンに花束を リバースエディション
クリフ・ロバートソン / / 角川映画





 ラルフ・ネルソン監督の作品で最も有名な作品は、『ソルジャー・ブルー』(1970年)でしょう。
 アメリカ開拓時代、先住の原住民であるネイティブ・アメリカンと白人とが対立し、武力で勝る白人がネイティブ・アメリカンを迫害していったのは西部開拓史の暗部のひとつだったわけですが、そのアメリカ騎兵隊のネイティブ・アメリカンへの最も有名な残虐行為が「サンドクリーク事件」です。1864年、アメリカ合衆国コロラド州サンドクリークで、約600人のシャイアン族が騎兵隊「ソルジャー・ブルー」によって虐殺されたのです。

 わたしはこの作品のラスト・シークエンスの大虐殺を正視してしまいました。もう二度とこの作品を鑑賞したいとは思いませんし、ここで、その殺戮シークエンスの詳細を記したいとも思いません。
 モンタージュ、カット・バック、ドリー、パンニング、ティルト、クレーン・・・すべての映画技法もこの作品に限っては(あくまでもこの作品に限ってはですが)「くそ食らえっ!」です。吐き気を催し、すべての思考が停止するシークエンスとしか表記する術がない凄惨を描き出しています。

 そして、西部劇において、野蛮で凶暴なネイティブ・アメリカンが善良な白人を襲撃し、それらの暴力に立ち向かう勇敢で正義感溢れる騎兵隊という類型的で硬直化していたステレオ・タイプの構図をぶち壊したのが、この作品によって描かれたネイティブ・アメリカンと騎兵隊の姿であるのです。
ソルジャー・ブルー
キャンディス・バーゲン / / キングレコード






 ところで、アラン・ドロン主演の「フィルム・ノワール」作品としては、この『泥棒を消せ』(1965年)が妻や子供のために生きる夫、父親としてのアイデンティティを全面に表出させた初めての作品であったように思います。

 彼がこの作品よりも前に主演した「フィルム・ノワール」作品に体系付けられる作品としては、ジャン・ギャバンとの共演作品『地下室のメロディー』(1962年)、過去のジャン・ギャバンが主演していた作品に非常に類似している『さすらいの狼』(1964年)があり、どちらも旧来のフランス映画の伝統を引き継ぐものでした。
 アラン・ドロンは、ハリウッド作品では大きく成功することができず、数年後にヨーロッパに帰還し、主に「フィルム・ノワール」作品によって、国際的な人気俳優としての全盛期を迎えていくわけですが、彼のその後の多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の原型を、この『泥棒を消せ』から感じ取ることができるのです。


 アラン・ドロンが演じる主人公エディはドラッグ・ストアで発生した殺人事件の複数犯人の一人として警察当局に連行されますが、不十分な証拠のために釈放されます。彼には強盗の前歴があり、その事案を担当していたヴァン・ヘフリン扮するヴィドー警部が公務上の傷害を受けており、その発生原因がエディの発砲に起因するものだと、警部本人は思い込んでいるという設定です。
 そして、根深い恨みをヴィドー警部に持たれているエディは、彼の執拗な監視に邪魔されて次々と職場を解雇されてしまいます。
 アン・マーグレットが扮する彼の妻クリスティーンと幼い娘カシー。エディには命にも代え難い大切な家族が存在し、過去の犯罪を自省し更正に向かっていたのですが、ジャック・パランスの演ずる兄ウォルター率いる強盗団に犯罪計画を持ちかけられてしまいます。

 最後にはヴィドー警部の誤解が解けたことが、まだ救いにはなっていますが、せっかく更正しようとしていた主人公が再び犯罪の道に駆り立てられた理由が、本人の資質のみに起因しているなどとは到底思えず、わたしはやり場のない憤りのようなものを多く感じました。

 『チャップリンの移民』でのチャーリーは、移民船内で知り合ったエドナと幸せな結婚を果たしますが、その後の彼らの人生が順風満帆だったと誰が予測できるでしょうか?そして、『ゴッド・ファーザー』のビトー・コルネオーネは、幾多の困難を乗り越え生き抜いていきますが、とうとう犯罪集団の大ボスとして君臨してしまうことになります。

 『泥棒を消せ』のラスト・シークエンスは悲惨です。裏切り者の仲間たちは兄ウォルターを殺害し、娘のカシーを誘拐します。更に娘を助け出そうとしたエディも殺害されてしまうのです。


 アラン・ドロンは、西ドイツのブルジョア令嬢の女優、ロミー・シュナイダーとの世紀の大恋愛を経た後、ナタリー・バルテルミー(後のナタリー・ドロン)という無名の女性と婚姻し、最愛の息子アンソニーが生まれる幸せの絶頂期に渡米しています。

 フランスではジュリアン・デュヴィヴィエやルネ・クレマン、クリスチャン・ジャック、イタリアではルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニという大演出家の作品で磨かれ、鍛え抜かれた俳優とはいえ、彼の人気はアイドルとしてのカリスマ性を基本に据えたものでした。
 いくら若くて二枚目であったとしても、妊娠した配偶者を連れての渡米で、人気の中心となるべき若い女性ファンの心をつかめるわけがありません。アラン・ドロンほど目先の効く人間が、人生を賭ける大冒険ともいえるハリウッド進出で何故それほど脇を甘くしてしまったのか?

 わたしは恐らく、彼の家族への異常ともいえる愛情の執着心が大きな理由のひとつであったような気がしています。
 幼少の頃に両親の離婚、そして貧困な生活を経験し、母親の家庭、父親の家庭のどちらからも、厄介者扱いされて育ったアラン・ドロン。彼の家族愛への憧憬は、健全に標準的な家庭で育った者には到底、理解することなど不可能なほど飢餓的であったに相違ありません。
 そしてそれが、愛する妻と息子を持った夫、父親としての自尊心となり、ハリウッド・デビューという映画ビジネスの戦略よりも勝ってしまった結果のように思うのです。

e0059691_17491850.jpg
家族に囲まれて満足そうなアラン・ドロン
【週間20世紀シネマ館1960年①昭和35年「銀幕の主人公たちアラン・ドロン」 (講談社)より】


 帰仏後の映画スターとしての魅力や映画ビジネスの効用においては、プラスの作用をしていた彼のキャラクターも、ダーティでスキャンダラス、現代的過ぎるビジネス(金銭)感覚など、一般的、日常的にはマイナスのイメージが強かったようです。
 しかしながら、映画においては、『泥棒を消せ』の主人公エディのように常に家族を愛する姿が垣間見えるようにもなり、とうとうそれも魅力のひとつとなっていったようにも思います。
 残念ながら、実生活での彼の家庭は数年後には維持できなくなってしまいますが、ハリウッドでの失敗を年齢とともに自らの魅力に取り込んでいった彼のしたたかさには感心してしまうところです。
 特に、後年強い信頼関係を構築して、共に映画を製作していったジョゼ・ジョヴァンニの関わっている作品に、その傾向が強いような気がします。

『シシリアン』(1969年)では、妹想いの優しい、しかしやくざな兄。
『スコルピオ』(1973年)や『フリック・ストーリー』(1975年)では、愛する女性の優しい婚約者。
『ビッグ・ガン』(1973年)では、家庭のためにマフィアの組織から足を洗う決断をする夫、父親。
『暗黒街のふたり』(1973年)では、父親代わりの保護司の指導や妻の愛情によって、出所後に更正していたにも関わらず、執拗な警察当局に猜疑され、再び犯罪者に回帰せざるを得ない前科者の夫。
ジャン・ギャバンが演じた保護司ジェルマンは彼の父親代わりのようでした。
『ル・ジタン』(1975年)では、少数民族ロマ族の移民であることから社会的差別を受け、犯罪者となってしまった息子、愛する妻の夫、最愛の息子の父親。
『ブーメランのように』(1976年)では、完全に更正し、りっぱな実業家として活躍していたにも関わらず、最愛の息子が犯罪を犯してしまったことから、むかしの仲間に逃亡(スイスへの亡命)の手立てを依頼してしまう元強盗団の父親。
・・・等々。

 彼の「フィルム・ノワール」作品の特徴には、社会から受ける差別や貧困によって虐げられ、不本意にも犯罪者になってしまった者たちの悲哀に満ちたドラマトゥルギーが根幹に据えられています。
 本人がいくら頑張って更正しようとしても、それが容易ではないことなど、多岐に渉る多くの社会矛盾の摘発や現代社会への憤りを描いていったがために、アラン・ドロンが演じたそれらの主人公たちは、アンチ・ヒーロー的なヒーローの観を呈していくことになったのかもしれません。
 このような帰仏後の彼の犯罪者の哀愁における漂着イメージには、「フィルム・ノワール」であるにも関わらず、家族想いで家庭を大切している主人公がよく登場するようになり、更にその実態をクローズ・アップさせることになったのだとも思います。 

「同時代の俳優、たとえばジャン・ルイ・トランティニアンや、ジャン・ポール・ベルモンドらがスターでありながら演技派として確かな評価を受けても、アラン・ドロンという人はやはりもって生まれた華やかさとどこかあざといまでの美男子ぶりが邪魔をしてしまうようだ。本作(映画『私刑警察』のこと)もテーマとしては「黒い警察」や「Z」に通じる硬派社会派ドラマなのだが、皮肉なことにドロンの相変わらずのスター性が、内に込められた現代性を隠してしまっている感がある。」
【引用 『私刑警察』DVD(パイオニアLDC株式会社)ライナー・ノーツ】

 これは、映画『私刑警察』(1988年)の解説からの抜粋によるものですが、アラン・ドロンの出演してきた「フィルム・ノワール」作品の多くに該当し、非常に的を得た彼の評価のように思います。
>・・・内に込められた現代性を隠してしまっている・・・
 しかしながら、作品の魅力とアラン・ドロンの魅力が拮抗して、彼も彼の作品も、すべてが魅力的になっていることも間違いの無い事実であるとは思います。
 アラン・ドロンは単なる映画スターではなく、いや、もちろんスターであるが故の彼独特の個性が根幹に存在していたからこそ、現代的ヒーローと定義付けられる時代のシンボリックな存在であると評される所以があったようにも感じるのです。


 D・W・グリフィスの歴史的傑作である『イントレランス』(1916)の第4話現代編は、近代国家においてのブルジョアジーの偽善行為や傲慢さが、善良な一般大衆の生活苦の原因となり、そのために失業したプロレタリアートが犯罪の道に足を踏み入れ、家族のための更正を主人公の犯罪前歴が阻むというテーマで描かれています。
 そのように考えると、この第4話現代編には、その後のあらゆる「フィルム・ノワール」や、マフィアやギャングを中心に据えた映画作品のエッセンスがすべて映像化されているように思うわけです。
イントレランス
リリアン・ギッシュ / / アイ・ヴィ・シー





 ラルフ・ネルソン監督の演出から社会に対して発せられる鮮烈なメッセージは、社会的弱者に対しての不寛容(イントレランス)な社会への憤りであったに相違ありません。
 そういった意味でも、この『泥棒を消せ』は、D・W・グリフィスの影響を引継いでおり、特にそれは、『ゴッド・ファーザー』シリーズや『俺たちに明日はない』、『イージー・ライダー』などのアメリカン・ニューシネマの鮮烈な前段に位置付けられて然るべき作品であり、アラン・ドロンが後に出演していった「フレンチ・フィルム・ノワール」新体系のテーマ「家族愛と犯罪者の悲哀」にまで、大きな影響を与えたほど優れた新しい「フィルム・ノワール」作品だったのです。
俺たちに明日はない
/ ワーナー・ホーム・ビデオ





イージー★ライダー コレクターズ・エディション
/ ソニー・ピクチャーズエンタテインメント





 この『泥棒を消せ』は、映画史上において、もっと脚光を浴びて然るべき優れた作品であるのかもしれません。

 そして、先住民族を虐げて開拓した自国の歴史実、近代化後に入国してきた移民たちが強いられる生活苦、科学万能の急激で不自然な発達からの人間の疎外状況、それでも夢や希望を捨てない前向きでひた向きな生き方・・・。
 一貫したヒューマニズムを持ったラルフ・ネルソン監督の作品のテーマやメッセージは、アメリカ合衆国史の暗部を直視して描き続けられました。このような人道的な作家主義を貫いた彼の功績は映画史上において、もっと評価されるべきなのです。
[PR]

by Tom5k | 2008-07-11 14:21 | 泥棒を消せ(2) | Trackback(5) | Comments(13)