『地下室のメロディー』⑤~「アラン・ドロン」の原型、ギャバンとの邂逅とアメリカ映画への野心② ~

【<『地下室のメロディー』⑤~「アラン・ドロン」の原型、ギャバンとの邂逅とアメリカ映画への野心① ~>から続く】

 『面の皮をはげ』でのジャン・ギャバンには、過去にジュリアン・デュヴィヴィエやマルセル・カルネが演出した逃亡する脱走兵や前科者など、逃亡者の典型的なキャラクターからの脱皮が試みられています。
 犯罪者である過去があり、それをひた隠しにしている主人公の設定までは同様なのですが、彼は現在でもギャング組織のボスとして君臨し、キャバレー、カジノ、映画館の経営者など、実業家としての地位を築くことにも成功しています。更に、資産家の妻を持ち、過去に決別した仲間の息子を引き取り弁護士として立派に育てあげています。
 彼がこのような分裂した人格の主人公を演じていることは珍しいのではないでしょうか?

 しかし、敵方のギャングとの抗争がメディアの恰好の的となって、隠していた自分の過去が世間に明るみになり、これが原因となって、現在の地位・名誉に加え、大切な家族すら失い、そして、最期には警察の銃弾を受け非業の死を迎えてしまうのです。

 ここでのジャン・ギャバンは、世間から身を隠している犯罪者ではあるものの、過去の作品の逃亡者とは異なり、第二全盛期を迎える『現金に手を出すな』以降の「フレンチ・フィルム・ノワール」で演じ続けたギャング組織のボスの貫禄を十分に備えることに成功しています。

 彼は、自分自身の戦前・戦後の各全盛期の橋渡しをするとともに、犯罪者と実業家の二面性を持った主人公のキャラクターを演じたことをもって、戦後世代のアラン・ドロンへの映画史的バトン・タッチのきっかけとなる非常に重要な作品を生み出したように思います。
 この主人公の設定及びそのプロットは、ジョゼ・ジョヴァンニ監督の『ブーメランのように』(1976年)に、あまりにも似通っているような気がします。ジョゼ・ジョヴァンニは、この作品からかなり大きな影響を受けているのではないでしょうか?

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 そして、1953年の『現金に手を出すな』から、1962年の『地下室のメロディー』までの10年間にジャン・ギャバンは、多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品、例えば、『その顔をかせ』(1954年)、『筋金を入れろ』(同年)、『赤い灯をつけるな』(1957年)、『Le cave se rebiffe(親分は反抗する)』(1961年)などでギャング組織のボスを演じ続け、そのキャラクターは大スターの風格とともに定着していきました。

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【>当時の作品を何本か再見したんですね、そこで『地下室のメロディー』の話をしたいのですが、ギャバンと共演しています。彼はあなたの共演者であり、同時に師匠でもあった:役者と演じる人物の間である種伝わるものを感じます。
>『地下室のメロディー』の頃は、ギャバンは元気一杯だったよ。彼は常にボスで素晴らしい役者だった。彼とは共通点があった。彼同様、私も昔軍人で、船員だったんだ。私同様、ギャバンは最初は役者じゃなかった。ミュージック・ホールやカフェ・コンセール以外は、同じ道を歩んで来てた。ギャバンはフォリー・ベルジェールの階段を(キャバレー)でミスタンゲットの後ろで降りていた、するとある日役者をやってみないかと勧められた。ちょっと修理工をしてたアラン・ラッドやサーカス出身のランカスターみたいなものだね。これが正に役者ってものだ。】
【引用 takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事  2007/6/4 「回想するアラン・ドロン:その2」(インタヴュー和訳)」カイエ・ドュ・シネマ501号掲載

 このような「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スター、ジャン・ギャバンと共演したことによって、「アラン・ドロン」キャラクターの基礎工事が実践され、『地下室のメロディー』が、彼の将来への飛躍のための作品になったのだと考えることができます。


 そして、アラン・ドロンは、この後、戦前のフランス映画の黄金時代を体系づけていた「詩(心理)的レアリスム」、その第二世代の代表であったクリスチャン・ジャック監督の「剣戟映画」の体系にある『黒いチューリップ』(1963年)に主演します。

 フランスにおける「剣戟映画」の全盛期は1950年代から1960年代初頭でしたが、ジェラール・フィリップ主演、クリスチャン・ジャック監督『花咲ける騎士道』(1952年)、ジョルジュ・マルシャル主演、アンドレ・ユヌベル監督『三銃士』(1953年)などから、

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ジャン・マレーの時代にその全盛期を担っていきます。ジョルジュ・ランパン監督『城が落ちない』(1957年)、アンドレ・ユヌベル監督『城塞の決闘』(1959年)、『快傑キャピタン』(1960年)、ピエール・ガスパール=ユイ監督『キャプテン・フラカスの華麗な冒険』(1961年)、アンリ・ドコワン監督『鉄仮面』(1962年)などがありました。

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 しかし、その後の「剣戟映画」が、映画史的な意味での位置づけにさして重要なポジションを占めることができなかった結果を鑑みれば、当時からこの映画体系に映画ファンの安定した需要があったものとも思えません。目先の効くアラン・ドロンには、そんなことを敏感に感じ取ることができていたのかもしれません。

 また、1962年に製作を開始したクリスチャン・ジャック監督、アンソニー・クイン共演の「冒険活劇」の超大作『マルコ・ポーロ』の企画も、ドニス・ド・ラ・パテリエール監督、ホルスト・ブッフホルツ主演に交代してしまいました。
 この作品の製作者は、ブリジット・バルドー主演『素直な悪女』(1956年)を初め、ロジェ・ヴァデム監督の作品やマルグリット・デュラス原作、ピーター・ブルック監督の『雨のしのび逢い』などをプロデュースしたラウール・レヴィでしたが、彼はアメリカ・ナイズされた「ヌーヴェル・ヴァーグ」のプローデューサーとして活躍していた人物でした。

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 当時のアラン・ドロンは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派に批判されていた映画作家だったクリスチャン・ジャックとともに、『太陽がいっぱい』で、ルネ・クレマン監督がポール・ジェコブの脚本やアンリ・ドカエのカメラ、共演のモーリス・ロネを取り込んだように、ラウール・レヴィの作品に出演することによって新時代を席巻していた「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品に対する勝算にも野心を持っていたのかもしれません。

 アラン・ドロンは、このような実績を持つラウール・レヴィとの企画を果たすことができず、大きなショックを受けたのではないでしょうか?

 彼が、「剣戟」や「冒険活劇」の映画スターとして活路を見出せなかったことは、やむを得ないことだったかもしれません?

 また、『危険がいっぱい』(1963年)で、三本目となるルネ・クレマン監督も同じく旧世代の映画作家でしたし、ルイ・マルの助監督として育成された若手のアラン・カヴァリエ監督による『さすらいの狼』(1964年)も戦前の「詩(心理)的リアリスム」の作風による作品でした。この公開に関わっても、アルジェリア問題による検閲等が厳しく財政的な大きな痛手もこうむってしまいます。

 ここでもう一度この時期の作品の中で、ハリウッドでも通用する要素を持ち、「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品に勝算を持つ企画を再考したとき、やはり、ジャン・ギャバンと共演した『地下室のメロディー』が浮かび上がってくるのです。
 この作品は、カラーバージョンがアメリカ公開用として制作され評価も高く世界中で大ヒットしまた。
 それもそのはず、1950年代以降のアメリカ映画では、現金や宝石の強奪をストーリー・プロットとして扱った作品が盛んに量産されていました。
 ジョン・ヒューストン監督、マリリン・モンロー出演『アスファルト・ジャングル』(1950年)から始まり、スタンリー・キューブリック監督『現金に体を張れ』(1956年)、ハリー・べラフォンテ主演『拳銃の報酬』(1959年)、ルイス・マイルストン監督、フランク・シナトラ一家総出演『オーシャンと十一人の仲間』(1960年)などが有名です。

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 アラン・ドロンが当時の現状を打破するために、『地下室のメロディー』を跳躍台にして、アメリカ映画への野心を現実的なものにしようと考えたことも無理はありません。まして、『地下室のメロディー』は、初めて彼が世界市場(ロシア、ブラジル、日本)への配給権を取得した作品でした。

【>当時、神話は全てアメリカからやって来ていた。
>その通り。僕らにはバルドーしかいなかった。あちらさんにはエヴァ・ガードナー、リタ・ヘイワース、それからマリリン・モンローが少し遅れてやって来た・・・そう、スターたちは大西洋の向こう側だった。】
【引用 takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事  2007/6/4 「回想するアラン・ドロン:その2」(インタヴュー和訳)」カイエ・ドュ・シネマ501号掲載

 残念ながら、アラン・ドロンのアメリカでの人気は、結果的に芳しいものにはならず、キャリアのうえで充分な成功を収めることは出来ませんでしたが、後年のジョゼ・ジョヴァンニ監督との三部作の原点とも考えられる作風の『泥棒を消せ』(1964年)に主演することができました。

 いずれにしても、アラン・ドロンが代表作『サムライ』以降の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品での人気全盛期を迎える序章として大きな影響力を持った作品が、次の四作品だったと思います。
 ・ 彼の銀幕デビュー作品、『Quand la Femme s'en Mele』
 ・ ジャン・ギャバンとの共演作品、『地下室のメロディー』
 ・ 念願だった自社プロダクションによる製作作品、『さすらいの狼』
 ・ アメリカでの野心作、『泥棒を消せ』

 そして、この中でも、最も成功し未来への展望を持てた作品が『地下室のメロディー』だったわけです。

 『地下室のメロディー』では、ジャン・ギャバン演ずるシャルルの妻ジネット(ヴィヴィアンヌ・ロマンス)やアラン・ドロンが演ずるフランシスの恋人ブリジット(カルラ・マルリエ)などの女性は重要な登場人物としておらず、また、カジノの現金強奪は、シャルルとフランシス、その兄モーリス・ビローが扮するルイが協力し合って計画し実行しますが、ルイが現金強盗に嫌気が差し現金強奪後は彼らの元から離れていきます。
 これらの人物構成のプロットは、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の伝統的特徴である「男同士の友情と裏切り」が緩和され、「男同士の協力と離反」となっていますが、この体系を充分に準用した設定だったと思います。
 加えて、シャルルとフランシスが落ち合うビリヤード場、カジノの夜の情景、ナイトクラブ、ダンスホールの舞台裏、エレベーター昇降路・送風ダクト内・車のヘッドライト、煙草・酒・鏡・サングラスなど、オリジナル・バージョンではモノクロームを基調として光と影のコントラストで描写した舞台や小道具も、この作品のノワール的特徴でした。

 ここでのジャン・ギャバンとの邂逅からは、『シシリアン』(1969年)、『暗黒街のふたり』(1973年)が生み出され大きなヒットを記録していくことになりますし、1967年の『サムライ』以降の多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品、例えばジャン・ピエール・メルヴィル、ジョゼ・ジョヴァンニやジャック・ドレーが演出した作品など、いわゆる多くの「アラン・ドロン」キャラクターへの確立には、上記四作品への主演の経験が大きかったでしょうし、取り分け、この『地下室のメロディー』でのジャン・ギャバンとの共演が不可欠であったと私は考えています。

【(-略)全く異質な人間が、ある一作の中で、すれちがった。栄光のバトンを手渡し、ひとりはそのバトンをもって、夢中でかけ出す。明日という日へ向って-。】
【スクリーン1963年11月号「ギャバン対ドロン」秦早穂子】
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by Tom5k | 2017-01-14 17:39 | 地下室のメロディー(5) | Trackback | Comments(0)

『地下室のメロディー』⑤~「アラン・ドロン」の原型、ギャバンとの邂逅とアメリカ映画への野心① ~

 アラン・ドロンの初期の主演作品『お嬢さん、お手やわらかに!』(1958年)、『学生たちの道』(1959年)は、明らかにアイドル映画のジャンルにある作品でしたから、この段階では、まだ、いわゆる「アラン・ドロン」キャラクターは、ほとんど確立されていません。そして、監督を務めたのは両作品ともミッシェル・ボワロンでした。
 彼は、その後、ルネ・クレマンやルキノ・ヴィスコンティなど、巨匠たちの作品に主演した後、ミッシェル・ボワロン監督の三作品目、『素晴らしき恋人たち 第4話「アニュス」』(1961年)に主演します。ロジェ・ヴァデム監督に見出され脚光を浴びていたブリジット・バルドーと共演した若い恋人同士の悲恋のコスチューム・プレイでしたが、やはり同監督の得意な前二作のジャンルの作品でした。

 ロミー・シュナイダーと婚約まで果たすことになった『恋ひとすじに』(1958年)は、西ドイツの作品であり、アラン・ドロンが国際的スターになるきっかけとなった作品でしたが、戦前のドイツで映画芸術の先端であった「ドイツ表現主義」の体系にあったマックス・オフュルス監督、マグダ・シュナイデル主演のオリジナル作品『恋愛三昧』のリメイクです。この作品は、アラン・ドロンが主演というよりも、、どちらかと言えば、『プリンセス・シシー』シリーズで人気絶頂期にあったマグダ・シュナイデルの愛娘、ロミー・シュナイダーが主演のアイドル映画でした。

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 彼がその持ち前の陰影の濃い犯罪者としての人物像を初めて演じた作品は、『太陽がいっぱい』(1959年)でしたが、この作品を監督したルネ・クレマンへの当時の批評は、新たに台頭していた「ヌーヴェル・ヴァーグ」諸派の旧世代の伝統的作風への批判はもちろんあったでしょうし、それに加えて、『生きる歓び』(1961年)を含めた彼自身の力の限界を指摘されたものも存在していました。

【「クレマンが『太陽がいっぱい』で見せてくれたのは、地中海のすばらしい陽の光と、エレガントな色彩撮影と、見当ちがいのディテールと、ショッキングなラスト・シーンだった。」
 ロイ・アームズが、『海の壁』の後に作られた『太陽がいっぱい』(59)について、こんな批評をしている。
 『太陽がいっぱい』、その後の『生きる歓び』(61)とともに、押しよせる“ヌーヴェル・ヴァーグ”に対抗してクレマンが作ったスタイリッシュな作品であった。二本とも、“ヌーヴェル・ヴァーグ”の作品から出てきたアンリ・ドカエに撮影をまかせたのだが、ドカエのカメラは、若い世代の心理をうつしとり得ず、ドラマの構造だけを美しく捉え得たにとどまった。クレマンは、現代の若い世代の心理を活写できるような作家ではなかったのである。彼は、巧みなストーリー・テラーとして、その後の作家活動を続けるようになった。】
【映画評論 1974年3月号(「ルネ・クレマン研究 クレマンの作品系譜をたどる」高沢瑛一)】

 更に、当時のイタリア社会に現れた社会問題をリアリズム描写で創出し続けた「ネオ・レアリズモ」の作品群も第二次世界大戦後から1950年代の隆盛から変遷をたどりながら、その全盛期を終焉させていきます。そこから様々な試行錯誤が行われていくのですが、その傾向はアラン・ドロンの国際的スターとしての出発点であったイタリア映画の『若者のすべて』(1960年)、『太陽はひとりぼっち』(1961年)、『山猫』(1962年)に顕著に現われています。

 そして、ミケランジェロ・アントニオーニについて、アラン・ドロンは次のように後述しています。
【>ブリエの現場は本当に素晴らしかったね。ロージー以来、私はブリエのような人を待っていたんだ。他の監督たちに侮蔑的に聞こえて欲しくはないけどね。でも私にはヴィスコンティ、クレマンがいて、アントニオーニは偶然だがね・・・】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18「回想するアラン・ドロン:その6」(インタヴュー和訳)」

 ミケランジェロ・アントニオーニは、それまでの映画制作での決まりごとを全て否定し、反ドラマ(反ストーリー)の構成により映画のテーマを提示する斬新な手法を取っていた映画作家でした。彼は自らの作品を「内的ネオ・レアリズモ」と定義づけ、映画史的にも「ネオ・リアリズモ」以降の流れを組む映画作家として体系づけられています。
 しかし残念なことに、彼との出会いを「偶然」としているアラン・ドロンのこのような発言には、当時の自身のキャリアを「内的ネオ・レアリズモ」に投入していこうとしていた意欲は感じられません。

 また、ルキノ・ヴィスコンティにおいては、彼自身の「ネオ・レアリズモ」作品の集大成として、アラン・ドロンを主演にした『若者のすべて』(1960年)を演出しました。この作品は1960年度ヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞を受賞しましたが、イタリア国内の南北地域格差へのあまりにリアルな描写に、撮影中から公開後まで当局とのトラブルが絶えなかったそうです。特に、主人公ナディアへの暴行や刺殺のシークエンスは、公序良俗に反するといった理由から音声のみのシークエンスとして公開するようイタリア政府からの検閲を受けました。ちなみに、日本で公開されたときの上映時間も大幅に短縮された1時間58分でした。
 そして、第16回カンヌ国際映画祭グランプリ(パルム・ドール)を受賞した『山猫』は、彼のそのキャリアの新時代として、貴族社会の崩壊をリアリズムによって描いた新しい試みであったにも関わらず、その世界配給は20世紀フォックスによる40分に及ぶ短縮版を基軸としてしまいました。
 このようなことから、ルキノ・ヴィスコンティ監督による二本のアラン・ドロン主演作品は、公開当時には、その真価を世評に正確に反映させることが難しかったと考えられます。

 これらの事情を鑑みれば、アラン・ドロンが、その後のイタリア映画界で活躍していくためのモチベーションを高めることは難しかったと察することができます。

 次に、自国フランス映画での「アラン・ドロン」はどうだったでしょうか?
 彼は、ルネ・クレマン監督の演出作品の外に、1962年に戦前のフランス映画の黄金時代を体系付けていた「詩(心理)的レアリスム」の代表格だったジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『フランス式十戒第6話「汝、父母をいやまうべし、汝、偽証するなかれ」』への出演を果たします。
 しかし、ジュリアン・デュヴィヴィエは、1950年代中盤から、フランソワ・トリュフォーを初めとした映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」によって、徹底的に批判されていった映画作家でもありました。

 1950年代終盤からの自国フランス映画界は、ロジェ・ヴァデム、ルイ・マル、ジャック・リヴェット、クロード・シャブロル、フランソワ・トリュフォー、ジャン・リュック・ゴダール、エリック・ロメール、アラン・レネ、アニエス・ヴァルダ、ジャック・ドゥミなどの「ヌーヴェル・ヴァーグ」の映画作家たちが席巻する時代を迎えていたのです。

【>アラン・ドロン
(-略)・・・私はヌーベルバーグの監督たちとは撮らなかった唯一の役者だよ、私は所謂「パパの映画 cinéma de papa※」の役者だからね。ヴィスコンティとクレマンなら断れないからねえ!ゴダールと撮るのには1990年まで待たなくてはならなかったんだ。(略-)】 
※cinéma de papaとは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派のフランソワ・トリュフォーが付けた古いフランス映画への侮蔑的な呼称のこと。
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/21 「回想するアラン・ドロン:その7(インタヴュー和訳)」

 1960年代の初め、若手の映画人気俳優として大反響を惹起していった新世代の国際スター「アラン・ドロン」には、このような状況もあったわけです。自国フランスのみならず、西ドイツやイタリアでの作品に主演し、国際的に人気の絶頂を迎えていたとは言え、アラン・ドロンに焦燥があったことは否めません。
 そして、そんな先行きの不安を想定し得る状況にあって、彼がようやく巡り会うことができた作品が、アンリ・ヴェルヌイユ監督の『地下室のメロディー』(1962年)だったのです。共演者は言わずもがな、「フレンチ・フィルム・ノワール」の大御所、ジャン・ギャバンです。

【 戦前から戦後を通して、フランス映画界でのナンバー・ワンはいつもジャン・ギャバンであった。今もである。水草稼業にもにて、人気のうつりかわりの激しい俳優世界で、これは稀有のことだといわなくちゃなるまい。もっともフランス人の性へきの中には、大変保守的なもの-伝統を愛するというか、古いものをなつかしむといった傾向があるからかもしれないが、大げさにいえばシネマがトーキーになってからはまずはジャン・ギャバンというのが、彼らの固定観念になってしまった。フランス映画の危機が叫ばれる昨今においても、ナンバー・ワンはギャバンである。ナンバー・ワンというより、別格なのである。(略-)】

【(-略)人間だれしも、お世辞にはよわいとみえて、いつも無愛想なギャバンが、いたれりつくせりのドロンの奉仕ぶりに、うん、仲々いいところのある青年だといったとか。ドロンのほしかったのは、正に、ギャバンのこのお墨附きだったのである。(略-)】
【スクリーン1963年11月号「ギャバン対ドロン」秦早穂子】

 『地下室のメロディー』が公開された1963年当時の日本の映画雑誌には、このようなジャン・ギャバンに対するアラン・ドロン評が掲載されていました。ファンとしては、あまり愉快な内容とは思いませんが、残念ながら的を得た評価であったかもしれません。

 ところで、ジャン・ギャバンが、どんなに別格の存在だったとしても、彼が映画俳優として若い頃から一貫して、それを維持し続けることができていたわけではありません。『現金に手を出すな』(1953年)により、戦後に第二全盛期を迎えるジャン・ギャバンに至るまでには、かなり長期間に渉ってのスランプの期間もあったのです。

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 これは、1941年にナチス・ドイツのフランス占領時によって彼が渡米した頃から始まったものだったと考えられますが、それを克服するまでには10年もの長い年数を要しました。これには、様々な要因があったと思いますが、私は主に次のことが大きかったと考えています。

◯ 40代という彼の年齢とそれまでの「ジャン・ギャバン」キャラクターとの間のギャップが大きくなってしまったこと。
 脱走兵や前科者が官憲に追い詰められ、最期に非業の死を迎える悲劇のヒーローとしてのスタイルによった行きずりの美しいロマンスは、40代の彼には既にそぐわないものになっていました。
 この傾向は、戦前からの名コンビ、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督との『逃亡者』(1943年)、当時の新進気鋭のルネ・クレマン監督との『鉄格子の彼方』(1948年)などの作品において顕著になっていました。

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◯ アメリカへの亡命時代、ハリウッドでの映画制作の手法が彼のキャリアとは合わなかったこと。
 『夜霧の港』(1942年)への出演ではアーチ・メイヨ監督とのトラブルが絶えず、当時、同様にアメリカに亡命していたドイツの名匠フリッツ・ラングが最後に演出に関わり、ようやく完成させた作品だったそうです。

◯ まだ、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派の批判にさらされる前時代ではあったものの、戦前から彼の作品を最も多く演出していた「詩(心理)的リアリスム」世代のジュリアン・デュヴィヴィエやマルセル・カルネには、全盛期と比較して既にその演出力に衰えが現れていたこと。
 『地の果てを行く』(1935年)、『望郷』(1936年)や『霧の波止場』(1938年)に愛着のあるファンにとって、亡命時代の『逃亡者』や帰仏後の『港のマリー』(1949年)は、時代の節目を感じてしまう作品だったと思います。

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◯ ジャン・ギャバンの盟友のひとりであり、フランス映画界においては、別格の映画作家であったジャン・ルノワールはアメリカで市民権を得たことによりハリウッドから帰仏しなかったこと、その後も、インドやイタリアで映画を制作していたこと。
 ようやくジャン・ギャバンと久しぶりに組んだ『フレンチ・カンカン』でのフランス映画界への復帰は1954年、戦後9年も経ていました。

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 ジャン・ギャバンが、ジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』(1953年)にたどり着くまでには、このような困難な時代が存在していました。

 それにしても、彼が後期の第二全盛期に至ることができたこの代表作品に、突然、唐突に巡り会ったとは、私には信じられません。スランプの時代を単なる不調期と考えることは短絡だと思いますし、むしろそういった時期だからこそ、次のステップへと飛躍するため、映画スターとして熟成していく過程で、その素晴らしい端緒が現れているはずだと考えます。つまり、「ダイヤモンドの原石」のような作品がどこかに埋もれているはずなのです。

 そのような意味で、私の関心を強く喚起する作品は、その4年前に製作されたレーモン・ラミ監督の『面の皮をはげ』(1949年)でした。私には、この作品が『現金に手を出すな』以降の仮想作品のように思え、ジャン・ギャバン第二全盛期の諸要素の多くが凝縮されているように感じられるのです。

【<『地下室のメロディー』⑤~「アラン・ドロン」の原型、ギャバンとの邂逅とアメリカ映画への野心② ~>に続く】
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by Tom5k | 2017-01-14 17:27 | 地下室のメロディー(5) | Trackback | Comments(0)

『地下室のメロディー』④~北海道新聞(朝刊)の「卓上四季」(2013・12・1)にて~

 2013年(平成25年)12月1日付け北海道新聞(朝刊)の「卓上四季」に、アラン・ドロンのことが掲載されていました。

【「卓上四季」抜粋①】
「往年の映画スターの名前を紙面で目にすると、思わず訃報か、と目を凝らしてしまう。失礼、この方はお元気な様子だ アラン・ドロン氏。久びさにマスコミに登場したかと思えば、極右政党への支持を公言し、美女コンテストの名誉会長職を剥奪されたという。未練たっぷりの解任劇だったそう」

 美女コンテストの名誉会長職に就いていたんですね。知りませんでした。
 「ミス・フランス2013年の決勝大会」の様子はこちらにありました。

 アラン・ドロンは、相変わらず、ご高齢にも関わらず話題には事欠いていません。
 それにしても、彼が以前から右翼と言われていたのは存じていましたが、「極右政党への支持を公言」とは驚きます。よほど現在の社会党政権(フランソワ・オランド大統領)への不満が大きいのでしょうか?確かに過去にアラン・ドロンが映画界で人気が振るわなくなった時期、そして、フランスの映画産業が振るわなくなった時期は、やはりフランス社会党のミッテラン政権の時期と重なるような気がします。
 オランド政権下では税制改革も進み、100万ユーロを超える所得の富裕層には所得の75%が課税されるようになったそうですから、アラン・ドロンの納税額も相当なものなのでしょう。共和党時代のジャン・ギャバンでさえ、自伝の執筆依頼を断った理由に「もうけの大半は税金でとられてしまう。私は税金を納め過ぎているんだ。もう奉仕はごめんだね」と不満の声を挙げていたようです。そのことが原因か否かはわかりませんが、当時のジスカールデスタン共和党大統領からの昼食会への招待も断っていたそうです。
 共和党政権の時代でさえ、富裕層であった人気スターの不満はこのようなものであったのですから、オランド社会党・・・言わずもがななのでしょう。
 実際この政権の税制改革は、富裕層にとって切実なようで、実業家やスター俳優がフランスから実際に他国に移住する事例が増加しているほどなのだそうです。アラン・ドロンが極端な「極右政党への支持」を公言する理由のひとつとしてわからなくもありません。

 「極右支持公言「ミス・フランス」名誉会長辞任」の記事はこちらにありました。

 それにしても「未練たっぷりの解任劇」とは、ユニークですね。でも、『冒険者たち』のレティシア、『サムライ』のヴァレリー・・・特に『黄色いロールスロイス』のメイなんかを想い出すと、意外に、女性とうまくいかなくなる役も似合っていた作品が多かったような気もします。ファンとしては、少し情けないけれど、そう考えると何とも微笑ましくて、彼らしいとも思えてきます。

【「卓上四季」抜粋②】
「「太陽がいっぱい」で“世界デビュー”を果たしたドロン氏は、とりわけ日本の若い女性に絶大な人気を博した。その魅力は端正な顔立ちにときおり浮かぶ深い憂い・・・だろうか。青春真っ盛りだった俳優もいまや78歳。老境の域に達してはいるが、脂っ気はまだ抜けていない。」

 最近、『学生たちの道』(1959年)がDVD化され、早速購入しましたし、『太陽がいっぱい』(1959年)なども気が向いたときに良く観ますけれど、彼が続けて出演したこの2本を観ても「絶大な人気を博した」理由が、よく分かります。
 『学生たちの道』などで、アイドル俳優としてあの美しい顔だけでも人気が出たのは当然でしょうけれど、『太陽がいっぱい』で犯罪者となって破滅する青年の役を引き受けたときは、単なる人気アイドルとしてでなく、役者・俳優して生きていく覚悟を決めた端境期だったんでしょう。彼の人気が絶大だったのはそんなところにも理由があったんじゃないでしょうか?

【「卓上四季」抜粋③】
「ドロン氏が名優ジャン・ギャバンと共演し、映画史を彩った作品のひとつに「地下室のメロディー」がある。日本での公開は、ちょうど50年前。季節もいまごろだった 刑務所で出会った2人が出所後、南仏カンヌのカジノから巨額の現金を強奪する筋立て-。奇想天外な結末は映画に譲るとして、華やかなカジノを裏で操る者たちが、随所に描かれている。一般の人には想像できない<深い闇>が 」

 「カジノを裏で操る者たちが、随所に描かれて」はいなかったように思うのですが、現在、北海道新聞のコラム「卓上四季」にアラン・ドロンの作品が紹介されたことは本当にうれしいことでした。それにしても私の母がまだ20代の頃、アラン・ドロン27歳の時の作品ですから、50年も前になるんですね。本当に感慨深いものがあります。
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【「卓上四季」抜粋④】「カジノ解禁に向け、高橋知事が道内の自治体の先頭に立って旗を振る姿に、違和感を覚える。よもやリゾート施設を誘致するつもりでもあるまい。カジノは賭博。暴力や犯罪が必ずはびこる。ドロン氏の迫真の演技は、その恐怖を教えてくれる。」

 カジノは、日本では刑法上は賭博とみなされているそうです。海外では120以上の国や地域で合法化されていて、G8の国家のうち全面的に禁じられているのは日本だけで、カジノを実現するにはわざわざ特別法などを制定する必要があるそうです。
 しかし、2020年東京オリンピック・パラリンピックに向け、超党派(自民、公明、民主、日本維新の会など)として、各政党の議員が名を連ねている「国際観光産業振興議員連盟」が、秋の臨時国会にカジノ解禁に向けた議員立法の提出を検討しているそうです。特区を設けて、その中で解禁するではないかとのこと。
 カジノだけでなくホテルや国際会議場、スポーツ施設、ショッピングモールなどが集積する「統合型リゾート」(IR)と呼ばれる複合施設の建設を促進することも視野に入れて、東京都、大阪市はもちろん、沖縄県や宮崎県などでも誘致を検討しているそうです。
 北海道内でも釧路市、小樽市、苫小牧市の3市が既に手を挙げていて、高橋はるみ知事も道内への誘致に積極的だそうです。苫小牧商工会議所などを始め、周辺の千歳市と恵庭市、白老町、厚真町、安平町、鵡川町の商工会議所では「道中圏統合型リゾート構想誘致期成会」を設置しています。まだカジノ設置の市町村は具体化していないものの新千歳空港からのアクセスを長所として誘致を進めていくことが基本構想の戦略となることは間違いないでしょう。

 北海道新聞のコラム「卓上四季」では、カジノがギャンブル依存の温床となって、犯罪増加に結びついていくことを懸念し、特に暴力組織が関与することへの不安や青少年への悪影響などを想定した道政批判を結びとしています。
 確かにこのテーマで、アラン・ドロンとジャン・ギャバンが共演した『地下室のメロディー』を引合いに出すのは、ファンとしては、素晴らしいセンスだと思うのですが、この映画作品の結末では、警察の取り締りが強固であることによって、現金強奪が失敗に終わってしまうことが描かれていました。ですので、「ドロン氏の迫真の演技は、その恐怖を教えてくれる。」のではなく、むしろ警察の警備体制が万全であることのキャンペーンになってしまう内容であったのではないかとも思います。ですから、『地下室のメロディー』は、この「卓上四季」の主題の的から外れる題材だったようにも思うのでした。

 特に、私などは、この作品があまりにも魅力的であることも手伝ってしまい、逆にカジノ誘致の推進に一役買ってしまうのではないかと・・・。そういった意味では、この日の「卓上四季」は少し残念だったような気もしました。

 しかし、やっぱりアラン・ドロンのファンである私としては、このような記事が、毎日読む新聞のコラム欄に何気なく掲載されていたことは、本当にとても嬉しいことであったのです。



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by Tom5k | 2013-12-31 22:28 | 地下室のメロディー(5) | Trackback | Comments(2)

『地下室のメロディー』③~我々の世代交代~

 札幌より140㎞ある自宅に帰宅していた平成24年10月13日(土)、久しぶりに中学生時代のクラスメート6名が集まってミニクラス会を開きました。男子4名、女子2名・・・。
 年齢の割に精神年齢の若い(幼い)彼らは、想い出話にしんみりするような殊勝な気持ちは持ち合わせておらず、お互いをコケにし合ったり、社会問題で真顔で憤っていたすぐ後にカラオケを歌いまくったり、スナックで隣席した他の客と意気投合して騒いだり、相変わらずチャランポランな風情でした。
「だから、世の中が良くならないんだ」
と思っているわたしでしたが・・・同じようなものかもしれません・・・。

 一次会の居酒屋では、高校時代に何度か会って以来の友人Bに30数年ぶりにゆっくり話すことができました。彼は現在小さな会社を経営しているそうです。
 わたしのような呑気なサラリーマンに、小規模とはいえ会社を経営している彼の苦労など想像することすらできるわけがないのですが、彼とは中学2年のときに親しくしていた間柄であったので、昔話には会話がはずみました。

トム(Tom5k)
>そういえば、おまえさ、歴史のテストのとき、日本が開国したときの日米修好通商条約の不平等条約の内容を問われた問題で、「関税自主権」と「治外法権」と単語だけ書いて、正解を貰えなくてくやしがってたよな。
友人B
>それ、おれか?

とか。

トム(Tom5k)
>沢田研二の「サムライ」が好きで良くレコードかけてたよな。
友人B
>おまえもピンク・レディーが好きでコンサートに行ってただろ。

※注~私は中学生の頃、ピンク・レディーのミーが大好きでした。特に好きな歌は『カルメン』、『ウォンテッド』、『サウスポー』・・・。

とか、他愛の無い想い出話ばかりだったのですが、友人Bとは当時リバイバル公開されていた『地下室のメロディー』を一緒に観に行ったことがありました。

友人B
>そういえば、おまえと映画行ったよな。
元女子Y
>あんたらふたりで何を観に行ったのさ。(小馬鹿にした笑い顔)

途中で横から、当時の友人の元女子Yから横やりが入ったのですが、

友人B
>おまえ、アラン・ドロン好きだったから、『地下室のメロディー』だったよな?銀行強盗した札束が最後に海に浮いてくるやつよ。
元女子Y
>二人で行ったの?キモ~イ。きゃははは。(爆笑)

わたしは元女子Yを気にかけずに・・・

>うわぁ、よく憶えてたな!
だけど、銀行じゃなくで盗みに入ったのはカジノで、札束が浮いてくのは海じゃなくてプールだけどな。
友人B
>そっか、プールだったか、白黒だったよな。三本立てでよ。
トム(Tom5k)
>おまえ、ほんとによく憶えてるな。

※注~併映の2本については記憶が定かではなく、確か『アウトローブルース』か『トラック・ダウン』か『ファール・プレイ』か『相続人』のうちのどれかだったとは思います。

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元女子Z(もう一人の出席者の元女子)
>ねぇどっちから、誘ったの?
友人B
>アラン・ドロンの映画だからな、トム(Tom5k)に決まってるだろ。
全員
>そりゃあ、そうだ。
※注~トム(Tom5k)はブログネームですから、この会では私の本当の名字で話しています。

 わたしが当時からアラン・ドロンに夢中であったことは、友人たちの間でも有名で、例年のクラス会でも必ずそのときの話題になってしまうのです。
 そして、わたしは胸を張って言うのです。

>今でも大ファンだ。

 当時、中学生であったわれわれも、現在では40歳代も最後の年齢になってしまいました。ひょっとすると、『地下室のメロディー』のアラン・ドロンが演じたフランシスは、我々の部下たちの中でも若い方の世代になっているかもしれません。


【旧い世代は、つかれてきたとはいえ、なお依然として勢力はあるし、若い世代は、ぐんぐんのびてくる。二人はそこで、どうしてもぶつかりあわなければならない。だから「地下室のメロディー」のストリーは、その意味からも、大変面白い。老ギャングは、寄る年波にはあらそえなくて、若者の力に助力をあおぐのだ。若者の方は、これが金になるんなら、うまい生活への糸口なら、願ってもないこと。お互いが必要なのである。だから、若いフランシスが、ドジをふんで、すべては見果てぬ夢におわったとき、おそらく老ギャングの胸のうちは、若いものに対する怒りではない。自分も年とったもんだ、もうどうやっても芽はでっこあるまいという自嘲だったろう。フランシスのほうは、人生ではじめてあう挫折感である。挫折を感じる以前の茫然自失といったらよいかもしれない。そしてこの役柄は、実は、ジャン・ギャバンと、アラン・ドロンの存在を、象徴的に示しているようにも思う。(-中略-)全く異質な人間が、ある一作の中で、すれちがった。ひとりはそこに止まって、栄光のバトンを手渡し、ひとりはそのバトンをもって、夢中でかけ出す。明日という日へ向かって-。】
【スクリーン1963年11月号「ギャバン対ドロン」秦早穂子】


やはり会社を経営しているもう一人の友人Oは、

>使うより使われている方が、よっぽど楽だよな・・・。
友人B
>まったくだよ。

と・・・。

友人O
>若い奴は知らないだけなんだよ。必要なことは言い続けて行かなきゃだめなんだ。でないと良くなるものも良くならないんだ。

 『地下室のメロディー』でも、ジャン・ギャバンが演じたシャルルの立場からは、女にも時間にもだらしのないフランシス、その兄ルイも怖じ気づいて仕事が終わったら二人に見切りを付けて離れていきます。

 我々も、そろそろジャン・ギャバンの演じた老ギャングの感覚に近くなってきているのでしょうか?あと5年も経ったら、この『地下室のメロディー』を鑑賞しても、ジャン・ギャバンへの感情に共感することの方が多くなるのかもしれません。


 それにしても、一緒に飲んだ元女子二人は、揃いも揃って・・・

>あんたら二人で映画って・・・よっぽどもてなかったんだねえ。あっはは。
>何でわたしたち誘わないのさ!わたしたちなら付き合ってやったのに。ばっかだねえ。


 とても、『地下室のメロディー』でシャルルの妻を演じたヴィヴィアンヌ・ロマンスの域に辿り着いているとは思えないんですが・・・。


 しかしながら、わたしは今年正月に開催されるクラス会も、今から楽しみになってきていることも正直な気持ちなのでした。
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by Tom5k | 2012-10-21 18:13 | 地下室のメロディー(5) | Trackback | Comments(4)

『地下室のメロディー』②~映画館での鑑賞で特に印象の強かったもの~

 今日(平成22年6月6日(日))は、久しぶりに仕事が休みでしたので、札幌市に所在するミニシアター映画館「蠍座」(北区北9条3丁目タカノビルB1)で上映されている『地下室のメロディー』を観に行ってきました。

 今回は、家族全員で札幌での他の所用が主目的だったので、自家用自動車での路程となりました。幸いなことに、それは午後からの用事だったので、午前8時に自宅を出発して高速道路を利用し、何とか10時30分からの上映開始時刻には間に合わせることができました。12時30分までの2時間、ゆっくりと『地下室のメロディー』を堪能することができ、久しぶりに映画における有意義なひとときを過ごせたわけです。

 一緒に札幌に行くことになった本年73歳を迎えた母親に
「丁度、札幌の映画館で、アラン・ドロンとジャン・ギャバンの古い映画をやっているから、それを観終わって12時30分過ぎ頃に待ち合わせよう。」

「なにっ?!ドロンとギャバン・・・それって、『地下室のメロディー』かい??・・・
・・・いいねえ、一人で観て・・・・・・どうやって時間潰そうかなあ?」

と、どうも恨めしそうな表情だったので・・・・・仕方がありません。一緒に連れてくかあ。

 それにしても、おふくろのヤツ、よく『地下室のメロディー』なんて映画名が出てきたもんだ。アラン・ドロン人気全盛期の世代であるにも拘わらず、『サムライ』と『レッド・サン』の区別が付いていない人ですから、正直、驚きました。
 映画に連れて行ってもらうことに気を良くしたのか、わずかな年金から今回は映画代を出してくれました。おふくろに「小遣い」貰うの何十年ぶりかな・・・。


 さて、振り返ってみれば、平成17年2月に『山猫』を「シアターキノ」(中央区南3条西6丁目南3条グランドビル2F)で、平成21年2月7日(土)に『望郷』と『太陽がいっぱい』、平成21年2月28日(土)に『肉体の冠』と『太陽はひとりぼっち』を「蠍座」で鑑賞することができました。ここ5・6年の間に、4本ものアラン・ドロンの主演作品を映画館で鑑賞したことは、わたしにとっての一生の想い出となりそうです。
望郷
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肉体の冠
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 逆に、残念なのは、平成20年11月に「札幌シネマフロンティア」(中央区北5条西2丁目5番地 JRタワー・ステラプレイス7階)で上映された『若者のすべて』を、仕事の都合で観に行くことができなくなってしまったこと。わたしにとって、これは本当に悔しい想い出となりました。

 それにしても、「スクリーンに投影された」アラン・ドロンとジャン・ギャバンを想い浮かべて・・・正に映画とはこういうものなのだ、映画スターとは彼らのような者たちのことを言うのだ・・・と、わたしは映画を観に行く前から大きな感慨に耽ってしまっていたのです。
 やはり、寝転がって、見落とした場面を送り戻しながら・・・また、お菓子を頬張りながら・・・あるいは、一時停止をしてトイレに行ったり・・・このような緊張感のない鑑賞は、いくらディスプレイが大きくなった新型TVで鑑賞したとしても、本物の映画鑑賞とは言えますまい。

 想い起こせば、この『地下室のメロディー』は、中学校2年生の時分、1978年頃だったでしょうか?同じクラスの友人を付き合わせて映画館に足を運んだ記憶があります。
 それ以前のTV放映でも既に鑑賞していたのですが、ジャン・ギャバン演ずる出所帰りのシャルルとヴィヴィアンヌ・ロマンス演ずる妻ジャネットとの自宅でのやり取りや、アラン・ドロン演ずるフランシスとカルラ・マルリエ演ずるスウェーデンのダンサー、ブリジットとの恋愛関係などのシークエンスが大幅に編集・カットされており、
「本当の『地下室のメロディー』は、随分と長い作品だったんだなあ」
との印象を持ったものでした。

 今回の映画館鑑賞で、わたしがあらためて印象に強く残ったのは、フランシスとブリジットとの淡い恋物語、そして、やはりカンヌのパルム・ビーチでのカジノの地下金庫室からの現金強奪のスリリングでリアルなプロットとその映像表現でした。

 フランシスは初め、シャルルの指示通りに舞台ホールの楽屋裏の出入りを自由にできるようにするために、スウェーデン出身のダンサーであるブリジットに近付いただけでした。ところが、彼はどうやら、本気で彼女に恋をしてしまったようです。

 彼女とのデートで午前4時まで、仕事を気にかけずに浮き足立ってしまったフランシスに、ボスのシャルルから、
「・・・1分のズレは1分では戻せん それで何年も食らうからな」
と、1分刻みでの行動を取れ、と大目玉を食らうシーンがあります。

 結局は、最後に彼女が選ぶのは、別のブルジョア男性となってしまうのですが、その彼と一緒になることをフランシスにわざわざ告げてお互いの関係を清算してしまう行動は、とても不自然なものでした。
 もしかしたら、他の男の元に行ってしまう自分を本気で引き留めて欲しかったのではないか、むしろそのために、わざわざ彼の元を訪れて別れを切り出したのではないか、と勘ぐりたくなってしまいます。
 これは女心の常套の表現方法だったのかもしれません。

 それにしても、冒頭でのシャルルとジャネットの会話や、フランシスと彼の母親との親子喧嘩、ショット・バーでフランシスが自分に惚れている女給に放つ「お前なんかにこの曲がわかるもんか」の無神経な言葉、公衆浴場の経営をするシャルルの友人マルクの妻の極端なキャラクター、義兄ルイの「妻と行く舞台鑑賞よりストリップ・ショーの方に興味がある」との卑猥な冗談、ブリジットの別れ話に逆上するフランシスの乱暴な態度などなど、この作品は女性の立場を全く否定してしまっています。

 「ヌーヴェル・ヴァーグ」の祖母といわれていたフェミニスト、アニエス・ヴァルダ監督が、映画生誕100年の記念作品『百一夜』で、フランス映画界の大スターであったジャン・ギャバンを全く取り挙げていないこと、その意味をわたしはあらためて理解することができてしまったのです。


 さて、映画のプロットに戻りますが、フランシスは、ホテルでの最後のダンス・ショーの最中に、ブリジットが客席に居るブルジョアの婚約者に、ステージ上から花を投げる行為を眼にします。
 そのとき、カメラは一瞬フランシスの複雑な表情を写し撮っているのですが、彼は、これからの仕事のことで頭が一杯になっていたのか?彼女の行為から仕事に集中せざるを得なかったのか?彼の目線(主観描写)でカメラが追ったのは建物上部の天井部分でした。

 フランシスはシャルルとの打合せ通り、ステージにある梯子段からホテルの屋上に出るため、ダンス・ショーが終了した頃合いを見計らって、ステージ上の舞台道具の陰に隠れることにしました。

 そこでは、最後のダンス・ショーの打ち上げパーティーが行われ、参加していたブリジットに対して同僚の友人が

「フランシスには未練がないの?」

と問いかけます。
 それに対する彼女の本音は・・・

「彼の言葉遣いにも態度にも未練はないわ」

だったのです。

 わたし自身の数少ない恋愛経験から察するところ・・・男として、これほどの悔しい言葉はありません。惚れた女が自分に全く未練を残していないなんて・・・

 しかし、だから・・・だからこそ、彼はこの仕事に打ち込めたのかもしれません。

「・・・1分のズレは1分では戻せん それで何年も食らうからな」
 そして、ここで、ようやく彼は、女にうつつを抜かして時間にルーズだった自分を省みることができたのだと思います。

 カジノの金庫が開く時間が間近に迫ってきました。彼は早く建物の屋上に辿り着き、シャルルとルイにライトで合図を送らなければなりません。
 予定では11時半にホテルのバーのダンス・ショーが終了し、すぐに屋上に出られるはずだったのに、最後となったこのショーの打ち上げパーティーのために、ホテルの屋上階には、なかなか行くことが出来ないのです。

 このシークエンスあたりから、作品としてのクライマックスに向けて、緊迫感が醸成してきます。

 それは、アラン・ドロン、ジャン・ギャバン、モーリス・ヴィローの台詞や表情に敢えて大仰な動きを付けずに、むしろ、それをほとんど無くしてしまうことによって、フランシスが屋上階に辿り着けないことへのシャルルやルイの内面を表すことに成功しています。
 ロールスロイスからホテル屋上に向けてのライティングにフランシスから何の反応も無いことへの彼らの苛立ちや焦燥感などの心情が、観る側においても見事に実感できる素晴らしい視覚効果を生み出しているのです。

 このあたりの静かで緊張感の漂う主人公たちを俳優たちに演じさせるときのアンリ・ヴェルヌイユ監督の演技指導に、プールに札束・紙幣が浮かぶ有名なラスト・シークエンスで、ジャン・ギャバンの「無表情の演技」が主人公シャルルの無念の想いを表現したことに繋がっているのだとも思います。

 ようやくパーティが終了して、フランシスが天井までの梯子を上り詰め、屋上階への開閉口を解錠できたその瞬間に、その鍵を落としてしまうショットを天井上部から下方へ、ティルトもパンもズームも無く、ただ貼り合わせた静止画像のように映し出し、ステージ床に落ちたときの誰もいないホールに響き渡る音響効果で、彼のこの仕事への緊張感を最高潮に表現しています。
 この象徴的な主観ショットを観ていて、わたしなどは本当に全身から汗が噴き出してきたほどです。
 フランシスが屋上の円柱をつたうショットにも、自宅でのDVD鑑賞からは解釈しきれない緊迫感が映画館でのスクリーンから伝わってきます。
 ちなみに、屋上の円柱を伝ってライトでの合図までこぎ着けるこのシークエンスでのアラン・ドロンは、ノー・スタントの撮影だったそうです。若いですねえ、本当に。

 また、空調設備の通風ダクトに入り込み、その中を這ってエレヴェーターの昇降空間に辿り着くというプロットは、原作者ジョン・トリニアンか、シナリオを担当した「セリ・ノワール(黒のシリーズ)」叢書の大家アルベール・シナモン、あるいは演出と脚本を担当したアンリ・ベルヌイユ監督の着想だったのか、いずれにしても、この映像表現はアクション・シーンとしての素晴らしい効果を生み出しています。

 通風ダクトを進んでいくフランシスに、突然、温度調節のための装置が作動して正面から冷風が吹き付けられるときの彼の苦しそうな表情のクローズ・アップ。
 ダクトの底部が網目状になっている部分を通り抜けるときの上方からのカジノ全景のショット。
 通風口からエレヴェーターの昇降空間へ出るときの窓の編み目の針金をプライヤーで一本一本切り取っていく彼の作業描写と地下金庫でのカジノの経営者クリンプと会計係の出納確認をしているのショットとのクロス・カッティング。
 ようやく辿り着いたエレベーターが突然降車し、掴まっていた昇降ワイヤーから落ちそうになってしまうフランシスを映し出すショットでは、エレベーターから彼を映し出す上方へのショット、フランシスから観たエレベーター上部のショット、彼が昇降ワイヤーを伝って降りるミディアムのショットなどを次々とモンタージュしていきます。

 映像から受ける心理的な圧迫感や緊迫感は、このようなモノクロームの静かな写実において表現されることが、古典技法となって普遍化する所以なのだとも思います・・・コンピュータ・グラフィックスや3D映像から表現されるアクション・シーンは、あまりにも説明過多となって、むしろ実体への想像力からかけ離れてしまい、似非の現実を、さも本当らしく表現しているとまで思うのです。
 そして、わたしは、禁欲的でサスペンスフルなこれらのシークエンスに、ロベール・ブレッソンが演出した『抵抗(レジスタンス)』を想起してしました。真のリアリズムとはこのようなショットなのだと感じたのです。

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 また、あの有名なラスト・シークエンス、札束・紙幣がプール水面下から表層部に浮かびあがり、その一面一杯に拡がって行く様相は、娯楽作品のエンターテインメント性を超えて、映画芸術を極めたフォトジェニックな映像だとも感じました。
 わたしは、かつて、クロード・オータン・ララやルイス・ブニュエル、ルネ・クレール、ジャン・グレミヨン、マン・レイなどが、「アヴァンギャルド(前衛)映画」として試行し続けた「純粋映画」、あるいは「絶対映画」を映画的に進化させた映像表現だとも感じてしまいました。
 「アヴァンギャルド(前衛)映画」の体系はあまりに観念的で芸術至上主義であったため、一般に受け入れられることにはならなかったようですが、この『地下室のメロディー』で、新しい活用方法を見い出したような気がしたのです。これらの映画体系については、その分析だけでブログ記事が何ページにも及んでしまいそうですし、今回はその詳細な分析はしませんが、わたしの好奇心が実に強く刺激されるところであります。

 なお、わたしのブログの盟友である用心棒さんは、この映画体系の記事を過去にアップされていますので、ご紹介いたします。
【用心棒さんのブログ『良い映画を褒める会。』 の記事
『ひとで』(1928)単なる劇映画とは違う、かつて、あった自由な映画。
『リズム21』(1921)かつてあった映画、その二。絶対映画とはどのようなものだったのか。

 何十回も観賞しているこの『地下室のメロディー』なのですが、『太陽がいっぱい』、『山猫』、『太陽はひとりぼっち』の映画館での鑑賞時と同様に、実に貴重で刺激的な映像体験でした。
 わたしは、深い満足感とともに、午後からの所用を済ませての家路に着いたのでした(映画鑑賞とは無関係ですので、記事内容として掲載する予定はございませんが、午後からの所用もたいへん有意義なものでした。)。

 当時の映画ファン(=母親)と、この作品を観ると、アラン・ドロンは、映画の専門用語「フィルム・ノワール」が当てはまるような大スターではなくて、あくまでも一般大衆が分かり易い「ギャング映画」という名称での大スターだったんだ・・・ということに気がつくことができました。

 こんなことも実にリアルな体験のひとつだったわけです。

「ギャング役は好き?
 = ぼくが一ばん好きなのがギャング役ではない 観客が一ばん好きなのがギャング役なのだと思う(略-)」
【アラン・ドロン孤独と背徳のバラード 芳賀書店(1972年)】

 それにしても、映画を見終わった後のおふくろは、ジャン・ギャバンとアラン・ドロンの名コンビを観て、完全に青春時代を取り戻してしまっていました。
「あのふたりは、本当に格好良い!最高に格好良かった!」
と一日中、連呼し続けていたのです。

 ちなみに、わたしの母は、1937(昭和12)年生まれ、アラン・ドロンの2歳年下です。
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by Tom5k | 2010-06-06 23:54 | 地下室のメロディー(5) | Trackback(5) | Comments(17)

『地下室のメロディー』①~「アラン・ドロン」の原型 古き良き時代の「セリ・ノワール」~

 「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スターであるアラン・ドロンの原点は、全てこの作品に詰まっています。全盛期の『サムライ』、『さらば友よ』、『ボルサリーノ』、『スコルピオ』、『ビッグ・ガン』、『ル・ジタン』、『友よ静かに死ね』、『危険なささやき』等々。後半期の『私刑警察』や『ハーフ・ア・チャンス』でさえも原点はここにあると、わたしは思います。

 何故か?
 「フレンチ・フィルム・ノワール」の大御所といえば、言わずと知れたジャン・ギャバンその人でしょう。ジュリアン・デュヴィヴィエの『望郷』、マルセル・カルネの『霧の波止場』、ルネ・クレマンの『鉄格子の彼方』、そして、ジャック・ベッケルの『現金に手を出すな』、ジャン・ドラノワ、ジル・グランジェのメグレ警視シリーズ。
(現在の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の定義では、『現金に手を出すな』より以前のノワール的な作品が含まれていませんが、私はこれらもその体系にあると考えています。)

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 既に戦前から、ドロンと初共演するまで、この他にも数え切れないほどの「フレンチ・フィルム・ノワール」の大傑作を創り出しています。
 『地下室のメロディー』は、アラン・ドロンが初めて主演した「フレンチ・フィルム・ノワール」の作品です。幸運なことに、ジャン・ギャバンとの共演でスタートを切ることができ、アラン・ドロンは、フランスにおける「フィルム・ノワール」の原点の多くを学び、その後の彼の作品にも大きな影響を反映させていくことができたのだと思います。

 また、ジャン・ギャバンとアラン・ドロンとは共通点が多くあります。
 妻に先立たれ、息子をもてあました父親はジャンを高等学校寄宿舎に入れてしまいます。我慢できなかったジャンは寄宿舎を飛び出して周囲を困らせました。仕事の転職も数知れません。自動車のセールス、道路工事の人夫、鉄工所の労働者、鉄道員、バーテン、クラブ歌手、そして、海軍に志願し、海上勤務までしています。

 ドロンのデビュー前と似ていると思うのはわたしだけでは無いでしょう。
 だからなのでしょう。いつも、ギャバンとドロンのコンビは、本当にピッタリ息が合っています。

 そして、ジャン・ギャバンの作品の多くは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の若手映画評論家たちに批判されていった古き良き時代のフランス映画、それをを支えていた「詩(心理)的レアリスム」黄金時代の巨匠ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、マルセル・カルネ監督やジャン・ドラノワ監督たちとの作品でした。そのなかには、ルネ・クレマン監督の作品もあります。
 しかも、当時のアラン・ドロンの作品も、フランス作品に限っては、ルネ・クレマン監督やジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品が中心でした。
 恐らく、彼にとって、これほど心強い親分はいなかったでしょう。

 『地下室のメロディー』は、そんな二人のコンビネーションが本当に良くかみ合って作られています。
 ジャン・ギャバンもアラン・ドロンもその気になればどんな仕事だって難なくこなせます。普通に地道に働けば、人並み以上の実績や業績を残せるはずです。だけど、そんな風に器用で優秀だから、まじめに働くのがばからしく、一発当ててやろうと思い、また、懲りもせず、夢に生きてしまうのです。
 それでも、ジャン・ギャバン演じるシャルルは決して、貧しい庶民から、搾り取ろうという生き方は大嫌いです。
「安月給のサラリーマンから金をとるほど悪趣味じゃない。」
 シャルルは妻のホテル経営の話しを嫌います。

 そして、20歳代も半ばを過ぎ、まだ、親や姉夫婦のスネをかじっているアラン・ドロン演じるフランシス。そんな彼にムショ仲間のシャルルから思いもかけない大仕事が舞い込んできました。コートダジュールにあるリゾート・ホテルのカジノにある「10億フラン」をそっくりいただこうという話です。

 フランシスからすれば、
「どうせ、口うるさいおふくろには、毎日ガミガミお説教だし、一年間のムショ仲間でしかないシャルルが自分をここまで見込んでくれたんだ。」

 シャルルとフランシスの間にはこうして
「女房にはわからない。」
「おふくろに何がわかる。」

 妻や母親、女たちには理解できない男同士の連帯感が芽生えたのです。この二人は、本当に父親と息子のような関係です。

 そして、強盗の計画は・・・ホテルの屋上の空調設備の排出口から、排気ダクトを通じて地下金庫に通じるエレベーターの外側に出て、金庫のある地下室に降りたときに、その天井から金庫内に潜り込み、機関銃で脅して現金10億フランを頂くというもの・・・。
 計画は完璧だったし、その仕事も計画通り、あとは悠々自適の生活が待っているはずでした。

 ところが、翌朝の新聞に掲載された写真はフランシスの超ド・アップです。少々、目立ち過ぎてしまったようでした。直接、犯人に疑われる確率は少ないかもしれないけれど、この地域の周辺では検問・張り込みが厳しくなるのは当たり前で、当然、この新聞も警察の調査資料になっているはずです。何度もこの商売でパクられているシャルルは、警察がどこで犯人を嗅ぎ分けるかを身をもって経験してきています。とにかく、一刻も早くここから安全なところまで逃げなければなりません。すぐに盗んだ札束の入った鞄を持ってくるようフランシスに命じて、ホテルのプールサイドで待ち合わせします。

 ところが、プールサイドへ来ると、もうそこには何人もの刑事たちが現場の捜査に当たっていて、事件の現場であるカジノの金庫にいた男とも話しています。シャルルもフランシスも冷や汗をかきながら、身動きすることができません。

 空調ダクトの排出口から潜りこんだことも、捜査でわかってしまい、刑事たちの立ち話から聞こえてきたのは、二人の年齢や身体的特徴や所持している鞄の特徴でした。そんなことまで、はっきり記録されてしまっているのです。これでは、いくら急いで逃げても、すぐに足がついてしまいます。くやしいけれど証拠隠滅という方法しか残されていません。でも、プールサイドに置きっぱなしにすることは危険すぎます。
「もういいや。プールに捨てちゃえ。」
 フランシスは、こう考えるしかなかったんじゃないでしょうか?

 プールは朝一番の給水作業のために、水がプール全体を循環しており、鞄の蓋も水圧で開いてしまいました。どんどん浮かびあがってくる札束、札束、札束・・・・。
 プールに浮かんでくる10億フランは、まさにあぶく銭です。
 このあとは、二人とも、待っていてくれる優しい奥さん、息子を想うあまり、つい口うるさくなってしまうお母さんの気持ちもわかって、空想みたいな夢を捨て、まじめに、地道に生活したでしょうか。
 いやいや、この二人のことです。性懲りも無く、次のでかい山の相談を始めたに違いありません。

 監督のアンリ・ヴェルヌイユは娯楽・商業映画を最も得意としていた映画監督でしたが、さすがフランス映画の第一人者です。空調のダクトからエレベーターに抜け出ての現金強盗やプール全面に浮かび上がる紙幣などの着想もさることながら、庶民の生活に密着した背景を実に丁寧にうまく描いています。

 戦争で荒廃したパリが戦後の経済成長を遂げていく様子は、服役を終えたシャルルの帰宅途中に映し出されるパリの駅や高層ビル、新築中のアパルトマンから。庶民の暮らしや不満は、シャルルが耳にする列車内での乗客達、ローンで無理してバカンスを楽しんでいるという会話の内容から。決して裕福ではない庶民の暮らしは、しけもくを探して火を付けるフランシスや、子どもを保育所に預けることもできずに、子守りを失業中の弟に頼まなければならない姉一家、下町の義理の兄貴の自動車工場の様子などでよく描かれています。

 また、それとは逆に、コートダジュールにある金持ち専用のリゾートホテルで、カジノやプールで遊びながら優雅に生活をしている人々。
 こういった細部にわたる作品の背景を丁寧に描いているからこそ、犯罪の動機や人間関係、説得力のあるプロットをより鮮明に浮き上がらせることができているのではないでしょうか。

 それにしても、庶民が当たり前のように上等のスーツを身につけて、ロールス・ロイスやアルファ・ロメオ・スパイダーに乗り、優雅にリゾートホテルで何ヶ月もの長期のバカンスの生活をするなんて、バブルのはじけた今の日本では、夢のまた夢になってしまったような気がします。
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by Tom5k | 2005-10-08 02:45 | 地下室のメロディー(5) | Trackback(9) | Comments(16)