『Quand la Femme s'en Mele』~デビュー作品は「フレンチ・フィルム・ノワール」②~

【<『Quand la Femme s'en Mele』~デビュー作品は「フレンチ・フィルム・ノワール」①~>から続く】

 その後、メーヌとジョーがフェリックスとコレットを駅に出迎えに行くシークエンスになりますが、コレットを演じたソフィー・ドーミエは、たいへん愛らしく、一般的には「フィルム・ノワール」の作品には登場しないキャラクターだと思います。この時代の「フレンチ・フィルム・ノワール」の作風への試行錯誤の結果が、アラン・ドロンと彼女の起用だったのではないでしょうか?

 ゴドーとメーヌは二人の間を邪魔するメーヌの以前の愛人ボビーを手下のジョーに殺させます。
 ジョーはコレットをパーラーに同伴し、店の裏手を廻ってボビーたち二人に拳銃を発砲し暗殺します。銃声が鳴り響いた後、彼はコレットが待つパーラーのテーブルに戻るのですが、コレットは彼の背広の袖が破れていることに気づきます。彼女はそのショックからホテルで寝込んでしまいました。

 このシークエンスでは、撃たれて殺害される人物を直接描写せずに「暗殺」を表現しているのですが、結果的に鑑賞者が実際のマフィアの抗争の殺害現場にいるような効果を与えることに成功しています。
 つまり、銃声と背広の袖のショットのみで、ジョーが二人を殺害したことが表現されており、基本的にパーラーに残っているコレットの視点を基軸に描写しているわけですから、映画を観る側は、田舎からパリに上京してきた純朴な彼女の心象への大きなショックに感情移入することになるのです。しかも、二枚目の若くて礼儀正しい好青年が実行したこの行動は、コレットにも観客にも信じられないことなのです。

 警察が到着する前に、パーラーを出たジョーは、ゴドーの運転するオープン・カーに乗り込みますが、彼は車後部のトランクパネルに飛び乗って助手席に滑り込み、彼らの逃走車は前方から現場に向かうパトカーとすれ違いながら遁走します。ここでのアクション・ショットも非常に印象深いシーンでした。

 フェリックスは再婚相手だったデパート「タイユリー」の売り子ジャニーヌを、3年前に火災が原因で亡くしていました。「タイユリー」の所有者であるクデールが多額の保険金を手にしていたことから、この事故は計画的な保険金殺人ではないかと疑っており、このことをメーヌに相談します。フェリックスは、メーヌにゴドーとの間に入ってもらい妻を殺した男クデールへの報復を依頼します。
 一方、ボビーの殺害事件の後、ピエール・モンディ演ずるヴェルディエ刑事が、メーヌやゴドーのナイトクラブを訪れますが、ゴドー一家が犯した犯行だと特定できるはずもありません。
 
 ゴドーのライバルの組織から身内の死体が運ばれます。死体を運んでくるのは冒頭でカードをしているときに口論になったうちの二人です。恐らく、ファースト・シークエンスの口論の相手はボビーの所属していた組織のメンバーだったのでしょう。この時点でマフィア組織間での抗争の火蓋が切って落とされたわけです。

 このあと、ジョーとコレットがオープン・カーで出かけるシークエンスがありますが、ここで彼は、自分が堅気の生活をしたいことを彼女に打ち明けているようです。このシークエンスは「フレンチ・フィルム・ノワール」というより、アイドルの純愛映画のような雰囲気が醸成されており、アラン・ドロンとソフィー・ドーミエの出演により、硬直した古い映画の類型化を払拭して、映画作品としての躍動感を生み出すことに成功しているように感じました。

【>初期の作品を再見すると、あなたには品があったという印象を受けますね・・・
>アラン・ドロン
品は説明できるものじゃない。気付いてもらうものだ。私はある日偶然選ばれて、カメラの前に立たされたんだ。今でも覚えている。ヴィクトル・ユゴー通りで、お菓子屋から出て来てエドヴィージュ・フィエールにまた会うためにソフィー・ドミエと一緒に車に乗るんだ。お菓子の包みを持って外に出る時、こう説明してもらった:「カメラを見ないで、誰もいないようなつもりでね-私はすぐに理解した、毎日自分がやってることじゃないか!」最初から緊張はしなかったね。】
【引用 takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事  2007/6/4 「回想するアラン・ドロン:その2」(インタヴュー和訳)」カイエ・ドュ・シネマ501号掲載

 ゴドーとフェリックスは保険金を支払ったエージェントのキュンストを訪れ、事件の真相について彼に詰め寄ります。
 用件が済んだのか、二人が邸を出るときに突然銃声が響きわたり、驚いたゴドーが邸に戻るとキュンストがピストル自殺をしていたのでした。ゴドーはその現場で彼の遺書を見つけ、それを持ち出すことに成功します。ゴドーとフェリックスは、映画館でメーヌ、コレットと落ち合い、そこで、ゴドーはメーヌに一部始終を告げまました。

 次に、ゴドーはクデールを訪れ、キュンストの遺書をネタにして5千万フランの出資を求めます。ここでクデールの秘書としてブリューノ・クレメールが演ずるベルナールが登場します。ベルナールはジョーと知り合いだったので、ゴドーが帰った後にすぐに彼に連絡を取り呼び寄せます。クデール邸を訪れたジョーは大金と引き換えにゴドーの部屋から遺書を盗むよう二人に依頼されます。

 アラン・ドロンより少し年上のブリューノ・クレメールも、同じくこの作品がデビュー作品ですが、彼が演じたベルナールのキャラクターは、「フィルム・ノワール」におけるピカレスクな魅力を最大限に体現していたと思います。素晴らしい!

 コレットはゴドーのクラブでジョーと落ち合い、そこで彼から堅気になるためにクデールに寝返る決心をしたことを告げられ、ゴドーの部屋に入って遺書を盗み出すことを頼まれます。ジョーと愛を確かめあったコレットは彼に協力しますが、それをメーヌに見抜かれて計画は失敗してしまいます。そして、メーヌは娘の切ない気持ちも察してしまうのでした。
 ゴドーもメーヌも、それぞれジョーを問いただし、結局ジョーは二人に真相を話すことになります。

 若いアラン・ドロンが、ボスのジャン・セルヴェに何度も殴られるのですが、ここもやはり印象深いシークエンスです。殴られて鼻血を拭きながら、自分の言い分を必死に話しているアラン・ドロンを見ていると、情けない失敗をした我が子を見ている親のような気持ちになり、切なくなってきます。

 クデールの手先二人が、ゴドーのキャバレーに張り込みをしていますが、ゴドーは自分の手下のジャン・ルフェーブル演ずるフレッドとともに彼らを脅しクデール邸に向かいます。張り込んでいた二人は、冒頭のカードのシークエンスやゴドーの部下の死体を送りつけたシーンに登場していた抗争相手の組織の一味です。クデール一家とこのマフィアの一味は同じ組織なのでしょうか?字幕スーパーのない映像から、ここの人物設定の関係性はわかりにくいです。

 このシーンでは、都会の夜、パリの街のネオン・サインを実に美しく映し出しています。「フィルム・ノワール」の原点ともいえる典型的な夜の都会の情景描写であり、それは魅惑的な犯罪都市を喚起するショットでした。

 ジョー、メーヌ、フェリックスも彼らを後から追います。
 ゴドーは手先の一人を銃で脅し公衆電話ボックスからクデールに電話を掛けさせます。ここで、その電話に対応するのは秘書のベルナールです。

 ゴドーは二人をフレッドに任せてクデール邸に向かい、先に到着したジョー、メーヌ、フェリックスは、クデールと対面します。メーヌは遺書を彼の目の前で破り捨て、フェリックスはクデールに銃を向け言い争いになりますが、彼は躊躇ってしまい銃を撃てず、しびれを切らしたメーヌがクデールを撃ち殺します。

 何故、メーヌが、怒って遺書を破り捨てたのでしょうか?遺書の内容に憤りをぶつけているのかもしれません。このような激情的な行動を取りながらも、冷静さを失わず緊張の局面にも決して動じないメーヌを演じるエドウィジュ・フィエールは、まさにそのとき「極道の妻」と化しています。そして、大女優の証がこのラスト・シークエンスに凝縮しているのです。母として、ギャングの愛人として、そして元夫への愛情・・・こんな複雑な設定の中、彼女は「超ファム・ファタル」に変貌し、ガリマール社のセリ・ノワール叢書のジャン・アミラのセリ・ノワール小説の原題通リ、ゴドーを待つことなしに(Sans attendre Godot)、クデールを銃で何発も撃ちフェリックスの怨恨を晴らすのです。
 自ら銃でカタを付けた彼女の行動は凄いです。本当に、このシークエンスは恐ろしいほどの迫力でした。

 三人が邸を出ようとしたそのとき、ジョーはベルナールの凶弾に倒れますが、ようやく後から駆けつけたゴドーによって、ベルナールも殺されます。残ったゴドー、メーヌ、フェリックスは、クデール邸を放火しジョーの死体を運び出します。

 ジョーは、先に邸の外に出ようとするメーヌを制し、ベランダに出て外の様子を伺いメーヌとフェリックスを案内しようとしますが、そのとき、後ろから敵の銃弾に撃たれ、邸の石段の手すりに寄り掛かりながら転げ落ちて地ベタに倒れ込んでしまいます。

 アラン・ドロンのファンとしては、いささかショッキングなシーンでした。
 彼は人気の全盛期に、「死の美学」をキーワードとして、多くの作品の結末で主人公の死を演じましたが、既にこのデビュー作品で敵の凶弾に倒れる犯罪組織の若者を演じていたのです。この設定が驚くべきことであることはもちろんなのですが、ここでのアラン・ドロンは、人気全盛期のキーワードであった「死の美学」を提示したというよりも、無念な若者の死としての同情の感情を観る側に抱かせてしまうように思います。
 キャラクターが完成する前の初々しいアラン・ドロンだったのです。せっかくコレットとの未来に希望を見出していた若いジョーだったのに・・・哀しい最期でした。

 事件が終わり、フェリックスは娘コレットと共にグルノーブル行きの列車に乗り込み、ゴドーとメーヌは彼らを見送ります。呆然としているコレット、その娘の様子を悲しげに、そして心配そうに見送るメーヌ。

 そして、二人を見送った後、ゴドーとメーヌをピエール・モンディ演ずる刑事が駅構内で待ち構えているシーンで映画は終了します。

 現在、残念ながら更新されていないようですが、Astayさんのホームページ用ブログ【Cinema of Monsieur Delon】を参考にさせていただきました。おかげで字幕がなくてもストーリーの概略を理解することができました。本当にありがとうございます。


 ストーリーも映像も出演者も決して悪くない作品で、ジャン・セルヴェ、ジャン・ルフェーブル、ピエール・モンディ、ブリューノ・クレメールなど、役柄からも非常にハードな演技表現に徹していますから、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品への登場人物としては、申し分のない俳優の配置、演技で成功している作品だと思います。決して駄作だとは思いません。

 特に、ゴドーを演じたジャン・セルヴェには、ハリウッド作品でレイモンド・チャンドラー原作のフィリップ・マーロウやダシール・ハメット原作のサム・スペードなど、ハードボイルド小説の主人公を演じさせたら素晴らしい作品になるように思いました。

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 また、エドウィジュ・フィエールやベルナール・ブリエのような往年の名優たちを配置したことも特筆すべきことだと思いますし、その対極において、アラン・ドロン、ブリューノ・クレメールやソフィー・ドーミエなど、個性的な若手スターが発掘されているのです。
 イブ・アレグレが不振に陥っていったと飯島正の評価があったとしても、この作品を観ていると、「フレンチ・フィルム・ノワール」は、旧時代に見守られながら、新しい時代に向かうための助走を初めたような気がしてきます。

 特に、アラン・ドロンにおいては、後年、家族のためにマフィア組織を脱退して堅気になろうとしたために愛する妻と息子を殺され、自らも敵の凶弾に倒れる悲劇的なプロットで『ビッグ・ガン』(1973年)を製作、主演しましたが、このデビュー作品『Quand la Femme s'en Mele』の出演から16年後においても同様のプロットによって、より徹底した「死の美学」を貫徹していたのです。

 そして、『ビッグ・ガン』の主人公トニー・アルゼンタは、この『Quand la Femme s'en Mele』のジョーが殺されずに、恋人コレットと結ばれ家族を持ったその未来の姿だったように私は見えてしまっていたのです。
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by Tom5k | 2016-12-23 12:09 | Quand la Femme s'en | Trackback | Comments(0)

『Quand la Femme s'en Mele』~デビュー作品は「フレンチ・フィルム・ノワール」①~

 イヴ・アレグレ監督は、『世界の映画作家18 犯罪・暗黒映画の名手たち/ジョン・ヒューストン ドン・シーゲル ジャン・ピェール・メルヴィル』に、映画評論家の飯島正によって暗黒映画の映画作家として紹介されていました。
 飯島正氏は、シモーヌ・シニョレとベルナール・ブリエが出演した『デデという娼婦』(1947年)を初期の暗黒映画の代表作品として評価し、同じく、シモーヌ・シニョレとベルナール・ブリエ出演の『Maneges』(1950年)は、「ペシミズム・ノワル」と自分のノートに記していたそうです。イブ・アレグレは、その後、ノワール系の作風と異なる作品を撮った後、ジェラール・フィリップとミシェル・モルガンが出演し、実存主義哲学者ジャン・ポール・サルトル原作の『狂熱の孤独』(1953年)を制作し、再び「暗黒レアリスム」作品の制作に立ち返ったと総括し、この作品を頂点として、その後は不振におちいったと評しています。
【参考 『世界の映画作家18 犯罪・暗黒映画の名手たち/ジョン・ヒューストン ドン・シーゲル ジャン・ピェール・メルヴィル 「フランス暗黒映画の系譜 飯島正」』キネマ旬報社、1973年】

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 残念なことに、この批評によれば、まさにイブ・アレグレが不振に陥っていった4年後の作品であることになります。

 それはさておき、この『Quand la Femme s'en Mele』の原作は、ガリマール社のセリ・ノワール叢書で活躍していたジャン・アミラ著のセリ・ノワール小説『Sans attendre Godot』(1956年刊行)です。この作品の「フレンチ・フィルム・ノワール」としての要件は、まずここにあります。

 ところで、ヨーロッパの映画作品において、1950年代から1960年代にかけてのイタリアの「ネオ・レアリズモ」は、後年、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「内的ネオ・レアリズモ」への変遷やフェデリコ・フェリーニなどの台頭、フランスにおいては、「ヌーヴェル・ヴァーグ・」が席巻していく状況を迎えます。
 これらの映画作家、すなわち、この時代のヨーロッパでの映画作品が、物語・プロットを解体したアンチ・ドラマとしての構成を大きな特徴とするようになっていったことは映画史的な総括として現在に至っています。

 特に、フランス映画において、それは様々な試行錯誤がなされていた時代であったようにも思います。
 また、それは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」より以前の旧時代の映画作家たちの作風にも大きく影響を与えていたように私は思っています。ルネ・クレマン監督においては、「ヌーヴォ・ロマン」の代表的作家マルグリット・デュラス原作の『海の壁』(1958年)の映画化、『太陽がいっぱい』(1959年)のスタッフ・キャストの選び方などにそれは表れていますし、更に戦前の「詩(心理)的レアリスム」の代表的演出家のマルセル・カルネ監督でさえ、『危険な曲り角』(1958年)の主題曲に、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのモダン・ジャズを使用しました。

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 そして、この作品のイブ・アレグレ監督は、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品を手掛けていたとは言え、「詩(心理)的レアリスム」の系譜を引き継つぐ演出家でした。
 代表作品である『狂熱の孤独』もジャン・ポール・サルトルが原作者であり、当然、アンチ・ドラマの特徴から、この時代の新しい映画においての作風に合致するものであったわけです。しかしながら、この作品では、従前から「ヌーヴェル・ヴァーグ」の諸作家たちに徹底的に批判されていたピエール・ボストとジャン・オーランシュがシナリオを担当しました。

 そもそも、「フレンチ・フィルム・ノワール」の映画体系において、『現金に手を出すな』(1954年)や『穴』(1960年)が代表作品であるジャック・ベッケルは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の映画作家たちに敬愛されていましたし、その作風を引き継いでいった経緯を持つジャン・ピエール・メルヴィルも、同様に「ヌーヴェル・ヴァーグ」の先行者として作家主義を全うしていった映画監督でした。これらのことは、既に、現在、フランス映画史における一般的な総括として定着しています。

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 しかしながら、この「フレンチ・フィルム・ノワール」作品である『Quand la Femme s'en Mele』の脚本を担当したのが、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の映画作家たちから批判の矢面に立たされていた「詩(心理)的レアリスム」の巨匠ジャック・フェデール監督の脚本を書き続けたシャルル・スパークだったのです。

 このように考えたとき、1950年代後半の混沌としたフランス映画界に私は大きな矛盾を感じてしまうのです。

 さて、この作品のキャストですが、当時のフランス映画においては、そうそうたるメンバーをキャスティングしています。

 主人公フェリックスの前妻メーヌは、大女優エドウィジュ・フィエールが演じています。彼女は、フランスでの目覚ましい活躍ぶりに比して、日本での知名度は大きくはありませんでしたが、その経歴から半端な女優でなかったことがわかります。
 彼女は、コンセルバトワールの文教部門、フランス国立高等演劇学校の出身で、卒業後1931年コメディ・フランセーズに入座し、エドウィジュ・フィエールと名乗るようになりました。アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)原作の『椿姫』は彼女の十八番であったそうですが、主人公のマルグリットは、19世紀「ベル・エポック」の時代には、サラ・ベルナールのような歴史的大女優が演じた役柄でした。その大役を、戦中・戦後にかけて、エドウィジュ・フィエール以外に手を出す女優はいなかったそうなのです。

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 映画では、ジュリアン・デュヴィヴィ監督『ゴルゴダの丘』(1935年)、ジョルジュ・ランバン監督、ジェラール・フィリップ出演『白痴』(1945年)、ジャン・ドラノワ監督、ジャン・ルイ・バロー出演『しのび泣き』(1945年)、ジャン・コクトー監督、ジャン・マレエ出演『双頭の鷲』(1947年)、クロード・オータン・ララ監督『青い麦』(1953年)、同監督、ジャン・ギャバン、ブリジット・バルドー出演『可愛い悪魔』(1958年)などの作品に出演し活躍しましたが、この時代の映画界において大女優だったことは監督、共演者から容易に理解できます。

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 マフィアのボス、ゴドーを演じているジャン・セルヴェは、ルネ・クレマン監督『ガラスの城』(1950年)でミシェル・モルガン、ジャン・マレーと共演、同年、アラン・レネ監督の短編ドキュメンタリー『ゴーギャン』(1950年)では、ナレーションを務めました。ジャック・ベッケル監督『エストラパード街』(1952年)、そして、「フレンチ・フィルム・ノワール」史においても重要な位置を占めているオーギュスト・ル・ブルトン原作、ジュールス・ダッシン監督『男の争い』(1955年)で主演したギャングのボス役が最も有名です。
 また、フィリップ・ド・ブロカ監督『リオの男』(1964年)で、ジャン・ポール・ベルモンドと共演し、『名誉と栄光のためでなく』(1965年)で、再びアラン・ドロンと共演します。

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 郵便局員フェリックスを演じているベルナール・ブリエは、マルセル・カルネ監督の戦前の代表作品『北ホテル』(1938年)やクリスチャン・ジャック監督の『幻想交響曲』(1942年)など、典型的な「詩(心理)的レアリスム」の作品に出演していた俳優です。
 イブ・アレグレ監督の作品では、前述した『デデという娼婦』(1947年)、『Maneges』(1950年) があります。
 ジャン・ギャバンとの共演も多く、ジョルジュ・ランパン監督『罪と罰』(1956年)、ジャン・ポール・ル・シャノワ監督『レ・ミゼラブル』(1957年)、ジル・グランジェ監督『Archimede,le clochard』(1958年)や、セリ・ノワール叢書でも有名なアルベール・シモナン原作、ジル・グランジェ監督『Le cave se rebiffe』(1961年) など、「文芸作品」から「フレンチ・フィルム・ノワール」までジャンルを問わず共演しました。

 前述のイブ・アレグレ監督作品やジャン・ギャバンとの共演作品以外での「フレンチ・フィルム・ノワール」への出演作品には、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督『犯罪河岸』(1947年)、アンリ・ドコアン監督、フランソワーズ・アルヌール主演『女猫』(1958年)、アンリ・ヴェルヌイユ監督、ジャン=ポール・ベルモンド、リノ・ヴァンチュラ出演『太陽の下の10万ドル』(1964年)、ジョルジュ・ロートネル監督、ミレーユ・ダルク、ミシェル・コンスタンタン出演『狼どもの報酬』(1972年)などがあります。

 永きに渉って「フレンチ・フィルム・ノワール」の俳優として、フランス映画に貢献した俳優でした。また、彼の長男のベルトラン・ブリエは、シネマ=ヴェリテ(映画=真実)の映画作家として鮮烈にデビューし、フランス映画界を牽引している映画作家です。なお、ベルトラン・ブリエ監督の『Notre histoire』(1984年)に出演したアラン・ドロンは、この作品でセザール賞男優賞を授賞しています。

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 フェリックスとメーヌの娘コレットを演じたソフィー・ドーミエは、ジャン・ポール・ベルモンド、ジェラルディン・チャップリンと共演したジャック・ドレー監督『ある晴れた朝突然に』(1964年)、ジュリアーノ・ジェンマと共演した『さいはての用心棒』(1967年)などが有名です。ジャン・クロード・ブリアリが出演している『Carambolages』(1969年)にも出演していますが、この作品にはアラン・ドロンも出演していたそうです。

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 また、彼女は歌手としても活躍していたそうです。
 【60年代フレンチ・ポップスのサイト「April Dancer」ソフィー・ドーミエ PROFILE】

 全編を通じて登場する刑事には、ピエール・モンディが扮しています。
 彼は、『ヘッドライト』(1956年)で、ジャン・ギャバンと共演した若いトラックの運転手が印象深い役柄でした。アラン・ドロンとは、『お嬢さんお手やわらかに!』(1958年)や『学生たちの道』(1959年)で共演しています。私が強く印象に残っている作品は、アラン・ドロン製作・監督・主演の『Le Battant』(1983年)での刑事役です。彼はこの作品で、主演のアラン・ドロンに付きまとって、口汚く嘲罵を浴びせるサディスティックな刑事を演じています。ここでのピエール・モンディは、まるで、『太陽がいっぱい』(1959年)でのフィリップや『太陽が知っている』(1968年)でハリーを演じたモーリス・ロネのようでした。

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 そして、アラン・ドロンと同世代のブリューノ・クレメールも、この作品がデビューとなりました。
 日本では、ジョゼ・ジョヴァンニ監督の『父よ』(2001年)や1991年~2005年にテレビシリーズとなった『メグレ警視』が有名です。アラン・ドロンも出演しているルネ・クレマン監督の『パリは燃えているか』(1966年)には、ド・ゴール派ではなく、フランス共産党が主導するFFI(フランス国内軍)のレンジスタンスの闘士アンリ・ロル=タンギー大佐として出演していました。

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 アラン・ドロンが、後に「フレンチ・フィルム・ノワール」で自己のキャラクターを確立することになるのは、10年後の『サムライ』(1967年)でしたが、旧時代のイブ・アレグレ監督の作品で、多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品で活躍していたジャン・セルヴェ、ベルナール・ブリエと共演したこの典型的な作品がデビュー作品であることは、彼の将来を既に暗示していたと言えましょう。

 それにしても、この『Quand la Femme s'en Mele』が、日本で劇場公開されなかったことはとても残念です。旧時代的な作風であったことや日本で人気の高いスター俳優が出演していなかったとは思いますが、ストーリーも面白く、映像もノワールのムードが満載ですし、出演者は地味ではあっても若手・ベテランともに素敵な俳優ばかりですから、製作年より遅れてでも日本公開してほしかった作品です。

 アラン・ドロンは、この作品で、主人公のゴドーのボディガードのジョーを演じました。主演ではないものの随分と出番も多く、ストーリー・プロットの上でも重要な役柄を演じています。

 映画は、4人でカードをしているシーンでのタイトルバックと軽快でジャジーなテーマ曲から始まり、ジャン・セルヴェが演ずるゴドーがカード仲間と口論になるシークエンスから展開していきます。
 ゴドーはナイトクラブのオーナーですが、夜の世界では顔役のようで、エドウィジュ・フィエール演ずるメーヌと愛人関係にあります。そんなおり、メーヌの元に、フランス南東部グルノーブルに居るベルナール・ブリエが演ずる前夫の郵便局員フェリックスから電話が入ります。彼は、ソフィー・ドーミエが演ずる娘コレットとともに、パリを訪れる予定であるとのことでした。

 アラン・ドロンの初登場は、ゴドーとジャン・ルフェーブル演ずるフレッドの3人が打ち合わせをしているシーンでした。
 彼は、このとき22歳です。映画ではマフィアのボディガードを演じているわりには、育ちの良さそうな無垢で純情な青年に見えます。それにしても、この時点では、彼がその後フランスやイタリアの巨匠たちに寵愛され、時代の寵児として、あれほど大きく飛躍することになるとは誰にも想像できなかったことだと思います。

 駅に出迎えに言ったメーヌは、冒頭のカードのシークエンスでゴドーと揉めていた2人にからまれますが、ゴドーとジョーが駆けつけ助けに入ります。

 この乱闘シーンは、私にはたいへん印象的でした。ゴドーとジョーが相手を一撃で殴り倒すのですが、こういった静かなアクション・シーンは、現在の映画では、もっと派手なパフォーマンスとして表現されることが多いでしょうから、今ではもう見られなくなってしまった古典的で貴重なショットだと思います。

【<『Quand la Femme s'en Mele』~デビュー作品は「フレンチ・フィルム・ノワール」②~>に続く】
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by Tom5k | 2016-12-23 01:58 | Quand la Femme s'en | Trackback | Comments(0)