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『名誉と栄光のためでなく』~幻想映画館『外人部隊~』

 私の父親や母親は、1930年代中盤以降(昭和二桁)になってからの生まれで、1950年代後半から60年代初めに掛けて青春時代を過ごした世代です。アラン・ドロンともほぼ同世代で、世代的には映画や音楽が好きで映画を観てから、その足でダンスホールに通い、ツイストやジルバなどを踊ってナンパをする・されるという、本当にいい加減で尊敬できない世代です。
 なお、父親は母親ともダンスホールで知り合っています。

 また、父親は映画ファンであったものの、少なくてもアラン・ドロンには、ほとんど興味が無く、その話題になると、人を小馬鹿にしたような適当でデタラメな言動が多かったことは、これまでも当ブログ記事で、時折、取り上げてきました。不愉快極まりない腹の立つ言動が多いのですが、記憶に強く残っているものを列挙してみます。

◯『黄色いロールスロイス』
 私がテレビ放映で観たことを話題にしたときのこと。
>う~ん、『黄色いロールスロイス』なあ。有名だな。でも、アラン・ドロンは出ていない。おまえ、何か別の映画と勘違いしてるわ。
(たぶん、父親はこの作品を実際に観ていたと思われるのですが、アラン・ドロンに全く無関心だったことが、この言葉からも伺えます。そして、確かに、この作品のアラン・ドロンの存在感は薄かったかもしれません。)

◯『サムライ』
 テレビ放映のときの話題として。
>殺し屋の生き方を武士道に当てはめたんだとよ。ん~、まっ、失敗作だべ。
(映画芸術を全くわかっていない映画ファンです。映画における文化的価値などに全く関心を寄せない、全く理解しようともしない、ほとんど知性の感じられない、あまりにハッピーな映画ファンです・・・ただ、確かにこの作品でジャン・ピエール・メルヴィルが創作したテーマは、あまりに独創的であったとは思います。)

◯『仁義』
 テレビ放映のときの話題として。
>アラン・ドロンの映画で有名なのは、『太陽がいっぱい』くらいだな。まっ、この『仁義』は少し有名かあ?それにしたって、知っているのは、よっぽどフランス映画を好きな奴くらいだろうけどな・・・。こいつ人気あるくせに、映画は売れないんだよなあ・・・。
(えっ?・・ぅうれなっ?!・・・しかし、確かに、1970年代以降のアラン・ドロンの全盛期でさえ、彼自身の人気と彼の出演作品の人気との間には大きなギャップがあったかもしれません。それにしても、現在ならいざ知らず、公開当時の『仁義』は地味なギャング映画として話題性に欠けていていたと聞きますが、何故、父親の記憶に
「『仁義』は少し有名」
という印象があったのでしょう?
恐らく、父親の同世代の友人たちのシャンソン・ファンと
「よっぽどフランス映画を好きな奴」
を勘違いしていたものと思われます。
父親の世代に人気の高かった歌手としてのイブ・モンタンが、この作品でギャングを演じていたことが、シャンソン・ファンの間で話題になっていたのでしょう。)

◯『アラン・ドロンのゾロ』
 公開された当時の話題として。
>なんだあ、それえ?アラン・ドロンがゾロだってえ??それは似合わんわ、ゾロは、タイロン・パワーだろ。
(『黒いチューリップ』を撮っていた若い頃のアラン・ドロンならば、もっと自然な印象になっていたのだと思いますが、ヨーロピアン的ダンディズムによって女性を虜にし、ギャング組織の策謀・暴力によって死を遂げる暗黒街のアウトサイダーを売り物としていた「アラン・ドロン」キャラクターと、恋や名誉に惑わされず、強気をくじき、弱きを助ける正義漢のイメージが、あまりにもかけ離れていたため、思わず口に出た言葉だったと思います。これも確かに、世評通りだったかもしれません。それにしても、タイロン・パワーはないだろ。)

◯『フリック・ストーリー』
 父親と映画館に行った帰り、アラン・ドロンが刑事役だったことについて。
>なんで、アラン・ドロンが刑事なんだよ?普通、犯人だろ。
(これも確かに、当時のアラン・ドロンが刑事を演じたことの一般的な印象だったと思います。)

◯『友よ静かに死ね』
 父親と映画館に行った帰り、その感想として。
>あ~あ、たいした映画じゃなかったなあ、お前につき合ったけど・・・それに何だあ?あのアラン・ドロンの髪の毛・・・変なの?わっはっはっはっ!・・・。
(確かに、一般的な感想だったかもしれません、が、しかし・・・私には殺意にも似た感情が湧き上がってきます。)

◯『チェイサー』
 公開された当時の話題として。
>アラン・ドロンの今度の映画、トヨタがスポンサーかあ?
(アラン・ドロンが俳優業の外に、映画のプロデュースや事業のプロモートを兼ねていたことは当時の彼のイメージだったかもしれません。そして、その後1980年代の中盤にはく㈱博報堂と提携して事業に取り組もうとしていたことや、マツダ・カペラのCMに彼が出演していたことも周知の事実です。)

(    )内の私の記載は、時代からのアラン・ドロン考証を目的にして、敢えて列記したものですが、この記事を書いている今現在、いまだにフツフツと湧き上がってくる憤りのような感情を私は抑えるきることができません。そして、このような腹立たしい会話は、まだ、まだ、数え切れないほど多くあるのですが、今となって、ようやく何とか冷静に父親とのやり取りを振り返ることができています。

 もっとも、これらの父親の彼への言動は、当時の日本でのアラン・ドロンの存在を知る上で、確かに乱暴ではありますが、世評として特別な感想・意見だったわけでもなく、案外、一般的なアラン・ドロン評だったようにも思うわけです。

 そして、上記に列記してきたように、私を小馬鹿にしたような、アラン・ドロンなんかどうでもいいと思っているような、実に腹立たしいけれども、しかし「アラン・ドロン」のイメージを正確に把握していたと思われる会話が、私の記憶には、もうひとつ存在しています。
 それは、アラン・ドロンの狂信的なファンであった中学生の従姉の影響によって、私がようやく彼に少し興味を持ち始めた小学4、5年生の頃のことでした。

>トム(Tom5k)
「アラン・ドロンの映画で実際に見に行った映画あるかい?」
>父親
「おお、もちろん、あるさ。」
このときの父親は、新聞を読みながらか、テレビを観ながらか、とにかく私の聞いていることに上の空で答えていたことを、今でもはっきりと記憶しています。
とは言え、実際にアラン・ドロンの映画をリアル・タイムで観に行った父親に、私は少し感心して質問を続けました。

>トム(Tom5k)
「何て映画?」
>父親
「あ~ん?うん・・・おう! 『外人部隊』 よ!」

 不幸にも、この記事を読まれている方々には、もうおわかりだと思いますが・・・。

 アラン・ドロンの出演している作品で、そんな作品はありません!

 『外人部隊』という標題の映画作品は、1933年にジャック・フェデールが監督し、シャルル・スパークと協力して創作したストーリーによって、マリー・ベル、ピエール・リシャール・ウィルム、フランソワーズ・ロゼー、シャルル・ヴァネルなどが出演した「詩(心理)的レアリスム」の体系に位置づけられる戦前の代表的なフランス映画作品です。

外人部隊

アイ・ヴィー・シー



 1955年には、ロバート・シオドマク監督により、ジーナ・ロロブリジダ、ジャン・クロード・パスカル、アルレッティなどが出演したリメイク作品があります。

 1957年に銀幕デビューしたアラン・ドロンが出演しているはずがないのです。

 そして、当時、母親にねだって購入してもらったばかりの芳賀書店発刊「シネアルバム6 アラン・ドロン 孤独と背徳のバラード」、「シネアルバム14 血とバラの美学/アラン・ドロン」、「デラックスカラーシネアルバム5 アラン・ドロン 凄艶のかげり、男の魅惑」などで、アラン・ドロンの出演作品を調べ、再度、父親に聞いてみました。

>トム(Tom5k)
「アラン・ドロンが出ている『外人部隊』なんて映画ないぞ!」
と疑問をぶつけたのです。

そして・・・、

>父親
「ん~?まあ・・・だけど、そんな感じの映画、アラン・ドロンらしいべ。あっはっはっはっ!」

>トム(Tom5k)
(こっ、殺す!・・・)

 やはり私は一瞬、殺意にも似た感情が湧き上がってきたものです。しかしながら、今となって冷静になって考えてみると、
 アラン・ドロンの出演作品にさほどの関心の無かった父親が、アラン・ドロンという人気スターを意識する、意識しないに関わらず、彼に対してのイメージを、このように持っていたことは、もしかしたら注目に値することではないでしょうか。
 「外人部隊」を作品の舞台として設定し、アラン・ドロンが出演している作品・・・確かに、それは私の父親だけでなく、当時の多くのアラン・ドロンに無関心な人たちの間での彼らしいキャラクターでもあり、誰もが納得できる映画スターとしての彼のイメージのひとつとして、案外、広く世間に浸透していたものだったかもしれません。
 確かに、アラン・ドロンは、第二次世界戦後のスターでありながら、自身が戦争体験を持っており、それが彼のスター俳優としての大きな特徴のひとつとなっていました。

 アラン・ドロンが出演しているにしては地味な作品ですが、『さすらいの狼』(1964年)、『悪魔のようなあなた』(1967年)、それに大ヒット作品の『さらば友よ』(1968年)などは、まさに、私の父親の「アラン・ドロン」像を体現した彼のはまり役だったと思います。(『さらば友よ』については若干ですが、既に以前の記事で、その内容に触れています。【2006-10-28 00:17付け「『さらば友よ』~「詩(心理)的レアリスム」から新しい「フレンチ・フィルム・ノワール」へ~」の記事】)

 もちろん、彼の作品の何本を父親が観ていたのかは、甚だ疑問ではあるのですが、逆にだからこそ、一般的なアラン・ドロンの潜在的イメージに根を張ったものだったような気がするのです。

 なお、後年、『チェイサー』(1977年)のアラン・ドロン演ずる主人公のグザヴィエ・マーシャルが、共演していたモーリス・ロネが演じたフィリップとの想い出をフラッシュ・バックするシークエンスでも、グザヴィエが過去の従軍時代の二人の写真に見入るショットが挿入されていました。

 ところで、「第一次インドシナ戦線」は、1945年当時にフランス領から独立宣言したホー・チ・ミンが率いる現在のベトナム、ラオス、カンボジア、すなわち「インドシナ」とフランス共和国との間で行われた戦争でした。アラン・ドロンが従軍したのは、1946年から1954年にかけてのこの戦争の後半期です。

 なお、「外人部隊」は、現在でもフランス陸軍に属しており、自国の兵士を使わず、他国からの傭兵を使って自国民の犠牲を最小限に抑える目的で継続されているフランス国籍の者以外の者を基本に傭兵を実施したフランス従軍制度です。
 「第一次インドシナ戦線」は、その後のアメリカ合衆国及び南ベトナム政府軍と、北ベトナム及び南ベトナム反政府勢力、との間で起こった「ベトナム戦争」と同様に、フランス国内に厭戦ムードが拡大していったために「外人部隊」を登用していった戦線だったそうなのです。
 また、その後、1954年から始まった「アルジェリア戦争」でも、その戦地に「外人部隊」の本部があったことから、それは重要な役割を果たしていたそうです。

 そして、「インドシナ戦線」での「ディエン・ビエン・フーの陥落」から休戦協定までを冒頭で取り上げ、その後の「アルジェリア戦争」の激戦地で独立のための地元パルチザンとのゲリラ戦線を主軸に展開させたコロンビア映画、マーク・ロブソン監督の『名誉と栄光のためでなく』(1965年)に、渡米中のアラン・ドロンは出演しています。

 しかも、この『名誉と栄光のためでなく』では、アンソニー・クインが演ずるラスペギー中佐の率いていたパラシュート部隊の隊員として、アラン・ドロンが演じたエクスラヴィエ大尉が、これらの戦地に赴く設定の物語です。彼が実際に「インドシナ戦線」に従軍していた時代、(初めに志願兵として従軍できたのは海軍だったようですが)戦地で配属されていたのがパラシュート部隊だったと聞きます。
 また、アラン・ドロンはフランス人ですから、自国の「外人部隊」に所属していたわけではないのでしょうが、ともに戦線に赴いていた「外人部隊」との共同戦線はあったと思います(フランス外人部隊の3割程度は、自国の志願兵が従軍しているそうです。)。

 これらの体験からも、この作品は自らの経験を体現できた適役であったと思いますし、まさに私の父親の「アラン・ドロン」像が、ここに描写されていると言っても言い過ぎではないでしょう。

【>インドシナ戦争を経験したことは、あなたに何か残しましたか?
>アラン・ドロン
全てさ、全てを学んだと言ってもいい・・・

>トラウマはないのでしょうか?
>アラン・ドロン
>自分の選んだことだったからね:家族的な雰囲気、肉屋、郊外の生活・・・そうしたことから逃げたかったんだろう。戦争へ行った友人たちの後を追ってインドシナへ行ったんだ。彼らと離れ離れにならないように、進んでに兵役を延ばした。正式には5年の兵役だが、私は自発的に3年志願だった。すぐにでも発ちたかった、特に17歳半の時には、兵役はいつも面白いことではなかったけどね。でも自分に多くのことをもたらしてくれた、義務感、厳しさ、規律。私は本質的に軍隊気質なんだろうね、今では眉をひそめられることだろうが。1953年には、パリ中にポスターが貼ってあったよ:君も一年半で戦闘機の操縦士になれる。兵役では奨励金も貰えたんだ。私は空軍に志願した。空軍省へ行くと、最後の召集兵が出発したばかりで、次まで三ヶ月待ちだと言われた。急いで今度は海軍へ志願した。今度はすぐさま出発させてくれた。当時の奨励金が1,200フランだった。行ってみたら、友人らには会えたが、規律もあり、怖かったよ・・・でも自分のためにはなったと思う。こんな風にしか語れないが、本当だ:私には軍人の気質があったんだろうね、いい軍人になれたかも知れないな。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18 「回想するアラン・ドロン:その6」  インタヴュー和訳)」カイエ・ドュ・シネマ501号掲載


 『名誉と栄光のためでなく』は、もちろんアラン・ドロンが若い時代に渡米中に撮った失敗作として位置づけられており、現在でも世評の芳しくない目立たない作品であるかもしれませんが、このような彼の言葉からも、私のような熱狂的なアラン・ドロンのファンとしては、どうしても思い入れの強い作品にならざるを得ないのです。作品それ自体も決して駄作だと思いませんし、非常に丁寧に制作された素敵な作品だと思います。

 そして、そこから湧き上がる私のアラン・ドロンが出演している作品へのイリュージョン・・・私の父親がいいかげんに即興的に創り上げたでたらめな幻の作品・・・

『外人部隊』・・・?

 アラン・ドロンに無関心な映画ファンの間で、彼が出演している錯覚を自然に与えることのできるフランス映画・・・

『外人部隊』・・・?

 彼の主演している幻想映画として、この珠玉の名作品を観たいと願うのは、恐らく私だけでないでしょう。特に私のブログの盟友であるオカピーさんも同様ではないかと思う今日このごろ・・・。

 何だか、ほんとに観てみたくなってきました!

 アラン・ドロン主演 『外人部隊』・・・!
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by Tom5k | 2016-11-27 22:07 | 名誉と栄光のためでなく | Comments(4)