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『3 hommes à abattre(ポーカー・フェイス)』~アラン・ドロン・ウィズ・ジャック・ドレー~

 昭和60年代(1980年代半ば)頃には、一般家庭でもビデオデッキを設置して、その映像をテレビのディスプレイで鑑賞することが一般的な時代になっていました。
 更にその後、VHSがビデオ規格の標準となって、レンタル・ビデオが専門店化し、定められたレンタル料金とレンタル期間によって、自宅のテレビで映画を鑑賞する時代が、いよいよ到来したのです。
 そういった時代を迎えてのわたしにとってのこだわりは、やはりアラン・ドロンが出演している映画作品のレンタルビデオ鑑賞でありました。過去にテレビ放映で鑑賞していたものであっても、その放送時間に短縮編集されてしまっていたものがほとんどでしたし、日本語の吹替が当たり前の放映でした。

 また、わたし自身、彼の出演作品のテレビ放映自体を見逃してしまったものも多くありましたし、うれしいことに、テレビ放映されなかった作品や劇場未公開だった作品でビデオ化されていたものもありました。
 それらの作品を劇場公開時の編集のまま、完成した作品の姿のまま、その鑑賞が可能になったのです。わたしにとっては、至福の歓び・・・それは、それは、充足感を得られる時代の到来でした。
 昭和の終わりから平成の初めにかけての頃です。

 例えば、彼が出演しているにも関わらず未見であった『学生たちの道』(1958年)、『生きる歓び』(1961年)や、急いで学校から帰宅すると、すでに第二話が終わる直前で、泣き濡れたシャリー・マックレーンと口惜しそうに彼女の写真を破り捨てるアラン・ドロンのラスト・シーンしか観ることしかできなかった『黄色いロールスロイス』(1967年)など・・・。

 人気の低迷期に入ってしまい、日本ではそのほとんどが劇場未公開となってしまった作品も多くありました。
『Attention, les enfants regardent(ナイト・ヒート)』(1978年)
『Le toubib(未知の戦場/ヨーロッパ198×)』(1979年)
『Tegeran-43(テヘラン)』(1981年)
『Le choc(最後の標的)』(1982年)
『Le battant(鷹)』(1983年)
『Notre histoire(真夜中のミラージュ)』(1984年)
『Parole de flic(凶悪の街 刑事の勲章)』(1985年)
『Le passage(デーモン・ワールド)』(1986年)
【原題(   )内は、日本でのビデオ発売時の邦題】
など、など・・・。
 ただ、原作「アルマゲドン・メッセージ」まで読んだ『Armaguedon』(1977年)や『Dancing Machine』(1990年)、『Le Jour et la Nuit』(1997年)などは、ビデオ化すらされず、現在でもDVD化さておりません。ですから、残念なことに未見のままの作品です。

 そうしたなかで、最もわたしの関心を惹いた作品は、やはり日本未公開作品であった『3 hommes à abattre』(1980年)でした。

 今でも記憶に鮮明なのですが、無目的に「今日は何を観ようかな?」と、いつも職場からの帰宅途中に寄り道をしていたレンタル・ビデオ店「サンホームビデオ」内をぶらぶらと歩いていたときのことでした。突然、眼に入ってきたVHSビデオのパッケージ・・・そこには永年ファンであり続けていたアラン・ドロンが、実に精悍な表情のアップで写っており・・・そして、そのパッケージの標題には、

『ポーカー・フェイス/アラン・ドロン・ウィズ・ジャック・ドレー』・・・。

 眼を惹かれてしまったのは、「ポーカー・フェイス」という標題のスラッシュの後の「アラン・ドロン・ウィズ・ジャック・ドレー」の副題でした。

 何て懐かしい監督名・・・ジャック・ドレー、驚きとうれしさで、すぐにそのビデオ・パッケージを手に取ってみたのです。

 アラン・ドロンが出演していても、その作品が当たらなくなり、日本で公開されなくなってしまってからどれくらい経っただろう?でも、このように二人の映画制作が続いていた・・・わたしは深い感慨に耽ってしまいました。
【注】当時、実際には、もう7・8年も前に制作されていた作品だったのですが・・・。

 ジャン・エルマンでもなく、ジョルジュ・ロートネルでもなく、ドゥッチョ・テッサリでもなく、ピエール・グラニエ・ドフェールでもなく、そして、ジョゼ・ジョヴァンニでもなく・・・やっぱりジャック・ドレーと良きチーム・メイトとしてコンビを組んでいたことを知ったときの感激は、そのビデオ店内での出来事でした。
【注】1979年の『Le toubib(未知の戦場/ヨーロッパ198×)』は、ピエール・グラニエ・ドフェール監督との作品でしたが・・・。

 しかも音楽はクロード・ボランです。『ボルサリーノ』(1969年)、『もういちど愛して』(1970年)、『ボルサリーノ2』(1974年)、『フリック・ストーリー』(1975年)など、ジャック・ドレーやアラン・ドロンとは、気心の知れたジャズ・ピアニストです。映画作品の主題や時代背景にピタリと照応する彼の音楽的センスは、今更、説明するまでも無いことのようにまで思います。
 ジャック・ドレー監督の作品ではありませんでしたが、ロマ族の悲哀を描いた『ル・ジタン』(1975年)の哀感が漂うスキャットは素晴らしかった。

 ジャック・ドレー監督は、アラン・ドロンの盟友だったように思います。
 彼らが組んで創った作品は、古き良き時代の雰囲気を、そのまま現代に写し取ったようなクラシックなイメージで、かつアラン・ドロン単独主演ではなくて、他のフランスの人気スターと互角に共演した華やかな作品ばかりです。

 彼らの第一作目の作品は、デビュー間もない頃に婚約者だったロミー・シュナイダーを共演者に迎え、マルコヴィッチ殺害事件の真只中に殺人事件の完全犯罪をテーマした『太陽が知っている』(1968年)です。これは醜聞にまみれた本当にセンセーショナルでショッキングな作品でした。

 『ボルサリーノ』は、第二次世界大戦前のマルセイユを舞台にして、野心家のギャングたちを描きました。アラン・ドロンは、ライバルであり盟友でもあったジャン・ポール・ベルモンドを自社の作品に共演者として迎え入れ、プロデューサーとしても独自の「フレンチ・フィルム・ノワール」を生み出しました。
 また、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のプロデューサーとも称されていたラウール・レヴィを、彼の死の直後に共同製作者としてクレジットしていました。

 彼としては珍しい恋愛コメディ作品であった『もういちど愛して』では、婚約破棄したロミー・シュナイダーとの共演作『太陽が知っている』に続き、離婚したナタリー・ドロンとの共演を果たしました。私生活での女性遍歴の居直りを感じるエントリーでした。

 残念ながら、ジャン・ポール・ベルモンドとの共演は実現しませんでしたが、『ボルサリーノ2』は、「ヌーヴェル・ヴァーグ」を乗り越え、ハリウッド映画界への挑戦する意気込みを感じることのできる作品であったと解釈しています。

 『フリック・ストーリー』では、アラン・ドロンやジャン・ポール・ベルモンドとも人気を二分するほどの大スターであったジャン・ルイ・トランティニャンに自分の得意だったギャング役を預け、『リスボン特急』(1972年)以来の久しぶりの刑事役に挑戦しました。

 『友よ静かに死ね』(1977年)は、彼の単独主演でしたが、従来からの寡黙でニヒルな役作りから、エネルギッシュで若々しいイメージのギャング集団のボス役に挑戦しました。

【注】その後、二人が組んだ『Un crime』(1993年)と『L'Ours en peluche』(1994年)も、日本ではビデオ・DVD化されておらず、残念ながら未見のままの作品です。

 このように、ジャック・ドレー監督と組んだ作品は、アラン・ドロンにとって、超大物スターとの共演作品や私生活での醜聞を想起させるような作品が多く、「殺害事件」の参考人、「暗黒街の顔役」としての私生活、「過去に別れた女性」との共演など、彼のプライベートと映画作品の区別が曖昧なスキャンダラスでリアルなテーマや役柄の作品が目立ちます。
 また、その役柄も、それまでほとんど演じたことの無かった刑事や牧師、そして外見的にもオール・バックやカールしたヘアスタイルなど、役作りでも積極的に斬新なものに挑戦した作品ばかりでした。

 しかし、そんな野心ある挑戦に相反して、作風においては、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派の批評家たちから「シネマ・ドゥ・パパ」と蔑まされていた過去のフランス映画、いわゆる「良質の伝統」の作品に通じていた作品が多かったとも思います。
 どの作品も、新たな挑戦と同時に、フランス映画の伝統様式(スタイル)を守る彼の映画制作の姿勢のバランス感覚が整えられていた作品ばかりだったように思うのです。

 この副題の「アラン・ドロン・ウィズ・ジャック・ドレー」・・・私にとっては素晴らしい副題でしたが・・・ジャック・ドレー監督は、日本では、それほど一般的には知られていなかった監督だったとも思うのです。
 これが、「ルネ・クレマン・ウィズ・アラン・ドロン」とか、「ジャン・ピエール・メルヴィル・ウィズ・アラン・ドロン」、あるいは「ルキノ・ヴィスコンティ・ウィズ・アラン・ドロン」、せめて「アラン・ドロン・ウィズ・ジョゼ・ジョヴァンニ」なら、まだしも・・・「ウィズ・ジャック・ドレー」では、恐らく、当時のアラン・ドロンのファンでもピンと来なかったのではないでしょうか?
 説得力のあった客層は、わたしのようなアラン・ドロン【オタク】くらいなものかと・・・。案の定、その後にDVD化されたこの作品の標題には、副題「ウィズ・ジャック・ドレー」が削除され、単に『ポーカー・フェイス』となっています。

 また、そのとき、そのビデオ・パッケージの裏側にあったコメントの冒頭部位にも、わたしの眼は釘付けになりました。

【絶対に幸せにならない男がいる。自由っていつだって孤独なものだ。どんなにハッピーな役を演じたって、どこか悲しげに見えてしまう。・・・・】

 何ともファンの琴線に触れる文章表現ではありませんか?
 わたしとしては、
≪ジャック・ドレーとのコンビで、このコメント・・・、この作品は観ないわけにはいかない。≫
と瞬時に思ってしまいました。

 この日は迷わず、この『ポーカー・フェイス/アラン・ドロン・ウィズ・ジャック・ドレー』をレンタルして帰宅したのです。地域によっても異なっていたと思うのですが、当時のビデオのレンタル料金は、旧作でも500円はしていたでしょうか?


 さて、作品ですが、さすがジャック・ドレー監督の演出は職人気質で、本当に丁寧に上手に創られています。
 特にラスト・シークエンスでの遠景のアラン・ドロンを撮っているズーミングなどは、標的とされている主人公への不穏な予兆を感じさせるために、ズームであるが故の静寂をズームレンズの微妙に不鮮明な映像とともに活用し、サイレント作品のような描写で表現した素晴らしいショットでした。
 わたしは、現在の技術レベルの高い鮮明なデジタル映像では決して表現しきれない、実に映画的なショットだったと思っています。

 また、クロード・ボランのテーマ曲も過去の作品と全く異なり、クールでもの悲しく、ミステリアスな特徴を備え、この作品の雰囲気やテーマにマッチングしているものでした。

 そして、過去の彼の作品を想い出しながら、懐かしい気持ちで鑑賞することもできました。

 アラン・ドロンは未婚で財産も無い一匹狼のギャンブラーに扮しています。『危険がいっぱい』(1963年)以来ではないでしょうか?
 独身貴族を気取っている中年男性が愛する女性と自由気ままに生活している主人公の設定は、『チェイサー』(1978年)と同じです。恋人を母親に紹介するシチュエーションでは、『ビッグ・ガン』(1973年)が思い出されました。
 自分が知らない間に事件に巻き込まれてしまう序盤の恐怖感覚は、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『悪魔のようなあなた』(1967年)、あるいはジョセフ・ロージー監督の『パリの灯は遠く』(1977年)でのアラン・ドロンでした。
 中盤以降、見えない大きな巨悪組織に挑む彼の精悍な様相は、友人のために身銭を切って闘う硬質なヒーロー像を演じた『チェイサー』との共通項で括られると思います。

 この作品が制作された1970年代後半以降、1980年当時、アラン・ドロンは日本での人気全盛期は終えていましたが、自国フランスでの評価は決して低いものではありませんでした。

 日本映画を中心に日本文化にも造詣が深いフランスの映画評論家マルセル マルタン氏は、『フランス映画1943~現代』(村山匡一郎 訳 合同出版 1987年6月発行)の「スター・システム」の項目で、フランス映画のスター・システム、つまり大衆的な人気スターたちの才能に負っているフランス映画の状況について、ジャン・ポール・ベルモンド、ミシェル・ピコリ、イヴ・モンタン、カトリーヌ・ドヌーブ、ジャンヌ・モロー、ロミー・シュナイダーなどを挙げながら、

【一九七〇年代における社会的神話の二つの面を体現するものとして、アラン・ドロンとアニー・ジラルドの二人がスターのなかでもとりわけ大スターであることを強調しておきたい。】

として、アラン・ドロンのことを

【「サムライか大天使のごとく、(彼は)今日の実験を牛耳る政治屋や利権屋の世界の周辺を徘徊し」(『個人生活』、『チェイサー』)、「一九七八年の、萎縮し、不安に満ちた、冷え冷えとしたフランスに、(彼は)男性的ヒーローのイメージを提供する」。】

と評価しています。

フランス映画 1943~現代

マルセル マルタン / 合同出版



 アンチ・ヒーロー的なヒーローで、絶大な人気を日本で獲得した彼は、その役割を終えて当時のフランスで、闘う正義のヒーローとして活躍しようとしていたのかもしれません。

 わたしは、『ル・ジタン』で、ロマ族の主人公ユーゴ・セナールを演じたアラン・ドロンと強盗仲間の相棒達ジョーやジャックとの会話を思い出しました。

>ユーゴ・セナール
俺たちの幸せは他人まかせだ 何ひとつ自由がない それを思うと腹が立つ みんなで騒いだらどうなるかな
>ジャック
それが革命だよ
>ユーゴ・セナール
革命は戦争みたいなもんだ 俺のはちがう
>ジョー
何だい
>ユーゴ・セナール
わかるまい

 『ボルサリーノ2』、『アラン・ドロンのゾロ』(1974年)、『フリック・ストーリー』を経て、この『ル・ジタン』制作時に、すでにアラン・ドロンのイマジネーションには、『チェイサー』で完成させた自らのヒーロー像が存在していたのではないでしょうか?

 『3 hommes à abattre』でも、やはり、彼はどんな恐喝や誘惑、暴力にも屈しない屈強な男性像を体現しています。『チェイサー』以降の自国フランスでも人気スターとして認められていた新しいアラン・ドロン像だったのでしょう。

 しかしながら、この作品のラスト・ショットに、わたしは大きなショックを受けました。
 久しぶりに観た彼の十八番、人気全盛期の【死の美学】、すなわち主人公の非業の死を結末としたものだったのです。
 確かにそれは、彼の全盛期の『サムライ』(1968年)や『シシリアン』(1969年)、『ビッグ・ガン』などを彷彿させるものではありましたが・・・勇敢で硬質な正義のヒーロー像が定着した今となっては、かつての悲劇的ヒーロー像は似つかわしくなくなっていたはずなのに・・・。

【どんな悪の誘いにも暴力にも屈しないというところに男気を感じさせ、ドロンが一貫して演じてきたものがそこにある。それだけいっそう苦い結末に心が残るのだが、そうした一匹狼的な生き方が困難になってきた現実を突きつけられたようなラストであった。】
【「ポーカーフェイス」(パイオニアLDC)DVDライナーノーツの解説より】

 わたしは察します。この時代のアラン・ドロンも相変わらず、闘わなければならない何か凄まじく大きな敵と、人知れず必死に格闘をしていたのではなかろうかと・・・。

 映画の断片から読み取れるそうした彼の闘いがどんなものであったのか、そんなことに食指を動かされてしまうこともファンとしての性(サガ)なのかもしれません。
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by Tom5k | 2012-09-12 00:01 | 3 hommes a abattre | Comments(4)