『Astérix aux Jeux Olympiques(アステリックス・オリンピックへ)』~フランス映画の危機~

 2011(平成23)年8月18日・19日付け両日に渉り、札幌市出身のフランス在住映画ジャーナリストの林瑞絵氏の「フランス映画はどこへ」(上・下)と題したフランス映画に関わるコラムが北海道新聞(夕刊)に掲載されました。
 わたしは、林瑞絵氏が著した花伝社発行『フランス映画どこへ行く ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて』は未読なのですが、このコラムから、「映画」の危機的状況が、かの映画大国フランス映画にまで進んでしまっていることを知り、少なからずショックを受けています。

フランス映画どこへ行く―ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて

林 瑞絵 / 花伝社



 2011(平成23)年8月19日付け北海道新聞(夕刊)「フランス映画はどこへ >上」によると、1959年のアンドレ・マルロー文化相時代に、フランス国内の映画への助成制度が整備され、その振興施策が現在の安定基盤として機能していることを前提にしながらも、近年の映画産業の衰退傾向が顕著であることを危惧し、そのマイナス要因に言及しています。

 ところで、アンドレ・マルローは、第二次世界大戦中にレジスタンス運動に身を投じた経験を持ち、フランス国内では作家としても活躍していた多彩な人物です。
 わたしのブログの盟友である「良い映画をを褒める会。」の用心棒さんがブログ記事『希望 テルエルの山々』(1939)スペイン内戦を間近で見たアンドレ・マルロー唯一の監督作品。』で取り上げているように、『希望 テルエルの山々』で、映画監督を務めたこともあります。

希望 テルエルの山々

アンドレ・マルロー / アイ・ヴィー・シー



 また、彼がシャルル・ドゴール政権下で長期間にわたって文化大臣を務めていた時代には、ルーブル美術館の所蔵品などを世界にプロモーションしたり、ミロのヴィーナスを海外に貸し付けたりするなどして、フランスが芸術的に特化している国家であることを文化施策に反映させていった功績があり、それは大きく認められています。

 しかしながら、1968年2月、フランス政府の意向を受け、突如、フランス映画のフィルム・アーカイブである「シネマテーク・フランセーズ」や「映画博物館」の創設者でもあるアンリ・ラングロワを、シネマテーク・フランセーズの事務局長の職から解任した「ラングロワ事件」は、国際的にも大きな波紋を起こしました。
 アンリ・ラングロワは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動への影響を初めとして、積極的な映画文化施策によって、当時のフランス映画界を通じて国際的にもに大きく貢献していたため、アンドレ・マルローのこの判断には賛否の両論があるようです。

アンドレ・マルロー伝

中野 日出男 / 毎日新聞社



 さて、フランス映画界の状況に戻りますが、林瑞絵氏は、古くからフランス映画の愛好家が多かった日本においてさえ、配給会社の買い付けの縮小が顕著となっていることなどを挙げ、その衰退状況を例示していきます。

 1985年、フランス社会党ミッテラン政権下のジャック・ラング文化相は、テレビの普及に伴って客足が遠のいた映画産業への救済措置を図るため、映画振興を目的とした資金繰りへの取組みとして、テレビから映画への出資義務を法整備しました。
 しかし、このことによって、テレビ業界の発言力が強くなり過ぎ、テレビ放映を前提とした映画への資金援助が露骨になっていった変遷など、当初の目的と大きく乖離していったことを映画衰退の大きな問題点としているのです。
 フランス映画はジャンルの一般化・固定化に陥り、テレビが映画の演出方法やシナリオ、出演俳優などにまで影響力を持ったために、その独自性が否定されていった経緯を、林瑞絵氏は、「映画は「外で見るテレビ」に成り下がった」とまで結論付けています。
 確かこの頃、フランス映画の代表格のスター女優であったジャンヌ・モローが、自国フランス映画の弱小傾向に関わって政府批判をし、その意見が大きく話題になっていた記憶があります。

 また、映画産業の効率性を追求していく時代の流れは、ハリウッドの映画産業のみならず、良質のメディア文化を量産してきた映画大国フランスでさえ、複数館のシネマコンプレックスによる安定したヒット作品を量産する傾向の集客主義が現状となってしまっているそうです。
 作品の質よりも、宣伝効果による安定したヒット作品を重視する傾向に陥ってしまったフランス映画を批判的に分析しています。

 そして残念なことに、2008年にアラン・ドロンが、久しぶりに出演した映画作品であるアステリックスシリーズ第3作目、『Astérix aux Jeux Olympiques(アステリックス・オリンピックへ)』が、その最も典型的な悪例として紹介されているのです。

Astérix aux jeux Olympiques

René Goscinny /



 これは、フランスの人気コミック漫画シリーズを原作として映画でもシリーズ化され、ジェラール・ドパルデューが全作品を通算して出演しています。

Asterix Aux Jeux Olympics

Rene Goscinny / Dargaud Intl Pub Ltd



 1999年にクリスチャン・クラヴィエ、ロベルト・ベニーニが出演した第一作品目の『Astérix et Obélix contre César(アステリックスとオベリスク)』は、日本では横浜で開催された第7回フランス映画祭で上映され、モニカ・ベルッチが出演した2002年の第二作品目『ミッション・クレオパトラ』は、日本公開となりました。

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 そして、2012年には、第四作品目『Astérix et Obélix : Au service de sa Majesté』が、エドアール・ベール、ファブリス・ルキーニ、カトリーヌ・ドヌーブ、ジャン・ロシュフォール、ヴァレリー・ルメルシェが出演して製作される予定だそうです。

 アラン・ドロンが出演している『Astérix aux Jeux Olympiques(アステリックス・オリンピックへ)』は、現在のところ、各配給会社の動向でも日本公開の予定は無いようですが、フランス映画史上最大の製作費101億円を投入し、ヨーロッパ40ヶ国、5,000ヶ所の映画館で公開された超大作です。その製作費は、25%を宣伝費用とし、公開1週間目で300万人以上の集客実績を上げ、年間第二位の記録を打ち立てました。

 林瑞絵氏は、現在においては映画の資金集めにはこのような大作の投資的プロデュースが最も効果的であると悲観しています。

 また、フランスは、国家を挙げて映画芸術家の育成に力を入れており、「国立映画フェミス」という映画作家の養成機関を設置しています。しかし、その結果にはマイナス面も多く、エリート意識の強過ぎる映画作家たちの育成によって、低予算の作家映画の乱発を促している現状が発生してしまっています。
 その作家映画の特徴には、かつて世界中の映画創作に影響を与えた「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動の負の遺産ともいえる極端な脚本軽視と自己表現の重視などが引き継がれており、それは商業映画のマーケットとは無縁で、大衆と映画との乖離を一層招いてしまっているそうなのです。

 このような諸状況は、映像文化、メディア文化のテレビ局主導による弊害が顕著になってきている一方で、超大作と作家映画の二極分化のサイクルを生んでしまっていると指摘しています。

 総じて、フランス映画の現状は、

「援助システムばかりを当てにする日和見主義的なプロデューサー」
「徒党を組んでばかりの批評精神を忘れた批評家」
「感性を遠隔操作された観客」

など、負のスパイラルであると両断し、

「不評助長する負の連鎖」

の副題を用いて危機を訴えているのです。


 かつて、「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動は、旧フランス映画「詩(心理)的レアリスム」の体質を徹底的に批判していったわけですが、その商業映画と映画芸術との矛盾は、後年においては良い意味での転嫁が図られてもいきました。

フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、エリック・ロメールなどの作品が、旧時代の作風に回帰していったこと、
ジャン・リュック・ゴダールの自己批判による商業映画への復帰、
「ヌーヴェル・ヴァーグ」の俳優であったジャン・ポール・ベルモンドやジャン・ルイ・トランティニャン、ミシェル・ピコリなどの「人気映画スター」としての脱皮、
旧世代を受け継いだ商業映画の典型的な人気スター、アラン・ドロンの「リアリズム映画」への取組み

など、フランス映画両極の相互間での融和や刺激により、結果的には活性化に結びついていった映画史的経緯があったと、わたしは考えているのです。

 その最も典型的な作品が、1990年、ジャン・リュック・ゴダールが監督し、アラン・ドロンが出演した『ヌーヴェルヴァーグ』であったと、アラン・ドロンのファンとしてはフランス映画を総括的に捉えていました。しかし、昨今のフランス映画の裂け目が、このような救いようのない状況にまで悪化していることを知って、わたしは、更に強いショックを受けてしまいました。

 しかも、その一極に位置する典型的な作品として例示されている『Astérix aux Jeux Olympiques(アステリックス・オリンピックへ)』に、アラン・ドロンが出演していることを鑑みれば、行く行くは彼の出演作品としても、映画史の採決に晒されていくことは避けられないことだと考えざるを得ません。

 現段階で、その映画史的結論を提示することは、極めて困難なことであるのですが、アラン・ドロンは出演時には既に72歳という高齢で、しかも、1998年には、パトリス・ルコント監督で、盟友ジャン・ポール・ベルモンドと共演した記念碑的作品『ハーフ・ア・チャンス』で引退声明しているわけですから、この作品への出演には、なおさら一考を要することを痛感してしまうのです。
 新しいフランス映画界の矛盾に対して、アラン・ドロンは、どのような意志を持って、『Astérix aux Jeux Olympiques(アステリックス・オリンピックへ)』に出演することを判断をしたのか、これは相当の大きな意味を持つものであると思います。

 翌日の2011(平成23)年8月19日付け北海道新聞(夕刊)「フランス映画はどこへ >下」では、2006年『レディー・チャタレー』を監督したパスカル・フェランが、セザール賞最優秀賞を受賞した際のスピーチで「富める者はさらに富み、貧しい者はさらに貧しく」とフランス映画の現状を指摘したことが取り上げられています。

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 彼女は、「大作=大衆映画」「低予算映画=芸術映画」以外の製作費3億9千万円から10億4千万円程度のフランス映画最良の製品マークだった「中間映画」が激減し、危機に瀕していると訴えました。
 その後、彼女は、問題意識を共有する映画人たちと「13人のクラブ」というグループを結成し、『中間はもはや橋ではなく、断絶だ』を出版しました。
 彼らは、フランス政府の文化行政に対して、テレビ局やシネマコンプレックスといった大手ばかりに有利に働く援助システムの抜本的な改革を求めました。現在、諸事情によって、その文教施策への反映は据え置きとなったままだそうですが、本活動の賛同者は300人を超え、映画業界は連帯意識の醸成に効果を挙げているそうです。

 彼らの具体的な成果として、2008年カンヌ国際映画祭では、ローラン・カンテン監督の『パリ20区、僕たちのクラス』がパルム・ドール賞を受賞したこと、2009年のジャック・オディアール監督『ある予言者』、2010年のグザヴィエ・ボーヴォワ監督『神々と男たち』が、次点の銀獅子(審査員特別)賞を各年連続受賞したことを挙げています。
 しかも、これら3作品はテレビ局の悪影響を受けず、予算的にもいわゆる「中間映画」として位置づけられる作品でありながら、フランス本国で100万人を超える集客記録を残すことができたそうです。

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 なお、『Astérix aux Jeux Olympiques(アステリックス・オリンピックへ)』の監督兼プロデューサーであるトマ・ラングマンの製作したミッシェル・ハザナヴィシウス監督の『アーティスト』は、いわゆる「中間映画」の費用10億円でプロデュースされ、脚本を基本に据えたコメディだそうで、カンヌ国際映画祭においても、主演のジャン・デュジャルダンが最優秀主演男優賞を受賞したそうです。

 林瑞絵氏は、最後にパスカル・フェラン監督の「13人のクラブ」運動が、このトマ・ラングマンをも改心させたことがあったのだろうか?との希望的な想いを綴ってこのコラムを締めくくっています。


 このような混沌としたフランス映画界の現状のなかで、アラン・ドロンは現在、舞台を中心に活躍の場を拡げている模様ですが、今後、彼が映画産業、あるいは映画芸術にどのように関わっていくのか、高齢とはいえ、その映画スターとしての存在と魅力には、まだまだ多くの影響力が健在であるはずです。
 そんなことにまで考えが及ぶと、彼の動静を見守っていくことに好奇心が沸き立ってしまうことは、ファンとして抑制できることではないのです。

 それにしても、何とも複雑で奇っ怪、ユニークで面白いフランス映画界であり、過去のフランス映画史から、現在の状況を紐解く作業のなかでアラン・ドロンを理解していくことは、何と壮大で、果てしなく大きなスケールが必要なのでしょうか。

 そして、やはりアラン・ドロンは、過去のフランス映画界において、相対峙していたジャン・リュック・ゴダール監督と撮った『ヌーヴェルヴァーグ』での経験や、

師のひとりであったルネ・クレマン監督の言葉を、決して忘れてはいないはずだと、わたしは思ってしまうのです。

「『ヌーヴェルヴァーグ』ですごいと思うのは、ゴダールのような左翼とドロンのような右翼とが、互いに衝突しあうこともなく、一緒に仕事をすることができたということです。」(フィリップ・ガレル)
【『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン1 30年前から、ゴダール!』 フィルム・アート社、1991年】

「コミュニストだろうと、ド・ゴール派だろうと。私にはすべてレジスタンスの同志であった。私の会ったこの時代の責任者の人たちはすべて、彼ら同士お互いによく理解しあっていた。どちらが主導権を握るかで若干のアツレキがあったにせよ・・・・」(ルネ・クレマン)
【引用 『海外の映画作家たち 創作の秘密(フランス編 ルネ・クレマン)』田山力哉著、ダヴィッド社、1971年】
海外の映画作家たち・創作の秘密 (1971年)
田山 力哉 / / ダヴィッド社
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by Tom5k | 2011-09-07 02:03 | Asterix aux Jeux Oly | Trackback | Comments(8)