『危険なささやき』~超人気スターの全盛期を終えて~

 わたしが、『危険なささやき』を映画館で鑑賞したのは、大学2学年の1983年11月頃のことでした。
 『危険なささやき』は、確かに面白い映画でした。「フレンチ・フィルム・ノワール」の体系に位置させることが、可能か否かは微妙な作品ですが、原作は、ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラーのハード・ボイルド小説のように私立探偵を主役に据えた捜査プロットで構成され、ハードなアクションを基本にした非常に魅力的な犯罪映画です。また、原作者のジャン・パトリック・マンシェットは、1970年代のフランスでの新しい暗黒小説のグループ「若き狼たちの時代」に帰属し、セリ・ノワール叢書で活躍していた作家です。 

 音楽においては、パリの風景、凱旋門やエッフェル塔を背景に、アラン・ドロンのバイク(カワサキのマッハでしょうか?)での走行の冒頭シークエンスに、ロシアの作曲家ニコライ・リムスキー=コルサコフの原曲「Flight of the Bumblebee(熊蜂の飛行)」が、ニール・ダイヤモンドのアレンジ曲で挿入されています。

 歴史ある伝統的なパリの光景を大型バイクの疾走シーンとマッチさせる映像に、古典的な音楽を現代風にアレンジしてインサートすることで、映像と音楽を一致・照応させる方法への応用が、確かに成功しています(この曲は、ラフマニロフのピアノ曲への編曲から始まり、数え切れないほど多くの音楽ジャンルに渉って演奏されておりますが、わたし個人としては、ベンチャーズの「バンブル・ビー・ツイスト」が最も安心して聞けるアレンジです・・・)。

オーケストラ名曲集3@〔リムスキー=コルサコフ;熊蜂の飛行/J.シュトラウス;「こうもり」序曲□他〕

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熊蜂の飛行~ラフマニノフ編曲集

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You Don't Bring Me Flowers

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 更に、作品の随所に挿入されているブルースの曲調も作品の映像と照応しており、独特のノワールの味わいを随時、シークエンス毎に醸成しています。

 また、共演者もリュック・ベッソンと出会う前のアンヌ・パリローの発見、ジャン・コクトー監督の『美女と野獣』やジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『アンリエットの巴里祭』、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督の『情婦マノン』、ルネ・クレマン監督の『海の牙』などで活躍していた往年の旧世代の名優、ミッシェル・オークレールです。新旧の名優に囲まれた凄いキャスティングだと思います。

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 彼が初めての演出した記念碑的作品での制作にあたっては、このように申し分のない条件を整備することができています。
 そして、映画として構成が、新しいものと古いものとを同時に描き出し、それらの葛藤が、良い意味で衝突し合って、活き活きとしたエネルギッシュで躍動的な作品となっているのです。
 映画監督としてのアラン・ドロンの演出テーマの特徴が、ここに発揮されています。
 
 また、スターとしてのアラン・ドロンも、自身の内面に古き良き時代のクラシカルな感性と、新しい時代の近代性を合わせ持った俳優でした。

 そして、やっぱり・・・主演しているアラン・ドロンは素敵な俳優でした。


 しかしながら・・・わたしは、その二年前に、『山猫』(イタリア版ノーカット版)や『若者のすべて』(ノーカット版)を、すでに映画館でのリバイバル公開時に鑑賞してしまっており、「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スターのみならず、アラン・ドロンの映画俳優、演技者としての資質の素晴らしさに気づかされてもいました。
 ですから、当時において、本当に正直な感想を言えば、ルキノ・ヴィスコンティ一家の名優「アラン・ドロン」は、何故、このような駄作『危険なささやき』を臆面もなく制作・演出してしまったのか・・・という疑問も拭えなくなっていた時期でもあったのです。

 かつて、ジュリアーノ・ジェンマがイタリア製西部劇の量産のなかで生まれたアイドル・スターであったように、チャールズ・ブロンソンが、ハリウッドのアクション映画での大スターであったように、アラン・ドロンは、「フレンチ・フィルム・ノワール」の流行のなかで量産された商業的な作品のみでのスターであった・・・のでしょうか?
 確かに、そのような側面から見れば、「アラン・ドロン」というキャラクターを正確に言い当てており、それが客観的な評価であることもわかります・・・もちろん、そのこと自体が単純に否定されるものでもありません・・・。

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【>今回のシネマテークでのオマージュはある種の調停というか折り合いをつけるものではないかと思っていたのですが・・・
>アラン・ドロン
良かれ悪かれ自分がして来たことには忠実だと思う。(-中略-)自分とは調和がとれた方だと思っている。人についてはあれこれ言えるだろうが、役者についての不当な発言を私は好まない。ジャン=ルイ・ボリーがどの映画についてかは忘れたが、こんな事を書いていた:「ドロンは歯ブラシのように拳銃を持つ!」ってね。彼は私について何でも言えたろうが、あれは酷い(笑)特定の作品を嫌うのも、役者の私を嫌うのも彼の自由だ。しかしああいう類の事を書くのは別だろう。笑ってしまうが、これでは人間は成長しない・・・批評もいいが、でもそれは公正であるべきだろう。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/1 「回想するアラン・ドロン:その1(インタヴュー和訳)」


 確かに、アラン・ドロンは、映画スターとして、例えば、グレタ・ガルボ、ハンフリー・ボガード、マリリン・モンロー、ジェームズ・ディーン、オードリー・ヘップバーンのように、どの時代においても、その大衆の求める魅力を最大限に発出している普遍的なスター・キャラクターとは言えないのかもしれません。映画スターとしての普遍性とは、伝説とか神話とまで比喩されるレベルのものです。

 アラン・ドロンのファンとしては悲しく厳しい現実なのですが、極論すれば、「アラン・ドロン」は、今の時代には、すでに忘れられてしまったキャラクターのようにまで思ってしまうのです。

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 何故、あれだけ、大衆に支持され長期間に渉って超人気スターで在り続けた「アラン・ドロン」が、神話的・伝説的キャラクターとなりえなかったのか?

 ひとつには、1960年代から70年代に架けての一般大衆の社会的要求の尺度、すなわち、当時の反社会的なアンチ・ヒーロー的なヒーローとしての理想的な在り方としては、「アラン・ドロン」主演作品の死の美学のテーマ表現とは合致していましたが、1980年代以降には、それらがあまりに懸け離れてしまった・・・ことが挙げられるように思います。
 アラン・ドロンは、戦後の復興が落ち着いてからの高度成長の時代、その歪みから発生していた社会矛盾における大衆の不満や欲求を代弁するキャラクターによって、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品に出演し続け、凄まじい超人気スターとなっていったわけですが、残念ながら、それは、"限定的期間の範囲内の理想"のみを表現するに留まっていただけだったとも考えられます。
 映画スターが神話・伝説とまでになるには、時の社会情勢に応じたものは必要ですが、その美しき肉体的外観、あるいは大衆の精神的理想が、時代を超える普遍性を伴い、それらを含めて最も美しく体現されていなければならないように思うのです。

【ドロンはギャバンとはちがいさまざまな異質なヒーローを演じながら、ドロン=ヒーローとして一貫性をもっている。彼は舞台経験がほとんどないだけに、かえってそういう芸当もできるのである。またそういう自信には一時代まえのギャバンの自信とはちがった近代性がある。TVコマーシャルにでても一向平気なのもそのためだ。】
【引用~「ユリイカ詩と批評1976年6月号~特集映画ヒーローの条件」(映画におけるヒーローと俳優 主としてフランス映画の場合 飯島正)】


 もしかしたら、アラン・ドロンは現役のスター俳優として長きに渉り活躍し続けてしまったために、年齢や経験からの彼の精神環境や社会的な立場、地位等の変化などから、大衆の理想美をスター俳優として表現することのできる資質や実力を失してしまったのかもしれません。また、若い頃のように、それを引き出すことの出来る演出家や周囲の映画関係者にも恵まれなくなってしまったようにも思います。

【70年代のはじめから、彼の映画にはマンネリの影がちらつくようになっていったが、そんな彼の人気を救ったのが、紳士衣料品ダーバンのコマーシャル・フィルムだった。(-中略-)アラン・ドロンの新しい人気はコマーシャルによって作られ、また、商品のほうも、彼の人気によって売れゆきが飛躍的に伸びたと言われている。
 しかし、そのコマーシャルも終わり、日本では「エアポート’80」(79年)から彼が初監督を手がけた「危険なささやき」までの2年間に作られた作品は未公開のままになっている。そのあとの作品の公開予定もほとんどたっていないようだが、映画作りだけは順調に進んでいる。
 「危険なささやき」を見る限り俳優アラン・ドロンは健在だ。トム・リプレイは卑屈さを捨てて大スターの風格を持つことに成功した。
 でも野心は相変わらずそのままで、ハリウッド征服の野望も消えていないように見える。彼にはまだこれからやりたいことがいくらもあるのだろう。ただし、これから演りたい新しい役などはなくて、同じような役を演りたがっているように見えてしまうのが、ちょっとツライところである。】
【参考「キネマ旬報1983年12月上旬号No.874「危険なささやき」アラン・ドロン華麗なる変遷(アラン・ドロンの25年)」渡辺祥子】


 しかしながら、彼は映画俳優としては、映画史の上でも堂々と例示されるような極めて優れた作品に多数出演していることも、紛れもない映画史実です。
 これは、アラン・ドロン自身の個性・キャラクター、そして才能や経験によるものであることは、もちろんですが、それを引き出した彼の周囲の映画作家や映画技術者の力量や、彼らと邂逅できた運気の強さ、彼の自己実現への強い願望達成能力などにより、映画俳優・スターとしてのすべての条件が好転的に揃っていった結果でもあったのでしょう。

【>アラン・ドロン
(-略)ヴィスコンティ、クレマン、メルヴィルにロージー:私のキャリアは正にそれだよ。その後にもいくつかの出逢いはあった:1964年のアラン・カヴァリエ(さすらいの狼)、ブリエにレネ・マンゾールの「デーモン・ワールド」のような監督第一回作品もあったね。ベルニュイユやドレー監督と撮った10本も映画も否定するつもりは全くないよ。どの作品も収めるべき場所があるんだ。ヴィスコンティがこう言ってた:「キャリアを築くのは、建築のようなものだ、基礎工事が肝心だとね。」私の基礎は、ヴィスコンティ、クレマン、メルヴィルにロージーだね。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18 「回想するアラン・ドロン:その6(インタヴュー和訳)」

【>アラン・ドロン
(-略)自分が撮りたい物を撮り、撮りたい人と撮った。映画を作って、仲間内でしか見なかった訳じゃない、お客さんに見せたくて公開してたんだ:それが面白くなかったんだろう!そうした独立心は高いことついたね:私は何も出来ない人間に対してマージナルな存在だったんだ。それで散々揶揄された:「ドロンによるドロンのためのドロンの映画、主演ドロン、ドロンがドロンについて書いた脚本」私はそんな映画は一本だって撮ってない!『危険なささやき』では監督もした、それがどうだって言うんだ?ジャック・ドレーとも10本撮ったよ・・・人に仕返ししてやろうと思ったこともないし、自分のやり方で自由にやって来ただけなんだ。(略-)】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/1 「回想するアラン・ドロン:その1(インタヴュー和訳)」

 多くの映画ファンにとって、大好きなスターの出演している作品には強い想い入れが生まれます。誰しも、もちろん、わたしにとっても、好きな映画俳優・スターが出演していれば、例え映画的に劣った作品ではあっても、そのような作品は自分にとっての"永遠の名作"となり、その極端な擁護に走るのは当然です。そういった「スター・システム」による映画スターの役割を充分に熟知したうえでの述懐のように感じます。

 そして、恐らくこれらは、アラン・ドロンが自ら出演・製作した作品への格付けを前提としながらも、自らのどの作品においても映画史的な意味合いがあることを確信していることからの発言だと思います。・・・どの作品も収める場所がある・・・映画史の体系に、彼のどの作品もが価値ある在り方で存在することは、このような本人の分析のとおり間違いのないことのように思うのです。
 それは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」によって、徹底的に批判されてしまった旧時代の「詩(心理)的レアリスム」の作風を自社アデル・プロダクションによって製作し継承し続けたアラン・ドロンの自負から生まれた自己主張であったのかもしれません。

 また、これらのアラン・ドロンの発言で、わたしが特に注視してしまうのは、やはり「-私の基礎は、ヴィスコンティ、クレマン、メルヴィルにロージーだね。-」なのです。
 何にでも基礎や基本があり、本当の意味での良質の域に達するためのプロフェッショナルとしての果たすべき役割りは、そのとき与えられた、あるいは苦労の末に勝ち得た業務を、本当の意味での「良い仕事」にしていくことでしょう。そのような仕事の苦労は、一生涯の中で誰しもが一度以上は経験すること、したことがあると思いますから、それが、血の滲むような努力から、ようやく達成できる結果であることは容易に想像できます。

【この映画(注~『若者のすべて』)以後ドロンは一躍、国際的なスターとなって、劇場側が歓迎するぺてん師やギャング役を演じる映画に次々と出演した。したがってロッコを演ずる彼を見ていない人には、ヴィスコンティの厳しい指導に耐えて彼がこの役で演じ切った、ほとんど輝くばかりの愚直さと、悲哀と、しんの強さを想像するのはむずかしいかもしれない。】
【引用~『ルキーノ・ヴィスコンティある貴族の生涯』モニカ・スターリング著、上村達雄訳、平凡社、1982年】
ルキーノ・ヴィスコンティ―ある貴族の生涯 (1982年)
/ 平凡社





 アラン・ドロン自身の言葉にも、『ポーカーフェイス』と『パリの灯は遠く』の区別について、言及しているものや、「映画の見方を知って欲しい」というインタビュアーの彼への同調、役者の役つくりの苦労を知って欲しいと彼のマスコミへの高い要求もあります。

【>ロージー監督と撮った2本の作品『暗殺者のメロディ』と『パリの灯は遠く』を再見すると、 出来栄えがかなり違いますね。
>アラン・ドロン
『パリの灯は遠く』はその主題に感心させられるからだろう。

>それだけではないと思います。脚本を読んだだけなら、こんな人物を演じられるのは誰だろうと思いますよ。
>アラン・ドロン
そう言ってくれて嬉しいよ、ありがとう!そんな事を言ってもらったことはなかったね。『真夜中のミラージュ』でセザール賞を受賞したのはとても嬉しかった。でも『パリの灯は遠く』では映画とは全く無関係な理由でカンヌ映画祭で主演男優賞をもらえなかったのには傷ついた。私にとっては、何にもまして重要な作品だったんだ。あの年の男優賞を誰が取ったのかもう誰も覚えていないだろう・・・『パリの灯は遠く』と『ポーカー・フェイス』の区別さえしないマスコミを恨んだよ。『パリの灯は遠く』は、私の顔では、大胆な演技が要求されたのにね。役作りに腐心した人物だったんだ!

>あなたはスターで、あの作品は実在の人物ではない役柄との出逢いだった訳ですね。
>アラン・ドロン
その通りだ。20年経った今だから言うが、あの作品は私の意志があったから存在した作品なんだ。フランコ・ソリナスがコスタ・ガブラスのために書いた作品だったんだが、ガブラスはやりたがらなかった。ノルベール・サーダがロージにシナリオを読ませてくれと私を拝み倒したので、彼は電話でよし、"I do that film!" と言ってくれた。主役のクラインは君が演じるのだろうと聞かれたので、もちろんだと答えたよ。それであの映画の製作を買って出た。忘れられないね。感謝やお世辞を言って欲しいんじゃない、だだ少なくとも・・・

>映画の見方を知ってほしい!
>アラン・ドロン
役者が役つくりに苦労したこと位は、認めてほしいね!(略-) 】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18 「回想するアラン・ドロン:その6(インタヴュー和訳)」


 確かに、「アラン・ドロン」キャラクターは、普遍的な大衆の要求に届くまでには至らず、現在においては、すでに忘れられてしまった存在かもしれません。しかし、彼の映画俳優としての多くの業績は、映画俳優史において覆ることは決してあり得ないのです。

【>アラン・ドロン
イライラしたジャーナリストがこんな事を言ったこともある:「フランス映画界にドロンは存在しない」私はフランス映画界に自分の居場所があると思っていたのにね。それは私とは別に存在しているものだ。私も怒ってこうジャーナリストたちに言ってやった。私を殺せても、『若者のすべて』『山猫』それに私のヴィスコンティ時代、メルヴィルやロージーの作品は消せないだろうとね・・・】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/1 「回想するアラン・ドロン:その1(インタヴュー和訳)」
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by Tom5k | 2010-07-30 00:55 | 危険なささやき | Trackback(2) | Comments(5)