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『ボルサリーノ2』~「ハリウッド」へのこだわり、「ヌーヴェル・ヴァーグ」を乗り越えて~

 「フレンチ・フィルム・ノワール」は、ハリウッドのいわゆる1930年代の「ギャングスター映画」、1970年代以降の「アクション映画」などを、フランス映画特有のノワール的傾向に加工していることなどもあって、1940年代から50年代にハリウッドで量産された「フィルム・ノワール」よりも広い範囲でのジャンルに定義できるように思います。
 ただ、フランス映画ではサスペンス作品が別の体系になっており、ハリウッドの『イブの総て』や『深夜の告白』、『サンセット大通り』、『ガス燈』なども含めて「フィルム・ノワール」と総称されることもあるようですが、例えばルネ・クレマン監督の『危険がいっぱい』やジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『殺意の瞬間』などは、フランスでは「フィルム・ノワール」の体系には位置づけられることはないような気がします。
サンセット大通り スペシャル・コレクターズ・エディション
ウィリアム・ホールデン / / パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン





ガス燈 コレクターズ・エディション
/ ワーナー・ホーム・ビデオ





HITCHCOCK COLLECTION DVD-BOX
/ ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン





殺意の瞬間
/ アイ・ヴィー・シー





 フランスでは1950年代に、ジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』およびジュールズ・ダッシン監督の『男の争い』などの「ギャングスター映画」の体系から、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品が本格的に量産されていくことになります。
現金に手を出すな
/ アイ・ヴィ・シー




男の争い
/ 紀伊國屋書店






 これは、第二次世界大戦後にフランスで流行った「セリ・ノワール(暗黒小説)」と呼ばれる犯罪小説の映画化を主流としたものです。
 「フレンチ・フィルム・ノワール」では、主題として「男同士の友情と裏切り」を特徴とし、「ファム・ファタル」としての強いキャラクターを備えた「悪女」をあまり登場させていない点が、1940年代のハリウッドの「フィルム・ノワール」との最も大きな違いだと言われています。

 いわゆる「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派が絶賛していた「フィルム・ノワール」作品は、ハリウッドでの1930年代の「ギャングスター映画」の体系に位置付けられるものではなく、1940年代以降の「ファム・ファタル」が登場するやレイモンド・チャンドラーやダシール・ハメットなどの探偵小説、その多くは私立探偵を主人公とした「ハード・ボイルド」小説を映画化した作品がほとんどです。
ハメットとチャンドラーの私立探偵
ロバート・B. パーカー / / 早川書房





 この『ボルサリーノ2』は、前作『ボルサリーノ』と同様に、ハリウッドの1930年代の「ギャングスター映画」と同傾向の作品ですが、前述したようにフランスでは「フィルム・ノワール」作品として位置づけられています。

 さて、わたしにとっては、前作『ボルサリーノ』にジャン・ポール・ベルモンドが出演していたことなどの影響もあってか、この『ボルサリーノ2』の内容から非常に多くのことを想起してしまいます。
 この作品を『ボルサリーノ』の単なる続編として解釈することは、わたしには出来なくなってしまっているのです。

 非常に突飛な深読みなのかもしれませんが、まず、この作品でリカルド・クッチョーラが扮した敵役のボスであるボルポーネが、わたしには、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派のジャン・リュック・ゴダールに見えてしまって仕方がありません。実際には、ボルポーネ役の設定はナチスに共鳴する極右で、ゴダールはソ連の映画監督ジガ・ヴェルトフを師事していた左翼だったのですが・・・。
 更に、これも、あまりにも勝手な関連付けなのですが、前作『ボルサリーノ』でジャン・ポール・ベルモンドが演じたフランソワ・カペラの葬儀も「ヌーヴェル・ヴァーグ」、すなわちジャン・リュック・ゴダールやクロード・シャブロルのもとから離れてしまった彼に対するアラン・ドロン特有のシニカルな表現だったようにも感じているところなのです。
気狂いピエロ
/ ハピネット・ピクチャーズ





二重の鍵
/ ジェネオン エンタテインメント





 一般的に言われているように当時の彼らの過剰なライバル意識を、アデル・プロダクション特有のユーモアの表現として皮肉ったものなのか・・・?
 彼がゴダールと決別したこと、すなわち「ヌーヴェル・ヴァーグ」のアイドルからの離反を象徴させたものだったのか・・・?
 『気狂いピエロ』でゴダールと決別してしまった彼に、アラン・ドロンが、フランス映画界での同志として、『ボルサリーノ』での共演を呼びかけ、そしてそれに呼応したベルモンド、にも関わらず、その道が閉ざされてしまったことに対しての哀悼の意味を持たせたものなのか・・・?


 「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品の申し子でもあったジャン・ポール・ベルモンドの演じた作品冒頭のフランソワ・カペラの葬儀、その彼の復讐劇としている作品構成、彼の死後、アラン・ドロンの扮するロック・シフレディが仕切っていたマルセイユに新たな勢力として新興してくるマフィア組織、ボルポーネ・ファミリーの台頭・・・など。
 これらのことを考え合わせれば、わたしには、フランス映画界における「ヌーヴェル・ヴァーグ」という映画潮流を、この作品のマフィア組織に象徴させていたとしか思えなくなってしまうのです。

 そのボルポーネ・ファミリーの組織にアルコール漬けにされ、マルセイユを追い出されてしまった主人公ロック・シフレディの存在には、1960年代に「ヌーヴェル・ヴァーグ」が席捲したことによって、フランス映画界に居場所を無くし、ハリウッド進出を目指した結果、その野心も頓挫せざるを得なかったアラン・ドロン自身の姿や、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派に徹底的に批判された師匠ルネ・クレマンや敬愛するクロード・オータン・ララ、その源流であるジュリアン・デュヴィヴィエなど、旧フランス映画界の巨匠たちの姿が象徴的に描き出されているようにまで考えてしまうのです。

 そして、この作品のテーマ曲としてBGMで流されている有名なクロード・ボランのテーマ曲も、挿入歌であるシャンソン「Chanson Lola(ミッシェル・バックの歌う「ボルサリーノ2」のテーマ曲)」も、「ヌーヴェル・ヴァーグ」が生み出したシネ・ジャズではありません。
 それは、ジュリアン・デュヴィヴィエやルネ・クレールの作品が全盛期であった時代、古き良き時代の「詩(心理)的レアリスム」の作品で流れていた時代的なテーマ曲であり、音楽のジャンルで言えば実にフランス的なシャンソンなのです。
 このことは、ロジェ・ヴァデム監督の『大運河』でのMJQや、ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』でのマイルス・デイヴィスなどのモダン・ジャズの起用、ジャン・リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーがオマージュを捧げていた「アメリカン・ハード・ボイルド」のジャジーな夜の世界である「フィルム・ノワール」などに、アラン・ドロンは強い対抗意識を燃やし、そのポエジックなBGMや挿入歌を現代(1970年代)の「フレンチ・フィルム・ノワール」において、「再生」、そして「復活」させようとしていたように、わたしには見えてしまうのです。
【参考 ジュリアンさんのブログ「ジュリアン サントラがいっぱい」の記事『ボルサリーノ2』

大運河
フランソワーズ・アルヌール / / アイ・ヴィー・シー





死刑台のエレベーター(完全版)
マイルス・デイビス ピエール・ミシェロ ルネ・ユルトルジュ バルネ・ウィラン ケニー・クラーク / ユニバーサルクラシック





 更に、ロック・シフレディの故郷マルセイユの奪還に備えて、長期の療養期間を経てアルコール中毒から見事に立ち直っていくロック・シフレディの姿も、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派によって破壊しつくされた旧フランス映画「詩(心理)的レアリスム」の名誉復権を目指すアデル・プロダクションの経営者、アラン・ドロン自身の姿になぞらえるようにも思えます。

 もしからしたら、この『ボルサリーノ2』は、彼自身が意識するしないに関わらず、彼が映画界にデビューした頃から持っていた「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派への怨恨の潜在意識を徹底的にスクリーンに放出させている作品なのかもしれません。


 また、この段階でのロック・シフレディの「再生」と「復活」には、旧フランス映画作品へのそのアラン・ドロンの強い願いが表現されていることはもちろん、同時に「詩(心理)的レアリスム」作品で育てられたアラン・ドロン自身の「再生」と「復活」の決意をも暗示させているようにも見えるわけです。
 特にそのことは、アメリカを目指して出航するラスト・シークエンスに、ロック・シフレディと部下フェルナンとの会話に顕著に表されているようにも思います。

>フェルナン
後悔しませんか?
>ロック
しないさ
>フェルナン
アメリカはでかい国ですよ 知人もいないでしょ
>ロック
いるさ

 『ボルサリーノ』は世界配給に向けて、ハリウッドのパラマウント映画に版権譲渡した経緯のある作品です。
【『ボルサリーノ』は相当儲かったのではないですか?
>アラン・ドロン
 大金がかかった作品だった、完成させるためにはパラマウントとの契約上、私の版権を譲渡せざるを得なかった。当時持ってた絵画も抵当に入れたよ。こんな事は普段は言わないがね。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/21 「回想するアラン・ドロン:その7(インタヴュー和訳)」

 そして、この『ボルサリーノ2』のすぐ後に撮る愛息アンソニーのリクエストに答えた『アラン・ドロンのゾロ』は、映画としては、若い頃に撮った冒険活劇『黒いチューリップ』と同体系に位置付けられ、そういう意味では、「詩(心理)的レアリスム」の巨匠クリスチャン・ジャックのこの作品を連想し、再現させたものと考えることが可能でしょう。
奇傑ゾロ
ダグラス・フェアバンクス / / アイ・ヴィー・シー





快傑ゾロ
/ 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン





マスク・オブ・ゾロ
/ ソニー・ピクチャーズエンタテインメント





 『アラン・ドロンのゾロ』も結果的には、フランス・イタリア資本の合作映画として制作されたわけですが、恐らく当時の映画化における著作権はハリウッドだったはずです。

 アラン・ドロンは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品や、それ以前の「詩(心理)的レアリスム」作品にこだわりを強く持っていたり、最愛の息子にせがまれた動機から映画を製作していたとはいえ、したたかに、映画製作におけるマーケッティング、世界市場に向けての映画輸出大国であるアメリカ、ハリウッドを意識していなかったはずはありません。


 そして、『アラン・ドロンのゾロ』を撮った5年後。
 師匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の『山猫』や、ハリウッドのウォルター・ミリッシュ・プロダクション製作の『スコルピオ』で共演した最も敬愛するハリウッドのスターであるバート・ランカスター、渡米時代にハリウッドでの最初の作品『泥棒を消せ』で共演したヴァン・ヘフリン、最後の作品『テキサス』で共演したディーン・マーティン、そして、恐らくアラン・ドロンが最も大きくこだわっていた憎き「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派の旗手であったフランソワ・トリュフォーが、アメリカでの評価を強く意識して制作した『アメリカの夜』に主演したジャクリーン・ビセット、ジャン・リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』でジャン・ポール・ベルモンドとセンセーショナルな共演を果たしたジーン・セバーグ・・・など。
映画に愛をこめて アメリカの夜 特別版
/ ワーナー・ホーム・ビデオ





 彼らが共演した人気パニック映画の大作『大空港』、そのユニバーサル映画の人気シリーズ第4作目の『エアポート’80』に出演することになるのです。
エアポートBOX
/ ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン





 このシリーズ第4作は、残念ながら、映画的に成功した作品とまではいえませんでしたが、いずれにしても、アラン・ドロンは常に「ヌーヴェル・ヴァーグ」にこだわりながらも、ハリウッド映画界と密接な関係を持とうとしていたことは、間違いのないことだといえるでしょう。


 ロジェ・ヴァディム監督、ブリジット・バルドー主演の『素直な悪女』やジャン・リュック・ゴダールの諸作品の製作者として有名なラウール・レヴィは、クリスチャン・ジャック監督、アラン・ドロン、アンソニー・クイン主演予定で『マルコ・ポーロ』を企画していました。
 残念ながら、制作なかばにして資金不足のために撮影中断を余儀無くされてしまったこの70ミリの超大作は、その後、ドニス・ド・ラ・パテリエール監督、ホルスト・ブッフホルツ主演で完成させたものの、興行的には大失敗に終わります。

 また、アラン・ドロンがジョセフ・ロージー監督と出会った1972年のリアリズムの傑作前衛作品『暗殺者のメロディ』も、その当時にドロンとロージーを念頭においていたか否かは不明ですが、ラウール・レヴィが製作を企画していた作品だったそうです。

 『マルコ・ポーロ』の失敗で破産し、その後は日の目を浴びることの無かったラウール・レヴィは、とうとう1966年に自殺してしまいますが、その死後、1969年の作品である『ボルサリーノ』に、当初はアラン・ドロンとの共同製作者として名を連ねていたようなのです(現在のタイトル・バックにもRaoul J. Lévyは表記されています)。

 「ヌーヴェル・ヴァーグ」の悲劇のプロデューサー、ラウール・レヴィ。

 ラウール・レヴィとの映画製作は一度も実現できなかったアラン・ドロンでしたが、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のプロデューサーと呼称されていたにも関わらず、「詩(心理)的レアリスム」の作家及びスターを分け隔てることのなかった彼に対して、ドロンが特別の敬意をはらっていたことには頷ける理由があるような気がします。
 だからこそ、自らが製作・主演し、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のスターであったジャン・ポール・ベルモンドと共演した『ボルサリーノ』によって、彼へのオマージュを捧げたのではないかとも察するわけなのです。

 彼らの関係は、その分析だけでブログ記事が何ページにも及んでしまいそうですし、現在のところ、そのことについては、あまりにも情報が不足しておりますので、ここではその詳細な分析はしませんが、わたしの好奇心が実に強く刺激されるところであります。


 『ボルサリーノ2』の主人公ロック・シフレディを演ずることで始まった「再生」と「復活」のテーマ自体は、その後のアラン・ドロンの俳優業や、映画製作者としての重要なキー・ワードとして、セザール賞男優賞を受賞した10年後のベルトラン・ブリエ監督の『真夜中のミラージュ』や、フランス映画界の奇跡ともいえる16年後のジャン・リュック・ゴダール監督の演出で撮った『ヌーヴェルヴァーグ』での主たるテーマへと引き継がれていくことになるのです。

【>アラン・ドロン
(略~)・・・私はヌーベルバーグの監督たちとは撮らなかった唯一の役者だよ、私は所謂「パパの映画 cinéma de papa※」の役者だからね。ヴィスコンティとクレマンなら断れないからねえ!ゴダールと撮るのには1990年まで待たなくてはならなかったんだ。(~略)】 
※cinéma de papaとは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派のフランソワ・トリュフォーが付けた古いフランス映画への侮蔑的な呼称のこと。
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/21 「回想するアラン・ドロン:その7(インタヴュー和訳)」

【今でも監督たちとの出逢いを求めていますか?
>アラン・ドロン
ああ。だからゴダールとも映画を撮ったんだ!この経験をしたかったし、彼に会いたかった。彼に言われるままにしたよ、自分の性格を出したら、映画は完成しなかっただろう!(~略)】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/25 「回想するアラン・ドロン:その8(インタヴュー和訳)」


 また、アラン・ドロンは、『ヌーヴェルヴァーグ』を撮る直前に、この作品への布石ともいえるスタッフを選定して、映画を製作しました。
 『私刑警察』です。
 ここで彼は、いよいよジャン・リュック・ゴダールの秘蔵っ子カメラマン、ラウール・クタールを自作の撮影監督として迎え入れたのです。「ヌーヴェル・ヴァーグ」の映像でのアクション・ノワール作品の制作、これもフランス映画史の奇跡的事件だったといえるのではないでしょうか。

 そして、映画生誕100周年の記念映画『百一夜』で、「ヌーヴェルヴァーグ」左岸派のアニエス・ヴァルダ監督の演出を受け、『ハーフ・ア・チャンス』で、ジャン・ポール・ベルモンドと再共演していくことになるのです。

 このように考えていくと、『ボルサリーノ2』から始まったアラン・ドロンにとっての「再生」と「復活」のテーマは、皮肉なことに、最終的には「ヌーヴェル・ヴァーグ」と彼との「共生」へと帰着していったと総括することができるかもしれません。

 ジャン・リュック・ゴダールや「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派を比喩させたマフィアのボス、ボルポーネを殺害し、このマフィア組織を壊滅させた映画での怨恨と反骨の結末とは、全く異なるものとなったこのアラン・ドロン映画史実としての結果は、当時の彼には想像もつかなかったことだったと思います。
 もちろん、ジャン・リュック・ゴダールやラウール・クタール、アニエス・ヴァルダ、ジャン・ポール・ベルモンドたち・・・更には没後のラウール・レヴィにとっても、それは同様のことだったはずです。


 この作品を観るたびに受ける深い感動は、いつもわたしを勇気づけてくれます。
 何とドラマティックな『ボルサリーノ2』なのでしょう!
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by Tom5k | 2008-11-04 01:40 | ボルサリーノ2 | Comments(28)