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『Notre histoire(真夜中のミラージュ)』③~愛の再生・復活その3 セザール賞主演男優賞受賞~

 アラン・ドロンが扮する主人公のロベール・アヴロンシュは、中古車情報誌「L'argus」誌を読みながら列車の一等室に乗車しています。ロベールの出で立ちなどから、彼がフランス国民の中産階級の平均的なホワイト・カラー層の市民であると察することができそうです。

「ロベール・アヴロンシュ 一人旅・・・ 何か 起こるのか いや・・・ なんにも たいくつな旅だ」

 物語はロベール・アヴロンシュが列車の揺れにまどろんでいるとき、愁いに満ちた哀しい表情をした女性、ドナシエンヌ・プジェが室内を覗き込むところから始まります。

 ドナシエンヌ・プジェを演ずるのは、フランソワ・トリュフォーやジャン・リュック・ゴダールの作品で女優開眼したナタリーバイです。彼女はフランソワ・トリュフォーの作品では、アラン・ドロンが最も気に入っている『緑色の部屋』に主演していることから、彼の相手役としては申し分のない共演者といえましょう。
緑色の部屋
/ ビデオメーカー




 この作品のストーリー・プロットは、このファースト・シークエンス以降、常に内容に脈絡がなく、主人公ロベール・アヴロンシュが列車でまどろんでいるときの「夢」だということを観る側が理解できる構成となっています。

 女性のほうから彼のいる室内に入ってくるのは、彼女が自分に何かを働きかけていると、ロベール・アヴロンシュ自身が無意識に感じているからなのです。

「何か用か?」

「話でもしない」
 室内に訪れたドナシエンヌ・プジェはロベールに言います。
「ちょっといい男 遊び人風だわ なぜか母性本能をくすぐる・・・男はビールが大好きなのね 飲んべえで お金を払うと すぐ半分のむ 立ったまま」 

 彼女はロベールを分析し、すべて的を得ています。この女性は初めから彼を詳細に知っているようで、彼の実現性の無い日常からの逃避願望なども見抜いており、しかも非常に不満げな表情です。
 ロベールも彼女の言葉や様子に不自然さを感じていないように見えます。

 そして突然、彼女はロベールにセックスを求めます。
 彼女は、彼に対してさんざん不満そうな態度を取った後、後腐れの無いセックスでしか対応できないようです。

「次の駅までの 束の間の恋 後腐れなしよ 付きまとわれたくないの 楽しんだら それで終わりよ」
 
 ドナシエンヌ・プジェは、彼の周囲にいる身近な女性であるのでしょう。まるで開き直った夫婦のセックス、もしくは破局を迎えつつある不倫関係のようにも思えます。


 その場しのぎのセックスのつもりだったのに、ロベールは次の駅で降車した彼女の後を追います。

「まだ何か用なの?」
とドナシエンヌ

「笑って」
 ロベールが彼女に求めているものは「笑顔」のようです。

「長いこと笑ってないわ」

 彼女を追いかけているにも関わらず、駅の売店でビールを買ってしまうロベール。
 うんざりして先に行ってしまうドナシエンヌ。

 ロベールは列車と駅前のホテルが好きだそうで、結局ふたりは駅前のホテルに入ります。

 彼は別荘に凝ることなど面倒で、好きなのは駅前のホテルや列車、気が向いたらすぐに出発できる忙しい男であることなどを彼女に説明し、理解を求めます。

「考え事に向いているし 安全だ 出会いもある」
実に落ち着きのない男です。

 この作品の制作より23年前の1961年、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『太陽はひとりぼっち』でモニカ・ヴィッティの演じたヴィットリアがアラン・ドロン扮する証券マンのピエロに

「落ち着きのない人ね」

とたしなめられ

「落ち着く必要があるか?」
と反発してからの23年間、アラン・ドロンは全く成長していません。


「車内で抱き合うのもいい! 君ならどこでもかな 車 エレベーター そこいら」
 アラン・ドロンらしい、といえばそれまでですが、
 大切な女性との愛の行為を、行きずりの後腐れの無いセックスとして肯定し、彼女を淫乱扱いする彼は、あまりに女性へのデリカシーに欠けます。

「ベッドでもよ」
当然のことながら、うんざり顔のドナシエンヌ。


「笑わせてみせるよ いいかい それが望み きみがプロでも おれには天使だ」
と彼女を笑わせることをあらためて決意します。

 さすがに彼女の心も動いたのか
「もっと続けて」

 わたしはここで、アラン・ドロンが過去に自分のプロダクション、アデル・プロでプロデュースした『もういちど愛して』のワン・シークエンスを想起しました。
 アラン・ドロン扮するシモン神父が、実生活でも本当に離婚した後のナタリードロンの扮する別れた妻リタと寄りを戻して再出発するときのやりとりです。

シモン神父 「天使だ わたしの天使」
リタ      「私を選ぶの」
シモン神父 「もちろんだ」

 
 彼の全財産5千万フランを彼女に預けて、恋を告白するロベール。
 しかし、彼女は金で自分の気を引くなど情けないとロベールを拒否し、自分の名前すら教えません。
 しつこく彼女を家まで送りますが、着いて早々、彼はまたしても冷蔵庫のビールを気にしています。

 ところが、このようなロベールをドナシエンヌは完全には拒否しないのです。少しは期待するところもあるのでしょうか?

 この家が気に入った(特にキッチンのそばの「椅子」が気に入ったようです。)こと、彼女を束縛しないこと、ロベールは一生懸命に彼女を口説きます。

「君を見つめて乾杯!」
 これは、ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンが共演した『カサブランカ』での有名なセリフですが、ここでドナシエンヌを口説くための言葉としては、滑稽極まりありません。
 アラン・ドロンは、ハリウッドでの成功を目指して渡米する以前、ロミー・シュナイダーと婚約していた時代に、すでにハンフリー・ボガードの映画をくりかえし観て研究し、彼のジェスチャーはすべて記憶していたといいます。
【『ロミー・シュナイダー事件』 ミヒャエル・ユルクス著、平野卿子、集英社、1996年】
ロミー・シュナイダー事件
ミヒャエル ユルクス Michael J¨urgs 平野 卿子 / 集英社





 ボギーからの学習は「フィルム・ノワール」作品では成功するかもしれませんが、この恋愛では通用するはずがないのです。
カサブランカ スペシャル・エディション
/ ワーナー・ホーム・ビデオ





 ロベールは、決して贅沢ではない、しかし幸福であるはずのふたりの日常生活への夢を、一生懸命に語ります。
 ロミー・シュナイダーやナタリー・ドロン、ミレーユ・ダルクなら、ここではアラン・ドロンを理解していたかもしれません。

 そして、ふたりの年齢や雰囲気、自宅での会話の様子などから、このあたりでドナシエンヌ・プジェは、ロベールの妻ではないだろうか、と察することが可能です。

「笑っておくれ マドンナの微笑を」

 ロベールは彼女との生活を強く望んでいるのです。
 しかし、全財産を彼女に渡してしまったことで、逆に反感を買ってしまい、彼女はダンスを踊りにひとりで外出してしまいます。

 酒浸りになり、自己嫌悪に陥るロベール。
 その深夜に、バーで遊んだ男達を家に連れ込むドナシエンヌ。そのなかの一人が彼女の恋人(夫)のようです。
 ここではロベールが、潜在意識のなかで彼女の不貞を確信していることがわかります。

 自宅には茫然自失しているロベールが待っています。
 ドナシエンヌは一人になりたいと泣き、恋人(夫)に連れて行ってほしいと懇願しますが、それを拒否する恋人(夫)。
 ロベールの妻への疑心暗鬼と彼女の悲壮は、彼女の恋人(夫)との関係に象徴されているのではないでしょうか?

 彼らに一旦、家の外に連れ出されたロベールですが、また彼女の家に戻ってきます。ポラロイド・カメラでドナシエンヌの笑顔を撮るというのです。

「君の笑顔を写したい いいだろ 君が笑う日は いつかきっと来る」


 彼女は子供の養育権をとられ、33歳で離婚したのだと彼に打ち明けます。
「笑わないのではなく 笑えないのよ」と・・・。
 彼女は絶望したままなのですが、ロベールはふたりの再出発の決意を変えることはできません。

 むかしから、ロベールは最愛の女を捜し求め、それが彼女だったと言うのです。
「男はむかしから変わらずにその女を愛していたが・・・まだ出会えずにいた どこかに居ると信じ捜していた」
 ロベールは彼女に手を貸すことを望むのですが、彼女の心は冷めていてまたひとりで外出してしまいます。彼は恐らく以前から長く妻を愛してきており、しかしそのことに未だ、しっかりとした確信を持つことができていないのでしょう。

 その日、ロベールの兄と仲間たちが彼を迎えに来ます。
 彼女に出て行かれた彼は放心状態です。そしてまた酒浸りになるのです。

「どんな女か」
という兄たちの問いに

「俺の生命だ」

 よほど、妻を愛しているのでしょう。しかしそのことは彼女に伝ってはいないのです。
 兄たちがここにきた理由は、彼女がロベールを厄介払いしたいから、なのだそうです。

 しかも、彼女は気に入った男を捜しに外出しているというのですから、ロベールの嫉妬妄想は重症です。

 そして、別の男を自宅に連れ込み、彼の世話をしながら
「笑えそう 写真を撮ってほしい」

 しかし、やはり彼女は笑えないのです。

「ここにまだ残りたい」
と懇願するロベール。

「(彼を)連れ出して」
と彼女は言い放ち、彼を連れ出そうとする兄たち。

「おれにかまわないでくれ 椅子を盗んだ奴がいるから 取りかえしてやるんだ! 邪魔するやつは相手になる 女と寝たっていいが ここには座るな」

 彼が猛り狂う様子から、この「椅子」がロベールの夫としての立場を具象化したものだということがわかります。
 ロベールは怒り、兄たちと乱闘にまでなって、近所から苦情が申し立てられます。

 その後、ドナシエンヌの仲間たちも含めて、全員で苦情の出た隣の家に出向きます。
 駆け込んだ隣家で、ロベールは下品なジョークでみんなを笑わせますが、彼女は決して笑いません。
 ダンスを踊っていても放心したようなドナシエンヌ、彼女の無気力の原因が元の恋人(夫)のデュバルに絶望していることと気づき、彼にダンスをするように依頼するロベール。

 だが、デュバルにその申し入れを断られ、いきなり殴りかかるロベールだったのですが、結果は一方的にデュバルにやられてしまうことになってしまいました。彼の嫉妬妄想は、自分への自信喪失も原因のひとつであることがわかります。

 どういうわけか この家の主人はロベールに
「妻と寝ろ」
と指図します。
 にも関わらず、妻を寝取られ嫉妬する隣人。
 この家での居心地がよくなるロベール。
 ロベールの妻以外への女性観が表現されています。

 そして、ドナシエンヌとの出会いを過去のこととし、彼女は裏切った と呟くのです。
「情熱的な売春婦だと思っていたのだが どこにでもいる ただの不幸な女だった」

 隣人は彼女のことを女神だと言います。その証拠がここにいるものたちの多くが彼女と寝たからだと言うのです。
 そしてロベールに妻を寝取られ、あせる隣人は彼女を取り戻すために、ドナシエンヌと彼との間を取り持とうとしますが、すでに彼女はアヴロンシュ夫人になっています。

「ドナシエンヌに会わせたい」
と言い出す隣人、緊迫する婦人とロベール。 
「彼女はたったひとりで・・・深い悲しみのなかで」

 心を動かされるロベール。

「行かないで」
懇願する婦人を置いて、ドナシエンヌに会いに行ってしまうロベール。

 しかし、自宅には彼女はいないのです。
 また、ビールに溺れるロベール。

 娼婦ドナシエンヌとのセックスを、想い出として語るたくさんの人々が登場します。
 帰宅してきたドナシエンヌは彼らと一緒に想い出を語るのです。彼らにとっての彼女の存在、セックスの想い出は、まさに聖女(ミューズ)との邂逅のような出会いだったようです。
 ロベールの妻としての彼女の存在とは若干異なりますが、他人にとっても彼女は娼婦でもあり、聖女でもあるのです。

 このシークエンスは重要です。
 ベルトラン・ブリエ監督が「ヌーヴェル・ヴァーグ左岸派」のエコール、新しいドキュメンタリーの方法を生み出した「シネマ・ヴェリテ(映画=真実)」としての代表作『ヒトラーなんか知らないよ』(1963年)での若い男女たちに討議させたドキュメンタル手法を応用しているからです。
 ベルトラン・ブリエ監督の「シネマ・ヴェリテ(映画=真実)」は、ここでも健在だといえましょう。

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【『アートシアター60号「ヒットラーなんか知らないよ」』(日本アート・シアター・ギルド、1968年)】


 ロベールとドナシエンヌを気遣って、それぞれの帰路に着く人々。
 みんなが帰ったあと、ふたりは愛について語ります。

「みんなの話をどう思ったの」
「愛そのもの」
「愛ってなにかしら」 とドナシエンヌは聞きかえします。
「やすらぎかな 気のおけない人に感じる」 とロベール
「わたしはどうなの?」
とドナシエンヌ

「わからない」
と答えてしまうロベール

 哀しそうなドナシエンヌ。

「飲み過ぎじゃないの?」
 このセリフは、妻が夫をたしなめる常套句でしょう。

「なぜ 飲むの?」
「君は なぜ寝るの?」
「寝たいから」
「本心なのか うわべだけなのか?」
「あんたのビールも飲むふりなの?」

 そして、ビールとセックスで口論になり、またすれ違ってしまうふたり。ドナシエンヌはナイトクラブに出かけてしまいます。
 お気に入りの「椅子」で酔いつぶれるロベール。

 ひとりバーで飲むドナシエンヌ、閉店の時間であるにも関わらず、人を待っているというドナシェンヌ。横でいつもの仲間たちが踊っていることから、待っている相手というのはロベールなのでしょう。
 ロベール自身も、彼女が自分を待ち続けていることは、潜在意識のなかでは理解できているのです。

 今回のロベールは、とうとうナイトクラブまでドナシエンヌを捜しにきます。

 そこで自分の淋しさを吐露するのです。
「優しく愛し合うこともなく このまま別れるなんて あまりに寂しすぎるよ 子供達はどこに居るんだい? 会いたかった」

 ドナシエンヌの心がつかめずに涙を流すロベール、しかしその場からもう彼女は姿を消しています。朝になりドナシエンヌの家に帰ると、そこには別の住人が引っ越してきており、彼女は失踪して行方知れずになっていました。

 もしかしたら妻は、自分のことより子供たちを気にかけている夫に、大きな不満を持っているのかもしれません。
 彼女が夫に子供の養育権をとられている話にも、夫の子供への愛情の強さと自分への愛情の欠如が表わされているような気がします。


 ロベールは花屋を訪れます。
 店舗の奥の部屋の主が冷蔵庫だというのがシュールです。これは、ロベールの心を支配しているドナシエンヌ(花屋)と、彼の生活でのアルコール依存(冷蔵庫)を象徴したものだと思われます。

「古い記憶をたどって 作り上げた空想ですよ 実在の人物か怪しいね あんたの心が描き出したドナシエンヌ・プジェは 浮気な若い女で 喜ばせたり絶望させたり-」
 花屋のおかみさんは、ロベールの悩み方を見かねて、彼女の幼友だちのマリーテレーズ・カローズのことを聞かせます。彼女は雪に閉ざされた寒村の小学校の分校で教師をしているそうなのです。

 彼は早速、彼女を訪れますが、そこでロベールは自分の眼を疑ったでしょう。そこにいたマリーテレーズ・カローズは、捜し求めていたドナシエンヌと瓜二つなのです。
 ロベールは、彼女とその夫から恋煩いで疲弊していることに対して同情を受け、泊まっていくように勧められます。


 部屋に食事を運んでくれたマリーテレーズは、眠れないロベールに付き添ってくれます。
 彼女はドナシエンヌなのでしょうか?

マリーテレーズ 「一等車に旅人がひとり ちょっといい男 名はロベール・アヴロンシュ 失恋したばかりの遊び人風の男 本当に失恋したの?」
ロベール     「そうさ」
マリーテレーズ 「慰めてほしい?」
ロベール     「ありがたいね」
マリーテレーズ 「こちらに置くわ 愛の場面に似合わないもの 特にハーブ茶ではね」
ロベール     「愛の場面があるの?」
マリーテレーズ 「そのつもりよ」
ロベール     「女教師の?」
マリーテレーズ 「いえ 主人公は教師じゃないの 散歩を楽しむだけ」
ロベール     「駅構内を?」
マリーテレーズ 「ええ 時には列車に乗るわ ドナシエンヌ 笑ったことのない女よ」
ロベール     「どうして笑わない?」
マリーテレーズ 「抱いてもらえないから」
ロベール     「どういうことなんだ?」
マリーテレーズ 「男って女より車のほうがいいの 抱くなんて考えない」
ロベール     「俺は違うよ」
マリーテレーズ 「待って まだ車室にも入ってないわ 列車でひとり退屈し 失恋の痛手を悲しむ 私はドアから見るのはやめて中に入る あなたは別れた女を想い まだ気付かない 気付いて愛してくれたら わたしも愛せるわ その女の名は?」
ロベール     「ドナシエンヌ」
 
 やはり、ドナシエンヌはロベールに自分の存在を気づいてほしかったのです。
 ロベールはようやくそのことに気づき、ふたりは優しく抱擁しあうのでした。


 列車での旅から帰ったロベールを迎えに来た兄たちが眠っている彼を起こします。ようやく彼は『夢』から覚め、現実が現れます。

 ロベールの妻は何かの過ちを犯したに違いありません。ロベールの「夢」は常に妻への嫉妬妄想の内容です。妻は淋しさのあまり他の男と不倫の関係を結んだのでしょう。
 兄と彼の仲間たちは、妻の不貞を許せていないロベールを何とか彼女のところに連れ戻そうとします。
「心の底から謝っているよ」

 妻の名はジュヌビエーヌ、果たしてロベールは彼女を許せるでしょうか?

 アパルトマンに入った彼は妻に会う前にまず自分の顔を、廊下の「鏡」に映し出します。

 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『フランス式十戒』では、実母によって完膚無きまでに自己を否定されたピエールが、苦渋の表情で無神経な彼女と会話をやり取りする様子、つまり彼のその不確実で不安定な存在を「鏡」に映し出したシーンで表現していました。
 ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』では、「鏡」の前でブルジョアに成りきる貧困の青年トム・リプリーを映し出しました。髪を撫であげブルジョア青年フィリップのシャツやジャケットを身にまとって、憧憬している彼に自分を投影したのです。
 ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』では、兄シモーネの借金を返済するため、最も忌み嫌っていたプロボクサーになる決心をするときの絶望の瞬間を鏡に映し出すショットがありました。
 ジョセフ・ロージー監督の『パリの灯は遠く』では、ナチスのパリ占領下で、ユダヤ人クラインと間違われた悪徳美術商の自己喪失者ロベール・クラインが「鏡」に映った自分の姿を放心した表情で見つめるシークエンスが何度もありました。

 「鏡」のなかの自分、虚構としての本当は実在しない自分・・・彼の演じた主人公たちの不安定な心象風景が、これらの「鏡」のシークエンスに浮かび上がっていました。
 絶対に確かなはずの自分という存在が、実はこの世の中で最も不確かな存在であったことに愕然とし、自分とは一体何者なのか?とあらためて自問するときに、人はもう一度自身の姿を確認したいと思ってしまうものなのでしょう。

 過去の「鏡」のシークエンスは、アラン・ドロンが自己喪失した人格破綻者の佇まいを演じるときの古典手法でしたが、「鏡」の前でネクタイを締めなおし、自分の疲れた表情を見つめ直す今回の彼の姿には今までの弱さが完全に克服されているように感じます。
 そこでの彼は、妻ジュヌビエーヌの過ちに対するキャパシティを広げ、彼女との愛の再生・復活のために自分を静かに立て直しているかのようです。


 そして、出迎える子供たちを抱きしめるロベール。

 部屋の窓に映る素晴らしいパリの夜景を背景に、放心したようにソファに座ってTVを観ている妻ジュヌビエーヌ。
 彼女の横に座る夫ロベール。

 不安げで哀しそうな表情の妻が言います。
「待っていたのよ」

 そして、覚悟を決めたのでしょう。彼は妻に問いかけるのです!

「笑えるかい?」

 妻がようやく彼に見せた笑顔。

 その笑顔はまさに百万ドルの笑顔です。
 チャーミングで愛らしい少女のような無垢な笑顔。
 それは、
 ようやく愛する夫が帰ってきた、自分のところに帰ってくれた、自分の過ちを許してくれた、そして、やはり自分は愛されていたのだと・・・至上の歓びが自然に現れた笑顔だったに違いありません。
 優しく、そして激しく抱擁しあう夫婦愛の再生と復活。
 美しいピアノ曲・・・。


 ここには、通俗の「夫婦愛」などというものを超えた「超・夫婦愛」が存在しています。至上の夫婦愛、その愛の歓びによって、再生・復活する中年の男女が表現されているのです。

 アラン・ドロンは美男俳優の代名詞として映画界に国際的なスターとして存在してきましたが、ジャン・ギャバンやジャン・ポール・ベルモンド、ジェラール・ドパルデューに比して、俳優としての限界が大きく、その美貌によって逆に自らの俳優・スターの立場に苦しんできたとも聞きます。

 もしかしたら、女性に対する愛情の欠如が、常に彼の作品に表現されることも、そのためだったのかもしれません。
 しかし彼は、この『真夜中のミラージュ』で、その限界を乗り越え、俳優・スターとして見事な脱皮を果たしたようにも思えます。彼がこの作品でセザール賞主演男優賞を受賞できたのも、なるほど頷けることなのです。
 そして、その受賞の6年後、彼はジャン・リュック・ゴダール監督の演出で、いよいよフランス映画史上における矛盾解消の到達点『ヌーヴェルヴァーグ』を生み出し、しかもその作品でも「愛の再生・復活」をテーマとし、23年前に出演した「内的ネオ・リアリズモ」の巨匠ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『太陽はひとりぼっち』のテーマ「愛の不毛」を完全に超越していくのです。

 そして、わたしは、ここで再度、『もういちど愛して』のワンシークエンスを想起するのです。

>シモン神父
「天使だ わたしの天使」
>リタ
「私を選ぶの」
>シモン神父
「もちろんだ」

 シモン神父の別れた妻に対する素晴らしい愛の告白。

 彼はポール・ムーリス扮する司教に自らの心情を吐露します。

「もうだめです 何か甘美な快感があるのです 嘘じゃありません」

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by Tom5k | 2008-09-15 02:05 | Notre histoire(3) | Comments(18)

『Notre histoire(真夜中のミラージュ)』②~愛の再生・復活その2 ベルトラン・ブリエ作品評価~

 ベルトラン・ブリエは、「ヌーヴェル・ヴァーグ左岸派」のエコール、新しいドキュメンタリーの方法を生み出した「シネマ・ヴェリテ(映画=真実)」としての代表作『ヒトラーなんか知らないよ』(1963年)を撮った10年後の1973年、多くの男女の奔放な自由で乱れたセックスを描いた『バルスーズ』を完成させます。
バルスーズ
/ レントラックジャパン





 そして、この作品以降の彼の作品のほとんどが、性風俗に関わっての禁忌的な表現やスタイルであるにも関わらず、公式の国際映画祭でのアカデミックな評価、及び映画賞の実績を残しており、その多くの功績には眼を見張ってしまいます。

 妻の不倫に手を貸す夫、その後の妻の恋愛の相手が13歳の少年であり、その子供を妊娠してしまう
『ハンカチのご用意を』(1978年)
1978年第51回アカデミー外国語映画賞。

 リュック・ベッソンが絶賛しているシュール・レアリズムの傑作
『料理はつめたくして』(1979年)
1979年第5回セザール賞脚本賞

 妻に娼婦を連想し、その嫉妬妄想に苦しむ中産階級の男性の無意識を「夢」の表現で描写した
『真夜中のミラージュ』(1984年)
1984年第10回セザール賞脚本賞、及び主演男優賞(アラン・ドロン)

 ホモ・セクシュアルの男性を含む三人の男女の三角関係を描いた
『タキシード』(1986年)
1986年第39回カンヌ国際映画祭主演男優賞(ミシェル・ブラン)
タキシード
/ アミューズ・ビデオ





 美しい妻がいるにも関わらず、他の女性との恋愛に陥ってしまい、最後にはふたりの女性に、相次ぎ去られてしまう男性を描いた
『美しすぎて』(1989年)
1989年第42回カンヌ国際映画祭審査委員賞
1989年第15回セザール賞作品賞、及び監督賞、脚本賞

 娼婦という職業に満足している女性を主人公にした
『私の男』(1996年)
1996年第46回ベルリン国際映画祭主演女優賞(アヌーク・グランベール)。
私の男
/ アップリンク





 愛した娼婦に虚言を信じ込ませて、愛情を得るコメディ作品
『ダニエラという女』(2005年)
2006年第27回セザール賞脚本賞
2006年第28回モスクワ国際映画祭監督賞
ダニエラという女
/ ハピネット・ピクチャーズ





 ベルトラン・ブリエは決して多作ではなく、デビュー作品以降の制作本数を考えると、作品を発表するたびに公式の映画賞を受賞しているといってもいいほどです。

 複数の男女間の奔放なセックス、ホモ・セクシャル、不倫、嫉妬妄想、人妻と少年の恋愛、売春行為の肯定・・・等々。
 それにしても、何故ベルトラン・ブリエは、それらの作品の多くで、このような赤裸々なセックスや決して常識的ではない男女関係、それらの恋愛における葛藤や主人公たちの苦悩などを描き続けるようになっていったのでしょうか?
 しかも、そのような内容であるにも関わらず、彼の作品の多くが権威ある映画祭、映画賞の受賞歴によって、ある種のアカデミズムに導かれているわけですから、たいへん不思議な評価にも思えます。

 1950年代当時、まだ社会主義制度を採っていたソ連邦内で一般化していたソビエト芸術は、「退屈でつまらない」という自国民からの強い批判を受けるようになっていました。
 その批判に対応するように、映画監督のセルゲイ・ゲラーシモフは、1954年12月第2回ソビエト作家大会においての「ソビエト映画のシネマトゥルギー」という報告で、自国の映画芸術の検討課題を問題提起しました。

 彼は、現在の映画のテーマでも中枢をしめている「男女の恋愛」に関わって、当時のソ連邦内での映画表現の欠陥について、強い批判を列挙したのです。
 そして、矛盾も対立もない無葛藤な生活からの人間の性格描写では、新しい芸術が成り立たないとしたうえで、次のような指摘を行いました。

『ゲラーシモフはその次に恋愛描写の貧しさを指摘する。
「スクリーンの上に若い二人があらわれれば、観客は当然恋愛を期待する。事実、映画に恋愛は出てくるが、すべてが何と寒々と千篇一律に解決されていることか。恋愛は、もしそれがほんとうに高いまじめなものであれば、恋人同士に、たがいに心や思想を信じさせ、胸の奥のもっと大切なことを語りあわさせる。恋人たちはたえまなくけんかをし、仲直りする。こうして彼らの性格はたがいに適合しあっていくのである。これらすべてのことは数百万人の愛し愛される人たちの間で行われているのに、いままでスクリーンに生き生きと描かれたことがない。」
もちろん、恋愛描写の技巧が問題なのではない。恋愛をさえ正しく描けないことが、そのまま若い人たちの生活と願望を映画が反映していないことをあらわしているのである。』
【『映画の理論』岩崎 昶著、岩波書店(岩波新書)、1956年】

 そして、これらの指摘事項の内容は、非常に注目に値するものに思えます。
 1980年代、ゴルバチョフ時代のペレストロイカ政策によって、ソ連邦内では「表現の自由」に関わる規制が緩和されて、従来からの公式芸術の体系であった「社会主義リアリズム」への批判も活発となっていきました。
 その後の1991年のソビエト連邦の崩壊から現在まで、東ヨーロッパでもロシアでも、それぞれ独自の芸術活動が模索され活性化していくことになります。

 しかしながら、国際映画製作者連盟が公認している長編映画の祭典であるモスクワ国際映画祭の第1回開催年は1959年で、旧ソ連邦時代から現在まで存続している映画祭です。
 これは、前述した映画監督のセルゲイ・ゲラーシモフが問題提起した第2回ソビエト作家大会が開催された1954年の5年後であり、13年後の第5回モスクワ国際映画祭では、ゲラシーモフ本人の作品『Zhurnalist(ジャーナリスト)』がグランプリを獲得しているのです。

 ペレストロイカ政策以降、ロシアでの社会制度も替わり、芸術運動の方針に関わる制約も無くなったとはいえ、文化史的な蓄積のうえに成り立ち、かつ現在まで存続しているこのモスクワ国際映画祭の権威までもが失墜したと結論してしまうことは、わたしは早尚であると考えます。
 まして、ゲラシーモフの問題提起は社会主義制度の矛盾を突いた指摘内容であったとも考えられ、その理念がソビエト連邦崩壊後の2006年の第28回モスクワ国際映画祭の開催段階に引き継がれていない、とはいえないように思います。

 わたしがこのような意味から関連づけようとすることは、『バルスーズ』以降、恋愛のイデオロギー的な側面、もしくはセックスと社会との同一的課題を豊かに生き生きとした描写で表現し続けたベルトラン・ブリエの映画貢献が、1954年の第2回ソビエト作家大会でのセルゲイ・ゲラーシモフの映画芸術についての検討課題を、結果的に十分に反映したものだったのではないか、ということです。
 彼が『ダニエラという女』での第28回モスクワ国際映画祭の監督賞を受賞できたことも、その遠因のひとつであったとまで考えてしまいました。


 そして彼は、1984年にアラン・ドロンを主演にした『真夜中のミラージュ』を発表しますが、これも最も身近なテーマとしての男女関係の葛藤を強く意識し、恋愛における現代的課題を解決するための一貫した原則を模索した内容の作品なわけです。


 また、アラン・ドロンの運営するアデル・プロダクションで製作された作品であることから考えれば、主演がアラン・ドロンであることは、あまりに当然ではあるのですが、
ベルトラン・ブリエとアラン・ドロンの邂逅に関わっては、その外にも納得できる多くの理由があるようにも思うのです。

 現在ではフランスの大スターであるジェラール・ドパルデューの出世作品となった『バルスーズ』以降、ベルトラン・ブリエは、ほとんどの作品(『ハンカチのご用意を』、『料理は冷たくして』、『タキシード』、『美しすぎて』、『メルシー・ラ・ヴィ』(1991年)、『ダニエラという女』)で彼を起用しており、そのことは国際的な大スターを育てた実績となっていること。
メルシー・ラ・ヴィ
/ ポニーキャニオン





 アラン・ドロンとミレーユ・ダルクが共演した『愛人関係』(1973年)、『チェイサー』(1978年)で監督を務めたミレーユ・ダルクの元の恋人であったフレンチ・アクションやサスペンス、フィルム・ノワール作品の大家ジョルジュ・ロートネル監督の『狼どもの報酬』(1973年)で、シナリオを担当した経験があったこと。
狼どもの報酬
/ 大映





 アラン・ドロンのデビュー作品である『Quand la femme s'en mêle』には、父親ベルナール・ブリエが出演しており、彼と共演していること。

などのことから、アラン・ドロンというスター俳優をこの作品で起用したことは、彼の映画歴から考えても決して不自然なことではなく、むしろ必然的な要因も多くあったような気がするのです。


 更に、アラン・ドロン及び彼の作品においてですが、

 彼のデビューから現在までの多くの作品は、どのような映画体系であっても男女の恋愛を描いたものは少なくはありませんが、残念なことに女性に対してのデリカシーを表現することが決してうまい俳優とはいえず、彼の過去の作品で、『真夜中のミラージュ』のようなデリケートな恋愛を描いた作品は、なかなか思い当たらないのが正直なところです。

 ただ、私見であることを前提にすれば、やはり自らのアデル・プロダクションで製作したジャック・ドレー監督の『もういちど愛して』(1970年)が、唯一この作品と類似したテーマで描かれているように考えられるように思います。

 自分にとってのかけがえのない女性が、自分の手の届かないところに存在せざるを得ない状況設定から、

他の男性との不倫や女性特有の挑発などの相手の女性の過ちに対して、極端な潔癖求めてしまい嫉妬妄想に苦悩しながらも、

その原因が実は自らにあることを理解し、

やがてキャパシティを拡げて恋愛を成就させていく様子

などが描かれている点など、『もういちど愛して』のテーマと根幹のところでは共通であるような気がするのです。

 そういった意味では、両作品とも、現代における男女関係やその環境の典型を比喩的に、しかし誤りなく設定し、かつ定型的で固定されたものではなく、現実を前向きにとらえて、現代に生きる男女を生き生きと描いている素晴らしい傑作だと評価できるのではないでしょうか。


「スクリーンの上に若い二人があらわれれば、観客は当然恋愛を期待する。(~中略~)恋愛は、もしそれがほんとうに高いまじめなものであれば、恋人同士に、たがいに心や思想を信じさせ、胸の奥のもっと大切なことを語りあわさせる。恋人たちはたえまなくけんかをし、仲直りする。こうして彼らの性格はたがいに適合しあっていくのである。」
【セルゲイ・ゲラーシモフ】
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by Tom5k | 2008-08-27 03:04 | Notre histoire(3) | Comments(2)

『Notre histoire(真夜中のミラージュ)』①~シネマ=ヴェリテ(映画=真実)のベルトラン・ブリエ~

 1920年代、旧ソ連邦の映画作家ジガ・ヴェルトフは、プドフキンのモンタージュ論が発表された翌年、レンズの力を単なる事実の再現に留まらない表現技法としての「キノキ(映画=眼(カメラ・アイ))」論を主張し、「キノ=プラウダ(映画=真実)」を唱えました。その後、旧ソ連邦の記録映画作家たちは、革命後の社会主義国家内での実録編集を基本にした短編映画「キノ=プラウダ」シリーズの発表を続け、ドキュメンタリー手法の基礎を築いていきました。

 ハンガリーの映画理論家のベラ・バラージュは、普段は気にもかけないような人々の日常生活の瞬間瞬間を「映画=眼(カメラ・アイ)」によって映像に写し出すジガ・ヴェルトフのこの手法を、映画的写実の先駆的な実践だったと評しています。
 例えば、映し出される人々がカメラを意識せず、ありのままの姿で行動したり話したりしていることが魅力的であることを強く指摘したうえで、それらの日常的現実を映像化した編集には、ストーリー・プロットが存在しないにも関わらず、「主体となる主人公」に類似した存在が必ず描かれおり、しかもその構成には演出者の主観的なテーマがしっかりと反映している、と分析しているのです。
 いわゆる「映画=眼(カメラ・アイ)」によって主張されている作家としての主観的な映像形式、すなわち映画フレームに収めるための対象となる題材の取捨選択を経た編集作業などに作家の主体性が存在しているとして、映画的な意味での芸術形式の更なる可能性を示唆したのです。
マイケル・ナイマン カメラを持った男
/ アスミック






 また、ドキュメンタリー(記録主義)と、リアリズムの関わりについては、実に興味深い分析が存在します。
 前述した「キノ=プラウダ(映画=真実)」から1960年代のフランス映画における「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動を経て、ジャン・リュック・ゴダールが「ジガ・ヴェルトフ集団」を名乗って商業映画を否定していった時期がありました。この「シネ・トラクト」と呼ばれる政治映画の製作に携わっていったゴダールの経緯は、彼にとっては挫折、彼の信奉者たちにすら失敗であったと批判・総括されているのが一般的なわけですが、映画史的実践としては決して安易に無視できない側面も多くあったように思うのです。

 ゴダールが自国のアルジェリア問題やアメリカのベトナムの問題などのラジカルな政治的テーマにこだわっていったとき、彼のそれらの作品がドキュメンタリーとしての構成に限りなく接近していった事実などには映画的な必然を強く感じます。
小さな兵隊 デジタル・リマスター版
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ベトナムから遠く離れて
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東風
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 更に映画史を遡れば、1940年代から50年代、戦後イタリアの「ネオ・リアリズモ」運動こそ、それと同様の傾向が顕著であり、その典型的な事例だともいわれていますが、この映画体系がドキュメンタリーの作風に極めて近いセミ・ドキュメンタリーともいえる数多くの作品郡を生み出していったことは、あらためて強調するまでもないことでしょう。

 イタリアのシナリオ・ライター、チェーゼレ・ザヴァッティーニは、「ネオ・リアリズモ」論の基礎的理論を鮮明にして、当時のイタリア映画を体系的に理論武装していったリアリズム映画の実践家です。
 彼はジガ・ヴェルトフと同様に、映画でのストーリー・プロットを重視することよりも、むしろそれを排除すること、つまり豊富な材料が多く存在している実際の現実そのものを、新しい着想としての「映画=眼(カメラ・アイ)」で捉えることの方がより有効であるとしたのです。

 そのザヴァッティーニが最も大きな影響を受けた作家に、ロバート・J・フラハーティがいます。彼は知る人ぞ知る、世紀のドキュメンタリー作品の歴史的原型である『極北の怪異』(1922年)を生み出したアメリカの映画作家です。
 彼は、カナダ・イヌイットの「ナヌーク族」という北方民族が営む、極寒のツンドラ地帯での厳しい生活の一部始終をカメラに収めました。
 作品に登場させた「ナヌーク族」たちに、事前にカメラやフィルム、フィルムの現像、映写機など映画撮影に必要な機材や制作過程などを学習、理解させ、ラッシュ試写を見せながら撮影をすすめていくという独自の方法で、彼らが食糧を確保するためのセイウチの狩猟、簡易住居(イグルー)を雪のブロックや氷で作ったりする様子など、様々な生活実態を撮り続けたのです。

 この作品は、純粋な事実のみをカメラに収める厳密な意味でのドキュメンタリー作品とは異なり、登場人物たちに映画に出演していることを意識させる指導を行い、広い意味での演技指導をシステム化させて撮ったセミ・ドキュメンタリーだともいえるでしょう。
 この「フラハーティ・システム」と称されたドキュメンタリー制作は、極端にいえば全篇を通じて「やらせ」ともいえる手法なわけですが、「ナヌーク族」の事実を撮っていることに虚実はなく、むしろ映画としての説得力や真実を強く表現しえたドキュメンタリー手法の積極的な一形態であり、戦後のイタリアでの「ネオ・リアリズム」運動の母体になったと大きく評価されているのです。
 ドキュメンタリーといえども、それは単なる事実の再現ではなく、このような演出を伴った迫真の映像伝達でなければ説得力を持つ映像にはなりえないのです。
【参考 シュエットさんの『寄り道カフェ』の記事ドキュメンタリーの原点「極北のナヌーク」

極北の怪異 (極北のナヌーク)
/ アイ・ヴィ・シー





 フラハーティの影響を大きく受けていたザヴァッティーニの理論的貢献によって、「フラハーティ・システム」の進歩した形態が「ネオ・リアリズム」運動であるということには、確かに頷ける充分な理由があり、映画史的な意味でも見逃せない事象といえましょう。

 そして、これらの試みを踏まえ、その後のドキュメンタリーやリアリズムなどの映画体系への模索は更に続いていくのです。
 アメリカのアンダーグラウンド派のアンディ・ウォーホールは、6時間ものあいだ、眠っている男を撮り続けた『眠り』という作品を発表し、やはりザヴァッティーニが一般人の意見(アンケート)を映像にした『かくしカメラの眼』、『ローマ十一時』など、「アンケート映画」と称される体系として位置づけられる作品を撮り続けていきました。
 それらは、やがてフランスでの「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動の左岸派による新しい「映画=真実(シネマ=ヴェリテ)」の体系として、ひとつの到達点を迎えることになっていきます。
 1920年代の旧ソ連邦のジガ・ヴェルトフらが「映画=真実(キノ=プラウダ)」を唱えてから、40年以上を経た後のことでした。

 また、「シネマ=ヴェリテ(映画=真実)」以前の作家で、前述したジガ・ヴェルトフやチェーゼレ・ザヴァッティーニ、そしてアンディ・ウォーホールなどの実験的手法のエッセンスを最大限に引き継ぎ、独創的な手法によって完成させていった作家として忘れてはならないのが、『抵抗(レジスタンス)』(1956年)や『スリ』(1960年)のロベール・ブレッソンだともいわれています。
 彼は、映画としてのドラマトゥルギーに最も必要とされていた登場人物の行動や言動、音声などを、全く逆に、それ自体の描写を目的やテーマにして、「そこにある現実の行為」の極限描写ばかりを突き詰めて強調し、心身症ではないかと思うほど微細でストイックな写実的作品ばかりを創作していきました。
 彼の作品はあらゆる無駄をそぎ落として、極言すれば映画としてのドラマトゥルギーを一切無視しています。ところが、そうであるにも関わらず、それらの作品の一部始終には実に興味深い映像が描写されているのです。
【参考】
【オカピーさんの『「プロフェッサー・オカピーの部屋」別館』の記事映画評「少女ムシェット」
【用心棒さんの『良い映画を褒める会。』の記事『ジャンヌダルク裁判』(1962)余計な演出を削ぎ落とした、シネマトグラフとは何を指すのか。
【シュエットさんの『寄り道カフェ』のタグ記事一覧ロベール・ブレッソン
【ジューベさんの『キネマじゅんぽお』の記事『ジャンヌ・ダルク裁判』 ~ついに登場!ブレッソン~
【にじばぶさんの『にじばぶの映画』のタグ記事一覧ロベール・ブレッソン
【koukinobaabaさんの『Audio-Visual Trivia』の記事ロベール・ブレッソン スリ  Pickpocket

 そして、その禁欲的な作品スタイルは、後のジャック・ベッケルやジャン・ピエール・メルヴィルなどの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品や、ブレッソン作品で助監督をしていたルイ・マル、そしてエリック・ロメールなどの「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品へと影響を拡げ、
ジム・ジャームッシュとかアキ・カウリスマキなどの作品にまで引き継がれている、という意見まであるのです。
【参考】
【『にじばぶの映画』のタグ記事一覧ジャック・ベッケル
【『「プロフェッサー・オカピーの部屋」別館』映画評「死刑台のエレベーター」
【『寄り道カフェ』ロベール・ブレッソンを観る① 「スリ(掏摸)」の記事、及び同記事でのシュエットさんのコメント(2008-06-19 15:49))】

スリ
マルタン・ラサール / / アイ・ヴィー・シー





ジム・ジャームッシュ作品集 DVD-BOX 1989-1999
/ パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン





トータル カウリスマキ DVD-BOX
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 映画史家のジョルジュ・サドゥールが呼称したものであるといわれている新しい「シネマ=ヴェリテ(映画=真実)」作品の具体的な特徴は、登場人物のフリートークによって、一定のテーマやその本質を突き詰めていくという形態が、そのセオリーであり、前述したザヴァッティーニの「アンケート映画」を徹底させていった体系であるともいえましょう。

 特定した任意の個人に対しての系統立てた広汎な視点による「質問(インタビュー)」、その「回答」などをモンタージュした映像を創作する活動、現在では珍しくもないTV番組などでの街頭インタビューなども、この手法をモデルとして定着していった背景を持っています。

 「シネマ=ヴェリテ(映画=真実)」派の代表的な作家としては、ジャン・ルーシュ(アフリカの黒人たちにフリートーキングさせて撮った記録映画『わたしは黒人』、『人間ピラミッド』)、アラン・レネとも親交の厚かったクリス・マルケル(『ラ・ジュテ』、『サン・ソレイユ』、『彫像もまた死す』、パリ市民を対象としたドキュメンタリー『美しき5月』)、
人間ピラミッド
ドキュメンタリー映画 / / 紀伊國屋書店





ラ・ジュテ / サン・ソレイユ
クリス・マルケル / / アップリンク





 そして、名優ベルナール・ブリエを父親に持つベルトラン・ブリエ(『ヒトラーなんか知らないよ』(1963年))らの作家群が挙げられます。

「(-略-)一旦すてられたように見えたこの糸(「キノ=プラウダ(映画=真実)シリーズ」のこと)をふたたび拾いあげて、フランスに「シネマ・ヴェリテ」として定着させたのは、ジャン・ルーシュをはじめとして、クリス・マルケル、ベルトラン・ブリエ、その他であり、彼らの作品と作風にもさまざまな色合いの差があるが、全体としてこの流派(?)はある隆盛の時期を持った。」
【『現代映画芸術』岩崎昶著、岩波新書、1971年】

 種々の意味から真実のリアリティを映画において深く追究していく作業には、映画作家としての主体性が必要であることは当然のことです。
 そして、ドラマトゥルギーへの対峙が可能なものとして生まれてきたものが、反ドラマトゥルギーとしてのドキュメンタリー作品やリアリズム作品なわけです。その発生原因を手繰れば、映画的テーマを表出するための従来からの古典的なドラマトゥルギーが既に限界に達してきた、との視点も存在します。

 そういった意味では、1960年代以降の新しい時代の多くの映画作家たち(アントニオーニ、フェリーニ、ブニュエル、レネ、ゴダール、ベイルマン、ヴァルダ、大島渚、今村昌平・・・等々)の作品からは、彼らが映画のテーマや思想を独自の映像表現によって実践するために、従来からの図式的・形式的で安易なドラマトゥルギーを壊すこと、すなわち反ドラマトゥルギーとしてのプロットを生み出していこうとする創作意図が感じられるような気がします。

「人間とはそれほど不条理な存在なのであろうか?フロイト流の深層心理学、近代生理学、またサイバネティックス理論などが、人間をミクロの段階まで降りて観察し、その心理や感情、そして判断や行動に、大ざっぱな合理性だけではかりきれない暗い秘密の隅々がポッカリと口をあけている事実をあきらかにしたことは大きな貢献であるが、それにもかかわらず、巨視的とまでいわず、われわれの日常の体験の次元で、人びとは依然としておおよそ合理的で、一貫した性格と原則を持ち、次の瞬間の行為を相当の確率をもって予想できることも疑いない。不条理芸術といえどもこの上にたっている。」
【『現代映画芸術』岩崎昶著、岩波新書、1971年】

 カフカ文学以降の現代社会、そこに存在している人間の不条理感覚は、解決が極めて困難な現代人としての課題になっているともいえます。

 しかしながら、芸術においては、特に映画芸術においての表現手法に至っては、周到な準備や意識的な論理と表現などによって制作される独特の視覚文化であることを視野に入れたとき、

作家としての主体性、理念や目指すべき理想などを、映画特有の前向きで合理的な視覚効果を念頭においた創作活動が可能であるとの考え方もあるわけですから、

今現在においては、心理的異常性向による好奇心の喚起、ニヒリスティックでシニカルな風刺的なユーモア、日常生活の抑圧傾向を解き放つためだけのカタルシスの提供など、集客のみを目的にした映画制作ではなく、

現代的課題を解決するための一貫した原則を踏まえたテーマの探求、すなわち新たなる「映画=真実」を最も必要とする時代の到来が既に始まっているような気がしてならないのです。

「(-略-)バラージュは、文学よりも、映画カメラが、その大写しによって、人間の内面の真実をうつしだす、と考えるのである。
従って、バラージュは、俳優の演技などというものは、映画カメラにとって無意味であるといっている。前に述べたことのあるフランスのシネマ・ベリテの運動も、この大写しを、真実が語られるものとして重要視する。ベルトラン・ブリエの「ヒトラーなんか知らないよ」という作品は、数人の若い男女に、その身の上や抱負を語らせて、その表情の大写しを見つめつづけるのである。」
【『映画芸術への招待』杉山平一著、講談社現代新書、1975年】

 そして、ベルトラン・ブリエは『ヒトラーなんか知らないよ』(1963年)を撮った後以降、現代においての最も身近なテーマである、男女関係における恋愛の葛藤を描き続けるようになりました。
 彼は、1984年にはアラン・ドロンを主演にした『真夜中のミラージュ』を発表し、最近作『ダニエラという女』(2005年)でも、現代的課題を解決するための一貫した原則を模索し続けるように、赤裸々なセックスや決して常識的ではない男女関係を単純に否定することなく、描き続けているのです。 

【参考文献】
『映画の理論』岩崎 昶著、岩波書店(岩波新書)、1956年
『映画の理論』ベラ・バラージュ著、佐々木基一訳、学芸書林、1970年
『現代映画芸術』岩崎 昶著、岩波書店(岩波新書)、1971年
『映画芸術への招待』杉山平一著、講談社(講談社現代新書)、1975年
『フランス映画史の誘惑』中条省平著、集英社(集英社新書)、2003年

※ 当記事の内容に関わっては、特に、『現代映画芸術』の「Ⅳ リアリズムと記録主義」の項を参照し、解説させていただいた内容になっております。
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by Tom5k | 2008-08-14 23:31 | Notre histoire(3) | Comments(12)