『泥棒を消せ』②~アメリカ映画での「ギャング映画」を優先した「アラン・ドロン」②~

【<『泥棒を消せ』②~アメリカ映画での「ギャング映画」を優先した「アラン・ドロン」①~>から続く】

 アラン・ドロンは、この作品の大きなテーマである移民の生活苦、家族の崩壊などと同様のテーマで、後期「ネオ・レアリズモ」のイタリア映画界の巨匠ルキノ・ヴィスコンティの演出による『若者のすべて』(1960年)に主演した経験がありました。
 彼は、この作品で、故郷を奪われたイタリア南部の農民一家が、都市生活に疲弊しきってしまう無産階級の若い労働者、移民一家の三男ロッコ・パロンディを一世一代の名演技で演じ、映画史的な高い評価を残しています。

「この映画以後ドロンは一躍、国際的なスターとなって、劇場側が歓迎するぺてん師やギャング役を演じる映画に次々と出演した。したがってロッコを演ずる彼を見ていない人には、ヴィスコンティの厳しい指導に耐えて彼がこの役で演じ切った、ほとんど輝くばかりの愚直さと、悲哀と、しんの強さを想像するのはむずかしいかもしれない。」
【引用~『ルキーノ・ヴィスコンティある貴族の生涯』モニカ・スターリング著、上村達雄訳、平凡社、1982年】

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 『泥棒を消せ』のエディやその兄ウォルターの設定は、「劇場側が歓迎するぺてん師やギャング」だったかもしれませんが、生活苦から犯罪に手を染めざるを得なくなり、その結果、家族関係が崩壊していく過程を描いた社会派の作品でもあったのです。

 また、彼は「フレンチ・フィルム・ノワール」作品である『Quand la Femme s'en Mele』(1957年)で銀幕デビューを果たし、既に敵の凶弾に倒れる若いボディガードを演じており、初めてのプロデュース作品『さすらいの狼』(1964年)は、旧時代の「詩(心理)的レアリスム」のノワール傾向の作品系譜を継ぎ、フランス映画史的テーマである「死の美学」を彼が初めて完成させた作品であったと私は考えています。【<『さすらいの狼』~「フレンチ・フィルム・ノワール」の「アラン・ドロン」の原型~>】
 『泥棒を消せ』のアラン・ドロンも、このクライマックスで、誤解した警察官が発砲した銃弾に倒れる、家族から離反した孤独な主人公の死を演じました。

 そして、なにより、「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スター、ジャン・ギャバンと共演した『地下室のメロディー』(1962年)のカラーバージョンは、アメリカで公開された際のものだそうで、この作品はアメリカ映画界からは一定の評価を受けることに成功しました。なお、その作品テーマは、『泥棒を消せ』のプロットと同様の、カジノの現金強奪を扱った「押し込み強盗」のエンターテインメントだったのです。

 アラン・ドロンは、『Quand la Femme s'en Mele』や『さすらいの狼』での「死の美学」、『若者のすべて』での移民の生活苦や家族の崩壊のテーマ、アメリカでも評価された『地下室のメロディー』での現金強盗の設定など、その経験値から、『泥棒を消せ』のオファーには自信を持って出演を受けたことは間違いないでしょうし、ある意味では、現在までヨーロッパで出演した同傾向の作品の集大成になり得るとの判断からの出演だったかもしれません。

 そして、恐らく、アラン・ドロンのキャリアにとっても、それまでのルネ・クレマン、ルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジュリアン・デュヴィヴィエ、クリスチャン・ジャックなど、ヨーロッパ映画作品での巨匠たちの演技指導、同世代のアイドル・スター女優たち(ロミー・シュナイダー、ミレーヌ・ドモンジョ、パスカル・プティ、ジャクリーヌ・ササール、フランソワーズ・アルヌール、ブリジット・バルドー、モニカ・ヴィッティ、クラウディア・カルディナーレ、ジェーン・フォンダ)や往年の大スター(ダニエル・ダリュー、ジャン・ギャバン)との共演・・・その次のステップアップに果たすべく非常に重要な企画だったと思います。

 何故なら、『泥棒を消せ』を演出する監督は、アメリカ社会の映画への反映が顕著であったことも手伝っていたとはいえ、黒人俳優のシドニー・ポワチエがアカデミー主演男優賞を受賞した『野のユリ』(1963年)、そして、『泥棒を消せ』より後の作品ですが、アメリカの西部劇の転換点を作った『ソルジャー・ブルー』(1970年)を生み出していく、当時、気鋭のラルフ・ネルソンだったからです。

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 また、共演者のアン・マーグレットは、『バイ・バイ・バーディー』(1963年)や当時の恋人だったエルヴィス・プレスリーと共演したミュージカル『ラスベガス万才』(1964年)などで、当時のティーンエイジャーから支持され、歌手としても人気を博していました。
 1962年にマリリン・モンローが謎の死を遂げたばかりのハリウッドにおいて、次の世代のセックス・シンボルとして期待することができる女優としてラクウェル・ウェルチが注目されることになるのは、1966年の『ミクロの決死圏』からです。この当時はアン・マーグレットくらいしかその大役を期待できる女優はいなかったでしょうから、彼女は、今までヨーロッパでアラン・ドロンと共演したどの女優にも引けを取ることはなかったと思います。

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 そして、ジャン・ピエール・メルヴィル監督が、『サムライ』のモデルのひとつとしたグレアム・グリーン原作の『This gun for hire』(1941年)で非情な殺し屋を演じた「B級フィルム・ノワール」のスター、アラン・ラッドと『シェーン』(1953年)で共演したヴァン・へフリン、ジャック・パランスも『泥棒を消せ』の共演者でした。

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 アラン・ドロンが、自らの次の本舞台とするための「・・・アメリカ合衆国で一連のもっと重要な企画・・・」、つまり、今後のスタートアップのための作品の一本とした『泥棒を消せ』への出演は、当時の自分の状況や国際市場としてのアメリカ映画の現状などから考えて十分過ぎるほど魅力的なものだったのでしょう。

 更に、この企画は、大女優の大器を備えたロミー・シュナイダーとの婚約解消、ヴィスコンティ一家としてのスター俳優としての業績からの遁走までも代償し、自国で席巻している「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品を凌駕することをも可能であると、彼は考えたのではないでしょうか!?

 アラン・ドロンがナタリーとの電撃的な結婚を果たし、妊娠中の彼女ーを同行させ、映画の国際市場アメリカ合衆国という大海原に出帆していった状況やその背景をこのように考えれば、ジャン・ピエール・メルヴィル監督からのオファーのあったピエール・ルスー原作の『フルハウス(ラッキー・ジョー)』に興味を示すことができなかったことは無理の無いことだったかもしれません。

 そして、アメリカ映画界でのアラン・ドロンのこの行動については、成功、失敗の結果よりも、この生き方そのものこそが重要だったのだと私は考えます。

 また、彼は世界中の映画ファンから、どのようなスターになることを期待されていたのか?・・・敗戦国家から朝鮮特需景気を経た神武景気、岩戸景気による所得倍増計画から、東京オリンピック景気を経験し、戦後復興を成功させていた極東の国、日本での爆発的なアラン・ドロンの人気・・・その高度成長の後半期、1970年代初頭のいざなぎ景気を経て、ニクソン・ショックから、第四次中東戦争をきっかけにした第一次オイルショックを経験し、高度経済成長時代の終焉を迎え、日本列島改造論の景気拡張も、現役首相の金脈問題による辞任で大揺れとなっていた頃、北海道に在る人口30万人あまりの地方都市での一家庭で、次のような会話があったことを忘れてはなりません。

 実はこれ、今回初めて公開するものを含むのですが、アラン・ドロンの国際スターとしての枯渇に関わる在り方についての貴重な会話ですから、恥を偲んで公開することにしましょう!

>トム(Tom5k)
「アラン・ドロンが出ている『外人部隊』なんて映画ないぞ!」
>父親
「ん~?まあ・・・だけど、そんな感じの映画、アラン・ドロンらしいべ。あっはっはっはっ!」
【<『名誉と栄光のためでなく』~幻想映画館『外人部隊』~>】より

 そして、この会話は、その後も引き続き、次のとおり、粘り強く行われていたのです。
>トム(Tom5k)
何だよ、それっ、何か観た映画無いのかあ?
>父親
いや!ある。ホントだ。

 この記事を読まれている方に言っておきますけれど、もうこの時点で、この後のブログ記事、あんまり真剣に読まないほうがいいと思います。手の平を返すのが早くて申し訳ありません。

 当時、愚かな私はこのような質問を、このような父親に何故、何度もしてしまったのでしょうか?
 当然のことながら、昭和50年(1970年代半ば)頃には、インターネットなどはありませんし、雑誌やレコードの解説、各種の映画に関連した著作本、テレビでの映画紹介などが情報源でした。
 アラン・ドロンと同世代の父親が何か彼の作品をリアル・タイムで観ているのではないかと思っていましたし、雑誌や本などの情報とは異なるその映画公開のときのリアルな感覚を少しでも父親から引き出したかったのだと思います。

>父親
確か・・・ジャン・ギャバンとのコンビものだ。『ギャ~ァ~ング!』・・・。
>トム(Tom5k)
はっ、なに?「ギャング」???
>父親
なんか、そんなやつだ。あいつの映画、似たようなヤクザものばっかりだから。確か母さんと一緒に行ったな。
母さん、途中で寝ちゃってよ。あれ?『スリ』だっけなあ?
いやっ!あれは観に行った!『やまねこ』・・・フランソワーズ・アルヌールがきれいだったなあ。

 『ギャング』(1966年)は、ジャン・ピエール・メルヴィル監督、『スリ』(1959年)は、ロベール・ブレッソン監督の作品で、どちらにもアラン・ドロンは出演していません。『友よ静かに死ね』の原題も『Le Gang』ですが、この時点では、ロジェ・ボルニッシュの原作本はフランスでもまだ出版されていません。
 そして、フランソワーズ・アルヌールが出演しているのは、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『山猫』(1960年)ではなく、アンリ・ドコアン監督の『女猫』(1958年)です。もちろん、アラン・ドロンは出演していません。

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 自分で記事を掲載して無責任かもしれませんが、既に説明することがもう面倒くさくなってきています。

 私は1964年3月生まれです。この時代は、母親が子供をどこかに預けてまで旦那と映画を観に行くような呑気な時代でもなかったと思いますから、1967年日本公開の『ギャング』は行ってはいないと思いますし、この地方都市では公開されていたかどうかも疑わしい・・・たぶん、ジャン・ギャバンの名前が出ているので、1963年8月日本公開の『地下室のメロディー』を観に行ったのだと思います。それも本当かどうかはわかりませんが・・・。

 後日、母親に聞いたところ、『道』(1957年日本公開)、『刑事』(1960年日本公開)は、父親と行ったそうですが、『地下室のメロディー』は観ているが、テレビで観たのか、映画館で観たのかは、憶えていないとのことでした。

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>母親
『刑事』だけどね。いつの間にかね。後ろ側からカバン盗ってね、あんた!それから新聞紙、脇にはさめてさ、その人ね、全然、盗まれたことに気がつかないの。いやあ、すごかったわあ・・・だけど、アラン・ドロン出てたかい?
(おふくろ、それね『スリ』だよ。ドロン?出てねぇし・・・。)
(※『スリ』は1960年日本公開)
>母親
歌も流行ったんだよ。「アモーレ、アモーレ、アモ~レミ~オ~」
(いやあ、歌わなくていいから・・・まあ、その歌、確かに『スリ』でなくて、『刑事』の『死ぬほど愛して』だわ・・・。)

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 なんか、だんだん、どうでもよくなってきたんですが・・・
 ようするに、父親の言っていた『ギャング』というアラン・ドロンの作品は、

ジャン・ギャバンと共演した 『地下室のメロディー』 や 『シシリアン』
失敗作であったかもしれませんが、彼のその後のキャリアにおいて重要な作品となったアメリカ映画 『泥棒を消せ』
フランス映画の復帰後の人気を「フレンチ・フィルム・ノワール」作品によって確実にできた 『さらば友よ』
アデル・プロダクション設立初めての作品 『ジェフ』
ライバル、ジャン・ポール・ベルモンドとの互角の共演作品 『ボルサリーノ』
ジャン・ピエール・メルヴィル監督の「フレンチ・フィルム・ノワール」代表作品 『仁義』

 これらの作品を一本にまとめた「アラン・ドロン」主演作品だったのだと思います。あながち間違ってもいないアラン・ドロンの幻の作品 『ギャング』・・・

 このギャングのイメージで、アラン・ドロンが映画大国アメリカに渡って果敢にチャレンジして撮った『泥棒を消せ』が、ジャン・ギャバンと共演した『地下室のメロディー』とともに、彼のその後の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の原型のひとつとなったことは間違いの無いことだと思います。


>ギャング役は好き?
>アラン・ドロン
ぼくが一ばん好きなのがギャング役ではない 観客が一ばん好きなのがギャング役なのだと思う(略-)」
【アラン・ドロン 孤独と背徳のバラード 芳賀書店(1972年)】
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by Tom5k | 2016-12-31 00:05 | 泥棒を消せ(2) | Trackback | Comments(0)

『泥棒を消せ』②~アメリカ映画での「ギャング映画」を優先した「アラン・ドロン」①~

>『ギャング』の成功のあと、なぜ『サムライ』という新規の、しかもリスクのある企画に乗りだされたのですか?
>メルヴィル
 ドロンに連絡をとって、ルスー原作の『フルハウス』にでてくれないかと提案したんだ。ドヴィルがそれを撮る前にね。するとドロンは「IBMプレジデント」タイプライターで打ったまったく愚劣な手紙をよこしたのさ。それには、近々、アメリカ合衆国で一連のもっと重要な企画が控えているので、私の提案には興味が持てないと書かれていた。
 ところが、『ギャング』が当たると、今度は彼のほうから、私と一緒に映画が撮れたらうれしいと言ってきたので、私はルスーのその本を彼に送ったんだ。『ラッキー・ジョー』のタイトルで既に映画化されたことを知らせずに、「三年前、君が断ったものを撮ろう」と彼に言ってね。
 原作を読んだあと、彼は承諾したよ。だが、映画化権を取り直すことができなかったので、私はドロンに『影の軍隊』のジェルビエ役を提案した。しかし彼はその役を断り、他のシナリオで私の関心を引くものはないかどうか尋ねたんだ。
 一九六三年に、国際舞台での活動に打ち込むつもりだと知らされる前、私は彼に当ててオリジナル脚本を一本書いていたので、そのことを彼に告げた。すると直ちに、彼は私にそれを読んで聞かせるよう要望したよ。(略-)
【引用:『サムライ ジャン・ピエール・メルヴィルの映画人生』ルイ・ノゲイラ著、井上真希訳、晶文社、2003年】

 なお、ルイ・ノゲイラ著『サムライ-ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生』での注釈では、「IBMプレジデント」ではなく、「エグゼクティヴ」のタイプライターだそうです。
 それから、『ラッキー・ジョー』(1964年)は、『いぬ』の原作者ピエール・ルスーによる著作であり、ミシェル・ドヴィル監督、ピーター・チェイニー原作のノワール小説のシリーズや『アルファヴィル』で、私立探偵レミー・コーションを演じたエディ・コンスタンティーヌ、『愛人関係』に出演していたピエール・ブラッスール主演で映画化されました。

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 「一九六三年に、国際舞台での活動に打ち込むつもりだと知らされる前、私は彼に当ててオリジナル脚本」とは、もちろん、アラン・ドロンの代表作となる「フレンチ・フィルム・ノワール」の映画史的傑作である『サムライ』(1967年)のことです。

 『影の軍隊』(1969年)は、ジャン・ピエール・メルヴィル監督にとっては、自らのライフ・ワークとしていたほど想い入れの強い作品でした。
 驚かされたことは、アラン・ドロンが、その『影の軍隊』の主人公ジェルビエを演じる可能性があったこと、それをアラン・ドロンに断られたために、1967年に『サムライ』をそれより優先して制作している、つまり『サムライ』の制作は1969年に『影の軍隊』を制作する2年前ですから、ジャン・ピエール・メルヴィル監督が自分の大切なライフ・ワークに取り組むことよりも、アラン・ドロンを自分の作品に出演させることを優先していたことです。

>メルヴィル
 一九四三年にロンドンで『影の軍隊』を見つけたんだ。そしてそれ以来、ずっと映画化したいと思っていた。一九六八年、その昔からの夢をついに実現させるつもりだとケッセルに言った時、彼は二十五年間もそれほど粘り強くひとつのアイディアを追求するなどということがあり得るとは思っていなかったね。
【引用:『サムライ ジャン・ピエール・メルヴィルの映画人生』ルイ・ノゲイラ著、井上真希訳、晶文社、2003年】

サムライ―ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生

ルイ ノゲイラ Rui Nogueira 井上 真希晶文社



 いずれにしても、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の『フルハウス』の企画を1963年に断っているアラン・ドロンにとっての「・・・アメリカ合衆国で一連のもっと重要な企画・・・」とはどのような企画だったのかを考えるには、アメリカ映画において、1940年代に隆盛を極めた「フィルム・ノワール」の体系が、その後どのような変遷を辿っていったかをある程度知っておくことが必要です。

 まず、1950年代の「フィルム・ノワール」のひとつの傾向に、「悪徳警官」を扱う作品が増えたことが挙げられます。ロイ・ローランド監督、ロバート・テイラー、ジョージ・ラフト、ジャネット・リー、ヴィンセント・エドワーズ出演『悪徳警官』、リチャード・クワイン監督、フレッド・マクマレイ、キム・ノヴァク出演『殺人者はバッヂをつけていた』(いずれも1954年)、オーソン・ウェルズ監督、オーソン・ウェルズ、チャールトン・ヘストン出演『黒い罠』(1958年)などがその代表作品です。

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 1950年代のアメリカ社会は、テレビの普及・定着によって、テレビ・ドラマが番組として量産されていく時代を迎えます。逆に、ハリウッドでの映画製作はテレビが提供できないアダルト・テーマを主軸にする作品を増やしていきます。
 それは、映画の都ハリウッドの内幕を露わにしながら、サイレント映画時代のスター女優の狂気を描写したビリー・ワイルダー監督、グロリア・スワンソン、ウィリアム・ホールデン主演『サンセット大通り』(1950年)、労働組合と暴力組織の癒着をテーマにしたエリア・カザン監督、マーロン・ブランド主演『波止場』(1954年)などの作品でテーマとなっていました。

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 なお、1960年代になって、イギリス映画『007は殺しの番号(007/ドクター・ノオ)』(1962年)の影響からテレビ映画作品での『0011ナポレオン・ソロ』、『スパイ大作戦』やアクション・スパイ・コメディの『電撃フリント』なども含めて、スパイ映画のブームが到来します。
 後年、ここからスティーブ・マックイーンやクリント・イーストウッドの活躍する「アクション映画」、特に、ポリス・アクションを主体にする傾向がアメリカ映画での主要なポジションに位置づいていくようになっていきます。

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 これらと平行して、現金や宝石の強奪をストーリー・プロットとして扱った作品も盛んに量産されていました。
 ジャン・ピエール・メルヴィル監督も絶賛していたジョン・ヒューストン監督、マリリン・モンロー出演『アスファルト・ジャングル』(1950年)、スタンリー・キューブリック監督のハリウッド映画第一作目の『現金に体を張れ』(1956年)、1970年代に全盛期を迎える「ブラックス・エクスプロイテーション・フィルム」の原点とも言える作品、ハリー・べラフォンテ主演の『拳銃の報酬』(1959年)、ルイス・マイルストン監督、フランク・シナトラ、ディーン・マーティン、ピーター・ローフォード、サミー・デイヴィス・Jr、ジョーイ・ビショップ、シャーリー・マクレーンなど、シナトラ一家総出演の『オーシャンと十一人の仲間』(1960年)などがあります。やはり、シナトラ一家はイタリア系移民が多いようですが、黒人歌手のサミー・デイヴィス・Jrもその一員でした。
 また、ジャン・ピエール・メルヴィル監督も、1955年、現金強奪のテーマでの作品『賭博師ボブ』を既に制作していました。

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 これらの映画の作風から考えたとき、1950年代から1960年代初期のアメリカ映画は、公民権運動、ベトナム戦争への批判などからヒッピーなど若者の既成価値観への抵抗などの影響を受けていくようになり、『俺たちに明日はない』(1967年)から始まっていった「アメリカン・ニューシネマ」の到来が予感できる時代として振り返ることができると私は思っています。

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 この時代には、『手錠のままの脱獄』(1958年)で、手錠に繋がれたトニ・カーチス演ずる白人とともに脱走する逃亡犯を演じたシドニー・ポワチエは、前述したハリー・ベラフォンテ、サミー・デイヴィス・Jrとともに主役級の立場で正当な評価を受けるようになっていきました。
 このことは、映画の制作自体が社会的課題を改善していった結果として注目すべきことですし、それが「アメリカン・ニューシネマ」の時代になって、『夜の大捜査線』シリーズ(1967年~)を皮切りに、『黒いジャガー』(1971年)、『スーパーフライ』(1972年)などを代表にした黒人パワーが全開する「ブラックス・エクスプロイテーション・フィルム」が隆盛を極めていくことになるわけです。

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【参考 アメリカ映画100年帝国 なぜアメリカ映画が世界を席巻したのか? 北島明弘著 近代映画社(SCREEN新書) 2008年】

アメリカ映画100年帝国―なぜアメリカ映画が世界を席巻したのか? (SCREEN新書)

北島 明弘 / 近代映画社



 1950年代以降、1960年代後期のこのようなアメリカ映画の変遷を振り返ると、1940年代の「フィルム・ノワール」は、1960年代後期から1970年代にかけて低予算の社会派の作品にアクションを取り入れていく「ニューシネマ」の傾向に総括されていったように感じられるのです。

 『泥棒を消せ』は1964年の作品です。まさにテーマもこれらの例から漏れることなく、他国からの移民の問題、犯罪者の更生などの社会問題に、宝石強奪などのアクションをプロットに取り入れた構成になっています。

 ここで、アラン・ドロンが演じる主人公エディ・ペダック、ジャック・パランスが演じたエディの兄ウォルターは、イタリア共和国北東部にあるトリエステ出身のアメリカ合衆国への移民です。
 主人公エディは、過去の犯罪経歴から執拗に警察に付きまとわれ失業を繰り返します。
 あてにしていた失業保険の給付金でさえ、受給要件を満たしていないからと給付されませんでした。愛する妻クリスティーヌはエディに隠してナイトクラブでホステスをすることを決心します。そのことを知ったエディは、とうとうその生活環境に耐えきれなくなり、兄ウォルターの計画した宝飾プラチナ強盗に着手することになってしまうのです。
 妻クリスティーヌには、犯罪に手を染めた夫を、到底、理解することはできませんし、強盗仲間の裏切りで一人娘のカティが誘拐されてしまったことから動揺し、その結果、夫への気持ちも離れてしまう展開になってしまいます。


【<『泥棒を消せ』②~アメリカ映画での「ギャング映画」を優先した「アラン・ドロン」②~>に続く】
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by Tom5k | 2016-12-30 23:57 | 泥棒を消せ(2) | Trackback | Comments(0)

『泥棒を消せ』①~「アラン・ドロン」の原型 家族愛と犯罪者の悲哀~

 ラルフ・ネルソン監督は如何なる演出家であったのでしょうか?
 わたしは、彼が社会の矛盾に正面から向き合って、実直にヒューマニズムを貫いていった立派な演出家であるように思っています。

 当時の共産圏である東ヨーロッパから移住してきた尼僧たちと、アメリカ合衆国においては、現在においても未だ払拭されていない差別待遇を受け続けるアフリカ系アメリカ人の青年が、前向きに未来を信じ、アリゾナ州の砂漠の荒野に教会を建設する苦労を描いた『野のユリ』(1963年)の演出を担当したのがラルフ・ネルソン監督です。
 主演したシドニー・ポワチエは、この『野のユリ』でアフリカ系アメリカ人として史上初めてのアカデミー賞を受賞しています。
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 このような前向きで強い生き方や、純真無垢な主人公たちの善行ばかりを描くことは、リアリズムの作風からはかけ離れていくのかもしれませんが、ラルフ・ネルソン監督の健康的で人間の可能性を信じきっている人柄が理解できます。
 また、アフリカ系アメリカ人や共産圏から亡命者としての移民を、あえてこのように描くことで、人道的なメッセージを特に強調して発していたのかもしれません。そして、この作品公開の数年後、すでに赤狩りを経験したハリウッドによる「アメリカン・ニューシネマ」の時代の到来を予兆させ、ラルフ・ネルソン監督自身においても、映画人としての先見的で勇敢な試みであったようにも感じられるのです。

 彼はこの作品から2年後の1965年、やはりヨーロッパから移住してきた移民の青年とその家族に焦点を当て、多くの移民たちがアメリカ合衆国で、いかに苦渋を強いられたかという生活の実態を描き、それが犯罪要因のひとつであるところまで突き詰めた「フィルム・ノワール」作品『泥棒を消せ』を制作します。
 1940年代の全盛期となっていた「フィルム・ノワール」作品とは作風が全く異なり、むしろ、それ以前の1930年代に全盛期を迎えていた「ギャングスター映画」の体系や、あるいは1970年代の『ゴッド・ファーザー』などの一連の「マフィア映画」などの前段に位置する作風と解釈できないこともありません。
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 そして、この作品はアラン・ドロンがフランス映画界から渡米した第1作目の作品なのです。
 そういった広い意味では、彼も移民としての心情を十分に理解することができ、リアルな演技に結びつけることが可能であったような気もします。

 早くから独立や革命によって、君主制度を廃止して共和制度を確立したアメリカ合衆国とフランス共和国は、特別な友好関係で結ばれています。エリス島の「自由の女神」像は、その友好の証しとして、フランス政府がアメリカ合衆国の建国100周年を記念して贈呈したものです。
 その「自由の女神」像は世界各国の多くの移民たちが、アメリカ合衆国に入国するときの玄関口、ニューヨーク港に入るたびに必ず目にします。自国の圧政や貧困などから逃れ、新興産業国である自由の国アメリカ合衆国を目指して来た多くの移民にとっての「アメリカン・ドリーム」の出発点にシンボライズされてしまうものだったのでしょう。

 しかし、その「アメリカン・ドリーム」も厳しい競争社会、差別社会であるアメリカ合衆国では、そう簡単に到達できるものではなく、貧困な移民たちにとっては多くの乗り越えなければならない、そして計り知れない苦難がそこから始まっていったことは想像に難くないところです。

 移民たちのほとんどは、多くの孤独や不安、若干の期待、そしてもう後戻りできずにその土地で生きていかなくてはならない悲壮な覚悟、そんなナーバスな心境をもって、この「自由の女神」像を仰ぎ見ていたのではないでしょうか?
 過去の映画でもこういった移民たちを扱った作品は多くありました。わたしが印象的だった作品は、チャーリー・チャップリンの『チャップリンの移民』(1916年)、フランシス・コッポラの『ゴッド・ファーザーPART II』(1974年)などですが、そこでの主人公たちが移民船でニューヨークに着くときのショットが強く記憶に刻まれています。
チャップリン作品集 (5)
チャールズ・チャップリン / / アイ・ヴィー・シー





ゴッドファーザー PART II
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『チャップリンの移民』での「自由の女神」像と移民船内から像を仰ぎ見るアイルランド系移民

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『ゴッド・ファーザーPART II』での「自由の女神」像と移民船内から像を仰ぎ見るイタリア系移民

 チャップリンの作品から68年後に制作された『ゴッド・ファーザーPART II』ですが、恐らく、フランシス・コッポラは、『チャップリンの移民』のこのワン・ショットに強烈な印象を受けていたのではないでしょうか?

 1968年、ラルフ・ネルソン監督は、ダニエル・キース原作の『アルジャーノンに花束を』を映画化します(日本公開時の表題は『まごころを君に』)。知的に未発達な主人公チャーリーが、人間強化の生化学実験の被験者となり、IQが異常発達させられるにつれ、正常な社会のすさんだ事実の多くに気づいていくことになり、知的に未発達だった頃には持たなかった疎外感に急激に襲われていくのです。
 結局最後には、チャーリーは元の自分に戻る結論を自らに下します。
 何故、チャーリーは、いわゆる「正常化」した自分を捨てなければならなかったのでしょうか?彼がとった悲しい決断の意味を、現代社会に生きているわれわれは真摯に受け止めるべきなのだと思います。
アルジャーノンに花束を リバースエディション
クリフ・ロバートソン / / 角川映画





 ラルフ・ネルソン監督の作品で最も有名な作品は、『ソルジャー・ブルー』(1970年)でしょう。
 アメリカ開拓時代、先住の原住民であるネイティブ・アメリカンと白人とが対立し、武力で勝る白人がネイティブ・アメリカンを迫害していったのは西部開拓史の暗部のひとつだったわけですが、そのアメリカ騎兵隊のネイティブ・アメリカンへの最も有名な残虐行為が「サンドクリーク事件」です。1864年、アメリカ合衆国コロラド州サンドクリークで、約600人のシャイアン族が騎兵隊「ソルジャー・ブルー」によって虐殺されたのです。

 わたしはこの作品のラスト・シークエンスの大虐殺を正視してしまいました。もう二度とこの作品を鑑賞したいとは思いませんし、ここで、その殺戮シークエンスの詳細を記したいとも思いません。
 モンタージュ、カット・バック、ドリー、パンニング、ティルト、クレーン・・・すべての映画技法もこの作品に限っては(あくまでもこの作品に限ってはですが)「くそ食らえっ!」です。吐き気を催し、すべての思考が停止するシークエンスとしか表記する術がない凄惨を描き出しています。

 そして、西部劇において、野蛮で凶暴なネイティブ・アメリカンが善良な白人を襲撃し、それらの暴力に立ち向かう勇敢で正義感溢れる騎兵隊という類型的で硬直化していたステレオ・タイプの構図をぶち壊したのが、この作品によって描かれたネイティブ・アメリカンと騎兵隊の姿であるのです。
ソルジャー・ブルー
キャンディス・バーゲン / / キングレコード






 ところで、アラン・ドロン主演の「フィルム・ノワール」作品としては、この『泥棒を消せ』(1965年)が妻や子供のために生きる夫、父親としてのアイデンティティを全面に表出させた初めての作品であったように思います。

 彼がこの作品よりも前に主演した「フィルム・ノワール」作品に体系付けられる作品としては、ジャン・ギャバンとの共演作品『地下室のメロディー』(1962年)、過去のジャン・ギャバンが主演していた作品に非常に類似している『さすらいの狼』(1964年)があり、どちらも旧来のフランス映画の伝統を引き継ぐものでした。
 アラン・ドロンは、ハリウッド作品では大きく成功することができず、数年後にヨーロッパに帰還し、主に「フィルム・ノワール」作品によって、国際的な人気俳優としての全盛期を迎えていくわけですが、彼のその後の多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の原型を、この『泥棒を消せ』から感じ取ることができるのです。


 アラン・ドロンが演じる主人公エディはドラッグ・ストアで発生した殺人事件の複数犯人の一人として警察当局に連行されますが、不十分な証拠のために釈放されます。彼には強盗の前歴があり、その事案を担当していたヴァン・ヘフリン扮するヴィドー警部が公務上の傷害を受けており、その発生原因がエディの発砲に起因するものだと、警部本人は思い込んでいるという設定です。
 そして、根深い恨みをヴィドー警部に持たれているエディは、彼の執拗な監視に邪魔されて次々と職場を解雇されてしまいます。
 アン・マーグレットが扮する彼の妻クリスティーンと幼い娘カシー。エディには命にも代え難い大切な家族が存在し、過去の犯罪を自省し更正に向かっていたのですが、ジャック・パランスの演ずる兄ウォルター率いる強盗団に犯罪計画を持ちかけられてしまいます。

 最後にはヴィドー警部の誤解が解けたことが、まだ救いにはなっていますが、せっかく更正しようとしていた主人公が再び犯罪の道に駆り立てられた理由が、本人の資質のみに起因しているなどとは到底思えず、わたしはやり場のない憤りのようなものを多く感じました。

 『チャップリンの移民』でのチャーリーは、移民船内で知り合ったエドナと幸せな結婚を果たしますが、その後の彼らの人生が順風満帆だったと誰が予測できるでしょうか?そして、『ゴッド・ファーザー』のビトー・コルネオーネは、幾多の困難を乗り越え生き抜いていきますが、とうとう犯罪集団の大ボスとして君臨してしまうことになります。

 『泥棒を消せ』のラスト・シークエンスは悲惨です。裏切り者の仲間たちは兄ウォルターを殺害し、娘のカシーを誘拐します。更に娘を助け出そうとしたエディも殺害されてしまうのです。


 アラン・ドロンは、西ドイツのブルジョア令嬢の女優、ロミー・シュナイダーとの世紀の大恋愛を経た後、ナタリー・バルテルミー(後のナタリー・ドロン)という無名の女性と婚姻し、最愛の息子アンソニーが生まれる幸せの絶頂期に渡米しています。

 フランスではジュリアン・デュヴィヴィエやルネ・クレマン、クリスチャン・ジャック、イタリアではルキノ・ヴィスコンティ、ミケランジェロ・アントニオーニという大演出家の作品で磨かれ、鍛え抜かれた俳優とはいえ、彼の人気はアイドルとしてのカリスマ性を基本に据えたものでした。
 いくら若くて二枚目であったとしても、妊娠した配偶者を連れての渡米で、人気の中心となるべき若い女性ファンの心をつかめるわけがありません。アラン・ドロンほど目先の効く人間が、人生を賭ける大冒険ともいえるハリウッド進出で何故それほど脇を甘くしてしまったのか?

 わたしは恐らく、彼の家族への異常ともいえる愛情の執着心が大きな理由のひとつであったような気がしています。
 幼少の頃に両親の離婚、そして貧困な生活を経験し、母親の家庭、父親の家庭のどちらからも、厄介者扱いされて育ったアラン・ドロン。彼の家族愛への憧憬は、健全に標準的な家庭で育った者には到底、理解することなど不可能なほど飢餓的であったに相違ありません。
 そしてそれが、愛する妻と息子を持った夫、父親としての自尊心となり、ハリウッド・デビューという映画ビジネスの戦略よりも勝ってしまった結果のように思うのです。

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家族に囲まれて満足そうなアラン・ドロン
【週間20世紀シネマ館1960年①昭和35年「銀幕の主人公たちアラン・ドロン」 (講談社)より】


 帰仏後の映画スターとしての魅力や映画ビジネスの効用においては、プラスの作用をしていた彼のキャラクターも、ダーティでスキャンダラス、現代的過ぎるビジネス(金銭)感覚など、一般的、日常的にはマイナスのイメージが強かったようです。
 しかしながら、映画においては、『泥棒を消せ』の主人公エディのように常に家族を愛する姿が垣間見えるようにもなり、とうとうそれも魅力のひとつとなっていったようにも思います。
 残念ながら、実生活での彼の家庭は数年後には維持できなくなってしまいますが、ハリウッドでの失敗を年齢とともに自らの魅力に取り込んでいった彼のしたたかさには感心してしまうところです。
 特に、後年強い信頼関係を構築して、共に映画を製作していったジョゼ・ジョヴァンニの関わっている作品に、その傾向が強いような気がします。

『シシリアン』(1969年)では、妹想いの優しい、しかしやくざな兄。
『スコルピオ』(1973年)や『フリック・ストーリー』(1975年)では、愛する女性の優しい婚約者。
『ビッグ・ガン』(1973年)では、家庭のためにマフィアの組織から足を洗う決断をする夫、父親。
『暗黒街のふたり』(1973年)では、父親代わりの保護司の指導や妻の愛情によって、出所後に更正していたにも関わらず、執拗な警察当局に猜疑され、再び犯罪者に回帰せざるを得ない前科者の夫。
ジャン・ギャバンが演じた保護司ジェルマンは彼の父親代わりのようでした。
『ル・ジタン』(1975年)では、少数民族ロマ族の移民であることから社会的差別を受け、犯罪者となってしまった息子、愛する妻の夫、最愛の息子の父親。
『ブーメランのように』(1976年)では、完全に更正し、りっぱな実業家として活躍していたにも関わらず、最愛の息子が犯罪を犯してしまったことから、むかしの仲間に逃亡(スイスへの亡命)の手立てを依頼してしまう元強盗団の父親。
・・・等々。

 彼の「フィルム・ノワール」作品の特徴には、社会から受ける差別や貧困によって虐げられ、不本意にも犯罪者になってしまった者たちの悲哀に満ちたドラマトゥルギーが根幹に据えられています。
 本人がいくら頑張って更正しようとしても、それが容易ではないことなど、多岐に渉る多くの社会矛盾の摘発や現代社会への憤りを描いていったがために、アラン・ドロンが演じたそれらの主人公たちは、アンチ・ヒーロー的なヒーローの観を呈していくことになったのかもしれません。
 このような帰仏後の彼の犯罪者の哀愁における漂着イメージには、「フィルム・ノワール」であるにも関わらず、家族想いで家庭を大切している主人公がよく登場するようになり、更にその実態をクローズ・アップさせることになったのだとも思います。 

「同時代の俳優、たとえばジャン・ルイ・トランティニアンや、ジャン・ポール・ベルモンドらがスターでありながら演技派として確かな評価を受けても、アラン・ドロンという人はやはりもって生まれた華やかさとどこかあざといまでの美男子ぶりが邪魔をしてしまうようだ。本作(映画『私刑警察』のこと)もテーマとしては「黒い警察」や「Z」に通じる硬派社会派ドラマなのだが、皮肉なことにドロンの相変わらずのスター性が、内に込められた現代性を隠してしまっている感がある。」
【引用 『私刑警察』DVD(パイオニアLDC株式会社)ライナー・ノーツ】

 これは、映画『私刑警察』(1988年)の解説からの抜粋によるものですが、アラン・ドロンの出演してきた「フィルム・ノワール」作品の多くに該当し、非常に的を得た彼の評価のように思います。
>・・・内に込められた現代性を隠してしまっている・・・
 しかしながら、作品の魅力とアラン・ドロンの魅力が拮抗して、彼も彼の作品も、すべてが魅力的になっていることも間違いの無い事実であるとは思います。
 アラン・ドロンは単なる映画スターではなく、いや、もちろんスターであるが故の彼独特の個性が根幹に存在していたからこそ、現代的ヒーローと定義付けられる時代のシンボリックな存在であると評される所以があったようにも感じるのです。


 D・W・グリフィスの歴史的傑作である『イントレランス』(1916)の第4話現代編は、近代国家においてのブルジョアジーの偽善行為や傲慢さが、善良な一般大衆の生活苦の原因となり、そのために失業したプロレタリアートが犯罪の道に足を踏み入れ、家族のための更正を主人公の犯罪前歴が阻むというテーマで描かれています。
 そのように考えると、この第4話現代編には、その後のあらゆる「フィルム・ノワール」や、マフィアやギャングを中心に据えた映画作品のエッセンスがすべて映像化されているように思うわけです。
イントレランス
リリアン・ギッシュ / / アイ・ヴィ・シー





 ラルフ・ネルソン監督の演出から社会に対して発せられる鮮烈なメッセージは、社会的弱者に対しての不寛容(イントレランス)な社会への憤りであったに相違ありません。
 そういった意味でも、この『泥棒を消せ』は、D・W・グリフィスの影響を引継いでおり、特にそれは、『ゴッド・ファーザー』シリーズや『俺たちに明日はない』、『イージー・ライダー』などのアメリカン・ニューシネマの鮮烈な前段に位置付けられて然るべき作品であり、アラン・ドロンが後に出演していった「フレンチ・フィルム・ノワール」新体系のテーマ「家族愛と犯罪者の悲哀」にまで、大きな影響を与えたほど優れた新しい「フィルム・ノワール」作品だったのです。
俺たちに明日はない
/ ワーナー・ホーム・ビデオ





イージー★ライダー コレクターズ・エディション
/ ソニー・ピクチャーズエンタテインメント





 この『泥棒を消せ』は、映画史上において、もっと脚光を浴びて然るべき優れた作品であるのかもしれません。

 そして、先住民族を虐げて開拓した自国の歴史実、近代化後に入国してきた移民たちが強いられる生活苦、科学万能の急激で不自然な発達からの人間の疎外状況、それでも夢や希望を捨てない前向きでひた向きな生き方・・・。
 一貫したヒューマニズムを持ったラルフ・ネルソン監督の作品のテーマやメッセージは、アメリカ合衆国史の暗部を直視して描き続けられました。このような人道的な作家主義を貫いた彼の功績は映画史上において、もっと評価されるべきなのです。
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by Tom5k | 2008-07-11 14:21 | 泥棒を消せ(2) | Trackback(5) | Comments(13)