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『百一夜』②~「新しい波」から見たアラン・ドロン~

 わたしにとってのこの作品は、ドキュメンタリスト集団「ヌーヴェル・ヴァーグ」左岸派のアニエス・ヴァルダが、“映画人アラン・ドロンをどう見ているのか”を知ることのできた実に興味深い作品でした。アラン・ドロンの出演はほんの数分ですが、この短時間のシークエンスに彼のスター・俳優・プロデューサー、そして実業家としての素顔までもが、すべて描かれているように感じることができました。さすが才女ヴァルダ監督です!
 アラン・ドロンとは全く縁の無かった左岸派のインテリが、ここまで彼を鋭くとらえていることに驚きを禁じ得ません。

【「フランス映画100年協会会長(記念委員会委員長)」であるミシェル・ピコリが演ずるシモン・シネマ。彼はパリに郊外ある城館に住んでいます。まもなく迎える映画生誕100周年、彼は、映画とともに人生を歩み、オーソン・ウェルズであると同時にジャン・リュック・ゴダール、そして演じているミシェル・ピコリ本人でもあります。
 ムッシュウ・シネマは映画そのものに同化した人物なのです。
 彼は老齢によるボケ防止のため、101日の間、映画の話をする契約で、映画の大学院生のジュリー・ガイエ演ずるカミーユを雇い入れました。】

 この作品の舞台は、ジャン・リュック・ゴダールがアラン・ドロンを主演とした『ヌーヴェルヴァーグ』とたいへん似通っています。ブルジョアの大邸宅、広い庭園、それを管理する庭師、ビジネスティックに登場するアラン・ドロンは『ヌーヴェルヴァーグ』のリシャール・レノックスのようでした。

 実業家アラン・ドロンは国際ビジネスマンを象徴するように、自家用ヘリコプターで華やかに登場します。ムッシュウ・シネマを見舞うためです。
 この挿話は、屋敷を訪問したアラン・ドロンと、ムッシュウ・シネマの執事、アンリ・ガルサン演ずるフィルマンとの、彼の出演作品のポスターや写真が掲示されている邸宅でのやり取りを中心に展開します。

 まず、眼に入ってくる作品ポスターは、

『さらば友よ』(ジャン・エルマン監督)
『未知の戦場 ヨーロッパ198X年』(ピエール・グラニエ・ドフェール監督)
『黒いチューリップ』(クリスチャン・ジャック監督)
『悪魔のようなあなた』(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)
『ボルサリーノ2』(ジャック・ドレー監督)

です。

 まさに、伝統の「詩(心理)的レアリスム」新旧(?)監督作品が掲示されており、室内を歩くアラン・ドロンのパンニングによる効果もあり、わたしはこれらのポスターの迫力に圧倒されてしまいました。

『山猫』
 師匠であったリアリズムの巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督との代表作、アラン・ドロンが最も尊敬するハリウッドのスター、バート・ランカスターとの共演作でもありました。
『地下室のメロディー』
 やはり彼が最も敬愛するジャン・ギャバンと共演した初めての「フレンチ・フィルム・ノワール」作品です。
『デーモン・ワールド』
 特に映画史的な意味でも、アラン・ドロンの代表作としても、現在のわたしは特筆すべきものを感じませんが、もしかしたら注目すべき作品なのかもしれません。
『暗殺者のメロディ』
 ハリウッド・テン事件でハリウッドを亡命した鬼才ジョセフ・ロージー監督の演出作品、彼の厳しい演技指導に、アラン・ドロンがぎりぎりまで追いつめられたリアリズム作品です。それはロミー・シュナイダー、リチャード・バートンら大スターとの競演作品としての“皮”を被った“前衛映画”だったのです。
『凶悪の街 刑事の勲章 復讐のビッグ・ガン』
 名プロデューサー、ジャック・ペランと共演したドロン後期のアクション「フレンチ・フィルム・ノワール」です。
『若者のすべて』
 師匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の「ネオ・リアリズモ」最高傑作とも言える素晴らしい作品でした。
『パリの灯は遠く』
 20世紀映画の古典とまで絶賛されているアラン・ドロンの代表作品です。ヨーロッパでは第一級の作品としてジョセフ・ロージー監督と共に記憶され続けています。

 執事フィルマンは、アラン・ドロンをスターのなかのスター、その頂点に位置する大スターとして絶賛します。フランス映画における彼への位置づけも、かつての日本と同じだったことが分かります。

 印象的なのは、アラン・ドロンがルキノ・ヴィスコンティ監督の写真の前で立ち止まり、『山猫』のポスターに見入るシーンです。この写真を見ながら、彼は何を思っていたでしょう。

 フィルマンは、アラン・ドロンの一ファンとして彼にサインを求めます。
「“ゴッチ”へと
 あなたが『レッド・サン』で演じた名前と同じです。」
 ゴッチ(ゴーシェ)。彼の国際俳優としての知名度を名だたる者にした西部劇です。

「ご主人は?」
「体が不調でして 面会謝絶の指示が出ています」

 このシーンは本当にショッキングでした。
 恐らくアニエス・ヴァルダ監督は、師匠ルキノ・ヴィスコンティへの非礼と確執を償うことの出来なかったアラン・ドロンの生き方の原因を、俳優としてでなく「ビジネスのなかで実現させた大スター」としての成功によるものとしたのではないでしょうか?

 それをムッシュウ・シネマへの面会謝絶にモンタージュ(比喩)させたヴァルダ監督。なんという大胆な演出なのでしょう!これが「映画史的記念作品のアラン・ドロン挿話」のテーマなのです。
 フィルマンとのユーモアあふれるダイアローグと、アラン・ドロンの大スターの風格とダンディズムを正確に表現しながらも、それは実に残酷できびしい眼でした。
 フィルマンに面会謝絶を告げられたときのアラン・ドロンのクローズ・アップの表情など、今までの作品で彼が一度も見せなかったような怒りと驚愕、苦渋の入り交じった表情でした。彼女の演出の強さを感じると同時に、わたしには実に感動的な一幕でもありました。『幸福』を撮った彼女の演出手腕は衰えてはいなかったのです。本当に彼女の演出は見えない、見せない、見せたくない、見たくない本質までをもえぐり出してしまっています。
 巨匠の巨匠たる所以でしょう。

 しかし、さすがにビジネス・マン、アラン・ドロンです。すぐに笑顔で切り返し、名刺を置いて邸を出ます。彼はこのように割り切りの早さも天下一品なのです。

 そして、アラン・ドロンが邸を出るときのフレーム・アウト後の瞬間、クリスチャン・ジャック監督の『黒いチューリップ』のポスターが、一瞬のストップ・ショットでカットされているのです。
 このショットにも大いに考えさせられてしまいました。

 このショットの意味は何なのか?
 「詩(心理)的レアリスム」第二世代のクリスチャン・ジャック監督のこの作品を、ルキノ・ヴィスコンティやロミー・シュナイダーと決別し、スター、アラン・ドロンを確立する契機となったナタリー・ドロンとの結婚や、ハリウッドへの新しい旅立ちに象徴させたのか?
 左岸派のドキュメンタリストでさえ、フランス映画クラシックスの最後の作品として、クリスチャン・ジャック監督とアラン・ドロンの作品を認めざるを得なかったのか?
 旧時代の典型的な娯楽大作であるヒーロー時代劇を、アラン・ドロンの二面性を生かして制作した作品は、彼を最もシンボライズさせた作品と捉えたのか?

 恐らく、すべて理由としては間違ってはいないでしょう。

 しかし、その最も大きな理由のひとつとして、
 アニエス・ヴァルダ監督が、ジェラール・フィリップを心から敬愛していたことによるものなのだと、わたしは思っているのです。
 『黒いチューリップ』が、ジェラール・フィリップを主演としてクリスチャン・ジャック監督で制作された娯楽大作『花咲ける騎士道』の連作とも言える時代活劇だったことを忘れてはいけません。
 つまり、『黒いチューリップ』は、彼女がジェラール・フィリップへのオマージュを、アラン・ドロンを通して伝えたかった作品だったように思ってしまったのです。
アニエス・ヴァルダによるジェラール・フィリップ
アニエス ヴァルダ / / キネマ旬報社





 真実は、いずこ?

 いずれにしても、彼女がこの作品を、典型的なアラン・ドロン映画であると定義づけたことには、頷ける理由が多いような気がします。

 アラン・ドロンが、ジュリー・ガイエ演ずる映画大学の大学院生のカミーユを、パリ15区に送るシーンも印象的です。
 駆け出しの頃、パリ15区に住むグラン・ブルジョアの青年役など出来るわけがないと、マルセル・カルネ監督の評を受けて、『危険な曲がり角』の主役を勝ち取ることができなかった彼は何を思ったでしょうか?
 今や、アラン・ドロンは実業家・映画スターの座を勝ち取り、ブルジョアジーとなりました。蔑まれ、くやしい思いばかりして、どん底の生活からはい上がってきた彼は、自分のヘリコプターで若くて美しいカミーユをパリ15区までエスコートするのです。
 成功者アラン・ドロンに、ヴァルダが限りない優しい眼を向けているように感じたのは、わたしだけでしょうか?

 しかし!
 やはり、ここでも才女アニエス・ヴァルダ監督のカメラ・アイは、恐ろしくシビアなショットに繋ぎます!
 「ネオ・リアリズモ」の巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『自転車泥棒』のパロディが挿入されているのです。ルキノ・ヴィスコンティ監督の「ネオ・リアリズモ」から出発して、実業家になったアラン・ドロンは、大切な何かを置き忘れてきた成功者であると、彼女がきびしく問いかけているように見えるのです。
 アラン・ドロンをシモン・シネマに会わせなかった彼女なりの理由が、ここにも表現されているのではないでしょうか?!
 ルキノ・ヴィスコンティとの確執は、「貧困への裏切りと決別」がその理由だったのかもしれません。アニエス・ヴァルダのインサート・カットは、アラン・ドロンのファンに対して果てしないイリュージョンを投げかけます。
自転車泥棒
/ アイ・ヴィー・シー





 エマニュエル・サランジェ演ずるヴァンサンが、ジャン・リュック・ゴダールを真似てシモン・シネマと映画の議論している会話のシークエンスに、アラン・ドロンを追い返した執事フィルマンが飲み物を運んできます。ドロンが訪れたことを告げずに警察を追い返したと虚言し、「フィルム・ノワール」のパロディに関連づけるのです。
 フィルマンがシモン・シネマの映画嗜好に不満を漏らし、自分の大好きな「フィルム・ノワール」を賞賛します。

 何故、ここで敢えて、ゴダールとドロンのパロディを挿入し、両者に接点を持たせたのでしょうか?
 恐らく、5年前に奇跡のコンビネーションで制作された『ヌーヴェルヴァーグ』で、やっとフランス映画史の矛盾を解消した二人への、アニエス・ヴァルダの暖かい賞賛メッセージのための設定だったのだと、わたしは思います。

 しかしまた、ここにも「ヌーヴェル・ヴァーグ」の同志ゴダールへのユーモア溢れる、しかしシニカルで凄まじいヴァルダの批判が隠されていると、わたしには感じられるのです。

 ハリウッドの「フィルム・ノワール」の代表作品を数え上げる執事フィルマン。

「フランス作品では?」

 とヴァンサンのゴダールは問いかけます。

「“Le Samouraï(サムライ)” “Borsalino(ボルサリーノ)” 
 “Trois hommes à abattre(ポーカー・フェイス)”
 “Un flic(リスボン特急)”」

 とフィルマンはハードに応酬します。

 「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派が絶賛していたジャン・ピエール・メルヴィル監督と、その「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派が最も無視していた旧時代の伝統を受け継ぐジャック・ドレー。このふたりの作品を並列して、アラン・ドロンの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品としてくくっているヴァルダの体系付けは素晴らしい!
 アラン・ドロンが出演し続けてきた「フレンチ・フィルム・ノワール」作品に、とても大きな意義を感じます。

「アラン・ドロンのファンか」

 とヴァンサンのゴダールは、素知らぬ顔ですが、

「誇りだ」

 とフィルマンは切り返します。

 そして、レイモンド・チャンドラーではなく、ダシール・ハメットの肖像画のストップ・ショットでカットしているところが憎いのです。

 カイエ派のゴダールは、ヒッチコックやハワード・ホークス、ハリウッドの「フィルム・ノワール」作品や、ジャック・ベッケル、アンリ・ジョリュジュ・クルーゾーなど、自国の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品を絶賛し、『勝手にしやがれ』を生み出しました。
 それが、いつの間にか知識階級、文化人面の極端に言えば似非のインテリになってしまったゴダール(言い過ぎかもしれません)。彼女は、今度はアラン・ドロンを通して彼を批判したように、わたしには感じられたのです。

 特に、アラン・ドロンのファン層は上流階級のブルジョアでもインテリでもなく、「女店員と工場労働者にうける二枚目」(この邸宅でもムッシュウ・シネマではなく、執事ファルマンが彼のファンです)という評価が主なものだったわけですから、それは説得力を持つものだったのです。
 彼ら大多数を構成している「庶民」のファン層を、映画では決して裏切っていないアラン・ドロンなのでした。

 「ネオ・リアリズモ」や、「フィルム・ノワール」を忘れてしまい、実業家や文化人になってしまった二人のブルジョアジーに辛辣に批判を浴びせながらも賞賛を贈っているアニエス・ヴァルダ監督!

【「映画ってやつはな、俺たちのためにできていないんだよ。なにしろ俺たちの芸術的、文学的伝統ときたら重みがありすぎて、俺たちは映画の方へ足を踏み入れることができないんだ。(~中略~)フランスの演劇はブルジョワ芸術さ。アメリカ映画は本質的に大衆のものなんだ。俺たちの間だけの話しだけだがね、実は俺は海の向こうの俳優仲間が羨ましいのさ、あんな観客を相手に芝居できるなんて。アイルランドやイタリヤからの、字だってほとんど読めない移民連中が相手だなんて」が兄の結論だった。】
(引用~『わがフランス映画誌 「2 ルノワールからゴダールまで」ジャン・ルノワール自伝からの引用転載』(山田宏一著 1990年 平凡社刊))

 フランスの映画史では、これらのことを忘れてはならないのです!


 次に、わたしの不満です。
 『太陽がいっぱい』等、ルネ・クレマンの作品が見あたらないのです!
 『二十四時間の情事』のシナリオを書いていた左岸派の前衛作家(ヌーヴォー・ロマン)マルグリット・デュラスが、自らの脚本で制作されたルネ・クレマンの『海の壁』に、失望したことが原因なのでしょうか?!
二十四時間の情事
/ アイ・ヴィー・シー





 ピエール・ボストとジャン・オーランシュの脚本家コンビは、未だに批判の対象なのでしょうか?!
 ドキュメンタリーの映画作家の出身であったルネ・クレマンは、左岸派にとっては近親憎悪の対象ともいえる存在なのでしょうか?!
 わたしはカイエ派とジュリアン・デュヴィヴィエやクリスチャン・ジャックとの矛盾の解消の後、左岸派とルネ・クレマンの矛盾解消が、今後の映画史体系の展開の課題であるのか?とまで考えてしまいました。


『地下室のメロディー』の写真に、ジャン・ギャバンが写っていないことと、
ジョゼ・ジョヴァンニがシナリオを担当した
『冒険者たち』
『シシリアン』(ギャバンとの共演作なのに出てこない)と、
監督として作品を演出した
『暗黒街のふたり』(やっぱり、ギャバンとの共演作なのに出てこない)
『ル・ジタン』
『ブーメランのように』などが、見あたらないことも気になります。

 ジャン・ギャバンとジョゼ・ジョバンニ
 考えてみれば女性を必要としない男性映画を創り続けた二人です。フェミニスト、アニエス・ヴァルダが認められる俳優や監督ではないかもしれません。理解できるような気もします。

 しかし、
『冒険者たち』を消し去ってしまうほどにまで、ジョゼ・ジョバンニは彼女に嫌われてしまったのでしょうか・・・?
 また、『黒いチューリップ』のストップ・ショットを考えれば、もしかしたら彼女は、アラン・ドロンにはジェラール・フィリップの後継者になって欲しかったのかもしれません。ジャン・ギャバンの後継者ではなく・・・。


 『太陽はひとりぼっち』、ミケランジェロ・アントニオーニも見当たりません?!
 主人公である「退廃した現代のビジネスマン」ピエロ(アラン・ドロン)を、彼女はよほど嫌悪していたのでしょうか?!
 自作『幸福』に比べたら、社会派恋愛作品としてのレベルが違う?フランソワから見たら、ピエロなど可愛くて、腹も立たない?からなのでしょうか?!
 
 『真夜中のミラージュ』の「シネマ・ヴェリテ」、彼女の同志ともいっていいベルトラン・ブリエも出てこないかったように思います?
 セザール賞男優賞は、彼女が選考委員だったら、アラン・ドロンじゃないのか?
 アラン・ドロン演ずるロベールの潜在意識は単に妻に惚れきっているだけ、『幸福』のフランソワに比べたら社会問題の欠片にもならない?「映画=真実」にしては甘かった?
 だからなのでしょうか?!

 ただ、うれしかったのはアラン・カヴァリエ(『さすらいの狼(製作・主演:アラン・ドロン)』)が他のシークエンスであったとはいえ、作品のセリフに登場していたことでした。
 さすが社会派フィクションの巨匠アラン・カヴァリエです!


 映画史における記念すべき巨匠アニエス・ヴァルダ監督の作品に、辛辣ではあっても、これだけ理解されて出演、迎え入れられたアラン・ドロンに対して、わたしは心からの賛辞を贈りたくなってしまうのです。
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by Tom5k | 2006-12-20 22:33 | 百一夜(2) | Comments(22)

『百一夜』①~フランス映画の新しい波~

 アレクサンドル・アストリュックの「カメラ=ステロ(万年筆)」論(1943年)は、作家としての思想の表現をカメラによって実践することを説いた映画理論です。その実践は「映像によって表現するのではなく、映像そのものを表現する」というものです。つまり、万年筆で文章を記述することと同様に、カメラでもそれは書けるというものなのです。それは、作家主義としての映画を目指した「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派の理論的根拠の根幹に当たるものでした。
 そして、その理論の影響を受けたのはカイエ派ばかりではありませんでした。
 ジャン・コクトーの作品や、ジャン・ポール・サルトルのシナリオ『賭はなされた』(監督:ジャン・ドラノワ、音楽:ジョルジュ・オーリック、主演:ミシュリーヌ・プレール)、アラン・ロブ・グリエのシナリオ『去年マリンエバートで』(監督:アラン・レネ、美術:ココ・シャネル)なども、「カメラ=ステロ(万年筆)」論の代表的な実践といえるものでしょう。
賭けはなされた
/ ビデオメーカー




去年マリエンバートで
/ ビデオメーカー






 そして、あの有名なフランソワ・トリュフォー(『大人は判ってくれない』)の「フランス映画のある種の傾向」という映画評論(「カイエ・デュ・シネマ」誌1954年1月号掲載)では、それまでのフランス映画「心理的レアリスム(1930年代に主流となった「詩的レアリスム」)」と定義された代表作家たちの痛烈な批判が、その後のフランス映画界に多大な影響をもたらし、世界的な映画潮流となっていったのです。
 彼の特に強調していた内容としては、当時の代表的な脚本家コンビであったジャン・オーランシュとピエール・ボストを使った文学作品群を否定し、ハリウッドの演出家、アルフレッド・ヒッチコック、ハワード・ホークスを純粋な娯楽映画の作り手として絶賛したものでした。
大人は判ってくれない
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 彼とともに、アンリ・ラングロワが創設した「シネマテーク・フランセーズ」の上映活動により映画を学び、「カイエ・デュ・シネマ」誌上で評論活動を開始していった仲間たちには、クロード・シャブロル(『美しきセルジュ』、『いとこ同士』、『二重の鍵』)、ジャン・リュック・ゴダール(『勝手にしやがれ』)、エリック・ロメール(『獅子座』)、ジャック・リヴェット(『パリはわれらのもの』)などがいました。
 彼らはその後、カイエ派と呼ばれるヌーヴェル・ヴァーグの代表的な作家となっていくわけです。
美しきセルジュ/王手飛車取り
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いとこ同志
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ジャック・リヴェット / / コロムビアミュージックエンタテインメント





 「カイエ・デュ・シネマ」誌を率いていたアンドレ・バザンは、「オーソン・ウェルズ論」による「モンタージュ理論の否認」、もしくは「極小制限」を理論化しました。それは『映画言語の進化』という論文により、彼らを指導していった映画理論でした。カイエ派の演出の技巧による作品は、基本的に彼のこの革新理論によった作品傾向を主としたものであったのです。
 彼がモンタージュ理論を否定的にとらえていった理由として、この古典手法が心理的側面からではなく、美学的側面からシステム化しており、観客に固定したイマジネーションしか与えないということを批判するものでした。
 彼は、「空間の深さの構図(パン・フォーカス等)」としての「カメラの流動性」を上げながら、ドリーやクレーンによる移動撮影が可能になったことや、カメラの軽量化、フィルムの感光度の高度化、照明用ライトの設備機器の充実などにより、パンニング、ティルトなどの技術を駆使し、いわゆる「長回し」によるオーソン・ウェルズの「ワン・ショット・ワン・シーン(シークエンス)」を肯定していきました。
 これこそ、あの有名な「現実のアンビギュイティ(あいまいさ)」の創造的な追求を目指した、カイエ派の映画技術の基本理念ともいえるものなのです。
 映画の主題は硬直した類型的なものではなく、もっと現実はあいまいであり、そのあいまいさのなかに観客主導のテーマとなるものが表現されると考えていたのです。わたしは、ジャン・ルノワール監督の『ゲームの規則』での「映画においてはすべての人間のいいぶんが正しい」というあの有名な言葉を思い出しました。
ゲームの規則
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 彼らカイエ派は、古典的なモンタージュによる固定した表現を避けて「現実のアンビギュイティ」を表現するべく、現実の多面性を「パン・フォーカス」や「長回し」などで観る者による映画フレームにおける「視点の自由」を確保しようとした実践に挑んでいくことになったのです。

 しかし後年、アンドレ・バザン自身もこれは単純なモンタージュの否定ではないと理論修正を表明し、ゴダールも映画の作家主義を自己批判、トリュフォーも新時代のロケーション一辺倒の撮影理論を修正しています。カイエ派のその後の映画理論は固定した体系ではなく、それは後年においても模索され続けられていったものだったと言えましょう。


 ルイ・マル(『死刑台のエレベーター』、『恋人たち』、『地下鉄のザジ』)やロジェ・ヴァデム(『素直な悪女』、『大運河』)は、助監督時代を経ることによる映画職人としての修行を積む伝統的な古い「映画監督」の育成システムによって頭角を現してきた演出家です。ですからカイエ派とは共通の思想を持っているわけではありません。
恋人たち
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地下鉄のザジ
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獲物の分け前/素直な悪女
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大運河
フランソワーズ・アルヌール / / アイ・ヴィー・シー





 しかし、彼らの映画ではマイルス・デイヴィスやMJQを起用してシネ・ジャズを体系づけたり、人気女優の大胆なヌードによって、セクシュアルな恋愛やテーマにしたり、屋外ロケーションを敢行してスタイリッシュなサスペンスやコメディ作品などを手懸けたり、敢えて反道徳的な作品テーマで映画制作に取り組んだりと、それらの作風は常に革新的でした。彼らはカイエ派からも絶賛されていくことになり、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家として位置付けられていくことになります。
死刑台のエレベーター[完全版]
マイルス・デイヴィス / / ユニバーサルクラシック





 セーヌ河の右岸側に事務所を構えていた「カイエ・デュ・シネマ」誌とは対局のセーヌ左岸側のモンパルナス界隈に集っていた一群の作家たちが、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の左岸派と呼ばれ活動していきます。
 彼らはドキュメンタリー出身のインテリ指向の演出家が多く、映画芸術において社会派の要素を持たせた左翼映画人としての傾向を強く持った演出家たちです。

 薄っぺらいジャーナリズムを否定し、リアリズムを超越する文学性の高いドキュメンタリストのアラン・レネ。
夜と霧
/ アイ・ヴィー・シー





 ジャン・ピエール・メルヴィル監督が「ヌーヴェル・ヴァーグ」の真珠と評した『ローラ』の監督ジャック・ドゥミ。彼が演出したカトリーヌ・ドヌーヴ主演のミュージカル『シェルブールの雨傘』や『ロシュフォールの恋人』では、全セリフが歌になってしまっていました。
 彼はアニエス・ヴァルダの最愛の夫です。
シェルブールの雨傘
カトリーヌ・ドヌーブ / / ソニー・ピクチャーズエンタテインメント





ロシュフォールの恋人たち
カトリーヌ・ドヌーブ / / ソニー・ピクチャーズエンタテインメント





 左岸派のなかでも、「シネマ・ヴェリテ(「映画=真実」)」派と呼ばれるクリス・マルケル(『美しき5月』、『ラ・ジュテ』、『サン・ソレイユ』)、ジャン・ルーシュ(『わたしは黒人』、『人間ピラミッド』)、ベルトラン・ブリエ(『ヒットラーなんか知らないよ』、アラン・ドロン主演『真夜中のミラージュ』)は、1920年代の「社会主義リアリズム」の時代、旧ソ連のジガ・ヴェトルフの「キノ・プラウダ」(やはり「映画=真実」)の手法を継承した作風です。
ラ・ジュテ / サン・ソレイユ
クリス・マルケル / / アップリンク





人間ピラミッド
ドキュメンタリー映画 / / 紀伊國屋書店





 「シネマ・ヴェリテ」とは、特定した任意の個人に対しての系統立てた広汎な視点による質問とインタビュー、その回答をモンタージュしたドキュメント作品を創作する活動を指します。
 現在では珍しくもないTV番組での街頭インタビューなどもこの手法をモデルとして定着したものです。
 また、アラン・レネの代表的な二作品、『二十四時間の情事』のシナリオを担当したマルグリット・デュラス、『去年マリンエバートで』のシナリオを担当したアラン・ロブ・グリエは、「ヌーヴォー・ロマン」の作家として位置づけられています。
 このふたりはアラン・レネ監督のこの二作品により、前衛芸術としての映画独自の文体を模索し、文学的思考方法を深めていった功績から、センセーショナルに脚光を浴びていきました。
 『かくも長き不在』のアンリ・コルピは、編集者としての実績と「ヌーヴォー・シネマ(前衛的映画)」を開拓し、カンヌ映画祭のグランプリを受賞しています。

 左岸派の作風にも、アレクサンドル・アストリュックの「カメラ=ステロ(万年筆)」論は、多くの影響を与えていたいように感じます。

 このような優れた芸術作品を創作し続けた「ヌーヴェル・ヴァーグ」左岸派に属するアニエス・ヴァルダは、ベルギー、ブリュッセルの出身で「ヌーヴェル・ヴァーグ」の祖母とまで呼ばれている「ヌーヴェル・ヴァーグ」の代表的作家です。」
 映画監督になる前の彼女は、戦後ソルボンヌ大学等で博物館で学芸員を目指し、国立民衆劇場での専属カメラマンとして活躍していたインテリゲンチャでした。また、映画人としての彼女は、左岸派のアラン・レネとも親交が厚く、ジャック・ドゥミの結婚相手でもありました。

 彼女のデビュー作は、『ラ・ポワント・クールト』(1954年)ですが、フランソワ・トリュフォーのカイエ誌での評論と同年の作品です。カイエ派の評論家たちが映画作家としてデビューするよりも前の作品なのです。
 正式な公開に当たってはアラン・レネがアンドレ・バザンらの映画関係者に試写上映し、2年後の1956年にようやくパリで5週間の上映にこぎ着けました。
 専門家からの批評は高く「「ネオ・リアリズモ」の巨匠であったロベルト・ロッセリーニ監督の『イタリア旅行』や、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『揺れる大地』に共通する演出技巧を持っている。」と賞賛されたそうです。
イタリア旅行 (トールケース)
イングリッド・バーグマン / / アイ・ヴィー・シー





 しかし、これらの賞賛内容に、彼女は相当のいらだちを憶えていたそうです。この作品を撮ったときの彼女は、それまでに観た映画が20本ほどでしかなく、映画にはズブの素人だったようで、ロベルト・ロッセリーニもルキノ・ヴィスコンティも知らなかったらしいのです。
 編集には素人ヴァルダを手伝うため、幾人かのプロのスタッフを蒐集し、アラン・レネもそこに参加していました。
 そしてその後、彼女はシネマ・テークや劇場でひたすら映画を鑑賞、あらゆる映画雑誌を読みあさり、シネアリストとして生きていくことを決断、『5時から7時までのクレオ』(1961年)や『幸福』(1964年)(1965年ベルリン国際映画祭 銀熊賞)の成功で、一躍、世界的に有名な映画監督になります。
5時から7時までのクレオ ~Collector’s Edition~
コリンヌ・マルシャン / / 竹書房





幸福
ジャン・クロード・ドルオー / / アイ・ヴィー・シー





 『幸福』では、一環して幸福を追求する夫、その妻や子どもをかけがいのない存在としているにも拘わらず、その主人公の夫にとっては「幸福」という価値自体だけが必要なものであり、それを構成している各個人(妻や子どもたち)は取替可能であること、その罪悪感に全く無頓着な様子を描き出していました。実に恐ろしいテーマを取り上げたものです。
 女性としての憤りを喚起するような屈強な自尊心も感じさせる作品でした。

 彼女の作品では最もシビアで先鋭的なそのテーマと異なり、その映像における色彩の美しさは際だっています。極彩の自然色を使用し、ファンタジックでチャーミングな印象でしたが、映像美というにしてはソフトで柔らかく優しい色合いの色彩映像でした。
 彼女は、『ラ・ポワント・クールト』を撮った後に、旅行会社からの注文仕事としてロワール城やコート・ダジュール紹介の短い観光(ツーリスト)映画を撮っていたころ、ソルボンヌ大学時代に学んだ印象派絵画の手法を適用して、色彩ヴァリエーションの試行錯誤をしていたそうです。『幸福』は、そうして完成した絵画映画とも言える作品です。

「印象派たちは、たとえばオレンジの影は紅紫色であり、レモンの影は青色であるというふうに考えた。そこに絵画のアイディアに導かれる感動がある。それは現実においては全く真ではないが、それにも拘らず正しい感動であるということを発見した。わたしの『幸福』では金色が紫色を呼ぶ。紫はわたしの熱愛する色であり、眼でわたしに話しかける色だからだ。わたしの色を一々理論づけようとしても無理だ。わたしは頭で考えることより、感動によって行動する。なぜならわたしは非常に強い感動を持っているからだ。

 白は魅惑的な色だ。そこでわたしは自分固有のヴォキャブラリーに固執する。小説家たちが特権化された言葉を持っているのと同じに、わたしはイメージの言葉を持っている。わたしの映画で恋に関するすべてのことが白に具体化されているのも、その一つだ。砂の白さ、旗の白さ、壁の白さ、紙の白さ。あるいはまた『5時から7時までのクレオ』におけるように、室内の、雪の、芝生の上の光線の白さ。白さはわたしにとって、恋と死を意味する一つの分解だ。死の深いテーマが予感されるごとに、クレオが死のひらめきを持つたびに、それは彼女の心における絶対的な白さであった。『幸福』においても、白は悲劇的である。生命を侵すのは暗闇ではない。存在を溶解するのは白い明るさである。」
(アニエス・ヴァルダ 談)
【引用 『海外の映画作家たち 創作の秘密(フランス編 アニエス・ヴァルダ)』田山力哉著、ダヴィッド社、1971年】

 『幸福』で開花した絵画映画としての美しさは、その31年後の『百一夜』でも同様の美しさであり、メルヘンティックでファンタジックな映像が表現されており、そうでありながらも辛辣で本質的なメッセーッジも感じさせます。

 『ベトナムから遠く離れて』(1967年)は、アラン・レネ、クロード・ルルーシュ、ヨリス・イヴェンス、ジャン・リュック・ゴダール、ウィリアム・クレインが参加し、クリス・マルケルが総編集したベトナム戦争を批判した政治ドキュメンタリー作品です。
 その後、ゴダールや左岸派の政治ドキュメンタリーが、「ヌーヴェル・ヴァーグ」、「シネマ・ヴェリテ(映画=真実)」を超えて、政治=フィクション映画やスターシステムにおける伝統作品の継続にまで、その発想の原点は拡がりを見せていったように思います。
 『歌う女・歌わない女』(1977年)では、フェミニズムを象徴する女性映画を制作し、『冬の旅』(1985年)では、ヴェネチア国際映画祭 1985年金獅子賞・国際評論家賞を受賞。『カンフー・マスター!』(1987年)では、主人公とその娘の同級生との恋愛を描き、『アニエスv.によるジェーンb』(1987年)は、女優ジェーン・バーキンのドキュメンタル作品、『ジャック・ドゥミの少年期』(1991年)では最愛の夫ジャック・ドゥミへのオマージュを捧げました。
歌う女・歌わない女
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カンフー・マスター!
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アニエス・vによるジェーン・b(字幕)’87仏
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ジャック・ドゥミの少年期
フィリップ・マロン / / ジェネオン エンタテインメント





 そして、いよいよ映画生誕100周年の年に、リュミエール兄弟が映画を発明して以降の映画史的作品である『百一夜』(1995年)の企画、この記念すべき映画を彼女は任せられたのでした。

【参考文献】
『海外の映画作家たち 創作の秘密』田山力哉著、ダヴィッド社、1971年
『現代映画芸術』岩崎 昶著、岩波書店(岩波新書)、1971年
『ヌーベルバーグ以後 自由をめざす映画』佐藤忠男著、中央公論社(中公新書)、1971年
『映画芸術への招待』杉山平一著、講談社(講談社現代新書)、1975年
『フランス映画1943-現代』マルセル・マルタン著、村山匡一郎、合同出版株式会社、1987年
『わがフランス映画誌』山田宏一著、平凡社、1990年
『現代思想 総特集 ゴダールの神話』青土社、1995年10月臨時増刊
『フランス映画史の誘惑』中条省平著、集英社(集英社新書)、2003年
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by Tom5k | 2006-12-20 14:46 | 百一夜(2) | Comments(25)