『マタンゴ』~東宝特撮映画における「フィルム・ノワール」~

この作品は、わたしが小学4年生(3年生?)のときにTV放映がありました。子供には実に後味が悪く、相当ショックを受けていたように記憶しています。
クラブ歌手の水野久美は悪女そのものの個性で一貫していましたが、真面目な大学生である八代美紀のような清純で可憐な女性がマタンゴの犠牲になってしまうことなどや、ラスト・シーンでは主人公の久保明までもがマタンゴ化していたことがわかることなど、等々。

今回、わたしのブログの盟友のオカピーさんと用心棒さんのお二人が、この作品について、全く異なる印象・評価を持つ結果に至っています。お二人はそれぞれのブログ

『プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]』「映画評「マタンゴ」」

『良い映画を褒める会』「『マタンゴ』(1963)男女七人キノコ物語。ゾンビ映画やモラル的な寓話としても鑑賞可能」

で、映画評としての『マタンゴ』をアップされています。

このお二人の映画評に関わっては、大多数の商業映画に迎合した半端なものなどと異なり、実に鮮明で的を得たものばかりであり、映画を見る際の参考レビューとしては代金を支払ってでも読む価値のあるものばかりです。

さて今回、わたしが再見して思った印象と感想です。

作品は昭和30年代のネオンサインきらめく大東京の都市景観から、大学の助教授役である久保明の独白によるフラッシュ・バックから始まり、ヨットで遊びに出た7人の若い都会の男女が暴風雨に襲われて漂流し、漂着した無人島が舞台となって展開していきます。

無人島に座礁している難破船。
マタンゴというキノコは何なのか?何の目的で訪れ難破してしまったのか?難破船の乗務員たちはどうなったのか?飢えで死んだのなら、その死体は?

濃霧で覆われ、野鳥でさえ寄りつこうとしない屍のような無人島での孤独を、流行作家の太刀川寛の回想シーンで描きます。作家であった彼は、孤独における感受性が最も強く、いち早く禁断のこの大型菌類マタンゴの虜になってしまったのです。彼の場合は、特に飢餓よりも孤独がマタンゴへの誘因となってしまっていたとは言えないでしょうか?
それが、仲間達との都会での生活をフラッシュ・バックしていることから表現されているわけです。

すでにマタンゴに侵されてしまった水野久美にそそのかされ、大手企業の若手社長である土屋嘉男が初めてマダンゴを口にして酩酊するシーンでは、画面フレームを傾斜させて踊るダンサーたちのアングル・ショット、都会のネオンと妖艶なサックスフォンの音色で踊る彼女たちとのオーバーラップが使用されています。マダンゴの酩酊・多幸感・幻覚により幻惑されてしまった様子の表現としては古典的な技法であるように思いました。
注視すべきは、このセクシュアルなダンサーとしての幻影には水野久美ではなく、清純な八代美紀が登場していることです。
作家の太刀川寛もマタンゴに侵された後に、八代美紀に関わる同様の本音を漏らしています。
男性の潜在意識には、水野久美のようなファム・ファタルよりも、清純でイノセントな八代美紀を求めてしまう本音が隠されているのかもしれません。

難破船内での様子も常に画面フレームを傾斜させたアングル・ショットです。座礁している難破船内ですから当然とはいえ、主人公たちの不安定な精神状態を表現するには非常に適切な舞台設定だったかもしれません。
船内の密室感もうまく表現されれいます。狭い廊下での左右を切り取ったような閉塞状況からくる恐怖感や、7人の主人公が、その船内で徐々にいらだちを募らせていく様子などは密室劇として、舞台演劇での上演も可能かもしれません。

初めてマタンゴが出現したときの7人の恐怖に引きつった様子はマタンゴ人間、天本英世からの主観描写で映し出され、水野久美と八代美紀のクローズアップの悲鳴でカッティングされています。

主人公たちの人格面での堕落はひどいものです。登場人物相互間での裏切り、土屋嘉男の小泉博への支配欲なども描かれ、主人公たちの飢餓によるマタンゴとしての破滅も必然的な展開といえるでしょう。
特にショッキングなのは、最も理知的で人格者であった小泉博が、仲間たち、特に久保博や八代美紀という良識的な二人を見捨て、自分だけが一人で無人島を脱出しようとしていたことです。
また、都会の生活での男を性的魅力で惹きつけ、欲望のままに男を破滅させてしまう水野久美のファム・ファタルなどは典型的なキャラクターといえましょう。

ラスト・シーンで一人生き残った久保明は言います。
「東京だって同じことじゃありませんか?みんな人間らしさを失なって・・・。同じことですよ。あの島で暮らした方が幸せだったんです。」

この作品の主人公たちは、『十五少年漂流記』、『パピヨン』、『キャスト・ア・ウェイ』のような前向きに困難を克服しようする素晴らしい主人公たちとは異なります。それは、彼らが日本人として戦後の高度成長まっただ中で一定の所得を得ることが可能となった富裕な都市生活者、つまり利便性に慣れすぎ、堕落してしまった国民となった結果であったためかもしれません。常に必要以上の欲求を満たすことが可能な退廃的な高額所得生活者に、生きる希望は持てないのではないでしょうか?
真面目に、そして地道に働くことを忘れたものたちへの決済を迫る主題であったようにも思います。

そういった意味でこの『マタンゴ』は、キノコを扱っていること以外は、典型的な古典的フィルム・ノワールといえましょう。


このように、素晴らしい主題が多く表現されているにも関わらず、マタンゴという怪人の造形があまりにも滑稽であるため、やはり超B級作品に成り下がってしまっていることが非常に残念です。マタンゴ変態の最終段階の造形がもっと優れたものであったなら、最高傑作の恐怖映画に成り得たようにも思います。
また、小泉博の最後の行動と、佐原健二のキャラクターの一部に斬新な創出が見受けられたものの、基本的に7名の主人公たちのキャラクターにおいては、いささか類型的で硬直したものでしかなかったように感じております。

わたしとしては、趣味的には用心棒さんの所感と同様の価値を見い出しておりますが、結果的にはオカピーさんの評価が客観的であり、一般的な評価であるように思っています。
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by Tom5k | 2006-11-13 13:55 | 東宝特撮 | Trackback(1) | Comments(11)