「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品を撮り続けたその代表的カメラマン、ラウール・クタールは、写真機用フィルム(英国製のイルフォード・フィルム)を繋ぎ合わせて使用したり、写真用現像液を使って感光乳剤の感度を倍増させるなどの工夫に努め、当時の映像技術の革命とまでいわれる成果を上げました。
【アンリ・ドカエやラウール・クタールといったヌーヴェル・ヴァーグの映像を想像していく冒険心にあふれたキャメラマンは照明や色温度や高感度フィルムについての研究を徹底的にやっていた。ルイ・マルによれば「ヌーヴェル・ヴァーグとはトライXの発明だ」ということになる。「トライXは夜間でも照明なしに撮れる高感度フィルム」であり、それを使ったのはヌーヴェル・ヴァーグが初めてではないが、「それを真に使いこなしたのが、ヌーヴェル・ヴァーグだった」のである。
ゴダールの『勝手にしやがれ』も、ゴダール自身が語っているように(「映画史Ⅰ」、奥村昭夫訳)、「映画の草創期におけるとおなじように、照明をつかわないで」「現実の光のなかで」撮ることをめざして「まだ写真用のフィルムとしてしか存在していない、感度の高いフィルム」、イルフォードHPSを使用したことはよく知られている。キャメラマンのラウール・クタールは、こうしたゴダールの注文に応じて、写真用のイルフォードHPSのフィルムをつないで映画用のロールをつくり、フィルム送りのためのパーフォレーションがなんとか合うカメフレックス・キャメラで撮影したとのことである。】
【引用『友よ映画よ わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』山田 宏一著、筑摩書房(ちくま文庫)1992年】
また、『勝手にしやがれ』では、ジャン・リュック・ゴダール監督が、カメラを持ったラウール・クタールの乗った移動車を押し、台本を練習しているジーン・セバーグを撮影したフィルムを完成した映画にそのまま使用したという逸話もあります。
【『勝手にしやがれ』は、俺にとって最初の映画的冒険だった。(-中略-)『勝手にしやがれ』は全篇隠しキャメラで撮影された。録音機もなし、なにもなしだ。俺たちはブールヴァール・デ・ジタリアンにいた。キャメラマンのラウール・クタールは小さな郵便車のなかに隠れて、小さな穴から撮影していた。すばらしかったね。これこそ、ほんとうのシネマ・ヴェリテだった。(ル・フィルム・フランセ誌1977年9月23日号(ジャン・ポール・ベルモンド))】
【引用『友よ映画よ わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』山田 宏一著、筑摩書房(ちくま文庫)1992年】
友よ映画よ―わがヌーヴェル・ヴァーグ誌 (ちくま文庫)(1992年)
山田 宏一 / 筑摩書房
映画における作家主義の特徴に、写実主義、すなわちドキュメンタリズムやリアリズムなどの記録的手法の復権を主張するものが多かったことを忘れてはなりません。そして、そのような映像のカメラ・ワークを確立した初期の「ヌーヴェル・ヴァーグ」の撮影スタイル・技法・技術の貢献・確立者で最も大きく存在していたカメラマンが、アンリ・ドカエであり、そして、このラウール・クタールであったことは、現在では映画史的常識とまでいえるかもしれません。
しかしながら、アンリ・ドカエにおいては、既に1960年代中に「ヌーヴェル・ヴァーグ」を早々と抜け出し、商業映画のカメラマンになることを厭わなくなっていきました。
【>ルイ・マル
(-略)『賭博師ボブ』の冒頭のピガール界隈の夜の名残りの薄明の風景を絶妙なモノクロのトーンでとらえたアンリ・ドカのキャメラには、みんな驚嘆し、自分たちが映画をつくるときにはぜひアンリ・ドカのキャメラでやろうと話し合ったことをよく覚えています。
結局、わたしが最初に映画を撮ることになり、『死刑台のエレベーター』のキャメラマンにはアンリ・ドカを使ったのです。
そう、『賭博師ボブ』のあのすばらしい映像に魅せられて、アンリ・ドカに撮影をたのんだのです。そのあと、ヌーヴェル・ヴァーグの最初の作品のキャメラはほとんどアンリ・ドカがひきうけることになった。(-中略-)
その後、彼はフランス最高のキャメラマンになった。「あんたとはもういっしょに仕事ができないね。高すぎて!」などとわたしたちは冗談半分に言ったものですが、本当に最高額のキャメラマンになってしまった。ジャン=ピエール・メルヴィルもその後、大監督になり、アラン・ドロン主演の『サムライ』とか『仁義』といった大作にはアンリ・ドカを使ったけれども、ヌーヴェル・ヴァーグの低予算映画では使いきれなくなってしまった。(-中略-)たしかに大キャメラマンになったのですが、しかし何かが失われてしまったような気もします。『死刑台のエレベーター』のころの彼はすばらしかった。どんなことでもやってみようという実験精神を持っていた。】
【引用「わがフランス映画誌」山田宏一著、平凡社、1990年】
わがフランス映画誌(1990年)
山田 宏一 / 平凡社
アンリ・ドカエとは異なり、ラウール・クタールは、こういった流れとは無縁であり、1980年代に入っても相変わらずジャン・リュック・ゴダール監督の作品を撮り続けていました。
『勝手にしやがれ』『小さな兵隊』(1960年)、『女は女である』(1961年)、『女と男のいる舗道』(1962年)、『カラビニエ』『軽蔑』(1963年)、『立派な詐欺師』『はなればなれに』『恋人のいる時間』(1964年)、『アルファヴィル』『気狂いピエロ』(1965年)、『彼女について私が知っている二、三の事柄』『メイド・イン・USA』(1966年)、『中国女』『ウイークエンド』(1967年)、『フレディ・ビュアシュへの手紙』(1981年)、『パッション』(1982年)、『カルメンという名の女』(1983年)、まさに、ゴダール=クタールとまでいえましょう。
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もちろん、カイエ派の同志フランソワ・トリュフォー監督の作品でも、『ピアニストを撃て』(1960年)から始まり、『アントワーヌとコレット/二十歳の恋』『突然炎のごとく』(1962年)、『柔らかい肌』(1964年)、『黒衣の花嫁』(1968年)、
【koukinobaabaさんが運営するわたしのお気に入りブログ『Audio-Visual Trivia フランソワ・トリュフォー Francois Truffaut』の記事を参照しましょう。】
【そして、盟友オカピーさんの『プロフェッサー・オカピーの部屋[別館] テーマ「トリュフォー」のブログ記事』は、こちらです。】
などで活躍し、
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友人としてのゴダールからの紹介で撮ったジャック・ドゥミ監督の『ローラ』(1960年)、
【シュエットさんの『寄り道カフェ』のブログ記事「ローラ」】
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ジャン・ルーシュとエドガール・モランが共同監督したシネマ・ヴェリテ派の代表作品『ある夏の記録』(1960年)、
「ヌーヴェル・ヴァーグ」のプロデューサーとして有名だったラウール・レヴィが監督し、脚本を執筆した『二人の殺し屋』『ザ・スパイ』(1965年)、及び製作、出演した『彼女について私が知っている二、三の事柄』(1966年)、
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社会派作品で有名なコスタ・ガヴラス監督の『Z』(1969年)、『告白』(1970年)、
【シュエットさんの『寄り道カフェ』のブログ記事「Z」】
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等々、一貫して商業映画と一線を画すような革新的な意図を持った作品に携わっていたカメラマンだったのです。
なかでも、「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」と謳われ、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派にも絶賛されていた大島渚監督の『マックス、モン・アムール』(1986年)で、彼が撮影を担当したときには、そのカメラマンとしての生き方の一貫した節操に、本当に驚かされました。
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「ヌーヴェル・ヴァーグ」に縁が深くとも、商業映画の傾向の作品制作に抵抗のない映画人たち・・・カメラマンのアンリ・ドカエ、そして、俳優ではジャン・クロード・ブリアリ、モーリス・ロネ、ジャン・ポール・ベルモンド、ジャンヌ・モロー、監督やプロデューサーではジャン・ピエール・メルヴィル、ラウール・レヴィなど・・・に限っては、アラン・ドロンの関わっている作品との接点が実際にあったわけです。そして、その柔軟性のある革新者たちに対して、ファンであるわたしとしては、安心感を憶えていたものでした。
話は逸れますが、アラン・ドロンは、映画で演ずるアンチ・ヒーロー的ヒーローであることと同様に、実際の映画人としても映画業界のアウトローとして孤独に耐えていかなければならいことも多かったと察します。
もしそうならば、そのことは、わたしのようなファンにとっては、たいへん辛いことです。
【(-略)アラン・ドロンの場合、彼がどうしてもフランスの俳優でなくちゃならないものをもっているわけではない。むしろ世界一般の現代青年たるべき条件をもっているから、成功したともいえる。(-中略-)彼はいきなり、国際スターにはなったが、フランスのスターとしては、弱体であったわけだ。】
【引用 「男優界の2大対決 ギャバン対ドロン」秦早穂子(月刊スクリーン 1963年 11月号より)】
【>アラン・ドロン
(-略)イライラしたジャーナリストがこんな事を言ったこともある:「フランス映画界にドロンは存在しない」私はフランス映画界に自分の居場所があると思っていたのにね。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/1 「回想するアラン・ドロン:その1(インタヴュー和訳)」】
【>アラン・ドロン
(-略)・・・私はヌーベルバーグの監督たちとは撮らなかった唯一の役者だよ、私は所謂「パパの映画 cinéma de papa※」の役者だからね。ヴィスコンティとクレマンなら断れないからねえ!ゴダールと撮るのには1990年まで待たなくてはならなかったんだ。(略-)】
※cinéma de papaとは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派のフランソワ・トリュフォーが付けた古いフランス映画への侮蔑的な呼称のこと。
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/21 「回想するアラン・ドロン:その7(インタヴュー和訳)」】
そういう意味で逆説的に考えると、彼の心強い助っ人としての存在は、実はその対極に位置する「ヌーヴェル・ヴァーグ」と関係の深かった者たちのなかに存在しているのかもしれないなどと、確かにわたしは思ってはいました・・・が、
まさか、それにしても、この『私刑警察』の撮影で、あのラウール・クタールがアラン・ドロンと映画を撮るななんて、いくら何でも、そんなことあるわけないだろう!!!???
・・・それまでも(今でも)、ずっとそう思っていたというより、そんなことすら考えも着かなかったといった方が正確かもしれません。
ですから、この刑事アクションを主体とした「フレンチ・フィルム・ノワール」作品としての『私刑警察』(1988年)で、思いもかけず実現してしまったラウール・クタールの撮影担当、それは奇跡ではなかったかと今でも考え込んでしまうのです。
ルキノ・ヴィスコンティ時代やジョセフ・ロージー時代など、映画史的レベルでも質の高いアラン・ドロン主演の作品と比較してしまえば、この『私刑警察』(1988年)が、そこまで達している作品とは到底思えず、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品としても、ジャン・ピエール・メルヴィル時代とは比較にならない作品であることは否めないというのが、わたしの正直な本音でした。
60代も半ばとなった彼は、何故、何故、何故に・・・この企画を引き受けたのでしょうか?????
実を言うと、わたしは、以前からその答えを察することができず、そして今、現在においてもそれを考え続けていました。
そして今、「カイエ・デュ・シネマ」誌を率いていたアンドレ・バザンが、ワン・ショット、ワン・シークエンスを基本に据えたアンチ・モンタージュ理論をもってハリウッドの娯楽作品を否定し、カイエ派の青年批評家たちに絶賛されていたロベルト・ロッセリーニ監督においても同様にアメリカ映画を嫌悪していたこと、などを想起してしまったのです。
それにも関わらず、カイエ派の青年批評家たちが、ハリウッドで娯楽作品を撮り続けていたハワード・ホークス監督やアルフレッド・ヒッチコック監督に心酔し、1940年代の「フィルム・ノワール」を絶賛していたことも有名な映画史実です。
ジャン・リュック・ゴダール監督の『勝手しやがれ』で、ジャン・ポール・ベルモンドが演じた主人公ミシェルが、くわえ煙草で「ボギー・・・」と、ハンフリー・ボガードのポスターに呟いたショットも思い浮かんできます。
最近、わたしはようやく、そこに彼が『私刑警察』の撮影を引き受けた答えがあるように思えてきたのです。
もしかしたら、ラウール・クタールは、かつて自分たちカイエ派の大師匠でもあるアンドレ・バザンやロベルト・ロッセリーニにすら迎合せず、心からハリウッドの娯楽作品に心酔していたことや、二流・三流といわれていたラオール・ウォルシュやテイ・ガーネット、ジャック・ターナーなどの娯楽作品の職人監督たちの映像技術を心底、敬愛していたかつての自分たちのことを想い起こしたのではないだろうかと・・・そして、そのとき、この『私刑警察』に、自らの青春を投影しようとしたのではないのだろうかと・・・。
また、アラン・ドロンにおいても、ラウール・クタールの鍛え抜かれた含蓄の深い映像技術をもって、自ら演ずる警察本部長グザヴィエが、部下のペレ刑事の殉職から発端となった男の規範を全うして全力を挙げる犯罪捜査の姿から、カイエ派も絶賛していたジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』(1954年)でのジャン・ギャバンが演じたギャング団のボス、マックスの弟分リトンの死に対する男の哀愁やダンディズムへの回帰を試みようとしたのではないのかと・・・。
現金(ゲンナマ)に手を出すな〈デジタルニューマスター版〉
ビデオメーカー
わたしは、そんな想いに至ったのです。
そう考えると、アラン・ドロンが、この『私刑警察』をジャン・ギャバンに捧げる作品としたことも・・・わたし自身が、この作品に惹かれ続けていたことも含めて、ようやく自分なりに理解できたような気がしてきたのです。
そして、これから先の時代に、再び、映画における新しい「新しい波(ヌーヴェル・ヴァーグ)」が発生することがあったとしたなら、もしかしたら、『私刑警察』が、未知の映画革新者たちにも強く愛される作品になるのではないかと・・・わたしはまた、あらぬ想いにとらわれ、ラウール・クタールのカメラで撮ったこのアラン・ドロン主演の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の素晴らしい魅力を発見し、深い感動を憶えてしまうです。
「ドロンを撮るということは一本の樹を撮るのと同じようなことだ。」
(ジャン・リュック・ゴダール)
「『ヌーヴェルヴァーグ』は私を驚愕させました。そして今、彼(ゴダール監督)は樹々を映画に撮っています。ドロンもまるで一本の樹のようです。」
(ミシェル・ピコリ)
【引用『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン 30年前から、ゴダール!』 カイエデュシネマジャポン編集委員会、フィルムアート社、1991年】
カイエ・デュ・シネマ・ジャポン (1)30年前から、ゴダール!(1991年)
カイエデュシネマジャポン編集委員会 / フィルムアート社



