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『アラン・ドロンについて』⑩~音楽の使い方が好きな作品 その1 クラシック音楽編~

 映画評論家の岩崎昶氏の名著「映画の理論」には、トーキー以後の映像と音楽の試行錯誤の成果の代表例として、1920年代のヴィキング・エゲリング、ルネ・クレール、ハンス・リヒター、フェルナン・レジェ、フランシス・ピカビヤなどの「絶対映画」、あるいは「純粋映画」などを初めとして、ワルター・ルットマン、ルイス・ブニュエル、クロード・オータン・ララ、ジャン・グレミヨン、ヨリス・イヴェンス、マン・レイなどのメンバーによる1920年代後半から1930年代にかけての「前衛(アヴァンギャルド)映画」運動のことが記されており、特にワルター・ルットマンに師事していたオスカー・フィッシンガーが、ポール・デュカスの『魔法使いの弟子』、ヨハネス・ブラームスの『ハンガリア舞曲、第5番』を創ったことが強調されています。

 また、アメリカのウォルト・ディズニーの『ファンタジア』(1940年)では、フィッシンガーを模倣して、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの「トッカータとフーガ、ニ短調」を第1曲とし、第3曲でも「魔法使いの弟子」を使用していることが挙げられています。
 図形や色彩の抽象的な映像の視覚効果を音楽に照応させた試行錯誤の成功例が、ウォルト・ディズニーへの影響により、この作品の成功に繋がったと推論しているのです。

動画配信サイト「YOU TUBE」の検索項目『ファンタジア』

 岩崎昶氏は、ウォルト・ディズニーが映画『ファンタジア』で、大衆性と技術的手段によって、バッハやデュカスのほか、イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキーの「春の祭典」、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの「田園交響楽」、アミルカレ・ポンキエッリの「時の踊り」をアニメーション動画の手法に取り入れ、モデスト・ペトロヴィッチ・ムソルグスキーの「禿山の一夜」と「アヴェ・マリア」で、シュールレアリズム技巧による映像表現で成功したと結論しています。

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映画の理論 (1956年)

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『ファンタジア』については、こちらに素晴らしい記事があります。
用心棒さんのブログ「良い映画を褒める会。」ブログ記事『ファンタジア』(1940)アニメと音楽で、哲学を語るウォルト・ディズニーの凄み。
関連記事として、
オカピーさんのブログ「プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]」ブログ記事 映画評「魔法使いの弟子」


 また、日本でも最近、クラシック音楽をテーマとした二ノ宮知子による漫画作品『のだめカンタービレ』を原作としたテレビドラマ、アニメーション、実写映画の作品が好評を得ました。音大生の青年達を主人公とした青春ドラマでしたが、コンサートホールでの楽団やピアノの演奏、その練習風景などをふんだんに取り入れた素晴らしい音楽映画となっています。

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「のだめカンタービレ 最終楽章」については、素晴らしい記事がこちらにあります。
オカピーさんのブログ「プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]」ブログ記事 映画評「のだめカンタービレ 最終楽章 前編」

オカピーさんのブログ「プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]」ブログ記事 映画評「のだめカンタービレ 最終楽章 後編」


 そして、大好きな今井正監督『ここに泉あり』(1955年)、これは群馬交響楽団の草創期を描いた作品だそうです。
 わたしは、全く人気の無い巡業先の公演で、そこに来ていた女学生が、岸恵子演ずるヒロインの佐川かの子に花束を差し出してファンだと告げるシーンが忘れられません。
 音響設備もない山の中の学校やハンセン氏病患者の慰問公演・・・真の音楽家は、貧困と闘いながら、このようにして聴衆との対話を確認するものなのだと感動しました。芸術・文化の本質は、民衆の生活の中に根ざし、人々を勇気づけてていくものなのでしょう。

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 さて、アラン・ドロンの出演している作品での、音楽の使い方についてなのですが、やはり素晴らしいと思う作品は非常に多く、その映像と音楽の照応効果によるインパクトが強烈であることを主に、クラシック音楽を使用した作品でわたしが特に好きな作品を列挙してみます。

 まず、『恋ひとすじに』(1958年)です。
 この映画作品のオリジナルとしてのサウンド・トラック盤がアナログのシングル・レコードとして現存しており、これは今でも大切に保管しています。

 しかし、わたしがこの作品で最も強く印象深いのが、残念ながら歌っているのはロミー・シュナイダーではなく、吹き替えだと思うのですが、彼女がこの作品で演じているクリスティーヌが歌うフランツ・シューベルトの「アヴェ・マリア」なのです。

 原曲は、イギリス詩人のウォルター・スコットの叙事詩『湖上の美人』で処女エレンが父の罪が許されるよう聖母マリアに祈る詩にシューベルトが曲を作ったものです。
 わたしにはクリスティーヌの歌う様子が、このエレンと同様に、アラン・ドロン演ずる恋人フランツの罪、その許しを切実に願っているであろうことを想起させる素晴らしいシークエンスであったと思います。

 「YOU TUBE」に、わたしの大好きな、エリザヴェート・シュワルツコップ、そして、マリア・カラスが歌う「アヴェ・マリア」がありました。

 この映画作品は戦前のドイツでも、マックス・オフェルス監督により、ロミーの母であるマグダ・シュナイデル主演で映画化された作品でした。
 その『恋愛三昧』(1933年)で、クリスティーヌが選んだ歌曲は、「アヴェ・マリア」ではなく、ヨハネス・ブラームスのドイツ民謡『Schwesterlein』でした。ですから、「アヴェ・マリア」は、この作品でのオリジナル選曲です。

 さて、映画のクライマックスで使用されている「交響曲第5番「運命」第一楽章」ですが、「YOU TUBE」には、ヴィルヘルム・フルトベングラーとアルトゥーロ・トスカニーニの指揮する名演奏がありました。
フルトベングラー指揮の「交響曲第5番「運命」第一楽章」
トスカニーニ指揮の「交響曲第5番「運命」第一楽章」

 戦前の日本では、この第5番シンフォニー「運命」が、クラシックの王道であったわけですが、アナログSP時代のファンは、全く異なるこの二人の演奏に関して、激しく嗜好の分かれるものであったと聞きます。
 この演奏を現在聴いても、全くもって凄まじい演奏として解釈できます。
 その後のヘルベルト・フォン・カラヤンやクラウディオ・アバド、サイモン・ラトルなどが「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」の首席の指揮者となってきた沿革史を鑑みたとき、何という世界文化の体たらくなのだろうかという忸怩(じくじ)たる思いは、多くの人々が持つ本音でしょう。 

果たして、彼らは旧時代を超えられているのでしょうか?
『シネ響「マエストロ6」サイモン・ラトル』

「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」については、こちらに素晴らしい記事があります。
シュエットさんのブログ「寄り道カフェ」ブログ記事「帝国オーケストラ」そして「ベルリン・フィル~最高のハーモニーを求めて」
オカピーさんのブログ「プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]」ブログ記事 映画評「ベルリン・フィルと子供たち」


 映画では、両作品とも全く同じシークエンスで使用されており、フランツの不倫の恋愛関係にあったレナ夫人の夫との始める前から勝負の結果がわかっている決闘、すなわちフランツの死のシークエンスを友人達やクリスティーヌの父親の焦燥する様子、そして、この楽曲のみで表現しているのです。
クライマックスのベートーヴェン「交響曲第5番「運命」第一楽章」(『恋愛三昧』(1933年)のラスト・シークエンス)
 このベートーヴェンの使い方は本当に素晴らしいと思います。
 フランツの死とクリスティーヌの絶望を、このような映像と音楽の照応で表現することなど、もう現在の映画作品では、不可能なのではないでしょうか?

 次に、『山猫』』(1962年)です。
 わたしは、ジュゼッペ・ヴェルディの「「椿姫」の第2幕第12曲:あたしたちははるばると訪れた」で使用されていた「ジプシーの女たち」が大好きです。

【(-略)サリ-ナ家の馬車が見えてくると、市の楽団がヴェルディの「椿姫」から、「われらはジプシー女」を奏でる。これは公爵一家を迎える際の由緒ある挨拶となっている。(略-)】
【「ルキノ・ヴィスコンティ ある貴族の生涯-19 時代の足音をきく生理 老公爵の後ろ姿と《山猫》の世界-」モニカ・スターリング著、上村達夫訳】

ルキ-ノ・ヴィスコンティ―ある貴族の生涯

モニカ・スタ-リング / 平凡社



 映画『山猫』では、ドン・ファブリツィオ一行が、ドンナフガータ村での夏の別荘に到着したときの公爵一行の歓迎場面で使用されています。一行を歓迎する地元の楽団が「われらジプシー女」を演奏して迎えるシークエンスでの使用でした。

 『山猫』でのそれとは、直接関係はありませんが、「YOU TUBE」には、なんと!スカラ座の音楽監督を務め、マリア・カラスとともに、ルキノ・ヴィスコンティとも親交の厚かったトスカニーニが1946年ニューヨークで、NBC交響楽団の指導で楽団を指導しているリハーサル時の録音の録音がありました。
 映像が無いのは残念ですが、このような音源が公開されていることは驚くに値します。

【(-略)トスカニーニはヴィスコンティに、今やっている「ラ・ヴェスターレ」のリハーサルを見に行ってもいいかと尋ねた。ヴィスコンティは光栄に思った。そしてトスカニーニが彼の演出を褒め、さらにカラスのことを「美しい声の持ち主で、興味深いアーティストで、たいへん結構」だと思うと述べたのを、うれしく聞いた。その後、トスカニーニが本公演に姿を見せて、舞台わきの特別席に座っていたとき、舞台上のカラスは膝をかがめて客席におじぎをしていたのを中断して、ファンの投げた赤いカーネーションを拾い上げ、それを最も深いおじぎとともにトスカニーニへ差し出した。(略-)】
【「ルキノ・ヴィスコンティ ある貴族の生涯-11 スカラ座への愛 トスカニーニとカラスを識るうれしさ-」モニカ・スターリング著、上村達夫訳】

 その他にも、どこの国のどこの楽団なのかは、全くわからないのですが、このような素晴らしい映像がありました。
ヴェルディの「「椿姫」の第2幕第12曲:あたしたちははるばると訪れた」「ジプシーの女たち」①
ヴェルディの「「椿姫」の第2幕第12曲:あたしたちははるばると訪れた」「ジプシーの女たち」②


 そして、映画音楽至上の大傑作、『パリの灯は遠く』』(1977年)での、グスタフ・マーラーの「亡き児をしのぶ歌」の使用です。
 「YOU TUBE」にはウィーンフィルハーモニー管弦楽団でのアルト歌手のキャスリーン・フェリアー、そして、フィッシャー・ディースカウの素晴らしいの独唱があります。

 しかし、わたしは、この人類の至宝ともいえる名唱を凌賀していると思うのが、映画『パリの灯は遠く』で使用されたフランツ・サリエリのラ・グランド・ユジェーヌ劇団での「亡き児をしのぶ歌」なのです。

【-ユダヤ人排斥のキャバレーの着想はどこから得たのでしょうか?
JL
当時ああいうものが実在していて、しかも撮影に使った当の劇場でやっていた。(-略-)私のとても親しい友人であり敬服もしていたフランツ・サリエリは、ラ・グランド・ユジェーヌという劇団で仕事をしており、私は彼らにこの反ユダヤ人の出し物をやってもらえないだろうかと考えた。(-略-)サリエリは、マーラーの歌曲を歌うその異様さや、ユダヤ人を嘲弄するそのやり口の醜悪さといったものは、よもや最悪の反ユダヤ人の輩でもまともに受け取ることのない代物だった。私としてはあのシークエンスは映画の中でも一番出来のよいところの一つだと思う。(略-)】
【引用 『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』ミシェル シマン著、中田秀夫・志水 賢訳、日本テレビ放送網、1996年】

追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー

ミシェル シマン Michel Ciment 中田 秀夫 志水 賢日本テレビ放送網



 監督したジョセフ・ロージー自身も、このように述懐しているように、このシークエンスは、音楽・舞台・絵画・思想などが複合的に映像に照応した映画音楽史上の最大レベルの歴史的価値の実現を醸成していると、わたしは感じます。

 しかしながら、実際のところ、各国際映画祭等での、例えば授与基準の策定においても、未だこのシークエンスの映像価値を正確に評価するレベルまでに達していない、と考えざるを得ません。
 わたしは、この作品のこのシークエンスが、未来においては間違いなく、メディア文化の歴史遺産としての価値を十二分に備えていると評価される時代が来ると信じていますが、残念ながら現時点での各国文化行政、各種映画祭においては、ここに着目している沿革はほとんど見あたりません。

 そもそも、現在の映像、メディア文化の振興などの取組みにおいては、コンテンツ産業や商工観光の振興、国際交流の推進などの施策としての価値観を重視しており、映像価値そのものに視点を置くことがなおざりになっている時代であるような気がするのです。
 映像が商業的な目的のみで進化し、先端のCGや3D技術に特化された映画産業界の取組のみでしかない現状を危惧してしまいます。


 最後に、『危険なささやき』』(1981年)の「The Dancing Bumble Bee」です。

 実をいうと、わたし自身は、ニール・ダイヤモンドの「The Dancing Bumble Bee」ではなく、原曲であるロシアの作曲家ニコライ・リムスキー=コルサコフの「Flight of the Bumblebee(熊蜂の飛行)」が最も好きです。

 元来のこの原曲は、アレクサンドル・プーシキンの原作の歌劇『サルタン皇帝』の第3幕で、主人公の王子が魔法によって蜂の姿で、悪役の姉妹に復讐する場面で使われる曲だそうです。

 『危険なささやき』では、ニール・ダイヤモンドの「The Dancing Bumble Bee」を、冒頭のタイトル・バックのファースト・シークエンスで使用しています。アラン・ドロンが演ずる主人公の私立探偵シュカスが射撃の訓練所から自社の探偵事務所に帰社する際の大型バイクでのパリ市内の疾走シーンへの照応で表現しているのです。
 ここは、実に躍動感に溢れる展開であり、物語のスピード感やアクション、シュカス探偵のエネルギッシュな活躍ぶりを、この冒頭から期待させる効果を挙げていると思います。
 「YOU TUBE」にはニール・ダイヤモンドの1979年のサンフランシスコでのライブがアップされていました。

 また、セルゲイ・ラフマニノフがピアノ曲に、あるいはヴァイオリン曲などにアレンジしたものが有名です。
 ロシアのバイオリニストであるアナスタシア・チェボタリョーワの演奏です。

 また、わたしの気に入っているマリンバとピアノの演奏による「Flight of the Bumblebee」です。

 日本で一般に有名になったものとしては、フレディ・マーチン楽団が発表した「バンブルブギー(Bumble Boogie)」(映像はウォルト・ディズニー)でしょう。最も有名なアレンジかもしれません。


 映画作品で使用されている音楽に着目していくと、映像におけるそのショット、シーン、シークエンスにおいて、音楽との照応によるリズムがいかに重要であるのかを感じます。

 フランスの映画評論家エミール・ヴェイエルモーズは、音楽の批評も多く著していますが、「影像の音楽」という「光のハーモニゼーションとオーケストレーション」と定義した映画音楽論を展開させました。
 彼は、音響と影像の間の芸術上の緊密な関係があり、それぞれの技術が極めて類似しており、それぞれは理論の要請、また同一の生理的反応との上に立っているところからの視神経と聴神経との同一の振動機能によった関係について論述しています。
 また、「前衛(アヴァンギャルド)映画」の女流監督のジェルメーヌ・デュラックも「映画芸術」第二集「美学、きずな、純粋映画」という著書で「音楽家が音楽的章句のリズムと音調とを作り出すように、映画人は影像のリズムとその音調とを作ることを仕事とする。」と論説しているそうです。
【『映画の理論』岩崎 昶著、岩波書店(岩波新書)、1956年】

 映画は、サイレント映画の時代から音楽を持つことを必要としていたのでしょうし、トーキー映画以後に確実にそれを持つことになった映像進化には、人類の文化・芸術上の最大の貢献があり、今後においてもその可能性を維持・発展させていく位置づけにおいて、体系化されるべき分野であるのでしょう。

音楽のカテゴリーのある素敵なブログをご紹介します。
武田さんの「終日暖気」です。
武田さんの「終日暖気」では、『のだめカンタービレ』『のだめカンタービレ 最終楽章 前編』もアップされています。
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by Tom5k | 2012-05-04 18:21 | アラン・ドロンについて(10) | Trackback(6) | Comments(5)

『アラン・ドロンについて』⑨~アラン・ドロンが出演している面白い作品 新ベスト5~

 わたしには、アラン・ドロンが出演している作品で、周期的に観たくなる作品、何ケ月か何週間かに一度は観たくなり、かつ単純に面白いと思う作品が5本あります。

 彼の魅力が本質的なものまで掘り下げられているか否かは別として、わたしにとって彼のキャラクターが非常に魅力的に映っている作品です。以前からたいへん好きな作品ではあったのですが、本当に真から好きな作品と自覚できるようになったのは最近のことだと思います。

『さらば友よ』(1968年)【8点】
『シシリアン』(1969年)【7点】
『レッド・サン』(1971年)【7点】
『アラン・ドロンのゾロ』(1974年)【未掲載】
『ハーフ・ア・チャンス』(1998年)【7点】
※注 【  】内の点数は、ブロガー仲間のオカピーさんの評価点数です。
プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]テーマ「アラン・ドロン」のブログ記事

 特に、『さらば友よ』と『シシリアン』は、ようやく最近になって、それらが最も上位に位置付くほど好きであることを自覚した作品です。
 順位までの格付けは、今のところ不可能なのですが、私の「無意識の意識」が選んだベスト5作品です。

 私の無意識、すなわち潜在意識は、彼に何を求め、どこに魅力を感じたのか、自分自身の分析をしてみたくなります。

 ここには、彼の代表作品である『太陽がいっぱい』や『サムライ』、『パリの灯は遠く』のような単独主演の作品はありません。チャールズ・ブロンソン、ジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチュラ、三船敏郎、ジャン・ポール・ベルモンドなど、ほとんどが同格の主演者との共演作品です。

 単独の主演作品は、『アラン・ドロンのゾロ』ですが、この作品にしてもスタンリー・ベイカーという素晴らしい敵役、ヒロインとしてたいへん魅力的な役柄を演じたオッタビア・ピッコロと共演しています。
 植民地施策総督府の総督など権力の権化のような役を演ずることは、当時の彼には、俳優の資質としても欠損していたとは思いますが、『世にも怪奇な物語 第2話 影を殺した男(William Wilson)』や『レッド・サン』、そして『リスボン特急』などを鑑みれば、もしアラン・ドロンがウェルタ大佐を演じたとしても素晴らしい作品になったかもしれません。

 いずれにしても、私の潜在意識は、アラン・ドロンが共演者とともに作品を創っていく俳優であることに満足感を得ているようです。彼が共演者たちの魅力を惹き出し、彼の魅力もまた、その共演者たちによって惹き出されていることから、その作品を面白く鑑賞することができているのです。

 また、『ハーフ・ア・チャンス』以外は、すべて1960年代後半から1970年代中盤までの作品であり、これは、やはり、日本でのアラン・ドロンが、映画スターとしての人気の全盛期を迎えていた頃の作品ばかりであり、わたしもまた、一般的な日本人の感性の中でアラン・ドロンに魅力を感じていることに、あらためて気付かされたところなのです。
 『ハーフ・ア・チャンス』でさえ、往年のライバルであり、友人であるジャン・ポール・ベルモンドと共演を果たした全盛期への時代的郷愁からの嗜好を盛り込んだ「アクション・ノワール」の総決算的な作品でもありました。

 そういった意味では、わたしの大嫌いな映画評論家の南俊子氏への批判的な気持ちも、逆に考えれば、これもまた無意識の近親憎悪による嫌悪感なのかもしれないと、大いに反省を促されているところでもあります。

 当時のアラン・ドロンの日本での人気の原因をよく表している一文を見つけました。
 最近ではノーベル賞作家の大江健三郎氏と「反原発」運動で行動を共にしていますが、1960年代後半から70年代にかけて、ラジオ番組『セイ!ヤング』で大活躍されていた文化放送のアナウンサーであった「レモンちゃん」こと落合恵子氏のエッセイ集にあったものです。

【蝶よりは蛾のほうがいい。なぜか、突然、そう思った。
黄や白、黒の薄っぺらな羽を、これみよがしにヒラヒラさせて飛んでいる蝶を見ると、鳥肌が立つ。第一、嘘くさいじゃないさ。インチキじゃないか。あのモゴモゴとした、不器用な毛虫から、軽やかな蝶に変身するなんて。
美容整形した清純派スター、さもなくば、どなたか偉いひとの立身出世伝でも読んでいるようで、腹がたつ。
夏の終わり、子供達の夏休みの作品かなんかで、箱いっぱいに虫ピンで止められた蝶の採集を見ていると、それが一番お前さんにお似合いさとイヤミの一つでもいってやりたくなる。
(-中略-)
一匹の蛾が入ってきた。そこで、さっきの“蝶よりは蛾のほうがいい”という、とっぴょうしもない考えが思い浮かんだのだけど。
考えて見てもちょうだい。毛虫が毛虫のままで終わるのなら、もしくは、毛虫が蝶でなくて、蛾になるのなら、それなりに美しいし、せつないし、ナットクだけどさ、ある日突然、美しい蝶に変身しちまうなんて、まるで、シンデレラか、安っぽいハリウッド式スター誕生って感じで、イヤミじゃない?
(-中略-)
“蛾で思い出したけど、アラン・ドロンってえのは、あの美しさにかかわらず、どこかしら、蛾的・・・・・こんな言葉ってあるんだろうか・・・・・な匂いがするんだな。
どこでなにをしても、タキシードにシルクのタイでシャンパン片手に、居心地のよさそうなソファに腰をおろしていても、真赤なスポーツカーでハイウェイをぶっとばしていても、夏のはじめのエメラルドグリーンのプールで、二十四時間、酒と女に飽食しているそのときでも、なにか、満たされない不良少年の渇き、だれにも入ることのできない暗さを漂わせてたりしている。
どんなに陽気そうに笑っていても、彼のあの型のいい唇・・・・・まるで、〈kiss〉と夜のために用意されたような・・・・のはじっこには、いつも不敵でシニックな影がチラチラしているし、すべてを捨てて、身を投げかけてきた女を、あのガッシリとした胸でうけとめながらも、彼の目は、百パーセント人間を信用できない、信用されたこともない男特有の不幸な疑惑が見えたりする。
ニコヤカに握手をして肩をたたき合っても、油断なく相手の頭のてっぺんから爪先きまで、かぎまわし、敵か味方か、白か黒か決めつけなくては気がすまない、そしてそんな自分を嫌悪している苦みがある。そのくせ、人一倍人間の肌のヌクモリ、やさしさ、安らぎ、吐息を求めてやまない幼児的な欲求にいつもせきたてられている。
このへんなんだな、彼の魅力は。美しすぎるものや人は、えてして、嫉妬の対象になりうるのに、男にも、女にも、なぜか許されてしまう、熱いオニオンスープの一杯でも、こさえてあげたくなってしまう気分にさせるところは。
「人間の性格というものは、その幼児体験にかなり左右される。ぼくには子供らしい夢というものがなかった。いつも爪をかんで大人の顔色をうかがっているようなイジケタ子供だったような気がする」
と、ドロン自信も回想しているように、子供のころ出会った両親の離婚のショックが、彼を少々イビツな、それゆえ、トビキリ魅力的な男にさせているのかもしれない。
蝶になりうるすべての外的な条件・・・・・たとえば名声、たとえば富、女、人気・・・・・を与えられながら、どこかで爪をかんでフクレッツラしている男の哀愁。しんそこ蝶になりきれない精神的な肌寒さが、いつも彼の背中から離れやしない。
否定しながらも、なお求めてやまぬ愛情へのあこがれ、そんなものが哀しいほど、伝わってきてしまう。(略-)】
『おうちへお帰り(蛾が好き! ドロンが好き!)』落合恵子著、新書館、昭和47年10月


 どうでしょうか。まさに時代の申し子であったアラン・ドロン!
 参考までに、『おうちへお帰り』が発行される前の直近5年間に日本公開されていたアラン・ドロン出演作品は、次のとおりです。

※ 日本公開年月順
昭和42年
  5月 『冒険者たち』(1966年)

昭和43年
  3月 『サムライ』(1967年)
  5月 『悪魔のようなあなた』(1967年)
 10月 『さらば友よ』(1968年)
 12月 『あの胸にもういちど』(1967年)

昭和44年
  4月 『太陽が知っている』(1968年)
  7月 『世にも怪奇な物語〈第二話 影を殺した男〉』(1967年)
 12月 『ジェフ』(1968年)

昭和45年
  4月 『シシリアン』(1969年)
  6月 『ボルサリーノ』(1969年)
 12月 『仁義』(1970年)

昭和46年
 10月 『栗色のマッドレー』(1970年)
 11月 『レッド・サン』(1971年)

昭和47年
  4月 『もういちど愛して』(1970年)
  9月 『帰らざる夜明け』(1971年)

 落合恵子氏がこのうち何本の作品をご覧になっていたかは、知るよしもありませんが、彼女のアラン・ドロンへの批評にあるその姿こそ、当時、ほとんどの日本人が求めていた時代的キャラクターであったのです。それを体現していたアラン・ドロン像は、落合恵子氏の独創的な所感ではなく、日本での最も一般的な彼のイメージだったと思います。

 だが、例えば、21世紀に育った現在の若い世代に、アラン・ドロンの出演した映画作品を観せて、彼女のこのエッセイを読ませたとしたならば・・・。
 恐らく彼らには、アラン・ドロンと昭和40年代の何がどう魅力的なのか、その意味そのものが理解できない・・・わからないのではないでしょうか????

 かなり前のブログ記事なのですが、わたしのブログ仲間のviva jijiさんが、全盛期のアラン・ドロンの記事をアップされていますので、ご紹介します。
 当時のアラン・ドロンが、日本でどんな存在だったかが、とても良く分かる記事だと思います。何せviva jijiさんは、熱狂的な映画ファンで、世代的には団塊世代よりは若く、我々の世代よりは少し上ですから、アラン・ドロンの全盛期を堪能された世代、その時代に青春を送った世代なわけです。
viva jijiさんのブログ『映画と暮らす、日々に暮らす。』の記事「アラン・ドロン」

 さて、わたしが今回選んだ作品はすべて、純粋なフランス映画作品ではなく、非常にハリウッド・ナイズされた作品ばかりとなりました。
 これは、アラン・ドロンが出演している多くの作品が、そうであったのかもしれませんが、チャールズ・ブロンソンというアメリカのドル箱スターと共演した『さらば友よ』や『レッド・サン』、20世紀フォックス制作の『シシリアン』、元来がアメリカのキャラクターである『アラン・ドロンのゾロ』など、ギャング映画(ギャングスター映画)、西部劇、活劇(剣戟映画)という典型的なハリウッドのエンターテインメントの要素をヨーロッパ的作風でアレンジしている作品ばかりなのです。

 また、わたしが従来から大好きな、ルネ・クレマン、ルキノ・ヴィスコンティ、ジャン・ピエール・メルヴィル、ジョセフ・ロージーの演出作品を選んでいないことは、今回の私の「無意識の意識」が、非常に商業的なエンターテインメントへの嗜好の強さ・・・映画芸術ではなく、華やかな娯楽性を持った商業映画の魅力に惹かれていることを正直に見詰めた結果から選んだ作品だからかもしれません。

 これらの娯楽作品群は、アラン・ドロンが出演している作品の中でも群を抜いてそのプロットや登場人物が類型的で硬直しています。
 それは、もうひどくワン・パターンであり、男同士の友情や裏切り、派手なアクション、単純な正義と悪とのすみわけ、全く深みのない表層的なテーマ・主題・・・これらにおいては、フランソワ・トリュフォーやジャン・リュック・ゴダールなど「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派の批評によって、間違いなく息の根を止められてしまうべきステレオ・タイプの映画様式(スタイル)ではないでしょうか?
 特に、『シシリアン』のギャング集団、『レッド・サン』のコマンチ族、『アラン・ドロンのゾロ』の悪の総督府、『ハーフ・ア・チャンス』のロシアン・マフィア・・・ファンであるわたしでも批判されれば反論できない類型的で硬直した型式モデルばかりです。

 しかし、わたしの正直な潜在意識・・・「正直な潜在意識」ってどんな?・・・にとっては、それが最も魅力あるキャラクターたちでもあったのです。これは、ある意味、新しい発見です。

 それにしても『レッド・サン』で彼が演じた悪漢ゴーシェは素晴らしい。彼が超一流の俳優であることが証されている作品だと思います。この作品はブルーレイのディスクとして蘇ります。久しぶりに西部の悪漢として大暴れしたゴーシェに心酔してみようかと思っているところです。


 この5本、わたしのなかで何が面白いのか?正直なところ自分でもその理由まではよくわかっていないかもしれません。うまく文章表現できませんでした???(笑)


 が、しかし、アラン・ドロンのファンとしての自分自身の可能性の発見、これが無限に近いものであることを発見できたこと・・・自己分析のプラス評価として自我自賛したくなる今日この頃なのです。
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by Tom5k | 2012-04-07 01:39 | アラン・ドロンについて(10) | Trackback | Comments(0)

『アラン・ドロンについて』①~好きな作品ベスト21-改訂- アラン・ドロン作品史の概略~

『恋ひとすじに』(1958年)
 初恋の人、ロミーと出会った作品です。
 アランもロミーも本当に恋しています。
 「ヌーヴェル・ヴァーグ」が出現し始めたころだったんですが、旧時代的作風です。
 しかも西ドイツの作品であることも手伝って、ひねくれたところが全く無い真面目な若者たちばかりが登場し、不倫の男女関係さえ生真面目に描かれています。
 シューベルトの『アヴェ・マリア(Ave Maria)』やベートーヴェンの『シンフォニー第5番「運命」第1楽章』などの挿入曲も含めて、ロマンティックで美しい作品です。
 アラン・ドロンは34年後、同じくアルトゥール・シュニッツラーの原作『カサノヴァ最後の恋』を映画化します。
 もしかしたら、『カサノヴァ最後の恋』は、『恋ひとすじに』を彼なりにリメイクした作品だったのではないでしょうか?

『太陽がいっぱい』(1959年)
 ルネ・クレマン監督が、「詩(心理)的レアリスム」としての映画作家から脱皮しようとして、アンリ・ドカエ、ポール・ジェコブ、モーリス・ロネなどの「ヌーヴェル・ヴァーグ」のスタッフたちと撮った作品です。
 わたしは、映画史上の大傑作であると思っていますが、登場人物たちが当時の若者の典型的なキャラクターとして描かれていなかったためか、映画史的な意味での高い評価にまでは至っていないようです。
 ルネ・クレマン監督の映画史での位置づけが正当なものとなるまで、『太陽がいっぱい』の作品評価も、出演しているアラン・ドロンも正確な評価をされることはないように思っています。

『若者のすべて』(1960年)
 貴族階級出身でありながら、共産主義者であったルキノ・ヴィスコンティ監督でしたが、「ネオ・リアリズモ」の体系としては彼の最後の作品かもしれません。労働者階級の立場に立脚しながら、貴族階級の眼でそれを描いた映画史上の傑作です。
 そこには下層の人々も上層の人々も同じ人間であるということ、すなわち労働者階級への優しさ、そして彼らの過酷な現実を描き、かつ未来への展望も描かれているように思います。
 ルキノ・ヴィスコンティ監督のアラン・ドロンへの複雑で純粋な愛情も、最も良く表現されている作品だと思います。
 イタリアの労働組合ではテキストとして使われていた作品です。

『太陽はひとりぼっち』(1961年)
 やはり、「ネオ・リアリズモ」後期のミケランジェロ・アントニオーニ監督の作品です。「内的ネオ・リアリズモ」として名称・位置づけられています。
 芸術作品としての映像美もさることながら、アントニオーニ監督の思想的に最も左翼的なテーマが浮かびあがっている作品だと思います。
 マネー・ゲームが、まだ社会批判として一般化していなかった時代、そこで生きる証券マンの人格的破綻に伴い、若い男女の最も大切な恋愛感情すら破綻していること、すなわち現在のセックスレスの問題にまで、そしてその行く末の大国の核武装の問題までをも、現代の金融経済と結びつけて描いている怖い作品です。
 アラン・ドロンの演じたピエロ役よりも、モニカ・ヴィッティが演じたヴィットリアが主な役割を担っていた映画であるというのが一般論かもしれません。ドロン自身も、自分でなくても、例えばマルチェロ・マストロヤンニでも良かった役だといっているようですが、わたしはビジネスに精通する未来のアラン・ドロンを最も正確に予見していた役柄だったように思っています。

『山猫』(1962年)
 アラン・ドロンのルキノ・ヴィスコンティ監督の作品としては、2作目の出演となりました。ルキノ・ヴィスコンティ監督は、現代社会に封建時代のキャラクターを演じさせたアラン・ドロンを、ここでは逆に封建末期の貴族社会を舞台に現代青年のキャラクターで登場させています。
 キャスティングのユニークさは、ヴィスコンティ&ドロンの作品の特徴でもあり、アラン・ドロンがいかに面白い俳優であったのかを良く見抜いているようにも思います。
 ルキノ・ヴィスコンティ監督としては、恐らくコミュニズムに挫折し、「赤い公爵」の異名を脱皮して、貴族出身の自らの苦悩を実直に描いていくようになった最初の作品なのだと思います。

『地下室のメロディー』(1962年)
 アラン・ドロンが最も敬愛するジャン・ギャバンと初共演したアンリ・ヴェルヌイユ監督作品です。
 従来からのジャン・ギャバンの出演してきた作品と同傾向の「フィルム・ノワール」で、アラン・ドロンも後に得意としていく系統の作品すが、ジャン・ギャバンの作品でもなく、アラン・ドロンの作品でもありません。
 あくまでギャバン&ドロンのコンビネーション作品なのです。息の合った名コンビとは、まさにこの二人です。
 デビュー時から、いきなり国際俳優になってしまったアラン・ドロンは、本国映画界で席捲していた「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品に出演できる俳優になる機会を持てませんでした。監督も旧時代のアレグレ兄弟、ルネ・クレマン、ジュリアン・デュヴィヴィエなどなど。
 ジャン・ギャバンとの共演で、フランスでの巻き返しを図り、足場とできた作品です。
 ギャバンにとってのドロンは、わがままでわんぱく、腹を立てながらも可愛くて仕方の無い息子のような存在だったのではないでしょうか?
 また、アラン・ドロンにとっては、ルネ・クレマンもルキノ・ヴィスコンティも演出家であって、俳優ではありませんし、やはり敬愛するバート・ランカスターは俳優ですが、彼の主戦場はハリウッドでした。
 「フィルム・ノワール」作品の大スター、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちも絶賛していたジャン・ルノワールやジャック・ベッケルの演出した代表作を持ち、旧時代のジュリアン・デュヴィヴィエ監督やマルセル・カルネ監督、旧時代第二世代のジャン・ドラノア監督やアンリ・ヴェルヌイユ監督などの作品に出演し続けていたジャン・ギャバンは、アラン・ドロンの俳優人生に最も適したモデルだったのだと思います。

『黒いチュ-リップ』(1963年)
 「詩(心理)的レアリスム」第二世代であるクリスチャン・ジャック監督が演出したスケールの大きなアクション時代劇で、スター、アラン・ドロンとしての典型的な作品だと思います。
 彼は、お得意の一人二役、盗賊である黒いチューリップ、革命派である黒いチューリップを含めると一人四役です。同一の作品で四役ものキャラクターを使い分ける最もアラン・ドロンらしい作品とも思えます。
 脚本は旧世代のアンリ・ジャンソンです。アレクサンドル・デュマの原作など欠片も見当たらず、彼とクリスチャン・ジャックのオリジナルに近いものだったと思います。そう考えると、アラン・ドロンの二面性を映画の素材とすることの素晴らしさを、フランス映画のクラシック作品において見出せた作品ともいえます。
 わたしは、これらのことから、フランス映画史の中でも着目すべき作品のひとつであると考えます。
 また、わたしは二役のドロンが演じた兄ギヨームにジェラール・フィリップを配役したいと思ってしまいました。ジェラール・フィリップが生きていたら、アラン・ドロンの俳優人生も、また大きく変わったのではないでしょうか?

『パリは燃えているか』(1965年)
 師匠ルネ・クレマン監督の演出では最後の出演作品となってしまいました。
 もう彼は、殺人者(『太陽がいっぱい』のトム)でも、見栄はりの青年(『生きる歓び』のユリス)でも、チンピラのイカサマ・カード師(『危険がいっぱい』のマーク)でもありません。ルネ・クレマン監督はアラン・ドロンに、いよいよ、フランス国家にとって最も重要な社会的役割を担うレジスタンス運動の指導者のひとりであった第三共和政の幕僚ジャック・シャバン・デルマスを演じさせます。
 ルネ・クレマン監督は、「レジスタンス映画」の第一人者です。久しぶりにハリウッド資本で撮ったこのレジスタンス作品は、彼が世界に向けて、フランス国家の誇りを思想・信条を超えて誇示したメッセージのように思います。また、確かに、レジスタンス運動は誇るべき内容のものだったのでしょう。
 屈折した現代青年であったアラン・ドロンを、ここまで育てきったという自負心も感じられた素晴らしい作品でした。

『冒険者たち』(1966年)
 アラン・ドロンがハリウッドに渡り、挫折して本国フランスに戻って撮った第一作目の作品です。
 眩いばかりのアフリカ、コンゴの海を素晴らしい太陽光の色彩で映像化しており、『太陽がいっぱい』と同様に一人の女性と二人の男性を主軸として登場人物が設定されています。
 わたしにとっては、『続・太陽がいっぱい』ともいえる作品で、モーリス・ロネとマリー・ラフォレが共演者だったとしても面白い作品になったように思っています。
 ハリウッドで、多くの苦労を経験してきたアラン・ドロンは、憤りや悲しみをたくさん知って、人の心の痛みがわかる人間に成長できていたのではないでしょうか?ロベール・アンリコ監督の詩情溢れる青春賛歌でした。

『世にも怪奇な物語(第2話 影を殺した男)』(1967年)
 『黒いチューリップ』と同様に、最もアラン・ドロンらしい二重性人格の役柄で、時代もののコスチューム・プレイです。アラン・ドロンは良心の欠片も無い残酷で悪魔的なキャラクター、ウィリアム・ウィルソンを演じました。
 わたしはいつの日か、この短編作品が、彼の代表作品の一本であると体系づけられる日がやってくると信じています。
 アラン・ドロン=ウィリアム・ウィルソン・・・。
 そして演出は、何と「ヌーヴェル・ヴァーグ」のルイ・マル監督です。映画のテーマとしては、彼の代表作『鬼火』の前段に位置づけてもいる作品であり、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家から見たアラン・ドロンであっても、やはり最も彼らしいキャラクターとなったことにスター・俳優としての一貫性を感じます。
 現在の世評では第3話「悪魔の首飾り」(フェデリコ・フェリーニ監督、テレンス・スタンプ主演)が最も高い評価となっていますが、わたしはダントツでこの第2話「ウィリアム・ウィルソン」が優れていると思っています。

『サムライ』(1967年)
 アラン・ドロンの人気全盛期は、すべてこの作品のジェフ・コステロの人物キャラクターから始まっています。彼がアンチ・ヒーロー的なヒーローとして、「フィルム・ノワール」作品体系に嵌っていった作品です。ジャン・ギャバンの後継者といわれる所以もこの作品以降からではないでしょうか?『望郷』や『霧の波止場』などで見せたジャン・ギャバンの「死の美学」を更に徹底していく契機になった作品ではないかとも思います。
 ルネ・クレマン監督とは異なり、ジャン・ピエール・メルヴィル監督は、フランス映画史体系での評価が、概ね正確に定まっている映画作家でもあり、アラン・ドロンとは相容れなかった「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちにも敬愛されていました。
 ハリウッドでの挫折からも立ち直り、ようやくアラン・ドロンの時代が幕を開けることになった「アラン・ドロン俳優史」のなかでも特筆すべき作品です。

『悪魔のようなあなた』(1967年)
 何故、アラン・ドロンはこの段階で、「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動以後に衰退してしまった「詩(心理)的レアリスム」の巨匠、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品に出演したのでしょうか?しかも彼の演出力さえすでに衰えを隠せていなかったにも関わらず・・・・。
 そして、すでにルイ・マル監督やジャン・ピエール・メルヴィル監督という現在において大活躍している映画作家たちとも巡り会っていたにも関わらず・・・・。
 アラン・ドロンのキャリアに、すでに過去の巨匠であったジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品に出演するメリットは少なかったはずです。
 でも、アラン・ドロンからすれば、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督には、デビュー当時に出演した『フランス式十戒』でお世話になっていますし、最も敬愛するジャン・ギャバンの師匠でもあったのです。何よりも旧時代の大監督に敬意を払ったように思うのです。
 「男気」、彼にはこの言葉が良く似合います。

『ボルサリーノ』(1969年)
 いよいよ、ジャン・ポール・ベルモンドとの共演です。しかも自社のアデル・プロダクションで、新時代の相棒ジャック・ドレー監督作品です。わたしたちの世代では、『さらば友よ』や『ゾロ』と並んで最も人気のある作品かもしれません。ジャック・ベッケル監督やアンリ・ジュルジュ・クルーゾー監督の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品を、体系として最も純化していったジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品『サムライ』に出演したアラン・ドロンは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『悪魔のようなあなた』に出演していましたし、この『ボルサリーノ』の直近前作の『シシリアン』では、大先輩のジャン・ギャバンやリノ・ヴァンチュラと共演しました。
 アラン・ドロンは偉大な先輩方の作風を受け継いで、盟友でありライバルでもあったジャン・ポール・ベルモンドとフランス映画界を背負って立つ決意をしたのではないでしょうか?
 「詩(心理)的レアリスム」の正当な継承者アラン・ドロンは「フレンチ・フィルム・ノワール」において、それを実現していったと、未来の映画史に位置づけられるときの最も典型的な代表作品だと思っています。 

『レッド・サン』(1971年)
 『さらば友よ』で共演し、国際的ドル箱スターとなっていたチャールズ・ブロンソン、そして多くの黒澤明監督の諸作品の主演してきた三船敏郎らとの共演、当時の売れっ子、007シリーズを手懸けていたテレンス・ヤング監督の演出、これほどスケールの大きな話題作も珍しかったのではないでしょうか?アラン・ドロンは、この華やかなエンターテインメント西部劇に、もの凄い悪役で登場します。
 彼が扮したゴーシェのキャラクターは、「ウィリアム・ウィルソン」のキャラクターに類似しているように思いますが、これほどの端正な二枚目が西部劇の悪漢として登場することは、実に斬新な設定だったのではないでしょうか?だって、女性にモテモテというだけで、大半が男性だった多くの西部劇ファンは、嫉妬、やっかみから、彼を心底憎んだと思いますから。
 そして、黒澤一家のスター俳優、三船敏郎から、アラン・ドロンは何を学んだのでしょうか?
 出演したかったと思います。黒澤&ドロンの『青い眼のサムライ』・・・。

『スコルピオ』(1973年)
 同時期に出演したジョセフ・ロージー監督の『暗殺者のメロディ』と似たテーマの作品です。どちらの作品でも東西両陣営の国家的策謀の犠牲者、そしてそれを得意の殺し屋役として演じました。
 ジャン・ギャバンと同様に彼の敬愛するバート・ランカスターとの共演で、久しぶりのハリウッド作品です。娯楽作品ですが、テーマがしっかりした作品でした。それもそのはず、『夜の大捜査線』でアカデミー作品賞を受賞した実績を持つのウォルター・ミリッシュ・プロダクション作品ですから。
 また、新境地を切り開いた『暗殺者のメロディ』とは異なり、最も自分の得意なキャラクターによって、ハリウッドで勝負できた作品でもあります。
 また、自国で『シシリアン』や『ボルサリーノ』、『レッド・サン』などでエンターテインメント性の強い作品で勝負してきたにも関わらず、ハリウッドの「アクション・フィルム・ノワール」では案外と社会性の高い作品となっていることも、彼の勝負どころのひとつだったのかもしれません。

『アラン・ドロンのゾロ』(1974年)
 デビュー当時ならいざ知らず、暗黒街を舞台にした「フィルム・ノワール」で全盛期を迎え、大人の恋愛映画でダンディズムを透徹してきた当時のアラン・ドロンが、このようなクラシックの古典的名作、ジョン・ストン・マッカレー原作のチャンバラ時代劇を撮るなど、信じられないことだったと思います。
 しかしながら、元を手繰ればアラン・ドロンは、元来、こういった俳優なのですから、原点に回帰して役に嵌ったのも驚くにはあたらず、当然といえば当然だったのかもしれません。クラシックスを再生させた最後の銀幕のスターとしてのアラン・ドロンを再認識できる作品です。
 さらに、彼の特徴だった登場人物の人格の二重性を、このような「陽」のキャラクターで演じたことも重要な要素です。
 ジョセフ・ロージー一家、門下生としての兄貴分、スタンリー・ベイカーが素晴らしい好演で、悪役ウェルタ大佐を演じました。ベッドで寝込んでいるときのウェルタ大佐の追求をはぐらかそうとするディエゴ総督の姿は、15年前の『太陽がいっぱい』で、ベッドから眼を覚ましたばかりのトム・リプリーを追求するリナルディ刑事とのやり取りのパロディだったのでしょう。

『パリの灯は遠く』(1977年)
 これは、やはりアラン・ドロンの最も優れた代表作品です。
 『若者のすべて』と同様、カンヌ国際映画祭がグランプリ、そして主演男優賞を受賞させなかったことが、国際映画祭自体の権威を失墜させる結果になっていったとまで思います。それほどの映画史上の大傑作であるのです。この事例は未来の映画史において、「国際映画祭」批判の典型的な逸話となることでしょう。
 そして、マーラーの歌曲を歌うフランツ・サリエリ劇団の舞台劇を使ったことも、映画音楽史上の特筆すべき事件とまでいえるのではないでしょうか?
 更に、アレクサンドル・トローネルの映画美術も「天井桟敷の人々」に匹敵するリアリズムの究極でした。
 ジョセフ・ロージー&アラン・ドロン、世紀のコンビネーションは不滅です。
 
『スワンの恋』(1983年)
 ヴィスコンティ、クレマン、ロージー、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たち、アラン・ドロンゆかりの映画作家の誰もが手を附けられなかったマルセル・プルーストの映画化ですが、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の助監督だった「ニュー・ジャーマン・シネマ」の旗手、フォルカー・シュレンドルフ監督が実現してくれました。そして、アラン・ドロンの演技の資質はここでも新たなものとして開花しています。
 ルキノ・ヴィスコンティ監督の構想では、『失われた時を求めて』第4編「花咲く乙女たちのかげに」のマルセルにアラン・ドロンを配役する予定だったそうですが、そちらも完成できていれば世紀の大傑作になったことでしょう。それにしても、ここでのアラン・ドロンはシャルリュス男爵という助演ではあったものの、実に素晴らしい好演でした。

『真夜中のミラージュ』(1984年)
 ようやく、セザール賞男優賞を受賞できた作品です。確かに、ここでもアラン・ドロンは新境地を開拓しています。「シネマ・ヴェリテ(映画=真実)」の作家としてデビューしたベルトラン・ブリエ監督の作品で、このような素晴らしい演技を見せたアラン・ドロン。そして、彼の大好きなナタリー・バイとの共演です。

『ヌーヴェルヴァーグ』(1990年)
 フランス映画、いや映画そのものの矛盾とも言えたジャン・リュック・ゴダールとアラン・ドロン。
 しかしながら・・・・・フィルム・ノワール、サスペンス、リアリズム、映画詩、一部の上流階級の芸術ではなく庶民の映画、多くの人に勇気と希望を与える感動・・・・・ふたりの目指してきたものには、意外に多くの一致点があったのです。
 この映画で彼らが表現したものは「再生」そして「復活」でした。
 わたしは、この作品の鑑賞から、我々は多くの矛盾を払拭して、今一度「再生」、そして「復活」しなければならないっ!・・・と考えてしまうのです?
 ジャン・リュック・ゴダール監督は、過去の自らの傲慢に自己批判し、アラン・ドロンをファクターとして、フランス・クラシックにオマージュを捧げ、それを発展的に解消しようとしたのだと、わたしは思っています。
 しかし、あえて厳しくこの二人を批判するとすれば、ジャン・リュック・ゴダールは似非インテリに成り下がって庶民層を忘れ、アラン・ドロンもまた、大金持ちに成り下がって貧困層を忘れてしまった・・・後にアニエス・ヴァルダ監督も、『百一夜』という映画生誕100年の記念映画で、この二人の弱点を皮肉っていたようにも感じました。だから、このふたり、世間から注目されなくなったのかなあ?
 でも、この作品を観てみると、ジャン・リュック・ゴダールの天才と、アラン・ドロンの芸域と個性、ふたりの映画人としての歴史をもってすれば、まだまだ彼らが行き着くところが他にもあるような気がしてくるのです。

『ハーフ・ア・チャンス』(1998年)
 盟友、ジャン・ポールとの共演、しかもジュリアン・デュヴィヴィエ監督を敬愛してきた新進気鋭のパトリス・ルコント監督の演出です。
 少し前にフランスで大ヒットとなったルコント監督の『スペシャリスト』・・・。
 アランもジャン・ポールも、もうおれたちの時代じゃないという現実に打ちのめされたんじゃないでしょうか?あせったんでしょう。そして、もしかしたら、もうおれたちの居場所はないと・・・。
 でも、まだ老け込んじゃいられない、ジャン・ポールもアランも、若い世代に最後の意地を見せたかったんでしょうね。


※ 製作年順に最小限に絞っています。
   アラン・ドロンのワースト作品は、なかなか選ぶことができません。
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by Tom5k | 2009-04-18 20:07 | アラン・ドロンについて(10) | Trackback(1) | Comments(12)

『アラン・ドロンについて』⑧~『ルネ・クレマン』評価の不足 豆酢さんとの対話から その2~

『ルネ・クレマン』~評価の不足とドロンとの出会い 豆酢さんとの対話から①から、わたしと豆酢さんの「ルネ・クレマン」分析も、双方いよいよ活況を呈して、どんどんとエスカレートしていきます。全く自制の欠片もございませんっ!

2008年6月16・17日
豆酢さん
難しいです。
クレマン監督の記事(前半ですが)を試しに書いてみました。
本当に、ある種とらえどころのない、評価が難しい映画作家の1人ですよね。私自身はヌーヴェル・ヴァーグに固執しているわけではないので、おそらくみなさんよりもっと主観的で気ままな意見になっていると思います。
FROSTさんの「居酒屋」のレビューも拝読しましたよ。で、昨日アップした記事に自分なりの深読み感想も添えてみましたわけで。あの時点でクレマン自身に葛藤が生まれていたのかもなあ…と、しみじみ思った次第です。一見、冷淡に突き放しているようにも見えるジェルヴェーズの描写は、裏を返せばクレマンの複雑な心境を吐露したものであったのかなあ、と。
この作品も、観る人によってそれぞれ捉え方が異なってくるでしょうね。観客の心のうちを映し出す万華鏡みたいです。

>「ドイツ零年」の記事・コメントに直リン

あんなんで良かったんですか?!恐縮です(^^ゞ。ありがとうございます。
で、あのコメントを書いた後ちょっと思ったのですよ。クレマン監督って、ものすごく、ものすごく器用な演出家だったんじゃなかろうかと。で、器用すぎたために、却って作家性の所在を疑われ、商業主義だと揶揄されちゃったのかもしれないと…。器用貧乏と申しますでしょ?だとしたら、再評価が進まない現状は、クレマンにとってとても気の毒なことであるでしょうね。

>なおさら彼らはデュヴィヴィエやオータン・ララ、クレマン・・・の再評価を自己批判に絡めて実施していく責務があるように思います。

今のフランス人にとっては、なかなか簡単なことではないのでしょうね。デュヴィヴィエの繊細なドラマ性なども、ヌーヴェル・ヴァーグのしがらみなどない日本人の方が、むしろ素直に評価できる側面もあります。

フィルム・ノワールの中には、社会から疎外された人たちがたくさん登場しますよね。むしろ、彼らが主役だと言っていいでしょう。そんなところも、クレマンがサスペンスの分野に傾倒した一因のように思います。松本清張も、当時の社会問題を背景に持つ作品が多いですものね。

>『太陽がいっぱい』は、当初の予定通りモーリス・ロネを主演にしたほうが、新時代との確執を埋めることができたように思い

歴史に“たら・れば”は付き物です。逆に考えると、ドロンが「太陽がいっぱい」に出演しなければ、その後のドロンのキャリアはなかったわけですから、私はこれはこれで良かったのだと思いますよ。

(クレマン理解に政治的解釈の必要性を感じたことを記した、わたしのコメントに対して)
クレマンの再評価って、映画作家としての才能云々以上に政治的な問題を抜きにしてはできないものなのでしょうか。純粋に作品のみで評価するというわけにはいかないのかなあ…。なんだか、それも悲しいものがあるなあ…。

そんなわけで、“クレマン監督よもう一度”記事をひとつTBさせていただきます。今の時点での考えなので、また時間をおけば変わる部分もあるかもしれません。


トム(Tom5k)
豆酢さん、クレマンの記事(「ストーリーテラーの哀しみ―ルネ・クレマン」)をお書きになられたのですね。
何だか楽しみです。
>政治的な問題
ふ~む、飛躍し過ぎたたでしょうかねえ?フランスのドキュメンタリー作家、アラン・レネやゴダールが急進的になって、五月危機とフランスの映画界が密接な関係になっていたことなどの影響など、また、フランスって政治家も文化人が多いので、ついそんなことまで・・・。特に、『希望』のアンドレ・マルローが文化相をしていた時代にシネマテーク・フランセーズのアンリ・ラングロワが解任されたこと、など時代的なものに眼を奪われてしまったかしれません。
純粋な映画ファンにとっては、裏舞台というか、映画のフレームの外の社会背景なのですが・・・。
いずれにしても映画を観て、その素晴らしさを堪能する基本から離れる必要もないのでしょうね。
では、早速お邪魔します。
希望 テルエルの山々
アンドレ・マルロー / / アイ・ヴィー・シー





革命の夜、いつもの朝
/ ブロードウェイ




豆酢さん、こんばんは。
素晴らしいクレマン評、読ませていただきました。

>疲弊した祖国が戦後の混乱の中・・・自身を象徴していたのではないだろうか。
ここのクレマンの評価ですが、豆酢さんが『居酒屋』の鑑賞からのみによって、読み取られたものなのですか?
だとすると、凄いっ!
確かにこの時代は、これからの旧世代の冬の時代を予感させるものがあったようにも思います。それは、彼があのあまりの完璧な映像ゆえ、アカデミックな評価があまりにも多大にもたらされ過ぎた演出家になってしまったこと。彼の各種国際映画賞の受賞は半端な数ではありませんが、時代はジョージ・C・スコットがアカデミー賞を無視、サルトルがノーベル賞を受賞拒否するような意識的な権威失墜の時代、すなわち非アカデミックがむしろ必要とされてきた時代、おっしゃるとおり混乱の時代の到来だった。
パットン大戦車軍団
ジョージ・C・スコット / / 20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント





そして、アラン・ドロンとの出会い、これは世評(ドロンにとってのクレマンとの出会いというのが一般的)以上に、彼にとって大きな出来事だったのだと思います。特に登場人物への感情移入の描写を多用していったのはドロンと組んだ作品からで、観客の主観に任せきる突き放した描写は、ドロン、ブロンソン、トランティニャンなどを使うようになってからは影を潜め、おっしゃるとおり世評では商業主義に堕落したと言われる所以なのでしょうね。
これを透徹したリアリズムの描写への衰え、芸術家の堕落と見て、批判するのか、もしくは我々が感じているように新たな時代への挑戦と捉え、それを賛美するのか・・・・。
もちろん、わたしは後者で総括したいと思いますし、またその価値は十分にあると思うのです。
特に、ドロンがフランス国内において、その時代の若者を象徴していたのか否かという問題もあります。(本質的にはシンボライズされていても)むしろ戦後においては、ブルジョア青年の苦悩がシンボライズされていったようにも思います(「ヌーヴェル・ヴァーグ」において)。ですからドロンのような本当の貧困層の青年をシンボライズするための素地が映画界には無かったような気がするのです。コダールもマルも資産家のお坊ちゃんですからね・・・(だから、ドロンはフランスよりも日本やイタリアでの方が受けたんでしょう)。
いとこ同志
/ アイ・ヴィー・シー





獅子座
ジェス・アーン / / 紀伊國屋書店





逆にクレマン(むしろデュヴィヴィエやカルネ)のジレンマは、こういうところにもあったと見ています。
彼らはきっと
【ヌーヴェル・ヴァーグは本物なのか?】
と思っていた(懐疑していた)のではないでしょうか!

では、また。


豆酢さん
トムさん、ここまで書くのに何ヶ月かかったことでしょう(遅すぎ)。

トムさんやFROSTさんの記事に啓発されて「居酒屋」を再見しますとね、なんとなく上述したような感慨が生まれました。ジェルヴェーズの姿に、古い時代と共に忘れられようとしている自身を投影したのかなあ…と。そう思うと、また異なる意味で胸が痛いですね。

>時代はジョージ・C・スコットがアカデミー賞を無視、サルトルがノーベル賞を受賞拒否するような意識的な権威失墜の時代

これです。アメリカにおいてはニュー・シネマといった潮流ですよね。既成概念が揺らぎ、来るべき時代に向けて新たな規範をこしらえようと、世界中が悶絶していた時代でした。産みの苦しみにもんどりうっているような不安定な時代に、クレマンは立ち会ってしまったわけです。これはもう不運としか言いようがありませんね。

アラン・ドロンとの交流についてはトムさんの分析にお任せしますが、私自身は、むしろクレマンの方にカルチャーショックが大きかったのではないかと思います。1人の人間に、相反する資質が自ら備わっているドロン。そのアンビバレントなオーラに引き寄せられるように、クレマンは、複雑な人間の内面に入り込んでゆく方法論を選択したと思います。これは彼にとってしごく自然な成り行きであり、決して批判されるような眼力の低下によるものではないでしょう。

きっとね、ヌーヴェル・ヴァーグへの彼なりの回答とは、今までの人生で蓄積されてきた人間性への洞察、経験といったものを、映像に詩的に描き出すことだったのですよ。後半生のサスペンス映画群はとても人間臭く、生々しい感情に突き動かされるような描写が多いですよね。私には、それは新しい時代を見据えた作風にも見えます。

>彼らはきっと【ヌーヴェル・ヴァーグは本物なのか?】と思っていたのではないでしょうか!

夫に言わせますとね、基本的に大半のフランス人の自己認識は、ごくごく普通の労働者階級のそれなんだそうです。フランス社会において、インテリ階層というのは対外的にとても目立つ存在ですが、決して主流というわけでもないとか。ドロンは、一部の知識人のものだったエンターテイメント界を、大衆の手の内に戻したようにも見えます。まさしく下克上(笑)。そりゃあ、インテリ層にしてみれば、嫌な存在でしょうよねえ。ですから、なんだか無理矢理彼への評価を低く見積もっているようなフシもあるのでは。

デュヴィヴィエが晩年受けたインタビューで、「わしゃモダン・ジャズなんぞ大嫌いじゃ。いっこも聴かんわ」と吐き捨てていたのが印象に残っております。


まだまだ話は尽きないのですが、今回はこのへんで。
豆酢さん、みなさん、今後ともよろしくお願いいたします。
(それにしても、最後のデュヴィヴィエ先生の言葉、凄いですね。コカ・コーラを飲んだことの無いフランス人の話は、よく聞きますが、それと同様の自国への誇りの高さを感じます。)
トム(Tom5k)

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by Tom5k | 2008-07-19 21:56 | アラン・ドロンについて(10) | Trackback(1) | Comments(2)

『アラン・ドロンについて』⑦~『ルネ・クレマン』評価の不足 豆酢さんとの対話から その1~

映画ブログ「豆酢館」映画ブログ「新・豆酢館」を運営している豆酢さんの当ブログへの2007年7月10日付けのコメントが、ルネ・クレマンに関わる最初のコメントであったように記憶していますが、その約11ヶ月後の2008年6月以降、突如、ルネ・クレマン監督に関わる多くの記事やコメントが、わたしの周辺で飛び交う不思議な現象が湧き上がりました。

用心棒さん(「良い映画を褒める会」)のブログ記事『パリは燃えているか』(1966)敵味方にかかわりなく、ヨーロッパ人は深いところで繋がっている。』
シュエットさん(「寄り道カフェ」)の『ルネ・クレマン』
FROSTさん(「川越名画座」)の『ルネ・クレマン』
他にもまだまだ多くの方から、関連内容でのトラック・バックやコメントなどをいただきました(ジャン・ピエール・メルヴィルのご専門のマサヤさん(「LE CERCLE ROUGE BLOG」)の『パリは燃えているか』からまでもトラック・バックをいただきました。)。

一体どうしたと言うんですか?!みんなさん!

それにしても、小規模とは言え、熱い「ルネ・クレマン」ブームでありました。
みなさんの記事とコメントは、本当に素晴らしいものばかり・・・。長年にわたって、ルネ・クレマン(&アラン・ドロン)にこだわってきたわたしとしては、このうえない幸福でございました。

そして・・・当然のことながら、
豆酢さん(「豆酢館」)の『ルネ・クレマン研究室』からも・・・。
豆酢さんとも、たいへん充実したコメント交換ができましたので、是非ご紹介させていただきたいのです。



2007年7月10日
豆酢さん
そうです!!その通りです!!
(わたしのルネ・クレマンの記事「『ヌーヴェルヴァーグ』⑥~アラン・ドロンの二重自我 その1 想起するルネ・クレマンとの師弟関係~」に同調、歓喜していただいているところです。)

トムさんありがとうございます。実は今クレマン熱病に罹患しているところです(笑)。
「鉄路の闘い」「海の牙」…すごい作品ばかり。クレマン監督って、ものすごい才人だったんじゃないか!しかも一転して「居酒屋」や「禁じられた遊び」などの作風も撮れますし。
私が個人的に大好きなのは、「太陽がいっぱい」を頂点とするサスペンス映画群でして、特に「雨の訪問者」や「狼は天使の匂い」は、ぜひ再見したいと願っています。
そして、ドロンと組んだ一連の作品もぜひ観なければ…と思っていた矢先に!実にタイミングよく(笑)、トムさんがドロンとクレマン監督の関係性について触れてくれたわけですよ。

ただいまクレマン監督の熱烈支持記事を書いている途中なんですが(笑)、とっても勇気がわいてきました!ドロンとクレマン監督の師弟関係といった切り口で、彼らのコラボレーション作品を捉えた方っていないかもしれません。とても参考になりました。ありがとうございます。


トム(Tom5k)
ヤッホー、豆酢さん!
やっぱ、そうでしょ。クレマン監督ってすごいんです。おっしゃるとおり
>ものすごい才人・・だったんですよ。
しかし、このことは、正確に評価されていないっ!(怒!)。
何故なら、彼はピエール・ボストとジャン・オーランシュのコンビを脚本に使っていたから、というのが一般論です。
(~中略~)
ドキュメンタリー及びリアリズム作品という観点での評価はまるでない。
それでいいのか、といつも思っているんですよ。
フランスの誇り、それはルネ・クレマンではなかったか?!
とわたしはフランス国民に問いたいですよ。

>ドロンとクレマン監督の師弟関係・・・
わたしは彼が教育的、指導的な意味での力量も優れていたと思っています。
(~中略~)
『ヌーヴェルヴァーグ』という映画、ゴダール監督の反省映画として、わたしは捉えています。

豆酢さんのクレマンのレビュー、楽しみにしています。
では、また。


2008年6月10日~15日
豆酢さん
若輩者が出てきていいのだろうかと思いつつ、いまだルネ・クレマン監督の記事を中断したままになっている豆酢です(^^ゞ。途中までは書き上げているのですが、「太陽がいっぱい」以降の彼の作品をどのように観ようかと考え中です。
仰るように、彼に関する史料はないに等しいです。あっても作品リストを箇条書きに留めた程度のものだけ。ですから、ルネ・クレマン監督への再評価を願うならば、己の審美眼だけが頼りになるわけです。「居酒屋」など、もう一度きちんと見直してみたい作品があるので、クレマン応援団(笑)はもうちょっと地下に潜ります(^^ゞ。

過去に書いた「ドイツ零年」もTBさせていただきました。


トム(Tom5k)
豆酢さん、こんばんは。
>『太陽がいっぱい』以降の彼の作品をどのように観ようかと・・・
ふふふ、これは、わたしなりに総括しておりますよ。
クレマンの心情が手にとるようにわかるのです(ほんとかよ)。
実は彼のサスペンスが何なのか、これにはものすごく彼独自のものがあるような気がしているのです。今、そこを再整理してみたいと思っているんですよね。あとでコツをお教えいたしましょう(ほんとにコツなんてあるのかよ)。後ほど、そちらにコメントいたしますね。
>ルネ・クレマン監督への再評価を願うならば、己の審美眼だけが頼りになるわけです。
全くです。とにかく、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のクレマン批判は、うんざり・・・(何度も言っていますが、その実践は素晴らしく、その作品も素晴らしい、そして彼らも素晴らしいのですがね)。

おおっ、豆酢さんのクレマン応援団のレジスタンス、最後は歓喜ですね。
それから、『ドイツ零年』のTBありがとう。
では、また。

「『パリは燃えているか』②~ルネ・クレマンの再評価を望む~」を更新し終えて)
以前、豆酢さん、オカピーさんとコメント交換したときの内容でブログ記事としてみたのですが、何だかまだ書き足りていないような・・・。ルネ・クレマンは資料を探すのも一苦労で、あったかと思うと「ヌーヴェル・ヴァーグ」の評論家がこきおろしたものだったり・・・。
かなり、わたしの独自見解なのですが、同じドキュメンタルの左岸派と相容れなかった原因は、パリは解放されたという戦前派の楽天主義が大きな原因だったのではないかな、などと思っています。
同様に日本の今井正にも、戦争体験派の「戦後民主主義の健康で明るい、ようやく平和が訪れた日本」という現在を見る眼の楽天主義を感じてしまい、クレマンとの類似点が、とても気になっているところです。もう少し熟考してまた記事にしていきたいと思っているところです。
では、また。
青い山脈
/ Cosmo Contents





戦争と青春
工藤夕貴 / / 日活





豆酢さん
お返事が遅れました
トムさん、コメントとTBをありがとうございます。
鼻炎の薬のせいでちょいと体調を崩しておりました。

クレマン監督の記事を拝読しました。

私自身は、ヌーヴェル・ヴァーグを崇拝する人間ではないので、彼らが躍起になって戦前派を否定する姿勢も、かなりシニカルに見ています。
というのもね、用心棒さんも仰っていたけれど、“戦前派”、あるいは“戦後派”といった区別は、あくまでもその映画人の思想に属する領域でしょう?リーフェンシュタールの記事を書いていたときにも感じたのですが、映画人の力量と個人の思想とは、はっきり切り離して判断されるべきです。クレマンが本質的に楽観主義者であっても、だからといって彼の作る作品がすべて非現実的だと決め付けてはいけない。トリュフォーは素晴らしい理論家であり映画作家ですが、彼の意識の中にも、作品の中に息づく“普遍性”を否定しようとするエゴがあったのではないでしょうか。
レニ・リーフェンシュタール ART&LIFE 1902~2003 DVD-BOX
レニ・リーフェンシュタール / / エスピーオー





私のような人間がこんなことを書くのは暴言かもしれませんが、お叱りを受けるのを覚悟であえて書きますね。

ヌーヴェル・ヴァーグであれなんであれ、過去から連綿と続く映画の歴史から逃れることは不可能です。歴史が途中で消えることなく積み重ねられていった理由は、そこに普遍性が宿っているからこそだということを、私達は謙虚に受け止めねばならないのではないでしょうか。
ノスタルジアに浸れというのではなく、過去をありがたがれというのでもなく、今現在の映画が、良きにつけ悪しきにつけ、過去の遺産の上に成り立っていることを忘れないようにしなければ。

過去を否定するのではなく、良い部分を継承し、悪い部分は修正してさらに発展させていけばいいのになあといつも思います(笑)。
ピントがずれちゃいましたが、またトムさんちにお邪魔させていただきますね。


トム(Tom5k)
豆酢さんっ!
>『太陽がいっぱい』以降の彼の作品・・・
なのですが、
私は初期のレジスタンスもの、反戦ものは、戦争の悲劇→フランスの誇り→フランスの解放→そして歓喜であったというところの、すなわちフランス革命以降の第三共和政の勝利、との見解をフランス共産党までをも含めた統一戦線の魅力に反映させて、映画を創っていたように感じます。
ところが・・・・
彼が、戦後間もなく共和の精神がある種の現代における矛盾、今までの歓喜がもしかすると幻想であったのではないかということに気がついていったのではないか?と感じているところです。
特にアラン・ドロンという現代の社会矛盾そのものといった現代青年にめぐり合ったことで・・・です。

すなわち、戦後の凶悪な犯罪の原因が何にあるのか?そういったことに作家主義「ヌーヴェル・ヴァーグ」と異なる視点、また彼らの出現以降の新時代を踏まえて、現代劇、特に「サスペンス」という分野に入りこんでいったのではなかろうか、と考えます。
例えば『危険がいっぱい』『雨の訪問者』『狼は天使の匂い』『危険なめぐり逢い』などなど・・・。
豆酢さんはどう思われますか?
では、また。
危険なめぐり逢い
洋画 / / コロムビアミュージックエンタテインメント





豆酢さん
トムさん、ありがとうございます。
なるほどなあ。
クレマンのキャリア後半、自身の職人気質の演出力を「サスペンス」に傾けていったのはなぜなんだろうと、いつも不思議に思っていました。というのもですね、私が好きになる映画監督って、キャリア後半にサスペンス映画を好んで撮る傾向があるんですわ(笑)。シュレシンジャーも「マラソンマン」以降そうでしたしね。現在進行形のクローネンバーグも、今まさに彼なりのノワール映画を模索しているところですし。
マラソン マン スペシャル・コレクターズ・エディション
ダスティン・ホフマン / / パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン





ディレクターズ デヴィッド・クローネンバーグ
/ 東北新社





サスペンス映画の一体何が、才能ある映画監督たちを惹き付けるのでしょうね。興味ある事象です。

クレマンの場合、「サスペンス」という分野に、映画界における現代心理分析学の役割を見出した可能性もありますよね。やはりトムさんが指摘されたように、戦前、戦後の世界の変貌を目の当たりにして、一種の挫折感のようなものを彼なりに感じたのだと思います。
レジスタンスは、人々に主義主張の枠を超えさせ、大いなる大義の下に結集せしめたものでした。その結果得られた戦後社会は、より良いものになるはずだったのに…というね。フランスは戦勝国側でしたけれども、ヨーロッパの中でも大きなダメージを受けた国でした。国民にしてみれば、荒れ果てた国家の復興は、敗戦国並に厳しいものであったと推測されます。
そんな陰鬱な雰囲気の中で、複雑に屈折した若者がたくさん出現したのでしょう。彼ら戦後の若者像の象徴であるドロンとの出会いが、クレマンをして、戦争がフランスに残した傷跡を探る作業に向かわせたと思います。ヌーヴェル・ヴァーグの作家達が、それをしなかったとは思いません。ただ方法論が違うのでしょう。ヌーヴェル・ヴァーグがごくごく主観的に、あるいは無意識的に“戦争の記憶”を作品の中に抽出したのに対し、クレマンは多分意識的に、また戦後フランス社会全体を見渡す気持ちで、作品に投影していったようにも感じます。
戦争がフランスに与えた根深い禍根を、戦後を不安定な状態で生きる人々の心理面に見出そうとしたのでしょうか。不安定な心理を探るのに、確かにサスペンスというのは得がたいツールであるように思いますね。

それと、私自身は、クレマンの後半のキャリアの中で重要な作品は、実は「パリは燃えているか」ではなかろうかとも思っています。個人的に大好きなのは、「雨の訪問者」(ブロンソン最高!!)と「狼は天使の匂い」なんですけどね(^^ゞ。
対外的な評判はあまり良くない作品ですが、「パリは燃えているか」における戦争の捉え方に、単純には割り切れない苦々しいものを感じさせるのです。クレマンの複雑な胸中が伝わってくるような気がします…。
雨の訪問者
/ ビデオメーカー





狼は天使の匂い
/ ジェネオン エンタテインメント






トム(Tom5k)
豆酢さん、どうも。
>彼らが躍起になって戦前派を否定する姿勢・・・
確かに、当時のフランス映画界には相当の矛盾もあったんでしょうね。
でも、せっかくの素晴らしい過去のフランス映画を観るときの先入観を払拭しなければならない作業は現在、未来の映画鑑賞者に必要以上の負担を強いたように思うのです。

>トリュフォー
ルイ・マル、シャブロル、ロメ-ルも映画の普遍性には気がついて、過去の自分たちの功罪を自覚はしているように思いますし、ゴダールがドロンを使ったことでも特にカイエ派のそれは理解できます。
であれば、なおさら彼らはデュヴィヴィエやオータン・ララ、クレマン・・・の再評価を自己批判に絡めて実施していく責務があるように思います。

>サスペンス映画
これにはいわゆる「フィルム・ノワール」も含めての体系となるように思うのですが、最も社会問題を比喩しやすい、というか現実にこれだけ奇異な犯罪が増加していますからね。
姐さんのお好きな松本清張(viva jijiさんの「映画と暮らす、日々に暮らす。」のブログ記事『霧の旗』『点と線』『砂の器』)なんかもそうだったのじゃないですかね。霧プロの映画なんか、その典型ではないでしょうか?

クレマンの場合は戦後の挫折、そして自身の精神分析医としての前歴は大きな要素でしょうね。そして、ドロンとの出会いと「ヌーヴェル・ヴァーグ」の台頭、それを考えると『太陽がいっぱい』は、当初の予定通りモーリス・ロネを主演にしたほうが、新時代との確執を埋めることができたように思い複雑な心境になります。

>クレマンの後半のキャリアの中で重要な作品は、実は『パリは燃えているか』・・・
ええっ、そう思われているんですかっ!
わたしの記事に触発いただいて、用心棒さんの更新記事が『パリは燃えているか』です。わたしの主観レビューと異なり、なかなか鋭いご意見ばかりです。
わたしも負けずに後半部分、追記加筆してみました。

>『雨の訪問者』『狼は天使の匂い』
どちらもクオリティの高い作品ですよね。

あっそれから、「川越名画座」のFROSTさんが、『居酒屋』再見レビューをアップされていましたね。ご覧になりました?見事にわたしの意見とバッティングしています(笑)。
こう考えるとクレマン評は、ひとそれぞれ(ヌーヴェル・ヴァーグから観た場合も含め)で、評価が最も難しい作家のような気がします。観る側の主観によるところに任されてしまうんでしょうね。作品にそういう多面性が隠されているように思います。
あっそれから、わたしの追加筆に豆酢さんの『ドイツ零年』の記事・コメントに直リンさせていただきました。事後報告ですみません。
では、また。

まだまだ話は尽きないので、『ルネ・クレマン』~評価の不足とドロンとの出会い 豆酢さんとの対話から②へ。
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by Tom5k | 2008-07-19 20:44 | アラン・ドロンについて(10) | Trackback(1) | Comments(2)

『アラン・ドロンについて』⑥~フランス映画史体系 マサヤさんとの対話から~

2006年12月4日から12月13日にかけて、ジャン・ピエール・メルヴィルの熱烈なファンであるマサヤさんのサイト(マサヤさんのホーム・ページ「LE CERCLE ROUGE」の掲示板)にて、フランス映画史に関わるテーマで、たいへん充実したコメント交換ができましたので、ご紹介いたします。


トム(Tom5k)
マサヤさん
BOOKSのコーナーに追加された「キネマ旬報 1970年12月下旬号 No.538」は、わたくしも所有しております。貴重な情報満載でしたね。
表紙は『ラ・マンチャの男』なんですが、「キネマ旬報 1972年12月下旬号 No.595」に『リスボン特急』特集とシナリオが掲載されています。こちらも素晴らしい特集号でした。


マサヤさん
トムさん、こんにちは。
私も最近当時の『キネマ旬報』がいかにメルヴィルを扱っていたかを知り、驚いているところです。
『リスボン特急』の特集が掲載された、ご指摘の「キネマ旬報 1972年12月下旬号 No.595」もつい先日古本屋で手に入れたばかりです。
いずれ、このサイトでも紹介するつもりです。
ところで、安かったのでメルヴィル関連の記事が載っている「キネマ旬報」をまとめて買ってきたのですが、特に印象に残ったものは、メルヴィルが亡くなった後の「キネマ旬報 1973年11月上旬号 No.617」で、山田宏一氏が書かれた追悼記事です。
もっとも、山田氏は『サムライ』以降のメルヴィルは堕落したとまで言い切っている厳しいご意見の持ち主なのですが、それだけに、それ以前の『いぬ』『賭博師ボブ』あたりに寄せる愛情は並大抵のものではなく、それらの作品を語る文章には熱がこもっていて感動的なほどです。
いぬ
/ アイ・ヴィー・シー





賭博師ボブ
/ ビデオメーカー





いずれ、これらの記事を始めとする山田氏の文章は、このサイトでもまとめて紹介したいと思っていますが、それもいつになるやら分かりませんので(笑)、ここで少しだけ紹介させていただきます。

「・・・メルヴィルの暗黒映画の男たちにとって、帽子は女よりも命よりも大事なシンボルのように思えるからなのである。」
「帽子は、メルヴィルのクールで非情な暗黒映画の世界においては、唯一の男のやさしさの表現であると同時に、男のいのちであり、存在そのもののアイデンティティですらあるのだ。」
(引用~「キネマ旬報 1973年11月上旬号 No.617』掲載「シネ・ブラボー」ジャン=ピエール・メルヴィル追悼(2)山田宏一」 より)


トム(Tom5k)
マサヤさん、こんばんは。
当時の『キネマ旬報』の特集は、素晴らしいものが多く、わたしも古本屋に行くと、ついむかしのキネ旬を手に取って立ち読みしてしまいます。
ところで、山田宏一氏は、「わがフランス映画誌」では、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の項で、「アラン・ドロン映画」のお抱え監督になってしまった」などと評されていることから、アラン・ドロン作品のメルヴィルを評価していないように見受けられます。
わがフランス映画誌
山田 宏一 / 平凡社






わたしにとっては、そのことがむしろ素晴らしいことだったと思うのですが、映画史的な意味でいえば、確かに作品レベルの低下は免れなかったのかもしれませんね(わたしは、素直にそうは思いたくないのですが・・・)。それより前の時代が、凄すぎたんでしょうね。
追悼記事での小道具としての帽子の意味は初めて知りましたが、確かに言われてみれば、それを感じます。『サムライ』は、特にその意味を持つ作品のような気がします。
では、また。


マサヤさん
トムさん、こんにちは。
山田宏一氏著「わがフランス映画誌」(平凡社版ですネ)私も所有しております。
ちなみに、↑に引用した帽子に関する文章は「山田宏一のフランス映画誌」(こちらはワイズ出版)の「夜は帰ってこない―ジャン=ピエール・メルヴィル」という文章の中にも収録されています(全体的にキネマ旬報の文章とはところどころ異なる部分もあります)。
山田氏がアラン・ドロン主演のメルヴィル作品をあまり評価してらっしゃらないことは事実のようです。
山田宏一のフランス映画誌
山田 宏一 / / ワイズ出版





キネマ旬報の追悼記事を読む限り、アラン・ドロンその人をあまりお好きではないような印象を受けます(『暗黒街のふたり』を評し、ジョヴァンニの世界にまでアラン・ドロンが闖入したなんて憂慮にたえぬ・・・とまで書いています)。
作品レベルが低下したというよりは、メルヴィルがドロンと組むことによって、コマーシャリズムに身を売ったことに対する落胆が大きいようです。
しかし、メルヴィルは以前からすでにジャン=ポール・ベルモンドやリノ・ヴァンチュラを主演に迎えて映画を撮っている点からも、『サムライ』以後、急に商業主義に傾いたわけではないのでは?と私個人は思っているのですが。
事実、58年の『マンハッタンの二人の男』を撮った後、「これからは金になる映画を撮る」と言っていたようですし。(「キネマ旬報 1970年春の特別号 No.520 J・P・メルビル+その他の人びと その全作品を語る」より)
マンハッタンの二人の男
/ 紀伊國屋書店





ドロンなくしては『サムライ』や『仁義』といった傑作(しかも、なんという傑作!)は生み出されなかったでしょうから、私もトムさん同様、山田氏とは当然感じ方が異なります。
しかも、それらはコマーシャリズムとか通俗化と切り捨てるにはあまりに魅力的な作品ではないでしょうか。
ただ、『いぬ』以降ほぼリアルタイムでメルヴィルの作品を(日本未公開作品含め)観ていた山田氏の感じ方もまた分からなくはない気もします。
事実、氏の熱っぽい文章にはなんともいえぬ説得力があるんですよね(笑)。


トム(Tom5k)
マサヤさん、こんばんは。
帽子に関する文章は「ワイズ出版」版)だったんですね。残念ながらこちらは持っていなかったので、マサヤさんの情報のみでした。あの本、高いですよね。なかなか手が出なくて・・・。
山田氏は、基本的に前時代のデュヴィヴィエ、カルネ、フェデールなどの「詩(心理)的レアリスム」の作品を、あまり評価されていないような気がします。まして次世代のジャン・ドラノアやクリスチャン・ジャック、クロード・オータン・ララ、ルネ・クレマンなど、ほとんど話題にもしていませんし・・・
すなわち、山田氏の考え方は、極端に言えば新時代「ヌーヴェル・ヴァーグ」だけがフランス映画なのだとの主張とも受け取れます。
アラン・ドロンなどは、スターとして、プロデューサーとして、反(もしくは非)「ヌーヴェル・ヴァーグ」というか、前時代的というか、そういった映画人ですから、結果的に否定せざるを得なかったのではないでしょうか?ここまで来ると山田氏の考え方というよりも、フランス映画史の現在までの体系に言及しなければなりません。
わたしは常々、ここのところにフランス映画史の矛盾を感じております。つまりドロン主演のメルヴィル作品への批判が的を得ていないのであれば、「ヌーヴェル・ヴァーグ」と、その前時代の映画史体系を再整理する必要があると感じているのです。
デュヴィヴィエやカルネ、フェデ-ルたちを無視して、ルノワール、ベッケル、クルーゾーたちを評価するのみでは、あまりの短絡であると思っています。
ゴダールがアラン・ドロンと映画を撮ったこと、ヴァルダの映画史にドロンが登場したこと、をどう解釈したらよいのでしょうか、フランス映画史の再編は近いうちにどこかで整理されていくように信じています。
『サムライ』や『仁義』、『ヌーヴェルヴァーグ』や『百一夜』などから想起してしまうことは、結局はフランス映画は旧時代の素晴らしさを認めざるを得なかったということなのです。
そしてメルヴィルは、それを先見して前時代をシンボライズしていたドロンを使ったのだと思うのです。
では、また。


マサヤさん
トムさん、こんにちは。
トムさんの感じてらっしゃるようなフランス映画史の矛盾は私も常々感じていることで、特に現在の日本では、「ヌーヴェル・ヴァーグ」を評価するあまり、それ以前のフランス映画がほとんど無きものであるかのごとき評価が定着してしまっているのではと思われることがあります。
それは同時に、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の連中が評価したフランス映画のみが(それ以前の映画では)評価されるという実情にもつながってしまってもいるのではないでしょうか。
また、それは現在では日本独自の評価ではないのか、とも感じております。
それはゴダールやヴァルダの件に表れているのかもしれませんね。

山田氏の場合、著書「友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌」に見られるような「ヌーヴェル・ヴァーグ」の連中との個人的な親交と、その作品への熱狂が、トムさんご指摘の“反ヌーヴェル・ヴァーグ”的なアラン・ドロンという存在への反発につながったのは?と思うのです。
増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌 (平凡社ライブラリー)
山田 宏一 / / 平凡社





ことに日本ではドロンの人気が凄かったために、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の代表的俳優である(山田氏が大好きと公言する)ジャン=ポール・ベルモンドのライバル的存在であったアラン・ドロンへの感情的な反発という面もあったのではないでしょうか。
「山田宏一のフランス映画誌」(友人に貸したので今手元にありません)に掲載されているアンリ・ドカへのインタビューに、“上手くゆくはずがないと思っていたメルヴィルとドロンが『サムライ』で上手くいったのは何かがおかしかった”という文章(厳密にこの文章ではありません)がありますが、大変象徴的な記事であり、それがある意味、山田氏の意を強くしたのではないか、とも思うのです(※注)。

※注
マサヤさんのブログLE CERCLE ROUGE BLOGの「Category(アンリ・ドカ)」には、これらに関連した素晴らしい内容の記事がたくさん載せられています。

しかしながら、メルヴィル本「サムライ」を読む限り、根っからの映画ファンであるメルヴィルは“スター”という存在が単純に大好きな人で、それが当然のごとくドロンの起用につながった、そして、メルヴィルの頭の中には「ヌーヴェルヴァーグ」の連中が考えていたような映画史的な観点はほとんどなかったのではないか、というのが私個人の考えです。
サムライ―ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生
ルイ ノゲイラ Rui Nogueira 井上 真希 / 晶文社






先日、マルセル・マルタンという人が書いた「フランス映画1943-現代」というかなり面白そうな本を手に入れました。
現代、といっても1983年ぐらいまでの戦後フランス映画の総括的な本ですが、これを読んで更に勉強してみたいと思っています。
フランス映画 1943~現代
マルセル マルタン / / 合同出版






トム(Tom5k)
マサヤさん、わたしばっかりコメントしちゃって、他のこのサイトのファンのみなさんに怒られちゃいますよね。申し訳なく思いつつ、書かずにはいられません。
フランス映画史の矛盾に関わっては、マサヤさんもわたくしと同意見をお持ちとのこと、たいへんうれしく思います。
>「ヌーヴェル・ヴァーグ」を評価するあまり、それ以前のフランス映画がほとんど無きものであるかのごとき評価が定着してしまっているのではと思われることがあります・・・。
それは現在では日本独自の評価でもあるとも感じております。

山田氏のドロン嫌いは、客観的ではなかったのかもしれませんね。しかも、フランス映画評論の権威になってしかるべき実力派の評論家ですし・・・。
さらに南俊子氏や渡辺祥子氏のミーハー的なドロン論が当時は一般的でした。これでは、本質的なフランス映画の体系などを整理することなど、日本では極めて困難であり、実に残念なフランス映画評論史といえましょう。
マサヤさんのおっしゃるように、メルヴィルの作品は「スターの存在」が極めて重要な位置におり、「ヌーヴェル・ヴァーグ」と異なる存在となっていったのかもしれません。
結果的にかもしれませんが「俳優としての存在」をも両立させるものだったようにも思います。
アラン・ドロンは、その両側面を兼ね備えていたことから、双方にとって理想的なコンビであったように感じます。
マルセル・マルタンの「フランス映画1943-現代」。これは、何としても手に入れて読破せねばなりません。マサヤさんも読破されたら内容をご紹介ください。
本当に連続のコメントすみません。
では、また。


マサヤさん
トムさん、こんにちは。
ここはもともと書き込みの少ないサイトでして(笑)映画に関することならどんな書き込みでもサイトの活性化につながりますので大歓迎です。
まして、トムさんのご意見は鋭く、私も勉強になることばかりですのでご遠慮なくどうぞ(笑)。
ところで、ある種の暴論として聞いていただきたいのですが、私は評論家は必ずしも客観的である必要はないと思っています。
むしろ、好き嫌いがハッキリしている人の文章の方が読んでいて面白いと考えています。
山田氏の文章が読んでいて面白いのは、氏の嗜好に読む者を動かす“熱”があるからだと思います。
それを“映画愛”と言い換えてもよいかもしれません。
その文章は“評論”というよりも“愛情の吐露”に近いようにも思えます。
ご指摘の“ミーハー的ドロン論”などにも顕著かと思いますが、日本人とフランス映画との関わりから考えますに、トムさんが仰る通り、本質的なフランス映画の体系を日本で整理することは(今のところ、というか未だに)不可能ではないでしょうか。
もちろん、時代を経て、客観的に論ずる評論家が現れる可能性もありますが、どれだけ読者を獲得できるでしょうか・・・。

その意味で、紹介しましたマルセル・マルタンの「フランス映画1943-現代」は、フランス人の書いた戦後フランス映画史として貴重かと思います。
私が読破するのはいつのことになるやら分かりませんが、メルヴィルに関する文章も散見され、いずれこのサイトでも紹介するつもりでおります。


トム(Tom5k)
お言葉に甘え、またも連続コメントしちゃいます。
わたしのブログ記事でもコメントさせていただきましたが、「世界の映画作家18 犯罪・暗黒映画の名手たち/ジョン・ヒューストン ドン・シーゲル ジャン・ピエール・メルヴィル」(キネマ旬報社、1973年)及び、メルヴィル監督の『恐るべき子供たち』を購入してしまいましたよ。また、マルセル・マルタンの「フランス映画1943-現代」も注文してしまいました。更に、アニエス・ヴァルダの『百一夜』も再見してしまいました。
すべて、マサヤさんの影響でございます(笑)。
恐るべき子供たち
コクトー / / 光文社





恐るべき子供たち
/ ビデオメーカー





>時代を経て、客観的に論ずる評論家が現れる可能性もありますが、どれだけ読者を獲得できるでしょうか・・・。

う~む、確かに客観性は、情熱・映画愛などと反比例する側面もあるかもしれません。

さて、わたしのブログ記事でも何度か取り上げている内容のことで、マサヤさんにお聞きしたかったんですが、『サムライ』の監督にマルセル・カルネが名乗りをあげ、ドロンがそれを蹴った、という逸話ですが、ご存知でしょうか?
映画評論家の秦早穂子のエッセイ「パリの風のなかで」(講談社、1979年)で触れられているのですが、本当に信憑性のある逸話だったのかどうかを、以前から疑問に思っておりました。
彼女は、かつて「映画評論」や「映画の友」等などのレビュー記事などでご活躍され、フランス政府からフランス映画文化紹介によって、芸術文化賞まで受賞されている権威ある文化人です。ですからこの逸話の紹介も信頼できるものであったと思ってはいるのですが・・・。
あまり一般に知られていない内容なものですから、違う方面からの同内容の情報などあればお教えいただきたいと思っております。
パリの風のなかで (1979年)
秦 早穂子 / / 講談社





では、また。


マサヤさん
トムさん、こんにちは。
いろいろ買われましたね(笑)。
『恐るべき子供たち』をトムさんがどうお感じになるかも興味深いですが、メルヴィルが載っている「世界の映画作家18」はあまり見かけないので貴重ですよ。
しかも700円と安価だったとか。
ところで全くの偶然なのですが、一昨日私もこの本を買ったのです。
もちろん、すでに1冊持っていますが、それよりも状態が良く、しかも650円とあまりに安かったのでつい買ってしまいました(笑)。
こういう物欲はキリがありません。
『サムライ』の監督にマルセル・カルネが名乗りをあげたという件、私は全くの初耳です。
本「サムライ」を読んでもそれらしい記事はなかったように思います。
しかし、それほどの方が紹介されたお話ですから、本当なのでしょうね。
それにしても、マルセル・カルネ監督の『サムライ』はちょっと想像できませんね(笑)




マサヤさんは、ジャン・ピエール・メルヴィルのみならず、広く映画を愛好されている方です。わたしのわがままな話題にお付き合いしていただき、たいへんうれしかったので、ご本人のご承諾をいただいて今回の記事更新としました。
トム(Tom5k)
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by Tom5k | 2007-09-02 15:35 | アラン・ドロンについて(10) | Trackback(2) | Comments(14)

『アラン・ドロンについて』⑤~伝統的キャラクター・アクター、二重自我の魅力 オカピーさんとの対話~

映画の良心というキャッチ・フレーズがピタリとはまる、わたしのブロ友のプロフェッサー・オカピーさんをお招きして?アラン・ドロンの本質的な魅力をさぐってみました。

実は、過去に何度もわたしの話題にお付き合いしていただいたこと、これが何とも有意義なコメント集になっていましたので、オカピーさんのご了承も得られ今回の更新記事としました。


2005年12月29日
オカピーさん
ルネ・クレマンは素晴らしいですね。基本的にタイトな作風で無駄がない。それは初期のドキュメンタリー・タッチの作風が晩年まで続いたということなのでしょう。彼のベスト5は、「太陽がいっぱい」「禁じられた遊び」「居酒屋」「海の牙」「しのび逢い」辺りと思います。
 アラン・ドロンもお好きなようですね。実は私も大好きで、演技者としてもっと評価されるべきと思っています。かつてアルセーヌ・ルパンに夢中になった私としては若い頃「黒いチューリップ」で颯爽としたところを披露した彼にルパンを演じてもらいたかったところです。「太陽がいっぱい」「冒険者たち」「若者のすべて」「サムライ」「山猫」あたりが贔屓作品です。


トム(Tom5k)
オカピーさんの嗜好は、クレマンにしても、ドロンにしても王道ですね。
アラン・ドロンは『世にも怪奇な物語』のウィリアム・ウィルソン、勧善懲悪の『怪傑ゾロ』、『黒いチューリップ』、多くの「フィルム・ノワール」作品のギャングや殺し屋などの伝統的なキャラクターがよく似合います。
戦前のクラッシック映画を70年代に復活させた俳優なのではないでしょうか?

2006年4月2~4日
>『山猫』のドロンこそ私のアルセーヌ・ルパンのイメージ
とのこと。
わたくしも以前から、ドロンがアルセーヌ・ルパンを演じたらピッタリだと以前から思っていました。
彼はクラシック、つまり古典がよく似合う俳優だと思いますので、『ルパン』以外にも『ドラキュラ』や『ジキルとハイド』などの古典の名作に、もっと出演して欲しかったと思っています。
最も演じて欲しかったのは『吸血鬼ドラキュラ』です。

ところで、最近、色々なブログでオカピーさんのコメントに出会います。わたくしの映画の嗜好と似ているのでしょうか?
非常に愉快です。
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ダグラス・フェアバンクス / / アイ・ヴィー・シー






オカピーさん
トムさん、こんにちは。
用心棒さんジューベさんのところでお会いしましたね。基本的に古い映画をとても大切にしている方たちばかり。映画に対する愛情と探究心が深く、文章も大変うまい。おかげで自分が<井の中の蛙>であったことを思い知らされました。

ルパンを演ずるにはやや陰もある貴族の末裔的な雰囲気が重要だと思うのですが、ロマン・デュリス(先般の「ルパン」でのルパン役)では散文的でお話になりません。尤も未見ですけど。
『ゾロ』は展開は荒かったですが、ドロンは良かったなあ。『黒いチューリップ』は最近観ていませんが、結構好きですね。
ルパン
ロマン・デュリス / / 角川エンタテインメント







トム(Tom5k)
>オカピーさん、夜中に失礼します。
うかつだったのですが、ジャック・ベッケル監督の『怪盗ルパン(LES AVENTURES D'ARSENE LUPIN)』があったのを忘れておりました。未見ですが、いつか観たいと思っております。残念ながらDVDもビデオも販売されていないようです。
しかし、かのベッケル監督ですから、期待できそうな気がしており、DVD化を強く期待しています。
Les Aventures D Arsene Lupin
Maurice Leblanc / / Hachette





かつて『ベルモンドの怪盗二十面相』というルパンのパロディ作品が公開されたときのことを思い出しました。わたしは、オカピーさんと同様にドロンにルパンを演じて欲しかったので、ライバルのベルモンドに先をこされたような気がして(作品は、本来のルパンのイメージとは全く異なるドジな泥棒のコメディでしたけれど)、くやしい気持ちになっていたことを思い出します。
オカピーさんはドロンのルパンが実現していたら、監督は誰が理想ですか?
わたしは、なんと言ってもジュリアン・デュヴィヴィエ監督に演出して欲しかったです。


オカピーさん
トムさん、こんばんは。
ベッケルの『怪盗ルパン』は私も観ていません。ベッケルはタッチの良い監督ですので、確かに期待できますね。ルパンはイメージが出来ているので、怖い感じもしますが。
『ベルモンドの怪盗二十面相』・・・そんな映画もありましたね。ベルモンドとは古い付き合いのフィリップ・ド・ブロカが監督でしたが、全く記憶に残っていないところを見ると、大したことはなかったのでしょうか。

古典的なムードを出せ、洒落っ気があり、流れるような文体を誇るデュヴィヴィエで文句なし。スリラーにも実績がありますし。


2006年5月31日~6月2日
トム(Tom5k)
オカピーさん、TB・コメントどうもでした。
(『仁義』について)キャスティングが豪華すぎて、焦点がぼやけたのかもしれませんね。わたしはブールヴィルの警視を単純に主役にすべきだったのかなとも思っています。まあ、それはメルヴィル監督も気がついていて、次作『リスボン特急』での刑事の孤独にテーマを絞った理由なのだろうと感じています。
それから、『仁義』の後、メルヴィル監督はドロンでルパンを撮る企画を立てていたそうです。実現していれば、独特のルパンものになったでしょうね。


オカピーさん
トムさん、こちらこそコメント有難うございました。
なるほど、ブールヴィルを主人公に据えてもっと短くすれば、純文学的な方向で上手く作れたかもしれませんね。トムさんのご意見を借りれば、性善説・性悪説の対比が主題として。
そうですか。ドロンのルパンは夢ですから実現して欲しかったなあ。でも、演出がメルヴィルでは相当重くなったでしょうね。あれから考えましたが、演出者として、『黒いチューリップ』を撮ったクリスチャン=ジャック辺りでも上手く作れたかもしれませんね。


トム(Tom5k)
オカピーさん、あんまり、うれしいことを言ってくれるので、連続の書き込みをしてしまいます。
もうまさにクリスチャン・ジャック監督のドロンのルパン、今すぐに見たくなってしまいましたよ。実現したら最高でしたでしょうね。
日仏合作『黄金仮面(明智小五郎VSルパン)』で三船の明智と再共演や、英(もしくは米)仏合作『ルパンVSホームズ』でテレンス・ヤング監督のブロンソンのホームズとの一騎打ちとかなんていうのも面白いかもしれませんね。
ブロンソンは『雨の訪問者』の印象で、ホームズが浮かびました。
考えただけでワクワクしてきますよ。
では、また。
雨の訪問者(字幕スーパー)
チャールズ・ブロンソン / / コロムビアミュージックエンタテインメント







オカピーさん
トムさん、返事が送れてすみません。
三船の明智は良さそうですね。多分天地茂より良い(笑)。
ブロンソンはちょっと英国臭がないかなあ(※注)、という印象です。テレンス・ヤングは良いかもですね。
今となっては全てが夢の夢。
「雨の訪問者」ですか。懐かしいですね。当時絶好調だったフランシス・レイの音楽が耳にこびりついていますよ。「パリのめぐり逢い」「個人教授」「ある愛の詩」・・・良い仕事をしました。レイのサントラ主題曲集なんてないかしら。
フランシス・レイ作品集
オムニバス / / ビクターエンタテインメント
※ オカピーさん、ここにありましたよ。でも、これサントラかな?トム(Tom5k)



※注
その後、ブロンソンのホームズ役を何人かの友人に話してみましたが、揃ってホームズ役は合わないとのブーイング意見でした(笑)。トム(Tom5k)



2007年4月21~27日
トム(Tom5k)
(『復讐のビッグガン』について)こっこれは、珍しい作品を取り上げましたね。
わたしとしても、ほとんど無関心な作品だったんですが・・・。
17・8年前に一度観たきりです。ファンとして失格ですけど、ただ注視すべきは、おっしゃるとおり
>ピエロ姿のドロン
このシークエンスには、確かに感じるものがありますよ。いずれ整理して記事にはしたいと思っています。やっぱオカピーさん、鋭いですなあ。
最近、何十回目でしょうか、豆酢さんも好きなロージー監督の『パリの灯は遠く』を観ました。何十回観ても素晴らしいものは素晴らしいです。
ではでは。


オカピーさん
トムさん
>ピエロ姿のドロン
深く検討すれば、『黒いチューリップ』とは同じであり逆でもある、人間の仮面性といったところに行き着くところではありますよね。
『パリの灯は遠く』は不条理な悲劇でしたね。色々複雑な思いを抱いた作品ですが、実は30年前に一度しか観ていないです。すみません。


トム(Tom5k)
(『黒いチューリップ』について)待ってました、オカピーさん!(笑)
二重人格や一人二役はアラン・ドロンの右に出る者はいないとまで思っていますよ。恐らくですが、ドロン自身もそういった役柄にかなりの陶酔感を持っていたのではないかな?
>冒険ものの三大設定
やっぱり、クリスチャン・ジャック監督なんかは、フランス映画の最後のクラシック作品の作り手だけあって、セオリー・基本が見事ですよね。
「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品も好きですけど(本当に大好きです)、戦前から戦後60年代始めくらいまでのフランス映画は最高です。
吉永小百合さんもリアル・タイムで見ていたらしく、絶賛されていた記憶があります。アニエス・ヴァルダ監督も『百一夜』で強調していたように思いますし、女性ファンが多い作品だと思います。
こころの日記 (1969年)
吉永 小百合 / / 講談社





>彼のアルセーヌ・ルパン
最近、ジョニー・トー監督のノワール作品にドロンが出演するらしいとの情報がありますが、老ルパンの役なら、まだ期待できるかも。わたしとしては、ルコントかベッソンあたりで制作してほしいですね。
ああ、またなんかカルネやクレール、デュヴィヴィエ、フェデールなんか見たくなってきちゃった。


オカピーさん
トムさん、こんばんは。
本当にドロンの二役には痺れますよねえ。
また大物はこういう役を一度はやりたがりますね、プロデューサーや監督に求められるまでもなく。

ヌーヴェルヴァーグ以降の作家が小手先というわけではないですが、それ以前の作家は、フランスに限らず、小手先ではなく本当に基本を大事に作っていますね。

>老ルパン
そう言えば『ハーフ・ア・チャンス』では、初老の怪盗紳士役を楽しそうにやっていました。
ベッソンは劇画的になりすぎる傾向があるので、私は文芸色のあるルコントで観たいです(笑)。


最近なかなかお邪魔できずにすみません。
今ピークで、へーへー言っております。

私の読書の幅も益々広がって文学では物足りず、思想・哲学も守備範囲にしようかと思っております。「社会契約論」も読んでみたいですねえ。昔の記憶を辿ると、「民約論」とも言いましたね。ルソーは興味深い著書が多いですよね。「エミール」「告白録」「新エロイーズ」など。
人間不平等起原論 社会契約論
ルソー 小林 善彦 井上 幸治 / 中央公論新社






エミール
ルソー / / 岩波書店





それはさておき、(『黒いチューリップ』について)ドロンの二役が最高でした。結局はドロンのために作られた作品ということに尽きますよね。
この時代の彼で、ルパン・シリーズの傑作「カリオストロ伯爵夫人」をクリスチャン・ジャックで作ったら永久保存版になっただろうなあ。さあ伯爵夫人は誰にさせましょうか?稀代の悪女です。同時代の女優なら、ジャンヌ・モロー? 80年代に入って貫禄の出てきたカトリーヌ・ドヌーヴでも良いかなあ。
済みません。妄想の世界に入ってしまいました。


トム(Tom5k)
>オカピーさん
おおっ!ジャン・ジャック・ルソーを、ですかっ!日本人は、民主国家になった段階でここが不足しているがために、本来の意味での近代国家に成りきれていないのだと思いますよ。多くの人が、江戸末期から明治初期にかけてルソーを読むべきだったはずです。わたしは今からでも遅くないと思いますよ。本当に素晴らしいですね。
『エミール』は、この八方ふさがりの時代に益々の必読書とも思います。日本の教育が、今行き詰まっているのも『エミール』を読まないからだっ!

すみません、取り乱してしまいました。
さて、
>ドロンの二役・・・
ふ~む。いやまったく、絶品ですよ。彼の分裂人間はっ!
むしろ、分裂してないドロンなんて、クリープを入れないコーヒーのようなもんです(例えが少し古かったでしょうか?)。

クリスチャン・ジャックのドロン=ルパンは、以前、オカピーさんの企画で最も優れたルパン企画であると興奮させていただいた記憶がありますが、カリオストロ伯爵夫人ですか?
こっこれは、また興奮しそうだ!
>ジャンヌ・モロー、カトリーヌ・ドヌーヴ
おおっ魅惑のジョセフィーヌ!
素晴らしいっ!
しかし、わたしからすると新しすぎます。あえて「ヌーヴェル・ヴァーグ」の女優は無視しましょう。
クラシックの正統で考えればジーナ・ロロブリジダ、もしくはフランソワーズ・アルヌール、世代を考えなければ、マルチーヌ・キャロル、ヴィヴィアンヌ・ロマンスあたりかなあ。マリー・ベルでも素敵な伯爵夫人になりそうっ!
やばっ、美輪明宏が浮かんできちゃった。

ガニマール警部は難しいですよ。トランティニャンやギャバンだとルパンを撃ち殺してしまいそうだ(笑)。
では、また。


オカピーさん
おおっ、お付き合い戴き有難うございます。

>カリオストロ伯爵夫人
マルチーヌ・キャロルは私も考えましたが、やや色気過多? フランソワーズ・アルヌールは全盛期では若すぎる?
ロロブリジダは大変イメージに近いですが、惜しむらくはイタリア人。まあこの際譲っちまいますか(笑)。

美輪明宏・・・却下(当たり前)。「黒とかげ」ではないんですから(爆)。

>ガニマール警部
イメージとは違いますが、ドロンと縁のあるリノ・ヴァンチュラ。この人を考えたら他の人が全く思い浮かばなくなってしまった(笑)。ルイ・ジューヴェも刑事役の実績ありますが、老けすぎ?

幻想映画館・・・楽しいですね。クラリスや乳母も考えないと(笑)。


トム(Tom5k)
オカピーさん、ようやく仕事も一段落と思いきや、今までの数倍の量の業務に襲いかかられましたよ。愚痴ですが参りましたよ。
さて、幻想映画館ですが、考えて観ることが出来ないというのが、残念ですが、いろんな企画を立てられそうですね。考えついた監督や俳優の違った個性にも気付かされます。
用心棒さんが、G×G対決のシナリオを記事にしていましたが、あれも面白かったです。
こういう企画も、たまにはいいかもしれません。
ではでは



いつも、アラン・ドロンが伝統的な俳優、そしてスターであること、彼の二面性が魅力的であることなどを基本に楽しくお話しさせていただいています。
オカピーさん、いつもドロン談義にお付き合いいただき、ありがとう。
トム(Tom5k)
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by Tom5k | 2007-07-14 18:28 | アラン・ドロンについて(10) | Trackback(2) | Comments(2)

『アラン・ドロンについて』④~アラン・ドロンと共演した好きな女優ベスト31~

※ 色の文字をクリックすると、わたくしの「お気に入りブログ」 koukinobaabaさん の 『Audio-Visual Trivia for Movie & Music』 の関連記事にリンクします。凄い情報量です!! 是非とも、御覧になってください!!

   ロミー・シュナイダー
   ミシュリーヌ・プレール    
   ミレーヌ・ドモンジョ
   パスカル・プティ
   ジャクリーヌ・ササール
   フランソワーズ・アルヌール
   ブリジッド・バルドー
   マリー・ラフォレ
   ダニエル・ダリュー
   ヴィヴィアンヌ・ロマンス
   ジェーン・フォンダ
   シャーリー・マックレーン
   アン・マーグレット
   センタ・バーガー
   ナタリー・ドロン
   マリアンヌ・フェイスフル
   ブリジット・フォッセー
   ニコール・カルファン
   ソニア・ペトローバ
   ゲイル・ハニカット
   ミムジーファーマー
   オッタビア・ピッコロ
   クローディーヌ・オージェ
   ジュリエット・ベルト
   シュザンヌ・フロン
   オルネラ・ムーティ
   ステファーヌ・オードラン
   シルヴィア・クリステル
   ビビ・アンデルソン
   ナタリー・バイ
   ドミツィアーナ・ジョルダーノ


  ※ そのときによって変わります。
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by Tom5k | 2005-02-25 22:52 | アラン・ドロンについて(10) | Trackback | Comments(5)

『アラン・ドロンについて』③~アラン・ドロンと共演した好きな俳優ベスト24~

※ 色の文字をクリックすると、わたくしの「お気に入りブログ」 koukinobaabaさん の 『Audio-Visual Trivia for Movie & Music』 の関連記事にリンクします。凄い情報量です!! 是非とも、御覧になってください!!

   ジャン・ポール・ベルモンド   
   ジャン・クロード・ブリアリ
   リノ・ヴァンチュラ
   モーリス・ロネ
   アニー・ジラルド(超女優)
   リナ・モレリ(超女優)
   バート・ランカスター
   ジャン・ギャバン
   ディーン・マーチン
   チャールズ・ブロンソン
   三船敏郎
   シモーヌ・シニョレ(超女優)
   イブ・モンタン
   アリダ・バッリ(超女優)
   ポーリ・ムーリス
   リチャード・バートン
   ジャンヌ・モロー(超女優)
   ジャン・ルイ・トランティニャン
   スタンリー・ベイカー
   シャルル・バネル
   マッシモ・ジロッティ
   クラウス・キンスキー
   ジェレミー・アイアンズ
   ミシェル・オークレール

    ※ そのときによって変わります
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by Tom5k | 2005-02-25 22:49 | アラン・ドロンについて(10) | Trackback | Comments(6)

『アラン・ドロンについて』②~アラン・ドロン作品での好きな監督ベスト19~

○ ルネ・クレマン
  (1959年)『太陽がいっぱい』
  (1960年)『生きる歓び』
  (1963年)『危険がいっぱい』
  (1965年)『パリは燃えているか』

○ ルキノ・ヴィスコンティ
  (1960年)『若者のすべて』
  (1962年)『山猫』

○ ミケランジェロ・アントニオーニ
  (1961年)『太陽はひとりぼっち』

○ ジュリアン・デュヴィヴィエ
  (1962年)『フランス式十戒』
  (1967年)『悪魔のようなあなた』

○ クリスチャン・ジャック
  (1963年)『黒いチュ-リップ』

○ アラン・カヴァリエ
  (1964年)『さすらいの狼』

○ ラルフ・ネルソン
  (1965年)『泥棒を消せ』 

○ ロベール・アンリコ
  (1966年)『冒険者たち』

○ ルイ・マル
  (1967年)『世にも怪奇な物語(第2話 影を殺した男)』

○ ジャン・ピエール・メルヴィル
  (1967年)『サムライ』
  (1970年)『仁義』
  (1972年)『リスボン特急』

○ テレンス・ヤング
  (1971年)『レッド・サン』

○ ジョセフ・ロージー
  (1972年)『暗殺者のメロディ』
  (1976年)『パリの灯は遠く』

○ マイケル・ウィナー(ウォルター・ミリッシュ・プロダクション)
  (1973年)『スコルピオ』

○ エドゥアール・モリナロ
  (1976年)『プレステージ』

○ フォルカー・シュレンドルフ
  (1983年)『スワンの恋』

○ ベルトラン・ブリエ
  (1984年)『真夜中のミラージュ』

○ ジャン・リュック・ゴダール
  (1990年)『ヌーヴェルヴァーグ』

○ アニエス・ヴァルダ
  (1995年)『百一夜』

○ パトリス・ルコント
  (1998年)『ハーフ・ア・チャンス』

※ そのときによって変わります
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by Tom5k | 2005-02-25 22:36 | アラン・ドロンについて(10) | Trackback | Comments(0)