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『シシリアン』③~娯楽大作となった「フレンチ・フィルム・ノワール」での典型的なアラン・ドロン~

 久しぶりに『シシリアン』が観たくなりました。
 『シシリアン』は、アラン・ドロンがジャン・ギャバンと共演した作品としては、決して高く評価されている作品ではありませんが、最近のわたしには、他の二本の共演作品(『地下室のメロディー』『暗黒街のふたり』)よりも好きな作品となっています(余談ですが、アラン・ドロンがジャン・ピエール・メルヴィル監督と組んだ最も好きな作品が、これも最近では、『サムライ』や『仁義』と比べ、やはり評価の低い『リスボン特急』でもあります。)。

 1962年製作の『地下室のメロディー』は、フランス、ニースのカジノからの現金強奪を描いた「フレンチ・フィルム・ノワール」作品で、素晴らしい出来映えの作品だと思いますが、駆け出しのアラン・ドロンが初めて、ジャン・ギャバンと共演した作品であり、彼は若いチンピラとしてのキャラクターでしかなく、それはそれで、たいへん魅力的ではあるのですが、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の演出で1967年に撮った『サムライ』以降の非情で冷徹、かつ悲哀を帯びたキャラクターのイメージは、まだ確立されていませんでした。

 『暗黒街のふたり』は、社会派ドラマトゥルギーを主軸とした作品であり、原作・演出・シナリオのジョゼ・ジョヴァンニ、製作・主演のアラン・ドロンが、各々の実体験からシリアスで悲劇的な独特のリアリズムによって、素晴らしい作風を確立した作品だと思いますが、この1973年当時のアラン・ドロンは、類型化し硬直してしまった自らのアンチ・ヒーロー的なヒーローのキャラクターから脱皮しようとしていたのか、従来の「フレンチ・フィルム・ノワール」からエンターテインメント的要素が失われてしまった印象を私は持っています。

 それらの作品に比べて、1969年製作の『シシリアン』は、「フレンチ・フィルム・ノワール」の大先輩であるジャン・ギャバンやリノ・ヴァンチュラ、ハリウッド作品『素晴らしきヒコーキ野郎』や『史上最大の作戦』でも活躍していたイリナ・デミックなどの豪華な共演者たちで「スターシステム」を徹底し、高価な宝石を運送する航空機をそれごとハイジャックして強奪する大掛かりなアクションに、旧時代の典型的なフランス映画の特徴である運命に敗北する主人公たちのペシミスティックな情緒的表現も加味した贅沢な娯楽大作となっています。
 しかも、この作品でのアラン・ドロンの格好良さは類い希なのです。

 ファースト・シークエンスでは、護送車から刑務所に収容するために移送されてきた受刑者たちが、手錠を掛けられたままふてぶてしい無表情で続々と降車し続けるさまを描写し、バック・グラウンドに、イタリアン・マフィア風の曲調をうまく強調したエンリオ・モリコーネの主題曲を照応させています。
 このショットでのエキストラの雰囲気は凄まじく、本物の受刑者を実写しているのではないかと錯覚するほどの迫力がスクリーン全面から滲み出ています。

 そして、その護送車から最後に姿を現わすのが、主人公サルテを演じるアラン・ドロンです。彼のクローズ・アップがフリーズし、同時にマルチフレームのレフト・サイドに、彼が刑務庁舎内に連行される様子が描写されます。
 多くの連行されてきた犯罪者の中から、任意のサルテという主人公を選び出すこの作業は「トラック・ショット」と呼ばれる手法ですが、ここでは、ひときわスタイリッシュに輝いているスターとしてのアラン・ドロンを犯罪者サルテと同化させて特に強調しています。

 次に、施設に収容される受刑者たちを整列させるショットに繋ぎ、ボリューム・コントロールによりBGMのマスター音量を下げ、刑務官が事務的に指示事項を説明するショットをモンタージュさせる手法が採られています。
 これらの描写には、反社会的でピカレスクな世界が非日常的な魅力として満載されており、彼ら犯罪者たちの魅力が冒頭から鮮烈に印象付けられ、作品への期待感が否応無しに喚起させられてしまいます。
 当時の映画館で、このファースト・シークエンスを観た観客は、これから始まっていく映画の展開への期待感が最高潮に達したとことでしょう。

 また、今回の鑑賞で印象的だったのは、長男アルド・マナレーゼの妻ジャンヌを演ずるイリナ・デミックでした。「殺し屋」という魅力的な存在への好奇心からエクスタシーを得ようとする女性特有のマゾヒスティックなエロティシズムがうまく表現されていたと思います。
 自分だけがシチリア人ではないことで、ファミリーのなかで常に疎外感を感じていたジャンヌは、強盗殺人で投獄されたこのハンサムな「殺し屋」に魅せられることで、その欲求不満を解消できると確信したのでしょう。必要以上に、何度もサルテの部屋に食料を運ぶ彼女は、実に被虐的でセクシュアルな雰囲気を漂わせていました。
 この作品でのアラン・ドロンとイリナ・デミックのポルノ・グラフィックなシチュエーションは、結果的にサルテの死やマナレーゼ・ファミリーを破滅に導く映画のプロットとしても、素晴らしい効果を上げています。

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 他に印象的だったのは、警官隊に囲まれた娼館からサルテが逃亡するときのシークエンス、特に彼が夜の闇に向かって路地を走り抜けていく後ろ姿のショットなどには、アニメーション的な躍動感があります。良い意味でリアリズムとは若干かけ離れた、映画ならではの非現実的なシチュエーションであったような気がするのです。
 「フィルム・ノワール」として、都会の闇に隠れて生きる犯罪者の生態をうまく象徴させた描写だと感じました。

 また、アクション描写を編集したシークエンスであるにも関わらず、静的で地味な「フレンチ・フィルム・ノワール」の体系に準拠している印象であり、わたしとしては、「アクション」それ自体の描写が、ノワールのイメージを醸成するための演出や編集の手法のひとつとして重要なのではないかと、考えさせられました。
 この視点は、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品を理解するうえでも、重要なポイントになるように思い、今回の鑑賞の最大の収穫だったと考えています。



 さて、この作品は何度もTV放映され、観る機会の多かった作品です。
 想い起こせば、中学生のときのTV放映で観ていたときだったでしょうか?
 ニューヨークのモーテルに潜伏しているサルテの元にニューヨークのボス、トニーが訪れ、訪問ブザーが鳴った途端に彼が飛び起きるシーンで、

当時、一緒に観ていた父親が、

「こういう商売やってると、神経休まる暇無いなっ! 絶対、熟睡できないぞっ!」

と、興奮して感想をもらしていた記憶があります。
わたしは、
おやじは何を力んでるんだろう?
あほでないのか?
と、不思議に思いながら、テレビでの映画放映を観ていた記憶が残っています。
多分、ギャングやマフィアが登場する映画が全盛期の時代でしたから、父親はそんな一連の作品群のなかの一本として観ていたのだと想います。


「ギャング役は好き?
 = ぼくが一ばん好きなのがギャング役ではない 観客が一ばん好きなのがギャング役なのだと思う ギャングでも神父でもぼくは演りがいのある役が好きだ」
【アラン・ドロン孤独と背徳のバラード 芳賀書店(1972年)】

【>ルイ・ノゲイラ
ドロンはあなたにとってスターの典型的な例なのですか?
>ジャン=ピエール・メルヴィル
彼は私が知っている最後のスターだ。フランスでは言うまでもなく、全世界を見てもそうだ。彼は30年代のハリウッド的な「スター」なんだよ。(略-)】
【引用『サムライ ジャン・ピエール・メルヴィルの映画人生』ルイ・ノゲイラ著、井上真希訳、晶文社、2003年】
サムライ―ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生
ルイ ノゲイラ Rui Nogueira 井上 真希 / 晶文社






 この作品は、当時のアラン・ドロンのファンが最も好み、それに答えるために、超人気スター俳優としてギャングを演じた最も安定感のある、彼にとっての典型的なスタイルの「フレンチ・フィルム・ノワール」だったように思うのです。
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by Tom5k | 2011-06-19 02:06 | シシリアン(3) | Comments(4)

『シシリアン』②~「フレンチ・フィルム・ノワール」の作家ジョゼ・ジョヴァンニ~

 「スクリーン」誌か、「ロードショー」誌か、さらにその発売年月号も忘れてしまっており、手元にあるのは当時の切り抜きのみですが、そこには、アラン・ドロンの熱烈なファンであった映画評論家の南俊子さんが書いた「ドロン映画のワースト・テン」としての記事が掲載されています。そこでは『ジェフ』と『悪魔のようなあなた』と、この『シシリアン』を「シナリオがまずかったと思うもの」とした短評がコメントされています。

 『シシリアン』のシナリオは、その監督でもあるアンリ・ヴェルヌイユと、『冒険者たち』の原作者およびシナリオの担当者でもあったジョゼ・ジョヴァンニが担当しています。ジョゼ・ジョヴァンニは1970年代後半にアラン・ドロンを主演にした「フレンチ・フィルム・ノワール」の監督として大活躍していきます。
 彼は、監督であったアンリ・ヴェルヌイユ監督が自分の書いたシナリオを大衆受けする目的で大幅に改編したことを後に批判しています。
「オーギュスト・ル・ブルトンの小説による『シシリアン』の脚本は自分でも最高のものだったと信じているのですが、監督のアンリ・ヴェルヌイユが身もふたもなく改変してしまった。わたしはこの映画を製作した20世紀フォックスのヨーロッパ支社の了解をえて抗議したのですが、受け入れられませんでした。ヴェルヌイユは撮影中にも、そうするほうが派手なアクションになるとか見栄えがするとかいって、いろいろとディティールを変えてしまった。」
【『映画とは何か 山田宏一映画インタビュー集 フランスの暗黒映画 ジョゼ・ジョヴァンニ<監督>と語る』山田宏一著、草思社、1988年】
映画とは何か―山田宏一映画インタビュー集
山田 宏一 / 草思社





 確かに、この内容には南俊子さんの短評と一致しており、完成した作品においてもジャック・ベッケル監督やジャン・ピエール・メルヴィル監督の演出作品のように人物描写に力点を置いたテーマではなく、旅客機のハイジャック強盗やジャン・ギャバン、アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラの3大スターのアクション・シークエンスなどを中心とした展開です。
 しかし、アンリ・ヴェルヌイユは、『ヘッドライト』や『地下室のメロディー』などで人間的心情を豊かに表現したフランス映画の伝統的な作風を引き継ぎ、かつリアルなドラマトゥルギーを演出してきた監督です。
ヘッドライト【字幕版】
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 何故、ジョゼ・ジョヴァンニのシナリオのディティールを大幅に改編したのでしょうか?

 1960年代後半から1970年代に向けてのハリウッド映画は、「アメリカン・ニュー・シネマ」といわれる『俺たちに明日はない』『卒業』『真夜中のカーボーイ』『イージー・ライダー』等の代表作を生みだしていきます。低予算で良質の作品を生み出していったフランス映画の「ヌーヴェル・ヴァーグ」が、ハリウッド作品にまで、その傾向を影響を与えた結果ともいわれています。
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 ところが、その逆に『シシリアン』は、練り上げたストーリーと派手なアクション、出演すれば観客動員に直接結びつくスター・システムなど、従来のハリウッドの大作主義をフランスの作品で、どこまで実践できるかを試すべく製作されており、20世紀フォックス社が、世界配給に向けてリリースした作品だったのです。
【参考 「シシリアン オリジナル・サウンドトラック盤」ライナーノーツ】

 アンリ・ヴェルヌイユ監督は、過去のフランス映画からの伝統的傾向とも言える、人物描写を中心にした「フレンチ・フィルム・ノワール」の作風だけでは、この目的を果たせないと判断したのではないでしょうか?わたしは、スタッフ・キャストがすべてフランス人の作品だとはいえ、彼のアメリカ資本の作品制作であることを踏まえたシナリオ改編を、安易に批判することは避けたいと思います。

 いや、それはむしろ、結果として賞賛すべき成果を生み出していることにさえ気付かされました。
【「下記、Commented by オカピー氏 at 2006-07-16 15:11」、及び「プロフェッサー・オカピー別館 映画評「シシリアン」 参照】


 20世紀フォックス社としてのアメリカナイズされた作風のなかで、新旧の「フレンチ・フィルム・ノワール」の3大スターの競演、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のアンリ・ドカエのカメラ、犯罪者としての実体験を持っているジョゼ・ジョヴァンニのシナリオ等々、種々の諸要素を混在させ、ハリウッド映画とフランス映画双方の特徴を総括的に演出したアンリ・ヴェルヌイユは、新しい独特の「フレンチ・フィルム・ノワール」を創り出したといえましょう。


 最愛の孫を残して家族を失ってしまったジャン・ギャバン演ずるヴィットリオが、リノ・ヴァンチュラ演ずるル・ゴフ警部に連行されるラスト・シークエンスでは、フランス映画特有の運命に敗北した主人公の寂寞の心情を表現していた「詩(心理)的レアリスム」の伝統が充分に生かされていた名場面と言えます。

 ハイジャックによる宝石強盗を成功させた後、サルテが身を隠しているニューヨークのホテルでの窓ガラスに映るビルの灯り、その暗い部屋でのアラン・ドロンを映し出す点滅するネオンサインのライティング効果や、ブラインドやタバコの煙などに、1940年代のハリウッドの「フィルム・ノワール」の雰囲気を漂わせています。

 このシークエンスに、『サムライ』でアラン・ドロンが演じた主人公、殺し屋ジェフ・コステロが魅了されてしまった美しい黒人ピアニストのヴァレリー役で共演したカティ・ロジェのポスターを挿入していることも意図的な演出による印象深いシーンとなっています。
 ジャン・ピエール・メルヴィル監督の意図として、『サムライ』での彼女は、主人公ジェフに取り憑いた死の女神の象徴として描かれていたとのことですが、この『シシリアン』でも、このシークエンス以降から主人公サルテに取り憑いて、彼とヴィットリオ一家に避けられない運命的な悲劇を与えているように映ります。

 「ヌーヴェル・ヴァーグ」のカメラマン、アンリ・ドカエの散光フィルターによるソフト・フォーカスでのイリナ・デミック演ずるジャンヌのクローズ・アップは、彼が過去に撮ったルネ・クレマン監督の『危険がいっぱい』でのジェーン・フォンダや、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『悪魔のようなあなた』でのセンタ・バーガーらと同様に、魅惑的で妖艶な美しさを表現しています。
 ハリウッドの「フィルム・ノワール」作品での中産階級の孤独な女性像は、主人公を破滅に導く謎の美しい悪女ファム・ファタルとして描かれますが、この作品では、シチリア出身ではない疎外感を持つジャンヌの孤独を、一匹狼サルテとのセクシュアルな恋愛関係を通じて、ハリウッド作品よりも分かり易く描いています。


 そして、改編されたとは言えジョゼ・ジョヴァンニのシナリオの傾向は、アンリ・ヴェルヌイユ監督の演出によってストーリーに(特にアラン・ドロン演じるサルテのキャラクターのなかに)巧く活かされ、かつジョゼ・ジョヴァンニ特有のヤクザ映画の生々しさも緩和され、洗練された第一級のエンターテインメントとして成立しています。

 アラン・ドロンといえば、ジャン・ピエール・メルヴィル監督での作品である『サムライ』(1967年)、『仁義』(1970年)、『リスボン特急』(1972年)などの印象が強烈なため、孤独でクールな一匹狼、家庭的な雰囲気とは無縁なアウトローのイメージの強い俳優ですが、意外にも彼の作品には、主人公が大切にしている家族の出てくる作品も多いのです。
 『泥棒を消せ』(1964年)、『ビッグ・ガン』(1973年)、『ル・ジタン』(1975)、『ブーメランのように』(1976年)などは、家族愛そのものが中心のテーマですし、『地下室のメロディー』(1962年)、『ボルサリーノ』(1969年)では母親、『スコルピオ』でも主人公ローリエには妹がいます。常に家族思いの優しい息子や兄、父親の役であり、彼が幼いころから家族愛に恵まれなかったことで、人一倍そういう愛情に敏感だったことを反映している傾向かもしれません。

 この『シシリアン』も、例外ではなく、非情な男の世界で生きる犯罪者ではありますが、ダニエル・ヴォル演ずる妹モニクの優しい兄という設定です。警察の監視をかいくぐるために自動車の後部座席に隠れて、生活費の送金の手配のことを伝え、妹に別れを告げる場面も本当に、悲しくせつない気持ちになります。
「外国へ行く。もう帰らん。お前には苦労させた。・・・泣く奴があるか。気苦労のタネが消えるんだ。・・・これで気がすんだ。幸せにな。」
 そして、パリ・オルリー空港での、マナレーゼ一家とル・ゴフ警部の待ち伏せをかいくぐったあとのヴィットリオに電話するシーンでは、
「妹が留置されたら、皆殺しにしてやる。」とヴィットリオに言い放つセリフがあります。妹思いの兄の役を観て、アラン・ドロンの妹になりたいと思った女性ファンも多かったのではないでしょうか?

 ヤクザな兄貴に悲しむ妹、これは「ハード・ボイルド」や「フィルム・ノワール」というより、松竹の山田洋二の『男はつらいよ』シリーズや、大映か東映の「ヤクザ映画」に通じる基本設定です。アラン・ドロンの日本での人気の要因は、こんなところにもあったのではないでしょうか?
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 更に印象深いシーンとして、冒頭でのアラン・ドロン演ずる容疑者サルテへの事件調書の確認の場面です。
「工員の父に妹と育てられる。学校に通っていたのは11歳まで、小学校時代の教師によれば「笑みを絶やさぬ人好きのする子」君への唯一の好意的な評だ。逮捕歴は14歳から・・・」
 きっと小学生だった頃のサルテは、この担任の先生のいうように、本当は明るくて良い子だったのでしょう。何故そんな良い子が、凶悪な殺人者になってしまったのでしょうか?アラン・ドロンの演じてきた多くの犯罪者たちは、きっとみんな世間にいじめられてそうなってしまった悲しい人たちばかりなのでしょう。非常に心が痛むシーンです。

 ジョゼ・ジョヴァンニは、小説家としても、シナリオライターとしても、そして演出家としても、社会で虐げられ疎外され、アウトローとして生きざるを得なかった犯罪者たちの悲哀を描き続けた作家であり、シナリオの改編に本人の不満があったにせよ、この『シシリアン』でも、それは一貫した内容として反映されています。
 そして70年代のジョゼ・ジョヴァンニ監督の演出によるアラン・ドロンの個性は、この作品で最初に発現していたようにも感じました。



 ジャック・ベッケル監督の『穴』とクロード・ソーテ監督の『墓場なき野郎ども』の原作・シナリオライターとして、鮮烈なデビューを飾ったジョゼ・ジョヴァンニは、映画監督としても、1960年代になって多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の傑作を生み出していきます。『生き残った者の掟』(1966年)、『墓場なき野郎ども』(1960年)、『ギャング』(1966年)、『オー!』(1968年)、『ラ・スクムーン』(1972年)等々。
 アラン・ドロンとのコンビでは、彼の書いたシナリオ『冒険者たち』と『シシリアン』がヒットしたことから、ジョゼ・ジョヴァンニが『暗黒街のふたり』(1973年)のシナリオを書いて、アラン・ドロンに出演交渉をしたそうです。他にアラン・ドロンの主演作品の監督としては、『ル・ジタン』と『ブーメランのように』があります。
 このように1960年代から1970年代にかけての彼は、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品の作家として、大活躍していきました。

 ところで、戦後間もなくのフランスでは、ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラー、W.R.バーネットなどのアメリカ製犯罪小説のブームが起こり、1945年、ガリマール社から「セリ・ノワール(黒のシリーズ)」叢書として発刊されていきました。
 その時期のフランス国内の代表的な作家としてジョルジュ・シムノンの原作が多く映画化されている外、アルベール・シモナン、オーギュスト・ル・ブルトンらが代表格として挙げられます。アルベール・シモナンは、ジャック・ベッケル監督、ジャン・ギャバン主演の『現金に手を出すな』の原作者です。
 オーギュスト・ル・ブルトンの原作・脚本では、ジャン・ギャバンやリノ・ヴァンチュラが出演している『筋金を入れろ』(1954年)、『赤い灯をつけるな』(1957年)、『皆殺しのバラード』(1966年)などや、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作家たちに影響を与えたアンリ・ドカエのカメラによるジャン・ピエール・メルヴィル監督の『賭博師ボブ』(1955年)や、ジュールス・ダッシンがハリウッド・テンの事件で赤狩りを逃れて映画化した『男の争い』(1955年)なども有名な作品です。
 そして、この『シシリアン』もオーギュスト・ル・ブルトンの原作です。
現金に手を出すな
アルベール・シモナン 野口 雄司 / 早川書房





男の争い
オーギュスト・ル ブルトン Auguste le Breton 野口 雄司 / 早川書房






生き残った者の掟
ジョゼ・ジョバンニ 岡村 孝一 / 早川書房






 『生き残った者の掟』の原作のなかでジョゼ・ジョヴァンニは、マニュにエレーヌを紹介する場面に『シシリアン』の原作者である大先輩オーギュスト・ル・ブルトンを登場させ、彼へのオマージュを捧げているのです。

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シシリアン オリジナル・サウンドトラック盤(20世紀フォックス映画「シシリアン」より)音楽:エンニオ・モリコーネ
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by Tom5k | 2006-07-15 22:50 | シシリアン(3) | Comments(16)

『シシリアン』①~「フレンチ・フィルム・ノワール」の変遷~

 「フィルム・ノワール」とは、「黒い映画」を意味するフランス語で、1940年代から1950年代にかけて創られたハリウッド製の犯罪映画を総称し、フランスの映画評論家ニーノ・フランクが映画雑誌『レクラン・フランセ』(1946年8月号)で用いた用語だそうです。一般的には、ジョン・ヒューストン監督、ハンフリー・ボガード、メアリー・アスター主演の『マルタの鷹』(1941年)が、この体系の最初の作品といわれているようです。

 そのテーマや手法などの特徴的な傾向は数多くありますが、ほとんどは、犯罪が多発する夜の世界を舞台とし、複雑で難解な推理プロットで構成され、上流階級の破滅的な結末を都会の孤独な生活を遠因にして描いています。
 登場人物の孤独感や、作品テーマに反映されたペシミスティックな雰囲気を表現するためのボイス・オーバー(主人公の独白)とフラッシュバック、当時の検閲を巧みに逃れるために編集やプロットを工夫し、特にポイント・オブ・ビュー(多種多様の視点)での表現を工夫しています。
 また、非情の女を意味する美しい悪女「ファム・ファタル」を登場させ、男の論理を一貫させて女性を破滅させるか、女性の裏切りによる男の犬死を描く傾向を持ち、その代表的な女優としては、メアリー・アスター、リタ・ヘイワース、バーバラ・スタンウィック、アン・バクスター、ローレン・バコールなどが有名です。

 映画の主人公たちが身につけているピストル、トレンチコート、帽子や、都会の夜の霧、ビルの灯りや街灯、点滅するネオンサイン、自動車のヘッドライト、街路を濡らす雨と闇の陰影、探偵事務所の窓・ブラインド・換気扇・タバコの煙などを、ロー・キーの照明で撮影し、暗闇でのライティング効果を利用した色彩のないモノクロームの黒白画面で独特の雰囲気を作り出し、凝った言い回しや挑発的なワイズ・クラックなどのキザなセリフで、B級低予算の作品を映画史に残る体系にまで高めました。
 アーネスト・ヘミングウェイの影響を受けたダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、W.R.バーネット、ジェームズ・M・ケインなどの「ハード・ボイルド」小説を原作・モチーフにして創ったものが多いようです。

 ハリウッドでの1930年代のウィリアム・A・ウェルマン監督、ラオール・ウォルシュ監督、ハワード・ホークス監督、マイケル・カーティス監督らが、ジェームズ・キャグニー、ジョージ・ラフト、エドワード・G・ロビンソン、ポール・ムニらを主演にして制作されたワーナー・ブラザーズ社を中心とした一連の「ギャングスター映画」は、厳密には「フィルム・ノワール」とは呼ばれていないようですが、その多くの作品に影響を与えました。

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 更に、「ドイツ表現主義」や戦後イタリアの「ネオ・リアリズモ」などの影響も合わせて強く受け、全盛期を迎えていくわけです。
 その代表的なものとしては、前述した『マルタの鷹』、ビリー・ワイルダー監督、フレッド・マクマレイ、バーバラ・スタンウィック主演の『深夜の告白』(1944年)、フリッツ・ラング監督、エドワード・G・ロビンソン、ジョーン・ベネット主演の『飾窓の女』(1944年)、オットー・プレミンジャー監督、ジーン・ティアニー、ダナ・アンドリュース、ヴィンセント・プライス主演の『ローラ殺人事件』(1944年)、チャールズ・ヴィダー監督、リタ・ヘイワース、グレン・フォード主演の『ギルダ』(1946年)、テイ・ガーネット監督、ラナ・ターナー、ジョン・ガーフィールド主演の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1946年)、オーソン・ウェルズ監督・主演、リタ・ヘイワース主演の『上海から来た女』などが有名です。
 典型といわれているハンフリー・ボガートとローレン・バコールが主演した作品には、ハワード・ホークス監督の『脱出』(1944年)や『三つ数えろ』(1946年)、デルマー・デイヴィス監督の『潜行者』(1947)、ジョン・ヒューストン監督の『キー・ラーゴ』などがあります。

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 これらの作品傾向は、1950年代から1970年代にかけてのフランス映画にも定着し、一般的には、その創始者はジャック・ベッケル監督だとされ、ジャン・ギャバン主演の『現金に手を出すな』(1953年)とジョゼ・ジョヴァンニ原作の『穴』(1954年)が、その最初の体系と言われています。
 その先駆けとしては、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督の私立探偵を主人公とした『犯人は21番に住む』(1943年)や『犯罪河岸』(1947年)などが挙げられています。

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 「ヌーヴェル・ヴァ-グ」の評論家達の主張していた作家主義においても、ハリウッドの「フィルム・ノワール」は絶賛され、自らの監督作品にもその要素を取り入れており、彼らの先輩格であるジャン・ピエール・メルヴィル監督の創作した多くの作品も、暗黒街を舞台にした「フレンチ・フィルム・ノワール」であったわけです。
 このようにフランスでは、映画人としての新旧世代やジャンルを問わず、それは評価され映画界に定着していきました。もっとも、定義づけについてはあいまいな部分も多く、フランス映画においての作風は、1930年代のハリウッドの「ギャングスター映画」に近い傾向の作品も含めた、広い意味での犯罪映画の総称になっています。

 フランスにおけるその代表的なスターは、戦前から活躍していた大スターであるジャン・ギャバンを始め、クラシック傾向の作品の多いアラン・ドロン、ジャン・リュック・ゴダール監督やアラン・レネ監督の「ヌーヴェル・ヴァーグ」の代表作品に出演していたジャン・ポール・ベルモンド、ジョゼ・ジョヴァンニのムショ仲間であったミシェル・コンスタンタンが上げられます。そしてリノ・ヴァンチュラ、イブ・モンタン、ジャン・ルイ・トライティニャンなども多くの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品に主演しています。

 『シシリアン』は、この代表的なスター、ジャン・ギャバン、アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラを出演させた非常に贅沢なキャスティングを組んで制作されました。

 まず、特筆すべきはジャン・ギャバンの出演です。
 彼は、戦後の『現金に手を出すな』よりも以前、戦前の「詩(心理)的レアリスム」の体系のなかで、すでに犯罪組織のボスや暗黒街に生きる孤独な主人公を、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、マルセル・カルネ監督、戦後間もなくのルネ・クレマン監督らの演出により演じています。

 ジャン・ギャバン主演の「詩(心理)的レアリスム」の作品は、1940年代のハリウッドで、「フィルム・ノワール」に大きな影響を与えた1930年代の「ギャングスター映画」の影響を少なからず受けており、更に、同様の影響を与えた「ドイツ表現主義」なども「詩(心理)的レアリスム」の源流のひとつであると言われています。
【(略)~こうしたペシミスティックな雰囲気の描写が、F・W・ムルナウの『最後の人』(1924年)やジュセフ・フォン・スタンバーグの『嘆きの天使』(1930年)など、ドイツ表現主義映画の風土から出発していることです。デュヴィヴィエの『望郷』(1937年)に至っては、アメリカのハワード・ホークスのギャング映画『暗黒街の顔役』(1932年)の影響をはっきりと受けています。フランス独自の映像美学と思われがちな「詩的レアリスム」は、けっして同時代の世界の映画の流れとは切りはなせないものでした。【引用~『フランス映画史の誘惑』中条省平著、集英社(集英社新書)、2003年)】

 これらのことを考えると、ジャン・ギャバンの得意とした暗黒街の孤独な主人公を登場させた戦前の代表作品の傾向は、ハリウッドの1930年代の「ギャングスター映画」にまで拡大されて総称となった「フレンチ・フィルム・ノワール」の土台となっていると、わたしには思えるのです。
 どの映画評論によってもフランスでの、それは、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督やジャック・ベッケル監督の作品以降であると体系づけられていますが、わたしは、この戦前の「詩(心理)的レアリスム」でのジャン・ギャバンの作品群にこそ、その源流があると思えてならないのです。

 特にジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品は、元来、ノワール的傾向の作品も多く、1932年の『モンパルナスの夜』などは、明らかに「フィルム・ノワール」作品としての傾向を持っています。
 戦後のジャン・ギャバンの演じた「メグレ警視」(ジャン・ドラノワ監督、ジル・グランジェ監督)は有名ですが、これはベルギー人作家ジョルジュ・シムノンが生んだ「セリ・ノワール」小説のこのシリーズの一遍である『男の首』を映画化したものです。ジャン・ギャバンは出演していませんが、1940年代のハリウッドの「フィルム・ノーワル」に最も近い傾向の作品です。
 しかもカイエ派が絶賛し、ジャン・リュック・ゴダール監督がフランスで唯一の「フィルム・ノワール」だとまで言い切った巨匠ジャン・ルノワール監督の「メグレ警視」を主役にした『十字路の夜』(1932年)よりも先立って制作されているのです。

 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督は、1936年にはジャン・ギャバンを主演にして、暗黒街の犯罪者ペペ・ル・モコを演じさせた大傑作『望郷』を撮るわけですが、後年、他の「詩(心理)的レアリスム」の演出家や脚本家の例に漏れず、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のカイエ派のシニカルで攻撃的な批判によって、彼の多くの功績は無視され、現在に至ってもなお不遇な扱いを受け続けています。

 トーキー時代初期のルネ・クレール監督から始まった「詩(心理)的レアリスム」の最高傑作は、その巨匠と位置づけられているジュリアン・デュヴィヴィエ監督、ジャック・フェデール監督よりも、更に若いマルセル・カルネ監督と、脚本を担当していた詩人ジャック・プレヴェールとのコンビによる『天井桟敷の人々』(1943~45年)でしょう。
 そして彼らがジャン・ギャバンを主演にした『霧の波止場』(1938年)や『港のマリー』(1949年)などは映画史上においても、ジャック・プレヴェールによるシナリオによるダイアローグの数々が絶品であり、『望郷』と同様に、この2作品ともノワール的な傾向を強く持った作品なのです。

 また、独特のリアリズム作品を多く生みだしたルネ・クレマン監督は「詩(心理)的レアリスム」の作品傾向とは一線を画しているように見えますが、ジャン・オーランシュとピエール・ボストのシナリオ・コンビと組んだ『禁じられた遊び』(1952年)、『居酒屋』(1956年)を制作していることから、やはりカイエ派の批判にさらされていきます。
 『鉄格子の彼方』(1948年)は、イタリアの「ネオ・リアリズモ」作品である『自転車泥棒』(1948年)のチェザーレ・ザヴァッティーニとチェッキ・ダミコのシナリオですが、ジャン・オーランシュとピエール・ボストに脚色させ、ジャン・ギャバンが主演していることもあって、彼の作品としては最もノワール的傾向の強い「詩(心理)的レアリズム」作品として位置付けられましょう。

 これらの作品の特徴を考えたとき、「フレンチ・フィルム・ノワール」が、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督、ジャック・ベッケル監督から始まったといわれている映画史体系は、それ以前の作品群が、いくらフランス映画の良質の伝統の体系であったとはいえ、戦前からのノワール傾向を持った演出や、ジャン・ギャバンたちの演じたキャラクターと演技等の素晴らしい実績を、あまりにも短絡的に無視してしまったようで実に残念なわけです。
 そのような意味では、フランス映画史の体系は今後、前向きな再編の必要性を要しているのではないでしょうか?

 映画史的な意味での「フィルム・ノワール」の懸案はさておき、ジャン・ギャバンは『シシリアン』のオファーを受けたときに

「ヤツをぶち殺す役ならドロンと共演してもいい。」

とジョークを交えて承諾したという逸話が残っています。
 これは粋で洒落たエスプリに富んだ発言です。俗物でありながら非常識で生意気、わきまえの無い青年などと言われていたアラン・ドロンを決して拒否せず、世間と同様の彼に対する憎さを、嫌みなく正直に、そしてほほえましく言えるジャン・ギャバンに、キャパシティの広さと後輩思いの親分肌を感じました。

 『シシリアン』での、さらに贅沢なキャスティングは、ル・ゴフ警部役のリノ・ヴァンチュラの助演でしょう。
 ラリー・アドラーのハーモニカの「グリスビーのブルース」を背景に、ボスのマックス役によって、以降のキャラクターを確立したジャン・ギャバンや、ジャンヌ・モローのファム・ファタルとともに、ジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』に出演した当時の彼は、ジャン・ギャバン主演の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品での助演も多く、『筋金を入れろ』(1955年)、『赤い灯をつけるな』(1957年)、『殺人鬼に罠をかけろ』(1958年)などで素晴らしい名脇役としての共演を果たしています。
 彼のアラン・ドロンと共演したロベール・アンリコ監督の青春映画『冒険者たち』(1967年)も、ジョゼ・ジョヴァンニの原作です。

 クロード・ソーテ監督の『墓場なき野郎ども』(1960年)での主演、アンリ・ヴェルヌイユ監督の『太陽の下の10万ドル』(1964年)でのジャン・ポール・ベルモンドとの共演、ジョルジュ・ロートネル監督の『女王陛下のダイナマイト』(1966年)ではミシェル・コンスタンタン、ミレーユ・ダルクとも共演しています。ジャン・ピエール・メルヴィル監督とはジョゼ・ジョヴァンニ原作『ギャング』(1966年)や『影の軍隊』(1969年)で組んでいますし、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』(1957年)でさえ、刑事役で出演するほどでした。

 ジャック・ベッケル監督、ジェラール・フィリップ主演の『モンパルナスの灯』(1958年)での冷徹な画商の役や、テレンス・ヤング監督、チャールズ・ブロンソン主演の『バラキ』(1972年)での冷酷なマフィアのボス役が圧巻で、強烈な印象を残しました。
 彼は、「フィルム・ノワール」の世界では、最も優れた助演俳優なのです。

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 そしてアラン・ドロンです。彼の「フレンチ・フィルム・ノワール」第1作目は、ジャン・ギャバンと共演した『地下室のメロディー』(1962年)です。演出も『シシリアン』と同様にアンリ・ヴェルヌイユ監督でした。失敗作とも言われていますが、自らのプロデュース作品であるアラン・カヴァリエ監督の『さすらいの狼』(1964年)もノワール傾向の色調の強い作品だと思います。

 また渡米後のハリウッド作品、当時エルヴィス・プレスリーと恋人だったアン・マーグレットと共演し、『危険がいっぱい』のラロ・シフリンが音楽を担当したマーク・ロブソン監督の『泥棒を消せ』(1964年)を忘れてはいけません。
 凄いのはジャック・パランスを初めとしたヤクザ・ファミリーでした。見るからに凄みのあるヤクザを続々登場させているこの作品の迫力を、わたしは忘れることができません。
 さらに犯罪者がまっとうに生きるために気質(かたぎ)になることの難しさや、父親としての我が子への愛情などを、アラン・ドロンが初めて演じた作品であり、後年ジョゼ・ジョヴァンニ監督とコンビを組んで製作していった70年代後半のアデル・プロダクションのテーマに通じる極めて重要な作品です。

 しかも、それはハリウッド作品であることから、1930年代の「ギャングスター映画」や1940年代以降の伝統的ノワール傾向を色濃く反映していますし、主人公エディのキャラクターは、ジョゼ・ジョヴァンニが原作者である『冒険者たち』の主人公マニュに通じるものを感じます。

 残念ながら、日本では30年近く前にゴールデン洋画劇場でTV放映されて以後、ビデオ・DVD化されておらず、わたしは早急に商品化すべき作品であるとまで思っています。
 その後、アラン・ドロンはハリウッド映画からフランス映画に復帰し、『シシリアン』の製作までの間にジョゼ・ジョヴァンニ原作の『冒険者たち』でリノ・ヴァンチュラと共演し、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の『サムライ』(1967年)、チャールズ・ブロンソンと共演した『さらば友よ』(1968年)、ミレーユ・ダルクと知り合った『ジェフ』(1968年)などの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品に主演していったのです。

 そして遂に1969年、この『シシリアン』により、『地下室のメロディー』以来7年ぶりの顔合わせであるジャン・ギャバンや、『学生たちの道』や『冒険者たち』で息の合ったコンビを組んだリノ・ヴァンチュラとの再共演が果たせました。
 「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スターであるアラン・ドロンは、彼ら大先輩に可愛がられて、更にスターとしての素養に磨きをかけることのできた幸せな俳優でした。

 わたしは、このような先輩たちと互角に渡り合えた『シシリアン』での撮影は至福の時だったと想像します。彼は、リノ・ヴァンチュラに追われ、ジャン・ギャバンに殺されるサルテの役に、歓びをかみしめながら演技していたに違いないと思うのです。
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by Tom5k | 2006-07-09 16:56 | シシリアン(3) | Comments(10)