『友よ静かに死ね』②~再生・復活、リアルな「良質の伝統」~

 ブルーレイ化された『友よ静かに死ね』が発売されたので、早速購入してしまいました。

 アラン・ドロンのDVD(ブルーレイ)を観るときは、わりと母親にも観せることが多く、今回も「珍しいアラン・ドロンの映画を買ったから、観ないか?」と一緒に観ました。
 以前に『暗黒街のふたり』を観せたときには、アラン・ドロンが演じた主人公のジーノ・ストラブリッジがあまりにも気の毒で、もう二度と観たくないと言っていたのですが、意外にも今回の母親の感想は何度でも観ることが出来そうな気に入った映画だった、とのことでした。髪をカールしたアラン・ドロンの姿が面白かったそうです。

 想えば、この『友よ静かに死ね』は、私が中学生の頃、父親と一緒に東宝東和系の上映映画館で観た作品でした。同時上映はシルヴィア・クリステルとナタリー・ドロンが共演した『華麗な関係』で、ロジェ・ヴァディム監督が『危険な関係』を自らリメイクした作品です。
 わたしと父親は、こちらの作品を観ずに帰宅した記憶があります。中学生が親子で観ることにはそぐわない内容の作品だと判断していたのでしょう。

【魅惑の女優シリーズ】 華麗な関係 [DVD]

ポニーキャニオン



危険な関係 [DVD]

アイ・ヴィ・シー



 ところで、現在のようにインターネットの情報が無かったことは、もちろんなのですが、当時の新作映画の情報は現在と同様に映画雑誌での制作情報や作品内容の掲載記事、映画評論家などが解説するテレビ番組に設けられた映画紹介コーナーなどが主なものでした。

 当時の映画雑誌で『ル・ギャング Le Gang』という原題でクランク・インの情報が紹介されていたこの『友よ静かに死ね』に、わたしは、過度の期待を掛けてしまっていたのです。
 古典冒険活劇『アラン・ドロンのゾロ』の正義の剣士、「フレンチ・フィルム・ノワール」ではあっても、『フリック・ストーリー』では刑事、『ル・ジタン』ではロマ族のアウトロー、『ブーメランのように』では悲劇の父親像などを演じていたアラン・ドロンが、久しぶりに原点に回帰し、『シシリアン』や『仁義』のような純粋な「ギャングスター」そのものを演ずるのだろうと・・・。

そうそう、そう来なくっちゃ・・・と、
そんな想像をしながら、ワクワクしながら日本公開を指折り数えて待っていたものでした。

 ところが・・・いよいよ封切りも間近の当時の映画雑誌の新作情報などで、そのグラビア写真のアラン・ドロンの姿を見たわたしは絶句してしまったのです。

>なっ、何なのだっ!このアラン・ドロンの、この髪型はっ?!

 正直に言いますが、私は本当に大きなショックを受けてしまいました。

 あのクールで哀愁に満ちたアラン・ドロンは・・・わたしの憧れていたあのダンディズムの極致としてのアラン・ドロンは・・・何処に・・・。

 更に、何より恐ろしい妄想が駆け巡りました。
 ・・・この後の作品でも彼はこの髪型で演じ続けていくつもりなのか???

【以下、トム(Tom5k)の当時の独白】
≪いや、待て、このイメージ・チェンジには、何か彼の凄い思惑があるはずだ。このような軽率な認識ではアラン・ドロンの真のファンとは言えない。だから、少なくても未だ観てもいないこの『ル・ギャング Le Gang』という作品を軽んじてはいけない。

だって、考えてもみろ!
原作は『フリック・ストーリー』のロジェ・ボルニッシュではないか!

やっぱり、主人公は実在した「ピエール・ルートレル=気狂いピエロ」というギャング団のボスを扱っているそうだ。犯罪実録のような作品なのだろうか。

もしかしたら、ライバルのジャン・ポール・ベルモンドの『気狂いピエロ』などとも何か関係があるのかもしれないぞ?

気狂いピエロ [Blu-ray]

ジェネオン・ユニバーサル


(当時のわたしには、ジャン・リュック・ゴダールのそれではなく、ジャン・ポール・ベルモンドの『気狂いピエロ』との認識しかありませんでしたし、テレビ放映の記憶もなく未見の幻の作品でした・・・)

う~む、この作品には、凡人には想像もつかないような凄まじい意図や主題が散りばめられているのかもしれない。≫

 そして・・・一緒にこの作品を観に行った父親の感想・・・

>あ~あ、大した映画じゃなかったなあ、お前につき合ったけど・・・それに何だあ?あのアラン・ドロンの髪の毛・・・変なの?はっはっはっ!・・・。

 わたしが、荒んだ環境で育った不良少年であったなら、父親を金属バットで殴っていたでしょう。


 周知のとおり、幸いなことに、その後に公開された『チェイサー』や『プレステージ』、『エアポート’80』では、彼の髪はカールされていませんでした・・・ああ本当によかった。

 わたしは、伯母に買ってもらったサウンドトラック盤のLPレコードでの解説、ロジェ・ボルニッシュの原作本、映画館で購入したパンフレット、毎月購入していた「スクリーン」や「ロードショー」に加えて、滅多に購入しない「キネマ旬報」を購入し、この作品の紹介記事を隅から隅まで読みあさり続け、ジョゼ・ジョバンニがピエール・ルートレルを題材にして著している『気ちがいピエロ』(ジャン・リュック・ゴダール監督、ジャン・ポール・ベルモンド、アンナ・カリーナ主演の『気狂いピエロ』の原作とは異なる)まで購入してしまいました。

気ちがいピエロ (ハヤカワ・ミステリ 1114)

ジョゼ・ジョバンニ / 早川書房



 そして、いよいよ、その30年後に、アラン・ドロンがこの作品の製作に携わって主演した42歳と同年齢の2006年6月13日に至り、わたしは【『友よ静かに死ね』~反「ヌーヴェル・ヴァーグ」のアデル・プロダクション~」】の記事を自らのブログ記事としてアップできたのです。
 ああ、長年言いたかったことが、やっと言えたあ~。

 ほとんど私見だらけの根拠の無い小理屈ばかりではあるとは承知しながらも、わたしはこの記事のように、この作品を理解しています。
 今では本当に愛着のある作品として、現在ブルーレイ化された『友よ静かに死ね』を手元に置くことになっているところなのであります。

 また別の視点で、わたしのこの作品への想いを語れば、
 『フリック・ストーリー』に引き続いて、ロジェ・ボルニッシ刑事を登場させて欲しかったと、今でも強く思っています。ボルニッシュ刑事にアラン・ドロンを配置してシリーズ化して欲しかったのです。
 そうなると、ピエール(ロベール)・ルートレルには、ジャン・ポール・ベルモンドなどでもユニークな配役でしょう。彼を再びアデル・プロの作品に迎え入れ、実在の「気狂いピエロ」を演ずるなるなんて、実に素晴らしい企画だとは思いませんか。『ボルサリーノ』に続いて彼らの代表作品になったはずです。

 あるいは、アラン・ドロンが、このピエール(ロベール)・ルートレルを演ずることに、どうしてもこだわったのならば、ボルニッシュ刑事には、ジャン・ルイ・トランティニャンを迎えるなど、超ド級の意外性でのシリーズ作品にしても面白かったようにも思います。

 ところで、「フレンチ・フィルム・ノワール」の体系は、1940年代のアメリカ映画での「フィルム・ノワール」作品と異なり、いわゆる1930年代のアメリカ映画で確立された「ギャングスター映画」の系譜も含む総称であると思います。
 それは、ハリウッド製の「ギャングスター映画」や、ファム・ファタルが必ず登場し、主人公は硬質な私立探偵や警察官、検察官、判事、犯人や犯罪の依頼者には富裕層の市民などが登場する「フィルム・ノワール」と似て非なるものでもあります。

 『現金に手を出すな』を代表に『男の争い』、『仁義』、『シシリアン』、『ラ・スクムーン』など、暗黒街でのギャングや殺し屋、ならず者たちなどの生態を、アクションのみならず、彼らのロマネスクを機軸に構成していることが特徴になっているように思います。
 そこには、アメリカの作品のようなハード、硬質な特徴をも備えながら、情感豊かで詩情に溢れた主人公の寂寥と孤独などの悲劇性を表現した作品が多いようにも思うのです。

男の争い

紀伊國屋書店



ラ・スクムーン [DVD]

ジェネオン・ユニバーサル



 この『友よ静かに死ね』も、アラン・ドロンが出演した一連の「フレンチ・フィルム・ノワール」の体系に属する内容であることはもちろんなのですが、1930年代のルネ・クレール監督を先駆とした「詩(心理)的レアリスム」の体系における『霧の波止場』や『北ホテル』のマルセル・カルネ監督、『外人部隊』や『ミモザ館』のジャック・フェデール監督、『望郷』、『我等の仲間』のジュリアン・デュヴィヴィエ監督が描いていった作品群と同様の印象を持ち、アラン・ドロンが出演している作品としては、特にその作風が強く現れている作品であると印象付けられていることは、【『友よ静かに死ね』~反「ヌーヴェル・ヴァーグ」のアデル・プロダクション~」】の記事でもふれました。

 また、カルロ・ルスティケリのテーマ曲が、何ともうまくこの作風や主題、この時代背景を表現しています。
 それは、楽しくて明るくポエジックでチャーミングな曲調であるにも関わらず、どこか哀しい情感が混沌としていて、特に全編に渉ってボイス・オーバーで主観描写しているニコール・カルファンが演じる恋人マリネットの女性特有の哀歓、せつない彼女の心情にもピタリと整合しているのです。

 監督は、もちろんジャック・ドレーで良かった、いや、むしろ、素晴らしい時代考証のなかで創られた作品である『ボルサリーノ』や『フリック・ストーリー』を演出した彼だからこそ、この『友よ静かに死ね』を制作出来たのだとも思うのですが、生きていれば「詩(心理)的レアリスム」の代表作家でジャン・ギャバンと多くの傑作を創作していったジュリアン・デュヴィヴィエ、映画史的にもその継承者として位置づけられているジャン・ドラノワが演出したなら、より素晴らしい作品になったかもしれません。


>南俊子
【(-略)ギャングであれだけ金品強奪を繰り返しながら、それでも誰にも侵されない自分たちの世界、典型的なフランスの小市民の生活を楽しんでいるという、その味が何ともいえず、私は好きなのね。そこに一種の郷愁があるでしょう。】
(-略-)
>山口紘子
【(-略)「友よ静かに死ね」では、ドロンをとり囲む俳優たち、例えばローラン・ベルタン、アダルベルト・マリア・メルリ、モーリス・バリエ、ザビエル・ドゥプラ、彼らを取り囲むジャンプエロ・アルベルティーニ、レイモン・ビュッシエールがとてもいい味を出しているでしょう。ジャン・ギャバン風の、人生のほろ苦さを感じさせるような。】
【参考 キネマ旬報1977年4月下旬号No.706(「友よ静かに死ね」特集座談会 愛と信頼で結ばれた心優しきアウトローたちの挽歌」宇野亜喜良 南俊子 山口紘子 司会 植草信和)】

【(-略)戸外で宴会を開いたりする楽しい描写は、戦前のデュヴィヴィエ作品「我等の仲間」などのムードにも似ているが、やはりこちらも警官隊に包囲され悲劇へと傾斜していく。(略-)】
【参考 キネマ旬報1977年6月上旬号No.709(「外国映画批評 友よ静かに死ね」田山力哉】

我等の仲間

アイ・ヴィー・シー



 また、この作品の主人公のピエール・ルートレルは、戦後間もなくのフランスに実在したギャング集団のボスであり、原作も実録的な構成であり、そういった意味で映画作品にするにしても写実の題材、その時代考証から制作された作品なわけです。

 これらのことを踏まえれば、つまり、1930年代から40年以上を経た1970年代後半期、読んで字のごとく、紛れもなく「詩(心理)的レアリスム」を発展的に継承・体現した作品であると、わたしは考えているのです。
 アラン・ドロンが製作・主演した作品の実績として、本当に素晴らしいことだと思っています。

「実際に起こった出来事との類似は偶然ではない。一部の人物は実在の人物である。1945年、終戦直後のヨーロッパに平和が戻ってきた頃の物語である・・・・」
【映画「友よ静かに死ね」冒頭テロップ 分析採録 大久保賢一】

e0059691_201176.jpg

[PR]

by Tom5k | 2012-07-29 04:30 | 友よ静かに死ね(2) | Trackback | Comments(2)

『友よ静かに死ね』~反「ヌーヴェル・ヴァーグ」のアデル・プロダクション~

 ジャン・リュック・ゴダール監督の『気狂いピエロ』の引用のひとつとして、戦後のフランスに実在した強盗団のボス、ピエール・ルートレルのニックネームの作品名への使用があげられます。

 フランスのセリ・ノワール小説の代表作家であるジョゼ・ジョヴァンニ原作の『気ちがいピエロ』(小説の原題は「Histoire De Fou(気ちがいの物語)」)には、主人公ピエール・ルートレルが、「気ちがいピエロ」のニックネームで登場します。

 この「気ちがいピエロ=ピエール・ルートレル」は、第二次世界大戦後のロスト・ゼネレーションの時代にパリで大暴れしたシトロエン・ギャングと呼ばれていた実在のギャング団のボスです。
 彼は、同じくジョゼ・ジョヴァンニ原作の『おとしまえをつけろ』でも登場人物として描かれています。
気狂いピエロ
/ アミューズソフトエンタテインメント





 また、ジャン・リュック・ゴダール監督の映画作品『気狂いピエロ』の原作については、一般的にはライオネル・ホワイト著の『十一時の悪魔』であると紹介されていますが、種々の引用の多いジャン・リュック・ゴダール監督作品であることから、このピエール・ルートレルのニックネームからの引用であることは間違いないでしょう。

 そして、アラン・ドロン製作・主演の『フリック・スト-リー』の主人公として描かれていたフランス国家警察のロジェ・ボルニッシュ刑事が、1940年代、実際に血道を上げて追っていたギャング団のボスが彼だったのです。
 その実録を綴ったノンフィクション・ノワール(犯罪記録)は、ジョゼ・ジョヴァンニ原作の『気ちがいピエロ』ではなく、この映画作品『友よ静かに死ね』の原作でした。

 話は込み入ってしまいましたが、要するに戦後間もない時代のフランスのギャング団のボス「気狂いピエロ=ピエール・ルートレル」は、ジャン・リュック・ゴダール監督の代表作の作品名に、またアラン・ドロンのアデル・プロダクションで映画化した作品の主人公になったわけです。

 また、そのそれぞれの作品で主演したのがフランスの二大人気スターのジャン・ポール・ベルモンドとアラン・ドロンだったのです。

 なお、『友よ静に死ね』の映画化にあたっては、主人公はピエール・ルートレルではなく、ロベール・ルートレル(気狂いロベール)としています。

e0059691_13585898.jpg


















 作風においては、ジャン・リュック・ゴダール監督の『気狂いピエロ』が、1950年代後半から始まった「ヌーヴェル・ヴァーグ」の代表作であることに対して、ドロン&ドレーの『友よ静かに死ね』は、「ヌーヴェル・ヴァーグ」に批判されていったジュリアン・デュヴィヴィエ監督やマルセル・カルネ監督等のフランス映画の良質の伝統「詩(心理)的レアリスム」の傾向を守った作品です。

 水と油ほども作風の全く異なる作品でありながら、主人公の原型は同じだという不思議な因縁を感じるわけですが、これは単なる偶然とは思えず、
 1965年の『気狂いピエロ』制作から10年以上経た1977年、恐らくアラン・ドロンが、ジャン・リュック・ゴダール監督のこの代表作を意識して、『友よ静かに死ね』を製作したようにも思えるのです。


 だからこそ、アラン・ドロンは、前作『フリック・ストーリー』で演じた刑事ロジェ・ボルニッシュ役ではなく、犯人ピエール・ルートレル(ロベール・ルートレル)役を演じたのではないでしょうか?

 「気狂いピエロ」が、身内ともいえるジョゼ・ジョヴァンニ原作のセリ・ノワール小説にも登場する主人公ありながら、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のジャン・リュック・ゴダール監督の作品名となっていたことは、アラン・ドロンにとって割り切れるものではなかったように思うのです?

 いうまでもなく、ジョゼ・ジョヴァンニ監督は、アラン・ドロンとは全く相容れない「ヌーヴェル・ヴァーグ」諸作品の映画作家ではありません。
 彼は原作や脚本では『冒険者たち』や『シシリアン』、演出では『暗黒街のふたり』や『ル・ジタン』、『ブーメランのように』でアラン・ドロンと組んでおり、切っても切れない名コンビネーションでの「フレンチ・フィルム・ノワール」作品での仲間、そして友人でした。

 しかも、「ピエール・ルートレル=気狂いピエロ」の実録は、すでに親交の厚かったロジェ・ボルニッシュが『友よ静かに死ね』で著わしていたわけです。
 ロジェ・ボルニッシュは、この著作の冒頭に「アラン・ドロンに捧げる」と記しています。
 作家としての前々作品『フリック・ストーリー』が、アラン・ドロンの経営するアデル・プロダクションによって映画化され、警察官の現役当時の自分を演じたアラン・ドロンへの友情を記した著作だったのです。

 第ニに、ジャン・リュック・ゴダール監督の『気狂いピエロ』の主演が、アラン・ドロンの最大のライバルであるジャン・ポール・ベルモンドだったこと。この作品は「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作品の中でも際立って優れた作品であり、映画史の中枢に位置づく作品となっていることは説明するまでもないことです。

 大の負けず嫌いのアラン・ドロンが、この流れに指を咥え、手をこまねいているはずはありません。勝ち気で頭の切れる彼のことですから、ゴダール&ベルモンドへの対抗意識に燃え、親友ロジェ・ボルニッシュの力を借りて、実在の「ピエール・ルートレル=気狂いピエロ」の作品を創ることに意気込んだのではないでしょうか?

 そして第三に、この作品には、実在の「ピエール・ルートレル=気狂いピエロ」のキャラクターの原型・要素がほとんど留められておらず、彼のニックネームのみの引用です。ジャン・リュック・ゴダール監督の作家主義が貫かれた一側面なのでしょうが、このことはフランス映画の伝統「詩(心理)的レアリズム」の継承者ともいえるアラン・ドロンにとって、納得できるものではなかったように思えます。

 恐らく彼は、古き良き過去の時代に対する思慕、郷愁を誘うノスタルジーを漂わせた作風で、かつ実話に基づきながら、実録に忠実に古い任侠のギャングたちの世界を描いてみたかったのではないでしょうか?


 また、アデル・プロダクションで製作し、ジャック・ドレー監督が演出した『ボルサリーノ』(1969年)、『ボルサリーノ2』(1974年)、そして『フリック・ストーリー』(1975年)などでも、この『友よ静かに死ね』と同様の傾向が顕著に表現されています。
 これらの作品は、クールで孤独な犯罪者を現代的・都会的に様式化していったジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品や、社会で虐げられ疎外され、犯罪者とならざるを得なかった者たちの悲哀を描き続けたジョゼ・ジョヴァンニ監督の作品などとは趣きが若干異なります。

 ジャック・ドレー監督の作品は、彼の敬愛するジャン・ギャバン主演、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『我等の仲間』や『望郷』、マルセル・カルネ監督の『霧の波止場』や『港のマリー』、ジャック・フェデールの『外人部隊』などのクラシカルなフランス映画を想い起こさせる作風なのです。

 情感と哀愁の漂うダンディズムの現代への復活・再生・・・。
 想えば、『フリック・ストーリー』では、主人公の刑事ボルニッシュと恋人カトリーヌとのデートに、クロード・オータン・ララ監督の『肉体の悪魔』の映画を観に行く約束をするシーンを挿入していました。
我等の仲間
/ アイ・ヴィー・シー





望郷
/ ジェネオン エンタテインメント





霧の波止場【字幕版】
/ ビデオメーカー





港のマリー
/ パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン





肉体の悪魔
/ ビデオメーカー





 アラン・ドロン&ジャック・ドレーの作品は「詩(心理)的レアリスム」第三世代といってもよく、特に、この『友よ静かに死ね』は、運命的に滅びざるを得ない人間の敗北、虚無的な世界でありながら、それをポエジックな演出でより美しく描いていた「詩(心理)的レアリスム」の特徴を最も強く兼ね備えた作品だと思います。

 だとすれば、「フランス映画の墓掘り人」とまでよばれたフランソワ・トリュフォーや全世界の映画史の体系を変えてしまったジャン・リュック・ゴダールたち「ヌーヴェル・ヴァーグ」のカイエ派によって徹底的に、そして完膚無きまでに抹殺されたはずのフランス映画の良質の伝統は、アラン・ドロン&ジャック・ドレーの反骨によりアデル・プロダクションに受け継がれ、世界的な興行成績を収め続けていったと、映画史的に総括できそうな気もしてきます。

 しかも、それらの作品の共演者は、ジェラール・ドパルデューが出現するまでのフランス戦後世代の3大スター、ジャン・ポール・ベルモンド(『ボルサリーノ』1969年)やジャン・ルイ・トライティニャン(『フリック・ストーリー』1975年)という考えられないような凄い出演者との顔合わせだったわけです。

 世界の映画史の体系を作り変えるほどの凄まじきエネルギーであった「ヌーヴェル・ヴァーグ」。それに屈せず、フランス映画の古典的伝統を全うしたアラン・ドロン&ジャック・ドレー。わたしはこれらのことに、言葉に出来ない凄みを感じるとともに、言い表せない深い感動も湧き上がってくるのです。

 更にアラン・ドロンのこの生き様は、「ヌーヴェル・ヴァーグ」によって叩き潰されていった彼の敬愛する師匠たち、フランス映画のリアリズム作品の急先鋒であったルネ・クレマン監督や、ジャン・ギャバンの相方であったジュリアン・デュヴィヴィエ監督、典型的なフランス古典主義者のクリスチャン・ジャック監督の弔い合戦であるかのようにも見えます。
 そして、冷静に考えれば勝てるはずのないその闘いに、必死で挑む彼の姿は、主君に忠義を誓った、まさに武士の道「サムライ」のようでもあるのです。

 しかし、これらのことは、いわゆる「武士道」の敗北の美学に彩られたものではなく、苦しい闘いのなかから、やがて、多くの素晴らしい成果を生み出していきました。

 1990年、ジャン・リュック・ゴダール監督が、遂にアラン・ドロンを主演に『ヌーヴェルヴァーグ』を創り、そのなかで彼の多くの作品を引用していたことも、
 フランソワ・トリュフォー監督に、後年「わたしの考えでは、ハリウッド的なセンスと力量を持っていたフランスの職人監督はジュリアン・デュヴィヴィエとクリスチャン・ジャックぐらいなものでしょう。」【『わがフランス映画誌(4 ヌーヴェル・ヴァーグ前夜 フランス映画のある種の傾向 P246)』 山田宏一著 1990年 平凡社刊】と言わしめさせたことなども、

 アラン・ドロンの反骨精神は、かの「ヌーヴェル・ヴァーグ」のカイエ派の思想までをも改変させていったとまで考えてしまいます。
 そんな想いを巡らせているとき、わたしは映画人としてのアラン・ドロンに限りなく共感し、彼を敬愛してやまなくなるのです。

 残念ながら、『ボルサリーノ』も、『ボルサリーノ2』、『フリック・ストーリー』も、そして、この『友よ静かに死ね』なども、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の傑出した映画芸術を超える作品までには及ばなかったかもしれません。

 しかしながら、アラン・ドロンは、この『友よ静かに死ね』を創り出した同年1977年、ジョセフ・ロージー監督のもとで、ついに『パリの灯は遠く』という、現在においてはヨーロッパ映画の古典とまで言われているリアリズム作品の世紀の大傑作を世に送り出しているのです。
 彼は、俳優及びプロデューサーとしての映画史的な位置づけにおいて、「ヌーヴェル・ヴァーグ」という巨大な大波と、その世界映画史の大きなうねりのなかで、孤独にそして果敢に闘い、それらに比しても同等もしくは、それ以上の作品を生み出すことに成功した唯一の優れた映画人だと評価されるべきであると考えています。

 これらのことは、わたしごとき一アラン・ドロンファンの単なる必要以上の思い入れによるもの・・・・だとはどうしても思えないのです。


 そして、わたしはジャック・ドレー監督の作品のみならず、

ジャン・エルマン監督の『ジェフ』や『さらば友よ』
ピエール・グラニエ・ドフェール監督の『帰らざる夜明け』や『個人生活』
そしてジョルジュ・ロートネル監督の『愛人関係』
などの

 アデル・プロダクションでアラン・ドロンがプロデュース、主演した多くの作品に戦前のフランス映画「詩(心理)的レアリスム」の傾向を感じているのです。



※ 余談ですが、ジョゼ・ジョヴァンニ著の『気ちがいピエロ』には、『ル・ジタン』(ジョゼ・ジョヴァンニ監督、アラン・ドロン主演)に登場する金庫破りの名人ヤン・キュック(映画『ル・ジタン』では、名優ポール・ムーリスが演じました)も登場します。
[PR]

by Tom5k | 2006-06-13 03:06 | 友よ静かに死ね(2) | Trackback(3) | Comments(4)