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『恋ひとすじに』③~「アラン・ドロン」の原型 ロミーとアラン、ヴィスコンティ一家として~

【あなたが演じる役にはしばしば鬱的なメランコリーな何かがありますね。
>アラン・ドロン
傷はなかなか癒えないんだね。笑わそうとしてみたり無駄なこともした、それがトレードマークになってるな。

『もういちど愛して』は以外、あなたはコメディに出演したことはありませんね。
>アラン・ドロン
『もういちど愛して』以外はやったことがない、あの作品は悪くなかったんじゃないか?(コメディは)私には似合わない、感じないんだ。状況がおかしいという以外はね・・・うまく出来たためしがない、自分には無理なんだろう。笑わすと言うのは難しいよ、一番難しいことだ。】

【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18 「回想するアラン・ドロン:その6(インタヴュー和訳)」


 アラン・ドロンは、悲しい役が似合います。
 ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』や、ハリウッド時代の「フィルム・ノワール」作品『泥棒を消せ』、そして、帰仏後の青春映画『冒険者たち』、人気全盛期の「フィルム・ノワール」作品『スコルピオ』や『ビッグ・ガン』、ジョゼ・ジョヴァンニ監督の「フレンチ・フィルム・ノワール」作品群等々・・・。
 このように、スターとして生涯に渉って発露されていったアラン・ドロンの悲劇的アクターとしての素養は、どの作品に端を発しているでしょうか?
 『恋ひとすじに』は、アラン・ドロンが大恋愛のすえ、婚約までしたロミー・シュナイダーと初めて出会った作品ですが、彼の主演第二作目の西ドイツ=フランスの合作映画であるこの悲恋物語で、すでにそれは証されています。
 その直近前作である初めての主演作品『お嬢さん、お手やわらかに!』(1958年)が、たいへん明るい青春コメディであることとは対照的であり、すでにアラン・ドロンの明暗両極端のキャラクターが、デビュー間もないこの段階の両作品に、はっきりと現れていることは非常に興味深いところです。


「自由とは何かわかっていない」
 アラン・ドロンが扮する青年少尉フランツ・ロープハイマーは、ロミー・シュナイダーが演ずる貧乏な音楽家の娘クリスティーヌ・ヴァイリングに恋愛感情を抱いており、そのことに対するジャン・クロード・ブリアリが演ずる友人テオの忠告です。

 しかし、フランツはそれを強く遮って言い切ります。
「彼女が大事なんだ 日曜日のデートだけでは物足りない 君の考えは分かっている 家族から反対され 友達には笑われる でも僕にはクリスティーヌしかいない」

 アラン・ドロンらしい一途な面が、珍しく強くストレートに表現されているシーンでした。

 しかし、フランツには以前から不倫の相手であったミシュリーヌ・プレール演ずるレナ夫人がいました。あるとき、そのことが露見して彼女の夫であるエッガースドルフ男爵がフランツの自宅に訪れ、夫人との関係の責任を問いつめることになってしまいます。
 このときのアラン・ドロンの演技は、全盛期の悲劇のヒーロー像の土台となるメソッドとも思えるものでした。男爵に決闘を申し込まれて、死を決したフランツの精悍で悲壮な表情は、それ以前の彼の表情とは全く異なります。

 それは、彼の代表作の一本となる2年後のルキノ・ヴィスコンティ監督『若者のすべて』で、兄シモーネの残した多額の借金の支払いを許諾し、最も忌み嫌っていたボクサーとなる決心をしたときのロッコ・パロンディの表情なのです。死と絶望を美学とするアラン・ドロンの悲劇性は、ここに端を発しているように思います。

 親友テオにすべてを打ち明け、証人になってくれるよう依頼し、心配をかけないようクリスティーヌには実情を話さずに・・・。
最愛の彼女と踊るワルツ。
「君を愛してる 愛し続けるって 誓って言える」

 それにしても、このショットから、エッガースドルフ男爵の射撃練習にカット・バックさせるとは・・・何て残酷なモンタージュなのでしょうか。

 エッガースドルフ男爵との決して勝つことの出来ない決闘を受けることになったフランツが、初めてクリスティーヌの家を訪れたときの彼の悲しみに満ちた演技ほど、観ている側が悲しくなるものはありません。
 アラン・ドロンは、どうしてこんなに悲しい表現ができるのでしょうか?
 きっと、彼は若くして既に、淋しくて悲しいことを普通の若者よりもたくさん知っていたに違いありません。

 クリスティーヌの留守宅を訪れ、義父となるはずの楽団員のチェリストである彼女の父に迎えられ、彼のチェロが奏でる『アヴェ・マリア(Ave Maria)』にじっと聴き入るフランツの様子から、この貧困層の家庭に対する敬愛の気持ちが伝わってきます。

 そして、そのチェロの演奏に、クリスティーヌのミディアムのクローズ・アップ、彼女が歌うシークエンスにクロス・カットするのです。
 まだフランツの悲壮な決意を全く知らないはずの彼女が、歌手になるための選考検査で選んだ曲はフランツ・シューベルトの『アヴェ・マリア(Ave Maria)』でした。歌う哀しみと愁いに満ちた表情の美しさ・・・。

 原曲は、イギリス詩人のウォルター・スコットの叙事詩『湖上の美人』で処女エレンが父の罪が許されるよう聖母マリアに祈る詩にシューベルトが曲を作ったものです。わたしには、クリスティーヌの歌う様子が、このエレンと同様に、フランツの罪の許しを切実に願っているように見えました。それほどまでに、二人の結びつきは強く、掛け替えのないものになっていたのです。
きよしこの夜
バトル(キャスリーン) ハーレム少年合唱団 ニューヨーク・コーラス・アーティスツ 聖ルカ・オーケストラ スラトキン(レナード) プレトリウス シューベルト / 東芝EMI



※ 母マグダ・シュナイデルのクリスティーヌが選んだ歌曲は、ヨハネス・ブラームスのドイツ民謡『Schwesterlein』でした。
【旧作『恋愛三昧』(1933年)でのフランツの訪問とクリスティーヌのオペラ歌手選考のシークエンス】 ※


 後方でチェロを奏でる父親と前方のフランツの横顔のクローズ・アップ、両者を鮮明にするスプリット・フォーカスにクロス・カットします。

「音楽はお好きで?」
「ええ 今日は特に 音楽は不可能な事を 思い起こさせる」

「君の若さで何を言う?」
 心配で不安そうなクリスティーヌの父・・・もうこの段階でフランツは死を選択するしかなかったわけですから・・・。

 帰宅したクリスティーヌはオペラ歌手としてデビューできることになったこと、帰ってきたときに恋人が待っていたことで大喜びです。彼女のはしゃぐ様子が、逆に悲しさを強いものにしてしまいます。
 ここからの二人の会話のやり取りは、あまりにも悲しい・・・彼女の3週間後の舞台デビューの日程をメモに書けないフランツ・・・。

「有名になった私を自慢して 嬉しいって正直に言って」

「嬉しいよ 君の家にこうして居れる事が」
 家の中を見回すフランツの悲しそうな表情・・・。
「ここに来たのは初めてだが そんな気がしない」

 クリスティーヌの部屋では
「こんな部屋を想像していた ここで君と暮らしたい」
 ピンクの壁紙の可愛い部屋、シラー、シェークスピアの著作に、フランツ・シューベルトの肖像画・・・。
 そして、二人の思い出の写真が写真立てに飾られ、デートのときに積んだ花を活けた花瓶・・・。

「次の日曜にまた摘みましょう。」
 悲しいことに、フランツには次の日曜日はないのです。
 彼の様子から、何か不安を察したのでしょう。クリスティーヌは何とか彼との愛情を確認しようとするのです。

「あなたほど愛した人はいない これからもずっと 会えないなんて嫌よ フランツ答えてったら」


 フランツとエッガースドルフ男爵との決闘の日、テオとミッツィが駆けつけたときの1度目の銃声は男爵のものでした。彼らミドル・ショットからクローズ・アップ、不安そうに見つめ合うテオとミッツィ・・・2発目の銃声は響かない。
 思わず走り出すテオの後ろ姿のショットに、ルードウィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンの『シンフォニー第5番「運命」』第1楽章が流れるのです。

 このドラマティックな演奏効果は、小劇場でのクリスティーヌの父親の楽団の演奏場面にカット・バックしてからも続きます。彼は二人の親友からフランツの訃報を受け、クリスティーヌのいる自宅に向かうのですが、これらのシークエンスは、父親の「クリスティーヌ」の一言のセリフだけなのです。フランツの死からクリスティーヌへの訃報の知らせまでのこのサイレント映像の表現技法は素晴らしく、わたしなどは、これぞ映画芸術である!と思ってしまうのです。
※ 【旧作『恋愛三昧』(1933年)のラスト・シークエンス】 ※

※ ロミーの母親は旧西ドイツの女優マグダ・シュナイデルで、マックス・オフェルス監督の『恋愛三昧』でロミーと同じクリスティーヌ・ヴァイリングを演じた女優です。この旧作は「ヌーヴェル・ヴァーグ」のカイエ派が絶賛し、特にフランソワ・トリュフォーはマックス・オフェルス監督を最も敬愛している演出家のひとりとして挙げています。 ※

ベートーヴェン:交響曲第1番&第5番
フルトヴェングラー(ウィルヘルム) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ベートーヴェン / 東芝EMI





ベートーヴェン : 交響曲第5番 「運命」・第6番 「田園」・第7番・第8番
NBC交響楽団 ベートーヴェン トスカニーニ(アルトゥーロ) / BMGファンハウス





 そして、わたしはこの作品から、後に主演のロミー・シュナイダーとアラン・ドロンの師となったルキノ・ヴィスコンティ監督の作品である『夏の嵐』(1954年)を想起してしまいました。

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 ルキノ・ヴィスコンティ監督本人も言っているように、『夏の嵐』は、
「ロマンティックなリアリズムに新しい道を開こうとした作品」
であり、それは若き青年将校と夫のある年上の伯爵夫人との残酷な悲恋のメロドラマともなっています。

「わたしがメロドラマを好きなのは、それが人生と演劇との境界線上に位置するからだ。(-中略-)演劇やオペラ、それにバロックの世界。こういったものが、私をメロドラマに結びつける原因である。」
【『ヴィスコンティ集成 退廃の美しさに彩られた孤独の肖像「イメージ・ヴィスコンティ オペラ(海野 弘)」 P88)』 1981年 フィルム・アート社刊】

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 「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派のフランソワ・トリュフォーは、メロドラマそれ自体を否定はしていませんが、旧時代のフランス映画「詩(心理)的レアリスム」に限ってのメロドラマ性を「知的で意味ありげな衣をまとって大衆をだました」と批判しています。
 ところが、イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の『夏の嵐』は、「詩(心理)的レアリスム」作品と同様のメロドラマであるにも関わらず、そのような意味での矛盾を一切感じさせることのない作品となっています。彼の作風は、フランソワ・トリュフォーが批判していったステレオ・タイプのメロドラマ性を超越し、背景の社会情勢から主人公達の恋愛を描く究極のリアリズム、そして、演劇やオペラなど音楽劇の要素を映画様式として確立させていったものでした。

 このような矛盾を超越しているルキノ・ヴィスコンティ監督の作品には、彼が若い頃に助監督を務め、師でもあったジャン・ルノワール監督の言葉が生きているのではないでしょうか?
【映画においては、すべての人間の言いぶんが正しい。(ジャン・ルノワール)】

 『夏の嵐』は、冒頭でのベネツィア最大のラ・フェニーチェ劇場でのジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『イル・トロヴァトーレ』で始められ、劇中でもアントン・ブルックナーの『シンフォニー第7番』がバック・グラウンドで効果的に使用されており、メロドラマが音楽劇として様式化される試みが大胆に成されています。

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 もちろん、『夏の嵐(官能)』の原作はイタリアの作家カミッロ・ボイトで、『恋ひとすじに(恋愛三昧)』のウィーン出身のアルトゥール・シュニッツラーとは無縁ですし、ロミー・シュナイダーが演じたような可憐で美しい娘との恋愛は描かれてはいません。
 しかしながら、19世紀のオーストリアとイタリアの戦乱の時代に、クラシック音楽や劇場での上演シーン、舞踏会での優美なダンスなどを存分に物語に取り入れて、軍服を着たオーストリアの青年将校(偶然にもファーリー・グレンジャーが演ずる主人公もフランツです)と優美な公爵夫人(アリダ・バッリ扮するのはレナではなくリヴィアでした)を主人公にし、年齢差や階級の違う決して成就しない不倫の恋愛などを描いた音楽劇という点でも、この『恋ひとすじに』と『夏の嵐』の類似点は多くあります。

 無論、『恋ひとすじに』が、世紀の巨匠ルキノ・ヴィスコンティが演出する細部に渉るリアリティや本質的な美的エレガンスに至ることは到底無理であったにせよ、「イメージ・ヴィスコンティ」ともいえる古典芸術の音楽劇の方向性には体系付けることのできる作品ではあったと思うのです。

 そういった意味でも、ロミーとアランが後にルキノ・ヴィスコンティに寵愛されていくことの必然が、この『恋ひとすじに』への出演を契機としたものだったようにも思われ、わたしは深い感慨に浸ってしまうのです。
 若く無限の可能性を秘めた二人の未来が、映画史の片隅にも忘れ去られてしまっている1958年のこのロマンティックな小作品に、多くのエッセンスを内包していると感じるのは、決してわたしだけではないはずです。

【ミシェル・ボワロン監督の『お嬢さん、お手やわらかに!』を若い頃、見た記憶があります。
>アラン・ドロン
商業的には大ヒットした作品だ。この映画で顔を覚えてもらったんだね。ミレーヌ・ドモンジョと共演した。ブリジット・バルドー、ジャクリーヌ・ササールやパスカル・プティと共にもう一人のフランス映画のスターだった。それからピエール・ガスパール・ユイの『恋ひとすじに』に出た。『若者のすべて』に起用してもらう前、撮影現場にヴィスコンティが私を見に来たんだ。『お嬢さん、お手やわらかに!』を見たルネ・クレマンも私を覚えてくれた。全くもって凄い年月だった・・・】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/4 「回想するアラン・ドロン:その2(インタヴュー和訳)」


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オリジナル・サウンドトラック盤(「恋ひとすじに」より<フランス映画の想い出>恋ひとすじに 序曲a)貧しい恋人たちb)恋人 森の小さなホテル)音楽:ジョルジュ・オーリック
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by Tom5k | 2009-12-23 16:39 | 恋ひとすじに(3) | Comments(13)

『恋ひとすじに』②~ロミーに恋したアラン~

 『恋ひとすじに(恋愛三昧)』の原作者アルトゥール・シュニッツラーだけでなく、ホフマンスタール、ヘルマン・バールといった「若きウィーン派」の作家群は印象主義者ともいわれ、古都ウィーンのカフェ・グリーンシュタイドルに集って、社会の不安感やペシミスティックな情動とロマンティズムなどを、フロイト的な意味での「死」への無意識として表現していきました。わたしは「若きウィーン派」のこのような傾向が、フランス独自の映像文化といわれた演劇的伝統における文学的情緒、すなわち最後に滅びゆく人間の運命を深淵なるメロドラマの作風としていった「詩(心理)的レアリスム」と実に似通った傾向にあるように感じられます。
 しかも「詩(心理)的レアリスム」は、F・W・ムルナウ監督やジョセフ・フォン・スタンバーグ監督などの「ドイツ表現主義」からの影響も多く受けているわけですが、「ドイツ表現主義」が前時代19世紀末の文学潮流「若きウィーン派」の影響を受けていたことは想像に難くないことと思われます。
 1950年代後半にフランスと旧西ドイツの合作よって、『恋ひとすじに』が創られた背景にはこのような必然があり、この作品での共演による両国のアイドル的存在であったアラン・ドロンとロミー・シュナイダーの燃え上がるようなロマンスには、すでに両国相互間の文化・芸術の婚姻ともいえる結びつきによる背景があったのだと想像してしまうのです。

 この作品のロミーとアランは、あまりにも可愛らしく、そして美しく、男の私でさえ見とれてしまいます。すべてのストーリー、ロケーション、登場人物の衣裳、歌劇場やそこでのオーケストレーション、あらゆる舞台・美術・衣裳はロミーとアランの無垢な可愛らしさと同様に素晴らしく可憐で美しいのです。

 アラン・ドロン演ずる少尉フランツ・ロープハイマーが、ジャン・クロード・ブリアリ演ずる友人のテオ・カイザー中尉や竜騎兵の将校たちと酒場へと遊びに出かけます。テオは、ソフィ・グリマルディの演ずるクリスティーヌの友人ミッツィと恋仲になり、ロミー・シュナイダー演ずるクリスティーヌとフランツは私生活と同様に一目で恋におちます。

 フランツは赤い詰め襟の空色の軍服に、真っ白い肌で少年のように美しく、クリスティーヌもピンクの水玉模様のドレスと、おそろいの生地の帽子に花をあしらい、それを結んだピンクのリボンが可愛らしく、キュートでチャーミングです。
 彼女の部屋のバルコニーにも花がたくさん飾り付けられいます。二人が知り合って間もなく、バルコニーの正面を通る騎兵隊の一人の将校であるフランツにネグリジェのまま合図を贈る彼女の恥じらいには、初々しさで胸が痛くなるほどです。

 父のピアノでジョルジュ・オーリックの主題歌を歌うクリスティーヌは、ピンクのシャツに黒いリボンタイ、ブルーのタイトスカート、長いブロンドの髪を黒のリボンでまとめています。
 美しい古城を背にした若い恋人同士のフランツとクリスティーヌ。

 彼女は、白いワンピースのブラウスにピンクのベルトを絞め、リボンタイもブラウスのボタンも、それに合わせたピンクで、髪は白いリボンでしばっています。ストローハットもピンクの長いひものリボンがたなびいていました。フランツとふたりきりでのボートや、古城のそばでの牧場での幸せそうな様子は、観ている方がうっとりしてしまいます。

 初めてのふたりだけのデートでは、牧歌的な田園の風景を馬車に乗って走ります。広大な田園のなかで、ふたりの声がこだまし、美しく素敵なラブシーンが挿入されます。髪をアップし、少し大胆に胸を開いた白いブラウスでいつもより大人っぽいクリスティーヌですが、赤いリボンタイとグレーのチェックのスカートに赤い縁取りの肩掛けで、清純な情熱を感じさせます。スワガーハットのクラウンも鮮やかな赤いリボンの帯にきれいな花が添えられ、仄かに漂う気品ある色香を感じさせ、素晴らしく魅力的です。

 友人である4人が集まったフランツの部屋でのパーティでの彼女は肩まで露出した美しいドレスを身につけています。フランツは彼女の耳許で「Je′taime.Christine.」と囁きます。二人は幸せそうに頬を寄せ合ってワルツを踊るのでした。

 しかし、彼にはミシュリーヌ・プレール演ずるエッガースドルフ男爵夫人であるレナという恋人がいて、それは、夫人の夫の目を盗んでの不倫関係だったのです。彼はクリスティーヌとの愛情を誠実なものにしようと夫人との関係を清算しますが、男爵は妻の隠していたフランツの部屋の鍵を見付けてしまうのです。彼はピストルの名手でフランツの太刀打ちできる相手ではありませんでしたが、男爵は自身の名誉のために彼に決闘を申し込むことになります。

 不思議なものです。まだ彼の悲壮な決意を全く知らないはずのクリスティーヌが、歌手になるためのコンテストで選んだ曲はフランツ・シューベルトの『アヴェ・マリア(Ave Maria)』でした。歌うロミーの哀しみと愁いに満ちた表情が美しい。
 帽子のクラウンの黒い帯に地味なドライフラワーを付け、黒の縁取りのグレーのボレロとフレアスカートのツーピースに白い手袋を身に着け、すでに彼の死を知ったかのように悲しみに満ちた歌を歌うのです。


 オペラ歌手を目指していた彼女は、ようやくオペラ座歌劇団の歌手として採用され、その歓びで一杯でした。
 しかし、それは最愛の恋人フランツの訃報を聞くことと同時の出来事だったのです。彼女の悲しみは想像に余りあるものです。自身の存在を彼無しでは見いだせないほど、その愛情は純血であったのです。彼女はとうとうバルコニーの窓から、かつてフランツの所属していた連隊の行進に向かって身投げをしてしまいます。
 わたしは、最愛の若い恋人同士が引き裂かれ、死を迎えざるを得ない、あまりに悲劇的なこの結末のシークエンスを正視することが出来ませんでした。


 共演者のジャン・クロード・ブリアリは、アラン・ドロンが映画界に入るきっかけをつくったり、アラン・ドロンやロミー・シュナイダーのプライヴェートの友人でもあったわけですが、その後ジャン・リュック・ゴダールやクロード・シャブロル、ロジェ・ヴァディム、フランソワ・トリュフォーらの「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品の俳優として、彼らとは異なる地味な活躍を続けていきます。
 彼は誠実な人で、アラン・ドロンがロミー・シュナイダーとの婚約を破棄したときには、
【「ロミーがあまりにもかわいそうだ」と仲のよいドロンの敵に回ることすら辞さなかった】
(『ロミー・シュナイダー事件』ミヒャエル ユルクス著、平野 卿子訳、集英社、1996年)との気持ちであったそうです。
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 この作品での共演から、アラン・ドロンと私生活でも恋人になったロミー・シュナイダーは、1938年9月23日、オーストリアのウィーンで生誕しました。母親は旧西ドイツの女優マグダ・シュナイデルで、マックス・オフェルス監督の『恋愛三昧』でロミーと同じクリスティーヌを演じた女優です。この旧作は「ヌーヴェル・ヴァーグ」のカイエ派が絶賛し、特にフランソワ・トリュフォーはオフェルス監督を最も敬愛している演出家のひとりとして上げています。
【マックス・オフュルスが『歴史は女で作られる』の製作を準備しつつあった1954年、ある21歳の若者の書いた映画評論が、一部で大きなセンセーションをまきおこしました。この若者はまもなく、映画ジャーナリズムから酷評された『歴史は女で作られる』を熱烈に擁護することになります。若者の名はフランソワ・トリュフォーです。】
(引用~『フランス映画史の誘惑』中条省平著、集英社(集英社新書)、2003年)
歴史は女で作られる
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 ロミー・シュナイダーは1955年以降、オーストリア映画『プリンセス・シシー』シリーズ3作にシシー役で主役し、1972年には、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『ルートヴィヒ/神々の黄昏』で久しぶりのシシー役のエリザベートを演じ、シシー=ロミー・シュナイダーとまで言われ続けました。ロミー自身はその清純な乙女としてのキャラクターからの脱却を目指していたのですが、それは現在でも払拭できておらず、かのジャン・リュック・ゴダールでさえ、「シシー以外のロミー・シュナイダーは忘れ去られている。」とまで発言しています。

 しかし彼女は、オットー・プレミンジャー、ウディ・アレン(『何かいいことないか子猫チャン』脚本・出演のみ)、オーソン・ウェルズ、ルキノ・ヴィスコンティ、ジョセフ・ロージー、クロード・シャブロル、ロベール・アンリコなどの大監督に使われ、女優としての素晴らしい成長と活躍をしたことは事実であり、人々から忘れられることのない素晴らしい女優であったとわたしは思っています。
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 最近でも、カトリーヌ・ドヌーヴ、エマニュエル・ベアール、イザベル・ユペール、ファニー・アルダン、ヴィルジニー・ルドワイヤン、リュディヴィーヌ・サニエ、ダニエル・ダリュー、フィルミーヌ・リシャールが共演したミステリーミュージカル映画『8人の女たち』を監督したフランソワ・オゾンは、ロミー・シュナイダーが生きていれば、間違いなくこの作品への出演交渉をしただろうと語っています。
 作品中でも、エマニュエル・ベアールが演じていた女中が、以前使われていた女主人の写真を大切に身につけており、ロミーの写真が使われていました。
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 彼女は、残念ながら、アラン・ドロンとの別れや最愛の長男の事故死など、精神的な疲労も重なったのでしょう。1982年に43才という若さで急逝してしまいます。本当に悲しく気の毒な女優人生であったように思います。

 アラン・ドロンとロミー・シュナイダーとは、1963年の婚約解消後も1968年『太陽が知っている』、1972年『暗殺者のメロディ』と2度の共演作があります。
 そして、1977年、世紀の大傑作『パリの灯は遠く』(監督ジョセフ・ロージー)は、オーソン・ウェルズが監督し、ロミー・シュナイダーも出演している映画『審判』のフランツ・カフカの原作にヒントを得ていた作品だそうです。

【1977年1月6日 わが人生でもっとも重要な男性はアランだった-そしてそれは今もかわりがない。私が彼を必要とするようなとき、彼はいつも快く力を貸してくれる。アランは今でもわたしが全幅の信頼を置けるたった一人の人物である。彼はどんなときも私の味方だ。アランは私のことを見放したことはないし、これからもそうだろう。】
(『ロミー・シュナイダー 恋ひとすじに』レナーテ・ザイデル編、瀬川祐司訳、平凡社、1991年より)

【人はぼくを冷たいと言う。でも、ロミーはわかってくれるね。また、ロミーがなぜ死んだのか、どんな人間だったのか、それを知っているのもやはりぼくだけなのだ。~(略)~ぼくたちは二人だけの5年間をすごし、それから別離がやってきた。けれどもいまでもぼくははきみの兄であり、きみはぼくの妹なのだ。ぼくたち二人の間では、なにもかもが純粋で透き通っていた。~(略))アランのロミーへの告別の手紙『さよならぼくのおにんぎょちゃん』より抜粋】
【(略)~その残酷さゆえとはいえ、おそらく最も正直な男でもあったこと、そして、ドロンこそ、ロミーを利用せず、搾取せず、なにも奪わなかった数少ない男のひとりであることも~(略)】
(『ロミー・シュナイダー事件』ミヒャエル・ユルクス著、平野卿子、集英社、1996年より)

 これらのふたりの関係の美しさは、その関係が初恋だったからではないでしょうか?

ロミー・シュナイダー―恋ひとすじに
ロミー・シュナイダー レナーテ・ザイデル 瀬川 裕司 / 平凡社






ロミー・シュナイダー事件
ミヒャエル ユルクス Michael J¨urgs 平野 卿子 / 集英社





 そして、ロミーが死去して10年後の1992年、アラン・ドロンはアルトゥール・シュニッツラーの原作の映画を34年ぶりに主演しました。『カサノヴァ最後の恋』です(『帰ってきたカザノーヴァ』山下七志郎訳、能登印刷出版部、1993年)(『カサノヴァの帰還』金井英一訳、集英社、1992年)。
 彼が、この作品を創作するにあたっては、デビュー当時の『恋ひとすじに』でのロミーとの共演や恋愛など、様々なふたりの想い出を胸に秘めたなかでの撮影だったのではないかと想像してしまい、彼がロミーへのオマージュを心から込めた作品だったのではないだろうかと察してしまうのです。
帰ってきたカザノーヴァ
アルトゥール・シュニッツラー 山下 七志郎 / 能登印刷出版部





カサノヴァの帰還
アルトゥール シュニッツラー Arthur Schnitzler 金井 英一 小林 俊明 / 集英社





 残念なことに、ふたりの恋は永遠の愛へと成就することなく、破局を迎えてしまいます。
 しかし、この『恋ひとすじに』は、アランの心にとっての最も大切な想い出の作品となっているのではないかとわたしには思えるのです。

 それは誰にも侵すことのできないアランのロミーに対する美しい初恋への永遠なる郷愁だったのではないでしょうか?
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by Tom5k | 2006-04-11 01:01 | 恋ひとすじに(3) | Comments(12)

『恋ひとすじに』①~「アラン・ドロン」の原型 古き良き時代の古都ウィーンを舞台にして~

 この作品の原作者のアルトゥール・シュニッツラーは、オーストリアの首都ウィーン出身の文学者であり、彼の作品は時代や国境を越えて、多くの魅力を放っているようです。

 ハリウッドのスタンリー・キューブリック監督の遺作で、トム・クルーズとニコール・キッドマンが主演した『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)は、舞台をニューヨークに移して創られた彼の作品です(『夢奇譚』池田香代子訳、文藝春秋(文春文庫)、1999年)(『夢がたり シュニッツラー作品集』尾崎宏次訳、早川書房(ハヤカワ文庫)1999年)(『夢小説』池内紀訳、岩波書店(岩波文庫)、1990年)。
アイズ・ワイド・シャット 特別版
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夢奇譚
アルトゥル・シュニッツラー 池田 香代子 / 文芸春秋






夢がたり―シュニッツラー作品集
アルトゥール シュニッツラー Arthur Schnitzler 尾崎 宏次 / 早川書房





夢小説・闇への逃走 他一篇
シュニッツラー 池内 紀 武村 知子 / 岩波書店





 そして、映画化される度にオールスターキャストになるオムニバス映画『輪舞』も、たいへん有名な作品です(『輪舞』中村政雄訳、岩波書店(岩波文庫)1998年)(『輪舞』岩淵達治訳、現代思潮新社、1997年)。
 1度目は、1950年にマックス・オフェルス監督により、ダニエラ・ジェラン、シモーヌ・シニョレ、ダニエル・ダリュー、ジャン・ルイ・バロー、イザ・ミランダ、ジェラール・フィリップらが出演しています。そして撮影は、この『恋ひとすじに』のクリスチャン・マトラによるものでした。彼は『恋ひとすじに』よりも前に、すでに古都ウィーンの景観の素晴らしさをカメラに収めていたのです。
 なお、この旧作は「ヌーヴェル・ヴァーグ」のカイエ派も絶賛している作品です。
輪舞
/ ジェネオン エンタテインメント





 2度目はパリを舞台として、1964年、ロジェ・ヴァディム監督で、マリー・デュボワ、ジェーン・フォンダ、ジャン・クロード・ブリアリ、アンナ・カリーナ、モーリス・ロネ、カトリーヌ・スパークらが出演し、撮影はアンリ・ドカエが担当しています。
輪舞(ロンド)
/ ビデオメーカー





輪舞
シュニッツラー 中村 政雄 / 岩波書店





輪舞
シュニツラー 岩淵 達治 / 現代思潮社





 オーストリアの芸術・文化は、バロック時代からの影響を引き継いでいます。ウィーンの宮廷舞台は、ヨーロツパ演劇が中心であったことから、オペラやバレエを主にした華やかな芸術の都のイメージでも文化史上に位置づけられていましたが、19世紀後半からは、ウィーンにも新しい革新芸術が勃興してきました。
 フーゴー・フォン・ホフマンスタールやヘルマン・バール、アルトゥール・シュニッツラーらは世紀末のペシミスティックな世界を、当時のウィーンの姿に投影させ独特の作風を作り出し「若きウィーン派」と呼ばれました。彼ら「若きウィーン派」の作家群は印象主義者ともいわれ、カフェ・グリーンシュタイドルに集い、社会の不安感、ペシミスティックな情動とロマンティズムなどを、フロイト的な意味での「死への無意識」として表現していったのです。

 アルトゥール・シュニッツラーを初めて日本に紹介したのは、明治時代に『雁』『ヰタ・セクスアリス』『青年』『阿部一族』など、反自然主義の高踏派で浪漫主義の先駆者であった森鴎外です。しかも、この『恋ひとすじに』の原作である戯曲『恋愛三昧』を翻訳し、日本に紹介したのが彼なのです(『恋愛三昧』森鴎外訳、岩波書店(岩波文庫))。
 彼はウィーン大学で医学に志し、同時代のジクムント・フロイトの精神分析学に傾倒し、生きていた時代を敏感に己の作風を当時、主流であった自然主義文学に反映させました。このような作風が浪漫主義の先駆者であったの森鴎外の関心を惹いたのかもしれません。
 これらの事は、特筆すべきであり、現在、再版未定であるこの書籍と日本で未だ販売されていない『恋ひとすじに』のDVDは、早急にセットで商品化すべきであるとまで、わたしは思ってしまいます。
昭和初期世界名作翻訳全集 (9)
シュニッツラー 森 鴎外 / ゆまに書房





 物語の舞台は、1906年オーストリアのウィーンです。冒頭からウィーンの美しい街並みが映し出され、その美しさは、まるで絵画のようですが、ここからアラン・ドロン演ずる少尉フランツ・ロープハイマーとロミー・シュナイダー演ずるクリスティーヌの悲恋の物語がはじまるのです。
 クリスティーヌの部屋のバルコニーには花がたくさん飾り付けられ、ウィーン市民の日常が多くの花に囲まれた素敵な生活であったことが印象に残ります。
 美しい古城を背にしたフリッツとクリスティーヌ、友人テオとミッツィのカップルとのピクニックの場面も素晴らしいシークエンスです。
 更に、初めてのデートのシーンで、ふたりは牧歌的な田園の風景を馬車に乗って走ります。広大な田園のなかで、恋人たちの声がこだまし、美しく素敵なラブシーンとして表現されているのです。


 古き良き時代のウィーンを舞台とした古典戯曲の典型的な作品は、あまりにも美しくて悲しい物語ですが、この作品の美術を造り上げた担当者は、ジャン・ドーボンヌでした。彼は『詩人の血』(1930年)や『オルフェ』(1950年)でジャン・コクトー監督の作品で美術を担当し、ジャック・ベッケルの『肉体の冠』(1951年)『現金に手を出すな』(1954年)『モンパルナスの灯』(1958年)、クリスチャン・ジャックの『パルムの僧院』(1947年)やマックス・オフェルスの『輪舞』(1950年)などを手がけたフランス映画のトップクラスの名コーディネーターです。
詩人の血【字幕版】
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肉体の冠
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モンパルナスの灯
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パルムの僧院〈完全版〉
/ アイ・ヴィー・シー





 撮影はクリスチャン・マトラ。ドーボンヌのセットや美術を背景としたウィーンの景観や登場人物の素晴らしさや美しさは、彼のカメラによるところが大きいと思います。
 『大いなる幻影』(1937年)『旅路の果て』(1939年)『賭はなされた』(1947年)『双頭の鷲』(1947年)『花咲ける騎士道』(1952年)『女優ナナ』(1955年)『モンパルナスの灯』(1958年)『輪舞』(1950年)『歴史は女で作られる』(1956年)などの代表作で、ジャン・ルノワール、ジュリアン・デュヴィヴィエ、ジャン・コクトー、ジャック・ベッケル、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー、クリスチャン・ジャック、ミッシェル・ボワロン、アンドレ・カイヤット、マルク・アレグレ、アンリ・ヴェルヌイユ、ジャン・ドラノワ、ルイス・ブニュエルなどフランスの戦前・戦後の主なほとんどすべての監督と組み、ジェラール・フィリップやジャン・マレー、ジャン・ギャバン、ルイ・ジューヴェ、ダニエル・ダリュー、ミッシェル・モルガン、ミシュリーヌ・プレール、エドウィジュ・フィエール、マルティーヌ・キャロルなど戦前・戦中からのスター俳優、ミレーヌ・ドモンジョ、アヌーク・エーメ、フランソワーズ・アルヌール、クラウディア・カルディナーレ、ジーナ・ロロブリジナ、アンナ・カリーナ、アラン・ドロン、ジャン・ポール・ベルモンドなど戦後のスター俳優まで、各世代の美男・美女を撮り続けました。
 旧作『恋愛三昧』のマックス・オフェルス監督や、この新作のピエール・ガスパール・ユイとも何本かコンビでの作品を撮りました。

 この顔ぶれはフランス映画史そのものといえるそうそうたる顔ぶれです。50年代後半から活躍していくアンリ・ドカエやラウール・クタールが出現するまで、フランスの映画界を背負って立っていた名カメラマンだったといえましょう。
大いなる幻影
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旅路の果て
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双頭の鷲
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 音楽は、ジョルジュ・オーリックです。彼はパブロ・ピカソやエリック・サティらの芸術家とも親交が厚く、映画音楽への関心はジャン・コクトーの影響によるものだったそうです。クリスチャン・マトラとのコンビも数多くあり、息のあったコンビネーションによった作品となっており、マトラの素晴らしい映像に加えた彼の音楽の素晴らしさが良くマッチングしています。
 シネ・ジャズの時代が到来するまで、クラシック音楽が映画音楽の主流であった時代にオペラや交響曲を大衆に分かり易く、映画を通じて提供してくれていたメディア文化最先端の音楽家です。この作品でもヴェートーヴェンの『シンフォニー第5番「運命」』やシューベルトの『アヴェ・マリア』の使い方、歌劇場の様子やクリスティーヌの父親が音楽家である設定、ロミーの歌う場面(多分、吹き替えだと思いますが)などオーリックの力量が十分発揮された作品といえましょう。

 監督を務めたのは、制作した本数は少ないながらも1963年度カンヌ映画祭で『シエラザード』により、フランス映画高等技術委員会大賞を受賞しているピエール・ガスパール・ユイです。ドイツ映画界の不信で母国での作品製作が振るわなかった時代的な不運がなければ、もっと多くの名作品を輩出できた演出家であったと思います。

 また、特筆すべきはフランツの愛人役で大女優ミシュリーヌ・プレールが出演していることです。
 クロード・オータン・ララ監督、ボストとオーランシュの脚本コンビによるレイモン・ラディゲ原作の『肉体の悪魔』(1947年)では、ジェラール・フィリップの恋の相手として年上の人妻役を演じました。まさにフランスの古き良き時代の「詩(心理)的レアリスム」の典型的な作品が代表作です。また、実存主義哲学者のジャン・ポール・サルトルがシナリオを担当し、撮影と音楽をマトラとオーリックのコンビとしたジャン・ドラノワ 監督の『賭はなされた』(1947年)、ジャック・ベッケル監督の『偽れる装い』(1945年)などで主演を務めています。
 そしてイギリスで撮った『アメリカン・ゲリラ・イン・フィリピン』(1950年)は、『怪傑ゾロ』でディエゴ=ゾロで主演したタイロン・パワーとともに、何とフリッツ・ラングの演出も受けているのです。まさに彼女は大女優です。
肉体の悪魔
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 この作品が製作された当時のフランス映画界には、まだ、「ヌーヴェル・ヴァーグ」が出現していませんでした。しかし、ジェラール・フィリップを失い、ジャン・マレエも全盛期を過ぎ、ジャン・ギャバンただ一人がスターとして頑張っていた世代交代期だったことから、映画界は新たなスターを求めていた時代だったといえましょう。 
 そこに、この『恋ひとすじに』のような古典手法の名人たちに囲まれて、期待の大型新人アラン・ドロンは、古き良き時代の古都ウィーンを舞台にした作品で登場したのです。彼はフランス映画のクラシックをそのまま受け継ぎ、ウィーン情緒あふれる舞台設定で主演2作目を飾り、自らの俳優人生の方向付けも固めることができたのだと思われます。しかも、共演した元恋人ロミー・シュナイダーもドイツ宮廷の舞台俳優の祖父母の血縁を受け継いだ女優でした。

 時代物のコスチューム・プレイを主とした作風のクラシカルは、アラン・ドロン作品の原点のひとつだと思われます。『素晴らしき恋人たち』、『山猫』、『黒いチューリップ』、『世にも怪奇な物語』、『アラン・ドロンのゾロ』、『スワンの恋』、『カサノヴァ最後の恋』等々、時代物ではありませんが、『フランス式十戒』、『帰らざる夜明け』、『燃えつきた納屋』なども古典手法の作品です。

 彼は「フレンチ・フィルム・ノワール」作品のジャン・ギャバンの後継者であることはもちろん、同時にジェラール・フィリップやジャン・マレエらの後継者としての役割も立派に果たし続けていったのだとわたしには見えてしまうのです。
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by Tom5k | 2006-04-11 00:18 | 恋ひとすじに(3) | Comments(0)