『暗殺者のメロディ』②~俳優アラン・ドロンの演技~

 今更、当たり前のことなのかもしれませんが、恐らく、アラン・ドロンは、演技をすることが心底から大好きで、しかも、どんな映画作品の場合でも、それを楽しんでいたのではないか、と思っています。
 そして、彼は優れた演出家の演技指導に対しては、どんなときでも、とても謙虚で素直だったのではないか、とも察しています。

 アラン・ドロンが、『暗殺者のメロディ』に出演したのは1972年です。
 これは、正に彼が超人気スターとして頂点に君臨していた時代です。この頃のアラン・ドロン人気の大ブレイクに関しては、現在でも当時を知っている世代から、その活躍ぶりの凄まじさを聞くことができます。そのことは、戦後の映画スター史においても特筆されるべき重要な事象であったとも思います。

 アラン・ドロンは、1964年29歳のときに渡米し、ハリウッド映画界での活躍を目指しますが、その取組みは結果として芳しいものではありませんでした。しかし、その後の1966年には、美しい青春賛歌『冒険者たち』で、フランス映画界に見事に復帰を果たします。
 そして、「ヌーヴェル・ヴァーグ」のルイ・マル監督の短編『世にも怪奇な物語 第2話 影を殺した男』(1967年)と「詩(心理)的レアリスム」の巨匠ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の遺作『悪魔のようなあなた』(1967年)で、一挙にフランス映画の新旧両スタイルの巨匠の作品に出演してフランス映画の歴史を体感しました。
 ジャン・ピエール・メルヴィル監督の『サムライ』(1967年)により、「フレンチ・フィルム・ノワール」での全盛期のアラン・ドロン・キャラクターの基盤を確立し、その後ハリウッドのドル箱スターとなるチャールズ・ブロンソンと共演した『さらば友よ』(1968年)では、渡米時代の経験を生かして「フレンチ・フィルム・ノワール」をエンターテインメント大作にまで高めました。
 殺害事件の参考人として招致されていた時期には、『太陽が知っている』(1968年)で、敢えて完全犯罪を履行する主人公として、しかも元婚約者のロミー・シュナイダーと共演し、あらゆるスキャンダルを逆手に取りました。
 永らく恋人として同棲することになるミレーユ・ダルクと『ジェフ』(1968年)、敬愛する大先輩ジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチュラと『シシリアン』(1969年)、永遠のライバル、親友でもあるジャン・ポール・ベルモンドと『ボルサリーノ』(1969年)、再びジャン・ピエール・メルヴィルの演出で、イブ・モンタン、ブールヴィルなどの名優と『仁義』(1970年)で共演し、「フレンチ・フィルム・ノワール」での大スターとして大活躍していったのです。
 更には、三船敏郎やチャールズ・ブロンソンと共演した『レッド・サン』(1971年)では、西部劇での悪漢を活き活きと演じ、『帰らざる夜明け』(1971年)では、若き日のジャン・ギャバンが演じていたような犯罪逃亡者の主人公を、彼が最も尊敬する名女優シモーヌ・シニョレとの共演で実現させていました。

 押しも押されもせずの大スター、アラン・ドロン!

 しかし、わたしには、以前から理解できないことがありました。

 それは、このような人気の絶頂期において、・・・わざわざ、あの陰鬱で、地味、しかも、折角のスター性を全く発揮することの必要ない、気味の悪い『暗殺者のメロディ』での主人公である暗殺者フランク・ジャクソン(ラモン・メルカデル)を、何故演じることにしたのか?・・・ということなのです。

 何故、何故、何故・・・なのでしょうか???

 アラン・ドロンは、若い頃から多くの素晴らしい映画人たちに囲まれ、そのフランス、イタリアなどヨーロッパ映画界の豊かな映画環境によって、多くのことを学び、俳優として、スターとして大きく成長していったことは周知の事実であります。

【>ベルトラン・ブリエの『真夜中のミラージュ』では笑わそうとする意志が感じられましたね、それが一番の狙いではないにしろ。
>アラン・ドロン
ブリエの現場は本当に素晴らしかったね。ロージー以来、私はブリエのような人を待っていたんだ。他の監督たちに侮蔑的に聞こえて欲しくはないけどね。でも私にはヴィスコンティ、クレマンがいて、アントニオーニは偶然だがね・・・

>アントニオーニはモニカ・ヴィッティにより関心が向いていたと思いますが。
>アラン・ドロン
ヴィッティは彼の奥さんだったからね。私は奥さんの相手役だった訳だ。私の代わりにマストロヤンニでも良かっただろう。ヴィスコンティ、クレマン、メルヴィルにロージー:私のキャリアは正にそれだよ。その後にもいくつかの出逢いはあった:1964年のアラン・カヴァリエ(さすらいの狼)、ブリエにレネ・マンゾールの「デーモン・ワールド」のような監督第一回作品もあったね。ベルニュイユやドレー監督と撮った10本も映画も否定するつもりは全くないよ。どの作品も収めるべき場所があるんだ。ヴィスコンティがこう言ってた:「キャリアを築くのは、建築のようなものだ、基礎工事が肝心だとね。」私の基礎は、ヴィスコンティ、クレマン、メルヴィルにロージーだね。】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/18 「回想するアラン・ドロン:その6(インタヴュー和訳)」

 わたしは、アラン・ドロンが自分の俳優としての基礎を得たことに、ルネ・クレマンやルキノ・ヴィスコンティ、ジャン・ピエール・メルヴィルを挙げることは、容易に理解できます。

 しかし、ジョセフ・ロージーと巡り会った時期は、ルネ・クレマンやルキノ・ヴィスコンティの指導から俳優、スターとしての自分を確立しようとしていた貪欲な20歳代の頃の成長期ではないのです。
 また、ハリウッド映画の失敗経験から、フランス映画界での自分の新しいキャラクターを模索して、ジャン・ピエール・メルヴィルやルイ・マル、ジュリアン・デュヴィヴィエの演出を受けて出演していた時期とも異なるのです。

 どんな人気スターにも引けを取らない凄まじい人気全盛期のアラン・ドロンと優れた巨匠ではあっても陰気で地味で暗澹たる気味の悪い作品を得意とするジョセフ・ロージー・・・この二人の関係は、アラン・ドロンのファンとして、考えても、考えても・・・以前から理解できなかった・・・ファンとしての七不思議のひとつでした。

 華麗なる大スター、アラン・ドロンは、何故、この陰鬱なジョセフ・ロージー監督が演出する『暗殺者のメロディ』のオファーを受けたのか?・・・いくら優れた演出家でもルイ・マルとは相容れなかったようですし、マルセル・カルネのオファーも断っているというのに・・・。

 ロミー・シュナイダーとの再共演は確かに魅力的ではあったかもしれません。英国演劇界から生まれ出て、ハリウッド・スターとして磨きをかけられた大俳優リチャード・バートンとの初共演も出演動機に十分成り得たでしょう。
 しかし、そうではあっても、この前衛作家ジョセフ・ロージー監督の過去の作品から考えれば、彼の華やかさなどは全く必要が無く、そのスター性など、完璧にはぎ取られてしまうことなど、出演する前からアラン・ドロン自身も含めて誰しもが予想できることだったでしょう。

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 そして、その華やかさが命であるとも言えるアラン・ドロンは、このようなジョセフ・ロージー監督を、何故、師の一人として仰ぐのか???
 彼はダーク・ボガードでも、トム・コートネイでも、スタンリー・べーカーでもなく、エインターテーインメント作品の大スター、アラン・ドロンであるはずなのに・・・???


 ところで、わたしのブログの盟友オカピーさんが、その映画評の記事で実に分かり易くて的を得た内容でこの『暗殺者のメロディ』を紹介しています。
オカピーさんのブログ「プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]」ブログ記事 映画評「暗殺者のメロディ」
 特にコメント欄では、
【何と言っても、ドロンの美を破壊してしまうような最後のストップモーションが鬼気迫りますよねえ。】

 そう、オカピーさんが仰っているように、アラン・ドロン・キャラクターに無くてはならないスターとしての条件、それがなくては、何者でもなくなってしまう「美」を、ジョセフ・ロージーに破壊し尽くされてしまっているのです。

 超人気スターであったアラン・ドロンのその後には、一体何が残るというのでしょうか・・・?

 オカピーさんは次のように、ジョセフ・ロージーの演出とアラン・ドロンの演技の評価をしています。

【そのバランス無視が結果としてアラン・ドロンからそれまでとは違った演技を引き出したのではあるまいか。ドロン・ファンにすれば余り格好良くない人物像なので好ましくないかもしれないが、彼の演技史の中では有数の出来映えと思う】

と、ジョセフ・ロージーの演出の独特の映像構成、すなわち3人の主人公のトロツキズムを支点とした三角関係のアンバランスが新しいアラン・ドロンを引き出していると分析しています。これは凄い分析です。

 わたしは、本年2013年の新春、初めて観る映画(自宅でのDVD鑑賞)は、『暗殺者のメロディ』に決めました。


 この作品では、『サムライ』や『シシリアン』での「死の美学」を演じていたクールでダンディな恰好良い悲劇のヒーロー、アラン・ドロンのイメージは、微塵の欠片もありません。

 暗殺の画策を指示する仲間から、トロツキーの暗殺で英雄になれると吹聴され、その言葉を真に受けて満足そうに笑みを浮かべるアラン・ドロン。
 一度目の暗殺計画で、それを実行できずに自宅で茫然自失している放心したアラン・ドロン。
 二度目の計画を実行する直前に落ち尽きなく煙草を吸いながら、ピッケルを振ってのトロツキーの暗殺をイメージをしている暗殺者の小心な素顔を演じるアラン・ドロン。
 フランクの恋人ギタを演ずるロミー・シュナイダーを抱き寄せている間もトロツキーのことで頭が一杯であるが故に、視点の焦点が定まらない不安げな表情、人格に破綻を来している暗殺者の異常性を表現しているアラン・ドロン。
 いよいよ、緊張状態の極限から暗殺を決行するときの狂気を表現するアラン・ドロン。
 ラスト・シーンでギタに掴みかかられ、びくびく震えていながら、トロツキーを暗殺した英雄のつもりでいる哀れな心神喪失状態のアラン・ドロン。

 人格に破綻を来している暗殺者の異常性を表現しているアラン・ドロンは、このようなシリアスな前衛的な映像に釣り合ってはいるものの、あまりに滑稽であり、それ故に怖くて不気味なのです。
 また、わたしは、この主人公フラン・ジャクソン(ラモン・メルカデル)を演ずるアラン・ドロンに感情移入してしまい、観ていて相当にみじめな気持ちになってしまいます。

 もちろん、以前から何度も鑑賞していますので、このような彼の演技の素晴らしい表現は既に理解出来ていたのですが、今回は、暗殺者としての暗殺決行の緊張と恐怖感、英雄願望への野心など、その心理描写を踏まえて鑑賞することが出来ました。

オカピーさんは、
【本作を異色作たらしめているのは殺し屋の性格描写である。この殺し屋はソ連の母親を人質に取られて暗殺を強要されている為好んで殺しに来たわけではない。殺しに対する恐怖に心を占拠されることがあるかと思えば、暗殺の成功による本国での評価といった野望に心が揺さぶられることもあるようだ(数百万人の国民を処刑したスターリンが指導している限り本国に帰るのは即ち死を意味しているのに)。こういう風にロージーは、トロツキーと交互する比較的限られた枠の中で執拗に彼を描写する。何故彼だけに焦点を合せなかったか推測するに、それ自体が決して目的ではないからである。】
と分析しています。

 主人公フランク・ジャクソン(ラモン・メルカデル)の小心で滑稽、故に怖くて不気味であることの背景には、このような心理状態があり、それがアラン・ドロンによって、うまく表現されているのです。

 人気の全盛期に、スターとしてはあまりにも大きい危険なリスクを背負ってまで、自分の新しい演技の可能性に賭け、堂々とジョセフ・ロージー監督の演技指導を引き受けたアラン・ドロン・・・。

 わたしは、この作品を詳細に観て、彼は演技することが、とても好きであるからこそ、優れた演出家に対して、実直であり、ジョセフ・ロージー監督に全面的に信頼を寄せていたのだという確信にまで至ってしまったのです。
 彼は、その演技指導によって、新たに引き出された自分の新境地に、歓び勇んで演技していたのかもしれません。今回の鑑賞を境にして、わたしはそのように感じられるようになりました。

 アラン・ドロンは、スターであるばかりではなく、俳優として演技することにおいても、真の意味での「俳優魂」を持っていたのでしょう。
 わたしは万感の思いを込めて、彼の演技に拍手を贈りたくなってしまいます。

 『暗殺者のメロディ』での彼の演技の素晴らしさは以前から理解してはいましたが、そのことを、【アラン・ドロンの魅力】として、はっきりと自覚できたのは、やはりオカピーさんのブログ記事の内容に刺激を受けたからのように思います。オカピーさん、本当にありがとう。今年は新春から出足の良いスタートです。

【>ジョセフ・ロージー
最初バートンはドロンにまともな演技ができると考えていなかったのだが、突如としてドロンは演技の実力があるばかりでなく、どうやらそのときバートン本人以上に仕事に対して真剣であると気づかされた。そしてバートンはドロンに敬意を表するようになり、競争意識のようなものが芽生えた。
 メルカデル(ジャクソン)のキャラクターは申し分なく魅力的だ。『暗殺者のメロディ』でのドロンは実に素晴らしいと思う。あの映画によってわれわれの友情が芽生え、そして『パリの灯は遠く』が生まれた。冷酷さや多義性や、ドロンはすべてを備えていたし、仕事には全力投球で打ち込んだ。】
【引用~『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』ミシェル シマン著、中田秀夫・志水 賢訳、日本テレビ放送網、1996年(以下、『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』)】

追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー

ミシェル シマン Michel Ciment 中田 秀夫 志水 賢日本テレビ放送網


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by Tom5k | 2013-01-13 02:38 | 暗殺者のメロディ(2) | Trackback | Comments(2)

『暗殺者のメロディ』①~コミュニズムに対する賛否は別として~

 1950年2月20日付けで、ウィスコンシンン州選出のアメリカ合衆国共和党上院議院ジョセフ・R・マッカーシーは「国務省内に57人の共産主義者がいる」との内容で議会演説をしました。
 すでに1945年1月3日付けアメリカ合衆国第75国会で「非米活動委員会」を非常設設置から常設設置とするための法案が可決され、施行されていました。下院議会に設置されたこの「非米活動委員会」は、「赤(コミュニスト)の追放」を主に目的とした1940~50年代のハリウッド映画関係者をブラックリスティングし、「映画産業への共産主義の浸透」と題する聴聞会を実施していきます。
 映画は大衆を惹き付け、人々の心に大きな影響を及ぼし、最悪の場合には反政府運動まで高まる可能性を持つ文化・芸術であるメディアであることなどから、当時の米ソ冷戦における共産圏に対する警戒感を優先した結果だったのでしょう。

 これら一連の案件に係っては、特に聴聞会での証言拒否者の10人を「ハリウッド・テン」という名称としたことが有名です。そして、それは「ハリウッド・テン」の10人のみならず、何百人もの良心的で、コミュニズムと関係のない多くの映画監督・俳優・脚本家等の映画人たちを投獄し、破滅させることになりました。
 これらのことはアーウィン・ウィンクラー監督、ロバート・デ・ニーロ主演『真実の瞬間』に克明に描かれています。
真実の瞬間(とき)
/ 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン





 そして、この恥ずべく国家施策の審問官の一人として、アメリカ合衆国第37代大統領リチャード・M・ニクソンも、その名を連ねていました。

 また、この審問により、友人や仕事の仲間を売った映画関係者の中には、後年、ジェームズ・ディーンやマーロン・ブランド、ウォーレン・ビューティなど「ハリウッドの反逆児」たちといわれる新しい時代の素晴らしい俳優たちを育てた有名監督エリア・カザンもいました。彼は1998年にアカデミー名誉賞を受賞していますが、半数以上の人たちが席を立たず、拍手もしなかったそうです。多くのハリウッド映画の関係者たちは、未だに彼を許してはいないようです。

 逆に、この「赤狩り」に抵抗していった勇気ある映画人たちも多くいました。彼らは、映画関係者の「思想・信条の自由」の侵害に抗議し、「第1修正条項委員会」という抗議行動のための組織を立ち上げます。
 ウィリアム・ワイラー、ジョン・ヒューストンらが呼びかけ、500人あまりの映画関係者が呼応しました。そのなかには、ハンフリー・ボガード、ローレン・バコール、バート・ランカスター、グレゴリー・ペック、キャサリーン・ヘップバーン、マーナ・ロイ、ポーレット・ゴダード、バージェス・メレディス、ダニー・ケイ、リタ・ヘイワース、カーク・ダグラス、ヘンリー・フォンダ、ヴァン・ヘフリン、ジーン・ケリー、ジュディ・ガーランド、ベニー・グッドマン、ヴィンセント・プライス、トーマス・マン等、その他にも多くの有名人がいたそうです。
 そして、多くのハリウッド映画関係者たちは、ホワイトハウス議会事務局に対して文書署名による抗議行動を起こし、「第1修正条項委員会」の抗議集会は7000人規模の大集会となりました。

 ジョセフ・ロージー監督は、1947年チャールズ・ロートン主演で、ベルトルト・ブレヒトの『ガリレイの生涯』の舞台演出をしており、デビュー作『緑色の髪の少年』で反戦テーマを描き、左派的な印象を持たれていたのでしょう。早くから「非米活動委員会」にチェックされていたようです。
緑色の髪の少年
/ アイ・ヴィー・シー





 確かに彼は、コミュニストであり、当然、このマッカーシズムの犠牲になったわけですが、ハリウッドに見切りをつけたのも早く、ヨーロッパに渡って、苦心しながらもイギリスで活躍の場を得ることに成功します。しかも、このハリウッドの経験が、後の多くの名作を生み出す要因であったことも間違いなく、ロージー監督のこの生き方は、彼のしたたかさの現れだったと思います。
 後年、彼はアラン・ドロンと『パリの灯は遠く』という大傑作を生み出しますが、この『暗殺者のメロディ』が、一貫して良心に従って生きてきたロージー監督と、アラン・ドロンの素晴らしい最初の接点だったわけです。

 アラン・ドロンは、かつて見せたことのない怪演により好演していますが、それは、まるで心神喪失の様子に近い演技です。
【「暗殺者のメロディ」でロージーは、アラン・ドロンのトロツキー暗殺犯人を、全くベイカー、ボガードの系列の男性像に作り変えてしまった。
 彼らに共通するのは卑しさ、生命力、むき出しの性的アピール、見るものに官能的な嫌悪や反発を感じさせながら有無をいわせず迫ってくる圧倒的な存在感である。二枚目スター、ドロンの魅力は、そうした卑しさが美しい容貌の裏打ちとなっている点にあると私は以前から感じていたが、「暗殺者のメロディ」でロージーは、ドロンの表と裏を返したように、卑しさを前面に押し出し、もはや美のほうはほとんど骨と化した死体にわずかにまつわりついている肉の襤褸ほどのものでしかなくなっている。しかし、彼を使ったほかのどの監督もしなかったこの外科手術のような暴力的な操作のおかげで、「暗殺者のメロディ」でドロンは、かつてなかった存在感をもつに至っているのだ。(~中略~)
 密室の小宇宙の環境を、ロージーは徹底したリアリズムで描き出す。貴族の邸宅。前線の兵舎。亡命革命の隠れ家。登場人物の性格描写に時間をさく代わりに、彼は人々を包む環境の性格を、ていねいに紹介する。(ロージーの作品で私たちは人物の性格描写を、あるいは心理分析を、意識することは少ない。(~中略~)しかし「暗殺者のメロディ」は、ここでも例外で、特にドロンの暗殺者ジャクソンの描写では、ドロンの演技のせいもあるだろうが私たちは彼の性格や心理を意識せざるをえず、さらにそこにはフロイド的な心理分析の陰影さえつけられているのである)。】(引用~『世界の映画作家17 カザン/ロージーと赤狩り時代の作家たち』「ジョセフ・ロージーの世界~矢島翠」キネマ旬報社、1972年』)

 アラン・ドロン演ずるフランク・ジャクソン(ラモン・メルカデル)が、普通の健康的な人間ではないことがよくわかる場面がいくつもあります。

 まずは、最初の登場場面です。洗面台で髭を剃りながら、ロミー・シュナイダー演ずる恋人ギタに話しかけられている様子は、微妙に正常ではないように見えますし、仲間にトロツキー(リチャード・バートン)を暗殺した後は「英雄になれる。」と言われれ、得意げな笑みを浮かべる表情は、既にラストシーンの不気味さを暗示させているような気がします。
 トロツキーの威厳にすくんでしまいビクビクして急に能弁になり、彼にたしなめられるシーンの緊迫感、そして結局、暗殺を決行できずに茫然自失し、放心状態になってしまったフランクと恋人ギタを演ずるロミー・シュナイダーのイライラした状態とのコントラストなども非常に印象的です。
 気を取り直して、暗殺の様子を練習したり、急に鐘に飛びつくカットも不気味で、暗殺決行直前でのギタとの会話で、彼女が初めて名前を呼ばれて喜びに涙するときのフランクの目の動きも明らかに正常ではありません。
 そして、いよいよ暗殺決行のとき、トロツキーにピッケルを振り下ろした彼の表情は完全に狂ってしまった人間の表情でした。正に、背筋が凍りつくとはこのことです。
 その後のフランクの絶叫はすさまじいの一言に尽きます。
 警察に連行され、逆上したギタの訪問に怯えきり、事情聴取で「お前は何者だ?」と問われ、「トロツキーを殺した男。」と得意げに答えるときの表情は、もの凄いの一言に尽きる演技でした。
 この当時に(現在でも)この作品を観て、多くのアラン・ドロンファンはどんなことを感じたでしょう?少なくても、これほど強烈で不快な演技は後にも先にも、この作品くらいのものだと思います。
 彼は、ロージー監督の演出した多くのイギリス俳優、例えばスタンリー・ベーカーやアラン・ベイツ、ダーク・ボガード、トム・コートネイなどのようなしたたかな俳優ではなく、むしろ一般受けするアクション映画やセックスアピールを売り物にした娯楽作品でスターとなった俳優です。このような前衛映画に出演する俳優としての資質があるなどと誰が想像したでしょう。恐らくロージー監督も、もしかしたらアラン・ドロン自身もこの作品の結果に驚いていたのではないでしょうか?そして、一番驚いたのは、共演していたリチャード・バートンに違いありません。彼はアラン・ドロンが、まともな演技のできる俳優だとは思っておらず、はなからドロンを相手にしていなかったと言います。

 その後、アラン・ドロンはハリウッド作品『スコルピオ』に出演します。これは、アクション映画としての目的のほうが強かったかもしれませんが、共演者であるバート・ランカスターは、ジャン・ギャバンとともにドロンの最も尊敬する俳優であり、「ハリウッド・テン」の事件では「非米活動委員会」と闘った勇士です。そして、扱っているテーマは、ソ連の矛盾を描いた『暗殺者のメロディ』とは逆に、アメリカ合衆国の巨大な機密情報機関CIAの暗部を描いたもので、ドロンはそのCIAに雇われた殺し屋を演じました。KGBから送られた暗殺者の役柄とともにいつまでも語り継ぐべき作品であると思います。

 ロミー・シュナイダーの終始いらいらしたヒステリックな演技も素晴らしく、ノーメイクで眼鏡をかけたインテリ女性としての力演でした。
 わたしは、このロミー・シュナイダー演じるギタを観ると『太陽がいっぱい』でマリー・ラフォレが演じたマルジュを思い出します。
 15世紀、ルネッサンス期フィレンツェの宗教画家であり、清らかで深い精神性に満ちた多くの「天使の絵」を書き続けたフラ・アンジェリコ(天使的修道士)を限りなく愛し、フィリップへの愛を誠実に求める封建の女性マルジュは、現代の両極に位置するブルジョワ青年フィリップと貧困層の青年トムの矛盾をそのまま背負い込み、最後に事件の全貌を知ってしまい絶叫するのです。
 同様に理想主義者トロツキーを敬愛し、フランクへの愛を求め続けたギタも、セクト主義に陥ったスターリン主義に引き裂かれ、最後に狂ったようにフランクにつかみかかろうとします。
 いつの時代や状況でも、無垢で純真で真面目な女性ほど、社会矛盾による裏切行為により、気の毒な犠牲者になってしまうことを、この両作品は訴えているような気がします。
(参考)~『永遠なる名作映画 vol.3「太陽がいっぱい 荻昌弘」近代映画社、2006年』

 そして、名優リチャード・バートンの演技も素晴らしいものばかりでした。
 伝統のシェークスピア劇などで鍛えられた英国風の正統派の演技ができるスター俳優である彼は、このような前衛映画にまで元来の演劇的表現で挑んでおり、彼もまたひとかどの俳優であるのだと感じることができます。

【ドロンとバートンはこれらの人物に完全に合っているように私には思われた。アラン・ドロンはトロツキーの暗殺を演ずるのにとりわけ熱心だった。二人とも役の心理的ニュアンスを完全に理解していた。ロミー・シュナイダーも凄くいいと思う。】(引用~『世界の映画作家17 カザン/ロージーと赤狩り時代の作家たち』「わが映画のすべて 暗殺者のメロディ~ジョセフ・ロージー」キネマ旬報社、1972年)


 映画では、当時まだ18才の写真家ロバート・キャパが撮った、デンマークの学生集会で「ロシア革命の歴史」について講演するレオン・トロツキーの写真(1932年11月2日コペンハーゲン)が冒頭に映し出されます。
フォトグラフス―ロバート・キャパ写真集
ロバート キャパ 沢木 耕太郎 / 文芸春秋
トロツキーの写真は、P14・15



 「革命の勃発は状況しだいである。革命以外に方法がないときにだけ起こる。」のテロップとともに、1940年メキシコのメーデーからのファーストシーンです。
 この作品は、ロシア10月革命でレーニン、スターリンとともに革命時代を闘った革命家レオン・トロツキーの最期を描いたものです。彼は、かつての同志スターリンの独裁政治の犠牲となり、亡命先のメキシコで暗殺されました。
 トロツキーが部下を暗殺され、その焼死体が場面に映し出される場面はショッキングです。闘牛の場面とトロツキーのの苦悩のうめき声がモンタージュ(オーバーラップ)され、トロツキーの不安と憂鬱が、牛のうめき声に重なってリアリティを持って迫ってきます。
 闘牛場の場面での「コカ・コーラ」の表示板も非常に印象的でした。アメリカ資本主義のトレードマークは、まるで生き霊のように、ここにも浸透しているということなのでしょう。ジョセフ・ロージー監督は、問題の本質をコミュニズムのセクト主義に置くだけでなく、そのもっと奥に捉えていることを、ここで感じることができたように思います。

 トロツキーは、亡命先のメキシコで「第4インターナショナル」を創設し、反スターリニズムを貫いて生活し、多くの名言を残しています。
「3分の1世紀にわたる私の意識的な生活は、全部が全部、革命闘争についやされてしまい、系統的な勉強などできなかった。しかしもう一度やりなおすとしたら、私は躊躇なく同じ道にとびこむだろう。」
「人生は美しい。未来の世代をして、人生からすべての悪と抑圧と暴力を一掃させ、心ゆくまで人生を享受せしめよ」(レオン・トロツキー「わが生涯」西島栄訳)
トロツキーわが生涯
トロツキー 森田 成也 / 岩波書店





 こんな素晴らしい言葉を残したレオン・トロツキーは、何故、革命闘争で、そして人生においての勝利者となれず、これほどの悲惨な死に方をしなければならなかったのでしょうか?
 また、ジョセフ・ロージー監督がこの作品で描きたかったものは、一体何だったのでしょうか?
【(略)~トロツキストたちに政治的暗殺とは何かということを示し、コミュニストたちに今日では誰もあえて疑おうとしない社会主義への批判的接近を見せるには十分だと思う。(~中略~)
 私はトロツキストではなく、コミュニストだ。だがそれが現在何だというのだ?スターリン主義者たちもコミュニストだと自称している。そして、トロツキストはトロツキーなしでトロツキズムを実践している。確かなことは、すべての道はマルクスから発しているということで、不確かなことは、誰がそれを貫いているかということだ。】(引用~『世界の映画作家17 カザン/ロージーと赤狩り時代の作家たち』「わが映画のすべて 暗殺者のメロディ~ジョセフ・ロージー」キネマ旬報社、1972年)

 カール・マルクスでさえ、「わたしは、マルクス主義者ではない。」と語り、イエス・キリストも処刑されるときに「神はわれを見捨てた。」と絶望したという逸話があります。
 イデオロギーが、一人歩きしてしまって民衆や良心的な人々を抑圧することの恐怖や、公権力のレッテル貼りが、多くの民衆の支持を得てしまうことが、多くの真実を覆い隠してしまい、ヒステリックな人権侵害に結びついていくことは、ロージー監督が身を持って体験した「ハリウッド・テン」の事件でもあきらかです。わたしは、ファシズムという誤ったイデオロギーによる恐怖と悲惨を描いたロベルト・ロッセリーニ監督の『ドイツ零年』を思い出しました。
ドイツ零年
/ アイ・ヴィー・シー





 コミュニズムに対する賛否は別として、ロシア革命の革命家ウラジミール・イリイッチ・レーニンは、スターリンやトロツキーと同じ社会革命家として、ロシアに新秩序を創ることを成功させています(69年後にそれも崩壊してしまいますが)。もちろん、このときは、スターリンやトロツキーも同じ仲間であり、強い信頼関係で結びついていた時代だったわけですが、レーニンの死後にその求心力はスターリンにも、トロツキーにも不足していったことは否めません。
 では、レーニンには備わっていて、トロツキーやスターリンに不足していたもの、それは一体何だったのでしょうか?

 レーニンも、多くの反権力者と同様に、ツァーリの弾圧を逃れての国外への亡命経験が何度もありました。
【1904年の春頃、レーニンと妻のクループスカヤは、スイスのジュネーブに亡命生活を送っていた。彼のもとを訪ねて、ロシアからさまざまな人々がやってきた。あるとき、ペテルブルクの労働者組織を代表して、バロン(殿様)とあだ名されていた、一人の青年がやってきた。レーニンは彼の話に聞き入った。こうして、彼のもとに直接届けられるロシアからの情報こそ、彼の思考にとって、第一級の重要性をもつものであったからだ。
 バロン青年が語る。「われわれはいま、集団をもとにして組織をつくっています。われわれはそれぞれに集団をつくりました。プロパガンディスト(宣伝者)の集団に、アジテーター(煽動者)の集団、それにオルガナイザー(組織者)の集団です。」
 レーニンは「フムフム」とつぶやきながら、彼の話を聞いたあとで、こうたずねた。
 「プロパガンディストの集団というのは、何人でできているんだい?」
 「いまのところは、僕一人です。」青年はちょっとうろたえながら、答えた。
 「少し少ないようだね。ではアジテーターの集団は?」
バロンは耳のねもとまで真っ赤にして、答えた。

 「いまのところはやっぱり僕一人だけなんです。」

 ここでレーニンの笑いが爆発した。それはどはずれた笑いだった。からだをはげしく波打たせ、目には涙を浮かべながら、彼の笑いはとどまるところを知らなかった。その笑いは、人にも伝わった。顔を真っ赤にして、はずかしそうにうつむいていた、ペテルブルグの青年も、彼の笑いにつりこまれて、大笑いをはじめた。そして、青年が笑い疲れて、顔をあげたとき、レーニンはまだ、テーブルの下に顔を隠して、笑い続けていたのだった。】
(引用~『はじまりのレーニン』中沢新一著、岩波書店、1998年)
はじまりのレーニン
中沢 新一 / 岩波書店






 当局に危険人物として、生命の危機を日常に感じている亡命生活での疲労の日々。あてにしている最後の細い細いせっかくの希望の情報であるロシア国内組織の状況が、これほど不甲斐ないものであることを知ったとき、誰がこれほど大きく笑うことができるでしょうか?
 トロツキーなら部下を殺されてときのように呻いて寝込むでしょうし、スターリンなら、バロン青年を殺してしまうかもしれません。
 二人の後継者に不足していたのは、いかなるときにも、この愉快で楽しい「笑い」を起こせる確信に満ちた自信、そして人間の可能性を信じ切る信頼感だったのではないでしょうか?

 あくまでもコミュニズムに対する賛否は別として。
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by Tom5k | 2006-03-18 02:16 | 暗殺者のメロディ(2) | Trackback(13) | Comments(46)