『山猫』②~敗北のプロットしか描けなかったヴィスコンティの一貫性、アラン・ドロンの師への想い~

【サイードの本は、死後ロンドンの新聞に出て、『新潮』に訳載されもした論文を柱としています。(-中略-)
 シチリアの貴族の最後の思いを、生涯一編だけの長編小説に残したラペンドゥーサ。その『山猫』を、貴族趣味のかぎりをつくして映画化した(死ぬまで共産主義者でもあった)ヴィスコンティ監督。両者の間に、「後期のスタイル」の発想を生んだアドルノと、シチリアをふくむイタリア南部に近代化がもたらす貧困を、獄中で予想したグラムシを置く。それも興味深い細部を繰り返しながら語るサイード。】
【引用 『「伝える言葉」プラス』大江健三郎著、朝日新聞社、2006年】

「伝える言葉」プラス

大江 健三郎 / 朝日新聞社



 ノーベル賞作家の大江健三郎氏が、エドワード・W・サイードの著作『晩年のスタイル(On Late Style(Pantheon Books))』を読んだときの読後感です。

 パレスチナ系アメリカ人の文学者、音楽家、思想家であったエドワード・W・サイードは大江健三郎とも交友関係にあり、音楽家ではリヒャルト・シュトラウス、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、アルノルト・シェーンベルグ、文学者ではトーマス・マン、ジャン・ジュネ、トマージ・ディ・ランペドゥーサ、政治家ではアントニオ・グラムシ、思想家・音楽家であったテオドール・ルートヴィヒ・ヴィーゼングルント=アドルノ、そして舞台演出家・映画監督ではルキノ・ヴィスコンティなどにこだわり著作活動を続けてもいたようです。

 特に、イタリア共産党のリーダーであったアントニオ・グラムシからのトマージ・ディ・ランペドゥーサとルキノ・ヴィスコンティへの影響力については強く言及しており、イタリア共産党としては当然の事だったとはいえ、アントニオ・グラムシがイタリアの国家統一と各地域の分析から、北部の労働運動や南北イタリアの経済格差などに着眼していたことなどに関心を寄せていたそうなのです。
 しかしながら、そこで論及されていた南部問題が、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画、トマージ・ディ・ランペドゥーサの小説である『山猫』においては、有効なものとしての実現にまでには至っていないと批判を加えているそうです。

晩年のスタイル

エドワード W.サイード / 岩波書店



 いずれにしても、わたしが最も驚いたことは、大江健三郎氏がルキノ・ヴィスコンティ監督を
>(死ぬまで共産主義者でもあった)
と規定していることなのです。

 それというのも、わたしは、彼が『山猫』以降に自身の帰属していた貴族社会を描くようになっていったことが、コミュニズムから転向してしまったからであると思い込んでいたからなのです。
 もちろん、彼が首尾一貫して広くヒューマニズムを透徹していったことは、間違いのないことだったと確信しています。

 そして、例えば、ジャン・ピエール・メルヴィルは、
【>N あなたは右派なのですか】
とのインタビュアー、ルイ・ノゲイラの問いに
【>M (-略)哲学的に言えば、私の世間における立場はひどく無政府主義的(アナーキスト)だ。極めて個人主義者なんだよ。実を言うと私は右派でも左派でもありたくないのさ。だが、確かに右派のように生きている。私は右派のアナーキストなんだ(-中略-)
 当然ながら、左派は美徳と同義だという観念を私の心から消し去ったのは、ソヴィエト・ロシアだ。三十年前、私の政治的な理想とは、もちろん社会主義だったのさ。あの当時、私は確かに共産主義者だった。その後、一九三九年八月二十三日以来、一気に共産主義にうんざりしたんだ。(-中略-)スターリンが、一九三九年八月二十三日に、戦争が起こりつつあることを宣言したのさ・・・・ポーランド分割についてドイツと意見の一致をみた日だ。あの日、私の共産主義-社会主義-は大打撃を食らったんだ。それから、私はシベリアの収容所のことを考え始めた。その存在は戦前に知られていたんだが-ナチの大量虐殺の強制収容所の存在はまだ知られていなかったがね-あの収容所はレーニンの社会主義の一部だったんだ・・・。その時、私は転向したのさ。(略-)】
【引用~『サムライ ジャン・ピエール・メルヴィルの映画人生』ルイ・ノゲイラ著、井上真希訳、晶文社、2003年】

と自身の転向の経緯を語っています。

 そして、ルネ・クレマンにおいては、
【私はいかなる党にも属していないし、いかなる政治家にもくみしない。だからといって私が政治的に無関心な人間だというわけではない。なぜなら、もし私が政治を無視していようと、どっちみち、政治のほうで我々を無視してはくれないのだから。(略-)
(ルネ・クレマン 談)】

【前作の『パリは燃えているか』(66)ではクレマンはド・ゴール派に転向したかなどといわれたが、実は彼の初期の作品『鉄路の闘い』(45)、『海の牙』(46)が公開されたころ、日本では彼がコミュニストであるというのが定説になっていた。(-中略-)そのリアリズムのきびしさから、当時史上最大の労働争議を行っていた東宝の組合員たちにもクレマンの存在はかなり神格化されていたようだし、そういうところから、いつの間にか共産党員だというレッテルを貼られていたのかもしれない。】
【引用 『海外の映画作家たち 創作の秘密(フランス編 ルネ・クレマン)』田山力哉著、ダヴィッド社、1971年】


 元来、彼はコミュニストではなかったと言われていますし、しかし、進歩的な思想の持ち主であることは間違いなかったといわれてもいました。
 ですから、『パリは燃えているか』を撮ったときには、戦後の矛盾を抱えたフランス共和党やアメリカ合衆国への単なる迎合であると、誤解され批判的に受け取られても仕方がなかったかもしれません。
 また、1960年代以降に制作していったサスペンス作品群は、世評では商業主義に堕落したと言われ、透徹したリアリズム描写の衰え、芸術家の堕落として批判されていきました。


 更にジョセフ・ロージーに至っては、
【>JL そもそも私が『暗殺者のメロディ』を撮るなど全く思いも寄らないことだった。私が共産主義者だったのはスターリンが崇拝されていた頃であって、まだその偶像が堕ちる前のことだ。(-中略-)しかもその頃の私はまだ若く“洗脳”とも呼べる方法でいったん吹き込まれてしまった思想を後になって拭い去るのは非常に難しい時期にあった。(-中略-)
 不意に気づかされたのは、私がスターリン主義者だった間、いかに自分が他の大切な知識や経験から隔絶してしまっていたかということだった。あの頃の私はスターリン主義に凝り固まってしまっていて、僅かでもトロツキー主義の傾向にあるものはすべからく間違いだと決めてかかっていた。そういう考えこそ、明らかに、スターリン主義にしろ他のいかなる教義や主義にしろ最も悪い側面だったのに。しかし私はもうすでに人間として成長しており、自分なりの視点を確立していた。すなわち、物事は何でもそのものの本来の価値によって評価されなければならず、よしんば集団で行動を起こすにしろ、やはり一人ひとりが個人としての判断、評価を下さなければならない、という考えに至っていたのだ。(略-)】
【引用 『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』ミシェル シマン著、中田秀夫・志水 賢訳、日本テレビ放送網、1996年】

と『暗殺者のメロディ』でトロツキーを主人公とした作品を撮るに当たって、自己批判した経緯を語っています。


 また、1968年の五月革命以降、中国革命の毛沢東に傾倒し、商業映画を否定して「ジガ・ヴェルトフ集団」という政治的なアジテーション映画の製作集団を結成し、コミュニズムを徹底していったジャン・リュック・ゴダールでさえ、1980年には『勝手に逃げろ/人生』で、商業映画に復帰します。
 そして、後年、「ジガ・ヴェルトフ集団」の時代は、自分でも、泳ぎ方を覚えずに海に飛び込んだようなものだったと述懐しているほどです。
【「中国女」に取りかかるとき、彼はまったく政治的な映画をとりという新しい体験に緊張していた。というのは、彼自身の政治的な武装が、不充分なままに、敵にむかっていくのだと、みずから知っていたからでである。】
【引用 『現代映画芸術』岩崎昶著、岩波新書、1971年】

 自らの思想・信条、特にコミュニズムのような誤解の多いイデオロギーを、映画作家として生涯に渉って貫いていくことが、如何に困難なことなのか、そのことはアラン・ドロンにゆかりのあった巨匠たちにさえ簡単なことではなかったのです。


であれば、ルキノ・ヴィスコンティが、本当に
>(死ぬまで共産主義者でもあった)
こと、これは、アラン・ドロンが、師と仰ぐ巨匠たちのなかでも、最も徹底した生き様であり、驚くべきことであり、余程の強い信念を以て生き抜いた人物だったと評価してしかるべきでしょう。

 想えば、ルキノ・ヴィスコンティが語った

【「揺れる大地」と「若者のすべて」に続いて第三部をなす「人民のたたかい」を描いた映画を作りたい。しかも、最初の作品が敗北の物語であり、二番目が半ば敗北の物語であったのに反し、こんどは人民の力を確認させるような、勝利の物語を描きたい。】
【引用 「世界の映画作家4 フェデリコ・フェリーニ ルキノ・ヴィスコンティ編」キネマ旬報社】

には、将来にむけての映画創作における不退転の決意が表明されていたのかもしれません。わたしが理解していたように、後年の彼の作品の特徴がその挫折から変遷したという解釈は、再考を要するところに至ってしまいました。

 しかしながら、『山猫』以降に、実際に彼が人民の勝利を直接的に映画で描けたことはありませんでしたし、現代映画において、典型的な無産階級を演ずる資質と才能を備え、最も可愛がっていた青年俳優アラン・ドロンは、その役割を放棄してハリウッドに渡ってしまうことになります。

 それに加えて、彼の映画創作のセオリーは、自ら染み込んだ遺伝子ともいえる貴族階級としてのものでしたから、未来の社会での人民の勝利に対するイメージが貧困で、貴族階級の敗北の歴史的必然と同様に、常に敗北と挫折のテーマでしか映画表現が出来なかったと、わたしは考えます。

 彼の芸術性の高い映像表現は別としても、その主題においては、映画『山猫』で描いたように共和主義者たちと妥協しながら、生き永らえざるを得ない、極論するならば、絶滅に向かっていくまでの貴族階級のロマンティズムやヒューマニズム、その美学などに限られてしまう描写に留まらざるを得なかったとまで考えられます。

 ルキノ・ヴィスコンティは、良く言えば聡明な生き方を上手に選んでいた反面、自らの階級に対して実直で、愚鈍なほど誠実であったともいえましょうし、悪く言えばその階級としての潜在意識から、新しい時代に来るべき人民の勝利する時代へと脱皮するためのイメージを持ち得なかったとも考えられます。

 繰り返すことになりますが、わたしは今の今まで、『山猫』以降の作品は、あくまでも思想的に転向したルキノ・ヴィスコンティの創作活動であると解釈していました。もちろん、それは単純に労働者階級を裏切るような意味のものではなく、前述したジャン・ピエール・メルヴィルやジョセフ・ロージーと同様に、時代的な必然における転向、すなわちコミュニズムから出発し、やがてヒューマニズムを拡大していく手法を採るようになったと考えていたのです。

 この考えは、わたしのブログの盟友であるオカピーさんとも同じ意見でした。
 【オカピーさんのブログ記事『プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]』 映画評「若者のすべて」

 何故、大江健三郎氏は、ルキノ・ヴィスコンティを
>(死ぬまで共産主義者でもあった)
と解釈しているのでしょうか?

 考えてみれば、彼は「ネオ・リアリズモ」の体系で映画を創作していた頃、彼の愛する労働者階級の物語を、

『揺れる大地』において、
>最初の作品が敗北の物語であり・・・

『若者のすべて』において、
>二番目が半ば敗北の物語であった・・・

と自ら主張した映画表現を総括しました。

だからこそ
>こんどは人民の力を確認させるような、勝利の物語を描きたい。
と願っていたのだと思います。

 前述したように、彼が貴族階級の絶滅の遺伝子を刷り込まれていることを踏まえれば、敗北という硬直したテーマからしか、リアリズムやドラマトゥルギーを創り出せなかったことは、無理なからぬことだったと察します。
 それは、この『山猫』や『家族の肖像』においても顕著です。
【参考 オカピーさんのブログ記事『プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]』 映画評「山猫」


 であれば・・・生涯を賭けて自分自身に誠実にありながら、念願の労働者階級の勝利を描く実践は、その手法として単純で直接的な表現ではなかったことは否めません。
 恐らく、彼のロジックとして、現行の支配階級の敗残を表現することが、逆に労働者階級の勝利を描くこととイコールであるという脈絡に行き着いていったのかもしれないと、わたしには思えてきたのです。

 ドイツ三部作の第一作目『地獄に堕ちた勇者ども』での資本家階級の敗残の様子が、残虐と悲惨を極めていることを思い出せばそれは明らかです。

 その敗北の表現は、人民の辿るプロセスを『揺れる大地』や『若者のすべて』で、労働者階級の「無念」そして「郷愁」としてはかなく美しく、また、『山猫』以降、自らの貴族階級の敗北を「絢爛」や「美学」としてエレガンスに描写していったこととは、全く異なるものであったように思うのです。

 資本家階級の破滅が、侮蔑すべき堕落した階級として必然であることを、彼の激しい憎悪と激昂の限り渾身の力をこめて、その末路を描写した作品であったように感じます。
 それが、すなわち人民の勝利であることと同じことだとするレトリックであるなら、この『地獄に堕ちた勇者ども』こそ、『揺れる大地』と『若者のすべて』に続く、第三部「人民のたたかい」として人民の力を確認させるような、人民の勝利の物語として完成させた作品であったのかもしれません。
 わたしは、そう考えたとき、何だか背筋が凍り付きそうな気持ちになりました。

地獄に堕ちた勇者ども

ダーク・ボガード / ワーナー・ホーム・ビデオ



 このように考えると、ルキノ・ヴィスコンティとアラン・ドロンとが決別に至った理由のひとつとしても、彼のアラン・ドロンに対する憤りが、自らの私情におけるものとは異なっていたようにも思えてきます。

 もしかしたら彼は、アラン・ドロンの実業家(資本家階級)への転身が人民への裏切りだったと解釈し、そのことに対して憤慨していたのかもしれません。
 そう、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』で、フィリップ・グリーンリーフになりすましたトム・リプリーに対しての、あるいはジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『悪魔のようなあなた』で、ジョルジュ・カンポになりすましたピエール・ラグランジェに対しての憤りであると例えれば、分かり易いでしょうか。

 このことは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の祖母アニエス・ヴァルダ監督が、映画『百一夜』において、アラン・ドロン登場のシークエンスで、師であったルキノ・ヴィスコンティに抱く複雑な心情を、『山猫』のポスターやルキノ・ヴィスコンティの写真の前で立ち留まるショットにおいて演じさせています。
 ここでは、「ネオ・リアリズモ」の歴史的傑作であるヴィットリオ・デ・シーカ監督の『自転車泥棒』の比喩としてのワン・ショットのインサートによる先鋭的なカメラ・アイもショッキングでした。

 このアラン・ドロン批判とも受け取れるアニエス・ヴァルダの演出は、実はルキノ・ヴィスコンティの代弁だったのではないだろうかと、わたしは今になって想い返してしまうのです。

【「揺れる大地」と「若者のすべて」に続いて第三部をなす「人民のたたかい」を描いた映画を作りたい。しかも、最初の作品が敗北の物語であり、二番目が半ば敗北の物語であったのに反し、こんどは人民の力を確認させるような、勝利の物語を描きたい。】

 ルキノ・ヴィスコンティは、アラン・ドロンに、それを演じさせたかったのかもしれません。
 しかしながら、アラン・ドロンの立場に立ったとき、それでは、あまりにも一方的であるとわたしは感じます。ですから、彼の言い分も理解しようと思っているのです。

 後年、共産主義国家である中華人民共和国でのマーケットにおいて、アラン・ドロンがプロデューサーとして発言した内容に、わたしはそれを感じ取ることができました。
【>アラン・ドロン
(-略)中国には8年前に行った:7億人が『ゾロ』を見てくれたんだ!『復讐のビッグガン』を持って行ってね、『若者のすべて』じゃなかった。(略-)】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/27 「回想するアラン・ドロン:最終回(インタヴュー和訳)」

 このように、共産主義国家の中華人民共和国であっても、映画のニーズとしては、『若者のすべて』が本質的に理解されることが困難だったのです。・・・しかも前述したように、師であったジャン・ピエール・メルヴィル、ジョセフ・ロージー・・・そして、ジャン・リュック・ゴダールのような巨匠たちでさえ、
>(死ぬまで共産主義者でもあった)
ことが極めて困難、あるいは不可能であったわけですから、アラン・ドロンにそれを求めることは、いささか酷なことであり、彼がルキノ・ヴィスコンティの教示に答えることが出来なくても、それは無理のないことのようにも思っているわけです。


【(-略)役者を始めた頃は、私は「ハンサムな間抜け」だった。その後は何かを見出さなくてはならなかったんだ・・・(略-)】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/6/21 「回想するアラン・ドロン:その7(インタヴュー和訳)」

 ところが、「ハンサムな間抜け」と自らを卑下しながらも、ルキノ・ヴィスコンティ一家を去って、それでもなお、彼は後年において、人民の勝利像を演じている作品があるのです。

 それは、もう一人の師であったルネ・クレマン監督が演出している作品でした。
 そう『パリは燃えているか』です。

 ルネ・クレマン監督は、アラン・ドロンのキャラクターを含めて、『若者のすべて』の設定を前向きに編成し直して『生きる歓び』を制作したように思います。これをスタート・アップとし、やがてフランス人が誇るレジスタンス運動の勝利を人民の歓喜としてまで到達させたていった作品が『パリは燃えているか』だったと、わたしは考えるのです。


 もちろん、その二作品はコミュニズムの勝利に最も接近して人民の勝利を描いているとはいえ、ルキノ・ヴィスコンティの目指していた階級としてのコミュニズムの勝利からは逸れていると一般的には解釈されてしまうでしょう。
 結果的には、悪の枢軸国ナチス・ドイツに対する共和主義の範囲における人民の勝利として、すなわち大きな社会矛盾を抱えたド・ゴール主義の勝利でしかない作品として、「ヌーヴェル・ヴァーグ」諸派や左派系の映画人たちの一般的な批判にくみせざるをえない作品であったように思います。

 【ルキノ・ヴィスコンティ】                    【ルネ・クレマン】
 『若者のすべて』(半ば敗北) → → (勝利への端緒) 『生きる歓び』
  ↓                                 ↓
 『地獄に堕ちた勇者ども』                  『パリは燃えているか』
 (資本家の敗北                         (ナチズム・ファシズムの敗北
  =人民(コミュニズム)の勝利)                =人民(レジスタンス)の勝利)
(※歴史実としてはナチスの台頭・・・戦後は、巨大な
  工業コングロマリット「ティッセンクルップ」の誕生と
  なってしまっていますが・・・)

 だからといって、この作品は本当にイデオロギーとしての妥協の産物だったのでしょうか?

 実はわたしは、それは違うと思っています。
 何故なら、

【コミュニストだろうと、ド・ゴール派だろうと。私にはすべてレジスタンスの同志であった。私の会ったこの時代の責任者の人たちはすべて、彼ら同士お互いによく理解しあっていた。どちらが主導権を握るかで若干のアツレキがあったにせよ・・・・
(ルネ・クレマン 談)】
【引用 『海外の映画作家たち 創作の秘密(フランス編 ルネ・クレマン)』田山力哉著、ダヴィッド社、1971年】

 このルネ・クレマンの発言に、すれ違い決裂してしまったルキノ・ヴィスコンティとアラン・ドロンの師弟関係を再生して繋いでみることが、わたしにはイメージできるからなのです。

【>今年は大統領選挙の年ですが、きっと応援を頼まれるのではないですか?どの候補を応援する予定ですか?
>アラン・ドロン
応援するつもりはないね。私が右翼派だと皆知ってるだろう。共和党の女性リーダーの考えは信念の枠を飛び抜けているという気もするがね。右翼派の女性たちはセゴレーヌ・ロワイヤルを支持するね・・・まあどうなるかは分らないが。私は自分の信念を保持するよ、それに躊躇いはないから・・・】
【引用(参考) takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事 2007/5/30 「ドロンが語る「マディソン郡の橋」その2」(インタヴュー和訳)」

 いわんをや、『山猫』で、アラン・ドロンが演じた主人公タンクレディは、同じ貴族階級の娘ではなく、クラウディア・カルディナーレが扮した新興のブルジョアジーの娘であるアンジェリカと結婚して家庭を築いていく新しい時代に生まれた王党派の共和主義者でした。


 これらのことを踏まえれば、アニエス・ヴァルダ監督の作品『百一夜』で、ルキノ・ヴィスコンティの写真や作品ポスターを見つめるアラン・ドロンの複雑な眼差しを理解することは、それほど困難なことではないでしょう。

 そして、わたしは、「ハンサムな間抜け」と自覚しながらも、師であったルキノ・ヴィスコンティの教示に答えようとして、レジスタンス運動の指導者、第三共和政の幕僚ジャック・シャバン・デルマスをルネ・クレマン監督の下で一生懸命に必死に演じているアラン・ドロンの心情を察すると涙が止まらなくなってしまいます。

 そして、アラン・ドロンに心からの万感の拍手を贈りたくなってしまうのです。
[PR]

by Tom5k | 2011-02-05 18:24 | 山猫(2) | Trackback | Comments(7)

『山猫』①~映画においては、すべての人間の言いぶんが正しい mimiさんとの対談から ~

 わたしはルキノ・ヴィスコンティ監督の映画における知性は、彼が若いころにジャン・ルノワール監督の助監督をしていた時代の影響が大きかったのではないかと推測しています。ルノワール作品『ゲームの規則』には
「映画においては、すべての人間の言いぶんが正しい。」
とのセリフがあり、これはヴィスコンティ作品の悲劇の土台となっている思想ではないかと思われるのです。「が正しい」という言葉を「を認める」と読み替えるとよくわかります。

ゲームの規則
/ 紀伊國屋書店





 彼の作品は、新興ブルジョアジーの台頭による貴族階級の崩壊、無産階級の悲惨、ホモ・セクシュアル、近親相姦、自由恋愛など、あらゆる矛盾や俗悪にあえて寛容であったように思え、そのためにすべての作品が悲劇的なストーリーになっているように思えるのです。

 しかし、その寛容さは同時に、彼の映画人としてのしたたかさにも通じていると思われます。『若者のすべて』は、政治的な圧力からベネチア映画祭グランプリを受賞することができなかったと聞きました。当時、イタリアの戦後復興の時代には、「ネオ・リアリズモ」の潮流が自国イタリアのイメージ・ダウンにつながる恐れがありました。イタリア当局の政治的圧力によって、その映画潮流は急速に衰えざるをえなかったのでしょう。
 『山猫』の前作である『若者のすべて』が製作された頃は、正にそういった時代でした。このことは、彼に大きな衝撃を与え、その後の進むべき道は別な選択に成らざるをえなかったのではないでしょうか?

 そして、彼が選択した道、それは自己自身、つまり貴族階級を描くことだったのです。

 それがこの『山猫』です。更に、ここで特記すべきはこの作品のキャスティングです。サーカスの出身者で、ハリウッドになじめず独立プロダクションを起こしていたアメリカ俳優の異端児バート・ランカスター、『若者のすべて』のロッコや『太陽がいっぱい』のトム・リプリーなどで社会の貧困層を演じたアラン・ドロン、『刑事』や『鞄を持った女』『ブーベの恋人』で社会の底辺を生きる女性を演じることが似合っていたクラウディア・カルディナーレを、貴族や新興ブルジョアジーの有産階級の主役に抜擢したことです。これは常識的に考えれば、すべてミスキャストです。
バート・ランカスター―不屈のタフガイ・スター
梶原 和男 根岸邦明 / 芳賀書店





刑事

ピエトロ・ジェルミ / アミューズソフトエンタテインメント



ブーベの恋人 (トールケース) [DVD]

アイ・ヴィー・シー



 ルキノ・ヴィスコンティ監督がリアリズム作家といわれている理由はどんなに細かいセット・衣装・装飾品等でもすみずみにまで本物を使用するからです。

 何故、このような配役でこのような作品を完成させたのでしょうか?

 彼は当時「赤い公爵」と呼ばれ、貴族の末裔でありながら、コミュニストでした。基本的に無産階級の人間と有産階級の人間に違いなどないという思想が彼の信条であったわけです。

 彼は貴族階級を描くことで、イタリア当局と「ネオ・リアリズモ」の確執の時代に敢えて逆らわず、しかし、その貴族の配役に最下層を生きる役柄の似合う俳優たちを起用したことで、もしかしたら、コミュニストとしての思想・信条を転向しなかったのか・・・???
 作品の内容も貴族と平民の婚姻を物語の中心に据えています。彼はこの作品で当時の自分の周囲の矛盾を一気に解決しようと試みたのか・・・???

 その真実を突き止めるには熟考を要するでしょうが、少なくても、これらのことには彼が若い頃に影響を受けたジャン・ルノワール監督の
「映画においては、すべての人間の言いぶんが正しい。」
という思想が全うされているとは思うのです。

 そして、この作品でのバート・ランカスター、アラン・ドロンは貴族階級に、クラウディア・カルディナーレは振興ブルジョアジーに、わたしには彼らが本当の有産階級の人物にしか見えませんでした。
【参考~ 『ヨーロッパ映画(イタリア映画 ヴィスコンティ作品の貴族と民衆)』 佐藤忠男著、株式会社第三文明社、1992年】

 『山猫』はニーノ・ロータの悲愴、壮麗な旋律の音楽から始まります。
 1860年8月、イタリアシチリア島の雄大な山脈の麓に毅然と構えるサリーナ公爵家の豪邸。白いカーテンが激しい山風に舞い揚がり、時代の変革期に翻弄される公爵一家の避けられない運命を暗示しているようです。
 イタリア動乱の中、公爵は相変わらず、平穏な姿勢で家族を慰めます。

 公爵の甥タンクレディが共和軍に義勇兵として参戦することにより、しばらく間の別れを告げるために公爵家を訪れます。その時の公爵との会話は仲の良い父と子のようで、タンクレディの愛嬌のある笑顔が本当に素晴らしい。サリーナ公爵の彼への眼差しが愛情と期待を表現していて、ほほえましいかぎりです。
 そして、タンクレディの出発を一家で送り出す場面、公爵令嬢コンチェッタが愛するタンクレディに抱える不安と淡い期待、すべてニーノ・ロータの音楽に織り込まれています。タンクレディの出発の場面はそれだけでひとつの作品のようです。ルキノ・ヴィスコンティ監督の舞台演出としての第1幕だと思います。

 タンクレディとアンジェリカの出会うシーンは、歴代の文豪たちが描いてきたのと同様に、貴族の日常の社交場に設定されています。紳士と淑女たちは社交の辞を交わし、談笑しています。

「今、娘が参ります。」
 新興ブルジョアジーのドン・カルジェロが不馴れな様子で貴族たちに軽蔑、嘲笑されながら誇らしげに言い、輝かしくばかりの美しいアンジェリカが登場します。賑わいの社交場の突然の静寂。衆目がアンジェリカに集中し、タンクレディの視線もまた、その美しさに吸い込まれるように釘付けになります。

 しかし、ルキノ・ヴィスコンティ監督のアンジェリカの描き方には実に厳しいものがあります。タンクレディの品のないジョークにいつまでも笑い続けて周囲を白けさせたり、指をなめて上目づかいで公爵を見たり、舌なめづりをしたり、監督のブルジョアジーに対する軽蔑は、愛すべきアンジェリカの描き方にさえシビアに表れ、彼女の品位の欠落が貴族と平民の間の距離感と価値観の差を感じさせます。

 もっとも、アンジェリカの無垢な美しさを上手に表現していることでもわかるように、階級による偏見を持たずに本物の美しさを見抜く眼力もやはり、彼の美への意識が本質的なものであることは言うまでもありません。真に美しいものに対する人間の感受性は同じで、映画でもアンジェリカのその美しさは地位、富、名声などすべてを得ることになります。

 それにしてもコンチェッタは気の毒です。
 わたしには、貴族社会の崩壊を、コンチェッタの失恋によって象徴的に描いたことが印象的です。このような時代の変換期でなければ、タンクレディとコンチェッタはとてもお似合いの素敵なカップルで、生涯円満で平和な家庭を築いていったはずだからです。

 しかし、貴族の地位や名誉がブルジョアジーに譲り渡される方法が、革命によるものではなく、タンクレディとアンジェリカのロマンスに昇華させていることに、ルキノ・ヴィスコンティ監督の寛容な知性を感じます。そして、ニーノ・ロータやヴェルディの素晴らしい音楽がタンクレディとアンジェリカの若さ溢れる、美しいふたりにぴったりのイメージを創り上げています。
ロータ:映画音楽集「道」「山猫
ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団 ニーノ・ロータ ムーティ(リカルド) / ソニーミュージックエンタテインメント



 サリーナ家に訪れた準男爵シュヴァレーは、公爵に上院議員の話を持ちかけます。このとき公爵は「シチリア人は豊かさよりも、誇りを選んで貧困に耐える。」と言い放ちます。これも心に響く言葉です。「変わるものなど何もない。変わっても良くはなるまい」と公爵は答えます。どんな革命や改革、選挙等によっても人間社会には限界があるということなのでしょう。

 「山猫と獅子は退き、ハイエナと羊の時代が来る。そのだれもが己れを「地の塩」だと信じている。」という公爵の呟きは、誰もが「地の塩」にはなりえないという意味でしょう。つまり、そう思っているのは自分たちだけであって、本当に「地の塩」と呼べる階級は存在しないという虚無感からのセリフです。

 舞踏会も終わり、愛し合うタンクレディとアンジェリカが公爵の馬車での帰宅途中、暁の静寂を破った共和軍処刑の銃声の響きと同時に、ドン・カルジェロが安心した表情で「これから安泰だ。」と呟きます。アンジェリカはタンクレディに額に口づけされ、彼に寄り添っています。タンクレディに愛され、守られ、満足そうな表情のアンジェリカ。彼らが運命を共にする新時代の主人公になったことが伝えられる場面です。

 思えば、サリーナ公爵一行が馬車でドンナフガータの夏の別荘へと出かけるシーンで、共和軍が一家を検問し、差し止める場面があり、タンクレディは強引にそこを通らせますが、恐らく彼は共和派と貴族の相違を敏感に感じたのではないでしょうか?後にイタリア正規軍に入隊しなおした大きな理由のひとつとなったエピソードだと思います。

ヴェルディ:椿姫 全曲
コトルバス(イレアナ) バイエルン国立歌劇場合唱団 ユングビルト(ヘレーナ) マラグー(ステファニア) ミルンズ(シェリル) ドミンゴ(プラシド) バイエルン国立管弦楽団 ヴェルディ クライバー(カル) / ユニバーサルクラシック





 ドンナフガータの公爵一行の歓迎場面では「われらジプシー女」を市の楽団が演奏します。教会への行列入場には「アーマミ・アルフレードーわたしを愛してー」が奏でられます。

 公爵にとっては、タンクレディから議員になることを告げられたことは、溺愛の甥が貴族の誇りを棄てたようにも思えたはずです。貴族の新しいスタイルでの存続を共和主義の精神に、屈辱ではあっても納得し、寛容に受け入れ、いや、むしろ時代の理想を生きようとしていたタンクレディを真から愛し、新しい時代を尊ぼうとしていたサリーナ公爵とコンチェッタにとっては新時代への挫折・絶望・哀しみだけが残った結末だったかもしれません。

 このようにルキノ・ヴィスコンティ監督の自己矛盾の解消は根本的な解決方法にはなり得なかったのかもしれません。でも、「赤い公爵ヴィスコンティ」の下層市民への愛情と期待はこの作品の随所に感じられます。
 ピローネ神父が下層の貧しい人たちに対して「領主たちと我々は価値観が全く違う。」という説明をする場面は、彼が貴族に対する理解を下層市民に求めていたようにも感じられました。そして、ブルジョアジーとはいえアンジェリカの母親が小作農出身の娘であることとしたことからも下層市民に対する愛情を感じ取ることができるように思います。

 ラスト・シーンの公爵の呟きは、映画の正確なシナリオでは

「星よ、我が忠実な星よ。お前はいつになったら約束してくれるのか。こんなひと夜かぎりではない約束を。お前の永遠に不変の胸にいつ私を迎えてくれるのか。この愚かさと流血から遠く逃れて」

です。
 死の床に苦しむ人に祈祷を捧げ、その魂を解放するために神父が公爵の横を通り過ぎることで、彼の死の世界への憧れと流血と暴力の現実への嫌悪を表現したものなのかもしれません。


= 注 =
このレビューは、わたくしトム(Tom5k)の友人であるmimiさんとの対談をまとめたものです。

e0059691_13503596.jpg
山猫 オリジナル・サウンドトラック盤、音楽:ニーノ・ロータ
[PR]

by Tom5k | 2005-02-26 23:46 | 山猫(2) | Trackback(13) | Comments(24)